大摩邇(おおまに)

日常の気になる内容を転載させていただきます。 ひふみ、よいむなや、こともちろらね、しきる、ゆゐつわぬ、そをたはくめか、うおえ、にさりへて、のますあせゑほれけ。一二三祝詞(ひふみのりと) カタカムナウタヒ 第5首 ヒフミヨイ マワリテメクル ムナヤコト アウノスヘシレ カタチサキ 第6首 ソラニモロケセ ユエヌオヲ ハエツヰネホン カタカムナ (3回) 第7首 マカタマノ アマノミナカヌシ タカミムスヒ カムミムスヒ ミスマルノタマ (3回)

シオン賢人議定書NO 20

シオン賢人議定書NO 20
 今日は、財政計画の諸問題を取り上げるのである。この問題は、扱いが最も難しく、我々(ユダヤ人たち)の計画の中では最高かつ決定的に重要なので、私・朕の報告の中では最後に述べることにしておいたのである。本論に入る前に想起していただきたいのは、朕がすでにヒントとして提示しておいたこと、我々(ユダヤ人たち)の活動の総括は、数字の問題として現わせるということなのである。
 我々(ユダヤ人たち)の王国が実現した時には、我々(ユダヤ人たち)の専制政府は、自衛の為に賢明にも、ユダヤ人たち人民大衆には税の負担をかけぬようにするのである。これは、我々(ユダヤ人たち)の政府は、父親や保護者の役割を果たすということを想起していただきたいのである。さりながら、国家組織には莫大な金がかかるのであるから、必要な資金は、確保する必要が有るのである。ゆえに、格別細心の注意を払って、この問題に関しては、適切な課税方式を定めねばならない。
 我々(ユダヤ人たち)の王は、法的な形では国の資産はことごとく王が所有者であり(形だけでなく実際にも容易にそれが適用できる)、国内流通を規制する為にはあらゆる資産の総額から合法的に徴収することができるのである。このことから、課税は、累進課税方式で徴収するのが最もよろしいという結論になるのである。さすれば、資産総額の何パーセントという形で支払うべきものが支払われ、何人も困窮したり破産したりすることがない。富める者は、税金を払えば残りの金は国家が財産不可侵権で保障してくれ、なおかつ正直な利益を保ロ護してくれるのだから、余分な金の一部は、国家に御自由にお使い下さいと差し出すのが義務であると考えなくてはならない。朕は、今、「正直な」と言ったのである。これは、財産をしっかり監督すれば、法律でいう泥棒を駆逐するということを意味しておる。
 社会改革は、上記のことから始めねばならない。その時は、熟しておる。それは、安寧の印として不可欠なことなのである。
 貧しい者に課税することは、革命の種を蒔くことになって、小を追って大を逃し、国家の損害となるのである。そんなこととは、全く別に、資本家に課税するのは、個人の富の増加を防ぐことになるのである。我々(ユダヤ人たち)が昨今資本家の手に富を集中させたのは、畜生(非ユダヤ人)共の政府の力・・国家財政・・が強くならぬように、平衡力をつけるためであったのである。
 資本の高に対して累進課税を課すると、現行の個人課税や資産課税よりも遥かに大きな収入となるが、現在の課税方式は畜生(非ユダヤ人)共の間に不満と反抗を起こさせるという理由でのみ、我々(ユダヤ人たち)には、必要なのである。
 我々(ユダヤ人たち)の王は、均衡を保つことと安寧を保証することに強みが有るのである。それが為には、資本家たちは、国家機関を正常に動かす為に自分の所得の何分の一かを投げ出すことが絶対に必要なのである。ゆとりのある人々は、公共の必要を賄わねばならない。
 そういうことが行われると、貧民は、富豪を憾まなくなり、富める者は、国家維持にはなくてはならぬ財政的支柱であり、国家に必要なものを支払っておるからには、安寧福利の守り役であるということが解ってくるのである。
 知識階級の納税者に新体制の納税方式にあまり不平を言わせぬようにするには、公費の細かい支出を見せてやるが、王室費と行政費とは例外なのである。
 すべてを支配するユダヤ人たちの王には、国家のすべてが王の財産であるから、王個人のものと称する財産は、何もない。と言うと矛盾があるが、実は、ある方法で、実際には、普通の意味で国家のすべてを所有するということは出来ないようになっておるのである。
 国家資産で扶養する王の妻子は別として、統治者の親族は、国家公務員になるか、資産を得るべく働かねばならない。王の血族だからといって、国庫に属するものを私する権利があってはならない。
 販売、所得、相続には、累進課税印紙を支払わねばならない。所有権を移転するときには、動産であろうと不動産であろうと、姓名を記載した印紙による支払の証拠があらねば、最初の所有者は、移転の宣告が発覚した日からの利息を支払うのである。売買物件登録は、新旧の所有者の住所・氏名を付して、毎週財務省地方支所に届出せねばならない。この姓名付き登記は所定の金額を超える場合から始め、通常の日常品売買には一定単位ごとの所定パーセンテイジの印紙税を支払えばよろしいのである。
 このような方法だと畜生(非ユダヤ人)共の政府の収入の何倍になるか計算してみていただきたいのである。
 財務省は、一定額の予備金を確保し、それを超える徴収額は、全額流通に還元せねばならない。その還元額は、公共事業に当てるのである。国庫から資金が出るこの種の事業は、国家が企画実施するのであって、これにより労働者階級の利益とやつら(非ユダヤ人=畜生たち)を支配する国家の利益とが固く結び付くのである。この資金の一部は、事業の発案者や施行者に与える報償金にも当てるのである。
 国庫には、たっぷりと確保した所定の予備金のほかには、たとえ少額であっても決してよけいな金を置いておいてはならない。金というのは、流通させるべきものであって、およそ流通を妨げることは、すべて国家機構の運営には支障を来たすのである。それは潤滑油のようなものであり、潤滑油が滞った日には、よどみなく活動すべき国家機構が齟齬を来たすのである。
 貨幣の代用に紙幣を使うことが、確実に流通を阻害したのである。この状況が続いてどういうことになっておるかは、すでに明らかである。
 我々(ユダヤ人たち)は、王が直轄する会計検査院を設けるのである。そこでは、非ユダヤ人たちの王がいかなる時でも、まだ決算されていぬ当月分とまだ発生しておらぬ翌月分は、別として、前月までの国庫の収入支出状態を親しく検査できるのである。
 国庫から盗んでも何の利益にもならぬ唯一の人間は、その所有者であり、王なのである。これによって紛失や浪費の可能性を封じることができるのである。
 支配者の代表的な行為に、儀礼のための宴会というのがあるが、これは、貴重な時間を浪費するものであるから、王に統括と熟慮の時間を担保する為に、宴会は、一切廃止するのである。王の力は、きらびやかな王位を取り囲み、自分のことしか考えず国家の問題なぞ念頭にない取り巻き連中にかしづかれ、取るに足らぬことに時間を割かれるべきではないのである。
 我々(ユダヤ人たち)が畜生(非ユダヤ人)共の間に作り出した経済危機では、流通貨幣の引き締めほど効果のあるものはなかったのである。国内から貨幣を引き上げると巨大資本は、停滞し、不足した資本は、借金に頼らざるをえなくなるのである。この借金というのが利息が嵩むものだから、これらの資本は、国債の奴隷となる。小さな親方たちの手から資本家の手に産業を集中すると、全人民が、そして国家も活力を失ってくるのである。
 一般的に言って、現在の通貨発行は、国民一人当りの消費に相応しておらぬので、労働者の必要を満たすことができない。通貨発行は、人口増加に相応すべきであり、子供は生れたその瞬間から一人前の消費者であると計算せねばならない。通貨発行量の変更は、世界中どこの国でも重大問題となっておるのである。
 御存知のように、金本位制を採用した国々は、危殆に瀕している。我々(ユダヤ人たち)が流通している金を出来る限り引き上げるものだから、通貨の必要を満たすことが出来なくなっておるのである。
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シオン賢人議定書NO 19

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シオン賢人議定書NO 19
 我々(ユダヤ人たち)は、個人が政治に口出しすることは全く許さぬが、政府が人民の状態を改善すべく仔細に検討するに値する提案、報告、請願は、奨励するのである。 このような提案は、我々(ユダヤ人たち)の臣民が何を空想しておるかを我々(ユダヤ人たち)に明らさまに教えてくれるからであり、それらに対しては実現できるものは その旨を付し、そうでないものは、起案者の誤りを指摘し反論して応えるのである。
 反政府活動屋は象に対してキャンキャン吠え立てる小犬以外の何ものでもない。組織的に活動しておる政府にとっては、警察の見地からではなく公共の立場から見ても、小犬が象に吠え立てるのは、象の強さや力を全く知らぬからであると見做すのである。これには、両者の力関係を一度だけ見せてやる以外は何もする必要はないのである。さすれば、小犬は、吠え立てるのを止め、次からは、象を見ると尻尾を巻いて逃げ出すであろう。
 政治犯罪者が主義に殉ずるものとして尊ばれることをなくす為には、裁判の際に、やつら(非ユダヤ人=畜生たち)を強盗、殺人犯、その他言語同断破廉恥極まる犯罪者と同じく扱うのである。そうすると世間は、政治犯をその種の犯罪と同種の不道徳な犯罪と見做し、軽蔑の眼差しで見下げるようになるのである。
 畜生(非ユダヤ人)共が反政府活動を圧殺するのに同じ手段を用いないように我々(ユダヤ人たち)は、極力努力してきたし、今後もその努力は継続したい。新聞や演説講演・・間接的には巧みに編集した歴史教科書・・を通じて、我々(ユダヤ人たち)は、反政府屋を公共の福利の為に殉じた殉難者として宣伝してきたのは、以上の理由からなのである。 この宣伝がふくれ上って、自由主義者たちが増加し、何千という畜生(非ユダヤ人)共を我々(ユダヤ人たち)の家畜群に引き込んだのである。

シオン賢人議定書NO 18

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シオン賢人議定書NO 18
 我々(ユダヤ人たち)が秘密の護衛措置の強化を講ずる必要が生じた際には、見せかけの秩序混乱すなはち、うまい弁舌家に協力させて不平不満をぶつけさせるのである。こういう弁舌家の回りにはその発言に共鳴する輩が皆集まってくるのである。それが、あまたの畜生(非ユダヤ人)共の中から選んだ我々(ユダヤ人たち)側の人員によって、家宅捜査や監視をする警察となるのである。
 大多数の陰謀家というのは、勝負事好きでおしゃべり屋であるから、そこで、やつら(非ユダヤ人=畜生たち)が明白な行動を起こすまでは、我々(ユダヤ人たち)は、指一本触れずに、ただ、やつら(非ユダヤ人=畜生たち)の中に監視員を入れるだけにとどめておく。銘記しておくべきことは、陰謀摘発が度重なると当局の威信が失墜したとか、弱みがあるからやっておるんだろうとか、もっと悪いことには不正不法であるとか、余計な憶測邪推を生じさせるということなのである。 御存知のように、我々(ユダヤ人たち)は、非ユダヤ人=畜生たち代理人を通じて畜生(非ユダヤ人)共の王たちの生命を脅かして権威を失墜させたのであるが、この代理人たちは、我々(ユダヤ人たち)が飼っておる群の中の盲目の羊であって、少々政治色をつけた自由主義的な言辞を弄して犯罪を攻撃すると、たやすく乗せられてしまう連中なのである。我々(ユダヤ人たち)は、秘密防衛措置を公然と暴いてやって、非ユダヤ人=畜生たちの支配者たちにやつら(非ユダヤ人=畜生たち)の弱点を思い知らせてやってきたのである。 これによって、権力を打倒する保証をしたのである。
 我々(ユダヤ人たち)の支配者は、目に見えぬ護衛だけに守られるのである。反政府暴動があるやも知れず、王にはそれを抑える力がなく逃げ隠れておるという考えは断じて与えてはならない。畜生(非ユダヤ人)共がやったように、また、現在もやっておるように、そんな考えをはびこらせたら、我々(ユダヤたち)の王ではないにしても、とにかくその王朝に対して遠からず死刑宣告に署名しておるようなものである。
 我々(ユダヤ人たち)の王は、威厳のある風貌の力を国民の福利増進の為にのみ用いるのであり、間違っても自分自身や一族の利益の為に用いることはないのである。 それゆえに、この威信が保たれることで、ユダヤ人たちの王の権威が尊敬され国民そのものに守られ、市民全員の福利と固く結びついて神のように崇められるのである。まさにユダヤ人たちの王の威信によってこそ、多数の通常生活における秩序すべてが保たれるのである。
 公然と護衛することは、強そうに見える王者の政治組織の弱さをさらすことになるのである。
 我々(ユダヤ人たち)の王は、人民の中に行くときは常に、見た目には全く偶然そこに居合せた物見高い男女の群集に取り囲まれたかのように見せるのである。それらの男女は、王に近い前の方の数列を占め、後の列を制止するのである。他の者は、尊敬の念からよく秩序が保たれておるように見えるのである。これは、他の場合でもそうすることに慣れるように種を蒔くことになるのである。もし群集の中から請願人が現われて、王に請願書を手渡そうとし列を分けて進んできたら、最前列の者が請願書を受け取って請願人の目の前で王に取り次がねばならない。さすれば、誰の目にも直接請願書が王の手に届き、王自身が国政を監督しておることが知れ渡るのである。 ユダヤ人たちや非ユダヤ人=畜生たち人民が「王様がこの事を御存知だったらなあ」とか「王様が聞いて下さった!」と言えることが、権力の後光となるのである。
 公然たる護衛警察は、王者の神秘的権威を失わせるのである。少々大胆さを持ち合わせよれば、誰でも自分は、護衛を自由に操れると思い込み、暗殺者は自分の力に自信を抱き、時至れば官憲に一撃を加える瞬間をうかがう。畜生(非ユダヤ人)共には「我々(ユダヤ人たち)は、正反対のことを教えてきた」が、目立つ護衛策が如何なる結果をもたらしたかを、事実そのものによって、とくと見ることができたのである。
 我々(ユダヤ人たち)は、犯罪者とあれば根拠が十分であろうと不十分であろうと、まず逮捕するのである。 万一間違えるといけぬということで、政治的堕落や犯罪を犯した疑わしき者に逃亡の機会を与えるとは とんでもないことなのである。政治犯の場合は文字通り峻厳でなければならない。単純犯罪で動機の再審議を許可し、特別扱いをすることが可能な場合でも、特権を持った者の他には何びとといえども事件に介入する口実は 存在しない。すべての政府が真実の政治を理解するものではないのである。

シオン賢人議定書NO 17

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シオン賢人議定書NO 17
 弁護士活動は、ユダヤ人たち、非ユダヤ人=畜生たち人間を冷酷、非情、頑固、破廉恥にするのである。弁護士は、如何なる場合にも、人間ではなくひたすら法律の観点からのみ問題を論じるのである。やつら(弁護士)は、如何なることを取り上げるにしても、弁護する価値があるかどうかと考えるのが習慣になっていて、弁護した結果、公共の福利がどうなるかは考えない。なんでもかんでも弁護を引き受けて断わることをせぬというのが普通であり、無罪を目ざして極力奮闘し、法律上の細かい所にこだわって片端から難癖をつけ、挙句のはてに正義を地に落とすのである。であるから、我々(ユダヤ人たち)は、他の行政公務員と同様にこの職業の範囲を狭く絞り込んでおこうと思う。裁判官と同じく、弁護士が訴訟当事者と直接接触する権利は、剥奪するのである。やつら(弁護士)は、法廷からのみ仕事を受け、訴訟書類や報告を調査し、法廷で被告が尋問を受け事実が明らかになった後に被告を弁護するのである。如何なる弁護をしたかという内容に関わりなく報酬を受け取るのである。このことは弁護人は、告訴のための審理記録人である代訴人に対して平衡を保つための正義のための法務の単なる記録人に過ぎなくさせるのである。こうすれば、個人的な興味関心からではなく確信に基づいた、偽りのない公平な弁護活動が可能となるのである。また、この方式にすれば、現今横行しておるような、金をよけい出さなけれは裁判には勝てないという弁護士の腐敗堕落を除去することになる。我々(ユダヤ人たち)は、過去長い時間をかけて、畜生(非ユダヤ人)共僧侶の信用を落とし、それによって、放っておいたら我々(ユダヤ人たち)の大きな脅威となったやも知れぬ地上におけるやつら(非ユダヤ人=畜生たち司祭法王)の伝道を凋落させるようにして来たのである。今や日一日と、世界の人民に対するやつら(非ユダヤ人=畜生たち司祭法王)の影響力は、低下しつつあるのである。信教の自由ということが至る所で喧伝されたので、今やキリスト教が完全に破壊されるのは、ここ数年のうちに過ぎなくなったのである。ほかの宗教に至っては、骨抜きにするのは更に容易であるが、今この問題を論ずるのは時期尚早である。我々(ユダヤ人たち)は、聖職者重視の教権主義や聖職者たちの力を、以前やつら(非ユダヤ人=畜生たちの司祭法王)が華やかなりし頃に持っていたのとは比べものにならぬほど狭い枠に押し込めるであろう。
 決定的に法王庁を破壊する時が来れは、見えざる手の指が各国民に法王庁を指さすであろう。しかしながら、非ユダヤ人=畜生たち国民がそれに襲いかかろうとしたら、あたかも過度の流血を防がんとするかのように、我々(ユダヤ人たち)は、法王庁の擁護者を装って進み出るのである。この転換によって、我々(ユダヤ人たち)は、やつら(非ユダヤ人=畜生たちの司祭法王)の深奥にまで足を踏み入れ、間違いなくかの最強部を腐食し切るまでは二度と出て来ないであろう。
 ユダヤ王は、真の世界の法王、世界にまたがる教会の総大司教となるのである。
 であるが、一方で、我々(ユダヤ人たち)が青年層を過渡期の新しい伝統の宗教に、後には、我々の宗教(ユダヤ教)で再教育する間、我々(ユダヤ人たち)は、明らさまには既存の教会には指一本触れぬが、教会内部の軋轢を目ざし批判を加えて宗教人と闘うのである。
 その場合、一般的には、我々(ユダヤ人たち)の現代の新聞は、畜生(非ユダヤ人)共の国家問題、宗教、畜生(非ユダヤ人)共の無能さを断罪し続けるが、常に、わが民(ユダヤ人たち)天与の才能を振い、あらゆる手段を駆使してやつら(非ユダヤ人=畜生たちの司祭法王)の威信を剥奪すべく、罵詈雑言を浴びせ百方中傷する。我々(ユダヤ人たち)が王国は、インドのヴィシュヌ神になぞらえ擬人化すると・・我々(ユダヤ人たち)が百本の手の一本一本は、社会という機械のバネを握っておるのである。警察というのは、我々(ユダヤ人たち)が畜生(非ユダヤ人)共の為に入念に作り上げ、しかも政府は、覗けぬ望遠鏡であるが、その警察の力を借りずとも我々(ユダヤ人たち)は、何もかもが解るのである。我々(ユダヤ人たち)の計画では、我々(ユダヤ人たち)の臣民の三人に一人が、国家への無料奉仕義務として他の二人を監視するのである。かってのようにスパイは恥ずべきことではなく、評価すべきことなのである。しかしながら、根拠のないことを密告した者は、厳罰に処し、密告権の濫用を慎ませるのである。
 この我々(ユダヤ人たち)の代理人は、社会の上層からも下層からも、さらに暇な時間を娯楽に費す管理層、編集者、印刷業者や出版人、書店業、店員、販売業者、労働者、御者、従僕等々からも採用するのである。この組織は。職権を持たず、目撃したことについてなんらかの行動を起こすことは許されず、なんら権限のない警察であって、唯一観察し証言するのみなのである。供述を確かめたり逮捕を決定したりするのは、警察の責任ある取締官の仕事であり、実際の逮捕には、憲兵隊や都市警察があたるのである。警察担当の事件で見聞したことを報告せぬ者は、隠匿罪で告発されその責を負い、それが証明されれは有罪となるのである。
 今日も我々(ユダヤ人たち)の兄弟たちは、自分の責任において、自分の家族の背教者や結社に反対する行動をとった結社員を告発する義務を持っておるが、それと同じことを全世界を支配する我々(ユダヤ人たち)の王国においても、わが臣民全員に国家に対する奉仕として義務づけるのである。
 このような組織こそが、権威権力の濫用や贈収賄や我々の機密計画を使い、人間についての超人類的な理論を駆使し、我々(ユダヤ人たち)が畜生(非ユダヤ人)共に植え付けた悪習のすべてを根絶させるであろう。であるが、やつら(非ユダヤ人=畜生たち)の政治の中に混乱を植え付け増大させるのに、果たして他に方法があったであろうか? あまたあるこれらの方策の中でも、最も重要なるものの一つは、やつら(非ユダヤ人=畜生たち)の悪の偏執性・・どうしようもない自惚れ、権力の無責任な濫用、そして、何よりもかによりも賄賂・・を拡張発達させ、やつら(非ユダヤ人=畜生たち)を破滅させるのに都合のいい位置におる秩序回復の代理人なのである。

シオン賢人議定書NO 16

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シオン賢人議定書NO 16
 我々(ユダヤ人たち)以外の結束力をすべて根絶する為には、集産主義の第一段階・・大学・・を、新しい方向で再教育して去勢するのである。非ユダヤ人=畜生たちの職員や教授連を精密な秘密教育計画に従って再訓練するが、断じてその一部分たりとも免除することはないのである。やつら(非ユダヤ人=畜生たち)の任命には、格段の注意を払い、一人の例外もなく政府が掌握して配置するのである。
 我々(ユダヤ人たち)は、全教育課程から政治と同様に法律も排除するのである。政治法律に関しては、非ユダヤ人=畜生たちから予め許された者の中からさらに卓越した人物を選び、数十人という少数の人物にのみ教えるのである。大学は、もはや喜劇や悲劇を書くような積りで法案や計画をこね上げたり、父親たちでさえも理解できなかった政策問題にかかずらわう青二才を世の中に送り出してはならない。
 大多数の人間が持っておる政治問題に関する頓珍漢な知識が、ユートピアを夢見る人間や不良市民を作るのである。諸氏は、実際の大学教育が畜生(非ユダヤ人)共をこの方向に導いてきた実例をよく御存知であろう。我々(ユダヤ人たち)は、やつら(非ユダヤ人=畜生たち)の教育の中に、完膚なきまでにやつら(非ユダヤ人=畜生たち)の秩序を破壊する原理を持ち込まねばならなかったのである。しかしながら、我々(ユダヤ人たち)が権力を掌握した時には、秩序破壊の種になるようなものはことごとく教育課程から駆逐し、非ユダヤ人=畜生たち青年を権威に従順な子供にし、平和安寧の希望として非ユダヤ人=畜生たちが統治者を頼みの柱とするように育成するのである。
 如何なる形の歴史研究も皆そうであるが、範を過去に求める古典主義で行くと良い例よりも悪い例の方が多いのであって、我々(ユダヤ人たち)がそれに代えるに未来研究をもってするのである。我々(ユダヤ人たち)は、我々(ユダヤ人たち)にとって好ましくない過去何世紀かの人類の記憶を一切消去し、畜生(非ユダヤ人)共の政府が犯した誤ちをことごとく叙述するのである。実際生活、秩序に対する義務、人民相互間の関係、悪を伝染する利己的な実例、その他教育の本質に関わる類似の問題の研究、これらが教育計画の最前線に置かれるであろう。その実施にあたっては、職業ごと、あるいは生活状態によって別々にし、教育は、決して画一的に行ってはならない。この処置は、特に重要なのである。
 社会各層の教育は、それぞれの階層の本質と実際の仕事に応じて厳格に制限を加えねばならない。稀に天才的人物が出てうまくやって行くことがあったし、上の階層に滑り込むことが常であるが、このような極めて稀にしか出ぬ天才の為に、生れや職業に特有であるべき階層に、その価値もない人間を入れてやるなどということは、愚行もはなはだしいのである。こんな目に余ることを許した畜生(非ユダヤ人)共の社会は。どうなったか、諸氏は、よく御存知のはずなのである。
 我々(ユダヤ人たち)は、私学という私学をことごく廃止するのである。教育施設の中では、あたかもクラブのように、親たちとの集まりを持つことは許すのである。休日には、そういう集まりに教師が参加して、人間関係、見せしめの罰則、非ユダヤ人=畜生たち神の選民ではない者のいろいろな制約等々の問題、とどめには、まだ世界で明らかにされていぬ新たな哲学原理について、課外講義で読んで聞かせるであろう。その原理は、最終的に我々(ユダヤ人たち)の信仰(ユダヤ教)に従わせるための移行期の教理として、我々(ユダヤ人たち)が提起するのである。現在ならびに将来の行動計画を説明し終えたら、朕は、ユダヤ人たち諸氏にその学説の原理を、お話しするのである。
 一言にして言えば、何世紀にもわたる経験に鑑みて、非ユダヤたちや非ユダヤ人=畜生たち人間は、思想に生き思想に導かれるものであり、思想というのは、人間成長の各段階にふさわしい教育を初めさまざまな手段によって人間に浸透するものであるから、思想の支配を受けぬ最後の火花を、我々(ユダヤ人たち)が押収し呑込み、自分自身のものとして利用するであろう。この、思考力を非ユダヤ人=畜生たち人間から切り離すということは、過去長い時間をかけて、我々(ユダヤ人たち)が導入してきた極めて有益な手段なのである。思考力を抑制する手段は、すでに実物教育という万国博におけるデモンストレーションの方法で実行されておるのである。この方法により畜生(非ユダヤ人)共は、目に見えるものだけを頼りにして理解し、物を考えぬ従順な家畜にさせられている。フランスでは、我々(ユダヤ人たち)の最良の代理人である市民階級諸氏が、すでに実物教育の新しい計画を実地に移している。

シオン賢人議定書NO 15

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シオン賢人議定書NO 15
 世界各地に同時にクーデターを勃発させ遂に決定的に我々(ユダヤ人たち)が王国に突入し、現存する政府という政府が誰の目にも没落したことが明らかになった時(これが実際に起こるには、少からぬ時間、恐らくまるまる一世紀はかかるだろう)、(議定書が書かれたのが、1880年代のようであるから、1980年代以降のことを予言していることを理解すること・・・)我々(ユダヤ人たち)に対する陰謀の類いは、絶対に存在を許さぬように監視する仕事が有るのである。この為には 我々(ユダヤ人たち)の王国到来に反対し、いやしくも武器をとる者(非ユダヤ人=畜生たち)は、一人たりとも容赦なく殺戮するのである。(2005年の現在、実施中ということになる) 秘密結社に類するあらゆる種類の新団体結成もまた、死をもって処するのである。我々(ユダヤ人たち)が認めておる現存秘密結社は、役立つものも役立ったことのあるものも、一率に解散させ、欧州から遥か離れた地方へ追放するのである。あまりにも事情をよく知り過ぎた畜生(非ユダヤ人)共のフリーメーソン員にも同断の処置を執るのである。なんらかの理由でこの処置を執らなかった者に対しても、追放の恐怖で脅迫しておくのである。我々(ユダヤ人たち)の支配の中心地である欧州からは、秘密結社員全員を追放に処する法律を作成し公布するのである。
 この決定は、変更できず、これに対する控訴は許さない。
 畜生(非ユダヤ人)共の社会には、根深く対立抗争の種を植え込んでおいたので、秩序を回復するには、権威の力を直接見せつけた容赦ない手段を執るよりほかはないのである。(非ユダヤ人=畜生たち)苦しむ者に一顧だに与えてはならない。未来の幸福の為に苦しみを引き受けさせるのである。いかなる犠牲を払ってでも福利を達成することこそ、如何なる政府でも(非ユダヤ人=畜生たち)自分たちの存続を忠実に考え、特権維持ではなく職責完遂を顧みるならば、断じて遂行せねばならぬ義務なのである。支配を揺ぎぬものとする原則は、権力の後光を輝かせることにあり、その後光というのは、その表に神秘的なもの・・神に選ばれた・・から来る不可侵性を顕現する紋章を帯びるというような、不退転の威厳に満ちた力を発揮しておることが要諦なのである。近年までは世界中では、ローマ教皇を数に入れねば、帝政ロシアが我々(ユダヤ人たち)の唯一の強敵であったのである。記憶に留めていただきたいのは、イタリアなのである。流血にまみれたイタリアであるが、その血を注いだスッラに対しては、髪の毛一筋も手を触れることができなかったのである。彼は、人民を虐げていたにもかかわらず、大胆不敵なイタリア帰還をやってのけ、不可侵性の網に囲まれ、(非ユダヤ人=畜生たち)人民の目には、神と崇められたのである。人民は、大胆勇敢な者には催眠術をかけられて、指一本触れぬものなのである。(フリ-メ-ソンを含めて、指針の説明をしている・・・)
 しかしながら、我々(ユダヤ人たち)の王国を実現するまでの期間は、我々(ユダヤ人たち)と正反対のことを行うのである。フリーメーソン支部を世界各国にどしどし増設し、そこへ名士になりそうな人物、現に名士である人物を引き入れるのである。それというのも、それら支部は、重要な情報集積所であり、情報を流す出口でもあるからなのである。フリーメーソンの全支部は、我々(ユダヤ人たち)だけが承知していて他には、絶対に誰も知らぬ中央管理機構の下に置くのである。その機構を構成するのは、我々(ユダヤ人たち)の学織ある長老たちなのである。支部には、代表者がおるが、やつら(非ユダヤ人=畜生たち)は、上記のフリーメーソンの真の管理機構を覆い隠す為に置かれるものであり、標語や計画は、蔭の管理機構から発せられるのである。これらの支部に、革命的分子や自由主義的分子をすべて集めてしっかり結び合わせるのである。この中には(非ユダヤ人=畜生たち)社会の全階層が含まれるのである。極秘の政治計画なるものも我々(ユダヤ人たち)は、熟知しておるし、計画が立てられたその日のうちに我々(ユダヤ人たち)の指導部の手に入手されるのである。国際警察や各国警察の代理人は、ほとんどこれら支部に参加しておるが、やつら(非ユダヤ人=畜生たち)は、不法な者に対して特殊な措置を講じるのみならず、我々(ユダヤ人生たち)の活動を隠蔽し、しかも不平不満を起こさせる口実を提供してくれるので、我々(ユダヤ人たち)にとっては、掛け替えの無い存在なのである。
 (非ユダヤ人=畜生たち)が秘密結社に喜んで入ってくるのは、世渡りがうまく出世第一主義で、一般人の中では軽薄に属する人物が多いので、やつら(非ユダヤ人=畜生たち)を御して我々(ユダヤ人たち)が仕組んだことを片付けさせるのは、さして苦労のいることではないのである。その世界で何かゴタゴタめいた事が起こったとすれば、あまりにも強固になった団結を破るべく我々(ユダヤ人たち)が少々(非ユダヤ人=畜生たち)を撹乱せねばならなかった場合なのである。であるが、計画遂行の中心には、これ以上信頼できる人物はいぬという我々(ユダヤ人たち)の下僕が先頭に立っておるのである。我々(ユダヤ人たち)だけがフリーメーソンの活動を指導し、他の誰にも当らせぬのは、極めて当然のことなのである。畜生(非ユダヤ人)共に至っては、無知蒙昧であって、どこへ行くべきか、活動の一つ一つの最終目的は、何であるかを知っておるのは、我々(ユダヤ人たち)だけだからでる。畜生(非ユダヤ人)共は 通常、やつら(非ユダヤ人=畜生たち)の考えを実行する際に、やたらと自分の説に固執し、自説の一時的満足にしか頭が回らない。しかも、その自説たるや、我々(ユダヤ人たち)がやつら(非ユダヤ人=畜生たち)に吹き込んだものであって、本当に(非ユダヤ人=畜生たち)自分が考え出したものではないことに気が付きもしない。
 畜生(非ユダヤ人)共は、物好きからか、あるいは、大きなパイを一口で食らおうとしてフリーメーソンに入ってくるのである。中には、実現不可能な根も葉もない夢想を実現させる為に、耳よりな情報を仕入れようとして入ってくる者もおる。やつら(非ユダヤ人=畜生たち)は、成功と拍手喝采に飢えておるが、その成功や拍手喝采こそは、我々(ユダヤ人たち)が気前よく振る舞ってやつておるのである。我々(ユダヤ人たち)がそういう大盤振舞いをするのは、やつら(非ユダヤ人=畜生たち)が持っておる鼻持ちならぬ自惚れを利用するためなのである。その自惚れというのは、何が原因かというと、自身が口に出しておる思想は、絶対的に自分のものてあり、借り物などということはありえぬと自信満々で、我々(ユダヤ人たち)が示唆したことを丸呑みにする傾向に起因する。・・・諸氏の想像を越えることであるが、畜生(非ユダヤ人)共の最も賢い者を無邪気に自惚れさせたり、ちょっとした不首尾で意気消沈させたりするのは、いとも容易いことなのである。同時に、拍手が止まったに違ぎぬといった些細な不成功であってもやつらは、簡単に落ち込みもするし、次の機会には、成功させてやると言えば、すぐ奴隷のように卑屈になってくる。・・・際立って我々(ユダヤ人たち)の計画を実行さえできれば、成功不成功を問わぬのに、際立って畜生(非ユダヤ人)共は、成功さえすれば計画はどうなっても構わない。このようなやつら(非ユダヤ人=畜生たち)の心理のおかげで、我々(ユダヤ人たち)は、大いにやすやすと思うがままにやつら(非ユダヤ人=畜生たち)を操れるのである。やつら(非ユダヤ人=畜生たち)は、見た目には虎であるが中味は、羊であって、風が通り抜けて行く頭の持主なのである。我々(ユダヤ人たち)は やつら(非ユダヤ人=畜生たち)に「集産主義」という一種の思想の玩具をあてがって、個性の違いをそのおもちゃに吸収同化させてやったのである。
 やつら(非ユダヤ人=畜生たち)は、このおもちゃが最も重要な自然の法則を真向うから冒涜するものであることを、一度も考えたことがなかったし、これから先も考えようともせぬであるろう。天地創造の初めから、自然は 明白な個性の違いを弁えさせるべく、あれとこれとを違うように作ったのであるからである。
 こんなにも我々(ユダヤ人たち)がやつら(非ユダヤ人=畜生たち)を明きめくらにさせることができるというのは、畜生(非ユダヤ人)共の頭が我々(ユダヤ人たち)と比較してお粗末である証拠、それも明々白々の証拠ではあろうか。我々(ユダヤ人たち)の成果が約束されておるのは、主にこのためなのである。
 それにつけても、なんと我々(ユダヤ人たち)の古代の賢者長老たちには、先見の明があったことか、おどろくのである。長老がたは、言われた。大事に達せんとせば手段を選ぶなかれ、犠牲を厭うなかれ、と・・・・我々(ユダヤ人たち)は、畜生(非ユダヤ人)共という家畜の群にいかほど犠牲が出ようともさらさら厭うものではない。さりながら、わが(ユダヤ人たち)民の犠牲も数多くに上ったが、今日、我々(ユダヤ人たち)は、この地上で夢見ることのできなかったような位置を獲得したのである。我々(ユダヤ人たち)全体の数から言えば、我々(ユダヤ人たち)の犠牲者の数は、比較的少ないが、やつら(非ユダヤ人=畜生たち)のおかげで民族の破滅は、免れたのである。
 何人も避けられぬ終局は、死なのである。どうせ避けられぬものならば、新秩序の建設者である我々(ユダヤ人たち)よりも、建設の邪魔をする(非ユダヤ人=畜生たち)人間に早く回してやった方がよろしいのである。我々(ユダヤ人たち)は、同胞のほかには誰も気付かぬように、本人自身でさえも死刑宣告されたことが判らぬように巧みにフリーメーソンを処刑するのである。必要とあれば全員あたかも自然死のごとく息を引き取るのである。・・・そのことが解っていても、(ユダヤ人たち)同胞は、あえて抗議はしない。かような方法を用いて、我々(ユダヤ人たち)は、フリーメーソンの中から作戦計画に敵対する者を根こぎにしてきたのである。我々(ユダヤ人たち)は、畜生(非ユダヤ人)共には自由主義を説くが、同時に一方では、わが民(ユダヤ人たち)や我々(非ユダヤ人=畜生たち)の代理人たちにはひたすら恭順に服させるのである。
 我々(ユダヤ人たち)の力が及ぶところでは、畜生(非ユダヤ人)共の法律は、最小限度にしか適用せぬようにしてきたのである。法の尊厳威信なるものは、その分野に流し込んだ自由主義的な解釈を駆使して存分に失墜させてきたのである。最重要かつ根本的な事項や問題は、我々(ユダヤ人たち)の口をはさんだとおりに裁判官が決定し、我々(ユダヤ人たち)が畜生(非ユダヤ人)共の政府機関に示したことに従って事を裁定するのである。もちろん、我々(ユダヤ人たち)が直接やつらと接触するのではなく、我々(ユダヤ人たち)の道具である人士・・新聞その他の意見として・・であるが……上院議員や内閣の中にも我々(ユダヤ人たち)の助言を一も二もなく聞く者がおるのである。畜生(非ユダヤ人)共の空っぽ頭には、分析したり考察したりする能力、ましてや事態がどういう結果になるかを予測する能力はさらさらいらぬのであるからである。
 畜生(非ユダヤ人)共と我々(ユダヤ人たち)の間のこの能力の差違こそが、畜生(非ユダヤ人)共の空っぽ頭と対比して、我々(ユダヤ人たち)が神の選民として、また、高い人間性をもつ運命が定められておるゆえんが明白に証明されるのである。畜生(非ユダヤ人)共の目は開いていても何も見ていぬし、何も創造せぬ(恐らく物質的なもの以外は)のである。このことをもってしても、自然は、我々(ユダヤ人たち)が世界を導き支配するように創造したことが明白なのである。
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シオン賢人議定書NO 14

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シオン賢人議定書NO 14
 我々(ユダヤ人たち)が王国を築く時は、我々(ユダヤ人たち)の唯一神宗教以外いかなる宗教の存在も許さない。我々(ユダヤ人たち)の運命は、選民としての我々(ユダヤ人たち)の地位によりその唯一神と結びつき、その我々(ユダヤ人たち)の運命は、神を通じて世界の運命と結び付いておるのである。ゆえに、我々(ユダヤ人たち)以外のあらゆる形態の宗教を一掃するのである。その結果、今日見られるような意味での無神論者が誕生するとしても、過渡期に限る現象であって、我々(ユダヤ人たち)の目的を、妨げない。むしろ我々(ユダヤ人たち)が説くモーゼの教えに耳を傾ける世代の前兆として有用であろう。モーゼの教えは、牢固として完璧入念なる教義であり、それなるがゆえに世界の(非ユダヤ人=畜生たち)全人民を我々(ユダヤ人たち)に従わせてきたのである。そこに、モーゼの教えの隠された神秘の力があることを力説しよう。後にも述べるように、モーゼの教えの感化力は、すべてその神秘の力に立脚しておる。・・・次いで、あらゆる機会をとらえて、我々(ユダヤ人たち)の慈悲深い支配と過去の支配とを比較する論説を公表するのである。数世紀にもわたる震盪動揺の果てに訪れた安穏静謐が、我々(ユダヤ人たち)の与えた恩寵によって、さらなる安堵へと高まるのである。我々(ユダヤ人たち)は、最もはっきりとした口調で、畜生(非ユダヤ人)共の政府が犯した過ちを描いてみせるであろう。我々(ユダヤ人たち)がやつら(非ユダヤ人=畜生たち)に対する嫌悪の情をそそるので、(非ユダヤ人=畜生たち)人民は、かの自由を振り回す権利などよりも、農奴制のような状態でよいから安穏の方を好むのである。自由の権利は、人間性に拷問をかけ、まさに(非ユダヤ人=畜生たち)人間存在の根源を疲弊させ、(非ユダヤ人=畜生たち)人民は、自分が何をしておるのか解っていぬ一群のこすからい山師たちの餌食となったのである。・・・我々(ユダヤ人たち)が畜生(非ユダヤ人)共政権を覆すにあたっては、畜生(非ユダヤ人)共を煽動し、幾たびか無益な政変を起こさせたのである。人民は、疲れ切ってしまい、またまた新たな騒動や苦難をかぶるよりも、少々の辛抱をしてもわれ(朕)の言うことを聞いておる方がましだと考えるであろう。
 同時に我々(ユダヤ人たち)は、畜生(非ユダヤ人)共の政府の誤ちの歴史を看過容認はせぬであろう。畜生(非ユダヤ人)共の政府は、何世紀にもわたって、人類の真実の善性を構成する要素を何一つ理解せず、錯覚した社会改善を追い求め、その改善の結果さらに悪くなり、人間生活の基盤である一般関係が決して改善されぬことに全く気付いたことがなかったのである。
 我々の原理と方法の総体は、我々(ユダヤ人たち)がやつら(非ユダヤ人=畜生たち)に提示し解義したように、死に絶え腐敗した古い秩序の社会生活とはまばゆい対照をなす事実の中に横たわっておるのである。
 我々(ユダヤ人たち)の哲学者たちは、畜生(非ユダヤ人)共の種々雑多な信仰の欠陥を洗いざらい論じるが、真実の視点から我々の信仰に口をはさむことは誰もやらぬであろう。我々(ユダヤ人たち)以外の誰もこの宗教のことは知らぬし、我々はその秘密を明かすような裏切りはやらぬからなのである。
 いわゆる先進文明国の中に、我々(ユダヤ人たち)は 愚劣極まる、卑猥不潔な、嫌悪感を催おす文学芸術を創らせたのである。我々(ユダヤ人たち)が権力の入口に立ってしばらくの間は、我々(ユダヤ人たち)の演説、集会プログラムと対比させつつ、その種の文学を奨励する積りなのである。こうすると、我々(ユダヤ人たち)の高尚な一画とはあまりにも違うことが歴然とするだろう。・・・畜生(非ユダヤ人)共の指導者になるべく訓練された我々(ユダヤ人たち)賢人は、講演演説、事業研究計画、回想録、論説著作活動に携わるであろう。我々(ユダヤ人たち)は、それらの作品を用いて、畜生(非ユダヤ人)共の人心を感化し、我々(ユダヤ人たち)が定めてやった知識を摂取する方向に導くのである。

シオン賢人議定書NO 13

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シオン賢人議定書NO 13
 日々のパンが必要な為に、畜生(非ユダヤ人)共は、余儀なく沈黙を続け、我々(ユダヤ人たち)の従順な召使になっておるのである。我々(ユダヤ人たち)の新聞が畜生(非ユダヤ人)共の中から選んだ(非ユダヤ人=畜生たち)代理人に、公文書であからさまに触れるのは、都合の悪い問題を議論させるためである。その間、我々(ユダヤ人たち)は、論議の渦の真中で静かに聞いていて、我々(ユダヤ人たち)に必要な部分を取り込み、それから(非ユダヤ人=畜生たち)公衆に既定事実として提示するのである。いっそう改善したものを説明するのだから、何人も一度定めたことを撤回せよとは言わない。・・・そして、間髪を入れず新聞は、世論を新しい問題の方に向けさせるのである。我々(ユダヤ人たち)は(非ユダヤ人=畜生たち)人民を何か新しいものを求めるようにずっと馴らして来たではないか頭が足りない?運命の小売屋?たちは、自分の議論する問題が髪の毛一筋も解っていぬということさえも理解できずに、新問題に飛びついてしまうのである。政治の諸問題は、これを考案した大先達、過去何年にもわたって先導してきた人々でなければ誰も参入できない。
 以上のことからお解りのように、(非ユダヤ人=畜生たち)群集の意見を先導するには、我々(ユダヤ人たち)の仕組の働きを良くするだけで事足りるのであり、我々(ユダヤ人たち)がやつら(非ユダヤ人=畜生たち)に賛同を求めるのは、あれこれの問題についての我々(ユダヤ人たち)の行動ではなく言説であることに気付かれるであろう。我々(ユダヤ人たち)は、常に希望に導かれ確信に基いて、すべての事業にあたり、公共の福利に奉仕しておるのであると公言している。
 厄介になるかも知れぬ(非ユダヤ人=畜生たち)連中に政事の諸問題に首を突っ込ませぬようにするために、我々(ユダヤ人たち)は、政治に代わるものを熱心に勧めておるのである。すなはち商工業の問題なのである。この分野でなら、どれほど騒いでもよろしい!政治に代わって何か没頭できるものがあれば、群集は、政治活動の類いから手を放して熱中することに異存はないのである政治活動は、畜生(非ユダヤ人)共の政府と一戦交えさせる為に、我々(ユダヤ人たち)がやつら(非ユダヤ人=畜生たち)に施した訓練であったのである。商工業問題においては、我々(ユダヤ人たち)は、商工業問題が、政治そっくりの事をやっておるかのように思うように処方してあるのである。やつら(非ユダヤ人=畜生たち)が、かかずらわっておることを理解させぬように、我々(ユダヤ人たち)は、娯楽、競技、ゲーム、色事、遊び場をあてがって、更に政治から遠ざける。・・・そのうち、我々(ユダヤ人たち)は、新聞を使って芸術、スポーツなどありとあらゆる種類の競争を始めるのである。こういうことに関心が向けられれば、我々(ユダヤ人たち)がやつら(非ユダヤ人=畜生たち)と争わねばならぬ問題から、やつら(非ユダヤ人=畜生たち)を完全に遠ざけるであろう。ますますやつら(非ユダヤ人=畜生たち)自身の意見を反映したり形にしたりすることが難しくなるに従って、(非ユダヤ人=畜生たち)人民は、我々(ユダヤ人たち)と同じ口調で語るようになるのである。なぜならば、我々(ユダヤ人たち)だけがやつら(非ユダヤ人=畜生たち)の考え方に新しい方向付けを示しておるからである。・・・もちろん、我々(ユダヤ人たち)とは、表面的には無関係の(非ユダヤ人=畜生たち)人々を通じてであるがである。
 我々(ユダヤ人たち)の政府が承認されると、自由主義者、空想論者の役割は、最終的に終るのである。その時まで、やつら(非ユダヤ人=畜生たち)は、たっぷりと我々(ユダヤ人たち)に奉仕し続けてくれるのである。その為に、我々(ユダヤ人たち)は、やつら(非ユダヤ人=畜生たち)の頭をあらゆる種類の空疎な内容の空想的理論、つまり、今では進歩と呼ばれる理論の方に引っ張り続けておるのである。が、我々(ユダヤ人たち)は、畜生(非ユダヤ人)共の空っぽ頭を進歩転換させることに成功したことはなかったのである。畜生(非ユダヤ人)共の中には、物質的発明の問題ではない所で進歩を追い求めたところで真理からは遠ざかるばかりだということが判る人間はいない。なぜなら、真理は、一つであり、そこには進歩が入り込む余地はないのである。進歩、それは誤った推論に基く思想のようなものであり、神の選民であり、真理の保管人である我々(ユダヤ人たち)の外には何人も知らぬ真理を覆い隠すのに役立つのである。
 我々(ユダヤ人たち)の王国が実現した暁には、我々(ユダヤ人たち)の弁士たちは (非ユダヤ人=畜生たち)人類をすったもんださせてきたこの大問題を解義して、我々(ユダヤ人たち)の慈悲深い支配の下で決着を付けさせるであろう。
 その時になってさえも、これらの(非ユダヤ人=畜生たち)人々は、一人残らず、幾世紀にもわたり何人も推測もしなかった政治計画に従って、我々(ユダヤ人たち)に踊らされていたのだということを、いったい誰が疑うであろうか。

シオン賢人議定書NO 12

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シオン賢人議定書NO 12
 「自由」という言葉には、いろいろの解釈があるが、我々(ユダヤ人たち)は、次のように定義する。・・自由とは、法律で許されたことをする権利なのである。この定義は、通常は 我々(ユダヤ人たち)だけに役立つ定義なのである。 なぜならば、法律というものが前に述べた計画に従って、我々(ユダヤ人たち)が思いのままに作ったり廃止したりできるものであるから、およそ自由と名の付くものは、すべて我々(ユダヤ人たち)の手中に有るのである。
 新聞については次のように扱うのである。今日の新聞の役割とは 何か? それは、我々(ユダヤ人たち)の目的には有利な激情を爆発させ、燃え上らせることに役立つのである。さもなくば、諸党派の利己的な目的に役立つのである。新聞は、多くは 浅薄、不当、虚偽であり、大多数の(非ユダヤ人=畜生たち)人々は、新聞が本来何の役に立つのか考えようともしない。 が、我々(ユダヤ人たち)は、新聞に鞍を置き馬勒を付け、しっかりと轡をはませるのである。 他の印刷物についても同様なのである。我々(ユダヤ人たち)が新聞の攻撃から免れても、小冊子や書籍の攻撃の的にされたままだったらどうなるか? 出版物の刊行は、今日ではそれを検閲するとなると大変金のかかることであるが、我々(ユダヤ人たち)は、我々(ユダヤ人たち)の国家にとって得な財源に変えてしまうのである。新聞等の発行団体や印刷所に許可を出す前に、特別印紙税と[損害に備えての]保証金を納めさせるのである。これをやっておくと、新聞等のいかなる攻撃からも政府を守ることができるのである。我々(ユダヤ人たち)に対する新聞等の攻撃などがあろうものなら、我々(ユダヤ人たち)は、仮借なく罰金を科するのである。保証の形をとるこのような印紙税、保証金、罰金といった方法は、政府の大いなる財源となるであろう。政党の機関紙は、多額の罰金を取られても平気であろうが、以上の手を打てば、我々(ユダヤ人たち)に対して重ねて攻撃をした場合は、断乎発行禁止処分に付するのである。我々(ユダヤ人たち)が政府の不可謬性の後光に指一本でも触れようものなら、何人も無事ですむことはありえない。発行を禁止するには、何ら理由も根拠もなく公衆を煽動したという申立て理由を使うのである。一言御注意申し上げたいのは、我々(ユダヤ人たち)を攻撃するものの中には、我々(ユダヤ人たち)が設立した機関も含まれるということなのである。であるが、やつら(非ユダヤ人=畜生たち)は 我々(ユダヤ人たち)が予め改正しようと決めた部分のみを攻撃するのである。
 一片の記事といえども我々(ユダヤ人たち)の検閲抜きには公表されることはないのである。現在ですらすでにこのことは達成されていて、すべてのニュースは、少数の通信社に世界中から集められ、そこから配付されるようになっておるのである。通信社は、追って完全に我々(ユダヤ人たち)の傘下に入り、我々(ユダヤ人たち)が許可したものだけが一般に供給されるようになるであろう。
 今日すでに、我々(ユダヤ人たち)は、畜生(非ユダヤ人)共の社会の人心をうまく掌握しており、やつら(非ユダヤ人=畜生たち)全員は、世界の出来事を、我々(ユダヤ人たち)が鼻にかけてやった色眼鏡で眺めておるに等しいとしたら、また、我々(ユダヤ人たち)には、畜生(非ユダヤ人)共の阿呆どもが「国家の機密」と呼んでおることに立ち入るのに障碍のある国家なぞ一つも存在せぬとしたら、全世界王という最高の統治者として認められた暁には、我々(ユダヤ人たち)の立場はいかがになるのであろうか・・・
 話を新聞の将来に戻そう。誰であれ、出版人、司書、印刷人たらんとする者は、その資格免許証を取得することを義務づけるのである。その免許証は、何か過失があれば即刻取り消しとなるのである。こうしておくと、思想を伝えることが、我々(ユダヤ人たち)の政府の手中にある教育手段となるのである。この教育手段を講じておけば、(非ユダヤ人=畜生たち)国民大衆にもはや脇道や、進歩の有難みなどといったたわけた夢の小道に迷い込ませはしない。我々(ユダヤ人たち)の中には、ありもせぬその手の有難みは、(非ユダヤ人=畜生たち)人民と政府との間に無政府状態を生じさせる妄想に直通する道であることを知らぬ者がおるであろうか。如何となれば、進歩、いや、進歩思想は、あらゆる種類の解放運動を激励してきたが、限度ということを弁えなかったのである。いわゆる自由主義者は、実際はともかくとしても、思想に関しては例外なく無政府主義者なのである。自由主義者のどの一人も自由のお化けを追い求め、まっしぐらに放縦に、すなわち、反対のための反対という無政府主義に陥っておるのである。
 定期刊行物の問題に移ろう。印刷物という印刷物に、一頁につきいくらという印紙税と保証金を課し、三十枚[六〇頁]以下の書籍は、その額を二倍にするのである。はやりのパンフレットは、その部類に入れるのである。一方で、雑誌の数は、減らすのである。雑誌というのは、有害印刷物の中では最低なのである。他方、著作人たちに、あまりにも長大で値段もはるのでほとんど誰も読まぬような本を書かざるをえぬように仕向けるのである。同時に、我々(ユダヤ人たち)の利益に適うように世論を導く我々(ユダヤ人たち)自身の刊行物は、廉価でむさぼるように読まれるのである。課税で無味乾燥な作家の野心は しぼみ、処罰が恐くて文筆家は、我々(ユダヤ人たち)の軍門に降りるのである。かりに我々(ユダヤ人たち)に文筆で抵抗する者が現われたとしても、著作物の印刷を引き受けてくれる人間がいない。出版社が印刷してくれる前に、出版業者や印刷業者が官憲の許可を得ねばならないからである。これによって、我々(ユダヤ人たち)は、我々(ユダヤ人たち)に対して向けられた奸計をすべて事前に知ることができるので、それが世に現われぬうちに抹殺することができるのである。
 文学とジャーナリズムは、最も重要な教育手段のうちの双璧であり、それゆえに、わが政府は大多数の雑誌の所有主となるのである。このことは、独立系新聞の有害な影響を緩和し、公衆の精神に甚大な影響をもたらすだろう。・・・仮に十の新聞に発行許可を与えたとすると、我々(ユダヤ人たち)は、三十に及ぶ新聞社を設立するのである。しかしながら、(非ユダヤ人=畜生たち)公衆は、そんな事情は、夢知らず、考えてみようともしない。我々(ユダヤ人たち)が発行する新聞は、すべて、見た目には、反対の傾向や意見をもち、それゆえに我々(ユダヤ人たち)に対する信頼を深め、我々(ユダヤ人たち)にとっては、全き疑うことなき(非ユダヤ人=畜生たち)反対者を呼び寄せるのである。このようにして、我々(ユダヤ人たち)の(非ユダヤ人=畜生たち)敵対者は、罠にはまり、牙を抜かれるのである。
 最前列に位置するのは、政府機関紙の性格をもった新聞であろう。この種の新聞は、常に我々(ユダヤ人たち)の利益を擁護するが、それゆえに比較的影響は弱いのである。
 第二列に位置するのは、半官半民の刊行物で、なまぬるい無関心層を惹き寄せるのが役割なのである。
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シオン賢人議定書NO 10

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シオン賢人議定書NO 10
 本日は、前の話と重複することから始めるが、記憶に留めていただきたいのは、各国政府と非ユダヤ人=畜生たち人民は、政治のことは上辺だけしか見ないで満足しておるということなのである。実際のところ、どれほど畜生(非ユダヤ人)共は、やつら(非ユダヤ人=畜生たち)の代表者たちが全力を傾けて楽しませてくれる事の核心を把握しておるのか?
 そのことを細部まで考慮に入れることが、我々(ユダヤ人たち)の方針にとっては、最高に重要なことなのである。権力の分立、言論の自由、新聞、宗教(信仰)、法の前の平等な結社の自由、財産の不可侵性、居住、徴税(脱税の考え方)、法の遡及力を熟慮するようにすれば、得る所が多いであろう。これらの問題は、すべて、直接手を出したり非ユダヤ人=畜生たち人民の前で、明からさまにすべきではないような事どもなのである。どうしても直接触れねばならぬ際には、明確に言い切ってはならない。現在の法についての我々(ユダヤ人たち)の原則的な考えを微に入り細に穿って語ることなく、単にさらりと言ってのけるだけに留めなくてはならない。なぜ沈黙を守らねばならぬかというと、原理を明かさねば、我々(ユダヤ人たち)は、行動の自由を確保しておいて、やつら(非ユダヤ人=畜生たち)の注意を惹くことなくあれこれとそらせるが、一部でも明言してしまうと、たった一言だけで何もかも与えてしまったことになるからなのである。群集には、一種特別な癖があり、政治力のある天才を尊敬し、そのような人物の悪徳行為に対しては賞賛を込めてこう言う。「ずるい!ほんとにずるい。だけど、頭が良い!..ペテンだ。しかし、何だな、巧いことしでかした。大変なことを仕出かすもんですね、大胆極まりないので、かないませんね!」我々(ユダヤ人たち)は、すべての国々を新たな重要な機構、我々(ユダヤ人たち)が練り上げてきた計画に惹きつけることを期待するのである。これが、何をさておいても、我々(ユダヤ人たち)が武装し、力を貯え、不退転の意志と絶対的な大胆さを身に付けねばならぬ理由であり、これがわが活動家たちの手で我々(ユダヤ人たち)の行手をすべてを粉砕することに役立つのである。
 我々(ユダヤ人たち)のクーデターが成功した暁には、我々(ユダヤ人たち)は、さまざまの階層の(ユダヤ人・非ユダヤ人=畜生たち)人々にこう言うであろう。「何もかもが恐しく悪くなり、すべてが我慢できぬ状態に陥ってますよ。諸君がこうむってる苦痛の原因、それは民族心、国境、身分の違いといったものであり、私達(ユダヤ人たち)は、それらを根絶しつつあるのですよ。もちろん、諸君が私達を断罪するのは自由だが、私達(ユダヤ人たち)が提供するものに挑戦もしないうちに断罪するとしたら、それはちょっと大胆過ぎるというものではないでしょうか。」・・・すると群集は、我々(ユダヤ人たち)を讃え、希望と期待にふくれ上がり、全員こぞって手を差しのべ、我々(ユダヤ人たち)を激励し、我々(ユダヤ人たち)を讃えるのである。人類の一番小さな成員グループにも、グループごとに集会を催させ、同意を取り付けてきた選挙という、我々(ユダヤ人生たち)が揃えてきた道具立てを使って、我々(ユダヤ人たち)は、世界王の座に就くのである。このような選挙が、我々(ユダヤ人たち)の目的に役立ち、最終的には、我々(ユダヤ人たち)に有罪宣告を下す前に、非ユダヤ人=畜生たち全員一致で我々(ユダヤ人たち)と、もっと親しくなりたいと望むようになるのである。
 以上のことを確保するには、絶対的な多数を獲得すべく、階級や資格の別なく万人に投票させねばならない。知識人や有産者階級だけでは、絶対多数は 獲得できない。このように、自分個人が第一という考えを全員に植え込むことによって、畜生(非ユダヤ人)共の家族主義や家庭教育尊重心を粉砕し、癖のある考え方の人間は 引き離して一掃してしまうのである。我々(ユダヤ人たち)が操る非ユダヤ人=畜生たち群集は、やつら(非ユダヤ人=畜生たち)を第一線に立たせぬし証言の機会すら与えてやらない。群集は、従順に応待すれ、見返りがある我々(ユダヤ人たち)の話を聞くことだけに慣らされるのである。このようにして、群集の指導者として我々(ユダヤ人たち)がやつら(非ユダヤ人=畜生たち)の頭に据えてやった代理人の指導なくしては、如何なる方向へも一歩も足が踏み出せぬほど総員を一大盲目力に仕上げるのである。非ユダヤ人=畜生たち人民は、新しい指導者たちが、自分たちの生計、報酬、あらゆる種類の利益になることを握っておることが判るから、この方式に服従するのである。
 政府の計画というものは、一人の頭脳で万端出来上っておるべきなのである。なぜならば、多数の頭で部分部分をばらばらに作らせると、決して確固不動のものにはならない。それゆえ、我々(ユダヤ人たち)は、行動計画を知っておるのは良いが、その巧妙さ、各部分の緊密な連関性、各要点の隠れた意味を破壊せぬようにするには、討議してはならない。度重なる投票という手段でこの種の労作を討論し修正を加えることは、邪推と誤解の烙印を押すことになり諸計画の進行と結びつきを妨げるのである。我々(ユダヤ人たち)は、計画が強力に適切に仕組まれることを欲するのである。ゆえに、我々(ユダヤ人たち)は 我々(ユダヤ人たち)の指導の天才の労作を、群集やあるいは特別な団体にすら、投票により生じる邪推と誤解の毒牙にかけさせてはならない。
これらの計画は、現存する諸団体をまだ転覆はさせぬであろう。それらの経済を変化させるだけで、それによって進歩の動きを全体的に結び付け、我々(ユダヤ人たち)の計画に従った道に導くのである。
 すべての国々には、名前は、似たり寄ったりであるが、内実は、同じものが存在するのである。議会、内閣、立法府、評議会、司法府、行政府などなのである。こういった機関の相互機能を説明する必要は無いのである。なぜなら、諸兄は、どれも御存知のものだからである。が、一つだけ注意しておきたいのは、ここに名を挙げた機関は、国家の中では、或る重要な役割を担っておるという点なのである。この「重要な」という言葉に御留意願いたいのである。これは、機関のことを指しておるのではなく、その機能のことを言っておるのである。これらの機関は、いくつもの部分に分れていて、その全体で政府という機能・・行政、立法、司法・・を果たしておる。そこでは、分割された機関は、人体の臓器に似た働きをするようになっておるのである。もしも、国家機構の一部を損傷すれば、国家は、病気にかかり、死ぬことになることは人体と同様なのである。
 我々(ユダヤ人たち)が国家機関に自由主義の毒を注ぎ込んだら、その政治複合体全体が、或る変化を起こし、国家が不治の病い・・敗血症・・に犯され、あとは悶絶死という終焉を待つばかりなのである。
 自由主義は、立憲国家を作ったのである。それは、畜生(非ユダヤ人)共にとっては、唯一の安全装置である専制国家に代るものであったのである。よく御存知のように、憲法は、混乱、誤解、争論、見解の相違、各党派の実りなき煽動等の一切合切の学校・・一言にして言えば、これら何もかもが国家の機能を破壊する学校以外の何ものでもないのである。「おしゃべり屋」連中の手助けをする護民官は、ほかならぬ新聞なのである。新聞屋は、支配者に怠慢無能の烙印を押し、よって無益無用であると断罪したのである。実にこの為に多くの国々で支配者が退位させられたのである。その時であった、共和国時代到来の可能性が見えたのは。その時、我々(ユダヤ人たち)が支配者に代えて政府の似顔絵を描いたのだ。そして我々(ユダヤ人たち)は、奴隷(非ユダヤ人=畜生たち)たち、あるいは、我々(ユダヤ人たち)の人形たちの中から拾い上げた大統領・・を支配者の代わりに置き換えたのだ。これは、畜生(非ユダヤ人)共人民の地下に仕掛けられた地雷であったのである。敢えて申し上げるが、畜生(非ユダヤ人)共人民の地下に、それを設置したのである。
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シオン賢人議定書NO 11

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シオン賢人議定書NO 11
 国家評議会[国政会議]は、いわば、支配者の権威につけた光背であり、立法府の「見世物」の役割として、支配者が出す法令案を編集する委員会と言ってもよいであろう。
 時に、我々(ユダヤ人たち)が用意しておる新憲法の要項は次の如きものである。我々は、法、権利、正義を確立する。
 立法府に示唆するかの如く、一般法令と見せかけた大統領令、上院の命令、ならびに内閣の命令であるかの如く装おった国家評議会の決議により、ならびに適切な時到らば・・革命という形で実施される。
 我々(ユダヤ人たち)の行動計画の大綱は、確立したから、国家機関をすでに述べた方針に従わせ、革命の完遂を促すべきあれこれの組合せの細目に入ろう。これらの組合せとは、新憲法発布の翌日からは、新聞報道の自由、結社の権利、信教の自由、その他あまたの事柄は、人間の記憶からは永久に抹消されねばならぬか、急激な変更が加えられねばならぬということを意味するのである。我々(ユダヤ人たち)が即刻全命令を公布できるのは、まさにその瞬間のみなのである。それ以後では、顕著な改革案は、ことごとく危険なのである。その理由は、次の通りである。もしも、その改革が峻厳さを増したものであり、幾分でも厳格かつ極限まで行ったのもならば、この先どこまで厳しい改革がなされるのかという恐怖で絶望感に囚われてしまうかも知れない。その逆に、最初よりも緩和した改革案を出すと、我々(ユダヤ人たち)が悪いことをしたのに気付いたかのように取られるし、そうなると、我々(ユダヤ人たち)の権威不可謬性の威信が失墜する。我々(ユダヤ人たち)が恐れを抱いて譲歩措置をとらざるをえなかったと言われるであろう。強制的という印象は、ぬぐえぬから、その為に我々(ユダヤ人たち)が感謝されることはない。以上、二つとも新憲法の威信を傷つけるのである。我々(ユダヤ人たち)が人民に叩き込まねばならぬのは、次のことなのである。憲法発布のその瞬間、世界の人民(非ユダヤ人=畜生たち)は、革命が成し遂げた厳然たる事実に呆然とし、まだ恐怖心と半信半疑の気持に捕われておる時から、我々(ユダヤ人たち)がすこぶる強力、難攻不落、かつ、十二分過ぎるくらい力に溢れていて、いかなる場合であっても、やつら(非ユダヤ人=畜生たち)に一顧も与えず、やつら(非ユダヤ人=畜生たち)の意見や意志には、一瞥も加えず、いかなるささやかな反抗の表明も示威も、時と所を問わず、一つ残らず粉砕する用意があり、またそれが可能であり、我々(ユダヤ人たち)は、取るべきものはすべて取り、いかなる事情にせよ、我々(非ユダヤ人=畜生たち)は、やつら(非ユダヤ人=畜生たち)と権力を分け合うことはありえない。さすれば、やつら(非ユダヤ人=畜生たち)は、恐怖に身震いして、何事にも目を閉じ、事の成行きを最後まで見守るほかないであろう。
 畜生(非ユダヤ人)共は、羊の群であり、我々(ユダヤ人たち)は狼なのである。狼が羊の群に入ったらどういうことが起こるか、御存知であろう。
 我々(ユダヤ人たち)の羊が目を閉じるのは、別の理由も有るのである。我々(ユダヤ人たち)が平和の敵を打ち破り、あらゆる反対党派を黙らせたならば直ちにあらゆる自由を返してやると約束するからである。やつら(非ユダヤ人=畜生たち)の手に自由が戻るまでどのくらいの時間を待ち続けねばならぬか、お話しする必要はあるまい。
 では、何が故に我々(ユダヤ人たち)は、このような政策そのものを立案し、事の真相を看破する時を与えず畜生(非ユダヤ人)共の心に吹きつけるのか?
 実際のところ、回り道をしなかったとしたら、四散した我々(ユダヤ人たち)の種族が直接目的を達成する方法には何があったのか?
 基本的には、我々(ユダヤ人たち)が作った秘密のフリーメーソン、かの家畜畜生(非ユダヤ人)共が存在を知らず、知ってもその目的を考えてもみなかったフリーメーソンを作ったことが役立ったのである。畜生(非ユダヤ人)共御一同様の目を晦ませるべく、我々(ユダヤ人たち)がフリーメーソン・ロッジの「見世物」一座にやつらを惹きつけておいたのである。
 神は与え給うたのである。我々(ユダヤ人たち)を神の選民に、離散という、贈り物をして下さったのである。それは、万人の目からは、我々(ユダヤ人たち)の弱さと映るが、我々(ユダヤ人たち)の強さは、離散より生れ来たったのである。それが今や全世界支配という戸口に到達しておる。
 今や我々(ユダヤ人たち)が据えた基礎の上に築くべきことは、余すこと僅かとなっておるのである。

シオン賢人議定書NO 09

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シオン賢人議定書NO 09
 我々(ユダヤ人たち)の原理を実行に移すにあたっては、諸兄が現に居住し活動しておる国々の(非ユダヤ人=畜生たち)人民の性格を考慮していただきたいのである。我々(ユダヤ人たち)が作った鋳型で非ユダヤ人=畜生たち人民を再教育し終らぬうちは、一律に原則を当てはめようとしても成功はしない。しかし、慎重に適用するならばものの十年とたたないうちに、最も頑固な人民でも変わり、すでに我々(ユダヤ人たち)に従っておる列伍に新しく加わってくるのが解るであろう。
 自由主義的な言葉、我々(ユダヤ人たち)がフリーメーソンの標語として効果の高い「自由、平等、友愛」は、我々(ユダヤ人たち)の王国が到来した暁には、もはや標語としては 使わせず、「自由の権利、平等の義務、友愛の理想」というふうに単なる理想主義を実現したものに変えるのである。これが我々(ユダヤ人たち)のやり方・・牛は角を捕えよ・・なのである。実際には我々(ユダヤ人たち)は、我々(ユダヤ人たち)自身以外のものは、あらゆる種類の支配を一掃したが、法律上は、まだ数多くのものが残っておるのである。今日では、どこかの国が我々(ユダヤ人たち)に対して反抗を示したとしても、我々(ユダヤ人たち)の裁量下、我々(ユダヤ人たち)の指導下にあって形式的に反抗しているに過ぎない。一例として反ユダヤ主義は、我々(ユダヤ人たち)が下層の兄弟たち[ユダヤ人]を監視するには、必要欠くべからざるものだからである。この問題に関しては、すでに討議が重ねられておるので、これ以上立ち入らない。
 我々(ユダヤ人たち)の行動範囲には限界を遮るものがない。我々(ユダヤ人たち)の超政府は、すでに強力絶大な言葉で現わされておる超法規的な状態で存続している。すなわち、独裁なのである。朕は、衷心から申し上げるが、しかるべき時に、我々(ユダヤ人たち)は、法律を作り、裁判と宣告を行うのである。我々(ユダヤ人たち)は、生殺与奪を実行するのである。我々(ユダヤ人たち)は、全軍の先頭にあって、指導者の軍馬にまたがるのである。我々(ユダヤ人生たち)は、意志の力で支配するのである。なぜならば、かって権力を握っていた党派の残党も、今や我々(ユダヤ人たち)に屈伏し我々(ユダヤ人たち)の掌中に有るのである。我々(ユダヤ人たち)の手中にある武器は、貧欲、容赦なき復讐、憎悪と敵意に燃える、果てしなき野望なのである。
 我々(ユダヤ人たち)から生れるもの、それはすべてを巻き込み行く恐怖なのである。帝政復興主義者、煽動家、社会主義者、共産主義者、あらゆる種類のユートピア夢想家といったあらゆる意見、あらゆる主義の人物たちが我々(ユダヤ人たち)の用を勤めておるのである。我々(ユダヤ人たち)は、やつら(非ユダヤ人=畜生たち)を利用して、あらゆる労役を課しておる。やつら(非ユダヤ人=畜生たち)の一人一人が、権威の最後の残党まで叩き潰さんが為に、現在秩序を転覆させることに燃え上がっておるのである。これらの行動により、全世界の国々が拷問を受けておるのである。各国政府は、もう止めてくれと手すり足すりし、平和のためなら如何なることでも代償に出すからという気になっておるのである。であるが、我々(ユダヤ人たち)は、やつら(非ユダヤ人=畜生たち)が心底から我々(ユダヤ人たち)に服従し、率直に我々(ユダヤ人たち)の国際的超政権を受け入れるまでは、平和を与えるわけには行かぬ。
 人民は、社会主義の問題を国際的協調という手段で解決する必要を感じて遠吠えを挙げておるのである。ばらばらに分れた党派は、我々(ユダヤ人たち)の掌中に飛び込んでおるのである。というのは、分立抗争すれば、金が要るが、金は、すべての我々(ユダヤ人たち)の手中にあるからなのである。
 我々(ユダヤ人たち)には、畜生(非ユダヤ人)共の王たちのうちの「利口な」勢力が畜生(非ユダヤ人)共群集の「盲目的な」力と連合しはせぬかという懸念があったが、そのような可能性に対する打つべき手はすべて打ったのである。両者の間でお互いに恐怖の念を抱かせるという防波堤を設けたのである。このようにしておけば、人民の盲目勢力は、相変らず我々(ユダヤ人たち)を支持し続け、我々(ユダヤ人たち)のみがやつら(非ユダヤ人=畜生たち)に指導者を与え、もちろん・・やつら(非ユダヤ人=畜生たち)を我々(ユダヤ人たち)が目指す目標へと引っ張って行くのである。
 盲目的な群集の手が我々(ユダヤ人たち)の指導の手から離れぬようにする為には、時々やつら(非ユダヤ人=畜生たち)の中に入って直接交流を図らねばならない。実際に我々(ユダヤ人たち)自身が行えないならば、とにかく最も信頼の置ける兄弟を通じて行う必要が有るのである。我々(ユダヤ人たち)だけが唯一の権威者となった時には、我々(ユダヤ人たち)は、それこそ市場のような所で親しく非ユダヤ人=畜生たち人民と話し合うであろう。また、我々(ユダヤ人たち)が目指す方向にやつら(非ユダヤ人=畜生たち)を向けさせるように政治に関わる問題を指導してやるであろう。
 田舎の学校で教えることを誰が点検するのか?
 政府や王の特命全権公使が語ることは、直ちに全国に広まらずにはすまない。それは、非ユダヤ人=畜生たち人民の声によって広まるのである。
 破壊すべき時期でない時に畜生(非ユダヤ人)共の諸制度を破壊せぬようにするため、我々(ユダヤ人たち)は、巧妙にそっと手をかけたのである。そして、やつら(非ユダヤ人=畜生たち)の機械を動かしておるバネの端をつまんだのである。これらのバネは、精妙にしかも秩序正しく動いていたのである。我々(ユダヤ人たち)は、そのバネを混沌放従の自由主義に代えたのである。我々(ユダヤ人たち)は律の運営、選挙の管理、新聞、個人の自由を、原理的にはどうにでも加工できる生存物[人間]の土台である教育と訓練というバネを操ったのである。
 我々(ユダヤ人たち)は、我々(ユダヤ人たち)が教え込んだことではあるが、畜生(非ユダヤ人)共の若者たちに、我々(ユダヤ人たち)には嘘と解っておる主義や学説を注入することによって、やつら(非ユダヤ人=畜生たち)を翻弄し困惑させ堕落させてきたのである。
 現行の法律については、内容的には変えることなく、単にねじ曲げて反対の解釈をすることによって、結果としては、大層な成果を挙げてきたのである。その成果は、第一に解釈が法律を覆い隠すという事実に、次いで立法の錯綜した糸から何かを引き出すのは不可能な為に、政府の目から法が完全に姿を隠すという点に明かに見てとれるのである。
 法律を文字に拘泥せずに解釈するという学説は、ここに起源が有るのである。
 諸兄の中には、来たるべき時が来ないうちに、もしも畜生(非ユダヤ人)共が真相を嗅ぎつけたら、やつら(非ユダヤ人=畜生たち)は、武器を手にして蜂起すると言われる方もおられるようが、それに備えるにヨーロッパにおいては、最も太い肝玉の持ち主をも戦慄させる恐怖作戦をもって対抗する。すなはち、決定的な瞬間が来る前にすべての首都に地下鉄道、大都市の地下通路が設けられ、事到ればそれらの首都を建物や書類もろとも空中に吹き飛ばすのである。

シオン賢人議定書NO 08

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シオン賢人議定書NO 08
 我々(ユダヤ人たち)は、敵対者が我々(ユダヤ人たち)に向って使いそうな武器をすべて備えていねばならない。我々(ユダヤ人たち)は、常軌を逸しておると思われるほど大胆かつ不正な裁定を下せねばならぬ場合の為に、言葉の微妙な綾を探し出し、混乱した法律用語を駆使して事態を正当化せねばならない。そして、この裁定が最も高潔で道徳にかなったことを法律用語で言っておるのだと思わせるように、はっきり述べることが肝要なのである。我々(ユダヤ人たち)の幹部団は、周囲に全分野の知的人士を従え、その中にあって仕事をするようにせねばならない。幹部団は、政界人、老練な法曹人、行政官、外交官、そして決定的に重要なことは、我々(ユダヤ人たち)の特別な教育機関で特別教育を受けた人士で構成されるであろう。これらの人士は、社会構造のすべての機微を知っていて、政治の初歩から要諦までのすべての用語に通じておるのである。これらの人士は、人間の裏側すべてに通じ、やつら(非ユダヤ人=畜生たち)が操作せねばならぬ人間機微の体系を熟知しておる。それらの体系とは、畜生(非ユダヤ人)共の素質、欠陥、悪習、本質、階級、身分の特徴など、考え方・感じ方の類型を意味するのである。言うまでもないことであるが、我々(ユダヤ人たち)の陣営の補佐役を畜生(非ユダヤ人)共から選んではならない。やつらは、何が目的かを考える苦労をせず、何が必要なことであるかを決して熟考せずに事を運ぶことに慣らされておるのである。畜生(非ユダヤ人)共の役人たちは、書類に目を通さずに署名をしている。報酬目当てか野望のためかで仕事をしている。
 我々(ユダヤ人たち)は、全世界の経済人に我々(ユダヤ人たち)の政府を取り巻かせるであろう。ユダヤ人教育の主たる内容が経済学であるのは、この目的のためなのである。さらに、我々(ユダヤ人たち)の周囲には、銀行家、産業人、資本家・・大切なことは・・百万長者といった人たちのきらびやかな群がおるのである。実際のところ、万事は、金で解決がつくからなのである。
 しばしの間、もはや政府の要職にユダヤ人兄弟を据えても危険はないという時期まで、その椅子には、別の人間を座らせるのである。とかく過去や世評に何かとあり、非ユダヤ人=畜生たち国民との間に溝がある人間を選ぶのである。その人間が我々(ユダヤ人たち)の意に従わぬ場合には処刑し放逐せねばならない。やつら(非ユダヤ人=畜生たち)が最後の息を引き取るまで、我々(ユダヤ人たち)の利益を守らせる為にである。

シオン賢人議定書NO 07

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シオン賢人議定書NO 07
 軍事力増大と警察力強化・・この二つを欠いては 前述の計画を完成させることは全くできない。我々(ユダヤ人たち)の到達目標は、我々(ユダヤ人たち)を除いて、世界のすべての国家には労働者階級共の群集と我々(ユダヤ人たち)の利益に奉仕する少数の百万長者と警察官と兵隊たちだけがいればよろしい。
 ヨーロッパ全土、また、ヨーロッパとの関係を通じて他の大陸にも、我々(ユダヤ人たち)は、騒乱と混乱と敵愾心を起こさせねばならない。そのことは、我々(ユダヤ人たち)にとっては二重の利益が有るのである。まず第一に、すべての国々を抑制できるのである。我々(ユダヤ人たち)が意のままに混乱を作り出し秩序を回復する力を持っておることは、よく知られておるからなのである。これらすべての国々は、我々(ユダヤ人たち)には圧政に欠かせぬ力があることを見慣れておるのである。第二に、我々(ユダヤ人たち)は、策謀を駆使して、政治的手段により、経済条約あるいは、借款協定により、すべての国々の内閣の内部に伸ばしてあった糸という糸をもつれにもつれさせるであるろう。このことを成功に導く為には、我々(ユダヤ人たち)は、交渉協定締結の際に狡猾さと洞察力とを発揮せねばならないが、いわゆる「表向きの言葉」を使うときには、心とは裏腹に正直従順に従い続けるのである。このようにして、畜生(非ユダヤ人)共の個人や政府は、我々(ユダヤ人たち)が見せてやることなら何でも上辺だけを見るように躾けられておるので、我々(ユダヤ人たち)を恩人とか人類の救世主と思い続けるのである。
 我々(ユダヤ人たち)に反抗する国がある場合は、その隣の国から戦争を仕掛けさせ、反逆行動をことごとく叩き潰す位置にいなければならない。しかし、その隣国も束になって反抗するならば、その折には我々(ユダヤ人たち)は、世界戦争という手段に訴えて対抗せねばならない。
 政治上で成功を収める根本原則は、企図を秘匿することに有るのである。外交官は、言行一致してはならない。
 畜生(非ユダヤ人)共の政府は、すでに完成の域に達しつつある。我々(ユダヤ人たち)が練り上げた大規模な計画に沿うように行動させねばならない。何によってかといえば、いわゆる「強国」と称する手段を使い、ひそかに我々(ユダヤ人たち)が吹き込んだ世論というものによってである。「強国」・・それは 新聞なのである。その中には、ごくわずか例外はあるが、すでに完全に我々(ユダヤ人たち)の手中に有るのである。
 ヨーロッパにおける畜生(非ユダヤ人)共の政府を統制する政策を一言に要約すれば、一国をテロ攻撃して我々(ユダヤ人たち)の強力さをすべての国に見せつけることにあり、もしも我々(ユダヤ人たち)に対して総決起することでもあらば、我々(ユダヤ人たち)は、アメリカ、支那、日本の火砲を向けさせて応戦するであろう。

シオン賢人議定書NO 06

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シオン賢人議定書NO 06
 我々(ユダヤ人たち)は、近く巨大な独占を確立し始めるであろう。それは、畜生(非ユダヤ人)共の巨万の富がすっぽり入るような、並外れた富の貯水池なのである。政治的破滅に続く時期には、政府の債権ともども畜生(非ユダヤ人)共の財産も枯渇するであろう。
 御列席の経済人諸君は、この連携作用の趣旨を評価されるのにやぶさかではなかろう。
 あらゆる手だてをつくして、我々(ユダヤ人たち)に進んで従う者すべての保護者、恩人を代表するものとして、我々(ユダヤ人たち)が超政府の重要性を強調せねばならない。
 畜生(非ユダヤ人)共の貴族は、政治的勢力としては死んだ・・我々(ユダヤ人たち)は、やつら(非ユダヤ人=畜生たち)に考慮を払う必要はないのである。であるが、土地の所有者としては、やつら(非ユダヤ人=畜生たち)が生活しておる土地の資源を使って自給自足しておるという事実をもってする限り、無害な存在ではあるであろう。従って、本質的な問題は、原価がいくらかかろうとも、やつら(非ユダヤ人たち=畜生たち)から土地を奪うということに有るのである。この目的達成の最も良い方法は、土地を所有しておることが、だんだん重荷になるようにすること・・負債で土地を圧迫することなのである。この為には、土地所有の状態を監視し、高慢にさせずに無条件に服従させ続けるであろう。
 畜生(非ユダヤ人)共の貴族は、生れつき足りることを知らぬので、急速に燃えつきたり、初めは、うまく行っても失敗に帰するであろう。
 そうなったらすかさず、我々は、無条件に商業と工業の保護者にならねばならぬが、真先になさねばならぬのは、投機なのである。それは、産業に平衡力をつける役割が有るのである。投機産業が無いと個人の手中にある資本がふくれて、土地銀行からの負債をなくさせ農業の復活を助けることになるであろう。我々が欲するのは、産業に土地から労働と資本を吐き出させることであり、投機という手段で世界の金すべてを我々(ユダヤ人たち)の手に移すことなのである。そうしてこそ、畜生(非ユダヤ人)共は、ほかに生きる理由がなくて生存する権利を得ようというなら、我々(ユダヤ人たち)の前にひざまづくほかはなくなるであろう。
 畜生(非ユダヤ人)共の産業を完全に滅亡させるには、投機の助けを借りて、我々(ユダヤ人たち)が畜生(非ユダヤ人)共の間で盛んにしてきた奢侈、何もかもを呑み込んでしまう奢侈に対するあくなき欲望をつのらせるであろう。しかしながら、我々(ユダヤ人たち)は、労働者には好都合にならぬ程度に賃金の上昇をはかるであろう。同時に、農業や家畜飼育が駄目になったから上がるのだという理由を付けて、生活必需品の価格をあげるであろう。我々(ユダヤ人たち)は、さらに進んで、労働者を混乱に浸し、酒漬けにし、それに加えるに、畜生(非ユダヤ人)共の頭の良い者たちを、すべてこの世から根絶すべくあらゆる処置を講じ、生産の根源力を巧みに深く蝕むであるろう。
 時期尚早のうちに畜生(非ユダヤ人)共に真相をさとられぬようにする為に、我々(ユダヤ人たち)は、仮面をつけて、我々(ユダヤ人たち)の経済学説が精力的に宣伝する偉大な政治経済原理のもと、いかにも労働者階級に役立つかのように情熱を傾けて説き伏せるであろう。

シオン賢人議定書NO 05

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シオン賢人議定書NO 05
 見せ物団体、言説混乱による疲労困憊、いたる所で腐敗が広まっておる社会、富者だけが詐欺同然の悪賢い奇策に富んだ社会、たるみ切った社会、道徳が進んで守られるのではなく懲罰厳罰によって維持される社会、信仰心や愛国心が無国境主義的信念に一掃された社会に、如何なる種類の統制支配なら適用できるか?
 あとで述べるような専制支配以外に、如何なる支配形態ならこのような社会にあてはめられるか?
 我々(ユダヤ人たち)は、社会の全勢力をこの手に掌握せんがため、強力に集中化した政府を樹立しよう。我々(ユダヤ人たち)は、新たな法律によって、非ユダヤ人=畜生たち国民の政治生活すべてを手加減することなく律しようと思うのである。それらの法律は、畜生(非ユダヤ人)共が許してきた寛大とか特典とかを一つづつ全部取り潰すであるろう。いかなる時にも、いかなる場所でも、行動や言葉で我々(ユダヤ人たち)に盾突く畜生(非ユダヤ人)共を一人残らず一掃する立場で臨み、専制ということの強力さを遺憾なく発揮するのが、わが(ユダヤ人たち)王国の特徴なのである。
 朕が述べておるような専制は、時代の推移には、そぐわぬという意見も聞くが、事実は、正反対であることを証明しよう。
 非ユダヤ人=畜生たち人民が王は、神の意志を純粋に体現した者だと見ていた時代には、なんの不平不満も鳴らさずに王の専制権力に従ったのである。であるが、非ユダヤ人ち=畜生たち人民には、権利というものがあるという考えを我々がやつらの心に植えつけてからは、やつら(非ユダヤ人=畜生たち)は、王座に座る者を単に普通の人間とみなし始めたのである。「神権による王」の聖油は、人民が見ておる前で王たちの額から消えうせてしまい、我々(ユダヤ人たち)が人民から信仰心を奪った時に、権力の強力な力は飛び散って公共の所有権となり、我々(ユダヤ人たち)がそれを押収したのである。
 加えるに、巧妙に仕組まれた学説と詭弁により、社会生活の制約やその他ありとあらゆる方便により、あるいは、畜生(非ユダヤ人)共には、まるで解らぬ手段を動員して群集や個々人を支配する技術は、他の技術と相並んで我々(ユダヤ人たち)が支配の中枢である専門家がもともと手中にしていたものである。分析、観察、精緻な計算に育てられ、この種の熟練技術に関しては、我々(ユダヤ人たち)には肩を並べる者がいないこと、練り上げられた政治行動と固い結束のどちらかでは我々(ユダヤ人たち)の競争相手がいないのと同じなのである。おるといえば、イエズス会(キリスト教会)だけは、我々(ユダヤ人たち)と比べられるだろうが、我々(ユダヤ人たち)は、無分別な群集の目には見える組織として存在するとは信じられぬように工夫してきたのである。その裏で我々(ユダヤ人たち)は、終始一貫秘密の組織を維持し続けてきたのである。カトリックの首領であろうとシオンの血を得た我々(ユダヤ人たち)の独裁者であろうと、専制君主は、専制君主であることに変わりはないのである。が、神の選民である我々(ユダヤ人たち)にとっては、このことは、無関心ではいられない。
 ほんの一時は、我々(ユダヤ人たち)が全世界の畜生(非ユダヤ人)共連合にうまくしてやられることもあったやも知れぬが、畜生(非ユダヤ人)共の間には、今では決して取り返しのつかぬほど深く根を張った不一致があるので、我々(ユダヤ人たち)は、ついぞ危険にさらされずにおるのである。我々は、畜生(非ユダヤ人)共を宗教的・人種的憎悪によって個人も国民も対立反目応報を繰り返すように仕組んだのである。このことを過去二千年にわたって営々と積み重ねてきたので、手が付けられぬほど劇しいものになっておるのである。これが、我々(ユダヤ人たち)に腕を振り上げたとしても、支持してくれる国は、どこにもただの一国もない理由なのである。我々(ユダヤ人たち)に対抗する同盟を結べば自分が不利になることを、どの国も肝に銘じておるからなのである。我々(ユダヤ人たち)は、あまりにも強力である・・我々(ユダヤ人たち)の力を逃れおおせるものはないのである。国家は、我々(ユダヤ人たち)の蔭の関与なしには、ほんの些細な協定を結ぶことすらできぬようになっておるのである。
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シオン賢人議定書NO 04

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シオン賢人議定書NO 04
 如何なる共和国もいくつかの段階を経るのである。その最初は、かなたこなた、右に左に攪乱された盲目の群集の狂瀾が猛威を振るってやまぬことから始まるのである。 次は、デモゴギー、つまり民衆煽動なのである。ここから無政府状態が生じ、無政府状態は、必然的に専制に向う・・合法的とも明白とも言えぬ専制、専制の総本山、目には見えず密かに姿を隠し、にもかかわらず目立ってそれと解る、あれこれの秘密組織の手による専制、その活動は幕の蔭であらゆる代理人の背後で働くだけに、手きびしいことでも平気でやるのである。それら代理人たちは交代するので、不当に襲われぬばかりか、秘密の勢力を効果的に助けておるのである。しばしば交代するおかげで、長期活動の報酬が節減できるのである。
 見えぬ勢力というものを転覆する位置にあるのは、一体誰か?
  ここにこそ我々の特徴が有るのである。非ユダヤ人を入れてあるフリーメーソン員は、我々(ユダヤ人たち)と我々(ユダヤ人たち)の目標の前に立てられた屏風として隠密裡に活動するが、わが勢力の活動計画は、その所在すら人民には全く謎に包まれたままにされるのである。しかし、自由が神に対する信仰や人類愛に支えられ、平等思想と結びつかぬならば無害なものであり、人民の安寧幸福になんら害を与えず、国家経済の中に居場所があってもよろしい。
 しかし、平等思想は自然法則に悖るものであって、平等思想が一段下の思想であることは動かぬところなのである。このような信仰をもって、人民が教区の保護のもとにあり、地球に対する神の支配に従う牧師の手に導かれ満足して敬虔に歩んでくれるならいいのである。そうでないからこそ、我々は、信仰という信仰をむしばみ、畜生(非ユダヤ人)共の心から神の摂理と霊魂なるものを引き離し、代わりに損得勘定と物欲を入れることが絶対不可欠なのである。
 畜生(非ユダヤ人)共に考えたり留意観察したりする暇を与えぬ為には、やつら(非ユダヤ人たち=畜生たち)の気持を工業や商業に向き放しにさせねばならない。そうしてこそ、非ユダヤ人=畜生たち国民という国民が利益追求に没頭し、そのあげくにやつらの共同の敵に気をとめなくなるであるろう。重ねて述べるが、自由が畜生(非ユダヤ人)共の社会をきっぱりと崩壊滅亡せんが為には、投機を産業の基礎にせねばならない。その結果、産業が国土から引き出したものは、いくつかの手を通り抜けて投機に手渡される、すなはち、我々(ユダヤ人たち)が階級に転り込むであろう。
 他人よりも優位に立とうとする激烈な闘争と、経済生活に加えられた打撃とは、薄情冷酷きわまりないな社会を生み出すだろう。いや、すでに生み出している。かように社会は、政治・宗教など高度のものに対する反発を強めるであるろう。やつら(非ユダヤ人=畜生たち)の生きがいは、唯一、利益、すなはち金を集めることなのである。やつら(非ユダヤ人=畜生たち)は、金があれば手に入る物質的喜びを求めて、まぎれもなく拝金教徒と化すであるろう。次いで時至れば、高尚な目的のためでもなく、また、富を得んがためですらなく、ただただ特権畜生(非ユダヤ人)共憎しの為に、畜生(非ユダヤ人)共の下層階級は、権力をめぐる我々(ユダヤ人たち)の競争相手、畜生(非ユダヤ人)共の知識人たちに逆らって我々の指導に従うであろう。

シオン賢人議定書NO 03


シオン賢人議定書NO 03
 今日、我々(ユダヤ人)は、あと数歩で目標に到達せんとしておると言ってよい。横切るべき空間は、あとわずかを残すのみであり、我々(ユダヤ人)が歩んできた長い道のりは、今まさに象徴の蛇の輪を閉じようとしておる。その蛇は、わが民を象徴しておる。この輪が閉じられるとき、ヨーロッパのすべての国家は、強力な万力によって締め上げられるのである。
 当今の国政機構(非ユダヤ人たちの国家機構)の天秤は、ほとんど破壊しておるも同然なのである。なぜならば、我々(ユダヤ人)が、支点を軸として揺れ動き、転回させるべく、正確な均衡を欠くように設定してあるからなのである。畜生(非ユダヤ人)共は、しっかり固定してあると思い込んでいて、天秤が釣り合いを取り戻すはずだと、ずっと期待し続けておるのである。であるが、支点(王座についておる王たち)は、自分たちで押えが利かず無責任極まりない力に困惑する阿呆の役を演じる代議員たちに取り巻かれておるのである。この力は、宮殿内に吹き込まれてきた恐怖支配に負うておるのである。王たちには、人民に近付く手だてがない。まさに取り巻き連中のド真中で王位に就いておる王たちは、もはや人民を受け入れ、権力を追い求める者たちに対抗する強い力を与えてやることができない。明敏な統治権力と人民の盲目の力との間に、双方ともが、あらゆる意味を失うように、我々(ユダヤ人)は、深い溝を設けたのである。盲人と彼の杖のように、両者は、離れ離れにされれば全くの無力となるのである。
 権力を追い求める者たちを煽動して権力を誤用させるため、我々(ユダヤ人)は、すべての勢力を相対立させ、独立を得ようとする自由主義傾向を鼓吹するように仕向けてきたのである。この目的に向って、我々(ユダヤ人)は、如何なる形の企てでも指嗾教唆し、あらゆる政党に戦闘準備させ、如何なる野望の目的をも権威に対して向けるようにさせたのである。国家というものを、我々(ユダヤ人)は、混乱した問題の大群が争乱する競技場と化せしめたのである。ほどなく、混乱と破綻があまねく広がるであろう。
 後から後から出てくるおしゃべり屋たちが、議場と行政会議の場を討論会場に変えてしまったのである。向う見ずなジャーナリストと破廉恥なパンフレット屋が毎日のように政府当局を攻撃するのである。権力に対する悪口雑言は、すべての制度を転覆させる最後の一太刀となり、ことごとくが狂乱した群集のめった打ちに会って空中に吹き飛ばされるであるろう。
 なべての人民(ほとんどの人民)は、奴隷や農奴として縛り付けられていた、かつての時代よりもきびしく、貧困なるがゆえに重い労働の鎖につながれておるのである。なんとかしてやつら(非ユダヤ人=畜生たち)は、この束縛から逃れようとするかも知れぬが、この重荷を取り除くことはできず、決して貧困からは脱却できない。我々(ユダヤ人)が憲法に書き込んだ大衆に関する権利というようなものは、虚構であって実際に使える権利などではないのである。いわゆる「人民の権利」なるものは、単なる観念、実際生活では決して実現されるはずのない観念としてのみ存在することができるのである。おしゃべり屋には、無駄口をたたく権利があり、ジャーナリストには 良いことも書くが阿呆なことを書きなぐる権利があるとして、生活の重荷に打ちひしがれ、重き犠牲に腰を二重に折り曲げておる労働者には、何があるというのかなのである。かって労働者階級共は、我々(ユダヤ人)が説きつけたことに賛成し、我々(ユダヤ人)が権力の中に潜ませておいた我々(ユダヤ人)が代理人団の手下に賛成して投票した見返りに、我々(ユダヤ人)が食卓からパン屑を恵んでもらっただけで、憲法からは、何の利益も得られなかった。貧者についての共和国の権利とは、皮肉以外の何ものでもない。なぜならば、ほとんど一日中働いておる労働者に必要なものは、憲法を使うことによっては、全く与えられない。であるが、その一方で、彼(非ユダヤ人=畜生たち)は、仲間たちが打つ同盟罷業や主人が行う工場閉鎖によって、確実な生活の資をすべて奪われるからなのである。
 我々(ユダヤ人)の誘導によって人民は、貴族階級を全滅させてしまったのである。人民の福利と密接に結びついた貴族自身の利益の為に、貴族階級は、人民の唯一の保護者であり養い親であったのである。現今では、貴族階級の滅亡によって、人民は、労働者の首に残酷無慈悲な頸木をつないだ守銭奴の手中に落ちたのである。
 我々は、労働者にわが戦列(社会主義者、無政府主義者、共産主義者)に加わるよう提案し、振りかかる圧迫からやつら(非ユダヤ人=畜生たち)を救出する救世主を買って出るのである。我々(ユダヤ人)は、我々(ユダヤ人)がフリーメーソン員が言われなく唱えた(人類団結という)兄弟の定めどおりに、一貫して主義者たちを支援している。貴族は、法律によって労働者が提供する労働の恩恵を受け、労働者たちがよく食べ、健康で、強壮であるかどうかに関心を払っていたのである。我々は、全く反対のこと(劣化、畜生(非ユダヤ人)共から生命を奪うこと)に関心を寄せておるのである。我々の権力は、労働者の慢性食料不足と肉体的虚弱を必要とするのである。まさにそうしておいてこそ、彼(非ユダヤ人=畜生たち)は、我々(ユダヤ人たち)の意のままに従うようになり、我々(ユダヤ人たち)に敵対する強さも意志もなくなり、自分たちの権威を見つけ出そうとはしなくなるのである。王たちが正当に貴族に与えた権力よりも、さらに確実に労働者を資本の権利に従わせるのが飢えなのである。
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シオン賢人議定書NO 02

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シオン賢人議定書NO 02
 我々(ユダヤ人)の目的には戦争は、欠くべからざるものなのである。が、できる限り、戦争が領土的な利益をもたらさぬように仕向けるべきなのである。さすれば、戦争は 経済に基盤を置くようになり、各国は 我々(ユダヤ人)の支配の強力さを思い知らされるであろう。また、当事国は、双方とも我々が国境を越えて放った代理人団の思うがままに操れるのである。朕は、如何なる制約があろうとも、やつら(非ユダヤ人=畜生)が百万の眼を持っていて監視するから、身動きがとれぬなどということはないであろう。世界にまたがる我々(ユダヤ人)の権利は、各国の権利を一掃するだろうが、国家の市民法が国民の関係を律するのと全く同じように、普通の権利という意味で、我々の権利が正確に各国を律するであるろう。
 我々(ユダヤ人)が公衆の中から選んだ行政官たちは、奴隷のように従順な資質であるかどうかを厳しく監視され、支配技術に長けた人物にはさせない。それゆえに、やつらが、全世界の諸問題を律すべく幼年期より養育された助言者・専門家である学識者と天才の手の内にある駒となるのは容易なのである。諸氏(ユダヤ人の賢人会のメンバ-)もご存知のように、これら我々(ユダヤ人)の専門家たちは、歴史の教訓や一瞬一瞬の現実の出来事の観察から、我々(ユダヤ人)の政治計画に必要とする知識を体得しておる。畜生(非ユダヤ人)共は、偏見なく歴史的観察を実際に適用することなく、一連の結果に厳しい批判を加えることなく空理空論に走るのである。ゆえに、我々は、やつらに一顧も与える必要もない。時が一撃をくらわせるまで楽しませてやろうではないか。過去の栄光に新しい形を与える希望に生きさせてやろうではないか。古き良き思い出にひたらせてやろうではないか。やつらには、我々が「科学が説くところでは」(学説)と吹きこんだことを後生大事にいつまでも守らせておこうではないか。我々が一貫して、新聞を通じて、声を大にしてそれらの学説を盲信させておるのは、そのことが目的なのである。畜生(非ユダヤ人)共の知識人たちは、やつらの知識にいい気になり、論理的検証を行なうことなく科学から得た知識すべてを信じこむであろう。その知識たるや、我々の代理人団たる専門家が、畜生(非ユダヤ人)共の心魂を手なづけて我々が望む方向におもむかせんが為に、巧みに断片を寄せ集めたものなのである。
 ここに述べたことは根も葉もないことであるとは、瞬時たりとも考えんでいただきたい。我々が仕掛けたダーウィン主義、マルクス主義、ニーチエ主義が、いかに功を奏しておるかに注目していただきたいのである。我々ユダヤ人にとっては、少なくとも、これらの指導者たちが畜生(非ユダヤ人)共の心魂に及ぼしたことどもを直視すれば、事は、明白であるはずなのであるから。
 政治上の、また、行政上の諸問題の方向において、些細な誤りを避ける為には、各国民の思想、性格、傾向を顧慮することが絶対に必要なのである。我々(ユダヤ人)の方式は、我々(ユダヤ人)が遭遇する人民の気質に応じて、さまざまに仕組の組み合せが案配されるが、もしも現在の光に照らして過去の教訓を集約することを怠れば、この方式の勝利はおぼつかぬであるろう。
 今日の国家は、人民の世論を創り出す強力な力をその手に持っておるのである。すなわち、それは、新聞なのである。新聞が果たす役割は、必要欠くべからざると考えられることを指摘し、人民の愚痴に、はけ口を与え、不平不満を表明し作り出すことに有るのである。言論の自由の勝利が具体的になるのは、新聞においてなのである。であるが、畜生(非ユダヤ人)共の国家は、いかにこの力を効果的に使うかについては知っていたためしがなく、したがって新聞は、我々の手中に落ちた。新聞を通じて、我々は、その背後にあって、影響力を行使したのである。ヴァイスマン博士が、我々が血と汗の大洋を越えて集結してきたにもかかわらず、金力が我々(ユダヤ人)の手中にあることを知悉しておることは他言を要さない。我々(ユダヤ人)である為に、あまたの同胞を犠牲にしてきたが、十分に報いられておるのである。わが方(ユダヤ人たち)の犠牲の一人一人は、神の見られるところでは、畜生(非ユダヤ人)共一千人に相当するのである。

シオン賢人議定書NO 01

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シオン賢人議定書NO 01
 美辞麗句はさておいて、ひとつひとつの思想の意味を語ろうと思うのである。我々を取り囲む諸事実に比較と推論の光をあてようと思うのである。
 ここに朕が提案したいのは 二つの視点、我々自身(ユダヤ民族)の視点と畜生(非ユダヤ人)共(非ユダヤ民族=ユダヤ人以外の人類)の視点から見た我々の見解の体系なのである。
 悪い本能をもった人間の数、 善い人間の数をはるかに凌ぐからである。朕は 指摘せねばならない。やつら(人類=畜生ども)を統治するには、学者風情の論議によってではなく、暴力と恐怖によって達成することが、最良の方法である。如何なる人間も権力を目差し、誰も彼もが、できることなら独裁者になりたがるのである。わが身の利益を手中にすることを抑えて、万人の利益の為にわが身を犠牲にしようという者は、めったにおるものではないからである。
 人間という名の猛獣を抑えてきたのは何であるったのか。今までやつらを牽引してきたものは、何であったのか。
 社会の仕組みが始まった頃には、やつらは残忍で盲目的な力に服したのである。後には、法律に服したのである。法律も同じく力であり、仮面をつけた暴力に過ぎない。朕は、自然法則に従って、権利は、力の中に横たわっておると結論するのである。
 政治的自由は、単なる思想であって、いささかも事実ではないのである。であるが、政権を持っておる党派を粉砕すべく、この思想を餌として人民大衆を自陣に引きつける必要があらば、その撒き方や使い方を知っていねばならない。その際、相手方が自由思想、いわゆる自由主義に感染していれば、そして、思想の為になら喜んで全力を投げ打つ積りあるならば、仕事は、さらにやり易くなるのである。この場合には、我々(ユダヤ人たち)の所説が勝利することは、目に見えておるのである。支配の手綱が緩められると直ちに、新しい手に手綱が執られるのは、自然法則の赴くところなのである。国家は、盲目な力であって一日たりとも指導者無しにはすまされず、新しい権力者は、単にすでに自由主義によって弱められた前任者の地位に座るだけだからである。
 我々(ユダヤ人たち)の時代では、自由主義的であった支配者の位置にとって代るのは、金力なのである。かつては、信仰が支配した時代があった。自由思想は、誰ひとりとしてほどよい使い方を知らない。ゆえに、実現不可能なのである。人民を無秩序な群集に一変させるには、やつらに一定期間自治を与えるだけで十分なのである。与えた瞬間から、共食い闘争が勃発し、階級間戦争に発展し、その真っただ中で国家は焔に包まれて炎上し、やつらの権威は、一山の灰燼に帰するであろうということである。
 国家が内乱によって消耗するか、内部不一致の為に外敵の手中に落ちるかである。どのみち、その国は、回復できず滅亡するほかはないのであるが。その時こそ、我々(ユダヤ人)たちの出番なのである。完全に我々(ユダヤ人たちの手中にある資本の専制力が、その国に救いの藁を差しのべると、否応なくやつらは、それに縋りつけねばならない。拒めば、底に沈むだけのことである。
 自由主義的な考えを持っておる人が、上述のような考えを不道徳であると言うならば、朕は、次の問いを投げ返したい。どの国も両面の敵を持っておるとする。外敵には、あらゆる策略を用い、たとえば、敵には、攻撃防御計画を伏せておき、夜間奇襲あるいは圧倒的優勢な戦力で撃破しても不道徳ではないとされるならば、さらに悪質な敵、社会と福利の破壊者に対して同じ方法を用いることが、いかなる理由で不道徳かつ許しがたいと呼ばれねばならぬのか?
 愚にもつかぬものではあっても、反対とか批判とかはありうるし、上辺のことにしか理性の力が働かぬ人民は、反対ということを喜ぶものである。かかる場合に、健全で論理的な精神が、道理の通った助言や議論の助けをかりてうまく大衆を導く希望をもてるのであるろうか?
 専ら浅はかな情熱、つまらぬ信念、習慣、伝統、感傷的な理論だけに囚われておる間違いだらけの人々は、党派根性に囚われるのである。そうなると、完全に理の通った議論を基にした如何なる合意をも妨げるのである。群衆の解決というのは、どれも偶然の結果か、表向きの多数決によるものであり、政治の裏を知らずに管理の中に無政府主義の種子を蒔くという奇妙な解決を出航させるのである。
 政治は、道徳とは全く関係がない。道徳で統治する支配者は、練達の政治家ではないから、彼の王座は、動揺するのである。支配したいと思う者は (我々が所有する新聞に感謝するところである)気付かれぬように欺瞞と偽善との双方を用いねばならない。率直とか正直とかのような、偉大な国民資質と称されるものは、政治にとっては悪徳なのである。それらは、支配者を王座から転がり落とすのに効果あるもの、最も強力な敵よりも確実な破壊力をもつものなのである。そのような資質は、畜生(非ユダヤ人)共の王国の属性でなければならぬが、我々は 決してやつらの轍を踏んではならない。
 我々の権利は、力の中に横たわるのである。「権利」なる言葉は、抽象的な思考であって、なんら具体性はないのである。その言葉は次のことを意味するに過ぎない。「わが欲するものを我に与えよ。 我が汝らよりも強きことを証せんが為に。」
 権利はどこから始まるか?
 どこで権利は 終るか?
 権威の仕組が薄弱で法律が空疎であり、自由主義の濫用により権利を乱発し支配者たちが脆弱となった国家なら如何なる国でも、朕は、新たなる権利を行使できる。強者の権利によって打撃を与え、既存の秩序と法規の一切を粉砕し、すべての機構を再構築し、自由主義の中で放棄されて我々に残されたやつらの権威ある権利を継ぐ王者となるのである。
 すべての形態の権力が動揺しておる現在、我々の権力は 他のいかなる権力にもまして目に見えぬであるろう。いかなる狡猾な者もくつがえせぬ強さに到達する瞬間まで、我々の権力は、表面には現われぬのであるから。我々が目下用いざるをえぬ一時的な悪から、確固たる支配という善が顕現するのである。この善は、自由思想によって形無しにされた国民生活の仕組を平常の状態に修復することになろう。目的は、手段を正当化するのである。しかしながら、我々の計画においては、必要と有効なこと以上には、善とか道徳とかにはこだわらぬことに留意しようではないか。
 我々の前には戦略的に敷かれた計画が有るのである。数世紀にわたる我々の辛苦の労働が無に帰する危険を顧みるならば、この路線から逸脱することは許されない。
 満足すべき行動を練りあげる為には、群集の狡猾さ、だらしなさ、情緒不安定、やつら(非ユダヤ人たち=畜生)の理解力の欠如を考慮に入れ、やつら自身(非ユダヤ人たち=畜生自身)の生活状況、あるいはやつら自身(非ユダヤ人たち=畜生自身)の福利を顧慮する必要が有るのである。群集の力は、盲目的であり、愚かしく、何かからの暗示にかけられるがままに動き、道理をわきまえぬということを理解せねばならない。盲人が盲人を導けば奈落に落ちこむのは、必然なのである。群集の何人かが天才的な賢者であったとしても成上がり者であり、政治を理解することはできず、指導者として前を進めば全国民を滅亡の淵に落としこむのは、必然なのである。
 幼児時代から特別の方式によって訓練された者だけが、政治の基本を成り立たせておるイロハを理解することができるのである。
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シオン賢人議定書
 これからシオンの賢人議定書の検討をしてみたいと思います。シオンの賢人議定書については、最近の評価として偽物ということになっているようです。ただ、この内容が出版されたとき、全ての本は ユダヤ人たちに買い占められたと伝えられていますので、この内容は、真実と考えています。必要なことは、議定書に記述されていることが、現実に実現されていれば、この著書は、正しいと考えなければなりません。
 もちろん、マスコミの支配を唱っているこの議定書のことですから、それらの情報操作がなされていることも考慮して読む必要があります。この議定書は、昔に翻訳されたもので、読みにくいところがありますし、賢人のメンバーにとって当然であっても、我々にとっては、わかりにくいところがあります。
 そこで、文章もできるだけ現代文に近い文に書き直しています。ので、そのまま読んでも理解が容易になっていると思います。シオンの賢人議定書では、ユダヤ人と非ユダヤ人、そして議長格の朕と呼ぶ者たちが登場するし。他の人類についての記述もあります。例えば、わしら=我々=ユダヤ人、畜生=非わしら=ユダヤ人以外の人類などです。
 シオンの議定書の特徴は、人間の本性とも言うべきことを記述していることである。よく言えば、その分析によりユダヤ人たちはどのようにすべきか、悪く言えば、非ユダヤ人たちをどのようにして取り扱うか、などである。我々が予言を検討する場合、この議定書の記述を認識して、現在の世界情勢について流れてくる情報を分析すると理解が進むとおもいます。それはともかく、これから議定書を連載していきますので、参考にしていただければ幸いです。
シオン賢人議定書
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太陽のコメント
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シオン賢人議定書とフリーメーソンとひふみ神示
NO 01 | NO 02 | NO 03
シオン賢人議定書 考察
NO 01 | NO 02 | NO 03 | NO 04 | NO 05
NO 06

第7章:ドイツ国民にあてた「ヒトラー最後のメッセージ」


■■■第7章:ドイツ国民にあてた「ヒトラー最後のメッセージ」
次は、ドイツ国民にあてた「ヒトラー最後のメッセージ」である。
以下、抜粋。
「地下官邸からの指名予言」の重要部分は、これだけである。ただ、これらとは別に、不特定のドイツ国民にあてた、ヒトラー最後のメッセージ、つまり最後のラジオ放送の一部が残っている。それは1945年3月20日に放送されたといわれ、3月30日ともいわれ、4月2日ともいわれている。この3日間全部に放送されたという説もある。
いずれにしろ、そのころ西からは、40万人を超える米軍がライン河を渡っていた。東からは、100万のソ連軍がベルリンに迫っていた。爆撃だけでなく、ソ連の戦車砲の砲弾さえ、頻々とベルリン郊外に落ち始めていた時期だった。
いつヒトラーの最終放送があったかの正確な記録など、そんな末期的状況の中で残っているわけがない。放送そのものの内容も、録音盤はのちにソ連軍に持ち去られ、いま残っているのは、側近たちが別に録音しておいたディスクの断片だけだという。そこから起こした欧米の研究家たちの記述をつなぎ合わせると、ヒトラーはほぼ次のように言ったようだ。3、40分間の放送だったらしいが、残っているのは、次の切れ切れの7、8分間分だけしかない。
「国民諸君、同志諸君、最後まで戦い続ける諸君に敬意を表する。すでに戦況は……私はベルリンと運命をともに……しかしナチスは不滅である……たとえ米ソがいったんは勝つように見えようとも……。
そうなのだ、それは砂の上の勝利だ。彼らは世界の真の支配者ではないからだ。彼らの背後で操る者……ユダヤ……イスラエル……世界的なユダヤ国際資本……。
米ソは……おそらく1990年代ごろまで、対立と妥協を繰り返しつつ、世界を運営しようとする。しかししょせん……ヨーロッパと日本、東アジア、イスラム諸国、インド……いずれ世界は米ソの手に負えなくなる。そのときユダヤはみずから……に乗り出す。
あわれなアラブ4カ国……最終戦争。東西が激突するだろう。ユダヤはそれに勝って全世界……なぜならそれが彼らの『旧約聖書』の約束だからだ。黙っておけば必ずそうなる。しかし、私がそうはさせない。そのための手を、私は死ぬ前に打っておく。それが最後の秘儀である。それによって人類はわれわれを受け継ぐことになる。
しかも見よ、そのあと、わがナチスの栄光、ラストバタリオン……。それが真のハーケンクロイツの日だ。カギ十字の日だ。そのときラストバタリオンが現われる。ユダヤを倒す。世界を支配する。永遠に……そしてナチスは甦る。真のヒトラーの時代が来る。必ずだ。
甦ったナチスの軍団とその強力な同盟がそのとき来る。宇宙からの復讐のカタストロフィとともに来るぞ。それからが真の究極だ。真の終わりで真の始まり、真の淘汰、天国の地獄、21世紀のその年に、人類の驚くべき究極の姿……ではそれを明かそう。諸君、それは人類……」
ここで空襲警報のサイレンがけたたましく入った。そのためヒトラー最後の放送も、ここでプツンと途絶えてしまった。
その日が1945年の4月2日だったなら、彼はこのあとなお、4週間ほど生きる。しかしともかく、彼の国民への最後の呼びかけは、こういう重大で狂おしい、しかし不完全な形で終わってしまったのだ。
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第6章:地下官邸でのヒトラーの「指名予言」

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■■■第6章:地下官邸でのヒトラーの「指名予言」
次は、オーベルザルツベルグ山荘を離れて、
首都ベルリンの地下官邸で語られたヒトラーの「指名予言」である。
以下、抜粋。
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ヒトラーはしばらく予言を口にしなくなる。
そんな悠長な状態ではなくなったからだという。
ハンス・フランクと対話した1年後の1939年8月31日、雨の降り続く冷夏の深夜、ヒトラーは突然飛び起きて「今だ! 私は命じられた! 進め! ポーランドヘ!」と甲高い声で叫び、全軍にポーランドへの侵攻を指令した。
これで第二次世界大戦の幕が切って落とされた。あとは北欧やオランダヘの急侵攻、宿敵フランスとの短期決戦、英国へのV1号V2号攻撃、米ソ両大国の参戦、さらに日本の真珠湾攻撃と、わずか1年ほどのあいだに、世界は血と硝煙の中で、ただ目まぐるしく動いた。しかもそれは、マジノ線突破から真珠湾奇襲、ノルマンディー上陸まで、ヒトラーが山荘で予言したのとほとんど違わない展開をみせ、あらためて側近たちを震え上がらせた。
だが当人は、それを自慢している暇もなかった。強力な独裁者であることが裏目に出て、いっさいの指揮の責任が一身に集まり、彼は毎日、声を枯らして部下たちに作戦を命令し続けねばならなかった。
「今日はV2号を50基出せ!」、「ノルマンディーに戦車200台だ!」、「米軍のど真ん中にカルル砲(天才カルル博士が作った口径55センチの巨砲)をぶっ放せ!」、「ロンメル(北アフリカ戦線のドイツ軍の名将)にプラチナ十字章をやっておけ、しかし奴から目を離すな」……。
これでは遠い未来を瞑想するなど思いもよらない。しかもインスピレーションの源泉ももう絶たれていた。ヒトラーは開戦と同時にオーベルザルツベルグの山荘を離れ、総指揮のため、ベルリンの総統本営に移ってきていたからだ。
ベルリンの総統官邸。この建物の地下壕は、大規模な
設備を有していた防空施設で、ベルリンで一番安全な場所
であると言っても過言ではなかった。長期戦に備えて
食料貯蔵庫や電話交換室、配電室、毒ガス攻撃に
対応するための空調室も兼ね備えていた。
そこには、彼の心深く何かをふき込んだ、雪に輝くドイツアルプスの姿はなかった。洞窟の奥の未来都市もなかった。形ばかり大げさに飾りつけた広い会議室と、ごっつい将軍たちの顔があるだけだった。開戦後、勝利が続いているうちはそれでもよかったが、米ソが参戦し、ナチスが東西から押されぎみになってくると、ヒトラーは歯を剥き出して将軍たちに当たった。
「ハゲタカが泣いたみたいな顔しやがって、出て失せろ!」
彼はしばしばどなった。
「こんな陰気な宮殿の中できさまらの顔ばかり見てると、霊感もしぼむ。きさまらと会議するたびに、私は退化して猿に戻っていくような気がする。私がもし猿並みの人間になったら、それはきさまらのせいだぞ!」
しかし、まもなく奇妙な変化が起こった。きっかけは皮肉にも、ナチスの旗色がいっそう悪くなり、米軍機の爆撃が激化したことからだった。ベルリンの街は、家々の外側のコンクリートだけ残して、墓場の廃嘘のようになった。かろうじて生き残った市民は、防空壕や地下鉄の構内でただおびえていた。ヒトラーの総統本営も、地上の部分はガレキの山になり、地下深くもぐらねばならなくなった。これが不思議なことに、ヒトラーの予知力にふたたび火をつけたのだった。
「私は負けたモグラじゃないぞ」、そう怒りながら、いやいや地下の私室に入った彼は、翌日、目をギラギラさせて側近たちの前へ出てきた。
「ここは山荘の洞窟に似とる。おかげでひらめきが戻った。」
彼は地の底からひびくような声で言った。
「しばらく会えなかった“あいつ”ともまた会えた。“あいつ”が未来を見させてくれた。前よりもいっそう鮮明にだ。聞け諸君、これは私の未来というより諸君の未来だ!」
そして彼は、毎日の作戦会議の前後、時には途中でも立ち上がって私室に側近たちを呼びつけ、新しい霊感に照らされた未来を、しわがれた声でしゃべった。それは先の山荘予言とは、はっきり異質のもので、側近たちを名指しで呼んでは予言する薄気味悪いものだった。だからこれを、「地下官邸でのヒトラーの指名予言」と呼ぶ研究者もいる。
といっても、ナチスの敗色が濃くなってきた混乱期に語られたため、資料は山荘予言より更に少ない。側近たちが聞いて、あとで友人や戦犯裁判の検事に話したり、手記に書いたり……それを欧米の研究者が1、2行ずつまとめたものしか残っていない。それでも、それらをつないで並べると、こんな怨念のこもったような「指名予言」の数々があぶり出されてくる。
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第5章:「東方が巨大な実験の場になる」──『永遠の未成年者集団』の出現

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■■■第5章:「東方が巨大な実験の場になる」──『永遠の未成年者集団』の出現
更にヒトラーの予言は不気味さを増していく。
ここで出てくる「東方」とは、「日本」のことを意味しているのだろうか?
以下、抜粋。
「未来の社会はどんな様相を見せるだろうか。同志諸君、申し上げよう。まず闘争によって選りぬかれた貴族階級が現われる。新しい中産階級、無知な大衆、新しい奴隷、仕えるものの集団、『永遠の未成年者集団』があろう。そしてこれらすべての上に、さらに新しい貴族がある。特別の指導的人物である。このように、支配をめぐる闘争によって、国の内外に新しい身分が成立する。しかも東方が巨大な実験の場になる……そこに新しいヨーロッパの社会秩序が生まれるのだ」(ラウシュニングに語った言葉)
この正確な意味はラウシュニングにはわからなかった。彼とともに聞いていた他のナチ幹部たちも、貴族とか、新しい奴隷とか、東方とか未成年者とか……わかったようで、本当の意味はつかめなかった。
で、数日後、やはり総統ブレーンの1人だったハンス・フランクが、ヒトラーみずから上の予言を解説してくれるように、おそるおそる頼んでみた。このハンス・フランクというのは、ヒトラーの若いころからの弁護士で、信任が篤く、東ヨーロッパの占領地域の管理を任されたほどの腕ききのナチス幹部である。そのせいか、ヒトラーはうるさがらず、機嫌よく求めに応じて答えた。だんだん明らかになっていく彼の魔性の予知の、何合目かまでの真実を。
ポーランド総督ハンス・フランク
「よろしい、では解説してやろうハンス。私が言った未来に現われる『永遠の未成年者集団』というのは、もちろん、死ぬまで大人になりきれない人間たち、ということだ。そんなことは、厳しい正常な社会ではありえない。だからそうなる背景には、甘やかされた異常な社会が当然ある。その中で、同じように大人になりきれない親に、愛玩動物のように育てられるため、子どもも成人しても真の大人になれないのだ。
しかしハンス、じつはそれだけじゃない。私が本当に言いたかったのは、そのことではない。
未来社会には、そういう『永遠の未成年者集団』が現われる一方で、『幼いときから大人の思考と感情を持った人間たち』も現われるのだ。信じられないだろうが、彼らは胎児のときからさえ、そのように教育される。5つか6つで一人前の理屈と判断力を備え、13、4歳にもなれば、並の大人を指揮するほどの力を持つようになる。
つまり両極端ということだ。肉体が大人で感情が幼児のようなグループと、肉体はまだ青春期にまでいかないのに、思考と感情が大人を超えるグループ……」
「しかもハンス、それは人間の発育状況だけじゃないのだ。人類と社会のあらゆることが、未来には、そのように両極端に分かれてしまうのだ。たとえばカネだ。一方には腐るほど大量のカネを持ち、広く高価な土地を持ち、労せずして限りなく肥っていく階級が現われる。貴族とか新しい中産階級とか言ったのはその意味だ。
だが少数の彼らが現われる一方、他方の極には、何をどうやっても絶対に浮かび上がれない連中も現われるのだ。それはカネだけの問題でもない。より正確にいえば、精神の問題だ。限りなく心が豊かになっていく精神の貴族、精神の新しい中産階級が現われる半面、支配者が笑えと言えば笑い、戦えといえば戦う『無知の大衆』『新しい奴隷』も増えていくのだ。」
「人間だけではない。国もそうだ。恐ろしく豊かな、労せずして肥っていく国が現われる。他方、何百年かかっても絶対に払いきれないほどの借金をかかえ、水一杯すら容易に飲めない国も現われる。気候もそうだ。とほうもない旱魃や熱波におそわれる国と、寒波や洪水におそわれる国が出る。災害におそわれつづける地域と、楽園のような地域、人っ子一人いなくなる荒地と、無数の人間が鼻をくっつけ合って生きる都会とが分かれる。
愛もそうだ。特定の男女にだけ、愛と肉体の快楽が集中する。一方、一生に一度の真の愛も快楽も得られない男女も増える。要するに、土地や金や支配力を得る者は、ますますそれを得、支配される者はますます支配されるだけになる。そうだハンス、それが未来なのだ。私の見た未来だ。未来はそうなるのだ……」
「それは1989年だ。そのころ実験は完成する。人間は完全に2つに分かれる。そこから引き返せなくなる。そうだハンス、その完成と更に新しいアプライゼ(スタート)の時期が1989年4月に来るのだ。」
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第4章:「ヒトラーの山荘予言」

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■■■第4章:「ヒトラーの山荘予言」
ヒトラーの予言は、第1章で紹介した2039年に関する「究極予言」の他に、
少なくとも、南ドイツのオーベルザルツベルグ山荘で語られた「ヒトラーの山荘予言」、
首都ベルリンの地下官邸で語られた「指名予言」、そして大戦末期にラジオで語られた
「ドイツ国民にあてたヒトラー最後のメッセージ」の3種類があるという。
それら予言に関する部分を『1999年以後』から抜粋して、順番に紹介したいと思う。
まずは「ヒトラーの山荘予言」である。
(左)アドルフ・ヒトラー (右)ベルヒテスガーデンのヒトラーの山荘
「もっと霊感の湧く場所が必要だ。私の望む場所はあそこだ。」
ヒトラーはそう言って、南ドイツの名勝の地ベルヒテスガーデンに、不思議な山荘を作るよう命じた。それが「オーベルザルツベルグ山荘」である。彼の奇怪な予感から生まれたミステリーゾーンだ。今はほとんど破壊され、観光用の防空壕ぐらいしか残っていないが、そこは本来、賢い悪魔が見通したような21世紀型の地下都市だった。
「そういう地下都市に、やがて人間は住むようになる。いや、そういう場所にしか住めなくなるだろう。それほどの毒物や毒光がいずれ人類に、少なくとも人類の一部に降りかかる。各文明国はそれを避けて、地下に商店や会社や住居をつくる。ここはそのためのプロトタイプなのだ。」
ヒトラーはこんな不気味なことをつぶやいて、1932年春、権力を握りだすとともに、前からあったログハウスの別荘に加えて、不可解な洞窟式の巨大山荘を作らせはじめたのだ。そこには、完成時には「いずれ将来、見えない毒気が侵入するから」という彼の指示で、空中のどんな有毒物も通さないナチス技術の粋のような浄化装置がつけられた。
「食物も将来は汚染されるから」という指示で、ドイツ科学が生みだした、100年も保つカンヅメ類がたくわえられた。また、そこから伸びる地下通路とインターフォンが、現在と同じ性能の短機関銃を持つ護衛兵に守られて、他のナチス幹部の山荘と何重にも連結された。
「このように、最高の頭脳がシステム化して結合する。それが未来の支配の形だ。ひとつの意志がここから全国民を動かすのだ。それが人間の頭脳であろうと、頭脳のような機械であろうと、やることは同じだ……」
まるで現在のコンピュータ中枢を見ているように、ヒトラーは妖しい目付きで言った。そして希望通りの山荘が少しずつ出来上がってくると、一層インスピレーションをかき立てられたらしく、作業現場を見回りながら、とうとうと未来についてしゃべった。それらをひっくるめて「ヒトラーの山荘予言」と呼ぶ。
一部しか伝わっていないが、その中には、こんなものすごいものがある。
■■ロケットかミサイルの出現を見通した予言
「近い将来、男の性器そっくりの兵器ができるだろう。私(ヒトラー)の勃起した男根を、何百倍にも大型化して小さな翼をつけたようなものだ。それが将来の戦争と世界を支配する。さしあたっては、それが飛んで行ってイギリスを焼き尽くす。いずれはペルシャ湾にもインド洋でも飛ぶだろう。愉快なことだ。私の勃起した男根が地球を燃やすことになるのだからな」
これはもちろん、ロケットかミサイルの出現を見通した予言と受け取っていい。またそうとしか考えられない。その証拠に、ヒトラーはそれを予言しただけでなく、側近の前でその簡単なスケッチを描いてみせた。美術学校には落第したが、彼はもともとイラストレーター志望で、絵はお手のものだった。そしてこのスケッチにもとづいて、ぺーネミュンデ研究所(ナチス秘密兵器研究所)の科学者たちが作り上げたのが、有名なV1号やV2号ロケットだった。そういう男根型兵器が、将来、ペルシャ湾ばかりかインド洋でも使われる、と見通されているのが不気味である。あとで触れるが、この予言は、現在の私たちに突きつけられたヒトラーの痛烈な皮肉でもある。
ナチス・ドイツが開発したV2ロケット。敗戦までに
約6000発が生産され、3000発以上が実戦で発射された。
■■コンピュータやロボットの出現の予言
「私はまた、機械全体の未来もわかる。男根兵器がひとつの例だが、未来の機械はすべて生物か生物の部分と酷似してくるのだ。人間も含めた生物の部分の機能を、機械が代わって果たすようになる。単純な労働はそういう機械がやるようになる。人間の脳そっくりの機能を持つ機械も現われて、人間のほうがその機械にものを訊ねるようになるだろう。」
明らかにコンピュータやロボットの出現の予言。やはりヒトラーのヒントでぺーネミュンデ研究所が開発にはげみ、第二次世界大戦の末期、ナチスは初期のコンピュータとロボット兵器のテストにも成功していたようだ。こんなふうに、ただ未来を見通して予言するだけでなく、そのひな型を命令で実際に作らせてみる。つまり強大な権力によって未来の一部を実現してしまう。ここに魔性の予言者+独裁者としての、他に類のないヒトラーの特徴があった。
■■「国民車(フォルクスワーゲン)」と「アウトバーン」出現の予言
「そしてカブト虫。やがて赤や青や黒や白の、輝くカブト虫が動脈の上を走るようになる。世界中が、我々のカブト虫と白い動脈でいっぱいになる日が来る」
1933年に自動車設計のベテラン、ポルシェ博士に語られた、狂ったような言葉だが、「機械が生物と酷似するようになる」という先の予言を知っていれば、これは容易に解ける。つまりヒトラーはこのとき、どんな形にするか未定だった「国民車(フォルクスワーゲン)」と、まだ設計の段階だった「アウトバーン」(制限時速のない世界最初の高速道路)のことを見通していたのだった。
「アウトバーン」はまもなく作られはじめ、たしかに“白い動脈”の名にふさわしい威容をそなえた。反面、「フォルクスワーゲン」の開発は、まもなく第二次世界大戦が激しくなったため、中断してしまった。だが戦後、すぐに再開され、“敗戦国・西ドイツの奇跡”と驚かれながら、その優れた性能と先進的な大量生産の技術で、世界市場に長いあいだ君臨した。そして、そのボディ・デザインは、ヒトラーが見通した通りのカブト虫型だった。(ヒトラー自身がデザインしたともいわれている)
(中上)アウトバーン開通式(ベンツによるテープカットの瞬間/1935年)
(左)大量生産のために完成したファラースレーベンの新工場のオープニング(1938年)
(右下)開通したばかりのアウトバーンを試走するフォルクスワーゲン
(右上)戦後世界中で販売され驚異的な人気を誇ったVWビートル
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