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<転載開始>
みなさん、こんにちは。
今回は、個人的メモに過ぎない。いろいろな考え方があるので、興味ない人や賛同しない人は読まないこと。
私がなぜラグビーよりサッカーが好きか?と言えば、ラグビーは貴族のスポーツであるが、サッカーは庶民のスポーツだからである。ラグビーは手を使うタックルが認められている。そのため、原理的に強者が勝つ。大きなものが小さなものをなぎ倒す。そうして快感を得るスポーツである。しかしサッカーは足下を使う。手は使えない。だから、小粒な選手も大男を相手に活躍できる。この差が大きい。
そして、現在、世界中の弱小国の貧民たちに教育の機会均等を行っているのは、FIFAしかない。ラグビー組織が弱小国を援助などということは聞いたことがない。そんなFIFA組織に米英の手先によるさまざまな妨害工作があり、乗っ取りが計られているのはよく知られたことである。FIFAのトップを執拗にスキャンダルをでっち上げて追い落とそうとしたり、ワールドカップ開催をめぐって理事会に工作して汚名を着せたりというのはその典型である。しかしながら、FIFAの結束は固い。なぜなら、オリンピックと違い、FIFAの大半は元プロサッカー選手が運営しているからである。
プロサッカー選手と言えば、どこの国々でも元々貧民の出である。ペレ、マラドーナ、欧州の大半の選手も平民出身である。今のイタリア、スペイン、ドイツなどの大半の選手も普通の子供が努力してサッカー選手になっている。欧州で活躍する黒人選手、アフリカ出身、ブラジル出身の選手たちもみな生活のため、家族のためにサッカー選手になったものたちである。
日本においてもまったく同じことである。日本のプロサッカー選手の大半は貧乏人出身である。その辺の普通の子である。さもなくば、サッカーの厳しい練習に耐えられないからである。
サッカーとはそんなスポーツである。サッカー界とはそんな世界である。だから、私は好きなのである。この火を消してはならないと思うのである。
この意味で、小粒な選手が活躍できるサッカーは、日本人に向いている。牛若丸と弁慶の話のような場面がピッチ上で繰り返されるのである。FWメッシとDFファーディナンドの戦いやDFカンナバーロとFWイブラヒモビッチの戦いはまさに牛若丸と弁慶の戦いそのものである。
古来我々日本人は小さかった。一説では、戦国時代の平均身長は157cmと言われている。
「歴史上の人物 身長」あれこれ
(ところで、これを見る限り、直江兼続が182cmの大男だったというから、いかに今やKHKとなったNHKの時代考証が嘘っぱちか分かるだろう。)
だから、我々日本人は、「小男がいかにして大男をやっつけるか」や「小人数で大人数をやっつけることができるか」という文化を育んで来たと言えるのである。質実剛健、少数精鋭、合気道などに含まれたものには、そういうものが込められていると言えるだろう。この延長線上に司馬遼太郎の「まことに小さき国が大きい国を倒す」という発想もあると言えるだろう。
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