大摩邇(おおまに)

日常の気になる記事を転載させていただきます。

終末論のまぼろし 大予言の嘘とまこと

なわ・ふみひとさんのサイトより
http://www.h2.dion.ne.jp/~apo.2012/browse0911-2.html#17
<転載開始>
終末論のまぼろし 大予言の嘘とまこと
S・フィナテリ神父・著  講談社
終末と再臨の日はいつか?
  「前兆」としてあらわれるという、太陽や月や星など、自然現象の異変は、かならずしも字句のままとる必要はないのである。
  これは旧約以来の聖書の伝統的な表現によったものである。新約でも、キリストの復活の50日目、聖霊降臨のとき、使徒のかしらペトロがエルサレムに集まった人々に説教した中で「終わりの日」にふれて、その日「上では天にふしぎなことをあらわし、下では、地にしるしをあらわす。日はやみに、月は血に変わる」といういい方をしている。(「使徒行録」)
  しかし、もちろんなんらかの「しるし」はあらわれるにちがいない。
  私としては、「終わりの日」――キリストが再臨するとき、天地万物がふるえ動くことは、じゅうぶんありうると思っている。終末と再臨の日。その日はいつ来るのか。
  キリストはオリーブ山で、弟子たちにこう告げた。
  「いちじくの木からひとつの教訓を学びとりなさい。枝がやわらかくなり、葉が出るようになると、あなたたちは夏の近いことを知る。それと同じように、これらのことが起こるのを見たならば、人の子が戸口に近づいていると知りなさい。あなたたちによくいっておく。今の時代が過ぎ去らないうちに、これらのことはすべて起こる」
  キリストはさらにいう。
  「その日、その時は、だれも知らない。天のみ使いたちも子も知らない。父だけが知っておられる」
  「子」とは神の子であるキリスト自身のことだ。キリストにさえ、その日、その時はわからないという。そこから、つぎの警告が出てくる。
  「主人が不意に帰ってきたとき、あなたたちが眠っているのを見つけられることがないように、目をさましていなさい。家の主人がいつ帰ってくるか、夕方か、夜中か、にわとりの鳴くころか、明け方か、わからないからである。わたしはあなたたちにいっていることをすべての人にいう。目をさましていなさい」
  「その日、その時」はだれも知らない。いわゆる「大予言」にも、それはわからない。わかっているというのは、いつわりである。それは、あすやってくるかもしれない。いや、きょうのことかもしれない。すでに、前兆はあらわれているといえる。
  「終末はすでに始まっている」「私たちは終末の時代に生きている」というのはこの意味である。私たちは「目をさまして」その日がいつ来てもいいようにしていなくてはならない。

地球以外の星はどうなるのか
  パウロは「テサロニケ人への第一の手紙」で、「終末は妊婦の陣痛のようだ」といっている。
  それは「とつぜんおそいかかり、だれものがれられない」からであり、また、文字どおり「生みの苦しみ」であるからだ。
 
終末はただ終わってしまうだけではなく、つぎの新しいものを生みだすが、そのためには陣痛の苦しみをへなければならない。それがカタストロフ(破局)である。
  終末は破局である。しかし、それですべて終わってしまう破局ではなく、それをとおしてつぎの新しいものが生まれる。だから、終末は破局をともなうといういい方のほうが正しいだろう。エルサレムの滅亡も、まさに破局そのものだった。世界の終末のカタストロフは、それ以上であるにちがいない。
  「世界の終末」と書いてきたが、完成されるのは私たちの世界(地球と私たちの活動のおよぶ範囲の宇宙)だけでなく、神のおつくりになったこの全宇宙である。
  「新しい天と新しい地」と「黙示録」はいっている。宇宙は、神がよしとされたとき更新され、完成される。この完成へ向けて、
私たちの世界は終末を迎えるのであり、カタストロフはその陣痛だ。そのさきに待っているのは、新しい天と地なのである。

ひとくちコメント ―― 終末の様相とその意味を理解する上で大変参考になります。私の終末観もまさに新約聖書に書かれているイエスの言葉の通りです。「破局は産みの苦しみとして必要なことであり、そのあとに新しい世界が始まる」ということです。

新約聖書の内容はこちらをどうぞ → 終末の様相
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ヨーロッパ中に波及し始めた危機(FT紙報道)

NEVADAブログさんのサイトより
http://blog.livedoor.jp/nevada_report-investment/archives/4015704.html
<転載開始>

2011年11月17日

ヨーロッパ中に波及し始めた危機(FT紙報道)

FT紙は一面トップで【ユーロ圏の国債が巨大売り圧力に直面】と報じ、この売りがオーストリア・フィンランドにも波及してきていると大々的に報じています。

今やヨーロッパ中が炎上してきていると言え、これを「消す」ための「お金」を世界は持ち合わせていません。

ではどうなるか?
「ユーロ」は燃えて(Burn)無くなるしか道はありません。

即ち、ヨーロッパの金融市場が国債暴落から金融機関マヒに発展し、ユーロが信用を無くし、事実上国際間の決済通貨から消えることになります。

そしてこれが円紙幣の消滅にまで発展することになりますが、ではこれがいつまでに起こるか、となります。

今年の12月のクリスマスは『暗黒のクリスマス』になるのは避けられないとみており、今後1ケ月以内に事態は大激動するかも知れません。

ウイーンにまで危機が波及してきた今、我々に残された時間はそうありません。


【10年国債利回り】(FT紙)

<今のところ健全な国>
デンマーク   1.91%
ドイツ      1.81%
オランダ     2.43%

<危機が迫る国>
フィンランド   2.50%
オーストリア   3.62%
フランス     3.70%
ベルギー     4.92%

<事実上の破たん及び破たん危機>
ギリシャ    32.29%
ポルトガル  11.52%
アイルランド  8.22%
イタリア     7.28%
スペイン     6.43%

近日中に<事実上の破たん及び破たん危機>に上記のベルギー、フランス、オーストリアが入れば、ユーロ圏は崩壊します。

国債利回り2.50%のフィンランドに危機が波及すれば、<危機が迫る国:4ケ国>は全て<破たん危機>に格下げされます。

ドミノ倒しが始ってきています。



<転載終了>

一億総モルモット化

飯山一郎さんのサイトより
http://grnba.com/iiyama/
<転載開始>
2011/11/17(木) 一億総モルモット化
「乳酸菌がそんなに良いと言うなら、なぜ福島に来て散布しないのですか?」
一人だけだが、こんなことを電話で言ってきたシトがいた。私が、
「分かりました。それでは先ずどこに散布したらEですか?」
と言うと、
「通学路と小学校の運動場です。子供たちを救うために是非お願いします!」
とこのシト、大変な張り切りようだ。
「OK! あなたも協力して下さいね。費用の一部も負担して下さいね!」
と言ったら、「私はカネないです…」と言うので、
「じゃあ通学路や運動場の除染費用は、飯山が出せと言ってるのですか?」
と訊くと、無言でモゴモゴしている…。

この日本列島に住む皆が、誰も彼もが放射能の災厄を何とかして欲しいのだ。
放射能が日々降り続けるという最悪の国になってしまった日本…。
この国はこの先、一体どうなってしまうのか?
この国の国民ひとりひとりの生活と健康は、どうなってしまうのか?
何千万人の日本人が不安と不満と怒りを必死にこらえて…、生きている…。
その怒りやイライラが、時に噴出して、喧嘩や怒鳴りあいが多発している。
「分かってよ! もう放射能のことなど言うな! どうしようもないだろ!」
家族どうしが怒鳴りあい、夫婦であっても意見の違いで他人のような関係…。

こんな酷い国になってしまっているのに…、
一億の国民が空中に舞い散る放射能を吸って内部被曝し続けているのに、
その実態を知り抜いているのに、「大丈夫!」と言い続ける政府とマスコミ。
やっていることは、表土はぎ取るだけという「除染作業」。
あと福島の36万人の青少年・児童の甲状腺の超音波検査。これは大規模だ。
だけど、福島の子供たちをモルモット扱いしてるだけじゃねーか!
データを取るだけ…。山下俊一は大喜びしてるらしいが…。

もう日本という国は国家ではないのだ!
被曝している国民を救おうとせず、逆に、2千ベクレルの野菜を食わせる!
この国の政府は、殺人組織になってしまっている!
…こうハッキリと認識し、自覚できるかどうか?
…これが今後、生死の分かれ目になる。
…放射能地獄に生きながらも、キチンと対処していく人間だけが生き残る!
…絶対に生き残れる!
…絶対に生き残ってくれ! > 150万人の乳酸菌運動の仲間へ
<転載終了>

敢えて、内部被曝について、徹底論議!! その②

つむじ風さんのサイトより
http://hyouhei03.blogzine.jp/tumuzikaze/2011/11/post_be69.html
<転載開始>

低線量被曝が安全だって???



内部被曝は




どうよ!



という論議に挑む!






福島産米から630ベクレル/kgが検出された・・・
哀しむべき事だが、
予想されたことだ!!
とにかく、499ベクレル/kg以下は
流通しているのだ・・・・・


 この事は、既に指摘した。うっかり書くと『風評』と言われる。しかし、真実が明らかになると、それは『風評』ではない。その被害は『実害』であって、『風評被害』ではない。


 奇しくも、検出されたのはサンプル調査ではなく、自家消費米として保存していたものからの発覚である。生産者も自ら食する訳であるから、慎重を期したのであろう。当然である。


 それ以前に、499ベクレル/kg以下は、暫定基準値内であるから、問題にされることはない。これが意味するものは何か?


 枝野経産相(元官房長官)に伺ってみよう。

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 枝野さんは、『直ちに健康被害を及ぼすものではありません。』と何度も『安心』を与えてくれた。そして、国会では『私は、1年間食べ続けたら健康に影響の出る飲み物や食べ物について、1~2回食べても直ちに影響はないと言っただけだ。』と発言されて、ちょっと弁明された。



 日本人なら、お米は毎日食べる。一度二度では済まない。食べ続けたら、・・・・・考えるもおぞましい。そうは思わないか? しかし、選択は個人の自由である。


 既に、内部被曝は深刻であるとの情報がある。これは日本では決して報道されることはない。内部被曝禁句なのだ。


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 下記掲載の動画を視聴して頂けると、了解頂けるが、車両のエアフィルターの比較である。人間に譬えると、気管の粘膜、あるいは肺胞と考えることが出来る。


 これ以上、内部被曝を許すことは出来ない。せめて、口からの摂取は注意すれば防ぐことが可能だ。あるいは、これからの課題は、寧ろ、内部被曝の体内除染だろう。


 これが可能かどうかは、見解の分かれるところであろうが、これまで人間は幾度も不可能を可能にしてきた歴史がある。困難だが、挑戦する必要があろう。これについては、稿を改めて書く資料を持っている。その時に譲る。

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HAARPに地震波か?:研究用40 久しぶりの人工的電磁波か?

井口博士のサイトより
http://quasimoto.exblog.jp/16803987/
<転載開始>
みなさん、こんにちは。

いやはや久しぶりにHAARPモニターの話である。私は毎日見て観察しているが、このところ比較的安定していた。ところが、どうやら11月17日あたりから、奇妙に異常な活動が記録され始めている。これは地震電磁波ではないが、311のずっと前に活動し始めた、2・5ヘルツの電磁波に非常に近い。太陽風によるCMEもオーロラ活動もそれほどではないようだから、これほどの電磁波が出るというのは普通では考えにくい。だから、何がしかの人工的なものと考えられる。12月か来年1月に向けた仕込みなのかもしれない。要注意だろう。

宇宙天気ニュース
によれば、
2011/11/17 09:48 更新
Cクラスのフレアが頻発しています。太陽風はやや高速ですが、磁気圏は静穏です。


Magnetometer Chain
青の垂直成分が大きく、赤黒の水平成分が小さいのが、地震電波の特徴。今回のものは、黒線はそれほど大きくはないが、青色成分かなり大きな振幅で揺れている。


最近はこれには一カ所のデータしかないため、このデータから方角の特定はできない。
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11・17 6:30迄~11・13地震情報

日本気象協会 tenki.jpより
http://tenki.jp/earthquake/entries
<転載開始>

過去の地震情報

1~20件(全8908件)
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日付発表時刻発生時刻震源地マグニチュード最大
震度
2011年11月17日(木)6時22分6時16分紀伊水道M2.1震度1
2011年11月17日(木)4時44分4時40分三陸沖M4.7震度1
2011年11月17日(木)2時40分2時36分新潟県上越地方M2.2震度1
2011年11月17日(木)1時23分1時19分宮城県沖M3.8震度1
2011年11月17日(木)1時18分1時14分岩手県沖M3.8震度1
2011年11月16日(水)20時12分20時7分茨城県沖M3.4震度1
2011年11月16日(水)17時38分17時34分宮城県沖M3.5震度1
2011年11月16日(水)17時18分17時13分大阪府北部M2.3震度1
2011年11月16日(水)16時32分16時28分茨城県沖M3.0震度1
2011年11月16日(水)15時30分15時25分檜山地方M2.9震度2
2011年11月16日(水)8時36分8時31分静岡県東部M1.9震度1
2011年11月16日(水)5時1分4時56分茨城県南部M3.4震度1
2011年11月16日(水)2時30分2時25分福島県沖M4.3震度1
2011年11月16日(水)1時58分1時53分岩手県沖M3.6震度1
2011年11月15日(火)23時15分23時10分宮城県沖M3.8震度1
2011年11月15日(火)23時11分23時6分宮城県沖M3.6震度1
2011年11月15日(火)22時51分22時46分福島県浜通りM3.3震度1
2011年11月15日(火)22時19分22時14分熊本県熊本地方M2.0震度1
2011年11月15日(火)4時7分4時2分茨城県北部M3.8震度1
2011年11月15日(火)2時34分2時30分茨城県北部M2.7震度1
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レムリア物語

マブハイさんのサイトより
http://blogs.yahoo.co.jp/jennifer1215b/33285737.html
<転載開始>
以前に書きかけてて気に入らないので途中でボツにしていたものです。

レムリア都市からやって来て地球人と結婚したと言う、王女のインタビュー記事です。

ニューエイジ運動の一環かも知れませんが、最近ファンタジー物が少ないので載せました・・・


レムリア物語:ジョアンナ・チェリーによるSharula Duxとのインタビュー
http://www.lemurian.org/index.php/2011-07-15-08-41-24/2011-07-17-17-21-57/interviews/23-interview-with-sharula-dux-by-joanna-cherry
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シャルーラ・デュックス王女は何年もの間私が知っている女性です。

彼女のメッセージは驚くべきであり、それでもなお単純です。

彼女はテロス、シャスタ山の下のレムリア都市から来ています。

彼女は、彼女の文化を私たちの文化と共有し始めるために表面(地上)に来ました、私たちは互いに利益を得て、1つの全体の文明になることができるかもしれません。

彼女を知っていた数年間、何度か私はシャルーラの話を聞きました。

私は非常に注意深く聴きました。

私は、彼女が情報で矛盾したことを言ったのを一度も聞いたことがありません。

彼女はつつましいです、彼女はユーモアの良いセンスを持っていて、そして彼女の周りの人たちに多くの愛を与えます。

彼女は古い、賢明な存在のような感じがします。

1995年、シャルーラの許可をとり、私はテロスについて彼女が記録した2つのテープからの情報を、私と他の人が彼女に尋ねた質問に対する彼女の答えを私の記憶と組み合わせました。

私はインタビュー形式で行い、彼女はそれを了承しました。

JC(ジョアンナ・チェリー):シャルーラ、テロスはなぜ作られたの?

SD(シャルーラ・デュックス):2万5千年前に地球には主な2つの文明社会があったの。

1つは合衆国西の太平洋とアジアの一部に多くのレムリアや、そのエリアを含んだムー大陸に本拠地を置いていたのよ。

もう片方は、現在大西洋とアフリカとヨーロッパの多くの地域にあったアトランティスよ。

人類の残りの社会と政治的な進展に関して、これら2つの文明社会の間には意見の相違があったの。

レムリアは、地球のそれほど先進的でない文明社会が自由なままでいることを望んだの、そしてアトランティスは、彼らを支配するか、又はコントロールすることを望んでいたの。

長い戦争が2つの間に発生したわ。

これらの戦争は、それは激しくなったので(それらは熱核の弾頭さえ含み)、結局両方の大陸を沈めるカルマのエネルギーが動きだしてしまったのよ。


JC :熱核の弾頭を使った?私たちが今日見ることができるその証拠はあるの?

SD:イエス、ゴビ砂漠とサハラ砂漠よ。

戦争の後、レムリアのメルキゼデク司祭と女性聖職者の多くが未来の中を見て、そして大陸が沈むことを予言したの。

彼らは移動する場所を探し始めたわ。

彼らはレムリアの東部分にある、既に神聖であると考えられていた、彼らが次の激変に対して安全であると理解していた大きい山の中のシャスタ山に決めたの。

彼らは、地球が2つの大陸の沈没のショックから耐えるために、部分的に地下に建造することに決めたの。

そして地球本来の大気のマントルが、生活に表面上有害な紫外線がすでに進んでいたということが一部の理由だったの。

どこにそれらの都市を造るかを決める際に、彼らはシャスタ山の中で高さが何百フィートもありいくつかの大きいドーム型の大洞窟に出くわして、それがテロスのトップレベルになったのよ。

JC :それはなぜ「テロス」と命名されたの?

SD:合衆国南西部全体が「精神の連合」を意味するテロスと呼ばれていたから、それでその名前が都市の名前に選ばれたの。

4つのレベルがトップレベルの下で形成されて、全部で5つのレベル、そして都市は最高200万人の人々を収容するために作られたの。

JC :現在何人の人々がテロスに住んでいるの?

SD: 150万人、けれどそれはレムリアが沈む100年前にテロスに引っ越した、たった25,000人の人々から始まったのよ。

極めて少数の人々しか、沈没に伴った地震と津波と火山噴火から生き残れなかったの。

JC :それはいつだったの?

SD:およそ12,000年前。

JC :アトランティスはどうなったの?それらも同じく地下街を築いたの?

SD:イエス、ブラジルのマトグロッソ高原の下に。

JC :他のどこかにも地下都市はあるの?

SD: イエス、事実上アガルタ・ネットワークと呼ばれる地下都市全体のグループがあるわ。

レムリア人はアガルタ ネットワークのメンバーになれるように嘆願したの、でもアガルタ都市の人々は賢明で非暴力的なので、レムリアはその誤りから学び平和のコースに乗り出すことをアガルタに納得させなければならなかったの。
(だから)それをしたのよ。

JC :いくつの都市がアガルタネットワークにはあるの?

SD:120。

JC : テロスは正確にシャスタ山の下のどこにあるの?

SD: シャスタ山のベースの大部分にドーム型の大洞窟があって、そして、ドームの最上部が山のおよそ途中にあるわ。

地表面の約1マイル下に5番目の最も低いレベルがあって、各レベルは数平方マイルあるわ。

JC: 何がテロスの異なったレベルにはあるの?

SD:ドームの下のトップレベルは都市の主な部分なの、ほとんどの人々がそこに住んでいて、たいていの貿易がそこで行なわれて、それは私たちの公共建築物があるところなの。

それは テロスの心と魂よ。

私たちは寺院社会なので直接中央に1万人を収容するために建てられた寺院があるの。

それは、「リビングストーン」から作られている冠石、金星からの物質で、白くてピラミッドの形をしているの。

それは水晶のように見えて、そしてカラースペクトルのすべての光線を放射するのよ。
:

続く

新しい USDOLLAR が進行中?

マブハイさんのサイトより
http://blogs.yahoo.co.jp/jennifer1215b/33285560.html
<転載開始>
ずっと以前から同じようなことが言われていて「またか」と言う感じではありますが・・・


ボブ・チャップマンは新しい USDOLLAR が進行中であると報告します。
http://chasvoice.blogspot.com/2011/11/new-us-dollar-is-underway-reports-bob.html
新しいUSドル紙幣が計画されています。

情報が大手銀行と中堅クラスの銀行で共有されました。

その始動は12~18カ月で起きることが予想されます。

大きい切り下げが予想され、そしてたくさんの富が消滅します。

古いUSドルは世界的な準備通貨の役をしないでしょう、そして世界貿易の基準も同様であります。

ボブ・チャップマンは新しい USDOLLAR が進行中であると報告します。

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その予定表は、まもなくであるか否かにかかわらず、流動的なイベントによって引き起こされるシナリオですから誰も知りません。

彼は3週間前に物語を知らせました。

彼は中堅銀行の頂点における人々から直接情報を受け取ったと主張します。

彼は大手銀行ラインからの情報を持っていません。

これらの中堅銀行の経営幹部は、連邦準備銀行の会議に出席します、そして彼らはチャップマンに詳細を手渡します。

彼が報告します、「大手合衆国銀行は安全な安全な蓄積を清算するように言われています、なぜなら、彼らは新しい通貨を印刷する準備ができていますから。」

「それは Amero ではありません、それはおそらくあなたが持っているものと異なった新しいドルです。」

「それは進行中です。それはまだ印刷の段階にないかもしれません、しかし計画はそこにあります。」

「連邦準備銀行は、USドルがおよそ1年半で世界の準備通貨ではなくなるだろうと思っています。」

報告は具体的ではありません、しかし、回答は、USドルの死か又は拒絶のために計画される青写真は明確です。

チャップマンの web ログを見てください
http://bobchapman.blogspot.com/2011/11/bob-chapman-new-dollar-is-underway.html

彼らは従属的ですから、計画は中堅の銀行と共有されています。

また彼ら銀行幹部のような手先も人間ですのでチャップマンのような単なる人物にも話しかけます。

新しいUSドルが12~18カ月で、危機に対するアメリカの回答を開始することになっています。

私の見解では非常に大きな切下げ(国内経済の不快な物価インフレーション)が来ます。

巨大な憤慨を持つ外国の債権者に対して、恐らく強制的に直接摘要される相当な負債評価の切り下げになるでしょう。

USドルの終わりは近いです。

第三世界ドルの始まりは速く接近しています。

それらが恐怖の中で起きるとともに、その誕生はアメリカ人の面前で最後の冷水になるでしょう。

彼らの年金、長年の貯蓄とさらに多くが多分半分にカットされるのを見るでしょう。

最初の切り下げは30%から35%かもしれません、しかし、時間が経過した後、もっと多くの損失が保証されます。
:

(以下サイト主の予想が長いので省略)
<転載終了>

袴田死刑囚の供述テープが存在!

武山祐三さんのサイトより
http://takeyama-y.cocolog-nifty.com/blog/2011/11/post-85de.html
<転載開始>

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20111116-00000127-jij-soci

 私は、ふと気になって袴田事件というのを調べ直してみました。袴田死刑囚は死刑が確定してからも拘留され続け、実に45年という長期にわたって拘留され続けています。 

 それで、事件そのものについて改めて調べ直してみたのです。すると意外な事実がたくさん出て来ました。どうも真犯人は他にいるようなのです。この事件は限りなく冤罪に近いです。こういう事件が起こるからこそ取り調べ過程の可視化は必要であり、もしこの事件も取り調べ過程が明らかになれば、即座に再審請求が通り、無実が証明されるでしょう。その意味で取り調べのテープが存在した事は大変大きいと言えます。

 もし袴田死刑囚の無実が証明されれば、画期的な事であり、反面警察の威信は限りなく失墜するでしょう。

 しかし、真実は必ず存在するのです。私がちょっと調べただけで解るような問題ではないかも知れませんが、こういう明白な冤罪事件も珍しいと思います。

 日本で最も遅れているのは裁判制度であり、数限りなく冤罪事件が発生している現状は由々しい問題です。それも、事件発生から半世紀近く経っていまだに拘留されている死刑囚は悲劇以外の何ものでもありません。刑の執行がいまだ行われていない事だけが不幸中の幸いです。私ごとき素人が見てもはっきり冤罪が疑われる事件であり、裁判の鉄則で、「疑わしきは罰せず」という大原則がある筈です。

 検察側はテープの公開を拒んでいるようですが、何も問題がなければ公開は問題ない筈です。公開を拒むのは、裁判に重大な影響があるからに他なりません。即ち、公開を拒む事こそ冤罪の証拠です。

http://www.h3.dion.ne.jp/~hakamada/jiken.html

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イランを覆いつつある戦雲 Wayne Madsen

さてはてメモ帳さんのサイトより
http://satehate.exblog.jp/17101747/
<転載開始>
http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/2011/11/post-8019.html 2011年11月15日 (火) より本文

イランを覆いつつある戦雲 Wayne Madsen 2011年11月10日 Strategic Culture Foundation



イスラエルの、ワシントンにおける全能の圧力団体、イスラエル協力者、潜入者や、アメリカ合州国に対するあからさまな売国奴で構成されている組織、アメリカ・イスラエル公共問題委員会 (アメリカ・イスラエル公共問題委員会)が、アメリカ大統領、国務長官、米国務省外交局職員、あるいは、どの特使であれ、イラン政府の、いかなるメンバーなり代理と、公式であれ、非公式であれ、あらゆる種類の外交接触をおこなうことを禁ずる下院決議案1905号を利用して、強引に押し切り続けている。



大統領が、必要条件を通知した場合にのみ、委員会がイランとの外交接触を進めることが可能になるのだ。

イスラエルは、議会の外務委員会に対する事実上の支配力を持っているので、イラン当局者と接触する必要性についての、ホワイト・ハウスのあらゆる通知は、即座に、エルサレムにあるベンヤミン・ネタニヤフの事務所に伝えられこととなり、イスラエルが、あらゆる米-イラン交渉を出し抜けるというわけだ。アメリカ・イスラエル公共問題委員会は、アメリカ合州国を、更にユダヤ人国家の属国にしようとまで決意している。



イスラエルの戦略は、イランの核施設と、おそらくは他の標的をも攻撃するイスラエルの計画が、アメリカ合州国の外交界において、決していかなる反対にもあわないようにすることだ… イスラエルと、アメリカ合州国の権益を、はるかに超え、更には違反し、自国の権益を優先している。

地域における、イスラエルの秘密の同盟国サウジアラビアに支援され、イスラエルがイランを攻撃するという見通しに直面して、中東とアジア全体に、波及効果が及んでいる。

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ドクター中松「日本の”終戦”」を語る!!:日本は負けていない、停戦したのだ!2

井口博士のサイトより
http://quasimoto.exblog.jp/16781252/
<転載開始>
(つづき)

 一方、昭和二十年五月にベルリンに居た藤村義朗海軍中佐がスイスでルーズベルトの代理人キャノンと交渉し、米側は「満州、朝鮮、樺太、千島列島(北方領土)は日本に残す。台湾は蒋介石と交渉してくれ。この条件で停戦しないか。和睦は急いでやりたい。」と驚くべき提案をして来たが海軍軍令部はこれを受けなかったと藤村中佐自身から私は聞いた。これを継承したトルーマン大統領は、日本を降伏させるのは不可能で、どうにも打つ手が無く、手づまりだから「ポツダム宣言」というフェイントのような宣言を出した。これは又、原爆投下をする言い逃れにもしたのである。なぜフェイントのようかというと戦後、米、英、支のポツダム宣言の書類の実物を見ると、トルーマンしか署名していない事が判った。イギリスもシナも署名していなかった。これから見るとトルーマンの一人芝居だったことが史実として判明した。そしてドイツ攻撃用に急いで実験的に作ったファットマンとリトルボーイの一つづつの二つしかない原爆を投下し、同時に数百個の原爆があるとウソの宣伝をして日本をおどした。
 このフェイントのようなものに、まんまとお人よしの日本政府は引っ掛かってそのままのんでしまった。これにはろくな返事も来ないだろうと思っていたトルーマン大統領自身もビックリした事だろう。
 陸軍参謀総長、海軍軍令部総長という戦う陸海軍の責任者は前述のように本土決戦は勝つ見込みが充分あるから、天皇陛下の御前会議でもポツダム宣言受諾に絶対反対し戦争継続を主張したのであるが、天皇陛下が終戦の御聖断を下されたのである。
 この会議室の入口で、特攻の海軍現場責任者の海軍軍令部次長の大西滝治郎中将が「あと特攻機が千機あれば勝てます(実際は既に三千機が用意されていた)。」と意見具申したが拒否されたので、大西中将はこれに抗議して切腹した。切腹の介錯も頼まなかったのは怒りの表現であろう。一方本土決戦の帝都の空の護りとして厚木にある無傷の帝国海軍航空本土防衛隊は、零戦設計者堀越二郎の新設計の四翼プロペラ延長回転軸式新型迎撃戦闘機「雷電」


や川西航空機製「空戦フラップ」付の新鋭機「紫電改」


などの一万機が厚木航空隊に温存され、強くて米軍から恐れられたラバウル海軍航空隊などから集められた歴戦のベテランパイロットが手ぐすねを引いて待っており、厚木海軍航空隊小園司令は終戦命令に絶対反対で最後まで降伏しなかった。
右の如く終戦時には「日本は負けていなかった」のは歴史的事実である。
 そして「終戦」の実態は「負ける」どころか「血気にはやり、戦いたい」陸海軍や士気旺盛の国民に終戦を説得し抑えるのが大変だったというのが歴史的事実である。
しかしポツダム宣言に対して日本政府は「これは敵から申し出た和睦の条約」とまじめに甘く考えていてこれに乗ってしまったのである。アメリカの新聞は大喜びで「日本は無条件降伏」と事実とちがう報道を行った。アメリカの提示したポツダム宣言自体、八つの条件付であり、これに加えて日本政府は「国体護持」という条件付きで受諾したので、計九つの条件付和睦で「無条件降伏」は事実に反するのである。又、ポツダム宣言にも日本の国としての無条件降伏とは一字も書いていない。戦後の日本人が洗脳されて「敗戦」だとか「日本が無条件降伏した」と思っているのはまことに嘆かわしい。

 さて日本は歴史上負けたことがなく、前例が無いので終戦のやり方が非常にまずかった。通常どんな契約でも必ずネゴをして味方の条件を良くするものだ。現に藤村中佐のスイス交渉では、ルーズベルト大統領が「満州、朝鮮、樺太、千島列島は日本に残す。台湾は蒋介石と交渉してくれ。」と言っているのだから、この線に戻すことは可能性大だったのだ。だが今も昔も変わらぬ外国との交渉下手の日本政府はネゴをしなかった。ところが和睦の条件の武装解除をして日本に武力を無くすると、アメリカは次のステップとして、日本の陸海軍を廃止させた。これはポツダム宣言に入っていない。更にアメリカはハーグ国際条約に反してアメリカ原案の憲法を日本政府に呑ませ、日本の政治家は一人として抵抗する「男」がいなかった。これは今日迄統いている。

 又、進駐の翌朝から進駐軍は軍政を敷き、B円という占領軍貨幣を使わせ、日本経済をコントロールしようとしたが重光外務大臣と側近の岡崎氏の命を懸けた交渉でこれだけは阻止した。軍政と通貨は、ポツダム和睦条件に入っていないのだ。あたかも徳川家康が大阪冬の陣の和睦条件に外堀を埋めることとし人のよい豊臣方が呑んだら、内堀も埋められて、次に難癖をつけられ夏の陣で滅ぼされてしまったのと同じ手法だ。先に述べたようにアメリカは国際法で禁じられている行為、占領軍による憲法制定を強引に日本政府に呑ませ、占頷下で手も足も出ない日本政府は屈服した。軍人は切腹したのに政治家はこの不法行為に抵抗する「男」が誰もいなかった。
 一方、ソ進は日本との不可侵条約が厳として存在しているのに、日本が終戦の仲介を依頼しているのを知りながらノラリクラリとこれを無視し続け、日本に宣戦布告をした。樺太や千島列島の日本軍は上陸するソ進軍を撃退し、又、関東軍と朝鮮軍は旺盛な士気で朝鮮半島北部でソ連軍を待ち構えていた。しかしソ進軍は、終戦後不法に北方領土を占領したのみならず支那大陸にいた六十万人もの純心な日本兵を「帰国させる」と偽って貨車に乗せ、シベリアに拉致し、重労働させた上、洗脳されないものは帰国させないと脅して共産主義教育を叩き込み、共産主義に洗脳された兵のみ帰国させ日本の教育界、マスコミ界、労働組合、演劇界にもぐり込ませた。そしてGHQと共に日本を左傾させ、学生も勉学そっちのけで革マル、中核、赤軍派など学生運動を繰り広げてこの学生が今や成人して政治家となり偏向した現政府の幹部となって日本を動かしている。そして産業も沈滞し道徳は乱れ、これらは現在日本が弱体化している基本的要素となった。
 この「終戦」の実情、つまり「戦意旺盛の陸海軍や頑張っている全国民をいかに説得してやめさせるか」が終戦にするには大変な事で、「敗戦」どころの状態ではないのである。この実態を知らない最近の日本人は「終戦」を「敗戦」と言い変えているのは史実に反する。右に事実を説明したように実際に負けていない「終戦」と、負けたという「敗戦」は全く違うのだ。
昭和一桁初期以降に生まれた若い人は右に述べた本当の歴史を知らない。だから日本政府の正式名称であり理論的に正しい「大東亜戦争」(太平洋だけでなく、ビルマ・インド等も含めた戦争)を米軍の言う「太平洋戦争」に言い換えたり、日本政府の正式名称「支那事変」を「日中戦争」と言い換えたり、国際間の正式国名の「チャイナ」又は「シナ」と言わず相手におもねって、又はお世辞で「中国(世界の中心の国)」と言っている。「支那事変」は日本政府が正式に国家間での戦争と認めていないのだから、日本政府は「事変」と言っているのであり、この事実に反しているのを知らないで「戦争」というのは理論的にも誤っている。又、「わが国」と言わず、他人の国のように「この国」と言っている人も洗脳されている人である。
 占領軍は日本占領中新聞や手紙の検閲を行って「大東亜戦争」の使用を禁止し「太平洋戦争」を公文書に使うよう強制したが日本は独立している今もって間違った表現の「太平洋戦争」という名前を使って占領軍のトラウマに囚われているのだ。
さて終戦の詔勅の文章を協議する会議で詔勅原案の中に「戦勢日に非にして」という文章があり、某大臣から「日本は勝ったのか負けたのか?」と質問が出たのに対し阿南陸軍大臣は「勝ち負けの定義を「日本が支配している地域の大きさと兵の士気」とすれば、日本が戦争を始めたときの面積と現在(終戦時)の面積を比較すれば、現在(終戦時)の面積の方が大きい。つまり日本はこの戦争で勝っていることになる。しかも兵の士気は旺盛で日本は最後には必ず勝つと信じている。」と答え詔勅原案「戦局日に非にして」は「戦局必ずしも好転せず」と訂正された。阿南大将は「本土決戦をやれば日本は負けないので、本土決戦のあと講和を結ぶ」との陸軍の主張が聞き入れられず、御前会議で終戦が決定されたので、いさぎよく切腹した。これは計画されていた大掛かりな陸軍のクーデターも抑える効果もあった。介錯も断った見事な切腹だった。
この様な信念と責任感旺盛で主張が通らなければ最後には自分の命を堂々と切腹して絶つという大臣は現在の日本の大臣に誰一人いないのは、日本人が終戦後いかに堕落してしまったかを示すものである。
 右のように終戦時は日本軍に停戦を説得するのが大変で、まして敗戦ではないのが事実だ。
終戦の詔勅について私の小学校も大学も同じ迫水久常書記官長(現在の官房長官)と私は公私ともに非常に親しく迫水さんから終戦の御前会議の模様など色々重要な話しを直接迫水さん本人から問いた。
御前会議でおっしやった天皇陛下のお言葉をラジオで全国民に伝える正式な勅語の文章作成を迫水さんが任され、迫水さんが一高で教わった漢文の先生である漢学者川田瑞穂に文章作成を依頼され原案を作成した。これを大東亜省顧問の陽明学者安岡正篤が手を加え、とくにこの詔勅の原文の中に「義命の存する所」という言葉が重要であった。
全大臣が終戦の詔勅の文章を協議する会議が十一日夜から十三日夜迄続き、訂正箇所が四十ケ所もあり、特に重要だった「義命」という言葉が某大臣から「辞書にないから「時運」にしよう」と提案があって書き直されてしまった。そして「義命の存する所」が「時運の赴く所」に変更され正式の終戦の詔勅になった。
 私の名前は「義郎」だが、この「義」という意味は「道徳に基づく人として行うべき正しいこと」の意味で「義命」とは「信以て義を行い、義以て命を成す」意味であり 『「義命」の存する所』とは普通にいわれる大義名分よりもっと厳粛な意味を持っている。国の命運は義によって造られて行かなければならない。その義は列国との交誼においてもその治政においても信でなければならない。その道義の至上命令に示す所によって終戦を選ぶのであり敗戦ではないという意味である。簡単に言えば『日本はこれからは道徳に基づく正しい方向を行くべきだ』との意味であるが『「時運」の赴く所』は「時の流れのままに」という意味で、全く違う意味になってしまった。
だから今日でも日本は「時運の赴く所」つまり世に流されフラフラ流されてリーダーシップがなく国是も定まらない誇りのない国になってしまった。」と迫水さんが私に嘆いた。
又、終戦の御前会議で東郷外務大臣が陸軍が主張したソ連を仲介者にするという案に猛反対し、仲介者を入れるなら「蒋介石を仲介にしたらどうか」と提案があったが近衛文麿が「蒋介石を相手にせず」という声明を出し「汪兆銘による南京政府」が日本によりつくられているので「蒋介石仲介はまずい」と横槍が入り、それではと不可侵条約を結んでいるソ連を仲介者にした。結果はご存知の通り最悪で、ソ連は不可侵条約を結んでいる日本にかくれてヤルタで米英支と日本をやっつける会談(ヤルタ会談)にこっそり参加し、日本からの情報はソ連を通じ連合軍に筒抜けになっていた。毛沢東の中共軍と戦っている蒋介石は中共に勝つため日本に助けてもらいたいので日本に非常に有利な条件で仲介しようと考えていた。戦後蒋介石は「なぜ自分に相談しなかったのか。自分に相談したならもっとよい条件で日本が終戦出来たのに」とくやしがったという。
先般あるテレビ番組で「中国戦線で敗走する日本兵」というコメントと映像が出た。私の記憶では支那事変で日本が負けた戦線は知らない。
 そこでその担当者を呼び「どこの戦線で日本が負けたのか」と質問したが返事がなくごまかすので再度追求すると、結局「根拠がありませんでした」と白状し「おわび」が回答だった。国の権威に関わる事実無根な「日本軍の敗走」を国民に誤報して、これを放送で訂正せず口頭の回答で「おわび」でお終いにしている無責任さ。歴史を知らないのである。元大蔵大臣の塩じいこと塩川さんも支那大陸に従軍し「支那戦線で武器を持っていなくても日本軍の軍服を着ているだけで支那兵は逃げた」と体験談を話している。
 ところで私は最後の海軍将校生徒であり、又、最後の東京帝国大学生でもある。戦時中の東大総長は世界に誇る一万トン重巡の設計者平賀造船中将だったし、東京都知事は陸軍教育総監の西尾寿造大将(その長男は現在ドクター中松創研の取締役営業部長)だったが、終戦時も日本のエリートは追放され戦後の東大は左翼の南原総長になり、占領軍によって「ゼロ戦」を作った東大航空工学科、世界一の戦艦「大和」を作った東大造船学科、戦後の米軍テストで米最新型グラマン戦闘機より命中精度が高かった事が証明されたゼロ戦の機関砲を追った西村教授の東大造兵学科など日本を強く支えた研究の学科が強制的に廃止されただけではなく、東京帝国大学正門にあった「菊の御紋章」がはぎ取られ、名前も「東京大学」となり、「東京帝大」が「東大」になった。名前だけではなくこの新制東京大学の学力レベルは旧制東京帝国大学よりも四年以上下に学力レベルを下げてカリキュラムが組まれた。麻布時代の成績が下の方の私の友人でも実際新制東京大学に人っている。私達東京帝国大学学生十人に対して二十人の教授陣が取囲んで最高レベルの教育をし、最高の実験装置を持つ東京帝国大学は世界のトップレベルだったが、新制東京大学の世界ランキングは今年は世界二十四位までに落ちている惨状だ。又、東大の学生自治会は完全に左だった。私は中立の丁友会理事として学生の健全化に努めた。
 日本は軍隊の強さも世界一(マッカーサーが議会で証言)だったが戦後経済でもスイス、イギリス、ドイツを抜きGDPはアメリカに次ぐ二位となり、次にアメリカも抜く勢いで、アメリカでは日本を恐れて「ジャパン・アズ・ナンバーワン」という本も出たくらいだ。そして一九九三年には日本人の個人所得はアメリカ人を抜き世界一になった。戦争にもビジネスにも強かったのは当事の日本人が青年時代に兵隊に行き、気力も体力も鍛えられ、又、まじめに高度な勉強をした昭和一桁初期の日本人(これを私は「超経験者」と言っている)による努力の結晶なのだ。しかし占領軍による日本弱体化政策により戦後育ちは勉強も怠り、徴兵にも行かず、体力も気力も鍛錬されていないので、体力的にも気力的にも弱く知識経験も少なく、国際競争に勝てない。最近の日本の男はすぐ泣く。山一證券倒産の時に社長が泣いたのはその象徴だ。最近の若い男は草食系と言われ、やる気がなく泣き虫で、私が教えているハーバード大学やMITに日本人留学生がいない。最近の日本人は留学するファイトもないのだ。シナや韓国人が多数外国一流大学に留学しているというのに。
 そして日本のGDPも二位から三位に後退し日本人の個人所得もかつての世界一から現在二十七位に落ち込んでいる。日本はこの状況から脱却せねばならぬ。それには「超経験者」を指導者にして次世代若者を十五歳から全寮制で肉体と気力を鍛え、道徳修身を勉強させ更に世界より高いレベルの教育をしてゆく事が日本再生の基本なのである。
戦争中、私の家の玄関ドアに鍵をかけなくても泥棒が人らなかった。しかし終戦後、同じ私の家で厳重な鍵をかけても何回も泥棒に入られたことでも判るように戦時中立派だった道徳心が高い日本人に比べ、修身を廃止した戦後の日本人の道徳の疲弊は驚くべきものがある
 もう一度言う。「日本は負けていなかった」
これを裏付ける賀川豊彦のマッカーサーヘの終戦直後の手紙の一部を添付する。
『マッカーサー総司令官閣下』
陛下の詔書の一分前まで全国民の戦意は燃えに燃え陸海空三軍の銃口が一様に貴官各位の胸に向けられていた事も事実なのです。
 総司令官閣下
 貴官は去る28日の厚木進駐の指揮者から進駐が平和的に日本側の満足すべき心づかいの中に先遣部隊の進駐を終了した報告を受けられたでしょう。
 そして閣下は多数の日本人を眼前にされたでありましょう。そしてまたその日本人が口をキッと結んでいる表情に気がつかれたことと思います。 日本人は最後まで戦うつもりでいました。おそるべき原子爆弾がやがてわが身に落下するということを予想し覚悟しなかった者は只一人もありますまい。またたとえ身は焼かれても粉砕されても戦争は陛下の指揮のあるまで続けてゆかなければならぬことを毛程も疑った日本人は一人もなかった事も事実ですが、それが、陛下の詔書によって戦争から平和へ完全に変向しました。その決意の固さと新しい理想へ出発への努力が閣下の見られる日本人のキッと結ばれた口もとの表情なのです。この様な民族が、国家が他に例を見ることができたでしょうか。』
 最後に日本全国民が、もう一度「終戦の詔勅」を読むことを提案する。そして負けていないのに終戦した無念さを思い起こし、そこに書かれている陛下が示されたこれからの日本の指針「総力を将来の建設に傾ける事」「正しい道を進みその心を堅持」「国体の真髄を発揚」「世界の流れに遅れを取らぬよう」を全国民が実行することが、我が国を立派だった古き良き日本に甦らせることなのである。
 繰り返すが今迄「敗戦した」と殆どの人が思っている事は間違いであり、史実は「日本は負けていなかったのだ」という事を再認識し、これからの各人の行動を百八十度転換する事が日本再生の第一歩であることを確信し、日本が立ち直る起爆剤にするために本論文を発表したのである。
<転載終了>

ドクター中松「日本の”終戦”」を語る!!:日本は負けていない、停戦したのだ!1

井口博士のサイトより
http://quasimoto.exblog.jp/16781241/
<転載開始>
みなさん、こんにちは。

いやー、ねずきち氏の紹介しているこの記事は実に面白い。かの「ドクター中松」こと、中松義郎博士


の「終戦」の記憶である。

ねずきちの ひとりごと
【拡散希望】日本は負けていない!

http://www.apa.co.jp/book_ronbun/vol4/yushu2011japan.html
 昭和二十年八月一五日正午、その日は天文台によると三十三度で特に暑かった。突然「第二種軍装(夏用麻製仕立)ノ正装ニテ至急整列スベシ」との館内モールス信号で校庭に集合し直立不動で汗を流しながら待つ我々帝国海軍機関学校最後の海機五十八期生(昭和二十年に海軍兵学校と合併)は、最後の帝国海軍将校生徒として整列しラジオから流れる玉音放送を聞いた。
海軍機関学校の入学試験の体格検査で七十五センチだった胸囲が入校後の猛訓練と猛鍛錬で僅か三ケ月で百四センチになった巨大な胸が歴史上初めての玉音放送に大きく高鳴った。
 しかしラジオの雑音が多く、よく聞き取れない。
「本土決戦が近いので頑張るようにとの天皇陛下御自らの激励のお言葉」と全員が受け取った。当時の日本人は全国民が「歴史上敗れたことがない神国日本は最後には必ず勝つ」と信じており、全国民誰一人として日本が負けるなどと考える者はいなかった。特に軍は全軍士気旺盛だった。
 現に私のいた舞鶴軍港は二十四時間軍艦を造るリベット音が絶えず、食糧、武器、弾薬が豊富で、いつでも敵を迎え撃つ準備が連日連夜進められていた。 会 原爆研究については陸軍が東京帝大の仁科博士と理研に開発を依頼した「二号研究」 (海軍は京都帝大と「F研究」)として行い濃縮ウランは海軍が潜水艦でドイツから運ぶ手配がされ、出来た原爆の第一弾をハワイに落とす作戦を杉山参謀総長は陛下に上奏したが、陛下は「原爆という非道なものは使うべきでない。 特にハワ イには日本人が多いので却下する。」となり杉山参謀総長は解任され、東條首相が参謀総長を兼務することになった経過がある。
 この様に非人道的爆弾と陛下が認識されていたものを日本に落とされたのだから陛下の衝撃は大きく終戦する一つのきっかけになったと思われる。
 しかし杉山参謀総長は、原爆開発を継続したのだ。軍人は戦争に勝つために打てる手を全て打とうとする。しかしそれは陛下の御意向に反しているので原爆を造って勝っても、原爆を造らずに敵に原爆を使われて負けても、いずれの場合にも杉山参謀総長の責任なので切腹すると誓い終戦直後に切腹した。元来日本は武士道を基に戦争を行ってきたのである。
陛下は米の原爆に対し非道だと禁じた原爆で応じたのなら「人類の文明が滅亡する」と終戦を御聖断された。米が原爆を落とせば日本もこれに応じて米に原爆を落とす。このことによって日米の多数の人が死に、この原爆戦争が世界に及び世界中の人が死ぬ。これを防ぐために米が日本に原爆を落とした時点で終戦にされたのであって、日本が原爆を落とされたから、または負けたので終戦にしたのではない。日本は負けていないのに終戦したのである。

 これを文章にしたのが終戦の詔勅「敵ハ新ニ残虐ナル爆弾ヲ使用シテ 頻ニ無辜ヲ殺傷シ 惨害ノ及フ所 眞ニ測ルヘカラサルニ至ル而モ 尚 交戦ヲ継続セムカ 終二我力民族ノ滅亡ヲ招来スルノミナラス 延テ人類ノ文明ヲモ破却スヘシ斯ノ如クムハ 朕何ヲ以テカ 億兆ノ赤子ヲ保シ 皇祖皇宗ノ神霊二謝セムヤ」であって、終戦の理由は負けたからではない、という意味である事を読み取ってほしい。

 翌日の八月十六日には帝国海軍航空隊による米本土突撃大作戦が予定されており、その猛訓練が行われていたことを陛下はご存知なかっただろう。この作戦が実行されていればドゥーリトルの東京空襲によりミッドウエイ海戦の日が繰り上がったのと同じに米軍は、十月予定の本土決戦を急濾九月に繰り上げた結果、天候の条件も加わり日本が勝利する展開になったのではないか。
 いつどこに敵が上陸するか、日本陸軍参謀本部と海軍軍令部の想定は、時期は九月又は十月、上陸地点は九州南部(「陸軍作戦名「決号・第6号」海軍作戦名「天号」。さらに翌年関東の九十九里浜に上陸)。この日本軍側推定は米軍上陸作戦計画(米軍名「オリンピック作戦」(九州)「コロネット作戦」(関東)の「ダウンフォール作戦」)とピッタリ一致して日本は見事米軍の動きを見透していた。
 陛下は侍従武官を九十九里浜に遣わして防衛体制を調べさせたが侍従が「防衛は全くされていません。」との報告をお聞きになったことが終戦を決断された一因と伝えられる。この時九十九里浜で訓練していた三千人の「伏龍」隊はシールドにかくれていて侍従武官に見えなかっただろうし、又、米軍は九州を先に攻めると想定されたので、日本軍の陣立は九州南部を先に固め、そのあと九十九里を固めようとしたのであるので、陛下に上奏された終戦を決定する情報の一部に重大な誤りがあったのは残念だ。
 これは開戦時の宣戦布告をワシントン大使館の怠慢により米国務長官への提出が遅れ、日本の騙し討ちという口実を与えてしまったことと同じ位に大きなミスだ。
 本土決戦の火蓋がきって落とされた後をシュミレーションする。先ず米軍は上陸地点の南九州に原爆を落とすだろう。しかし陸軍参謀本部堀少佐率いる特殊情報部が原爆コールサインを五時間前に傍受していたので、近くの海軍大村基地の紫電改が発進し、B29を太平洋上で撃墜。ついで艦砲射撃するため日本に近づいた米軍の日本本土上陸作戦に対する日本軍の準備は、完成した三千機の特攻専用機「劍」


が、上陸しようと集まった敵艦艇に突っ込み、多くの敵艦を撃沈撃破し、水中からは千隻の特殊潜航艦「蛟竜」


(海軍兵学校校歌「江田島健児の歌」の「地に潜む「蛟竜」からとった名」から泡の航跡が全く残らない日本海軍の世界に先駆けた発明九三式酸素魚雷が発射されて敵艦艇は次々に轟沈する。この猛攻撃からしぶとく残った敵艦に対し、岩陰に隠れていた海軍兵学校六十九期満野功大尉率いる第六十七震洋隊江ノ浦(静岡三津浜)など三千隻の「震洋」爆突特攻艇


が轟々と暁に発進し残る敵艦や上陸用舟艇に勇猛果敢に体当たり。それでも残る敵艦艇からかろうじて発進した敵の上陸用舟艇に対しては波打ち際の水中に展開する五式撃雷を待って潜む予科練出身者や海軍陸戦隊古兵の精鋭から成る三千人の「伏龍」隊


が上陸用舟艇を爆沈させて波打際に寄付けないようにする。それでもかろうじて上陸した敵兵を五重の陣地で固めた世界最強の本土決戦部隊が米戦車より強力な新開発五式重戦車と共に待ち構える。敵戦車に対しては最新鋭の「ロタ砲」


で、敵戦車M2を遠方から撃破し、更に敵が近づくと「櫻弾」


で厚い装甲を撃ち破り、もっと近づくと決死隊がチビ(ガラス球に人った青酸がス)を戦車のスリット窓にぶつけて操縦者の目潰しをし、次にキャタピラ破壊扁平爆弾を敵戦車のキャタピラの下に挿入してキャタピラを破壊し、敵戦車を動けなくし、止まった戦車本体の下に戦車爆雷を挺身突撃隊が放り込んで擱座させる。

 一方、上空の敵機には大東亜戦争決戦機として開発された世界最強(戦後アメリカの実験で時速最大六九〇kmを記録し最高傑作機と評価された。)の中島飛行機製二千馬力四式戦闘機「疾風」


やゼロ戦の次世代戦闘機堀越二郎設計の三菱製「烈風」


が敵グラマンF6F、ノースアメリカンP51を次々と撃ち落す。更にB29キラーとして海軍空技廠設計九州飛行機先尾翼型機首と強力三十ミリ機関砲四門搭載の「震電」


が時速七百粁以上という米軍戦闘機、B29より早い世界最速スピードで敵戦闘機に追い付き敵機を一撃で撃墜する。又、B29の前方上空に廻り込んで四門の砲でアッという間にB29を撃墜する。種子島海軍大佐が開発し石川島重工業製の世界初のジェットエンジン搭載の双発ジェット戦闘機「橘花」


がB29を攻撃。甲液「過酸化水素オキシノリン・ピオリン酸ソーダ」と乙液「水化ヒドラジン・メタノール・銅シアン化カリウム」を一〇〇対三六でミックスした脅威の推進力で今迄達しなかった一万二千粁の成層圏まで従来型の飛行機では十数分かかったのを僅か三分五十秒で急上昇できる時速九百粁の画期的無尾翼型ロケット戦闘機「秋水」


がその先頭部に搭載する強力三〇ミリ機関砲二門が火を吹きボーイングB29を一撃で次々と撃ち落すとして行く。運よく残ったB29も新開発の二万米に達する新高高度高射砲で撃墜されて行く。
だがこれら最新戦闘機を動かす燃料はどうするのか?

 そもそも大東亜戦争が始まったきっかけは軍艦や航空機に必要な石油を米英蘭三国が対日輸出禁止して日本経済を窒息させようとし、これに対してワシントンに交渉を行った甲案提示の野村海軍大将(大使)と東郷外相の秘策乙案を持った来栖大使が追いかけて米側と交渉。ほぼアメリカが合意し日米和平が実現しようとしたのに対し、その翌日引っくり返り「日本の全権益放棄とシナ大陸からの日本陸軍の全面撤退」を要求する蒋介石の言い分を通した文章を共産主義者でソ達のスパイであったアメリカ国務次官補が草稿を書き、ハル国務長官がそれに署名した「ハル・ノート」の回答に、これでは日本は到底合意できないので日本が大東亜戦争を始めたというのが第一の理由だ。
 この戦争を始める理由になった燃料については、私の先輩で百歳の長寿を全うした帝国海軍機関学校第四十期生木山正義機関中佐と、又、私の先輩東京帝国大学工学部桑田勉教授の研究により南方からの油を頼る事なしにパイン・ルート・オイルから終戦直前十年分の燃料を創り出したのだ。これに加えて更に「太陽と水と大地」があれば永久に生産出来るバイオ燃料を創り出す事に成功した。しかも空襲に耐えるため蒸留工場を全国に分散して建設し、製造した。この蒸留装置製造を実現できたのは海軍艦政本部が木山中佐の依頼に全面的に協力し蒸留装置を急速に造り全国に設置したからである。これで日本は永久に戦える燃料を終戦前に用意できたのである。

 本土決戦では日本は必ず勝つとすべての陸海軍参謀は確信していた。一方、アメリカ軍上陸攻撃隊司令官は戦後日本軍の陣立てを見て驚嘆し「米軍は上陸に三回失敗しただろう。上陸に三回失敗すれば米軍の戦力はほとんど消耗し、戦争はベトナム戦と同様な状態となり、アメリカ国内で戦争反対の世論が起こりベトナム戦で米軍が負けたと同じく米軍は日本から敗退せざるを得ない。もはや戦えないので日本に和睦(降伏)を申し出るしかなかったであろう」と述べている。
 ポツダム宣言を発した米国大統領トルーマンは、急死したルーズベルトから戦争を引き継いだとき「日本の国土は九十%が山森であり、攻めるのが非常に困難な地形である。しかも廻りは海で近づきにくい「不沈空母」である。地形のみならず無傷の七百五十万の世界最強(マッカーサーが議会で証言)の日本陸軍が本土と東南アジアに展開し、この敵とどう戦いどうやって打破する事が出来るか見当もつかない。」と溜息して日記に書いている。
 実は日本を空襲したB29から「アメリカは鉄が不足して船をコンクリートで造りはじめたり、男のパイロットが不足して女が飛行機に乗ったりしてアメリカは青息吐息だ。日本人よ、もう少しでアメリカが参るから、ガンバレ」というビラが撒かれた。恐らく乗っていた日系二世が日本上空から撒いたと思われる。

(つづく)
<転載終了>

福島第一原発の現地映像~限定取材に海外ジャーナリスト反旗!

井口博士のサイトより
http://quasimoto.exblog.jp/16780976/
<転載開始>

「でもねえ」
「原発は安全だって。危険なのは操作のミスで、原発そのものに危険はない」
「絶対ミスは犯さないから、問題はないって抜かした奴は、許せない」
「あいつらみんな縛り首にしなくちゃ」
「死んだって死にきれないよー」

「大丈夫。そりゃー、放射能がちゃんとやってくれますよ」

黒沢明「夢 赤富士」より



みなさん、こんにちは。

いやー、久々に原子炉被災、福島第一の話である。

最近、民主党政権になり始めて、ジャーナリストに「命の見学」が許可された。その模様を録画した映像である。

福島第一原発の現地映像~限定取材に海外ジャーナリスト反旗



いずれにせよ、この人々は「放射能」の怖さを全く理解していないようですナ。


おまけ:
黒沢明の「正夢」:「赤富士」、福島原発爆発と富士山大噴火と放射能汚染を描く!
<転載終了>

NHK「チェルノブイリ原発事故その10年後」 ネステレンコ教授パート書き起こし

さてはてメモ帳さんのサイトより
http://satehate.exblog.jp/17101169/
<転載開始>
http://blog.goo.ne.jp/jpnx02/e/d02defe21817584175d2d224922ef7ce より

NHK「チェルノブイリ原発事故その10年後」 ネステレンコ教授パート書き起こし 2011-11-12 11:55:08


驚くべきデータが語られる。  原子力物理学者ワシーリー・ネステレンコ教授

http://famasaki.com/japan/20110401010746/


(原子力物理学者ワシーリー・ネステレンコ[Vassili Nesterenko, 1934-2008]@ベラルーシ)

原発を保有している国々は、チェルノブイリの事故(1986年4月26日)から何の教訓も得なかったように思えます。ベラルーシ共和国の人口はおよそ1000万。その四分の一はチェルノブイリの周辺地域に住んでいます。しかも子どもが50万人もいるんです。事故からもう10年以上経つのに、そういう人々の安全はいまだに確保されていません。そんなテクノロジーが存在していいものでしょうか。




あの事故の後、私は西側諸国の原発を見学しました。しかし彼らは、「あなたの国の原発と違って、我が国の施設は極めて安全です」と言うばかりでした。そして万が一のときの安全対策も、半径20、30キロの距離でしか考えられていませんでした。200キロ以上離れていてもまだ危険だというのに。

(ナレーション)
ネステレンコ教授はチェルノブイリ事故の直後から被害の拡大を少しでも抑えようと努力してきました。そして1990年から93年にかけてベラルーシ、ウクライナ、ロシアの三ヶ国にまたがる専門家独立委員会を組織しました。独立委員会は独自に調査を進め人々の受けた被害が国際原子力機関の公式発表より大きなものであることを訴えています。

(ネステレンコ)
チェルノブイリに隣接した地域から取れる作物は今後数十年間汚染されたままでしょう。ベラルーシには甲状腺ガンに侵された子どもが驚くほどたくさんいます。事故から10年以上もの間、放射線に汚染された食べ物を摂り続けているせいで、住民の免疫力は著しく低下しています。さまざまな感染症に対し、とても弱い状態になっているんです。私はそれを核によるエイズと呼んでいます。
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敢えて、内部被曝について、徹底論議!! その①

つむじ風さんのサイトより
http://hyouhei03.blogzine.jp/tumuzikaze/2011/11/post_5d3f.html
<転載開始>

低線量被曝が安全だって???



内部被曝は





どうよ!


という論議に挑む!


内部被曝について

詳細に語られる事はない・・・!
何故か??
脱原発論議を起こさないことにある!!
脱原発、核兵器廃絶に繋がる!?


 何処までも懲りない人間どもであろうか? そう判断せざるを得ない。


 特に、


 日本は広島・長崎を経験しているのである。就中(なかんづく=とりわけ)、直近には東海村原発事故があって、尊い作業員の命が悲惨にも失われた。他山の出来事だが、チェルノブイリの事故も記憶に新しい。





 それにも関わらず、その惨禍を思い起こすことはない。その事変・事故の痛ましい被害は、直後の高放射線被害もさることながら、さらに痛ましいのは、その後の内部被曝である。


 これは明らかだ。広島・長崎で、所謂、『爆死』した数の十数倍の人々が、内部被曝で命を落とした。これはチェルノブイリでも同じだ。これは伏されている。広島・長崎でその後100万人と見積もられている。チェルノブイリでもその数に相当する。これは拙ブログで既載した


 何故か?


 表題のごとくである。


 ウソだと思うなら、確認されたい。そして、検証されたい。その杞憂を表現すれば、『放射能コワイコワイ病』と揶揄される。狂っている。


 それは、これから『フクシマ』で再現されないとは限らないのだ。寧ろ、その杞憂の方が正当であろう。


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人間の体内の放射能除染が先だろ!

飯山一郎さんのサイトより
http://grnba.com/iiyama/
<転載開始>
2011/11/16(水) 人間の体内の放射能除染が先だろ!
このところ「除染馬鹿」の影響を受けてか、「除染」に関する問い合わせが多い。
いま、「除染馬鹿」たちが税金を使ってやっていることは、庭や運動場など屋外に
降り積もった放射能混じりの表土をはぎ取るという愚劣な作業である。
これで「線量が下がった!」と大袈裟に報道するのだから、欺瞞というより詐欺だ。
このような「除染馬鹿」たちのことなどは忘れて、本当に大切なことを書く。

いま、国家が総力を上げてしなければならないことは、表土の剥ぎ取りなどと
いう百害あって一利なしの愚かしい税金の浪費作業ではない。
先ず、私たちが本当に心配すべきことは、8ヶ月以上もの間、数千万人の国民が
放射性物質を呼吸と飲食によって体内に摂取して、内部被曝してしまっている!
ということだ。
次に、ただ今現在もフクイチが放射性物質を噴出させていて、さらに今までに降り
積もった死の灰が風によって舞い上がり、再度大気中をただよっていることだ。
ようするに、311以来ずーーっと、今現在も私たちは大気中に漂い続ける放射性
物質の微粒子を吸い続けているのだ。
このことの重大性は、空中線量が下がったの、やれ上がったのと一喜一憂する
空中線量馬鹿には分かるまい。

数値が高くても低くても線量が計測できるということは、大気中に放射性物質の
超微粒子が浮遊していて、コレが放射線を放射しているということだ。
この放射性物質の超微粒子を、私たちは呼吸するたびに体内に吸引している…。
この危険性は重大である。 致命的! ということだ。
「放射能は身体に良い場合もある。また、人間の体細胞には修復力がある…」
こんな「学説」を言いふらす原子力資本に洗脳されて安心している脳天気は論外
としても、私たちが最も優先せねばならないことは、内部被曝対策である。

最近、「除染」に関して、電話などで私に問い合わせをされた方々の質問内容は、
庭や通学路や運動場に微生物を散布するという方法論・技術論についてである。
「線量の高い通学路に微生物を散布する場合の散布回数は?」
などという質問である。
これは、ハッキリ言って、愚問である。
「シロウトが微生物を使って通学路の除染をすることなど、無理だし、無意味だ!」
と、私は愚問には答えない。

そのかわりに、こう言う。
「線量が高い通学路や運動場の除染作業より、あなたやあなたの家族の体内
に蓄積して、5年後以降に大変な悪さをする放射性物質を“除染”しなさい!」
<転載終了>

ふくしま「放射能駅伝」第ニ弾!11月20日強行

アーバンプレッパーさんのサイトより
http://prepper.blog.fc2.com/blog-entry-71.html
<転載開始>
20111116-1


今度は、福島県民のマインドコントロールの総本山、福島民友社が主催する市町村抗「ふくしま駅伝」が開催されます。

福島のメディアは事実を報道しないだけでなく、いったい何人の若者を危険な目にあわせれば気が済むのでしょう。


東京の通常線量の6倍から20倍の被曝環境下で強行された

11月13日、多くのフリージャーナリスト、ブロガー、まともな一握りのマスコミ人、教育人の警告を無視して、福島県で「東日本女子駅伝」が強行されました。

そして、参加した女子アスリートたちは被曝しました。

このイベントを推進した団体、機関、広告主の連中は、もう、無知蒙昧という以外にありません。

『東日本女子駅伝』のコース周辺で放射線量を調べてみた / 今回の調査では最高値が1.00uSv/h
週刊誌記事をエントリーしている小学館のサイト、NEWポストセブンで、女子アスリートが走るコースの放射線量を独自計測したとのこと。

●『東日本女子駅伝』コース周辺の放射線量の測定結果

・信夫ケ丘競技場 / スタート地点
0.84uSv/h(地上約10~15センチの高さ)

・国道115号線の上名倉付近 / スタートと折り返し地点の中間
0.28~0.37uSv/h(地面)

・第5中継所付近 / 折り返し地点
0.78~1.00uSv/h(地上約10~15センチの高さ)

今回使用したガイガーカウンター信頼性では定評のある機種。

参考までに、東京・西新宿やアメリカ・マンハッタンでは0.10~0.14uSv/h、ロサンゼルス・サンタモニカでは0.10~0.11が平均的な放射線量だった。

コース中、最高値を記録したポイントでは、1.0uSv/hといいます。
マンハッタンやサンタモニカの3倍から10倍。

3.11前の東京の平均値は約0.05ですから、ざっと6倍から20倍ということになります。

しかし、この記者の計測は疑わしいのです。
ここに、選手たちが走ることになっているコース経路序盤の市役所周辺の線量が出ています。
コースの経路序盤に市役所前の線量
とんでもない値です。
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ブラウン・ガス(水で走る自動車)関連リンク集

Ghost Riponの屋形(やかた)さんのサイトより
http://ameblo.jp/ghostripon/theme-10017949791.html
<転載開始>
2009年10月20日(火)

ブラウン・ガス(水で走る自動車)関連リンク集

テーマ:ブラウン・ガス関連リンク集
Ghost Riponの屋形(やかた)

テーマ:『実験』にて、スタンレー・マイヤー氏の 「水燃料セル」 複製→動作実験中
http://ameblo.jp/ghostripon/entry-10428585367.html
$Ghost Riponの屋形(やかた)


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水平対向ディーゼルエンジンの可能性

Ghost Riponの屋形(やかた)さんのサイトより
http://ameblo.jp/ghostripon/entry-11078956515.html
<転載開始>
2011年11月16日(水)

水平対向ディーゼルエンジンの可能性

テーマ:パーツ&技術資料
Ghost Riponの屋形(やかた)
Ghost Riponの屋形(やかた)
ボクサーディーゼルの開発
http://techon.nikkeibp.co.jp/article/HONSHI/20080326/149457/

ディーゼル高級車
ヨーロッパ系メーカーでの導入が先行するクリーンディーゼル技術も、ハイブリッド技術同様環境志向の高まりとともにイメージと販売に寄与している。高速・長距離の走行では、ハイブリッドカーを上回る燃費と環境性能を発揮するため、ハイブリッドカーとの比較が行なわれることが多い。また、多くのメーカーで今後クリーンディーゼルでのハイブリッド機構を予定しており、その場合の燃費性能は、ガソリン車に比較しおおむね半分程度になると予想されている。また、燃料の生産時の環境負荷においても、バイオディーゼルを筆頭とする低負荷化が推進されており、将来時に発生する環境負荷は、現在のガソリンエンジンの1/4程度。ガソリン+ハイブリッドエンジンの1/3程度となることが予想されている。日系メーカーも、インフィニティが2010年よりヨーロッパ市場向けにクリーンディーゼル車を投入する。
(高級車 - Wikipedia)

ディーゼルエンジン搭載車、欧州ではエコな車として評価されており、
ガソリン車よりも高級な存在である。しかも人気がある。
燃費もトルクもガソリンよりかなり良い。

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天は二一六、地は一四四と申してあろうが

http://www51.tok2.com/home/slicer93190/10-7581.html


yuru63さんのメール


千成さん、おつかれさまです。

yuru63です。

「神の数字」解説編のメール41において「天津金木の法」に従って『5次元表』を計算しました。
結果『5次元表』の各枠の数のΣは、「16、48、80」であった。

そこで『5次元表』の全体のΣを求めると、
16+48+80=「144」となります。

 「天は二一六、地は一四四と申してあろうが」
【至恩の巻 第09帖 (107)】

「七とはモノのなることぞ、天は三であり、地は四であると今迄は説かせてあったなれど愈々時節到来して、天の数二百十六地の数一百四十四となりなり、伊邪那岐三となり、伊邪那美二となりなりて、ミトノマグハイして五となるのであるぞ、五は三百六十であるぞ、天の中の元のあり方であるぞ、七の燈台は十の燈台となり出づる時となったぞ、天は数ぞと申してあろう」
【扶桑の巻 第01帖 (001)】

「神の法陣」5次元表

12345
67801
23456
78012
34567


この世で人が感知できるものは一般の学問では4次元であると云っているようです。
ですが「ひふみ」によると「四の活物から五の活物になった」と云っています。

これは「人の感知できる世界が、四次元から五次元になっている」ということを云いたいのかもしれません。

「七とはモノのなることぞ」も、この『5次元表』を見ると「1(モノ)」から順に並べた数の最後にある数字は「7(七)」です(@_@;)。

  • 次に『5次元表』の各枠のセル数は、内側から、「4、12、20」であったので、
    全体のセル数のΣは、
    4+12+20=「36」です。

    ここで全てのセル場に、見えるもの(1)と見えないもの(0)を含めたもの=「1+0=10」をあてはめると、全体のΣは、
    36×10=「360
    となり、この「360」から、上記の感知できる数字である「144」を引くと、
    360-144=「216」となるのです。

    よって「天」の二一六(216)は五次元の世界における、人の五感で感知できないものを意味していて、「地」の一四四は人の感知できる五次元世界を伝えているのかもしれません。

  • 関連の帖

    扶桑の巻 第14帖 (014)から

    今迄は四の活物(かつぶつ)と知らせてありたが、岩戸がひらけて、五の活物となったのであるぞ、五が天の光であるぞ、白、青、黄、赤、黒、の色であるぞ。

    意訳

    今迄は見える世界を説明するため四の活物(かつぶつ)と知らせてありましたが、岩戸がひらけて、見えない世界を含めて五の活物となったのです。五が天の光なのです。白、、黒、の色なのです。

    この四の活物から五の活物に至る原因として何が一つ加わったのかということは、このサイトの読者であれば自ずと推察できるものと思います。
    (それは、見えないものであり、地上には無い情報であったもの。そして岩戸開きの情報・・・。)

追伸

以前お送りしたMail.3343の「ひふみ九九算表02」は、少し間違いがありました。
改めて作った表はこちらです。


千成のメール

yuru63さん、考察ありがとうございます。

yuru63さんが研究されている 「天津金木の法」と神示がぴったり一致したようですね。

これからもっともっとすごい真理が出てくる可能性がでてきました。

なんだかすごいことになってきましたね。



本能寺で信長が無警戒に近い状態であったのはなぜか~~本能寺の変2

しばやんの日々さんのサイトより
http://blog.zaq.ne.jp/shibayan/article/158/
<転載開始>
2011年11月11日(金)
本能寺で信長が無警戒に近い状態であったのはなぜか~~本能寺の変2
前回の記事で、イエズス会のフロイスが書いた本能寺の変に関する記述の一部を紹介した。その引用した部分の少し前に、驚くべきことをフロイスが書いている。

「…そして都に入る前に兵士たちに対し、彼(光秀)はいかに立派な軍勢を率いて毛利との戦争に出陣するかを信長に一目見せたいからとて、全軍に火縄銃に銃弾を装填し火縄をセルベに置いたまま待機しているように命じた。
 …兵士たちはかような動きがいったい何のためであるか訝り始め、おそらく明智は信長の命に基づいて、その義弟である三河の国主(家康)を殺すつもりであろうと考えた。このようにして、信長が都に来るといつも宿舎としており、すでに同所から仏僧を放逐して相当な邸宅となっていた本能寺と称する法華宗の一大寺院に到達すると、明智は天明前に三千の兵をもって同寺を完全に包囲してしまった。…」(中公文庫「完訳フロイス日本史3」p.147)

明智軍は毛利攻めへの出動を信長から命じられていたはずなのだが、兵士たちは家康を討ちにいくのではないかと考えていたというのだ。

このような記録は、この戦に参加した武士の記録にも残されている。
Wikipediaには本能寺の変で明智光秀に従軍していた光秀配下の武士本城惣右衛門が、江戸時代に入って晩年、親族と思われる三人の人物に宛てた記録(『本城惣右衛門覚書』)の原文と翻訳文が掲載されている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AC%E5%9F%8E%E6%83%A3%E5%8F%B3%E8%A1%9B%E9%96%80%E8%A6%9A%E6%9B%B8

「…あけち(明智)むほんいたし、のぶなが(信長)さまニはら(腹)めされ申候時、ほんのふ寺(本能寺)へ我等よりさきへはい入申候などという人候ハバ、それハミな(皆)うそにて候ハん、と存候。其ゆへ(故)ハ、のぶながさまニはら(腹)させ申事ハ、ゆめともしり不申候。其折ふし、たいこ(太閤)さまびつちう(備中)ニ、てるもと(毛利輝元)殿御とり相ニて御入候。それへ、すけ(助)ニ、あけちこ(越)し申候由申候。山さき(山崎)のかたへとこころざし候へバ、おもい(思い)のほか、京へと申候。我等ハ、其折ふし、いへやす(家康)さま御じやうらく(上洛)にて候まま、いえやすさまとばかり存候。人じゅの中より、馬のり二人いで申候。 たれぞと存候へバ、さいたうくら介(斉藤利三)殿しそく、 こしやう共ニ二人、ほんのぢのかたへのり被申候あいだ、 我等其あとニつき、かたはらまち(片原町)へ入申候。… 」

と、一般の兵士は、毛利攻めに行くつもりが、急に京都に向かうこととなり、てっきり家康を討ちに行くのだと考えたが、信長を討つことは夢にも思わなかったと書いてある。基本的に書いてあることはフロイスの記述とほぼ同じだが、斉藤利三が本能寺へ向かう明智軍を先導したということは注目してよい。
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本能寺の変で信長の遺体が見つからなかったのはなぜか~~本能寺の変1

しばやんの日々さんのサイトより
http://blog.zaq.ne.jp/shibayan/article/157/
<転載開始>
2011年11月04日(金)
本能寺の変で信長の遺体が見つからなかったのはなぜか~~本能寺の変1
上の図は安永九年(1780)に刊行された「都名所図会」に描かれた本能寺だが、秀吉の命により移転され再建されたものである。信長の時代の本能寺は四条西洞院・油小路・六角・錦小路にわたる地域にあったのだそうだ。
秀吉によって移転され再建された本能寺の境内は、今の京都市役所や御池通りを含む広大なものであったそうだが、現在の本能寺はビルに囲まれて随分狭い境内だ。有名な寺院ではあるが、観光客はそれほど多くない。

天正10年6月2日、織田信長の家臣明智光秀が謀反を起こし、京都の本能寺で主君信長を襲った「本能寺の変」については何度もドラマ化されて、知らない人がいないくらい有名な事件だが、この事件で織田信長の遺体が見つからなかったという記録があることを最近になって知った。

信長は本能寺で自刃したことになっているのだが、遺体が見つからないのになぜ自刃したと言えるのか、誰が自刃するのを見たのか、なぜ死んだと言えるのかなどと多くの人が疑問に思うに違いない。
「自刃した」と書かれているので明智軍の武将が信長を斬ったのではないことは確実だが、もし信長の遺体が発見されなかったのならば、明智軍にとっては、信長が逃げて生き延びた可能性を否定できないはずである。

織田信長はこの本能寺をよく上洛中の宿所として利用していたそうだが、事件のあった日に本能寺から200mほど離れた教会にいた宣教師ルイス・フロイスの記録が残っている。この該当部分を読んでみよう。
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偏西風の動き

気象予報士 松田巧さんのサイトより
http://www.cokbee.com/weather/jet.htm
段々と南下してきています。
それにしても偏西風の動きは生き物のようです!
<転載開始>





<転載終了>

【Occupy経産省】 民族派新右翼、当局に「(脱原発)テント撤去するな」と要請

田中龍作ジャーナルさんのサイトより
http://tanakaryusaku.jp/2011/11/0003194
<転載開始>
2011年11月16日 16:45 このエントリーをはてなブックマークに追加 Yahoo!ブックマークに登録livedoorクリップ Clip to Evernote
枝野大臣あての要請書を手渡すため、日の丸を翻して経産省に入る「統一戦線義勇軍」の一行。=16日朝、経産省。写真:筆者撮影=

枝野大臣あての要請書を手渡すため、日の丸を翻して経産省に入る「統一戦線義勇軍」の一行。=16日朝、経産省。写真:筆者撮影=

 原発を止めるのに右も左もない。イデオロギーは糞くらえだ。街宣車右翼とは一線を画す民族派新右翼が16日、経産省に「(脱原発)テントの撤去を慎むよう」要請した。

 要請行動を起こしたのは「統一戦線義勇軍・中央委員会」。同会は東電福島第一原発の事故発生以来「麗しき山河と子供たちの命を守れ」と訴えて『脱原発デモ』などを展開している。公安の手先となって左翼運動を潰すことしか能のない街宣車右翼とは趣を180度異にする。

 原子力ムラの総本山である経産省を訪れた義勇軍の一行は、大臣官房広報室の中野大樹係長に面会し、枝野幸男大臣あての要請書を手渡した――

 「テントは既に国民の声を政治、行政に伝える場として存在している。平時は不法占拠となるが、原発事故の完全な終焉までは非常時である」として「国民に与えられた緊急避難の権利に準拠して撤去作業を慎んで頂きたい」などとする内容だ。

 統一戦線義勇軍の針谷大輔議長は「福島から一般の人が来て(テントでの座り込みを)やってますから、その思いを受け止めてほしい」と付け加えた。

 【 赤軍派の塩見元議長と対談「塩を送りに来た」 】

 一行は、「原発止めろ」を合言葉に市民が座り込みを続ける「脱原発テント」を訪れた。テントでは赤軍派元議長の塩見孝也氏らが迎えた。塩見氏は1970年代「世界同時革命」を標榜し、「よど号乗っ取り」の作戦を練った伝説中の人物だ。左翼の大御所である。

 針谷議長は「原発事故に際しては右も左も関係なくやらないと上手くいかない。イデオロギー対立になって喜ぶのは権力だけです」と切り出し、「私たちは(テントに)塩を送りに来たつもりでいる」と続けた。

 一方で「原発以外のことは言わないでほしい。原発以外(のイデオロギーで)街宣をすると一般の人から嫌われてしまう」と釘を刺すことも忘れなかった。

 塩見元議長も応じた。「我々と主張が違うけど、良い文章を(経産省への要請文)を出してもらった。これからできるだけ理解しあいましょう。あなた方の運動は我々にとって心強い。今後よろしく」。

 政府、電力業界、マスコミは30~40年もの間、“脱・反原発は左翼はじめ一部の偏った人たちのイデオロギー”と刷り込んできた。だが今回の事故で、脱原発は“生活と命を守るため”に人として掲げる当然の声だ、ということが明らかになった。左右の垣根がなくなれば、脱原発はさらに国民の間に広がるようになるだろう。

対談する塩見・赤軍派元議長(左奥)と針谷・統一戦線義勇軍議長(右奥)。=同日、経産省前「脱原発テント」。写真:筆者撮影=

対談する塩見・赤軍派元議長(左奥)と針谷・統一戦線義勇軍議長(右奥)。=同日、経産省前「脱原発テント」。写真:筆者撮影=

<転載終了>

野田の頭が悪すぎたことが逆に米のTPP中国包囲網作戦を壊し、日本にとって奏功する?

株式日記と経済展望さんのサイトより
http://blog.goo.ne.jp/2005tora/e/6830887b5cc5fbda13e04a42c0c81b4f
<転載開始>

国際条約が優先する法の常識を知らない野田の頭が悪すぎたことが逆に
米のTPP中国包囲網作戦を壊し、日本にとって奏功するかもしれない展開だ。


2011年11月16日 水曜日

TPP騒動:アメリカの思うようにコトが運びそうにない要因が山積み  11月14日 属国離脱への道

◆これが米国流、いきなりの騙し討ち

 ISD条約すら知らなかったド素人・野田首相がTPP交渉参加の表明を行って以来、動きが急だ。

 アメリカはカモねぎ日本に早速、「すべての物品とサービスを貿易自由化交渉のテーブルに載せる」とブラフをかませた。

 「聞いてないよ」と焦ったのが野田だ。「発表を行った事実はない」と慌てて日本側は否定文書を発表したものの、米フローマン大統領副補佐官は「両首脳はTPPの包括的な議論をした。(米側の)発表はそのままだ」と否定はしない。

 野田も「交渉参加すれば、アメリカ様が満足してくれる」という奴隷根性があまりにも甘かったことをいきなり知らされただろう。

 アメリカらしい汚いやり方だが、この程度は序の口だろう。本来なら、この時点で撤退を宣言すべきである。が、そこまで奴隷政府に期待するのは無理だろう。だが、このまま日本国民の反感、反米気運がますます大きくなり、交渉が暗雲に乗り上げる可能性が高まったのはいいことだ。

米自動車業界は日本の参加に反対。クズ車がさらに売れなくなる

 さらに、本家米国の自動車業界は日本のTPP参加に反対を表明した。「日本に都合の良い通商慣行を正当化し、重要な通商合意の進展を妨げる」と批判したという。

 日本車がいま以上に米国内で流通すれば、せっかくトヨタを謀略で衰退させた努力も水の泡となってしまう。大きいだけのハリボテ・アメ車と日本車では、ハナから勝負にならないのだ。それをよく分かっているから、アメリカの自動車団体は日本のTPP参加に反対なのだ。アメリカは、日本国内に反米、米国内には反日の火種を抱えながらTPPを主導していかねばならない。

◆中国・ロシアが関心、カナダ・メキシコは交渉に参加表明

 一方、日本の交渉参加表明と前後して、中国ロシアが相次いでTPPへの関心を示した。これら両国はアメリカから誘われてすらいなかった。それは、TPPが米ドル防衛のため東アジア分断を意図するものであるからだ。だからアメリカとすれば、中露は排除した上で、思いのまま日本を食い尽くしたい。ではあるが、環太平洋と謳っている以上、交渉参加の申し出があれば受けざるを得ない。

 日本にとってラッキーなのは、中国ロシアというタフ・ネゴシエイターが加わってくれば、アメリカの一人勝ち路線が大きく崩れることになる点だ。

 逆にアメリカは、中国ロシア側のこうした発言を苦い思いで聞いていることだろう。属国日本の馬鹿官僚政治家を意のままに騙し、日本市場をハイエナのごとく独り占めするつもりだったからだ。

 中国のこうした意向を踏まえた上、野田首相が中国にも参加を呼びかけた。これには、アメリカも「ふざけるな!」ぶちかましたいところだったが、沈黙するしかない。カモねぎ野田の頭が悪すぎたことが逆に米のTPP中国包囲網作戦を壊し、日本にとって奏功するかもしれない展開だ。

 どうせTPPを強制されるなら、中国ロシアにも入ってもらってアメリカの企てを換骨奪胎していただきたい。

 さらにカナダ、メキシコもTPP交渉参加を正式に表明した。「中国包囲網を気にしなくて良いのなら、自分たちも参加するよ」というところだろうか。

TPP発効前に米経済崩壊の可能性。米抜きの自由貿易協定に持ち込め

 たたでさえ各国特有の火種を抱えているところに決してアメリカの意のままとなるとは限らない国々が参加することは交渉力がまるで期待できない政治家が政府の中枢を占める日本にあっては、一種の福音となるかもしれない。

 なるほど、親米ポチ派の言うが如く日本は戦後、アメリカへの輸出によって富を築いてきた面もあるだろう。だが、日本を太平洋戦争へと誘導したのはアメリカであり、戦後はアジア支配の戦略上、日本を属国としてきた。別に日本がお願いしたわけではない。しかも、およそ同盟国に対してなすべきこととは思えない謀略の数々をCIAにやらせてきた。

 経済崩壊が近いアメリカに、これ以上、日本人の富を収奪させるわけにはいかない。わたしたち自身もグローバリズムという米国化の強要によって、一億総中流社会を崩壊させられてしまったのだ。アメリカの面倒を見る余裕はすでにない。これ以上の米国化は御免被りたい。米国のためのTPPによって、日本国民が犠牲にならなければならない理由は一切ない。

 というわけで、TPP批准までは、紆余曲折がありそうだ。協議参加国が増えれば増えるほど批准までの時間は長くなり、TPP発効を前に米国が金融経済崩壊する可能性が高まる。なにしろ、今夏にはデフォルト間際まで追い詰められた国である。ドルが崩壊し、ドル基軸通貨体制が終焉することは、世界中に平和をもたらすはずである。

 その後は、ゆっくりとアメリカ抜きで各国の尊厳・主権を重んじた上で自由貿易協定を結べばいい。強欲で謀略中毒のアメリカ抜きの自由貿易協定、これこそが理想である。

 いずれにしても、現在の国会内の状況からして、そう簡単に批准はできないはず。仙谷、前原らがどんな薄汚い謀略を仕掛けてくるか。楽しみに拝見させていただきましょう。

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