春宵一刻さんのメール
春宵一刻です。
こちらは長崎の秋月辰一郎博士の場合。
私は自家製味噌を毎日食べていますので多少は放射能に対して抵抗力(?)があるかも。
以下転載。
さて、先に申し上げた、8月9日に長崎に原爆が投下され、その爆心地から1.8kmしか離れていない場所で被爆したにも関わらず、原爆症が出なかった人たちがいる事実について、私は、すでに私の著書「体はこうして癒される」(サンマーク文庫)のなかで、はっきり書いています。 何が被爆した彼らを原爆症から守ったのか、ということについての説明になると思いますので、以下、引用いたします。
その爆心地から、たった1.8kmのところで、当時聖フランシスコ病院医長であった秋月辰一郎博士と病院関係者は全員被爆した。 博士は焼けただれて痛がる人々に、「水を飲んではいかんぞ!」と大声でどなった。 おそらく直観的に、血液の濃度を保ち、血液を水でうすめることなくガードしようとしたのだろう。 (注:たしかに戦地で、傷の深い重傷の兵士に水を飲ませると、すぐに死んでしまうという記録がある) さらに博士は、次のように職員に命令したという。 「爆弾をうけた人には塩がいい。 玄米飯にうんと塩をつけてにぎるんだ。 塩からい味噌汁をつくって毎日食べさせろ。 そして、甘いものを避けろ。 砂糖は絶対にいかんぞ」(秋月辰一郎著「死の同心円-長崎被爆医師の記録」講談社刊・絶版) 「放射線宿酔」と呼ばれる。 レントゲンを受けたあとに起こることがある全身の倦怠や筒宇などの症状には、体験上、生理食塩水より少し多めの塩分を含んだ水を飲むとよいということをとっさに思い出し、原爆の放射能から体をガードするには、塩が有効であることを推理したのだ。 みそ汁の具は、カボチャであった。 のちにわかめのみそ汁も多くとったらしい。 砂糖を禁じたのは、砂糖は造血細胞に対する毒素であり、塩のナトリウムイオンは造血細胞に活力を与えるという、彼自身の食養医学によってである。 すると、どうであろう。 そのとき患者の救助にあたったスタッフらに、原爆症の症状が出なかったのである。 ふつうなら、しだいに原爆症の症状が出て、進行してしまうところなのに、彼らはそれからのち、ずっと現実に生き延びているのである。 このことは、私にとって大きなショックであった。 食というものによる、見かけからはなかなかわからない「体質的な強さ」というものの思い価値を知り驚嘆した。 ちょっとした体質のガードが、明らかに生と死を分けているからである。 博士は人間の体質にとって、みそが実に大切であることを説き、のちにこう語っている。 「この一部の防禦が人間の生死の境において極めて重要なのである」(秋月辰一郎著「体質と食物」クリエー出版部刊) 博士の書いた「長崎原爆体験記」(日本図書刊行センター刊「日本の原爆記録」第9巻に所収)という本の英訳版が欧米で出まわり、チェルノブイリ原発事故のあと、ヨーロッパで日本の「みそ」がとぶように売れたということはあまり知られていない。 (中略) |