http://blog.zaq.ne.jp/shibayan/article/190/
<転載開始>
前回まで2回に分けて、昭和3年(1928)の「満州某重大事件」について書いた。簡単に要約すると、この事件に関しては関東軍がやったということが定説となっているが、この説には確たる証拠はなくほとんどすべてが噂や伝聞によるものであり、現場で撮影された写真や現場検証の記録は悉く定説と矛盾している。その一方、公開されたイギリスの外交資料には明確にソ連が実行し日本に疑いが向くように工作したものと結論付けられており、旧ソ連の機密文書を調査したロシアの歴史学者の研究書にも、ソ連軍が計画し日本軍の仕業に見せかけたものと、イギリスの外交資料と同様のことが書かれている。
関東軍の謀略かソ連軍の謀略か、両方の説を読み比べて私は後者の説のほうに説得力を感じてしまうのだが、この説の問題点はこの事件に関する旧ソ連の資料が未だに公開されておらず、この資料にアクセスが許された少数のロシア人研究者の著述に頼るしかないという点にある。それでも私がソ連軍謀略説に説得力を感じるのは、現場の写真や検証内容と矛盾しないことと、イギリスの外交資料とソ連の機密文書の結論とも合致するからである。
しかしソ連謀略説が正しいとすると、昭和初期においてはコミンテルン(共産主義政党の国際組織。別名第三インターナショナル)に協力する軍人がかなりいたことが納得できなければリアリティがない。いままで習ってきた歴史では、日本軍人の中にコミンテルンに協力する左翼分子がいたという事は思いもよらないことであり、その点が長い間腑に落ちなかったのだ。
コミンテルンは1919年3月に結成され、1935年までに7回の世界大会が開催されていている。昭和3年(1928)張作霖爆殺事件の翌月からモスクワで開催された第6回コミンテルン世界大会の決議内容の一部がWikipediaに出ている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%9F%E3%83%B3%E3%83%86%E3%83%AB%E3%83%B3
「…ブルジョワジー絶滅のための革命のみが戦争防止の手段であり、さもなくば帝国主義戦争は避けがたいものとされ、それが勃発した場合に共産主義者はいわゆる敗戦革命論に基づき、(1)自国政府の敗北を助成すること、(2)帝国主義戦争を自己崩壊の内乱戦に転換させること、(3)民主的な方法による正義の平和は到底不可能であり、戦争を通じてプロレタリア革命を遂行することが政治綱領となった。」
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マスコミは無視するのかと思っていましたが、Yahooは今掲載しましたね。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120505-00000070-san-pol
大手マスコミは無視したいのでしょうが、事実がだんだんと広がってくれば簡単には無視もできなくなるでしょう。
今はどういう形で報道するかを検討中というところでしょうか。
投稿 読者A | 2012-05-05 10:09