2012 Doomsday Predictions さんのサイトより
続きを読む
http://blogs.yahoo.co.jp/jennifer1215b/32458028.html
<転載開始>
http://www.jpost.com/MiddleEast/Article.aspx?ID=205623&R=R1
http://cnsnews.com/news/article/iran-sees-revolution-its-rival-egypt
オバマ政権が、国務省のヒラリー・クリントンと一緒に、知らずに彼らの誤った管理と無能力によって、中東で火事あらしに火をつけるのを手伝ったことは逃れられない事実です。
単にイランは不穏状態の炎を煽っているだけではありません、現在イランはスエズ運河を経由して軍艦を地中海に送っているように思われます。
そしてオバマ政権は何をしていますか?
彼らは死後硬直で苦しんでいます。
ニュース・レポートは、米国国務省がパニックモードにあると主張します。
この不穏状態は拡大するように思われます。
イスラム教徒友愛会は、見たところではこのカオスの多くの扇動者です。
もしエジプトかヨルダン政府が落ちるなら、政治の動的関係とパワーは取り返しがつかないほど変えられるでしょう。
私は原油の世界的な価格(中東で起こることの特権を持つ人々のための良い水準基標)を見るでしょう。
それが本当に重大に見え始めているというMS報告。
英国とヨーロッパの政府はまったく関係しているように思われません、そして、それは彼らを襲うまで目を覚まさないでしょう。
そのとき、それは非常に激しく起きるでしょう、そして英国、ヨーロッパとアメリカの「我ら人民」は最も被害を受けるでしょう。
LMは、私がニュースを見たい気持ちを抑えることは出来ないと報告します。
運河の管理をする間違った人々と共に、世界がとてつもなく乱雑になるでしょう。
どうかニュースを与え続けてください。
オバマは何をするべきか分かっていません。
http://www.telegraph.co.uk/news/worldnews/africaandindianocean/egypt/8289686/Egypt-protests-Americas-secret-backing-for-rebel-leaders-behind-uprising.html
続きを読む
ひふみ神示
ひふみ神示を掲載しております。
解読情報なども随時更新していきます。
語彙アラカルト
001 | 002 | 003 | 004 | 005 | 006 | 007 | 008 | 009 | 010
011 | 012 | 013 | 014 | 015
シナリオ・アラカルト
分類別一覧
目次
ひふみ神示 第01巻 上つ巻 / (うへつまき) 全42帖 (001 ~ 042)
自 : 昭和19年06月10日(1944年) 至 : 昭和19年07月09日(1944年)
001 | 002 | 003 | 004 | 005 | 006 | 007 | 008 | 009 | 010
011 | 012 | 013 | 014 | 015 | 016 | 017 | 018 | 019 | 020
021 | 022 | 023 | 024 | 025 | 026 | 027 | 028 | 029 | 030
031 | 032 | 033 | 034 | 035 | 036 | 037 | 038 | 039 | 040
041 | 042
ひふみ神示 第02巻 下つ巻 / (四百つまき) 全38帖 (043 ~ 080)
自 : 昭和19年07月12日(1944年) 至 : 昭和19年08月03日(1944年)
043 | 044 | 045 | 046 | 047 | 048 | 049 | 050 | 051 | 052
053 | 054 | 055 | 056 | 057 | 058 | 059 | 060 | 061 | 062
063 | 064 | 065 | 066 | 067 | 068 | 069 | 070 | 071 | 072
073 | 074 | 075 | 076 | 077 | 078 | 079 | 080
ひふみ神示 第03巻 富士の巻 / (二二のまき) 全27帖 (081 ~ 107)
自 : 昭和19年08月10日(1944年) 至 : 昭和19年08月30日(1944年)
081 | 082 | 083 | 084 | 085 | 086 | 087 | 088 | 089 | 090
091 | 092 | 093 | 094 | 095 | 096 | 097 | 098 | 099 | 100
101 | 102 | 103 | 104 | 105 | 106 | 107
ひふみ神示 第04巻 天つ巻 / (あ
つまき) 全30帖 (108 ~ 137)
自 : 昭和19年08月10日(1944年) 至 : 昭和19年08月30日(1944年)
108 | 109 | 110 | 111 | 112 | 113 | 114 | 115 | 116 | 117
118 | 119 | 120 | 121 | 122 | 123 | 124 | 125 | 126 | 127
128 | 129 | 130 | 131 | 132 | 133 | 134 | 135 | 136 | 137
ひふみ神示 第05巻 地つ巻 / (九二つまき) 全36帖 (138 ~ 173)
自 : 昭和19年09月15日(1944年) 至 : 昭和19年10月11日(1944年)
138 | 139 | 140 | 141 | 142 | 143 | 144 | 145 | 146 | 147
148 | 149 | 150 | 151 | 152 | 153 | 154 | 155 | 156 | 157
158 | 159 | 160 | 161 | 162 | 163 | 164 | 165 | 166 | 167
168 | 169 | 170 | 171 | 172 | 173
第三巻 富士の巻 第二十七帖 (107)
この巻は今に宝になるからと、富士の巻(この場合は二つとない書物と解釈)として一つにまとめておいて置くようにと指示がなされているようです。宝として役立ちそうな時節が、八と十八と五月と九月と十月という時期、時節になるようです。九分九厘でグレンとか江戸は火の海とノアの大洪水を暗示する内容や諸都市の壊滅について触れてますので、ここでは、この書物が都市攻撃やノアの大洪水などに対する宝になるということも示唆している印象です。
第四巻 天つ巻 第十四帖 (121)
海一つ越えて寒い国に、まことの宝 隠してあるようで、それはミロクが現在の人類の初めの頃設置したもののようです。場所的には南極ではないかという推測と、ビックリ箱を開くための宝であるようです。個人的にも、それが海底深くに存在する乙姫艦のことなのか黙示録に出てくる物々しい感じのキリスト教徒から見た獣なのか気になるところです。
第五巻 地つ巻 第十六帖 (153)
臣民の心の中に宝はいけてあるようです。今は悪に負けて汚してしまっているようなので、そのことに気付かないといけないようです。
第五巻 地つ巻 第三十三帖 (170)
その時に救助などの知らせることがあるようですが、それまでに宝を持ち腐れにしないようにするべきなようです。避難情報、身魂の洗濯の過程、およその終末を越えた先の新しい世のことなどなどをかじっておくのはその時希望にもなると思います。
第五巻 地つ巻 第三十五帖 (172)
南の島に埋めてある宝を御用に使う時が近づいたとあります。ビックリ箱が開く際に使うことになるようです。
第六巻 日月の巻 第三十三帖 (206)
何か強力なアイテムのような宝が存在するようです。支配層もそれを狙っているみたいです。
第七巻 日の出の巻 第八帖 (221)
日本中にいろんな情報源に混入して宝を知らせてあるようです。
第七巻 日の出の巻 第二十三帖 (236)
いざとなればこの世の宝も勲章も役に立たないようです。ここでの宝は金銀財宝の類みたいです。いざと言うとき有価証券をぶら下げても誰も相手にしてくれないようです。
続きを読む
第二巻 下つ巻 第二十三帖 (065)
掲挙され神となる人間と獣となり地上で滅ぶ人間とはっきり分けると云う内容のようです。その時期は、秋の時節、九月、十月の時期に判るようです。
第二巻 下つ巻 第二十五帖 (067)
人間同士が戦いを出来ない位の時期、都市攻撃で人類の軍事力の全てが破壊された時期の辺りに掲挙され神となる人間と地上で滅ぶ人間とはっきり分けるようになるようです。
第三巻 富士の巻 第四帖 (084)
五六七の仕組み(弥勒の仕組み)で獣と臣民の違いがはっきりして分かれるようで、そこからそれぞれの本性が現れるようです。現在2008年1月ですが、福田首相は地球温暖化対策の主要国として二酸化炭素根源説に合わせて火山一発の噴火でチャラになると言う意味のなさそうな二酸化炭素排出の節約を目指すようですし、経済では株価の急激な下落も仕掛けられているようです。テレビでは日本人600万人が未知のインフルエンザで死亡するという予測=インフルエンザを散布して600万人殺すと言う計画も発表されているような印象です。
第三巻 富士の巻 第九帖 (089)
ひふみの云う地獄の三段目に入ると、悪行の限りを尽くし見ていられないような様の人間と神がかりして神の真の姿をしている臣民とはっきり分かれるようです。
第三巻 富士の巻 第十九帖 (099)
いよいよとなると掲挙されて宇宙へ飛来する人間と着る物も無く四つんばいで獣となって這い回る人間がいるようです。
第四巻 天つ巻 第五帖 (112)
獣の食べ物を頂く際には神に献げきらないと獣になるようです。
第五巻 地つ巻 第三十六帖 (173)
世の態を見ていると神と獣のはっきり分かれて行く情勢が理解できるのか、そこで改心するきっかけはあるようです。
第六巻 日月の巻 第一帖 (174)
日本の中でも神と獣に分かれているので、どうしても騒動は起こるようです。インフルエンザでの日本人600万人虐殺に動くのがそうした獣ということにもなりそう。
第七巻 日の出の巻 第十二帖 (225)
神と獣に分けるとの説明です。
第十一巻 松の巻 第三帖 (294)
都市攻撃の時節以後に掃除し残した心が獣にするようです。
第十一巻 松の巻 第八帖 (299)
今回の岩戸開きでは、獣の道も作り変えをするようです。一応獣になるような方々にも臣民によって情報は知らされるのかなと思います。
第十二巻 夜明けの巻 第四帖 (324)
神徳を積んでおかないと八分通りは獣になるようです。獣になると同胞も共食いしちゃうこともあるようですから注意している内容です。
第二十四巻 黄金の巻 第八十六帖 (597)
人民の心の中にある獣に言を向けなければならないとあります。獣の部分と言うのは皆さん持っていて、その部分を善いように導くことには一生かかってもよいとあります。人は誰しもそのまま行くなら獣になりうるということなのかなと思います。それは地球劇場の環境ゆえに獣になるのは容易であることなんだと思います。獣になる人は大体こんな神示は嘘だと、反発するようです。何やら犬とか猫の怯えた心境と重なる印象です。
第四巻 天つ巻 第十六帖 (123)
ここでは、臣民が神の手伝いをして人民を助けなければいけないということを示しているように思います。
第五巻 地つ巻 第三帖 (140)
今は人民同士の戦では臣民は敵わないようですが、臣民が神がかりする時節には、人民は誠には勝てなくなるようです。
第五巻 地つ巻 第三十五帖 (172)
「番頭どの、下にゐる臣民どの、国々の守護神どの、外国の神々さま、人民どの、仏教徒もキリスト教徒もすべての徒もみな聞いて呉れよ、」
みなさんまずは借銭返しの時節のようです。
第六巻 日月の巻 第四帖 (177)
人民は、戦=都市攻撃で戦争をする意味がなくなったとしても中々揉め事が絶えないとも読んでます。人民のところを読みながら臣民のことも考察してしまいますが、臣民はその揉め事の仲介をするような形になるのかなとも思います。
第七巻 日の出の巻 第二十帖 (233)
神が上であることを理解していないといけないようです。人民も臣民に岩戸開きの示唆を受けたのならその身で苦労して人を助けることが必要なようです。
第八巻 磐戸の巻 第七帖 (243)
その時には改心しそこねた方々が乱立しての荒れ模様も想像しますので、何が恐いかとすればその時に現れ出てくる本性かなとも思います。その後の避難生活とも言うべきものが、少しでも平穏に行くようにしようとするならば、身魂を磨いて神がかりをし、その中でひふみの云う統制や配給を図っていくようにするとかしないと難しいように思います。
第八巻 磐戸の巻 第九帖 (245)
人民の智や学の行き詰まりを経験する前に人民には素直に言うことを聞いてほしいようです。
第十巻 水の巻 第十一帖 (285)
「神の一厘のしぐみわかりたら世界一列一平になるぞ。ますかけひいて、世界の臣民、人民 勇みに勇むぞ。」
神の一厘の仕組みが判ったら、臣民も人民も勇みに勇む時期が来るようです。
第十一巻 松の巻 第三帖 (294)
人民も掃除し残した心が獣に変化するようです。
第十一巻 松の巻 第四帖 (295)
人民自身は、地球劇場の殺されるエキストラ故に神の臣民の助けが要り、神の気概に合えば神がかりして助かる人民もあるようですが、そうでないと地の下になるようです。
第十一巻 松の巻 第七帖 (298)
「わからん人民 退いて邪魔せずに見物してござれよ。六月二十三日、アメのひつ九の 」
岩戸開きの時期では偉い人は全員神サタンの虜のようですが、岩戸が開くと誰が本当の神かははっきりするようです。その時期には、人民同士の揉め事もまだまだ絶えないようですが、その処世術がわからない人民は退いて見ていなさいと言っているように取ってます。
第十一巻 松の巻 第八帖 (299)
日本の人民に大和魂がどこにあると叱咤しているところがあるようです。 朝日が照るのは東からで、夕日は西へ普通なら沈むと思いますので、この場合は南北の宝のノアの大洪水でなく、都市攻撃や海底の底に潜む竜宮の乙姫艦に関する何かがあるようにも思います。太平洋にそれはあるのかなとも思ったりです。人民の改心、身魂磨きのリミットは、その時までなのかなとも思います。
第十一巻 松の巻 第十三帖 (304)
此処は世界の人民の精神をよくする所であるようです。ひふみの道場と云った所にも符合するようにも思います。餓鬼になっていると、オホカムツミノ神に臣民を救う盾とさせられて終わりそうですね。 改心をしなければする様にさせるようです。
第十一巻 松の巻 第十四帖 (305)
悪の大将も改心するチャンスみたいです。日本の臣民も人民も皆思いが違うようです。
第十一巻 松の巻 第十七帖 (308)
いつの時節か七月の十と二日には何か祀る何かがあるようです。我田引水を若干しますと、この日というのはサイトの袂別れが宣言された日であり、降りた日付はノストラダムスの命日と符合している日でもありますので、もしかしたら、これがきっかけとなって、ひふみの云う仏もキリストも何もかも救わねばならんの部分が本格的に歩みだした時期として振り返った時になっているのかなとも見ています。
第十一巻 松の巻 第十八帖 (309)
人民は地球劇場のエキストラ故に、神には勝てないと言うことが理解される時節があるようです。
第十一巻 松の巻 第二十八帖 (319)
いくら現在の最新鋭の何かをやろうとしても、保食の神を祀らずにやったところで難しいようです。改心して、神の意図に沿うように行動していないと得られるものはその時を境になさそうです。
第十二巻 夜明けの巻 第一帖 (321)
内容は臣民に神が言っている内容に読めてしまいますが、神と人が寄り合える状況を早く改心してつくりなさいとも読めます。
第十二巻 夜明けの巻 第二帖 (322)
いざとなれば土も草も木も何でも人民の食物になるようです。保食の神を祀るとこの辺りの処世術がわかってくるのかなと思います。人民は知らず知らずに宗教の乱立や岩戸閉めのために罪を犯していたようですので、お詫びすることが必要なようです。臣民、人民がしなければいけないことは、皆の者を喜ばせることだそうです。その時に向かう時節は過酷な状況になっていくようですが、その中で人に喜びを与える行為は大変によいことのようです。
第十二巻 夜明けの巻 第三帖 (323)
人民の邪気が異常気象を出すこともあるようです。盛んに散布しているようなウイルスもわけのわからない虫みたいなものだと思います。
第十二巻 夜明けの巻 第四帖 (324)
岩戸開きも後半に差し掛かる頃には、ひふみのいうところの神徳が積んでおかないと八分は獣人民として、共食いしたりすることもあるようです。
第十二巻 夜明けの巻 第八帖 (328)
日々の動向如何で獣の人民にならずにすむのでしょうし、出来なければ必然的に獣になるのかなと思います。
第十二巻 夜明けの巻 第十一帖 (331)
人民の力ばかりでは成就しないとのことです。みづ逆さにもどるとありますが、これはノアの大洪水のよる地形の変化を差していると思います。神示=ひふみを一二三として解いたものを無視して、智や学でやろうとしてもそれは神を上にせず、人民が上に乗っての行為になるからうまく行かないようです。慢心=知らずに行う罪の上乗せになるのかな?とも思いました。
続きを読む
第五巻 地つ巻 第三十帖 (167)
国取られた臣民、どんなにむごいことになりても何も言ふこと出来ず、同じ神の子でありながら余りにもひどいやり方、けものよりもむごいことになるのが、よく分りてゐるから、神が表に出て世界中救ふのであるぞ、この神示腹に入れると神力出るのざぞ、疑ふ臣民沢山あるが気の毒ざぞ。一通りはいやがる臣民にもこの神示一二三(ひふみ)として読むやうに上の人してやりて下されよ。
神サタンのやり口は獣のそれよりもひどいようで、ミロクが助けに出るようです。
疑う臣民ばかりの状況で、一二三の内容を上の人にも読むことはどうしたら出来るでしょうか。
出来ることを積み重ねていくしかないように思います。
第五巻 地つ巻 第三十二帖 (169)
仕組通りに出て来るのざが大難を小難にすること出来るのざぞ。神も泥海は真っ平ぞ、臣民喜ぶほど神うれしきことないのざぞ、曇りて居れど元は神の息入れた臣民ぞ、うづであるのぞ。番頭どの、役員どのフンドシ締めよ。十月の七日、ひつ九のか三。
臣民も神の息を入れた臣民と言うことなので、少しでも神の動向も理解しつつ出来るべきことをやれるといいようにも思います。
泥海は神も真っ平だそうなので、そうはさせないように何か出来ることを踏ん張るのも臣民の役目のように思います。
第五巻 地つ巻 第三十三帖 (170)
エドの仕組すみたらオワリの仕組にかからすぞ。その前に仕組む所あるなれど、今では成就せんから、その時は言葉で知らすぞ。宝持ちくさりにして呉れるなよ、猫に小判になりて呉れるなよ。天地一度に変ると申してあること近づいたぞ、世は持ちきりにはさせんぞよ、息吹(いぶ)き払ひて議論(ろん)なくするぞ、ことなくするぞ、物言はれん時来るぞ、臣民見当とれんことと申してあらうが、上の人つらくなるぞ、頑張りて呉れよ。十月八日、ひつ九のか三。
臣民には見当も取れないことが目白押しになる時節があるようですが、それ以上に議論も出来なくなるくらいのことが神によって起こされることがあるようです。
江戸の仕組みは都市攻撃で終わりの仕組みはノアの大洪水かと思いますが、その時は何かしら理解できることもあるのだと思います。
上の人も歩み寄りがあるとみんないい方向にいけるかなと期待はするのですが、その辺りは上の人自身の身の振り方を示してもらえたらいいですね。
この内容からすると、まだまだ上の人もしたいようにやる時期が続くように読めます。
第五巻 地つ巻 第三十五帖 (172)
外国人もみな神の子ざから、一人残らずに助けたいのがこの方の願ひと申してあらうがな、今に日本の国の光出るぞ、その時になりて改心出来て居らぬと臣民は苦しくて日本のお土の上に居れんやうになるのぞ、南の島に埋めてある宝を御用に使ふ時近づいたぞ。お土の上り下りある時近づいたぞ。人の手柄で栄耀してゐる臣民、もはや借銭済(な)しの時となりたのぞ、改心第一ぞ。世界に変りたことは皆この方の仕組のふしぶしざから、身魂みがいたら分るから、早う身魂みがいて下されよ。身魂みがくにはまつりせねばならんぞ、まつりはまつらふことぞと申して説いてきかすと、神祭りはしないでゐる臣民居るが、神祭り元ぞ、神迎えねばならんぞ、とりちがへと天狗が一番恐いのざぞ、千匁(せんじん)の谷へポンと落ちるぞ。神の規則は恐いぞ、隠し立ては出来んぞ、何もかも帳面にしるしてあるのざぞ、神の国に借銭ある臣民はどんなえらい人でも、それだけに苦しむぞ、家は家の、国は国の借銭済(な)しがはじまってゐるのぞ、済(す)ましたら気楽な世になるのぞ、世界の大晦日(おおみそか)ぞ、みそかは闇ときまってゐるであらうがな。借銭(かり)返すときつらいなれど、返したあとの晴れた気持よいであらうが、昔からの借銭ざから、素直に苦しみこらへて神の申すこと、さすことに従って、日本は日本のやり方に返して呉れよ、番頭どの、下にゐる臣民どの、国々の守護神どの、外国の神々さま、人民どの、仏教徒もキリスト教徒もすべての徒もみな聞いて呉れよ、その国その民のやり方伝へてあらうがな、九十に気つけて用意して呉れよ。十月十日、ひつ九のか三。
臣民は次の世に向けた身辺整理を促す内容のようです。
借銭は返してきれいさっぱりしないことにはなかなか次の世に住むことは難しいようです。
第五巻 地つ巻 第三十六帖 (173)
二二は晴れたり日本晴れ、てんし様が富士(二二)から世界中にみいづされる時近づいたぞ。富士は火の山、火の元の山で、汚してならん御山ざから臣民登れんやうになるぞ、神の臣民と獣と立て別けると申してあろうが、世の態(さま)見て早う改心して身魂洗濯致して神の御用つとめて呉れよ。大き声せんでも静かに一言いえば分る臣民、一いへば十知る臣民でないと、まことの御用はつとまらんぞ、今にだんだんにせまりて来ると、この方の神示(ふで)あてにならん だまされてゐたと申す人も出て来るぞ、よくこの神示読んで神の仕組、心に入れて、息吹として言葉として世界きよめて呉れよ。分らんと申すのは神示読んでゐないしるしぞ、身魂 芯(しん)から光り出したら人も神も同じことになるのぞ、それがまことの臣民と申してあらうがな、山から野(ぬ)から川から海から何が起っても神は知らんぞ、みな臣民の心からぞ、改心せよ、掃除せよ、洗濯せよ、雲霧はらひて呉れよ、み光出ぬ様にしてゐてそれでよいのか、気つかんと痛い目にあふのざぞ、誰れかれの別ないと申してあらうがな。
神の臣民と獣と立て分ける時節もあるようですし、その付近ではあてにならない、騙されたと云う人もいるようです。
97年ごろからの経緯で云えば、99年の頃と03年くらいの時期には、すでにサイトで公開している内容については当てにならない、騙されたと言い出す人も見受けられましたが、最近07年もそのような騒動が起こってます。
近視眼的な物の見方かも知れませんが、これも小さい予言の前兆現象なのかもとも見ています。
物が言えなくなる時期も富士山の噴火などがきっかけになるのかなとも思います。
第六巻 日月の巻 第一帖 (174)
今はまだまだ一の幕で、せんぐり出て来るのざぞ。我(が)出したら判らなくなるぞ、てんし様おがめよ、てんし様まつりて呉れよ、臣民 無理と思ふ事も無理でない事 沢山にあるのざぞ、神はいよいよの仕組にかかったと申してあろがな。毀(こわ)すのでないぞ、練り直すのざぞ。世界を摺鉢(すりばち)に入れて捏(こ)ね廻し、練り直すのざぞ。日本の中に騒動起るぞ。神の臣民 気つけて呉れよ。日本も神と獣に分れているのざから、いやでも応でも騒動となるのざぞ。小さくしたいなれど。旧九月一日、ひつくのか三。
練り直すということの意味を理解しなければいけないようです。
その時節では、日本の中でも神と獣に分かれるようで、どうしても騒動にはなるようです。
国内の自作自演のテロの複線でしょうか。それとも、自然現象によって岩戸開きを起こす際にどうしても生活が苦境に立たされるようなことになれば、自制心を失った獣的な方々が暴れだすということもあるからでしょうか。
練り直すということの中には、神の臣民も学ぶべきことがそこに含まれるようにも思います。
続きを読む
第一巻 上つ巻 第一帖 (1)
臣民同士のいくさでない、カミと神、アカとあ か、ヒトと人、ニクと肉、タマと魂のいくさぞ。己の心を見よ、戦が済んでいないであ ろ、それで戦が済むと思うてゐるとは、あきれたものぞ、早く掃除せぬと間に合わん、何より掃除が第一。さびしさは人のみかは、神は幾万倍ぞ、さびしさ越へて時を待つ。加実が世界の王になる、てんし様が神と分らん臣民ばかり、口と心と行と、三つ揃うたまことを命(みこと)といふぞ。神の臣民みな命(みこと)になる身魂、掃除身魂結構。六月の十日、ひつくのかみ。
臣民には冒頭から身魂の洗濯をしなさいと云っているようです。そこには臣民同士の戦ではなく己の戦があるようで、その戦に対しては掃除が第一とのアドバイスがあるようです。
第一巻 上つ巻 第二帖 (2)
親と子であるから、臣民は可愛いから旅の苦をさしてあ るのに、苦に負けてよくもここまでおちぶれて仕まうたな。鼠でも三日先のことを知るのに、臣民は一寸先さへ分らぬほどに、よう曇りなされたな、それでも神の国の臣民、天道人を殺さず、食べ物がなくなっても死にはせぬ、ほんのしばらくぞ。木の根でも食うて居れ。闇のあ とには夜明け来る。神は見通しざから、心配するな。手柄は千倍万倍にして返すから、人に知れたら帳 引きとなるから、人に知れんやうに、人のため国のため働けよ、それがまことの神の神民ぞ。酒と煙草も勝手に作って暮らせる善き世になる、それまで我慢出来ない臣民 沢山ある。早く (モト)の神の申す通りにせねば、世界を泥の海にせねばならぬから、早うモト 心になりて呉れよ、神頼むぞよ。
救はねばならず、助かる臣民はなく、泥海にするは易いなれど、それでは元の神様にすまず、これだけにこと分けて知らしてあ るに、きかねばまだまだ痛い目をみせねばならん。
臣民は一寸先さえ曇っている状況のようですが、神の臣民としてふさわしいことをするならば殺さず、食べ物が無くなってもやるべきことがあるため死にはしないと読めます。ふさわしいことも人知れず行うことが原則のようで、手柄は千倍万倍に返って来るようですが、人に知れず人のため国のために働くことがまことの神の臣民なようです。まだまだ助かる状況には至っていないようで、わかるためにまだまだ痛い目を見せなければ目も覚めないようです。
第一巻 上つ巻 第四帖 (004)
急ぐなれど、臣民なかなかに言ふこときかぬから、言ふこときかねば、きく様にしてきかす。神には何もかも出来てゐるが、臣民まだ眼覚めぬか、金(かね)のいらぬ楽の世になるぞ。
神ばかりで洗濯するのは早いなれど、それでは臣民が可哀そうなから、臣民みなやり直さねばならぬから、気をつけてゐるのに何してゐるのざ、いつ何んなことあっても知らんぞ、神祭第一、神祭結構。二三の木ノ花咲耶姫の神様を祀りて呉れよ。コハナサクヤ姫様も祀りて呉れよ。
終末の時節ではまだまだお金に狂うことがあるようです。その中で目を覚ますようなことも起きるようです。臣民は皆やり直さなければならないから気をつけているのに大して行動も伴っていないようで注意を促しているようにも思います。
第一巻 上つ巻 第五帖 (5)
富士とは神の山のことぞ。神の山はみな富士(二二)といふのぞ。見晴らし台とは身を張らすとこぞ、身を張らすとは、身のなかを神にて張ることぞ。臣民の身の中に一杯に神の力を張らすことぞ。大庭の富士を探して見よ、神の米が出て来るから、それを大切にせよ。富士を開くとは心に神を満たすことぞ。
臣民は身の中を神の力で満たすことが大事なようです。
第一巻 上つ巻 第六帖 (6)
臣民は目のさきばかりより見えんから、可哀さうなから気をつけてゐるのに何してゐるのか。大切なことを忘れてゐるのに気がつかんか。この知らせをよく読みて呉れよ。十月まで待て。
臣民にその時まで待ちなさいと云っているようですが、その時までに大切なことを理解しないといけないようです。
第一巻 上つ巻 第七帖 (7)
いくら金積んで神の御用さして呉れいと申しても、因縁のある臣民でないと御用出来んぞ。
因縁のある臣民にしか出来ない御用があるようです。
第一巻 上つ巻 第十三帖 (13)
この身魂はいづれも落ちぶれてゐるから、たづねて来てもわからんから、よく気をつけて、どんなに落ちぶれている臣民でも、たづねて来た人は、親切にしてかへせよ。何事も時節が来たぞ。
神がかりをする人はどうにも貧乏のようで、どんなに落ちぶれていても親切に対応しなさいとのことです。
これは貧乏人に言っている内容ではないようにも思います。
上の人に言っているように思います。
第一巻 上つ巻 第十五帖 (15)
顔は神の臣民でも心は外国身魂ぞ、顔は外国人でも身魂は神の臣民あるぞ。やりかけた戦ぞ、とことんまで行かねば納まらん。臣民一度は無くなるところまでになるぞ、今のうちに この神示よく読んでゐて呉れよ。九月になったら用意して呉れよ。
外見は神の臣民でも成りすましの方がいるとでもとれるのでしょうか。
一度は臣民が無くなるとの内容があります。岩戸開きのいくつかの場面でお亡くなりになるということもあるように思います。
それまでにどのように身魂が磨けているかということが大事なように思います。うまい話には誠なしの典型のようにも思ったりもします。
九月になったら用意しなさいとは、十月が人類の落日の時節であるのなら、その直前の時節にはいろいろと用意しなさいということであれば、もしかしたらリアルタイムに今なのかなとも思います。
続きを読む
第十巻 水の巻 第十帖 (284)
「竜宮の乙姫殿とは玉依姫の神様(たまよりひめのかみさま)のおん事で御座るぞ。此の方の事 何れ判りて来るぞ。今はまだ知らしてならん事ぞ。知らす時節近づいたぞ。六月十一日、みづの一二 」
竜宮の乙姫殿=玉依姫の神様のようです。
第二十四巻 黄金の巻 第四十四帖 (555)
たな肱(ヒヂ)に、水泡(ミナワ)かきたり、御稲(ミトシ)そだてんを。
むか股に、ひぢかきよせて、たなつつくらむ。
狭田長田、ところせきまで、実のらせ給へ。
このひふみの臍とも云える場所かと思います。「ひぢかきよせて、たなつつくらむ」とするところの意味合いが、ひふみ曰くの身魂を三段に分けるともあることと絡んでそうな印象です。
第七巻 日の出の巻 第十八帖 (231)
「十柱とは火の神、木の神、金の神、日の出の神、竜宮の乙姫、雨の神、風の神、地震の神、荒の神、岩の神であるぞ。辛酉の日に祀りて呉れよ。暫く御神示出ないぞ。皆の者 早く今迄の神示肚に入れて呉れよ、神せけるぞ。神示読めば神示出て来るぞ。神祀り早く済せて呉れよ。」
十柱の神の中に入って紹介されてます。竜宮の乙姫は音秘とも記されているところもあるので、自然界での異常気象にまつわるどのような音で知らせるのかなとも思ったりします。辛酉の日に十柱の存在を一度に見たら大変そうでもあります。
第十巻 水の巻 第十帖 (284)
「竜宮の乙姫殿とは玉依姫の神様(たまよりひめのかみさま)のおん事で御座るぞ。此の方の事 何れ判りて来るぞ。」
乙姫殿は玉依姫の神様のことでもあるということのようです。
第十四巻 風の巻 第三帖 (354)
「愈々の大建替は国常立の大神様、豊雲野の大神様、金の神様、竜宮の乙姫様、先づ御活動ぞ。」
自然現象の中でも、大きい部分を現すような大神が大建替の担当をするようです。
第十五巻 岩の巻 第十帖 (375)
「竜宮の乙姫殿のお宝、誰にも判るまいがな。びっくり箱の一つであるぞ。」
ミロクをミロクたらしめるような宝のようですが、南極の氷が融けると現れるのでしょうか。
補巻 月光の巻 第三十一帖 (818)
「イヅモの神の社をかへて竜宮の乙姫(理由空云の音秘)様のお社を陸(理空)につくらねば、これからの世はうごきとれんことになるぞ。」
そういえば、今年は出雲大社でも伊勢神宮でも20年に一回かの社の建替えの時期に当たるようで、この間にこの世には神などいないと思わせるのに必要なことが起きて、陸に竜宮の乙姫様のお社もつくることになるのかなとも見ていたりします。
五十黙示録 補巻 紫金の巻 第十二帖 (142)
「竜宮の乙姫殿、日の出の神殿、岩の神殿、荒の神殿、風の神殿、雨の神殿、暗剣殿、地震の神殿、金神殿の九柱なり、総大将は国常立大神なり、このこと判りて下されよ、教はなくなるぞ、元の道が光り輝くぞ、これを惟神(かんながら)の道と申すぞ。 」
大建替のキャストでもあるようですが、元の道が光り輝く時節には、竜宮の乙姫殿が現れて、日の出の神が認識されると考えると、岩の神などは月の表面も大きい岩みたいなものですからそれらが明らかになれば、困った輩が荒れの時節を起こしだすとも読んだりしています。シナリオ順を示しているようにも思ったりしちゃいました。本格的に仕上げの時節には竜宮の乙姫殿の活動が大きく鍵を握るように思います。
第十七巻 地震の巻 第一帖 (378)
「われわれの一切は生れつつあ る。神も、宇宙も、森羅万象の悉くが、常に生れつつある。太陽は太陽として、太陰は太陰として、絶えず生れつづけている。」
太陽の対極にあるのが太陰だと読んでます。太陰もまた生まれ続けているようです。サタンもそうなのかなとも思うわけですが、なかなか初心者には難しいです。
第十七巻 地震の巻 第六帖 (383)
「各自の眼前に、それ相応な光があり、太陽があり、太陰があり、歓喜がある。それは、霊人たちが目でみるものではなく、額で見、額で感じ、受け入れるのであるが、その場合の額は、身体全体を集約した額である。地上人に於ても、その内的真実のものは額でのみ見得るものであって、目に見え、目にうつるものは、地上的約束下におかれ、映像された第二義的なものである。映像として真実であるが、第一義的真理ではない。故に、地上人の肉眼に映じたままのものが霊界に存在するのでない。内質に於ては同一であるが、現われ方や位置に於いては相違する。故に、霊界人が現実界を理解するに苦しみ、地上人は霊界を十分に感得し得ないのである。霊人の中では太陽を最も暗きものと感じて、太陽に背を向けて呼吸し、生長していると云う、地上人には理解するに困難なことが多い。要するに、これらの霊人は、反対のものを感じ、且つうけ入れて生活しているのであるが、其処にも、それ相当な歓喜があり、真実があり、生活がある。」
太陰は太陽を闇のように感得しているように読めます。ひふみでは額で感じるということを云っていますが、ここでも額で感じることを云っているみたいですね。それらを見るのも、映像としてみるのではなくその本質を見るという感じでしょうか。
第十七巻 地震の巻 第十四帖 (391)
「霊界に於ける事物は総て霊界における太陽と、太陰とによりて生れてくる。それは、地上に於ける場合と同じである。太陽と、太陰との交叉により生ずる歓喜によって、その生れたるものは更に一層の光輝を放ち、弥栄となる。」
太陽と太陰との交叉によって歓喜が生まれるようで、この辺りは、ひふみ曰くの合わないものと合わせて新しいものを見出すことと関連がありそうにも思います。
第十七巻 地震の巻 第十八帖 (395)
「霊界に住む霊人たちも、両性に区別することができる。陽人と、陰人とである。陽人は、陰人のために存在し、陰人は、陽人の為に存在する。太陽は、太陰によりて弥栄え、太陰は太陽によりて生命し歓喜するのである。この二者は、絶えず結ばれ、また絶えず反している。故に、二は一となり、三を生み出すのである。これを愛と信の結合、または結婚とも称えられている。三を生むとは、新しき生命を生み、且つ歓喜することである。」
太陽は相対する太陰によって永久に繁栄し、太陰は太陽によって生命し歓喜する。 信頼を得るときも、相手が合わない人でも基本的には信用できると納得した時だったりするので、結婚というのもそうかなあとも思ったりします。新しいものを見出し生むことがそこでの結婚の意味を成しているようにも思います。
http://18.pro.tok2.com/~solht0920070/sunmoon/category/36.htm
第十三巻 雨の巻 第五帖 (339)
「神示に書かしたら日月の神(一二 )が天明に書かすのであるから其の通りになるのであるぞ、皆仲よう相談して悪き事は気付け合ってやりて下され、それがまつりであるぞ、王(おー)の世が (さかさまのおー)の世になって居るのを今度は元に戻すのであるから、その事 早う判っておらんと一寸の地の上にもおれん事になるぞ、今度の戦(いくさ)すみたら世界一平一列一体になると知らしてあるが、一列一平 其の上に神が居ますのざぞ、神なき一平一列は秋の空ぞ、魔の仕組、神の仕組、早う旗印見て悟りて下されよ」
ここでの魔の仕組みとは、地球劇場のシステムのことだと思います。神の仕組みとは地球劇場のシステムを終了させる仕組みのことかと思います。
五十黙示録 第一巻 扶桑の巻 第十一帖 (11)
「世の中が悪いと思ふのは、大神が悪いと思ふことになるのぢゃぞ、其処に底知れぬ程の魔の仕組があるぞ、気つけおくぞ。」
世の中を悪いと思っていると、ひふみの云うこの世を天国と出来なければ神の国に住むことは出来ないとの話と逆行することになるようです。
五十黙示録 第二巻 碧玉の巻 第二帖 (17)
「気の合う者のみで和して御座るなれど、それでは和にならんと知らしてあろうがな、今度は合わんものと合せるのぢゃ、岩戸がひらけたから、さかさまのものが出て来てゐるのぢゃ、この行(ぎょう)、中々であるなれど、これが出来ねば岩戸はひらけんのぢゃ、マコトの神さえ魔神のワナにかかって御座るのぢゃ、人民がだまされるのも無理ないようなれど、だまされてゐては今度の御用は成就せんぞ。」
気の合わないもの同士で合わせることは大変のようですが、誠の神も魔神の罠にかかっているような状態なので、合わせていくしかなさそうです。
五十黙示録 第二巻 碧玉の巻 第八帖 (23)
「今の人民の申す善も悪も一度にひらいて、パッと咲き出るのが、次の世の新しき世の有様であるぞ、取違いせぬように、悪と申しても魔ではないぞ、アクであるぞ。」
ここでは悪は魔でなく灰汁であるとの内容のようです。これが抜けるとすっきりとした味にもなります。灰汁は通常捨てますので、大事な部分は残しますけど、要らない部分は新しい世には持っていけませんよってとこかなとも思いました。
五十黙示録 第三巻 星座の巻 第二十一帖 (55)
「今の芸術は死の芸術、魔の芸術です。」
生活の中にこそ芸術があると思いますが、芸術を商売に持ち上げて、生活の中で育つ芸術の素養を壊してしまっている部分も今の芸術にはあるように思います。
魔まとめ
魔の仕組みでは地球環境を都市攻撃とノアの大洪水のワンセットで人類の皆殺しのゲームの繰り返し、そこで産み育てる人間も云ってみれば人為的に商売として鳥のブロイラーのような環境で育てることで、皆殺しの後はその魂を吸収するのかと思いますが、ミロクと同じく魂の集合体である神サタンの性質をより強固にしようとしているように思います。
第一巻 上つ巻 第三十五帖 (35)
「まだまだ悪魔はえらい仕組してゐるぞ、神の国千切りと申してあるが、喩(たと)へではないぞ、いよいよとなりたら神が神力出して上下引っくり返して神代に致すぞ、とはの神代に致すぞ。」
九分九厘の時節までは、悪魔の蹂躙は続きそうです。九分九厘の時節にどう悪が改心されるのかが気になるところです。
第二巻 下つ巻 第三十三帖 (75)
「七人に知らしたら役員ぞ、神が命ずるのでない、自分から役員になるのぞと申してあろがな、役員は神のぢきぢきの使ひぞ、神柱ぞ。肉体男なら魂(たま)は女(おみな)ぞ、この道 十(と)りに来る悪魔あるから気つけ置くぞ。八月の三日、ひつ九のか三。」
この道をどう取りに来るのがわかりにくいですが、悪魔も役員に扮してこの道を取りにきているとも読めます。諸世紀の近づくものの予言にも似ているところがあるようにも思います。
第三巻 富士の巻 第九帖 (89)
「今の世は地獄の二段目ぞ、まだ一段下あるぞ、一度はそこまで下がるのぞ、今一苦労あると、くどう申してあることは、そこまで落ちることぞ、地獄の三段目まで落ちたら、もう人の住めん所ざから、悪魔と神ばかりの世にばかりなるのぞ。」
三段目まで落ちる時節があるようですが、そこは凄まじい世界のようです。この時が、神と獣と分けるという予言の状態なのかと思います。極限状態に置かれると本性が見えるのかなと思います。
第三巻 富士の巻 第十八帖 (98)
「これから一日々々烈しくなるぞ、臣民 心得て置いて呉れよ、物持たぬ人、物持てる人より強くなるぞ、泥棒が多くなれば泥棒が正しいと云ふことになるぞ、理屈は悪魔と知らしてあろが、保持(うけもち)の神様ひどくお怒りぞ、臣民の食ひ物、足りるやうに作らしてあるに、足らぬと申してゐるが、足らぬことないぞ、足らぬのは、やり方わるいのざぞ、食ひて生くべきもので人殺すとは何事ぞ。」
屁理屈のような御託を並べて、その時に向かう時節では、食料に関する無駄に多い支配層の備蓄やその邪魔を減らすためのウイルスなどによる散布による虐殺もあるようにも思ったりします。
第四巻 天つ巻 第四帖 (111)
「百人千人の改心なれば、どんなにでも出来るなれど、今度は世界中、神々様も畜生も悪魔も餓鬼も外道も三千世界の大洗濯ざから、そんなチョロコイ事ではないのざぞ」
世界中、神々も畜生も悪魔も餓鬼も外道も巻き込む三千世界の大洗濯の規模やスケールは大変に大きいようです。
第四巻 天つ巻 第五帖 (112)
「八から九から十から百から千から万から何が出るか分らんから神に献げな生きて行けん様になるのざが、悪魔にみいられてゐる人間いよいよ気の毒出来るのざぞ。」
いろんな食べ物も基本は神に献げてからいただかねばならないようです。ひふみの云う終末の時節では悪魔に魅入られている人間はいよいよ気の毒なことになるようです。
続きを読む
第五巻 地つ巻 第十九帖 (156)
新しい世の中になっての祝詞のようです。
第六巻 日月の巻 第二十四帖 (197)
「太陽(ひ)あるうちはことごとに太陽の御用せよ。月あるうちはことごとに月の神の御用せよ。それがまことの臣民ぞ。」
臣民は太陽の御用をするし、月の神の御用もするということで、それぞれの状況環境の中で御用をこなすことがまことの臣民であるようです。
第七巻 日の出の巻 第十三帖 (226)
「天にあるもの地にも必ずあるのざぞ、天地合せ鏡と聞かしてあろがな、天に太陽様ある様に地にも太陽様(おひさま)あるのざぞ、天にお月様ある様に地にもお月様あるのざぞ。」
天にあるものに対して、肉体を持つ存在が地にも存在することを示しているようにも思います。
第七巻 日の出の巻 第十四帖 (227)
「 お太陽(ひ)様円いのでないぞ、お月様も円いのではないぞ、地球も円いのではないぞ、人も円いのが良いのではないぞ、息してゐるから円く見えるのざぞ、活(はたら)いてゐるから円く見えるのざぞ、皆形無いものいふぞ、息してゐるもの皆円いのざぞ。」
お太陽様も活動しているから円く見えるということのようです。
第十七巻 地震の巻 第一帖 (378)
「われわれの一切は生れつつあ る。神も、宇宙も、森羅万象の悉くが、常に生れつつある。太陽は太陽として、太陰は太陰として、絶えず生れつづけている。」
太陽は太陽として絶えず生まれ続けているようです。われわれの一切とありますので、途方もないスケールであるということは思います。 諸世紀の太陽が何ゆえ太陽と呼ばれるかその所以もその内判ればいいかと思います。
第十七巻 地震の巻 第三帖 (380)
「すべて一にして二、二にして三であることを理解せねばならない。かくして、大神の大歓喜は、大いなる太陽と現われる。これによりて、新しく総てが生れ出る。太陽は、神の生み給えるものであるが、逆に、太陽から神が、更に新しく生れ給うのである。」
大神の大歓喜が大いなる太陽と現れる。これは惑星の太陽かと思いますが、太陽と現れるとその周りに一つの太陽系なりが形成されるということになると素直に読んでます。太陽のある環境の下で神の分霊のような人間のようなものも作られるのなら、聖書の人間は土から作ったという記述にもそうかなとも思ったりします。
続きを読む
第五巻 地つ巻 第九帖 (146)
ひつくの神にひと時拝せよ、神のめぐみ身にも受けよ、からだ甦るぞ、神の光を着よ、み光をいただけよ、食べよ、神ほど結構なものないぞ、今の臣民 日をいただかぬから病になるのざぞ、神の子は日の子と申してあらうがな。
今の臣民は日のエッセンスをいただかないと病になるようです。
第一巻 上つ巻 第一帖 (1)
「二二は晴れたり、日本晴れ。神の国のまことの神の力をあ らはす代となれる、仏もキリストも何も彼もはっきり助けて七六かしい御苦労のない代が来るから みたまを不断に磨いて一筋の誠を通して呉れよ。」
岩戸開きの時節では神の国のまことの神の力が現される時代になって行くと読めます。
まことの神の力を発揮するために身魂を磨いて、誠実に誠を通しぬきなさいとも指令が出てます。
第一巻 上つ巻 第二帖 (2)
「神は見通しざから、心配するな。手柄は千倍万倍にして返すから、人に知れたら帳 引きとなるから、人に知れんやうに、人のため国のため働けよ、それがまことの神の神民ぞ。」
人に知られないように、誠一筋を貫き通し、人のため国のため働くことが出来るようになれば、まことの神の神民と言えるようです。
第一巻 上つ巻 第十二帖 (12)
「この道はちっとも心ゆるせんまことの神の道ぞ。」
誠実が欠けている臣民はまことの神の道を歩むことが困難な様です。
第一巻 上つ巻 第三十二帖 (32)
「ヒツグはまことの神の臣民ぞ、ミツグは外国の民ぞ。 と と結びて一二三(ひふみ)となるのざから、外国人も神の子ざから外国人も助けなならんと申してあらうがな。」
ヒツグとミツグという民がいるようですが、ヒツグがまことの神の臣民のようです。二つの民を掛け合わせて一二三となるようですので、何やら合成するみたいですが、お互いの存在があってこそ一二三(三千世界の真実の誠のようなもの)が浮き彫りになるとかそのように読めます。お互い御役があって存在しているようですので、大きい視野で見ればミツグも神の子になるようでまことの神の臣民は助けなければミツグを助けなければいけないように読めます。
第二巻 下つ巻 第二十帖 (62)
「神力が九分九厘まで負けた様になったときに、まことの神力出して、ぐれんと引繰り返して、神の世にして、日本のてんし様が世界まるめてしろしめす世と致して、天地神々様にお目にかけるぞ。」
世の情勢が九分九厘まで神力を負けさせるようになったとき、まことの神力が発動するようです。
第二巻 下つ巻 第二十一帖 (63)
「ばかりでもならぬ、 ばかりでもならぬ。 がまことの神の元の国の姿ぞ。」
神の国にも外国にも通じる誠の精神のようなものが仕込まれた@がまことの神の元の国の姿と読んでいます。一厘の仕組は、(太陽・ミロクにのみ分かるシナリオ・人々の進化転生へ至る仕組)というようなものだとしますとミロクだけが知りえる神人を作り出す仕組みとでも云うのかなとも思います。
第二巻 下つ巻 第二十五帖 (67)
「臣民は神がこの世にないものといふ様になるぞ、それからが、いよいよ正念場ぞ、まことの神の民と獣とをハッキリするのはそれからぞ。」
都市攻撃が起きた時節には、人類同士の戦争は出来なくなるものと思いますし、それまでのめぐりの蓄積なりで身魂の通り、まことの神の民と獣がはっきりわかれていくようです。
続きを読む
アラカルトより神の子、日の子、太陽について。
3. 「日の子」~天照大神によって産み出されていますので、太陽 (日)・天照大神の子供と云う意味で、「日の子」という言い方になります。ときには「神の子」と省略形式で使われることもあります
4. 「神の子」~「日の子」と同じような意味であるが、キリスト教のキリストも「神の子」を詐称していますので、神示を読むときはその区別をする注意が必要です。
5. 「太陽」~「日の子」と同じような意味ですが、「天照」が宇宙全体を領域にしているのに対して、「太陽は地球のある太陽系」と限定された領域で活動している人間のミロクを指し示しています。
神の子を含む帖からの抜粋。
神の子 上つ巻第2帖
「冬の先が春とは限らんぞ。 の国を八つに切って殺す悪の計画、 の国にも外国の臣が居り、外国にも神の子がゐる。岩戸が明けたら一度に分かる。」
ここの外国の神の子とは、キリスト教のキリストのことでしょうかね。岩戸が明ければ、どんな存在であったのかは人類も一度にわかるというのは納得です。
神の子 上つ巻第32帖
「外国人も神の子ざから外国人も助けなならんと申してあらうがな。一二三唱へて岩戸あくぞ。」
降りた日付が7月2日と読むと、自分はノストラダムスの命日を思うわけですが、ユダヤ人の血を持つ彼からの太陽への通信の中身にはキリストも将来皆さんの前で謝るということの予言の内容もあるので、例えキリストの軍隊がサタンの命により都市攻撃を行うとしても、恨みぬかずに事情を理解して抱き参らせることも必要なのかなとも思います。
ひふみには仏もキリストも救わなければならないというようなことも書かれてありますので、ひふみを読み解いて一二三として改心の道しるべくらいは記せるといいのかと思います。
概要はMFさんによってすでに読み解かれ始めてますので、それが各国の機関によって検証、実証されれば岩戸も目に見えて開くようにも思います。
神の子 富士の巻第25帖
「世界中の臣民はみなこの方の臣民であるから、殊に可愛い子には旅させねばならぬから、どんなことあっても神の子ざから、神疑はぬ様になされよ、神疑ふと気の毒出来るぞ。」
ミロクにとっては、世界中の臣民は可愛い子であり、神の子であるようです。
神の子 地つ巻第9帖
「ひつくの神にひと時拝せよ、神のめぐみ身にも受けよ、からだ甦るぞ、神の光を着よ、み光をいただけよ、食べよ、神ほど結構なものないぞ、今の臣民 日をいただかぬから病になるのざぞ、神の子は日の子と申してあらうがな。」
ひふみの云うまことを照らす光を着、光をいただくことで身体が蘇るようです。神の子は日の子でもあって、同じ性質のものを取り入れなさいと云っているように取れます。
神の子 地つ巻第35帖
「外国人もみな神の子ざから、一人残らずに助けたいのがこの方の願ひと申してあらうがな、今に日本の国の光出るぞ、その時になりて改心出来て居らぬと臣民は苦しくて日本のお土の上に居れんやうになるのぞ」
外国人も神の子のようで、皆助けたいというのがミロクの願いのようです。
続きを読む
第02巻 下つ巻 第05帖 (047)
「江戸に神と人との集まる宮建てよ、建てると申しても家は型でよいぞ、仮のものざから人の住んでゐる家でよいぞ。 の石まつりて、神人祭りて呉れよ。」
ここで説明していることは、諸都市の各家のPCで@の情報を扱ったホームページを閲覧しなさい。というような内容に読めます。神人はいわゆる神がかった人だと思いますが、ここでは諸世紀の太陽、ひふみ曰くの地のミロクを指すものかと思います。@の石というものが何なのか思いますが、石に意志等をかけているのだとすれば、@=ひふみの大神の意志、意図などを理解していろんな情報をひふみ曰くサニワしながら情勢などを読みながら、神人=諸世紀曰くの太陽、ひふみ曰くの地のミロクを祭りなさいとも取れました。
第06巻 日月の巻 第24帖 (197)
「自分なくならねばならぬのざぞ。神人一つになるのざぞ。」
神人の行き着く先の状態が自分がなくなり、神と人とが同じ方向へ一致するような感じなのかなと思います。
この帖で興味深いのは、
「夜明けたら生命(いのち)神に頂いたと申してあろがな。太陽(ひ)あるうちはことごとに太陽の御用せよ。月あるうちはことごとに月の神の御用せよ。それがまことの臣民ぞ。」
それとなく太陽の御用として太陽に触れている点かなって思います。
第08巻 磐戸の巻 第01帖 (237)
「イワトひらくには神人共にゑらぎにぎはふのざぞ、カミカカリして唱ひ舞ふのざぞ、ウズメノミコトいるのざぞ。ウズメとは女(おみな)のみでないぞ、男(おのこ)もウズメざぞ、女のタマは男、男のタマは女と申してあろがな。」
岩戸開きの時節では、神と人がえらく賑わうようです。最近よく出てくることが多い予言者なども神人の範疇に入るのかな?そうでもない人もいるようですが。相当、上から見ているとその様子は賑わっている様に見えるようです。
第09巻 キの巻 第11帖 (268)
「一二三(ひふみ)とは限りなき神の弥栄であるぞ、一(ひ)は始めなき始であるぞ、ケは終りなき終りであるぞ、神の能(はたらき)が一二三であるぞ、始なく終なく弥栄の中今(なかいま)ぞ。一二三は神の息吹であるぞ、一二三唱えよ、神人共に一二三唱へて岩戸開けるのざぞ」
神と人の共同作業が岩戸開きという印象です。虚構が通じなくなった際に、一切の詭弁が通じなくなるようなものも神の息吹のようなものかなとも思います。
ここ5年くらいの一二三の内容が普段の生活の中で使われた候補のものとしては、2002年ごろのヤフーの掲示板論争のMFさんの内容がそのようなもののように思います。
第09巻 キの巻 第15帖 (272)
「元津神々人の世ひらき和し、悉くの神人みつ道、勇み出で、総てはひふみひふみとなり、和し勇む大道。」
元津神々が人の世を開き和すようですが、その世では神人がその道には満ちているようです。そのためには改心、身魂の洗濯などをし、国のめぐりも含めてわびなければいけないようです。
大和朝廷が出来る以前も含めて現代まで人類が絶えることなく今存在しているということは、良い悪いに限らず時の権力者の意向に沿ってやって来たことがたくさんあるかと思います。現代に生きる我々はその起こして来たことの果てに存在しているのかなとも推測します。それらは今めぐりとなって積もり積もって清算する時節を迎えようとしているので、今のうちに借銭なしになるようにしなさいと云っているようです。
続きを読む
第06巻 日月の巻 第11帖 (184)
「悪神の仕組は此の方には判りてゐるから一度に潰す事は易いなれど、それでは天の大神様にすまんなり、悪殺して終(しま)ふのではなく、悪改心さして、五六七(みろく)のうれしうれしの世にするのが神の願ひざから、この道理忘れるでないぞ。」
ミロクには悪神(サタン)の仕組みはお見通しのようです。
第06巻 日月の巻 第17帖 (190)
「此の方の仕組 日に日に変るのざから、臣民わからなくなると申してあろが。日に日に烈しく変りて来るのざぞ。神の子には神示伝へてくれよ。神せけるぞ。渦海(うづうみ)の御用結構。」
ミロクの仕組みは柔軟性や変化に富んでいるようで、なかなか臣民がついていくのは難しいそうです。ここの神の子というのは諸世紀曰くの太陽のことかと思います。天明氏に未来の太陽に伝わるようにしなさいとも伝えている内容かとも思います。その変化に対応できるのがミロクだからということでもあるのかなと思いました。
第06巻 日月の巻 第27帖 (200)
「此の方の申すこと小さく取りては見当取れんと申してあろがな。三千世界の事ぞ。日本ばかりが可愛いのではないぞ、世界の臣民 皆わが子ぞ。わけへだてないのざぞ。この神示よみて聞かしてくれよ。読めば読むほどあかるくなるぞ。富士晴れるのざぞ。神の心晴れるのざぞ。あらたぬし世ぞ。」
ひふみでは外国の方が早く改心するとあります。その辺りからもミロクが云う世界の臣民がわが子だということが多少見えてくるように思います。
第07巻 日の出の巻 第01帖 (214)
「春とならば萌(もえ)出づるのざぞ、草木許りでないぞ、何もかも もえ出づるのぞ、此の方の申す事 譬(たとへ)でないと申してあろが、少しは会得(わか)りたか。」
岩戸開きの時節の始まりを春とならば萌出づるという表現になっているようにも思いますが、100年前からミロクが伝えてきたことが例えではないということを理解してきてますか?という問いかけのように思います。実際、その予言の言うように草木許りでなく、自然現象や社会での事象でひふみの云う誠などが現出して、云っていることの通り推移しているのは感じるところです。
第07巻 日の出の巻 第08帖 (221)
「日本の国は此の方の肉体と申してあろがな、何んな宝もかくしてあるのざぞ、神の御用なら、何時でも、何んなものでも与へるのざぞ、心大きく持ちてどしどしやりて呉れよ。集団(まどい)作るなと申せば、ばらばらでゐるが裏には裏あると申してあろが、心配(こころくば)れよ。」
日本の国はミロクの肉体と例えられるようです。探せば岩戸閉めになって隠されたものも宝として認識できるのかなとも思います。集団の作り方にもいろいろと工夫があるようです。日本がミロクの肉体であるのなら、その肉体の病も四十七回噛んでから呑むとどんな病でも治るとすると、咀嚼に値するのはどんなことなのでしょう。自然現象の訴えなどがそれに該当するのかな?ととも思ったりします。
第07巻 日の出の巻 第15帖 (228)
「此の方 意富加牟豆美神(オホカムツミノカミ)であるぞ。」
此の方はオホカムツミノ神で臣民を死から追い払う神のようです。
第07巻 日の出の巻 第20帖 (233)
「此の方は力あり過ぎて失敗(しくじ)った神ざぞ、此の世かもう神でも我出すと失敗るのざぞ、何んな力あったとて我出すまいぞ、此の方がよい手本(みせしめ)ぞ。世界かもう此の方さへ我で失敗ったのぞ、執念(くど)い様なれど我出すなよ、慢心と取違ひが一等気ざはりざぞ。改心ちぐはぐざから物事後先になりたぞ、経綸少しは変るぞ。今の役員、神の道広めると申して我(われ)を弘めてゐるでないか、そんな事では役員とは言はさんぞ。」
ミロクは力があり過ぎてしくじった存在のようです。我を出すと失敗するようです。ミロクはその克服をして現在に至っているようです。
第08巻 磐戸の巻 第15帖 (251)
「皆和合して呉れよ。わるき言葉、息吹が此の方一番邪魔になるぞ、苦労なしにはマコト判らんぞ、慾はいらぬぞ、慾出したら曇るぞ。」
悪く云う言葉、息吹(悪く云う気配や兆候)がミロクには一番邪魔になるようです。
「神いぶきとは一二三書いた紙、神前に供へてから分けてやるもののことざぞ。」
この内容の一二三とは三千世界の真相、ミロク顕現の成り立ちなどを説明することをデータベースにしてサイトに並べることを神前に供えるとして、そこから項目別に分けて考察し、インターネットウエブ上に掲載されて世界中に広まるような様を分けるという表現になるのかなと思いますし、それらは神息吹の一部の例とも取れるように思います。実際にはそれだけでなく、霊体のミロクが現実世界に及ぼす影響などもいろいろあるでしょうから、その影響を神息吹と云うのが正しいのかなとも思います。
続きを読む
第02巻 下つ巻 第07帖 (049)
「この神は信者集めて喜ぶやうな神でないぞ、世界中の民みな信者ぞ、それで教会のやうなことするなと申すのぞ、世界中大洗濯する神ざから、小さいこと思うてゐると見当とれんことになるぞ。」
ミロクは宗教のような組織をつくるつもりはないようで、教会の様なお布施を集めたりするようなまねはやめなさいとも云っているようです。
第02巻 下つ巻 第09帖 (051)
「この方の神示(ふで)書く役員、神示うつす役員、神示説いてきかす役員要るぞ、役員は人の後について便所を掃除するだけの心掛ないとつとまらんぞ、役員づらしたら直ぐ替身魂使ふぞ。七月の十七日、一二のか三。」
ミロクのお手伝いをする人について書かれているようです。後始末をしてまわるような心がけが必要なようです。偶然か、活動を改めて袂別れをした日が七月十七日というのも後になれば分かることもあるのだと思います。
第02巻 下つ巻 第14帖 (056)
「小さいことはそれぞれの神にきいて呉れよ、一人ひとり、何でもききたいことは、病直すことも、それぞれの神がするから、サニワでお告うけて呉れよ、この方の家来の神が知らせるから何でもきけよ。病も直してやるぞ、その神たよりたなら、身魂みがけただけの神徳あるぞ。」
岩戸開きの時節では、ミロクの家来の神が知らせることもあるようです。サニワというのはなかなか難しいことのようですが、お告をうけなさいと云う事はどのようなことなのか見極められるようになりなさいとも云っているように思います。
時節の後半のミロクの現れる頃には相当悪い状況があるようですから、その時に道を誤らないように忠告されているのかもとも思います。
第02巻 下つ巻 第15帖 (057)
「この方祀りて神示(ふで)書かすのは一所なれど、いくらでも分け霊(みたま)するから、ひとりひとり祀りてサニワ作りてもよいぞ。祀る時は先づ鎮守様によくお願いしてから祀れよ」
ミロクの方針は来るもの拒まず去るもの追わずの方針であれば、その過程で分け霊することもたくさんあるのではないかと思います。サニワを作れたら分け霊としては成功かと思います。
第02巻 下つ巻 第23帖 (065)
「この方祀るのは天(あめ)のひつくの家ぞ」
この方ミロクを祀るのは天(宇宙)のミロクの家だそうですので、その祀る時期とかは秋立つ前、八月とか七月とか何かあるようにも思います。諸世紀の王の鳥の予言などともリンクしそうにも思いました。
第02巻 下つ巻 第26帖 (068)
「喧嘩して大き声する所にはこの方鎮まらんぞ、この事忘れるなよ。」
ミロクのいるところでは喧騒はないようです。個人的な感想ですが、現在袂別れをしてから5ヶ月ほど経ちましたが、その間、新しい方針もあるからか大変に静かでサイトのアクセス数も安定してます。
第02巻 下つ巻 第27帖 (069)
「この方は祓戸(はらへど)の神とも現はれるぞ。この方祀るのは富士に三と所、 海に三と所、江戸にも三と所ぞ、奥山、中山、一の宮ぞ」
ミロクは異常気象の神と一緒に現れるようです。異常気象が叫ばれるようになったのは、90年代初めごろからでなかったと思います。仮に93年の日本で起きた冷夏の時期からするとすでに14年は経過していて、長いスパンで見ると確実に世の中の真実は見えてきている感があります。
続きを読む
第03巻 富士の巻 第04帖 (084)
「一二三(ひふみ)の仕組が済みたら三四五(みよいづ)の仕組ぞと申してありたが、世の本の仕組は三四五の仕組から五六七(みろく)の仕組となるのぞ、五六七の仕組とは弥勒(みろく)の仕組のことぞ、獣と臣民とハッキリ判りたら、それぞれの本性出すのぞ、今度は万劫末代のことぞ、気の毒出来るから洗濯大切と申してあるのぞ。」
五六七とはミロクを差すようです。五六七の仕組みでは獣と臣民がはっきり分かれるようで過ごし方も工夫がいる時節でもあるのかなと思います。
第03巻 富士の巻 第06帖 (086)
「三四五(みよいづ)から五六七(みろく)の世になれば天地光りて何もかも見えすくぞ。」
五六七の世になると三四五での前兆がよりはっきりと世の中に具現化されるのかと思います。
第03巻 富士の巻 第15帖 (095)
「一二三は神食。三四五は人食、五六七は動物食、七八九は草食ぞ、九十は元に、一二三の次の食、神国弥栄ぞよ。人、三四五食に病ないぞ。」
五六七は動物食ということで、生命ある存在がいただくようなもののようです。
第04巻 天つ巻 第10帖 (117)
「一二三の裏に 一二、三四五の裏に二三四、五六七の裏に四五六の御用あるぞ。五六七すんだら七八九ぞ、七八九の裏には六七八あるぞ、八九十の御用もあるぞ。」
御用にもいろいろと種類があるようですが、様々な前後の関わりを持つ複雑な仕組みをしているようにも思えるのでパッと見ではわからないように思います。だんだんに知らすとあるので、もしかしたら検証していればその内に理解できることもあろうかと思います。
第04巻 天つ巻 第27帖 (134)
「石物いふ時来るぞ、草物いふ時来るぞ。北おがめよ、北光るぞ、北よくなるぞ、夕方よくなるぞ、暑さ寒さ、やはらかくなるぞ、五六七(みろく)の世となるぞ。」
石が専制王国の立国を宣言するときでしょうか?草もそうは行くかと物を云うようでその頃には、情勢が少し明るくなるものになるようです。
第04巻 天つ巻 第30帖 (137)
「日本ばかりでないぞ、国々ところところに仕組して神柱つくりてあるから、今にびっくりすること出来るのざぞ、世界の臣民にみな喜ばれるとき来るのざぞ。五六七(みろく)の世近づいて来たぞ。」
世界中でミロクの仕組みをした神柱が出てくるようで、その時節を見るとき、五六七の世は近づいているとも読めます。
続きを読む
第03巻 富士の巻 第04帖 (084)
「五六七の仕組とは弥勒(みろく)の仕組のことぞ」
弥勒が出てくる仕組みであるのなら、2007年12月現在では時節なのか、UFOの論争もちらちらと国会で冗談交じりにも流されたり月の探査も本格化しているようなので、解釈どおり2008年から五の年にはいるのであれば、いよいよこれからが大変な時節となるのかも。
第03巻 富士の巻 第17帖 (097)
「お上に神祀りて呉れよ、神にまつらうて呉れよ、神くどう申して置くぞ、早う祀らねば間に合はんのざぞ、神の国の山々には皆神祀れ、川々にみな神まつれ、野にもまつれ、臣民の家々にも落つる隈なく神まつれ、まつりまつりて弥勒(みろく)の世となるのぞ。」
神を祀るという行為には、その対象に神の意図の様なものを注ぐという風にも取れます。
第03巻 富士の巻 第19帖 (099)
「一時は天も地も一つにまぜまぜにするのざから、人一人も生きては居れんのざぞ、それが済んでから、身魂みがけた臣民ばかり、神が拾ひ上げて弥勒(みろく)の世の臣民とするのぞ」
弥勒の世の住人になるためには必ずどこかの場面でお亡くなりになることも告げられているようです。身魂が磨かれると、そうした中でも神が拾い上げるようです。
第16巻 荒の巻 第01帖 (377)
この帖では、弥勒についていろいろと語られているようです。弥勒の世にいたる大きい前兆として、女王の飛来についても記載があるので、大変に関心もある帖です。長いのが難点です。
第13巻 雨の巻 第03帖 (337)
「天からミロク様みづの御守護遊ばすなり」
天のミロクが水の守護をすると説明してあるようです。神の霊のような存在がその守護にあたると読めます。都市攻撃やノアの大洪水ではその守護にあたる部分ではそれぞれの神が分業を取っているようにも思えます。
第16巻 荒の巻 第01帖 (377)
紹介だけとさせていただきます。
第18巻 光の巻 第05帖 (401)
「ミロク様とはマコトのアマテラススメラ太神様のことでござるぞ。」
この世を真に明るく照らし、今日の文明を再構築するのがミロクのようです。
第20巻 梅の巻 第17帖 (444)
「次の世がミロクの世、天の御先祖様なり」
次の世は、ミロクの世になるようで、ひふみの内容をよく理解しておかないといけないようです。
第20巻 梅の巻 第20帖 (447)
「ミロク様が月の大神様。」
この辺りは、パッと見るとうーんとうなってしまいますが、ミロクの世では、神サタンが統治していた太陽系はミロクの管轄下に置かれるという意味にとっています。
第20巻 梅の巻 第27帖 (454)
「ミロクの世の礎 早う固めくれよ。」
ミロクのそろばんの扱いには人間はかなわないようです。善も悪もそれなりに使いこなしてしまうミロクの采配になれなければ、ミロクの世に住むのは難しいかと思います。
第21巻 空の巻 第09帖 (464)
「ミロク世に出づには神の人民お手柄致さなならんぞ」
ミロクが現れるためには人民のお手柄が不可欠のようです。
続きを読む
「みろく」ミロク、弥勒、五六七 富士の巻第4帖
「世の本の仕組は三四五の仕組から五六七(みろく)の仕組となるのぞ、五六七の仕組とは弥勒(みろく)の仕組のことぞ」
2004年を一二三の仕組みの始まりとして、順当に進んだ場合、今は三四五の仕組の真っ最中で、来年から五六七の仕組みの始まる時節との見方も出ていますが、それだけで区切るよりも、獣と臣民がハッキリ判れる時節を観察しながら検証を進めると、ひふみの云う少しくらいの遅し早しはあるということにもつながって誤差も修正出来るかなとも思います。地上にいる弥勒に、出番の時期を示唆している内容にも思いました。
「みろく」ミロク,弥勒、五六七 富士の巻第6帖
「三四五(みよいづ)から五六七(みろく)の世になれば天地光りて何もかも見えすくぞ。八月のこと、八月の世界のこと、よく気つけて置いて呉れよ、いよいよ世が迫りて来ると、やり直し出来んと申してあろがな。」
五六七の世になれば何事も見え透くようです。旧暦八月に注目すべきことがあるようです。
「みろく」ミロク、弥勒、五六七 富士の巻第17帖
「神の国の山々には皆神祀れ、川々にみな神まつれ、野にもまつれ、臣民の家々にも落つる隈なく神まつれ、まつりまつりて弥勒(みろく)の世となるのぞ。」
弥勒の世になるにあたり、自然や家に目を向けて理解しなくてはいけないことがたくさんあるようです。
「みろく」ミロク、弥勒、五六七 富士の巻第19帖
「一時は天も地も一つにまぜまぜにするのざから、人一人も生きては居れんのざぞ、それが済んでから、身魂みがけた臣民ばかり、神が拾ひ上げて弥勒(みろく)の世の臣民とするのぞ」
この時節では、弥勒の世に行くためには身魂を磨かなくてはいけないようです。
「みろく」ミロク、弥勒、五六七 天つ巻第21帖
「みろく出づるには、はじめ半(なか)ばは焼くぞ、人、二分は死、みな人、神の宮となる。」
みろくが出るには、都市攻撃で50%は焼き払われるようです。全人口の20%は死んで、残った人は神がかりするための宮となるようです。
「みろく」ミロク、弥勒、五六七 天つ巻第27帖
「石物いふ時来るぞ、草物いふ時来るぞ。北おがめよ、北光るぞ、北よくなるぞ、夕方よくなるぞ、暑さ寒さ、やはらかくなるぞ、五六七(みろく)の世となるぞ。」
五六七の世になる前には、支配層が物を云ったり、庶民が物を云うようになる時節があるようですが、その背景では神界が良くなる状況があったり、人類にとっての夕方の終末の時節の過ごし方が大難が小難になるくらいの状況があるとも取れました。そのためには物事の中心となる軸を押さえないと、見えてこなくて大難が小難には程遠くなるかなとも思います。
「みろく」ミロク、弥勒、五六七 天つ巻第30帖
「日本ばかりでないぞ、国々ところところに仕組して神柱つくりてあるから、今にびっくりすること出来るのざぞ、世界の臣民にみな喜ばれるとき来るのざぞ。五六七(みろく)の世近づいて来たぞ。」
五六七の世の近づいて来る前兆の中には、ビックリするようないろいろな事を成すことがあるようです。
続きを読む
- 今日:
- 昨日:
- 累計: