目覚めたら其の日の生命頂いたのぢゃと申してあろ、新しき生命 弥栄に生れるのぢゃ。
今日一日 神に仕へまつれよ、与へられた仕事 御用ざぞ、生命ざぞ、取違ひ致すでないぞ。
七月になると上の人民番頭殿、顔の色 悪うなって来るぞ、
八九月となれば愈々変って来るぞ、秋の紅葉の色変るぞ。
いくら因縁ありてもミタマ曇ってゐると今度は気の毒出来るから、今度 引寄せられた人民ぢゃとて役員ぢゃと云ふて、ちっとも気ゆるし出来ん。
澄んだ言霊(ことだま)で神示よみ上げてくれよ、
三千世界に聞かすのぢゃ、
そんな事で世がよくなるかと人民申すであらうなれど神の申す通り、
判らいでも神の申す通りにやって下されよ、
三千世界に響き渡って神々様も臣民人民様も心の中から改心する様になるのざぞ、
世が迫って居ることは、
どの神々様人民にもよく判ってゐて、誠求めて御座るのぢゃ、誠知らしてやれよ。
何も彼も一度に出て来るぞ、
日増しにはげしくなって来るぞ、
どうすることも出来ん様に、
悪神、悪の人民、手も足も出せん事に、
何から何まで、何が何だか判らん事に折り重なって来るぞ、
キリキリ舞せなならん事になって来るぞ、
キリキリ舞にも良きと悪しきとあるぞ、
良きは結構ぢゃなあ、
中々ぢゃ。
十一月十六日、一二 。
此の帖では
「 口と心と行と三つ揃ふたら今度は次に入れて下されよ、
は神ぢゃ、
神示ぢゃ、 神示元ぢゃ、と申してあろが、
三つ揃ふても肝腎の神示肚に入って居らんと何にもならん事になるぞ。」
心口意が揃っても即ち身魂が磨けても心に神(太陽(ミロク)様)を入れて下さい。
そうすることで「目覚めたら其の日の生命頂いたのぢゃと申してあろ、新しき生命 弥栄に生れるのぢゃ。 」
携挙され半霊半物質の新しい生命がミロクの世で芽出度く生まれ出るのです。
と言っています。
この帖も夜明けの巻 第03帖と関連してます。
そして、
「七月になると上の人民番頭殿、顔の色 悪うなって来るぞ、八九月となれば愈々変って来るぞ、秋の紅葉の色変るぞ。 」
成り成りて開く月には、政治家の顔色が悪くなってきます。
これは世界の政治の終焉のことでしょう。
その後の文章は読んだとおりです。
碧玉の巻 第05帖 (020)
碧玉の巻 第05帖(869)
七は成り、八は開くと申してあろうが、
八の隈(くま)からひらきかけるのであるぞ、
ひらけるとと九と十との三が出てくる、
これを宮と申すのぞ、
宮とはマコトのことであるぞ、
西と東に宮建てよと申すこと、
これでよく判るであろうが、
マコトの数を合せると五と五十であるぞ。
中心に五があり、その周辺が五十となるのであるぞ。
これが根本の型であり、
型の歌であり、
型の数であるぞ、
摩邇(マニ)の宝珠(タマ)であるぞ、
五十は伊勢であるぞ、
五百は日本であるぞ、
五千は世界であるぞ、
このほう五千の山、
五万の川、
五億のクニであるぞと申してあろうがな。
此の帖では、「七は成り、八は開くと申してあろうが」と上の解説で引用した七と八についての説明があります。
ひらけるとと九と十との三が出てくる、
とは岩戸が開けると月(神サタン)と都市攻撃・携挙・ノアの大洪水と神の仕組みの三が出てくる、出てくることによってミロクの世となるのです。
ミロクの世とは神のことです。
世界がミロクの世になることが良く解かったであろう。
神のご神体を合わせると五と五十です。
中心の神が五体であり、その周りに五十の神々が居ます。
これがミロクの世の根本の型であり、型の歌であり、型の数です、
魔邇宝珠(太陽(ミロク)様)です。
五十体の神様は日本の神々であり、五百体は世界の神々であり、五千体は三千世界の神々です。
この方太陽(ミロク)様は三千世界の王であると申してあるぞ。
と解釈しました。

千成のメール
不動心さん、考察ありがとうございます。
すごい考察です。
これほど凄い考察が出てくるとは超ビックリ!
旧九月八日を解釈すると、特定の月日ではなく携挙のその秋(とき)のことであり、ここでは携挙されるべき人々に身魂を磨く重要さと心構えを語りかけていると言う解釈が成り立つと考えられます。
旧九月八日は特定の日では なかったのですかぁ。
旧九月八日に関してよくこんなに総合的な考察ができましたね。
う~ん。
凄すぎ!