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Japan On the Globe(497)
国際派日本人養成講座
地球史探訪: 冷戦、信長 対 キリシタン(上)
信長の危機感
信者を増やし、キリシタン大名を操る宣教師たちの動きに信長は危機感を抱いた。
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1. 「盗賊にして何かを得んと欲するか」 天正8(1580)年、信長は安土城において、いつものように多数の家臣たちを同席させて、宣教師オルガンチーノとその弟子ロレンソ(琵琶法師から宣教師の弟子になった盲目の日本人)と3時間にわたって宗教論議を楽しんだ。
その後、信長は二人を別室に招いた。そこには、以前、宣教師から献上された地球儀があった。
信長はオルガンチーノに乞うて、ヨーロッパから日本に至る道程を地球儀の上で示させた上で、「此(これ)の如き旅行は大なる勇気と強き心ある者にあらざれば実行すること能(あた)わず」と称賛し、笑いながら、こう述べた。
汝らが此の如く多数の危険と海洋を超えるは、或(あるい)は盗賊にして何かを得んと欲するか、或は説かんとする所重要なるに因(よ)れるか。
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そして彼らの説くキリスト教の教義や科学知識に興味を持ち、彼らと議論をすることを好んだ。
しかし、信長は宣教師たちが熱心に勧めるキリスト教に帰依することはついになかった。
キリシタンたちは何のためにはるばる地球の裏側から、危険を冒し、万里の波濤を超えて、日本にやってきたのか。
純粋な布教目的だけで、そこまでするだろうか。
「盗賊にして何かを得んと欲するか」と疑うのは、戦国時代を戦い抜いた武将として当然の防衛本能であろう。
信長の疑念に、オルガンチーノはこう答えた。
ご尤(もっと)もである。
何故なら、我らは盗賊にして日本人の魂と心を悪魔の手より奪ひて其(その)造主(つくりぬし)の手に渡さんが為に来れるなり。
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冗談めかして「盗賊」に喩える信長と、それに巧みに応じたオルガンチーノとの間には、冷たい火花が飛び交っていた。
3. ポルトガルの野望 1411年、ポルトガルはイスラム勢力下にあったアフリカ北岸の商業都市セウタを陥落させた。
ローマ教皇はこれを称賛し、この地をキリスト教騎士団の所領としてポルトガルに与えた。
当時、地中海からペルシャ湾を経てインド洋に至る海域はイスラム帝国オスマン=トルコが支配し、インドや東南アジアとの交易を独占していた。
ポルトガルはアフリカ大陸を迂回してアジアに至る交易ルートを開拓することによって、オスマン=トルコの独占していた莫大な利益を奪おうとした。
そこでセウタの所領から上がる潤沢な収益を使って、造船技術者、天文学者、地図制作者などを高給で雇い、海洋航海術を研究させて、大航海事業に乗り出したのである。[a]
つづく
信長は記録に残っているだけでも永禄12(1569)年のフロイスとの最初の会見以来、他の宣教師も含めて、14年間で31回以上の会見を行っている。