さてはてメモ帳さんの続きです。
http://satehate.exblog.jp/15284881/
<転載開始>
ソンミ虐殺 戦慄の朝 その2
女性たちはどうだったか。米兵は、彼女たちを残酷に殺害する前に、その身体に野獣のような行為を行なった。14歳になるパム・チ・ムイ〔Pham Thi Mui〕は、その母親の死体のすぐ脇で、米兵によってつぎつぎと輪姦された。彼女の母親は、その直前に、小さな赤ん坊とともに射殺されていたのだ。強姦が終わると、米兵たちは彼女を小屋の中に放り込んで、火をつけた。ムイが家から這い出そうとするたびに、米兵は彼女を押し戻し、ついにムイは焼死し、炎は彼女の母親もその赤子も灰にした。12歳の少女、ド・チ・ギェット〔Do Thi Nguyet〕は、腹部を切り裂かれた。60歳の老女、トルオン・チ・ダウ〔Truong Thi Dau〕さんは、二人の米兵に強姦されたあと、殺された。
1970年1月19日号の『ライフ』誌に掲載されたハーバールのカラー写真の1枚には、女たちや子どもたちが固まって立っている光景が写っている。

その説明はこう書いている。「ハーバールとロバーツは女や子どもたちの一団に近づいていく米兵を見つめていた。その一団の中ほどに、黒いベトナム服を着た13歳の少女がいた。一人の米兵が、彼女をつかみ、他の兵士の助けも借りて、彼女を裸にしようとした。「こいつがどんな身体つきか、見ようじゃないか」と一人が言った。もう一人が「ベトコンだよ、やっちゃえ、やっちゃえ」と言い、さらにその少女に向かって「お前はベトコン用のパン助だな」と言った。
「もう我慢できねぇ」と3人目が言った。 死体や炎を上げる家々の脇で、彼らがその少女を裸にしようとしている時、母親が彼女を助けようとして、兵士につかみかかり、爪を立てた。(……) 一人の兵隊がその母親を足蹴にし、もう一人が殴りつけた。
ハーバールはその女たちの写真を撮ろうとして飛び出した。写真は、13歳の少女が母親の後ろに隠れ、上着のボタンをかけようとしている様子を写している。(……)
やがて一人の兵隊が言った。「さて、こいつらをどうしようか」
「ばらすのさ」別の兵隊が答えた。
M-60の発射音が聞こえた――とロバーツは言っている――そして、私たちがそこへ戻ったとき、彼女たちも、子どもたちも、全部死体になっていた。」
http://satehate.exblog.jp/15284881/
<転載開始>
ソンミ虐殺 戦慄の朝 その2
女性たちはどうだったか。米兵は、彼女たちを残酷に殺害する前に、その身体に野獣のような行為を行なった。14歳になるパム・チ・ムイ〔Pham Thi Mui〕は、その母親の死体のすぐ脇で、米兵によってつぎつぎと輪姦された。彼女の母親は、その直前に、小さな赤ん坊とともに射殺されていたのだ。強姦が終わると、米兵たちは彼女を小屋の中に放り込んで、火をつけた。ムイが家から這い出そうとするたびに、米兵は彼女を押し戻し、ついにムイは焼死し、炎は彼女の母親もその赤子も灰にした。12歳の少女、ド・チ・ギェット〔Do Thi Nguyet〕は、腹部を切り裂かれた。60歳の老女、トルオン・チ・ダウ〔Truong Thi Dau〕さんは、二人の米兵に強姦されたあと、殺された。
1970年1月19日号の『ライフ』誌に掲載されたハーバールのカラー写真の1枚には、女たちや子どもたちが固まって立っている光景が写っている。

その説明はこう書いている。「ハーバールとロバーツは女や子どもたちの一団に近づいていく米兵を見つめていた。その一団の中ほどに、黒いベトナム服を着た13歳の少女がいた。一人の米兵が、彼女をつかみ、他の兵士の助けも借りて、彼女を裸にしようとした。「こいつがどんな身体つきか、見ようじゃないか」と一人が言った。もう一人が「ベトコンだよ、やっちゃえ、やっちゃえ」と言い、さらにその少女に向かって「お前はベトコン用のパン助だな」と言った。
「もう我慢できねぇ」と3人目が言った。 死体や炎を上げる家々の脇で、彼らがその少女を裸にしようとしている時、母親が彼女を助けようとして、兵士につかみかかり、爪を立てた。(……) 一人の兵隊がその母親を足蹴にし、もう一人が殴りつけた。
ハーバールはその女たちの写真を撮ろうとして飛び出した。写真は、13歳の少女が母親の後ろに隠れ、上着のボタンをかけようとしている様子を写している。(……)
やがて一人の兵隊が言った。「さて、こいつらをどうしようか」
「ばらすのさ」別の兵隊が答えた。
M-60の発射音が聞こえた――とロバーツは言っている――そして、私たちがそこへ戻ったとき、彼女たちも、子どもたちも、全部死体になっていた。」
トアン・イェン小集落にある小さな寺に住んでいた一人の仏教僧、チック・タム・トリ〔Thick Tam Tri〕(ド・ゴ〔Do Ngo〕)は無残な殺されかたをした。第Ⅰ小隊の無線係だったスレッジは言う。「僧侶の服を着た一人の男がカリー中尉のいるところに連れてこられた。彼は『ベトコンじゃない』とでも言いたげな身振りをして見せた。カリーは彼にいくつかの質問をしたが、僧侶はただ首を振って、何度も『ノー・ベトコン』と繰り返すだけだった。やがてカリーは拳銃の台尻でその坊主の口元を殴りつけた。坊主は仰向けにひっくり返ったが、なおも自分は嘘を言っていないと言いたげに両手を振っていた。カリー中尉は、拳銃の先端を坊主の顔にまっすぐに向け、引き金を引いた。頭の半分が吹き飛んだんだ。」
米兵たちの残酷さが極度に達したのは、彼らが大勢の村民を取り囲み、何十、何百という民衆をことごとく虐殺したときだった。この出来事が起こったのは、グェン・ニュー〔Nguyen Nhieu〕さんの家の隣にあった監視塔の脇の人気のない草原と、トアン・イェン小集落のはずれにあった溝〔現在ある「ソンミ記念館」の東端にあたる)のところだった。カリーの部隊にいた兵士、ポール・ミードロが、CBSテレビのインタビューに対して答えたことが、髪の毛も逆立つようなその出来事の一端を明かしている。
質問:取り囲まれていたのは何人ぐらいだったんですか?
ミードロ:40人か50人くらいだったな。
質問:どんな人たちです?
ミードロ:男、女、子ども、それに赤ん坊だった。俺たちは、奴らを坐らせていたが、そこにカリーがやってきて、言った。「奴らをどうすればいいのか、わかってるな?」それで俺は「はい、わかってます」と答えた。当然だが、俺は、中尉が、奴らを見張ってろ、と言いたかったんだと思ってた。中尉はそこから離れたが、10分か15分してまた戻ってきて、「何だ、まだ片付けてないのか」「奴らに死んでもらいたいんだよ」と言った。カリーは、10フィートか15フィートほど(4~5メートル)後ろに下がると、彼らに銃を発射し、私にも射撃を始めろと命じた。私は、彼らに向けて4回ほど掃射を浴びせた。
質問:何人ぐらい殺したと思いますか?
ミードロ:自動小銃で撃ったんだ。10人か15人は殺したかもしれないな。
質問:男、女、子どもだったんですね?
ミードロ:男、女、子ども、そして赤ん坊だった。それから、また7~8人ほどを駆り集めた。俺たちは彼らを小屋の中に投げ込んで手榴弾を放り込もうと思ってた。それで、その7~8人を運河のほうへ押していった。そこには70人か75人ぐらいの連中がいた。みんなそこに集められたんだ。カリー中尉が……連中のところへ歩いていって、奴らを溝の中に突き落とし、それから撃ち始めた。
質問:それも、男、女、子どもたちですか?
ミードロ:男、女、子どもたちだ。350人ぐらいがそんな皆殺しにあうのを、俺はこの目で見たぜ。
質問:今、あなたはそれをどんな風に思ってますか?
ミードロ:良心に深く突き刺さってるな。これまでずっと、俺から離れなかった。だが、あの日、神様は俺に罰をくれたんだよ。俺は爆薬の引き金をうっかり引いちまった。それで片っ方の脚が全部吹っ飛んじゃったんだよ。
ミードロだけでなく、カリー付きの無線通信士スレッジも、村の外れまでカリー中尉に同行したと語っている。そこで、スレッジはミッチェル軍曹に会った。カリーがミッチェルになんと言ったのかは聞こえなかった。やがて二人は銃の台尻で彼らを殴りつけて溝の中に落とし、ついで銃を発射した。そのとき、だれかが、「あそこに、子どもが」と叫んだ。スレッジには、男の子か女の子は判らなかったが、一人のこどもが村のほうに走ってゆくのが見えた。小さな子だった。中尉が走ってその子を捕まえ、溝の中に投げ込んでからその子を撃った。
別のもう一人の兵士も、同じく、はっきりと語っている。彼は溝の中を覗き込んだ。血の中に、男や女や子どもが、まるで一つの塊のように死体の山になっているのが見えたと言う。カリーは、溝の中で、まだ死なずに立っていたり、膝まづいていたりしている者たちを撃った。ついで彼は、駆り集めてこられたばかりの村民たちを続けて撃った。兵隊のグループが、村民を少人数に分けては溝の中に突き落とし、戻って行った。カリーは1時間半もの間、そこに立って、彼らを撃ち続けた。短時間のうちに、その溝は死体と血が詰まってどろどろとなった。
しかし、それでも、運良く生きのびられたものが何人かいて、あとで、その恐怖の模様を語ることになった。その語るところも、他の証言と同じように正確なものであった。それは、トルオン・チャウ〔Truong Chau〕さん(75歳)、ド・チ・トゥイェット〔Do Thi Tuyet〕さん(16歳)、ド・バ〔Do Ba〕さん(14歳)、トルオン・リエム〔Truong Liem〕さん(20歳)の4人で、死体の山の中に埋もれていたために、監視塔から撃つ米兵の銃弾による死を逃れえたのだった。彼らは、この溝の中での大虐殺と同様な虐殺を、次のように語っている。米兵は村民を駆り集め、有刺鉄線のそばに取り囲み、中にいた女性を強姦したあと、15フィート(4~5メートル)ほど下がると、軽マシンガンを人びとめがけて発射した。死体の山が次々と出来た。
米兵たちの残酷さが極度に達したのは、彼らが大勢の村民を取り囲み、何十、何百という民衆をことごとく虐殺したときだった。この出来事が起こったのは、グェン・ニュー〔Nguyen Nhieu〕さんの家の隣にあった監視塔の脇の人気のない草原と、トアン・イェン小集落のはずれにあった溝〔現在ある「ソンミ記念館」の東端にあたる)のところだった。カリーの部隊にいた兵士、ポール・ミードロが、CBSテレビのインタビューに対して答えたことが、髪の毛も逆立つようなその出来事の一端を明かしている。
質問:取り囲まれていたのは何人ぐらいだったんですか?
ミードロ:40人か50人くらいだったな。
質問:どんな人たちです?
ミードロ:男、女、子ども、それに赤ん坊だった。俺たちは、奴らを坐らせていたが、そこにカリーがやってきて、言った。「奴らをどうすればいいのか、わかってるな?」それで俺は「はい、わかってます」と答えた。当然だが、俺は、中尉が、奴らを見張ってろ、と言いたかったんだと思ってた。中尉はそこから離れたが、10分か15分してまた戻ってきて、「何だ、まだ片付けてないのか」「奴らに死んでもらいたいんだよ」と言った。カリーは、10フィートか15フィートほど(4~5メートル)後ろに下がると、彼らに銃を発射し、私にも射撃を始めろと命じた。私は、彼らに向けて4回ほど掃射を浴びせた。
質問:何人ぐらい殺したと思いますか?
ミードロ:自動小銃で撃ったんだ。10人か15人は殺したかもしれないな。
質問:男、女、子どもだったんですね?
ミードロ:男、女、子ども、そして赤ん坊だった。それから、また7~8人ほどを駆り集めた。俺たちは彼らを小屋の中に投げ込んで手榴弾を放り込もうと思ってた。それで、その7~8人を運河のほうへ押していった。そこには70人か75人ぐらいの連中がいた。みんなそこに集められたんだ。カリー中尉が……連中のところへ歩いていって、奴らを溝の中に突き落とし、それから撃ち始めた。
質問:それも、男、女、子どもたちですか?
ミードロ:男、女、子どもたちだ。350人ぐらいがそんな皆殺しにあうのを、俺はこの目で見たぜ。
質問:今、あなたはそれをどんな風に思ってますか?
ミードロ:良心に深く突き刺さってるな。これまでずっと、俺から離れなかった。だが、あの日、神様は俺に罰をくれたんだよ。俺は爆薬の引き金をうっかり引いちまった。それで片っ方の脚が全部吹っ飛んじゃったんだよ。
ミードロだけでなく、カリー付きの無線通信士スレッジも、村の外れまでカリー中尉に同行したと語っている。そこで、スレッジはミッチェル軍曹に会った。カリーがミッチェルになんと言ったのかは聞こえなかった。やがて二人は銃の台尻で彼らを殴りつけて溝の中に落とし、ついで銃を発射した。そのとき、だれかが、「あそこに、子どもが」と叫んだ。スレッジには、男の子か女の子は判らなかったが、一人のこどもが村のほうに走ってゆくのが見えた。小さな子だった。中尉が走ってその子を捕まえ、溝の中に投げ込んでからその子を撃った。
別のもう一人の兵士も、同じく、はっきりと語っている。彼は溝の中を覗き込んだ。血の中に、男や女や子どもが、まるで一つの塊のように死体の山になっているのが見えたと言う。カリーは、溝の中で、まだ死なずに立っていたり、膝まづいていたりしている者たちを撃った。ついで彼は、駆り集めてこられたばかりの村民たちを続けて撃った。兵隊のグループが、村民を少人数に分けては溝の中に突き落とし、戻って行った。カリーは1時間半もの間、そこに立って、彼らを撃ち続けた。短時間のうちに、その溝は死体と血が詰まってどろどろとなった。
しかし、それでも、運良く生きのびられたものが何人かいて、あとで、その恐怖の模様を語ることになった。その語るところも、他の証言と同じように正確なものであった。それは、トルオン・チャウ〔Truong Chau〕さん(75歳)、ド・チ・トゥイェット〔Do Thi Tuyet〕さん(16歳)、ド・バ〔Do Ba〕さん(14歳)、トルオン・リエム〔Truong Liem〕さん(20歳)の4人で、死体の山の中に埋もれていたために、監視塔から撃つ米兵の銃弾による死を逃れえたのだった。彼らは、この溝の中での大虐殺と同様な虐殺を、次のように語っている。米兵は村民を駆り集め、有刺鉄線のそばに取り囲み、中にいた女性を強姦したあと、15フィート(4~5メートル)ほど下がると、軽マシンガンを人びとめがけて発射した。死体の山が次々と出来た。