In Deepさんのサイトより
http://oka-jp.seesaa.net/article/169912846.html

<転載開始>
(訳者注) この記事を紹介した理由は、「ドイツ軍はこうだった」という歴史的な問題からの観点ではなく、「過去に人間がしようとしたことは、歴史では繰り返されることが多い」という観点からです。つまり、またこういう計画を立てる人が出てくるのでは? と。

最近の常軌を逸した UFO 目撃騒動や、あるいは毎週のように起きる「上空の異常」も、エイリアン、陰謀論、戦争論と様々に言われていますが、どれもよくわからないままです。こういう日々の中で、それらの現象を考慮する中の要素として役に立ちそうな感じも少しあります。

なお、最近ご紹介させていただいた「上空での異変」の記事は、

カナダ上空に現れた不思議な火の玉とオーロラのような光 (2010年11月16日)
カリフォルニアに続きニューヨークでも謎の光が目撃される (2010年11月14日)
アメリカで大騒動の謎の巨大ミサイル発射を巡る米軍の困惑 (2010年11月10日)

などです。




Hitler's secret flying saucer: Did the Fuhrer plan to attack London and New York in UFOs?
デイリーメール(英国) 2010.11.18

ヒトラーの秘密の空飛ぶ円盤: 総統は、UFOでロンドンとニューヨークを攻撃する計画だった?

第二次大戦において、ヒトラーの軍がスターリングラードや北アフリカなど遠方の前線でも劣勢になっていく中、ヒトラーは勝機を掴むために死にものぐるいとなり、その中で科学者たちに戦争に勝つためのスーパーウェポンの作製を急がせていた。

V2ロケットや、最初のジェット戦闘機のようなものでの行動に関して言う科学者たちもいたが、それらを使って勝機に導くためには、すでにあまりにも遅かった。

他に野心的な科学者たちもいた。「ロンドンとニューヨークを空飛ぶ円盤で爆撃する」というアイディアは、そのような野心的な科学者たちの建てた計画の中のひとつだったのかもしれない。

ヒトラーの下にいた科学者たちは実際にこの種の航空機を設計していたと主張する人々がいる。そして、その試作品は空に浮かび、実際に飛ぶことにまで成功していたのだという。


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▲ このベル型の航空機はナチスによって開発されたものなのだろうか? ポーランドのジャーナリストで軍史家のひとりはドイツ軍はが UFO を作っていたと主張している。


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▲ 真実なのか嘘なのか。これはドイツ軍が試作した UFO だという主張と共にインターネットで公開されている写真だ。
 

このプログラムは、ナチスドイツ親衛隊(SS)の将軍だったハンス・カムラーの指揮の下でおこなわれ、数々の実験において目覚ましい発見と進展を遂げたと、ドイツの科学雑誌『P.M.』 誌のレポートは述べている。

P.M.誌では、1944年に、ナチスドイツのハーケンクロイツ(鉤十字)が描かれた空飛ぶ円盤が、テムズ側の上空を低空飛行していた光景を目撃した人の証言を引き合いに出している。

「アメリカでも、その武器の存在を深刻に捉えていた」と P.M.誌は付け加えた。

その頃、米国のニューヨークタイムス紙は、「謎の空飛ぶディスク(円盤)」についての記事を掲載し、その記事で、ニューヨークの高層ビルの上空を高速で移動する物体の写真を発表した。


P.M.誌によると、その円盤に関しての活動記録の多くは破棄されたが、1960年に、カナダの UFO 研究家がその装置の再現に成功し、驚くことに「それを空に飛ばせた」のだという。


ナチスドイツの UFO プロジェクトは、シュリーファー・ハーバーモール計画( Schriever-Habermohl scheme )と呼ばれた。ルドルフ・シュリーファーは技術者で、テスト飛行も担当した。オットー・ハーバーモールはこの計画の技術者だった。

プロジェクトは、1941年から 1943年の間、プラハを拠点としておこなわれた。

最初、ヒトラーは、ルフトヴァッフェ(ドイツ空軍)の総司令官ヘルマン・ゲーリングに、スーパーウェポン計画を提示するように命じた。そして、 1944年には、 SS将軍ハンス・カムラーに引き継がれた。

連合軍の捕虜たちは、直径 6ヤード( 5.5メートル)ほどの大きさの銀色の円盤が飛ぶ光景を何度も目撃したと主張している。

このプロジェクトに参加していた技術者のジョセフ・アンドレアス・エップ氏は、15機の試作機が作られたと語る。彼は、回転式の調節可能な羽で囲まれた中央コックピットについても述べた。


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▲ 目撃者たちは、1944年にロンドン上空を空飛ぶ円盤が低空飛行していたと主張している。それにはドイツ軍の鉄十字が描かれていたという。このイラストは雑誌に掲載されたものに鉄十字を加えたものだ。


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▲ こちらはナチスドイツが実際に飛ばしたメッサーシュミット Me262。ドイツ空軍機の中でもっとも先進の航空機だった。

第二次大戦の終戦後、多くのドイツ人科学者たちが米国の宇宙プログラムに参加し、米国の宇宙開発の手助けをした。


このナチスドイツの UFO作製の理論は、ポーランドの元ジャーナリストで、軍事史と航空史の専門家であるイゴール・ウィトコフスキー氏の主張によって、さらに注目を集めている。

2000年に出版された彼の著書「Prawda O Wunderwaffe」(スーパーウェポンの真実)で、ウィトコフスキー氏は、ナチスドイツがベル型の航空機を製作し、ヒトラーは自分の手元に置くことのできる最高クラスの科学者と技術者を欲しがっていたと主張している。

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参考資料:記事に出てきた戦闘機メッサーシュミットのすごさ

メッサーシュミット Me262より抜粋。

山のように様々な問題点を持ったMe262だったが、それらを差し引いてもなお、最新鋭のレシプロ機すらをも陳腐化させるのに十分な性能を持っていた。 エンジンの加速力が低い為に高度を上げるのには非常に時間がかかったが、いったん上昇してしまえば存分に高速度を発揮する事ができた。高度6,000mにおける水平飛行で870km/h、緩降下においては900km/h以上という桁外れの飛行速度は、同時代の航空機より150km/h以上も速かった。当時の空戦では、速度が敵機よりわずか30km/h速いだけで一方的に優位を維持できたのだから、もはや比較する事すら馬鹿馬鹿しい、次元が違う速度差だといえた。

(略)

1945年3月18日、37機のMe262が1221機の爆撃機とそれを護衛する632機の戦闘機からなる大編隊を迎撃した。その結果、12機の爆撃機と1機の戦闘機を撃墜したが、自らも3機失った。この4対1という比率はドイツ空軍が思い描いていた数字と同じだったが、敵側からすると全体の1%程度の損害でしかなく、むしろ故障で失われた数の方が多かったという。

しかし、4対1と言う比率は、単純計算でMe262がたった300機程度あれば1200機もの爆撃機(+護衛の戦闘機)と互角の戦いができてしまう計算になり、また、本来300機の戦闘機と言うのは一国の生産力としては問題にならない程度の数であった事から、いかにMe262が時代を超越した、恐るべき戦闘力を誇っていたのかが伺える。




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10.13 ニューヨーク UFO 騒動:マンハッタン上空に続々と UFO が登場 (2010年10月14日)



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