千成記
このページは「神の数学」NO1の続きです
大自然の歌う「真理の数の歌」、それを心で聞いてほしい。 <これは未だ現代人の知らぬ驚くべき叡智である。 (甚だ簡単なものであるが、現代人は未だ知らない) これを知らぬ限り現代文明はもはや一歩も前進はできずただ衰退あるのもであろう。 まさにその運命を変えるもの、それが古神道の「数の理」である。
すなわち、それは正方形では「二つの対角線の数加算(∑)は同じ値である」が常に成り立たつと言う自然世界のスタンダ-ドな数の表れである。 しかるにその真実を知るものは未だに誰もいないのであり、それゆえに自然の持つ大いなる数理の存在に辿り着くことができないのである。 その事実とは「ひふみ法陣表」を例え宇宙大の広がりに展ばしてもこれは常に成り立つものであり、それにいたるまでの無限の法陣のすべてにわたって通じると言う大いなる宇宙普遍の法則なのである。 それらのすべてに内在し全体を貫いているものがこの「二つの対角線上の加算数は常に同じであると」言う大いなる数式である。 もっと正確に言えば「n×nの正法陣のセルの中に祝詞「ひふみ…」の数を順に置けばいい」と言う単純な図であり、誰にでも簡単に出来るものである。 それを習得すれば、自然界における真の数の在り方、計算手法の存在を知ることができ、自然の知をかいま見ることが出来ると言うものである。 しかし、悲しいかな、この自然の普遍原理を今まで人類は手にすることはできずただただ暗中模索を繰り返していただけである。 そのあたりから見てもまさに古神道の祝詞「ひふみ…天地の数歌」の功績は大であり、人類知史上において類いのない自然普遍性を持つ「数の調べ」と言えるものである。 まさにそれは「ひふみ…天地の数歌」の名前通り「宇宙普遍の数の妙なる数の道」を示すものであり、現在知を大きく揺るがす古代の知の由々しき出現と言えるものである。
それはまた、これまでの人間知にはまったく無かったものでもあり、恐らく確とした自然知の存在を広く世に告げるものとなるであろう。 まさにそれは日本発の大叡智であり、世界に誇れるものである。 さあ、心して挑み、出来れば勝利のフアンファ-レを吹き鳴らして「神の秘密」、すなわち「宇宙意識の数の仕組み業」に肉薄してもらいたい。
…参照、「神の法陣」初級、中級、上級講座の各編を、そこには息が止まるほどの珠玉の「数の秘物語」が描かれている ②の対角数14∑=23∑=5、(2次元図の対角線上の数より) ③の対角数 159∑=357∑=6、(3次元図の対角線上の数より) ④の対角数 1627∑=4714∑=7(4次元図の対角線上の数より)、⑤の対角数17417∑=50483∑=2、(5次元図の対角線上の数より)。 この後は6次元表、7次元表、8次元表と続き、宇宙大まで無限に延びて、真実を告げているものである。 これが自然の数理であり、自然の数の計算法である。 そして如何なる数学者と言えども否定は出来ないものである。 さあ、ここにおける計算式とは一体…、??。
しかし、これを現代数学から見ると何も意味をなさない単なるランダムな数列にすぎず、誰も関心を持つことない数列である。
夢々決して粗漏に扱わず、心して扱い真実を探すことである。 そのあたりの配慮を十分にして学んでほしい。 要はあなた自身の直観を信じ、もっと素直になることである。
これを現代数学者が解いた時は彼は現代数学を捨てた時である。
あなた方は知らないであろうが、その「10進法」誤りの原因はその繰り上げ方に問題があるのである。 そこにおける数の繰上げの時に今まで滑らかに推移していた数は突然波立ち、混乱状態に入るのである。 そのような大変面白い計算検証法を「神の0数学」は持っているのである。
何と言うこと…!!。 |
考えてみるがよい、自然は遥かに無限の時を超えてきた無窮の存在であり、万般の知に通じている偉大な存在であることを…。
それに比べれば、瞬時の歴史しか持たぬ我々の知とはまさにちっぽけな頼りにならないものであり、吹けば飛ぶような存在であることを…。
まずはその差を知ること、それがすべての始まりの第一歩になるものであり、頑迷な頭を切り替える一つのスイッチとなるものである。
今、このような「数の概念の見直し」が日本でひそかに起こっていることを知ってほしい。
私は言いたい、まずは「自然の知」の存在をしっかりと知ることである、そしてそれを学び、そして自然を崇めながら常に共歩していかなければならないのである…。
それが我々人類の最善最良の道であり、未来永劫の繁栄をもたらす最大の良策と言うものであろう。
これを解き放つことは、貴方の知が大いなる脱皮を行い、自然の真実に一歩近づいたことを意味するものである。
(小、中学生に告ぐ、∑は数字をすべて足し算することを表す記号である。
素直に計算して、それから考えてほしい。)
…「神の法陣」初級講座№(12)より
これらを解くことにより、自然の持つ「正しい算法」が分かり、それと同時に我々のもつ「10進法」に対しての疑惑の念が湧き起こるはずでもある。
これらすべては「神の法陣」図の持つ二つの対角線上にある数の奏でる不朽な真理問題であり、一つの宇宙普遍の哲理問題とも言うべきものである。
そしてそれらすべては自然の知が醸した万古不易の自然の数の答の群れであり、決して人間の手に成るものなどではない。
すべては私が長い間かかって見い出したものであり、未だ人類の誰も知らないものである。
これを解き放つだけで、貴方の知は無限鏡面反射的とも言うべき状態で増殖を始め、新しい「知の世界」のフィ-ドバック・ル-プとつながりを持つ可能性もあるのである。
すなわちそれは、新しい知が新しい知を生み出し、それがまた新しい知を生むという連鎖的な状態に広がっていくということである。
疑うことなかれ、その真実がこの〔A〕〔B〕を解くだけで直ぐに解るはずである。
知の力にうずいている数学自慢の鼻高さんよ、果たしてあなた方はこの難関が突破できるのかな。
これが本当の「宇宙普遍の数の理」であり、「神の数理」と呼ばれる至高の計算法の存在を証するものである。
是非自分の手で試み、その理を明るみに出して納得してほしい。
そこには決していい加減とか誤魔化し、あるいは不整合等は一切無く、すべては秩序と調和に溢れ、希望と満足に満ちている無上至極のものである。
その真実を知りたければ、この数ペ-ジあとにある「ひふみ方陣」の各図における対角線上の数(7次元図まである)を自分の目と手で拾い上げ、一つづつ検証し、間違いの無いことを確認してから始めるがよい。
そこにはこの「自然の真実の調べ」が歴然と存在して、あなた方を手招いているのが分かるであろう。
検証するには一切の不足等はないものであり、検証することにより貴方は一気に「真の目覚め」に入り、脳は新たな形の蠕動を始めることになるであろう。
ついでに一つ面白いことを教えよう、これら①~⑤の=を挟んで成立している各二つのそれぞれの数列の最初の数と最後の数を加えてみる、すると素晴らしい数の超理現象が起こり、貴方の魂を天外に飛ばし、迷える心を覚醒させてくれるのである。
〔③を例に〕(1+7=7+1=4+4=5+3=0+8=4+4)!!、何と信じられない不思議な数の姿であろうか。
すべてはまったく同じ手法が通用する、信じられない方は①、②、④、⑤、……→を試みて、そこにある理を納得することである。
それは「神の法陣」が宇宙大に延びても一切変わることなく、永遠なる同一真理が最初(0次元)から最後(無限大次元)まで貫いていることを語るものである。
また、これらの数を反復して学ぶことにより、未だ人類の知らぬ「数の真実の姿」をあなたは手にすることが出来、同時に心地よい至福感と安堵感に満たされるはずである。
それらの数を順に並べて、説明通りに展開するとそこに現れるものは!!??。
(2010年2月再追記)
〔B〕「数の調べ」を正しく考える。 (驚くべき自然知の発見につながる、それは想像を絶するものである)
さあ、〔A〕の<試問>が無事解けたならば、それを用いて〔B〕の<本問>を解かなければ意味は無い、それは待っているのである。
ここで0から9次元までの表を作り、その各表の「右上がりの対角線」と「右下がりの対角線」のそれぞれの数列をそのまま順序よく並べて2ヶの表を作る、子供でも出来る簡単な作業である。
そこには要するに「陰」と「陽」の表と呼ぶべきものが存在し、相互的には反作用関係にありながら対となっている不可解な存在さえあるのである。
[陰」と「陽」の本質とは、すなわち対逆的な関係であり、しかも一つのものから現れた可分的な姿であることを完全証明し、その証拠説明を行なうのが今回の目的である。
ここにあるのもまさに「陰」と「陽」の仕組みを持った自然の作品図であり、決して人間の手になったものではないのは十分におわかりであろう。
さあ、この二つうちの一つの対角線の表をひっくり返し、この二つの表をドッキングさせて見るのである。
すると驚くべきことにそれぞれのすべての数列の切り口は寸分も狂わずピタリと合い、完全なる連続数列の群れ、同一答の群れとなって現れてくることが解るであろう。 また、驚くことにその答の数とは完全数の0であり、それは同時に万象の本質は0であることを指し示しているのである。
その余りの鮮やかさ、その玄妙な手口には我々をして、ただただ狂喜乱舞させ、止まることも知らない状態にさせるのである。
いわば、それは次元宇宙の本質は0であるとする宇宙物理学の理論を側面から応援するものと言えるものでもあろう。
何と言う不可思議千万なことであろうか…!!、そんなことがあっていいものであろうか…!!。
一つ自分の目でご判断のほどを。
現代数学的な考え方ではそれらの事実はあってはならないことであり、もし、あれば現代数学は成り立たず崩壊するだけである。
しかし、それは現実にあなたの前に完全な事実としての存在を見せているのであり、数的には何ら疑いの無いものなのである。
まさにそれは「神の図りごと」であり、「完全な意識を持った有機的な図」そのものである。
何と言うことであろうか、まさに見事の一言に尽きるものであり、自然知の確たる存在を高らかに告げて、我々人類に新たな知の覚醒を促しているものである。
今まで、「陰」と「陽」との言葉はあったが、その確固たる本質の違いを示したものが果たしてあったであろうか、№である。
誰でもここに現れた答の数字をただ一目見るだけで有史以来求め続けてきた「陰」と「陽」の違いの確かな姿、その本質の因差さえも十分に理解ができるのである。
今まで苦しみに苦しみぬいてきた哲学的な難問がさらりと解けるのである。
何と言うこと!…。
これが一つの「神の数学」の真骨頂であり、現代数学を全く寄せ付けない「普遍数学」、「生きた数学」の本当の姿でもある。
これ一つ解くだけでよい、途端に貴方はまたとない知の徳者となるのは間違いの無いであろう。
<どうしても詳細等を知りたい方には詳細資料「神の法陣」初級講座№12(24ペ-ジ)をお送りすることにする>。
(但し要、80円切手5枚) (2010年2月追記)
◎余り焦らしてもせんかたない、このあたりで一つ答を申し上げることにする。
(2010年4月吉日抄記)
断っておきたい、これらは完全なる「神の秘儀」であり、今までの学問史上には一切現れたことはないのである。
たとえ如何なる大学者と言えども夢想することも出来なかったのである。
要するにあなたが最初の目撃者であり、会得者なのである。
そのためにはまず循環式計算法(①循環法、②禊算、③神算法))を会得することが必要であり、不可欠なことである。
〔A〕何と、そこに現れる各次元表の対角線上の∑数を順に置くと次のような驚くべき姿を持った循環数が現れるのである。
→(0156723480156723480156723480 …)循環して無限に延びる(実際は円循環)。
これは次のようにして解くのである。
0 1 5 6 7 2 3 4 8 0 ……(永遠循環へ!)
∨ ∨ ∨ ∨ ∨ ∨ ∨ ∨ ∨
1 4 1 1 4 1 1 4 1 …… (永遠循環へ!) (右の数から左の数を引く)
∨ ∨ ∨ ∨ ∨ ∨ ∨ ∨
3 6 0 3 6 0 3 6 …… (永遠循環へ!)
見事にここに「ひふみ九九算」の3の段が現れて真実であることを告げているのである。
これが「神の数学」における真実証明法であり、すべては「ひふみ…九九算」の数列に還る自然数証明法と呼んでいるものである。
(記、0156723480∑=36→9→0、141141141∑=18→9→0、36036036∑=27→9→0、すべて本質は0である)
≪Detail presentation≫
●これで判るのは各次元表、すなわち0次元表、1次元表、2次元表、3次元表…は完全なる連続体、もしくは連続的な関係 にあることを証明するものである。
●そこにある自然定理とは(0=9)である、すなわちそれは最小=最大を示すものであり、また自然の基本は循環態であることを示しているものでもある。
≪Detail presentation≫
◎これら(ⅱ)の表を上下逆転(レンズ)にする、その上で上記の通り(ⅰ)の後部にもって行き(ⅰ)と(ⅱ)を結べばすべて その切り口はピタリと合い、一つの完全数列と化して「ひふみ…算」が現れるのである。
すべては万古不易の「数の物語」であり、宇宙普遍の「数の囁き」である。
その後の推察は各自の洞察力とインスピレ-ションの助けを借り自由に描いて見てほしい。
●自然の仕組みとはすべては9で分節をつくって新たに最初からの循環が始まりものであり、その堂々巡りに終始するのである(円循環)。
それはまさに古神道の祝詞「ひふみ…天地の数歌」そのものであり、その事実を明らかにしている確固たる証拠となるものである。
でも、隣の青い芝生である現代西洋科学にぞっこんな日本民族はまったくそれには気がつくことはない。
●そのいい例があなた方の知っている「元素周期律表」である。
そこにあるのは12345678と進み0で休んで、次は別な軌道に移り、また12345678を形作る電子の美しく規律ある姿であり、律然とした自然真実の姿である。
そこには中央の原子核の周りを1ヶの電子が廻っている水素を筆頭に1ヶづつ電子を追加することによりまったく異なる様々な元素が次々と生まれて、九を分節として新しい別の世界(軌道)を次々と構築しているのである。
全部で108ヶの元素がこのようにして生まれ、自然界を創り上げているのであるが科学はその法則さえも掴んではいないのである。
そこには完全なる繰り返しのパタ-ン、すなわちすべては九で完結し、新たなる誕生を迎えている事実が示されているのでるが誰も気がつくことはない。
するとやはり、我々という生命体も輪廻転生を繰り返しながら永遠を紡ぎ完成に向かって昇華しているのであろうか、数はそう語ってやまないのであるが…!!。
〔B〕これらすべては現れるべくして現れた「図形数学」のあるべきそのままの姿である。
(ⅰ)右上りの対角線数 (ⅱ)右下りの対角線数 〔(ⅰ) はそのまま、(ⅱ)を上下反転させてそのまま結ぶのである〕。
ただ現在の我々の知では探り得ぬもの、求め得ぬだけなのである。
「図形」と「数」、それは現代の言葉では「場」と「エネルギ-」に相当するものであり、宇宙の時空理論には欠かせないものである。
しかし、未だ科学はそれを知ることさえ出来ずただもがいているだけである。
ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ発想を変えればすべては青天白日の下に姿を現すのであるが…。
(「図形数学」は自然の持つ基本的な図と自然数が奏で合う真理の調べを探究する学問、「神の数学」の独特のオリジナル手法であり、唯一の数学態である。)
これら「神の法陣図」の二つの対角線数である右下がり(ⅰ)と左下がり(ⅱ)の相方(陰と陽の組み合わせ)を探して見よう。
それにより次元と言う自然の大象でさえ「陰(♀)」と「陽(♂)」が存在して合一関係を誇っているのである。
何という壮大な哲学的な表れであり、自然の叙事詩の姿なのであろうか、ただ感激あるのみである。
0次元→0 0次元→0 0+(9)=087654321(∑)→36→9→0
①次元→1 (1)1次元→1 ①+(8)=111111111(∑)→36→9→0 (この場合、前の3ヶの1は10、うしろの6ヶの1は1と数える)
②次元→23 (2)2 次元→ 41 ②+(7)=234567801(∑)→36→9→0
③次元→357 (3)3次元→051 ③+(6)=357024681(∑)→36→0〃
④次元→4714 (4)4次元→7261 ④+(5)=471471471(∑)→36→0〃 (子供と同じ単純目線で見るべし)
⑤次元→50483 (5)5次元→71471 ⑤+(4)=504837261(∑)→36→0〃
⑥次元→627384 (6)6次元→024681 ⑥+(3)=627384051(∑)→36→0〃 <ちなみに全体の(ⅰ)と(ⅱ)を=で結んで計算法を見るがよい>
⑦次元→7417417 (7)7次元→4567801 ⑦+(2)=741741741(∑)→36→0〃
⑧次元→86420753 (8)8次元→11111111 ⑧+(1)=864207531(∑)→36→0〃 (すべては何となく見たような数字であろう)
⑨次元→087654321 (9)9次元→087654321 ⑨+0=087654321(∑)→36→0〃
●全体はまさに〔「ひふみ…算」の出現〕である
〔すべては自分の手で「次元法陣」をつくり、そこに祝詞「ひふみ…」の循環数を順に置いてから対角線数を求めたものである、小学生でも出来るものである!〕
日本の神道では確かあの世とこの世は「合わせ鏡」であり、「表裏一体」であると説いているのである。
上の表を見るがいい、一方の対角線が「表」ならば、他の対角線は「裏」であり、合わせ鏡の状態を示しているものである。
まさにこの数図はそれを表すものであり、その仔細そのものをしっかり物語っている図である。
そもそも「合わせ鏡」,「表裏一体」などと言う言葉の言い回しは日本独特のものであり、世界には類を見ないものである。
…と言うことは…?!。
…<その更なる詳細は《数学幻視考》№27参照>
また『ひふみ神示』は言う「天と地の間には大きなレンズがあって夫神と妻神が別れ別れになり、夫がこの世の神で妻が黄泉の国(あの世)の神となったと…。
しかもこの夫婦神が、時めぐり来て岩戸が開かれて合い抱き給う時節が来るとも言う…。
ここでしっかりと考えを廻らせば、その仔細も解かるはずである。
ここにあるレンズの意味くらいは自分で探すがよい。
すると天と地の間にレンズを置くと言う「ひふみ神示」の言葉と古神道の神のムスビは同一態であることが分かるはずであり、同時にまた、それは現代語の「メビュ-スの結び」と同一なものであることが分かってくるのである。
上記の「数の語り」を参考にいろいろと考えを廻らすがよい、それにより四方、八方的に真実が見えて一つの具象考が確立されてくるはずである。
なぜ正方形(n×n)の対角線の持つランダムに見える数字の群れからこのような驚くべき規律正しい数列の姿が現われるのであろうか、まさに日本独特の手法、日本の生んだ「数の仕組み」のまことの姿である。
そこをまず考えて更なる独自の真実を見い出すべく心の赴くまま調査追究してほしい。
それらにより正図形と正自然数はお互いに呼び合い、共鳴しあって自然の真理を告げ、その存在を高らかに謳い上げていることが自然自然に判ってくるのである。
その事実を我々は最初に知らなければならないのいであり、それを調べることにより、そこにある因と果の確たる存在とその循環的な流れの真実を悟ることができるのである。
それらの自然事実を解明し、一つに纏め上げたものがこの「神の数学」と呼ぶ数学体系であり、自然の数理体系を語るものである。
それがすなわち「意識数学」と呼ばれる科学、哲学、神学上の真実を十分にカバ-し補っても余りあるものである。
ここにある「数の響き」と「その語り」をあなたの目と心をフルに使ってこの上記の数表から読み取ってもらいたい。
ただの一読ですべてを了とする者は恐らくいないはずである、何回も何回も目と手と心で繰り返し根気よく検証して初めてこの数図の真価が分かるのであり、そこにある驚くべき「数の真義」がだんだんと心に伝わって来るのである。
よく考えると(ⅰ)と(ⅱ)を180度ねじった結び方とはメビュ-スの輪と同一的なものであり、自然界のメビュ-スの輪的な実在を謳っているものと言えるものである。
何と言う驚くべき自然図の現れであろうか…。
Oh my Got !!
このような不思議な出来事が現実にこの世にあっていいものなのだろうか…。
まさに不可思議ドンピシャリの図である。
そんな馬鹿なと笑う者もいるではあろう、これは単なる偶然であり、このような数図の更なる現われは決してないと嘲り笑い、誹(そし)り、罵る者もいるかも知れない。
その時は改めて、もっと唖然とするほど摩訶不思議な、そして更に意味の深い驚くべき次の「神の作品」の数編をこのHPと言う俎板に乗せて紹介するつもりである。
そもそもあなた方の誇る人間知、そんなものは自然の知、神の知に比べると砂上の楼閣同然に過ぎないものと心得るべきである。
自然と反りの合わない科学知を持って何を得意然としているのか…!。
そんな驕りの心等は捨ててもって学ぶべし、宇宙自然の心、そしてその繊細で高邁な超叡智の姿を。
喝 …!!。
またその∑はすべて36になり、一桁化して9になり0になる。
何と魅惑的な完全数の姿であり、そして美しい自然の数仕組みの現れであろうか!!
まさにそれは「超数学」の姿そのものであり、意識的(有機的)な姿を持った新しい数学の姿の出現である。
それにしても何と調和ある美しいメロデ-の調べであり、何と言う整然とした秩序を持つ稀有な姿であろうか、ただただ感じ入り、己の知の貧しさを恥じて涙するだけである。
そこに現われたのはまさに古神道の奥義祝詞「ひふみ…天地の数歌」の姿であり、数千年前の祖達が残した輝かしい「知の業」が昇華結晶したワン・フレ-ズの姿、すなわち古神道の祝詞の姿なのである。
まさに、祝詞「ひふみ…」とはその名の通り大宇宙の歌(律理)であり、その真実(法則)を歌っている偉大な天地のメロデイ-なのである。
我々はその事実を知ればいいのである、ただそれを頭の中に置けばいいのである。
ただそれだけで我々の人生は一変しすべてが自信に満ちたものに変わるのである。
◎またである、次に(ⅱ)の上下逆転の表を今度はそのまま(ⅰ)の頭部に連結させる、すると驚いたことにそれらの数は何とまたもやその二つの切り口がピタリと合って完全数列となるのである。
是非そのあたりを自らの手で試み歓喜の声を上げるがよい。
要するに、頭部に置いても末尾に置いてもすべての数列の切り口は不思議にもピタリと合い完全数列、すなわち「ひふみ九九算」数列が姿を現すのである。
また、そのすべての∑は36、一桁化して9になり0になるのである。
何たる不思議、!!。
何たる妙技なのであろうか…。
(注……「完全数列」とは合計して0 になるものである)
一体これらを通して宇宙意識(神)は我々に何を示し、なにを教えようとしているのか…?、それを真剣に考えてほしい。
現代数学ではそのような有機(意識ある)的ともいえる数仕組み等はまったく見られず、あくまで無機質のものが流れ、無機質に終わり、相互の響き、リズム等は一切見られないものである。
すなわち、全体的な相互を結んでいる関係などは一切見られないと言うことである。
そのあたりは日頃あなたが感じている通りであろう。
◎この完全に連結が完了した完全数列群を改めて見るがよい、あなたはそこに驚異の数の並びとその真実の語りを見い出すであろう。
それはまさに厳然たる「現実の数」の姿であり、決してバ-チャル的な数の現われなどではない。
①各数列を中心で二つに折り、その重なった数を加算する(対極数の加算)、するとそこにある加算答の数字はすべて同じであるという驚くべき結果を見ることが出来、唖然となるはずである。
<例> (④+5)の場合、<4+1><7+7><1+4><4+1><7+7>→すべては→ 5、(⑤+4)の場合 →<5+1><0+6><4+2><8+7><3+3>→6、(⑥+3)の場合 →<6+1><2+5><7+0><3+4><8+8>→すべて7、すなわち現われたのは567の連数である。
このようにして、そこに現れる数は上から順に、01234567890と言う完全自然秩序数(ひふみ数詞)が姿を現わし、すべては正しいことを高らかに告げているのである。
そのあたりの揺るぎない自然真実の醍醐味を味わうためにも是非自分の目と手で検証を進め、そこにある真実を心ゆくまで堪能してもらいたい。
改めて言いたい、それはまことに簡単なものであり、小学生でも十分に計算及び理解可能なものであると…。
②ここに現れた連結数表の縦に並ぶ数を見てほしい。
左から見て最初の数は0123456780であり、2番目の数8135702468、3番目の数は7147147147、4番目は6150483726、……とすべては上記の「ひふみ九九算」の数列そのものが下から逆に上に向かって並んでいることが分かるであろう。
すべての数列は輪をなしている循環体と考えればいいのである。
何と美しい数学的ハ-モニ-を持った数の関係であろうか!!。
何と言うメロデックな数の並びとその交わりの感動の姿であろうか、!!。
まさに愕然となり、声も出ない!。
そこにある自然の本能的な表れの持つ深い意味とは…?。
この不思議な数のメグリ合わせの「驚くべき物語」の示すこの構図の意味とは、!!。
このすべてを知り、常に心で反芻するがよい。
そうすることによりあなたは世界一の果報者として生涯心豊かに過ごすことが出来、かつ一切の邪は決して寄ってくることはないであろう。
◎また、〔A〕で現れた∑数は<右上がり>、<右下がり>共に 0は0、①は1、②は5、③は6、④は7、⑤は2、⑥は3、 ⑦は4、⑧は8、⑨は0 であり、(ⅰ)も(ⅱ)もまったく同じ数字が出現する。
前と同様に片方を上下逆転させてつなぐ(メビュ-ス的構造体)と、<0+0><1+8><5+4><6+3><7+2><2+7><3+6><4+5><8+1><0+0>となり、すべては9のみの数列と化し、0になる不可思議な数の仕組みをもっていることが判明する。
(「ひふみ神示」にもあるではないか、<ケ(9)であるぞ、レ(0)であるぞ、ホ(本当)であるぞ>と、!。
◎それを数字で表せば0999999990999999990…となり、まさに「ひふみ神示」の言う真理の「九の花」が咲いた状態となるのである。
このように「神の数学」の中は常に九の花で賑わい、九の満飾そのものと化して空、無に帰すことによりすべてが弥栄となるのである。
一体、これは何を示唆し、何を教えようとしているのであろうか?。
◎次は上記の表、すなわち(藤)と(討)の反転連結(レンズ)した完成表の各縦列を加算して観るがいい、何とそこには再び驚くべき数が姿を現わし我々を唸らせるのである。
すなわち、そこには左から、45(0),44,43,42,41,40,39,38,37の順数が見事な形で現れすべてを締めくくり、一つの完結を告げているのである。
何故なら、それらの数を一桁化するとそこには0,8,7,6,5,4,3,2,1の「ひふみ数詞」が現れて我々を歓喜に導き、ジ・エンドを告げるのである。
何たることか!。
誰が一体このような驚くべき「数の秘儀」をつくり上げ、永遠なるものとして謳いあげているのであろうか。
まさに、融通無碍の世界であり、無上涅槃の世界である。
これらすべては大宇宙の創造主、すなわち『神』の緻密な心の作品であり、その「聖なる構図」と言ってもいいものであろう。
すべては自然哲学の原母体であり、その雛形とも言っても何ら差し支えはないものである。
我々はそこから必要なものを見出して学ぶ、それが今最も必要なことであり、やらなければならないことである。
◎直観に優れている方は気がついたであろう。
最後に現れた数列はすべて「ひふみ…九九算」の中の数であり、その各数列であることを。
ただし、417と741の数列関係は「神のヴェ-ル」が掛けられているのですべてから1を引く、すると306と630になり、普段の「ひふみ九九算」の形に戻るのである。
<「神のヴェ-ル」についての詳細は「神の法陣」上級講座(4)参照してほしい。>
◎あなた方は問うであろう、本当に大自然は知を持っているのか、宇宙意識(神)は本当にあるのかと、今まで誰もそれには答えた者はいない。
しかし、あなた方の前にあるこれらの問題を本気で解こうとするならばその答は直ぐに見つかるはずである。
例えば上記の(藤)(討)の場合、そこにある対角線上の数字の取り方の方向を一歩でも間違えばすべては水泡に帰し、混乱が始まるだけである。
すなわちそこにある何千、何万、何億の「神の法陣」の二つの対角線の取り方には一定のル-ルと規律が厳として存在すると言うことである。
一つの対角線を右下がりに取り、もう一つを左下がりに取った場合、残る無限に伸びる膨大な数の「神の法陣」もまったく同様な方法で処理しなければならない、さもなければすべては無残な結果に終わり終止符をうつだけである。
例えたった一つでも取り方の方向が少しでも違えばすべてに影響を与えて混乱が生じるだけである。
それはすなわち、すべては確たる意図をもって創られた有機的な存在であり、かつ数によりしっかりと管理されているものであると言う何よりの証拠である。
この教訓は十分に人生に生かせるはずである。
(「神の法陣」初級講座(12)にはこれ以上の恐るべき「神の秘密」が開示され、その答が恭しく鎮座している。
それはまさに驚嘆の逸品である。
是非、あなたの直観と洞察力を駆使して、それを検証し、更にはその奥へと踏み入ってもらいたい。
果たして何が現れてあなたに「秘かなる真実の理」を囁やきかけるのであろうか?。 )
お解かりであろうか、数はすべてを知り、それを教えてくれるのである。
これらは人間の知(現代数学)より遥かに簡単であるが、実際は大いなる数の玄理に富んだ非常に厳しく、威厳に富んだものである、決してあなどり安易に扱うことは謹んでほしい。
すべては自然の真実を告げながら同時に宇宙普遍の真実の「数の理」の存在を示し、大いなる自然の真理法則を巧妙に数で描き上げているものである。
まさに今行き詰まっている数物理、哲学、神学界等の求めている真実探索の材料としてまさに格好のものであろう。
また、これらを順次辿って行くことにより「新しい知の世界」の存在を知り、その扉を叩くことが可能になるのでもある。
時間などはいくらかかってもいいではないか、自分自身の将来のための試金石としてこれらの検証を是非試みるがよい。
あなたのため、未来の為に。
Open sesame !! (開け ゴマ)
これらはまた現代の数学者達にとっては青天の霹靂であり、気も狂わんばかりの情けなさと焦りを覚えるものであろう。
そしてとどのつまりはいつもの通り、ただただ不問、不介入を決め込み、無視するだけになるのである。
また、すべては未だ人間の見ぬ叡智の数々である。
「神の法陣」初級講座(12)より
上記の例題は「神の法陣」初級講座(12)から転載したほんの一例であり、「神の数学」の中にはこれ以上のものが何段にも重なって数十、数百と転がっているのである。
(2010年4月吉日抄記)
すべては人知的にはノ-ベル賞級、いやそれ以上の自然数理の知られざる逸品ばかりであり、自然知の珠玉の宝庫と言ってもいいものである。
例えば、この「神の法陣」初級講座(12)の中にはまだ数多の驚くべき超知が展示され、訪れる者を待っている事実を知ってほしい。
そこには「神」の確たる存在証拠とその偉大なる合理性そのものを驚くべき方法で数が開示しているのである。
それらはまさに唖然とするものであり、なぜこんなことが今まで判らなかったのであろうかと頭を抱えて宙を舞うことは必然である。
その真実の答は誰でも、何処でも、何時でも簡単に自分の手で検証できる、すなわち、自己検証が可能なものである。
是非そのあたりを楽しみながらじっくりと考え、新たな真実の心を芽生えさせてほしい. 要するに意気込み、熱意がものを言うのである、決して学力の有無、知能のよしあしなどではない。
残念ながら、現代の秀逸と言われる学者達はその知をまったく知らず、想像すら出来ないものである。
だから現在の段階では決して認められることはないものであり、忌避することは間違いないであろう。
そのあたりは十分に知っていてほしい。
それでいいではないか、ただただ自然の中に一人溶け込み、自然を相手に嬉々とした会話を楽しみ,そして自然の真実を知る。
<そのうちに上記問題が教えようとしている宇宙自然屈指の大原理、大摂理、すなわち、長い間人間知が常に求めて止まなかったこれらの永遠の答をここに上載するつもりである、但し、大勢の人々の要求があり、気分が乗ればの話である。
このような大歓喜に包まれた素晴らしい世界に立ち入った果報者が果たして今までにいたであろうか!。
それはまさに極楽涅槃の境地であり、尽きぬ知の醍醐味の大いなる世界に遊んでいる幸せな弥栄の境地と言えるものである。
やさかましませ、いやさかましませ!!。
≪天の筆、『九の神』、やさかましませ、いやさかましませ、一二三四五六七八九で足りるのであるぞ…≫「ひふみ神示」より。>
それまで出来る限り自分の知と洞察力を用いて自分なりの答を見つけ出してほしい。
「求めよ、さらば開かれん」、「一心岩も通す」の気概を常にもつことが何より大切なことを忘れないでほしい>。
(上の問題は「ひふみ神示」黄金の巻き91帖にある「知の人間は広く進むぞ、タテとヨコであるぞ、二つが織りなされ結んで弥栄になる仕組み」を指すものである)