不動心さんのメール 千成さん太陽さんお早うございます。 不動心です。 神の数学を考えていて私なりに気がついた事を書き記します。
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千成のメール 不動心さん、考察ありがとうございます。
な~るほどです。 とてもおもしろい考え方だと思います。 ただ、暦は状態の変化を知るものであっても、人間社会はそれを数字に置き換えて分かりやすくしています。 「八専」の日は、2012年の8月では、8月19日から始まって8月30日に終わるなどと言います。 暦は、状態の変化を示すものですが、それには数字を使って状態の変化を表現しています。 人間は、たった80年しか生きられない肉体を持っており、霊のように永遠に生きる存在ではないのでどうしても数字にこだわらないと日常がうまく廻らないのではないでしょうか。 しかし、不動心さんが感じられるように、肉体の要求である特定の日を知りたいという欲求にあまり振り回されると、永遠の命を生きる存在からの情報は取り違えるという考察は、な~るほどと、納得できますね。 ただ、神示を降ろされたような高度な霊、つまり神ぐらいの存在になると、人間が肉体を持っており、時間に拘束されている存在であることも百も承知であり、人間に通用するような数字を使っているのかもしれません。 そこで八月のこと、八月の世界のこと、よく気つけて置いて呉れよ、という内容も出てくるのかも。 ところが、不動心さんの考察を加味すると、八月というと数字の8が使ってありますが「神の数学」では最後の数字の9の一つ手前です。 ということは、不動心さん流に考えると、人類最後の月を実際の九月ではなく 最後の時という意味で九月と神示は表現しているのかもしれませんね。 すると人類最後の直前の月を八月と表現している可能性も出てきます。 神示の他の帖には、八月ぐらぐらという内容もあります。 時間を意味する八月ではなくて、人類最後の時、「神の数学」から考えると、それは九月と表現されるのでしょうが、その前の月には、地球がぐらぐらする、とも解釈できます。 そうなるととってもややこしくて頭がこんぐらがってきます。 神様は、肉体を持って、時間に縛られている人間に合わせて、神示の中に数字を使われたのか、神様が時間の感覚が無い状態で使う数字を神示に示されたのか・・・ 不動心さんが、すごい考察を書いてくださったので、とっても気になりだしました。 しかし、八月ぐらぐら の八月を、単に数字の八ではなく、人類最後の前の時と解釈すると、なんだか神示のもう一つ奧が見えるような感覚になりますね。 いや、ちょっと待ってください。 神示には「10月まで待て」という表現もありました。 ということは、九月が最終月ではないことになります。 神示は「神の数学」流の解釈を求めている場合もあるし、人間の一般的な暦の月も考慮に入れてくださっている可能性もあります。 そうでなければ、「10月まで待て」という表現が理解できません。 やはり、神様は、人間が時間にとらわれる肉体を持っていることを考慮して下さっているのかも。 ということは神示は数字を使って特定の時期を指定していると考えるべき?? 霊の状態では時間の感覚が無いということはわかりますが、木内鶴彦氏は、臨死体験の時、過去の時代の映像を見た時に、星の位置からその時代を割り出されています。 神様クラスの霊体になると、未来の時代でも、その未来で人間の使っている暦を覗くとかして、その年月日を特定できるでしょう。 ひょっとしたら「10月まで待て」という表現は、神示を読む人が迷わないように、「神の数学」が言う数字の終わりは9であっても、普通の暦の10月も、神示を降ろした存在は知っていることを人間に知らせる目的なのかも、 う~ん、この問題はみなさん言いたいことが各人出てくるかもですね。 神示の数字は、単に状態の変化を示しているだけなのか、それとも暗号として特定の時を予言しているのか・・・ |