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不動心さんのメール

千成さん太陽さんお早うございます。

不動心です。

神の数学を考えていて私なりに気がついた事を書き記します。



地震の巻 第十四帖

霊界には、時間がない。

故に、霊人は時間ということを知らない。

其処には、霊的事物の連続とその弥栄があり、歓喜によって生命している。

即ち、時間はないが状態の変化はある。

故に、霊人たちは時間の考えはなく、永遠の概念をもっている。

この永遠とは、時間的なものは意味せず、永遠なる状態を意味するのである。

永遠と云うことは、時間より考えるものではなく、状態より考えるべきである。

神の数学は9進法でしたね。神霊界では私達が習得した10進法の考え方は成り立たない訳で、
数魂と神の数学でいうところでは

7は成りて8は成る。

9は完成で0。 10は無い。10=1+0だから1で始まりを表す。←にビックリです。

そういう意味でひふみ神示を眺めてみますと、ひふみ神示の文で特定の日にちを数字から選び出すのは困難ですね。

と言いますのは、神霊界では時間の観念が無いこと、我々の使っている時間は人間が作った物。

初めも終わりも無い時間を、ただひたすら繰り返す数字の一瞬を切り取り、此の日はこうだ!!と決められないという事に気がつきます。

因みに 神の数学を当て嵌めてみますと、人間の感覚では2010.12.3日は9で0の日、2010.12.4は1で始まりの日となります。

が、しかし2010.12.4日は今日であるというのは人間が決めた尺度での時間です。

ひふみ神示の表す数字に人間の時間は当てはまらないという事のようです。

眼に見える数字を足したり引いたりして日にちの特定をしようとしてもあまり意味が無いという事のようです。

何故なら神の数学には人間の計算式は当て嵌まらないからです。9進法ですよ。10進法では有りません。

人間の決めた数字には桁があります。但しその桁は無限ではありません。数の呼称が一定以上にはありません。

神の数字は無限です。0から8までの連続で無限のループが作れます。其処には美しい法則があります。

この様な事を色々と考えるに及び、人間世界に起きる状態の変化をひふみ神示の数字から特定の日にちとして読み取る事は無謀という事に気がつきました。

どうも私はひふみ神示に現れる数字に気を取られ過ぎていたようです。ひふみ神示に表れる数字は特定の日にちを表す物ではなく、別の意味を表している。

 ひふみ神示には状態の変化を表し、示唆する言葉が沢山書かれています。 状態の変化と言う意味では、今も昔も農耕に必要な知識であった季節(状態)の変化を表す暦こそが我々の知りたい情報を解読する重要な要素である事をピオニーさんが教えてくださいましたね。

むしろ、ひふみ神示の中で示唆している状態の変化こそが日にちの特定に重要な要素である事に気がつきました。

ピオニーさんは「割り切れる数が偶数だと言われても、どうしても覚えることができない、神経の回路が切れているとしか...
数字に関しては、ただのアホウとしかいいようがないのです。」と
メール2031で言われてましたが、変な言い方かもしれませんが、逆に其れだからこそ数字に拘らずに素直に暦が読めると言えるのかもしれません。

天は二物を与えずとも言います。きっと暦解読の才能とお役目を与えられたのではと拝察致します。

私なんかは普段の暦の中に何気なく見ている言葉、でも私にはまるで難しくて中々理解が及びません。
<(_ _)> スイマセン。

最期に一言、メール2031のタイトルにある2012年壬申の年は ウィキペディアにある壬申の乱(じんしんのらん) とは天武天皇元年(672年)に起きた日本古代最大の内乱(状態の変化)であると言う言葉とダブリ気になります。

天智天皇11年(672年)7月23日、壬申の乱に敗れた大友皇子は山前でほんの2~3人の付人 とともに自害して果てました。

千成のメール

不動心さん、考察ありがとうございます。

この様な事を色々と考えるに及び、人間世界に起きる状態の変化をひふみ神示の数字から特定の日にちとして読み取る事は無謀という事に気がつきました。

な~るほどです。

とてもおもしろい考え方だと思います。

ただ、暦は状態の変化を知るものであっても、人間社会はそれを数字に置き換えて分かりやすくしています。

「八専」の日は、2012年の8月では、8月19日から始まって8月30日に終わるなどと言います。

暦は、状態の変化を示すものですが、それには数字を使って状態の変化を表現しています。

人間は、たった80年しか生きられない肉体を持っており、霊のように永遠に生きる存在ではないのでどうしても数字にこだわらないと日常がうまく廻らないのではないでしょうか。

しかし、不動心さんが感じられるように、肉体の要求である特定の日を知りたいという欲求にあまり振り回されると、永遠の命を生きる存在からの情報は取り違えるという考察は、な~るほどと、納得できますね。

ただ、神示を降ろされたような高度な霊、つまり神ぐらいの存在になると、人間が肉体を持っており、時間に拘束されている存在であることも百も承知であり、人間に通用するような数字を使っているのかもしれません。

そこで八月のこと、八月の世界のこと、よく気つけて置いて呉れよ、という内容も出てくるのかも。

ところが、不動心さんの考察を加味すると、八月というと数字の8が使ってありますが「神の数学」では最後の数字の9の一つ手前です。

ということは、不動心さん流に考えると、人類最後の月を実際の九月ではなく 最後の時という意味で九月と神示は表現しているのかもしれませんね。

すると人類最後の直前の月を八月と表現している可能性も出てきます。

神示の他の帖には、八月ぐらぐらという内容もあります。

時間を意味する八月ではなくて、人類最後の時、「神の数学」から考えると、それは九月と表現されるのでしょうが、その前の月には、地球がぐらぐらする、とも解釈できます。

そうなるととってもややこしくて頭がこんぐらがってきます。

神様は、肉体を持って、時間に縛られている人間に合わせて、神示の中に数字を使われたのか、神様が時間の感覚が無い状態で使う数字を神示に示されたのか・・・

不動心さんが、すごい考察を書いてくださったので、とっても気になりだしました。

しかし、八月ぐらぐら の八月を、単に数字の八ではなく、人類最後の前の時と解釈すると、なんだか神示のもう一つ奧が見えるような感覚になりますね。

いや、ちょっと待ってください。

神示には「10月まで待て」という表現もありました。

ということは、九月が最終月ではないことになります。

神示は「神の数学」流の解釈を求めている場合もあるし、人間の一般的な暦の月も考慮に入れてくださっている可能性もあります。

そうでなければ、「10月まで待て」という表現が理解できません。

やはり、神様は、人間が時間にとらわれる肉体を持っていることを考慮して下さっているのかも。

ということは神示は数字を使って特定の時期を指定していると考えるべき??

霊の状態では時間の感覚が無いということはわかりますが、木内鶴彦氏は、臨死体験の時、過去の時代の映像を見た時に、星の位置からその時代を割り出されています。

神様クラスの霊体になると、未来の時代でも、その未来で人間の使っている暦を覗くとかして、その年月日を特定できるでしょう。

ひょっとしたら「10月まで待て」という表現は、神示を読む人が迷わないように、「神の数学」が言う数字の終わりは9であっても、普通の暦の10月も、神示を降ろした存在は知っていることを人間に知らせる目的なのかも、

う~ん、この問題はみなさん言いたいことが各人出てくるかもですね。

神示の数字は、単に状態の変化を示しているだけなのか、それとも暗号として特定の時を予言しているのか・・・