なわ・ふみひとさんのサイトより
http://www.h2.dion.ne.jp/~apo.2012/bookstand21.html
<転載開始>
ルドルフ・カイザー・著  林 陽・解説  徳間書店  1995年刊
    はるか昔
    サンティアム川が分かれるあたりに
    ハンノキの森があった
    そこで眠っていたカラプヤが
    それは不思議な夢を見た

    夜半に目覚めて
    彼は人々に言った
    「おれの夢の中では
    足下の大地が
    真っ黒だった
    真っ黒だったぞ」

    だれにもわからなかった
    その夢にどんな意味があるのか
    われらが緑の大地がなぜ黒くなるのか――
    だからみんな忘れてしまった

    けれどもやがて白人がやってきた
    鉄のように厳しい白人の農夫たちが
    そしてわれらは見た
    大地が鋤で掘り返されるのを
    草原が
    サンティアム川の岸辺のささやかなプレーリーが

    こうしてわれらは悟った
    われらはかれらの夢に組み込まれる運命なのだ
    かれらの見た大地の夢
    情け容赦ない鋤の刃によって
    永遠に黒く変わった大地の夢に
                   ――カラプヤ族の予言


    時の始め、大水があふれるのを防ぐために一頭のバッファローが西の果てに
    置かれた。このバッファローは一年に一本ずつ毛を失い、一時代に一本ずつ
    脚を失う。すべての毛とすべての脚がなくなると、大水があふれ出し、世界の
    周期は終焉を迎える。いま、このバッファローは一本脚で立ち、ほとんど丸裸
    になっているという。
                   ――オグララ・スー族の神話


    浄めの日には、生きとし生けるものはみな泣き叫ぶ。
    山腹を転げ落ちてゆく石さえ泣き叫ぶだろう。
                   ――ホピ族の宗教的指導者デーヴィッド・モノンギエ


    日々おのれを新たにせよ
    いくたびも
    いくたびも新たにせよ
    つねに倦むことなく
                   ――中国王家の浴槽の銘文

未来の歴史――すべては霊界に印(シール)せられている

  ホピ族は、アメリカ南西部の四州にまたがる不毛の砂漠地帯、フォー・コーナーズにそびえ立つ3つの高台に住む少数民族である。彼らほど有名なインディアンはいない。人口は1万人足らず。雨も滅多に降らず、岩石質で樹木もほとんどないこの高台(ブラック・メサ)は、ホピ族にとっては世界の中心であり、最も神聖な場所である。それは、彼らが最初にこの世界に現れたときに、世界の守護神マサウウから、世界が終わるときまで清く保っておくように委ねられた場所なのだ。
  ホピ・スポークスマンとして世界的に名が知られるトマス・バニヤッカによれば、大陸渡来前のことまで含めれば、彼らの歴史は約5万年の長きにわたるという。5万年の歴史を今に伝える種族など、他にいるだろうか。彼らはさらに、「未来」の歴史までも岩に刻み、あるいは代々語り継いできた。
  予言という言葉を使わず「未来の歴史」と書いたのは、ホピにとって未来は過去と同じく創造主によって定められた道筋だからである。チペワ族の有名な指導者サン・ベアーの言葉を借りれば、「すべては霊界に印(シール)せられている」。人間に変えられるのは「度合い」と時期の遅い早いくらいであって、起こるべきことが未来に起こるというのである。

 現世界終末の前兆――灰のつまったヒョウタンが空から落ちた時

  ホピの予言は、ここ20年ばかりの間に世界の注目を集め始めた。広島と長崎への原爆投下が、彼らの予言の中に記録されていたという話は有名だ。
  むろん、「原爆」という言葉がホピの用語の中にあったわけではない。「ヒロシマ」、「ナガサキ」といった言葉が予言に記されていたのでもない。「灰のつまったヒョウタン」がいつか発明されて、それが空から落ちたとき、海は煮え立ち、陸は焼け尽くされ、長いこと生命が育たなくなる。そう予告されていただけである。実際に原爆が開発されるまで、その意味するところを知る者はだれもいなかったのだ。
  ホピにとって、これらの「予言」はむしろ「前兆」だった。それは、われわれが生きている「第四番目」の世界が終わり、次の「第五番目」の新世界が出現するときに起こるという「大浄めの日」の前兆なのである。

 現世界終末“九つの前兆”――最後の前兆は天の住居が完成した時

  ホピは自分たちのもつ歴史と予言によって、第四世界も今や終わりに近づいていることを知っている。かつての三つの世界は、いずれも創造主の掟を忘れ、人類が物質主義、利己主義に陥ったことによって自滅した。そして、今の第四世界もまた、かつての世界と同じ末期症状を呈している。
  われわれの地球がふたたび浄められる日が遠くないことを知った彼らは、それまで秘密にされてきた予言と創造主の教えをあかるみに出し、世界に対して最後の警告者の役目を自ら担うことになった。第四世界の浄めの日の前兆について、彼らは幾つもの興味深い予言を提示している。
  フェザーという名のホピの長老はこういった。「第四の世界はまもなく終わり、第五の世界が始まるだろう。どこの長老も知っていることだ。その前兆は長年の間に成就してきた。もう、ほとんど残されていない」。
  老人は全部で九つの前兆を話した。その第一は、白い肌の者たちが大陸にやってきて、雷で敵を打つというもの。これは銃を下げた白人のことだった。二番目の前兆は、「声で一杯になった木の糸車の到来」。これは白人の幌馬車隊だった。第三は、「バッファローに似ているが、角の長く大きい獣」の登場。これは、白人が連れてきた牛だった。第四の兆しは「鉄の蛇が平原を通る」というものだったが、鉄道が大陸を横断したときにこの予言は成就した。五番目の兆しとして老人が挙げたのは「巨大な蜘蛛の巣が地上をおおう」というものである。やがて電線がアメリカ全土を蜘蛛の巣状におおった。「大地に石の川が交差する」という第六の前兆は、ハイウェーが建設されるに及んで成就した。
  老人は、次に、未来の予言として三つ列挙した。第七の前兆は「海が黒く変色して、それによって沢山の生物が死ぬ」というもの。第八の前兆は「ロングヘアーの若者が部族国家に加わり、インディアンの生き方と知恵を学ぶ」というものだ。そして、最後の九番目の兆しはこうである。「あなたは天の住居のことを耳にするだろう。それは大音響とともに落ちてくる。それは青い星のようにみえるだろう。これが落ちてまもなく、わが民の儀式は終わるのじゃ」。
  第七の予言は、70年代初頭に世界各地で頻発した大規模な石油流出事故。これによって海洋は黒く汚染され、多くの生物が死んだ。そして、第八の予言は70年代中頃に若者の間で盛んになったヒッピー文化である。
  残る第九番目の前兆について、現在のホピ族の多くは、アメリカの宇宙計画に関係したものととらえているようだ。

 新世界に向けて準備段階に入った人類

  近年、西欧文明に未来はあるのかと、西欧人自身が疑いはじめている。むしろ、全般的に見て、西欧社会そのものが自己の存続の可能性に疑問を抱きはじめている、といっても過言ではないだろう。このように文化全体が悲観的になっているのにはさまざまな理由があるが、この世の終わりが近いという不安が生じ、またそれが強まってきている理由としては、少なくとも次の四つの原因が考えられる。
  まず第一にあげられるのは、自然、環境、人の生命にたいしてゆゆしい危険が迫っていることだ。現代兵器は恐るべき殺傷力を備えているし、遺伝子操作といいう問題もある。
 
  1987年12月、著名な西ドイツ(当時)の科学者ホイマー・フォン・ディトフルトは、ドイツのテレビでこう語っている。
  「わわわれは負けたのです。ごく少数は生き延びて一からやり直せるかもしれないが、それを除けば人類は滅亡するでしょう」
  彼には『さあ、林檎(りんご)の木を植えよう――時は来た』という著書があるが、この本の底流にある終末論的な気分、黙示録的な予言の書としての性格が、この題にそのまま反映されている。この題は、「世界が明日終わると知ったその日にも、私はやはり林檎の木を植えるだろう」という、マルティン・ルターが言ったとされる言葉を踏まえているのだ。この本の最初のパラグラフが、人類に未来の希望はほとんどないことを論証するために使われているのも不思議はない。

  事態は悪い方向に進んでいる。もう一度だけ、なんとか間一髪で切り抜けられはしないかと期待するのは、あきれた身のほど知らずというものだ。見まわせば、破滅が近いことを示す明々白々な徴候がごろごろしている。われわれの種があと二世代を無事に生き延びる確率は絶望的に小さいと結論せざるを得ない。

  私の経験からいえば、この文章もやはり多くのホピに支持されるだろうと思う。
  ホピの予言は、自然のバランスはすでに回復不能なほど破壊されている、という生態学者や科学者の主張と一致している。
 ホピの予言によれば、この世界が終末を迎えるのは、大神霊の称揚する伝統的な価値から人々がどんどん遠ざかるためである。人々は自然を畏れ敬う気持ちを失い、白人文化の物質主義的な道にいよいよ傾斜していく。
  西欧社会でも、いわゆる終末が近づいている徴候は、本質的に破壊的な考え方、ライフ・スタイル、価値観を私たちが捨てきれないという現実と深く結びついている。

  現代は、世界が終末を迎えようとしている時代だという。だが、そもそもどんな世界が終わろうとしているのか、それを考えなければならない。滅びつつあるのは、突然変異の異常な生き方だ。いわば癌細胞なのだ。ときには、地球を救うためになにかを――地球を滅ぼしつつあるものを――滅ぼさねばならないこともある。それが自然なプロセスだ‥‥病み疲れれば、社会とて死ぬ。

  終末論的な恐怖感をもたらしている第二の要因は、第一の要因として述べた状況に密接に関係しているもので、「意識の変容」とか「価値の変化」、「新しい認識法」と呼ばれることが多い。
  精神と物質、神と世界、人間と自然、客体と主体という西欧の二元論的な区別が通用しない、別の見方があることに気づく。そこにあるのは、ありとあらゆるものが大きな全体に結びついているという理解だ。このような全体論的世界観をもつ人々にとっては、この世に神聖でないものは存在せず、万物が霊に満ち、大きな全体の一部として分かちがたく絡み合っているのだ。
  こう考えてくると、必然的に次のような重要な結論が導かれる――宇宙が霊的エネルギーの全体論的ネットワークであるとすれば、ありとあらゆる存在にも意識が浸透しているということになる。人間の卑小な「自我」は宇宙に組み込まれている。人間の意識は――瞑想、思考、意志によって――存在する万物に伝わるどころか、それらと交流することさえできるのだ。この意識革命の主な目的は、宇宙の意識、宇宙の調和の観念、そして無限の一体感に人類を近づけることだ。

 汎神教の予言と世界宗教の予言

  世の終わりの予言は大多数の宗教の目玉になっているが、汎神教の場合と、普遍的な、いわゆる世界宗教との場合とでは、予言の性格に違いがあるように思える。
  汎神教は、自然――信者の生きている土地も含めて――に密着した宗教である。汎神論では、石ころから人間、はては星々まで、あらゆる自然現象に神の原理が満ちていると考える。この宇宙に神聖でないものは存在せず、森羅万象に魂が宿り、すべてが神のエネルギーの顕現なのだ。
  このような思想を信奉していれば、自然は好き勝手に開発できる資源の宝庫だという発想は出てこないだろう。それどころか、汎神論によれば、人間は自然の支配者でなくその一部であり、自然を維持・保全する義務があるのだ。
  大いなる神秘と精霊たちによって創造され、維持されているバランスを故意に乱すようなことをするのは人間だけであり、そのバランスを回復することができるのもやはり人間だけだ、というのが汎神論の考え方である。このような観点から見れば、いま私たちの目の前で行なわれている、自然のバランスの地球規模の破壊と故意の攪乱は、狂気にかられた一種の自殺行為だ。
  汎神論では宇宙の本質をこのようにとらえるわけだが、この基本的な考え方から生まれる予言には、はっきりした構造的な特徴がある。
  予見される世界の終わりはもはや、人間の言語、文化、社会的価値、あるいは信仰の頽廃にのみ左右されるわけでもなければ、それによって生じるわけでもない。ほとんどの場合、自然の意図的な破壊、宇宙のバランスの攪乱、自然への尊敬の念の減退、人間と自然との関係の頽廃に、明確に関連しているのだ。このことはホピの予言を見ればよくわかる。
  ホピのこうした基本的な教えや考え方は、ほかの土着民族にも共通している。オーストラリア原住民は、過去を「夢の時代」と呼ぶ。それは、人間と自然の緊密なつながりがまだ損なわれていない時代だった。この緊密なつながりがゆるみ、ついには断たれてしまったのは、白人文化の影響がかれらの生活に浸透したせいだ、とかれらは考えている。
  現に、予言はこう語っている――原住民の最後の一人が聖なる土から引き離され、その土が鉱山会社によって剥ぎ取られるとき、夢の時代との最後のつながりが断たれる。そうなると、原住民もまた根なし草のように地上の異邦人となり、もう自然のバランスを守ることも回復することもできなくなる。そして、自然そのものも混沌と化してしまうだろう、と。

  有名なテトン・スー族の首長クレイジー・ホースの最後のヴィジョンは、もっと明るく楽観的だ。
  彼は同胞が魂の暗闘と貧困に追い込まれるのを見た。そのかたわらで、白い人間たちが物質的に豊かに暮らしている。しかし、最も暗い時代にも、曙の光と大地の知恵を瞳に宿している同胞がわずかながら残っていて、それを子孫の一部に伝えていった。彼は、自動車と飛行機が現れるのを見た。そして底なしの闇を二度にわたって見た。二度の世界大戦で何百万もの人々が死んだときの、悲鳴と爆発を聞いた。
  しかし、二度目の大戦が終わったあと、同胞に目覚めの時が訪れるのを彼は見た。いっせいに目覚めるわけではなく、ちらほらと目覚める者が現れ、その数が少しずつ増えていく。そして、まだこの地上にいながらにして、同胞たちが聖なる木の下で霊界の美しい光を浴びて踊っているのを彼は見た。しかもなんと、木の下で踊っているのはあらゆる民の代表ではないか。すべての民族がいまでは兄弟になっているのだ。こうして彼はさとった。世界はまた新しくなり、彼の同胞だけでなく、世界中のあらゆる民が平和に、調和して生きる時代が来るのだと。

<転載終了>