なわ・ふみひとさんのサイトより
http://www.h2.dion.ne.jp/~apo.2012/bookstand23.html
<転載開始>
スピリチュアル誕生の系譜
近藤千雄著 ハート出版 1993年刊
神霊の実在を意識した古代人の生活
インディアンの素朴な自然宗教
《4つの教え》
(1) 唯一絶対の大霊が存在する。万物の創造者であり支配者である。われわれはその分霊としての存在を有する。
それは永遠の存在であり、形体を持たず、全知にして全能であり、言語で描写することのできない存在である。あらゆるものが大霊の中に存在し、大霊を通して活動する。われわれの崇拝心と忠誠心は、その大霊に向けなければならない。(中略)
大霊は本質的には非人格的存在である。それが動物や小鳥、雲、雨、山河、人間あるいは動物に宿り、個性をもって顕現しているのが現実である。その大霊のもとに無数の個霊が控えている。
(2) 地上に誕生した人間が第一に心がけねばならないことは、人間として円満な資質を身につけることである。
それは、人間を構成する器官とエネルギーを正常に発達させ、それを正しい手段で満足させることによって達せられる。すなわち、肉体的に、霊的に、そして人のために役立つ資質において、成人となることである。
(3) 成人としての高度な資質を身につけたら、その資質を部族のために捧げないといけない。何よりもまず自分の家族の大黒柱となり、勇気ある保護者となり、親切で頼りがいのある隣人となり、家族とキャンプおよび部族全体を外敵から守らねばならない。
(4) 人間の魂は永遠に不滅である。
いつこの世にやってきて、去ったあといずこへ行くかは、誰にもわからない。しかし、いよいよ死期が訪れたら、これから次の生活の場に行くのだということを知っておくべきである。
その世界にどういうことが待ち受けているかは確かめることはできない。が、恐怖心を抱いたり、やり残したことや為すべきでなかったことを後悔したり泣いたりしてはいけない。与えられたかぎりの才能と制約の中で最善を尽くしたという自覚、そしてその死後の境遇は地上での所業で決まるという認識をもって、腹を決めることである。“死の歌”を高らかに口ずさみながら、勝利の凱旋をする英雄のごとくに、死に赴くがよい。(“死の歌”は死ぬ間際に自ら歌う歌として、自分でこしらえておく)
http://www.h2.dion.ne.jp/~apo.2012/bookstand23.html
<転載開始>
スピリチュアル誕生の系譜
近藤千雄著 ハート出版 1993年刊
神霊の実在を意識した古代人の生活
インディアンの素朴な自然宗教
《4つの教え》
(1) 唯一絶対の大霊が存在する。万物の創造者であり支配者である。われわれはその分霊としての存在を有する。
それは永遠の存在であり、形体を持たず、全知にして全能であり、言語で描写することのできない存在である。あらゆるものが大霊の中に存在し、大霊を通して活動する。われわれの崇拝心と忠誠心は、その大霊に向けなければならない。(中略)
大霊は本質的には非人格的存在である。それが動物や小鳥、雲、雨、山河、人間あるいは動物に宿り、個性をもって顕現しているのが現実である。その大霊のもとに無数の個霊が控えている。
(2) 地上に誕生した人間が第一に心がけねばならないことは、人間として円満な資質を身につけることである。
それは、人間を構成する器官とエネルギーを正常に発達させ、それを正しい手段で満足させることによって達せられる。すなわち、肉体的に、霊的に、そして人のために役立つ資質において、成人となることである。
(3) 成人としての高度な資質を身につけたら、その資質を部族のために捧げないといけない。何よりもまず自分の家族の大黒柱となり、勇気ある保護者となり、親切で頼りがいのある隣人となり、家族とキャンプおよび部族全体を外敵から守らねばならない。
(4) 人間の魂は永遠に不滅である。
いつこの世にやってきて、去ったあといずこへ行くかは、誰にもわからない。しかし、いよいよ死期が訪れたら、これから次の生活の場に行くのだということを知っておくべきである。
その世界にどういうことが待ち受けているかは確かめることはできない。が、恐怖心を抱いたり、やり残したことや為すべきでなかったことを後悔したり泣いたりしてはいけない。与えられたかぎりの才能と制約の中で最善を尽くしたという自覚、そしてその死後の境遇は地上での所業で決まるという認識をもって、腹を決めることである。“死の歌”を高らかに口ずさみながら、勝利の凱旋をする英雄のごとくに、死に赴くがよい。(“死の歌”は死ぬ間際に自ら歌う歌として、自分でこしらえておく)
《12の戒め》
(1) 神はただ一つ、“大霊”がおわすのみと心得よ。
永遠にして全知・全能であり、形体をもたない。いついかなる時も、あらゆる存在の中に行きわたっている。その大霊を畏敬せよ。が、同時に、他人がそれをどういう形で敬おうと、それを尊重せよ。なぜなら、すべての真理を手にした者は一人としていないのであり、自分が敬虔なる気持ちで敬っているものを他人からとやかく言われる筋合いはないのと同様に、他人が聖なるものとしているものには敬意を払わねばならないからである。
(2) 大霊を形あるもの、つまり目に見える存在として描いてはならない。
(3) 言葉の信義を神聖に保つこと。
いついかなる時でも、ウソをつくことは恥ずべきことである。大霊はいついかなる時も偏在しているからである。大霊の名のもとに偽りの誓いをすることは、死にも値する罪である。
(4) 祝日を大切にし、インディアン・ダンスをきちんと習い、タブーには敬意を払い、部族の慣習を守ること。それが部族内における良き一員として、その恩恵に浴する道である。そうしたものは太古から伝えられてきた先輩たちの英知から生まれたものだからである。
(5) 父と母、およびその父母を尊敬し、その言に従うこと。年齢はすなわち英知であり、自分への厳しい躾は、終生きっと力となり利益となるであろう。
(6) 人を殺めてはならない。もしも部族の仲間を故意に殺した時は、それは死にも値する罪である。万が一誤って殺した時は、評議会にかけて、それ相当の償いが課せられるであろう。
(7) 思考と行為において常に純潔であれ。結婚式の時の互いの誓いを忘れず、人に同じ誓いを破らせることがあってはならない。
(8) 盗むべからず。
(9) 必要以上の富を蓄えてはならない。
部族の他の仲間に困っている人がいるのに、自分だけが大きな蓄えを所有することは恥ずべきことである。同時にそれは、下劣な罪の最たるものである。戦勝の結果にせよ、取引の結果にせよ、あるいは大霊から賜った才能のお陰にせよ、自分ならびに家族の生活にとって必要以上のものが手に入った時は、部族の者を集めて“施しの会”を開き、余分のものを、困っている人たちにその度合いに応じて分けてあげるべきである。特に未亡人、孤児、身よりのない人を優先すること。
(10) 健康に有害な火酒類(度の強いアルコール類)に手を出すべからず。体力を奪い、賢明なる者を愚か者にし、洞察力を狂わせるものは、食べ物であろうと飲み物であろうと、試してみることもならない。
(11) 常に清潔を心がけるべし。身体のみならず住居の中も清潔に保たねばならない。毎朝の水浴を欠かさず、必要とあらば蒸し風呂で体調を整えよ。肉体は霊の聖なる殿堂だからである。
(12) 自分の生活を大切にし、それを完全なものとし、その中で生じるものを全て美化し、自分の力と美を誇りとせよ。
生きているということに魂の奥底から喜びを覚え、1日でも長生きして、部族のために役立つことを心がけよ。そして、いずれ訪れる死に備えて、堂々たる“死の歌”を用意せよ。
高級霊の地上への降誕
“純正”の折り紙つき霊界通信によれば、地球上のいずこの国においても、またいつの時代にあっても、したがってこの現代においても、“導師”というべき高級霊が自発的に、あるいは勅命を受けて地上に誕生しているという。
そういう人物は、必ずしも側から見てそれと分かる風采をしているわけでもなければ、それらしい指導的地位にあるともかぎらない。むしろ、どちらかというと身分の高い階級、由緒ある家柄、社会的地位の高い職業は避けるものだという。なぜか。霊性の進化という至上目的にとって、それがプラスどころかマイナス要因にしかならないからである。
人間的努力と霊の援助
守護霊を中心とする背後霊団と人間との関係、あるは一国の守護神と国民との関係、さらには地球の守護神と地上人類全体との関係の基本にあるのは、あくまでも人間の霊的進化であり、そのための絶対条件として、自由意志の尊重が第一に考慮されねばならない。ただの操り人形となってしまっては、安全第一は保証されても、そこに進化はあり得ない。そこで人間側の自由意志による判断と選択の権利を尊重しつつ、カルマの解消と霊的進化へ向けて霊的援助を与えてやらねばならない。何でも簡単に解決してやっていては、それは例えば子供の宿題をぜんぶ親が教えてやるようなもので、本人のためにならないどころか、逆にマイナスの素地を作っていくことになるであろう。
人間には身体上の先祖、つまり血でつながった先輩とは別に、霊性でつながった先祖、いわば“霊的家族”の集団があって、そこでは国家や民族の別はなく、霊的親和性によって結ばれた生活が営まれている。そして、今こうして自分が日本で生活しているように、他の類魂はユダヤ人として、フランス人として、イギリス人として、あるいはインド人として、もしかしたらどこかの難民として生活しているかもしれない。しかも、もしかしたら自分は、来世では南アフリカ人に生まれ変わるかもしれない。ロシア人かもしれない。
要するにわれわれ地上人類は、一つの大きな共同体であり、自分の霊的な家族がどこのどの国のご厄介になっているかも分からないのである。そう理解した時から醜い人種的偏見が消え、愚かしい仲違いや戦争はよそうという気持ちが湧いてこないだろうか。自分の家の前だけを掃除するようなケチ臭い根性は捨てて、地球全体を住み良い環境にしようという考えが出てこないだろうか。
スピリチュアリズムは“霊性のルネッサンス”
第一次世界大戦は火薬というものを使用した最初の大量虐殺行為であり、第二次大戦ではそれに原子爆弾が加わって、わずか数年間で数百万の人命を奪った。しかも今日では各種の核兵器の量産によって、一瞬のうちに敵も味方ももろともに、否、敵でも味方でもない他の民族も巻き添えにして、地上人類という“種”を絶滅してしまう危険性さえ抱える事態に至っている。
『インペレーターの霊訓』の中に次のような“霊言”がある。
苦難の時代が近づいております。いつの時代にも、真理が顔を出せば必ずそれを目の敵にする反抗勢力が結集するものです。平和が乱されることを嘆く者がいるのも無理からぬことですが、真実と虚偽との闘いの中に、神の真理の火花を打ち出す好機を見出す才覚のある者には、混乱もまた喜ぶべき理由がなきにしもあらずなのです。
戦争と激動を覚悟しなければなりません。苦難と混乱を覚悟しなければなりません。そしてまた、キリストの再臨を地上への再生と信じる者が引き起こすであろう抵抗も、大いに覚悟しなければなりません。今、“キリスト的”と呼ばれる時代が終焉を迎えております。キリストは霊として、また霊力として地上に戻り、人類の魂を解放するための新しい啓示をもたらしつつあります。
迷信的教義によってがんじがらめにされた精神のほうが、何の先入観もない精神よりはるかに有害です。信仰をもたない者が多いことを恐れることはありません。新しい真理が注ぎ込まれるためには、まず無垢な受容性がなければなりません。
人間の一人一人に遠い過去――霊的に言えば“類魂”(“血縁”の家族とは別の、“魂”の家族ともいうべき、同じ霊系に属する霊の集団のこと。グループソウルとかアフィニティといったりする)が代々こしらえてきたカルマ――があり、それが地上的環境条件を機縁として発現し、そして解消されていく、その営みだけは絶対に避けて通れないように、家族単位、社会単位、国家単位で犯してきた罪過も、何らかの形で解消していかねばならないらしい。
シルバーバーチ霊団の霊言による霊訓
シルバーバーチというのは、今からほぼ3千年前、イエス・キリストより1千年も前にこの地球上で生活したことのある霊、ということ以外は、地上時代の姓名も地位も民族も国家もわかっていない。本人が最後まで明かさなかったのである。せめて姓名だけでもとお願いしても、
「それを知ってどうしようというのです? もしも歴史上の有名人だったら有り難がり、どこの馬の骨だかわからない人物だったらサヨナラをなさるおつもりですか?」
といった皮肉っぽい返事が返ってくるだけだった。毎週1回の割で50年あまりも続いた交霊会で同じ質問が何度出されたか知れないが、
「いずれ明かす日も来るでしょうが、わたし個人のことよりも、わたしが語る内容の方が大切です」
というのがせめてものまともな返事で、人間が地上時代の名声や地位や階級などにこだわるのを“悪趣味”として、警告をこめた返事をするのが常だった。
そのシルバーバーチが初めてバーパネルの口を借りてしゃべったのは1920年、バーパネルが18歳の時だった。当時バーパネルは、文人や芸術家による社交クラブの幹事をしていた。ある日、そのクラブの例会で講演した人の口からスピリチュアリズムという言葉を聞いて関心をもった。すると間もなくその人がプロースタインという霊媒によるホームサークルに案内してくれた。
行ってみると、その霊媒の口をついて、いろいろな国籍の言葉が出た。それが死者の霊だと聞かされた時、バーパネルはバカバカしくなって失笑した。何の証拠もないし、言ってることもくだらないことばかりだったからである。ところが2度目に出席した時、会の途中でうたた寝をしてしまった。目が覚めて、あわてて失礼を詫びたところ、実は寝ていたのではなく、自分の口を使ってあるインディアンがしゃべったと聞かされた。それがシルバーバーチだった。
四つの思想上の特徴
シルバーバーチによると、人間界の問題はあくまでも人間どうしで知恵を出し合って解決すべきであって、そこに霊界からの強制があってはならないというのである。シルバーバーチはよく、「あなたの理性が承服しないものは、どうぞ遠慮なく拒否なさってください」と述べている。それも同じ考えからで、それはたとえば守護霊と人間との関係についても言える。
守護霊(英語ではガーディアン)という用語には、日本語でも「守る」という意味があるところから、この文字だけを見た人は「何でもかでも守ってくれる霊」と受けとめて、その考えで現実を振り返って、「おかしいではないか。少しも守ってくれてないではないか」と言う。が、守るといっても、母親がヨチヨチ歩きの子供を「ケガをしないように」とついてまわるのとは次元が違う。母子の関係は同じ平面上のことであるが、守護霊と人間とは“波動の原理”で結ばれており、波長が合い、守護霊の監視下にあるかぎりは心配ないが、つい邪(よこしま)な考えを抱いたり、憎しみや自己顕示欲が強くなってくると、それを機に、邪霊・悪霊といった低級霊に操られることになる。
次に挙げられるシルバーバーチの教えの特徴は「苦労に感謝しなさい」ということである。苦労こそ魂の肥やしであるという考えのもとに、人間生活ならではのさまざまな悩みごとや難問と正面から取り組み、自分の力で解決していきなさい、と言うのである。そこには“ご利益”的な要素はみじんもない。「わたしの説く真理を信じても、それで人生の苦労がなくなるわけではありません」とまで言っている。
たいていの宗教が「ウチの神さまを信じたら病気も悩みも苦労もすべてなくなります」と宣伝する中で、シルバーバーチはその逆を言うのである。なぜか。それは、地上という世界が魂のトレーニングセンターのようなところだからである。せっかく鍛えに来たのに、何の苦労もなく、のんびりと過ごしたのでは意味がない。シルバーバーチの霊訓が“大人の教え”と言われるゆえんはそこにある。甘ったれは許されないということである。
次に挙げられるのは「サービスこそ宗教」という教えである。日本語でサービスというと、オマケとか待遇の良さといった安っぽい意味が感じられるが、英語のservice の本来の意味は「人のために自分を役立てること」ということである。どんなに小さい行為でもよい。人を喜ばせる行為、人のためになる行為こそ、一宗一派の教義を信じて宗教的行事に参加することより、はるかに霊的な宗教的行為であるというのである。
最後に挙げる特徴は、“因果律”を宇宙・人生の根本原理としていることである。「自分で蒔いた種は自分で刈り取る」というのはずいぶん言い古された諺であるが、「やはり真実です」とシルバーバーチは言う。善因善果、悪因悪果、因果応報などともいうが、これに関して注目すべきことは、シルバーバーチはその因果律をただ歯車のように巡るのではなくて、“魂の向上進化”を目的としている点である。
これはスピリチュアリズムの特徴といってよい、きわめて大切な原理である。上にあげた3つの特徴も実はみな、この“向上進化”という目的があればこそ生きてくるのであり、人生問題のすべてがそこに帰着する。たとえば善悪の問題でも、伝統的宗教の教えや古くからの生活慣習を基準にして判断するのではなく、当人の魂の向上にとってそれがプラスになるかマイナスになるかで判断すべきであるというのである。
われわれ地上の人間は、どう長生きしたところで7、80年か、せいぜい百年程度であるが、シルバーバーチは死後3千年にわたる生活の末に、今この地球という故郷に戻ってきて、その間に学んだ宇宙の摂理と、地上生活を有意義に送るための英知をわれわれ後輩に語ってくれた。それが、こうした何でもないようで実は深い英知に裏打ちされた教えばかりなのである。それを事実上60年間も繰り返し説いてきた。しかもその間に矛盾撞着も見られなかったという事実は、まさに人類史上空前絶後というべきであろう。
もうすぐ人類史の2日目が始まる――あとがきに代えて
霊的自覚が強まってきたときに注意しなければならないのは、霊的なことに関心が偏って物的側面をおろそかにしてしまうことである。言わば日光浴の度が過ぎるようなもので、生活全体、ないしは一生涯を尺度としてみた時に、決して健全とは言えない。物的側面への配慮をおろそかにしては、物的生活の場である地上へ降臨してきた意味がなくなるのである。
本書で私は、過去3千年の人類史をまる一日と捉え、イエスの処刑をもって昼の時代が終わり、やがて中世の暗黒時代へと入っていった過程をたどってみた。が、これをもって、夜の時代には必ずや不幸や悲劇や残忍性が出るかに受け取ってはならない。安らかな休息の時期である場合もあるはずである。同じく、昼の時代だからといって、すべての人々が霊性の恩恵を受けるとも限らない。昼寝をむさぼっている人間もいる。
これまでの2千年の歴史が霊性を封殺する行為の連続だったのは、一つには人類がまだ未熟で元気な青二才だからであり、もう一つには、邪霊集団の暗躍を許してしまったからでもある。知性と霊性のアンバランスから生じるスキをねらって、死後の下層界にたむろする地縛霊の集団が好き放題のことをやったということである。
といっても、あくまでも人間を媒介として働きかけたのであるから、人間の自覚さえしっかりしていれば防ぐことができたはずのものである。高等な霊界通信が口を揃えて人類の意識改革を求める理由はそこにある。罪悪を増幅する要素は霊界にあるのであるから、それを未然に防ぐ、あるいは大事に至らせなくするためのチェック機能を、各自がそなえることである。
●質問
いま地球全体に差し迫っていると言われる天災を未然に防ぐには、われわれはどうしたらよいのでしょうか。
●シルバーバーチ
この地球という天体について悲観的になるのはお止めなさい。人間の力の及ぶところではないからです。すでに申しあげた通り、人間のすることにはおのずから限界というものがあります。地球をまるごと爆破することは人間にはできません。
地上世界にトラブルと困難と災害が絶えないのは、相も変わらず貪欲と我欲と嫉妬心によって動かされているからです。一口で言えば物質第一主義のせいです。それはまさしくガンです。人類の精神構造の中枢部に深く食い込んでおります。悪性のガンです。悪性の細胞が急速に、そして一時も休むことなく増殖を続けております。そのガン細胞を人間みずからの努力で取り除かないといけません。あなた方(サークルのメンバー)のような霊的真理に気づいた人が意識を改め、生き方を改めることによって、人がそれを見習うようになり、それがガンを治療することになります。
あなた方はこうして神の光を少しでも受ける栄誉に浴した以上は、人類の未来について楽観的でなくてはいけません。取り越し苦労はいけません。常に希望に胸をふくらませることです。それがあなた方のまわりに自信にあふれた光輝を漂わせ、辺りの人に生き方のヒントを与えることになります。人に先んじて素晴らしい宝を手にした以上は、人の手本になるような生き方をしなくてはいけません。
●質問
この地上世界へひきも切らず霊が誕生して来ますが、なぜでしょうか。なぜ地上に来たがるのでしょうか。
●シルバーバーチ
それは、地球が霊の資質を磨く上で格好のトレーニングの場だからです。もしも神の機構の中で地球が存在意義をもたないとしたら、初めから地球は存在していないはずです。小学校が子供に対して果たしているのと同じ役割を地球が果たしているのです。死後の生活にとって必須のことを身につけさせてくれるのです。
地球は霊の鍛錬の場です。はがねが叩き上げられるのです。原鉱が砕かれて、黄金が姿を見せるのです。地球は神の機構の中にあって、掛け替えのない役割を果たしております。
その地球上での人類史の1日が終わって、もうすぐ2日目が明けようとしているという。その2日目には自分はもう地上にはいないかも知れない。霊の世界にいるかも知れない。しかし、イエスを最高指揮者として地球圏の大霊団が地球浄化の大事業に乗り出した動機は何であったかを考えていただきたい。緑を基調とした環境を特質とする地球は、上のシルバーバーチの言葉にもある通り、太陽系にあって、他の天体では果たせない存在意義を与えられているのだ。
地球浄化の大事業が高級霊界からの指示によるとはいえ、直接活動するのはわれわれ人間なのである。最終的には人間の自由意志にかかっているのである。私が披瀝したスピリチュアリズムの思想にふれて真実を見出した思いをされた方は、地上よりはるかに活気と生きがいに満ちた次の段階の生活にそなえて、今すぐから意識の改革に取りかかっていただきたい。事の性質上、自然にそうなるはずのものなのである。
その時から背後霊団の新たな働きかけが始まるであろう。それが、ささやかながら地球浄化に貢献するゆえんでもあると私は信じている。
近藤 千雄
<転載終了>
(1) 神はただ一つ、“大霊”がおわすのみと心得よ。
永遠にして全知・全能であり、形体をもたない。いついかなる時も、あらゆる存在の中に行きわたっている。その大霊を畏敬せよ。が、同時に、他人がそれをどういう形で敬おうと、それを尊重せよ。なぜなら、すべての真理を手にした者は一人としていないのであり、自分が敬虔なる気持ちで敬っているものを他人からとやかく言われる筋合いはないのと同様に、他人が聖なるものとしているものには敬意を払わねばならないからである。
(2) 大霊を形あるもの、つまり目に見える存在として描いてはならない。
(3) 言葉の信義を神聖に保つこと。
いついかなる時でも、ウソをつくことは恥ずべきことである。大霊はいついかなる時も偏在しているからである。大霊の名のもとに偽りの誓いをすることは、死にも値する罪である。
(4) 祝日を大切にし、インディアン・ダンスをきちんと習い、タブーには敬意を払い、部族の慣習を守ること。それが部族内における良き一員として、その恩恵に浴する道である。そうしたものは太古から伝えられてきた先輩たちの英知から生まれたものだからである。
(5) 父と母、およびその父母を尊敬し、その言に従うこと。年齢はすなわち英知であり、自分への厳しい躾は、終生きっと力となり利益となるであろう。
(6) 人を殺めてはならない。もしも部族の仲間を故意に殺した時は、それは死にも値する罪である。万が一誤って殺した時は、評議会にかけて、それ相当の償いが課せられるであろう。
(7) 思考と行為において常に純潔であれ。結婚式の時の互いの誓いを忘れず、人に同じ誓いを破らせることがあってはならない。
(8) 盗むべからず。
(9) 必要以上の富を蓄えてはならない。
部族の他の仲間に困っている人がいるのに、自分だけが大きな蓄えを所有することは恥ずべきことである。同時にそれは、下劣な罪の最たるものである。戦勝の結果にせよ、取引の結果にせよ、あるいは大霊から賜った才能のお陰にせよ、自分ならびに家族の生活にとって必要以上のものが手に入った時は、部族の者を集めて“施しの会”を開き、余分のものを、困っている人たちにその度合いに応じて分けてあげるべきである。特に未亡人、孤児、身よりのない人を優先すること。
(10) 健康に有害な火酒類(度の強いアルコール類)に手を出すべからず。体力を奪い、賢明なる者を愚か者にし、洞察力を狂わせるものは、食べ物であろうと飲み物であろうと、試してみることもならない。
(11) 常に清潔を心がけるべし。身体のみならず住居の中も清潔に保たねばならない。毎朝の水浴を欠かさず、必要とあらば蒸し風呂で体調を整えよ。肉体は霊の聖なる殿堂だからである。
(12) 自分の生活を大切にし、それを完全なものとし、その中で生じるものを全て美化し、自分の力と美を誇りとせよ。
生きているということに魂の奥底から喜びを覚え、1日でも長生きして、部族のために役立つことを心がけよ。そして、いずれ訪れる死に備えて、堂々たる“死の歌”を用意せよ。
高級霊の地上への降誕
“純正”の折り紙つき霊界通信によれば、地球上のいずこの国においても、またいつの時代にあっても、したがってこの現代においても、“導師”というべき高級霊が自発的に、あるいは勅命を受けて地上に誕生しているという。
そういう人物は、必ずしも側から見てそれと分かる風采をしているわけでもなければ、それらしい指導的地位にあるともかぎらない。むしろ、どちらかというと身分の高い階級、由緒ある家柄、社会的地位の高い職業は避けるものだという。なぜか。霊性の進化という至上目的にとって、それがプラスどころかマイナス要因にしかならないからである。
人間的努力と霊の援助
守護霊を中心とする背後霊団と人間との関係、あるは一国の守護神と国民との関係、さらには地球の守護神と地上人類全体との関係の基本にあるのは、あくまでも人間の霊的進化であり、そのための絶対条件として、自由意志の尊重が第一に考慮されねばならない。ただの操り人形となってしまっては、安全第一は保証されても、そこに進化はあり得ない。そこで人間側の自由意志による判断と選択の権利を尊重しつつ、カルマの解消と霊的進化へ向けて霊的援助を与えてやらねばならない。何でも簡単に解決してやっていては、それは例えば子供の宿題をぜんぶ親が教えてやるようなもので、本人のためにならないどころか、逆にマイナスの素地を作っていくことになるであろう。
人間には身体上の先祖、つまり血でつながった先輩とは別に、霊性でつながった先祖、いわば“霊的家族”の集団があって、そこでは国家や民族の別はなく、霊的親和性によって結ばれた生活が営まれている。そして、今こうして自分が日本で生活しているように、他の類魂はユダヤ人として、フランス人として、イギリス人として、あるいはインド人として、もしかしたらどこかの難民として生活しているかもしれない。しかも、もしかしたら自分は、来世では南アフリカ人に生まれ変わるかもしれない。ロシア人かもしれない。
要するにわれわれ地上人類は、一つの大きな共同体であり、自分の霊的な家族がどこのどの国のご厄介になっているかも分からないのである。そう理解した時から醜い人種的偏見が消え、愚かしい仲違いや戦争はよそうという気持ちが湧いてこないだろうか。自分の家の前だけを掃除するようなケチ臭い根性は捨てて、地球全体を住み良い環境にしようという考えが出てこないだろうか。
スピリチュアリズムは“霊性のルネッサンス”
第一次世界大戦は火薬というものを使用した最初の大量虐殺行為であり、第二次大戦ではそれに原子爆弾が加わって、わずか数年間で数百万の人命を奪った。しかも今日では各種の核兵器の量産によって、一瞬のうちに敵も味方ももろともに、否、敵でも味方でもない他の民族も巻き添えにして、地上人類という“種”を絶滅してしまう危険性さえ抱える事態に至っている。
『インペレーターの霊訓』の中に次のような“霊言”がある。
苦難の時代が近づいております。いつの時代にも、真理が顔を出せば必ずそれを目の敵にする反抗勢力が結集するものです。平和が乱されることを嘆く者がいるのも無理からぬことですが、真実と虚偽との闘いの中に、神の真理の火花を打ち出す好機を見出す才覚のある者には、混乱もまた喜ぶべき理由がなきにしもあらずなのです。
戦争と激動を覚悟しなければなりません。苦難と混乱を覚悟しなければなりません。そしてまた、キリストの再臨を地上への再生と信じる者が引き起こすであろう抵抗も、大いに覚悟しなければなりません。今、“キリスト的”と呼ばれる時代が終焉を迎えております。キリストは霊として、また霊力として地上に戻り、人類の魂を解放するための新しい啓示をもたらしつつあります。
迷信的教義によってがんじがらめにされた精神のほうが、何の先入観もない精神よりはるかに有害です。信仰をもたない者が多いことを恐れることはありません。新しい真理が注ぎ込まれるためには、まず無垢な受容性がなければなりません。
人間の一人一人に遠い過去――霊的に言えば“類魂”(“血縁”の家族とは別の、“魂”の家族ともいうべき、同じ霊系に属する霊の集団のこと。グループソウルとかアフィニティといったりする)が代々こしらえてきたカルマ――があり、それが地上的環境条件を機縁として発現し、そして解消されていく、その営みだけは絶対に避けて通れないように、家族単位、社会単位、国家単位で犯してきた罪過も、何らかの形で解消していかねばならないらしい。
シルバーバーチ霊団の霊言による霊訓
シルバーバーチというのは、今からほぼ3千年前、イエス・キリストより1千年も前にこの地球上で生活したことのある霊、ということ以外は、地上時代の姓名も地位も民族も国家もわかっていない。本人が最後まで明かさなかったのである。せめて姓名だけでもとお願いしても、
「それを知ってどうしようというのです? もしも歴史上の有名人だったら有り難がり、どこの馬の骨だかわからない人物だったらサヨナラをなさるおつもりですか?」
といった皮肉っぽい返事が返ってくるだけだった。毎週1回の割で50年あまりも続いた交霊会で同じ質問が何度出されたか知れないが、
「いずれ明かす日も来るでしょうが、わたし個人のことよりも、わたしが語る内容の方が大切です」
というのがせめてものまともな返事で、人間が地上時代の名声や地位や階級などにこだわるのを“悪趣味”として、警告をこめた返事をするのが常だった。
そのシルバーバーチが初めてバーパネルの口を借りてしゃべったのは1920年、バーパネルが18歳の時だった。当時バーパネルは、文人や芸術家による社交クラブの幹事をしていた。ある日、そのクラブの例会で講演した人の口からスピリチュアリズムという言葉を聞いて関心をもった。すると間もなくその人がプロースタインという霊媒によるホームサークルに案内してくれた。
行ってみると、その霊媒の口をついて、いろいろな国籍の言葉が出た。それが死者の霊だと聞かされた時、バーパネルはバカバカしくなって失笑した。何の証拠もないし、言ってることもくだらないことばかりだったからである。ところが2度目に出席した時、会の途中でうたた寝をしてしまった。目が覚めて、あわてて失礼を詫びたところ、実は寝ていたのではなく、自分の口を使ってあるインディアンがしゃべったと聞かされた。それがシルバーバーチだった。
四つの思想上の特徴
シルバーバーチによると、人間界の問題はあくまでも人間どうしで知恵を出し合って解決すべきであって、そこに霊界からの強制があってはならないというのである。シルバーバーチはよく、「あなたの理性が承服しないものは、どうぞ遠慮なく拒否なさってください」と述べている。それも同じ考えからで、それはたとえば守護霊と人間との関係についても言える。
守護霊(英語ではガーディアン)という用語には、日本語でも「守る」という意味があるところから、この文字だけを見た人は「何でもかでも守ってくれる霊」と受けとめて、その考えで現実を振り返って、「おかしいではないか。少しも守ってくれてないではないか」と言う。が、守るといっても、母親がヨチヨチ歩きの子供を「ケガをしないように」とついてまわるのとは次元が違う。母子の関係は同じ平面上のことであるが、守護霊と人間とは“波動の原理”で結ばれており、波長が合い、守護霊の監視下にあるかぎりは心配ないが、つい邪(よこしま)な考えを抱いたり、憎しみや自己顕示欲が強くなってくると、それを機に、邪霊・悪霊といった低級霊に操られることになる。
次に挙げられるシルバーバーチの教えの特徴は「苦労に感謝しなさい」ということである。苦労こそ魂の肥やしであるという考えのもとに、人間生活ならではのさまざまな悩みごとや難問と正面から取り組み、自分の力で解決していきなさい、と言うのである。そこには“ご利益”的な要素はみじんもない。「わたしの説く真理を信じても、それで人生の苦労がなくなるわけではありません」とまで言っている。
たいていの宗教が「ウチの神さまを信じたら病気も悩みも苦労もすべてなくなります」と宣伝する中で、シルバーバーチはその逆を言うのである。なぜか。それは、地上という世界が魂のトレーニングセンターのようなところだからである。せっかく鍛えに来たのに、何の苦労もなく、のんびりと過ごしたのでは意味がない。シルバーバーチの霊訓が“大人の教え”と言われるゆえんはそこにある。甘ったれは許されないということである。
次に挙げられるのは「サービスこそ宗教」という教えである。日本語でサービスというと、オマケとか待遇の良さといった安っぽい意味が感じられるが、英語のservice の本来の意味は「人のために自分を役立てること」ということである。どんなに小さい行為でもよい。人を喜ばせる行為、人のためになる行為こそ、一宗一派の教義を信じて宗教的行事に参加することより、はるかに霊的な宗教的行為であるというのである。
最後に挙げる特徴は、“因果律”を宇宙・人生の根本原理としていることである。「自分で蒔いた種は自分で刈り取る」というのはずいぶん言い古された諺であるが、「やはり真実です」とシルバーバーチは言う。善因善果、悪因悪果、因果応報などともいうが、これに関して注目すべきことは、シルバーバーチはその因果律をただ歯車のように巡るのではなくて、“魂の向上進化”を目的としている点である。
これはスピリチュアリズムの特徴といってよい、きわめて大切な原理である。上にあげた3つの特徴も実はみな、この“向上進化”という目的があればこそ生きてくるのであり、人生問題のすべてがそこに帰着する。たとえば善悪の問題でも、伝統的宗教の教えや古くからの生活慣習を基準にして判断するのではなく、当人の魂の向上にとってそれがプラスになるかマイナスになるかで判断すべきであるというのである。
われわれ地上の人間は、どう長生きしたところで7、80年か、せいぜい百年程度であるが、シルバーバーチは死後3千年にわたる生活の末に、今この地球という故郷に戻ってきて、その間に学んだ宇宙の摂理と、地上生活を有意義に送るための英知をわれわれ後輩に語ってくれた。それが、こうした何でもないようで実は深い英知に裏打ちされた教えばかりなのである。それを事実上60年間も繰り返し説いてきた。しかもその間に矛盾撞着も見られなかったという事実は、まさに人類史上空前絶後というべきであろう。
もうすぐ人類史の2日目が始まる――あとがきに代えて
霊的自覚が強まってきたときに注意しなければならないのは、霊的なことに関心が偏って物的側面をおろそかにしてしまうことである。言わば日光浴の度が過ぎるようなもので、生活全体、ないしは一生涯を尺度としてみた時に、決して健全とは言えない。物的側面への配慮をおろそかにしては、物的生活の場である地上へ降臨してきた意味がなくなるのである。
本書で私は、過去3千年の人類史をまる一日と捉え、イエスの処刑をもって昼の時代が終わり、やがて中世の暗黒時代へと入っていった過程をたどってみた。が、これをもって、夜の時代には必ずや不幸や悲劇や残忍性が出るかに受け取ってはならない。安らかな休息の時期である場合もあるはずである。同じく、昼の時代だからといって、すべての人々が霊性の恩恵を受けるとも限らない。昼寝をむさぼっている人間もいる。
これまでの2千年の歴史が霊性を封殺する行為の連続だったのは、一つには人類がまだ未熟で元気な青二才だからであり、もう一つには、邪霊集団の暗躍を許してしまったからでもある。知性と霊性のアンバランスから生じるスキをねらって、死後の下層界にたむろする地縛霊の集団が好き放題のことをやったということである。
といっても、あくまでも人間を媒介として働きかけたのであるから、人間の自覚さえしっかりしていれば防ぐことができたはずのものである。高等な霊界通信が口を揃えて人類の意識改革を求める理由はそこにある。罪悪を増幅する要素は霊界にあるのであるから、それを未然に防ぐ、あるいは大事に至らせなくするためのチェック機能を、各自がそなえることである。
●質問
いま地球全体に差し迫っていると言われる天災を未然に防ぐには、われわれはどうしたらよいのでしょうか。
●シルバーバーチ
この地球という天体について悲観的になるのはお止めなさい。人間の力の及ぶところではないからです。すでに申しあげた通り、人間のすることにはおのずから限界というものがあります。地球をまるごと爆破することは人間にはできません。
地上世界にトラブルと困難と災害が絶えないのは、相も変わらず貪欲と我欲と嫉妬心によって動かされているからです。一口で言えば物質第一主義のせいです。それはまさしくガンです。人類の精神構造の中枢部に深く食い込んでおります。悪性のガンです。悪性の細胞が急速に、そして一時も休むことなく増殖を続けております。そのガン細胞を人間みずからの努力で取り除かないといけません。あなた方(サークルのメンバー)のような霊的真理に気づいた人が意識を改め、生き方を改めることによって、人がそれを見習うようになり、それがガンを治療することになります。
あなた方はこうして神の光を少しでも受ける栄誉に浴した以上は、人類の未来について楽観的でなくてはいけません。取り越し苦労はいけません。常に希望に胸をふくらませることです。それがあなた方のまわりに自信にあふれた光輝を漂わせ、辺りの人に生き方のヒントを与えることになります。人に先んじて素晴らしい宝を手にした以上は、人の手本になるような生き方をしなくてはいけません。
●質問
この地上世界へひきも切らず霊が誕生して来ますが、なぜでしょうか。なぜ地上に来たがるのでしょうか。
●シルバーバーチ
それは、地球が霊の資質を磨く上で格好のトレーニングの場だからです。もしも神の機構の中で地球が存在意義をもたないとしたら、初めから地球は存在していないはずです。小学校が子供に対して果たしているのと同じ役割を地球が果たしているのです。死後の生活にとって必須のことを身につけさせてくれるのです。
地球は霊の鍛錬の場です。はがねが叩き上げられるのです。原鉱が砕かれて、黄金が姿を見せるのです。地球は神の機構の中にあって、掛け替えのない役割を果たしております。
その地球上での人類史の1日が終わって、もうすぐ2日目が明けようとしているという。その2日目には自分はもう地上にはいないかも知れない。霊の世界にいるかも知れない。しかし、イエスを最高指揮者として地球圏の大霊団が地球浄化の大事業に乗り出した動機は何であったかを考えていただきたい。緑を基調とした環境を特質とする地球は、上のシルバーバーチの言葉にもある通り、太陽系にあって、他の天体では果たせない存在意義を与えられているのだ。
地球浄化の大事業が高級霊界からの指示によるとはいえ、直接活動するのはわれわれ人間なのである。最終的には人間の自由意志にかかっているのである。私が披瀝したスピリチュアリズムの思想にふれて真実を見出した思いをされた方は、地上よりはるかに活気と生きがいに満ちた次の段階の生活にそなえて、今すぐから意識の改革に取りかかっていただきたい。事の性質上、自然にそうなるはずのものなのである。
その時から背後霊団の新たな働きかけが始まるであろう。それが、ささやかながら地球浄化に貢献するゆえんでもあると私は信じている。
近藤 千雄
<転載終了>
古くからコメントしていた方なので、一応どんな文章を書く方かもう一度確認してみようと思って、2010年12月から探し始めてこの記事を見つけました。
言葉というのは、指紋のようなもので、生まれも育ちも違う人が、同じような文章を書く事はありません。ましてや、書き方が変わったり、更に性別が変わったりは絶対ありません。この所、女性の筈なのに乱暴な男性の文章に変わった方もいらっしゃいましたから、大変な事が起きていると感じています。
とにかく、この記事をよく読んでみてください。