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不動心さんのメール

千成さん太陽さんお早うございます。

不動心です。

ひふみ神示に出てくる十番目の星とは ? の続きです。

太陽を表す神は天照大神様です。

其の弟素戔鳴尊が太陽に成れなかった暴れ者、太陽をも隠してしまうネメシスを現すと仮定して、記紀の物語やひふみ神示を読むと意外な事実が浮かび上がるのですが・・・。


ご参考 

素戔鳴尊・須佐之男命・スサノオノミコト (神々の宴)

「スサノオノミコト」は、古事記では「須佐之男命」、日本書紀では「素戔鳴尊」と記されている。

太陽系の惑星は、「太陽系の惑星の定義」に基づき、水星・金星・地球・火星・木星・土星・天王星・海王星の8天体とされる。

至恩の巻第十六では 太陽は十の星を従へるぞと預言しています。

では、他の2つの星とは一体何でしょう。

第9番目を惑星Xと仮定するなら、10番目は一体・・・

先の投稿では惑星Xと太陽の伴星としてのネメシスを取り上げました。

太陽(ミロク)様の計算では2012年6月1日以降に地球上から観測できるという惑星X。

また、素戔鳴尊についてひふみ神示ではどう預言しているのでしょうか。、

今回は其処に焦点を当て関連する帖を拾い出し、考察をしてみたいと思います。

主な帖だけでも凡そ70帖にも亘って関連する記述がありました。細かく見ていくとまだまだ有りますが。

<解読のキーワード> 二二の仕組み → 太陽とネメシスによる物質の分解・原子化、太陽と月と惑星Xによるノアの大洪水。


鳴門の仕組み → 渦は中心へと向かう。全ての魂は和合し、中心の中心の中心・・・へ向かう。大宇宙原理

太陽 + ネメシス + 惑星X。1+2= 3

奇数足す偶数が発展し弥栄する。

キが元ざと申してあろがな → キとは二と二を繋ぐ\であり → 太陽とネメシスが和合すること。

梅の巻 第五帖

ニニギの命(みこと)お出ましぞ、

ニニギとは二二(ふじ)のキの御役であるぞ。

ニニギとは一と一を繋ぐお役、結ぶお役。繋いでキと成る。

火は火であり、陽であり、あらゆる物質を原子分解する力の元。

水は陰であり火を鎮め復元する力の元。火と水は陽と陰。

素戔鳴(スサナル)とは国常立大神様の現れ方の一つ。

日月の巻 第二十八帖 (二〇一)

岩戸あけたり日本晴れ、富士ひかるぞ。

この巻 役員読むものぞ。世の元と申すものは火であるぞ、水であるぞ。

スサナルの神はこの世の大神様ぞ。

クニの神様はスサナルの神様ぞ。

日月の巻 第三十二帖 (二〇五)

おもてばかり見て居ては何も判りはせんぞ。

月の神様まつりて呉れよ。

此の世の罪穢れ負ひて夜となく昼となく守り下さる素盞鳴神様あつくまつり呉れよ。

火あって水動くぞ。水あって火燃ゆるぞ。

火と水と申しておいたが、その他に隠れた火と水あるぞ。

それを一二三と云ふぞ、一二三とは一二三と云ふ事ぞ、言波ぞ。

言霊(コトタマ)ぞ、祓ひぞ、ぞ。

スサナルの仕組ぞ。

成り成る言葉ぞ、今の三み一たいは三み三たいぞ。

一(ひ)とあらはれて二三(ふみ)かくれよ。

月とスサナルのかみ様の御恩忘れるでないぞ。

御働き近づいたぞ。

十一月十七日、ひつ九かみ。

太陽が陽であり、月の神様とは陰であり我々が考えている夜空に浮かぶ月ではなく、太陽の伴星ネメシス。

キーワード此処まで。以下はキーワードを元にした私の直感による解読のポイント例です。

日の出の巻 第一帖 (二一四)

岩戸は五回閉められてゐるのざぞ、

那岐(なぎ)、那美(なみ)の尊の時、

天照大神の時、神武天皇の時、

仏来た時と、

大切なのは須佐之男神様に罪着せし時、

その五度の岩戸閉めであるから此の度の岩戸開きはなかなかに大そうと申すのぞ。

大切なのは須佐之男神様に罪着せし時と有りますので、無罪放免と成り名誉回復して現れる。 

日の出の巻 第五帖 (二一八)

右(みぎり)に行かんとする者と左りに行かんとするものと結ぶのが の神様ぞ、

の神様とは素盞鳴の大神様ざぞ、この御用(おんはたらき)によりて生命あれるのぞ、力生れるのぞ、

がまつりであるぞ、神国の祀りであるぞ、神はその全き姿ぞ、神の姿ぞ。

男の魂は女、女の魂は男と申して知らしてあろがな。十二月三日、ひつ九のかみ。

肉体が男であれば其の魂は女であり、肉体が女であれば其の魂は男である。これが正常なこと。

正常であるから自分の魂である異性を求める。これが自然の和合。 

松の巻 第十九帖 (三一〇)

宵(よい)の明星(みょうじょう)が東へ廻ってゐたら、愈々だぞ。

天の異変 気付けと、くどう申してあろがな。

惑星Xの出現 

松の巻き 第二十五帖 (三一六)

ムからウ生れ、ウからム生れると申してあるが、ウム組み組みて、ちから生れるのざぞ。

今度の大峠はムにならねば越せんのざぞ。

ムがウざぞ。世の元に返すのぞと申してあろが。

ムに返れば見えすくのざぞ。

風の日もあるぞ。

七月十一日、アメのひつくのかみ。

ムは魂。ウは肉体・形ある物。 

松の巻き 第二十七帖 (三一八)

天も地も一つにまぜし大嵐、攻め来る敵は駿河灘(するがなだ)、富士を境に真二つ。

先づ切り取りて残るもの、七つに裂かん仕組なり。

されど日本は神の国。最後の仕組神力に、寄せ来る敵は魂まで、一人残らずのうにする。

夜明けの御用つとめかし。

晴れたる富士のすがすがし。

七月十四日、あめのひつくのかみ。

太陽の火・陽の力が二つ合わさったことで身魂が磨かれていない魂は原子分解されてしまう。 

下つ巻 第九帖 (五一)

と○とは心の中に「」があるか「」がないかの違ひであるぞ。

和合する事でに「」が入り、と成る。 

富士の巻 第一帖(八一)

「一が二」わかる奥の道、

一つと思った太陽が二つに成ること。 

富士の巻 第三帖(八三)

玉とは御魂(おんたま)ぞ、鏡とは内に動く御力ぞ、剣とは外に動く御力ぞ、

これを三種(みくさ)の神宝(かむたから)と申すぞ。

今は玉がなくなってゐるのぞ、鏡と剣だけぞ、それで世が治まると思うてゐるが、

肝腎の真中ないぞ、それでちりちりばらばらぞ。

鏡は天照大神の象徴、剣とはスサナルの象徴。天照大神は太陽として内に居、スサナルは伴星として外に居る。 

富士の巻 第四帖 (八四)

一二三(ひふみ)の仕組が済みたら三四五(みよいづ)の仕組ぞと申してありたが、

世の本の仕組は三四五の仕組から五六七(みろく)の仕組となるのぞ、

五六七の仕組とは弥勒(みろく)の仕組のことぞ、

一二三(ひふみ)の仕組、太陽が和合してこの世が原子分解される。元の状態へ戻すこと。

三四五(みよいづ)の仕組み、御世出づ とは、神の御代になることぞ。この世を神の国に練り上げること。

五六七(みろく)の仕組とは、半霊半物質となったミロクの世。 

富士の巻 第十六帖 (九六)

北から攻めて来るときが、この世の終り始めなり、

天にお日様一つでないぞ、二つ三つ四つ出て来たら、この世の終りと思へかし、

この世の終りは神国の始めと思へ臣民よ、

北から伴星太陽が現れる。東から惑星Xが現れる。月も太陽のように光り輝く。


空の巻 第五帖
      
 天空に現れた太陽と伴星スサナルと惑星X

天つ巻 第十三帖(一二〇)

空に変りたこと現はれたなれば地に変りたことがあると心得よ、

いよいよとなりて来てゐるのざぞ。

空に伴星太陽、惑星Xが現れ、地上にも天災がある。

続く   

千成のメール

不動心さん、考察ご苦労様です。

この画像↓を見るとなどの三つの○は、天体現象なのか、それとも太陽(ミロク)サイトや太陽(ミロク)原理を伝えるサイトなどを意味するのでしょうか?

よくみると三つの大きな○の周囲に小さい減が無数に描かれています。

その点は三つの○を見上げる人間の下部にもあります。

それらの小さい点は、 の意味なのか、それとも三つの天体を見上げている 人間が無数にいることを点で示したのでしょうか?

それとも両方を意味しているのでしょうか。

 

空の巻 第五帖