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不動心さんのメール

千成さん太陽さんお早うございます。

不動心です。

先ず初めに千成さんからの前回のご質問に対する回答です。

千成さんのご感性で捉えられたように、両方の意味があると思います。未だ他の意味もあるかもしれません。

ひふみ神示は見る方向によって色々な感じ方がありますね。

ひふみ神示から当サイトに関する帖を選択し、その様な考察をしたならば本画像はミロク原理と宇宙の真相・大摩邇のサイトとそれらを支える臣民・見上げる人民とも捉える事ができると思います。

今回の考察は宇宙の仕組みに関するものなので、私の直感に従い天空としましたから、画面の下に居るのは無数の人民であり、上部にある点は無数の星を意味しているものと思います。

只、私にも今一ピンと来ていない部分があります。直感では先に答えが出ているのですが、其れを旨く説明出来ていないと申し上げたほうが宜しいかとも思っております。今回は帖が多すぎて直感を言葉にするのが大変です。

それではひふみ神示に出てくる十番目の星とは ? の最終回です。

太陽を表す神は天照大神様です。

其の弟素戔鳴尊が太陽に成れなかった暴れ者、太陽をも隠してしまうネメシスを現すと仮定して、記紀の物語やひふみ神示を読むと意外な事実が浮かび上がるのですが・・・。

ご参考
 

素戔鳴尊・須佐之男命・スサノオノミコト
(神々の宴)

「スサノオノミコト」は、古事記では「須佐之男命」、日本書紀では「素戔鳴尊」と記されている。


磐戸の巻 第3帖(239)

二二は晴れたり、日本晴れ、びっくりばこ いよいよとなりたぞ。

春マケ、夏マケ、秋マケ、冬マケてハルマゲドンとなるのざぞ、

早う改心せんとハルマゲドンの大峠こせんことになるぞ。

大峠となりたら どんな臣民もアフンとして もの云へんことになるのざぞ、

なんとした取違ひでありたかと じだんだふんでも、其の時では間に合はんのざぞ、

十人なみのことしてゐては今度の御用は出来んのざぞ。

逆様にかへると申してあろが、大洗濯ざぞ、大掃除ざぞ、ぐれんざぞ、二二に花咲くぞ。

一月一日、 のひつ九か三。

逆様にかへるとは地球の上下がひっくり返る程の事。

磐戸の巻 第6帖 (242)

北、南、たから出す時近づいたぞ、世の元からの仕組であるからめったに間違ひないぞ、

これから愈々臣民にはわからなくなれど仕上げ見て下されよ、

何事も神の申すこと聞いて すなほになるのが一等ざぞ、

神示(ふで)出ぬ時近ふなりたぞ、神示出なくなりたら口で知らすぞ、

神示早う腹に入れぬと間に合はんことになりてくるぞ、

西も東もみな宝あるぞ、北の宝はシホミツざぞ、南の宝はシホヒルざぞ、

東西の宝も今にわかりてくるぞ、此の宝あっぱれ、この世の大洗濯の宝であるぞ。

一月四日、 のひつ九のか三。

(潮満)シホミツの玉は大洪水を起こす神宝。

(潮干)シホヒルの玉は火を吹き出す神宝として霊界物語に現れている。

磐戸の巻 第9帖 (245)

富士と鳴門の仕組わかりかけたら、いかな外国人でも改心するぞ、

それ迄に神の国の臣民 改心して居らぬと気の毒出来るぞ。

 

磐戸の巻 第13帖 (249)

神は一時は菩薩とも現はれてゐたのざが、もう菩薩では治まらんから、愈々生神の性来現はしてバタバタにらちつけるのざぞ、

今の学ある者 大き取り違ひいたしてゐるぞ。

大国常立尊大神と現はれて、一時は天もかまひ、地の世界は申すに及ばず、天へも昇り降りして、

(モト)の(ニホン)の(カミ)の光りクッキリ現はさなならんと仰せあるぞ、

早う洗濯せんと間に合はんぞ。

天日月大神様と地日月大神様が国常立大神様と現れ、(カミ)の光りクッキリ現はさなならんと仰せあるぞ。

磐戸の巻 第16帖 (252)

世の元からの生神が揃うて現はれたら、

皆腰ぬかして、目パチクリさして、もの云へん様になるのざぞ。

国常立大神様が陽の光として現れる事。

磐戸の巻 第八帖 (二六五)

タテコワシ、タテナホシ、一度になるぞ、建直しの世直し早うなるも知れんぞ、遅れるでないぞ。

建直し急ぐぞ、建直しとは元の世に、神の世に返す事ざぞ、

元の世と申しても泥の海ではないのざぞ、中々に大層な事であるのざぞ。

上下グレンと申してあることよく肚に入れて呉れよ。

人類は原子分解されて、地球もひっくり返ること。

水の巻 第十二帖 (二八六)

建替と申すのは、神界、幽界、顕界にある今までの事をきれいに塵一つ残らぬ様に洗濯することざぞ。

今度と云ふ今度は何処までもきれいさっぱりと建替するのざぞ。

建直しと申すのは、世の元の大神様の御心のままにする事ぞ。

御光の世にすることぞ。

てんし様の御稜威(みいつ)輝く御代とする事ぞ。

三千世界(宇宙)の悪が一掃される事。悪に逃げ場は無いこと。

水の巻 第十三帖 (二八七)

火と水と申してあろがな。

火つづくぞ。

雨つづくぞ。

火の災(わざわい)あるぞ。

水の災あるぞ。

火のおかげあるぞ、

水の災 気つけよ。

火と水 入り乱れての災あるぞ、近ふなりたぞ。

火と水の御恵みあるぞ。

表に表れる大災難と、其の裏側にある身魂の磨けた者を救う御恵み。

水の巻 第十五帖 (二八九)

富士、火吐かぬ様おろがみて呉れよ、大難小難にまつりかへる様おろがみて呉れよ。

食物(たべもの)頂く時はよくよく噛めと申してあろが、

上の歯は火ざぞ、下の歯は水ざぞ。

火と水と合すのざぞ。

かむろぎ かむろみぞ。

噛むと力生れるぞ。

血となるぞ、肉となるぞ。

火と水と合すのざぞとは陰と陽の和合、反対の物が合わさる事で力が生まれる。

松の巻 第十二帖 (三〇三)

前にも建替はあったのざが、三千世界の建替ではなかったから、

どの世界にでも少しでも曇りあったら、

それが大きくなって、悪は走れば苦労に甘いから、神々様でも、悪に知らず知らずなって来るのざぞ。

それで今度は元の生神が天晴れ現はれて、

悪は影さへ残らぬ様、根本からの大洗濯するのぞ、

神々様、守護神様、今度は悪は影も残さんぞ。

早よう改心なされよ。

建替の事 学や智では判らんぞ。

六月二十八日、あめのひつくのかみ。

今度は悪は影も残さんぞと悪の逃げ場所は無いから、早よう改心なされよ。

建替の事 学や智では判らんぞ。との預言。

夜明けの巻 第三帖 (三二三)

天の異変 気付けと申してあろが、冬の次が春とは限らんと申してあろが。

 

雨の巻 第四帖 (三三八)

元のキの神の子と、渡りて来た神の子と、

渡りて来る神の子と三つ揃ってしまはねばならんのぞ、

今有る太陽と、これから来る伴星太陽と惑星Xが揃うこと。

雨の巻 第十一帖 (三四五)

日の出の神様お出ましぞ、

日の出はイであるぞ、イの出であるぞ、

キの出であるぞ、判りたか。

イとは二番手のこと、二つ目の太陽が出ること。太陽と太陽が和合してキとなる。

雨の巻 第十二帖 (三四六)

これまでは夜の守護であったが、愈々日の出の守護と相成ったから物事誤魔化しきかんのぞ、

まことの人よ、よく神示見て下され、裏の裏まで見て下され、

神国の誠の因縁判らいで、三千年や五千年の近目ではスコタンぞ、と申してあろがな、

天四天下平げて、誠の神国に、世界神国に致すのざぞ、

世界は神の国、神の国 真中の国は十万や二十万年の昔からでないぞ、

世の元からの誠一つの神の事判らな益人とは申されんぞ、

神の申すこと一言半句も間違ひないのざぞ。

 

雨の巻 第十三帖 (三四七)

他で判らん根本のキのこと知らす此の方の神示ぢゃ、

三千世界のこと一切の事 説いて聞かして得心させて上げますぞや。

 

風の巻 第十二帖 (三六三)

月の大神様が水の御守護、

日の大神様が火の御守護、

お土つくり固めたのは、大国常立の大神様。

 

岩の巻 第一帖 (三六六)

スサナルの大神様この世の大神様ぞと申してあらうがな。

間違ひの神々様、この世の罪けがれを、この神様にきせて、だ 無理やりに北に押込めなされたのざぞ。

 

岩の巻 第二帖 (三六七)

二つづつある神様を一つにするのであるから、

嘘偽(うそいつわり)ちっともならんのぢゃ。

 

青葉の巻 第三帖

ひかり教の教旨 書き知らすぞ、人民その時、所に通用する様にして説いて知らせよ。

 教旨

天地(てんち)不二、神人合一。

天(あめ)は地(つち)なり、地(つち)は天(あめ)なり、

不二(ふじ)なり、アメツチなり、

神は人なり、人は神なり、一体なり、神人なり。

神、幽、現、を通じ、過、現、末、を一貫して神と人との大和合、霊界と現界との大和合をなし、

現、幽、神、一体大和楽の光の国実現を以って教旨とせよ。

天と地で一つ、一体であること。其れが光となる。光の国となる。ミロクの世。

青葉の巻 第九帖

次々に不思議出て来るぞ、不思議なくなりたら神の国、ミロクの国となるのぢゃ。

空に第二の太陽ネメシスと惑星Xが現れる。

青葉の巻 第十三帖

同じ名の神二つあると申してあろ、

同じ悪にも亦二つあるのぢゃ、

この事 神界の火水ぞ、

この事判ると仕組段々とけて来るのざぞ、鍵ざぞ。

国常立大神様とスサノオノミコトは同一神。天と地。

青葉の巻 第十六帖

日の大神様は日の御働き、月の大神様は月の御働き、

日の大神様も世の末となって来て御神力うすくなりなされてゐるのざぞ、

日の大神様も二つ、三つ、自分一人の力では何事もこれからは成就せんぞ、

心得なされよ、神示で知らしただけで得心して改心出来れば大難は小難となるのぢゃ、

やらねばならん、戦は碁、将棋、位の戦ですむのぢゃ、

人民の心次第、行ひ次第で空まで変ると申してあろがな、

この道理よく心得なさりて、神の申すこと判らいでも、無理と思ふ事も貫きて下されよ、

これがマコトぢゃ。

八月五日、ひつ九のかミ。

 

青葉の巻 第十七帖

悪く云はれるとめぐり取って貰へるぞ、悪く云ふとめぐりつくるのぢゃ。

今度の建替へは人間智恵の建替へとは大分違ふ大層ざぞ、見当とれんのざぞ、

日の神ばかりでは世は持ちては行かれんなり、月の神ばかりでもならず、

そこで月の神、日の神が御一体となりなされて「ミロク」様となりなされるなり、

日月の神と現はれなさるなり。

「みろく」様が日月の大神様なり、日月の大神様が「みろく」の大神様なり、

千(チ)の御先祖様 九二の御先祖様と御一体となりなされて大日月の大神様と現はれなさるなり、

旧九月八日からは大日月の大神様とおろがみまつれよ。

八月五日、一二 。

日も月も最終的に全てがミロクの大神様に成る事。和合。

青葉の巻 第二十帖

三千世界に手握る時と知らずに、T(た)の世界、も十の世界を知らんからさうなるのぢゃ、

火火の世界、火火の人、水水の世界、水水の人、と交通出来るのぢゃ、

人と云っても人間ではないぞ、ヒトカミざぞ、手握って三千世界に天晴れぢゃ、

 

海の巻 第九帖

マコトの改心は愈々とならねば出来んものぢゃが、出来んことも無理もきかねば この峠越せんこともあるのざぞ。

天も近うなるぞ、地も近うなるぞ、田舎に都、都に田舎が出来ると申してあろが、

も少し人民に判りて来んと、今びっくり箱をあけたら助かる人民一分もないぞ、

びっくり箱→ 太陽ネメシス 。原子に還ること。

海の巻 第十一帖

地場を固めなならんぞ、五十鈴の川はムツの川、和合の川ぞ。

五十鈴の川は伊勢神宮横を流れている川、伊勢神宮は天照大神様。 ムツは睦・和合。

海の巻 第十五帖

新しき光が生れて世を救ふのぢゃ、新しき光とはこの神示ぢゃ、この神ぢゃ。

七つの花が八つに咲くぞ、此の神示八通りに読めるのぢゃ、

七通りまでは今の人民でも何とか判るなれど八通り目は中々ぞ。

一厘が、かくしてあるのぢゃ、かくしたものは現はれるのぢゃ、現はれてゐるのぢゃ。

何でもない事が中々のことぢゃ、判りたか。

八月二十三日、一二 。

 

黄金の巻 第三十四帖 (オークニトコタチのカミ) (ガ) (オースサナルのカミサマ)なり。

大国常立大神様が大素戔鳴神様

黄金の巻 第三十五帖

お父様が の大 三○(ヒのオーカミサマ)、

お母様がの大 三○(ツキのオーカミサマ)なり。

おくやまから出たものは おくやまにかへり、またおくやまから更に弥栄となって出るのであるぞ。

日の大神様、月の大神様が元に戻り世に出る事。

黄金の巻 第三十九帖

二人でせよと申してあるのは裏表合せて一つぞ。

二人で一人でせねばならん。

統一ないところ力生れんぞ。

 

黄金の巻 第四十三帖

天国の礎、出足の地場は(二二)からぢゃ。

二二(フジ)の道は秘文(ヒフミ)の道ぢゃ。

和ぢゃ。

 

黄金の巻 第四十七帖

ナルには内の陰陽合せ、ウムにはソトの陰陽合せよ。

成ると生むは同じであるぞ。

違ふのぢゃぞ。

成ることを生むと申すことあるぞ。

 生むこと成ると見ることあるぞ。

ナルとは(ナル)こと、自分が大きく成ることぞ。

自分の中に自分つくり、内に生きることぞ。

ウムとは自分の中に自分つくり外におくことぞ。

ナルとは素戔鳴尊 表の太陽と裏の太陽が一つになる 内と外。

黄金の巻 第五十九帖

(テン)忘れるなよ】。

世を捨て、肉をはなれて天国近しとするは邪教であるぞ。

合せ鏡であるから片輪となっては天国へ行かれん道理ぢゃ。

陰と陽が合わさって点が入り神の心。

黄金の巻 第七十一帖

世界がそなたにうつってゐるのぞ。

世界見て己の心早う改心致されよ。

世はグルグルと七変り、改心の為 世界の民皆、今度は引上げ一旦みなあるぞ。

経(タテ)のつながりを忘れ勝ちぢゃ。

平面のことのみ考へるから平面のキのみ入るぞ。

平面の気のみでは邪であるぞ。

太陽の水平面経度に対する縦の緯度。

黄金の巻 第九十六帖

ウシトラコンジン様を先づ理解せよ。

どんなことでも叶へてやるぞ。

理解するには、理解する心、先づ生まねばならん。

われよしでは拝めんコンジンさまぞ。

天地総てのもの、生きとし生けるもの悉く、よりよくなるやうに働いてゐるのであるぞ。

それが神の心、稜威(みいつ)ぞ。

弥栄と申すものぞ。

 

白銀の巻 第一帖

日の光を七つと思うてゐるが、八であり、九であり、十であるぞ。

人民では六つか七つにしか分けられまいが。

「イワトがひらけると更に九、十となるぞ。【

かくしてある一厘の仕組、九十の経綸、成就した暁には何も彼も判る】」と申してあらうが。

別のミナカヌシ、現はれるぞ。

陰陽二元でないぞ。

三元ぞ。三つであるぞ。

 

黒鉄の巻 第五帖

統一した幸福こそ、二二(フジ)晴れの幸福ぞ。

 

夏の巻 第四帖

他の世界、他の天体、他の小宇宙からの影響によって起る事象が例外と見えるのぢゃ。

心大きく、目ひらけよ。

 

夏の巻 第二十五帖

二十二のように知らすぞ。

神の仕組、間違ひなし。

二足す二が神の仕組み。和合。

秋の巻 第二十一帖

和が根本、和がよろこびぞ。

和すには神を通じて和すのであるぞ。

神を通さずに、神をなくして通づるのが悪和合。

神から分れたのであるから神に帰って、神の心に戻って和さねばならん道理。

神なくして和ないぞ。

十二の玉を十まで生んで、後二つ残してあるぞ。

太陽系は太陽と冥王星を入れると10の星が発見されております。後2つ有る。 

月光の巻 第二帖

きすうときすうをあはしても、ぐうすう、

ぐうすうとぐうすうをあはしてもぐうすうであることをわすれてはならんぞ。

きすうとぐうすうをあはしてはじめて、あたらしき、きすうがうまれるのであるぞ。

こんどのいわとひらきには ひるこうむでないぞ。

あはしまうむでないぞ。

太陽はアマテラスで女、スサナルと惑星Xは男、男から声を掛けて近づくこと。

1+2=3

月光の巻 第三帖  → 秋の巻 第二十一帖

こんどは、八のくまではたらん。

十のくま、十のかみをうまねばならんぞ。

そのほかに、かくれた二つのかみ、

二つのくまをうみて、そだてねばならんことになるぞ。

 

月光の巻 第五十一帖

世界を一つにするのであるから、王は(秘答理)(ヒトリ)ぢゃ。

うごぎは二つとなるなれど、二つでないとうごかんのぢゃ。

キはキのうごき、ミはミのうごき、うごいて和すのぢゃぞ。

和すから弥栄ぢゃ。

和せば一つぢゃぞ。

キミとなるのぢゃ。

身魂

月光の巻 第五十四帖

神示見て居らぬとびっくりが出てくるぞ。

この世始まってないことが出てくるのぢゃ、世界の片はし八まべからぞ。

判りたか。

 

五十黙示録 扶桑の巻 第八帖

救ひの手は東(ヒムカシ)よりさしのべられると知らしてあろが、

その東とは、東西南北の東ではないぞ、このことよく判りて下されよ。

今の方向では東北(ウシトラ)から救ひの手がさしのべられるのぢゃ、

ウシトラとは東北であるぞ、

ウシトラコンジンとは国常立尊で御座るぞ、

地(千、智)の元の、天地の元の元の元の神ぞ、

始めの始め、終りの終りぞ、弥栄の弥栄ぞ、イシヅヱぞ。

 

至恩の巻第十帖

国常立神も素盞鳴命も大国主命も、総て地(智)にゆかりのある神々は皆、

九(光)と十(透)の世界に居られて時の来るのをおまちになってゐたのであるぞ、

地は智の神が治(し)らすのぞと知らしてあろうが、

天運 正にめぐり来て、千(智)引の岩戸(言答)はひらかれて、

これら地(智)にゆかりのある大神達が現れなされたのであるぞ、

これが岩戸ひらきの真相であり、誠を知る鍵であるぞ。

 

至恩の巻第十六帖

太陽は十の星を従へるぞ、原子も同様であるぞ。

物質が変るのであるぞ、

人民の学問や智では判らん事であるから早う改心第一ぞ、

二二と申すのは天照大神殿の十種(とくさ)の神宝に(テン)を入れることであるぞ、

これが一厘の仕組。

二二となるであろう、これが富士の仕組、

七から八から鳴り鳴りて十となる仕組、なりなりあまるナルトの仕組。

富士(不二)と鳴門(ナルト)(成答)の仕組いよいよぞ、

これが判りたならば、どんな人民も腰をぬかすぞ。

一方的に一神でものを生むこと出来るのであるが、それでは終りは完う出来ん、

九分九厘で【リンドマリ】ぞ、

神道も仏教もキリスト教もそうであろうがな、

卍(ぶつ)も十(キリスト)もすっかり助けると申してあろうがな、

助かるには助かるだけの用意が必要ぞ。用意はよいか。

このこと大切ごと、気つけおくぞ。

  なりなりなりて十とひらき、

二十二となるぞ、富士(普字)晴れるぞ、

大真理世に出るぞ、新しき太陽が生れるのであるぞ。

 

五葉の巻 第二帖

霊界に方位はない、人民は東西南北と申してゐるなれど、今に東の東が現れてくるぞ。

霊界では光のさす方が北ぢゃ、

その他の東西南北は皆南ぢゃ、

北が元ぢゃ、北(基田)よくなるぞと申してあろうがな。

 

五葉の巻 第九帖

世は立体であるのに平面選挙していては相成らんぞ。

平面の数で定めてはならん、立体の数に入れよ。

 

五葉の巻 第十二帖

神々様も人民様も心の目ひらいて下されよ、

新しき太陽は昇ってゐるでないか。

 

紫金の巻 第三帖

マコトとは 一二三四五六七八九十と申してあろう、

そのうらは十九八七六五四三二一 で、合せて二十二であるぞ、

二二が真理と知らしてあろう、

二二が富士(不二、普字)と申してあろうが、まだ判らんか。

マコトとそのうらを足し算すると答えは全て10です。

10は1です。表と裏の陽と陰の和合を強調している。

1と1を合わせて2ですが、其の合わさった二が二組あるのが二二。

終わりに、

読んで分ると思われる部分の解説は省略させて戴きました。

また、既にご高承の通りひふみ神示は記紀の神話を基本としている部分が多々ございます。

但し、記紀の神話を素直に引用している訳でもありませんので、其処が謎掛けになっている部分もございます。

私自身、太陽の伴星といわれるネメシスが存在するのかどうかは解りません。しかし、冒頭に書いたように国常立大神様がスサナルであり太陽に成れなかった伴星太陽と仮定してひふみ神示の帖を読んでみると、不思議なほど符合する部分があることも又事実です。

何れにしても、隠れていたスサナルがどの様にして出現するのかは現代科学では説明の仕様がありません。

神の申すこと判らいでも、無理と思ふ事も貫きて下されよ、これがマコトぢゃ。(青葉の巻 第十六帖)

今の学ある者 大き取り違ひいたしてゐるぞ。(磐戸の巻 第13帖)

神の申すこと一言半句も間違ひないのざぞ。(雨の巻 第十二帖)


千成のメール

不動心さん、素晴らしい考察ですね。

雨の巻 第四帖 (三三八)

元のキの神の子と、渡りて来た神の子と、

渡りて来る神の子と三つ揃ってしまはねばならんのぞ、

今有る太陽と、これから来る伴星太陽と惑星Xが揃うこと。

この考え方を基本にして神示を読むと、ほとんどが解けるのかもですね。

白銀の巻 第一帖

日の光を七つと思うてゐるが、八であり、九であり、十であるぞ。

人民では六つか七つにしか分けられまいが。

「イワトがひらけると更に九、十となるぞ。

【かくしてある一厘の仕組、九十の経綸、成就した暁には何も彼も判る】」と申してあらうが。

別のミナカヌシ、現はれるぞ。

陰陽二元でないぞ。

三元ぞ。三つであるぞ。

『九、十の仕組』と『九十の経綸』とはこれから来る伴星太陽と惑星Xのことを言っているのかもですね。

とすると伴星太陽が九なのでしょうか?

しかし、ひふみ神示がこれほどのスケールだとすると、惑星Xなどが出現するかもしれないという情報が出てこないと、絶対に解けないということかもですね。

扶桑の巻 第04帖(853)

ツミケガレ 今はあらじとはらえ給ひそ。

空白とは九八九であるぞ、

八と九、九と八の境をひらくことが岩戸を開くことぢゃ、

空白とは最も根本を為す最も力あることであるぞ。

九を伴星太陽と仮定して、上の帖を読むと、伴星太陽が出現する時期が述べられているのかもと思えてきました。

この伴星太陽は天空に白く見える→空白?

そして八月と九月の境の時頃に出現する?

あるいは、九である伴星太陽は二回出現する?

青葉の巻 第十三帖

同じ名の神二つあると申してあろ、

同じ悪にも亦二つあるのぢゃ、

この事 神界の火水ぞ、

この事判ると仕組段々とけて来るのざぞ、鍵ざぞ。

同じ名の神が二つと言っています。

そうすると悪神とは後から出現する伴星太陽と惑星Xのこと?

そして善神とは初めから天空に存在した太陽と月のこと?

同じ悪にも亦二つあるのぢゃ、と言って悪を強調しています。

ということは九や十のい星が二回地球に接近する?

紫金の巻 第三帖

マコトとは 一二三四五六七八九十と申してあろう、

そのうらは十九八七六五四三二一 で、合せて二十二であるぞ、

二二が真理と知らしてあろう、

二二が富士(不二、普字)と申してあろうが、まだ判らんか。

マコトとは 一二三四五六七八九十と申してあろう、

からすると一~八=マということで、このマコトのマとは一~八、つまり現在の太陽系の惑星のことで、九が黄道面に対して最初に地球に近づく伴星太陽で十が惑星X??

この伴星太陽や惑星Xは黄道面に垂直に上昇(あるいは下降)して反転して戻ってくる時に再度地球に近づくとも考えられます。

そして九である伴星太陽を例にとると九八九(空白)と書いてあるのかも。

つまり伴星太陽(九)や惑星X(十)が地球の他の惑星に近づくことが二回あり、その接近には時期的に空白期間があるということかも。

二二が富士(不二、普字)と申してあろうが、まだ判らんか。と言っていますが不二とは二つのことではない、という意味ですので、九である伴星太陽も十である惑星Xも、一つの惑星が二回黄道面の惑星に接近して来る、つまり 一つのものが二回接近してくるのであって、二つではない、不二であるよ、と言っているのかも?

逆様にかへると申してあろが、大洗濯ざぞ、大掃除ざぞ、ぐれんざぞ、 と言っています。

逆様にかへると申してあろがとは、九や十の悪星が垂直に黄道面に接近して、それを通り過ぎてあるところまで行くと、逆様になって、返ってくる、つまりぐれんざぞ、と言っているように、 ぐれんと方向を転換して再度黄道面に接近することを述べているのかも。

だから洗濯ざぞ、掃除ざぞと 言って二回を繰り返したのかも。

五葉の巻 第九帖

世は立体であるのに平面選挙していては相成らんぞ。

平面の数で定めてはならん、立体の数に入れよ

これらの考えを推し進めると平面l選挙とは、現在知られている惑星のように、黄道面を水平になって太陽周囲を回転することで、立体とは、伴星太陽や惑星Xのように黄道面に垂直に移動する惑星を意味していると考えられそう。

立体の数に入れよとは、伴星太陽や惑星Xの起動を考慮して立体的に考えよと言っているのかも。

五葉の巻 第十二帖

神々様も人民様も心の目ひらいて下されよ、

新しき太陽は昇ってゐるでないか。

太陽は昇る時、下から上に上がっていきます。

つまり、新しき太陽とは、水平の黄道面に対して、垂直に下から上に上がってくる伴星太陽や惑星Xのことを言っているのかも。

黄金の巻 第七十一帖

世界がそなたにうつってゐるのぞ。 世界見て己の心早う改心致されよ。

世はグルグルと七変り、改心の為 世界の民皆、今度は引上げ一旦みなあるぞ。

経(タテ)のつながりを忘れ勝ちぢゃ。 平面のことのみ考へるから平面のキのみ入るぞ。 平面の気のみでは邪であるぞ。

上↑の経(タテ)のつながり の意味も自ずと見えてきます。

平面の気のみとは、平面の黄道面を意味していたのかも!

タハ~!

海の巻 第十五帖

新しき光が生れて世を救ふのぢゃ、新しき光とはこの神示ぢゃ、この神ぢゃ。

七つの花が八つに咲くぞ、 此の神示八通りに読めるのぢゃ

七通りまでは今の人民でも何とか判るなれど八通り目は中々ぞ。 一厘が、かくしてあるのぢゃ、かくしたものは現はれるのぢゃ、現はれてゐるのぢゃ。


何でもない事が中々のことぢゃ、判りたか。

八月二十三日、一二 。

八通り目って、2011年(八の年)にならないと、伴星太陽や惑星Xのことは分からないと言っているのかも。

逆読みすると、2011年には、惑星Xのことを人々が噂するようになるのかあるいはハッキリとその存在が知られるのか!

岩の巻 第二帖 (三六七)

二つづつある神様を一つにするのであるから、

嘘偽(うそいつわり)ちっともならんのぢゃ。

悪神(星)も、伴星太陽と惑星Xの二つあるが、その二つも二回出現したとしても、それは一つづつが二回黄道面を横切るということを言っているのかも。

最初に出現するのが嘘で、二回目に出現するのが偽りと人々が言うのかも。

大国常立尊大神と現はれて、一時は天もかまひ、地の世界は申すに及ばず、天へも昇り降りして、

この内容も、惑星Xや伴星太陽が黄道面を地面と仮定すると、垂直に上下することを 地の世界は申すに及ばず、天へも昇り降りしてと言っている?

大国常立尊大神の常立とは、軌道がが経て、つまり黄道面に対して垂直であることを意味している可能性まで出てきますね。

ウシトラとは東北であるぞ、

ウシトラコンジンとは国常立尊で御座るぞ、

伴星太陽や惑星Xは、黄道面に垂直と表現しても、正確には完全な垂直ではなく、斜め45°くらいなのかも。

二日んの巻の画像の恐怖(Mail 4530) の画像にも斜めの軌道が描かれています。


 

不動心さんの考察のおかげで、ビックリ情報が見えてきましたね。