In Deepさんのサイトより
http://oka-jp.seesaa.net/article/180414697.html
<転載開始>
(注)今回は単なる個人的な日記です。書く前から長くなりそうなことが予想されますので、何回かにわけてこの「ペアである自分」というタイトルで書きます。連続で書くわけではないかもしれません。二ュース性はなく、完全な私個人の話で、なおかつ長くなりそうですので、お暇な時にでもよろしければどうぞ。

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1995年 1月9日の偶然

日本のテレビ放送史上で、あるいは、少なくとも NHK で「約1時間にわたる番組で、同一人物の単独インタビューを平日連続5日間放映する」ということはまずなかったと思います。どんな有名な高名な人物でもそれはなかったはずですし、今後もないと思われます。

その出来事が日本のテレビ放送史上で多分一度だけありました。

それは1995年に NHK 教育の「ETV 特集」において放映された「埴谷雄高独白 死霊の世界」です。1995年 1月9日から 1月13日の月曜から金曜までの5日間にわたり放映されました。収録は 1993年6月から1994年4月まで、NHK のプロデューサーとスタッフが埴谷さんの自宅を訪問し、1年近くをかけて行われたという、NHKのインタビュー番組の中でも空前の撮影期間と労力を費やした番組でした。

この埴谷雄高さんという人は、すでに亡くなっていますが、日本文学の作家であり、60年間にわたり、「死霊」という長編小説を書き続けた人です。

私は今もそうですが、16年前の当時も小説にも文学にも興味がなく、当然、埴谷雄高なんて人は知らなかったし、「死霊」も知りませんでした。

まして、当時の「ETV 特集」は午後8時頃からの番組。

今はテレビは完全に見なくなってしまいましたが、もともとあまり見るほうではなく、週に何度か見るか見ないかといった感じでした。その中で、「午後8時に偶然 NHK 教育を見る」なんてことは人生では一度もなかったわけで、後にも先にもないことだと思います。

ところが、その日は「偶然」テレビをつけたら、この「埴谷雄高独白 死霊の世界」の第一回目がちょうど始まる時でした。

この偶然には16年経った今でも感謝しています。

番組は、当時私はその人が誰だか知らない、よく笑う元気なご老人(笑)である埴谷さんの語りと、小説「死霊」からの抜粋ナレーションと、時代背景の解説などの構成で進行したのですが、冒頭に流れた「死霊」という小説の背景、蟹江敬三による内容の朗読、そして、何よりも、この埴谷雄高さんという人そのものにものすごく惹かれたのです。

埴谷雄高さんが語り始めた時には、ほんの数秒で「この人は面白い」と確信して、結局、全部の回を見たのです。

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番組より。好きなハンガリーのワイン「トカイ」を手にして語る埴谷雄高さん。現在の人間を、「人間は人間ではない何物かになる過渡期にある」と語る。


この時、埴谷雄高さんは87歳でした。

この歴史的なインタビュー番組は今では YouTube に全回アップされています。
1回から最終回までが21本にわけてアップされています。すべてリンクします。

埴谷雄高独白 死霊の世界(1)
埴谷雄高独白 死霊の世界(2)
埴谷雄高独白 死霊の世界(3)
埴谷雄高独白 死霊の世界(4)
埴谷雄高独白 死霊の世界(5)
埴谷雄高独白 死霊の世界(6)
埴谷雄高独白 死霊の世界(7)
埴谷雄高独白 死霊の世界(8)
埴谷雄高独白 死霊の世界(9)
埴谷雄高独白 死霊の世界(10)
埴谷雄高独白 死霊の世界(11)
埴谷雄高独白 死霊の世界(12)
埴谷雄高独白 死霊の世界(13)
埴谷雄高独白 死霊の世界(14)
埴谷雄高独白 死霊の世界(15)
埴谷雄高独白 死霊の世界(16)
埴谷雄高独白 死霊の世界(17)
埴谷雄高独白 死霊の世界(18)
埴谷雄高独白 死霊の世界(19)
埴谷雄高独白 死霊の世界(20)
埴谷雄高独白 死霊の世界(21)

最初の(1)か、あるいは最後の(21)だけでも見られてほしいと思います。全部に関しては長いですので見る見ないはともかく、日本でテレビの放映というものが生まれた理由は、少なくとも私にとってはこの番組のためだけだったと今は思います。

この「死霊」という小説は戦後の 1945年(昭和20年)に第一巻が発表され、そして、 50年後の 1995年に第九巻が発表された後に、埴谷さんの死去もあり、未完で終わります。その第一巻第一章「癲狂院にて」の本編の前に最初に詩が書かれてあります。
それもまたいい。


悪意と深淵の間を彷徨いつつ
宇宙のごとく
私語する死霊たち。



意味は当時はもちろんわかりません。
しかし、当時も今も意味などわからなくてもいいのです。
若い時にパンクスだった私は何でも「かっこよく心にひびけば、それでOK」として生きてきました。

さて、ここまで前置きで、このような番組がありましたというご紹介で、本題はここからです。

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埴谷雄高氏の言う「アンドロメダの兄弟」

この番組「埴谷雄高独白 死霊の世界」の最終回では、埴谷さんの宇宙観が語られます。亡くなった際の忌を「アンドロメダ忌」と希望したほど(実際にそうなっている)宇宙が好きだった埴谷さんは、「アンドロメダにいる兄弟が私をいつも見ている」という概念を持っていました。

今回書いている「ペアである自分」というコラムは、このことが抽象論ではないのかもということを最近感じてきたことにより書いているものです。もちろん、アンドロメダという言葉や場所はどうでもいいのです。

アンドロメダとかそういう話ではなく、「自分は別の場所にもうひとりいる」ということです。そのことを何回にわけて、個人的な日記として書きたいと思った次第です。


というか、実は宇宙に存在するすべては何もかもがペアであり、その中のひとつに「自分ともうひとりの自分のペア」があるではないかというようなことです。


番組「埴谷雄高独白 死霊の世界」の最終回で、埴谷さんがその部分を語った部分を抜粋します。上の YouTube のリンクだと、こちらになります。文中にある星雲等の距離や科学背景は インタビューの行われた18年程度昔のものですが、そうでなくとも、その具体的な数値は無視して下さい。


NHK ETV特集「埴谷雄高独白 死霊の世界」第5回より
放映 1995年1月13日。収録は 1994年4月。

 無限の夢想から、無限の夢からこうなりたいと思う無限の夢、夢想から今度は新しい宇宙が生まれるということですね。ただしうまくいけばの話で、それこそアンドロメダの向こうからだれかがやってきて、はじめてそれがうまくいくわけですよ。

 アンドロメダは、かつては我々の銀河から 150万光年の距離と言われていたわけですが、今では 210万光年ぐらいだといわれているわけです。だいたい、銀河もアンドロメダも直径は 10万光年ということになっているんですよ。アンドロメダは双子星雲で、非常に遠くから見ると同じようなものが二つ並んでいるわけです。

 僕の病気が治った時に表に出てみると、アンドロメダが見えるわけです。そうすると、 150万光年ということで、直径 10万光年のわれわれの銀河を 15回繰り返していけば向こうに到着するわけですよ。今は 21回ということになったわけだけれども、それでも 21回でも、地球と月よりもこっちのほうが近いんですよ。

 地球と月は、地球の直径を30何回繰り返さないと、到達できない。だから、地球と月よりもアンドロメダと銀河のほうが近い兄弟ということで、僕の兄弟はアンドロメダにいる。

「X埴谷」というのがここにいて、僕が見ている時は向こうからも見ている。僕が見ていると向こうからも同じように見ている。「宇宙の鏡」と同じで、僕が見ているということは、向こうからも見ているわけだ。「あっ、あそこの向こうの兄弟、あいつが考えている、いつか会えるかな」というようなことです。



ここまでです。
この中の「僕が見ていると向こうからも同じように見ている」というのを最近は、肌で感じるようになりました。

今後、内容的には、

・自分の子どもの最近の体験の話から
・量子テレポーテーションの理論
・暗闇に映る自分の目
・衰退したわたしたちの松果体の未来


などを書くつもりです。
書けない可能性はありますが、その時は素直に中断します。


いずれにしても、自分(人類すべてのそれぞれの「自分」)にとって「もっとも大事なことは自分を知ること」であり、「自分(の存在)への感謝」だと感じています。これは、私の問題ではなく、人類全般にあてはまる普遍的な話としての意味です。

宇宙も神も他の惑星の人も他の次元の人も悪魔も飛び越えて、「自分ともうひとりの自分」がもっとも大事であり、そうするべくだと。

そう思ったキッカケのひとつは、以前、何度か報道を記事にもしている、「量子もつれ」という効果を利用しての量子テレポーテーションの概念と、そして、次元を越えた宇宙間での「自分ともうひとりの自分との間に存在しているもの」に対しての良い影響を作れるのはその人(ともうひとりのその人)だけであり、それが全体に波及することがすべての全部の安定への条件にもなるのではないか・・・というようなことを思った次第です。

なんか今書いたのは、後半、自分でもよくわかんないですが、のちのち補足できるのではないかと思います。


いずれにしても、自分では偶然だと思っていた過去の様々な出来事が最近は非常に多くがひとつの線につながっていて、もちろんそのこと自体が「偶然」なのかもしれないですが、それはどちらでもいいのです。

そのうち、「すべての体験が(感覚として)ひとつの連続した線として繋がる」というようなこともあるのかもしれませんね。つまり、すべての体験は「結局ひとつの一瞬の体験だった」と。
<転載終了>