第06巻 日月の巻 第11帖 (184)
「悪神の仕組は此の方には判りてゐるから一度に潰す事は易いなれど、それでは天の大神様にすまんなり、悪殺して終(しま)ふのではなく、悪改心さして、五六七(みろく)のうれしうれしの世にするのが神の願ひざから、この道理忘れるでないぞ。」
ミロクには悪神(サタン)の仕組みはお見通しのようです。
第06巻 日月の巻 第17帖 (190)
「此の方の仕組 日に日に変るのざから、臣民わからなくなると申してあろが。日に日に烈しく変りて来るのざぞ。神の子には神示伝へてくれよ。神せけるぞ。渦海(うづうみ)の御用結構。」
ミロクの仕組みは柔軟性や変化に富んでいるようで、なかなか臣民がついていくのは難しいそうです。ここの神の子というのは諸世紀曰くの太陽のことかと思います。天明氏に未来の太陽に伝わるようにしなさいとも伝えている内容かとも思います。その変化に対応できるのがミロクだからということでもあるのかなと思いました。
第06巻 日月の巻 第27帖 (200)
「此の方の申すこと小さく取りては見当取れんと申してあろがな。三千世界の事ぞ。日本ばかりが可愛いのではないぞ、世界の臣民 皆わが子ぞ。わけへだてないのざぞ。この神示よみて聞かしてくれよ。読めば読むほどあかるくなるぞ。富士晴れるのざぞ。神の心晴れるのざぞ。あらたぬし世ぞ。」
ひふみでは外国の方が早く改心するとあります。その辺りからもミロクが云う世界の臣民がわが子だということが多少見えてくるように思います。
第07巻 日の出の巻 第01帖 (214)
「春とならば萌(もえ)出づるのざぞ、草木許りでないぞ、何もかも もえ出づるのぞ、此の方の申す事 譬(たとへ)でないと申してあろが、少しは会得(わか)りたか。」
岩戸開きの時節の始まりを春とならば萌出づるという表現になっているようにも思いますが、100年前からミロクが伝えてきたことが例えではないということを理解してきてますか?という問いかけのように思います。実際、その予言の言うように草木許りでなく、自然現象や社会での事象でひふみの云う誠などが現出して、云っていることの通り推移しているのは感じるところです。
第07巻 日の出の巻 第08帖 (221)
「日本の国は此の方の肉体と申してあろがな、何んな宝もかくしてあるのざぞ、神の御用なら、何時でも、何んなものでも与へるのざぞ、心大きく持ちてどしどしやりて呉れよ。集団(まどい)作るなと申せば、ばらばらでゐるが裏には裏あると申してあろが、心配(こころくば)れよ。」
日本の国はミロクの肉体と例えられるようです。探せば岩戸閉めになって隠されたものも宝として認識できるのかなとも思います。集団の作り方にもいろいろと工夫があるようです。日本がミロクの肉体であるのなら、その肉体の病も四十七回噛んでから呑むとどんな病でも治るとすると、咀嚼に値するのはどんなことなのでしょう。自然現象の訴えなどがそれに該当するのかな?ととも思ったりします。
第07巻 日の出の巻 第15帖 (228)
「此の方 意富加牟豆美神(オホカムツミノカミ)であるぞ。」
此の方はオホカムツミノ神で臣民を死から追い払う神のようです。
第07巻 日の出の巻 第20帖 (233)
「此の方は力あり過ぎて失敗(しくじ)った神ざぞ、此の世かもう神でも我出すと失敗るのざぞ、何んな力あったとて我出すまいぞ、此の方がよい手本(みせしめ)ぞ。世界かもう此の方さへ我で失敗ったのぞ、執念(くど)い様なれど我出すなよ、慢心と取違ひが一等気ざはりざぞ。改心ちぐはぐざから物事後先になりたぞ、経綸少しは変るぞ。今の役員、神の道広めると申して我(われ)を弘めてゐるでないか、そんな事では役員とは言はさんぞ。」
ミロクは力があり過ぎてしくじった存在のようです。我を出すと失敗するようです。ミロクはその克服をして現在に至っているようです。
第08巻 磐戸の巻 第15帖 (251)
「皆和合して呉れよ。わるき言葉、息吹が此の方一番邪魔になるぞ、苦労なしにはマコト判らんぞ、慾はいらぬぞ、慾出したら曇るぞ。」
悪く云う言葉、息吹(悪く云う気配や兆候)がミロクには一番邪魔になるようです。
「神いぶきとは一二三書いた紙、神前に供へてから分けてやるもののことざぞ。」
この内容の一二三とは三千世界の真相、ミロク顕現の成り立ちなどを説明することをデータベースにしてサイトに並べることを神前に供えるとして、そこから項目別に分けて考察し、インターネットウエブ上に掲載されて世界中に広まるような様を分けるという表現になるのかなと思いますし、それらは神息吹の一部の例とも取れるように思います。実際にはそれだけでなく、霊体のミロクが現実世界に及ぼす影響などもいろいろあるでしょうから、その影響を神息吹と云うのが正しいのかなとも思います。
第08巻 磐戸の巻 第18帖 (254)
「この仕組判りたら上の臣民、逆立ちしておわびに来るなれど、其の時ではもう間に合はんから くどう気付けてゐるのざぞ。臣民、かわいから嫌がられても、此の方申すのざ。」
ミロクにとって臣民は可愛い存在のようです。支配層も本来は同列なのですが、どうしても現在のあり方に固執してしまうことから、強権を発動して戦争し独裁の支配体制を作ろうとしている部分をある種嘆き、臣民にそれらに巻き込まれないように助言している内容の帖のようです。ひふみを読み通していけば、臣民もですが、上の支配層も二度となさそうな改心のビッグチャンスであることは明白な時期でもあるようですが、悲しいかな全てを無くさなければわからないのかもとも推測しています。
第10巻 水の巻 第10帖 (284)
「此の方の事 何れ判りて来るぞ。今はまだ知らしてならん事ぞ。知らす時節近づいたぞ。六月十一日、みづの一二 。」
此の方とは、現時点では日の神と月の神が合体してミロクとなった存在のことを差すように思いますが、偶然かその解釈がなされた2004年のこの6月11日にはMFさんは磨賀多神社を訪ねています。その辺りから解読が始まり、アラカルトも構築されて此の方説も出されてますので、検証、観察している身分としては興味深いことでもあります。
第10巻 水の巻 第11帖 (285)
「勇む事 此の方 嬉しきぞ。富士は何時爆発するのざ、何処へ逃げたら助かるのぞと云ふ心 我れよしぞ。何処に居ても救ふ者は救ふと申してあろが。悪き待つキは悪魔のキざぞ。結構が結構生むのざぞ。六月十一日、みづのひつ九か三。」
ミロクは人々が勇むことは嬉しいことのようです。富士山が噴火するかもしれないことは、富士の測候所が表向き役目を終えたとして閉鎖されたことも2007年付近のことであるので、時節的には大変に近いことを示しているように思います。大難を小難にすべくうごくことは、ある面では勇ましく見えることでもあるように思います。
官僚は正直、今の世の中は富士山の噴火や東海、関東大地震によって潰れてしまうことで全てをチャラにしたいとの考えを持つ方々もいると聞きます。上と下とでのその考えの相違は近い将来、予言されたとおりになる前兆でもあるように思います。
第11巻 松の巻 第09帖 (300)
「この世に何一つ出来んと云ふことない此の方のすることぞ。云ふ事聞かねば、きく様にしてきかすぞ。」
ミロクの決めセリフのようにも聞こえます。要するにどの道聞かなければお亡くなりになるだけのようです。その際のお亡くなりの道もどこぞにあった生き返りなしの消滅という道にこの場合なるのではないかと思うのですが。
第11巻 松の巻 第11帖 (302)
「今の法律 此の方嫌ひぢゃ、嫌ひのもの無くするぞ。」
「見事 此の方についてご座れ。手引ぱって峠越さしてやるぞ。」
ミロクは現在の法律のシステムは大嫌いのようです。ひふみを理解して、ついて行けるならばミロクが手を引っ張ってくれるようです。臣民もそのためには見本になるような生き方をしなければならないようです。神のような存在の云うところの善は、人類の定めた法律などによって著しく湾曲されているのだと思います。現在の社会生活の中での常識の範囲を超えない程度のバランス感覚は残しておいてのそうした善を理解することが求められているように思います。
第11巻 松の巻 第15帖 (306)
「真中動くでないと申してあろが、此の世の頭から改心せねば、此の世 治まらんぞ。此の方頼めばミコトでおかげやるぞ。竜宮のおとひめ殿 烈しき御活動ぞ。」
ミロクは真ん中で動かず、この世の頭から改心ですから、今の上のトップでしょうかそうした方々が改心しなければ此の世は治まらないと読めます。ミロクに頼めば御利益をあげるようです。その時節では、竜宮の音姫殿(殿ですから漢字はこっちの方だと思います)が烈しき活動をするようです。
乙姫を音姫殿とするあたりから、個人的には何か音に関することを差しているようにも思います。悪も真理を述べうるとはひふみが述べていることです。
善も悪もうまく利用してしまうのがミロクのようですので、何を求め此の時節を生きるのかを理解できていれば、例え目的が情報操作のものであったとしても、軸をぶらさずに例えば勇む心を得たり、癒しを得たり、取り方でずいぶん変わるように思います。
最たるものはオグミオンなどの大地の叫びのようなものかなとも思います。それを聞いちゃ生きれはしないかもしれませんが、それを間近で聞くとき、それはそれまでに蓄積してきた自身の総決算のときでもあるように思います。
ちょっと内容がずれてるかもしれませんが、竜宮の音姫殿の出す音とはノアの大洪水の前兆のオグミオンのようなものから虫の鳴き声、草のすれる音まで自然の音のことを音楽として認めるような部分にあるように思います。
幾何学的でなければならないという西洋的な概念では世は治まらないということも含んでいるように感じました。
第11巻 松の巻 第18帖 (309)
「いよいよ此の方の仕組通りの、とどめにかかるから、精一杯の御力でかかりて御座れ。」
ミロクも神サタンに宣戦布告をしているような内容の印象です。
第11巻 松の巻 第22帖 (313)
「此の方について御座れ。手引いて助けてやると申してあろが。悪の改心、善の改心、善悪ない世を光の世と申すぞ。」
ミロクは善も悪も隔てず助けるつもりのようです。肉体のあるうちの改心が大事なようです。
一応、自身の検証の推測では、臣民などは皆岩戸開きのいくつかの場面で必ず一度はお亡くなりになるようですが、その時亡くなりになった際にそれまでの改心の成果が例えば霊界と現実界の中間の世界での留まりを短くしたり、長くしたり、もしくは魂ごと消滅したりと肉体を変える作業工程もあるためか生きて肉体のあるうちの改心と死ぬ際の心の状態というものは大変に重要視されるもののようです。なので、ここでの霊になっての改心はなかなかというのは、改心の作業は死んでからでは出来ないということを差していたり、上に立っていろいろと楽をして来た存在にとっては、現状は自身の魂の消滅の危機とでも理解しておいた方がいいのかなとも思います。
恐怖がベースの改心は成り立たないとひふみでは説明しているようですので、ある程度先のことを見据えて行動していかなくては、大変なんだろうなあと思うところです。
その時の悲惨な光景は諸世紀でも述べられているようですが、それは改心というものが一日二日くらいでどうにもならないことを理解するものであるなら容易にその時には助けようとしても助けられないことなのだということは想像がつきます。
善も自身を引き立つための悪であったということを認識して改心していかなくてはならないでしょうし、悪もそれなりの改心が必要かと思います。お互いが理解できるための自分の中の戦というのも終わらせなければミロクの言うところの光の世には住めないのかと思います。
第11巻 松の巻 第28帖 (319)
「山も川も野も人民も草も木も動物虫けらも何もかも此の方の徳であるぞ。それぞれの御役あるのざぞ。」
ミロクの存在というのはでかいようです。神の息吹で出来たもののようですから、それを取り扱う人間もその時節では食料にも困窮する時期があると思いますが、本質的な祀り心のようなものを持つことや生きるための必要な心構えを持っているのであれば、それがミロクに認識されれば、隠し事の通じないミロクのようですから、その異常気象でもってその時節を知らせますし、生きる方策を授けますよと云っている様にも読めました。
第12巻 夜明けの巻 第10帖 (330)
「今までのシメは此の方等しめて、悪の自由にする逆のシメざから、シメ張るなら、元のシメ、誠のシメ張れよ。七五三は逆ざぞ。三五七ざぞ。天地のいぶきぞ。波の律ぞ。風の律ぞ。神々様のおんいぶきの律(なみ)ざぞ。」
ミロクを開放することが此の時節では大事なようです。波の律、風の律と神様は旋律のように扱われてます。壮大な神々の奏でる音楽がそこにあるようです。幾何学では図れないものがあるようです。
第12巻 夜明けの巻 第13帖 (333)
「此の方 喜ぶこと好きぞ、好きの事栄えるぞ。いや栄へるぞ。」
ミロクは喜ぶことが好きなようです。
第13巻 雨の巻 第12帖 (346)
「まだまだ人民には見当取れん妙な事が次から次にと湧いて来るから、妙な事 此の方がさしてゐるのざから、神の臣民 心配ないなれど、さうなった神の臣民 未だ未だであろがな、掃除される臣民には掃除する神の心判らんから妙に見えるのも道理ぢゃ。」
悪魔に邪魔されちゃう臣民の話があるようです。その間にも人民には見当が取れないミロクが仕掛ける妙なことはたくさんあるようです。悪魔に何かと干渉されちゃう側にもそれをきっかけに掃除しなくてはならないことがあるようです。ミロクは無駄のないやり口が特徴なのかも
第13巻 雨の巻 第13帖 (347)
「心から勇む仕事よき事ぞ、此の方の好く事ざぞ。」
木の葉落ちて冬となれば淋しかろがな、紅葉(もみじ)ある内にと気付けおいたが紅葉の山も落ちたであろがな、他で判らん根本のキのこと知らす此の方の神示ぢゃ、三千世界のこと一切の事 説いて聞かして得心させて上げますぞや。何度も説明されてるミロクの好きな事のようです。紅葉の時節を越えた暁には、身を持って知らせてあげましょうとも読めてしまう感じです。
第13巻 雨の巻 第14帖 (348)
「神の国は誰が見ても、どう考へても、二度と立ち上がられん、人民 皆外国につく様になって、此の方の申した事、神示に書かした事、皆 嘘(うそ)ざと申す所まで世が落ちてしまうてから始めて神力現れるのざぞ、人民臣民 早合点して御座るが九分九分九厘と申してあろがな、事務所作らいでもよいぞ、事務所作るのは表の仕組ぞ、裏の御用 事務所禁物ぞ、それぞれの役員殿の住むとこ皆それぞれの事務所でないか、よく相談してやりて下され、段々判りて来るぞ。」
ミロクの伝えた事を皆嘘だと言い出す時節が眼に見えたなら、それは最後の悪神の悪あがきではなかろうかと思います。事務所の話がくっついているようですが、裏のことは仕事としてやるなということのように読めます。
第13巻 雨の巻 第15帖 (349)
「此の方等が世建直すと申して此の方等が世に出て威張るのでないぞ、世建直して世は臣民に任せて此の方等は隠居ぢゃ、隠れ身ぢゃぞ。地から世持ちて嬉し嬉しと申すこと楽しみぞ、子供よ、親の心よく汲み取りてくれよ。」
ミロクは、世がたて直れば早々と隠居されるようです。竜宮の音秘様はグレンとその助けを行うようですが、最強の助っ人のような印象です。
第13巻 雨の巻 第16帖 (350)
「神の守護と申すものは人民からはちっとも判らんのであるぞ、判る様な守護は低い神の守護ざぞ、悪神の守護ざぞ、悪神の守護でも大将の守護ともなれば人民には判らんのざぞ、心せよ、何んな事あっても不足申すでないぞ、不足悪ざぞ、皆 人民の気からぞと くどう申してあろがな、人民キから起って来たのざぞ、我の難儀、我が作るのざぞ、我恨むより方法(ほか)ないぞ、人民の心さへ定まったら、此の方 自ら出て手柄立てさすぞ、手柄結構ざぞ。
此の世の物 一切 神の物と云ふ事まだ判らんのか、一切取り上げられてから成程なァと判ったのではおそいから嫌がられても、くどう同じ様な事申してゐるのざぞ、人民の苦しみ此の方の苦しみざぞ、人民も此の方も同じものざぞ、此の道理判りたか、此の方 人民の中に居るのざぞ、別辞(ことわけ)て申してゐるのざぞ。」
人民だけでなくミロクにも伝えている内容のようです。人民が何かミロクが表に出るための鍵を握っているようです。
第13巻 雨の巻 第17帖 (351)
「此の方の申す様にすればその通りになるのざぞ、さまで苦しみなくて大峠越せるぞ、大峠とは王統消(わうとうけ)すのざぞ。」
ミロクの言う通りにすれば、永久に繁栄する方向に向かうようです。大峠の事象で主に見えることは、各国の七王も八王もいると例えられている各国の大統領などを無くすことのようです。
第14巻 風の巻 第01帖 (352)
「苦しいという声 此の方嫌ひざ。苦と楽 共にみてよ、苦の動くのが楽ざぞ。生れ赤児みよ。子見よ、神は親であるから人民守ってゐるのざぞ。」
「奥山 何処に変っても宜いぞ、当分 肉体へおさまるから何処へ行ってもこの方の国ぞ、肉体ぞ、心配せずに、グングンとやれよ、動くところ、神力 加はるのざぞ、人民のまどひは神無きまどひぞ、神無きまどひつくるでないぞ、神上に真中(まなか)に集まれよ。騒動待つ心 悪と申してあること忘れるなよ、神の申した事ちっとも間違ひないこと、少しは判りたであろがな。同じ名の神 二柱あるのざぞ、善と悪ざぞ、この見分けなかなかざぞ、神示よめば見分けられるように、よく細かに解(と)いてあるのざぞ、善と悪と間違ひしてゐると、くどう気付けてあろがな、岩戸開く一つの鍵ざぞ、名同じでも裏表ざぞ、裏表と思ふなよ、頭と尻 違ふのざぞ。千引(ちびき)の岩戸開けるぞ。」
ミロクは苦しいという声が嫌いなようです。視点の向け方一つで楽になれることをよく理解しているのかなとも思ったりします。ミロクの肉体が日本の国だとひふみでは説明していますが、その肉体の病治しに必要な部分になることが御用ということになるのかなとも思ったりしますが、神様を勘違いすると騒動を待つ心を持ったりしてしまってしまうこともあるのかなと見ています。
昭和八十年頃は、平成に治すと平成15年から16年ごろなので、不思議に解読が本格化しだした頃とかぶるようにも思います。伊勢神宮も出雲大社も今年は20年かに一度の宮の建て直しのようなものがあるようです。同時に起こっているようで、悪神の監視下に置かれているこれらの建物などは臣民の扇動にも使う可能性もあるように思いますし、建て直しをしている最中に、日本でテロがあればこれ幸いにと神様を担ぎ出して、それらの治まる宮がないからどうのと騒ぎ出す方がたもいるように思います。
そのようなことがもし起こってしまうならば、どちらかというと、ひふみの説明しているような宮は破壊され、人が神の宮となる時節に本格的に入る時節のような気がします。
第15巻 岩の巻 第07帖 (372)
「此の方 悪神とも見えると申してあらうがな。」
借銭払いをしておかないとその時にはミロクは相手にしないので、きつい悪神のように見えるようです。
第15巻 岩の巻 第08帖 (373)
「此の方のコト、腹にひしひしと響き出したら、よき守護神となったのざぞ。」
ミロクの云うことが響きだすということは、行動にもそれらは現れることとなって、ひふみの説明するようなあれならばというような存在になっているのかもとも推測してます。
第20巻 梅の巻 第21帖 (448)
「今度はキリスト教も仏教も何も彼も生かさなならんのぞ。早くから此の方の元へ来て居ても因縁あっても肝腎が判らんと後戻りばかりぢゃ、肝腎々々ぢゃ、学もよいが、それはそれの様なものぢゃぞ、途中からの神は途中からの神、途中からの教は途中からの教、今度の御用は元のキの道ざぞ、世の元からの神でないと判らんぞ、出来はせんぞ、生れ赤児の心とは、途中からの心、教、すっかり捨てて了へと云ふ事ざぞ。十二月十四日、ひつ九のかみ。」
ミロクの元に早くから来ていても、ひふみで山開きという内容があるように生まれてからうけてきた教育や認識などを改めない限り、御用をこなすのは難しいようです。なにやら、ここがひふみの云う此の方の元に関係するのであれば、何気に過去に幾人も仏教やキリスト教に関係する方々がこられましたが、その含みが感じられるような内容のように感じます。
第20巻 梅の巻 第22帖 (449)
「いくら時節来たとて人民に誠ないと気の毒ばかりぢゃ、気の毒 此の方嫌ひぢゃ。道は神にも曲げられん、竜神は悪神ぢゃと云ふ時来るぞ、心せよ。誠ない者 今に此の方拝む事出来んことになるぞ、此の方に近よれんのは悪の守護神殿。」
ミロクには悪の守護神殿は近づけないようです。此の辺りは身近なところでももしもひふみの云う広報場所がここであるのならば、なるほどと思うこともいくらかあるように思います。
竜神は異常気象も含めた現象のことも含むと思いますが、今は二酸化炭素を諸悪の根源のように扱い時節を知らせる竜神の働きのようなものを全て人間の起こした諸悪のような言い方もしています。人間は青竜とも例えられるようですので、時節的には今をさしているようにも思います。
ここでは合体するミロクのことも触れているので竜神にはそのことも含まれるようにも思います。もしかしたら、黙示録にあるような七つの頭と十の角や王冠をつけた姿がそうだったりとか?半キリストというのがどのようなものかわからないのでこれくらいにしておきます。
第20巻 梅の巻 第27帖 (454)
「苦しむと曲るぞ、楽しむと伸びるぞ、此の方 苦しむこと嫌ひぢゃ、苦を楽しみて下されよ。此の方に敵とう御力の神、いくらでも早う出て御座れ、敵とう神 此の方の御用に使ふぞ、天晴れ御礼申すぞ。世界のどんな偉い人でも、此の方に頭下げて来ねば今度の岩戸開けんぞ、早う神示読んで神の心汲み取って、ミロクの世の礎 早う固めくれよ。」
ミロクの元では、苦しいことも楽しみなさい、スタンスを工夫しなさいと云っているようです。ミロク自体が気楽に善も悪も使いこなすし、敵も味方もうまく使ってしまうようです。
月も探査衛星かぐやが、ノアの大洪水のシミュレーション出来るスタジオも日本に、いろいろあるようですし、諸世紀で預言され解読された内容は数年前からMFさんが提示していますし、それらの一部は徐々に解明されていってる状態だと思います。徐々に世界のどんな偉い人もミロクとして下生しているのは誰だということになるでしょうし、検証も独自で進めて行くようにも思います。その時節では、多種多様ないろんな人種が出てくると思います。その中で、頭を下げるほどの何かがあって偉い人は来られるように思います。
第21巻 空の巻 第10帖 (465)
「此の方 悪が可愛いのぢゃ、御苦労ぢゃったぞ、もう悪の世は済みたぞ、悪の御用 結構であったぞ。早う善に返りて心安く善の御用聞きくれよ。」
「いれものキレイにして居りたらこの方がよきに使ふぞ、今の仕事仕へて居れよ、神示腹に入れて、あせらず身魂磨き結構々々。」
政治家などを悪の御用をしている人たちとしてミロクは認識しているようです。最近のUFO発言のあった町村官房長官も更迭騒ぎでいろいろとあったみたいですが、個人的にしろあると言い切った背景は、ここで述べていることにも多少は関係しているようにも思ったりしてます。
第22巻 青葉の巻 第12帖 (481)
「此処は始めて来た人には見当とれん様になってゐるのぢゃ、人の悪口 此の方 聞きとうないぞ、まして神の悪口。」
ミロクは悪口嫌いみたいです。
第22巻 青葉の巻 第14帖 (483)
「ダマシタ岩戸からはダマシタ神お出でましぞ、と申してくどう知らしてあろがな、ダマシて無理に引張り出して無理するのが無理ぞと申すのぞ、無理はヤミとなるのざぞ、それでウソの世ヤミの世となって、続いてこの世の苦しみとなって来たのざぞ、こうなることは此の世の始から判ってゐての仕組、心配せずに、此の方に任せおけ任せおけ。」
ミロクはこの世の始まりから理解しているようなので、無理をせずに勇むこと、好きなことを頑張ることがいいのかなと推測しています。騙しても誠の光の前には通用しないものがあるように思います。
第23巻 海の巻 第10帖 (502)
「この方 悪神、祟神(たたりがみ)と人民に云はれてトコトン落されてゐた神であるぞ、云はれるには云はれるだけの事もあるのぢゃ、此の方さへ改心いたしたのであるぞ、改心のおかげで此の度の御用の立役者となったのぢゃぞ、誰によらん改心致されよ。」
ミロクでも改心したということですので、臣民人民は改心が基本のようです。
第23巻 海の巻 第19帖 (511)
「あなさやけ、あなすがすがし、言答(いわと)開けたり、二十三巻で此の方の「A01」(ふで)の終り、終りの終りです。」
後の七巻は他から出してあるのです。いづれ判りて来るのです。合せて三十の巻、それが一つの節です。この巻でミロクの筆の終わりの終わりのようです。他の七巻がどのようなところから出ているのかはまだ不明ですので、今後の展開を見たいと思います。
「三三(みみ)に一二三(ひふみ)を聞かせます。愈々身実(みみ)に聞かす時です。それぞれ人に応じて時によって、口から耳に肚から肚に知らしなさい。」
余談ですが、普通の会話レベルで何気なく話せるようになった時に真価を発揮するようなことを云っているようにも思います。