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第五巻 地つ巻 第十九帖 (156)
新しい世の中になっての祝詞のようです。


第六巻 日月の巻 第二十四帖 (197)
「太陽(ひ)あるうちはことごとに太陽の御用せよ。月あるうちはことごとに月の神の御用せよ。それがまことの臣民ぞ。」
臣民は太陽の御用をするし、月の神の御用もするということで、それぞれの状況環境の中で御用をこなすことがまことの臣民であるようです。


第七巻 日の出の巻 第十三帖 (226)
「天にあるもの地にも必ずあるのざぞ、天地合せ鏡と聞かしてあろがな、天に太陽様ある様に地にも太陽様(おひさま)あるのざぞ、天にお月様ある様に地にもお月様あるのざぞ。」
天にあるものに対して、肉体を持つ存在が地にも存在することを示しているようにも思います。


第七巻 日の出の巻 第十四帖 (227)
「 お太陽(ひ)様円いのでないぞ、お月様も円いのではないぞ、地球も円いのではないぞ、人も円いのが良いのではないぞ、息してゐるから円く見えるのざぞ、活(はたら)いてゐるから円く見えるのざぞ、皆形無いものいふぞ、息してゐるもの皆円いのざぞ。」
お太陽様も活動しているから円く見えるということのようです。


第十七巻 地震の巻 第一帖 (378)
「われわれの一切は生れつつあ る。神も、宇宙も、森羅万象の悉くが、常に生れつつある。太陽は太陽として、太陰は太陰として、絶えず生れつづけている。」
太陽は太陽として絶えず生まれ続けているようです。われわれの一切とありますので、途方もないスケールであるということは思います。 諸世紀の太陽が何ゆえ太陽と呼ばれるかその所以もその内判ればいいかと思います。


第十七巻 地震の巻 第三帖 (380)
「すべて一にして二、二にして三であることを理解せねばならない。かくして、大神の大歓喜は、大いなる太陽と現われる。これによりて、新しく総てが生れ出る。太陽は、神の生み給えるものであるが、逆に、太陽から神が、更に新しく生れ給うのである。」
大神の大歓喜が大いなる太陽と現れる。これは惑星の太陽かと思いますが、太陽と現れるとその周りに一つの太陽系なりが形成されるということになると素直に読んでます。太陽のある環境の下で神の分霊のような人間のようなものも作られるのなら、聖書の人間は土から作ったという記述にもそうかなとも思ったりします。


第十七巻 地震の巻 第六帖 (383)
霊人によっては太陽を太陽と感じない存在もいるようです。


第十七巻 地震の巻 第八帖 (385)
一つの太陽が二つとなり、三つとなり、更には一つとなることを理解しないとありますが、最後の審判に至れば体得するようです。
月より地球が生まれの部分は、地球が神のような存在に製造されたことを意味すると思いますし、地球より太陽が生まれるというのは個人的には、諸世紀曰くの太陽が輪廻転生を経て生まれるという風にも思ったりもします。MFさんの千成氏についてなるほどと思われた二つの太陽の件はこの記述からでしょうか?
三つとなるのは天のミロク(女王)の出現が実現すれば、一時的に三つになるでしょうし、ミロクが合体すれば一つの太陽(千成太陽)は存在理由もなくなる、二つは合体をしますので一つになるとも思いますがさて。
「内奥の神智にめざめることによってのみ知り得る。」とは人類がこれまで説明されて来なかったようなことには思います。


第十七巻 地震の巻 第十一帖 (388)
霊人の言葉は歓喜より発するが故に歓喜そのものであり、神の言葉でもあるが、その霊人のおかれている位置によって二つのものに大別し得る。歓喜の現われとしての愛に位置している霊人の言葉は、善的内容を多分に蔵している。故に、柔らかくして連続的であり、太陽の (ひかり)と (熱)とに譬えることができる。霊人の言葉は太陽の光と熱に譬えることが出来るようです。


第十七巻 地震の巻 第十三帖 (390)
曲線的な文字は太陽の霊人が使用しているとのことです。難しいです。その文字の形が作る力というのがあるようには思うのですが、地上人が感得できる究極の状態が、元をなす と と であったり、数字がそれなのかな?とは素直に読んでます。


第十七巻 地震の巻 第十四帖 (391)
霊界における太陽というものはいかなるものなのでしょう。大神の歓喜から生まれたのが太陽であるのなら、それはその世界の始まりの存在のようにも思いますし、諸世紀曰くの太陽という存在にも同じような印象はするのですが。


第十七巻 地震の巻 第十八帖 (395)
太陽は、太陰という存在によって永久に繁栄し、太陰は太陽によって生命し歓喜するとありますが、自分達にもわかりやすく理解をするところでは、太陽=ミロクと太陰=神サタンの関係でしょうか。
現在の地上人として行っている仕事も霊界の仕事も何かしらのつながりがあるようです。仕事によって何かを生み出すことも、大神の大歓喜によって太陽を生み出すことと似ているとは思います。


第十七巻 地震の巻 第十九帖 (396)
太陽も月もその内奥はいずれも大歓喜とのことです。理解をするというのは難しいです。青い鳥を探すような感じでしょうか。


第二十四巻 黄金の巻 第四十四帖 (555)
「言霊の、言高らかに、太陽(オオヒ)にとけな。」
太陽によって言葉は変換されてひふみの内容は解かれるようです。


第二十七巻 春の巻 第二帖 (659)
「太陽の光集めること知っているであらうが。神の理(ミチ)をよりよく、より高く集める理(ミチ)がマコトの信仰であるぞ。」
太陽の光=大神の大歓喜によって生まれた太陽からの歓喜だとすると、ひふみの言う真、善、美、愛のようなエッセンスを集めることが誠の信仰というものだと説明しているように思いました。


五十黙示録 第六巻 至恩の巻 第十六帖 (114)
太陽は十の星を従えるようで、大神の大歓喜というものが太陽を生み出しているとすれば、その太陽は十の星=神?を作り得るということにもなるのでしょうか。この宇宙を誠の光を照らすのが天照大神殿という存在なのならば、何か物質の構成要素が足りないことで、この世も行き詰っているのかなとも思います。天のミロクと地のミロクの合体はそれをカバーするようにも思うのですが。これらの存在の合体は霊界にも影響があるように思いますし、そこから現実界へ影響する働きの中にミロクのミロクたる所以の働きがあって、ここで言う物質が変わるのであるぞという何か意味合いが含まれているようにも思いました。


五十黙示録 第七巻 五葉の巻 第十二帖 (126)
新しき太陽とは、次の世を生み出すエッセンス、次の世へつながるエッセンスのようなものを新しき太陽は昇っているではないかという風に例えているようにも思いました。それらをうまく使いなさいということを言っているように思いました。


五十黙示録 補巻 紫金の巻 第二帖 (132)
大神の大歓喜によって生まれたのが太陽であるのなら、日々の人民の御用もその大歓喜によって生まれた太陽の歓喜の流れにあうようなものと一緒にすれば、足りないものは何一つなく、衣食住は全て舞い込んでくるというように読めます。

ひふみ神示目次