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第十七巻 地震の巻 第一帖 (378)
「われわれの一切は生れつつあ る。神も、宇宙も、森羅万象の悉くが、常に生れつつある。太陽は太陽として、太陰は太陰として、絶えず生れつづけている。」
太陽の対極にあるのが太陰だと読んでます。太陰もまた生まれ続けているようです。サタンもそうなのかなとも思うわけですが、なかなか初心者には難しいです。


第十七巻 地震の巻 第六帖 (383)
「各自の眼前に、それ相応な光があり、太陽があり、太陰があり、歓喜がある。それは、霊人たちが目でみるものではなく、額で見、額で感じ、受け入れるのであるが、その場合の額は、身体全体を集約した額である。地上人に於ても、その内的真実のものは額でのみ見得るものであって、目に見え、目にうつるものは、地上的約束下におかれ、映像された第二義的なものである。映像として真実であるが、第一義的真理ではない。故に、地上人の肉眼に映じたままのものが霊界に存在するのでない。内質に於ては同一であるが、現われ方や位置に於いては相違する。故に、霊界人が現実界を理解するに苦しみ、地上人は霊界を十分に感得し得ないのである。霊人の中では太陽を最も暗きものと感じて、太陽に背を向けて呼吸し、生長していると云う、地上人には理解するに困難なことが多い。要するに、これらの霊人は、反対のものを感じ、且つうけ入れて生活しているのであるが、其処にも、それ相当な歓喜があり、真実があり、生活がある。」
太陰は太陽を闇のように感得しているように読めます。ひふみでは額で感じるということを云っていますが、ここでも額で感じることを云っているみたいですね。それらを見るのも、映像としてみるのではなくその本質を見るという感じでしょうか。


第十七巻 地震の巻 第十四帖 (391)
「霊界に於ける事物は総て霊界における太陽と、太陰とによりて生れてくる。それは、地上に於ける場合と同じである。太陽と、太陰との交叉により生ずる歓喜によって、その生れたるものは更に一層の光輝を放ち、弥栄となる。」
太陽と太陰との交叉によって歓喜が生まれるようで、この辺りは、ひふみ曰くの合わないものと合わせて新しいものを見出すことと関連がありそうにも思います。


第十七巻 地震の巻 第十八帖 (395)
「霊界に住む霊人たちも、両性に区別することができる。陽人と、陰人とである。陽人は、陰人のために存在し、陰人は、陽人の為に存在する。太陽は、太陰によりて弥栄え、太陰は太陽によりて生命し歓喜するのである。この二者は、絶えず結ばれ、また絶えず反している。故に、二は一となり、三を生み出すのである。これを愛と信の結合、または結婚とも称えられている。三を生むとは、新しき生命を生み、且つ歓喜することである。」
太陽は相対する太陰によって永久に繁栄し、太陰は太陽によって生命し歓喜する。 信頼を得るときも、相手が合わない人でも基本的には信用できると納得した時だったりするので、結婚というのもそうかなあとも思ったりします。新しいものを見出し生むことがそこでの結婚の意味を成しているようにも思います。

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