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第四巻 天つ巻 第十六帖 (123)
ここでは、臣民が神の手伝いをして人民を助けなければいけないということを示しているように思います。


第五巻 地つ巻 第三帖 (140)
今は人民同士の戦では臣民は敵わないようですが、臣民が神がかりする時節には、人民は誠には勝てなくなるようです。


第五巻 地つ巻 第三十五帖 (172)
「番頭どの、下にゐる臣民どの、国々の守護神どの、外国の神々さま、人民どの、仏教徒もキリスト教徒もすべての徒もみな聞いて呉れよ、」
みなさんまずは借銭返しの時節のようです。


第六巻 日月の巻 第四帖 (177)
人民は、戦=都市攻撃で戦争をする意味がなくなったとしても中々揉め事が絶えないとも読んでます。人民のところを読みながら臣民のことも考察してしまいますが、臣民はその揉め事の仲介をするような形になるのかなとも思います。


第七巻 日の出の巻 第二十帖 (233)
神が上であることを理解していないといけないようです。人民も臣民に岩戸開きの示唆を受けたのならその身で苦労して人を助けることが必要なようです。


第八巻 磐戸の巻 第七帖 (243)
その時には改心しそこねた方々が乱立しての荒れ模様も想像しますので、何が恐いかとすればその時に現れ出てくる本性かなとも思います。その後の避難生活とも言うべきものが、少しでも平穏に行くようにしようとするならば、身魂を磨いて神がかりをし、その中でひふみの云う統制や配給を図っていくようにするとかしないと難しいように思います。


第八巻 磐戸の巻 第九帖 (245)
人民の智や学の行き詰まりを経験する前に人民には素直に言うことを聞いてほしいようです。


第十巻 水の巻 第十一帖 (285)
「神の一厘のしぐみわかりたら世界一列一平になるぞ。ますかけひいて、世界の臣民、人民 勇みに勇むぞ。」
神の一厘の仕組みが判ったら、臣民も人民も勇みに勇む時期が来るようです。


第十一巻 松の巻 第三帖 (294)
人民も掃除し残した心が獣に変化するようです。


第十一巻 松の巻 第四帖 (295)
人民自身は、地球劇場の殺されるエキストラ故に神の臣民の助けが要り、神の気概に合えば神がかりして助かる人民もあるようですが、そうでないと地の下になるようです。


第十一巻 松の巻 第七帖 (298)
「わからん人民 退いて邪魔せずに見物してござれよ。六月二十三日、アメのひつ九の 」
岩戸開きの時期では偉い人は全員神サタンの虜のようですが、岩戸が開くと誰が本当の神かははっきりするようです。その時期には、人民同士の揉め事もまだまだ絶えないようですが、その処世術がわからない人民は退いて見ていなさいと言っているように取ってます。


第十一巻 松の巻 第八帖 (299)
日本の人民に大和魂がどこにあると叱咤しているところがあるようです。 朝日が照るのは東からで、夕日は西へ普通なら沈むと思いますので、この場合は南北の宝のノアの大洪水でなく、都市攻撃や海底の底に潜む竜宮の乙姫艦に関する何かがあるようにも思います。太平洋にそれはあるのかなとも思ったりです。人民の改心、身魂磨きのリミットは、その時までなのかなとも思います。


第十一巻 松の巻 第十三帖 (304)
此処は世界の人民の精神をよくする所であるようです。ひふみの道場と云った所にも符合するようにも思います。餓鬼になっていると、オホカムツミノ神に臣民を救う盾とさせられて終わりそうですね。 改心をしなければする様にさせるようです。


第十一巻 松の巻 第十四帖 (305)
悪の大将も改心するチャンスみたいです。日本の臣民も人民も皆思いが違うようです。


第十一巻 松の巻 第十七帖 (308)
いつの時節か七月の十と二日には何か祀る何かがあるようです。我田引水を若干しますと、この日というのはサイトの袂別れが宣言された日であり、降りた日付はノストラダムスの命日と符合している日でもありますので、もしかしたら、これがきっかけとなって、ひふみの云う仏もキリストも何もかも救わねばならんの部分が本格的に歩みだした時期として振り返った時になっているのかなとも見ています。


第十一巻 松の巻 第十八帖 (309)
人民は地球劇場のエキストラ故に、神には勝てないと言うことが理解される時節があるようです。


第十一巻 松の巻 第二十八帖 (319)
いくら現在の最新鋭の何かをやろうとしても、保食の神を祀らずにやったところで難しいようです。改心して、神の意図に沿うように行動していないと得られるものはその時を境になさそうです。


第十二巻 夜明けの巻 第一帖 (321)
内容は臣民に神が言っている内容に読めてしまいますが、神と人が寄り合える状況を早く改心してつくりなさいとも読めます。


第十二巻 夜明けの巻 第二帖 (322)
いざとなれば土も草も木も何でも人民の食物になるようです。保食の神を祀るとこの辺りの処世術がわかってくるのかなと思います。人民は知らず知らずに宗教の乱立や岩戸閉めのために罪を犯していたようですので、お詫びすることが必要なようです。臣民、人民がしなければいけないことは、皆の者を喜ばせることだそうです。その時に向かう時節は過酷な状況になっていくようですが、その中で人に喜びを与える行為は大変によいことのようです。


第十二巻 夜明けの巻 第三帖 (323)
人民の邪気が異常気象を出すこともあるようです。盛んに散布しているようなウイルスもわけのわからない虫みたいなものだと思います。


第十二巻 夜明けの巻 第四帖 (324)
岩戸開きも後半に差し掛かる頃には、ひふみのいうところの神徳が積んでおかないと八分は獣人民として、共食いしたりすることもあるようです。


第十二巻 夜明けの巻 第八帖 (328)
日々の動向如何で獣の人民にならずにすむのでしょうし、出来なければ必然的に獣になるのかなと思います。


第十二巻 夜明けの巻 第十一帖 (331)
人民の力ばかりでは成就しないとのことです。みづ逆さにもどるとありますが、これはノアの大洪水のよる地形の変化を差していると思います。神示=ひふみを一二三として解いたものを無視して、智や学でやろうとしてもそれは神を上にせず、人民が上に乗っての行為になるからうまく行かないようです。慢心=知らずに行う罪の上乗せになるのかな?とも思いました。


第十二巻 夜明けの巻 第十三帖 (333)
「世界の人民 皆よろこぶ世が来る様 祈りて呉れよ、てんし様まつれよ。みことに服(まつ)ろへよ。このこと出来れば他に何も判らんでも、峠越せるぞ。御民いのち捨てて生命に生きよ。」
てんし様をまつり、みことに服ろうことが出来ると、他に何も判らなくても峠が越せると云うやり方があるようです。一本筋が通った神の道の通り方があるように思います。服ろうというのは、ひふみの云う改心と身魂の掃除洗濯のプロセスによる自分の守護霊や守護神などを表現する八枚十枚の衣の変化のことかと思います。


第十三巻 雨の巻 第一帖 (335)
「此の度の岩戸開きは人民使ふて人民助けるなり、人民は神のいれものとなって働くなり、それが御用であるぞ、いつでも神かかれる様に、いつも神かかっていられるようでなくてはならんのざぞ。神の仕組 愈々となったぞ。」
岩戸開きの人民の主な御用のようです。


第十三巻 雨の巻 第二帖 (336)
「天の大神様は慈悲深くて何んな偉い臣民にも底知れぬし、地の大神様は力ありすぎて、人民には手におへん見当取れん、そこで神々様を此の世から追い出して悪神の云ふこと聞く人民許りとなりてゐたのであるぞ。」
人間には理解できないことを制御しようとしたばっかりに。都合のよい悪神の云うことを聞くようになったのかなと取っています。


第十三巻 雨の巻 第四帖 (338)
「頭で判っても肚で判らねば、発根(ほっこん)の改心出来ねば、まだまだ辛い目に会ふのざぞ、人民 自分で首くくる様なことになるのざぞ、判りたであろ。」
改心と言うのは、経験や体験があって出来ることなのだろうと思います。わかるまで辛い目にあうともあるように思います。


第十三巻 雨の巻 第五帖 (339)
それが改心だったり、人民自身が他の人民を助けると云う、課題が課されているようです。


第十三巻 雨の巻 第六帖 (340)
様子見だけでは人民も役には立たないようです。何かしら改心なりのアクションを起こさない限り、何も変わらないようです。人民の鼻高が折れないことには神も承知しないとなれば、基本的には救い出すことのように思います。
「あら楽し、黒雲一つ払ひけり、次の一つも払ふ日近し。」
この内容気になるところですが、袂別れのこともあるのかどうか。


第十三巻 雨の巻 第七帖 (341)
人民の改心の程度を待っている状態もあるようです。臣民が神の心が判れば、助ける御用に入り、その過程の中で人民が気付き改心していくプロセスは必要との事かと思います。シナリオ的には人民が動き出すプロセスを見ない内には都市攻撃はないのかなとも思います。もしもあるとすれば時間切れのときかなとも思いました。


第十三巻 雨の巻 第九帖 (343)
人民は、武力とエネルギーと産み作り出す物の使い道なり導き方が判らないために悪に落ち込むとの事です。人民の心次第で人民自身の未来も変わるようにも思います。


第十三巻 雨の巻 第十帖 (344)
今、実地されると臣民も助ける御用にかかれずに助かることも少ないようです。臣民が出来ることは、神の心が判れば助ける御用の布石を展開して、その時が来て人民が理解をしたなら、その人民を改心させる手助けを展開するのかなと思いました。助かる臣民が少ないともあるのは、悪に飲み込まれてしまうこともあるからということのようにも思います。そういう意味ではうやはり戦争なのかなとも思います。


第十三巻 雨の巻 第十一帖 (345)
苦労しない人民には神は相手しないみたいです。ミロクが心の中にいけておいた花火は、心の中を神で満たした際にバーンと火山の噴火のようにあふれ出すようなものなのかなとも思います。それは一旦出れば永遠にしぼまないような誠の花のように例えられるようなものなのかなと思いました。伊達に誠ではないということのように思います。


第十三巻 雨の巻 第十二帖 (346)」
自分達で出来るならやってみて理解しなさいということも云っているようです。


第十三巻 雨の巻 第十三帖 (347)
人民と動物が行うことの中に、ウタを唄うことがあるようです。終わりの御用の始めはウタのようです。語り継ぐため、伝えるためにはウタが必要とも言っているのか。動物がウタを唄ったらびっくりしますので、この場合は、状況の変化などを訴える姿のようにも思います。例えば太平洋で見られるオットセイが日本海に流れ着いてしまう姿などなどかなと思います。臣民がウタう訳ではなさそう。臣民の主導があってそうなるのか、その時節が現れたら、江戸の御用=インターネット網に広報の窓口を構築することなど)、終わりの御用(終末の検証?改心を誘うこと?)、カイの御用(現実的な食料品などの備蓄、保存食などの研究開発、身魂の栄養としての食物の認識を提供?)なども展開をしなければならないようです。


第十三巻 雨の巻 第十四帖 (348)
人民もあまり判らないだけでは通らない時節があるようです。


第十三巻 雨の巻 第十六帖 (350)
ミロクは人民の中にいるとのことです。
臣民の人間の魂でなく人民の魂にミロクの魂を混入した存在=それがミロクとすると、ひふみの記述的には、尊い所を一番下に落としてあると言う記述と、ひふみでのMFさんの臣民、人民、獣の区分けの内容とも一致するように思う内容でした。


第十三巻 雨の巻 第十七帖 (351)
神の息吹を頂いて臣民人民は命の糧を得るようです。


第十四巻 風の巻 第一帖 (352)
岩戸を開くには、一つは善と悪が引っ繰り返っている世の中の真相を理解すると言うことも大きいように思います。起こると予言されていても、悪いことはそうならないように少しでも良くするような結果を出すために奔走することも必要に思います。


第十四巻 風の巻 第五帖 (356)
臣民は人民への読ませ方にも工夫がいるようです。


第十四巻 風の巻 第六帖 (357)
人民はマコトを甘く見ているのが現状なのかも。


第十四巻 風の巻 第七帖 (358)
臣民人民は神示を始めからよく読み直すことが必要なようです。


第十四巻 風の巻 第八帖 (359)
人民の認識が改まって少しは用意が出来ないと建て替えも遅くなるようです。


第十四巻 風の巻 第九帖 (360)
人民の物は何一つないようです。人民は神に仕えなければ神のまことの力は出ないようです。


第十四巻 風の巻 第十帖 (361)
人民も磨ければ神が同じ列に並んでくれて仕事をしてくれるようですが、そう出来ない場合は改心も難しいので一旦肉体の死をもって魂を取り出し救う方向に切り替えるしかないものもいるようです。


第十四巻 風の巻 第十一帖 (362)
共食いの注意のようです。


第十四巻 風の巻 第十二帖 (363)
2008年年明け早々の株価の下落など、日本の人民から搾り取っている状況もいろいろ見えてきます。肉体のあるうちの改心が一番楽のようです。


第十五巻 岩の巻 第一帖 (366)
人民も悪の守護から解放されると、いろんなものをかぐにも誤りがなくなるのかと取っています。


第十五巻 岩の巻 第二帖 (367)
良い御用をする臣民人民の特徴のようです。


第十五巻 岩の巻 第五帖 (370)
心に誠一杯につめて空っぽにして誠の道を進むことが人民には必要なようです。


第十五巻 岩の巻 第六帖 (371)
尊になる勧めのようです。


第十五巻 岩の巻 第七帖 (372)
借銭返しを損な事と思う人民は来なくていいようです。他の帖と合わせるとそのような方は実地で身を持ってわかってもらうようです。


第十五巻 岩の巻 第八帖 (373)
身魂を磨いてミロクのことをよく理解できるなら勇むことが出来る永久に繁栄する道は記してあるようです。


第十五巻 岩の巻 第九帖 (374)
身魂をこの時節では磨くことが肝要のようです。


第十五巻 岩の巻 第十帖 (375)
人民も竜宮の乙姫殿によって大きく改心するきっかけがあるようですが、人民も何か「型」をしなくてはいけないようです。


第十八巻 光の巻 第三帖 (399)
与え続けると人民はあぶり出しのように元の姿を取り戻せるようです。


第十八巻 光の巻 第五帖 (401)
世の中も病んでいることも手伝って、人民にもその病が飛び火させてしまうような計画があるようですので注意を促しているようです。ウイルスの散布、欝的な状況、親が子を殺す、子が親を殺す、連鎖殺人などなどに惑わされそれらが世界の真実のように進まないで自分を育てたお地にまつろうと、何をすべきか原点がわかってくるのかもとも思います。


第十八巻 光の巻 第六帖 (402)
ここで云う型とは善と悪をまぜこぜにして、善も悪もそれなりに救うということを身の丈で縁のあるものが実践しなさいと言っているように思います。


第十八巻 光の巻 第八帖 (404)
人民はいくつにも神を分けて拝んでいるようです。 ひふみ自体はこのサイトで解読を正式に始めて今年の6月で4年目に入ろうとしてますので、後五ヶ月程で何かあるとすると気になるところです。


第十九巻 マツリの巻 第一帖 (405)
周りを見渡せば、自然が訴えることがたくさんあるようです。その中で我良しも過ぎると気の毒になるようです。


第十九巻 マツリの巻 第三帖 (407)
この帖は誓いの内容のようです。


第十九巻 マツリの巻 第五帖 (409)
時期が至れば、今の守護神にも相応の苦しみが来るようです。でも、それはそれとして人民は戦争の主な原因であった宗教観の相違からの戦争から脱却して、お互いの神を抱き参らせるという作業をしなければならないようです。


第十九巻 マツリの巻 第七帖 (411)
お金の力によって栄華を誇ってきた方々にはどうすることも出来ない時節が近づいているようです。


第十九巻 マツリの巻 第八帖 (412)
天明さんのいた時代のことのように取ってます。第二次大戦中から大戦後のその時期で模擬テストのようなものがあったのかなとも思いました。


第十九巻 マツリの巻 第十帖 (414)
厳しい現在の現実の姿なのかなと思います。


第十九巻 マツリの巻 第十二帖 (416)
人民に岩戸開きに関することを判りかけてもらわないと物事が遅れるようです。


第十九巻 マツリの巻 第十四帖 (418)
人民には一人ずつに守護神がつけてあるようです。ボタン一つでキーボードのキー一つで世界が岩戸開きの方向へ動くものでもあるようです。


第十九巻 マツリの巻 第十六帖 (420)
改心、洗濯を進めなければ因縁が深くても御用が出来ないこともあるようです。


第十九巻 マツリの巻 第二十一帖 (425)
もともと99パーセント以上の関心のなさそうな人民の方々に知らせることでしょうから、難しい作業のようです。 賢明な人民の方もいると思いますので、その方々に期待したいところです。(人民のところは自分もそんな感じかなとも思うところがあるので、読めば読むほど広めることの難しさなどを思います)


第二十巻 梅の巻 第一帖 (428)
改心して敵方が訪ねてくる時節が早く来ると、わざわざ無駄に落とさずに済む命もあるように思う内容です。
あんまり遅いと人民は丸つぶれで全滅しそうなので、現在持っている力をミロクに貸してあげることは大変に有効な使い方を実現してくれるかなとも思います。


第二十巻 梅の巻 第二帖 (429)
神の使う交代要員はいくらでもいるようです。


第二十巻 梅の巻 第三帖 (430)
拝みあうだけの集団を作らなければならないようです。


第二十巻 梅の巻 第四帖 (431)
今の現状はすべて神からの預かり物で何かをすべき、理解すべきだから在る物として考えれば出来ることもたくさんあるように思います。


第二十巻 梅の巻 第六帖 (433)
実際に事が起きて気付いてからでは遅いようで、改心が遅れた方はその地の守護神にお願いして助けて貰ってくださいというようにも読めます。


第二十巻 梅の巻 第七帖 (434)
四十七と四十八の上位の存在である臣民が3人の人民に神がかりしていろいろとするようです。
これは、、、なんてことも思いますが、平常心で経過を見るしかないなと考えてます。


第二十巻 梅の巻 第八帖 (435)
この時節は気になるところですが、2008年年明け早々から、株価をいじくりだした方々がいるようですし、鳩山議員も40億円の損失を出しているとの事で、今年は少し経過的には注目しています。


第二十巻 梅の巻 第九帖 (436)
先ず七人の人民には知らせることは済んでるのでしょうか。


第二十巻 梅の巻 第十帖 (437)
縁がある人民は皆親兄弟ということで、時が至れば説きだすというタイミングの良さも必要なようです。神の臣民とは、上位の天使のことを指すように思います。ミロクからもアドバイスが出ているようにも思ったりします。


第二十巻 梅の巻 第十二帖 (439)
人民は立場を理解して出直しがいるようです。無理に神の臣民や臣民と張り合うと危なそうです。


第二十巻 梅の巻 第十三帖 (440)
この手の話に飛びつける人は経験上、人生によほど厳しいことを経験しないと理解できない部分があるようですので、聞かない人に聞かせるよりは聞く方に聞かせた方が良いと思います。


第二十巻 梅の巻 第十四帖 (441)
菜食の勧めのような内容があったり、人民は泥海の中に住んでるという内容です。


第二十巻 梅の巻 第十五帖 (442)
人民にも黄金ミロクの血統と白銀女王の血統があるらしく、それを交ぜることを良い事のように仕組んだのはサタンとの事です。交わるということは交配のこととも思いますが、今の人間には黄金の血統なのか、白銀の血統なのか自分のことがわからないのが難点です。


第二十巻 梅の巻 第十六帖 (443)
霊界の奥の奥の奥のことを突き詰めていくためには神にまつり合わせながらやるしかなさそうです。まつり合わせていけば、必要なものがあれば神も共同作業の中見つけることもあるように思ったりします。


第二十巻 梅の巻 第十七帖 (444)
人民は今のうちにちゃんとしておきなさいという忠告のようです。


第二十巻 梅の巻 第十九帖 (446)
ひふみの四十九人の臣民の中の天明は神示を書かせる役だそうです。人民の身魂も節分の時節までに祀り替えないと大変そうです。


第二十巻 梅の巻 第二十帖 (447)
人間が神の上に立っている状況をあきれているようです。


第二十巻 梅の巻 第二十一帖 (448)
生来からの出来ること=神からの預かり物であり、それを生かすことと、途中からの教えなどは一旦破棄して、無心になりなさいというような印象の内容です。


第二十巻 梅の巻 第二十二帖 (449)
誠がないとミロクには近づくことも出来なくなるようです。


第二十巻 梅の巻 第二十三帖 (450)

平成19年前後は昨年でしたが、そんなに遠い未来でもないようです。


第二十巻 梅の巻 第二十四帖 (451)
人民も頑張るとすごいことになるみたいです。


第二十一巻 空の巻 第九帖 (464)
ミロクが配置した神の人民がお手柄をすることで動き出すみたいです。


第二十一巻 空の巻 第十一帖 (466)
因縁の身魂が人民では知らない結構をいたすようです。神示の読み聞かせ方があるようです。


第二十一巻 空の巻 第十二帖 (467)
人民に対する注意でもあるようです。


第二十二巻 青葉の巻 第一帖 (470)
よくわからないので、紹介だけにします。


第二十二巻 青葉の巻 第三帖 (472)
ひかり教の教旨のようです。


第二十二巻 青葉の巻 第九帖 (478)
無欲はいいみたいです。


第二十二巻 青葉の巻 第十帖 (479)
岩戸開きは人類の水準では理解できないことが多いみたいです。


第二十二巻 青葉の巻 第十二帖 (481)
素直に現状を見つめ、善も悪もそれなりに御用と認識できれば腹の立つことも少なくなるように思います。人民への対応も含めてうまくやんなきゃいけないようです。


第二十二巻 青葉の巻 第十三帖 (482)
七人伝えるという部分では、現在の袂別れをしてからの活動の人数も変に一致を見ますので、様子を見たいと思います。もしもそうであるのなら、もうしくじることは出来ないということで、そんなに残された時間はなさそうにも読めそうです。代え身魂、代わりの集団はいくらでもあるようなので、神を上に立てて出来ることを行うことは淡々と進めるといいのかなと思います。


第二十二巻 青葉の巻 第十五帖 (484)
人民だけでは岩戸は開かないことを早く理解しなければいけないようです。


第二十二巻 青葉の巻 第十六帖 (485)
人民の対応次第で人民の未来も変わってくるようです。


第二十二巻 青葉の巻 第十八帖 (487)
聞いて聞かすだけではキリが無いので実地で世界中の人民には理解をしてもらうようです。わかる人が少しでもいるならば、伝える努力をすべきな様です。


第二十二巻 青葉の巻 第十九帖 (488)
岩戸開きに備えて贅沢を控えて、質素に生活することも覚える時期に来ているようです。


第二十二巻 青葉の巻 第二十帖 (489)
人民は早合点しやすいようです。読んでる自分自身否定は出来ないです。結果が悪いとシビアなことになるようですので、注意はしたいと思います。


第二十二巻 青葉の巻 第二十二帖 (491)
アラカルト順に一つ一つの語句を追跡して理解して行くことが、ひふみの一番理解できるやり方なのかなと思います。


第二十三巻 海の巻 第四帖 (496)
一つずつ落ち着いて理解をしながら焦らずに、進むことが大事そう。考えすぎも良くないとは他の帖でもありましたので、苦でも要らない苦もあるようなので、無理せず行ければいいのかなと思います。


第二十三巻 海の巻 第五帖 (497)
悪魔の教えというものに人民が気付いたのであれば、誠の道を進むべく、次にどうしたらよいかの答えも出していかなくてはいけないとも読んでいます。


第二十三巻 海の巻 第七帖 (499)
悪を無くすことではなく抱き参らせる事を理解して、神と共同作業をする心意気が大事なようです。心の建て直しがまずありきなようです。


第二十三巻 海の巻 第八帖 (500)
ここでの神様はとても自信があるのか、言い切っています。人民もそのようになれば納得はするのかなと思います。


第二十三巻 海の巻 第九帖 (501)
人民にもう少し理解できる人がいないことには、事態は大変になりそうです。役員は知らせる工夫、臣民(月人など)は助ける、導く工夫ってところでしょうか。


第二十三巻 海の巻 第十帖 (502)
この方ミロクはキリスト教の国では、オーメンにかぶせたり、反キリストなどの存在としていろいろと不吉な存在として扱われ、映画にもなってたり、黙示録にも書かれています。ミロクでも改心をしたということですので、人民も改心はするべきなようです。


第二十三巻 海の巻 第十一帖 (503)
神がかりをして人民をたぶらかすことは頻繁なようですが、それも長くは続かないようです。2008年1月現在、霊視を売りにしていた方が霊視をしましたが霊視をした相手は現在存命中で、週刊誌などやインターネット上で嘘がバレています。もう一人の方も3月には番組を降板するようで、ひふみの云う誠の神が作用しだすと、そんなインチキはもう通用しないようです。国がらみでも、自称神がかりのような人物がいるのでしょうか、気になるところです。


第二十三巻 海の巻 第十二帖 (504)
人民はその時にはパラパラとちりじりになるようで、その時に備えて、焦らず理解すべきことを淡々と進めるべきな様です。


第二十三巻 海の巻 第十四帖 (506)
神を下に見ている限り、時の神様はお許しにならないようです。作業自体も、自分は臣民だと思いつつ進めていましたが、どうも違うようだと最近考えています。臣民とは、臣民クラスの神が人間を宮につかいつつ、神がかりをして神の意図を理解してその意図通りに動けて初めて臣民と言えるのではなかろうかと思ったりしています。


第二十三巻 海の巻 第十五帖 (507)
シナリオが隠されていることを云っていたり、一厘が隠されていることを云っているようです。


第二十三巻 海の巻 第十六帖 (508)
人民も様子見している方々がいっぱいいるのでしょうか。


第二十三巻 海の巻 第十八帖 (510)
我を捨ててこの方ミロクについて行くのがよさそうです。


第二十四巻 黄金の巻 第一帖 (512)
黄金の巻からは臣民の記述はほとんどなく人民の記載が多くなります。臣民クラスの神のような存在が人間を宮として使い神がかりをするためのアドバイスとも云えるのかなと思います。


第二十四巻 黄金の巻 第二帖 (513)
二分の人民だけでも結構に生きて下さいと残る推定の数まで示されていて大変です。


第二十四巻 黄金の巻 第十帖 (521)
岩戸が開くと嘘はバレちゃうみたいです。


第二十四巻 黄金の巻 第十二帖 (523)
神は人民が神示を読むように気を引くようです。この内容は、他の帖でも取り合いになると予言されていた内容と関連していると思います。アとヤとワから出ると偉い人も読むというような内容があったと思います。ミロクからであるということと、都市攻撃関連のことであるということと、ノアの大洪水関連だと読むということにもなるのかな?いつそれが二分の人民に伝わっていくかが気になるところです。


第二十四巻 黄金の巻 第十三帖 (524)
二分の人民に伝わるには七年はかかるとすると、現在5年目ですのでもしかしたらあと2年くらいで気付けるならいいですね。二つや三つに分かれようが最終的には事実で持って理解されるでしょうから、納得するまでに改心や身魂の洗濯がある程度のところまで行ければいいかなと思います。


第二十四巻 黄金の巻 第十六帖 (527)
調子いいのは通用しなくなるようですね。


第二十四巻 黄金の巻 第二十三帖 (534)
人民には一人ずつ守りの神がつけてあるということは改心次第で助かることも十分にあるようですが、人に説くには人がいるようです。人がいることと、悪が一厘を発動してしまうことと何か関係があるのかなともおもったりします。


第二十四巻 黄金の巻 第二十四帖 (535)
知らされる人には知らされるようです。


第二十四巻 黄金の巻 第二十五帖 (536)
我を出さずにいるということの難しさをどう克服して行くのでしょう。ともあれまずは改心を進めることが肝要なようです。


第二十四巻 黄金の巻 第二十八帖 (539)
岩戸開きが完成するという三年+三年+三年の九年間で人民がどこまで改心できるかということは人民の問題点なだけのようです。


第二十四巻 黄金の巻 第二十九帖 (540)
ここは種つくるところ、種は人民でつくれんぞ。 ここは、次の世の種を作るところでもあるのかなとも思います。


第二十四巻 黄金の巻 第三十一帖 (542)
月に一度研究課題や研究材料を提示して考察するだけでも違うのかなと思います。何やらここでの取り決めに近いものがありますが、様子を見ます。


第二十四巻 黄金の巻 第三十二帖 (543)
ここで云う罵られると言うことは、地球という環境だからそうなるとも思いますが、この場合はめぐりを落としてくれるという事を含んで喜びになるのかなとも思ったりします。


第二十四巻 黄金の巻 第三十四帖 (545)
まずはひふみの云う神を愛すと結果的に愛された家族も救うことになるのかなと期待が持てる内容でもあります。


第二十四巻 黄金の巻 第三十五帖 (546)
必要なものと言うのは本人がそれを強く意識した時に与えられていることに気付くのかなと思います。


第二十四巻 黄金の巻 第三十八帖 (549)
心のあり方次第で皆が救われるそうです。幽界から映る物は浄化しなくてはならないようなこともひふみにはあったように思います。抱き参らせ方をどのようにすべきかは学習しなければならないのかなと思います。


第二十四巻 黄金の巻 第三十九帖 (550)
二人ですることは、神がかりした存在と二人でという意味にも思ったりしますし、天狗の鼻が見事に咲いてるという内容からすると、二人で管理しながら作業するのも、天狗がなくなることにはつながるのかなとも思ったりです。


第二十四巻 黄金の巻 第四十帖 (551)
与えられたものは神からの預かり物と思えとあったと思いますが、ここでは一切は自分のものと申してあろうと若干温度差を感じたりです。


第二十四巻 黄金の巻 第四十一帖 (552)
そういうことのようです。


第二十四巻 黄金の巻 第四十三帖 (554)
本来は自然にわかることでも、宗教として戒律のようなものを定めてこうしなければならないみたいになるとそれは、神を冒涜していることになるのかなと思ったりです。


第二十四巻 黄金の巻 第五十帖 (561)
悪は御用としての悪はあったとしても悪の自由はしてはならないようです。


第二十四巻 黄金の巻 第五十三帖 (564)
行き詰りの際には振り返り、神との相談とのこと、神示を読むことは神との相談になるようです。


第二十四巻 黄金の巻 第五十五帖 (566)
人民も本来は結構な身魂なようですが、岩戸開きの際、新しい世に出ずして亡くなる身魂も多いということもあるのかなと死産の子も祀らなくてはならんというところを見て少し考えるところです。


第二十四巻 黄金の巻 第五十九帖 (570)
遅し早しの問題は自分の都合で考えるから言い出してしまうのかなと思いますが、「金で世を治めて、金で潰して、地固めして みろくの世と致すのぢゃ。」を大きいスパンで見れば、その前兆は見えてきているように思います。


第二十四巻 黄金の巻 第六十三帖 (574)
議論だけでは難しいようです。


第二十四巻 黄金の巻 第六十四帖 (575)
神の臣民(月人や天使クラス)の存在も我を出さずに人民を導くことを行わなければならないところが大変でしょうか。臣民が人民にアクションをし、人民が気付いて何らかのことをしてようやく前進ということかと思いますが、むりに焦らないことが肝要なようです。


第二十四巻 黄金の巻 第七十二帖 (583)
世界の人民の改心は岩戸開きの基本のようです。


第二十四巻 黄金の巻 第七十四帖 (585)
人間の念に感応する神の力を連動させることが人民の御用でもあるのかなと思います。それらが二分三分出来るといよいよにかかると云っているようです。


第二十四巻 黄金の巻 第八十三帖 (594)
気付いた人民が救いの舟として、生活のいろんな視点から場所から発信することが重要なところのように思います。


第二十四巻 黄金の巻 第八十四帖 (595)
人民の曇りように神はすでに堪忍袋の尾は切れているようです。残された日々を改心してその日を迎えるかどうかはどの世界の人民もその自由を持っていると解釈しています。


第二十四巻 黄金の巻 第八十八帖 (599)
人民にはそれぞれ役目があり、体の部位に例えたいろんな働きがあるようです。時と場合によって同じ部位でも働きが違うとも読んでいます。 世界丸つぶれのたくらみとは支配層の現在の政策をいっているのかと思います。


第二十五巻 白銀の巻 第一帖 (612)
人民では理解できる範囲が狭そうです。


第二十六巻 黒鉄の巻 第二十三帖 (641)
ノアの大洪水伝説もその一つかと思います。竹取物語や桃太郎もそのような話の一つのように思います。


第二十六巻 黒鉄の巻 第三十帖 (648)
改心の難しさを云っているようです。


第二十六巻 黒鉄の巻 第三十四帖 (652)
欲の聖化というのが人の為す事として大事なことのようです。


第二十六巻 黒鉄の巻 第三十五帖 (653)
まずは根本の気が神の息吹と合わされば物・者が至るとも考えてみました。現在解決できないことも、人の手伝いをしている内にひらめくことは良くあることなので、そんなことに似ていることを云っているのかなとも思いました。


第二十七巻 春の巻 第四帖 (661)
「今の人民の喜びと申すのは裏の喜びであるぞ。悲しみを喜びととり違へているぞ。この巻、春の巻。こまかに説いて判り易く説いてきかすぞ。分ければそれだけ小さくなるなれど。」
人民は喜びを取り違いしているようです。食物なども肉食などは霊の世界では歓喜とは程遠いとも言いますのでそれに準じたことがたくさんあるのかなと思います。


第二十七巻 春の巻 第五帖 (662)
この道を進むには喜びというものを理解することで進めるのかなとも思います。裏の喜びというのは、善に対する悪とか憎、などなどの逆の感情でしょうか。自身に向けられるそのような感情がもしもあるのなら、そのかわし方対応の仕方なども心得るとそれも悪い食べ物の頂き方となるのかなとも思いました。


第二十七巻 春の巻 第七帖 (664)
九分九厘が死んでいる人民とすれば、その一割、二割でも救えたら大変なことかも。


第二十七巻 春の巻 第八帖 (665)
誉めることは大事なようです。


第二十七巻 春の巻 第九帖 (666)
反省はとっても大事な機能のようです。


第二十七巻 春の巻 第十帖 (667)
「着物ぬいで裸体となること つらいであろうなれど、ぬがねば新しい着物きられんぞ。裸になってブツカレよ。神様も裸になって そなたを抱いて下さるぞよ。」
山開きによって認識を新たにする際の人民の躊躇する雰囲気が理解できそうです。なかなかそうなれないというような印象です。行き詰まりはありがたいとのことです。


第二十七巻 春の巻 第十二帖 (669)
悪い癖は直す価値のある物のようです。

第二十七巻 春の巻 第十六帖 (673)
神任せが出来るのが良い人民とのことです。

第二十七巻 春の巻 第十七帖 (674)
今の世には使える道具がたくさんあるようです。希望を持てばいくらでもその道具は使えるとのことかと思います。

第二十七巻 春の巻 第二十帖 (677)
宗教などの世界観からの脱却を求めているように思えます。

第二十七巻 春の巻 第二十一帖 (678)
理解できるところから神の姿をつかむのがよいようです。
神様には何を隠しても無駄なようで心服しなさいと云っているようです。


第二十七巻 春の巻 第二十四帖 (681)
人民は神の道具という認識がいるようです。人類の、一家のそれぞれのめぐりを背負うものがいてこそ人類が岩戸開きで救われる、滅亡を免れるとも読めます。


第二十七巻 春の巻 第二十五帖 (682)
筆を書くいきさつ、筆を書かせる意図などに思いが中々至らないと云っているようにも思いました。男女の道の修正も、今の人民に課された課題なのかも。


第二十七巻 春の巻 第三十四帖 (691)
生きている今の人生を受け入れることって大事でそこに感謝をし、天地の恩に報じることが使命のようです。


第二十七巻 春の巻 第三十六帖 (693)
「今の人民には何事も平面的に説かねば判らんし、平面的では立体のこと、次元の違ふことは判らんし、ハラでさとりて下されよと申してあろう。」
人民に説明する際には平面的に理解できるように工夫して行う必要があるようですが、その先は受け取った各々の成長にゆだねるしかないようにも思います。先ずは何事にも感謝、ありがたいことと思うことが大事なようです。


第二十七巻 春の巻 第三十七帖 (694)
立体的な営みを理解するべきなようです。

第二十七巻 春の巻 第三十九帖 (696)
善の外道、悪の外道というものがあるようで、中を行くのが望ましいようです。


第二十七巻 春の巻 第四十一帖 (698)
次元が違う存在の歩むべく道を一緒くたにしたのが悪の教えのようです。違う世界から現実界への映しについても述べられているようです。


第二十七巻 春の巻 第四十二帖 (699)
ひふみの云う臣民人民は改心したならば、永久に繁栄する進化のための戦をするべきなようです。


第二十七巻 春の巻 第四十三帖 (700)
臣民人民が改心し、身魂を磨く工程で神人として融けあう事になると、新しい武器に目覚めることが出来るのかもとも思います。神が生かすと決めれば生きるし、殺されないというものがひふみの云うようにあるのならばそこに到達することが一番大事で外道の武器などよせつけなくなる方法なのかと思います。念が新しい武器とある帖もあるようですが、まずはそうなりたいという意思からのスタートが大事なようにも思います。


第二十七巻 春の巻 第四十五帖 (702)
「天のこと地にうつすときは、地の力出るように、地の息吹き通ふように、弥栄するように、念を地の力と現はれるように、正しくうつして下されよ。邪気入ってはならん。」
真理を具現化するときのポイントでしょうか。人民も助かる人は神がかって助かるようです。


第二十七巻 春の巻 第四十七帖 (704)
身魂を磨く過程で得られるものかと思います。


第二十七巻 春の巻 第四十八帖 (705)
念というのは神の意図に合わせるような生き方が出来た時に、自然に口と心と行の一体化した姿で出すようなものかと取っています。


第二十七巻 春の巻 第四十九帖 (706)
このほうの道へ来て借銭返しをし、正しき光の道によると、見違えるようになるとのことです。


第二十七巻 春の巻 第五十一帖 (708)
ひふみには、身魂を三段に分けてなどなどいろいろと説明されていることもあります。肌で理解すると、うれし恐ろしくなるというのも何となく想像できそうにも思います。


第二十七巻 春の巻 第五十三帖 (710)
着実に一歩一歩身の丈で進むことが大事なようです。


第二十七巻 春の巻 第五十五帖 (712)
遅れているのを取り戻す時節があるようです。日常の経験で真理を理解させることが増える=読ませている暇もなくなるということなのか、他の帖の悪魔に邪魔されて読む暇もなくなるのかだと思いますが、そうなる前に読んでおくのが肝要なのかなと思います。十二年遅れての部分は諸世紀の予言として解読されたものを合わせるとすると、ぴったりはまるとも云えそうな印象です。


第二十七巻 春の巻 第五十七帖 (714)
いくらでも代わりがいる人民の身魂のようです。やれることを進むしかなさそう。


第二十七巻 春の巻 第五十九帖 (716)
一歩一歩を大切にですね。


第二十八巻 夏の巻 第六帖 (723)
霊的な内容を理解するというのが大変に難しいのが現代社会でしょうか。


第二十八巻 夏の巻 第七帖 (724)
生みの親と同じ生き方、同じ心になるには人間を作った親というものを理解できるといいかと思いますが、簡単そうでまだまだわかりません。


第二十八巻 夏の巻 第十二帖 (729)
判らないときは素直にたづねるのがよいようです。


第二十八巻 夏の巻 第十三帖 (730)
有と無が組み合い動くことがあるようですが、相反する性質が新しいものを生み出すこともあるようにも思います。人民の智では中々解けないようです。


第二十八巻 夏の巻 第十六帖 (733)
同じ方向を見ていれば、そのやり方には人民には人民の自由があるようです。でも、道の歩み方は中行く道という頭の中で接合して理解できるまではまだまだ時間がかかりそう。


第二十八巻 夏の巻 第二十帖 (737)
人民の智の中に現われてくるときは、もはや大神ではないぞ。神であるぞ。原因の原因は中々見当とれん。
人民が受け入れられるキャパに関係があるように思います。


第二十九巻 秋の巻 第一帖 (742)
これからの時節は強情な人民でも往生いたすもののようです。抱き参らすを心得ることは不動の天国を自分にもたらすことのようです。


第二十九巻 秋の巻 第二帖 (743)
神の歓喜が魂として肉体の中に埋め込められているようですが神の中に人民を息させているようです。神は外にも中にも存在する感じです。


第二十九巻 秋の巻 第四帖 (745)
人民の都合で作られたのが今の道徳、倫理、法律のようです。今ある状態から、一足飛びにせずに一段ずつ上がっていかなくては行けないようです。


第二十九巻 秋の巻 第十三帖 (754)
地震の巻の理解がいるところのようです。真逆に表れることもあるようですので、善は悪を抱き参らせることが大事なようです。


第二十九巻 秋の巻 第十七帖 (758)
神示も5年経っても中々難しい内容です。


第二十九巻 秋の巻 第十八帖 (759)
部屋の掃除みたいなものですね。いらないものは捨てるのがいいようです。


第二十九巻 秋の巻 第二十三帖 (764)
人民の取り違いはトリの年から理解されて行ったりして。2005年はいろんな異常気象もありました。


第二十九巻 秋の巻 第二十四帖 (765)
見る視点でひふみは読め方が違うというのは思うところですが、三千年のやり方が違っていたということで、それまでのやり方がどうだったのかに思いを集中させて読むと見えてくるものがあるのかなとも思います。


第二十九巻 秋の巻 第二十五帖 (766)
人民の改心を早くすることが肝要なようです。


第二十九巻 秋の巻 第二十六帖 (767)
 中は無、外は有であるぞ。中になる程 無の無となるのぢゃ。同じことくり返すと、人民申すであろうが、得心して居らんから、かんじんのことぢゃから、クドう申してゐるのぢゃ。人民それぞれのミタマによって役目違ふのであるぞ。手は手、足は足と申してあろう。何も彼もマゼコゼにやるから結びつかんのぢゃ。
人民にはそれぞれの役割があるようで、それを理解しないと結果にも結びつかないと読めます。


第二十九巻 秋の巻 第二十七帖 (768)
型は戒律にもつながることにもなるようですけど、とりあえず認識できるものがあるとそこから一歩進んで発展させることが出来ればという印象です。人生もどんな落ちぶれていても総てをこんなもんだと決め付けてもいけないようです。いっぱい満たす材料はたくさんあるとの印象です。


第三十巻 冬の巻 補帖 (787)
むさぼることなく、食物を節する事が大事なようです。憑き物の改心というものも人民にとっては大事なことだと思います。


補巻 月光の巻 第七帖 (794)
投票で埋もれている政治家の道も建て直しの時期に来ているのかもとも思います。


補巻 月光の巻 第十九帖 (806)
人民の悩みを救うのはオホカムツミノ神とのことです。


補巻 月光の巻 第二十帖 (807)
大奥山という仕組の成果を見てみたいものです。思わぬ派生が見られるのかなと思います。


補巻 月光の巻 第三十八帖 (825)
神との交わりに一生をかける価値はあるようです。


補巻 月光の巻 第三十九帖 (826)
人民は何が起きても先ず喜ぶような姿勢が必要なようです。


補巻 月光の巻 第四十帖 (827)
一足飛びにならずに着実に一歩を踏み出すことが大事なようです。遠くが見えたら自分の周囲に知らすことが一つの仕事のようです。予言でも最初は知らせようと思うとごり押しになったりするのが初心者だったりして、それが学習するとともに冷静に話が出来たり、バランスの良い知らせ方なども学習できるように思います。


補巻 月光の巻 第四十四帖 (831)
人民は口だけでなく心と一致した行動が出来て祈るということになるようです。


補巻 月光の巻 第四十八帖 (835)
ノアの大洪水のの手前に時節では、大神様にお詫びをしすっかりと心を改めることが大事なようです。それでも自分の宗教の神が救うと思っている方々がいるようですのでそれが大変そうです。


補巻 月光の巻 第五十帖 (837)
人民は自分の鏡を綺麗にすることで環境も変わるようです。鏡に映るものとは違うものを呼ぼうとしてもそれはここで云う無理押しになって、長くは続かないものかと思います。


五十黙示録 第一巻 扶桑の巻 第一帖 (1)
天に人民が座る座があるということを示しているように思ったりします。イザナギとイザナミが合体するようにミロクも合体することで360と球体のように360度の完全体になるという印象です。


五十黙示録 第一巻 扶桑の巻 第二帖 (2)
五色の竜神を意味する現象は自然の声であり、ひふみの云う神の声のようなものだと思います。そっぽを向いていたらいつまでも地球の電子レンジ効果の意味合いが解けないということかも。人民にはいつまでも戒律は必要ないようです。


五十黙示録 第一巻 扶桑の巻 第六帖 (6)
ひふみの云う遠くが見えてくれば闇も明るいようになると思います。大いなる試しをクリアできると見事なことになるようです。


五十黙示録 第一巻 扶桑の巻 第七帖 (7)
そうとう辛い状況を乗り越えての人民救出の場面でもあるようなので、人民も心得て改心と助ける御用の手伝いをすべきなようです。


五十黙示録 第一巻 扶桑の巻 第九帖 (9)
鍵となる5人の存在がいるようなのでうまく行くように祈るのみです。


五十黙示録 第一巻 扶桑の巻 第十帖 (10)
ここでも、まず何事が起きても喜ぶことを勧めています。


五十黙示録 第一巻 扶桑の巻 第十一帖 (11)
自分の改心がまず第一ということを理解しないと世の中のせいにすべてをしてしまいそうです。


五十黙示録 第一巻 扶桑の巻 第十二帖 (12)
空に書いてある巻物は人民には判らないようです。無の巻物は身魂を磨けば魂の中に仕込まれたミロクの分霊のようなものが読めるのかなとも思ったりします。


五十黙示録 第一巻 扶桑の巻 第十五帖 (15)
神人になるためにも人民は我を捨てて改心して自分で進んで行く必要があるようです。


五十黙示録 第二巻 碧玉の巻 第一帖 (16)
人民は戒律と秩序、法則をゴッチャにしてしまいがちなようです。平面と立体をごっちゃにせず反対の世界例えば、善が悪に合流するときは立体で行うのが基本のようです。


五十黙示録 第二巻 碧玉の巻 第二帖 (17)
今度の岩戸開きでは合わない善と悪を合わせるとのことで、広い視野での立体的な組み方が必要なようです。霊がかりに凝ってる場合ではないようです。


五十黙示録 第二巻 碧玉の巻 第八帖 (23)
その時までに四足を食うことは控えられるようになって共食いをしないようにすべきなようです。その時では間に合わないことが沢山在るようです。


五十黙示録 第二巻 碧玉の巻 第九帖 (24)
九分行ったら一休みして振り返ることがよいようです。


五十黙示録 第二巻 碧玉の巻 第十三帖 (28)
人民が追いかけるのは誠でないと駄目なようです。神が大掃除をするのではなく人民自身で大掃除できればというのが神の希望のようです。支配層などは、掃除を上に属する自分達以外の人類を処分することを掃除なんて云っていると困っちゃいます。


五十黙示録 第二巻 碧玉の巻 第十六帖 (31)
改心しないと、神が助ける選挙にもれる可能性があるようです。ここでは数は悪平等でだめだそうですから、質が問題なようです。


五十黙示録 第二巻 碧玉の巻 第十八帖 (33)
大神すら破れない大宇宙の鉄則があるようです。大神の中に生き、その中で最下層に属するような分霊の人民には改心という選択は絶対のようにも思います。


五十黙示録 第三巻 星座の巻 第四帖 (38)
大神が出現する時節では、人民は何も言えなくなるようです。


五十黙示録 第三巻 星座の巻 第六帖 (40)
人民は生命が短く勝手のようで、神が助けたいから仕組みを伸ばしているということを理解すべきな様です。


五十黙示録 第三巻 星座の巻 第八帖 (42)
人民は一度死んでくださいと云っています。
どのように死ぬかそれが問題かと思います。改心をすることで掲挙後に新しい肉体の交換のための死なのか、改心足らずに一度めぐりとりの解消のためのめぐり残高を0にするための都市攻撃、ノアの大洪水などによる死なのかと思います。


五十黙示録 第三巻 星座の巻 第十帖 (44)
何か東の方からあるようです。チョンマゲも出てくるようですので戦争関連でしょうか。


五十黙示録 第三巻 星座の巻 第十一帖 (45)
霊界と現界の両面を持つところに人民は住むようになるようです。その準備を今しているということのように思います。


五十黙示録 第三巻 星座の巻 第十二帖 (46)
人民は浄化し修行をして、大元の道に返り歩まなければならないようです。


五十黙示録 第三巻 星座の巻 第十四帖 (48)
世の元からの真清(詞)水で目についている泥を落とす必要があるようです。


五十黙示録 第三巻 星座の巻 第十六帖 (50)
今の人民や学者や金持ちの改心は急務な様です。


五十黙示録 第三巻 星座の巻 第十七帖 (51)
土が成長して人間になり、最後にはその皮袋を脱ぎ捨てるとこまで行くのが地変というもののようです。今回の皮袋を脱ぎ捨てるところは重要な今後を決めるところになるように思います。


五十黙示録 第三巻 星座の巻 第十八帖 (52)
天人も時節が来ると人間の下に来て、その人間の中で問いかけ話をするみたいです。それは独り言を云っているかのように映るみたいです。


五十黙示録 第三巻 星座の巻 第十九帖 (53)
誠が幅を利かすようになる時節には、二枚舌は通じなくなるようです。


五十黙示録 第三巻 星座の巻 第二十帖 (54)
人民の正しい言葉があれば神は応えるようです。応えるような内容がひふみの云う誠なのかと思います。


五十黙示録 第三巻 星座の巻 第二十二帖 (56)
人民はアイウエオの中からよい言葉を取り出して述べる必要があるのかも。それを区別するサニワも大変そうです。


五十黙示録 第三巻 星座の巻 第二十五帖 (59)
裁きなどは低い段階での部分的な一面のようです。型と同じく、人民には理解できないことが多いようです。


五十黙示録 第四巻 竜音の巻 第一帖 (60)
黄金の巻から七巻は人民に出したもののようです。


五十黙示録 第四巻 竜音の巻 第三帖 (62)
「特別の使命をもつ天使は、最下級の霊界まで降って来て、人民に特別な通信をなし、指示することもあるぞ。また天使の霊が母体に宿り人民として生れてくる事もあるぞ、末世にはこの種の降誕人が沢山あるぞ。」
ということのようです。


五十黙示録 第四巻 竜音の巻 第四帖 (63)
幽界は人民の地獄的想念が生み出したものとのことです。


五十黙示録 第四巻 竜音の巻 第五帖 (64)
今の人民は九分九厘は幽界との繋がりを持っているようですのでしっかりサニワして見極める必要があるようです。


五十黙示録 第四巻 竜音の巻 第九帖 (68)
人民に基本的に取り憑くのは日本では天狗風(てき)、神風(てき)、仙人風(てき)、狐風(てき)、狸風(てき)、猫風(てき)などのようで安易に天使のような上位の存在が憑くことはないようですので、冷静に対応するのがいいみたいです。


五十黙示録 第四巻 竜音の巻 第十二帖 (71)
操る存在にとっては移る人間は台所のようなもののようでその人間の力を使い放題のようです。偉い人たちがこの神示を読んで馬鹿にすることもあるようですが、それは霊的な白痴を自分で白状し現すようです。


五十黙示録 第四巻 竜音の巻 第十四帖 (73)
大言壮語する人民は眉唾物のようです。


五十黙示録 第四巻 竜音の巻 第十六帖 (75)
霊懸かりの最初は玄関番のような下級霊が来るようです。
高級霊に懸かるには段階もある場合があるようにも思います。


五十黙示録 第四巻 竜音の巻 第十八帖 (77)
奇跡などをする方々はその内滅びるようです。


五十黙示録 第五巻 極めの巻 第二帖 (80)
神が人民に移り、誠の花を咲かす仕組みのことだと説明をしているけど人民がなかなか判らないみたいで何度も説明しているようです。


五十黙示録 第五巻 極めの巻 第五帖 (83)
人民が岩戸を開いて富み栄えると神も富み栄えるようです。


五十黙示録 第五巻 極めの巻 第七帖 (85)
世界中の人民は本来ミロクが神がかりする対象の肉体のようです。
神の方に向くのならミロクは分け隔てなく助けるようです。


五十黙示録 第五巻 極めの巻 第八帖 (86)
人民は神の力を甘く見ているような内容に読めます。


五十黙示録 第五巻 極めの巻 第九帖 (87)
二十五の有法とは何か法則のようなものに思えますがよくわかりません。


五十黙示録 第五巻 極めの巻 第十帖 (88)
岡本天明氏に神示を書かせて移す役にして神は人民に判るように書かせているようです。解読できて、それがその通りになれば、その受け皿はここだったということになるのかなと思います。


五十黙示録 第五巻 極めの巻 第十三帖 (91)
判らない人民は、思うようにやってみなさいとのことです。


五十黙示録 第五巻 極めの巻 第十四帖 (92)
誠に従うべきな様です。


五十黙示録 第五巻 極めの巻 第十八帖 (96)
MFさんの解読からですが、読んで欲しい順番は{1.ミロク神2.竜宮の乙姫3.宇宙にいる天使達4.地球上にいる人類}となっているようです。
人類は一番最後になっているみたいですので、今が一番最後の順番の時節で人類が読むべき時に来ているのかと思います。


五十黙示録 第五巻 極めの巻 第十九帖 (97)
天人天使の行為が人民に移るようですが人民の自由、能力の範囲に於ける行為は又逆に、天界に反影するようです。
難しいのは、人間は天界の様子はわからないのでどのように反映するかが確認できないことだと思います。


五十黙示録 第五巻 極めの巻 第二十帖 (98)
ミロクの嫁ぎの事象を機に岩戸が開くと読んでいます。


五十黙示録 第六巻 至恩の巻 第一帖 (99)
それぞれに岩戸があるようですが、岩戸開きはこんなものだと舐めてかかるなと言っているようです。


五十黙示録 第六巻 至恩の巻 第五帖 (103)
人民はその生んだ存在と同じ型同じ性を持っているとのことです。


五十黙示録 第六巻 至恩の巻 第九帖 (107)
ナミの恨みが浄化されることがないかぎり、人は毎日1000人(神の規格)規模で食い殺されてしまうようです。
神話の内容がひふみではたとえ話ならば、ナミ=サタンであればナギ=ミロクを相当恨んでいるように取れますし、ミロクはその恨んでいることを浄化する何かを持っているのであれば、食い殺される人も無くなり永久に繁栄して行くような世になるようにも思います。


五十黙示録 第六巻 至恩の巻 第十三帖 (111)
次の世を生きるには十方的な想念と肉体が必要のようです。 プラスアルファの何かが必要なようです。


五十黙示録 第六巻 至恩の巻 第十六帖 (114)
新しい太陽が生まれることは今の学者や人民には判り得ないことなのかなと思います。
その時節、人民は改心して次の世を受け入れる準備がないと大変そうです。
五十黙示録 第七巻 五葉の巻 第二帖 (116)
今に東の東が現れてくるとのことです。戦争に絡む何かの事象かなとも思っていますが、鳴門の渦には櫂を放して流れに任せるがよいとのことです。
神任せがいいようです。


五十黙示録 第七巻 五葉の巻 第七帖 (121)
進むべき人民の道があるようです。


五十黙示録 第七巻 五葉の巻 第九帖 (123)
身の丈にあった対応をしていかなければ、うまくいくはずがないようです。


五十黙示録 第七巻 五葉の巻 第十二帖 (126)
八のつく日に気をつけなければいけないようです。
一巡目付近と同じくですが、太陽という存在のことを示唆しているように思います。
人類は早くその存在を認識しなさいというような意味に思えます。


五十黙示録 第七巻 五葉の巻 第十五帖 (129)
人民は一度は仮死になって必要な処置をしてミロクの世の人民として蘇るようです。


五十黙示録 第七巻 五葉の巻 第十六帖 (130)
改心もままならないと、灰にしてしまわなくてはならない方々もいるようです。身魂の掃除洗濯を誠で行うと新しい原爆にも水爆にもびくともしない新しい肉体が得られるようです。


五十黙示録 補巻 紫金の巻 第二帖 (132)
人民の御用と神の御用が一致を見るとよいようです。神がそうすれば必要として生かすために必要な状況が飛び込んでくるようです。


五十黙示録 補巻 紫金の巻 第三帖 (133)
人民も誠がないと、まだまだ騙されるようです。


五十黙示録 補巻 紫金の巻 第四帖 (134)
大掃除の激しい場面では世界の人民が皆仮死になるようです。とりあえず岩戸開きに際してどのようなことが起こり、人民には改心が必要と言うくらいは判っておいたほうが、最悪直接の肉体を持った掲挙にはもれても、魂の掲挙には間に合うこともあるのかなとも思ったりします。推測にしか過ぎませんが。


五十黙示録 補巻 紫金の巻 第五帖 (135)
人民も岩戸開きのその姿には大変にびびってしまうようですし、それらの事象は逃れられるものでもないようです。


五十黙示録 補巻 紫金の巻 第六帖 (136)
今回の岩戸開きの折には黄金のミロクがサタンに代わって救世主として現れるようです。


五十黙示録 補巻 紫金の巻 第七帖 (137)
この時節ではいろんな珍しい人が出てくるようです。
人民も改心は絶対に必要な内容のようです。


五十黙示録 補巻 紫金の巻 第十一帖 (141)
異なる人々と和合しなければいけない時節のようですが、人民は中々理解が悪いようです。


五十黙示録 補巻 紫金の巻 第十三帖 (143)
上位の存在は人民に説明されるものというのは基本的に一時的な現れのようにしか説明できないようです。

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