第三巻 富士の巻 第二十七帖 (107)
この巻は今に宝になるからと、富士の巻(この場合は二つとない書物と解釈)として一つにまとめておいて置くようにと指示がなされているようです。宝として役立ちそうな時節が、八と十八と五月と九月と十月という時期、時節になるようです。九分九厘でグレンとか江戸は火の海とノアの大洪水を暗示する内容や諸都市の壊滅について触れてますので、ここでは、この書物が都市攻撃やノアの大洪水などに対する宝になるということも示唆している印象です。
第四巻 天つ巻 第十四帖 (121)
海一つ越えて寒い国に、まことの宝 隠してあるようで、それはミロクが現在の人類の初めの頃設置したもののようです。場所的には南極ではないかという推測と、ビックリ箱を開くための宝であるようです。個人的にも、それが海底深くに存在する乙姫艦のことなのか黙示録に出てくる物々しい感じのキリスト教徒から見た獣なのか気になるところです。
第五巻 地つ巻 第十六帖 (153)
臣民の心の中に宝はいけてあるようです。今は悪に負けて汚してしまっているようなので、そのことに気付かないといけないようです。
第五巻 地つ巻 第三十三帖 (170)
その時に救助などの知らせることがあるようですが、それまでに宝を持ち腐れにしないようにするべきなようです。避難情報、身魂の洗濯の過程、およその終末を越えた先の新しい世のことなどなどをかじっておくのはその時希望にもなると思います。
第五巻 地つ巻 第三十五帖 (172)
南の島に埋めてある宝を御用に使う時が近づいたとあります。ビックリ箱が開く際に使うことになるようです。
第六巻 日月の巻 第三十三帖 (206)
何か強力なアイテムのような宝が存在するようです。支配層もそれを狙っているみたいです。
第七巻 日の出の巻 第八帖 (221)
日本中にいろんな情報源に混入して宝を知らせてあるようです。
第七巻 日の出の巻 第二十三帖 (236)
いざとなればこの世の宝も勲章も役に立たないようです。ここでの宝は金銀財宝の類みたいです。いざと言うとき有価証券をぶら下げても誰も相手にしてくれないようです。
第八巻 磐戸の巻 第六帖 (242)
北、南の宝を出す時があるようです。北はシホミツ、南はシホヒルということでノアの大洪水関連の宝のようです。東西の宝も今にわかるようですが、此の宝はこの世の大洗濯の宝のようです。
第八巻 磐戸の巻 第十三帖 (249)
其の人の働きによってそれぞれに恵みのしるし下さるとのことでそれがお宝のようです。お宝 が徳相当に集まるようです。それらは貨幣に例えられるような宝ではないとここでも説明しています。
第十一巻 松の巻 第八帖 (299)
海の兵隊さん(各国の海軍関係)は竜宮のおとひめ殿をまつらないと、何やら宝が世に出てビックリ箱が開く際に、ある意味対応次第では見せしめになってしまうのが海軍関係の方々のようです。「朝日照る夕日たださす所に宝いけておいてあるぞ。」これも宝を示すヒントのようです。
第十三巻 雨の巻 第九帖 (343)
三エスの神宝(かんだから)と、3S(スリーエス)の神宝とあって、毒と薬で裏腹のようです。武力、エネルギー、生み出す力というものが神宝のようですが、毒と薬をつきまぜてこねまくることによって、この世の宝にする仕組みがあるようです。
第十四巻 風の巻 第八帖 (359)
ミロクが作り、竜宮の乙姫殿に管理していただいているのがアイテムとしての宝のようです。世界中にも情報として布石しているものも宝と言うことのようです。
第十四巻 風の巻 第九帖 (360)
神国には神国の宝、神国の臣民の手で、元の所へ納めなならんのざ。タマなくなってゐると申してあらうがな。ということなので、神国の宝は神国の臣民の手で元の所へ納めなければならないようです。宮の跡がS=大神宝となるようですので、神がかりし、神がその役割を終えてその人間の旅立つ頃には、それまでに神に使われていて身体が覚えたことが、新しい世の中での武力やエネルギー、物を産みだす力になるとも読めました。
第十五巻 岩の巻 第十帖 (375)
竜宮の乙姫殿の宝は人間には誰にも判らないようです。宝の出る時節は北が光り輝くようです。女王の登場の場面の中で光り輝くものが確認できるのかも。
第二十巻 梅の巻 第二十八帖 (455)
様々なシナリオが存在して最大12のシナリオが交錯しつつ、交わり最後に一つのシナリオとしてまとまると読んでますが、そのシナリオは、後の世への教訓であったり、神話のようなものとして語り継がれて宝となるのかなと思います。
五十黙示録第一巻 扶桑の巻 第十四帖 (14)
「神の御座(みくら)のまわりには十の宝座があるぞ、十の宝座は五十と五十、百の光となって現れるのであるぞ、大摩邇は百宝を以って成就すると知らせてあろうがな、五十種の光、五十種の色と申してあろうがな、光の中に百億の化仏(けぶつ)ぢゃと申してあろう、百が千となり万となり億となるのであるぞ」
この辺りの内容は、個人的には黙示録の獣の描写と関連があるようにも思ったりします。ヨハネは何を見たのでしょう。
五十黙示録第二巻 碧玉の巻 第五帖 (20)
「これが根本の型であり、型の歌であり、型の数であるぞ、摩邇(マニ)の宝珠(タマ)であるとのことです。」
伊勢黙示録はこの辺りの記述がまだまだ難解で難しく感じます。
五十黙示録第二巻 碧玉の巻 第十二帖 (27)
言(ことば)こそは誰もがもてる 其(理)のささげもので、与へても与へても無くならないマコトの宝であるとのことです。
五十黙示録第四巻 竜音の巻 第二帖 (61)
豊作のお願いと感謝の祝詞のようです。
五十黙示録第六巻 至恩の巻 第十六帖 (114)
二二と云うのは天照大神殿の十種(とくさ)の神宝に (テン)を入れることのようで、これが一厘の仕組とのことです。蘇生術のことなのか、何か人類の救出のことと関連があるようにも思ったりします。
五十黙示録補巻 紫金の巻 第一帖 (131)
大国主神の国譲りの大御心(伊都の神宝の大御心)のまにまに千座(ちくら)の置座(おきくら)におきました。国譲りの神話の話にかぶせた意味合いがあるのかなと思いますが、よくわかりません。
五十黙示録補巻 紫金の巻 第四帖 (134)
?宝の語句がありません。
五十黙示録補巻 紫金の巻 第五帖 (135)
「岩戸ひらき 御祷(みほぎ)の神宝(たから) たてまつらまし。」
岩戸開きの折には、お祝いの神宝をたてまつることが必要なようです。神もかわせないほどの岩戸開きのようですから、ひふみから得たものを最大限理解して、その理解したままに行動することがj神宝として尊重しまつることにもつながるかなと思います。