いま蘇る幣立神宮さんのサイトより
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「魂について考える」を考察されています。
興味のある方は、訪問されてはいかがでしょうか。
<転載開始>
≪魂について考える≫

いよいよ、本題である「魂」に近づいてきました。

私たちの肉体が生存していく上でどうしても避けられないものが、汚れです。
たとえば、水蒸気が水になり、雨となって、川を流れていくといろいろな汚れがついてきます。
元の水が変化したわけではないのです。
ただ物理的な存在に変化した時から、いろいろな汚れがついてくるのです。

つみ・けがれ

 これを日本の神道では、「つみ・けがれ」といいます。
 罪・穢れと言いますが、「つみ」というのは体を「包む身」という意味です。

「つみ」というのは泥棒をしたとか、そういうことではないのです。
ああいう当て字を書くからわからなくなります。

「つみ」という日本語は、神さまからの体、「霊体」を包んで隠してしまうということです。
「けがれ」というのは、穢れという字を書いていますが、汚いというのではなくて「気枯れ」です。

我々を生かしてくれる神さまの気、「霊体の中心に在る内在神」を枯らしてしまうものが、「けがれ」なのです。

そういうもろもろが体についてしまったために、もともとのすばらしい姿が見えなくなった状態が、病気であると考えるわけです。

どんな泥水でも、水は変わっていません。
泥が混ざっただけだから、泥を取ったらまた澄んだ水が出てくる。
こういう考え方をします。

人間の体も水と同じで、どんな病気が来ようと、もともとは神と同じ、すばらしい体であり、それに罪・穢れという異物がくっついているだけなのだから、それを消せばもとの体が出てくると考える。

私ば、それが正しいと思います。

それで、神道では「祓い」という行為を行います。
その汚れを払うことによって、元のすばらしい体に戻すという考え方です。

この祓いというのはすごいもので、世界で日本人だけが考えたものです。

なぜ、その汚れがついてしまうのでしょうか。

その原因は、すべて「我(が)」です。
罪・穢は全部「我」によっておこってくるのです。

我欲があるから、いわゆる病気になったり、いろいろ悩み、悲しみが出てきます。

だから、我欲を祓いなさいというのが「祓い」ということです。

人生とは、祓いの連続ですね。

いま在る自分に感謝しています

<転載終了>