http://blog.goo.ne.jp/2005tora/e/139268061f210fdadcfc993733c68582
<転載開始>
「会議」は48分で終了、週1回の勤務で「常勤扱い」月給90万何がし、
年収1600万ということは、1回の会議が20万円以上に相当する。
2011年4月22日 金曜日
◆原発の安全性は、週1回48分の会議で決まった。何も発言せずに年間1600万円報酬のやれやれ・・・ 4月22日
手元に4月18日夕刻に行われた原子力安全委員会の議事録があります。この種の報告書を網羅的に見たわけではないですが、率直に言ってやや呆れました。
原子力安全委員会、と名はついていますが、主として担当官僚の報告があり、それに質問があれば時折口を挟む。とは言っても大半は式次第通りに進み、この場で実質的な討議などはまるでない。
「会議」は48分で終了、週1回の勤務で「常勤扱い」月給90万何がし、年収1600万ということは、やや下品な計算ですが1回の会議が20万円以上に相当するわけで、席に座っていれば1分当たり5000円のおひねりがつくことになります。
全く発言のない委員さんは、ただ役人の話を聞くだけで25万円?
まあ、まさか毎回、この種の報告を聞くだけではないでしょうけれど、ちょっと呆れないわけにはいかない「委員会」だと思いました。
人間の安全を議論しない委員会
と同時にそういうものかという気もしたのは、大学の教授会の類と同じなんですね。事務方と委員長など首脳が内容は綿密に詰めておく。大半の人は当日座ってるだけで、多数決に1票を投じればそれで結構という図式。
「原子力安全委員会が独自の調査団を現地に送っていないことが判明」というような報道を目にした気がするのですが、これが独自の云々という空気かどうか、議事録と各々の発言を見れば、問うのも野暮と分かる気がします。
まあ、しょせんは長老会ということで、その他のすべてを捨て置いたとして、先ほどの「第23回委員会」議事録を見て、ほとほと「ひどいなぁ・・・」と思ったのは「人間の安全」という観点が1度も出てこずに、1回の会議が終わったことになっている、縦割り官僚制の最末期症状ですね。
「炉の状態」が報告される。その確認をする。正規の仕事で、大変重要なことだと思いますが、そこでの健康への影響、つまり「人間の安全」がほとんど顧慮されない会議もある「安全委員会」。
これでは、アリバイと言われても仕方ないでしょう。一応国の中では大切な位置づけになっているはずのものが、これくらい形骸化した状況で、いったいどうしようというのか?(後略)
東電から東大に5億円の寄付
「原子力安全・保安院」に「原子力安全委員会」と「原子力委員会」、さらに連日のようにテレビに登場する科学者たち。
しかし、会見やテレビでの彼らの解説を聞くと、どうしても違和感が拭えない。「ただちに健康に影響はない」と連呼しているのに、日々伝わってくる原発の状況は、好転の兆しが一向に見えないからだ。現にチェルノブイリ原発事故の影響について調査しているロシアの科学者アレクセイ・ヤブロコフ博士は、ワシントンで会見して、こう語っている。
「日本政府は、国民に対して放射能被害を過小評価している」
こんな発言と、我々がテレビで聞く話には雲泥の差がある。たとえば、NHKに出ずっぱり状態の関村直人東京大学大学院工学系研究科教授。
「燃料のごく一部が溶けて漏れ出たと思われるが、原子炉はすでに停止しているうえ、冷やされている状況だ。冷静な対応を」
「炉心溶融(メルトダウン)はありえない」
「冷却水が漏れている可能性は低い」
最近、メディアへの登場回数が増えている中島健京大原子炉実験所教授は、何を聞かれても「まず、大丈夫でしょう」と繰り返し、プルトニウムの漏出についても「プルトニウムは重いので、遠くまで飛ばないから安全」と語っていた。
ところが、その後の原発の状況は、彼らの発言のほとんどが楽観的な願望に過ぎなかったことを証明した。なぜ、そんなことが起きるのか。それは、彼らが原子力政策を支持・推進する「原発ムラ」の住人だからである。
関村教授は、経産省の原子炉安全小委員会の委員を務めるなど、経産省との関わりも深い。同時に関村教授が所属する東大大学院工学系研究科には、東電から「寄付講座」名目で約10年にわたり合計5億円ほどのカネが流れている。東大にとって、東電は大スポンサーなのだ。中島教授も関村教授とともに核燃料サイクル安全小委員会の委員を務めたり、文科省の原子力安全技術アドバイザーをしていた。
「原子力分野では、東大工学部と東工大原子炉工学研究所、京大原子炉実験所の科学者たちが3大勢力です。京大には原発の危険性を訴えている研究者グループもいますが、彼らは昇進やポスト配分などで冷遇されていて、テレビ局なども敬遠しています。原発推進派の研究者でないと研究費も付かないし、電力会社からの寄付ももらえない。彼らが『安心です』と繰り返すのは当然のことでしょう」(全国紙科学部記者)(後略)
(私のコメント)
◆ノーメンクラツーラ ソヴィエトの支配階級 ミハイル・S・ヴォスレンスキー
七 「管理する者」がノーメンクラツーラである
管理者は用心深く身を隠している。いつの時代もそうだ。彼らは権力を手中にしながら、身を隠す。潜在的な敵に対して、いつでもこの力を行使すると脅し、経済的圧力をかける。
封建領主は、神権や王権というカモフラージュをまとった。資本家階級は、万人にチャンスがあり、努力すれば成功するというカモフラージュをまとった。ソビエトの新しい階級は、その存在さえ隠す。
ノーメンクラツーラとは、「指導を職業とし」「労働遂行者に対して距離を置いた特別の地位に就いた」「インテリゲンチャ集団」の事である。
一 ノーメンクラツーラにとって最も重要なのは権力である
ブルジョワと違ってノーメンクラツーラには、財産の私有はない。ノーメンクラツーラは資産家階級ではなく、「管理者」階級である。管理と、権力行使が、ノーメンクラツーラの主な役割である。
生産管理における、ブルジョワとノーメンクラツーラとの違いを軽視するのは誤りである。その発生からして違う。ブルジョワは私財を持ち、手工業から工業へ、商業へ発展し、経済的指導権を獲得した。ノーメンクラツーラはその逆で、国家権力を奪取してから、経済支配にも手を染める。経済は二番目であって、政治的指導がもっとも重要な任務である。
ノーメンクラツーラには、社会主義国の全権力が集中している。政治も経済も、すべてがそこで決定される。その為には、政治と、管理経済との、精密な分業を必要とする。
党中央委員会政治局も万能ではない。政治局がコルホーズ議長を「推薦」すると、これは他の領域を侵犯する事になり、不快感で迎えられる。よってコルホーズ議長は、慣例通り党の地区委員会によって「推薦」される。
中世の騎士は王侯から領土を貰った。ノーメンクラツーラの領土は「権力」である。この「権力」には領土と同じように縄張りがある。
資本主義社会の資産家は、誰かと富を分かち合いはしない。しかし、権力は進んで政治家に譲る。ノーメンクラツーラの役員は、自分の権力が犯される事に不安を抱く。同僚が侵犯してきたり、部下が首を縦に振らなかったりする事に敏感である。党中央委員会の課長は、アカデミー会員や作家が、自分の指示に従わない事は許さない。
五 ノーメンクラツーラはやめられない
ノーメンクラツーラからの脱退、追放はあるのか。形式上、追放はある。だが実際は、永久にそこに停まる権利を保証される。政変や粛清がない限り、高官の怒りに触れない限り、不文律をシンニュウ尊守している限り、いかに無能でもノーメンクラツーラがくびになる事はありえない。
ノーメンクラツーラは、官僚組織に似ている。しかし、まったく共通点はない。蟻と白蟻ほどにも違う。誰の意志が遂行されるのかを見れば、両者の違いは明らかである。官僚は公的機関からの命令を遂行するが、ノーメンクラツーラは公的機関に命令を下す。官僚は国家の下僕であるが、ノーメンクラツーラは専制君主なのである。
順調に出世する者を見れば、両者は似ている。工場長、部長、総本部長、閣僚代理、閣僚と、優秀な者はまっすぐな道を歩む。だが、あまり出世をしない多数のノーメンクラツーラを見れば、その待遇の違いが判る。上級機関は、彼を退任させれば、同時に転任させねばならない。ノーメンクラツーラ階級は、明々白々な失敗者にも統治階級の中の席を保証する。砂漠の最果ての地にも、ノーメンクラツーラの為のポストが存在する。それが決して左遷でない事は、特別待遇や特別年金が継続される事からも判る。
(私のコメント)
◆ソ連にはノーメンクラツーラ(赤い貴族)と呼ばれる官僚支配階級制度があり世襲制を敷いていました。日本も議員の世襲化でソ連のように滅ぶ。 2009年4月30日 株式日記
<転載終了>