http://blog.goo.ne.jp/2005tora/e/ba5cdcf08c0bd84f591010224221ff7c
<転載開始>
ぼくの知る限り、原子力委員会は、委員も、ぼくのような専門委員も、福島
第一原発の構内には入っていません。マスメディアも、学者も同じです。
2011年4月28日 木曜日
露出した給水ポンプは津波で破壊されたり流された。(とくダネより)
免震重要棟に置かれた「緊急時対策本部」(とくダネより)

◆現場入りをつつけています 4月23日 青山繁晴
その後、「原子力委員会の原子力防護専門部会の専門委員、および原子力新政策大綱策定会議の委員の立場で、青山さんが望めば、構内に、もう入れる段階です。ただし当然、構内は放射線量が高いので、それを諒解されることと、正式な防護服とガスマスクなどの装着、事後のスクリーニング(被曝検査)が不可欠です」という話が、良心派の政府当局者からありました。
そこで、複数の当局者・関係者としっかり協議したうえで、「構内に入ります」という意思を示して、具体的な調整を急ぎました。
ぼくの知る限り、原子力委員会は、委員も、ぼくのような専門委員も、20キロ圏内や30キロ圏内に入ろうとせず、ましてや福島第一原発の構内には入っていません。
マスメディアも、あるいは学者も同じです。
ほんらいは、現場を踏まないままに論じるとことは、本道ではないと考えます。
作業に迷惑をかけないことを確認できるのなら、現場の真実を、身体で知るべきです。
他人を批判するのではなく、ぼく自身の生き方の問題でもあります。
▼きのう、福島第一原発の構内では、免震重要棟に置かれた「緊急時対策本部」で、作業員のみなさんと話し、それから所長の吉田昌郎さんと、じっくり時間をかけて議論をしました。
それから、車で1号炉、2号炉、3号炉、4号炉に向かい、目を疑うほどに建屋が破壊された4号炉の横で、車を降り、その真下に立って、これまで映像などではまったく見たことがない破壊箇所、あるいは逆に持ちこたえている箇所を、しっかりと見ました。
そのあと車に戻り、津波が直撃した、海に面する破壊箇所を見ていき、汚染水を移送しているホースや、移送先の建物なども見ていき、対策本部に戻ってふたたび吉田所長らと意見を交わしてから、構内をあとにしました。
そして自衛官、警察官、すべての作業員の拠点となっている「Jビレッジ」(もともとはJリーグのサッカー練習施設、福島第一原発から20キロ)で、防護服やガスマスク、手袋、足袋などを手順に従って処分し、スクリーニングを受け、さらに防護服の下に着ていた私服や靴もすべて処分し、郡山駅に向かいました。
線量計による、ぼくの被曝量は、143マイクロシーベルトでした。
20キロ圏内や30キロ圏内を見ていったときは、23マイクロシーベルトだったから、それよりは充分に高い。ただし構内としては、予想よりずっと低かった。
▼福島第一原発の構内では、さまざまな年代、とても若いひとから、いったんは定年で退いていたかたまで、そしてさまざまな会社(東電、東電の関連会社と協力会社、東芝、日立、ゼネコン各社)に属する作業員のみんなの、士気の高さ、手抜きをしない作業・労働のモラルの高さ、眼の光の強さ、落ち着いた姿勢に、こころから感嘆し、感謝しました。
所長の長身痩躯の吉田さんは、「こんな最前線にようこそ来てくれました」とまず、何度か繰り返しておっしゃり、率直な深い苦悩をも含めて、真正面から議論に応じてくれました。
逃げない姿勢が、胸に残りました。
内閣府原子力安全委員会の班目(まだらめ)春樹委員長は27日、衆院決算行政監視委員会に参考人として出席し、東京電力福島第一原子力発電所の事故発生後、原子力安全の専門家の現地派遣が遅れたことを認めたうえで、「本当に失敗だったと反省しております」と述べた。
国の防災基本計画では、原子力災害の発生時には、同委の「緊急事態応急対策調査委員」ら専門家を現地に派遣すると定めている。しかし、この日の同委員会で、班目委員長は、地震発生直後に現地に派遣したのは事務局職員1人だけだったと説明。結果的に、安全委が政府の現地対策本部(福島市)に専門家2人を派遣したのは4月17日で、班目委員長は「大変遅くなってしまった」と対応の遅れを認めた。
所長の吉田昌郎さんと、じっくり時間をかけて議論をしました。(とくダネより)

津波でひっくり返って逆立ちしたトラックの写真(とくダネより)

(私のコメント)
彼らは一様に、「散る桜,残る桜も散る桜」「貴様たちだけを死なせはしない」「最後の一機で俺も特攻に出撃する」といいつつ特攻はしなかった。敗戦の責任を大元帥閣下に死して詫びを入れるのが武勲のみを誇った司令らの身の処し方と考えるが、そのような事も一切行われなかった。 海軍で予備学生の墓場と云われた元山航空隊(七生隊)の青木泰二郎司令は、自らの武勲を誇るために多くの特攻を命じたが、敗戦確実を知るや昭和20年(1945)8月11日、兵を置き去りにして元山空(朝鮮)から一部の上級幕僚、ならびに家族ともども日本に逃亡した。海軍軍人は人間が腐っている。(中略)
1945年4月6日、戦艦大和以下の特攻艦隊に乗り合わせた男達は、自らに課せられた任務と、日本の安危を救わんとし、倒れた。彼ら倒れた兵らの力不足だったのか?。否、用兵を誤ったのだ。ならば、その作戦の立案者と天皇の補弼者らは、当然死してその責を負うべきであった。だが悲しいかな、過去も現在もこの国は一度として、結果の責任を論じてこなかった。
2007年6月、この国と地方自治体の総負債は一千兆円を超えると報道された。この超破産状態を招来した責任も取らず、ツケのすべてを責任の無い子や孫の代に押しつけることに平然としている。
靖国神社公式参拝を政治公約とした、あのキツネ目が首相だった5年間だけでも負債は二〇〇兆円増加した。
国技といわれている相撲界。時天山死亡問題、横綱朝青龍の遊び惚け問題。その対応、後手後手トップの理事長が平然と居座り。2007年9月、国会冒頭の所信表明演説ののち、「僕やめたァ~」と病院に逃げ込んだ総理大臣。 この無責任、非常識は今に始まった問題ではない。
先の大戦の、あれだけの惨禍をもたらした責任さえうやむやにした体質は、今後の政治責任さえうやむやにし続けるだろう。
<転載終了>
