霊障解消物語さんのサイトより
http://doragonn10.web.infoseek.co.jp/susinn.htm
<転載開始>

    3.ス神現界への大方針・御経綸

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神界の秘め事

神代七代

 天神第六代目にあたる国万造主大神様の時、先代の神々より「霊力、神霊に勝るものはいらぬねど、物を動かし、開発する能力においては神霊より勝るものを創れ」という神勅をお受けになられたのが人のはじまりだと伝えられています。天神第六代の国万創主大神様は御自身と同じ型を持つ人の霊成型を創造された人類にとっての親神様にあたり、その人間が実際に肉体を持って地上に現れてきたのは天神第七代目にあたる天照日大神様の時になります。国万造主大神様の子にあたる天照日大神様が皇統第一代にあたる「あめひ豊もとあしかび主」を地上に残して神霊界にお戻りになるとき、その太陽のような暖かい御神格を敬い、五色人が集って天照日大神様を崇めた、それが今日に残っている太陽信仰と呼ばれているものです。皇統第一代にあたるあめひ豊もとあしかび主が五色人を集い天照日大神様を崇めていたので、この時に現在の五色人が世界各地に発祥してきたものだと思われます。バイブルには神は天地を七日間で創造し給えりとでてきますが、天神第一代の主の神様(別名大根元の神、元無極主王身光大神、宇宙大元霊大身体、ノンノ、カミナガラ、ナムモ、ナアモ、アミン、アーメン、メシア等)から天地万物の創造が始まり、天神第二代の時間の神、三代の空間の神、四代の火魂、水魂の神、そして神霊界、地上界の創造に六代目の国万造主神、人の肉体化に七代目の天照日大神様が携わり神代七代にわたって万物が創造されたと言われています。

日系神(真大神)の岩戸隠れ

 神道では天照日大神様が天の岩戸にお隠れになられ、タジカラの尊がその岩戸を開くとそこには天照日大神様ではなく、奥様の方の神様がお出ましになられた。いわゆる女神で水、月の神様が出でこられた。天照日大神様が神霊界にお出ましになられないから、神界、現界共に暗くなってしまう。人類が夜の世、つまりエデンの楽園を追放されて暗い中を歩むようになったのだと示されています。日本の天照大神を祭る伊勢神宮でも天照日大神(アラミタマ)は後ろの門に押し隠され、前門には奥様のニギミタマが祭られています。主の神様が月、水の神様を表舞台に立てて現界の物資開拓を進めてきたことが示されています。

ホドケの世について

 神霊界でも天照日大神様が隠れてしまうと、日=火を去ってしまうことになります。これを仏教では菩薩(ボ=炎を去る)と示し、正観音の世から月光菩薩のお出ましの世となります。仏教の仏という字は火と水を解いた形(下図参照)を意味し、火=日=霊のことを省いた、あるいは隠した教えであることを示しています。火と水を解くからいわゆる解脱の教えで心の教え、悟りであることを示しています。佛は物に通じ仏教の教えも主神が人類物質文明発展の為に地上に降ろしてきた仮の教え、すなわち真如の教えであることを意味します。

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ス神現界への大御方針・御経綸

 ス神が人類の物質文明を発展させるためには人類にある程度の物欲や競争心を持たせなければなりません。人類が霊主で生きているとそれがなかなか思うようにいかないわけです。そこでカンナガラの宗教(神の御心をそのまま伝える、あるいは真理の教え、宗教のこと)から真理をアヤフヤにして隠す必要があった。釈尊もイエスも霊の元つ国からカンナガラの宗教を各地に布教しましたが、ス神の御経綸上一切の真理(霊界のこと)が隠された教えになってしまった。いわゆる宗教の哲学化、神学化が起こる。神霊界では水神が表舞台に立っているのでヨトヤの神々(人の魂の親)が愛欲や支配、権勢欲等に夢中になっているので、現界にもそれが写し出されてきます。(現界は神霊界が写し出されたところ)神霊界同様に人類界でも同じように侵略戦争などが盛んになります。日=火=霊を去る、解くと陰文明が起こる、陰文明を立てて主にしてきたことで主神がそのように神界、人間界を仕組んできたわけです。

神霊界における争い

 ス神としては人類の物質文明を開拓してゆくためには、人類を直接指導しているヨトヤ神の欲望を引き立てなければなりません。そしてヨトヤ神の親神にあたる火の霊統等の神々を争わせるように仕組んでいます。国万造主系統の神々を互い争わせた、文献によれば世界各地の物質文化を開く役でそれぞれの大国魂神をエジプトやイスラエル方面等に派遣しますが、それらの神々が争いを起こすようになります。もともと火(ス)の霊統で現界でも一切の物質を握っておられたのは大国魂神なのですが、これらの神々が争っている間に別の霊統である乙姫の勢力が各地の大国魂の神々を押さえ込んで行きます。(神々の霊統については神霊層界に記載します)これによって神霊界でも権威の地位にあった大国魂神が乙姫にとって代わって政権を握られるようになり、神霊界でもヨトヤの神々が欲望を発揮しやすい環境が整えらていったわけです。

乙姫の世

 仏教の方ではではこれを観音という字でぼかしています。観音の音は乙を観るという意味から来ている言葉であり、観音様が乙姫の活動する世をじっと我慢して見るという意味があります。これが国常立のスメラミコトが艮(うしとら)の金神となってしばらく我慢されるという伝説の元になっています。乙姫が神霊界の権威を握られたとき、その眷属の神々が乙姫様の弥栄を祈り、正神(火の霊統)封じの為に鳥居を作らせたり、しめ縄を張って正神と人類を接触させないようにしてきた。(しめ縄は右回りで閉められているので右=水=物の働きを示す)又鬼は外、副は内等と人類に呼ばせてきたわけです。神向讃詞にはこれを「正神真神天の岩戸に押し隠し」と示し、人類が神様を押し込んでしまって出てこられないようにしてしまっているのだと言います。乙姫が神霊界で実権を握ると闇という字になります。(乙姫が宮門の中に入って権力を握る)釈尊はそこをとらえて胎臓の世(腹の中のように真っ暗な世の中)と表現しています。

胎臓、明暗三世の世

 世の中が真っ暗になると、これはどうしても魔道が起こります。人類が三毒を積み、五濁の世を迎えるようになります。三毒とは仏教で言う貧・瞋・痴のことです。貧というのは貧しさのことでただ自分だけがよければいいという考え方であり、瞋とは非常に怒りっぽいということで、すぐに何かと反抗したりケンカしたりするいわゆるキレやすいということです。痴というのは不平不満ばかりを言って感謝できないことを言います。五濁というのは眼・耳・鼻・舌・身が濁るという意味で、肉体の快楽や肉欲に一生を捧げてしまう、霊主即神の子ではなく肉主四足獣人と化してしまうということです。神道では真大神の岩戸隠れ、仏教では胎臓の世、キリスト教ではエデンの園からの追放というように、どの宗教も言葉は違っても同じことを伝えています。

ブレーキ宗教出現、人類ブレーキ時代

 主神としては物質文明を開くために取った政策(陰文明を主にする)とは言え、それはあくまでも方便であり仮の手段です。水神、乙姫にずっと神霊界を統治させていては人類が神から脱線して大神を忘れてしまうようになります。いずれは人類を正神の方に返さなければならないわけで、その為には人類の暴走にある程度のブレーキを今のうちから(経綸上の水の時代のうちから)かけておかねばなりません。そのために降ろされたのが釈尊、イエス、モーセ、孔子、老子、孟子等の宗教的聖者です。モーセや釈迦、イエス等が伝えた宗教はすべて主神とのそのような因縁によって降ろされていると言います。故に真理のほうはすべて隠さなければなりません。主神が霊主、火主文明を倒して水主、物主、陰文明を起こそうとしておられるのにその時代に霊主文明を起こすような宗教的働きをしてしまうとこれでは主の神様の意図に合わないということになってしまうわけです。ただし釈尊にしてもイエスにしてもいずれは霊主文明、陽文明が起こること(主の経綸)を知っておられたので、釈尊はそれをミロク下生の世(火の霊統の神々が降臨する世)と呼び、その世が近づくまでは胎臓の世が続くであろうから、三毒を積みすぎて魔道を興さぬよう今のうちからある程度の悟りを開いておきなさい、しかる世に人類界に魔道が盛んになるであろうから諸天龍神(国万造主大神、大国主神系)に見捨てられてしまわないように今のうちから悟っておけと示し、イエスは天国の世が近づく時にはハルマゲドンの戦いが起こり、最後の審判(火の洗礼、神裁き)を受けるであろう、今のうちから悔い改めておけと改心を促しています。神道のほうではラルロの嵐(火と水が入れ替わるとき)が起こる時には人類大峠を迎えるぞ警告しています。釈尊やイエスの残した宗教、又日本の古神道も真理(霊界の実相即掟)こそは伝えていませんが主神の御経綸(天意転換と正神出現、火と水が入れ替わる方針のこと)を部分的に伝えているものです。


神試しの世

 釈尊やイエスがブレーキとして残した宗教とは言え、真理のほうがス神の方針によって隠されているので神霊界でも下々の神々では御経綸(ス神の方針)もわかりようがなく、人類界でも真理が覆い隠されいるので神々の掟、霊界の掟がぼけてしまいまったくわからない。どうしても陰文明が主なるので物資が発展する反面、魔道が盛んになり、今日までの人類は大いに三毒五濁を積んできてしまっています。主神の御経綸上水を主に立てていたのでやむ得ないわけで、神々にもその責任の一旦があります。そこで神霊界でも今まで隠されてきた秘め事が主神の天意転換によって下々の神々にも知らされはじめ、改心してくる神々(ヨトヤ神等)も大勢いる、現界では岡田光玉師を通じて人類に今まで隠されていた主神の御経綸が示され、神々が人類に改心を促し始めています。神霊のみ働きが日増しに強くなり、神があるのだ、実在するのだということが社会に示されてゆく時代(悪が表向きに出されて暴かれ、裁かれてしまう時代、あるいは奇跡を見せられたりする時代)に変わりつつあり、物主から霊文明が開けてくように主神が仕組んでいる時代です。別の言葉で言うと神試しの時代であり、神様(霊主、霊、魂を主体に考えた生き方)を選ぶのか、それとも物主(唯物主の考え)を選ぶのかの選択期、試し期にはいり、改心しなければアガナイ(償い)のためのミゾギが人類界に激しくなってきます。神示しを見せられても唯物主を選ぶ(我を通す)と今度は改心しないということで、主神の最後の試しである霊の洗礼期(精神的な大ミソギ、イヤと思うほどの苦しみを味あわさせるミソギ、いわゆる霊障時代)にはいってきます。それでもダメなら(改心しない)火の洗礼となって地球が焼き払われてしまい地上が泥沼と化してしまうと示されています。


補足

大国魂神と乙姫

 大国魂神と申しましても、その御神魂は多くの神々が大地の神として全世界にわたっておられます。イスラエスやエジプト文明を起こすのに活躍した神々や、日本では大国魂神の出現と共にはじめて鉄の兵器が開発され、これを使って出雲から今日の兵庫や浪速、熊野、伊勢と、紀伊半島の全域、さらに今日の愛知、長野、富山、新潟わたる地域を平定されています。それによって出雲大和朝ができるわけで、俗に言う大和朝や奈良朝ができる以朝(神武前)に、すでに日本の中央部は、平和文化に出発していたわけです。しかし、この大和朝に至るまでの日本の平定、すなわち大和朝への国造りは分家の方の大国主のご系統がされておられたわけで、その平定の後は支那の勢力を握っていた盤古系である神武天皇のご系統が引きついて統制し、新しい奈良朝の建国になります。そしてイスラエル系の平安朝にかわりそれが南北朝へと移るわけです。このようにして同じ霊統でありながら、血統の面では天皇家の争い。皇族と皇族との争いが常におこなわれてきております。そしてその間、世界中の大国主のほうはほとんど乙姫の方の勢力におさえこまれてきてしまった。そこで邪欲の富のほうが栄えるという現象を起こしてきたのです。一方乙姫のほうは邪神かというとそうではなくて物界を開く役割として主神の御経綸に使われた芝居で言う悪役をした神様ということになります。今は天意転換にあたって本当の超太古の世界一家時代へ、神代の体制にかえそうということになってきたわけで、これが伊都能売大国魂大国主祈言にあるように”百八十六神達と共に現われ”という祈りになってきて残っているわけです。


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