霊障解消物語さんのサイトより
http://doragonn10.web.infoseek.co.jp/tennia.htm

<転載開始>

    4.天意転換前と後の世の比較例(A)

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夜の世(逆法の世)

 「神向き」言霊の秘め事が判らなくなった

 日系神(天照日大神)がお隠れになる夜の世では、一切の真実が明らかに照らされない時代のことを言います。真実がわからないから真ではなくなる、真という字も神・幽・現の三界を示しています。(下図参照)ヒ=日=神を去っている、隠している時代なので宗教で言われるところの信仰も本来の信仰ではなくなってきます。信仰の仰ぐという字は言霊ではアホグとなり、ア=天=神、ホ=炎=火=日を仰ぎ見るのが信仰の本来の意味です。それが夜の時代になるとアホギではなくアメ(目=肉=物)ギになってしまいます。神を仰ぐのではなくて月神、あるいは仏を仰ぐ信仰になったり、人物を仰ぐ信仰になってしまう。本来は天照日大神(火の霊統、正神)や仏教では大日如来を仰がなくてはいけないのですが、夜、逆法の世ではそれが順逆となりナムア(七六五)の世になってしまう。

七六五(ナムア)、逆法の世

 「炎」というのは先っぽ、山でいえば頂上のことで、これを「ホ」「穂」と言います。そこで本来人間が立ってアホギ、いわゆる火の神、正神を中心にして、霊主心従体属の法則で一切を見ていかなければならなかった。すなわち神様を一番上にみて、その次に仏界があり、それから人間界物界があるんだという釈迦の言った正法、五六七の順序正しい見方をしていた神代時代が遠くのものとなったのです。ところがこのような正しい見方をしなくなってきたら「ホ」が見えなくなってしまった。仏は見えるが神が見えなくなってしまったのです。これを不神(ふかん)と言います。それで下を見ることを俯瞰といい、言霊としては同じです。ここに一切人類が逆法につっこんだ因があります。

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法(ノリ)について

 神の法則、神の御意図とは逆な方向へ行く。「法」はノリというところから始まっていますから、本当は「ノリ」で、「ホウ」です。乗り、ノリは大乗火乗り、すなわち神乗りでなくてはならない。神の法に乗ったのが、大船に乗ったことになり大乗というのです。これを仏教では神に乗るというその神を捨ててしまったから、ただ大きい船に乗って渡らせるという意味での大乗となった。神乗りの法とはどういうことかというと、いわゆる神の御想念の波に乗る、神の天地創造万象生成化育弥栄え行く掟の御想念の波に乗る、いいかえると、神の置かれた仕組みの手(法)天理に乗ることで、法(ほう)の方の法(のり)です。法はやっぱり炎から生まれる炎から生む原理、したがって法という字は水を去ると書かされている意味深遠な文字なのです。火・日・陽・霊を主体とする神の仕組みの置き手・掟を現した文字なのです。そういうことをみんな忘れてしまったから、一切が逆の水=物=肉体=心界を主体にみて、仏また物の世界を主体にみるか人間の方を主体にみるか(人物信仰)のどちらかになってしまった。これが不神、不振になって、世の中が五六七(アミダ)でなくなって、下手をすると、「七六五(ナムア)の世になってしまう不安定がある。「ナ」は言霊では、成る生り也って鳴るのですから、ナム、成る、無になる。かくりみの神は、仏教の方でいえば、五六七(アミダ)でなくてはならない。したがって、ナム、アミダブツ、アミダブツ、と念ずるべきだが下手するとナムア、ミダブツ、ナムアミ、ダブツという呪言になると、知らぬまに実は逆法の祈りになってしまい、そこで逆法の世が誘導されるようになるわけです。

昼の世(正法の世)

霊智の世

 夜の世では一切の真実が照らされない時代であったのに対し、昼、正法の世(火・正神の世)では一切の立て別けがハッキリとしてきます。善悪、美醜、偽善、嘘真等すべてがはっきりとした形(現象)で暴き出されてしまうようになります。魂霊が汚れていれば、あるいは曇っていればそれもはっきりとした形で表面にでるようになります。

霊の界の掟

 夜の世では隠されていた(ぼかされてハッキリ人類に伝えられていない)霊界の掟があります。基礎知識にある霊層界の地獄界についてですが、ここではそれについてもう少し詳しくみてゆきたいと思います。

  • 修羅道

ケンカや殴り合いばかりをさせられてしまう地獄界で、ここにおちた霊は年がら年中ケンカばかりしています。それに懲りるまでこの界から抜け出すことが許されません。したがってこの界に落ちている霊が再生してくると生まれつき喧嘩に懲りているので、争いごとを人一倍嫌うようになると言います。生きていた時にケンカばかりして人を苦しめた人、不平不満ばかり言って感謝のできない人が死後この霊界に入ると言われています。


  • 血の池地獄

生くさい血の中に漬からされて、しかもそこから虫が這い上がってくるという行場です。岡田光玉師がこの界を見たときに、そこには女の人しかいなかったそうです。生前不倫行為した人が往く地獄界の一つで、現界ではいとなく行われている不倫行為も先祖や神様から見たときには大変な罪になってしまうのです。先祖が幽界で大変な恥をかいてしまい、神様から厳しい咎めを受けてしまうそうです。現界だけを主に見ているとなかなか理解できませんが、神・幽・現の三界を貫いて考えるとやはり大変な罪になります。生きていた時に神仏を見失う、無神向者が堕ちやすい行場です。


  • 色欲道

男性なら周囲が女ばかり、女性なら男ばかりという地獄界です。一見良さそうだと勘違いしてしまうかもしれませんが、男性なら男を恨んでいる、憎んでいる、そんな女性の霊がうじゃうじゃいるところにおとされてしまう。絶えずそこで憎まれたり、恨まれたりしますから、これは大変な苦行で岡田光玉師も地獄界の中でも一番辛い行場だと言われていました。この界から再生を許されてきた人(魂)は男なら女の人がそばに寄ってきただけで緊張して硬直してしまう、又女の人なら男の人に肩を叩かれただけで震え上がってしまうような、いわゆる潔癖症になりやすい。生きていた時に男が女をおもちゃのように扱う、又女が自分の利益のために男を利用していたりすると、死後この界に落とされてしまいます。結婚していないのに肉体関係を持ったり、体を売って商売する人が落ちやすい行場です。


  • 焦熱地獄

文字どうり火にあぶられてしまう行場です。生きていた時に自分の火の不始末で人に損害を加えた人が往く行場です。

  • ヘビ地獄

岡田光玉師によれば少なくとも300匹、だいだい500~600匹くらいはいるヘビの霊に苦しめられる行場です。ヘビに巻きつかれて首を絞められたり、噛まれたりします。生前人の上に立った人だけが往く行場で、主に権力で人を苦しめた人が往きます。会社の社長や政治家等が堕ちやすい。人の上に立つ上役ほど徳を積まなければならないと教えられています。又富や権力で下の位の方のお役に立つことが大切だと言われています。


  • 餓鬼道

何も食べることができない、与えられない行場です。殆どの先祖はここにおちていると言います。お釈迦様の直弟子である木蓮という人が霊眼通をお釈迦様から習い、それを会得してさっそくその力で自分の母が幽界のどのあたりにおられるのか見てみることにした。天国にも母はいないし、中有界を探してみてもいない、とうとう地獄の行場の餓鬼道で飢え苦しんでいる母を見つけます。木蓮はあわててお釈迦様に駆け寄って自分の母がどうして餓鬼道に堕ちなければいけないのか、それを尋ねた。するとお釈迦様はお前の母親は生きているときに多くの財産を持ちながら、それのひとかけらも他人の為に使おうとせず、自分だけがあれだけの財産を抱えて死んだのだと諭したと言います。それで木蓮が今ある財産を他の人の為に使おうと、お布施、施しに励んだ。しばらくして木蓮がもう一度霊眼通で餓鬼の行場の母の姿を探してみると、そこには母親はいなかったという。自分だけ贅沢しようという人、又自分の為に得をしようという人、食べ物等を粗末にする人がこの餓鬼道に落とされてしまうと言います。餓鬼に堕ちている先祖の多くはネコに憑依して残飯などをあさったりしています。そういった先祖が再生してくるとネコとして生まれ変わってくる場合もあります。こういうネコは人の言葉を理解したり子孫に寄ってきたりします。したがってこのようなネコを粗末に扱ってはいけません。子孫が利他愛でしっかりと先祖を供養する、神様の御用をすればたとえ地獄に堕ちている先祖であっても木蓮の話のように救われてしまう。子孫が正しく生きて、なお神様の御用をすることを先祖は願い、またそれを先祖が喜ぶわけです。

  • 畜生道

 基礎知識の再生転生の項でも記載していますが、霊界は想念の世界のことを言います。現界では人は肉体を着ていますので霊体も人の形をしていますが、霊界では自分の想念に等しい姿(霊体)になってしまいます。ここではどのような人が霊界でどのような姿になり、またどのように生まれ変わってくるか記載します。

キツネ・・・騙すことが得意な人。転生(生まれ変わる)とキツネに生まれ変わる。

・・・人の秘密がかぎまわったり、人のうわさを立てて人を苦しめる。そういったことをして遊ぶ人。又人の悪口を言って面白がる人は犬になる。

ネズミ・・・ケチ、またこすい、せこい人。お金を使わずにこそこそと貯めてばかりの人。多くの人を喜ばすためにお金を使うこをしない人。

・・・馬は昔から人の為に働く動物として養われています。生きているときに自分の為だけに働いたり、自分の幸せの為だけに働くような人は馬に生まれ変わらされて人の為に働かされるようになります。

・・・強情な人は牛に生まれ変わる。

猪・狼・トラ・・・ゴロツキやヤクザ等。その日暮らしのような人。

ウサギ・・・大人し過ぎる人。

ヒツジ・・・若いのに悟ったような人。老人のような若者、インテリ等。

・・・悪賢い、悪知恵ばかり働かす人は猿に生まれ変わる。

タヌキ・・・甚だしいほど図々しい人、おうちゃくな人はタヌキに転生する。タヌキの霊は悪知恵にかけては現代人も足元にも及びません。屁理屈ばかり言うような人はタヌキの霊と波長があってイタズラ等をされてしまう。現代人に最も多い。


神・幽・現三界の連動

 岡田光玉師の祈言集に示されている教示に「神・幽・現の三大霊界即大千三千世界は、観念界哲学界のものに非ずして、実在界即実相界にして相交流連動し」というフレーズがあります。神の世界、先祖の世界、人間の世界はまったく別々の世界ではなく、お互いに影響しあい、又交流しあっているという教えです。下の図はその連動関係を示したものですが、神霊界からは幽界、現界のことがよく見えます(位置が高いので見やすい)、ところが現界から幽界、神霊界を見ようとしてもそれが見えにくい、判りにくいものであることを示す図です。現界は物質、肉体の世界なので人の心は見えにくいのですが、先祖、神の世界からはその心がツーツーに見えてしまうのです。霊の界の掟とはその肉眼では見えにくい世界に働いている掟のことであり、人の想念界おける掟の世界のことを言います。悪想念や悪の心(我や慢心、物主肉欲主の想念)は現界の法律では裁けませんが霊の界の掟によって裁かれることになります。

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間釣り合わせの理(相応の理)

 霊の界の掟に反するような想念(我や慢心、唯物主、利己主義等のいわゆる汚い心)を持っていると、それが先祖の界や神様の霊界に響いてゆきます(それにより神霊界、幽霊界が汚れ、曇ってしまう。相即相入即連動の義)。神様は常に清浄の願を持っておられますので、そのような汚い心や醜い心を万霊(邪神邪霊等)を使って浄化されようとされるわけです。御聖言「他力と自力」の中においても「怨み、そねみ、憎しみ。いたずら、戒めの為の万霊を盛んにウヨウヨ働きかける他力を、神は一杯生かしあり」とあります。想念の界(霊の界)において神の掟を破るような心を発していれば、それを見透かしてこれらの霊がさやりかけてきます。いわゆる波長が合ってしまうわけです。逆に波長が合わない、霊の界において邪神邪霊につけはいられてしまう隙がなければ(悪想念や我と慢心を見せない)逆に霊による障りは起きません。これを相応、間釣り合わせの理と言います。霊障を生じさせてしまう心の隙がなぜ生じてしまうのかというとやはり神向心がないか、あっても薄いためです。常に実在する神様、活動される神様と向き合っていれば心に隙が生じにくい。

タテヨコ三界を貫く神の掟

 御聖言、真理と申すアヤフヤ迷信の中で「神・幽・現のタテの三界と前世・現世・未来世のヨコの三世に亘るタテヨコ三千界をタテに貫きて定め置きたる手、チョンの定めし王型、大三界をタテに貫く大元の法の更にサトなり、元なり」という神示があります。タテの掟とは神・幽・現の順序と幽界・現界に連動する掟(地獄界等の霊層界の掟)のことを言いますがヨコの掟は前世と現世、未来世に亘る掟のことを言っています。血の池地獄や畜生道、色欲道等と再生転生に関連する掟を意味し、前世において霊の界の掟を破っている(罪を積む)と、それが現世に現れてくる、また現世の生き方がそのまま未来世に影響してくる掟のことです。その人の人生や姿(美醜等)も前世の自分の生き方が現れてきているものだと言います。地獄界から再生を許されてきた魂は生まれながらに恨みなどの霊界を背負っていますし、そういった家内に生まれさせられたり霊障を背負ってくる(水子などがその例です。再生を妬む、怨む霊界による流産が多い)。又修羅道や色欲道等から再生を許されてきた魂は家庭内暴力のある家内、子供を利用するような家内に生まれさせられてしまう。これらの掟もみな相応、間釣り合わせの理によるもので、それによって神様はその人の霊層界を引き上げようとされるわけです。現世の修業を通じて魂霊を浄化しておけば、死後高い霊層界にはいって今度生まれてくるときは生まれながらに恵まれた家内、また人生に障害も少なくなるように仕組まれてきます。(神を想う教え報い求めざる報い等を参照 現世中でも霊層界が変われば環境、人間関係等が変わります)

「大元の法のさらにサトなり」

 人はこの世生まれてくるときに神様との約束によって再生が許されてくると言います。その人が現界において成すべき事の約束です。それは人生のどのあたりでその人に明確になるかはわかりませんが、時期を過ぎてもその約束を果たさないとなると、神様は霊障を使って本人に気づかせようとさせます。これは私(管理人)の体験から書かせてもらっていますが、特に神様との特別な役割を持って再生してくる人はその霊障も厳しくなるのではないかと思っています。時期が来ても神様との約束を果たさなければいくらアガイても霊障を解いてくれませんし、約束を果たす見込みがなくなると神様は幽界へ引き上げてしまわれる。とりわけ地獄界から再生を許されてきた魂であれば、邪神邪霊界はその魂を昇華(霊層界を昇華)させないように必死になっている、その上で約束、役割を果たさないのなら主神はそれらの邪神邪霊の好きなようにさせてしまわれる、そのような厳しい現界の立場にあるのが地獄界から再生を許されてくる魂ではないかと思う。又正法の教えを伝えても聞かないし、わかろうともしないと神様は霊障(憑依現象)を使ってその曇りを裁かれようとされる(これを霊、火の洗礼と言います)。神向き讃詞の中でも神様は「火の洗礼か陽光の文明を求めるのか、二つに一つの返事をしなさい、人類はその返事をしなければならない時代にはいってしまっているのだ、選ぶ外なき今人類」と言っておられます。

 歴史的に有名な人物、織田信長や秀吉、家康等もすべて神様の掟の仕組みによって現界に下ろされて、それぞれが役割(日本国の破壊と創造、建て直し)を果たすとすぐに幽界に引き上げられてしまう。釈尊、イエス等も同様でしょう。このような歴史に名を残しているような人たちだけでなく、すべての人が何らかの使命、神との約束の元に現界に生まれています。そのすべてを生み出してそれを統一運営されておられる主の神様を主体として生きるのか、それとも限りのある世界(現界)だけを主体において生きるのか。霊主心従体属、神の掟、法に乗って生きれば(水を去って生きれば)人生も自然に栄えてくる。釈尊はそれを仏教の中で妙法と教えています。女=水=物、唯物現界主の考え方を少なくする、捨ててしまえば妙、つまり不思議と栄えてくる。(妙はうまい、儲ける、幸運等の意味があります)又カーム、カはチカラでムは言霊ではムゥになり、無の世界、霊界、神の世界からすべてか生み出されてくる、栄えてくるのだと示し、般若心経の中では色即是空・空即是色と表現しています。色、つまり目に見える世界は即空の世界、無の世界から成り立ち、無の世界、霊界からすべての物質社会が成り立っていると表現しています。無の世界、霊界の世界、掟を主として生きれば不思議に人生も、何にしても栄えてくるのだと言っています。

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