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<転載開始>
17.太陽族日本の御神紋章の由来 |
《御神紋章の由来》 それらによりますと、神武天皇以前に、天神七世、皇統二十五代、葺不合七十三代という膨大な歴史が秘められており、人類そのものの発祥は、皇統第二代の御代に人類の先祖である五色人が出現したとあります。ところが天変地異によって各国に分散した五色人の統一的教化をすすめるため、五色人の祖である皇統第二代の十六人の皇子を、霊(日)の本つ国から十六カ国の教化の王として、世界各地に初めておつかわしになり、万国の人達に教法を伝え、その教化に絶大な労苦を積みはじめられています。 そのときの十六カ国を十六方位とし、それと十六人の皇子を象徴して、まん中の丸(天地人類創造の神)を中心に、十六方位に斜線のある切りっぱなしの菊形を御神紋として制定されたのです。これが後の皇室の御紋章のもとになり、ピラミッドに埋蔵されていたツタンカーメンの靴や剣に記してある十六菊形の御紋章であり、またエルサレムにある「開かずの扉」に刻んであった十六菊形の御紋章などで、現在各地で盛んに発見されているのはその証左です。ですからその当時は、全世界がみな一つの家であり、全人類はみな親戚で、そこにはなんらの闘争も病もない秩序だった愛和の世界がありました。それを、バイブルでも天国とかエデンの園に住んでいた…とか表現したのです。 その後、人類に物質を駆使させて、地上に天国社会を造る目的があった神は、神のような霊力はなくても、物質を開発し、駆使できる点では、神よりすぐれた能力のある人間を創造してその発育に何百万年とご苦労をされたのです。それがために次第に霊性を失った人間は、物質中心主義となり、病、貧、争の三大苦まで招来する結果となってしまったのです。 ところが今度は、神が直接統治していた神世と神代時代の文明に、今まで人類が血と汗と涙によって開拓した物質文明を最高度に生かしプラスした霊文明時代、換言すれば、霊心思想と物質科学を融合した新真神代時代を造りだすことに、我々人類の責任があるのです。それには「神理正法」と「真光の業」によって、天意を知らず物質文明に生きてきた全世界の人々に霊心思想を注入し、思想の芯を確立させることこそ我々「陽光子」の役割であり、今後の人類の進むべき道であることを我らの師は、あらゆる歴史的、考古学的研究と全国探訪の結果強調されています。 そのような理由で、御神紋章は神が神世時代の御神紋に、霊心思想を意味するタテ(赤色)と、物質文明を意味するヨコ(青色)を十字に組み合わせ、その中心に主(ス)をいただき、十六の斜線の先に万華の姿を表わしたマルを書かせました。そして全体を金・白・緑色の天・空・地のミロクにわけて、その三界を貫き秩序だった、しかも万象が円滑に運営できて人類社会は平和な世界と化す姿を表わして御神紋とし、全人類のマークとすべきを直接師に啓示されたのです。これこそ神のみ意(こころ)を知った神の子人の時期天国文明の旗印であり、祈りであり、表象です。 |
この天意をさとって、主に神向きし、全人類が愛和協力して師の表現される「幸せ者のみの地上」、さらに、ここまで発育してきた物質科学を最高度に駆使して「人間から神性化した人に昇華する」いわゆる新真神世時代を現出することが、この御神紋章に秘められた意味です。 (イ)太陽信仰 さて、神道の思想から出ている言葉のうちで、よく神柱とか人柱とかいうことがいわれておりますが、その柱という字には、主という字が書いてあります。即ち、主の木で、木は気(気のメは火と書く)ですが、天地創造神が地球上で一番さきに生えしめられたものは木種、草種です。そこで、神の霊気が生物化した初まりは木になるわけで、したがって木は気ということにもなる。また木気(きき)とも発音もしている訳。柱は即ち主の気で、それの重点、主点となるのは左側にある主である。したがって、主を中心にした生き方をとってゆけば、人間は万象、万物の本当の神柱、人柱となってゆくことができる。 そこで、全世界の人類が、主という主体を持っているという証拠は太陽信仰であると思う。太陽信仰ということは、いい換えると火玉の神の信仰ということです。火玉の神はヒの魂のかたまりのような神様、即ちunseen(アイシーン)な真の隠身神(カクリミしん)が即ち主(ス)の神なのです。主(ス)は火の気の強い神様ですから、太陽神にも変化されるわけです。言い換える、霊の面では天照主日大神様として六次元界に変化され、降臨される。その御霊力が物質化すると太陽にもなる。 ですから太陽信仰は日(火)の神の信仰であり、究極は主の神の御性質の信仰である。これを霊的にわかりやくいえば、元主真光大御神様ということにもなってしまうわけです。 仏教のほうで申しますとタタギャータで、サンスクリットは日本語の行ったものですから大体同じですが、高い所に立った方ということで、これを大日如来と訳している。 この天照主日大神様はそのすぐ下の仏界の救いに天下りされてもいる。天降られたということは仏界に出てしまったというのではなく、また神界のほうへ戻られるわけですから、来たのに等しい、来た如し、という意味で正直にも如来という字を使っている。またそのほかにも、仏教においては殆どが神世の日本語、日本の言霊が使われております。 (ロ)太陽信仰の元 世界の人類がもっている太陽信仰の元は何か、どうして太陽信仰が発生したかについて、概要を申し上げよう。 さきに申し上げた純真な霊体神である天照主日大神様が、物理学でいうとパーの原理で、幽体を持って肉体化し、現界の高天原(たかあまはら)に天降られた。それで歴史にも、天照主日大神様が地上に降り立ったとはっきり出ている。そしてある期間おられて神界へお還りになっている。古文献を見ますと、お亡くなりになりますと必ず神去りとか、神幽(かみさ)ります、というように表現している。神が幽界に帰られたり、神界に帰られたりすることを、神サルという言葉が用いられている、天に昇るというのです。そして降りてこられることを天下(あまくだ)る天降(あも)るなどといいます。ヨハネやイエスは現界へ下がってくるのを遣わされたといっています。 さて、太陽信仰の始まりは、さきに述べたように、天照主日大神様が天降られたことからになりますが、これにはその土地の霊界に下りられる場合と、さらに肉体化して山などに降りられる場合との両方があります。肉体化して山の上にお止まりになったことも、神が山にお止まりになるということでヤマトといい、これがヤマトの国の始まりになるわけで、この場合は天の岩戸に居住されることになる。したがって古文献を見るときは、天降るといっても、この両方をよく区別してみないとわからなくなる。 古文献によりますと、天照主日大神様は、地上に天降られたり、また、その土地の霊界に止まったり、あるいは下りられたところから神去っておられたりして、ご活動されていることがわかる。 天照主日大神様は、現界において、初めて人体化した皇統第一代天日豊本葦牙気皇主身光大神天皇(あめひとよもとあしかびきみぬしみひかりおほかみすめらみこと)様を地上に残されて神幽られることになるのですから、天照主日大神様は日の神様ですから、非常に朗らかで温かく、正しく善で美しくいらしたので、皆から非常に慕われておられたわけで、神幽られたこと、亡くなられたことで、皇統第一代の天皇や五色人の先祖になった神々、五色人(といっても、当時は神人揃い)の皆様が大変寂しがりまして、そのご逝去後、そのお光を慕いまつってなんとか再現してお徳を偲ぼう、ご経綸を忘れぬよう拝もうということで鏡岩を造って、それに光を反射させて慕い拝んだのです。この岩鏡は大きな自然の岩鏡で、いつの間にか、これが世界中に太陽信仰が生まれる始まりになったのです。鏡岩から反射する光を拝むことが最初で、やがて太陽そのものを拝むように変わってきた。 鏡岩は高い山の上に置かれたのですが、これは方々にあり、大きいものから小さいものまでいろいろあります。私が探訪したところのものは、位山の頂上にありまして、八尺から九尺の直径のまん丸な岩です。おそらく何千年も昔のものの形骸しか分からないと思いますし、まん丸で、何で削ったかは科学者にも分からぬが、全く今の鏡のようですから人工だということがはっきりしています。そして、まわりは岩のないような山ですから、この岩鏡はその山上に他の所からわざわざ持ち上げてきたものに違いありません。岩鏡の前には祭壇があり、岩鏡は今日の科学ではどうして造ったかわからないそうですが、実にきれいに削ってあります。ちょうど今の神社の鏡のような岩です。そして岩鏡は、ここばかりでなく九州やそのほかのものも磁石をのせて調べると、必ずといっていい程真東に向いております。その土地で、太陽の上がる方向へ直角においてあるわけです。また、地方の文献を見ましても、天照主日大神様が神幽られてから、岩鏡に朝日の光を反射させて拝みお慕い申し上げたことがわかるのです。 太陽信仰はこのような状態で発生したのですが、やがて氷河期が訪れるようになって、神祀りの場所も次第に山から下がって平野で行われるようになり、そのためにの神社は平野へ平野へと下がってから造られるようになったのです。そして、神社の御神前には鏡岩が置かれ、これが段々、大変むずかしい事情となって、今日の神社には鏡を置くという形として残されているわけです。したがって神社にある鏡は実はヤタの鏡の思想とは異なり、大元は太陽信仰の鏡岩から変化してきたものなのです。氷河期がくるまでは、山の山頂は神祀りだけの場所ではなく、ヤマト民族というのは、みな山の頂上付近に住んでいたわけですから、岩戸文化は殆ど山の上に開かれて残っている。 以上のように、太陽信仰の元は、実は天照主日大神様の神幽された後における、お慕い申し上げる祭りで、それが太陽を拝む信仰になり、遂には太陽神を祀る社の信仰になり、ピラミッドにもなったのが世界の太陽信仰である。大体、古文献と国内の状態などを見たところでは、そのような経路がはっきりしてきております。 非常に面白いことは、世界の歴史では日本のことを太陽族といっていることですが、なるほどこれは、天照主日大神様の子孫で、且つそれを信仰して、それが太陽を拝む習慣になって残ったわけですから、その意味で太陽神の子孫を太陽族というのも当然といえるでしょう。最近大きな問題になってきておりますムー大陸の研究が本になって出ておりますが、これは日本を研究するのに非常に参考になります。それによりますと、ムー大陸は約一万五千年前に一夜にして太平洋に没したとあります。即ち日本の国の大部分がちぎれて今日では太平洋に陥没しているのです。 太古においてはムー大陸とレムリア大陸というのがありました。レムリア大陸というのは、生物学の分布上から生物学者の地図では、ムー大陸の前にあった大陸だとしておりますが、たしかに、太古においては太平洋も日本海も黄海もインド洋も陥没していない時代があった。しかし、ムー大陸のほうが研究が進んで、かなりはっきりしてきております。それからもう一つは、ムー大陸の横のほうにアトランティス大陸というのがあります。今日のドーバー海峡とアメリカの東海岸との間は、やはり以前は陸続きだったわけです。 太古の昔においては、ムー大陸はレムリア大陸と続いており、今日の日本とも一体で、日本海は陸で、シベリアのほうまで続いていたし、また東のほうはアメリカ大陸まで続いていて、実に大きな大陸だったわけですが、そのムー大陸が今の太平洋となっている部分が陥没をしてしまった。その断層がアメリカの西海岸に、また日本の太平洋岸に出ております。陥没でちぎれて残ったところが、逆に隆起したり、その当時の高山の頂上が海水上に出たりするが、今の日本の敷島の隆起にもなり、南洋郡島や太平洋のマーシャル、カロリン諸島などになるわけです。 ムー大陸が没したときに、いわゆるノアの箱舟に乗って逃げた種族がアメリカに上陸し、逆に西に逃げたのが現在の日本に残っているのと、それからさらに、当時陸だった日本海を経て西に移動したそのうちの一番強い流れが、コンロン文化からビルマにはいる流れとなり、ネパールやインドにはいった。これが、太陽族のマヤ族、ムー大陸のマヤ族です。ですからマヤ族の先祖は太陽族になっております。マヤ族をサカサにして止まったのが、ヤマト族になった由来です。したがって、ムーを太陽の帝国ともいっております。 今までの日本の文献で分かっておりますのは、日本はもとミューといっておりました。ところがムー大陸のムーは、mu moo と書いてムウと発音していた。これはミューと読める。結局同じことで、日本の太古文献にミューといっていた日本はムーだったといえる。 太陽帝国といっているムーは、また「クイの国」ともいっております。ムー大陸の本の中にもクイという部分が出てきます。それで非常に面白いと思うことは、法滅盡経やミロク下生経、般若心経の中に、釈尊がクイガ国にあったということが出ていることです。このところは大僧正や仏教学者に聞いてみても一向にわからないところですが、「クイガ国」とは、つまりは日本のことなので、そうすればこれらの経文の謎も解けてくるわけです。また、日本の古文献では釈尊が日本に来ていることが記されており、現実にその証拠もありますが、ムー大陸の研究からもこの点が一層はっきりしてきている。 (ニ)ムー大陸の陥没 ムー大陸が陥没したあとの太平洋には、マーシャル、カロリン等の島々が点在していますが、これらはムー大陸の陥没した山の頂上が残ったものであることが発掘物で証明され出しています。 これらの島々から出たいろいろな証拠によって、当時の文明や信仰がわかってきておりますが、これは極めて注目に値するものといえる。当時は石の文明だったから石板とか石牌または粘土板が何千と出てきていますが、それがアメリカの西海岸から出たものと同じようなものであり、また、ビルマあたりや日本から出ているものと同様のものが多々ありで、しかも、石に書かれた文字も同系統のものであることが明らかです。したがって、これらの発掘されたものを総合すると、アメリカ西海岸からビルマのほうにわたっては、一連の文明があったことがわかる。 ムー大陸の名残りであるそれらの島々から出た石板の中に、非常に面白いのがある。例えば、ムー大陸を表現するのに三つの山をつけたような印を書いている。ムーは数霊で六だから水で、水はミとも読む。つまり三だから、三つの山で表現するのは当然といえる。もう一つには、ムー大陸は太平洋の天地かえらくで、真っ暗な時代になって、そして太陽の国が沈んだということを現している印がある。 (ホ)太陽信仰と人類の流れ アメリカにおける最近の学説では、アメリカの先住民族は、おそらく日本人であったろういっている学説も現れている。日本の古文献を見ますと、太古に日本の十六人の皇子のお一人がアメリカに渡って開拓しておられます。その北のほうをヒムカエビロス、南のほうをヒナタエビロスと示されている。ヒナタというのは日向で、ヒムカというのは、ヒから離れているが、ヒのほうへ向いた、北のほうということです。ところが、アメリカの文献によりますと、アメリカはもとエビロスといったとありますから、これは、日本の太古史と現在のアメリカの子孫がいい出していることとが同じことになる。 太陽信仰ということにおいても、人類の分布や流れにしたがって、天照主日大神様を拝むことが鏡岩になり、今日の神社の鏡岩に、そして日の神を祀るというような流れも歴史的に流れてきているわけは前述の通りです。 ムー大陸の王室のマークにも、その真ん中に太陽を現している。そしてこれをルミルと読んでおりますが、これがまた釈尊の生まれたルンビニーに非常に関係してくると思います。 要するに、このような太陽信仰が続いてきて、絵文字あたりも、太陽を中心にして、太陽の効力や熱力、生命力を示したものがいろいろとその絵文字に出ております。 このように、太陽を現したものは古来あらゆるところに出ている。太陽の恩恵は人類に恐ろしいほどの影響をもたらしているわけで、太陽信仰、太陽族といっても(釈迦やイエスも太陽族であることが歴史であきらかにされている)、そのような太陽族であるという意味は、深くかつ重大な内容を含んだ問題がある。そして、その太陽族は日本から発祥しているということ、さらに全世界に太陽信仰があるということ、これらは総合して人類の発生歴史とその流れ方に、重大な研究示唆を与え、且つその元を語っているものであると思うのです。今後、徹底的に研究すべき日本人と人類への課題の一つです。 聖凰師口述「神向き讃詞解説」より |