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<転載開始>
18.万歳旗と五色人と易 |
(イ)五色人の発生日本人の古さということの次に大切だと思っていることは、五色人の発生の源と日本についてのことです。五色人があるということは、世界中で知られていることですが、意外に知らないのは五色人の本家である日本人です。面白い現象だと思う。 しかし、外国人のいっている五色人にしても、その発祥の源はどこだろうかというと、それはわかっていません。今日の発掘された人骨ではわからない。わからないままになっています。発掘された人骨でわからないとすれば、これは古文献によるより仕方ありません。ところが、世界中のどの古文献を見てもわからない。ただ日本の古文献だけにあります。したがって、現在では日本の古文献による以外に五色人の発祥の元を尋ねる方法がありません。 日本の古文献には、五色人のことがはっきりと記されています。また、五色人の集まったと思われる場所も、古文献によって尋ねて参りますと、今日その場所を見出すことができます。現在はまだ私も世界を歩いておりませんので、いずれ、文明の流れと五色人の問題については、世界を一周してから結論づけたいと思っておりますが、大体間違いないと思われる範囲で概要を申し上げておくことにいたします。 この上図に示されたことについては、もうすでに天地創造の歴史で申し上げておりますし、神界の型でも申し上げている通りのことですが、ただ、神のみ名そのものについては、多少文献によって名前の違うものがあります。例えてみますと、エホバの神様とかヤハエの神様とかいわれておりますが、そのヤハエとは即ち男心女体神(だんしんにょたいしん)という意味になっています。外国の最近の神学者あたりでも、このような言葉の意味を研究し始めておりますが、言霊でいえば、ヤハエの「ヤ」はタテ(神)で「ハ」は開く、即ちヨコで、「エ」は支や枝で霊の面に対する体の面であります。つまり、タテとヨコを十字に組んだ男心女体の神様で、しかも枝、体の面の神様です。主の神様を霊の面としますと、その体の面の神様ということです。第七次元界即ち神界の神様は一体神、男心女体神、真のカクリミ神、魂そのものであり、想念の力そのものの神様、その神界の主の大神様の体の面ということになりますから、その次の神霊界、つまり霊体をお持ちになられた方の神様ということになります。そうしますと、第六次元界の国万造主の大神様が、一段下がっても第五次元の天照日大神様でなければヤハエの神様とはいえません。エホバというのも同じことで、エが先に行っただけで、ホ=ヒ即ちタテ=ヤであり、バ=ハ即ちヨコですから、ヤハエ=エホバということです。エホバというのは翻訳のとき発音を間違えたといわれていますが、しかし言霊では不思議と同じになっています。 仏教ではこの神様を聖観音といっています。仏教で観音といえば男心女体神を表現しておりますから、男心女体神ということで、聖観音は即ちヤハエの神様ということになる。日本では五男三女神(いずのめ 伊都能売神とも書く)といっております。 イエスが「天の父」といっている神様も、この神様即ち国万造主大神様か天照日大神様のことです。ところが、イエスは日の神、太陽神の信仰ですから、男心女体神だが火玉の神、天照日大神様を中心にしていたかもしれない。この神様は国万造主大神様と共に別名トト(トトは神代語で、父・エデ)の神と文献では申し上げるのはこの二柱だけですから、イエスが天の父よということと符号いたします。 バイブルを見ますと、アダムとイブはエデン(エデは神代語でチチあるいはトトという)の園の中央にあるチエの実を食べて、ヤハエの神様に追放されたとありますから、そうしますと、父の園の高天原から降り立った人類を最初に創られたのがヤハエの神様ということになります。はじめ人間の霊成型(ひながた 霊像)を創られ、そして皇統第二代のときに五つの色に肌色が分けられて肉体化されております。 究極は人類を創られた神様はヤハエの神様あるいは聖観音とも、五男女三神ともいえるわけで、いずれも間違いとはいえません。結局万教は元一つなのですが、ただ時代と民族とそれぞれの国の言語によって名前のつけ方が違っていたというだけでのことで、キリスト教も仏教も神道も同じことをいっているということになるわけです。したがってこれらが何も対立する必要はないのです。 |
(ロ)五色人の証拠 さきに述べたように、人類の霊成型が創られ、そして五色人の発生したのは霊(ひ)の元つ国日本です(前ムー大陸人)。しかし、そのことを示しているものは世界のどの文献にもなく、日本の古文献にのみ記されているだけです。キリストの生きていたときの歴史の本が出ておりますが、それを見ても五色人のことは書いていない。また、山海関の契丹古文書を見ても書いていない。ところが、今日まで隠されてきていた日本の証拠物件の中には、五色人のことが沢山出ております。その一つとして五色人を表した面があります。しかも、これを御神体にした神社まであります。また、仏教の経文はこの五色人の流れさえ示しています。 古文献からまいりますと、その神社の付近にあたる場所は、かつて五色人が集まった場所でなくてはならないと思って、その場所を探訪しますと、奇しくも五色人の面のある神社がみつかったのです。しかも、それを御神体として、天祖として、火の神様として祀っているのです。 その五色人の面をみますと、黒人、白人、青人、赤人、黄人に応じて、それぞれ作った木が異なっています。その面を研究した学者の説明を聞いてみますと、それぞれエジプトとかインドとか、人種に応じた国の木が使われており、且つ彫刻の仕方が、各々その国独特の木質の彫り方であるとのことです。 日本国中を方ぼう歩いてみますと、このような五色人の面を隠した神社を、他にいくつかみつけ出すことができました。いづれも、何千年もの間に亘って伝わっている神社です。 (ハ)証拠品の湮滅 御神体として拝んでこられた五色人の面のように、大変貴重な、本当の意味での国宝というより人類宝に属するものが日本には沢山ある。しかも一つも国宝になっていない重大盲点がある。 仏教の渡来で、仏像とかそれに類したものが多く国宝にされていますが、ひどいトリックであった、それらは美術品としての価値はあるかも知れませんが、国宝になる程のものでは絶対ないことに現代人は新しい開眼を要する。 人類宝になり国宝になるものは、日本の中に近邦にと、幸いにして現在はまだ隠してある。しかしそれらは、非常に危険な状態におかれているといえましょう。人類にとって重大な宝物をしっかり預る所がないので、さきの五色人の面の神社にしても、それをとんでもないある島に隠しているというように、宝を護持するどころか、それぞれ各個に隠匿したまま今日に至っています。しかも、このような放置の状態の中で、政府学会もまったく無関心なままで、一方ではⅩ思想団体やZ教等々が、日本の古いものの湮滅運動を盛んに行っていると思われる節が依然として続いているのが現状です。 したがってうかつに言ったり出したりすれば、たちまち湮滅されてしまう。それでは日本の神道界がなぜこれをしっかり擁護しないのかということになりますが、それは、自分の本体がわかってしまえば、今日のような新しい神道はその根底が崩れてしまうため、知らぬふりをしているのです。こんなことでは日本自体が神様に叱られるのはあたりまえです。私がいっているように、神の堪忍袋の緒がいつか切れてしまう、まことに危険な状態にあるといわざるを得ません。否、切れ始めているのです。 そこで、いずれはその博物館を我々の力で造らなければならないと思っております。そうでないと、このままにしておけば、やがて人類宝は湮滅し、霧散してしまうことになるでしょう。 今日までの歴史をみても、日本における寺と神社との争いが多く続けられてきました。これは日本の古文献や証拠物件をめぐっての争奪戦であり、湮滅運動であって、その証拠には焼き討ち事件が繰り返されてきているのです。 重要な証拠品の湮滅運動は、秦の始皇帝以来顕著に続けられてきます。壬申の乱にしても応仁の乱にしても、また、南北朝の争いも、一向一揆も、みなこれが関係しているのです。まさに神社と寺と、神社同士寺同士の闘争の歴史です。 (ニ)系統の争い 天皇家は今日まで霊統として万世一系であることには違いありませんが、天皇の位にご本家が立たれたり、分家が立たれたりして、血統上は何回も交代しておられます。大きく分けると、御本家であるところの黄人(おうひと)、即ち日本の本土に残っておられた御系統と、ユダヤの方へ行かれた御系統(メソポタニヤの方へ行かれた御系統と一体となっておられますが、これは白人系統のスメラミコト)と、支那大陸を統治に行かれた盤古系統の三つの系統になりますが、日本の歴史にこの三つの大きな系統の間で、霊統の争いではなく、人類進化のための血統の争いが行われてきました。 このようなことから、日本における神社と寺も大きく分けると三つの系統に別れているといっても差し支えないでしょう。それは、それぞれの血統の方がその属する方の神様を本体として祀るために、究極は間違いはないのだろうけれども、血統として別れるようなことになるからです。 それからもう一つの問題は、その当時の政権に応じて神官になったり、僧侶になったりしたということです。仏教が盛んになって神道が圧迫されるようになると、神社はお寺に化けてしまい、神官は僧侶になってしまう。また神道の方が盛んになってきますと、僧侶は神官になってしまう。これが日本の宗教界の特色の一つです。しかしこのようなゴマカシは表に現れていません。こんな状態なのですから、信仰で救われようとしてもこれは無理なことです。そしてお互いに仏教だ何々宗だ、キリスト教だ、神道だといっている。神様や大仏様からみれば、無茶苦茶でバカにした話です。そこで、歴史をどうしても正して行かなければならなくなるわけです。そのような意味で、上図を見ていただかないと本旨を汲み取ることはできないでしょう。 (ホ)五色人の祖 以上説明した霊統と血統が源となって、歴史の大きな流れ、文明の大きな流れをなしてきたということの概要を申し上げておきました。 五色人の祖というのは、肉体界における人類にとっては先祖即ち人祖になるわけですが、しかし、人祖の霊成型を創られたのは皇統第二代に当たられる現人神(応身の神)の造化気万男身光神天皇(つくりのしきよろずをみひかりかみてんのう)の神様の御活動ですから、直接の人祖ということになると、霊の面までいけば、天照日大神様か国万造主の大神様になってまいります。そして、さらにその親神様までたどって行きますと、全知全能の神といわれる主神様ということになりますから、結局第五次元以上のスの御霊統の神様が全部人祖ということになります。そして、人祖というのはまた天祖でもあります。その天祖は同時に、スの霊統で現人神に変化して出られている天皇の御先祖、皇祖でもある。したがって、日本というのは五色人(全人類)の天祖と人祖が一体化している。正に霊(ヒ)の元つ国ですから天皇(スメラ)家を否定したならば、即ち五色人人類は人類史を否定したことになるといわなければなりません。 五色人の祖である「造化気万男身光天皇」は、後にスメラミコトというお言葉を贈っておりますが、実際は応身の神です。 神様にも、肉体を持たれた神様と、幽体身の神様と、霊体身だけの神様がおられます。その点については、仏教の法身、報身、応身の分類は、正しいといえるでしょう。ところが仏教ではこれを哲学で説明しますから、こじつけの説明になっておりますが、本当は法身は霊体神、報身は幽体神、応身は肉体神ということです。 (ヘ)歴史と文明の流れ 天神時代を終わりまして、皇統第二代になって五色人が発生したわけですが、その五色人の配置を大きく分けますと、上図の一番右からまいりまして、黄人(おうびと)、次にヨロイパ赤人女祖(あかひとめそ)、そして一番左にあるシナインダウ、天笠、の三つと、その外に白人、青人に分かれました。黄人は後にオオビトとキビトに分かれている。オオビトというのは本家の日本の島、というより当時の大陸(陥没したムー大陸などで、マヤ族、太陽族といっていたもの)にいて今日に至っています。 黄人(キビト)はオオビトとは区分されていますが、これは大体沿海州から今日の東シベリア、支那大陸に分かれて行った皇子様の子孫である。盤古系ともいわれているのもその一つです。それからヨロイパ赤人女祖というのがありますが、これのほかに青人(アオビト)の皇子が派遣されておられます。またこのほかに白人の代表者が派遣されている。青人は主に後世オロチ族にもなる(オロチ退治の物語に出てくるオロチ族のことと思われる)のですが、ここでは省略いたします。 黒人はもと紫の人と書いてクロビトと呼んでいたのですから、後に段々と黒く変わってきたのかもしれません。今日の黒人がそうです。黄人(オオビト)は五色人の発祥地である日本に、スの直系が中心になって残った。そして支那に行った黄人(キビト)と、ヨロイパ赤人の一群が中央アジアを開拓しているのですが、このヨロイパ赤人女祖の一番最初に土着した土地が、今日、現にメソポタニアとして残っている。これは、赤人女祖のメソ(女祖)のタミ(民)のヤで、ヤというのは野=国=州=平原という意味で、しかもポ=炎、即ち日系ですから「メソポタニヤ」とはメソ(女祖)のポ(日系)のタミ(民)が居たところ、という意味でそれがそのまま地名になって今日まで残っているのです。赤人女祖のご一族はそれから分かれてエジプト、ペルシャ、アフガカフに行っている、アフガカフとは神代時代の文献に出ている言葉なのですが、今日のアフガニスタンにあたると思われます。神代時代から何十万年か経た今日もなお地名は続いているのです。エジプトには御承知のようにピラミッドがありますが、その原型は日本にある。ペルシャにはスメル族が行っておりますが、このスメル族というのは、また、シュメールといって、スメラ族の訛(なま)ったものだといろいろな面から考えられます。スメル族の中にスサの王になった方がいる。即ちペルシャのスサノ王で、これが日本では須佐男(スサノオ)になっている。スサの王様のことです。須佐男尊は別名月ヨミの尊といわれております。日本の古文献には、その月ヨミの尊はエジプトやペルシャに行った歴史があります。 それからもう一つは、アダムイブイン民王というのがありますが、これは二人ではなくお一人です。アダムイブイン民王という王様になって、メソポタニアよりもっと西の方に働きかけられた。その御子孫の系統がモハモセス、そしてモウシェ(モーゼ)に至り、その子孫にイスキリスが出てきます。 この系統の横にダン族というのがありますが、これも日本から行っております。神代にダンという御一家がありますが、それがこの西へまいりましたのがダン族だと思います。 従ってこのダン族もやはり日本人である。このダン族がユダヤに追われて朝鮮に逃げてきましたのが、朝鮮のダン家といえるようです。ですから朝鮮にはダン家の子孫が多い。 それからエリヤ様というのは、たしかモーシェの分家になったと思いますが、エリヤは後に堯帝(ぎょうてい)になっている。堯帝の子孫が秦の始皇帝である。その秦の始皇帝が追われて黄河へ来て、そこで黄河文明を開いている。その証拠に、秦の始皇帝の建てた寺を大秦寺といっています。これは今日の宗教研究では、仏教ではなく、ペルシャ景教だったことがわかってきているのです。その子孫の、秦族は日本に来てから藤原氏となったのです。日本へ来て藤原氏は大秦神社を建てましたが、これは寺ではなくやはりペルシャ景教の神社です。 平安朝の興隆は、藤原氏がおこなっております。そこで藤原一門が栄えた。結局これは日本の分家のユダヤからきているわけで、支那に勢力を張った秦の始皇帝以来、この日本に支那文化が入ってきたのは当然で、いつの間にか日本は仏教の受け入れ国家に変わってきたのです。 インドの方へ行かれた、天竺民王という王様の御子孫が栄えたが、そこからインドのことを天竺というようになった。これは日本の古代語である。その御子孫に釈迦が出てくる。インドには釈迦族というのがありますが、釈迦という人はおりません。ゴータマシッタッタという人しか出てこない。釈迦という言葉が歴史書に出てくるのは、日本の古文献だけである。しかもこれも、釈迦という人は出て来ない。釈迦天空坊という人にはじめてこの釈迦の字が書かれてある。現に日本のある地で、釈尊のおられた場所と推定されるところから、三千年前の錫杖(しゃくじょう)が出ていたり、仏教渡来前に建てたと思われる東大寺のようなお寺が発掘されたりしております。これ等からみれば、仏教が千二百年前にきたということはおかしなことである。釈迦の住んだと思われる屋敷跡も残っているし、今日でもその場所は釈迦村といっている。日本の古文献からいえば、釈尊は五十二歳のときにセイロン島を脱出している。そうなると法滅盡経に出てくる五十二歳のところがはっきりするわけです。 一方、インドではお釈迦様のことは太陽族・支那では日種(にっしゅ)であり、経文では日本からコンロンに入ったシュメール王族のご子孫になっている。 イスキリスというのが出ておりますが、このイエスもいずれ書物にするときにはっきり記しますが、この方も中央アジアからチベットまで入っております。十八歳のときにはいっているのですが、そのときからチベットの歴史では、その十二年間はどこにいたかわからない。ところが日本の古文献をみると、ちょうどこの十二年間は日本に来ていたことがわかる。丹波の伊勢で行をしております。こうしてみると、日本の歴史とチベットの歴史と中央アジアの歴史とイスラエルの歴史はうまくつながりがつくのです。そして十二年後に日本を発って、イスラエルの救済に初めて立ち上がられたわけです。 伊勢神宮の外宮の御神体であるマンナの壺は今日では学会でも認められているように本当のもので、従ってマンナの壺はイスラエルからなくなっているのは当然で、日本に帰ってきているのです。この壺は金の壺で、そのうしろに例のエイーエ・アシエル・エイーエ(在りて有るもの)と書いてあるから仕方がありません。その伊勢にあるマンナの壺は、現在の堺の関の五本松の所に到着しました。そこにあるのが三保神社です。したがってこの神社の行事は、壺を持って大海を渡るという行事で、これが祭りになって現在残っています。すばらしい祭りです。これが今日、伊勢の外宮の御神体になっています。これらのことを明らかにしてまいりますと、世界の文明の発祥と、それがどのような順序で流れて行ったかということがはっきりしてきます。したがって、日本というのは最古文明を発祥し、そして日本から出て何億年後に、いわゆる五大文明が発祥しているということが、日本の古文献によって明らかにされるのです。そしてそれを裏付けして、日本は最古の文明国であったのではないかと、いろいろの面でいえますが、最近の考古学ではいろいろの点で古文献を裏付けし出しています。 例えば、日本には石器文化がなかったなどといっていたところが、そのなかったはずの石器が出てきたりしています。 それも、戦後、世界の学者が日本にはいり込んで片っ端から証明していったものが多数を占めている。ラクダやワニが出てきたり、はては巨石器までもが発見される。少なくも六十万年前の日本には、すでに立派な文化が発育していたということが分かってきました。このような状態は、まさにアバキの世の現象です。神様の”四つアの世”の一つは、かかる点に出てきています。すべてがハッキリしてくると、さきに説明したエホバやヤハエの意味も聖観音、五男三女神、み仏といった意味もよくわかることになります。あるいは”光は東方より”とか、”大乗の機根東方の国にあり”という「東方」とか「東方の国」とかは、この日本を指しているということが分かる。また、日本はミズホの国ともいっていたのですが、イスラエル語でも日本をミズラボ(東方の国、日出づる国の義)といってきました。そして太陽の昇る国、東の国といっています。 そこで、非常に面白いことは、イスラエルばかりでなく、アメリカにしても、他の国々にしても、殆どの国が日本のことを東の国といってきていることが、文献からも認められるということです。それから、エホバの神様のことを、E∨Eと表現しておりますが、これのEは、東(East)とヨーロッパ(Europe)の頭文字を示しています。即ち東のEから吹き上げて割れて(∨)分家になってきたのがヨーロッパである、ということを表わしたものといえるのである。そしてそのヨーロッパにヨロイパ赤人女祖のヨが使われています。 日本の太古の地図を見ると、研修で申し上げているように、日本はイの国となっています。イの一番、一番の国といっている、一というのは元、モト始むとも読む、即ち今の先祖の大元の国ということである。そして他にロの国、ヨの国とが出ております。 このヨの国は、かなり後世になってヨモツ国といわれるようになった。本当の太古、天神時代は世界をイとロとヨの地区に分けておられます。 イの国は日本といっておりますが、これは霊(火)の元つ国、元=本だから当然です。火・日・陽の神様の一番始まりの所ですから。この神様は男心女体であっても火の気(気のメは火と書く)が重点になっておりますから、十ではなくて十(横棒より縦棒が太い十)です。そのお子様の方は天照日大神様で、陽の神といわれています。それで世界中に太陽信仰がある所以が分かります。天照日大神様を拝んだ風習が全世界に広がっています。それは、日本から五色人が発祥したのだから当然です。五色人にとっては究極自分の先祖となるのは日・陽・火の神様であるということなのですから、世界中に太陽信仰がある。世界に太陽信仰があるから日本に太陽信仰があるのではなく、その逆です。そこでイの一番の国を霊の元、日本としたこの型は日の丸の旗とも古文献は一致します。 ロの国はかつてのロシアになり、今はソビエトといっています。ソビエトとは元祖(ソがヒ)でそのエダ(枝)の民族が止まったという意味に今でも言霊でなっている。時代が移るにつれて名前が変わっても、やはり意味することは変わらないようになってしまう。とにかく日本の天地創造からの超古代史と民族の流れを見れば、基教、仏教、神道などの宗教から、国の名から国旗の関係から、すべてが解明されるということができます。そして、その超古文献、超古代史を現在では新しい考古学や人類学やあるいは地質学、海洋学といった学問が裏付けてきていて、これに反論する余地を与えないようになりつつある。まさにアバキの世です。従って、これらのことが前提になって、初めて科学的にこの神向き讃詞を理解することが可能になってきているということがいえます。以下そのような意味で解説をしてゆきたいと思います。 聖凰師口述「神向き讃詞解説」より | |