神々が動いているさんのサイトより
http://amanohitukukami.blog28.fc2.com/blog-entry-249.html
<転載開始>
夢の話を書きます。

11月1日に超モンスター銀河が発見され、「オロチ」と名づけられました
(しかもつづいて9州で「鳴戸」。道真サマの祖先の出雲臣・野見宿禰の角界だし・・・)

浦嶋伝説の丹後の伊根町にイルカの大群があらわれ、
ほどなくして大阪の泉北港と博多湾の長垂に子クジラが出現。
クジラはイサ(13)。
鯨魚はイサナ(137)と読み、イルカやクジラをあらわす古語です。

イサナといえば、もちろん<キ>と<ミ>。
10月22日、137億年前のビックバンから3億年後に誕生した、第一世代の星の光の「むら」が、赤外線観測衛星『あかり』によって観測されました。

おぼえてますか? 137を。
そう。1月23日のカグツチ天国。
事件から137週での秋葉原ホコ天復活でした。
この「137」はもちろん<ミ>の方。
みごとなカグツチ出産(福島第一原発)の「型」だった。

ホツマツタヱでは、イザナギとイザナミは先代のオモタルとカシコネからクニタマの中柱(軸)として千五百(ちいお)の「むら」を託されます。オモタルとカシコネの時代はかなり殺伐としていたようで、これを裁くために武器が用いられます。そのため彼らには子がうまれず、ネクニのイザナギとヒダカミのイザナミを娶わせ、後継ぎとします。現代まで脈々と受け継がれてきたこの国の神話と歴史の流れは、実質的にはイザナギとイザナミからはじまることになるわけです。
千五百の「むら」は、まさに第一世代の「むら」であり、まさに国生み(再生)の星でした。
のちに黄泉津比良坂で、「ならばわたしは日に千五百人うませよう」といったイザナギのセリフは、ともに国づくりをはじめたこの千五百の「むら」に掛けたものです。

発見された「むら」は光の濃淡のことですが、斑(むら)は群(むら)であり、邑(むら)に通じます。
137億年前のビッグバンから生まれた第一世代の星の「むら」は、千五百の「むら」のことであり、この事象はキかミかではなく、キとミの「むら」として、僕らの「あかり」になってほしいと、そう願っていました。
「十」と「ニニ」の日だしね。

でもその矢先でした。
クジラ座の方角に超モンスター銀河が発見されたの……。
そしてこともあろうに、このモンスター銀河の王が、八岐大蛇にちなんで「オロチ」と名づけられたのは。

137(イサナ)の向こうに、超モンスター・オロチがいる!

大阪と福岡に同時にあらわれた子クジラがなにかの前ぶれなら、そのなにかとは、まさにオロチ……。

夢を見たのは数日後でした。
この文章は、そのとき走り書きしたことを、mixi日記にまとめたものです。
ブログ用に書いている「点と線」がうまくまとまらないので、中継ぎとして転載します。

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高い山の上に立って、日本海のはるかな海岸線を見ている。
立っているのは鳥海山だろうか。
山形、秋田、青森・・・。
観光パンフの絵地図のように、それぞれの地域の祭りが見える。
いちばん遠くの桜並木は、たぶん弘前城だ。

声が聞こえる。

「オロチとは、オロの霊(ち)。
オそロシヤの地。
オロオロの血。

スサノヲは「十」でオロチを太刀きり、
清々しさを得た。
スカは素の我。
スの神。
素のこころ。

あなオもシロヤ」

津軽・弘前城の桜は、鬼神社と岩木山降臨伝説のオオナムチを指してるんだろう。
超モンスター銀河オロチは、オオナムチの事象であると、僕は思う。
だから、弘前の桜がズームアップされたところで、声が聞こえたのだ。
2013年の大河ドラマ「八重の桜」にも通じそうだ。

ホツマツタヱでは、ゆたかな国造りに成功した大物主のオオナムチは、事代主の諌めを聞かず、父スサノヲの出雲八重垣を九重に造りかえる。それは天照大神の子・忍穂耳尊と肩をならべることを意味した。とうぜん日高見高天原の怒りをかう。
八重垣は清々しさの象徴だった。
九重垣は、おごりである。
ちょうど、僕らの文明のようだ。

高天原のフツヌシとタケミカヅチに出雲の国を明け渡したオオナムチは、津軽へと左遷される。
岩木山神社のウツシクニタマ大神がそうであり、そこから鬼信仰がはじまる。
古代大和朝廷は、蝦夷の中心が津軽だと認識していた。
大津波で滅んだ津軽十三湊の、博多や堺とならぶ繁栄も、出雲族をヌキにしては語れないと思う。

偶然にも先月、浦沢直樹のコミック「MONSTER」をひさびさに読んだ。
BookOffで憑かれたように買い漁った。
個人的にも11月1日の超モンスター銀河オロチのニュースはタイムリーだったわけで、なんだか笑えた。

「見て見て、ぼくの中のモンスターが、こんなに大きくなったよ!」
それが僕らの文明であり、かつてのオオナムチであり、超モンスター銀河オロチが示唆するところなんだろう。
いったい僕らの中のモンスターはどんだけ大きくなったのか。
僕らはこれから、その正体を見るのだ。
かつてのスサノヲのように。

鳥海山にはニギハヤヒ降臨伝説がある。
メッセージはもっと長かった気がするけど、いつものごとく忘れてしまった。
ロシヤのこともなんかいってたよな。
とはいえ、このメッセージでだいじなのは、スサノヲが「十」で怖れを断ち、清々しさの境地に至ったということなんだろう。
「十」は十握の剣の十だが、火と水の内なる十字も掛けてるんだと思う。

オロオロの血は、怖れ。
オもしロも、たぶんおなじエネルギー。
おもしろいことに夢中になるエネルギーと、恐怖するエネルギー。
外的に暴発するのは後者だ。
社会の競争原理も、たいてい怖れにささえられている。
怖れるから排除する。

高天原で乱暴を働いた(僕はクーデターと見るが)スサノヲも、神話に泣き荒ぶ子と書かれるように、怖れの血脈をもっとも受けついだ子どもだった。
スサノヲは、ヤマタノオロチを通して自分自身と対峙したのだ。
彼が得た須我須我しさ(須我神社)は、内なるしがらみを脱ぎ捨てた素(す)の我そのものだったろうし、血脈もふくめた過去のストーリーを昇華した清々しさだったんだろう。

オオナムチの九重垣はおごりだった。
僕らの文明もそうだ。
そして僕らは、いまスサノヲとおなじ立場にいる。

2011年11月1日。
この時期このタイミングで発見された超モンスター銀河が、こともあろうに「オロチ」と名づけられたのは、僕らの行く手に、まさに超モンスター・オロチが待ちうけることを意味している。
そしてそれがどんな事象になろうと、それは僕ら自身の鏡なのだ。

見て見て、ぼくの中のモンスターがこんなに大きくなったよ!

僕らはどうすれば、スサノヲのような素我素我しさに至れるのか……。
<転載終了>