てんさんのサイトより
http://blog.livedoor.jp/oni567/archives/2097932.html
<転載開始>
霊界物語 
長びく余震に、さらなる大地震の予測、放射能汚染の影響など、戦後、
これ程まで『死』を身近に感じることは今を置いて他には無いかも知れません。
出口王仁三郎の主著である『霊界物語』には、死の影に怯える現代日本人
にも分かり易く『死』と死後の世界の事が説かれています。
そし「良き死」を迎えるためにはどのように「良く生きるか」が『霊界物語』
11巻の第三章『死生観』に明示されています。
また、この一節は、このブログで連続してご紹介している、みいづ舎刊行の
『瑞言集』にも収録されています。
http://www.amazon.co.jp/%E7%91%9E%E8%A8%80%E9%9B%86-%E5%87%BA%E5%8F%A3-%E7%8E%8B%E4%BB%81%E4%B8%89%E9%83%8E/dp/4900441708
下記はこの章の登場人物である「東彦(あずまひこ)」が「時さん」に霊界と
「死生観」を分かり易く説明するシーンとなっています。
http://blog.livedoor.jp/oni567/archives/2097932.html
<転載開始>

長びく余震に、さらなる大地震の予測、放射能汚染の影響など、戦後、
これ程まで『死』を身近に感じることは今を置いて他には無いかも知れません。
出口王仁三郎の主著である『霊界物語』には、死の影に怯える現代日本人
にも分かり易く『死』と死後の世界の事が説かれています。
そし「良き死」を迎えるためにはどのように「良く生きるか」が『霊界物語』
11巻の第三章『死生観』に明示されています。
また、この一節は、このブログで連続してご紹介している、みいづ舎刊行の
『瑞言集』にも収録されています。
http://www.amazon.co.jp/%E7%91%9E%E8%A8%80%E9%9B%86-%E5%87%BA%E5%8F%A3-%E7%8E%8B%E4%BB%81%E4%B8%89%E9%83%8E/dp/4900441708
下記はこの章の登場人物である「東彦(あずまひこ)」が「時さん」に霊界と
「死生観」を分かり易く説明するシーンとなっています。
(引用開始)
「こんどはまじめに聞きなさい。
人間というものは、神様の水火(いき)から生まれたものだ。
神さまは万劫末代(まんごうまつだい)生きとおしだ。
その神さまの分霊(わけみたま)が人間となるのだ。
そうして、肉体は人間の容れ物だ。この肉体は神の宮であって、
人間ではないのだ。
人間はこの肉体を使って、神の御子たる働きをせなくてはならぬ。
肉体には栄枯盛衰があって、いつまでも花の盛りでおる ことはできぬ。
されどもその本体は、生きかわり死にかわり、つまり肉体を新しゅう
して、それにはいり、古くなって用にたたなくなれば、また出直して
新しい身体に宿ってくるのだ。
人間が死ぬということは、別に憂うべきことでもなんでもない。
ただ墓場を越えて、もう一つ向こうの新しい肉体へ入れ替わる
ということだ。
元来、神には生死の区別がない。その分霊を享(う)けた 人間も
また同様である。死するということを、今の人間は非常にいやな
ことのように思うが、人間の本体としてはなんともないことだ」
「そうすれば、私は何万年前から生きておったということが、自分に分かりそうなものだのに、ちっとも分かりませぬ。貴方のおっしゃるとおりなら、前の世にはなんという者に生まれ、どこにどうしておって、どういう手続きで生まれてきたということを覚えておりそうなものです。そうして、そんなけっこうなことなれば、なぜいまわの際まで、死ぬということがいやなような気がするのでしょうか」
「そこが神様の有難いところだ。
お前が前の世では、こういうことをしてきた、霊界でこんな
けっこうなことがあったということを記憶しておろうものなら、
ああ、こんなつらい戦いの世の中にいるよりも、もとの霊界
へはやく帰りたい、死んだがましだという気に なって、
人生の本分をつくすことができない。
すべて人間が、この世へ肉体をそなえてきたのは、神さまの
ある使命をはたすためにきたのである。
死ぬのが惜しいという心があるのは、
つまり、一日でもこの世にながくおって、一つでもよけいに神
さまの御用を勤めさせるために、死を恐れる精神を与えられて
おるのだ。
実際のことをいえば、現界よりも霊界の方がいくら楽しいか
おもしろいか分かったものでない。
いずれ千年先になれば、お前も私も霊界へはいって
『やあ、東彦さん』『やあ、時さんか』『どうしておった』
『お前はいつ死んだのか』『そうだったかね、ほんにほんに、
いつやら死んだように思うなぁ』なんといって、
たがいに笑うことがあるのだ」
「ああ、そんなものですか。そんなら私のように、このように長生きをして罪をつくるより、罪をつくらぬうちに、はやく死んだ
方がかえって幸福ですなぁ」
「さあ、そういう気になるから、霊界のことを聞かすことが
できぬのだ。この世ほどけっこうなところはない。
一日でも長生き をしたいと思うて、その間に人間と生まれた
本分をつくし、一つでも善いことをなし、神さまのために御用
を勤めて、もうこれでよいから霊界へ帰れと、天使のお迎いが
あるまでは、勝手気ままにこの世を去ることはできぬ。
なにほど自分から死にたいと思っても、神がお許しなければ
死ぬことはできぬものだ」
「一つたずねますが、私が子供の時は、西も東も知らなかった。昔から生きどおしの神の霊魂(みたま)であるとすれば、子供の時から、もう少しなにもかも分かっておりそうなものだのに、だんだんと教えられて、おいおいに智慧がついてきたように思います。これはいったい、どういうわけですか」
「子供の肉体は虚弱だから、
それに応ずるていどの魂が宿るのだ。全部本人の霊魂が
肉体に移って働くのは、一人前の身体になったうえのことだ。
それまでは少しづつ生れかわるのだ」
「そうすると、人間の本尊は十月(とつき)も腹におって、それから、あと二十年もせぬと、すっかりと生まれかわることができぬのですか」
「まあ、そんなものだ。
しかしなにほど霊界がけっこうだといっても、人生の使命をはたさず、
悪いことを いうたり、悪ばかりを働いて死んだら、けっして元の
けっこうな処へは帰ることはできぬ。
それこそ、根の国底の国の無限の責め苦をうけるのだ。
それだから、この生(せい)のあいだに一つでも善いことをせなくてはならぬ」
「だいぶに分かりました。いっぺんに教えてもらうと忘れますから、また少しずつ小出しをしてください」
(『霊界物語』十一巻 第三章「死生観」 大正十一年二月二十八日)

今回も最後までお読み頂き有難うございました。
この記事を一人でも多くの方にお伝えしたいと思っています。
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<転載終了>
「こんどはまじめに聞きなさい。
人間というものは、神様の水火(いき)から生まれたものだ。
神さまは万劫末代(まんごうまつだい)生きとおしだ。
その神さまの分霊(わけみたま)が人間となるのだ。
そうして、肉体は人間の容れ物だ。この肉体は神の宮であって、
人間ではないのだ。
人間はこの肉体を使って、神の御子たる働きをせなくてはならぬ。
肉体には栄枯盛衰があって、いつまでも花の盛りでおる ことはできぬ。
されどもその本体は、生きかわり死にかわり、つまり肉体を新しゅう
して、それにはいり、古くなって用にたたなくなれば、また出直して
新しい身体に宿ってくるのだ。
人間が死ぬということは、別に憂うべきことでもなんでもない。
ただ墓場を越えて、もう一つ向こうの新しい肉体へ入れ替わる
ということだ。
元来、神には生死の区別がない。その分霊を享(う)けた 人間も
また同様である。死するということを、今の人間は非常にいやな
ことのように思うが、人間の本体としてはなんともないことだ」
「そうすれば、私は何万年前から生きておったということが、自分に分かりそうなものだのに、ちっとも分かりませぬ。貴方のおっしゃるとおりなら、前の世にはなんという者に生まれ、どこにどうしておって、どういう手続きで生まれてきたということを覚えておりそうなものです。そうして、そんなけっこうなことなれば、なぜいまわの際まで、死ぬということがいやなような気がするのでしょうか」
「そこが神様の有難いところだ。
お前が前の世では、こういうことをしてきた、霊界でこんな
けっこうなことがあったということを記憶しておろうものなら、
ああ、こんなつらい戦いの世の中にいるよりも、もとの霊界
へはやく帰りたい、死んだがましだという気に なって、
人生の本分をつくすことができない。
すべて人間が、この世へ肉体をそなえてきたのは、神さまの
ある使命をはたすためにきたのである。
死ぬのが惜しいという心があるのは、
つまり、一日でもこの世にながくおって、一つでもよけいに神
さまの御用を勤めさせるために、死を恐れる精神を与えられて
おるのだ。
実際のことをいえば、現界よりも霊界の方がいくら楽しいか
おもしろいか分かったものでない。
いずれ千年先になれば、お前も私も霊界へはいって
『やあ、東彦さん』『やあ、時さんか』『どうしておった』
『お前はいつ死んだのか』『そうだったかね、ほんにほんに、
いつやら死んだように思うなぁ』なんといって、
たがいに笑うことがあるのだ」
「ああ、そんなものですか。そんなら私のように、このように長生きをして罪をつくるより、罪をつくらぬうちに、はやく死んだ
方がかえって幸福ですなぁ」
「さあ、そういう気になるから、霊界のことを聞かすことが
できぬのだ。この世ほどけっこうなところはない。
一日でも長生き をしたいと思うて、その間に人間と生まれた
本分をつくし、一つでも善いことをなし、神さまのために御用
を勤めて、もうこれでよいから霊界へ帰れと、天使のお迎いが
あるまでは、勝手気ままにこの世を去ることはできぬ。
なにほど自分から死にたいと思っても、神がお許しなければ
死ぬことはできぬものだ」
「一つたずねますが、私が子供の時は、西も東も知らなかった。昔から生きどおしの神の霊魂(みたま)であるとすれば、子供の時から、もう少しなにもかも分かっておりそうなものだのに、だんだんと教えられて、おいおいに智慧がついてきたように思います。これはいったい、どういうわけですか」
「子供の肉体は虚弱だから、
それに応ずるていどの魂が宿るのだ。全部本人の霊魂が
肉体に移って働くのは、一人前の身体になったうえのことだ。
それまでは少しづつ生れかわるのだ」
「そうすると、人間の本尊は十月(とつき)も腹におって、それから、あと二十年もせぬと、すっかりと生まれかわることができぬのですか」
「まあ、そんなものだ。
しかしなにほど霊界がけっこうだといっても、人生の使命をはたさず、
悪いことを いうたり、悪ばかりを働いて死んだら、けっして元の
けっこうな処へは帰ることはできぬ。
それこそ、根の国底の国の無限の責め苦をうけるのだ。
それだから、この生(せい)のあいだに一つでも善いことをせなくてはならぬ」
「だいぶに分かりました。いっぺんに教えてもらうと忘れますから、また少しずつ小出しをしてください」
(『霊界物語』十一巻 第三章「死生観」 大正十一年二月二十八日)

今回も最後までお読み頂き有難うございました。
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