なわ・ふみひとさんのサイトより
http://www.h2.dion.ne.jp/~apo.2012/browse1002-1.html#01
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人類が星の記憶を取り戻す時 | ||
風祭 音弥・著 三心堂出版社 | ||
●暗黒の3日間 新約聖書には『ヨハネの黙示録』というものがある。 これは、その内容を深く知らない人でも、「ああ、最後の審判っていうのが書いてあるやつでしょ」というくらいその名を知られた、キリスト教最大の預言書だ。 この黙示録には、神学者によってさまざまな解釈の仕方があるが、そのうちカトリックでは、「キリストの教会、真実のイスラエルの、現在から未来が語られ、多くの試練のうちに勝利をおさめること。栄光のうちになされるキリストの再臨、そして最後の審判に先立つ多くの災害が記されている」という見解がなされている。 この思想観は、信者を問わず、一般に流布されている最もよく知られた『ヨハネの黙示録』になっているようだ。 さらにカトリックでは、この黙示録ビジョンを補強する形で、多くの預言者と思しき人物たちが、時の終わりの様子を伝えている。 この預言者と思しき人々は、特別な聖徳を獲得し、信者の崇敬に値する人物として、カトリック教会から聖人・福者・尊者の称号を授けた人が多い。 そのため、これら信頼できる人物の口から語られたメッセージは、信ずるに足るものとして扱われている。 その信頼度の高いメッセージの中に、「暗黒の3日間」の出来事についての予言がある。18世紀の終わりから19世紀のはじめに生きたドイツ人の神秘家、尊者アンナ・カタリナ・エンメリックは、キリストの生涯と受難を幻視したことで知られているが、彼女は、この世にもたらされる「3日間の暗黒」を幻視していた。 それによると、「全世界が突然の暗闇に包まれ、人工的な光が用をなさない暗黒の日がいつか訪れる」というのだ。 この暗黒の日には、「燃え立つ紅い雲が天をよぎり、雷鳴がそこら中に響きわたる。地上にはいたるところで大きな地震が発生し、海は泡となり、洪水のように大地に押し寄せる」という現象が起きるという。 しかも、その暗黒の日々には、これまで人間の目で見ることのできなかった悪魔が姿を現わし、その忌むべき姿を見た人間はあまりものおぞましさに発狂する者も出てくるというのだ。 またエンメリックと同じく18世紀後半に生まれた福者アンナ・マリア・タイージも、「3日3晩地獄のような暗闇が覆い、それは言語を絶する恐怖になる」と語っている。 同様のビジョンは、聖人グスパール・デ・ギュフマロによっても明らかにされているが、彼はこの災厄について「3日間の暗黒の後に助かった者は、自分だけが生き残ったかのように感じるだろう」と述べている。 さらに1846年、フランスのラ・サレットに聖母マリアの出現が起こるが、そこでは普通の子供、15歳の少女メラニーと12歳の少年マクシミリアンに、聖母から36の告知が与えられる。 その告知の35番目には、「暗黒の3日間」についてのメッセージがあり、 「地上は3日間、絶えず変化し続け、大地が燃え立つはらわたを開き、反キリストとその追従者は永遠の地獄の底へと落ちていくことになるでしょう。そして、水と火が地を浄化し、人間が誇りとした総ての業を消しさるでしょう。この後、すべてが新しくなるのです」と言った旨が語られている。 ★もっと読んでみたい方はこちらをどうぞ → 人類が星の記憶を取り戻す時 |
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光の黙示録 光の黙示録 [TOP] 世界には、この世の終わりや未来に起きるかも知れない大災害に関する予言が、宗教がらみで数多く伝えられている。 かなり以前になるが、一時「ファティマの予言」が話題に上り、日本でもセンセーショナルを巻き起こしたことがあった。 これに次いで、世界各地で聖母マリアの出現の報道がされ、幻視者なる人々の存在が取り沙汰されたこともあった。その結果、キリスト教に基づく神の審判の日が近づいているという風聞に、信者であるか否かを問わず、多く人がこの話題に揺さぶられたようだ。 聖母マリアや、そのビジョンを幻視する人々が伝えたメッセージは、主としてローマ・カトリックの信仰体系に入り込む悪魔の目論見を暴き、正統なキリスト教体系への回帰を促すものだったが、その中には、このままの意識状態で人類が時を過ごして行くならば、「恐ろしい天罰が下され、多くの人が地獄に落ちるであろう」という、一種脅迫めいた内容も盛り込まれていた。 そんな内容を、今でも記憶している方が、きっとおられるのではないかと思う。 当時、伝えられた聖母のメッセージや、また幻視者の伝えるメッセージには、眉唾ものと思われる内容も多く混入していたため、真実と虚偽の見極めが困難になり、結局すべてが、再び闇に葬られる恰好になってしまったようだ。 しかしながら、現在そのメッセージに盛り込まれていた内容の一部分が、まったく新しい形で世に登場している。 これが何であるかを語る前に、まず、その背景から紹介しよう。 暗黒の3日間 暗黒の3日間 [TOP] 新約聖書には『ヨハネの黙示録』というものがある。 これは、その内容を深く知らない人でも、「ああ、最後の審判っていうのが書いてあるやつでしょ」というくらいその名を知られた、キリスト教最大の預言書だ。 この黙示録には、神学者によってさまざまな解釈の仕方があるが、そのうちカトリックでは、「キリストの教会、真実のイスラエルの、現在から未来が語られ、多くの試練のうちに勝利をおさめること。栄光のうちになされるキリストの再臨、そして最後の審判に先立つ多くの災害が記されている」という見解がなされている。 この思想観は、信者を問わず、一般に流布されている最もよく知られた『ヨハネの黙示録』になっているようだ。 さらにカトリックでは、この黙示録ビジョンを補強する形で、多くの預言者と思しき人物たちが、時の終わりの様子を伝えている。 この預言者と思しき人々は、特別な聖徳を獲得し、信者の崇敬に値する人物として、カトリック教会から聖人・福者・尊者の称号を授けた人が多い。 そのため、これら信頼できる人物の口から語られたメッセージは、信ずるに足るものとして扱われている。 その信頼度の高いメッセージの中に、「暗黒の3日間」の出来事についての予言がある。18世紀の終わりから19世紀のはじめに生きたドイツ人の神秘家、尊者アンナ・カタリナ・エンメリックは、キリストの生涯と受難を幻視したことで知られているが、彼女は、この世にもたらされる「3日間の暗黒」を幻視していた。 それによると、「全世界が突然の暗闇に包まれ、人工的な光が用をなさない暗黒の日がいつか訪れる」というのだ。 この暗黒の日には、「燃え立つ紅い雲が天をよぎり、雷鳴がそこら中に響きわたる。地上にはいたるところで大きな地震が発生し、海は泡となり、洪水のように大地に押し寄せる」という現象が起きるという。 しかも、その暗黒の日々には、これまで人間の目で見ることのできなかった悪魔が姿を現わし、その忌むべき姿を見た人間はあまりものおぞましさに発狂する者も出てくるというのだ。 またエンメリックと同じく18世紀後半に生まれた福者アンナ・マリア・タイージも、「3日3晩地獄のような暗闇が覆い、それは言語を絶する恐怖になる」と語っている。 同様のビジョンは、聖人グスパール・デ・ギュフマロによっても明らかにされているが、彼はこの災厄について「3日間の暗黒の後に助かった者は、自分だけが生き残ったかのように感じるだろう」と述べている。 さらに1846年、フランスのラ・サレットに聖母マリアの出現が起こるが、そこでは普通の子供、15歳の少女メラニーと12歳の少年マクシミリアンに、聖母から36の告知が与えられる。 その告知の35番目には、「暗黒の3日間」についてのメッセージがあり、 「地上は3日間、絶えず変化し続け、大地が燃え立つはらわたを開き、反キリストとその追従者は永遠の地獄の底へと落ちていくことになるでしょう。そして、水と火が地を浄化し、人間が誇りとした総ての業を消しさるでしょう。この後、すべてが新しくなるのです」と言った旨が語られている。 ガラバンダル ガラバンダルで伝えられた暗黒の3日間とは [TOP] さらに近代、1961年のスペイン。 ガラバンダルという小さな村に、またしても聖母が現れる。出現を受けたのは当時11歳から12歳になる4人の少女だった。 彼女たちは、聖母からさまざまなメッセージを受けたが、その内容の中で、特に一般の注目を集めたのは、人類の浄化の業として予定されている「神からの忠告」や「大天罰」についてだった。 この内容を特別詳細に伝えられたのは、マリア・コンセプション・ゴンザレス。 コンチータの愛称で呼ばれる少女だった。 1965年1月1日。彼女は聖母から、いつの日か人類に「忠告」が与えられることを明かされた。そのことをコンチータは次のように語っている。 「その時がいつ来るかわかりません。でもそれは世界中の人が見ることのできるものです。その時に人々が死ぬかはわかりません。でも、死ぬとしたら、それはたぶんショック死でしょう」 また1965年、この忠告に対してのいくつかの質問に、 「忠告は神から来て、たとえ世界中のどこにいようとも見えるものです。忠告は私たちの罪があばかれるようなもの。一つは清めのようなものです。そして一つの大災害のようなものです。それは、私たちに死んだ人たちのことをうらやましく思わせるでしょう。つまり忠告のときに生きるよりも、かえって死んでいたほうがましだったと思うでしょう」 と答えている。 あるとき、彼女は一人の友人に、 「その時、善人は、いっそう神に近づくようになり、そうでない人は悔い改めるチャンスが与えられます。来るはずの忠告は、これを5分間耐えるよりも死んだほうがましと思うほどです。それは昼間に起きるか、夜寝ているうちに起きるかはわかりません。いちばんいいのはその時、お聖堂のご聖体のそばにいることですが、すべてが何もかも、真っ暗闇になってしまうかもしれません。そうしたらお聖堂に行くことはできないでしょう」 と語っている。やはりここでも、地上を襲う「暗闇」について語られているのだ。 さらに、境界への道すがら、コンチータに同行した主婦が、「忠告」についての具体的な説明を求めたところ、彼女は、 「火のようなものでしょう。それは身体を焼くことはありませんが、私たちはそれを肉体的にも内的(心)にも感じます。そのことをすべての人が感じるので、普段は神を信じなかった人も、その時ばかりは神に畏怖を感じることでしょう。窓を閉めても部屋に閉じこもっても、その感覚から逃れることはできません。聖母はその現象の名を私におっしゃいましたが、それはスペイン語の辞書にもあり、Aで始まるということだけお教えします。でもこれ以上は言えないのです」 とまで明らかにしている。 ガラバンダルでの聖母からのメッセージは、この後に「大奇跡」と「大天罰」が来る可能性があることを伝えている。 しかし、この大天罰は絶対不可避なものではなく、その時の人類の状態によって避けられるか、もしくは軽減されるものらしい。 さて、この情報が世間に公表された当時は、ただ「恐ろしい予言」という観が強く、また、聖母マリアと称する存在が果たして本物かどうかにも議論がおよび、キリスト教に縁がない人々にとっては、単に多くの終末予言の1つ程度として片づけられていった。そして「暗黒の3日間」は、ミステリーの範囲から抜け出ることはなかったのだ。 ところが昨今の、アメリカを中心として「フォトン・ベルト」についての話題が盛んに流れ出し、それが先の「暗黒の3日間」と奇妙な一致を見せているのだ。 シリウス シリウスからのメッセージ [TOP] 21世紀の終わり、そして新世紀。チャネリング情報は「新世紀の黙示録」ともいうべき「フォトン・ベルト」の接近を告げた。 チャネリングの世界でこの情報を一躍世に知らしめた人物に、シェルドン・ニドルというチャネラーがいる。彼は9歳のときに、ニューヨーク州バッファローの郊外の自宅で2つの輝く光球の訪問を受ける。この訪問が何度となく続いたころ、ニドルはある日突然、どこからともなく響く男性のものと思しき声を聞く。その声はニドルを導くため、地球人にシリウスBとして知られている星から来たことを告げた。 本当に素直な方は、このように経緯を紹介すると、「ああそうか」とまるまる信じてしまわれる方が多いが、読むごとに、できるだけ理性をもって読まれたほうがいい。 すでに、「オヤ」と思っている方もおられると思うが、シリウスBと言えば、今世紀に発見され、ドゴン族がその発見より以前に伝承として認知していた白色矮星のことだ。 この声が語った自己紹介をそのまま受け取るならば、当然のことながら、このシリウス人は白色矮星のような、超巨大重力の星の住人になってしまう。 ニドルはもともと天才的な頭脳の持ち主だったらしく、彼自身が言うには、なんと7歳までに大学の物理学のテキストを読破していたというからスゴイ。 こんな彼を見込んだのか否か、シリウス人はニドルに、地球上では到底考えられない先進科学の原理や、さまざまなメッセージを説明し続けた。 そして彼はついに、シリウス人が地球人類に最も伝えることを欲した「フォトン・ベルト」の接近を公表することになるのだ。 フォトン・ベルトとは フォトン・ベルトとは [TOP] 「フォトン・ベルト」の存在は、1961年にはすでに地球の科学者によってプレアデス星団の近くに確認されているということだが、なぜか、あまり公に知らされていない。 ただ、科学者ポール・オット・ヘッセが、プレアデス星団の研究調査を行なったおり、プレアデス星団が約100年の歳月をかけて、5.5秒の角度で円弧を描いて動く方向に対して直交する、巨大なトロイド状をした何物かがあるのを発見しした。 この「フォトン・ベルト」はその名のとおり、フォトン(光の粒子)からできているもので、このフォトンは陽電子と電子が衝突することで生まれている。 そして、地球の属する太陽系は、一定の周期をもってこのフォトン・ベルトの中へ出たり入ったりしているらしい。 その周期はおよそ2万4000年から2万6000年ほど。 ヒンズー教の教えにはこのフォトン・ベルトの周回周期とほぼ同値の年数で、地球に住む人間が「宇宙の昼と闇」を経験する様が語られている。 ヒンズー教の教えは、「地球が現在、宇宙の昼と呼ばれる時代に入り始めており、その時代、人間はより高度な宇宙意識を獲得することになる」ことを明かしているのだ。 フォトン・ベルトと暗黒 フォトン・ベルトと「暗黒の3日間」は同じものか [TOP] シリウス情報によるチャネリング情報によると、フォトン・ベルトの構造はベルトの主要部とその外側を囲む「ヌル・ゾーン」と呼ばれる部分から成り立っている。 このヌル・ゾーンはエネルギーが極度に圧縮されており、ここへ3次元の物質が入った場合、磁場の変化なしにそこからでることができない。 つまり、地球を含めて太陽系がフォトン・ベルトのヌル・ゾーンに突入すると、電場、磁場、重力場は、すべて変化せざるを得ない状態になる。 もし、地球がこのヌル・ゾーンに突入し、それを通過する場合、通過するのにかかる時間は、地球時間にして約120~144時間程度、すなわち5~6日を要する。 しかも、ヌル・ゾーンは次元をまたがる磁気を持っている磁場から形成されているため、突入時には、約72時間(3日間)が全くの暗黒となり、太陽も星々もその輝きを見せることはない。 しかも、電気を原動力とする機械装置はまったく使えない状態に陥るのだ。 これと符合するように、ガラバンダルの4人の少女のうち、マリー・ローリーは聖母から「その時になると、すべてのモーターと、機械が停止するでしょう」とも告げられている。 こうして見てみると、カトリックに伝えられた「来たるべき忠告の日」が、地球のフォトン・ベルト突入のことを暗示しているとしか思えないのだ。 アセンション アセンション [TOP] ガラバンダルの少女コンチータは、「その時」に起きる現象が「スペイン語の辞書にのっており、それはAで始まる」ことを告げた。 現代、ニューエイジの潮流は、次元の上昇を迎える「地球と地球人類」が経験する現象を、英語のアセンション(Ascension)という言葉を使って表現している。 アセンションとは、本来「キリストの昇天」そして「昇る」という語義で使われるが、ニューエイジでは、3次元から上の領域(次元)へ、地球と人類が次元の上昇を果たすという意味で用いている。 ちなみにスペイン語の辞書を開いてみると、英語のスペルそのままのAscensionという言葉があり、意味も全く同一である。 コンチータが口にした「Aで始まる言葉」とは、もしかすると、このアセンションを指していたのではないだろうか。 ガラバンダルでなされた予言は、なされた時期がまだアセンションについての知識を多くの人が現代的に受け取るまでに至っていなかったこと、また予言がキリスト教の天国と地獄の概念に彩られ、恐怖を助長し、ただ神の罰の1つとしてしか把握できなかった背景があったように思える。 それが時を経て、人々が新しい啓示に目覚め始めた時、「暗黒の3日間」にまつわる予言の本質が、新しい方向性で人類に感じされたのではないだろうか。 「暗黒の3日間」は、人類には恐ろしいものに映っているが、ガラバンダルでは、それが「神の浄化の業であり、人を幸福に導く親心からなされること。そして、私たちの利益のためのもの」だと、はっきり述べられている。 同時に、ニューエイジでは、フォトン・ベルトの到来を、これから人類が向かうワクワクする冒険のイベントとして、明るく受け止めていることは見逃せない。 しかし、この心踊るイベント、人が幸福になるための通過儀礼は、宗教的に見ても、またニューエイジ的に見ても、それなりの準備が必要になるようだ。 フォトン・ベルトの到来 フォトン・ベルトの到来で起きる現象を見極める [TOP] 〔到来前〕 フォトン・ベルトはフォトン・エネルギーという人類がまだ扱ったことのないニュータイプのエネルギーを擁している。 このエネルギーの接近の顕著な現れは、まず地球の磁場の減少という形で表出するという。 地磁気の減少は、気候へのさまざまな変化をもたらすことは、すでに科学者の知るところだが、気候のような地球規模の変化のほかに、人類に与える影響も示唆されている。 最近、心身ともに健康であるにもかかわらず、何か胸がつかえるような感じに捕らわれたり、背中が痛む、また妙に倦怠感があり、心配して病院に行ってみたが、特に原因となるようなものが発見されない。それどころか、逆に健康体のお墨つきを頂戴してしまったというような経験をしたことはないだろうか。 実は、このような症状は、ニューエイジが伝える「健康な人に起きる、アセンションの接近を示す兆候の1つ」として、前々から教えられてきたことだ。 このような状況に似たもので、医学的には不定愁訴症候群などがあてられる場合もあるが、研究によると、これらの症状も人体の「磁気」を増幅してやることで快方に向かう場合がある。つまり、心身が健康なのに、何か不調を覚えている人がいるとしたら、その人はすでにフォトン・ベルトの接近による自然的変化を体感していることになるようだ。 地磁気の減少のほか、特殊なエネルギー場であるフォトン・ベルトは、地球の大気を徐々に加圧することも伝えられている。 これによって、地球上ではますます異常気象による洪水や嵐による自然災害の多発する可能性があり、当然のことながら、地殻への変動を引き起こすことも考えられ、世界では火山の噴火や地震の発生が予想されてくる。 〔突入後〕 地球がフォトン・ベルトに突入したらどうなるか、ということについては、チャネリング情報によって論議を呼ぶところになっている。 シリウス発信の情報で、フォトン・ベルトへの突入後を見てみると、カトリックの伝承が伝えるように、人類は一時かなり大変な時期を過ごさなくてはならないようだ。 ガラバンダルの少女たちが「死んだほうがまし」と思える状況とは、いったいどんなものだろう。 まず、「暗黒の3日間」に突入すると、地球の熱源である太陽の光が遮断されるため、地上は猛烈な寒さに襲われるらしい。 しかし、この寒さが永遠に続くわけではなく、この3日間を乗り切れば良いようだ。 先にも記したように、その際、電気器具は一切使えないというのだから、防寒具で身体を温めるしか方法はないようだ。 真っ暗な中で72時間忍耐すると、その後、天にほのぼのと光が現れ始め、一時的に星が見え出すとも伝えられている。 『ヨハネの黙示録』の第21章には、 「諸国の民は都の光に照らされて歩み、地上の王たちは自分らの栄光を携えて都に来る。都の門は終日閉ざされることはない。そこには夜がないからである。人々は諸国民の栄光と誉れとを都に持って来る。しかし、清くない者や、憎むべきことや、偽りを行なう者はけっして都に入れない。入れるのはただ、子羊の命の書に記された者だけである」 ――と記されているが、これを暗示するかのように、「暗黒の3日間」が過ぎると、本来ならば2000年間にわたり、終わりのない昼間が訪れるらしい。 しかし、今回はその状態が、高次の地球外生命体によって短縮されているという。とは言っても、その昼間だけの状態は17年間ほど続くとも伝えられている。 アセンション関係の書籍に目を通した方であれば、アセンションがどのように起きるかについて、ある程度ご存知だろうと思うが、それが起きるときの様子を伝えるさまざまな情報ソース(地球外生命体、天使、マスター)が、「すべての生物の肉体に変化が起き、それは体内で燃え上がる火のようにも感じられる」ことを述べている。 これについて、面白い見解がある。 地球上には絶えず宇宙線が降り注いでいるが、これらの宇宙線はマイクロ波の領域に属している。 つまり、人間はある程度のフォトンを浴びているのだが、それらは人間を構成する原子を励起させるまでにはいたらない。 ところが、フォトン・ベルトはこれらフォトンの塊のようなもの。つまり、そこに入った生命体は、何かの形で原子構造の変換を迫られることになるというわけだ。 この時の体験が、ちょうどマイクロ波で調理される食物にも似て、燃えることなく変化するという現象を起こすのでは‥‥というのだ(電子レンジで調理したタマゴが爆発することを考えると、くれぐれもそうならないように祈りたくなるが‥‥)。 そして、そこでは人間が持つもう1つの身体、すなわちライト・ボディに大きな変化が生じ、これまで3次元という密度の高い場しか認知できなかった人間の意識が、それより上の次元を認知し、そこに定着するようになるという。 * * * 5世紀から6世紀にかけて地上に生を受け、仏教の祖となった釈迦は、人生の終盤にさしかかった頃、仏教の末法思想の原点となった「法滅尽品」という説法を行なった。 その中で釈迦は「末法の時代、太陽も月も光が見えず、星の位置が変わりゆく。白い虹が陽を貫く不吉な前兆が現れ、地は震え、水は涸れ、嵐が起こる」と伝えた。 フォトン・ベルトの到来でなくとも、さまざまな預言が地球に起きる暗い未来を暗示している。 果たしてこのフォトン・ベルトも実際に存在し、本当に到来するかは、来てみなければわかるものではない。 しかし、ミステリーの範囲でも、またいつの日にか起こると太古から預言されてきた「その時」のことを思えば、このような話があるという事実を知っておくことは決して無駄ではないだろう。 ただ、このような情報を受け取ると、即、頭から信じ込み、それを多くの人に喧伝し、無用な恐怖感を助長する人が出てくることがある。 かつて筆者は「暗黒の3日間」や聖母の予言が、いったい真実なのか否かについて、知人であったローマ・カトリックの司祭に詳細を尋ねたことがある。 彼は老齢のポーランド人で、イエスはもちろんのことだが聖母に深い崇敬を捧げている信仰深い有徳の人物だった。彼は興味本位で謎を探ろうとした筆者にこう言った。 「何が起きてもいいではありませんか。いつも心を正しく、神様のご意志にそれることのない生活をしていれば、それで十分でしょう。あなたは死ぬのが恐いですか? 仮にその時に死ぬことになっても、いつも神様のご意志にそっていれば、その魂は身体がどうなっても幸せ幸せ。すべては神の御旨のままです」 彼の言うことは、宗教の範囲を越えて誰にでも言えることだ。 毎日を心正しく、精一杯生き抜いているならば、何が起きても、たとえ死ぬことになっても、それを恐がる必要はない。
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