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千成記

内海新聞情報です。

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神託●神社でお願いしてもいいこと
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神託を受ける前は、私も神社でお願いばかりしていました。

でも、結果として神社で世間一般でするような「受験に受かりますように」とか「お金持ちになりますように」というような自分の欲のためのお願いはしないほうがいいということを知らされました。

結果として無私となって「世界が平和でありますように」とか、自分以外の多くの人のために祈ることはありです。

天皇陛下がお言葉を述べる際にもそういうことが多いです。

天皇が皇居で行う神道の秘儀も国全体や国民のためであり、自分のためではないです。

左翼の人は天皇陛下嫌いですからしらじらしいと思うかもしれませんが、私はまんざらでもないと思います。

むしろ、誰でも本質に気づけばそういうふうに考えたり言おうとなってくると思うのです。

かつて、保守系の自民党の議員が「内海さんは神社で何を祈りますか?」と聞いたので「そりゃ、家内安全とか、健康とかですよ」といったら「私は、国家安興」とだけ祈ります。

と言ったので「へえ、そうか?」と不思議に思っていましたが、ま、彼は正しかったというわけです。

私も、煩悩にまみれて生きていますが、最近気づいたのは「夕方はろくな時間帯でない」ということです。

どうも夕方4時から6時までの間が、まずいんです。

悪魔とか、悪事をささやく声がいっぱいいたりするんです。

世間で、よく凶悪殺人とかの事件の犯人が裁判で「悪魔がささやいた」「魔が差した」というじゃないですか?

あれは弁護士に言わされたというのもあるかもしれないけど、実際そうだと思います。

どうも、悪魔が人間に乗り移って殺人や凶悪犯罪を起こしていると思います。

神社も夕方から夜はお祭りでもなければ行かないほうがいいと思います。

なんというか、悪魔というか言葉に言い表せない変なものがうずまいています。

私もサラリーマン時代は夕方4時から6時は仕事をしていたので、気づかなかったんですが、こりゃほんとやばい時間帯です。

この時間はなんか映画でも見るとか単調な家事をするなど気をそらして逃げていないと大変です。

それで、連日、「なんかついている」ような気がしていました。

肩も重たいし頭も痛くて苦しんでいたのである日神社にお参りしたときに、こういうお願いをしてみました。

「神様、どうか、私についている悪魔や、怒りや悲しみや恨みを取り除いて下さい。このままでは頭がおかしくなりそうです。 」

すると神の声が聞こえました。

「そうか。 ではお前についているものを切り捨ててやろう」

ふと後ろを振り返ると、私の背中に……今でもぞっとするんですが、「エイリアン」「悪魔?」黒い、とかげのような生物?が数匹取り付いていた姿が見えました。

それが次々と鋭い刀で切り去られて消えるのが見えました。

すると、今まで苦しかった肩の重さがなくなり、軽くなって体がよみがえった気がしました。

「ありがとうございます」

私は家に帰りました。

除霊?してもらえたようです。

でも、こうなるのも、私が、怒り、悲しみ、憎しみの念をもって生活しているからです。

それで気づいたのです。

人間は怒りと悲しみと憎しみを心に思っていると、悪魔や悪霊がよってきて、その人にとりつくんです。

そして、そのままだと積もり積もっていずれ殺人や犯罪を引き起こすかもしれない。

暴言を吐いたり、けんかしたり、トラブルしたり。

そういう点では自業自得ですね。

だけど、わからない人にとってはこれ以上の苦痛はありません。

でも、私は今回、これを除去する方法を知ったのです。

そうはいっても、またあのエイリアンや悪魔が寄ってきます。

後日、再び神社でお願いしました。

「よし、ねずみが来てるな。 また除去してやろう」

神の声が聞こえます。

どうやら、エイリアンやとかげではなくて、ねずみみたいのが寄ってきていたようです。

これもバッサリ切り捨てられました。

「困ったら、また来なさい」

神の声がしました。

私はまた助けられました。

ですので、神社にいったら、願望や欲望の実現を願うのでなく、「自身の穢れ(けがれ)、取り付いている悪魔」を祓って(はらって)もらう

お願いをすることは無料でいくらでもお願いしていいのです。

どうぞお近くの神社におまいりしたらやってみるといいでしょう。

何万円も祈祷師とかに頼んだりしなくても、神社さえ近くにあれば手軽にすぐできます。

神は常にあなたと一対一でおられるのであって、無理して宗教団体に所属したりしなくてもいいということです。

神様は宗教団体の売りつける本や宗教施設にはいません。

いつでもあなたが心を開いて話しかければすぐそこにいます。

それに気づくかどうかだけです。

それが偏在すなわち「ユビキタス」という本来の意味です。

つまらんIT用語にされてますが、本当はそういう意味です。

ただ、私がお参りしている神社の社は日に日に壊れていくんです。

柵の木が割れて倒れたり、社を支える木も腐って崩れる。

ある日転がっている柵の木を拾って直そうとしたら、神が「触るな。 いい」

と言います。

それで、気づいたのです。

毎日多くの人が自分の苦悩を神社に来てお願いしたりするので、神社の神様はものすごい悪霊と闘っているのです。

そしてボロボロになっていく。

私は、神様は本当に大変な仕事をしていると思いました。

昨年、毎週お参りしていた山寺の不動明王が顔が変わったのに気づきました。

なんか、ふくれて「ひでぶ」(by 北斗の拳)みたいになってきたのです。

なぜだろうと考えていたのですが、昨年からひどい災難、厄の祈願する人たちの群れを受け続けて、さしもの不動明王でさえ「疲労」しているんだと。

みんなの身代わりになってそれでも悪と人々の苦悩と闘う不動明王。

あと、私はお賽銭を5円玉とか多く用意して最低5~6箇所の社をお参りしますが、お金ない人でもできることがあります。

それは、「そうじ」です。

神社や寺にお金がなくてもお参りしてもいいのです。

ただ、それならお金のかわりに一人1ゴミ、目に付いたものを拾って持って帰ってください。

私も境内や寺でたばこの吸殻や、ガムの包み紙や、捨ててあるちり紙を目にしたら拾うことにしています。

でも、どの参拝客もオバサンもOLも女子大生も「ありがたや」とガイドブック持って集団で参拝して賽銭箱にお金を投げつけて願ばかりかけても、誰一人目の前に落ちているゴミを拾おうともしません。

お金さえ払えば自分の願望をかなえてくれる……

自己啓発セミナーの講座受けるのと変わらない感覚なんでしょうね。

「一日一善」と唱えるのもけっこうですが「一日一ゴミ拾い」のほうがいいと思います。

みんなでパブリックな場にある1つの小さなゴミでも拾うようにすれば、神社も寺も街もきれいになるし、そういう意識の共有がこれからの世界には必要になると思います。

(内海君:小市民)