てんさんのサイトより
http://blog.livedoor.jp/oni567/archives/2953488.html
<転載開始>
ブログ主の本業はサラリーマンなのですが、年明け早々から非常に忙しく
2週間振りの更新となってしまいました。読者の皆様、更新が遅くて大変
申訳ありませんでした。
さて、本日は「いづとみず」発行、八幡書店から1991年に発売された希少
本(?になってると思いますが…) 『予言と神話 出口王仁三郎と霊界物語
の謎』霊界物語研究会編 から王仁三郎の普段の人となりが窺える文章
を紹介させて頂きます。
引用文は、大正時代後半から王仁三郎の近侍の係りや『霊界物語』の
『天祥地瑞』の筆録者の一人として王仁三郎の側に仕えていた谷前清子氏
が霊界物語研究会のインタビューに答えたものです。
(引用開始)
…聖師さま(引用者註: 出口王仁三郎のこと)と いう方は、人間の尺度では計ることのできない方であったと思っています。聖師さまには、いわゆる暗いところがひとつもない、それから四角ばったところもひとつもない、だれとでも心やすく、浴衣がけで(引用者註: 普段着で)お話のできる、包容力のあるお方だと私は思っていました。教団のことに関しても、個人の生活のあり方も、いつもどこへいっても同じなんです。
どんなに偉い人に会われても、どこにゆかれても、少しも変わらない。だれでも、はじめての人や変わった人と会うと緊張しますよね。聖師さまにはそれがないのです。「やあ、こんにちは」というような、非常に気安い、何とはなしに好感のもてる、そういう印象の方だったと思います。
はじめて会う人に対しては、多少はどんな人やろと思われたかもしれませんが、いつも「わしな、じっとしておっても、過去も現在も未来も、見ようと思うたら見えるんや」とおっしゃっていました。 お見透かしだったわけで、構える必要もなかったのでしょうか。
また、地方にゆかれると、信者さんが「こういう珍しいところがあります」「こういうところがありますからお供させて頂きましょう」といいますね。すると、聖師さまは「いくぜ」とおっしゃるんですが、本当はいきたくないんです。霊で見てしまわれるのですね。「わしな、苦労して見にいかんでも、こうして見ようと思えば見えるんや、お前らがいきたいやろ思うさかい、いくんやけどな」と、よくおっしゃっていました。
それから、悲劇的なことは語りたがられませんし、お嫌いだったですね。だから、聖師さまの周囲には、何とはなしに明るい、なごやかなものがありました。
(引用終わり)
王仁三郎はよく、地獄のことは思うただけでも引っ張っていかれるからなるべくいわないようにしているといった趣旨の発言をしていたようです。これは、「相応の理」という王仁三郎の思想の中でも重要なポイントで、かなり乱暴かもしれませんが、簡単に言ってしまうと、霊界にあることは現界に起こり、現界にあったことは霊界にあるという考え方ですから、今、此の世で自分自身の心に天界のような美しく、素晴らしい、心境を作り上げることができれば、その場が天国のような人生になる、とも言えるかも知れません。
「現代人は、霊界いっさいの事物と人間いっさいの事物との間に、一種の相応のあることを知らず、また相応のなんたるかを知るものがない。かかる無知の原因には種々あれども、その主なるものは、「我」と世間とに執着して、みずから霊界、ことに天界より遠ざかれるによるものである。…」出口王仁三郎 『瑞祥新聞』大正14年6月
この「相応の理」は王仁三郎を知るうえで非常に重要な考え方ですので、また折に触れ、少しづつ、ご紹介させて頂きたいと思います。

今日も最後までお読み頂き有難うございました。
<転載終了>
http://blog.livedoor.jp/oni567/archives/2953488.html
<転載開始>

ブログ主の本業はサラリーマンなのですが、年明け早々から非常に忙しく
2週間振りの更新となってしまいました。読者の皆様、更新が遅くて大変
申訳ありませんでした。
さて、本日は「いづとみず」発行、八幡書店から1991年に発売された希少
本(?になってると思いますが…) 『予言と神話 出口王仁三郎と霊界物語
の謎』霊界物語研究会編 から王仁三郎の普段の人となりが窺える文章
を紹介させて頂きます。
引用文は、大正時代後半から王仁三郎の近侍の係りや『霊界物語』の
『天祥地瑞』の筆録者の一人として王仁三郎の側に仕えていた谷前清子氏
が霊界物語研究会のインタビューに答えたものです。
(引用開始)
…聖師さま(引用者註: 出口王仁三郎のこと)と いう方は、人間の尺度では計ることのできない方であったと思っています。聖師さまには、いわゆる暗いところがひとつもない、それから四角ばったところもひとつもない、だれとでも心やすく、浴衣がけで(引用者註: 普段着で)お話のできる、包容力のあるお方だと私は思っていました。教団のことに関しても、個人の生活のあり方も、いつもどこへいっても同じなんです。
どんなに偉い人に会われても、どこにゆかれても、少しも変わらない。だれでも、はじめての人や変わった人と会うと緊張しますよね。聖師さまにはそれがないのです。「やあ、こんにちは」というような、非常に気安い、何とはなしに好感のもてる、そういう印象の方だったと思います。
はじめて会う人に対しては、多少はどんな人やろと思われたかもしれませんが、いつも「わしな、じっとしておっても、過去も現在も未来も、見ようと思うたら見えるんや」とおっしゃっていました。 お見透かしだったわけで、構える必要もなかったのでしょうか。
また、地方にゆかれると、信者さんが「こういう珍しいところがあります」「こういうところがありますからお供させて頂きましょう」といいますね。すると、聖師さまは「いくぜ」とおっしゃるんですが、本当はいきたくないんです。霊で見てしまわれるのですね。「わしな、苦労して見にいかんでも、こうして見ようと思えば見えるんや、お前らがいきたいやろ思うさかい、いくんやけどな」と、よくおっしゃっていました。
それから、悲劇的なことは語りたがられませんし、お嫌いだったですね。だから、聖師さまの周囲には、何とはなしに明るい、なごやかなものがありました。
(引用終わり)
王仁三郎はよく、地獄のことは思うただけでも引っ張っていかれるからなるべくいわないようにしているといった趣旨の発言をしていたようです。これは、「相応の理」という王仁三郎の思想の中でも重要なポイントで、かなり乱暴かもしれませんが、簡単に言ってしまうと、霊界にあることは現界に起こり、現界にあったことは霊界にあるという考え方ですから、今、此の世で自分自身の心に天界のような美しく、素晴らしい、心境を作り上げることができれば、その場が天国のような人生になる、とも言えるかも知れません。
「現代人は、霊界いっさいの事物と人間いっさいの事物との間に、一種の相応のあることを知らず、また相応のなんたるかを知るものがない。かかる無知の原因には種々あれども、その主なるものは、「我」と世間とに執着して、みずから霊界、ことに天界より遠ざかれるによるものである。…」出口王仁三郎 『瑞祥新聞』大正14年6月
この「相応の理」は王仁三郎を知るうえで非常に重要な考え方ですので、また折に触れ、少しづつ、ご紹介させて頂きたいと思います。

今日も最後までお読み頂き有難うございました。
<転載終了>