佐藤敏夫先生のサイトより
http://www4.tokai.or.jp/kaminosuugaku/kamisuu07.html
<転載開始>
古神道に封印された「古代日本の真実」を求めて(2)

                                             2012年3月 謹んで上載


  「魔方陣」と『神法陣 (ヒフミ法陣)』、 そして『神の易』の秘密を語る

 
 
さあ、一つ、このあたりで長年の懸案だった「魔方陣」と『神法陣』について述べて置くことにしたい。考えて見れば、本来、「魔方陣」は日本に起源を持つものであり、古神道の流れの基本に据えられるべきものである。爾来より、古代文献にはそのように記述されてはいるが、誰も信じようとはしない、逆にあるまじき偽書として国家やマスコミが激しい攻撃を加え、葬り去ろうとさえした時期があったのである。
 要するに、日本人も本来の由来由緒は知っておくべきであり、それを知らない限り古神道の本質は語れず、ただ今までの神道家や、神道研究家のように表面だけを見て議論に終始しているだけで一向に埒が明かない事態に陥るだけである。
しかし、この程度ではまだ序の口に過ぎないものかも知れない、なぜなら、これを切り口にして大勢の研究者がなだれ込み、一切をあぶり出すことになるであろうから。
 何せ、超古代の歴史の秘密、すなわち、「易の真実」と神の秘密である「宇宙の2元の理」が一挙に解き放されると言うのである。おそらく、歴史始まって以来初めての快挙であろう。 まったく、日本の本当の歴史は面白いものであり、痛快極まりないものである。

 その歴史の秘密とは、すなわち、今から四千数百年前、中国からの留学生である伏儀により持ち帰られ、彼の地で研究検証され、大いに威を揮ったのもの、それが「易」である。その後長い年月と共に時代は変わり、日本に逆輸入されたことにより中国発として伝承されているものである。それがすなわち、あなた方が後生大事に語る「中国易」である。その歴史的な真実をこれから明かそうというのであり、そこにある真実を「数」がいみじくも語り上げて、誤のある歴史を正しく是正しょうとしているのである。
 諸氏はカンラ、カンラと大笑いするであろう、またもやこの唐変朴が世間を騒がせて有頂天になっていると…!?。

 さて、真面目に取り上げ、本気で追求して見たいと言う方々、ほんの僅か、恐らく人口の数%に過ぎない知(ち)、血(ち)、霊(ち)の繋がりのある方々(縄文人のDNAを持った方)だけに申し上げておきたい。真実を知ると言うことは心の励みであり、常にそれを心に置けば何時かは真実を伝えて止まないグロ-バルな展開に至ることになることを…。

 これらは決して妄想や作り話ではない、白昼夢を見ているわけでもない。もし、そうであれば、他人は信じはしまいし、打ち捨てておかれるだけである。ましてや、左脳で物事を判断する西洋の人々達は頭から否定し、決して理解することは出来ないはずである。

 しかし、事実は逆なことが起きてしまっているのである、そのあたりの面白い仔細を申しあげよう。私の友人にイギリスはアイルランドから来て近くの中学校で英語の教師をしている1人の青年がいる、彼の地で有名な大学の数学科出身であり、大変おとなしく、また人見知りする好青年として私の家族にも大変好かれていたのである。
 数学科で学んだということなので「神の数学」の基本となるものを少々教え、その後でこの『神の法陣』を直接見せながら、やり方を教えたのである。そこで私は「陰」と「陽」と言う言葉を初めて口にしたのである。しかしどうしても、「イン」、「ヨウ」の言葉が通じず、しばし、考えていた。そのうちハタと膝を打ち「イン」。「ヤン」かと言いだした、そこで私も初めて西洋では「イン」、「ヤン」と言うことを知ったのである。その後、しばらくして「ヨウ」の発音は西洋人には難しいということを知ったのである。

 そこでこの「ヒフミ法陣(神の易)」図から「イン」。「ヤン」の原理を彼に引っ張り出させて見たのである。何と、彼は面白そうに『太極図(ひふみ九九算表) 』を見ていたが、やがてまたたく間にそこから、両義、四象、八卦を引っ張り出し、苦もなく完成させたのである。まさにそれは私の持っていた「神の易」の序列である陰陽の整然とした姿であった。
 そのような経過があったからこそ私は「神の数学」は世界に通じるものであることを確認し、以来声を大にして広言し、少しもはばかることはないのである。
 「神の易」はまことにたやすい、小、中学生でも作れるものでありながら、そこには大自然の理である「陰」と「陽」の大理が陣を構えてしっかり対峙しているのである。それに比べると通常の「易」はなんと煩雑であり、なんと判りにくいものなのであろうか…?!。

 さて、本題に入ろう、大分話がすべってしまった、真面目に講義に入ろう。
 その前に、一つお断りしておきたい、私は76歳、今更パソコンで絵を描いて詳細に説明せよと言われても少々無理であり、大変な難題である。そこで絵図による説明の方は私を師匠と敬ってくれる一人の青年に任せたいと思うので、是非そちらを参考にして戴きたい、見ていると彼は私の思い通りの絵を描いて説明も付加してくれるので大変ありがたい。
 これからも、図は彼に託したい、恐らく、解りやすく鮮明な絵図が完成するはずである。「神の数学」はいわゆる2人三脚の作品と言うものである、楽しみにお待ち下され。            リンクはこちら → 「神の数学」大目次

 さあ、思いっきり、口頭で説明する、不明な点、疑問などはお受けする積りである。
 とりたてて別に難しいものではない、小、中学生でも十分に理解出来るものと言いたい。
逆に、高学歴者や大学者等には難しいかも知れない、何故ならば、そこは人間知と言う常識が通らないからである。要するに、そこは自然に当たり前のことは通り、人間知などは一切通らない世界なのである。常識は捨てたほうがいい、ただ邪魔になるだけである。
 自然の目で見ると当たり前であるが、人間知を通すとどう言う訳か、曇りや、不透明が生じて不鮮明になり、複雑化するのである。

 では、4千年来の日本の秘儀『神の法陣の図』を解き明かそう。それはかって日本から中国に渡り、かの地では「魔方陣」と呼ばれて聖帝伏義が天から戴いたものとして歴史には記されているものであり、「易」の基本となる「数の物語」の図として有名なものである。
「太古の数秘」、それは驚くべきものであり、「現代西洋科学文明」の間違いを諭(さとし過ちを教えてくれるものである。物質万能主義(哲学では唯物論)をモット-に進んできた現代科学は今や行く場を失い、錯乱に陥っている状態である。それを救えるものは日本の「太古の数秘」、すなわち『神の数学』のみであり、そこに示されている大いなる自然の「天地の理」だけである。

 「宇宙次元原理表(ひふみ九九算表)」は「方陣」の母体でもあり、『易』の本当の姿である『神の易陣』〈原図〉でもある。要するに、「中国易」の基盤である「3次方陣図」(神話では河図・洛書)とはこの「宇宙次元原理表(ひふみ九九算表)」を模して作った、いわゆるミニチュア版であろう。恐らく伏義の日本留学中に風聞による簡単なサンプル作品なのであろう。それだから、いくらこの「3次魔方陣」から『太極図』、「両義」、「四象」、「八卦」等の易図を見出そうとしても、決して現れてはこないのである。この数千年の間、あまたの人々がこれらの仕組みを描きだそうと心血を注いできたのであるが1人も成功した者はいないのである。
 
 
 何と、「易」の基本となる3次魔方陣のすべては風聞による単なる幻に過ぎないものであった。


 やはり、宇宙には「大いなる意志」が存在し、それが脚本を描いて、我々万象がそれを演じて永遠を飾ろうとしているのであろうか…??。それとも、万物は定められたコースに沿って永遠に収斂されて0になり、そこから改めて新しい旅立ちに向かうのであろうか……!??。
 まさにいろいろと疑問は尽きない…、しかし、何時かその答えを未来の子孫達が明確な形で出してくれるであろう、ただそれを切に望むだけである。

 ここ「宇宙次元原理表(ひふみ‥九九算表)」には「八卦の神妙の理」と「ひふみ算」相沿って奏でる見事な宇宙自然の陰陽の理が顔を出し、驚くべき自然の陣構えを次々と作り上げ永遠を全うし永続しているのである。それは一つの確定した真実世界であり、人知を超える「知の存在世界」である。
それは未だ誰も足を踏み入れたことのない「数の語る世界」であり、神のみが知る「真実の世界」とも言うべきものである。

 
さあ、このあたりで一つ本題に入り、真実の証を尋ねてみよう。

『太極図(ひふみ九九算表) 』(別名「神の易」



《太極の証》

縦列、横列のすべての数を加算→0、すなわち全体の本質は0である。またどのように回転させてもすべて同じ姿である。→「宇宙次元原理表解図」(№5)より。

二つの対角線上の数列を加算→0、またこの二つの対角線に沿った各数列のΣもすべて→0である。そこには次のような驚くべき「神の数」が秩序を持って順に並んでいるのである。


それが、すなわち、0、9、18、27、36、45、54、であり、すべては本質0の「神の数」の姿であり、整数比では0,1,2,3,4,5,6となる。しかも、そこにある数列はすべて鏡面対称数列なのである。→「宇宙次元原理表解図」(№6)より。

そこに右上から左下に流れる斜めの数の合計を見るがよい、それらは上から流れて、0、0、1,4,10、20,26、20、39、30、と流れている。そこでこれらの数の本質を調べるのである、それらすべては1、2、3、4、5、6、7、8、0の数字となって見事な「ひふみ…の歌」が流れていることが解るはずである。          →「宇宙次元原理表解図」(№24)より。

 そこにある
もう一つの斜めに走る数字、すなわち左上から右下に流れる斜めの数のΣは、上から0,0、8、14,17、16,10、34、24、24と流れている。その本質を調べると、そこには8,7,6,5,4,3,2,1,0の「ひふみ数の逆数の並びがあらわれるが現れる。

 ④と⑤の関係とは、すなわち「陰」と「陽」の関係である。なぜなら、 ④と⑤の答えの数を加算すると見事な9の群れが現れてすべては0に納まるからである。


同時に、対角線を中心軸に折り曲げると、そこにある半図同士はミラー対称性を持つことが分かる、このミラー対称性は一体何を表わすのであろうか、そこには現代物理学でも未だ見出すことの出来ない「神の理」が群れをなして鎮座しているのである。これらをしっかり見極めると、そこにはまさに「天地の理」、「宇宙の二元の理」が静々と姿を現すのである。
→「宇宙次元原理表解図」(№24)より。


ここに示されている『宇宙次元原理表(ひふみ九九算表)』こそは、まさに日本超古代に存在した『神の易』であり、伏義により中国に持ちだされた「易の原図」そのものである。
 その理由、及びその仔細の一切はこれから始まる『太極図』の解説をみれば分かると思う。

                                               → 「宇宙次元原理表解図」(№1~29)より。


またこれは日本では最も古い言葉である「フトマニ」の図でもあり、インドの「曼荼羅(マンダラ)の図、すなわち「神々の配置図」でもある。よく見るがよい、中央の大神を囲むようにすべての神々は坐しているのがお解りであろう。→「宇宙次元原理表解図」(№17)より。


「フトマニ」とは神道各家により解釈が異なり、種々雑多な「フトマニ説」存在する、例えば占いの一種であるとか、言霊の展開法であるとか、または神の意志、すなわち神の啓示による神理をしめすものとか、まさにいろいろな説が紛紛として存在している。今のところ定説はないのである。……「日本超古代秘史研究原典」より


さあ、この『太極図(ひふみ九九表) 』がいかいして「両義」、「四象」、「八卦」へと本質(DNA)を失わず分化し、しかも、分極性を持って歩を進めて行くのかを見てみることにしょう。


〔1〕その概要を見てみよう

【太極】…… 未だ分化せずに、混沌の状態にありながら、原始的な陰陽の形態、未完の陰陽を示す。               (混沌にあってもすべては0の本質を持ち、全体としての本質は0である)


【両義】
…… 陰陽に分かれて対峙しながら変化を生みだす。(陰陽対峙して本質0となる。)

【四象】…… 大いなる上下左右の陰陽の変化の始まり。四方が対峙して変化を競う。
(四方がそれぞれ0の本質を掲げ           ながら、相互に相対峙する。)


【八卦】
…… 四象が更に陰陽に分裂して八方に分かれ、その各々が規律を持って調和しながら
整列分岐している姿で           ある。 それでも、(やはり本質〇は失われず持つ。)


〔2〕その仕組みとは…?。

ここにあるのはまさに「神の芸術」の表れであり、「神の意志」の存在の記録である。
それはどう見ても偶然とか、たまたまと言う表現ではとても解決出来るものではない。
そこには間違いなく何者かの意思が大きく働き、呼びかけているのである。


≪両義≫

 「ひふみ九九算表」、すなわち、太極図を真ん中から切り裂き分断する、するとその切り口から数がこぼれ落ちる、その数を拾い集め加算する。その上でもう一方も同じ処理をして比べて見るのである。すると、驚くなかれ、右の陰相は天から地に流れ、左の陽相は地から天に流れると言うお互いが反相の状態で出現し、それぞれが抱き合って目の前で弥栄を歌いだす(本質0になる)のである。すなわち、これが「両義」の本来の真実の姿である。

≪四象≫

 更には両義を真ん中から切り裂き、こぼれる数を拾い加算する、するとそこには「天から地への流れ」と「地から天への流れ」が生まれるのであり、更には「右から左への流れ」、「左から右への流れ」が相呼応して陰陽の姿をつくって四つの陣が対峙するのである。それら四つの陣(四象)はそれぞれ0の本質を持って秩序の通りに流れて完成に至るのである。


≪八卦≫

 これほど美しい調和をもった「真実の世界」が他にあるであろうか…!?、すべては「ひふみの数」で構造化されているものである。すなわち、各四象を更に真ん中から切り裂いて、切り口からこぼれ落ちる数を加算する。すると、そこには8ヶの陰陽が現れて、相対的な布陣を構える図が出現するのである。そこには8ヶの数列が本質を持ちながら、相対的な陣を張って対峙している図が現れるのである。


すべては見事な「神の作品」であり、素晴らしい「神の化神の図」とも言うべきものである。我々がその解明の一翼を担うだけでも、まさに光栄の至りであり、至福の至りと言うべきものである。

心静かに上述した言葉の通りに解いていってほしい、何も難しいものではない。素直になれば小、中学生にでも解けるものである。ただ、あなた方は「易」とは不可解なものであり、難しいものと最初から考えているから解けないのである。


さあ、明日への希望を掲げて、見事「神の易」を解くがいい、これらは古代の日本に起源を持つものである、我々日本民族が解かずして、誰が解き得るであろうか…!!?。

私はサジェストを与えるだけに止め、敢えて本性、本筋は明かさない積りである。何故ならば、これは「神の真髄」の部分であり、やんごとない神知のスト-リそのものなのである。出来る限り自らの直感と洞察力を用いて、この絵(太極図)を咀嚼して内蔵されている「天地の理」をひも解き解明の限りを尽くしてもらいたい。

「神の数学」をここまで会得したあなたがたの知を持ってすれば、おそらく軽々と正しい答えを手に出来るはずであり、更にはそれを反芻してまことの真実を見出すであろう。


ただ、読み方、解き方を口授し、教えるだけでは、何となく不信感が残るであろう。よってここに結果として「八卦の伝え」の数字を少しばかり残して真実の証としたい。出来ればこれらを一つの手掛かりに歩を進めていくがよかろう。

 最後の答えを求めながら、心のいくまで楽しみ、妄想に耽ることを勧める。妄想とは未来の出来事を己の心のままに描くことであり、将来的な事実を予感し、考えることである。

とにかく、自分の手と目を用いて心で考えることである、なまじ他人の手と口を当てにすれば己の心は陰るだけであり、だんだん錆ついて動きを失うことにもなるのである。

 少しでもいい、目で見て、手を動かしながら考えるのである。とにかくやさしいものである、ほんの少しだけの努力で世界の大きな謎と言われていた「易」の秘密があなたの前に姿を現すのである。


何と、この「八卦の図」に現れた縦と横の数字は完全な「神の意思」を持った数字の群れと言ってもいいものである。そこにあるのは決してランダムな数などではない、そのあたりを逐一順序に沿って調べてみると、そこに間違いなくは大いなる宇宙の意思(神)が存在していることが自然々に解ってくるのである。

真実に目覚めるためのいい機会である、そのあたりを十分に探索・検証し、学んでもらいたい。

そのあたりの一切は次の「八卦の図」の検証仔細あたりを見ながら心と魂で理解すべきである。


「八卦の図」の検証の部より

…『[魔方陣]と「神の法陣」』(№3)より


何と、驚くことには、「陰」と「陽」の相である「縦の数列」と「横の数列」はまったく同じ数を示しているではないか…。まさにここには3456の4数が正しい秩序をもって並んで、何かを囁いているのである。

また、この3456のΣ=18であり、本質は0である。その位置関係を見るとそれは「ひふみ数、0123456789」の中央と言うやんごとない位置を占めているのであり、まさに、神の座にある「神の数」の現れであることが判るのである。

最後に、ここに祝詞「ひふみの天地の数歌」を掲げておくのでそのあたりの様子を見てほしい。すべては「神」の心のまま、自然の真実のままを「数」が知らせているのである。


 
古神道太祝詞 「0 1 2     7 8 9(0)

                      …… 数学幻視考「魔方陣」と「神法陣」(1)、(2)、(3)より


ここでよく見てほしい、ここで古神道の天地物語を考えてほしい、するとここに現れたのは神々を生んだとされる中心の神「天の中主の神」である。するとその前に御座する012はカミムスビの神」であり、後ろに鎮座するのは「タカミ結の神」ということになる、本当なのであろうか…。ではその証を示すためにこれら二つの神々を結んでみよう。

012+789Σ=702(神算法) Or 801(計算機) →  →  

おお、何と言うこと…、 この3神は確かに無に還り、身を隠されたことを数は証しているではないか…!!。


ここに改めて天地開闢の大神である造化三神が揃い踏みし、次なる神々の九十九神を生み出すことになるのである。もはや、あなたにはお解りであろう、そう、その九十九神とはこの大神太祝詞の後ろにひそかに坐する「ひふみ九九表」の神々であり、そこに坐す陰と陽の対の神々である。 古神道ではこれらの陰陽の対の神々を夫婦(めおと)と捉えてそのように扱っていることからもその真実はわかるであろう。

あらためて考えると、この奥儀祝詞の申すことには嘘偽りなどは一切ないことが判る…!。今まで陽の目を見なかったのは知に疎かったからであり、真実の知に目覚めなかったからである。まさに日本の神々の物語は万々歳であり、弥栄であり、弥栄の限りである……!!!。 あなかしこ…、あなかしこ…!!。

                                 
                          あなかしこ =(ああ、もったいない。ああ、なんと恐れ多いことなのであろうか…!!。)


              3月の記」 以上


<転載終了>