なわ・ふみひとさんのサイトより
http://www.h2.dion.ne.jp/~apo.2012/browse1003-1.html#02
<転載開始>
溶けゆく日本人
産経新聞社取材班  扶桑社新書
街にあふれる家庭ごみ 自分の周りがきれいなら
  かつて海を渡って来日した宣教師たちが、声々に賛美したものがある。日本の「清潔さ」だ。そのうちの一人、イエズス会神父のロレンソ・メシアは同僚に宛てた書簡で「日本が清潔であることは想像もつかぬほど」と絶賛したうえで、「不潔はすべて大罪」とも綴った。
  それから四百年余。霊峰富士から公園、高速道路に至るまで、あり得ない場所にあふれかえるほどの家庭ごみがある。モラルなど犬に喰われろ、というばかりに……。
  東京都練馬区光が丘。団地が林立し、およそ三万人が生活を送る。そんな彼らの憩いの場となっているのが、光が丘公園。東京ドーム12個分の敷地面積を有する、都内屈指の広さを誇る都立公園だ。
  年も押し迫った平成18年12月28日。公園の一角に高さ2メートルを超えるごみの山ができあがった。タイヤ、ベビーカー、シュレッダー、ストーブ、バンド演奏のドラムセット……。昨年1年間で公園内から回収された不燃ごみの数々だ。重量はゆうに4トンを超えた。
  「引っ越しシーズンには、衣類、家具など生活用品一式が丸ごと見つかります。公園はごみ箱なのでしょうか……」。光が丘公園サービスセンター長の室星直史さんはそう語り、深いため息を漏らした。廃棄物は業者に依頼し引き取ってもらうが、処理費用は百万円を超えるという。むろん血税が注がれる。
  都立公園を管理する東京都公園協会によると、仏壇やペットの死骸など、かつては想像できなかった“ごみ”が園内に放置されることもある。いや、遠慮なしに廃棄されるのは、もはやごみだけではない。室星さんはある日、「池でカメを飼い始めたんですか?」という連絡を受けた。不思議に思って駆けつけたところ、仰天した。「危険動物」に指定されるカミツキガメが、園内をわが物顔に闊歩していたのだ。
  「やっかいなものを手放せたということで、捨てた人は安心かもしれませんが……」。室星さんの表情はさらに曇った。
  札幌市のベッドタウンとして発展する北海道江別市。ここでは、市内の公園でちょっとした“騒動”が持ち上がった。
  平成16年10月に家庭ごみ回収を有料化した途端に、公園に捨てられるごみが激増したのだ。生ごみをはじめ、大量の使用済みオムツなど、明らかに公園で出た物ではない廃棄物が、ごみ箱を中心に溢れかえった。収集が追いつかないことなどから、市では公園に設置していたごみ箱を501基から290基に減らして対応せざるをえなくなった。
  有料化による指定ごみ袋の値段は1枚20~80円だが、それを惜しんでの“犯行”だ。「ごみの減量化を目指した有料化ですが、なんだか切ない話ですね」と、市都市建設課の今野伸吾さんは、ぽつりと語った。
  福岡県北九州市でも5年をかけ、バス停や市街地の路上に置いてあったごみ箱約千二百個をゼロにした。ペットの糞や生ごみなどモラルなきごみの数々が、ごみ箱から溢れ出るようになったこと、それが原因の一つだ。「収集所に捨てそびれた人が街のごみ箱に捨てていたのでしょうか」と同市業務課。その問いかけには、憂いとともに怒りが帯びる。
  今や注意するのも“命がけ”だ。ある自治体の清掃関係者は、“恐怖体験”を口にする。サラリーマン風の中年男性がヒモで縛った雑誌を街路樹の下に捨てていく様子を目撃し、たしなめたところ、「お前なに言ってるんだ殺すぞ」と“逆ギレ”されたという。「雑誌1冊で命を取られてはたまりません」。悪貨は良貨を駆逐し、ごみは街に溢れていく。

  四百年の時が流れ、「公共の場」に、家庭から出たごみを当たり前のように置いていく、そんな国に成り下がってしまった。異国の人々を驚嘆させた、あの「清潔さ」を愛おしむ精神は捨て去ってしまったのだろうか。
  「いや、きれい好きな国民性というのは、宣教師が訪れた時代から変わっていないように思うんです」。こう語ったのは京(みやこ)エコロジーセンター(京都市)館長で、石川県立大学教授の高月紘さん(環境倫理学)。では日本人の何が変容したのか。
  「モラルの低下です。それにより、『街の美』というものに関心が向かなくなったんですよ。いつのころからか、『自分の周辺だけきれいだったら、それでいい』そんな考え方になってしまった」


★ ひとくちコメント―― いま日本を席巻しつつある「我善し(=自己中心主義)」の風潮こそ、この国が滅びつつある兆候です。この本ではその異常な実態の数々が浮き彫りにされています。これこそ、もはや押し返すことのできない“終末現象”と見るべきでしょう。ただし、そのことをもって落胆したり、悲憤慷慨する必要はありません。この現実を直視しつつ、まずは自らを正しく律する姿勢が大切なのです。(なわ・ふみひと)

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トルコ人から教わった「世界の常識」
上野 重喜 (放送ディレクター)
致知  2009年2月号
  十数年前、NHKを退職し、関連の別法人で働いていた私に、JICA(国際協力事業団)から仕事の話が舞い込みました。
  トルコの人□教育促進プロジェクトに手を貸してほしいというのです。
  当時、トルコは人口増に対処するため、家族計画を推進しており、保健省傘下で、テレビ番組の制作やIT技術を通して母子保健・家族計画の普及に協力するのが仕事でした。
  トルコは世界でも指折りの親日的な国として知られています。
  ロシアと緊張関係にあったトルコは、日露戦争での日本の勝利を共に喜び、また、先の敗戦から見事な復興を遂げた日本への畏敬の念も多大です。
  私が訪れた時も、国民の多くが日本に尊敬と憧れの気持ちを抱き、その発展に学ぼうと懸命でした。そういう国民性も手伝って、私たちのプロジェクトはおかげさまで順調に進展し、一定の成果を収めることができました。
  現地では多くの知識階級の人々とも知り合いになりました。
  その一人に日本の歴史や文化に関心が深い30代の医者がいて、彼の話に大変感じ入るものがありました。
  彼は、かつてオスマン帝国として広大な領土を支配し栄えた自国の歴史に誇りを持っていました。オスマン帝国の歴史は13世紀末から20世紀まで600年以上続きます。これだけの長きにわたり
他民族を支配するためには一つの鉄則があったのだと私に教えてくれました。
 
その鉄則とは、50年先を見越し、教育によって被支配国の伝統や文化を骨抜きにし、自分たちの思いどおりの国に変えてしまう、というものです。
  すでに教育を終えた人間を変えることは不可能だ、幼少年期からの教育で人間の本質が決まるのだから、自分たちの思いどおりの教育をした国民が育つには、50年かかるというのです。
  被支配国の文化や伝統を根こそぎ変える占領政策が実るのは、半世紀後だというわけです。
  彼の話は次に日本に及びました。戦後、アメリカが日本を占領下に置いた時、やはり50年先をみて、アメリカの思いどおりの日本に変えようとしたに違いない、というのです。つまり戦後50年以降に敗戦のツケは回ってくるというわけです。
  そして、日本を訪れたことのある彼は、その時の見聞をもとに次のように話しました。
  「日本は私が予想した以上にアメリカナイズされています。日本古来の武士道精神をすっかり失っているようにも思えました。我々がいま一番案じているのは、戦後のアメリカの教育を受けて育った日本の指導者たちが、これからどのような日本をつくっていくかです、まさにいまが分岐点。このことは世界の一大関心事でもあるんです」
  アメリカの占領政策によって日本が大きく変わっていく様子を体験した私ですが、高度成長のうねりの中で、そのことを深く意識することなく生きてきました。それだけに彼の発言は新鮮で、日本人が気づかなかった点を指摘された思いでした。
  日本のこれからに強い危惧を抱いた私は、帰国時に、トルコの留学生に医者から聞いた話をした上で「あなたはどう思いますか」と質問してみました。すると、「それは常識です。我々留学生仲間は皆そのように話しています。日本の勝負はこれからですよ」という返事が返ってきました。ごく普通の留学生から出たこの言葉に、私は改めて愕然としました。
  日本が戦後50年を迎えたのは1995年、私がトルコに赴任した年です。バブルが崩壊したとはいえ、日本はまだ隆盛を誇っていた時でした、しかしその後、景気の低迷や人心の荒廃など国力は著しく低下し、いまもなお先行き不透明な状態が続いています。
  改めて振り返ると、日本人が親から子へと受け継いできた伝統的価値観や美徳、古典の素養といったものが、この50年間ですっかり失われてしまった感は否めません。
  トルコ人の考え方は、やはり正鵠を射たものなのだろうか。それを思うと複雑な心境です。
  そういえば、トルコに赴任して間もなくの頃、現地人から「武士道とはどういうものですか」と聞かれ、返答に困ったことがありました。同国では柔道や空手が盛んで、彼らにしてみたら日本人が武士道について語るのは当然という感覚だったに違いありません。顧みると私自身、小学校4年生の時に終戦を迎え、武道は禁止され、日本の伝統を否定することを教えられてきた一人だったのです。
  子ども心に戦時の苦しさ、悲惨さを知る私は、日本が再び国粋主義の道を歩むことには反対です。しかし、自分たちの大切な文化や価値観をなおざりにしたまま欧米崇拝の道を歩んできた日本人は、武士道に象徴される伝統的精神に目覚めなくては国の将来は危ういという思いは強くなるばかりです。
  トルコの医師の話のように、教育によって国民が骨抜きにされたとしたら、それを取り戻すのもまた教育です。
  いま日本各地で幼児や小学生に『論語』の素読や『百人一首』の朗誦などをさせる動きもあります。これは反動的なことでなく、失った良き伝統を取り戻す試みです。
  身心一如と申しますが幼少時から身体を鍛える、仕事によって自然と触れ合う教育も大切です。日本人の特質、勤勉と礼儀正しさ、失われた伝統をいまこそ取り戻したいものです。

● ミニ解説 ●
  戦後、占領国アメリカを通じて世界支配層がこの国に対して行なってきたことは、まさにこの文中に出て来るトルコ人が指摘している通りです。そして、その結果が今日の疲弊し、劣化したこの国の国民であり、社会ということになります。
  かつて世界中から絶賛されたこの国の美徳は根絶やしにされ、ひとくちに言えば「“お金さま”が一番大切という拝金主義」「自分さえよければ他人や世の中はどうなろうと知ったことではないという自己中心主義」の風潮が根づいてしまったのです。
  また、親や子供を大切に思う国民性も、個人主義教育の中で見事に奪い去られたのでした。いまでは、親殺し、子殺しさえ珍しいことではありません。
  しかも、このようにひたひたと迫りくるこの国の凋落を気にも留めず、多くの国民は毎日テレビのクイズ番組や料理番組、お笑い番組に興じているといった有り様です。目も当てられないほどノーテンキな国民となり果てています。
  このようなこの国の凋落を早くから予測し、警鐘を鳴らしている著書は数多くありますが、私が最もお勧めしたいのが『混迷日本にとどめを刺せ』(ヤコブ・モルガン・著/第一企画出版)です。 今日の日本の支配構造を鋭く分析した好著ですので、著者は名前を伏せてしか著すことができなかったものと思われます。(ヤコブ・モルガンはペンネームです。複数の人物による共著かとも思われます)
  この本は今から10年以上も前に書かれたものですが、今日の状況に照らして見ますと、その分析の正しさがわかります。残念ながら、既に絶版となっていて、手に入れて読んでいただくことができません。当サイトにダイジェスト版をアップしておりますので、ぜひ目を通していただきたいと思います。日本人必読の文献と言ってもよいでしょう。(トップページ右下の「天使」のアイコンから入れます)
  また、このように頽廃する前の古き良き日本の姿を外国人の目でとらえた『逝きし世の面影』(渡辺京二・著/葦書房)も、ぜひ読んでいただきたい好著です。こちらもダイジェストにしてアップしていますので目を通していただきたいと思います。

 ● 『混迷日本にとどめを刺せ』(ヤコブ・モルガン・著/第一企画出版)
 ● 『逝きし世の面影』(渡辺京二・著/葦書房)
                                     (なわ・ふみひと)
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