てんさんのサイトより
http://blog.livedoor.jp/oni567/archives/3879051.html
<転載開始>
聖師様1
今日は昭和10年直前頃の
出口王仁三郎の近影写真です。

お蔭さまでこのブログの記事も色々なHPやブログに引用して頂いているようです。
引用頂くことについては、一般の引用ルールのみお守り頂ければ特に制限はありませんので今後ともよろしくお願い致します。

以前に増して、多くの方にご高覧頂く中で出口王仁三郎について全く何も知らないという方には、老舗のサイトが王仁三郎やその著書『霊界物語』、そして王仁三郎の義母である出口直大本教祖の筆先を王仁三郎が神と直の許しを得て取捨選択し、殆どが、かなと漢数字のみの『お筆先」に漢字を当てて出版した『大本神諭』について
の基礎知識が得られますので是非ご参照下さい。


・【オニド】 王仁三郎ドット・ジェイピー http://onido.onisavulo.jp/
 出口王仁三郎に関する情報については最も充実している老舗サイトです

・出口王仁三郎をめぐる冒険~王仁さBLOG  http://onisablog.seesaa.net/
 王仁三郎の「凄さ」をより深く知るためには欠かせない大本事件や王仁三郎出征の秘密について
 私が王仁三郎ファンになったきっかけの超おすすめブログです

さて、『大本神諭』に以下のような行がありますが

…からと日本にほんたたかいがあるぞよ。 このいくさはいくさかみかげから仕組しぐみいたしてあるぞよ。
 かみおもてあらはれて、日本にほん手柄てがらいたさすぞよ。 露国ろこくからはじまりて、モウひといくさがあるぞよ。
 あとは世界せかいおほたたかいで、これから段々だんだんわかりてるぞよ…


これは明治25年旧正月に出された出口直によるひらがなとわずかな漢数字による『お筆先』を王仁三郎が取捨選択し、漢字をあてて出版したものです。

そして、ここでの「からと日本の戦い」は日清戦争のこと、また、「露国から始まりて、モウ一戦」は日露戦争のことで直による予言が的中したと日清、日露戦争後に評判になったのです。(日清戦争については出版前に直の近隣の住民が事前に知らされていたのみだったと思います。)

「世界の大戦い」 については第一次、第二次世界大戦のことで、もしかすると今後の戦争(絶対にあって欲しくは無いです)の事やも知れませんが、2012年3月以降に「中国やロシア」と個別に戦争し勝ことを予言したものではありませんので、御取り違い無きよう、切にお願い申し上げます。

出口王仁三郎は大予言者、大宗教家、大霊能者でもありましたが、神がかりを審査する「審神者(さにわ)」でもありました。王仁三郎は出口直の『お筆先』を審査する役割をも神から許されていたと、『お筆先』に書かれていたのです。

明治25年の正月前後から 神がかりになり、自らも気が狂ったのではないかと恐れる出口直に対して、神が「この神を判ける人は東から現れる」と、王仁三郎の到来を予言していたのです。

そして、数年後、既に修行を終えていた出口王仁三郎が直に繋っていた「艮の金神」と名乗る神が正しい神であり「国祖国常立大神」であると判断したのが王仁三郎であったのです。

後に、王仁三郎は直に懸った「国常立大神」から王仁三郎の御魂こそが「みろくの神」の御魂であると宣言されることになるのです。

王仁三郎も直も、それぞれの予言・預言や偉大な 霊能力を示すことでその信憑性を互いに証明し、相互に審神、其々の位置づけや正当性を証明したとも言えるのです。

神はそれほど、この二人の宗教家の正当性を証明しておく必要があったのです。
それは狐ツキや邪神などによる霊かかりと神かかりの違いを明確に示し、人々が正当な判断ができるようにとの配慮であると言えます。

王仁三郎は後に、弟子にこのように語っています。

〇直接内流は厳瑞二霊

真神(かみ)様は厳の霊(いずのみたま=大本開祖出口直)と王仁とを通じて、発表されたのである。直接内流とは厳の霊と、瑞の霊(みずのみたま=王仁三郎)だけである。『霊界物語』と筆先(大本神諭)に皆出ているのである。王仁達はしやわせ(幸福)な時に、生まれてきたのである。千歳一遇である。五十六億七千万歳一遇を、千歳一遇というのである。(昭和18年2月4日)

〇神がかりは禁止

神様は大正十年から神界の大本営で、一切の神がかりを禁止されているから、その後の神がかりは聞きはつったのをいうのであるから、そんなものは言ってやっても判らぬから、相手にせずホッておいたほうがよい。(昭和18年2月4日)

〇霊界物語の権威

『霊界物語』によってのみ人は救われる。『霊界物語』に反対する者は王仁(じぶん)に反対するものである。読まないのは王仁(じぶん)に、反対するのだ。『霊界物語』を嫌いなものは反対するのである。(昭和18年4月)

(引用元:八幡書店刊 『新月のかけ』より)

王仁三郎の言行や予言、『大本神諭』の予言は〇〇神示とかXXの霊言などが発表される随分前に既にその予言の信ぴょう性が時間の経過と発言の証拠(王仁三郎の書籍や発言は大正、昭和の大本事件によって当時の裁判記録に残っている)によって証明されていました。

それだから、〇〇神示など昭和10年以降の「霊がかり」などを広める際には王仁三郎や『大本神諭』の証明された宗教的、霊能的権威を借りたり、『大本神諭』の行を使って、それまでの神諭や宗教は先走り、だが同系統の神から出された神示だ、などと宣伝をしているようですが、上記の王仁三郎の言葉と矛盾することになります。

特に、「『霊界物語』以降に出されたという、〇〇神示 が、「『霊界物語』によってのみ人は救われる」とまで王仁三郎が説いているにも関わらず、その神示の中で『霊界物語』のれの字も言及されていないのは矛盾し過ぎていませんでしょうか?

もし、〇〇神示が王仁三郎や『大本神諭』のお墨付きを得ているのなら、どうして『大本神諭』の本文自体にその存在が何度も言及され、神が唯一求めていた立替え立て直しをできる存在が王仁三郎であるとまで国常立大神が語った王仁三郎の「昭和10年以降は神がかりは禁止」という言葉に反して昭和10年以降に神示を降ろしたり、『霊界物語』を無視したりできるのでしょうか?あまりにも矛盾していませんか??

〇〇神示やXX霊言集などを信じることは、自由ですし、それを信仰している人を批判する ものではありませんがそれらを宣伝する際に、それら神示が王仁三郎や『大本神諭』の後継であると高らかに宣言することに対しては矛盾を感じずには居られません。

このブログを読んで頂いている方には既にご存じの内容だとは思いますが、出口王仁三郎と『大本神諭』の基本中の基本として、是非、御認識頂きたく、お願い申し上げます、

 ●出口王仁三郎は 明確に 「『霊界物語』によってのみ人は救われる。『霊界物語』に反対する者は王仁(じぶん)に反対するものである。」  と宣言していることをお忘れなく!


聖師様3
今日も最後までお読み頂き誠に有難うございました。

<転載終了>