すめらみちさんのサイトより
http://sumeramichi.net/meiki/jisetsu-gairon_2i.html#link_3-03
<転載開始>

 前節において考察したように、狭義の意味と広義の意味でのミロクの大神は必ずしも一致していません。故に「どの等級(ランク)のミロクなのか」という点については個々の文脈で判断する必要があります。()()()階級(ランク)を設けるのは不適切に感じられるかもしれませんが、この辺りの考え方については天之日津久神様による認識を示した方が判り易いと思います。

「手は頭の一部ぞ、手の頭ぞ。頭、手の一部でないぞ、この道理よく心得ておけよ」 『天つ巻』 第三十帖 [137]

 当たり前の話ですが、中枢は末端に命令を下せますが、末端は中枢に命令を()()ことはできません。中枢も末端も「全体を形成する一部分である」という意味では()()でも、決して()()ではないのです。

 また、この場合は双方を含む全体が広義の意味での()()であり、中枢が狭義の意味での()()になります。これを「(がい)(かく)を分離する」という形で、少しづつ広義の意味を狭義に定義し直して行き、もう削ぎ落とせない最終段階まで残り続けた存在が、最も序列(ランク)が高いと言えます。つまり、全体の行動を決定する権能を有する()()としての存在、即ち(トップ)です。

 その上で、“ミロクの中枢”として神経綸の中心軸に居ると推測されるのは以下の五柱の神様です。これは予言の大半が、この神々の物語として描写されていることからも()し量れます。

一、一柱だけでもミロクと明言されている(あま)(てらす)(おお)(かみ)
一、天照大神と共に天の御先祖とされている()()()()(のかみ)()()()()(のかみ)
一、天の御先祖と一体になって立替え立直しの総指揮を()るとされている(くに)(とこ)(たち)(のかみ)
一、国常立神と同一神的に説かれ救世神とされている()()(なる)(のかみ)

 また、人体の頭が一つであるように最後の一柱まで絞り込む場合は、天照大神が最高位(トップ)になると思われます。恐らくは この点が関係しているのでしょうが、立替え立直しにおける“ミロクの仕組”の内容は、天照大神の別名でもある“ミロクの大神の正式な御神名”鍵言葉(キーワード)として読み解くことができます。

「何故、【(つき)(さか)()(いつ)()()(たま)(あま)(さかる)(むか)()(ひめ)(のみこと)】がミロクの大神なのか?」

 この疑問に対する回答を、ミロクの仕組の具体的な内容と“神話”から導き出したいと思います。そして、これは()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()です。そこで、ここからはミロクと旧九月八日の関係を論じるために必要な内容を、順を追って解説して行きます。

神漏岐命 / 神漏美命

 日本の神道における古い祝詞(のりと)や天皇の(せん)(みょう)に頻繁に登場し、男系の()(しん)と女系の祖神を指す(いっ)(つい)の名称”として使用される言葉が【(かむ)()()(のみこと)】と【(かむ)()()(のみこと)】です。多くの場合は、最も根元的な男女であり夫婦の象徴とされる、伊邪那岐神と伊邪那美神を想定(イメージ)していたと思われます。

 前節の第四項で引用した『太古の神の因縁』では、神漏岐命を高御産巣日神や伊邪那岐神と、神漏美命を神産巣日神や伊邪那美神と、基本的に同じ存在であると()()しています。これは完全な同一神というよりは「広義には(ひと)(くく)りにできる類似性を持つ」という意味だと思われます。

 ただし、神漏岐命や神漏美命を高御産巣日神や神産巣日神と同一視する伝承は記紀にはありません。この伝承が公的に初めて世に現れたのは、記紀の約百年後に成立した『()()(しゅう)()』においてです。

(あめ)(つち)(わかれ)(ひら)くる(はじめ)に、(あめ)(なか)()まれます(かみ)()(あめの)()(なか)(ぬし)(のかみ)(まを)す。(つぎ)(たか)()(むす)()(のかみ)(ふる)(こと)()()()()()()といふ。(これ)(すめ)(むつ)(かむ)()()(のみこと)なり。〕 (つぎ)(かむ)(むす)()(のかみ)(これ)(すめ)(むつ)(かむ)()()(のみこと)なり。〕 『古語拾遺』

 記紀では高御産巣日神と神産巣日神は、無性的な独一神か男性神として描かれていますが、それとは別の伝承があったことを古語拾遺は伝えています。これが大本系統での造化三神に対する見方の最も古い源流であると言えます。

 古語拾遺は記紀に無い独自の伝承を幾つか収録しており、日月神示には その伝承に基づく記述がありますので、『天照大神の岩戸隠れ』などでも古語拾遺の内容を取り上げます。

 ちなみに、(かむ)()()(のみこと)(かむ)()()(のみこと)に冠されている「(すめ)(むつ)」とは、天皇との血縁関係があるとことを示す言葉で、一般的には“皇祖”“皇族”という意味で使われます。基本的に「(すめ)()(おや)」などの言葉も同じ意味です。日月神示の祝詞でも同じように表現されているので引用してみます。

「高天原、おのころに()()つまります、すめむつカムロギ、カムロミのミコトもちて、()(よろづ)()()たちを神(つど)へに集へ給ひ、神はかりにはかり給ひて 〔後略〕 『紫金の巻』 第一帖 [980]

「たかあまはらに、かむつまります、かむろぎ、かむろみのみこともちて、すめみおや かむいざなぎのみこと、つくしのひむかのたちばなのおどのあはぎはらに、みそぎはらひたまふときに、なりませる 〔後略〕 『水の巻』 第二帖 [276]

 神漏岐命と神漏美命に関する記述は他にもあります。

(かむ)()()(かむ)()()(みこと) 忘れるでないぞ。そこから分りて来るぞ」 『地つ巻』 第七帖 [144]

(たべ)(もの) 頂く時はよくよく噛めと申してあろが、上の歯は火ざぞ、下の歯は水ざぞ。火と水と合すのざぞ。かむろぎ かむろみぞ。噛むと力生れるぞ。血となるぞ、肉となるぞ」 『水の巻』 第十五帖 [289]

 ここでは上と下、火と水を(たと)えに使って、神漏岐命と神漏美命が“対偶の存在”として位置付けられており、そこから何らかの理解が進むことも述べられています。

 次に、『太古の神の因縁』の中での神漏岐命と神漏美命と()()()御三体の大神の関係を図にしてみます。

 この図で表しているように、神漏岐命と神漏美命とは“対称的な二つの(はたらき)のことであり、“一なるもの”を、天系、霊系、火系、父系などの側面から表現しようとする用と、地系、体系、水系、母系などの側面から表現しようとする用のことだと言えます。

 なお、図の中央の(ライン)が破線なのは、基本的に()()()()から()()()()には行けない」からです。別の言い方では「更なる調和を実現するためには一時的な分離を経過しなければならない」とも言えます。こういった宇宙観が日月神示の善悪観の要になっていますので、この第三章の『(あまつ)(かみ)の神勅』での“対なるもの”の解説や『()(またの)(おろ)()』で更に詳しく取り上げます。

 また、これらは「真ん中は最初と最後にしか現れない」とも表現できるのですが、その点が前節の第四項で引用した『水の巻』第十帖で、六柱の天の御三体の大神が、天之御中主神、高御産巣日神、神産巣日神、伊邪那岐神、伊邪那美神、撞賢木向津媛神の順で書かれている理由だと考えられます。この記述では単純に“隠れの三柱”“現れの三柱”の対応関係を明かすだけではなく、一なるものが分離して再び統合されるという()()を、御神名を列挙する順序によって表現しているのでしょう。

 次に、この“分離と統合の(はたらき)を数霊的な側面から見てみます。

 この概論では まだ本格的に論じていませんが、日月神示では伊邪那岐神が“一二三四五六七八”(つかさど)り、伊邪那美神が“九十”を司ることが述べられています。故に、()()()()()()()()が一体になった姿とされる(ミロク)の大神が“一二三四五六七八九十”を司るのは自明のことだと言えます。

 例えば、未公開の大本神諭だった『大本年表』にも、こういった天の御三体の大神の関係性を指すと思われる記述が幾つかあります。『大本年表』については『補章』を参照して下さい)

「天は大神様が、日の大神殿 月の大神殿の(うしろ)()で、天照皇大神宮殿が万古末代 世を御持ちなさるなり、地を構ふのが艮の金神」 『大本資料集成』 第一巻 146頁

「天はお姉さまが、日の大神さま月の大神さまの(うしろ)()で、万劫末代お守護(かまい)なさるぞよ。天はおかわりのない御三体の大神さま、世をおもちなさるのは お姉さまの天照皇大神宮どの、地を()()うのは お妹ごの稚姫君命、変性男子のみたまであるぞよ。このみたまが艮の金神のみたまであるぞよ」 『大本資料集成』 第一巻 280頁

「御水を与えなさるのは月の大神様であるぞよ。火を与えなさるのは日の大神様なり、天照皇大神宮殿は御二方の(うしろ)()で、天からわ御三体の大神様が万古末代おかまいなさるなり、地をかまうのは艮の金神 〔中略〕 御総領の天照皇大神宮殿わ天から此世一切の事を御かまい遊ばすなり 〔中略〕 艮の金神で二度目の世の立替を致して世界一の大神となりて御三体の大神様からのご命令を戴いて万古末代 続かす世に致すのである」 『大本資料集成』 第一巻 315頁

「お水を地から自然(ぬしがで)に湧くとおもうたら了簡がちがうぞよ。お水のご守護は月の大神さま、火のご守護は日の大神さま、天照皇大神宮さまは世界を天から一から十までおかまいなさるなり、お二方が(うしろ)()なさる、万劫末代 天からおかまいなさるなり、地の世界をかまうのが、こんど世に出る国常立尊、天のお三体のご命令をいただいて、地のお土のあるだけを守護いたすのであるぞよ」 『大本資料集成』 第一巻 318頁

「みろく様の実地の御血統が、天は天照皇大神宮殿が末代の世を、月の大神様と日の大神様とが末代の世を(うしろ)()をなされて、天からは お守護(かま)ひなさるなり、地の世界をかまうのが地の先祖が末代の世を みろく様と直きのお血統が地の世界の大国常立の尊……」 『大本資料集成』 第一巻 448頁

 ここで使われている「(うしろ)()」という言葉は、数霊的には一二三四五六七八九十が一二三四五六七八と九十を実体として成り立つことを表現しているとも言えます。

 この御三体の関係を、時節の原則である“数の順序”を踏まえた上で見ると、旧九月八日がミロクの世の始まりである理由が()()()()()()()()()()()()()ことに気付かされます。何故なら、神経綸九の始まりである旧九月八日は、()()()()()()()()日月(ミロク)の大神”になり始める日であるのと共に、八方的世界が十方的世界へと本格的に移行し始める日に他ならないからです。

 要するに、(しん)()の信奉者が使う「ミロクの世」という言葉は、立替え立直しが済んだ後の理想世界のことを指す場合が殆どなのですが、実際には立替え立直しの真っ最中である“正念場”の期間もミロクの世に含まれているのです。

 この辺りのことは、日月神示ではなく伊都能売神諭の方に少しだけ詳しく書かれています。

「撞の大神様ミロク様が、肝心の世を治め遊ばす経綸(しぐみ)となりたのを、()()()の世と申すのであるぞよ。ミロクの御用は撞の大神と現はれる迄は、泥に()みれて守護いたさな成らぬから 〔中略〕 肝心の時に成りて()(かげ)(をと)して、()()かれんやうに致して下されと、毎度 筆先で気を付けてあろうがな」 『伊都能売神諭』 大正七年十二月二十三日

 注意して読めば判ると思いますが、この記述は()()()の世である「肝心の世」や「肝心の時」になっても“間引き”が行われることを伝えており、少なくともミロクの世になった直後の時点では立替え立直しが終わっていないことを示唆しています。同時に「撞の大神が現れること」“ミロクの御用”が関係していることも説かれています。

 なお、伊都能売神諭には“ミロクの世の定義”に関する記述が他にもあるのですが、それは他の考察との兼ね合いがあるので第四項で引用します。
<転載終了>