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<転載開始>
日と月とミロクの関係を更に詳しく解説するために、時節の要にして鍵にして基点であり、旧九月八日がミロクの世の始まりであることが明かされている“天子様の年齢”を再び引用します。
「五十二才
二の世の始、五十六才七ヶ月ミロクの世」 『黄金の巻』 第五十四帖 [565]
この記述では、天子様が五十六才七ヶ月の時に「ミロクの世」になる他に、五十二才の時から「二の世」が始まることが述べられています。日月神示の原文の“二”は「ツギ」や「ツキ」と訓む場合が非常に多く、天子様の年齢では どちらの訓み方をしても本質的な意味は変わりません。むしろ、二つの訓み方をして照らし合わせることにより、双方の固有の意味が更に鮮明に浮かび上がるようになっています。このような相互補完の関係にある言葉が【
◆
まずは“次の世”としての意味から考察します。
日月神示の説く次の世とは、基本的に「八方的世界の
現在の八方的世界が十方的世界に切り替わる時期については、
そして、天子様の年齢における次の世とは、「大別的な区分での十方的世界が始まる」という意味に加えて「ミロクの世の王の御代が始まる」という二重の意味が込められているらしいのです。この二つの出来事は相互に
また、大別的な区分での十方的世界が始まる2012年は、2008年から2016年までの神経綸八の“真ん中の年”です。前編の第二章の第八節でも述べましたが、数霊の八の“どっちつかず”の性質が神経綸や時節にも一日単位で反映されているとすれば、2008年の8月17日から2016年の旧九月八日までの中間点である2012年の9月13日辺りが、実質的な践祚の計画上の予定日なっているはずです。現実的には多少のズレがあると思われるので確実ではありませんが、平成二十四年が元年になる可能性が高いと考えられます。
なお、これは後編で論じる内容なのですが、大別的な区分での十方的世界が個別的な区分でも十方的世界になるまでの十二年の
次に“月の世”としての意味を考察します。
日月神示の説く月の世とは、基本的に「
以上のように数霊から見れば、次の世と月の世は本質的に同じ意味であることが判ります。この点を極めて明確に説いている記述があるので引用してみます。
「次の世とは月の世の事ざぞ、
一 二の二の世ぞ、の月の世ぞ、取違ひせん様に致して呉れよ。智や学がありては邪魔になるぞ、無くてもならぬ難しい仕組ぞ、月の神様 祀りて呉れよ、 素 盞 鳴の神様 祀りて呉れよ、今に 会 得る事ぞ、日暮れよくなるぞ、日暮れに祀り呉れよ、十柱 揃ふたら祀り呉れいと申してあらうがな、神せけるのざぞ」 『日の出の巻』 第三帖 [216] 「
つ き の 四 十 八 つ き の 四 の 九 十 三 三 一 二 の 二 の 四 三 月 の 月 の 四 三 十 り ち か へ 千 四 二 一 た 四 て 九 れ 四 ち 八 か 九 か あ り て 八 ち 八 ま 二 七 る 三 七 九 て 百 七 ら ぬ 六 か 四 四 九 三 三 三 つ き ノ 三 ま ま つ り 九 れ 四 す 三 七 る ノ 三 ま ま つ り 九 れ 四 一 ま 二 八 か る 九 十 三 一 九 れ 四 九 七 る 三 一 九 れ 二 ま つ り 九 れ 四 十 八 四 ら 三 ろ た ら ま つ り 九 れ 一 十 百 四 て あ ろ か 七 せ け る の 三 三」 『のてのまキ』 第三帖 [216]
この記述では、次の世が月の世であることを間違えないように、わざわざ三日月を
「
一 九れを気つけて呉れよ、日暮れよくなるぞ、日暮れに始めたことは何でも成就するやうになるのざぞ、 一 九れを日の暮れとばかり思うてゐると、臣民の狭い心で取りてゐると間違ぶぞ。のくれのことを申すのざぞ」 『地つ巻』 第二十三帖 [160]
この場合の日暮れとは“
「日の大神様は日の御働き、月の大神様は月の御働き、日の大神様も世の末となって来て御神力うすくなりなされてゐるのざぞ、日の大神様も二つ、三つ、自分一人の力では何事も これからは成就せんぞ、心得なされよ」 『青葉の巻』 第十六帖 [485]
「
の 三 の ん 八 キ 月 の 三 月 の ん 八 キ の 三 も 曰 の へ 十 七 て キ て 五 曰 ん キ 九 七 七 三 て 一 の 三 三 の 三 も 二 つ 三 つ 二 二 ん 一 十 の 千 て 八 七 二 五 十 も 九 上 十 千 三 九 九 へ 七 三 曰」 『ア火八のキ』 第十六帖 [485]
この帖では、今までに
「旧九月八日とどめぞ」 『水の巻』 第九帖 [283]
と書かれているのでしょう。何故なら、九を始めることは八を
そして、前項でも触れたように、伊都能売神諭で月の大神をミロクの大神とする場合があるのは、この点に理由があると考えられます。数霊から見ると、時代が一から十に向かって順に進展して行く時、一から八までの時代には
「月の大神様 御出でまして闇の夜は月の夜となるのざぞ」 『日の出の巻』 第九帖 [222]
「一先づは月の代となるぞ。ひっくり返り、ビックリぢゃ」 『月光の巻』 第九帖 [796]
ちなみに、二つ目の帖で「
ただし、この場合の十方的世界を意味する“九十”は あくまでも「一二三四五六七八を内包した九十」なので、数霊的に表現すれば“一二三四五六七八九十”です。故に、
これは
天の御三体の大神の
以上のように、数霊や
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