井口博士のサイトより
http://quasimoto.exblog.jp/17729512/
<転載開始>
みなさん、こんにちは。

以前ここでも取り上げた「THRIVE」(繁栄)という映画の無料提供版が出たらしい。ここでもメモしておこう。以下のものである。

(THRIVE Japanese) スライブ—いったい何が必要になるのか



ついでに、有名な「ローマクラブ(Club of Rome)」の世界観、地球観は、これとは正反対の世界観であるということもメモしておこう。こういう悲壮な世界観に基づき、この地球を貧困と混乱の世界へと突き落としたのが、ローマクラブだったのである。それが、
成長の限界―ローマ・クラブ人類の危機レポート
という1970年代の本である。この本の邪悪な世界観により、石油ショック、地球温暖化などに象徴される、「消費され尽くす地球」というイメージを植え付けることに成功したのである。今では、ローマクラブは、ビルダーバーグ会議、300人委員会などと同様に、イルミナティNWOの主要シンクタンクの1つとして知られている。要するに、支配する側の論理で論じられたレポートの1つということである。
ところが、最近、NHKが「ローマクラブ」と全く同じ発想でプレゼンテーションする人物を紹介していたようである。以下のものである。
スーパープレゼンテーション
ハンス・ロスリング「増え続ける世界人口」



Hans Rosling: No more boring data: TEDTalks

Peak Civilization: MIT Research Team Predicts Global Economic Collapse and Precipitous Population Decline

偶然、私はこれを見たが、これを見ていると、「人類よ、死に絶えろ!」と言っているように見えるのである。NHKのEテレは、これを「プレゼンテーション」テクニックの1例という形で、我々国民へ見事なすり込み(洗脳)を行っていたというわけである。

確かにプレゼンテーションはお見事だったが、言っている内容はまったくのナンセンスであった。なぜなら、ハンス・ロスリングの見解は、かつての経済学の創始者のラムセー理論と同様の間違った仮定に基づいているからである。要するに、こういう人々は「発明がまったく為されなかった場合」という大前提(仮定)を理論の基礎に置くのである。これはナンセンスである。そこが、「スライブ(繁栄)」の価値観と相容れないのである。

我々は、フリーエネルギー発電、反重力、重力発電、テスラ波、常温核融合などなど、さまざまな大発明を行い得る立場にある。こういうことを無視すれば、という架空のお話に過ぎないというわけである。

地球を破壊し、穴だらけに掘削し、石油や金属を掘り出して、地球を穴の開いたチーズのような惑星にしたいのであれば、それでもいいが、空間の歪みエネルギーから直にエネルギーを取り出すことが可能であれば、我々が水の滝を利用した水力発電のように、重力から直にエネルギーを取り出せるかもしれないのである。核反応による原子力発電所など不必要になるのである。

未来を思い描くとは、どのような世界に住みたいかという未来図、そしてそれを実現するための科学技術のイメージに大きく依存するのである。かつてバックミンスター・フラーが言ったように、いまだに大理石のお城に住みたいなどというのは、時代錯誤の洗脳以外の何ものでもないのである。石の家など洪水でお陀仏である。

かつて「空飛ぶ家」というものを、拙著「フラーとカウフマンの世界」や昔の拙ブログにも書いたものだが、そういう家に住むべきなのである。
では、航空宇宙流体力学の知識が使えてしかも既存の交通技術や航空技術と競合しない分野とは何か? そんなものあるのだろうか?

実はある。これこそ実に奇想天外な新技術である。それは、”空飛ぶ住宅(エアハウス)”である。 エアバスはボーイングにまかせれば良い。概観はまったく”空飛ぶ円盤”あるいは”UFO”のような ものだが、これは全天候性の住居である。台風や竜巻きや津波や地震が来れば事前に空を飛んで待機 したり、安全な場所に移動する。つまり、住宅にエンジンが付いてそのまま空に浮き上がる、そんな 家を作るのである。

実はこれは、『フラーとカウフマンの世界』(太陽書房)にも書かれていたが、20世紀のアメリカ の偉大な建築家バックミンスター・フラーの描いた壮大な夢の一つでもある。もちろん私の夢の一つ でもある。

アメリカに行きたければ、私の書斎ごとここからそのまま飛んでいく。テントもホテルもまったく必 要としない。こんな家があれば、今後予想される地球の環境悪化のもたらされる世界でも十分に生き 抜いていけるだろう。こんな家はすぐに実現できるかどうかは分らないが、既存の技術で十分に作る ことは可能である。こういった事を考え出すのである。そしてその実現を目指すうちにさまざまなノ ウハウが蓄積される。

未来というものは、いま我々がどのような世界を待ち望むかということに強く依存しているのである。これは、数学的にも証明されているのだが、あまりこのことを深刻に受け止めているものはいない。この内容についてはまたいつかメモすることもあるだろう。

<転載終了>