ぽこあぽこさんのサイトより
http://www.geocities.jp/michi_niku/index.html
<転載開始>

煉獄篇の初めのあたりは、大江健三郎「懐かしい年への手紙」のラストのシーンに引用されています。とても美しい場面ですよね!

第一曲
美しい水を渡ろうと(煉獄の詩を歌おうと)、私の小さな詩の才能の船が帆を引き上げ、あのようにも無慈悲な海を後にしました(地獄の刑罰のような恐ろしい詩を歌うのをやめました)。人の魂が浄められ、天国に昇るのに相応しくなる、煉獄の詩を歌います。でも、まず、滅亡の魂を歌う詩に生命の息吹を与え、望みのある煉獄の魂を歌わせてください、ああ、至上の神聖なムーゼよ(学芸を司る九女神ムーサイからの霊感を乞う祈願。やがて展開するまったく異質の光景を過たず描くために、古典叙事詩の慣習に則り、神曲全篇を通じて、異教の詩神達の助力を乞うている)! カリオペ(ギリシア神話のムーサイの一人で、叙事詩の女神とされる)を呼び、忘れられないぐらい厚かましいピケ(マケドニア王ピエロスの九人の娘で、カササギの意味。ピエロスはこれをムーサイと名乗っていたが、真のムーサイの代表者カリオペと歌を競って敗れ、カササギに変身させられた。オウィディウスの『変身譜』5参照)の心を突き刺した(負けたピケはムーサイをののしり、罪を大目に見て許してもらうことができなくなる。煉獄篇の主題は「へりくだって控えめにすること」なので、ピケへの言及は相応しい)のと同じ調べで、私の伴奏をさせてください。大空を美しい色で満たしていた、サファイアのうち最も美しいとされた東方のサファイアの優しい色合いは、深く清らかに地平線まで届き、私の目は喜びにあふれます。今や、私の目と心を悩ましたあの暗澹たる地獄の空気から離れたのだと気づかされます。人の心に愛を燃え立たせる美しい金星は、東の空を明るませ、光る魚座の星々を覆い隠す時(金星の光が、これと共に登る魚座の星の光をかき消すほど強い刻限とは、日の出前一時間あまりの頃。1300年の復活祭にあたる四月十日の朝前とされるが、その日金星は日の出後昇ったはずとの天文学的考証もある。しかしダンテは、大抵日の出前に金星が輝くとされる通念によって、この詩句を綴ったのだろう)、私は右を向き、南極をじっと見つめ、そこに、人類の始祖(アダムとエバ。彼らがエデンの園すなわち南半球のこの地点に人は住まないとの想定)の他、誰も見たことのない四つ星(ダンテ自身の設定による象徴的な星。これらの星が何を寓意するかは、地上楽園にいたって明らかにされる)が見えました。天はその輝きを非常に喜んでいるようでした。ああ、その星々を永遠に見ることの出来ない、寡婦となった北半球(楽園を逐われた後、アダムとエバは北半球に住み、その後裔にも、南半球の四つ星を見る幸福が奪われたこと)よ! そして、私がその四つ星から目を離し、北斗七星が見えなくなった北極の方を向いた時、私は一人の老人カトー(ローマの政治家大カトーの曾孫で、小カトーの通称を持つマルクス・ポルキウス・カトー(前95-前46)。護民官に選ばれ、内乱では終始元老員側を支持してカエサルに抗したものの、志を得ず、アフリカ北岸のウティカに赴き、ウティカのカトーと呼ばれる。カエサルの軍が到るに及び自殺したが、死の直前までプラトンを読んでいたと伝えられる。深くストア思想の感化を受け、人格高潔、ルカヌスは『パルサリア』の中で神に近い美徳の鑑と褒め称えた。ダンテが彼に煉獄を管理させたのは、『アエネイス』8の670で、その立法ぶりに対するウェルギリウスの高い評価に触発されてのことであろうが、本来ならば自殺者の入るべき地獄第七圏にカトーを置かず、また他にもいくつか地獄に堕ちる罪状を持つにもかかわらず、あえて煉獄の守護者とした最大の理由は、彼が自由の真摯な実践者であり、浄罪によって徹底的に自己を汚濁の痕跡から解放することに励む者たちの監督に最も相応しいと考えたからであろう。ダンテ自身のカトーへの讃美は、『帝政論』や『饗宴』に見られる。また50にも達しないで死んだカトーを「老人」と表現したのは、老年は46才から始まるとするダンテの持論(『饗宴』)による)が独りぼっちでいるのを見たのです。カトーの顔は、敬意を抱かせるもので、どんな子供でも父親に対してそのようにも深い敬意を抱くことはないぐらいでした。長いヒゲには、白髪がまじり、それは、胸の左右に垂らした髪も同じように白髪が交じっていました。神聖なる四つ星からの光線はカトーの顔の上を光り輝かせていました。太陽がそこで輝いているかのようでした。カトーは、立派なヒゲを動かして言いました。「あなた達二人はどなたですか? 真っ暗な流れをさかのぼって、永遠の地獄から逃れてきたあなた方は? 誰があなた達を導いてくれたのですか? 永遠に真っ暗な地獄の谷から脱出する時、暗闇を照らす明かりとしたものは何ですか? 地獄で罰せられている魂はその定位置を離れられないという地獄のおきては破られたのですか? 天国で新しい決定が成されて、罪人のあなた達が私のいる岩まで上がって来れたのでしょうか?」ウェルギリウス先生は急いで私の腕をつかんで、言葉と、手と、まなざしで、私を跪かせてお辞儀をさせました。そして先生はカトーにおっしゃいました。「ここへ来たのは、私の身勝手ではありません。天国からの淑女ベアトリーチェが私に頼んで、このダンテの導き手となったのですよ。しかし、もし私たちがここへ来るに到った状況を知りたいということなら、拒むことはしませんよ。このダンテはまだ死んでいないのですが、愚かにも死に近づいたので(地獄第一曲始め参照)、引き返す時間はなかったのです。そこで、私が先ほど申したように、ダンテを助けに使わされたのですよ。私がこの道をずっとダンテを導くしか、ダンテの魂を救う方法はなかったのです。私はダンテにすべての罪人達を見せてきました。今度はダンテに、あなたに管理されて自らを浄める魂達を見せたいのです。私たちがどのようにここまでやってきたかをお話しするには時間がいくらあってもたりません。天国からの力によって、私はダンテをここまで導き、あなたに今お目にかかり、お話しをすることができたのですよ。ダンテを歓迎してあげてください! ダンテは自由(原罪及び個人が実際に犯す罪の束縛からの自由。それを得るのが煉獄でのつまるところの目的)を探し求めているのです。自由こそは貴いものです。それは、自由と引き替えに命を捨てたあなたがよくご存じでしょう(カトーは政治上の自由のために生命を捨てた。自由尊重のその心情は、魂の場合と同じ)。あなたが、最後の審判の日に光り輝く肉体を捨てたウティカ(古代の北アフリカで、カルタゴよりも早く栄えた重要な海岸都市。第三ポエニ戦争に際し、ローマに味方してカルタゴと戦い、その褒賞としてカルタゴの領土を大きく併合した)では、自由のためなら死も苦しくありません。私たちは、天国の永遠の掟に背いてはいません。このダンテは生きています。ミノス(冥界の法官。地獄第五曲参照)は私にしっぽを巻きませんでした。私が来たのは、あなたのマルキア(カトーの妻マルキア。地獄第四曲参照。『パルサリア』によると、マルキアはカトーの後妻であったが、第三子誕生後、夫の命令に従い、その親友ホルテンシウスに嫁した。ホルテンシウスの死後、マルキアはカトーを説いて再びその妻となり、生前、「カトーのものなるマルキア」を墓碑に記す公約を得たという)の貞淑な目が輝いている辺獄(リンボ。地獄第四曲参照)ですよ。ああ、聖なる心よ、今でもあなたの魂に、いつまでもあなたのものだとお願いしています。マルキアへの愛のために私たちのことにも心にかけてください。あなたの七つの冠を通るのを許してください。辺獄へ帰ったら、あなたの親切をマルキアに話しましょう、もし辺獄であなたの名前を口に出してもいいのなら。」するとカトーは答えました。「マルキアは、私が生きていた時、私の目を大いに喜ばせてくれたので、マルキアの望みはすべて叶えました。今、マルキアはアケロンテ川(冥界を流れるアケロン川。地獄第三曲、第四曲参照)のそばに住んでいるのでしょうから、私の心を動かすことはできません。私が辺獄(キリスト受難の約80年前に世を去ったカトーの霊は、辺獄に置かれているうち、キリストの地獄下りを迎え、煉獄山へ移されたとの想定)を出た時作られた掟(救われた者は、地獄にいる者に対し心動かし憐れんではならぬとの定め。両者の間には、渡る事のできない大きな断絶がある。ルカによる福音書16の26参照)によって。でも、あなたの言うとおり、天の淑女があなたの心を動かしてあなたに命令したのなら、へつらうことはありません。その方のために、私に頼めば、他に何もする必要はありません。このダンテと共に行きなさい。でも、注意してください。ダンテの腰にイグサ(浄罪のための最も基本的な主徳の一つ、へりくだって控えめにすること、を象徴する)を結びつけ、あらゆる穢れが取れるまでダンテの顔を洗いなさい。そうしないと、地獄の霧によって視界が曇っていては、天使に初めて会う時相応しくないでしょうから。この小さな島は、波が打ち寄せる岸の柔らかい砂地にイグサが生えています。葉があったり、固くなったりするような植物はここでは育ちません(柔軟でなければ、へりくだって控えめにはできない)。イグサだけは波にもまれても育つのです(浄罪行の厳しさと通う)。用意ができたら、山を登り始めなさい。この道を戻ってきてはいけません。太陽(日没後の勝手な行動は許されない)によって示される方に登るのです。」こう言い終わると、カトーは姿を消しました。私は跪いていましたが、立ち上がり、黙ってウェルギリウス先生のそばに寄り添い、先生の目を見ました。先生は私におっしゃいました。「私の足跡についていらっしゃい。さあ、私たちは後戻りしなければなりませんよ(「かの星々を」再び仰ぎ見ようと二詩人が地獄から出てきた地点は、海岸を少し離れた裾野の中腹で、その時ダンテは山を背に、東に面して立っている。やがて右、すなわち南を向いて、南の空に四つ星を見、さらに北へ向くと、大熊座の星々は既に没していた。傍近く急に現れたカトーの顔を、四つ星が照らしていたとあるから、カトーは南面。二詩人はカトーと向かい合う位置。従って「あともどり」は、時計回りに南の方向へ進むことを意味する。これは地獄巡りの時と同じ回り方で、へりくだりの印でもあるが、やがて時計の逆回りに登頂を志すこととなる)。そこの平野が海辺の方にゆっくりと下り始めますから。」夜が明け始めて、夜の時間は暁に追われて逃げていき、海の遠くの方でさざ波が立つのが見えました。私たちは、寂しげな平野を歩みました。それはちょうど、見失った道に戻るのだけど、それが見つかるまでは無駄足を踏む人のようでした。私たちは、露に太陽の光が当たっても、涼しい影によって干上がらず、いつまでも湿り気の残る場所に着いた時、先生はイグサの上に、広げた手を優しく置かれたので、私は先生の意図したことが分かり、涙に汚れた顔(地獄ではあまりの惨状に涙の乾く暇もなかった)を先生に向けると、先生は私の顔をきれいにしてくださり、私の顔は、地獄の泥の下にあったいつもの顔に戻りました。それから私たちは、その海域(オデュッセウスが仲間もろとも海底の藻くずとなる直前に航行した海域。地獄第二十六曲参照)を航海しても帰ってきてその話をした人などいない寂しい海辺に来ました。そこで、カトーの意志の通り、先生は私の腰にイグサを巻いてくださいました。ああ、何とフシギなんでしょう! 先生がイグサを摘んだ時、同じ所に、すぐにつつましやかな草が生えてきました(謙遜こそ煉獄を旅する者にとっての護符であり、これを持たなかったオデュッセウスは、煉獄山を目前にしながら非業の最期を遂げる)。(2005年7月28日)(2005年9月28日更新)

にくちゃんメモ:煉獄山のふもとの海岸の岸辺に来ました。(2005年8月14日)

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第二曲
太陽は地平線に近づき、子午線の頂点はちょうどイエルサレムの上にあり(地獄編を通じて、時刻を測定する観測点はイエルサレムに置かれていたが、ここでもそれを踏襲。煉獄山と対蹠するイエルサレムでは、日没時であることを言う)、太陽と反対に回転する夜は、天秤宮にありガンジス川(インドのガンジス川。同時刻、そこでは深夜)から出る所です。秋分を境に、夜が昼よりも長くなると、太陽は白羊宮を出て天秤宮に入ります。私たちが立っている所(イエルサレムの正対蹠にあたる煉獄山の海岸)では、エーオス(曙の女神)の美しい朱色の顔の白い頬は、日が昇るにつれ、金色に輝きます。私たちは前途を思い煩い、まだ海岸に立っていました。それはちょうど、気持ちは前へ行っているのに、身体は動かない人のようでした。その時、私は見たのです。西の方に(この時ダンテは東面していたはず、「西の方」と言ったのは、故郷トスカーナの浜辺で西の海上に火星を見慣れていたからだろう)、海の上の濃い霧の中を、日の出の太陽に焼かれて火星(火星が霧を伴い、その濃淡によって火星自身の色も濃淡を生ずるとの説は、ダンテの『饗宴』2に見られる)が赤く輝くような光(天使。ちなみに地獄第二十六曲に述べられているオデュッセウスの航路も、これと同じであったろう。なおここでダンテが「また見たいものです」と願ったのは、死後、この天使の船に乗って再び煉獄へ来るのを期待したからである)を見たのです! また見たいものです。その光は、どんな鳥よりも速く水面を渡ってきました。私は驚いて先生の方を向きました。そして、私がその光に振り返った時、光はより大きくなり、より輝きました。それから、この光の左右から漠然とした白い物が現れ、また他の白い物がせり上がってきました(天使の翼。下からせり上がった白いものは天使の衣)。先生はずっと黙っていらっしゃいましたが、初めて見えた二つの白い物が、翼になり、舵手が誰なのか分かった時、先生は叫ばれました。「膝をおつきなさい、膝をつくのですよ! 神の使いの天使です! 手を合わせなさい。これから後も、あのような使者を見ることになるでしょう。天使が人間の使う道具など蔑んで、オールや帆を使わないのをご覧なさい。この煉獄の島とテーヴェレ川河口との間を翼だけでやってくるのです。天使が天国の方へ向けて翼を広げ、永遠に抜け替わったりしない羽根の翼で空気をかき立てるのをご覧なさい。」神の鳥である天使は、どんど「рスちのいる岸辺に近づくにつれ、ますます光り輝き、私はまぶしさに耐えられず、頭を垂れてしまいました。天使はまっすぐに岸に向けて舵を取り、とても素早く波の上にやってきたのですが、水面は波一つ立っていなかったのでした。天の舵取りである天使は、船尾に立っていて、顔には「祝福」の名札(この奇妙な言葉の使い方は、初期の聖画で人物の何であるかを示すため、人物の身体に標識にラベルを貼り付けた習慣から来たと考えられる)を掲げたようでした。天使の船には、百人以上の魂が乗っていました。「イスラエルはエジプトを」(詩篇114冒頭の句。エジプトを出たイスラエルの民の、神への感謝が主題となっているこのくだりは、罪の絆から自由となり、約束の地を踏む一行の喜びの表現として相応しい。しかも時刻は復活祭日の朝である。エジプトを「出て」、即ち、「エクソダス」とは過越であり、また原罪からの解放の復活祭をも意味する)と魂達は声を合わせて歌い、詩篇のそのくだりを終わりまで歌いました。天使は十字を切って彼らにサインを送ると、魂達は、船から急いで降りて、岸へ向かいました。すると、天使は、こちらへ来た時と同じように素早く消えてしまいました。そこに残された魂達は、ここの場所が初めてのようで、うろうろして、辺りを見回しながら、初めて見る物を理解しようとしているようでした。太陽は空いっぱいに光を振りまき、その一筋の光は、天の一番高い所から山羊座を追い払いました。魂達は私たちがいる所を見上げて、私たちに呼びかけました。「もしあなた方が、この山を登る道を知っていたら、教えてください。」するとウェルギリウス先生は彼らにお答えになりました。「あなた方は、私たちがこの場所のことをよく知っていると思っているようですね。でも、私たちは、あなた方と同じく、旅人なのですよ。私たちはここにちょうど着いた所なのです。あなた方がここに着いたちょっと前ですよ。でも、地獄の厳しかった道のりに比べれば、この山を登るのは、遊びのようなものですよ。」私が息をしていて、私が生きていることに気がついた魂達はビックリして顔が青ざめました。オリーヴの枝を持った(古代、使者は平和の印としてオリーヴの枝を持つ習慣であったが、ダンテの時代には、オリーヴの枝は吉報をあらわす)使者の方に便りを聞こうと、群衆がひしめきあって、肘で突っつきあうのを恥ずかしく思わないように、この幸せな、神によって救われた魂達は、皆私の顔を見つめ、身を浄めに行くことを忘れたかのようでした。その魂達の中から一人の魂(年若く多感であった頃のダンテの親友で、その詩歌に作曲したと伝えられるフィレンツェの音楽家カゼルラ・ダ・ピストイア。生没の年次は不明だが、シエナに保存されている法律文書中、夜間、街路を往来したかどでカゼルラに罰金を科したというのがあり、日付は1282年7月13日ゆえ、その年と1300年の間、恐らく1300年に近い頃に死んだと想像される)が腕を伸ばして前へ出て、私を抱きしめようとするように見え、彼の愛情によって私も心を動かされました。ああ、憐れな魂よ、見かけは人のようなのに! 私は三回彼を抱きしめようとしましたが、三回とも手応えが無く、腕は私の胸に帰ってきてしまうのでした(この表現は、アエネアスが冥界でその父の首の回りに三度腕を投げようとして、三度とも手応えがなかったとの、『アエネイス』6の700-702にもとづく。しかしウェルギリウスはホメロスの『オデュッセイア』11の206-208によってこのくだりを書いた)。きっと私の顔に驚きの色が見えてしまったのでしょう、彼は微笑んで身を引きました。でも私は前に行って彼を追いました。すると、彼は優しく私を制しました。しかしその声で、その魂がカゼルラだと知った私は、少しの間留まって話をしましょうとカゼルラにお願いしました。カゼルラは言いました。「今はない肉体を持っていた頃と同じように、今でも、君が大好きだよ。勿論ここに留まるよ。でも、どうして君がここにいるのか教えて。」私は言いました。「ああ、私の友達、カゼルラ、私は、今いるここに戻ってくるために旅をしているんだよ(死後、地獄ではなく、この煉獄へ送られる身となるための遍歴)。でも、君はここに来るのにどうしてこんなに時間がかかったの?(ダンテのこの質問は、カゼルラの死が1300年に近かったことをほのめかす。「君のような義人は、死後直ちにここへ送られるはずなのに、何ヶ月も時間が経っているのはどうしたの?」とダンテはいぶかしむ)」カゼルラは答えました。「煉獄行きの魂を決定する天使が、煉獄の島に行く舟に何度も乗せてくれなくても(いずれも煉獄の島に行くとしても、乗船の人数に限りがあり、先後の決定は天使の自由裁量による)、文句は言えないんだ。天使の意志は、神のご意志だからだよ。この三ヶ月の間(1300年2月22日に教皇ボニファティウス八世の出した回勅による特別祝年が発効してからの三ヶ月、即ち前年のクリスマスから1300年の復活祭に到る三ヶ月間。地獄第十八曲参照)、天使は乗船したい人は、特別祝年の大赦中だからということで、寛大に船に乗せてくれたんだよ。そういうわけで、テーヴェレ川が海水へとなっていく岸(ペテロの聖座を持つローマから流れくだるテーヴェレ川が、ローマの南三十キロの地点で地中海に注ぐオスティア付近。煉獄行きの魂は必ずこの「ローマの海港」に集結する定め)に再び赴いた私は、天使に渡るのを許されたんだよ。今、またその天使はテーヴェレ川の河口へ飛び戻りました。アケロンテの岸に墜ちていく魂以外は皆そのテーヴェレ川の河口へ集まるんだよ。」私は言いました。「現世で、私の胸を焦がすどんな思いも静めてくれた愛の歌(初期イタリアのプロヴァンスで流行した詩人風の恋愛讃歌の叙情詩)を思い出したり歌ったりするのが、この煉獄の掟で君から奪われていないのなら、お願い、歌ってよ。そして、肉体と共に、ここまで登ってきて疲れ果てた魂を慰めてくれよ。」「我が心の中の物言う恋は」(ダンテ『歌謡集』2の1の起句。『饗宴』ではこの「愛」を「哲学の権化である淑女」と説明しているが、「雅歌」と同様、本来は純粋の恋愛歌にすぎまい)と、カゼルラは甘い調べを歌い始めました。その甘美さは、いまだに私の心に響いています。ウェルギリウス先生と、私と、そしてカゼルラと一緒に来たすべての魂達は、他にはないと思われるようなすばらしい調べに喜び、我を忘れて聴き入りました。その甘い調べにうっとりとして、私たちは佇んでいたのですが、その時突然、カトーが叫びました。「これはどういう事だ? 怠惰な魂達よ。こんな風に突っ立って、なんて怠慢なんだろう! 山に急ぎなさい。神があなた達に現れる妨げとなるその古い殻(原義は蛇が脱ぎ捨てる皮。ここでは新しい生命を得るために脱がねばならない罪の衣、「古いアダム」)を脱ぎ捨てるのです!」鳩が集まって、誇りを示して気取って歩くこともなく、静かに餌をついばんでいたのが、脅かすものが現れると、怖がって食事を急にやめて飛び立つように、この魂達は歌を楽しむのをやめて、行く所が分からないのに急ぐ人のように、山の方に向かっていきました。私たちも同じように急いでいきました。(2005年7月29日)(2005年9月28日更新)

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第三曲
すぐに魂達は散り散りになり平野を突っ切り、理性の声によって励まされて浄めの道である丘に向かいました。しかし、私は頼もしいウェルギリウス先生に身を寄せました。先生が導いてくださらなかったら、どこにも行けません。先生の他に誰が私に山を登らせることができるでしょうか? 先生は自責の念(あろう事か自分もカゼルラの歌に聴き惚れ、時を失い、カトーの叱責を受けるに到ったことに対する自責)に打ち負かされているように見えました。ああ、誠実で、高貴で、純粋な威厳を持っていられる先生! 些細な過ちでも、心に突き刺さって、恥としてしまうなんて! でも、先生が、人間の尊厳を損なうせき立て(アリストテレスの『ニコマコス倫理学』4の3、1125aに見える、「大度の人の動作には落ち着きがあり、その声は厳か、その言葉は均整」を踏まえた。地獄第四曲参照)を捨て、いつものご自分を取り戻されると、それまではカトーに叱責されて縮こまっていた私の心も、求めるものがあるかのように開け、私は、天国の高みの方に向かって広がる海を越えて広がる山を見上げました。私たちの背中にある太陽は赤く輝き、私の前に、私の形の影を落としました。私の身体で太陽の光線がブロックされたからです。私は、ウェルギリウス先生に捨てられたかと恐くなって、先生の方に急いで向いたのです。なぜなら、私の前にしか影が無かったからです(日光のない地獄では、影が差さないのは生者も死者も同じ。自分だけが投影しているのを見て、思わず「棄てられたか?」と錯覚したのである)。私を慰めてくださる先生は、私の方を向いて、おっしゃいました。「君はどうして心配しているのですか? 君を導く私がいなくなったかと思ったのですか? かつては影を落としていた私の身体が横たわるお墓に夜(午後三時と六時の間)が来ています。私の身体は、ブリンディシ(アドリア海の沿岸にあるイタリアの都市。ウェルギリウスは紀元前19年9月21日その地で死んだが、のちアウグストゥス皇帝の命令により、遺骸はナポリに移され、厚く改葬された)からナポリに移されました。今、私の影が地面にない(魂が最後の審判の日まで持つ「人間の形をしているけれど、空っぽなので」(地獄第六曲)という姿は、太陽その他の諸星と同様、光線を通すとの設定)からと言って、君は驚くことはありませんよ。天体のことを考えてご覧なさい、天体は互いに光をせき止めたりしません。私たちの身体は、神の力によって、痛みや、寒さや、熱に対して敏感に造られていますが、その作用が私たちにあらわれることはないのです。もし理性によって神の無限の力を知ろうと望む者がいたら、その人は頭がおかしいのですよ。ああ、人類よ、「ありのまま」であることに満足しなければなりません! もし人類がすべての物事を知っているとしたら、マリアの懐胎(キリスト降誕によって示された天啓)は必要がなかったということです。辺獄(リンボ)に留まる聖賢の魂達(ウェルギリウス自身もこめて、辺獄にいる聖賢の魂達。彼らは、人類に固有の欲求に従って真理即ち神を知ろうと望んだが、「マリア懐胎」以前の生涯であったため叶わず、「希望をたたれ、ただ、願っていることしかできない」(地獄第四曲)事だけを苦患として暮らす)のように、すべての物事を知りたいという願いを果たすのに最も適する者達すら、その願いを成就することができず、今、却って永遠に続く痛みとして耐えなければならないのです。私が言うのは、プラトンや、アリストテレスや、その他大勢の人のことですよ。」そして、先生は頭を垂れて黙って、「その他大勢」の魂の一つであるご自身の定めを悲しんでいらっしゃいました。私たちは山のふもとに来ました。そこには急勾配の岩でごつごつした坂があり、どんなに足が速くてもそこでは役に立たないと思われました。トゥルビア(現在はフランス東南部の一県に属し、モナコの北に位置する浜辺の一村。これとレリーチェをつなぐ海岸は、ダンテの当時、山系鋭く海に迫って道らしい道もなく、ほとんど人馬の通行を許さなかった)と、レリーチェ(スペツィア湾の東海岸にあるリグリアの一海港)の間の、ごつごつして、険しい絶壁といっても、これに比べれば、登りやすい梯子のようです。先生はちょっと立ち止まっておっしゃいました。「この山のどちら側からなら、翼のない人が登れるでしょう?」そこに先生は立ち止まって、頭を垂れ、どこから登ろうかと考えていらして、私は、岩の方を見上げていました。すると私の左側の崖に沿って、魂達が、ゆっくりと私たちの方にやってきました。とてもゆっくり来るので、その魂達は動いていないようでした。私は言いました。「先生、あちらをご覧ください! 何人かの人がやってきます。もし先生がどこを登るかをまだ決めていらっしゃらないのなら、彼らは道を知っているかも知れません。」すると先生は顔を上げられて、ホッとしておっしゃいました。「私たちの方が、彼らの方に行ってみましょう(魂の一団はダンテの左方に現れ、ウェルギリウスはダンテの右横にいる。従って師弟二人は、地獄でのように、時計回りの左向きに進むこととなる)。彼らはとてもゆっくりですから。さあ、我が息子よ、君も希望を持ちなさい。」私たちは千歩も歩いたのに、彼らはまだ、石を投げる名人が石を投げてやっと届く距離にいた時、彼らは急に集まり、岩の絶壁に身を寄せ合って、ビックリして動けなくなってしまったようで、怪しんでこちらをじっと見つめました(煉獄では、地獄とは反対に、右手へ、即ち時計の逆回りに進まねばならないのに、いまウェルギリウスとダンテが時計回りに進んできたのを見て、驚き怪しんでの動作)。ウェルギリウス先生は呼びかけられました。「ああ、幸福のうちに死に、選ばれて救いの道にいる方々、あなた方すべてが待ち望む平安の名にかけて、お願いします。この山をどこから登ればいいのか教えてください。人は知ることが多いと、時間を有効に使えます(ラテン語のことわざに、「人、知ること多ければ、悔いいよいよ多し」とあるのを踏まえて、カゼルラの歌に聴き惚れムダに費やした時が悔やまれる、との意味)。」私は、その選ばれた魂達の群れのリーダーが私たちに向けて歩を進めると、他の魂達も従順に厳かに歩み始めるのを見ました。それはちょうど、羊が一頭、二頭、三頭と山襞から離れ、他の残りの羊もおずおずと地面に鼻をつけながら動き、初めの羊がするように他の羊も同じように行動し、もし初めの一頭が止まったら、他の羊も皆分けも知らずに静かに身を寄せ合うようでした(この有名な直喩の導入を理解するためには、詩篇78の52、ルカによる福音書12の31-32、ヨハネによる福音書10の1-18、使徒行録20の28等参照。なお『饗宴』には、ダンテ自身が目撃した羊の群れの動きの描写がある)。しかし、前の魂達が、太陽の光が私の右側の地面でとぎれていて、私の影が崖に伸びている(始め山を正面にしていたダンテとその導者は、魂の一団に会うために左を向き、その結果、太陽は彼の左側となり、右側の絶壁に影を落とす)のを見た時、彼らは立ち止まり、驚いて尻込みしました。他の魂たちもそれに倣うように、理由も分からず、同じような動作をしました。先生はおっしゃいました。「あなた方が私に訊ねる前に、私があなた方にお答えしましょう。ご覧の通り太陽の光がここの地面でとぎれさせているのは、人間の身体のせいです。でも、あなた方はビックリすることはありませんよ。天国からのお力がなかったら、このダンテはここで、壁をよじ登ろうとすることはできない、ということはおわかりでしょう。」するとその尊重すべき魂達は、手のジェスチャーで振り返るように(煉獄での正しい行き方である反時計回りとするために)示し、答えました。「私たちの前を進んでください」すると、一人の魂が叫びました。「あなたがどなたか知りませんが、歩きながら振り返って、地上で私を見たことがないかどうか考えてみてください。」私はその魂に振り返って(ダンテは魂達の前に立って進んでいるから、顔を後ろへめぐらさないと相手が見えない)、その顔をよく見てみました。彼は、ハンサムで高貴な顔で、金髪をしていていましたが、片方の眉毛に刀傷の跡がありました。そして私は、謙虚に、彼のことが分からないと告白しました(この魂の没年は1266年、ダンテは満一才にも達していないから、もとよりダンテの知るよしもない。しかし魂にもまた先頭に立って進むダンテの年配の見当はつかない)。すると彼は言いました。「見てください」そして彼は胸の上の深い傷を見せました。彼は微笑みながら言いました。「私はマンフレディ(ナポリ王・シチリア王、フェデリゴ一世にして、神聖ローマ帝国フリードリヒ二世(1194-1250)の庶子、1232年頃シチリアに生まれた。皇帝ハインリヒ六世(1165-1197)の孫に当たる。父の死後、異母兄のドイツ王・シチリア王コンラート四世がイタリアに来るまで王の代理をし、1254年、コンラート四世が死ぬと、その子コンラディン(1252-1268)の摂政となった。コンラディンの弱小につけ込んで、シチリアの貴族達にそそのかされ、同王位を奪い取ることを企て、1258年、コンラディン死去の虚報が伝わると、同年8月10日、パレルモで戴冠式を行う。エピクロスの快楽主義に味方し、サラセン文化の理解者であるマンフレディに飽き足らなかった教皇アレクサンデル四世は、ギベリーニ党への平素の憎しみも加わり、好機を逸するべからずと直ちにマンフレディを破門、次の教皇ウルバヌス四世もまた重ねて破門を宣言し、アンジューのシャルル一世(1226-1285)がシチリア王国政党の後継者であるとした。この方針は次の教皇クレメンス四世にも継承され、シャルル一世は1265年大軍を率いてローマに入り、翌年1月戴冠式を行い、マンフレディ討伐に向かう。2月26日、両軍はカンパニアの町ベネヴェントに近いグランデルラの野で闘った。少人数では多人数にとても勝てず、マンフレディは敗れたが、逃亡の恥辱を嫌い、敵のただ中に身を投じて憤死した。その死骸は、破門のために聖域で手厚く埋葬されるのは許されず、ベネヴェントの近くを流れるカローレ川の橋のたもとに埋められた。マンフレディの勇武を慕う兵士達が、その墓前を通るたびに石一つを投げ、やがて大きな石の山となったので、クレメンス四世の命令により、コゼンツァの大司教は死体を掘り起こし、王国の域外になるヴェルデ川の岸にさらしたと伝えられる)、后コスタンツァ(コンスタンツェ(1152-1198)。ナポリ及びシチリアの国王ロジェール二世の娘。皇帝ハインリヒ六世の后となり、フリードリヒ二世を産む。マンフレディがことさらに祖母の名を挙げたのは、庶民の身分をはばかったため)の孫です。あなたが現世に帰ったら、シチリアとアラゴーナの誇りである(「シチリアの誇り」とは1296年にその国王となったフェデリゴ、「アラゴーナの誇り」とは1285年にその国王となったアルフォンゾか、またはアルフォンゾの死後、1291年にその後を襲ったヤコモ。ダンテは煉獄第七曲でヤコモとフェデリゴに低い評価しか与えていないが、ここで「誇り」と言っているのはダンテではなく、彼らの祖父、マンフレディであることに注意)の母である、私の愛する娘(マンフレディの娘コンスタンツェ。1262年アラゴンのペドロ三世に嫁し、アルフォンゾ、ヤコモ、フェデリゴの三男子を産み、夫と長男アルフォンゾよりも生きながらえ、1302年バルセロナで死んだ)の所へ行って、どんな噂が広がっていようと、娘にこのことを(臨終に際して悔い改めたゆえ、煉獄にいる事実。噂とは、生前に犯した数々の罪ゆえに、地獄へ堕ちたとの風評)言ってください。私がそこに倒れた時、私の身体は二つの致命傷によって引き裂かれ、私は泣きながら、快く罪を許してくださる神に魂をささげました(臨終前の悔い改めによる回心)。私の罪(父、兄コンラート、及び二人の甥を殺し、さらにもう一人の甥のコンラディンをも殺そうとした嫌疑。マンフレディを憎む敵側から出た流説だが、マンフレディの同時代人で、ダンテとも関係の深いグエルフィ党員ブルネット・ラティーニは、『トレゾール』の中にこれらの嫌疑を事実であるかのように記録している。地獄第十五曲参照)は、とても恐ろしいです。でも、神は喜んで、すべてその元に返る者を受け入れてくださいます。教皇クレメンス四世が、怒って私を殺そうと送り込まれたコゼンツァの牧師(コゼンツァの大司教であった枢機卿バルトロメオ・ピニャテルリ、またはその後継者トマゾ・ダグニと推定される。コゼンツァは、イタリア南部カラブリア州を流れるクラティ川にまたがる都市で、ティレニア海から約二十キロの内陸に位置する)が、聖なる言葉をきちんと理解していたなら、私の遺骸はベネヴェントのそばの橋を守る砦の所に重い石の山に守られて今もなお安置されていたでしょうに。今では、ロウソクの火も消され(被破門者や異端者の遺骸は、ロウソクの火を消して埋葬するのが当時の習慣だった)、彼によって私の王国の外に移されて、ヴェルデ(中部アペニン山脈に源を発し、ローマとナポリのほぼ中間でガエタ湾に注ぐガリリアーノ川上流の古い名前)の岸で、風に吹かれ、雨に濡れています。望みが一点の緑(緑は希望の色。破門の身であっても、まだ生命が宿り、悔い改めの可能性が残る限りは、の意味。ロウソクの基部を緑で染めた習慣に言いかけているのかも知れない)を残す限りは、破門の呪いがどんなに重くても、神の恩寵を受けられないほどの重い罪はありません。聖なる教会を蔑んで死ぬ者は、死ぬ直前に悔い改めても、思い上がって生きた時間の三十倍(ある注釈者の計算では、マンフレディの場合、236年)は、山の外の、この岸(煉獄前域の第一台地)に留まらないといけません。聖なる祈り(現世にあって恩寵に生きる人たちからの祈り)によってその期間は縮められるかも知れませんが。さて、あなたは、私がここにいることと、聖なる祈りの助けがない限り、破門期間の三十倍は前域に留まらなければならなく、煉獄の門の中に入れないことを、私のすばらしいコスタンツァ(マンフレディの娘コンスタンツェ。その祈りを彼は期待している)に言うことによって、私を幸せにすることができる事がおわかりでしょう。煉獄では、現世の人たちの助けによって、私たちの得るものが多いからです。」(2005年7月30日)(2005年9月28日更新)

にくちゃんメモ:煉獄前域の第一台地で、被破門者の魂に会います。(2005年7月30日)

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第四曲
喜びや悲しみの強い刺激を受けて、心がその喜びや悲しみを感じる一つの所に集中すれば、他の能力の働きはすべて止んでしまうようです。ですから、プラトン学派が唱えるように、人には多くの心があるというのは誤りです。なぜなら、もし心が多ければ、一つの心が一つの所に集中しても、他の心が他の所に働くはずだからです。心が強くひかれるような物を見たり聞いたりした時、私たちは時が過ぎるのを忘れるようです。見たり聞いたりする能力は、強い刺激を受けて心を独占する能力と異なります。強い刺激を受けて心を独占する能力は刺激を与える物につながっていて活動の自由を失っているけれども、見たり聞いたりする能力は自由なのです。この真実は、マンフレディの魂の話を聞き、驚いた経験から明らかです。太陽は五十度も昇っていたのに(一日二十四時間の運行において、太陽は一時間につき十五度動く。従って五十度登るのに要した時間は三時間二十分で、現在時午前九時半頃)、まだ私はその事実を知りませんでした。ある地点にやってきて魂達が一緒に「あなたが探していた場所はここです」と叫んだ時まで。葡萄が熟してくると農夫は、盗まれないようにと、垣根をふさぐ穴をトゲのある植物を熊手一杯で埋めますが、その穴は狭いですが(マタイによる福音書7の13-14参照)、魂達の一群から離れて私たち二人だけで、先生が前に、私が後に進む道はもっと狭かったです。サンレオ(遠い昔、ウルビノ侯爵領であったモンテフェルトロの山岳地帯主要都市の一つで、サンマリノに近い。山頂に位置し、周辺を峻峰が取り巻く堅固な要塞として有名であったが、今は廃墟)に登ったり、ノーリ(リグリアの町で、ジェノヴァ湾に臨む。ダンテの当時、峻険な背後の山から下るほかに陸路の通路はなかった)に下ったり、ビスマントヴァ(エミリア州に位置し、同名の山の頂上台地に開けた村落。レッジオの南約三十キロ、史上に有名なカノッサからも遠くない。頂上へ登るには、回りくねった一筋の道に頼るほか無く、中世では軍事上かなり重要な役割も演じたが、今は廃墟。ダンテの煉獄を想わせるものがある)の山頂に登ったりは、二本の足があればできますが、ここでは、人は飛ばなければダメです。私に希望を与えてくださり、理性の光で私の歩む道を照らしてくださる先生に従って、強い願いを持って翼を広げて飛ばなければなりません。私たちは砕けた岩を苦労しながら登り進みました。壁にはさまれながら、足だけでなく手も使って登りました。私たちが高い崖を登って狭い通路を通り抜け、開けた斜面に着いた時、私は言いました。「先生、ここからどこに行けばいいのでしょうか?」すると先生はお答えになりました。「コースを変えることなく、この山を登り続けるのですよ。道をもっとよく知っている導者に出会うまでは、私についてくるのですよ。」山頂は高く、見えないぐらいで、斜面は四十五度の角度よりずっと険しいのです。私は力が抜けてしまうように感じ、叫びました。「ああ、私の優しいお父さん、振り返って私を見てください。先生がペースを落としてくださらないと、私はここに取り残されてしまいます。」先生はおっしゃいました。「我が息子よ、あそこまで登りましょう。」そして先生はそんなに上ではない出っ張った所を指さしました。そこは、山の斜面をめぐる岩棚でした。先生の言葉に励まされて、私は先生の後ろを懸命に歩み、手や膝をついて登っていきました。すると、気がついてみると、もうその出っ張った岩棚は足元にありました。そこに、私たち二人は座って、私たちが登ってきたのを見渡しながら、東の方を向いて休みました。人は、振り返ってみることによって、しばしば励まされるものです。私ははるか下の海岸を見下ろし、そして目を上に向け、太陽を見ました。しかし、驚いたことに、太陽は私たちの左から輝いているのです(北半球ならばこの時点で南東にあるべき太陽の位置、ここでは北東となっている)。私たちと北の間に太陽を見て、私が仰天しているのを、詩聖は気づかれました。先生はおっしゃいました。「光を南にも北にも照らすあの太陽が、双子座を伴っていたなら(春分にあたる3月21日頃、白羊宮内の太陽は昼夜平分線上にあり、真東に登り、真西に沈むが、4月20日までは白羊宮を離れず、また5月21日から夏至の6月21日まで双子宮を伴う。従ってここの意味は、「春分から夏至まで」となる)、太陽が黄道からそれない限り、輝く太陽が北に今よりもっと接近してめぐるのを君は見たでしょう。どうしてそうなるのか理解したいというなら、シオン(大昔イエルサレムの都がその上におかれた二つの山の内の一つの名前。イエルサレムと言うに等しいが、煉獄の山に対し特に相応しい呼称)とこの山が地球上でこ南と北の異なる半球の、一つの地平線上に位置していると想像してみなさい。そうすれば、君が注意深く考えれば、分かりますよ。つまり、パエトン(地獄第十七曲参照)の戦車が通れなかったあの黄道は、煉獄の山を通る時は、シオンの山を通る時と反対の側を必ず通らないといけないということです。」私は先生に答えました。「ああ、先生、先生は正しいです! いつも私を困惑させていたのですが、やっと分かりました。つまり、天文学者に赤道と呼ばれていて、北と太陽の間に横たわっていて、天界を円を描いて動くあの中央圏は、先生が説明してくださった理由によって、私たちが今立っているこの山から北に隔たる中央圏へ隔たること、昔ヘブライ人が南に見た太陽の位置に隔たるのと同じだということです。しかし、先生がもしよろしければ、教えていただけませんか? 私たちは後どれだけ登らなければいけないのでしょう。この山は高くて、見ても分からないぐらいです。」すると先生はおっしゃいました。「この山は他の山とは違うのですよ。始めに、登るのは最も困難ですが、登れば登るだけ、どんどん楽になっていくのですよ(歩行の困難が減ずるだけでなく、罪の荷も軽くなってゆくことを含ませている)。そして、ボートで川を下るように楽に登れる所に来たら、それは道の終点に着いたということです。そこで君はやっと休むことができますよ。これ以上は答えません。そして、私がお話ししたことは本当のことですよ。」私たちは、そんなに遠くではない所で声を聞いた時、先生はお話しを止められました。「でも、きっと、山頂に着く前に、君は休むことになるでしょう!」私たちは、その声の来た所を向くと、私たちのどちらもそれまで気がつかなかった大きな岩が左の方に見えました。私たちはその大きな岩の所に行ってみると、岩の下の日陰に隠れている人たちがいました(怠惰が習い性となり、臨終の時勧められやっと悔い改めた不精者達)。それはちょうど、ただ怠けたくて身を休めている人たちのようでした。疲れている人たちのうちの一人は、座って、膝の間に頭を落として、膝を抱えていました。私は言いました。「ああ、先生、彼を見てください! ”怠惰”という名前がミドルネームでなくても、彼ほど怠惰に見える人はいません。」その時、彼は私たちの方を見るために向いて、腿より低く垂れていた頭を上げていいました。「そんなに元気なら、どんどん登りなさい。」私はこの魂が誰なのか分かりました! 疲れ果て、息が切れていたにもかかわらず、私は彼の方にやっとの事で行きました。やっと彼のそばに行った時、彼は頭を少し上げて言いました。「なぜ太陽が君の左から照らすのか(この時ダンテとその師は東面していたことが分かる)、君は本当に分かったのですか?」彼の無精な態度や、嫌みな言葉によって、私は微笑みま、彼に言いました。「ベラックァ(ダンテとは親しかったらしいが、古い注釈でも、ものぐさと愚弄癖で評判の楽器制作者とのみ伝え、詳細不明)よ! もう君の運命を心配しなくていいのですね(地獄落ちはまぬがれ、ここ煉獄にいるのだから)。でも、どうして君はこのように座っているのか教えてください。導者を待っているのですか? それとも、ただ昔からのクセというだけですか?」ベラックァは言いました。「兄弟よ(親しい仲間へのこの呼びかけは、否定的な内容の発言に続くことが多い)、前域から本域へと登ると、何かいいことでもあるのですか? 門に座っている神の天使は、私に浄罪を許してくれないでしょう。私が生きていた間にめぐっただけ、天はこの煉獄前域で私の周りを回らなくてはなりません。なぜなら、私が死ぬ時まで悔い改めなかったからです。もちろん、神の恩寵に生きる心から祈れば、ここでの時間を短くできるのです(煉獄第三曲の、マンフレディの言葉参照。ヤコブの手紙5の16にも、「正しい人の不断の祈りは大いに益あり」とある)。でも、神の恩寵にあずからない者の祈り(ヨハネによる福音書9の31にも、「われらは知る、神は罪ある者の言葉を聞き入れられないが、神を敬い、御心を行う者の言葉に耳傾けたもうことを」とある)は、無意味です。なぜならそのような祈りは天国に届かないからです!」すると詩聖は登り始められました。先生はおっしゃいました。「さあ、いらっしゃい。太陽は子午線に触れ(正午。マンフレディ達と別れてから二時間半が過ぎた)、西の岸部では(今深夜のイエルサレムから最も西に当たる地平線上の、ジブラルタルやモロッコの海岸。つまりシオン・煉獄の両山から九十度の等距離に位置するモロッコでは日没)、夜がモロッコの地を踏んでいますよ。」(2005年7月31日)(2005年9月29日更新)

にくちゃんメモ:煉獄前域の第二台地で、臨終悔悟者の魂に会います。ここでは、臨終悔悟者の内、怠惰な魂に会います。(2005年7月31日)(2005年9月29日更新)

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第五曲
私は既に、その魂達と別れて、先生の足跡を追っていました。すると後ろの魂達の一人が指を指して呼びかけました。「片方の魂の後ろで登るもう片方の魂よ! 見てください! あの人の左側は光が遮られています(ダンテはウェルギリウスの下の方にいて、西面して山を登る。従って北即ち右側にある太陽の光は、ダンテの身体の部分だけ遮られて左に差さない)! あの人の歩いている様子は、生きている人のようです!」この言葉を聞いて、私は後ろを振り向き、私と私の影を見て驚いている魂達を見ました。先生はお尋ねになりました。「君は何に興味をそそられるのですか? どうして歩みが遅れるのですか? 彼らがささやいていることに君は何の関係があるのですか? 私についていらっしゃい。彼らには、話をさせておけばいいのですよ。どんなに風が吹いてもびくともしない高いしっかりした塔のようでいなければなりませんよ。あれやこれやと考えが揺らいでしまう人は、本当の目的を見失い、後に考えたことが前に考えたことの力を弱めてしまうのですよ。」私は「今すぐ参ります!」以外の言葉を言うことはできませんでした。そう答えた私は、許してもらう人が顔を赤らめるのと同じように、顔を赤らめました。そのうちに、私たちの前の坂を横切って魂達がやってきました(彼らは絶壁の裾に沿い、日の光を右側に受け、時計の針の逆回りに進んでくる。従って彼らの進行方向とダンテ一行のそれとは今直角に近い)。「神よ、わたしを憐れんでください」(詩篇51の3-5の起句。神の恵みにより、背きの罪をぬぐい去る煉獄本域に入るに相応しい身とならしめたまえ、と祈る所)と、代わる代わるに(一群を二つにわけ、交互に詩篇51の5から7までを歌っているのであろう)歌いながらやってきたのです。しかし、太陽の光が私の身体を通り抜けないのを見ると、彼らは歌うのを止めて、息を殺して「おお~!」と言いました。すると彼らの内の二人が、使者として選ばれて、走ってやってきて、お願いを言い始めました。「お願いです。あなた方がどなたなのか、教えてください。」先生は彼らにお答えになりました。「ここに来るように選んだ彼らの方に戻って、伝えてください。このダンテの身体は、血と肉でできているのです。きっと彼らはダンテに影があるのを知って、ビックリしたのでしょうが、ダンテに敬意を払った方がいいかもしれませんよ(現世に帰ったダンテが有縁の善男女に、魂の一日も早く上の境涯へ登れるよう祈れと勧めることにより)。」夜に見る流れ星が静かな空を横切ったり、また、曇った8月の暗い空に光る雷も、彼らが群れの方に急いで帰っていくほど速いものは見たことがありません。彼らは皆と一緒になって、くるりと振り返り、疾走する騎馬隊のように急いで私たちの方にやってきました。詩聖はおっしゃりました。「ああ、あの魂達がこちらへひしめいてやってくるのをご覧なさい。一人一人皆、君へのお願いを言いに来ますよ。彼らの言うことを聞いてあげなさい。でも、歩みは止めないように。」彼らは叫びました。「ああ、生まれた時の肉体のまま天国に進んでいく魂よ、ちょっとの間止まってください。ここにいる私たちの中に知っている人がいないかどうか見て、知っている魂がいたら、その消息を現世に持ち帰ってください。ああ、待ってください! どこへ行くのですか? ああ、止まってください、お願いです! 私たちは皆、暴力で死にました。臨終の間際まで罪人でした。でも、天国からの光が私たちの心を照らしてくださり、罪を悔い、人を許し(マタイによる福音書6の12(主の祈りの一節)および14-15参照)、神の安らぎの中で死んだのです。神に会うことができるようにと願っている私たちの心は満たされました。」私は言いました。「私はあなた方の顔を見ても、一人も知った人はいないです。でも、ああ、いつかは神にまみえる魂達よ、私にできることで、あなた達に喜んでもらえることがあれば、教えてください。このウェルギリウス先生に導かれて、地獄を通り、煉獄へと経巡って、探し求めている平和(即ち巡礼のつまるところの目的の、「神と共にある平安」)にかけて、実行しましょう。」すると一人の魂(ヤコポ・デル・カッセロ(1260頃ー1298)。ファーノ(地獄第二十八曲参照)の名門に生まれたが、1296年、ボローニャの長官(ポデスタ)に任ぜられた時、貴族エステ家(地獄第十八曲参照)のアッツォ八世(地獄第十二曲参照)がボローニャに対してとろうとした悪巧みに抵抗、そのためアッツォ八世の恨みを買い、ヤコポは1298年、マッテオ・ヴィスコンティの招きに応じてミラノの長官たるべくミラノへ赴任の途中、ヴェネツィアとパドヴァの間のオリアーゴで、アッツォ八世の手下に暗殺された。ヤコポは遭難を慮ってファーノから海路ヴェネツィアへ出たのであるが、敵は先回りして待ち伏せていたのである)が答えました。「あなたに誓ってもらわなくてもいいのです。ここにいる私たちは、あなたが、ご自分の力が無くて意志を達成できないということでなければ、あなたはご自分の言葉を裏切らないと分かっています。まず私が始めにお願いします。もし、ロマーニャ(近世のエミリアの東部を占める北イタリアのかつての地域。ダンテ自身の定義に従えば、ボローニャとリミニを結び、モンテフェルトロの山岳地帯からラヴェンナの平野に及ぶ(地獄第二十七曲))と、カルロの国(カルロ即ちシャルル・ダンジュー二世の領するナポリ王国)の間の国(マルカ・アンコニターナ。ほぼ近世のマルケにあたる。ファーノはこの地域の海浜都市)を訪れることがあれば、お願いですから、ファーノにいる魂達に私のためにお祈りをしてくださいと頼んでください。そうすれば私の罪も浄められますから(祈りによって一刻も早く煉獄門内に入ることで)。私はファーノの出身で、アンテノーリの領内(「パドヴァ人の領内で」の意味。アンテノーリとは、ホメロスに出てくるトロイア王プリアモスの賢明な顧問役アンテノールの後裔のこと。伝説によれば、パドヴァの基を開いたのは彼らであり、また中世では、トロイアを敵方のギリシア勢に売り渡した裏切り者はアンテノールだと信じられていた。そういうわけで祖国や仲間を裏切った罪人の堕ちる地獄第九圏二円は、アンテノーラと名付けられる(地獄第三十二曲参照)。敵に内通してヤコポを殺したパドヴァ人への、先祖が先祖ゆえとの痛烈な風刺)で深い傷を負い、生命の宿る血(レビ記17の11及び14に、「生き物の命は血の中にある」とある)をほとばしらせたのです。アンテノーリは安全な所だと思っていたのに、エステ家のアッツォ(1293年、父オビッツォ二世の後を継いでエステ侯爵となったアッツォ八世。地獄第十二曲参照)が私を殺したのです。彼が私を恨んでいたことといったら、どんな理屈も越えていたのでした。オリーコ(今のオリアーゴ)で不意をつかれた時、もしもミーラ(ヴェネツィアを去る十六キロばかり、ブレンタ側に通じる運河の岸の小さな町)の方に逃げていたら、私はまだ現世で生きて息をしていたでしょうに。私は沼に走りましたが、アシが絡みついて、倒れてしまい、私は自分の静脈から出る血の海を見たものです。」他の魂がいいました。「ああ、あなたの山を登る願いが叶いますように。私の願いも聞いてください。私は、モンテフェルトロ(地名(地獄第二十七曲参照)であるが、ここでは地獄第二十七曲に登場する同地の名門グイド・ダ・モンテフェルトロの息子、ブオンコンテ・ダ・モンテフェルトロを指す。彼も父グイドと同様ギベリーニ党の指導者。1287年6月、ギベリーニ党員を呼び集めアレッツォからグエルフィ党の一掃をはかり、これがフィレンツェとアレッツォ確執の発端となる。1289年、アレッツォ軍を率いてフィレンツェのグエルフィ党員と闘ったが、6月11日、カンパルディーノ(地獄第二十二曲参照、カエンティーノ地方の小さな平原)で完敗を喫し、ブオンコンテも落命、しかしその遺骸は戦場のどこにも見あたらなかったという)の者でしたが、今は、ただのブオンコンテ(門閥の誇りを捨て、へりくだって控えめにして煉獄入りを願う一介の魂、ブオンコンテ)です。ジョヴァンナ(ブオンコンテの妻)も、他の誰も(ブオンコンテには、妻の他、生き残りの一人の娘と一人の弟があった)私のことを気にかけてくれず、私はこの魂達と一緒に恥じつつ歩いているのです。」私は言いました。「どんな暴力で、それとも偶然か、カンパルディーノから、埋葬した場所が誰にも分からないほど遠くに連れ去られたのですか?」ブオンコンテは言いました。「カセンティーノの山の麓をアルキアーノ(カマルドリの北のアペニン山脈に源を発し、カセンティーノの渓谷を山麓で横切り、ビッビエーナでアルノ川に合流する急流)という川が流れていて、それは、アペニン山脈の修道院(カマルドリの修道院のこと。カセンティーノ山系の主峰、ファルテローナからそう遠くない山上にあり、フィレンツェとの距離約五十キロ、改革ベネディクト会修道士のために1012年聖ロムアルドがこれを建立)の上に源を発しています。川の名前が変わるあたり(アルノ川に合流する地点。カンパルディーノから約四キロの所)まで、喉をかき切られ、走って、地面を血で染めながら、私はたどり着きました。そこで私の目は見えなくなってしまいました。ものも言えなくなってしまいました。そして、死ぬ間際に、私はマリアの御名を呼び、倒れ、魂のない肉体を残したのです。本当のことを語るので、生きている人にそれを伝えてください。神の天使が私をとりあげた時、地獄の悪魔が(人が死ねば、天使と悪魔が同時に来て、霊魂を争奪すると中世では一般に信じられていた。フランシスコ修道会では天使でなく聖フランチェスコ自身が来るという。地獄第二十七曲参照)叫びました。”ああ、天国からの使者よ、なぜ私のものを奪うのだ? おまえは、こいつがちょっと流した涙のために(臨終に際し、マリアの御名を呼んで流した涙。必要なのはその時の心の動きだが、悪魔は表面にあらわれた物質的な「涙」の方を重視する)こいつの死んでいない部分(霊魂)を持っていくが、肉体は私が思うままにするぞ!”水蒸気が空中で集まって、冷たい所に戻れば雨のように水に戻るということはご存じでしょう。そのような悪い意志や悪い目的に対して、悪魔は知力を合わせて(トマス・アクィナスその他中世の正統神学者に従えば、神に反逆して地獄に堕ち、悪魔となった天使といえども、天使はすべて意志と知力を行使することができる。今ここで地獄から来た悪魔は、意志と知力の二つを併用した)、自分の自然な力によって、霧と風を混ぜ合わせたのです(悪魔も天使も、雲や風などの自然現象を自由に操る力を持つと中世の正統神学者達は信じた。エフィソ人への手紙2の2にも、悪魔を「空中に勢力を持つ者」と名付けている)。そして、一日の終わりに、プラートマーニョ(カセンティーノ地方の西南境を形成する山脈。これに対してアペニン山脈が東北境を造る)から山々のつながりに続く谷が濃霧に包ませました。悪魔は空を暗い雲で覆い、飽和した空気は雨に変わり、水が落ち、びしょびしょの地面がしみこめなくなった分は深い溝にあふれ出し、流れ出した水は集まってきて、激しく流れる急流になり、容赦なく川の王(アルノ川。なおこの辺りの洪水の描写は、ウェルギリウス『牧歌』1の322-327に拠る所が多い)に流れ込むのです。アルキアーノの急流は、その河口の近くに冷たくなった私の身体を見つけ、アルノ川へ流し込み、最期に私が作った私の胸の上の十字架をほどきました。川はその岸に沿って底をはって私を運び、洪水によって押し流されてきた樹木野草の類で私を包みました。」この二番目の魂が話し終わると、三番目の魂が言いました。「ああ、お願いです、また現世に戻って、この旅の疲れを癒したら、私を思い出してください(縁者の祈りを強請せず、長旅の疲れが癒えないのなら、ただ、「思い起こし賜れ」とのみ言う慎ましい言葉から、この貴婦人の人柄がしのばれ、読者の同情と憐愍を誘う)! 私はピア(この女性が誰を指すかについての定説はない。ダンテのそれに拠った可能性の多い一節に従うと、シエナのトロメイ家に生まれ、マレンマのピエトラ城主ネルロ・デ・パンノッキエスキに嫁し、1295年、ネルロの殺しにあった人、という。殺され方についても諸説あるが、その一つを紹介すると、一日、ネルロと食事中、ピアが窓辺に立って場外の景色を眺めていた時、一侍女が、ネルロの目配せで、不意にピアの足をすくい、窓の外に投げ、ピアの頭蓋は下の石畳に激突して即死した。ネルロがこの残虐行為に出たのは、財産を目当てに、ガイ・オヴ・モントフォート(地獄第十二曲参照)の寡婦マルゲリータ・デリ・アルドブランデスキ伯爵夫人と結婚するためとの説もある。ともあれ、洗礼名ピアに定冠詞「ラ」をつけた形で、ピアが我が身の上を語っているのは、当時市民の口の端に登っていたからであろう)と言います。シエナの地に生まれ、マレンマで死にました。私に婚姻の指輪を指にはめてくれて、運命を誓い合ったあの人(夫、ネルロ。この辺りの、文中の字句を省略するのは、ピアの心事を余す所無く伝え、趣実に深い)がよく知っています。」(2005年8月1日)(2005年9月29日更新)

にくちゃんメモ:まだ煉獄前域の第二台地です。ここでは、臨終悔悟者の内、未告解者の魂に会います。(2005年9月29日)

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第六曲
サイコロのゲームが終わり、負けた人は落胆して、そこに残って何度かサイコロを投げたりして、悲しみつつも練習をして、次回は勝とうとします。勝者と共に見物人達は去り、ある者は勝者の前に、ある者は後ろで勝者を引っ張り、残りの者は勝者の横にいて自分のことを覚えてもらおうとします。勝者は歩み続け、皆の言うことを聞きますが、おこぼれにあずかった者はもう押したりしないので、そうして勝者は見物人の群れから身を守るのです。私は、それと同じように、お願いする群衆に囲まれ、ここの人、次の人と顔を向けて、煉獄に入る日の早く来るようにとの祈りを現世の縁者に伝える約束をして、やっと解放してもらいました。私は、ギン・デ・タッコ(『デカメロン』10の2に出てくる凶悪な追いはぎで、1303年頃まで生存していたという)の執念深い手によって殺されたアレッツォ人(アレッツォの裁判官ベニンカーサ・ダ・ラテリーナ。シエナの長官の代理陪審判事であった頃、ギン・ディ・タッコの兄(一説では叔父)を死刑に処した。それを恨んだギンは、1297年頃、ベニンカーサがローマ教皇庁の会計監査に従っていた時、執務中の彼を殺害したと伝えられる)を見ました。疾走中に水に溺れた魂(アレッツォのギベリーニ党の領袖タルラーティ家の一員、グッチョ。同地のグエルフィ党の顔役ポストーリ家の者と闘って疾走中、馬にアルノ川へ振り落とされ、溺死したという)を見ました。私に両手を差し出して、お願いしていた、フェデリゴ・ノヴェルロ(有名なグイディ伯爵家の一族、グイド・ノヴェルロの子。1289年(一説に1291年)、ギベリーニ党のタルラーティ家救援中、ビッビエーナの近くでグエルフィ党の顔役ボストーリ家の一人に殺害された)を見ました。マルツッコ(由緒ある貴族の出自。ピサ市内外で重要な公務に就いていたが、1286年4月、ピサのフランシスコ修道会に入り、約五年後、フィレンツェのサンタ・クローチェの同会修道院に移った。1301年10月には既に故人であることが、同じく修道会に入っていた妻に関する同月28日付の文書で証明される。その時点、ダンテはまだフィレンツェの市民権を持っていたから、マルツッコと相識の間であったかも知れない)の、我が子を殺した者を許すという強さを発揮させたピサ人(通説では、1287年、ウゴリーノ伯爵の孫に当たるニーノ(地獄第三十二曲参照)とその仲間の手で殺害されたマルツッコの子コガーノ・スコルニジアーニ。既に修道士となっていたマルツッコは、復讐の代わりに、殺害者を許すことにより、剛毅ぶりを発揮したと伝えられる)も見ました。オルソ伯爵(ナポレオーネ・デリ・アルベルティ伯爵の子、オルソ・デリ・アルベルティ・デルラ・チェルバイア。従兄弟のアルベルト(アレッサンドロ・デリ・アルベルティ伯爵の子)に殺された。親同士も殺し合いの中であったことによる(地獄第三十二曲参照))も見ました。悪いことをしたからというのではなく、話を聞けば、怨みとそねみによって死んでしまった魂、つまり、ピエル・ダ・ラ・ブロッチア(フランスのフィリップ三世(在位1270-1285)の侍従を務めた人物。身分の卑しい外科医と言われているが、実はトゥーレーヌの名門の出。既にフィリップの父ルイ九世王の侍従であった。1276年、フィリップの皇太子ルイは急死したが、その死因は、継母に当たる現皇后(ブラバントのマリー)が、実子に王位を継がせるための毒殺であるとの風評高く、ピエルもマリー糾弾者の中に名を連ねた。1278年、突然ピエルは王の命令により逮捕、罪状をあかさず絞首刑。マリーに私通を迫ったためともっぱら取りざたされたが、当時フィリップと交戦中のカスティリャ王アルフォンソ十世に内通した嫌疑によるらしい。しかし途中押収されたその内通の書簡は、マリーの意を受けて偽造されたものであり、その背後には、ピエルの主君から受ける寵愛をそねむ宮廷貴族達の謀略がからまっていた。犯した罪ゆえではなく、怨みとそねみゆえに身を殺すに到ったとある所以)を見ました。ブラバントの淑女(皇后マリー。ダンテの没年と同じ1321年に死んでいるから、神曲のこの箇所を読んでダンテの警告に留意し、生前懺悔した可能性はある、そうでなければ、ピエルのいる煉獄前域へは送られず、悪しき群の一人、即ちヨセフを逆恨みした侍従長ポティファルの妻(地獄第三十曲参照)などと一緒に、地獄のマレボルジャ第十嚢へ投入されるであろう、とダンテはいう。ブラバンテ(ブラバント)は、中世、現ベルギーの中央部にあった公国)よ、現世にいる間は、悪しき群れの一人にならないように、気をつけなさい。浄罪への道を急げるように現世にいる人々に祈ってもらうよう願う魂達から自由となると、私は言いました。「ああ、私の光のような先生、先生の詩の中に(『アエネイス』6の376。パリヌルスの魂に女預言者が、「祈りによって天の定めが曲げられるなどと夢見るのを止めよ」と答える箇所)、祈りの力によって天国の掟を曲げることをはっきりと否定している所があるように思います。しかし、この魂達は、そのようなことを願っています。そうすると、この魂達の望みはムダなのでしょうか、それとも、私が先生のお言葉を理解していないということなのでしょうか?」すると先生はおっしゃいました。「私が書いたものは簡単で、もし君が注意深く考えれば、この魂達の望みが裏切られることはないということが分かるでしょう。例え世にいる人が温かい愛の心で煉獄前域の魂のために祈り、この祈りによって早く天意を満たして門内に入れるとしても、神の審判が厳しく厳かなのは変わりませんよ。君が指摘した私の詩の言葉は、祈りによって浄化されない罪人に対してのみ当てはまるのです、なぜなら、パリヌルスは、キリスト出生による原罪の贖いが実現していない時点の人物なので、神の恩寵は欠落し、神との通い路はまったく絶えるからですよ。そのような神の恩寵に関する問題を深く考えようとせずに、人智と、人智の及ばない真理である天啓との間の仲立ちともいうべきベアトリーチェが明らかにしてくれるまで待ちなさい。ベアトリーチェは山の頂きに現れ、君は幸多き彼女の微笑みを見ることでしょう。」私は言いました。「先生、歩みを速めましょう。私は先ほどのように疲れてはいません。それに、見てください! 山には影が出ています(二詩人が登る山の東斜面の翳りは既に午後となったことを示す)。」先生はおっしゃいました。「日が沈むまで、進みましょう。できる限り登りましょう。でも、この登攀は、君の想像するほど容易ではないのですよ(しかしそういうウェルギリウス自身も、夜間の歩行休止その他、登攀の事情につき詳しく知らない)。君が山頂に着くより前に、山腹に隠れていた所から太陽が出てくるのを見ますよ。でも、あちらに座っている魂(ソルデルロ。煉獄前域で、群れから離れ、一人でいたのはソルデルロが初めて)をご覧なさい。独りぼっちでこちらを見ています。近道を教えてくれるかも知れませんよ。」私たちは彼の方に行きました。ああ、ロンバルディアの魂よ、厳かであるけれども、尊大な様子で、目の動きはなんと威厳があることでしょう! 彼は私たちに何も言いませんでしたが、私たちが彼の方に登っていくのをただ見ているだけで、それは、うずくまるライオンのようでした。しかし、ウェルギリウス先生は彼のもとにまっすぐ登っていかれ、登るのに最も良い道を尋ねられました。しかし彼はその質問を無視して、代わりに私たちに、私たちがどこで生まれ、誰なのか、と訊ねました。私の優しい先生は答え始めました。「マントゥア・・・・・・」(恐らくウェルギリウスの墓碑銘の初句、「マンテゥア我に光を与え」と言いかけたのであろう)。すると、彼はそれまでは他人のことにかまわなかったのに、急に立ちあがって、先生のもとに行き、言いました。「ああ、マントゥア人よ、私はあなたと同じ町の出身のソルデルロ(1200年頃、マントゥアから十六キロほど離れたゴイートに生まれたが、母国語だけではなくプロヴァンス語で作詞したイタリアの詩人。数奇の生涯を送り、晩年はシャルル・ダンジューに仕え、重んぜられたが、没年不明。1240年頃、ある武人の死を悼んだソルデルロの詩にダンテはいたく心ひかれ、史上に名ある人物の品定めを煉獄第七曲でやらせるため、著名人と面識あるこの宮廷詩人を登場させたと思われる)です。」そして二人の魂は、抱き合いました。ああ、奴隷となりはてたイタリア(神の意志による自由を失い、権力の奴隷となってバラバラになった現在のイタリア)、悲しみの国、激しい嵐の中に舵取り(ダンテが理想とする皇帝)のいない船よ、あなたは諸国の女王ではなく、恥ずかしい売春宿のようです! 生まれた町の名前を聞いただけで、ソルデルロはあんなにも素早く同じ町に生まれた者を迎えました。しかし、今、あなたの国では、皆戦いを休むことなく、一つの壁、一つの堀に囲まれながらも、なんて貪欲なんでしょう! ああ、惨めなイタリアよ、海岸、そして内陸を探してみなさい、平和な所がどこかにあるでしょうか? ユスティニアヌス(東ローマ皇帝ユスティニアヌス(482-565)。法学者トリボニアヌスを首班として『ローマ法大全』四巻を編み、後代の法思想に甚大な影響を与えた)がいかにその法文を直したとしても、なんの役に立つでしょう? 法文を活用すべき皇帝がいないのに! 法文がなければ却って恥も少なかったでしょう。自分の高潔さを追求する聖職者達(世俗の権力まで手中に収めている高位の聖職者達。ダンテは『帝政論』第三巻に、カイザルのものと神のものが互いに侵犯してはならない原理を展開した)よ、神があなた達に書いたこと(マタイによる福音書22の21、「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい」とあるのを指す)を思い出せば、カイザル(即ち皇帝)が座るべく所に座らせなさい。この獣(イタリア)がなんてひどく荒っぽいか見てください。高位の聖職者がその手綱を握っているために、拍車をかけてまっすぐ進ませようとしなかったからです! ああ、ドイツ人のアルベルト(神聖ローマ皇帝(ただし戴冠せず)アルブレヒト一世。ハプスブルク家のルドルフ一世の長子。ゲルハイムの戦いでナッソウのアドルフを破ってドイツ王となり、ハプスブルク家の領土拡大をはかったが、おおむね失敗し、1308年5月1日、甥のヨハンに暗殺された)よ、あなたはこの獣を見捨て、野放しに、走り回らせておきました。本当は鞍にまたがっていなければいけなかったのです! 正しい裁きが、星からあなたの家に降り、天罰によって、後継者(ルクセンブルク家出身の神聖ローマ皇帝、ハインリヒ七世。しかし1300年の時点ではまだ彼を後継者と見なせない)を恐れさせればいい! あなたとあなたの父親(神聖ローマ皇帝ルドルフ一世(1218-1291)。ハプスブルク家最初のドイツ王)は、貪欲のためにドイツ諸州に居座り、イタリアを荒れさせるままにさせました。来てください、冷淡な心の持ち主よ、カッペルレッテ(クレモナにおけるグエルフィ派の政党名。反皇帝派としてロンバルディアを掌握したが、1290年頃には既に衰えていた。敵も味方もこのように疲弊し、悲運を味わうに到ったのは、アルブレヒト一世がイタリアを顧みなかったからだと、ダンテは糾弾する)を見てください。モナルディ(中部イタリアのオルヴィエート市におけるグエルフィ党一族。モナルデスキとも呼ばれた)を見てください。滅亡したモンテッキ(ヴェローナのギベリーニ党名家。転じてエッツェリーノ(地獄第十二曲参照)支持の政党名となる。しかし1291年までに、ヴェローナにおけるその政治的生命は終わっていた)を見てください。自らの運命に恐怖したフィリッペスキ(オルヴィエート市のギベリーニ党領袖。両家は絶えず確執を繰りかえし、自滅の運命をたどる)を見てください。来てください、冷酷な人よ、来て、あなたの貴族達が虐げられるのを見て、被った傷を治して助けてください。サンタフィオラ(シエナ地方の州と町の名。アミアータ山の麓、フィオラ川の水上に位置する。九世紀この方、有力なギベリーニ党名門あるドブランデスキ家の領地であったが、十四世紀の初頭、シエナのグエルフィ党の手に帰した)に住めば安全かどうか、来て見てください。来て、あなたの町ローマを見てください。嘆きの中にうちひしがれ、寡婦となり、一人残され、夜も昼も泣いています。”私のカイザル、どうしてあなたは私を見捨てたのですか?”来て見てください。あなたの民がどんなに互いに愛し合っているかを(反語。実は牙を向き合っている)! 私たちを憐れみ心動かされないのなら、あなたは自分の名声(実は不評。これも反語)を恥じるために来てください! ああ、すべての者のために地上で磔にされた、至高のゼウス(異教の最高神の名に託してキリストを指す)よ、あなたのお目はもう私たちを見てくれないのかどうか、尋ねてもいいでしょうか? もしくは、私たちには理解する力のない幸い、つまり後々の幸いのために、深い御心によって災いを下されるのですか? イタリアの町はすべて、暴君で満ちあふれています。党員の役目を果たすうすのろはみな、マルクス・クラウディウス・マルケルス(カエサルの最も手強い敵であったローマの執政官)となるのです。フィレンツェ、私のフィレンツェ! あなたとは関わりのない(反語)この脱線ぶりを喜んでいることでしょう。それも、機知に富んだ市民のおかげというものです! 他のイタリアの市民の中には、心の中では正義を持ってはいても、よく考えてから口にしますが、フィレンツェの人々は心にもない正義を口にします! 他のイタリアの市民の中には、公の仕事を引き受けるのに何度も考える人がいます。しかし、フィレンツェの市民は頼まれもしないのに、”私が喜んで犠牲になりましょう!”と叫んで、引き受けてしまいます。喜んでください、あなたには喜んでしかるべき道理があります。あなたは富んでいて、賢く、このような平和を楽しんでいるからです! 私が話すことが真実であることを、事実が示しています。アテネとスパルタは古代の法律と市民の学芸によっていまだに有名ですが、あなたに比べたら、ほんのちょっとの秩序を見せただけです。あなたはとても賢いので、10月にできた法は、11月の半ばまでにはめちゃめちゃになります(白派の没落とダンテの追放をもたらした1301年10月から11月半ばまでの政変へのほのめかしか)。あなたの記憶に残るだけでも、あなたは何度も何度も貨幣、収監、法律、公務を変え、市民の追放も繰り返しました! 思い返して、事実をちゃんと見るのなら、あなたは、具合が悪く、贅沢な柔らかいベッドでも休めず、輾転反側している女(聖アウグスティヌスの『告白』6の16を踏まえての表現)のようであることが分かるでしょう。(2005年8月2日)(2005年9月29日更新)

にくちゃんメモ:最後の方は、イタリアにダンテが呼びかけています。(2005年8月2日)

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第七曲
喜ばしく、礼儀正しく、二人は何度も抱き合い、そしてソルデルロは一歩下がって言いました。「教えてください、あなた方お二人はどなたですか?」先生はその魂におっしゃいました。「神のもとへ登るべき魂達が、神の恩恵によってこの山に登る前(サタンの地獄墜ち以来、人類と無関係であった煉獄山が、キリストの地獄征服により、再び相応しい魂を天国へ送る道程となったこと。地獄第四曲参照)に、私の骨は、ガイユス・ユリウス・カエサル・オクタウィアヌス・アウグストゥス(ローマ初代皇帝。煉獄第三曲参照)によって埋葬されました。私はウェルギリウスです。私が煉獄から天国へ行けなかったのは、ただ信仰がなかった(キリスト教理以前の出生であり、神を正しく礼拝しなかったために。地獄第四曲参照)からなのです。」突然目の前に信じられないものが現れて、初めは信じるけれども、後になって疑いを持つ人が、「そうだ、その通りだ、いや、そんなはずはない!」と言いますが、ソルデルロはまさにそのようでした。するとソルデルロは頭を垂れて、今度は、あがめるように、奴隷が主人にするように、先生を抱きしめました。ソルデルロは言いました。「ああ、ラテン(ラテン語を用いていた古代ローマ人と、ラテン語から発展したイタリア語などを用いている人々)の栄光よ、私たちの言葉であるラテン語の力をあらわしたのは、あなたです。我が故郷(共通の故郷、マントゥア)の永遠なる誉れよ。私のどんな良い行いのおかげで、または、どんな神の恩寵があって、あなたにお会いすることができたのでしょう? 私が、あなたのお言葉を聞くに値するのであれば、教えてください。地獄からいらしたのですか? もしそうなら、地獄の何圏からいらしたのですか?」先生はおっしゃいました。「私は、悲しみの地獄のすべての圏を通り抜けて、ここにやってきたのですよ。天のお力が私にこの道を教えてくださり、天のお力のおかげでここまで来れたのですよ。罪の行いのせいではなく、キリスト者の信仰に入らなかったせいで、神にまみえることができなかったのです。あなたの探し求めている神を私が知ったのは、地獄を征服するためキリストが辺獄へ下った時であり、救いにあずかるには遅すぎたのです。地獄には、辺獄という所があり、苦しい責め苦はない、暗くて悲しい場所ですよ。苦しみの悲鳴は聞こえてこなくいのですが、希望のないため息が聞こえてくるのです。受洗によって原罪から救われる前に死んでしまった、無垢な幼い魂達と一緒に私はいたのです。神からの恩寵によってのみ可能な、キリスト者の信・望・愛の神学的三徳の着物を身につけていないけれども、罪を犯してはいなくて、精進努力によって得られる人間的諸徳、とりわけ細心・節制・正義・剛毅の四枢要徳を心得ていて、実行した魂達と一緒にいたのです。でももし、あなたがご存じなら、そして、教えてくださるのなら、煉獄の本当の入り口への近道はどうしたら分かるでしょう?」ソルデルロは言いました。「私たちには、定められた場所というのがありません。フラフラしているのも、登っていくのも自由です。ですから、私が登れる限り、あなた達をお導きしましょう。でも、知っておいてください、一日が終わって夜になると、もう登ってはいけないのです。私たちは、どこか休む場所を考えておかなければならないのです。ここを右に行った所に(時計の針と逆方向。即ち煉獄での正しい進行方向)魂達の群れがあります。お嫌でなければ、そちらへ参りましょう。あの魂達に会うのは楽しいかも知れませんよ。」先生はおっしゃいました。「それはどういう意味ですか? もし、夜に、魂が登り始めると、誰かに止められてしまうのですか? それとも、ただ力が出なくて動けないということなのですか?」するとソルデルロは地面に指で何かかきながら(ヨハネによる福音書8の6-8参照)答えました。「見てください! 日が沈んだ後では(ヨハネによる福音書11の10参照)、この線(地面に書いた線)を越えることもできないのです。私たちが登ることを妨げるものは、暗闇以外何もありません。でも、この暗闇によって私たちの意志は萎えてしまうのです。夜の間は、私たちはもちろん坂を下に降りて、山の周りを好きなだけブラブラすることはできるのです。」ソルデルロの言ったことを聞いて、私の先生はビックリしておっしゃいました。「そういうことなら、楽しいかも知れないという所に連れて行ってください。」私たちは歩み始めましたが、すぐに、山にくぼみがあるのを見つけました。それは、現世での谷間のようでした。ソルデルロは私たちに言いました。「さあ、あの山の山腹のふところに参りましょう。そこで明日の来るのを待ちましょう。」なだらかなクネクネした道が、そのくぼみの縁に続いていて、そのくぼみの縁の一部は、他の部分に比べて低く、半分もなかったので、くぼみに降りるのは容易かったのです。考えてみてください、銀、金、コチニール(昆虫カイガラムシコチニールを乾燥して採取するえんじ色の染料)、白鉛(白い顔料として用いられる)、輝いて深く澄んだインドの銘木、裂けた真新しいエメラルドを。そのくぼみにあった芝や花の美しい色といったら、そんなものなど足元にも及ばないぐらいでした。自然とはすばらしいものです。しかし、自然は、そこを美しく色を塗っただけではなく、筆舌に尽くしがたい千にも及ぶすばらしい香りも漂わせていました。茂みで見えなかった所に、草や花の上に座っている魂達が、「悲しみたまえ女王」(夕暮れ時、聖堂内で交唱されるマリアへの祈りの起句)と歌う声を聴きました。ソルデルロが言いました。「沈みゆく太陽が見えなくなる前に、あなたが見ているあの魂達の方に連れて行くように私に頼まないでください。もし下に行ってあの魂達の間にいるよりも、ここからの方が、彼らの顔や動きがよく見えるでしょう。一番高い所に座っていて、しなければならなかったことをしないように見えて(乱れに乱れたイタリアへ入国し、それを統治するのが責務であったのにそうしなかったこと)、他の魂達が歌うのに加わらないのは、ルドルフ皇帝(1273年から1291年まで帝位にあったルドルフ一世。煉獄第六曲参照)です。イタリアを死へと追いやった傷(イタリアの甚だしい分裂と苛烈な内部闘争。煉獄第六曲参照)を治せたかも知れないのに、もう手遅れです! ルドルフ一世を慰めているように見えるのは、モルダウ(即ちチェコのブルタバ川。源をボヘミアの森に発し、始めしばらく東南に流れ、やがて北へ向かい、プラハを貫流、その北約三十キロの地点でエルベ川の上流と合し、北上を続け、ハンブルクを貫流して北海のヘルゴラント湾に注ぐ)と、エルベ川を通り海へつながる川のあるボヘミアを治めたオッタッケロ(1253年から1278年までボヘミアの王であったオットカル二世。ルドルフ一世の神聖ローマ皇帝位を承認せず、これと闘って敗れ、1278年8月26日、ウィーン近郊で殺害された。それが今、仇敵ルドルフ一世を慰めている)です。赤ちゃんの時ですら、好色と怠惰を大いに楽しんだ息子ヴィスチスラオ(オットカル二世の子で、父の跡を継ぎ、1278年から1305年までボヘミアの王であったヴェンツェスラウス二世。ルドルフ一世の娘婿に当たる。男盛りとなっても、その威厳は父の幼少時代にも及ばなかった不肖の子。天国十九曲参照)がヒゲを生やした頃より尊敬されています。優しそうに見える魂(1270年から1274年までナヴァールの王であったエンリケ一世。あだ名は肥王。地獄第二十二曲に「すばらしきティボーニ」と歌われたティボーニ二世の弟で、その王位を継ぐ。娘ジョヴァンナがフランス王フィリップ四世(美王)と結婚したので、「フランスに災いをもたらした者の義父」と呼ばれ、今悲嘆の身となっている)と、そのそばにいる団子っ鼻でヒソヒソ話をしている魂(1245年に生まれ、1270年から1285年までフランス王であったフィリップ三世(剛王)。ルイ九世の子、シャルル・ダンジュー一世の甥。ローマ教皇マルティヌス四世の要請にもとづき、1282年の、「シチリア晩祷事件」の扇動者の一人、アラゴン王ペドロ三世に対し、カタロニア十字軍を起こしたが、敵の海軍に補給路を断たれて退却中、熱病にかかり、ベルピニャンで死亡した)は、逃げ走る時に死に、ユリの花の恥となりました(フランス王家の紋所が、紺地に金のユリの花三つである所から、フランス王家の名を汚した、と言う意味)。自分の胸を叩いているフィリップ三世の今の姿を見てください。ため息をつきながら、肘をついて頬を掌で支えているエンリケ一世を見てください。彼らは、フランスに災いをもたらしたフィリップ四世(神曲全篇を通じ、名前を出すのはここだけ。地獄第十九曲で、教皇ニコラウス三世が、「フランスの統治者」と呼んでいるのもフィリップ四世。その罪状には、教皇ボニファティウス八世の幽閉、フランス出身の教皇クレメンス五世を擁立して教皇庁を南仏アヴィニョンにおいたこと、ユダヤ人の迫害、聖堂騎士修道会の解散とその財産没収等々が数えられる)の、父親と、義父です。ふしだらで邪な一生を送ったので、それを思って、悲しみに突き刺されているのです。外見が逞しくて、大きな鼻のシャルル・ダンジュー一世(ナポリとシチリアの王、シャルル・ダンジュー一世(1226-1285)。フランス王ルイ八世の子、ルイ九世の弟。1246年、プロヴァンス伯ライモンドの娘ベアトリーチェを娶り、プロヴァンスの領主となる。その他、婚姻政策により多くの国を継承した。威風堂々、鼻特に秀でて大きく、カール大帝以後、歴代のフランス王家出自中、最も王足るに相応しい容姿を備えていたと言われる。アラゴン王ペドロ三世とは終生敵視の間柄であったが、今ここ煉獄では仲良く歌を唱和している)と一緒に歌を歌っているのは、ペドロ三世(1276年から1285年までアラゴンの王であったペドロ三世。1262年シチリアのマンフレディ王の娘コンスタンツェ(煉獄第三曲参照)との婚姻により、シチリア王位継承権を主張、1282年の「シチリア晩祷事件」後、死ぬまでシチリア王の称号を用いて譲らなかった。ダンテはこの王を高く評価する)で、優れた資質を備えていました。その後ろに座っている若者(文脈から見て、たぶんペドロ三世の末子ペドロを指す。父の死後、実際に王となった長子アルフォンゾではあるまい。なおペドロ三世の子息達については、煉獄第三曲参照)が、もし長く王でいたなら、そのすばらしさは、王たるに値する器からまた王たるに相応しい器へと受け継がれていったでしょうに。しかし、そのようなことは他の後継ぎには当てはまりませんでした。ヤコモ(アラゴンのペドロ三世の次子で、1285年から1295年までシチリアの、1291年から1327年までアラゴンの王であったヤコモ即ちハイメ二世。義王と呼ばれる)や、フェデリゴ(ペドロ三世の第三子で、1296年から1337年までシチリアの王であったフェデリゴ二世。なおヤコモとフェデリゴについては煉獄第三曲参照)が今、その国を治めています。でも、二人とも父王の備えていた美質を受け継ぎませんでした。取り柄の樹液が登っていってすべての枝まで行かないものです(父から子へと伝わる事例。ダンテの当時は、今と違い、系図の樹は下から上へ、枝から梢へと登ってゆくように描かれるのが常であった)。これは、神の御心次第で、私たちはただ神にお願いすることしかできません。私の言っていることは、大きな鼻のシャルル・ダンジュー一世にも、一緒に歌っているピエル(アラゴン王ペドロ三世。この仁王の美質はそのまま子供に伝わらなかった)と同じように、あてはまるのです。そのために、プロヴァンス(シャルル・ダンジュー一世の死後、父王の跡を継いだシャルル二世は、善政を施さず、領民の嘆く所となった)とプリア(靴形のイタリア半島の東南地帯、踵にあたる部分、当時のナポリ王国)は嘆き悲しんでいるのです。子が父に劣るということは、マルガリータ(ベアトリーチェの死後、1268年にシャルル・ダンジュー一世が娶ったブルゴーニュ公の娘)やベアトリーチェ(シャルル・ダンジュー一世の最初の妻)がどんなに夫を褒めたとしても、コンスタンツェ(アラゴン王ペドロ三世の妻。ここはシャルル二世が一世よりはるかに劣ること、なおシャルル一世がペドロ三世の足元にも寄れぬに等しい、と言う意味)の褒めるのにはかなわない、ということです。あちらに一人で座っているイギリスのヘンリー(1216年から1272年までイギリスの王であったヘンリー三世。孤高の士として知られる)を見てください。質素な生活をした王で、よりすばらしい息子(ヘンリー三世の子、エドワード一世(在位1272-1307)。「よりすばらしい」とは、シャルル一世やペドロ三世の子らに比して)に恵まれました。彼らと一緒に地面に座っている魂で、彼らを見上げているのは、グイリエルモ侯爵(1254年から1292年まで、イタリア北西部モンフェルラート侯爵領主であったグイリエルモ七世。領主となってまもなく、隣国ロンバルディアの自治都市のいくつかを、内紛に乗じて併合。1264年、シャルル・ダンジュー一世と結んでその南下を助けたが、シャルルがマンフレディを破り、ナポリ王国を征服し、ロンバルディアの併合をたくらむに及び、激しくシャルルと対立。1281年、ミラノその他のイタリア北西部の代表的都市を糾合して有力なギベリーニ党同盟を結び、その盟主となり、グエルフィ党と抗争。1290年、アスティの人民が尻押しするアレクサンドレイアの一揆を鎮めるため同市に進軍したが、捕虜となり鉄の檻に入れられ、17ヶ月間さらし者にされた後、1292年2月に病死した。父の仇を報いるため、嗣子ジョヴァンニ一世はアレクサンドレイアに宣戦したが敗れ、却ってトリノその他の領地を失う結果となった)です。彼によってアレッサンドリア(以前はミラノ侯爵領であったイタリア北西部ピエモンテ地方の一都市。タナロ川にまたがる)との戦争が起こり、モンフェルラート(イタリア北西部の、ポー川上流の地域で、以前の侯爵領)とカナヴェーゼ(イタリア北部、ドラ・リパリア川とドラ・バルテア川の間に横たわるアルプス南麓の地域。以前はモンゲルラート侯爵領で、二百に近い城を誇ったという)を嘆き悲しませるのです。」(2005年8月4日)(2005年9月29日更新)

にくちゃんメモ:まだ煉獄前域の第二台地です。ここでは、臨終悔悟者の内、俗事に没頭した魂に会います。(2005年9月29日)

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第八曲
遠くで、一日の終わりを嘆くように聞こえる鐘が鳴って、初めて旅に出ている人が、切ない愛の痛みをおぼえる時。それは、水夫が、航海に出て初めの日が終わると、故郷のことを思い、残してきた愛する人を懐かしく思う時と同じです。私は、ソルデルロは語っているのに、彼の言葉を聞いていなかったのですが、この谷に集まった魂達は皆座っているのに、ある一人の魂が、立ちあがって、聞いてもらおうと身振り手振りをしているのを見ました。その魂は、手を挙げて、お祈りをするように手を合わせ、東(中世の考え方では東方が天の最良の部分であり、神の恩寵もそこから来るとされていた)を見つめました。それは、「神様、私は神様のことしか考えていません」と言っているかのようでした。彼の口からは「日が果てる前に(四世紀の教会博士、聖アンブロシウスの作と言われる聖歌の一つの起句。「この世を作りたまいし神よ、つね変わらぬおんめぐみもて、われらを今守りませとねぎまつる」と続く)」と、畏敬の念を持った美しい旋律が聞こえ、私は我を忘れて聞き入ってしまいました。すると他の魂達は、あがめるように、美しく調和して、天の星々を見つめながら、聖歌の終わりまで一緒に歌いました。よく見てください、読者よ、真実は薄いベールで覆われているものなので、その意味する所は簡単に理解できるのです。私はその高貴な魂達の集まりを見ました。彼らは今、黙って、目を天に上げていました。期待をして(敵の攻撃に備えて見張りをする二天使が来ること)、青ざめ(やがて近づく敵、誘惑者への恐れから)、おとなしく(すべてを主に委ねているゆえに)しているようでした。するとその時、短く折れて先が尖っていない燃えるような剣を持って(創世記3の24を踏まえている。手にする剣にほこさきがないのは、目的が相手の殺傷でなく、味方の防衛であるため)、高い所から二人の天使が降りてくるのを見ました。天使の衣は若葉のような緑色で(緑は希望の色。煉獄で浄罪する魂の境涯に相応しい。なおダンテの全著作を通じ、緑の天使を出したのはこの箇所だけ)、その緑色の翼を広げ、それぞれの後ろで、風をはらんでふくらませ、ぱたぱたとさせました。二人の天使の内の一人は、私たちより上の方に降り立ち、もう一人は向かいの岸に降り立ち、二人の間に、魂達を包みました。天使達の金色の髪はよく見えましたが、顔は、あまりの輝きに目が見えなくなり、見えませんでした。ソルデルロは言いました。「聖母マリアのおはからいで、この二人の天使は来たのです。もうすぐ蛇がやってきて、あなた方も見ることになりますが、その蛇から私たちを守るためなのです。」どこから蛇がやってくるのかと、私は辺りを見回し、恐ろしくなって身が氷るようで、頼もしいウェルギリウス先生の肩に寄り添いました。ソルデルロはまた言いました。「さあ、あの谷へ降りて、魂達に加わり、話をしましょう。彼らは喜んでくれますよ。」谷に行くには、三歩だけしか歩かなくてよかったのでした。魂達は目を凝らして私をじっと見つめて、私が誰なのかと思い出そうとして見ているようでした。辺りは暗くなっていきましたが、本当に真っ暗ではなかったので、先ほどは遠くて見えなかった互いの姿も、今は近いので見えました。すばらしき法官ニーノ(ニーノ(ウゴリーノ)・デ・ヴィスコンティ(1269頃ー1296)。父はグエルフィ党の領袖ジョヴァンニ・ヴィスコンティ、母は代々ギベリーニ党を率いたウゴリーノ・デルラ・ゲラールデスカ伯爵の娘。サルディーニャ島ガルルラ州の法官であったが、1285年、祖父ウゴリーノ伯の要請でピサに赴き、当時グエルフィ党の手中にあった政府の長官となる。しかし、祖父のウゴリーノは、ギベリーニ党の勢力挽回にニーノをただ利用したに過ぎなかった。祖父に裏切られたニーノは、1288年7月ピサを脱出してグエルフィ党同盟に参加、再びギベリーニ党の天下となったピサを敵とし、1293年には同盟軍の総指揮官に。後ジェノヴァに赴いてその市民となり、同地からサルディーニャ島へ帰った。地獄第二十二曲に登場する修道士ゴミタを違法のかどで絞首刑にしたのはこの時点であろう。ニーノはまた、1288年ピサ脱出後、一時フィレンツェに滞在したが、その際ダンテと親交を結んだものと考えられる。生前の希望に従い、死後、その心臓はルッカに移され、サン・フランチェスコ聖堂に葬られた。地獄第二十二曲、第三十三曲参照)は、私の方に歩み寄り、私もニーノの方に行きました。罪人の間にではない所でニーノに会えたことは、何と嬉しかったことでしょう(この感慨は、ダンテが三界遍歴を終え現世へ帰ってからのもの。ダンテはニーノを在地獄の魂と予期していたのではない。地獄第六曲が示すように、生前有徳の者といえども死後の消息はまったく人間の憶測を越える。図らずもニーノを煉獄前域に見出したダンテの喜びは、それだけにまったく純粋)! これ以上はないほどの、再会の喜びの言葉を交わしあいました。そして、ニーノは言いました。「君は、テーヴェレの河口を天使に守られ船出して(煉獄へ来る魂の正常なコース)、この山のふもとに来てから、どのくらいの時間が経ちましたか?」私は答えました。「ああ、私は地獄の諸圏を後にして、今朝(1300年4月10日の朝)ここに着いたのです。私はまだ生きているのです。この旅で、天国における永遠の生命を得たいと思っているのです。」ニーノとソルデルロが私の言葉を聞いた時、二人ともビックリして私から後ずさりしました。聞いたことを信じられなかったからです。ソルデルロはウェルギリウス先生の方を振り向き、ニーノは、近くにいた魂の方を向き、叫びました。「クルラド(クルラド・マラスピーナ二世。ヴィルラフランカ侯爵フェデリゴ一世の子。後の方で「老」と呼ばれているクルラド・マラスピーナ一世の孫。1306年にダンテがその家の客となったルニジアーナのフランチェスキーノや地獄第二十四曲に出てくる「モロエルロ」とは従兄弟。1294年の秋か初冬に死んだ。『デカメロン』2の6でクルラドとその娘スピーナを登場させているボッカッチョによれば、ギベリーニ党員。オリエッタ・スピーナと結婚したが、1294年9月28日付の遺言書では、財産をすべて親族に分け、仲良く暮らすよう命じているのから推して、その時は娘スピーナを始め存命の子供はいなかったらしい)、立ちなさい! こちらへ来なさい! 神の恩寵がどのように行われたかを見なさい!」それからニーノは私に言いました。「人間には計り知れないほど深いみわざの源をお隠しになる神によって君に示された恵みにかけてお願いします。現世に帰ったら、ジョヴァンナ(ピサのニーノ・ヴィスコンティとベアトリーチェ・デステの間に、1291年頃生まれた娘。五、六歳の頃、教皇ボニファティウス八世により、グエルフィ党員ながら教会にもよく尽くした者の娘としてヴォルテルラ市の後見に委ねられたが、同市ギベリーニ党はそのすべての財産を没収した。フェルラーラやミラノで母と暮らした後、トレヴィーゾの領主リッファルド・ダ・カミーノと結婚したが、1312年、夫と死別後は貧困を極めたらしく、フィレンツェに住んでいた1323年には、父の功労により賜金の給付を受けている。没年は不明、しかし1339年にはもはや生きていない)に伝えてください。罪なき者の心からのお祈りは聞き入れられますから、私のために天に祈ってくれと。ジョヴァンナの母親(ベアトリーチェ。エステのオビッツォ二世(地獄第十二曲参照)の娘、アッツォ八世の妹。夫の死後、1300年6月、ミラノのガレアッツォ・ヴィスコンティと政略結婚して同市に住んだが、1302年、ヴィスコンティ家は政敵トリアニ家の操作でミラノから追放され、ガレアッツォは不遇の内に1328年死去。しかし子供のアッツォがミラノの旧領を回復したので、ベアトリーチェは再びミラノに帰り、1334年、同地で没した。ニーノが「我妻」と言わず「ジョヴァンナの母」と呼んでいるのには、再婚を非難する苦い心理の屈折があろう)は、再婚の身となってから、もはや私を愛していないでしょう。でも、ああかわいそうに! またその昔の日々を懐かしむでしょう(ガレアッツォと再婚後の、必ずしも幸福でなかった日々を悔やみ、ニーノの想い出に生きた寡婦時代を懐かしむ)。ベアトリーチェのことから、女性の心の中の愛の炎は、見つめたりさわったりして再び火をつけないと、長くは続かないということが分かるでしょう。戦場のミラノ人を導くまむし(ミラノのヴィスコンティ家の紋所は、赤いサラセン人を飲む青まむしであった)は、ガルルラの雄鳥(ピサのヴィスコンティ家の紋所。雄鳥はキリストと復活のシンボルともされている。ガルルラといったのは、ニーノが同地の法官であったため)ほどすばらしくはベアトリーチェのお墓を飾りません。」ニーノはこのように語り、心の中に燃える正しい熱い思いの印を姿で示しました。私の目は、星々が最もゆっくりと動く南極の空を見ていました。それは、車輪の中の、他の部分より車軸が一番ゆっくり動くのと同じです。すると先生はおっしゃいました。「息子よ、君は何を見ているのですか?」私は先生に答えました。「この南極を照らす、信・望・愛の神学的三徳をあらわす三星です。」すると先生は私におっしゃいました。「今朝君が見た四つの星(煉獄第一曲参照)は、今、煉獄山の下にあり、三つの星が上がってきたのですよ。」しかしその時、ソルデルロが先生の腕をつかんで言いました。「そこに私たちの敵がいます!」ソルデルロは私たちに見るようにと、指さしました。この小さな谷の囲いのない所に、一匹の蛇が動きました。エバに苦い果物を食べるよう勧めた蛇(煉獄第一曲参照。エバが悪魔の化身である蛇に誘惑された結果、人類は原罪の重荷に苦しみ、「罪の報いは死」であることを痛感する)ときっと同じ種類でしょう。時折頭をもたげ、背中を舐めながら体をつやつやさせて、草や花をかき分けて邪悪なしましま模様の蛇が近づきました。二人の天使が飛んだのは、私は見なかったので、語ることはできないのですが、降りてきた所はちゃんと見ました。緑の翼が空を羽ばたく音を聞くと、蛇は逃げました。二人の天使は回ってもとの場所に飛んで戻っていきました。ニーノに呼ばれて、ニーノのそばに来ていた魂(クルラド・マラスピーナ二世)は、この騒動の間も、ずっと私を見ていました。そして言いました。「あなたを導いて煉獄山頂の地上楽園へ登るのに必要な恩寵の光が、その光に必要な意志の力と結びついて、消えることがありませんように。もしあなたがヴァル・ディ・マグラ(マグラ川の流域。そのあたりに広く、マラスピーナ家の領土があった。地獄第二十四曲参照)か、そのあたりについての最新のニュースが分かれば、教えてください。なぜなら、私はそこで、偉い職に就いていたからです。私の名前はクルラド・マラスピーナです。でも、一世の方ではありません。その孫です。ここでは、家族が栄えることのみを願う、私の地上の愛を浄めているのです(門閥の誇りは煉獄で浄罪を受ける誇りの一つ。煉獄第十一曲参照)。」私は答えました。「ああ、私はあなたの治めていた所に行ったことがありません(ダンテは1306年にたぶん初めてマラスピーナ一族の領地ルニジアーナを訪れた)。でも、ヨーロッパ中の人が、あなたの輝かしい領地のことを聞いているでしょう。あなたのすばらしい家族の誉れとなっている名声は、領主も領地も大変褒め称えています。そこを訪れたことのない者もよく知っています。私は高い所に行こうと願っていますが、あなたのすばらしい一族が惜しみなく財産を衆に施し、剣をとれば勇武であるという家の誉れを傷つけることはないと、あなたに誓いましょう。修行によって身につけた美質と、生得の美質とに恵まれたあなたの一族は、教皇ボニファティウス八世が世界をどんなにねじ曲げても、邪な道には寄りつきません。」クルラド・マラスピーナは言いました。「覚えておいてください。今から七年経過しないうちに(フィレンツェを追われたダンテは、この時から七年経たぬ1306年に、流浪の身をルニジアーナのマラスピーナ家に寄せた。煉獄の魂達は、地獄の魂達と同様、未来の出来事の予見力を具えている)、あなたが私たち一族に対して抱く意見は、あなた自身の経験によって、ますます力強く確かめられます。もし神がお定めになったことが変わらなければ。」(2005年8月5日)(2005年9月29日更新)

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第九曲
東の空が白くなり、ティトノス(トロイアのラオメドンとストリューモの子。暁の女神エーオス(ローマ神話ではアウローラ)に愛せられ、二子の父となる。エーオスはティトノスのため不死をゼウスに願って許されたが、同時に永遠の青春のを乞い忘れたので、ティトノスは次第に老衰し、最後には声だけとなった。そこで、エーオスは彼を蝉に変えたという)の愛人(暁の女神エーオス。神話では、毎朝未明に夫ティトノスの臥所から起き、大海原を渡って天上へ登り、日の到来を告げ知らせる。しかしダンテはここでエーオスを太陽が出る前触れと見ず、月の出の前触れとしているように思われる)はティトノスの腕から離れ、エーオスの額は蠍座の星々が輝き、やがて時刻は午後8時半を少し過ぎました。その時生きている人間である私は、肉体を持っているので疲れてしまい、眠たくなってしまいました。ウェルギリウス先生、ソルデルロ、ニーノ、クルラドと、私の五人が座っていた草の上に、私は横たわりました。かつての悲しい思いを思い出しているツバメが悲しみの歌を歌い始める夜明け近い頃(ギリシア神話では、アテナイの女王ピロメラは、姉プロクネーが嫁して一子イテュスを儲けたトラキア王テレウスに欺かれ、死んでいないプロクネーを死んだと思い、テレウスの意のままに犯される。テレウスは悪事の露見を恐れ、ピロメラの舌を切ってものを言えなくしたが、妹の不幸を知ったプロクネーは妹のピロメラを探し出し、我が子イテュスを殺し、さらに煮てテレウスの食膳に供する。事実を告げられたテレウスは怒って二人を追うが、神々はプロクネーを夜鶯に、ピロメラをツバメに、テレウスをヤツガシラに変えたという。夜の白むのを待ちかねるかのように早々とツバメがさえずり始めるのは、我が身の不幸を忘れかねてのことか、との詩的発想)、私の心は肉体から離れて、思いにとらわれることなく、夢は預言の力を持ち(虚夢は真夜中の前に、正夢は後に見るものと古代・中世を通じて信じられ、その言及は古典文学に多い。且つ夜明け方の夢は預言の力をもつとされた。地獄第二十六曲参照)、私は夢の中で、金色の羽根の翼を広げ空高く飛ぶ鷹が、下降してくるのを見た気がします。ガニュメデス(トロイアのトロスとカリロエーの子、アイネイアスの祖先の一人アッサラコスの兄弟。人間の内最も美しい少年だったので、ゼウスの杯を捧げ持つ者として神々の間に座を占めるべく、ミュシアのイーデ山で仲間と狩猟中、鷹にさらわれて天に昇る)が、神々の集まりの席にさらわれていった時、友達から離されたミュシアのイーデ山に、私もいたような気がします。私は思いました。「鷹が獲物を捕るのは、このイーデ山だけなのだろうか? きっと、ここ以外のところで獲物を捕るのを潔しとしないのだろう。」夢の中で、鷹はしばらく旋回していましたが、雷のように恐ろしく降下して、私を襲い、火の圏(空気圏の上、月の圏の直下にあると、中古想像されていた火の圏)へと私を連れて行ったようでした。そこで鷹と私は焼かれたのです。夢の中の火はとても激しかったので、私は起きてしまいました。私が眠りから覚めた時、私はぼんやりしてしまって、恐ろしくて凍りついたように感じて、死人のように青ざめました。それはちょうど、次のようなことと同じでした。アキレウス(神話によれば、アキレウスは若き日ケンタウロス族の賢者ケイロンに育てられていたが、母テティスは、トロイア戦争に我が子の巻き込まれるのを恐れ、睡眠中スキューロス島へ運ぶ。この一節は、目を覚ましたアキレウスが未知の風光にとまどっている所。スタティウスの『アキレウス物語』1の247-250参照)は、眠っている内に、母テティスに抱かれてケイロン(地獄第十二曲参照)からスキューロス島へと連れ去られ、結局はオデュッセウスとディオメデス(地獄第二十六曲参照)によってスキューロス島から奪われたのですが、そのアキレウスが起きあがってボーッとして、周りを見回して、そこがどこなのか、またどこから自分がやってきたのか分からなかったということと同じです。私のそばには、私を安心させてくださるウェルギリウス先生だけでした。午前8時過ぎでした。私の目の前に広がるのは海でした(日の出後2時間以上。即ち復活節月曜日の午前8時すぎ。二詩人は煉獄山の東側にいる)。先生はおっしゃいました。「恐れてはいけませんよ。元気を出しなさい。うまくいっているのですから、尻込みせず、力の限りを出すのですよ。君は、煉獄に到着したのです。周りを囲む絶壁をご覧なさい。絶壁の裂け目が見えるでしょう、あれが門です。明け方に、君が谷間の花の上で眠っていた時、聖ルチーア(地獄第二曲参照)が訪れました。ルチーアは言いました。”私はルチーアです。いらっしゃい。眠っているこの人を連れて行かせてください。旅をもっと早く進めさせたいのです。”ソルデルロと他の魂達はその場に留まりました。ルチーアは君を腕に抱いて、明け方、ここに連れてきたのです。私はルチーアの後に従いました。ルチーアが君を降ろしました(聖ルチーアの神通力をもってしても、登りに2時間余を要した。冠と冠とを隔てる絶壁の高さが想像される)が、その美しい眼は(中世に流布した伝説によると、ルチーアは、貴族での一求婚者に、その美しい目を褒め称えられたので、即刻我が目をえぐり取った所、却って前よりも美しい目が入り、眼疾者の守護聖人として信仰されるに到ったという)、私に開かれた煉獄の門を示しました。そして、ルチーアも、君の眠りも去っていったのです。」初めは当惑していても、真実が明らかになると、元気づけられ、恐怖は自信に取って代わるものです。私の気持ちに起こったこともちょうどこれと同じ事です。そして、先生は、私が安心したのをご覧になると、私を後ろに連れて、上へ歩まれました。読者よ、私の詩のテーマがいかに高められたかおわかりでしょう! 繊細な技を凝らし、その偉大さに見合うようにがんばるので、驚かないでください。私たちは登っていき、門が見える所までやってきました。その門は、始め、壁の裂け目にしか見えませんでしたが。そして門には、それぞれ色の違う三段の階段があり、黙っている門番の天使が見えました。私はゆっくりと目を上げると、その天使は、一番上の階段に座っているのが見え、その顔はとても立派で(閉ざされた門扉は厳重に守護され、入り口も狭い。地獄の門の守衛もなく開いたままなのと著し対象を示す。地獄第八曲参照)、私は目をそらしてしまったほどです! 天使は剣を持ち、その剣に反射する光はとてもまぶしく、見ようとしても見えませんでした。その天使は私たちに言いました。「そこからお言いなさい。何をしたいのですか? 導き手はどなたですか(門衛の天使は、ダンテとウェルギリウスが、煉獄在住の魂でないことを承知している。だから守護者のありかを尋ねた)? ここに来たことを後悔するかも知れません。」先生はおっしゃいました。「少し前に、天国から、これらのことに詳しいルチーアが送られてきて、ルチーアは私に言いました。”門を見なさい。あそこに行かなければいけません。”」礼儀正しい門番の天使は答えました。「ルチーアの御加護がありますように。さあ、この階段へ進んでください。」私たちは階段の所にたどり着きました。初めの段は白い大理石(悔悛の第一段階、告解の表象。悔悛者はここで自分の心を映し出すだけでなく、罪状をありのままに認めて告白する)で、磨かれているのでツヤがあり、鏡のようで、私は自分の姿が映るのを見ました。二段目は濃紺より深く暗い色で、ごつごつした焼けた石でできていて、表面には縦に横にとヒビがたくさん入っていました(悔悛の第二段階、痛悔の表象。黒色は焼かれうちひしがれた心の暗さの、ひび割れはそのもろさの、徹底的な自覚を示す)。三段目は下の二段の上に横たわり、斑岩でできているようで、静脈から吹き出る血のように赤く、燃え立つようでした(悔悛の第三段階、贖罪の表象。斑岩の血の色は、罪の償いとして悔悛者自身が生命と愛とを惜しみなく噴出させていることの表象だけでなく、十字架上のキリストの血が、全人類の罪の贖いとして流されたことを示す)。この第三段目に、神の使いである天使が両足を載せていました。堅固な岩に見える閾(この閾は、まさしく煉獄の入り口であると共に、教会がその上に建てられる、きわめて堅固で、決してこわれない基盤でもある。マタイによる福音書16の18に、「あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。」とあるキリストの言葉参照)に座っていました。この三段を、先生はいそいそと私を引き上げてくださり、おっしゃいました。「さあ、鍵を開けてください、と謙虚にお願いしなさい。」天使のおみ足のもとへ、心から身を投げ、慈悲深く、私を中へ入れてください、とお願いしましたが、まず始めに、私は胸を三回打ちました(三度胸を打つのは、身・口・意三業の罪ゆえ。告解に際し、悔悛者は司祭の前で、「我が罪のため」「己の罪のため」「我が深重の罪のため」の三句を、一句ずつ唱えては胸を打つのが習いであった)。すると、天使は剣でもって、私の額に七つのPの文字(煉獄の七つの冠で一つずつ浄去されるべき七つの罪。Pは罪を意味するラテン語peccatumの頭文字)を記し、言いました。「ここに入ったら、心してこれらの文字を浄め去りなさい」灰や、掘り出して乾いた土と同じ色(謙抑をあらわす色)の衣を天使は着ていました。彼はその衣の下から二つの鍵(金の鍵は罪の許しの権能を神が教会に与えたことの表象。それが、「重要」なのは、キリストの受難と死によって償われたため。銀の鍵は、人間の心の中で十重二十重に固く絡まり合っている罪の結び目を、教会とその代表者が解きほぐすためのもの。従ってその操作には「知恵と技術が必要」。この二つの鍵の呼吸が合わなければ、告解の秘蹟による罪の赦しは成就しない)を取り出しました。一つの鍵は銀で、もう一つは金でした。始め銀のを、そして金の鍵を門に差し、私の願い通り門は開きました。天使は言いました。「この二つの鍵のどちらか一つでも、鍵穴の中でうまく回せなかったら、この門は開きません。片方はとても重要で、もう片方は鍵を開ける時知恵と技術が必要です、それで鍵の結び目を解くからです。私はペトロ(輪をあずかる守衛の天使は、ペトロの、即ちキリストの代理者)からこれをあずかったのです。ペトロは言いました。”あなたの足元にひれ伏すものがいれば、鍵をなるべく渡してあげなさい。”」そして、聖なる門の扉を開き、天使は私たちに言いました。「入りなさい。でも、まず注意しておきますが、後ろを振り向くことは(創世記19の17、天使達がロトに「後ろを振り返るな」と命じたこと、またルカによる福音書9の62のイエスの言葉、「鋤きに手をかけてから後ろを顧みる者は、神の国にふさわしくない。」が踏まえられている)、再び門の外に追いやられるということですから。」重い金属製の聖なる門が、鳴り響きながらゆっくり回転しました。用心深いメテルロを奪われた時のタルペーア(ローマにあった岩山の名。その上に建てられたサトゥルヌスの神殿に、ローマの財宝が収納されていたのを、前49年、ユリウス・カエサルが略奪した。ポンペイユスに信服する護民官メテルロ(クィントゥス・カエキリウス・メテルス)これを阻止したが及ばず、轟然たる響きと共に宝蔵の扉は開かれ、タルペーア、即ちローマの財宝は、「やせ細る」事となった。ルカヌスの『パルサリア』3の168は、「この時初めてローマは一カエサルよりも貧しくなった」と歌っている)は、このためにその財宝はやせ細ることになったのですが、その時のタルペーアの叫び声の大きさやすさまじさも、この時の門の音に比べたらどうということはありません。そして私は、門が開く響きに(『パルサリア』3の154-155に、「タルペーアの岩鳴りとどろき、ものの高くきしむ音、扉の開きたるを告ぐ」とあるのに拠った。ダンテはそれまで天使に顔を向けていたが、この時、全注意を扉の開く響き、「うるわしい音楽」に集中する)顔を向けたのですが、そのうるわしい音楽にあわせて、歌声が聞こえました。「おん身を神とたたえまつる」(西方教会で用いられる有名な讃美歌の起句。アウグスティヌス受洗のみぎり、感激のあまり聖アンブロシウスと即席に歌いかわしたものと信じられていたが、最近では五世紀の初めニケタスの作った物とする説が有力)。この音のハーモニーは、教会で、オルガンに合わせて人々が歌うのに似ていました。時々歌詞が聞こえたり、聞こえなかったり、という所が似ていました。(2005年8月6日)(2005年9月29日更新)

にくちゃんメモ:煉獄の門である、ペトロの門を通ります。(2005年8月16日)

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第十曲
曲がった道がまっすぐに見えるような、よこしまな愛(煉獄第十七曲で、ウェルギリウスによって語られるように、ダンテは、すべての行為は愛から発すると考えた。愛がよこしまであれば、曲は直と思い違えられ、人は罪を犯して多くは地獄に堕ち、煉獄の門に入る魂はきわめてまれという結果を招く)をもつ魂達には永遠に閉ざされている門の閾を、私たちが越えた時、私は門が鳴り響きながら閉まる音を聞きました。もし門の方を振り返っていたら、私の間違いをどう説明できましょう(煉獄第九曲参照)? そして私たちは、岩の狭い裂け目を登っていきましたが、その道はジグザグで(煉獄第四曲参照)、寄せては返す波のようでした。先生はお話しを始められました。「さあ、ここが私たちの知恵を使わなければならない所ですよ。道がカーブしているので、カーブの外側の方を歩いていきましょう。」そのために、私たちはチョコチョコと歩かなければならず、月がかけ始め寝床に就こうとした(地獄第二十曲に「昨晩月は既に丸かった」とあり、1300年4月7日木曜日の夜が満月なら、それから3日半経過したこの時点、約3時間の遅れが出ているはず。従って、月が「寝床に就く」(沈んだ)のは日の出数時間後であり、二詩人が「岩の裂け目」を登り終えたのは午前9時過ぎであったと推定される)後、ようやく針の目(地獄の門が広く、開け放たれているのに対し、煉獄の門は厳重に守られ、入ってからもなお「針の目」のように細く険しい登り道が続く。マタイによる福音書7の13-14、「狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、その道も広々として、そこから入る者が多い。しかし、命に通じる門はなんと狭く、その道も細いことか。それを見いだす者は少ない。」や、19の24、「金持ちが神の国にはいるよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい。」参照)からぬけられました。私たちがまた、山から抜け出し、広々とした所に出た時、私たちは荒れ果てた道より寂しい平らな場所に足を止めました。私は疲れてしまったし、それに私たちの二人とも、道が分からなくなってしまったのです。海を見下ろす冠の外縁から垂直にそそり立つ崖の縁、つまり冠の内側までの幅は、人間の身長の三倍ありました。私の目の届く限りでは、右を見ても左を見ても、この台地はそのような感じでした。そして、まだ歩み始める前に、その台地に立っていると、内側の崖は垂直なので、登ることができないことが分かったのです。その絶壁は白い大理石でできていて、その非の打ち所のない表面にはポリュクレイトス(前452-前412年頃活躍したギリシアの彫刻家。大彫刻家フェイディアスと同時代人で、共にアリストテレスやトマス・アクィナスに「賢明」と褒め称えられている。頭部や手の長さを基準にして人体の均整率を算出し、それに基づく理想の人体美をブロンズや大理石で表現した)だけでなく、自然(地獄第十一曲「人間の技は、自然を手本にしているのです。弟子が師匠に対するように、人間の技は神の孫に対するようなものです」とある通り、自然が技を振るうに際して永遠の理想とするのは神であり、人間はさらにその自然を師として手本とする(人間の技は神の孫)。今ここに展示されている彫り物は神自身の手になるので、自然の、まして人間の作品と比べるべくもないのは当然)も、恥ずかしくなってしまうほど見事に彫られていました。長い間、泣きながら求められていて、長い間禁じられてきたのが解かれて、天国が開かれた平和の知らせを地上にもたらした天使ガブリエル(処女マリアに托身を告げる天使ガブリエル。ルカによる福音書1の26-38参照)がありました。生き生きした姿で、優美に彫られていて、言葉をしゃべり出しそうな彫像でした。天使ガブリエルは「おめでとう!」と言っているに違いありません。なぜなら、至高の愛を私たちに開いた鍵を回したマリア(「威厳のある謙遜を表しているこれらの彫刻」の最初にマリアが置かれているのは、「へりくだり」が煉獄を貫くパターンであることを示す。そして七つの冠で行われる諸徳の模範には、いつもマリアが首位に立つ)の姿もそこに彫られていたからです。マリアの彫像の外側には「わたしは主のはしためです。(天使へのマリアの言葉。ルカによる福音書1の38参照)」の言葉が彫られていて、それは、ロウに印が押されたかのように鮮やかでした。優しいウェルギリウス先生は、先生の左側に立っていた私におっしゃいました。「なぜ君は他の部分も同じように見ないのですか?」そして私はマリアの彫像から目を離し、私を促した右側にいられる先生の方を見ました。そこには別の物語が岩に彫られていました。私はウェルギリウス先生の前を横切って、その物語がよく見えるように近寄りました。そこの大理石に彫られていたのは、聖なる箱をひく車と牡牛(サムエル記下の6の1-10に出ている話。王ダビデはイスラエルの精鋭三万を集め、丘の上にあるアビナダブの家から、「聖なる箱」(神がモーセに命じて作られた契約の箱)を、適当な場所に移すべく新しい車に乗せて運び出した。アビナダブの子ウザが車を御し、アフヨは箱の前を歩く。一同歓呼の中を、ナコンの麦打ち場まで来た時、車を引く牛がつまずき、箱がひっくり返りそうになったので、ウザは手を伸ばし、箱を押さえた。すると、主の怒りがウザに向かって燃えあがり、その父兄の罪ゆえに、ウザはその場で打ちのめされ、死んだ。ダビデは主を恐れ、その日神の箱を我が町へ移さず、ガテ人オベデ・エドムの家に安置した)でした。この物語によって、人は、自分にまかせられたことより他の事はしないと注意を喚起させられます(まかせられてもいないのに、ウザが神の箱に手を触れ、死んだこと)。その前に、七つの聖歌隊(ウルガタ(ラテン語訳聖書)による)が別れていて、その歌う様が真に迫っているので、耳では歌は聞こえませんが、目では、歌っている、と見えました。同じように、そこに彫られた香炉の煙も、鼻では臭いませんでしたが、目では香りが漂ってくるように見えました。聖なる箱の向こう側に、謙虚な詩篇の作者(詩篇の多くの作者とされるイスラエル第二代の王ダビデ)が衣をたくし上げて踊っていて(サムエル記下の6の11-23。ガテ人オベデ・エドムの家に三ヶ月留まった神の箱は、ダビデの町へ運ばれることとなった。その日ダビデは、喜びのあまり、イスラエルの全家と共に、歓声を上げ、角笛を吹き鳴らし、主の箱の前で跳ねたり踊ったりした。それを宮殿の窓から見ていた王妃(サウルの娘ミカル)は心の中で蔑み、帰還したダビデに、イスラエルの王たる者が、恥ずかしげも無く家来のはしための前で裸になり、よくも歌い踊ったと嫌みを言う。ダビデは答えた。「そなたの父や、またその全家よりも、私を選んで主の民イスラエルの君主とされた主の前なれば、私は喜び踊る。私はもっと辱められよう。そなたの目に卑しく見えても、そなたの言うはしため達にこそ、私は敬われたい。」)、神の前にあるダビデは、民衆と共に喜び踊るほど謙抑なのだから、その様は王者以上だけれども、人間の目には、王に相応しくないはしたなさと映ったので王者以下のようにも見えました。反対側にはミカル(王妃ミカル。サムエル記の筆者は、あたかも神の祝福がなかったかのように、「サウルの娘ミカルには死ぬまで子供が生まれなかった」と記している)が彫られていました。宮殿の窓から見下ろしていて、その彫られたミカルの顔は、悲しみと蔑みを現していました。私は、ミカルの向こう側の、白い大理石に彫られた他の物語を見てみようと、そこから場所を移しました。グレゴーリオ(ローマ教皇グレゴリウス一世(在位590-604)。ローマ貴族の出。市の知事も務めたが、後ベネディクト会修士となる。選ばれて教皇の座に就くと、異教の諸民族にキリストの福音を広めて乱世の混乱に秩序あらしめ、内部に対しては教会の綱紀を厳しくし、聖歌の改修(いわゆるグレゴリオ聖歌)、アウグスティヌスの伝統に立つ文学的著作の試みなど、大教皇と呼ばれるに相応しい数々の事跡があった。中世に広く行われた伝説によると、最後の遠征からの帰途キリキアのセリヌスで死去し、地獄に堕ちていたトラヤヌス皇帝は、グレゴリウス大教皇のとりなしの祈りにより、蘇って悔悛の機会を与えられたという)の心を動かして大勝利(死と堕地獄に対しての)を得ることになったローマの皇帝トライアーノ(ローマ皇帝マルクス・ウルピウス・トラヤヌス(在位98-117)。スペイン出身。97年、ネルウァ帝の養子となり、翌年帝の死後即位。軍事に長じ生涯には幾度か遠征を行い、その統治下、ローマ帝国は最大の版図を誇り、内政でも治水・運輸に意を用いたほか、救貧制度を拡充するなど、明君の誉れ高かった。ここに登場する逸話は、九世紀に助祭ヨハネスの書いた『聖グレゴリウス大教皇伝』に初出するが、ダンテは、誤ってブルネット・ラティーニの編とされた『哲学詞華集』の所伝を忠実に踏襲している)の物語でした。一人の憐れな寡婦が悲しみに暮れて、泣きながら皇帝の馬勒にとりすがっていました(トラヤヌスは、遠征の一つに旅立とうとして、部下の精鋭達と馬首を立てていた)。皇帝のまわりには馬にまたがった騎士でいっぱいで、ローマ帝国の旗印である鷹の金地の旗がはためいていました。このようにたくさんの人や馬に囲まれて、憐れな寡婦はこう言っているようでした。「皇帝よ、殺された息子(この息子は罪無くして殺された)の仇を討ってください。私の心は悲しみに張り裂けそうです。」すると、皇帝はこう答えているようでした。「私が遠征から帰るまで待っていなさい。」悲しみのあまりおかしくなってしまった人のように、その寡婦は、「でも、皇帝よ、もしあなたがお戻りにならなかったら?」すると皇帝は、「私の代わりのものが、あなたとの約束を果たすでしょう。」すると寡婦は、「あなたが成すべき善行を思わなければ、他の人が善行を行ったとしても、あなたに何の関係があるのですか?」すると皇帝は、「安心しなさい。私は私が出発する前に、今、私の責務を果たさなければならないことが分かりました。正義によってするのです。慈悲の心が私をここに止めるのです。」新しい物をご覧にならない神(永遠の相において万物を見るその眼には、新しいとか古いとかの時間的差別は存在しない)は、このように目に見える会話をお造りになったのです。私たちにとっては、現世でこのような物がないのがフシギです。私はそこに立って、それを作られた神ゆえに、見るのが貴い、威厳のある謙遜を表しているこれらの彫刻を見て楽しんでいました。すると、先生が私にささやきました。「後ろをご覧なさい、魂達がゆっくりとこちらへ近づいてきますよ。彼らは高い階段に導いてくれるでしょう。」いつも新しい光景を見たがっている私の目は、目の前の彫刻に見とれていたのですが、私はすぐに先生の方に目を向けました。しかし、読者よ、どんなに神が負い目に対する償いを望んでも、罪の贖いをしようという気持ちを捨てないでください。罰について考えないでください。天国での永遠の至福を考えてください。最悪でも最後の審判ではどのような刑罰も取りやめになることを覚えておいてください。私は言いました。「先生、あちらで、私たちの方に近づいてくるのは、魂のようには見えません。なんだか全然分かりません。私の目はわけがわからなくなっています。」先生はお答えになりました。「悲痛な罰を受けるあまり、体を二つに曲げて地面を見ているのです。私の目も、何を見ているのか分かりませんでしたよ。石の重さの下で身を動かす者たちをよく見てご覧なさい。君はもう、彼らが胸を打っている(高慢の罪を犯したものの魂は、悔悛・従順・謙抑の身業として己の胸を打つ)のが分かりましたか?」ああ、高慢なキリスト者よ(今世に生きている罪深い人類一般への呼びかけ)、不幸な怠慢な魂よ、心の目が見えていないので、後ろ向きに歩む(高慢者は、己の過去のあれこれを誇りたがるので、その行歩は後ろへ向けられる)者よ、私たちは、無防備にも最後の審判へ向かって飛ぶ、天使のような蝶になるために生まれた虫のような存在であることが、あなた方には分からないのですか? なぜあなた方の心は、うぬぼれがとても強いのですか? あなた方はまだ、完全に発達していない、欠点の多い虫(ヨブ記25の6、詩篇22の7参照)のような者なのに。屋根や天上の重さを支える受け材が、胸を膝につけた人の形に作られることがあります(中世の建造物によく見られる工夫)。非現実の苦しみが、現実の苦痛を見る人に与えることがあります。これらの魂が現れた時、そのように私は感じました。背中を押しつぶしている重さは様々で、ある者はとても重そうですが、ある者はそれほど重くもなさそうでした。でも、ほとんどの魂が涙を流してこう言っているようでした。「もう耐えられません!」(2005年8月7日)(2005年9月29日更新)

にくちゃんメモ:煉獄の門が閉まり、第一冠へ行きます。高慢者の魂がやってきます。(2005年8月7日)

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第十一曲
「ああ、天におられるわたしたちの父よ(マタイによる福音書6の9-13参照)、居場所が強いられることのない(その場所が地上に局限されている人類とは異なり、時間と空間を超越した絶対者・神はいつでも思いのままの場所にあることができるから)、最初に作られた天使と諸々の天を愛するために天にいられます神よ(これについては、ダンテが精通していたトマス・アクィナスの『神学大全』一に詳しい説明がある)、神によって作られた物は感謝するにふさわしいですから、御名が崇められますように。御心が行われますように。御国の平和を私たちにもたらしてください。そうでなければ、私たちではどんなに努力しても手に入れることができないのです。神の天使達が、「助け給え」を歌いながら、私心を捨てて神意に服従するように、人にもそうさせてください。神よ、私たちに必要な糧を今日与えてください。そうでないと、このつらい荒野を(煉獄前域で末魂にとっても、本域で気の遠くなるほどの長い年月、浄罪行を繰り返す魂にとっても、自己の住処は「つらい荒野」であろう。この三行句は、時には糧にありついて四十年間荒野を流浪したイスラエル人の記録、出エジプト記を踏まえている)前に進もうとしている者も、後戻りしないといけないからです。つまり、神の恩に拠らなければ、罪を浄めることはできないのです。私たちを害する者を私たちが許すように、神よ、私たちの功徳はとても少ないので罪を贖うのに足らないので、どうぞ憐れみをもって、私たちをお許しください。私たちはとても弱いので、悪魔(煉獄第八曲参照)の試みににあわせず、悪魔をそそのかす者から私たちをお救いください。この最後のお願いは、愛する神よ、私たちのために願っているのではありません。私たちには必要がないのですから。煉獄前域の魂、並びに地上の生者達のためにお願いしているのです。」このようにして、自分たちと私たちのために、私たちが夢魔に襲われた時に感じる重圧感(『アエネイス』12の908-912参照)に腰を折ってゆっくりと動く魂達はお祈りしました。神によって、それぞれ重荷の違う荷物を背負わされて、その魂達は、傲慢の罪を浄めつつ、第一の台地をつらそうに進みました。その魂達が、そこで、私たちのためにお祈りをしてくれるのなら、現世にあって、その意志が隣人愛(カリタス)と一体になり恩寵の内に生きるキリスト者たちが、彼らのために何ができましょう? 私たちは、本当に、彼らが重荷もなく、清らかな至高天に登れるように、彼らが現世から身につけてきた罪の汚れを浄めるのを助けなければなりません。先生がおっしゃいました。「神の正義と慈悲があなた方の重荷を取り去って、翼を広げてあなた方の望む天に昇れることを願います。第一冠から第二冠へ通じる階段への近道をどうしたら見つけられるか、教えてください。もし行き方がいくつもあるのなら、登るのが一番簡単な道へ導いてください。ここに私と一緒にいる者は、魂ではなく、まだ生きている人間なので、重さがあるのです。アダムの肉体を着ているので、気持ちははやるのに、登るのは遅いのですよ。」魂達の内の一人が話し始めましたが、私にはそれが誰なのかは分かりませんでした。「私たちと一緒に、この岸を右に行けば、生きている人でも登れる道があります。私の傲慢な首の動きを妨げ、ずっと顔を地面に向けていなければならない、この石がなかったら、名前も知らないその生きている人が、私の知り合いかどうか見て、この重荷を背負う私が憐れと思わせるのに。私はイタリア人で、トスカーナの偉人の息子です。グイリエルモ・アルドブランデスコ(シエナのマレンマ地方に領地があり、トスカーナで権力を振るったサンタフィオラ伯爵。終始シエナ市民と戦い、1227年にはシエナに六ヶ月間幽閉されたこともある。代々ギベリーニ党に属したが、シエナ市民憎さに家憲を捨て、フィレンツェやトスカーナのグエルフィ党と通謀した。1254年、フィレンツェとシエナの間に締結された平和条約に参加後、まもなく死んだ。煉獄第六曲参照)が父の名前です。きっとあなたたちは聞いたことがないでしょう。私の先祖の古い血筋と、勇敢な行いの数々によって、私は傲慢になり、人は皆死んで母なる大地に帰るということ(外典の一つシラ書40の1に言う。「つらい労苦は、人間だれしも避けられないもの。重い軛がアダムの子孫にのしかかっている。母の胎を出た日から、万物の母なる大地のもとへと戻るその日まで。」)を忘れてしまいました。私はすべての人々をひどく蔑んだので、私は死んだのです。それは、シエナ人や、カンパニャティーコ(シエナのマレンマ地方を流れるオンブローネ川流域の村。その丘の上に同名の城があり、十世紀から十三世紀の末まで、サンタフィオラ伯爵アルドブランデスキ家の数ある城の中でも要害の聞こえが高かった)では子供でも知っていることです。私はオンベルト(グイリエルモの第二子、カンパニャティーコ城主。アルドブランデスキ家と久しく抗争したシエナ市民軍の手で、1259年五月、居城の近くで殺害された。一節に拠れば、シエナ側刺客の手で、就寝中喉を絞められて死んだという)です。高慢の罪によって、私自身のみならず、私の家族も破滅させられたのです。私が生きている間には拒んだこの重みを、神が満足されるまで、死んだ今になって背負うのです。」オンベルトの話を聞いて、私は、傲慢の罪深さが思い知られて、頭を垂れました。そして、オンベルトではない他の誰かが、重荷の下で身をよじり、私の顔を見て、私のことが分かり、これらの魂達と一緒に、私も背を曲げて歩いていると、目を懸命に私に向けて、呼びかけました。そして私は言いました。「ああ! あなたはオデリジ(オデリジ・ダ・グッピオ。父は、グイド・ダ・グッピオ。イタリアの細密画家、彩飾師。しかしダンテのこの箇所以外、彼について伝えた記事は少なく、著名なイタリア美術家の伝記を書いたヴァザーリ(1511-1574)も、オデリジがジオットの友人であったこと、オデリジとボローニャのフランコは共に教皇ボニファティウス八世の求めで教皇庁図書館の諸写本彩飾に従ったこと、フランコの方が画家として決定的に優れていたこと、等を記すに留まる。その後の調査で、生まれは1240年頃であり、1268年とその翌年、さらに1271年にはボローニャに滞在し、同地のランベルタッツィ家一員の依頼で聖歌集約80ページの彩飾に従ったことが判明。1295年からローマに在り、遅くとも1299年に同地で死んだと推定される。ここのダンテとの問答により、1300年には故人であったことは確実。天下無双の画人を以て自任していたらしく、ダンテはわざと誉めあげ、今の境涯での反応をテストしたと考えられる)に違いありません。グッピオ(中部イタリアの山地にある町。ファブリアノにほど近い)の誉れ、パリで人々が細密画と呼ぶ技法の誉れです。」オデリジは言いました。「兄弟よ(親愛感を表す呼びかけ。特に道徳的なニュアンスの内容を導入する際にしばしば用いられる。煉獄第十六曲参照)、ボローニャ人フランコ(この時点(1300年4月)では在生中なのが、文脈から推測される)が描いたページは、もっと嬉しそうにほほえみます(細密画や書写本彩飾では、光沢のある顔料を選んで互いに映発させるので、「ほほえむ」はちょうどよい形容)。今では、フランコこそが誉れで、私はずっと劣っています。生前、フランコを超えようと、私はフランコに対して無礼であったことを認めなければなりません。そのような高慢に対する代償がここで支払われるのです。もし私が、生前、罪を犯すことができた時、神に悔い改めをしなかったら、ここにはいなかったでしょう(煉獄第四曲に登場するベラックァ同様、煉獄前域に留まっていたであろう)。ああ、人の力を誇るのは虚しいです! もっと成長する次の季節がやってきたら、大きな枝から緑が消えていくのはなんて素早いのでしょう(多くの場合、優れた芸術家の輩出した時代の次には、芸術の頽廃現象が見られ、先代の死後に残る栄光や名誉が残る。この辺り、ダンテは聖書の次の箇所を念頭に置いて書いたと考えられる。「肉なる者は皆、草に等しい。永らえても、すべては野の花のようなもの。」(イザヤ書40の6)。「朝が来れば、人は草のように移ろいます。朝が来れば花を咲かせ、やがて移ろい、夕べにはしおれ、枯れて行きます。」(詩篇90の5-6)。「枝先に揺れる葉も、散ってはまた芽生え出る。血と肉である人間の世代も、ひとつが終われば、他のものが生まれる。」(外典シラ書14の18))! チマブエ(ジョヴァンニ・チマブエ(1240頃ー1302頃)。ジオットの師。ジオット以前では、フィレンツェを代表する最大の画家、またイタリア・ビザンティン画風の伝統洋式を守った最後の人。ローマ、アッシジ、フィレンツェ、ピサ等で制作した)は画家として確たる位置を保とうとしましたが、ジオット(ジオット・ディ・ボンドーネ(1266頃ー1337)。イタリアの画家。チマブエの弟子であるが、師に見られる中世イタリア・ビザンティン画風の固さから脱して、イタリア・ルネサンスを開花させた、いわゆるフィレンツェ派の基礎を築く。同時代人ダンテとは終生の友)が今や大流行で、チマブエの栄光はかすんでしまっています。同じように、今や、グイド・カヴァルカンティ(地獄第十曲参照)がグイド・ギニッツェルリ((1235頃ー1276頃)。ボローニャの名門の出自。ダンテ以前のイタリア詩人中、最も輝かしい存在。1270年にはカステルフランコの司法長官を務めたが、1274年、ギベリーニ党のランベルタッツィ一族がボローニャから追放されるや、同じ等に属するグイド一族も故郷を追われた。彼の身を寄せた先は不明であるが、恐らくヴェローナであり、そこで死んだと推定される。煉獄第二十六曲参照)から詩人としての栄光の座を奪っています。そしてきっと、もう、画家ではジオットを、詩人ではグイド・カヴァルカンティをしのぐ者が生まれてきています。俗世の名声は、風の一吹きのように、こちらに吹いたかと思えば、あちらへ吹き、所によって名前も変わります。ベビーベッドの中で片言をしゃべっているうちに死ぬということが無く、天寿を全うするまで生きたとしても、千年経たないうちに世の中から忘れ去られてしまうものです。千年? 恒星天(ダンテの時代の天文学では、これが西から東へ一回転(歳差運動)するのに36000年を要するとされていた)のゆっくりとした回り方に比べれば、千年なんて瞬きする時間のようなものです。私の前をのろのろ進む者(プロヴェンツァン・サルヴァーニ。1220年頃シエナに生まれる。ギベリーニ党に属する名門の出で、1247年頃から華々しく政治活動を始めた。1260年9月4日のモンタペルティの戦いの後、シエナの実権を握り、フィレンツェ取りつぶしを企てたが、ファリナータに阻まれて失敗(地獄第十曲参照)、1266年2月のベネヴェントの決戦(地獄第二十八曲参照)以後、彼の勢力はギベリーニ党全体の退潮と共に弱まり、1269年六月十七日、コルレでフィレンツェ市民軍と闘った際、捕虜となり、首をはねられ死んだ)が見えますね? 彼はトスカーナ中にその名前を知られていましたが、今ではシエナでその名前をささやかれることもほとんど無いほどです。今は売春婦のようですが、かつてはおごり高ぶっていたフィレンツェの怒り狂った攻撃を消滅させた(モンタペルティで大敗を喫した事への言及)ころ、彼はシエナ(シエナはもともと共和制を敷いていたのに、プロヴェンツァンは同市のほとんど独裁者となり、トスカーナの全ギベリーニ党員は、彼を党首と仰いだ)を治めていたのに。世俗の名声は草の緑色のようなものです。草の緑色は太陽と季節によって変わります。人間の地上の名声も、時の経過の影響を被るのです。」そして私はオデリジに言いました。「あなたのおっしゃることは真実です。私の心は謙虚にさせられます。あなたの言葉は私の中でふくらんでいた自尊心を小さくしてくれました。でも、あなたが今話していた人はどなたですか?」オデリジは言いました。「プロヴェンツァン・サルヴァーニです。彼がここにいるのは、図々しくも、シエナ全体を手中に収めようとしたからです。ですから、プロヴェンツァンは死んでからずっと、休むことなく、のろのろ動いてるのです。現世でうぬぼれていた人は、ここで、重荷を負って歩く苦行をしなければいけないのです。」そして私は言いました。「死ぬまでに悔い改めなかった魂は皆、祈りによって助けられなければ、現世に生きた時間だけ、煉獄前域にいなければならないというのが本当なら、プロヴェンツァンは、どのようにしてここへ来れたのでしょう?」オデリジは言いました。「プロヴェンツァンが、最高の栄誉の内にあった時、彼は自分の意志で、一切の恥を捨てて、シエナの市場に留まり、シャルル(タリアコッツォの戦い(地獄第二十八曲参照)で、ナポリ王シャルル一世がプロヴェンツァンの友コンラディンを捕虜にして、フィレンツェ金貨一万枚を短い期限付き身代金として要求した時、プロヴェンツァンは粗衣に身を包み、シエナの広場で柔和に市民が進んで金銭や物品を差し出すことを乞うた。平素は尊大な独裁者の、このへりくだった行為に市民は感動し、期限内に身代金は調達されたという)の獄につながれていた友達を苦しみから救おうと、静脈が氷るほどのことをしたのです。私はこれ以上は言いません。私の言葉が曖昧なのは(「静脈が氷るほどのこと」を指す。なぜ氷るかの理由を明示せず、ほのめかすに止めたので)、私は分かっています。でも、あなたの隣人であるフィレンツェの市民(ダンテがフィレンツェを永久追放され、他郷に人の憐れみを乞わねばならぬ時が来て、初めてこの言葉の真意は分かろう、とオデリジは預言しているのである)が、今からそう遠くないいつか、私の言っていることを解き明かしてくれるでしょう。プロヴェンツァンがここに来れたのは、彼のそのような行いからだったのです。」(2005年8月8日)(2005年9月29日更新)

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第十二曲
私の優しい先生が許してくださる間、くびきをかけられて牡牛が歩むように、重荷を背負った魂と私は歩みました。でも、先生が「さあ、彼を残して、進みましょう。ここは、全力を尽くして、帆とオールを操って船を進めるべきだからですよ。」とおっしゃった時、私は普通に歩くように身を起こしました。しかし、体は直立させたものの、傲慢の恐ろしさを知って心は沈んでいました。でも、私は、先生の足跡を追って、喜んで歩みました。私たち二人は、足取りの軽いのを誇りたいほどでした。その時、先生は私におっしゃいました。「さあ、下をご覧なさい。足の下の石の道を見れば、君はきっと喜ぶでしょうし、旅もより楽になるでしょう。」教会の床にしばしば見られるお墓に、そのお墓に葬られている人の人生を彫り込んであることがあります。その亡くなった人を思い出して、涙を流す人がよくいます。ちょうどそのように、私は、山から突き出て道になっている所に彫ってある石を見ました。その技の巧みなのは比べることができないほどでした。私は見ました。片方に、いかなる被造物より高貴なルチフェル(天使の序列では最高のセラフィム中、わけても最高であったセラフ。六枚の翼を持つ(地獄第三十四曲参照))が、電光のように天の高い所から墜ちてくるのを(ルカによる福音書10の18に、イエスの言葉として、「わたしは、サタンが稲妻のように天から墜ちるのを見ていた。」とある。イザヤ書14の12、地獄第三十四曲参照)見ました。私は見ました。ブリアレオス(地獄第三十一曲参照。聖書の人物を非聖書の人物と照応させる原則に基づき、サタンに対置した)がもう片方にいて、天の雷に貫かれ、冷たい死体になって地面に重く横たわるのを見ました。私は見ました。ティンブラエウス(ギリシア神話のアポロンの別名。トロイアのティンブラに、アポロンを祀る有名な神殿があったことに由来する。ダンテの愛読したスタティウスの『テーバイ物語』やウェルギリウスの諸作品では、アポロンはこの名で頻出)を、私は見ました。パラス(ギリシア神話で、女神アテナの別名の一つ。ローマ神話では、ミネルウァと同一視)とマルス(ローマ神話の軍人マルス。ギリシア神話のアレースと同一視される)がいまだに武装していて、父であるゼウスのまわりに集まり、オリュンポスの神々に戦いを挑んだ巨人達が、プレグラの野でゼウスの雷にさんざんの敗北を喫した光景を見下ろしているのを見ました。私は見ました。力強いニムロデ(地獄第三十一曲参照)がバベルの塔のそばに呆然と立ちつくし、シヌアル(ティグリス、エウフラテス両川岸の南部沖積平野地方、バビロニアの古名、シヌアル。ここにニムロデとその仲間は、町を作り、頂上が天に届く塔を建て、神に勝ろうと企てた。創世記11の1ー9参照)で傲慢な夢物語を共にした人々を見つめているのを見ました。おお、ニオベ(ギリシア神話のタンタロスとディオーネの娘、テーバイ王アンピオンの妻。七男七女を生み、わずかアポロンとアルテミス二児の母に過ぎない女神レトに勝ると揚言したので、レトは怒り、アポロンにニオベの七男子をアルテミスに七女子を射殺させた。ニオベは悲しみのあまりシピュロン山の石と化し、今もその石から涙が流れ出ているという)よ、私は見ました。あなたの悲しむ目を。あなたは道に彫られた、殺された七人の息子と七人の娘の間で、彫られた目からも涙を流していました。おお、サウル(イスラエル最初の王。ベンヤミン族の富農キシュの子。サムエルによって油を注がれ王となり、隣接のペリシテ、アンモン、アマレク等の諸民族を征服したが、神命に背く不遜の言葉があり、結局、ペリシテ人とギルボアで闘って敗れ、白羽の上にうつぶせに倒れ、壮烈な死を遂げた。その生涯はサムエル記上の9-31に詳しく記されている)よ、自分の剣に突き刺され、その時から雨も露も感じなかったギルボア山(サマリアにある山。「雨も露も感じなかった」とは、王サウルの死を悼んだダビデの嘆き、「ギルボアの山々よ、いけにえを求めた野よ、おまえ達の上には露も結ぶな、雨も降るな。」(サムエル記下の1の21)を踏まえている)で死んだのがここで見れます。おお、狂ったアラクネー(地獄第十七曲参照)よ、私にはそこにあなたが見えます。体の半分を蜘蛛に変えられ、怒った女神アテナが引き裂いた織物の切れ端の上に哀れな姿をさらすのを見ました。おお、レハブアム(イスラエルの王ソロモンと、アモンの王女ナアマとの間に生まれた子。四十一歳で父の跡を継いで、王となったが、ソロモン王の重税を軽減するよう願い出た民の要求に傲然として耳を傾けなかったので、十二の部族の内十部族はレハブアムに叛き、ヤロブアムを立てて彼らの王とした。レハブアムは役務長官アドラムを使わして威嚇したが、全イスラエルは彼を石で打ち殺したので、レハブアムは命からがら戦車に乗り込み、イエルサレムに逃亡した。ここはそのことへの言及。列王記上12の18参照)よ、ここに彫られたあなたの姿は、全く恐ろしさ(イスラエルの民に対する)を感じられません。恐れに打ちのめされて戦車に乗って逃げていますが、誰も追ってきません。そこには描かれていました。固い敷石はまた、不吉な首飾りがいかに高くつくかを、アルクマイオン(アルゴスの英雄で預言もできるアンピアラオスとエリピュレーの子。アルゴスの王アドラストスの企てたテーベ遠征に参加すれば死ぬと分かっていたアンピアラオスは、難を逃れるため身を隠したが、妻のエリピュレーはポリュネイケスの贈ったハルモニアの首飾りに目がくらみ、夫の居場所を教え、結局夫は七将軍の一人としてテーベに赴き、死ぬ。しかし出征に先立ち、アンピアラオスは我が子アルクマイオンに自分を裏切った罰として母のエリピュレーを殺すよう命じ、その通り実行される。その消息はスタティウスの『テーバイ物語』4の187-213に詳しい。「不吉な首飾り」は、ハルモニアの首飾りを指す(地獄第二十曲参照))が母に知らしめた様子が描かれていました。そこには描かれていました。セナケリブ(アッシリアの王セナケリブ(在位前706-前681)。サルゴン二世の長子。前701年、ユダの王ヒゼキヤを攻め、さらに第二回の遠征を企てたが、この時総勢185000位に及ぶアッシリアの軍勢には、イスラエルの神の一天使により、一夜のうちに打ち殺された(列王記下18の13-16と、19の35参照)。セナケリブは無事首都のニネヴェに逃げ帰ったが、結局そこで息子のアデラメレクとシャレゼルに暗殺される。それもセナケリブが性短気で傲慢、ことにヒゼキヤとイスラエルの民に対して過酷きわまる要求をした報いとダンテは見た。即ち列王記下19の22、イザヤ書37の23に書かれている通り、「誰に向かって大声を上げ高慢な目つきをしたのか。イスラエルの聖なる方に向かってではなかったか。」の結果なのである)が、宮殿の中で祈っていた時に、自分の息子達に殺され、死体をそこに残して去っていった様子が描かれていました。そこには描かれていました。タミュリス(スキタイ族の住むカスピ海東方のマッサゲタイの女王。ダンテが拠ったと言われるオロシウスの『世界史』に従えば、前529年、攻め込んできたペルシアのキュロス大王(前600頃ー前529)の軍を破り、我が子をだまして殺した大王の首をはね、人血の一杯入っている革袋に入れ、女だてらに王を愚弄して、「さあ、そなたの飢えている血を堪能させてあげる、過去30年間、一度も堪能したことのないその血を」と言った)が破壊と大虐殺を行い、キュロス大王(明君の誉れ高い王の治下、エジプトを除くオリエント世界は悉くペルシア領となる。被征服民族の宗教や風習を尊重し、また被征服者も広範囲に登用したので、信頼され、200年にわたるペルシア帝国の基礎はこの王の時に定まった。ここでは、それほどの明君に対するタミュリスの傲慢が取り上げられる)に「あなたが飢えていた血です。さあ、お飲みなさい!」と言った様子が描かれていました。そこには描かれていました。ホロフェルネス(アッシリアの王ネブカドネザルの将軍ホロフェルネス。ネブカドネザルの他に神無しと豪語し、イスラエルの民を苦しめていたが、ベトゥリア市に攻め入った時、同市の寡婦ユディトの策略で首をはねられ、アッシリア軍は敗走する)が殺された時に、アッシリア軍が敗走した様子と、ホロフェルネスのバラバラになった死体を描いていました。私は見ました。トロイアが灰と化しているのを見ました。おお、イーリオン(誇り高いイーリオンとその末路については地獄第三十曲参照。ウェルギリウスも『アエネイス』3の2-3で、「誇り高きイーリオンは落城し、ネプトゥヌスの愛でにしトロイアの全土より煙り立ち上る」と歌った。さてこのアナフォラは、原文の最初の四連の冒頭字はV、次の4連はO、その次の4連はMである。組み合わせると、V(=U)OMすなわち、「人」となる。ダンテはここで明らかに、霊の数である三に対して、肉の数四を用いて、罪に陥りやすい不完全な人間の境涯を表したと思われる。最後の一連の各句頭をまたVOMでしめくくり、かつアナフォラ全体を十三連としたことにも、ダンテの意図が働いていよう)よ、そこには描かれていました。そんなにも落ちぶれた様子が、石の道に彫られて描かれていました。どんなにすばらしい画家の先生がブラシやペンを使っても、ここに彫られた形や影を再び描くことができるでしょうか? この芸術は、最も芸の細かい心も、打ち負かしてしまうに違いありません! 死んでいる者は死んでいるように、生きている者は本当に生きているように見え、それらの様子を実際に見た人でも、頭を垂れてその道上を歩む私よりよくは見ていないでしょう。誇り高くありなさい! 高慢な頭を高く上げて進みなさい、エバの子供らよ! そうです、あなたの歩む道がどんなに邪悪でも、頭を下げてはいけません(高慢なキリスト者全体へのこの皮肉な呼びかけは、煉獄第十曲参照)! 道床の彫物に心奪われていたので、時間の経過に気がつかなかった私が思ったよりも、私たちはもっとたくさん山のまわりを回っていて、太陽はさらに高く昇っていた時、常に用心深く物事を見て、進んでいくウェルギリウス先生がおっしゃいました。「さあ、頭を高く上げなさい。君には、思いに耽っている暇はもうありませんよ。あちらをご覧なさい。天使が来ますよ! そして、ご覧なさい、六番目の侍女が今日の仕事を終えて帰っていきますよ(古典文学では、毎時を太陽にかしずく侍女とする習いがあった。第六の侍女が第七の侍女と交替したとは、正午過ぎなのを示す)。君は顔や態度で敬意を示しなさい、そうすれば、あの天使は喜んで私たちを上に上げてくれるかも知れませんよ。この日が再びやってくることはないのですよ!」先生のこのような、時を虚しく過ごすな、という忠告に慣れていたので(地獄第二十四曲、煉獄第三曲参照)、先生のおっしゃることはよく分かりました。私たちに向かって、白い衣に身を包んで、光り輝く天使はやってきました。その顔は、朝早くにきらめく星のように輝いていました(マタイによる福音書28の3に、天から降りてきた主の使いの「その姿は稲妻のように輝き、衣は雪のように白かった。」とある。煉獄第二曲では、まともに見られず、目を伏せてしまったダンテが、ここでは天使を正視していることに注意)。天使は両腕を広げて翼を広げ、言いました。「さあ、いらっしゃい、階段はとても近くにあります、これからは登りやすくなります。」この招きに答える人は少ないです(マタイによる福音書7の14、22の14参照)。ああ、人類よ、上の天の方に飛ぶべく生まれながら、なぜあなた方はなぜ風の一吹きで下に落ちてしまうのでしょう? 天使は岩の裂け目まで私たちを上に導いてくれました。そこに着くと、天使は翼で私の額をはらって、安全な前途を私に約束してくれました。ルバコンテ橋(アルノ川に架かる石橋。1237年の架設で、当時フィレンツェの司法長官であったミラノのルバコンテ・ダ・マンデルロを記念して橋の名前としたが、今はポンテ・アレル・グラーツィエと呼ぶ。フィレンツェ最古の石橋であったが、1944年8月4日、ドイツ軍により、破壊)の上の方に、よく統治された町(フィレンツェ。「よく統治された」とは痛烈な反語)を見下ろす教会(サン・ミニアート・アル・モンテ教会。フィレンツェ市の東方、ルバコンテ橋を渡ってほど近い丘、モンテ・アルレ・クローチの上に立つ)の立つ山があり、その山頂への道で、右手の方で、記録(1299年に、フィレンツェで起きたスキャンダルへの言及。同市のグエルフィ党員ニッコラ・アッチャイオーリなる者が、ハルド・グダリオ(天国第十六曲参照)と共謀し、時の司法長官の黙認を得て、不正の取引に従ったが、その証拠の露見を恐れ、市の公的な記録の一葉を塗りつぶした事件)もマス(同じ頃フィレンツェで摘発された不正事件。キアラモンテージ家の一員ドゥランテなる者が、塩の税関吏をつとめていた時、受け取るには法定のマスを、分配には小型のマスを用いて私腹を肥やした。キアラモンテージ家も天国第十六曲に登場)もまだ安泰であった頃(1295年、正義の士ジアノ・デルラ・ベルラがフィレンツェから追放されると、市政はたちまち腐敗し、上記のような事件が続発した。よってここは1295年以前を意味する)、階段が作られ、登りやすくされましたが、ここ、第二冠と第一冠の間の険しい絶壁は、階段がありました。しかし、両側に高い岩がそびえていました(違いといえば、煉獄第十曲の階段もそうであったように、通路が狭く、岩が押し迫っている点)。私たちがその階段の方に歩んでいる間、「心の貧しい人は、幸いである(マタイによる福音書5の3から始まる山上の垂訓第一。「天の国はその人たちのものである」と続く。高慢の対蹠。なおこれを歌っているのは、他の類似の場合と同様、一天使)」と歌われましたが、その甘美さと言ったら書きようがないほどでした。この通路は、地獄の通路とは何と違うことでしょう。ここでは歌で迎えられ、地獄では恐ろしい嘆きの声で迎えられるのですから。私たちが、聖なる階段を登っていくと、第一冠にいた時よりも、身が軽くなった気がしました。それで、私は言いました。「先生、教えてください。どれだけの重さが私から取り除かれたのでしょう? 楽に登れるようになっている気がします。」先生はお答えになりました。「ほとんど跡がないようですが、君の額にはPが、最初に消されたように、すべて消される時、君の足は、良い意志の打ち勝つままに、重い道のりを感じなくなるだけでなく、登るのが喜びとなりますよ。」頭の上に何か載せて歩む人を見て、気になって片手で頭の上を探ってみて、目では分からないことを成し遂げる人がいます。ちょうどそのように、私は右手の指を額に広げてみると、鍵を持つあの天使(煉獄の門を守る天使。煉獄第九曲参照)が、私の額に刻んだ七つの文字が六つになっているのが分かりました。この様子をご覧になった先生は、私に微笑んでくださいました。(2005年8月17日)(2005年9月29日更新)


にくちゃんメモ:第一冠から第二冠へ向かいます。(2005年8月17日)

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第十三曲
私たちは、階段の最上段に立っています。登ってくる人を浄める山の側面が再び切り開かれて、道ができていました。台地が山のまわりを取り囲むのは、第一冠と同じですが、弧が描く曲線は第一冠よりも鋭くなっていました(煉獄山は円錐形なので、登るに従い帯状の冠の円周は前の冠よりも小さくなる)。ここには魂がいなくて、彫り物もありませんでした。絶壁と道とそれらの鉛色(嫉妬の色)をしているのしか見えませんでした。ウェルギリウス先生はおっしゃいました。「道のことをよく知っている誰かが来るのをここで待っていてもしようがありません。」そして先生は、上を見て、太陽をご覧になり、太陽が右にあるので身をめぐらして右に向かわれました(時刻は正午を少し過ぎたとすれば、北に位置する太陽はウェルギリウスの右にある。煉獄での正しい進み方は時計の針の進みの逆、即ち右回りゆえ、ここでは太陽を正面にとることになる。従って太陽の光が二詩人を導く)。先生はおっしゃいました。「ああ、すばらしい光よ、私は信頼しています。この不慣れな道をどうか導いてください。ここではお導きが必要なのです。あなたはこの世界を暖めてくれます。あなたはこの世に光を放ってくださいます。犯した罪のために断るということがなければ、あなたの光り輝く光線で道を示してください。」私たちは、既に、この世で一マイル(約1480メートル)と呼ばれる距離を進んでいました。私たちの良い意志によって、あっという間に進みました。姿は見えませんでしたが、私たちの方に飛んでくる魂達が、愛の食卓へと、礼儀正しく招待する声が聞こえました(この冠で嫉妬の罪を浄める魂達は、視覚を遮閉されているので、矯正はすべて聴覚による。嫉妬の対蹠である「愛」の食卓への招きも、声で伝達される。ダンテはカナの婚宴を意識しつつ「愛の食卓」という隠喩に達したのであろう)。私たちのそばを飛んで過ぎていった初めの声が大きく透き通るような声で「彼らに葡萄酒無し」と歌いました(カナの婚宴を叙したヨハネによる福音書2の1-10参照。「葡萄酒が無くなった」とのマリアの言葉をまず挙げて、隣人愛(カリタス)の第一例とする)。すると他の魂達はその歌を繰りかえしながら、私たちの後ろへ行きました(これから察すると、不思議な声は時計回りに、即ち二詩人の進行とは逆の方向に飛んでいる。なぜダンテがそうしたかは明らかでない)。その歌声が遠ざかっていくと、他の声が叫びました。「私はオイステスです!(ギリシア神話で、ミュケナイの王アガメムノンと、クリュタイムネストラの子、オイステス。母に謀殺された父の仇を討った後、自身も殺されようとした時、莫逆の友ピュラデスが「我こそオレステスだ」と名乗り出、身代わりに立とうとしたのを、オレステスはあくまでも許そうとしなかったという話。ダンテはキケロの『友情論』7の24を典拠に、ピュラデスの行為をカリタスの第二例とした)」するとその声も通りすぎていきました。私は言いました。「ああ、お父さんのような先生、これらの声は何ですか?」このように私が訊ねていると、三つ目の声が通りすぎていきました。「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい!(マタイによる福音書5の43-48の、山上の垂訓でも中核を成す聖句を引き、カリタスの第三例とした)」すると先生はおっしゃいました。「この第二冠では、嫉妬の罪が鞭打たれるのですよ。ですから、鞭の紐(善に導く方法)は愛からとられるのですよ(嫉妬の罪を浄めるための積極的鞭打ちは、嫉妬の対極・無限定な愛の好意を示すことにほかならない)。抑制(嫉妬の罪を反省させ、その恐ろしさを思い知らせる消極的な処置。そのためには嫉妬の実例が示される)とは、愛の反対に聞こえるかも知れませんね。でも君は、第三冠に着くまでに、その抑制の音を聞くでしょう。さあ、君の前をご覧なさい。注意深く見るのですよ。誰かがいるのが見えるでしょう。皆、絶壁に背を向けていますよ。」私は前の方に目を凝らしてみると、寄りかかっている絶壁の石の色と同じ色の衣(嫉妬を象徴する鉛色の衣)に身を包んでいる魂達が見えました。そして、私たちはその魂達の方に近づいていったとき、叫び声が聞こえました(魂達は「聖徒連祷」を唱えていたと思われる。それは「主よ、憐れみたまえ」で始まり、「聖マリア、われらのために祈りたまえ」と続き、マリアの名を唱えること三度、「聖ミカエル」「聖ペテロ」を経て「一切の聖徒」で終わる)。「ああ、聖マリア、われらのために祈りたまえ」そして「聖ミカエル、聖ペテロ、一切の聖徒」と叫びました。その時私が見た光景を見て、心が固くて憐れみの気持ちが心に突き刺さらないような人は、地上に一人もいないでしょう。その魂達が贖罪の苦行に耐えているのが見えるほど、近づいた時、私は泣いてしまいました。魂達の着ている衣は、目の粗い衣のようで、一人の頭はもう一人の肩に載せ、皆、内側の絶壁に背をもたせかけていました。贖宥(ローマ-カトリック教会で、キリストと諸聖人の功徳により教会から罪の償いに対して与えられるゆるし)の日(ダンテの時代、信者に免償状が出される特別の日、教会の境内に施しものを乞う盲者の見られるのは常のことであった)に、施し者を求めて教会のドアにいる盲者(中世はもとより、近世に入っても、18世紀の末頃までのヨーロッパで、一般に盲者がいかに悲惨な生活を送っていたかを示す史料は多い)のことを思い出させました。一人の盲者がもう一人の盲者の肩に頭を沈めて、言葉で物乞いをするだけでなく、言葉に劣らないほどの身ぶりで、道行く人に憐れみの気持ちをかき立てるようにしていました。盲者が太陽の光を楽しむことができないように、ここで私が見た魂達には、神からの恩寵である光を拒まれているようでした。その魂達の瞼は鉄の糸で縫い綴じられていて、それは、鷹匠の訓練を受けやすくするために、糸で瞼を縫い綴じられている鷹のようでした。私は何か悪いことをしている気がしました。歩きながら、魂達を見ているのに、魂の方はこちらを見ることができないからです。私は先生の方を向きました。先生は、私が何を訊ねたいかをよく分かっていらして、私が訊ねる前におっしゃいました。「いいですよ。お話しをしなさい。でも、要点だけを話すのですよ。」ウェルギリウス先生は私の脇を歩いてくださりました。その台地の、守ってくれる欄干のない下に落っこちる恐れのある方の側を歩んでくださいました(ウェルギリウスのこうした配慮は、地獄でダンテをゲリュオンの背に乗せた時にもとられた。地獄第十七曲参照)。私の左側には魂達がいましたが、皆、恐ろしい縫い目から涙を流していて、頬をぬらしていました。私は魂達の方に向き、言いました。「ああ、天の光(神)を見るのが約束されている魂達よ、あなた方はそれだけを目的としていますが、神の恩寵が、あなた方の心の穢れが洗い去り、よい思い出だけがすがすがしく今とつながることをお祈りします。教えてください。もし教えてくださったら、私はとても感謝します。ここにイタリア人はいますか? もしイタリア人がいたら、私はその魂のために、生きている縁者に祈ってもらうようお願いします。」「兄弟よ、私たちは皆、神の都の市民(エフェソ人への手紙2の19参照)です。あなたがおっしゃるのは、巡礼者(天国を故郷とする者にとって、地上の生活は巡礼者のそれに過ぎない。ヘブライ人への手紙11の13-16参照)となってイタリアにいたことのある魂ということですか?」このように私の問いに答えたのは、少し離れたあたりから聞こえたようでした。私は、私の言葉が良く聞こえるように、そちらの方に歩みました。その魂達の中で、私が来るのを期待しているように見える魂を認めました。どのように言えばいいでしょう? あごを上げて、何か期待する時の盲者の仕草をしたのです。私は言いました。「ああ、天に昇るために身を低くする魂よ、もし先ほどしゃべったのがあなたなら、あなたの名前と、どこに住んでいたか教えてください。」その女の魂は言いました。「私はシエナの生まれです。ここにいる他の魂と一緒に、罪深い人生を矯め治しているのです。涙を流し、神にお姿を私たちの前に現せてくださいとお願いしているのです。賢明でないサピア(賢明)(シエナの名門サルヴァーニ家出の貴婦人。プロヴェンツァン・サルヴァーニ(煉獄第十一曲参照)の叔母。1210年頃の生まれ、1230年頃、カスティリオンチェルロの城主ギニバルド・サラチーニに嫁し、五子の母となる。コルレの戦い(1269年6月17日)当時、サピアは前年に夫と死別し、その戦場にほど近いカスティリオンチェルロ城に住んでいたと想像される。ピエル・ペッティナイオの死んだのは1289年なので、サピアの死はそれよりも前に違いない)が私の名前です。私は、他人の苦しみを大いに楽しみ、私自身の幸運よりも他人の苦しみの方を喜びました。もしあなたが私の言うことを信じてくれないのなら、私の話を聞いてください。そうすれば私の愚かさがいかにひどかったか分かるでしょう。私は長い人生の下り坂にいるのに(事実、サピアは、思いを神に向けてしかるべき60歳前後の年配であった)、我が市民達(シエナのギベリーニ党市民達。これと協力するのは、プロヴェンツァン・サルヴァーニとグイド・ノヴェルロ伯の率いるドイツ人とスペイン人の混成軍)は、コルレ(シエナの西北約20キロ、エルザ川左岸の一丘上にある都市)の近くでその敵(アンジューのシャルル一世麾下のフランス軍の援助を受けたフィレンツェのグエルフィ党市民軍)と闘っていました。しかし私は神の欲したまうことを、私の願いとして神に祈りました(神は正義の秤にかけてシエナのギベリーニ党員を大敗させた。しかしサピアは、甥のプロヴェンツァン・サルヴァーニまで戦闘によって殺されたに関わらず、サディスティックな自惚れから、シエナ方の完敗を喜んだのである)。私たちの市民軍が戦場で散り散りになり、敗走しました。私は追い立てられる彼らを見て(戦場にほど近いカスティリオンチェルロの居城から)、大喜びし、私の厚かましい顔を神に向けて、叫びました。”神よ、私はあなたを恐れません(願い通りになった今は)。”私はちょうど、太陽が顔を出した時のクロウタドリのようでした(この鳥は寒気と悪天候をひどく恐れ、その兆候が現れると急いで巣に隠れる。しかし天気が回復すればすぐ出てきて他の鳥たちの小心をあざ笑う。だから寓話では「主よ、我もはや御身を恐れず、冬過ぎたれば!」とさえずることになっている)。私は死ぬ時になってやっと神と和解しました。ピエル・ベッティナイオ(櫛屋のペテロの意味。シエナの東北、キアンティ地区のカンピに生まれた。フランシスコ修道会の隠修士となり、シエナに住み、櫛を商ったが、性清廉潔白、櫛に少しでも傷があれば絶対に売らなかったと伝える。信心深く、百九歳の長寿を全うして、1289年12月に逝去。シエナ市民は公費を以てその墓を建て、市議会は1328年に年祭執行を決議した)が私への思いやりから、祈る時に私を思い出してくれなかったら、私の負い目は懺悔によって減ることはなかったでしょう(煉獄前域にとどまっていたであろう)。それにしても、ここで私たちに懸命に聞こうとするあなたはどなたですか? 私が思うに、あなたの目は縫われていないようですし、息をしながら話をしているようです。」私は言いました。「私の目も、そのうち、いつか縫い綴じられるでしょう。でも、私の目は他の人に対して、嫉妬した眼差しを向けることはほとんど無かったので、そんなに長い間ではないでしょう。この下の冠での石の重荷の苦行を思うと、私の心を揺さぶるように恐ろしいのは、学問や教養を誇って庶民の心に入らず、驕慢となることです。」すると、サピアは言いました。「それでは、あなたをここに導いたのは、どなたですか? もし再び下へ行くというのなら(サピアの魂にはダンテが生者だとまだ分かっていない。死後、魂となって再び第一冠に来ることをダンテは言ったのだが、それをサピアは今下へ降りると受け取った)。」そして私は言いました。「ここに私と一緒にいらっしゃる、まだ言葉をしゃべっていられない方が導いてくださっているのです。私は生きています。ああ、選ばれた魂よ、現世であなたの縁者を訪ねて祈らせるために足を動かすことを願うのなら、言ってください」するとサピアは言いました。「ああ、なんて不思議なんでしょう! あなたへの神の愛の印なのですね! そういうことなら、時々は私を助けるよう祈ってください。あなたが何によらず最も切に願うもの(上天の至福とは限らない)にかけてお願いします。もしあなたがトスカーナの地を踏む時は、私の親戚(特にサルヴァーニ家の一族)の間に私のこと(地獄や煉獄前域にはおらず、煉獄門内の第二冠で浄罪行に余念がないこと)を思い出してもらってください。タラモーネの港(オンブローネ河口の東南、約十六キロの地点にあってティレニア海軍の栄光をあこがれ止まなかったシエナ人は、1303年、フィレンツェ金貨8000枚を投じてサン・サルヴァトーレ修道長からこの港を買い求めたが、水深を深くするため、水底をさらって土砂などを取り除くのに出費が多く、マラリア熱猖獗を極め、全くの失敗に終わった)の夢を見ている人たちと一緒にいるでしょう。そのような人たちは、ディアーナ川(シエナ市の地下をかつて流れていたと市民達に信じられていた伝説の川。ディーテの名は、往時シエナ市の広場に立っていたラテン族の女神ディアナ像にちなむ。ダンテがここを書いている時点で巨費を投じた発掘は不成功に終わった)の掘り出し以上にバカげた希望を持っていた人たち(シエナ市民)です。しかし、いまだに最も多くを失うのは、提督達(海軍の栄光にあこがれ、将来提督たろうとする愚かな夢想家達。この皮肉なからかいにより、サピアの心には嫉妬や悪意のよどみがまだまだたまっており、浄罪行の前途がほど遠いことが予想される)です。」(2005年8月18日)(2005年9月30日更新)


にくちゃんメモ:嫉妬の罪を浄める第二冠に来ました。(2005年8月18日)

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第十四曲
「死によって翼が与えられて飛ぶのを許される(煉獄第十曲参照)前に、私たちの山をめぐっているのは誰でしょう? 自分の意志で目を開けたり閉じたりできる(瞼を鉄線で縫い綴じられているこの冠の浄罪者たちにとっては、何よりの不思議)その人は誰でしょう?」「私には誰なのか分かりません。私が知っているのは、その人が誰かと一緒にいるということです。あなたはその人に近いのだから、訊ねてみたらどうですか。その人の近くで話せば、きっと答えてくれます」私の右側で(魂達は絶壁の裾に一列となり、身を寄せ合っているので、絶壁を正面にするダンテの右側に当たる)、二人の魂が私のことを話しているのが聞こえました。二人は身を寄せ合って頭と頭をくっつけていました。すると、私に話しかけようと顔を上げました。一人の魂が言いました。「ああ、まだ肉体を持ちながら天へ昇っていく生きている囚人である魂よ、愛(嫉妬の対蹠であるカリタス(隣人愛))の名にかけて、私たちを慰めてください。あなたがどこの出身で、あなたがどなたなのか、教えてください。神があなたにお与えになった恵みによって、私たちは畏敬の念でいっぱいです。なぜなら、あなたのように生きている人がここにいるということは、初めてのことだからです。」私は言いました。「トスカーナの中央を通って、ファルテローナ(トスカーナ・アペニン山脈の主峰の一つ。標高約1800メートル)に源を持つ小さな川(アルノ川)が、百マイル(約190キロ)以上蛇行している所があります。その岸辺(フィレンツェ)からやってきました。私の名前をあなたに告げるのは無意味でしょう。なぜなら、私の名前は地上で有名でないからです。」魂は答えました。「あなたのおっしゃったことの主旨を考え違いしていなければ、あなたのおっしゃったのはアルノ川ですね。」もう一人の魂がいま話をした魂に言いました。「なんでその人は川の名前を隠したのでしょう? 言葉にするのが恐ろしいかのようです。」先ほどの魂が答えました。「どうしてかは分かりませんが、その川の谷(アルノ川沿岸の地域)の名前は滅びるのに相応しいからかも知れません(ヨブ記18の17「彼の思い出は地上から失われ、その名はもう地の面にはない。」参照)。なぜならその源(ファルテローナ岬)は、ペロロ(現在のファロ岬。シチリア島の東北端にある海角。『アエネイス』3の410-419によれば、往古、シチリアは本土と地続きであったが、土地の異常な隆起により切断され、そこへ海水が流れ込み、現在のメッシナ海峡になったという)が切断された険しい山並み(アペニン山脈)の水の豊富なことと言ったら、誰も文句のつけようがないぐらいですから。下っていって、空が太陽熱により蒸発する水気を海から吸い上げ雨となって川を満たす河口まで、人がその美徳を敵と見放して追い払うのは、蛇のようです! その土地が呪われているか、市民をそそのかす古い習慣によってかが原因です。その憐れな谷にすむ人たちは、自分の性質を変えて、キルケー(中部イタリアのガエタ湾の北側にある伝説の島アイアイエーに住み、人間を獣に変える力を持つ魔女。地獄第二十六曲参照)に飼い慣らされたかのようです。人が食べる食べ物よりドングリ(山地ではドングリが豚の主要飼料とされた)を食べる豚のような獣(カセンティーノ地方の住民、特にダンテ当時の領主グイディ伯爵一族。ファルテローナ山の麓にあったグイディ伯の居城ポルチャーノにポルチ(豚)の意味を絡ませている)の間をぬけて、その川は水量乏しく流れるのです。やがて下流にやってくると、噛みつくより歯をむいてうなる小犬(アレッツォの住民。「小犬」の原語「ボトロ」は、小さいくせに他のどんな動物よりも激しく吠え立てる種類の犬。小都市アレッツォは、「小犬でも野猪を押さえつける」を標語とし、ダンテ当時、「小犬」がアレッツォ人のあだ名であったと思われる)を見て、軽蔑してその鼻先を他に向けるのです(カセンティーノから南下したアルノは、アレッツォを去る数キロあまりの地点で、急に方向を西北に変える)。どんどん下っていき、この呪われていて、神に見捨てられた溝(アルノ川)の水かさが増していくに連れて、小犬たちがオオカミたち(フィレンツェの市民)になっていきます。たくさんの渓谷を通り、下っていくと、ひどい不正行為に染まっているので、どんな罠も恐れない狐たち(ピサの市民。狐を狡知の表象とした一例。地獄第二十七曲参照)に出会います。この人が私の話を聞いているからといって、私は話すのを止めません。実際、聖霊(ヨハネによる福音書16の13参照)の教えに従って私が預言することをこの人(ダンテ。ただし話者はその名を知っていない)が知れば役に立つかも知れません。あなたの孫(フルチエリ・ダ・カルボリ。1303年フィレンツェの司法長官となる。カルロ・ディ・ヴァロア(地獄第六曲、第二十四曲参照)の介入で、黒派が勢力を盛り返してからは、白派の酷薄苛烈な敵となった)が、オオカミたちが恐怖しながら生きているこの残忍な流れの岸(フィレンツェ)で、狩人となってオオカミを追い求めている姿を私は思い描くことができます。彼は、オオカミ(すなわちフィレンツェ市民。特にグエルフィの白派を指す)が、まだ生きている間にその肉を売り(司法長官を二期務めさせてもらう代償として、黒羽に白派を売り渡したこと)、そして、老いぼれの牛のように殺してしまうのです。彼は多くのものから命を、彼自身からは名誉を奪うのです。彼は血まみれになって(「狩人」の隠喩が使われていたこととつながる。地獄第三十三曲のウゴリーノ伯の述懐とも共通する措辞)、気味の悪い森(フィレンツェ)から出てきて、森は、ひどく荒らされてしまったので、千年経ってももとのようには戻らないでしょう。」今にも起こりそうな災難の知らせを聞くと、危険がどこから襲いかかっても、聞いた人の顔はショックを受けた表情をします。ちょうどそのように、さっきから聞くのに没頭していた魂(リニエル・ダ・カルボリ。十三世紀の初め、フォルリのグエルフィ党の名門に生まれ、1247年にはファエンツァの、1252年にはパルマの、ダンテの生まれた1265年にはラヴェンナの司法長官と波瀾に富んだ政治的生涯の後、1296年、ギベリーニ党連合軍に殺された)がこの話を聞いた時、悩み悲しんでいました。二人の内の一人の言葉と、聞いた方のもう一人の顔色によって、私はその二人のことについてもっと知りたいと思い、二人の名前を言うように強くお願いしました。それに答えて、私に始めに話しかけた魂が言いました。「私には名前を告げてくれなかったのに、私には名前を告げさせようとしているのですか? でも、神の恩寵があなたの内に美しく輝いているのですから、出し惜しみはしません。生きていた時の私の名前は、グイド・デル・ドゥーカ(ロマーニャの小さな町ブレティノーロ(現在のベルティノーロ)の紳士であったこと以外は不詳。ラヴェンナのオネスティ家の一門、ジョヴァンニ・デル・ドゥーカの息子とも言われる。ギベリーニ党に属し、1281年、グエルフィ党との抗争でブレティノーロにいれなくなり、父の故郷ラヴェンナに帰り、ピエル・トラヴェルサーロの庇護のもとに晩年を送った。彼の名がラヴェンナの公文書に見える最後の年は1229年なので、その後しばらくは生きていたと思われる。自身述懐している激しい嫉妬の行為の実例は分かっていない)です。私の血は、嫉妬で燃え立っていて、(嫉妬のこのパターンは煉獄第十七曲参照)誰かが大喜びしている時はいつも、怒りがこみ上げてくるのです。私がこの嫉妬の種をまいて、刈り取るのは、穀物ではなく(ガラテヤ人への手紙6の7-9参照)無意味なワラです! ああ、人類よ、協力は拒まれると見え透いている所へ、なぜ希望を持つのでしょう(嫉妬の表れ。煉獄第十五曲参照)? こちらは、リニエルです。カルボリ家の誉れであり喜びです。リニエルに勝る後継者は出ていない家です。ポー川から山々と海とレーノ川の間(ロマーニャ地方。ダンテ自身の定義によれば、ボローニャとアドリア海沿岸のリミニを結び、モンテフェルトロの山々から北、ラヴェンナの平野に伸びる地域で、ほぼ現在のエミリア・ロマーニャ地方の東部に当たる。地獄第二十七曲参照)で、人生や騎士道で必要な文武の徳が欠けているのは、彼の血筋だけではありません。なぜなら、種まきのために土を耕しても無駄なぐらい、その地域は毒のある雑草(荒廃の民)がはびこっているからです。アルリーゴ・マイナルディ(ベルティノーロの紳士。グイド・デル・ドゥーカやピエル・トラヴェルサーロの同時代人で、1170年、ピエル・トラヴェルサーロと共にファエンツァ市民軍の捕虜となったこと以外、事蹟はほとんど不明。施与を好んだ寛仁大度の有徳人であったらしい)はどこですか? 良い人リツィオ(リツィオ・ダ・ヴァルボーナ。ロマーニャの貴族、生没の年次不明。リニエルと同時代人で、『デカメロン』5の4の愉快な話に登場する。リニエル同様、多彩な政治的生涯を送った)はどこですか? ピエル・トラヴェルサーロ(ラヴェンナの名門トラヴェルサーラ家の一員。1225年80歳で死んだ。幾度かラヴェンナの司法長官に選ばれ、家代々の筋金入りギベリーニ党員で、フリードリヒ二世の信頼は特に厚かった)は? グイド・ディ・カルピーニャ(476年西ローマ帝国を滅ぼし、イタリア王と称したゲルマン出身の傭兵隊長オドアケルの幕僚を祖とするカルビーニャ家は、十世紀、ロマーニャのモンテフェルトロ付近に定住したらしい。1221年に死んだその一員グイドの孫に当たるグイドが、ここでダンテの言及している人物で、1251年にはラヴェンナの司法長官となり、グイド、リニエリ、コントゥッチョの三子を残して1283年以前に死去)は? ああ、雑種に成り下がったロマーニャの者たちよ! ボローニャではファッブロ(ファッブロ・デ・ランベルタッツィ(1259年死去)。ランベルタッツィ家はラヴェンナの大公に出て、代々ボローニャにおけるギベリーニ党の柱石となる。ダンテがここに挙げたファッブロは、しばしばロマーニャ各都市の司法長官に選ばれ、輝かしい業績を残したが、他界後、遺子達はグエルフィ党の勢力と死闘を繰りかえし、ボローニャのランベルタッツィ家もギベリーニ党も、完全に没落した)のような人が根を下ろすのはいつでしょう? フェンツァにベルナルディン・ディ・フォスコ(1248年にはピサの、1249年にはシエナの司法長官であり、また1240年には皇帝フリードリヒ二世に抗してファエンツァを防衛したこと以外、この人物については詳細不明。しかし古い注釈はすべてダンテの「卑賤から身を起こした人」という表現を支持し、微賤の出自であったが立派な人物となり、ファエンツァ市民の間では生え抜きの貴族達と対等に重んぜられたとしている)のように、卑賤から身を起こした者はいつ出てくるのでしょう? ああ、トスカーナ人よ、思い出すと涙が出てきます。ともに生きた、ウゴリン・ダッツォ(アッツォ・デリ・ウバルディーニ・ダ・センノの子、ウゴリーノ・デリ・ウバルディーニであろう。トスカーナの名門で、煉獄第二十四曲に出てくるウバルディーノ・ダルラ・ピラ、地獄第十曲に出てきた有名な枢機卿オッタヴィアーノ・デリ・ウバルディーニ、また地獄第三十三曲に出てきた大司教ルッジエリ・デリ・ウバルティーニなど、皆同族。ここに言うウゴリーノは、1218年以来、公文書にその名が頻出するロマーニャ切っての重要人物の一人で、巨富を持ち、1293年、高齢で死んだ。ブレティノーロのドゥーカに、「ともに生きた」とダンテが言わせているのは知名度の物差しとなろう)、グイド・ダ・プラータ(この人物の出身地を示すプラータはロマーニャの一村落で、現在の名称はプラーダ。フォルリ、ファエンツァ、ラヴェンナを結ぶ線の間、ルッシの南方に位置する。彼の名を記した公文書から察すると、ラヴェンナではかなり重要な人物であったらしく、また同市の近傍に相当の地所を所有していた。死んだのは1235年と1245年の間)。そして、フェデリゴ・ディ・ティニョーゾ(リミニの貴族であったこと以外、ほとんど知られていないが、零細な史料を綜合すると、十三世紀前半に生き、富みに恵まれ、しかもよく施与した人物が結像される。「その友達」とは、彼のもてなしをよく受けた連中)とその友達、トラヴェルサーラ家一族、アナスタージ家(十世紀の中頃からラヴェンナで重きを成したギベリーニ党の貴族。1249年、ボローニャのグエルフィ党領袖アルベルト・デ・カッチャネミーチがラヴェンナの司法長官であった時、アナスタージ家一門とその同調者達は、ラヴェンナ随一の名門ポレンタ家とグエルフィ党の面々に殴り込みをかけて追放、アルベルトを長官の地位から下ろし、グエルフィ党色一掃に成功したが、やがて形勢一変、追放されたグエルフィ党有力者達が町に帰ってアナスタージ家一族を逆に追放した。それから8年あまり経ち、和解が成立してアナスタージ家はラヴェンナに帰ったものの、以後没落の一路をたどり、神曲の旅の1300年には全く昔日の面影をとどめなかった)、この両家とも跡を継ぐ者がいないのでしょうか? 淑女達や騎士達が、人々の心が堕落してしまった町ロマーニャで、愛や優雅さに拠る所の、騎士道が正しく華やかであったではないですか? ああ、ブレティノーロ(グイド・デル・ドゥーカや、アルリーゴ・マイナルディの故郷。ロマーニャの小都市で、フォルリとチェセーナの間に位置する。今の名はベルティノーロ。もとリミニのマラテスタ家の領地であったが、十三世紀の末近くフォルリのオルデラッフィ家の手に移り、神曲の旅の年次にもその状態を続けた。全盛期には、町の貴族達のもてなし好きが評判であったと言う)よ、なぜ逃げないのですか! あなたの高貴な家族(代々領主となったマイナルディ家を指すか。同家はもとグエルフィ党であったのに、十三世紀の後半にはギベリーニ党を支持し、しかも1295年にはブレティノーロからギベリーニ党追放の黒幕となるほど、不信義の「堕落」とつながる行動があった)と同市の貴族達は、堕落を恐れて逃げました! バニャカヴァール(イモラとラヴェンナの中間にあるロマーニャの町、バニャカヴァルロ。ダンテの時代には、バニャカヴァルロ伯を称したマルヴィチニ家の拠点。その一族はギベリーニ党で、1249年にラヴェンナからグイド・ダ・ポレンタやその一族のグエルフィ党員を閉め出す企てに加担したが、やがてグエルフィ党に寝返るなど、表裏恒無く、評判を落とした。グイド・デル・ドゥーカはここでその家の絶滅を預言しているのだが、事実、主要な男系が絶えて1305年までに滅びた)は、後継ぎの男の子を産まなければ良いです。カストロカーロ(モントーネ川の流域にあり、フォルリから数キロの地点の村。十三世紀にはギベリーニ党の領主がその名城を誇ったが、1300年頃、城はフォルリのオルデラッフィ家の手に移り、やがてフィレンツェのグエルフィ党市民に贖われ、その後しばらくはロマーニャのグエルフィ党の強固な拠点の一つとなる)は悪いです。コニオ(イモラの近くにあった城。この城に拠る候伯達は主としてグエルフィ党員であったが、1295年以後間もなく城は滅びた。しかしコニオを冠する宗族はまだしばらく続いたはもっと悪いです。両方とも、このような伯爵を生み続けるのですから。パガーニ家(ファエンツァ(一説にイモラ)のギベリーニ党貴族。十三世紀の終わりには、ファエンツァ、フォルリ、イモラの領主であった)の悪魔(ダンテ時代のパガーニ家当主、マギナルド・パガーノ・ダ・スシナーナを指す。1290年にファエンツァの、1291年にフォルリの、1296年にイモラの領主となった。地獄第二十七曲でダンテがグイド・ダ・モンテフェルトロの魂に、紋章から「白い穴に住むライオン」と呼んだ人物。世上ではそのよくない所行により「悪魔」とあだ名されていた。1302年にイモラで死んだ。もっと早く死んでいれば、家名の汚れも少なくて済んだものを、とグイドは言うのである)が結局死ねば、良くなるでしょう。でも、彼らの邪悪な行いの記録は残りますが。ああ、ウゴリン・デ・ファントリン(ファエンツァの名流ウゴリーノ・デ・ファントリーニ。十三世紀の初めに生まれ、ラモーネ川の流域の数城を宰領したグエルフィ党領袖。政界に表立って出ることを避けたが、まれに見る徳行と聡明の人物として世評高く、1278年惜しまれつつ死んだ。遺児二人の内、長男のオッタヴィアーノは1282年フォルリで戦死、次男のファントリーノも1291年までに死んでいる。後継者の夭折により、ウゴリーノの令名が汚されずにすんだのは幸運、というのである。)よ、あなたの名前は大丈夫です、後継者によって堕落のシミをつけれられないかぎり。さあ、行ってください、トスカーナ人(ダンテ)よ、私はもう、ものを言うよりも、泣いていたいのです。私たちの(主としてリニエル相手の)話は、私の悲しみに暮れた心をねじ苦しめました。」私たちが、右の方へ去っていった足音を、良い魂達は聞いていました。魂達が何も言わなかったので、私たちが正しい方向に登っているのだということが分かりました。私たちが、寂しい道を歩んでいると、空をつんざく雷のように、私たちに向かって上から声がしました。「私に出会う者は誰であれ、私を殺すでしょう!」(嫉妬のあまり弟のアベルを殺したカインが、主に向かって答えた言葉の最後。創世記4の13-14参照)そして、雲の間から突然雷が光り、すぐに消えていくように、その声も消えました。あまりの大きな音に、私たちの耳はおかしくなっていたのですが、それが回復していくと、今度は二つめの声がしました。それは、次々と落ちる雷のようでした。「私は石になったアグラウロス(アテナイの王ケクロプスの娘。オウィディウスの『変身譜』2の737-832に従えば、ヘルメスがアグラウロスの妹ヘルセーのもとへ通ってくるのを、嫉妬に絶えかね妨げたので、アグラウロスはヘルメスにより石に変えられた)だ!」これに怯えて、私は、前に進むのではなく、先生のそばに右に寄りました(ウェルギリウスはダンテの安全のため、彼と並んで掩護のない右側を歩いている)。すると今度は、私たちのまわりの空は再び静まりかえりました。ウェルギリウス先生はおっしゃいました。「これらの例は、人の心を抑制して、他人の幸福を妬まないようにするための良い誡めです(詩篇32の9参照)。しかし、君のように現世の人々は、餌をくわえてしまい、悪魔に釣り針に引っかかるのです(伝道の書(コヘレトの言葉)9の12を踏まえての成文)。ですから抑制しても、拍車をかけても効き目がないのです(「抑制」は嫉妬の罪が神の正義により罰せられた実例を、「拍車」はそれが神の正義により矯された結果としてのカリタスの実例を示す)。天の星々は、空をめぐって君たちに呼びかけて、その永遠なる美しさを示します。しかし、君たち現世の人々は地面ばかり見ています。ですから、すべてを見分ける神は、君のような現世の人々を打ちのめすのですよ。」(2005年8月22日)(2005年9月30日更新)

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第十五曲
午後三時頃、煉獄山では夕方、今私が書いているここイタリアでは(煉獄と対蹠のイエルサレムでは午前三時なので、そこから四十五度西のイタリアでは真夜中にあたる)真夜中の頃でした。山を登り始めた時、私たちは、西を正面としていましたが、前域と二つの冠でいくらか右に回り込んでいるので、今は西北が正面なので、太陽の光は、私たちの顔を照らしました。しかし、急に、私の額にはもっとたくさんの光りが照らされたと感じました(天使の光りが加わったので)。このようなことは初めてだったので、私はビックリしてしまいました。私は両手を目の上にひさしのようにしました。水面やガラスに反射する光が、もとの光の差す角度と同じ角度で反射して、垂直の線から同距離離れていることは、理論と実験で示される通りです。ちょうどそのように、光が私の前で反射したと思ったのですが、それだけではなさそうなので、そらした視線をウェルギリウス先生に向けました。私は先生に訊ねました。「優しいお父さん、これはなんでしょう? こんなに明るい光からは目を隠せません。しかも、私たちに向かってくるようです(実はダンテ達が光源(天使)へ近づいていく)、違いますか?」先生はおっしゃいました。「天からの使者に目がくらんでも、驚いてはいけませんよ。これは、私たちが登っていくのを招いてくださる天使です。このような光景を見るのは、君にとってつらいどころか、喜びとなりますよ(煉獄第三十曲のダンテは、眩惑せずに天使を直視して大きな喜びとする)。罪が清まるに従って、光を喜ぶことがますます深くなるのですよ。」私たちはその至福の天使の前に立ちました。天使は喜ばしい声で告げました。「この下の所よりも登りやすいこちらの階段へお進みなさい。」天使と別れて、私たちは進み、階段を登っていると、「憐れみ深い人は、幸せである!(山上の垂訓第五、「その人たちは憐れみを受ける。」と続く。マタイによる福音書5の7参照)」という声が聞こえ、また、「喜べ、勝利したる者!(嫉妬の罪を表すP字がダンテの額からぬぐわれたのを「勝利」として喜び、前途への精進を励ます天使の言葉。マタイによる福音書5の12の「喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある」参照)」と言う声が聞こえました。先生と私は二人だけで階段を登っていきましたが、私は、先生の賢い言葉から学ぼうと思いつつ一歩一歩、歩んでいました。そして、私は先生の方に向いて、質問しました。「「協力」と「拒み」について語ったロマーニャのあの魂(グイド・デル・ドゥーカ。煉獄第十四曲参照)が言いたかったことはなんでしょう?」先生はお答えになりました。「彼は自分の最悪の罪である嫉妬の害をよく知っているのです。ですから、人々が(自分一箇の問題を現世に生きる人類全体の問題として)嘆き悲しむことが少ないようにと思って、その嫉妬の罪を咎めたのです。君たちは、現世の物事は分け前が少なくなっていくのに、それを君たちのゴールだと思っているので、嫉妬は君たちのため息を牛のうなり声のように大きなため息にしてしまいます。しかし、君たちの愛が、至高の天の愛であれば、君の願望は向上し、心を圧迫するような恐怖は少なくなるのですよ。至高天において”私たちの物”という言葉を言う者が増えれば増えるほど、一人一人の所有する幸福は増え、隣人愛は神の住居である至高天においてより強く燃えるのですよ。」私は言いました。「私は今、先ほど私が質問をした時よりも、もっと知りたくなってしまいました。そして、もっと難しい問題も心に沸いてきました。一つのよい物を、ほんの少しの魂達と分かつより、たくさんの魂達と分かち合う方が、すべての所有者をより富ませることができるというのは、どういうことなのですか?」すると先生はおっしゃいました。「君は、現世のことしか考えていないので、暗闇から真理の光をつかもうとしているのですよ。あの、無限な、筆舌に尽くしがたい、天におわします神の愛の光は、輝く物体へ光線が差し込むように(トマス・アクィナスが『神学大全』で展開した説を受けて、ダンテも光る物体は光を受ける傾向を持つと考えた)、愛へとひた走ります。神は、神を愛する者の愛の熱度に応じて幸せを与えてくださいます。ですから、神を愛するということが深ければますます、その人の受ける幸せはより大きいのですよ。天上の幸せを愛する者が多ければ多いほど、神が与えてくださる幸せも多く、神を愛する愛は深いのです。彼らがおのおの自分の幸せを他の者に映すのは、鏡のようです。ですから、もし、私の説明でも分からない所があれば、ベアトリーチェに会えば、すべて教えてくれるでしょう。「高慢」と「嫉妬」の罪を表す二つのP字が消されたように、残る五つの傷(煉獄の門をくぐるに際し、天使がその剣を以てダンテの額に記しづけた残りの五つのP字)がすぐに拭われることのみにつとめなさい。その傷は痛み(ここ煉獄での痛ましい浄罪の苦行。煉獄を旅するダンテもその応分の参加者なのである。煉獄第十二曲参照)によって癒されるのですよ。」私が、「先生のお話に満足しました」と言おうとした時、もう既に、憤怒の罪が浄められる第三冠に見える光景に、私は黙ってしまいました。そこに突然、私は恍惚として幻の中の人物になり、多くの人が神殿にいるのを見たように思いました(憤怒の対蹠である柔和の第一例として、ここでも聖母マリアが登場する。イエスが十二歳の時、過越の祭のため両親に伴われてイエルサレムに上り、祭りの期間が過ぎて一同が帰路に就く。イエスの姿は見えず、両親は心当たりを探したあげく、イエルサレムに引き返した所、神殿でイエスが教師達の真ん中に座し、談義しているのを見て驚く場面である。ルカによる福音書2の41-48参照)。一人の女の人が、神殿の入り口で優しいお母さんのようにささやきました。「我が息子よ、あなたはなぜ私たちにこのようになさったのですか? ご覧なさい、あなたのお父様と私は二人とも涙に暮れてあなたを捜したのですよ。」すると静かになりました。その女の人の姿は急に消えました。すると、別の女の人(名君の誉れ高かったアテナイの僭主ペイシストラトス(前600頃ー前527)の妻。ダンテは、一世紀前半ティベリウス帝時代のローマの通俗史家、ウァレリウス・マクシムスの、中世に愛読された『著名言行録』に、柔和の第二例を求めている。ペイシストラトスの娘と恋仲の一青年が、街上でその娘に接吻しているのを見た僭主の妻は、青年を殺すようにと夫にせがむ。その時夫は、”われらを愛するものを殺すのにおいては、われらを憎む者に対してどんな処置ができるか?”と答えたと同書に見えている)が見えました。その女の人の頬は、復讐に燃え、悲しみがこみ上げると流れる涙で濡れていました。その女の人は話しました。「神々がその名前をめぐって激しく争い、また、すべての知識の源のようにきらめく町(オウィディウスの『変身譜』6の70-82その他に拠れば、初代王ケクロプスの時、その首都の名を定める時の争いが、勝負の判定は神々に委ねる条件で、女神アテナと、オリュンポス主神の一人、ポセイドンの間で行われた。人類に最も有用な賜り物を出した方が勝ち。ポセイドンは三つ叉の鉾で大地を打ち、アクロポリス山上に海を湧き出させ、アテナは、オリーヴの木を生え出させた。オリーヴの木の方が人類には海よりも有用なのでアテナの勝ち、と判定され、首都の名にアテナイが選ばれ、爾来文化や知識の象徴になったという)の、あなたが君主なら、私たちの娘を抱いたみだらな両腕に復讐してください、ピシストラートよ!」すると、その女の人の夫である君主は、穏やかな顔をして、優しく落ち着いた声でその女の人に答えるように見えました。「私たちに愛を示してくれる人々を責めるなら、私たちを害しようとする人々に対してはどのようにすればいいだろうか?」次に私が見たのは、ユダヤ人の群衆で、怒りに燃えていて、一人の男の子(イエルサレムの教会の七執事の一人で、恵みと力に道、最初の殉教者となったステパノ。モーセと神とをけがす言葉を吐いたとして、ユダヤの群衆に石で打ち殺されながら、「この罪を彼らに負わすな」と言い、死の眠りに就いた。使徒行録6の5-15、7の1-60参照)を死に至らそうと、互いに「殺せ! 殺せ!」と叫びあっていました。その男の子は、膝で立つようにしていて、死の重みに地面に倒れかかっていて、でも、天の門に両目を向けており、そのような苦痛の中にあっても、彼を苦しめる人々に憐れみの顔を向けながら、どうかこの人たちを許してあげてくださいと神に祈っていました。私の心が、神によって与えられた主観的実在の世界を出て、その外に実在する事物へ立ち返った時、私は、客観的には偽りであり、しかし、主観的には真実であることを確認しました。私の先生は、私が眠っているのから誰かが起こそうとしているようであるのをご覧になり、おっしゃいました。「君はどうしたのですか? 自分をコントロールできないのですか? 君は、半レガ(一レガはほぼ一マイルにあたるとされているが、地域によって差があり、ここでウェルギリウスの意味した正確な長さは不明)もの距離を、半分眠っているか、ワインに酔っぱらっているかのようにして歩いたのですよ。君の目は閉じてしまいそうで、足はフラフラしていましたよ。」私は言いました。「ああ、私の優しいお父さんのような先生、聞いてください。私が足を良く動かせないでいた間、私に現れた事々を聞いてください。」すると先生はおっしゃいました。「君が百もの仮面をかぶって顔を隠しても、君の考えは、どんなにささやかなものでも、隠すことはできませんよ(地獄第十六曲、第二十三曲参照)。君の見たものは、神(ヨハネによる福音書4の14参照)から永遠にほとばしり出る、平和の水(憤怒に燃える心を冷やす、心が広く思いやりのあることの徳)によって、君の心を浸すようにと示されたのですよ。私が”君はどうしたのですか?”と訊ねたのは、肉体が意識を失っている時、見えない目でしか物を見ない者に言ったのではなくて、足をしっかりなさいと言うために言ったのですよ。目が覚めても、ちゃんと起きるまで時間のかかる怠惰な人には、鞭を当てなければならないでしょう。」日が暮れていく道を、私たちは進んでいきました。日没の光の中を、できる限り前を見ながら歩みました。すると、少しずつ、夜の闇の中、煙が形になったような群れが、私たちの方に近づいてきました。私たちは逃げることができませんでした。この煙が私たちの視力と、澄み切った空気を奪っていったのです。(2005年8月27日)(2005年9月30日更新)

にくちゃんメモ:第二冠から、憤怒者の魂のいる第三冠に来ました。(2005年9月30日)

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第十六曲
地獄の暗闇や、惑星や星のない空の下に、暗く分厚い雲で覆われた夜の暗闇は、そこで私たちを覆った煙ほどは、分厚く、粗いベールのように私の顔を覆うことはありませんでした。それは、目を開けていることができないほどで、私の賢く信頼のおける先生は近くに寄り添ってくださり、私は先生の左肩にもたれました。刺すような、ひどい空気の中を私が歩くのは、目の見えない人が、導き手の人のそばを、道からそれたり、体を傷つけたり命を失ってしまうような何かにぶつかってしまわないように、歩くようでした。先生は私に「気をつけなさい! 私から離れないようにしなさい。」と絶えず言い続けているのを私は聞いていました。私はいろいろな浄罪の魂達の声を聞きましたが、どの声も、罪をぬぐい去る神の子羊であるキリスト(ヨハネによる福音書1の29に、洗者ヨハネは、近づいてくるイエスを見て、「見よ、世の罪を取り除く神の子羊だ。」と言ったとある。子羊としてのキリストは、憤怒の対蹠である無垢と柔和を表象する)に、慈悲と平和を求めて祈っているようでした。それぞれの祈りの声は、「神の子羊(「この世の罪を取り除く神の子羊よ、われらを憐れみたまえ」となる。会衆が散るに先立ち、聖俗声を合わせてこのように唱える形式を最初に定めたのは、教皇セルギウス一世(在位687-701)であったと言われる)」で始まり、同じ言葉を同じ音で祈るので、美しいハーモニーでした。私は先生に訊ねました。「先生、あの声は、魂達の声なのですか?」すると先生は私におっしゃりました。「そうですよ、君の言うことは正しいですよ。彼らは憤怒の結び目を解いているのです(浄罪行によって)。」すると誰かの声がしました。「私たちの煙を裂いて(重量のない魂では不可能。生きた人間にして初めて可能)いくあなたは誰ですか? カレンダーで時をはかる(永遠が支配する魂の世界では、現世と異なり、時間の計測は行われない)人のように話をするあなたは誰ですか?」先生はおっしゃいました。「まず、その魂の質問に答えなさい。そして、この道を上っていくのが正しい道かどうか訊ねなさい。」そして私は言いました。「魂を浄めて神のもとに美しいもとの姿で帰ろうとしている神の被造物であるあなた。私と一緒に来てくれれば、なぜ私が生身でありながら冥界に旅するかを教えましょう。」その魂は言いました。「許される限り(浄罪の魂達は厚い煙の雲の中にとどまらねばならない定め)あなたについていきましょう。煙で互いに姿は見えなくても、お互いの声を聞くことはできますから。」私は言いました。「死によって失う肉体を身につけたまま、私は天国へと登っています。地獄を通ってここへ来ました。神が、近い代の慣習(地獄第二曲にあるように、使徒パウロは天へ召し上げられ神の神殿を見たとの伝承が中世一般に行われていた。また天国第二十二曲には、「近い代の慣習」が述べられている)とは違う方法で、私が神の神殿を見たいと思うほどまで、特別なお恵みをくださったのです。あなたが生きている時なんというお名前だったか、どうぞ教えてください。それから、この道は、上に行く道かどうかも教えてくださいませんか? あなたの言葉は私たちを導くことになりましょう。」するとその魂は言いました。「私はロンバルディアの生まれ、マルコ(このマルコと思われる十三世紀の人物についての断片的な逸話はいくつか拾い上げられるが、正確な伝記を綴ることは今のところ不可能)という名前でした。私は世の中のことをよく知っていて、今では誰もそれを志して目標とすることのない雄々しさ(地獄第二十六曲でオデュッセウスの言う不徳(女々しさ)の反意語としての徳。煉獄第十四曲参照)を愛しました。あなたが進もうとしている道は階段に通じます。」そして、マルコは付け加えました。「あなたが神の神殿に行ったら、私のために祈ってください。」私は言いました。「分かりました。約束します。でも、私には疑問があるのです。自分の中に収めておくことができません。初めは下で(グイド・デル・ドゥーカが、雄々しさを根幹とする徳、今はアルノ川流域に亡び、住民の性、動物のそれに変わり果てたと語った時には)その疑問を思ったのですが、今、あなたの言葉で二度目の疑問となりました。あなたがおっしゃったように、本当に世界は様々な徳を失っていて、不徳ばかりを産んでいます。これはどうしてなのでしょうか? 私が他の人に教えてあげられるぐらい、明らかにしてください。その原因を、ある人は、天上に(地上の人間に影響力を持つとされる天の星座)、そしてある人は下界に(人間本有の性情)置きます。」悲しみの深いため息の「ああ!」という声が始めに聞こえました。そしてマルコは語りました。「兄弟よ、現世では目が見えないのです(現世に生きる人間は心理に暗い。地獄第七曲のウェルギリスの言葉参照)。そして、そんな発言をするとは、あなたもその一人です! あなたのような現世に生きる人たちは、すべてのことの原因を天だけに帰するのです。すべての物事は、天が運命づけたというように。もしそれが本当なら、私たちの自由意志は、滅びてしまい、善行には幸福の報いを、悪行には刑罰の報いを与えることにならなくなります。天はあなた達の志向を先導するだけで、志向のすべてにわたるわけではありません。でも、もしそうでも、あなた達は善悪をわきまえる理性による弁別力と、自由意志は持っています。自由意志は、天との最初の争い(天の星座が人間に宿命的な影響力があると信じ、理性に反する激情や迷妄などの跳梁に任せる傾向)では弱くなってしまうかも知れませんが、善徳と良俗を充分に摂取するならばすべての障害を乗り越えることができます。あなた達は、あなたの心を作ってくださる神のすばらしい力の自由な対象で、このことは、人間に影響力を持つと言われる天界の星座のコントロールできない所です。ですから、今日の世界が行く道を誤れば、原因はあなた達自身にあるのです! 私は、その原因について注意深く説明しましょう。創造の初めにおいては、人の魂は無邪気で思慮が無く、ただ本能に従って自分を楽しませる物に向かいます。このようにして世の中の幸せを味わうと、その幸せに欺かれてから本当の幸せとしてただそれだけを追い求めるのです。従って、人は、抑制として法を必要とし(『ローマ法大全』を編集させたユスティニアヌス皇帝への言及。煉獄第六曲参照)、少なくとも、真の都の塔(俗界に正義を行き渡らせて理想の国家を作るのが任務である統治者(皇帝)の目標。従ってこの真の都は、永遠の幸福が支配する神の国を意味しない)だけ見分けのつく統治者が必要になりました。法律はあるけれども、誰がそれを運用しますか? 誰も居ません(1250年に神聖ローマ帝国フリードリヒ二世が死んでからは、イタリアにその名に値する俗界の統治者はいないとしたのは、ダンテの持論であった)。教皇(その任務は精神的な統治、即ち神の国に絶えず思いを通わせる反芻(瞑想)にある)は、反芻するけれど別れたひづめを持たない(「別れたひづめ」とは、分に応じて適材を適所に配置する職能、即ち世俗的な統治原則を指す。教皇はこれに関わるべきでないというのがダンテの持論。なお「反芻」と「別れたひづめ」の出典は、レビ記11の3-7、申命記14の6-8)のです。民衆は、聖職者が、もともとは世俗的統治者の念頭にあるのが当然の物質的充足だけに熱心であるのを見て、精神的な満足や神への志向を求めようとはせずに、その物質的充足を求めるのみなのです。おわかりのように、現世を邪悪な世の中にしたのは、自分の分を越えて世俗的統治者の職能まで奪った教皇達の間違った指導であり、あなた達の内に腐っている本来の性(人間の魂は本来無垢清純であり、その魂を「宝の持ち腐れ」としたのは聖職者の悪指導だと主張するこの論拠に、アウグスティヌス以来の原罪思想が欠落している点については、注釈者達も指摘している)ではないのです。ああ、ローマよ、この良い世の中を作ったローマよ。かつて皇帝と教皇の二人が、この世の道と、神の道をそれぞれ照らしました。片方の光がもう片方の光を消し、剣(皇帝の表象)は杖(教皇の表象)と結ばれました。このように合わさったことで、良い統治ができなくなってしまったのです。結びついてからは、互いに相手を恐れなくなったのです。私の言うことを疑うのなら、実った穂(結果。出典はルカによる福音書6の43-44)を見てご覧なさい。どの植物も種によって区別するのですから。ポーとアディーチェの両川のうるおす国土(北イタリアのロンバルディア地方。アディーチェ川については地獄第十二曲参照)は、フリードリヒ(神聖ローマ帝国フリードリヒ二世(1194-1250)が、しばしば教皇軍と抗争して破門された事実への言及)が敵襲を受けるまでは、誉れ高く正直な礼儀正しさで満ちていました。所が、自分が悪い人間なので、善人と話をしたり、近づくことすら恥ずかしい者が、今では、恐れずにその土地を通ることができるのです(同類ばかりなので)! 過去によって現在を責める三人の老人が生きています。神がその三人を天国での生活へと呼ぶのを心待ちにしています! クルラド・ダ・パラッツォ(ブレシア旧家ので、グエルフィ党員で、1288年にはピアチェンツァの司法長官となっている。文武両道に優れた理想の騎士的人物であったらしい)、良きゲラルド(1240年頃、ビアクイーノ・ダ・カンミーノの息子として生まれたパドヴァの市民。1283年トレヴィーゾの総司令官となり、1306年3月に死ぬまでその職にあった。ダンテは『饗宴』4の14の12で、ゲラルドを、卑劣きわまる祖父の直系にもかかわらず、高潔な生涯を送った模範として特記している)、フランス人が”妙好人ロンバンルド(ダンテの時代、フランスで高利貸しを営むイタリア人が目立ったので、フランス人は一般にイタリア人をロンバルドと蔑称した。そのイタリア人にも、例外的な正直一途の者もいるとして、ロンバルドの概念とはおよそそぐわない「妙好人」を冠した一種の原語遊技)”と呼ぶグイド・ダ・カステル(1235年に生まれ、1315年にはまだ存命のレッジョ・ネル・エミリアの紳士。ダンテは詩人でもあったこの人物の気高さに、『饗宴』4の16の6で触れている)です。このことを世界中に言ってください。聖俗両界にわたる統治権を合わせ持ったローマの教会は、泥まみれになり、自分自身も、主権者としての責任をもけがすのだ、と言ってください。」私は答えました。「よく説明してくれました、マルコよ。レビの子孫から相続権をなぜ除かれたか(民数記18の20-24の記事を踏まえて、聖職者が神と地上権力の二つにかね仕えるべきでないとの証しとした)、よく分かりました。でも、ロンバルディアの亡国の民の形見として残り、私たちのいる残酷なこの世の中を責める、ゲラルドとは誰なのですか?」マルコは言いました。「あなたのお言葉は、私をからかっているのでしょうか、それとも、私をテストしているのでしょうか! あなたはトスカーナの言葉をしゃべっているのに、どうしてゲラルドのことを知らないのでしょう? トスカーナにまで評判は届いていたはずなのに。私は、ガイア(ゲラルドと、その後妻との間の娘。親戚のトルベルト・ダ・カミーノと結婚し、1311年8月に死んだ。美と徳を兼ね備えた淑女であったとも、逆に、身持ちの悪いふしだらな女であったとも言う。ダンテは恐らく後説により、「この父にして、なおこの娘在り」と皮肉に対比させたのであろう)の父親だということ以外、彼の他のあだ名は知りません。神があなたとともにいられますように! もう私は戻らないといけませんから。この分厚い煙に差し込む光線が明るくなってきたのがお分かりでしょう? 天使が近づいてきました。天使が私を見つける前に私は戻らないといけません。」そしてマルコは戻っていきました。一言も私の言葉を聞こうとしませんでした。(2005年8月28日)(2005年9月30日更新)


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第十七曲
読者よ、もしあなたが山で霧に逢い、霧の中で道を見ようとしても、モグラのように目が見えなかった(ブルネット・ラティーニの『トレゾール』1の197に「モグラは全く視力無し」と書かれているが、ダンテの時代にはそう信じられていた)ことがあったなら、湿った濃い空気が消え始めて、日輪が霧の間を弱く差し込むのを思い出してください。そうすると、太陽が沈もうとするのを私が見た時どのようであったか、よく分かると思います。先生の頼もしい歩みに合わせて、私は煙の中から出ました。しかし、太陽の光線は岸辺の下にありました。ああ、想像力の力よ、私たちの心を外の物事から遮り、千ものラッパが鳴り響いても私たちを無意識にさせる、想像力の力よ、感覚が想像力を刺激して活動させるのではない時は(新プラトン派の影響も受けているアヴィケンナを媒介として、アリストテレスを祖述したトマス・アクィナスに従い、ダンテは想像力を五感とは無関係の内奥の機能と見て、その形勢には神の意志が参与すると考えた。従ってこのくだりでダンテの想像力が捕らえた情景の作者は、第一冠の浮き彫り同様、神なのである)、星座や天意によるものなのです。私が想像したのは、歌を歌って生きている夜鶯に姿を変えたプロクネー(煉獄第九曲参照。憤怒の罪の第一例)でした。これを見て、私は心が奪われて、他の事は心に入りませんでした。次に想像したのは、十字架にはり付けられた者(ペルシア王クセルクセス一世(在位前486-前465、別名アナシュエロス即ちアッスエロ)の宰相ハマン。ユダヤ人マルドチェオが自分に対して跪かないのを憤り、版図内のユダヤ人全部の殺戮を計画した。しかしその計画は、王妃エステルとマルドチェオの王への進言で失敗し、ハマンは木に懸けられて殺された。委細についてはエステル記3の7参照。憤怒の罪の第二例)でした。その顔は死に瀕しているのに、傲慢で獰猛でした。彼のまわりには、偉大なアッスエロとその妃エステル、それに、言葉も行動も誠実なマルドチェオがいました。すると、覆っている水が無くなり泡になってはじけるようにそのイメージが消え、次の幻が見えてきました。想像していると、若い女の子(ギリシア神話のラティウムの王ラティヌスと、王妃アマタの間に生まれた娘ラウィニア(地獄第四曲参照)。アマタは、ラウィニアの許婚者トゥルヌスが戦死したと誤信し、かねがね反対していた娘とアエネアスの結婚の実現を恐れ、憤怒と絶望のあまり縊死する。諸伝あるが、ダンテは『アエネイス』12によって成文した。憤怒の罪の第三例)が激しく泣きながら言いました。「ああ、王妃よ、なぜ怒りのあまり死んでしまったのですか? ラウィニアを失う(ラウィニアがアエネアスと結婚することによって)ことよりも、自らの死を選んでしまったのですか? そして今は、私を失ってしまいました(娘と共にある生活と絶縁した)! トゥルヌス(彼は結局恋敵アエネアスと闘って死ぬ)よりも前に、お母様、あなたが亡くなって嘆き悲しむのは私です!」突然、私の閉じた目は光を受け、私は眠りから覚めました。でも、全く起きてしまうのではなく、しばらくうとうとしていました。現世で受けた太陽からの光よりもずっと明るい強烈な天使からの光が私の目を打ち、私の想像も消えていきました。ここはどこかと見回すと、声が聞こえました。「ここが登る所です。」これを聞いて、私の雑念は消えました。そして、その声の主が誰なのか知りたいと思い、その思いは、顔を合わせないと静まらないぐらい強い願いとなりました。でも、その明るさは見ていられないほどで、形さえ分からないほどの燃える太陽を見るのと同じように、私の視力は役に立ちませんでした。ウェルギリウス先生はおっしゃいました。「これは神の使いの天使ですよ。光の衣を身にまとって、私たちが訊ねる前に、どこを登ればいいのか示しに来てくれたのですよ。天使が私たちをあしらうのは、人が人をあしらうのと同じです。必要だと分かれば、質問してくるのを拒まないのです。さあ、天使からの招きに従って、暗くならないうちに、できるだけ登りましょう。暗くなってしまったら、もう登れませんからね(煉獄第七曲の、ソルデルロの言葉参照)。」そして私たち二人は、一緒に階段の方へ歩みました。私がその階段の1段目を踏むやいなや、羽根のようなもの(天使)が動いて、私の顔を扇いだのを感じました。私は声を聞きました。「平和を実現する人々は、幸いである(山上の垂訓第七。マタイによる福音書5の9参照)、悪しき憤り無ければ(悪しき憤りと良き憤りの区別については、トマス・アクィナスの『神学大全』2に、詳細な解説がある。ダンテはそれにより、垂訓第七の後半を「悪しき憤り無ければ」と結び、憤怒の罪の浄めにそなえた)。」夜になる手前の日の光が、すでに私たちの上を照らし、星々があちこちに見え始めました。私は、足の力が急に抜けてしまい、「私の力はなんでこのように消えてしまったのだろう?」と、私は何度も自分に聞いてみました。私たちは、階段の最後の段に着くと(煉獄山の中央である第四冠の台地を正面にして)、岸に着いた船のように、私たちの体は動かなくなってしまいました。私は、しばらく待って、第四冠の台地から何か聞こえないかと耳をそばだてていました。そして、先生の方に向き、訊ねました。「ああ、私の優しいお父さんのような先生、この台地ではどんな罪が浄められるのですか? 私たちの歩みは止まってしまいましたが、お話しは止めないでください。」すると先生はおっしゃいました。「善を愛しながら、その義務を怠ったものぐさな者が、ここでは矯められるのですよ。のろのろと動かしていたオールが、ここでは、懸命に漕がれるのですよ。でも、もし君がもっと良く理解したいのなら、私の話をよく聞きなさい。そうすれば、このように今歩む事ができないでいても、良い事が得られますよ。創造主も、被造物も、愛を欠いた事はないのですよ、我が息子よ、君がよく知っている通り、自然の愛(被造物(山川草木をも含めて)のすべてが、至上善である創造主・神に惹かれる傾向としての。この場合、愛は目的そのもの)にしても、恣意の愛(自由意志によっての。この場合、愛は目的への手段)にしてもです。自然の愛には決して間違いはありませんが、恣意の愛は、間違った目的を選んでしまう事によって、また、不十分なまたは過度の熱意によって、間違う事もあります。恣意の愛が、至上善、即ち神を目指すと、また、人に快楽をもたらすもの、例えば財宝、食物、娯楽などを目指しても節度を保っていれば、罪深い喜びの原因とは成り得ません。しかし、その恣意の愛が、邪悪な方向へ曲がったり、良い方へ曲がっても、熱意が充分でなかったり過度だったりすると、被造物の振る舞いは創造主の意に背く事になります。ですから、愛は、君の中に芽生えるすべての徳の種にも成り得るし、罰に値するすべての行動の種にも成り得る事が君には分かったでしょう。愛は、愛する者自身の幸せをないがしろにする事はない(ダンテの信奉したトマス・アクィナスに従えば、もろもろの偶有は本体に生まれついており、愛も一つの偶有なれば、愛の受け手は愛の与え手、即ち愛されている者が愛するにほかならない)ので、世界中の誰でも、自分に災いを求める事はありません。また、誰も、神を離れて自分だけで存在する事はできないので、どんな被造物も神を憎む事はできません。ですから、私の主張が正しければ、私たちが愛する災いとは、他人の災いです。この愛は、泥の人間(創世記2の7参照)では、三つの型があります。まず、他人をけ落として自分は成功しようとする人がいます。他人が高い所から落っこちるのを見たいと願っているのです(高慢。第一冠で浄罪される)。次には、他人がのし上がるのを見て、自分の名誉、名声、権力、有利を失うのを恐れる人です。他人の良い事によって悩み、悪くなる事を望むのです(嫉妬。第二冠で浄罪される)。最後は、損害を受けて、怒り狂い、復讐の念に燃え、どうやって相手を傷つけるかの身を考えている人です(憤怒。第三冠で浄罪される)。この三つの型の愛は、私たちが歩いてきた下の台地で浄められます。さて、私は君に、他の型を知ってもらおうと思います。節度を忘れて善に急ぎすぎる愛についてですよ。君たちの心が安まる善(神)を、誰でも、おぼろげながら気づいていて、強く望んでもいるのです。それで、君たち一人一人は、それに到達しようと努力するのです。もし君が、生ぬるい愛(怠惰。第四冠で浄罪される)でもって、それを切望し、つかみ取るなら、悔悛したら、この台地で責め苦を負うでしょう。地上の愛はありますが、それは、人を完全な幸せにはしないので、本当の幸福ではありません。本当の幸福の原因であり結果であるものはただ神のみなのです。このような幸福に溺れる愛は、この上の三つの台地で浄められます。でも、どのようにその三つ(貪欲、貪食、貪色)に別れるかは、君が自分で見出しなさい。」(2005年8月31日)(2005年9月30日更新)

にくちゃんメモ:第三冠から、怠惰者の魂のいる第四冠に行きます。(2005年9月30日)

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第十八曲
説明を終えられた威厳ある先生は、私が満足したかどうか見ようと、私の顔をのぞき込みました。私は、今説明を聞いたばかりなのに、もっと聞きたいと思い、黙ってこう考えていました。「もしかして、先生は、私の質問にうんざりしてしまったのだろうか?」でも、おずおずして説明できない私の願いを感じ取った本当の父のような先生は、まず話をされ、私が話をできるように勇気を出さしせてくださいました。そこで私は言いました。「先生、先生が放ってくださった光で、私の視力の感覚が鋭くなり、先生のおっしゃった事の意味がよく見分けられます。ですから、どうかお願いです、優しく敬愛するお父さん、先生が、すべての徳とすべての邪悪の根元であるとおっしゃる愛(煉獄第十七曲参照)について、私に定義しください。」先生はおっしゃいました。「それでは、私の言う言葉に、君の心の目を向けなさい。そうすれば、盲人の道案内をする盲人(煉獄第十八曲参照。なお、「盲人の道案内をする盲人」の出典は、マタイによる福音書15の14。このくだりを、ダンテは『饗宴』1の11の4-6で詳しく解明している)の間違いがよく分かるでしょう。人の心には物を求める天授の力があり、一度喜びのために目覚めれば直ちに外に現れて、すべてその喜びと認められる物を求めようとします(知的機能の枢軸としての魂。なおこのくだりについては煉獄第十六曲参照)。君たちの理解力は外側のイメージをとらえてきて、それを君たちの心に示すのです。そして、もし心がこのイメージに傾いて、これと結合すれば、そこに愛が生じ、これは、外側の刺激で心の中にある自然に物を求める気持ちと新たに合わさる力なのです(愛についてのこの談義は天国第一曲参照)。炎が、その性質で、火炎天(スコラ哲学者の間では月天に最も近い場所と考えられていた)の方へ常に上へ上がるように、とりことなった心は、魂の動きを求め、愛の対象となったものと喜びを分かち合うまではとどまる所を知りません。どんな愛も本来愛でるべきものであると断言するエピクロスの徒が、いかに目が見えていないかという事が、君にはよく分かったでしょう。人は、自分で善と認められるものを求めるので、愛の目的は常に善と見えますが、常に善とは限らず、また、仮によいものと見えても、愛の過不足によって罪を犯す事があるのは、良い蝋の上に悪い型を押すようです。」私は先生に答えました。「先生のお言葉と、私の理解によって、今、私は愛がどういうものかが分かりました。でも、これが分かった事で、疑問もわいてきました。もし、愛が外から与えられ、心がそれに引きつけられるなら、良い愛にしろ悪い愛にしろ、どのようにそれに善悪の報いを与える事ができるのですか?」先生は私におっしゃいました。「理性の知る所ならば、私は君に説明する事ができますよ。理性の限界を超えた宗教的啓示の領域については、ベアトリーチェを待ちなさい。信仰にかかわる事ですからね。物質と異なり、しかし、これに結合した人間の心は、特有の力、つまり、自然にものを認めかつ愛する性向を持つのです。この性向は、心の中にある時は見えず、その働きによって初めて悟られ、結果によって初めて明らかになるのです。物を認める最初の力と物を求める最初の情は、自然に心に備わる物なので、それがどこから来るかは、人は知る事ができません。自然に物を認めてこれを愛する情は、自由の愛ではないので、賞賛も非難も一切受け付けません。この自然の愛に、他の愛欲が結びつくと、自然の愛が自由の愛にうつるにあたっては、善悪をわけて、取捨すべき理性は君たちの中にあるのです。これが根本の原理で、善悪様々な愛を選り分けるに従って、君たちの価値を定めることになります。理性に従って物事の深くまで考え到った、プラトンやアリストテレスは、この生まれながら備わった自由を認め、それに基づいて、倫理を後世に残したのです。君たちの内に燃える愛が、必要によって生じるとしても、これを抑制する力が君たちに備わっているのです。この貴い力を、ベアトリーチェは自由の意志と考えています。ベアトリーチェがこのことについて話す時にそなえて、覚えておきなさい。」4月11日から12日にかけての真夜中に近い頃、火のように光る磨かれた銅のバケツのような月は、星々を私たちにたくさん見せず、黄道帯を通って西から東へ進む道は、11月下旬にローマの市民が、サルディーニャ人(の島)とコルシカ人(の島)の間に見る太陽の位置にありました。ピレートレ(マントゥアの南約5キロにある村。ウェルギリウスの誕生地アンデスはここであったと信じられている)が、マントゥアの他のどの町より有名になった、その高貴な魂ウェルギリウス先生は、私のための説明を終えられました。私は、私の質問に対して、このようにわかりやすく答えていただき、頭がぼやけて眠くなってしまいました。でもこの眠気は長くは続かず、私たちの後ろの台地をやってきた魂達(浄罪の魂達。この時ダンテとウェルギリウスは、階段を登りつめて達した台地の端近く、環道を隔てて絶壁に背を向け、煉獄山の下半部の坂、その下に開ける海、または真夜中に近い空、などの見える所に座していたと想像される)がやってくる音が聞こえました。テーベ人がバッコス(宗教的陶酔と熱狂をその主性格とし、ここもこの神の加護を得るために、テーベ人が、テーベ市を貫流するイスメーノ川と、テーベ市の近くを流れるアソポ川の岸にむらがり、宗教的狂躁にうつつを抜かしたことへの言及。一伝に拠れば、バッコスの母セメレーはテーベ人で、それ故テーベはバッコスの誕生地であったという)に帰依して、イスメーノ川とアソポ川は、昔、夜に、その岸に狂躁と群衆を見たといわれています。良い意志と正しい愛によって駆り立てられて、その魂の群れは岸のまわりを走って近寄ってきた時、そのテーベ人のように熱狂した光景を私は見たような気がしました。そして、その魂達の群れが、走ってきて、すぐに私たちに追いつきました。前にいる二人の魂が泣きながら叫びました。一人が叫びました。「マリアは立って山に急ぐ(熱意の第一例マリア。ルカによる福音書1の39に「その頃、マリアは出かけて、急いで山里に向かい、ユダの町に行った」とある)」するともう一人が叫びました。「カエサル(熱意の第2例ユリウス・カエサル。スペインのカタロニアにあるレーリダへ進軍する途中、カエサルはマルセーユを包囲したが、軍の一部を残してその攻略はブルータスに任せ、自分はスペイン征服へと急ぎに急いだ。ルカヌスは『パルサリア』3の453-455で、この時のカエサルを雷の激しさに擬している)は、レーリダ征服の途中マルセーユを襲撃し、スペインに向かった。」後ろにいる他の魂達が叫びました。「急げ、急げ! 無駄にする時間はありません。善行に努めれば、また恩寵が花開きます。」先生がおっしゃいました。「生ぬるい愛によって善行を行うので、怠慢と遅滞を激しい熱意をもって罪滅ぼしをする魂達よ、私は誓いますが、このダンテは生きているのです。そして、朝になれば、上に登ろうとしているのです。上に行く近道を教えてください。」魂達の内の一人が走り寄ってきながら叫びました。「私たちの後ろに続きなさい(この魂達は時計の針の逆回り、即ち正しく右へ進んでいた)。そうすれば、あなた達に道が見えます。私たちはずっと動き続けていたいので、止まっていられないのです。ですからこの贖罪の行が失礼だと思っても、どうか許してください。私はヴェローナのサン・ツェノ修道院長であった者です(この修道院長が誰であったか不明。一説に、神聖ローマ帝国フリードリヒ一世の時代の人で、1187年に死んだゲラルド二世かと言う。四世紀ヴェローナの司教であったツェノに因む有名な修道院は、起源がとても古く、ヴェローナのすぐ近くにある)。ミラノの人たち害までも悪く言う(皇帝フリードリヒ一世は、1162年、ミラノ市を攻め徹底的に破壊した)、偉大な皇帝バルバロッサ(フリードリヒ一世の異名。「赤ヒゲ」の意味)の統治下でした。しかしヴェローナには、片足を墓に入れた者が(ヴェローナの領主アルベルト・デルラ・スカラ。1301年9月10日、老齢で死んだ。ここに「片足を墓に入れた」と呼ばれる所以)いて、その修道院のために嘆き、権力を恣にした事を悲しむのです(死後、そのために地獄に堕ちて)。体が不自由で(アルベルトの庶出(恥さらして生まれた)の子ジュゼッペ(1263-1313)。生まれながら足が不自由であったという。レビ記21の17-21に拠れば、身に欠陥のあるものは、神のパンをささげるために近づく事を許されない。それなのにアルベルトはジュゼッペをあえてサン・ツェノ修道院長(1292-1313)とした。なおアルベルトには敵出の子が三人あり、相次いでヴェローナの領主となった。ダンテが同市にいた時身を寄せたカン・グランデもその一人)、心がねじれた、恥をさらして生まれた我が子を、彼は法的な牧者の代わりに据えたからです。」その魂がもっと話をしても、私は言葉を聞きませんでした。私たち二人は、ずっと後ろに残されていたからです。でも、これだけは私は聞いたので、嬉しかったのでした。必要な時にいつも助けになってくださるウェルギリウス先生は、おっしゃいました。「後ろをご覧なさい。怠惰を噛みつかんばかりに罵っている二人の魂を。」走っていく魂達の最後の二人は叫びあっていました。「水が分かれた紅海を渡り、エジプトから逃れてきたイスラエル人(出エジプト記14の21-30参照)は、モーセの教えにそむいたため、ヨルダン川の流れる地を見ずに死にました(民数記4の1-39参照)。また、アンキセスの子アエネアスと行を共にせず、アケステスの言うままにシチリア島にとどまり、長途の困苦を避けたトロイア人(『アエネイス』5の604-617参照。最後まで労苦を共にしたトロイア人については地獄第四曲参照)は、汚辱の生涯に身を委ねました。」そして、その魂達は、私たちから遠く離れてしまい、見えなくなってしまうと、私には新しい思いが心に浮かび、また他の思いがどんどん生まれてきました。そのうち、私は眠くなってしまい、目を閉じ、思いは夢へとうつっていきました。(2005年9月1日)(2005年9月30日更新)

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第十九曲
昼間の熱が、地球の冷たさや土星の冷たさ(中世では土星は地球へ寒気を及ぼすと信じられていた)によって冷やされ、月の寒さ(月もまたその光により地球を冷却させると信じられていた)に負けてしまう時、地占術(地上に打った任意の点を結び、その結果出来る図形を星座に当てはめて吉凶を占う法)を行う者たちが、東の方の遠くに大吉相(南北両半球において、宝瓶宮の最尾と双魚宮の最初の星々が東方の空に見えるのを思わせる図形。ダンテの煉獄山登攀の季節では、太陽がその中にいる白羊宮に先行する天象なので、この「大吉相」の東に登ってくる時刻は日の出前2時間頃。まず午前4時前後と考えて良い。地獄第十一曲参照)を見る時刻の、午前4時頃でした。私は一人の女の人(煉獄の五・六・七冠で浄められる肉の三つの罪、即ち貪欲、暴食、荒淫(悪しき愛)の象徴)の夢(その時刻の夢は真実を告げる。地獄第二十六曲参照)を見ました。どもりながら話し、斜視で、足が不自由でつまずきながら歩き、醜い黄色い肌をしていて、両手は奇形でした。私は彼女を見つめました。すると、太陽が、寒さにかじかんだ体を回復させるように、私の眼差しは彼女の舌をなめらかにして、醜い身体を治し、青白い顔を恋をしているような顔色に変えました。私が見つめていたので、彼女の軽やかになった舌は、歌い始め、その歌う様子は私の心を捕らえました。彼女は歌いました。「私はセイレーン(ギリシア神話のセイレーン。上半身は女の、下半身は鳥の形をした海の怪物達で、数は二ないし四、地中海のシチリア島に近い島に住み、航海者を美声で誘惑して引き寄せ、腑抜けにしたという)です。私の歌は、地中海を航海している水夫たちをだまし、誘惑し、喜びへと導くのです! 私の歌は、オデュッセウスを、行きたい方向からそらしました(ホメロスの『オデュッセイア』に従うと、オデュッセウスは部下の耳を蝋でふさぎ、我が身は帆柱に縛って動けないようにし、美声は耳にしながら島におびき寄せられる難を逃れた。ダンテはセイレーンをキルケーまたはカリュプソーと混同したのではないかとの説が注釈家の間に行われているけれども、ここはホメロスの原典を知らなかったダンテが、キケロのホメロスからの一部ラテン語訳によって成文したとする)。私と共に暮らす者で別れる人はほとんどいません。私はとっても満足しています。」セイレーンの唇が閉じる前に、私のそばに一人の淑女(煉獄第十六曲の「善悪をわきまえる理性による弁別力」の擬人化)が現れ、セイレーンを狼狽させました。その淑女は怒って叫びました。「ウェルギリウス、ああ、ウェルギリウス、これは誰ですか?」ウェルギリウス先生(ダンテの夢に現れるこのウェルギリウスは、「善悪をわきまえる理性による弁別力」を受けとめ、行動に移す自由意志の擬人化)は淑女をじっと見ながら近づきました。ウェルギリウス先生は、セイレーンをつかみ、衣をはぎ取り、お腹まであらわにしました! セイレーンからの悪臭で私は目を覚ましました。私は先生を見ました。すると先生はおっしゃいました。「少なくとも三回は、君を呼んだのですよ(マタイによる福音書26の34および75参照)。起きなさい。君が通れる道を探しに行きますよ。」それで、私は立ちあがりました。聖なる山のすべての冠に、日の光が満ちていました。私たちは太陽を背にして歩みました(二詩人は今山の北側の西に向かって歩いているから、朝日を背に受ける形となる)。先生の足跡についていきながら、私は物思いの重みに絶えかねて頭を低く垂れていました。それはちょうど、橋のアーチの真ん中のように見えたに違いありません。その時突然、私は声を聞きました。「こちらへ来なさい。ここが入り口です。」そのうるわしい柔らかな声は、決して人間の声ではありませんでした。すると、白鳥のような天使の翼が、二つの固い石でできた壁の間を指して私たちを上に導きました。そして、天使は翼を動かして、私たち二人を扇ぎ(その結果、また一つP字がダンテの額から消える)、「悲しむ者に幸いあれ、天で慰められますから(マタイによる福音書5の4に「悲しむ人々は幸いである、その人たちは慰められる。」とある。怠惰の罪を浄め終え、毅然として苦痛に耐えようと決意した者への相応しい祝祷)」と高らかに告げました。私たちは、天使の所を過ぎて、上の方に登っていたのですが、その時先生はおっしゃいました。「どうしたのですか? そんなに下ばかり向いて?」私は言いました。「先ほど見た奇妙な夢が、なんの知らせかと考えているのです。夢の事が頭から離れません。」先生はおっしゃいました。「君は、この上の三つの冠で魂たちが嘆き悲しむ、年寄りの妖女(アダムの原罪から、人類につきまとう「悪しき愛」、即ち上の三つの冠で浄められる貪欲・暴食・荒淫の象徴としての妖女)を見たのですよ。君は、人がその妖女から逃げる様も見たのですよ。でも、それで充分ですよ。急ぎましょう。神は諸天をめぐらしてその美しさを示して、君たちを招くので、君たちはその招きに従って心を天に向かわせなさい。」足元を見ている鷹が、鷹匠の叫び声を聞き、翼を広げて、餌のありかを見極めて舞い上がります。私もそれと同じようでした。私は岩の間を上り坂の終点へ向かって全力で登って、第五冠の縁に着きました。第五冠に立ってみると、私はホコリの上に身を伸ばして、顔を地面の方に垂れて泣いている魂たちを見ました。「私の魂は塵に着いています(詩篇119の25起句)」と、思いため息をつきながら小さな声で言うのを私は聞きました。先生はおっしゃいました。「神に選ばれた魂たちよ、正義と希望によって苦しみを和らげている者たちよ、上に上る道を教えてください。」魂が言いました。「あなた達が、地面にひれ伏さなくてもよくて、早く上り道を見つけたいというのなら、左側の絶壁に沿って時計の針の逆回りに進みなさい。」私は、私たちのそばから話をする、顔を地につけひれ伏している者を認めました。私は先生の目を見つめました。すると、先生は、私の目の中に私の望みをご覧になり、喜んでうなずかれました。私の望みの通りにしていいという事なので、私は、声の主の魂の所へ進んで、言いました。「浄罪の行によらなければ神のもとへ戻れない、涙に暮れる魂よ、お願いです、あなたのすばらしい行をちょっとの間止めて、あなたがどなたなのか、そして、なぜあなたはうつぶせに横たわっているのか、教えてください。生きたまま出てきた現世で、あなたのために私にできる事(生きている縁者の祈りにより、浄罪行の期間を縮める)がありますか?」その魂は言いました。「なぜ天が、私たちの背中を天に向けさせているか、あなたにはもうすぐ分かるでしょう。でも、まず、私はかつてペトロの継承者(ローマ教皇。教皇に相応しく、しばしばラテン語を交えて語るこの人物は、1276年7月11日、インノケンティウス五世のあとを継ぎ、まだ戴冠式も済まない38日後、8月18日に死んだハドリアヌス(アドリアン)五世(オットボーノ・デ・フィエスキ)。教皇インノケンティウス四世の甥に当たり、クレメンス四世の使節として1265-68年、イギリスにあり、豪族戦争(1263-1267)後の平和克復に協力また1272年、皇太子エドワードの十字軍遠征をすすめるなどの事蹟は知られているが、その貪欲や回心についての歴史的証拠は不明。教皇ハドリアヌス四世(在位1154-1159)についての所伝を、ダンテはハドリアヌス五世に適用したとの説もある)であることを教えましょう。シスエトリとキアヴェリ(共にジェノヴァの東南東にあるリグリアの町)の間を、うるわしいラヴァーニャ川(リグリアの山地に源を発し、ジェノヴァ湾に注ぐ)が下り、その川の名前をとって、私の家族の姓としました(ラヴィーニャ伯と称した)。一ヶ月と少しも経たないのに、ローマ教皇の職(地獄第十九曲参照)を汚したくないと思うものにとって、その職がなんと重いかという事を、私は学びました。それと比べれば、他の物の重さは羽根のように軽いのです! ああ、私の回心は遅すぎました。ローマ教皇になってはじめて、世の人々が不誠実である事を知ったのです。その時まで、私の心はひどかったです。貪欲で、神に背を向けていました。ご覧の通り、ここでは、そのために罰を受けているのです。貪欲による行いは、ここ煉獄では、地面にうつぶせでいる事で示されます。この山で、これよりひどい罰はありません。私たちの目は、地上の物だけを見ていて、天を見ようとしません。ですから、正義はここで、目を地面に向かわせるのです。善を求める私たちの愛は、貪欲によって消され、私たちの善行が無駄になったように、ここでは、正義の力で私たちを強く押さえつけ、私たちの手足は強く絡め取られているのです。神が好ましく思っていられる間は、私たちは動く事もできず、地面に伏せているのです。」私はその時までに既にひざまずいていました(話者をかつての教皇と知って。地獄を経巡るダンテはそこで出会った教皇の魂に、決して跪かなかった。地獄第十九曲参照)。私は話し始めました。しかし、語りかけると、アドリアン五世は、私の言葉の音色から、私の敬意に気づき、私に訊ねました。「なぜあなたは私のそばで跪いているのですか?」私は答えました。「あなたの威厳のためです。私の両親は、私を立ったままではいさせません。」アドリアン五世は答えました。「立ってください、兄弟よ。跪かないでください。あなたや他のすべての人と同じく私も神の僕ですから(すべてみな神の前に平等。ヨハネの黙示録19の10、ならびに使徒行録10の25-26参照)。「めとらず(詭弁を弄する一サドカイ人の質問に答えたイエスの言葉の一部。「復活の時には、めとることも嫁ぐこともなく、天使のようになるのだ。」(マタイによる福音書22の23-30参照)。煉獄に浄罪する魂たちは、本質的に天国の住人と同じなので、地上の権威や序列は通用しないとハドリアヌス五世は言うのである)」という聖歌の意味をあなたが理解しているなら、私が今答えた事が分かるでしょう。さあ、行ってください。一人にしてください。あなたが先ほど言ったことを思い、流れる涙が、あなたがいると止まってしまいますから。私には、現世に一人の姪(アラージア・デ・フィエスキ。教皇ハドリアヌス五世の姪。ダンテの友人モロエルロ・マラスピーナ(地獄第二十四曲参照)に嫁し、三男子を産む。姉妹が二人あり、一人はアルベルト・マラスピーナに、もう一人はエステのオビッツォ二世(地獄第十二曲参照)に嫁す。ここにも「私の家族の悪い例によって道を踏み外していなければ」とある通り、フィエスキ家一族は、男女とも徳行に欠け、こと女系は「貴族の面をかぶった売春婦」とさえ言われた。アラージアだけは例外で、信心深く、常に叔父のために祈り、惜しみなく施した。その行状を、モロエルロ・マラスピーナのもとに滞在した事のあるダンテは、つぶさに見ていたらしい。煉獄第二十四曲に出てくる「一人の女」は、このアラージアを指すとの説もある)がいます。名前をアラージアといいます。私の家族の悪い例によって道を踏み外していなければ、とても良い少女なのです。私が現世に残した家族(我が願いを叶えてくれるに相応しい者として)は彼女だけです。」(2005年9月4日)(2005年9月30日更新)

にくちゃんメモ:第四冠から、貪欲者の魂のいる第五冠に来ました。(2005年9月30日)

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第二十曲
ダンテと語るのを打ち切り、課せられた浄罪行に一刻も早く立ち返ろうとするハドリアヌス五世の強い意志に、もっと多くの情報を得ようとする私の願いは負けてしまいました。私は不満足でしたが、離れていきました。狭間胸壁に身を寄せて城壁の上を歩く人のように、先生は崖に沿って、地にうつぶせている魂のいない場所を進んで行かれました。第四冠の絶壁の上限のところには、世界にはびこる罪を洗い流そうと一滴一滴と涙を流している魂たちがたくさんいたからです(貪欲の罪人は地獄でも最も多かった。地獄第七曲参照)。呪いあれ、年寄りのメスオオカミ(貪欲の象徴。地獄第一曲でも三獣の最後に現れたのが貪婪のメスオオカミで、地獄第七曲では塩辛い声で異様に叫ぶプルートンを、「静かにしなさい、地獄のオオカミ!」としかっている。貪欲は人類始祖の楽園喪失の結果最初に生じた諸悪の一つ。なお、「年寄りのメスオオカミ」は、煉獄第十九曲で「年寄りの妖女」を踏まえての表現でもある)よ、強欲で欲深いメスオオカミよ、あなたは他の罪悪より多くの魂を餌食としました! 天よ、その運行で人間の運命を決めるとされていますが、いつになったら、そのメスオオカミを追いやる方(地獄第一曲に出てくる「猟犬」。『帝政論』のダンテが理想に描いていた地上の明君)はいらっしゃるのですか? ゆっくりと、地上にうつぶしている数多くの魂たちを踏みつけないように注意して、私たちは進みました。私は、そこで悲しそうに嘆く魂たちのことを考えざるを得ませんでした。すると、私たちの前の方で、声がしたのを私は聞きました。「優しいマリア様!(貪欲の対蹠としての清貧仁慈の第一例。ザクセンのコンラートが作ったと言われる聖処女マリア讃歌の一つに、「むさぼりをうちひしぐマリアは、貧しさゆえに心がとても低い」と始まるのがあり、ダンテはそれを念頭に置いていたのかも知れない)」その叫び声は、女の人がお産の時に叫ぶようでした(イザヤ書26の17に「妊婦に出産の時が近づくと、もだえ苦しみ、叫びます。」とある)。その声は続きました。「産んだばかりのキリストを寝かせた場所から、マリア様がどんなに貧しかったか分かります(ルカによる福音書2の4-7参照)。それから、また私は聞きました。「ああ、すばらしいファブリツィオ(前四ー前三世紀のローマの武人ガイユス・ファブリキウス・ルスキヌス。清貧仁慈の第二例。前282年と278年には執政官を、275年には監察官を務めた。エペイロスの王ピュロスがイタリアに侵攻した時、捕虜交換の談合のためピュロスのもとに赴いたファブリキウスは、彼を味方に引き入れようとしてピュロスが贈った莫大な財貨を拒んだばかりか、彼の毒殺を企てた密偵を殺さずにピュロスに送り届け、それに感じてピュロスはイタリアから撤兵したという。監察官時代、ローマ人の度をこえてぜいたくなことを厳しくいさめ、身を持する事きわめて清廉、死んだ時には葬式を出す金さえなかった。ウェルギリウスを始め、ファブリキウスの人格をたたえたローマの詩歌や文学者は多い)、あなたは悪徳を伴う豪華な人生より、貧しくても徳のある人生を選びました。」これらの声を聞いて嬉しくなった私は、その声の主に会おうと、その声の聞こえてくる方へ急ぎました。その魂は、まだ話を続けていました。ニコラス(小アジアのリキアにあった町ミーラの司教、聖ニコラウス。仁慈の第三例。ニコラウスはコンスタンチヌス大帝と同時代人。若き日にエジプト、パレスチナを巡礼、キリスト教に入信、帰国して司教となり、325年ニケヤで開かれた教会会議にも出席している。東西両教会から聖者として尊敬され、処女、船乗り、旅人、学者、商人、盗賊、などの守護聖人となり、ことに子供の間ではサンタ・クラウスとして親しまれた。十一世紀に、遺骸をミーラの聖堂からイタリアのバリに移し、爾来バリのニコラウスとも呼ぶ。十三世紀の末に成立した『黄金諸聖伝』は、彼に関する様々の奇跡的説話を伝えているが、ここに言及されている事蹟は次の通り。ニコラウスの両親が残した財宝を、彼は貧者たちに分配しようとしたところ、たまたま一貴族が貧ゆえに三人の娘を娼家へ売ろうとしているのを知り、一夜、相当額の金貨を外衣に包んでその家の窓から投げ入れ、それを資金として長女が結婚したのを見届けて、残る二女にも同様の処置を講じた)が、三人の少女に貞淑な人生を送れるよう贈り物をしたことを語っていました。私は言いました。「ああ、このようにすばらしいお話しをする魂よ、あなたがどなたなのか、そして、なぜあなただけがこのようなすばらしい話をしているのか、教えてください。答えてくだされば、定められた地上の生涯を終えるために私が現世に帰ったら、あなたが早く天国に行けるよう縁者に祈らせるようにします。」その魂は言いました。「お答えしましょう。でも、あなたが現世で私のためにしてくださることを期待して、というのではありません。生きているあなたの内に、神の恩寵が輝いているからです。全キリスト教国をかげらせ、良い後継者に恵まれなくなったフランスのカペー王家(家系栄え、支配権をキリスト教国全土に揮う大樹となったものの、繁りすぎて風通しが悪く、ろくな後継者が出なくなったことへの隠喩。話者が祖宗であるだけに、弾劾の効果は痛烈さを増す。ダンテが好んで用いた手法)の者です。でも、もし、ドゥエー、リール、ガン、ブリュージュ(以上、フランドルの主要な四都市の名を挙げ、フランドル全土を意味させる。ダンテがここで魂に預言させている歴史的事実を要約すると、1297年、フランドル伯ギー・ド・ダンピエールは、イギリス王エドワード一世と同盟したために、カペー家出のフランス王フィリップ四世(端麗王)に忠誠を疑われ、コルベーユにおびき寄せられ幽閉の身となる。エドワードと手を切る事を誓って釈放されたが、帰国するなり誓いを破った。フィリップは憤り、ギーに宣戦、弟シャルル・ド・ヴァロアにフランドルへ攻め入れさせた。教皇ボニファティウス八世の仲介で、1298年3月シャルルと和睦していたエドワードからの救助が得られず、ギーは、フィリップの許しを乞うため二子を連れてパリへ赴く事を条件に、シャルルの軍門に降った。しかるにフィリップはその条件を認めず、シャルルの越権であるとしてギー親子をパリに幽閉し、自らフランドルに乗り込み、以後我が領土であると宣言。しかしフィリップの代官シャティヨンの過酷な圧政に苦しんだフランドルの民衆は、農夫や職人からなる軍隊を組織、1302年7月11日、クールトレーの戦いでフランス軍を完敗させた。「悪への復讐」とはそのことを指す。敗北後、1305年、フィリップはフランドルと和し、幽閉中死去していたギーの長子に、リース川以北の地を譲った)に、その力が与えられれば、悪への復讐が果たされるでしょう。そして、私は神に、この報いを願うのです! 私は生きている時、ウーゴ・チャペッタ(カペー朝のフランス王ユーグ・カペー(938頃ー996)。イール・ド・フランス公ユーグ・ル・グランの子。956年父のあとを継いだが、987年、カロリング王朝の断絶に際し、聖俗諸侯の支持を得てフランス王に選ばれ、苦心経営、カペー王家の基礎を固めた。ただしダンテは、注釈家の多くが指摘しているように、ユーグ・カペーの事蹟とその父ユーグ・ル・グランのそれとをしばしば出入混同させている)と呼ばれていました。私から、たくさんのフィリップ(ユーグ・カペーの直系で、十四世紀までにフランス王となったフィリップは次の四名。一世(在位1060-1108)、二世(尊厳王、在位1180-1223)、三世(剛勇王、在位1270-1285)、四世(端麗王、在位1285-1314))と、ルイ(これにも次の4王がある。六世(肥満王、在位1108-1137)、七世(弱王、在位1370-1380)、八世(獅子王、在位1223-1226)、九世(聖王、在位1226-1270))が生まれ、今日までフランスを治めてきました。私はパリの牛飼いの息子です(これはユーグではなく、父のユーグ・ル・グランの出自についての噂。実際は歴世の貴族であった)。最も古いカロリング王家(しかしフランスで最も古いのはメドヴィング王家であり、この辺り、ダンテに史実の錯乱が見られる)が死に絶えた時、灰色の僧服を着ていたヒルデリヒ(シルデリク)三世(メロヴィング王家の王)だけは残りましたが、気づくと私は王国を統治しており、富によって権力が増し、友達も増え、フランスの寡となっていた王冠が私の息子(ロベール二世(敬虔王、在位997-1031)。しかし事実上、フランス国王の冠(カロリング王統の断絶により「寡となっていた冠」)を戴いたのはユーグ・カペー自身)の頭に載せられ、ずっとこの家系に続いたのです(代々のフランス国王は、戴冠に際し、ランスの大聖堂で聖別される習いであった)。私の家系は、褒めるべきことは多くはありませんでしたが、恥ということを知っていたので、悪いこともありませんでした。ところが、プロヴェンツァ(1246年、カペー家出のフランス王ルイ九世の弟シャルル・ダンジューは、プロヴァンス伯ラモンド・ベリンギエーリの娘で相続人であるベアトリーチェと婚姻を結び、プロヴァンス(プロヴェンツァ)をフランス王国領としたことへの言及)という持参金を得てしまったのです。プロヴァンスを併合した事により、権力をふるい、詐欺を働くようになりました。後に、犯した罪の贖いとして(むろん反語である)、ポンティウ、ノルマンディー、ガスコーニュを手に入れました。カルロ(アンジューのシャルル一世。煉獄第三曲参照)がイタリアに来て、贖いに(反語)、コンラディン(煉獄第三曲参照)を犠牲とし、それから、贖いに(反語)、トマス(スコラ学の大成者トマス・アクィナス(1225頃ー1274)。教皇グレゴリウス十世の要請で、リヨンの教会会議に臨むため、1274年1月、病をおしてナポリから出発したが、途中、フォッサノーヴァの修道院に数週間過ごす内、3月7日死去。シャルル・ダンジューの手先に毒されたとの噂がダンテの時代には流布していて、このくだりとなったけれども、これは史実でない。「天に押し戻す」とはアクィナスのような聖者を謀殺する事)を天に押し戻しました。私は預言します。もうすぐ、もう一人のカルロ(シャルル・ド・ヴァロア(1270-1325))がフランスからやってきて、自分と、自分の家族のことが世間に知られることとなるでしょう。ジュダの槍(イスカリオテのユダ(ジュダ)の槍(つまり裏切り・欺瞞)だけの軽装で、わずかな騎兵隊を従え、フィレンツェに到着した事)以外何も武器を持たずやってきて、槍を向けて、一突きでフィレンツェを突き刺します(市民も多く、繁栄を誇っていた当時のフィレンツェの主要人物を非難のやり玉に挙げた事、その中にダンテもいたのである)。このことで、カルロは土地だけでなく(1302年11月、期待虚しくフランスへ帰ったシャルル・ド・ヴァロアのあだ名が、「土地無し」であったことへの風刺)、罪と恥も手に入れたのです! そしてもっと悪いことに、すべての罪の重みをを軽く見て、罰も拒否しました。もう一人のカルロ(ナポリ王シャルル二世。シャルル・ダンジューの息子。「シチリア晩祷事件」として有名な1282年のシチリア島民蜂起の後、彼は同島の略取をはかる父と協力し、ナポリ水軍の指揮官となる。父が敵との交戦を厳しく禁じたにもかかわらず、アラゴンのペドロ三世の艦隊を指揮していたシチリアの提督ルッジエロ・ディ・ローリアの挑戦に引っかかり、1284年6月大敗、ルッジエロの旗艦に捕らえられ、シチリアへ送られたことへの言及)は、捕虜として彼の船から出てきた者ですが、娘(末娘ベアトリーチェ。シャルル二世は多額の金と引き替えに、ベアトリーチェをエステの老侯爵アッツォ八世へ嫁がせた。その恥知らずの父親を、ダンテは女奴隷の売値をせり上げる海賊に例える)を売り飛ばし、女奴隷を売る海賊のように、高く売ろうとしているのが見えます。ああ、貪欲よ、これ以上悪いどんなことができるでしょう? 貪欲は、私の後継者たちを魅了したので、その身体も血も、すべてささげてしまいます。これまで述べた非道の行いも、次のに比べればものの数に入らないかのようです。つまり、百合の花(カペー王家の紋章。ここでは端麗王フィリップ四世を指す)がアナーニ(ローマの南東およそ60キロ、丘の上に位置するラティウムの町。教皇ボニファティウス八世が生まれ、またフィリップ四世に幽閉されたところとして有名)に入り、代理人としてキリスト(ローマ教皇。フィリップ四世とボニファティウス八世との確執は、前者が聖職禄に不当な税を課した事から始まる。後者は1296年、有名な公開勅書を出し、教会の財産に徴税を命じ得るものは教皇以外にないと主張、これに対しフィリップ四世は、金・銀その他、フランスの物資が教皇庁に輸出される事を厳禁する挙に出るなど、両者間の抗争はいよいよ苛烈となり、ついに1303年9月8日、アナーニにある教皇はフィリップ四世破門の勅書を聖堂の門に掲げるよう命じた。その日の夕刻、王は、シアルラ・デルラ・コロンナとグイリエルモ・ディ・ノガレットの二名に武装した手兵を受け、アナーニ聖堂に押し入らしめ、あらゆる侮辱を加えた後教皇の身柄を三日間監禁、その居宅から財宝を略奪した。教皇はシアルラやグイリエルモの軍勢を排除したアナーニの町民に救出され、ローマへ送り届けられたが、この屈辱が原因となり、1303年10月12日に、憤死した。ダンテはボニファティウス八世に地獄第八圏第三嚢を割り当てる(地獄第十九曲参照)ほどの厳しい断罪を行う一方、ここではキリスト自身へのゆゆしい暴力者にほかならないフィリップ四世に対し、罪状責め立ての手をゆるめない。ダンテは決して私情を判断の物差しとしなかった)のとらわれの身になったのが私には見えます。胆汁と酢が新たに混ぜられた(マタイによる福音書27の34「苦いものを混ぜたぶどう酒を飲ませようとしたが、イエスは舐めただけで飲もうとされなかった。」参照。「新たに」とは「フィリップ四世の手下によって」)のが見えます。フィリップ四世の手下によって、再びキリスト(愚弄ぶりについてはマタイによる福音書27の28-31参照)が愚弄されたのが見えます。生きた盗賊の間で殺されたのです(マタイによる福音書27の38に「折りから、イエスと一緒に二人の強盗が、一人は右にもう一人は左に、十字架につけられていた。」とあり、「生きた盗賊」とは既出のシアルラとグイリエルモを指す)。悪意でいっぱいで、これしきのことでは満足できず、教令もなく、強欲の帆を聖なる宮殿に差し向けたもう一人のピラト(フィリップ四世。ユダヤを迫害し、キリストを処刑したローマ帝国第五次総督ポンティウス・ピラトに対して言う。「教令」とはローマ教皇の布告。「強欲の帆」云々は、フィリップがその莫大な富を収奪するために、イエルサレム神殿騎士団を、1307年、異端その他の口実により潰滅させたことへの言及)が私には見えます。ああ、神よ、今はみ胸の内に隠されているので、お怒りも甘美な物となる復讐を(詩篇58の11に「神に従う人はこの報復を見て喜び」とある)私はいつ見て喜ぶのでしょう(その日は、フィリップ四世のフランス軍が、1302年7月11日フランドルのクールトレーで完敗した時到来した)? 私は聖霊の唯一の花嫁(聖処女マリア。マタイによる福音書1の20、ルカによる福音書1の35参照)について私が語った言葉は、あなたが私に説明を求めてこちらへ来ることになった言葉ですが、その言葉は、昼間は私たちすべての祈りに続く唱和のように清貧仁慈の例を唱い、夜になると、貪欲の罰の例を唱うのです。そして、黄金への飽くなき欲望によって、裏切り者、強盗、近親者殺しの罪を重ねたピュグマリオン(ギリシア神話のピュグマリオン。貪欲への罰の第一例。シリアのテュロスの王で、財宝収奪のため妹ディドの夫シュカイオスを殺害した。夢枕に立った夫からそのことを知らされたディドは、密かにテュロスを出帆、アフリカに渡りカルタゴの創建者となる。地獄第五曲参照)を思い出します。そして、貪欲によって、その欲望は叶えられたけれど、何世紀にもわたってあざけりの的となった欲深のミーダ(ギリシア神話のミダス。罰の第二例。小アジアのプリュギアの王ミダスは、触れる物すべて黄金となる願いをバッコスに叶えてもらったが、食物まで黄金となるのに絶えかね、再びバッコスに乞い、パクトロス川の源で身を浄める事により、黄金化の苦しみから逃れたという)の惨めさを思い出します。愚かなアカン(ユダ部族のカルミの子アカン。罰の第三例。彼はヨシュア(ヨスエ)の命令にそむき、エリコの聖絶の分捕品に手を出し、私有した。イスラエル人がアイを攻めて敗れた時、アカンは我が罪を告白し、聖絶の分捕品は発見された。そのためアカンとその一族はヨシュアの命により石で打ち殺され、その遺骸と所有物は焼却された(ヨシュア記6の19、7の1-26参照)。その一部始終が夜間の唱えに再現されるというのである)を思い出します。アカンは、分補品を強奪し、ヨスエの怒りをかき立て、いまだにアカンを突き刺すように見えます。次に、私たちは、サッピラ(イエルサレムの人アナニヤの妻サッピラ。罰の第四例。教会のためにその所有地を売りながら、一部を私した代金の残りを、全部であるかのように偽って使徒たちに渡した。ペテロに偽善をしかられ、アナニヤもサフィラもペトロの足元に倒れ息絶えた。使徒行禄5の1-11参照)とその夫を糾弾します。ヘリオドロス(シリアの王セレウコス四世(在位前187-前175)の財務官。罰の第五例。セレウコスの命によりイエルサレムの宮殿から宝物を取り出そうとした時、黄金の具足をつけた一騎士の乗る駿馬が忽然と現れ、その前足でヘリオドロスを激しく蹴り、更に二人の美丈夫が彼の両側から立て続けにうちこらしたので、ヘリオドロスは気を失い倒れた。外典マカバイ記下3の25-27参照)が受けた足蹴りを褒め称えます。そして、ポリュドロス殺しのポリュメストル(ギリシア神話のトラキアの王。罰の第六例。トロイアがギリシア勢の手に落ちる直前、王プリアモスは末子ポリュドロスを大金と共にポリュメストルに託した。その付託を裏切り、トロイア落城後、ポリュメストルは預かっていたポリュドロスを大金ほしさに殺害し、海に投げ捨てた。地獄第十三曲、三十曲参照)の恥は山々にめぐっています。最後に聞こえた叫び声は、”クラッソ(「富者」と渾名されたローマの政治家マルクス・リキニウス・クラッスス(前114-前53)。罰の第七例。前71年、スパルタクスの乱を鎮めて武名高く、翌年ポンペイユスと共に統領となり、更に前60年には、カエサルも加わって第一次三頭政治を結成、元老員に対抗したが、オロシウスから「飽くことを知らぬ貪欲人」と評されたほど金への執着が強かった。カエサル、ポンペイユスと武功を競うためパルティアに遠征したが、敗死。彼を殺したパルティア兵はその首を切り、勝利の印として右手と共に王へ献じたところ、王は彼の口へ溶けた黄金を注ぎ込み、彼の飽くなき黄金欲を愚弄したと伝えられる)よ、教えてください、黄金とはどんな味なのか? あなたは飲んだのだから、知っているでしょう!”私たちの話は、時に大きく、時に優しく話しますが、これは、私たちを駆り立てて物を言わしめる力が、時には大きく、時には小さからです。ですから、昼間に、誉めた良いことを叫ぶのは私だけではありません。たまたまこの近くに声を上げる魂がいなかっただけです。」私たちはウーゴから離れ、うつぶせになっている魂を踏まないようにしながら努力して進みました。すると突然、崩れそうなほど山が震えて、私は死へ向かう人のが襲われるような寒さにとらわれて、感覚がなくなってしまいました。ラトーナ(ギリシア神話のレトのローマ名。ティターン神族のコイオスとポンベーの間に生まれた娘。ゼウスに愛せられ、双子を産む。出産の日が近づいても、嫉妬深いヘラの怒りを恐れてどの国もレトに産所を提供しようとしなかった。さまよう内、エーゲ海の浮島オルテュギアに受け入れられ、そこで「天の二つの眼」アポロン(日)とアルテミス(月)を産む。その時、ゼウスは島を金剛の鎖で海底につなぎ、四本の柱を立て、動かぬようにし、名も「輝く島」を意味するデロス(デーロ)に変えたという)が、天の二つの眼を産む場所に定めるより前の、デーロ島も、このように激しくは揺れませんでした。その時、四方八方から叫び声が怒り、その声が大きいので、ウェルギリウス先生は私のを場に来てくださり、おっしゃいました。「私が君の導者でいる間は、君は恐れる必要はありませんよ。」皆が唱いました。「いと高きところには栄光、神にあれ(ルカによる福音書2の14の冒頭句。天の軍勢がキリスト生誕に際し神を讃美した言葉)」。このように私の近くにいる魂たちは唱い、その言葉は、よく聞き取れました。その歌を初めて聴いた羊飼いたち(ルカによる福音書2の8-10参照)のように、聖歌が終わり、振動が止むまで、私たちはじっと立っていました。そして、私たちは聖なる道(煉獄第十二曲参照)を歩み続けました。私たちの目の下には、うつぶせになった魂たちが、また、いつもの嘆き(煉獄第十九曲参照)を続けていました。私の記憶が正しければ、鳴動と合唱の原因が分からないために、その原因を知りたいという気持ちがとても激しくなりました。それは、今までになかったほどでした。私は歩みを遅くすることができず、疑問に思いながらも、自分では説明が付かず、おずおずとしながら、思いに耽って歩いていきました。(2005年9月5日)(2005年9月30日更新)

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第二十一曲
サマリヤの貧しい女の人(ヨハネによる福音書4の5-15。弟子たちが食べ物を買いに町へ出かけている間、イエスはサマリヤの町にあるヤコブの井戸の側に腰掛け、旅の疲れを休めていた。折しも水くみに来た一人のサマリヤの女に、イエスは水を乞う。普通ユダヤ人はサマリヤ人とつきあわないのを知っている女は驚き、問う。イエスは言う。「この水を飲む者は誰でもまた渇く。しかし、私が与える水を飲む者は決して渇かない。私が与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に到る水が湧き出る。」とある)に乞われた、永遠に渇かない水以外は、決して満たされない自然の渇き(ダンテが『饗宴』の冒頭にも引いたアリストテレスの有名な言葉、「すべての人は天性知ることを願う」(『形而上学』1の1、980a)にある「真相への求知心」)が、私を苦しめていました。私は、ひれ伏した魂でいっぱいの道を急ぎつつ、その魂たちの真剣な姿に心を痛めていました。すると突然、ルカによる福音書(ルカによる福音書24の13-16参照。イエルサレムから11キロばかり離れた村エマオへの途中、復活のキリストに関する不思議な出来事をかたりあっていたクレオパ他一人の弟子に、イエスがいつしか現れたにもかかわらず、共に道行くイエス自身の存在を二人は気づかなかった)で読めるように、お墓から蘇ったキリストが、エマオの道で二人の弟子たちに現れたのと、ちょうど同じように、一人の魂が現れたのです! 私たちが、魂たちを踏みつけないように気をつけて歩いていた間に、その魂は後ろからやってきたので、その魂が話しかけてくるまで私たちは気が付きませんでした。その魂は言いました。「兄弟たちよ、神が、あなた達に平和を与えますように(マタイによる福音書10の12で、イエスは伝道の旅に出る弟子たちにこのような挨拶をすすめている)。」それを聞いて、私たちはすぐに振り返り、ウェルギリウス先生は、その場に相応しいように会釈をし、おっしゃいました。「私を永遠に辺獄に閉じこめた審判が、あなたには至福者の集まり(このような集まりのありさまについては、天国第二十三曲、二十六曲参照)に安らかに入るようになりますように。」私たちはずっと歩き続けていたのですが、彼は言いました。「なんですって? あなたたちが、神のご加護のない魂なら、誰に導かれて神への階段であるこの煉獄山をここまで登ってきたのですか?」先生はおっしゃいました。「このダンテの額に天使が付けた印を見れば、ダンテがやがて天国の市民権を得る身分であることがお分かりでしょう。でも、昼も夜も糸を紡ぐラケシス(ギリシア神話の、運命を司る三女神(モイライ)の第二神ラケシス。この女神が生まれてくるすべての人間にそれぞれ割り当てられた長さの寿命の糸を紡ぐ)は、クロート(モイライの第一神で、生まれてくる人それぞれの寿命の糸となる麻の量を定め、これを糸巻き棒にかけるのが役目)が私たち一人一人のために糸巻き棒にかける亜麻を、ダンテの分はまだ紡いでいません。ですから、同一の造物主によって作られたものなのであなたの魂とも私の魂とも兄弟であるダンテの魂は、一人では登れなかったのですよ。なぜなら、私たちの眼のように心の眼ではなくて、肉眼でしか、ものを見ないからです。そういうわけで、私は導者として、辺獄から連れ出されて、ダンテを導いているのですよ。私は、私の学識が役立つところまで、ダンテを導くのですよ。それにしても、教えてくれませんか、今、山がひどく揺れたのはなぜですか? そして、波に濡れる裾の方に到るまで、魂たちが一同に叫んだのはなぜですか?」先生のご質問は、私のまさに知りたいところであり、私の知りたいという激しい気持ちは、おさまっていきました。その魂は言いました。「この聖なる山では、習慣によらないことや変則的なことは起きません。この煉獄本域は、一切の変化を受け付けません。天が自ら与えて、自ら受けるもの以外は、ここで起こることの原因となりません。ですから、三段の本域への門(煉獄第九曲参照)より高いところには、雨、あられ、雪、霧、霜がありません。厚いものも薄いものも、雲はなく、雷や、しばしば居場所を変えるタウマス(オケアノスの娘エレクトラを妻とし、イリス(虹の女神)の父となる。イリスがしばしば居場所を変えるとは、虹の出現は常に太陽の位置と反対側なので)の娘の虹もありません。私が今お話しした三段の一番上、つまり、ペトロの代理者(門を守る天使。ペテロの鍵を持つのでこのように呼ばれる。煉獄第九曲参照)が足を休ませているところを越えては、乾いた気体(地球の内蔵する乾いた気体が地震を起こす、とダンテの時代には一般に考えられていた)も立ち上らないのです。ここから下の煉獄前域では、大きい地震も小さい地震も起こります。でも、なぜだかは知りませんが、地中にひそむ風のせいで起こる振動は、ここから上では起こりません。浄罪の行が十分に成されたと感じた魂が、第五冠では身を起こして立ちあがり、また、他の諸冠では登り始めた時、ここでは山が揺れ(自然現象ではなく、神の意思の表れとして)、そして、あの叫び声が起こるのです。清いことの証しとなるのは、ただ天に登りたいという意志だけです。煉獄から解放されると、その意志にとらわれて、罪を浄める魂たちから離れるのを望むのです。罪がまだ清まっていない時でも、天に登る願いはあります。でも、そのような願いは正義に従って罪を浄めようとする他の願いに束縛されるので、自由な願いではないのです。かつて罪に傾いて、真の幸福を求める願いに逆らい、今は、罪を浄めようとすることを求めて、天に登る願いに逆らうのです。そして、私(ラテン文学の「銀の時代」を代表するローマの詩人、プブリウス・パピニウス・スタティウス。45年ナポリに生まれ、ローマで名を成し、96年に死んだ。代表作『テーバイ物語』のほか、アキレウス伝説を語った未完の叙事詩や、様々な主題の『雑詠集』を残す)は、500年以上もこの苦しみの中にひれ伏していますが(その以前は第四冠にいた。煉獄第二十二曲参照)、今、高いところに登りたいという自由の意志を感じました。そういうわけで、あなた方は揺れを感じ、山に住む敬虔な魂たちの神への歌を聞いたのです。神よ、早く彼らを神の元へ登らせてください(隣人愛(カリタス)の発露)」これが魂の説明でした。そして、私の喜びは説明が付かないほどでした。疑問が深ければ深いほど、その疑問が解けた時の喜びは大きいのです。賢い先生はおっしゃいました。「あなた方がどうしてここに縛られていたのか、どのようにそれが解けるか、地震の理由、あなた方の喜びの叫び声の理由が、やっと分かりました。差し支えなければ、あなたがどなたか、知りたいのです。そして、あなたご自身の言葉で知りたいのですが、なぜそんなに長い間ここにひれ伏していたのですか?」その魂は言いました。「神のご加護により、ユダ(イスカリオテのユダ。マタイによる福音書26の14-15)が売った血が吹き出るキリストの仇をした、すばらしいティトゥス(97年から81年までローマ皇帝であったフラウィウス・ウェスパシアヌス・ティトゥス(39-91)。ウェスパシアヌス帝の長子。ユダヤ戦争に際し、66年父に従ってパレスチナに赴き功を立て、69年、帝位につくため父がローマへ帰ったあと、ユダヤ戦争の総指揮を委ねられ、70年、イエルサレムを陥れた。在位中は、ヴェスヴィオ火山の噴火によるポンペイ市の埋没、ローマ市の大火や疫病流行など、災禍があい続いたが、彼は罹災者の救援に努め、仁政を敷き、その短い治世は理想的な幸福の時代として後生永く称えられた。その名は水星天でも(天国第六曲)ここと同じ意味合いでユスティニアヌス皇帝の口に上るが、ダンテが、ティトゥスによるイエルサレム打ち壊しを、ユダヤ人によるキリスト磔刑の仇を報い、ひいてはアダムによる原罪の贖いを招致したものと解した史観の根拠は、オロシウスの『世界史』7の3および9)が治めていた頃(紀元70年頃)、永く伝えられ、最もあがめられる名声(『テーバイ物語』その他による。「げに偉大なるかな、聖なるかな、詩人の労作は!」と称えたローマの叙事詩人ルカヌス(39-65)の『パルサリア』9の980-986によってダンテはこの辺りを書いたと思われる)によって、私は有名でした。しかし、キリスト教の信仰を持っていませんでした。私の詩はとても甘美で(例えば煉獄第二十二曲に登場するローマの風刺詩人ユウェナリスは、スタティウスの詩の特質を「甘美」にあるとした。ダンテも『饗宴』4の25の6で、「スターツィオ、かの甘美な詩人」と言っている)、トローザ(フランス南部の都市トゥールーズの古名。スタティウスの生まれはナポリだがネロ皇帝時代の同名の修辞学者ルキウス・スタティウスの生地がトローザであったのと混同され、生地はナポリと記した『雑詠集』の古写稿本が発見される十五世紀の初頭まで「トローザの生まれの詩人スタティウス」と呼ばれ続け、現に1215年創立のトゥールーズ大学は、詩人スタティウスを学統の最初に置いている)生まれの私を、ローマは引き寄せて、私の額にミュルトスの輪を飾りました(芳香のある美しい葉を持つ地中海域の常緑の小灌木、ミュルトス。その葉で編んだ輪を額の飾りとするのは詩人最高の栄誉)。私の名前はスタティウスです。いまだに地上ではよく知られています。『テーバイ物語』、『アキレウス物語』を歌いましたが、『アキレウス物語』の第二巻をを執筆中に死にました。私の詩への情熱を燃え立たせる光は、全ての詩人の上にかざす聖なる光から来ているのです。つまり『アエネイス』のことです。それは私の詩の母であり、乳母でもありました。『アエネイス』がなければ、私の詩はなんの価値もないものとなったでしょう。私がウェルギリウスと同じ時代に生きていたなら、もう一年煉獄山にいなければならなくてもかまわなかったでしょう。」この言葉を聞いて、ウェルギリウス先生は私の方を向かれました。先生は、無言のまま「黙っていなさい!」と私に目配せしました。でも、人の意志の力というものはしばしば弱くなるものです。笑いと涙というものは、それらを引き起こす感情と密接にくっついているので、人が正直であれば正直であるほど、笑いと涙は意志によってコントロールできなくなるのです。私は瞬きのように速く、微笑んだり、真面目な顔をしたりしましたが、スタティウスは話を止めると、私の方をじっと見つめ、眼を見つめました。眼は秘密を隠しておけませんから。スタティウスは言いました。「それでは、あなた方の苦労が、めでたく終わりますように。それにしても、あなたが微笑んだ理由を教えてください。微笑んだと思ったら、すぐに真面目な顔をしていましたけれど。」さて、私は、板挟みになってしまいました。片方からは黙っていろと言われ、もう片方からは話すように言われるのです。私はため息をついてしまいました。すると先生は、私の窮境を察して、おっしゃいました。「話すのを恐れてはいけませんよ。スタティウスに話なさい。スタティウスが真面目に質問したことに、答えなさい。」そこで、私はスタティウスに言いました。「あなたは私が微笑んだのをとてもヘンだと思ったようです。ああ、年老いた魂よ、もっとヘンなことを言わなければいけません。こちらの、私の目を天へ向けてくださる魂は、詩人のウェルギリウス先生です。人と神の行いを歌う力をあなたに残した方です。実際、私の微笑みの唯一の理由は、あなたがウェルギリウス先生のことを話されたからです。あなたの言葉こそ、私の微笑みの原因です。」既にスタティウスは身をかがめ、私の先生の足を抱こうとしていました。しかしウェルギリウス先生はおっしゃいました。「兄弟よ、やめてください! あなたは魂です。あなたがご覧になっている私も魂なのですから。」するとスタティウスは立ち上がり、言いました。「あなたへの私の愛がどれだけのものかお分かりいただけたでしょう。私たちが魂であることを忘れ、固体の身体があるかのように勘違いしてしまうぐらいですから。」(2005年9月6日)(2005年9月30日更新)

にくちゃんメモ:最後の場面は本当に美しいですね~。(2005年9月30日)

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第二十二曲
私たちを第六冠に導き、私の額からP字を消し、義に渇く人々の幸いを私たちに告げ、「飢える」を省いた(山上の垂訓第四、「義に飢え渇く人々は、幸いである」。マタイによる福音書5の6参照。「渇く」の前にある「飢える」を、天使は省き、次の冠での祝祷のために残した)あの天使を、私たちは後にしました。これまでのどの階段より楽に感じた私は、速く登っていくスタティウスとウェルギリウス先生の二人の魂たちに続いて、楽に上がっていきました。ウェルギリウス先生はおっしゃいました。「徳によって燃えあがらせた愛(アリストテレスの『ニコマコス倫理学』第八巻に注釈して、トマス・アクィナスは「徳こそまことの愛情の因」と述べている)は、他の愛をどんどん燃えあがらせていきますよ。初めの炎が外に出て目に見えるならば。ですから、ユウェナリス(ローマ最高の風刺詩人、デキムス・ユニウス・ユウェナリス。ネロ皇帝の治世中(54-68)の、60年頃に生まれ、ハドリアヌス皇帝の治下(117-138)、130年頃死去。現存する『風刺詩集』に収められた長短短六歩格の大小様々な風刺詩十六篇によっても、世道人心の頽廃を痛嘆したこの偉大なモラリストの風貌に接しうるが、ダンテは直接この詩集を知っていなかったらしく、他書からの孫引きが多いと言われる)が私たちと一緒にいるように地獄の辺獄に降りてきて、あなたが私に対して感じている愛について語ってくれた時から、あなたに対する私の好意は、これまで会ったどの人に対して感じる好意より大きなものでした。ですから、この階段は、今の私にはとても短く見えますよ。でも、教えてください。友達と話すように話してください。もし私が礼儀を忘れてうち解けすぎても、友達だからということで、許してください。あなたはそのようにも勤勉に豊富な知恵を得たのに、どうやってあなたの心の内に貪欲が入り込んだのでしょう? 叡智と貪欲は本質的に相容れないはずではないでしょうか?」このウェルギリウス先生のお言葉を聞いたスタティウスは、微笑みかけましたが、やがて答えました。「お言葉で、あなたの私への愛情が分かります。真実が私たちの目から隠れるために、誤った疑いだけが表に出ることはしばしばあります。あなたのご質問によって、あなたが、地上での私の罪は貪欲であったと信じていられることがよく分かります。たぶん、貪欲が浄罪される第五冠で私を見つけたからでしょう。実は、私は貪欲とは全然関係がないのです! 六千ヶ月(即ち500年以上。煉獄第二十一曲参照)の間、私が下で浄められていた罪は、浪費なのです。あなたが、人間の本性を憤って叫ぶように書いていられる(『アエネイス』3の56-57。ポリュメストルに殺されたポリュドロスの墓についての感慨を述べた詩句。煉獄第二十曲、地獄第十三曲参照)「ああ、黄金への呪われた飢えよ、人間の欲を導いて、どこに行こうというのですか?」という詩に心をとめ、私の道を修正しなかったら、地獄の第四圏へ入れられて大きな岩を転がしていたでしょう。でも、私たちの手というものは、その翼を浪費のためにあまりに広く伸ばしすぎることが分かり、他の罪と同じように、浪費を罪として悔いたのです。生きている時、または死の床に際てし、無知のために、このことを忘れてしまい、最後の審判の日に、浪費の記念に髪を短くしてお墓から起き出る人の、なんと多いことでしょう! また、地獄第四圏と同じく煉獄第五冠でも、浪費と貪欲のような相反するものが同じ場所で罰せられるのです(ただし対立する罪が共に罰せられる記述は、地獄・煉獄を通じ、貪欲と浪費の組み合わせ以外に見あたらない)。ですから、私自身を浄めるため、私は貪欲を嘆き悲しむ魂たちと一緒にいたのですが、私の罪はその魂たちの罪とは反対のものだったのです。」ウェルギリウス先生はおっしゃいました。「ところで、あなたがイオカステー(テーベの王ライオスの妻となり、オイディプスを生む。後オイディプスがテーベの王位につくと、我が子とは知らずその妻となり、双子エテオクレスとポリュネイケスを生む。双子の兄弟は盲目の父に冷たく、互いに憎み合い、相打ちで死んでしまう。地獄第二十六曲参照)の悲しみの、むごい争いについて歌った頃(それらの悲劇を主題とする『テーバイ物語』の執筆にいそしんでいた頃)、あなたの書いた歴史的叙事詩から判断すると、キリスト教の信仰がなければ、どんな善徳も無駄になってしまうようなその信仰が、あなたを信心深くしているとは思えません。もし今言ったことが本当なら、どんな神の啓示か、または、人間から発する啓蒙によって、あなたがキリスト教徒になったのか教えてください。」スタティウスは言いました。「あなたこそが、私をパルナッソス(ギリシア神話の名山。コリント湾の北、アナテイの北西約130キロに位置し、標高2457メートル。詩神たちが住み、その麓にアポロンの神託所デルポイがある。パルナッソスの名はポセイドンとニンフのクレイドラとの間に生まれた英雄に因む)へ向かわせ、デルポイの北東に湧くカスタリアの泉の水を飲むように導いてくださったのです。あなたこそが、私をキリスト教の信仰に導いてくださったのです。あなたこそが、暗闇の中でランプを後ろに掲げ、自分のために明かりを照らすのではなく、後ろに従う人たちを照らして啓発なさる方です(これとよく似た比喩は、聖アウグスティヌスや、キケロが『義務論』の中で引用したローマの詩人エンニウス(前239-前169)に見出される)。あなたはこう書かれました。”世は改まった。正義が戻り、人の原初の時代が戻り、新しい末裔が天から下った。(ウェルギリウスの『牧歌』第四、5-7の有名な詩句。しかしダンテは原文の「処女座」を正義の女神アストライアとの連想から「正義」とし、「サトゥルヌスの治世」を黄金時代と同一視し、「人の原初の時代」と解した。また「新しき末裔」は、ウェルギリウスがこの『牧歌』を書いていた前40年頃、ローマの執政官で、詩人と親交のあったガイユス・アシニウス・ポッリオの幼児を指すとするのが学界の定説であるが、中世では、救世主キリストの降誕を預言したものと受け取られ、ダンテもそれに従った)”あなたを通して、私は詩人になりました。あなたを通して、私はキリスト教信者(これにも史実の裏付けはなく、ダンテ自身の発想)になりました。でも、私の言うことがもっとよく分かるように、私は輪郭にもっと彩りを加えましょう。世界はキリストの弟子たちによって蒔かれたキリスト教の信仰の種で満ちていました。そして今私が引用したあなたの言葉は、新しい伝道者が言うことと一致していたので、私は伝道者たちの話を聞きにしばしば足を運びました。その伝道者たちは私の目にとても神聖に見えたので、ドミティアヌス(ローマ皇帝ティトゥス・フラウィウス・ドミティアヌス・アウグストゥス(51-96)。ウェスパシアヌス帝の子。81年、兄ティトゥス(煉獄第二十一曲参照)の後を受け即位したが、兄とは異なり、自己の権力の絶対性を主張し、特に治世の後半は暴虐の限りを尽くし、妻ドミティアらの陰謀により暗殺された。その恐怖政治の中でもキリスト教徒迫害は特に有名であるが、ダンテは主としてオロシウスの『世界史』7の10の1により記述したと思われる)が彼らを迫害した時、彼らの嘆きに伴って、私も泣きました。私が地上で生きていた間、私は彼らを助け、その正しい行き方は、私に他の教義を全て蔑ませました。私がギリシア人たちをテーベの両川(イスメノス川とアソポス川。煉獄第十八曲参照)へ導いた『テーバイ物語』の執筆の前に、私は洗礼を受けました。でも、迫害が恐ろしくて隠れキリシタン(ヨハネによる福音書19の38に登場するアリマタヤのヨセフもこの類の一人と言える)のまま、何年も異教徒を装っていました。この熱意の欠如により、私は四百年もの間、第四冠を走っていたのです。キリスト教のまことの信仰を私から隠していたベールを取り去ってくださったあなた、ここを登る時間がまだおありなら、私に教えてください。テレンティウス(ローマの著名な喜劇作家プブリウス・テレンティウス・アーフェル(前195頃ー前159)。ダンテはその作品を直接読んでいなかったらしい)、プラウトゥス(ローマの喜劇作家ティトゥス・マッキウス・プラウトゥス(前254頃ー前184)。その作品も、ダンテは直接に読んでおらず、ホラティウスその他の作家を通じて名前を知ったと思われる。ちなみに、ダンテが愛読した聖アウグスティヌスの『神国論』には、プラウトゥス、カエキリウス、テレンティウスが全て言及されている)、スタティウス(ローマの喜劇作家カエキリウス・スタティウス。エンニウスの親友。その作品はほとんど世に伝わらず、ダンテもホラティウスが言及しているので敬意を払ったらしい)、ウァリウス(アウグストゥス帝時代のローマの叙事詩人ルキウス・ウァリウス・ルフス。ホラティウスやウェルギリウスの没後、『アエネイス』校正者の一人となった。ユリウス・カエサルの詩を主題とした叙事詩や、クゥインティリアヌスによってギリシア悲劇と甲乙なしとまで賞賛された悲劇『テュエステス』などを書いたが、いずれも断片しか現存していない。ホラティウスやウェルギリウスがいかに高く彼を評価したかは、言及や引用によって知ることができる)がどこにいるかご存じですか? 地獄にいるのでしょうか? もしそうなら、どの圏にいるのでしょうか?」先生はおっしゃいました。「彼らは皆、ペルシウス(ローマの風刺詩人アウルス・ペルシウス・フラックス(34-62)。ただしダンテがその著作を直接に読んだ形跡はない)も私も、ムーサイがたくさん恵みを与えたホメロスと一緒に地獄の第一圏にいました。私たちはしばしば、詩人たちに恵みを与えるムーサイが住むパルナッソスの山について語り合いました。エウリピデス(ギリシアの代表的劇作家エウリピデス(前485頃ー前406))も私たちと一緒にいました。アンティポン(アリストテレスが『修辞学』の中で言及し、プルタルコスが最も優れた悲劇作者の一人に数えたギリシアの悲劇詩人アンティポン。シュラクサイ(シラクーザ)の僭主ディオニュシオス一世(前430頃ー前367)に仕えて名声あり)も、シモニデス(ギリシアの抒情詩人シモニデス(前556頃ー前468頃)。ダンテはアリストテレスがシモニデスに言及していると『饗宴』4の13の8に述べているが、これは事実でない)も、アガトン(ギリシアの悲劇詩人アガトン(前446頃ー前402頃)。その作品は断片しか伝わらず。ダンテは『帝政論』3の6の7でも彼に言及している)も、その他、月桂樹の葉で額を飾った(月桂樹の葉を編んだ輪で額が飾られるのも、ギリシア盛時の詩人たちにとり最高の栄誉であった。スタティウス自身はミュルトスの葉の輪で額を飾られている(煉獄第二十一曲参照))多くのギリシア人たちも一緒でした。あなたの『テーバイ物語』と『アキレウス物語』の中に登場する人では、アンティゴネー(テーベ王オイディプスと、その母でのち妻となったイオカステーの間に生まれた娘アンティゴネー。以下の六名は『テーバイ物語』の作中人物)、デイピュレー(アルゴスの王アドラストスの娘、デイピュレー。アルゲイアと姉妹)、アルゲイア(アルゴスの王アドラストスの娘アルゲイア。テーベのポリュネイケスに嫁し、テルサンドロスを生む。ポリュネイケスがアルゲイアに贈ったハルモニアの不吉な首飾りゆえに、エイピュレーが夫アンピアラオスの隠れ場所をアドラストスに教え、夫の死を招来する顛末については煉獄第十二曲参照。なおダンテは『饗宴』4の25の8で、スタティウスの『テーバイ物語』1の527-739に言及し、アルゲイアとデイピュレーの姉妹を謙譲の模範として挙げている)、前と変わらず悲しみに沈むイスメーネ(オイディプスとイオカステーの間にできた娘イスメーネ。「悲しみに沈む」とあるのは、許婚者の無残な死、父オイディプスの我と我が手による失明、母イオカステーの自殺、兄弟のエテオクレスとポリュネイケスの殺し合い、父の王国の完全な崩壊と、相続く悲しい出来事の目撃者であったことを指す)もいました。ギリシア人にランジアを示し教えたヒュプシピュレー(レムノス島の王トアスの娘ヒュプシピュレー。海賊に捕らえられ、ネメアの王リュクルゴスの奴隷となって暮らすうち、テーベ討伐に向かう七将が通りかかり、水を求めたので、ネメア近傍の泉ランギア(ランジア)へ案内する。養育を命じられていたリュクルゴスの息子アルケモロスを、その間草の上に寝かしておいたところ、大蛇に襲われ殺された。リュクルゴスは怒ってヒュプシピュレーを殺そうと決意したが、かつてイアソンとの間にもうけた二子エウネオスとネブロポノスが運良く来合わせ、ヒュプシピュレーは子供と共にレムノスへ変えることになる。地獄第十八曲参照)、テティス(アキレウスの母テティス。煉獄第九曲参照。『アキレウス物語』に頻出)、ティレシアの娘(マント。地獄第二十曲参照。『テーバイ物語』に現れるテイレシアス(ティレシア)の娘はマントだけであり、しかもダンテは、テイレシアスとマントを地獄第八圏第四嚢に入れているから、マントをここでリンボの住民に数えるのは不合理である。ダンテが神曲全篇を通じて犯したこの種の錯誤の唯一の例)、また姉妹と共にデイダメイア(アキレウスの子ネオプトレモスの母デイダメイア。『アキレウス物語』に頻出するが、ダンテも既に地獄第二十六曲に登場させている)もいました。」もう壁も階段もなく、二人の詩人は黙って出っ張りに立ち、景色を眺めていました。午前10時を既に過ぎ、11時への途中でした。すると先生がおっしゃいました。「私たちは、右肩を山の外側に向けてて、ずっとそうしてきたように歩くべきだと思いますよ。」このようにして、習慣が私たちの導者となりました。スタティウスも同意してくれたので、私たちの歩みは進みました。二人が前を歩み、私が後へついていきました。私は二人のお話を聞いていたのですが、それは、詩作についてとても有益な教えでした。でも、その時、道の右側に一本の木が現れました。その木はたくさんの実をならせていて、あたりはその香りでいっぱいでした。そして、楽しい話はとぎれました!もみの木が枝から枝へ上の方へ先細りするのと反対に、この木は、根に向かって細くなっていました。魂たちが登らないように、ということかと私は考えていました。私たちの道が遮られているそちらの方には、高い崖からきれいな水がその木に注いでいて、上の方の葉をまき散らしていました。二人の詩人が木に近づくと、木の中から叫び声が聞こえました。「この実も水も、あなた達にはあげません(暴食の罪を浄める冠なので)」そしてまたその声は言いました。「マリアは、今、あなた達のために罪の赦しを神に乞う、その口についてよりも、婚宴が完全なものになるかに、思いを馳せていました(煉獄第十三曲では、隣人愛の模範とされたカナの婚宴におけるマリアの振るまいが、ここでは節制の模範第一例とされている)! いにしえのローマの女性達は、水を飲み物として満足しました(ティベリウス帝治下のローマの通俗史家ウァレリウス・マクシムスが、その著『著名言行録』の中で、「はしたない所行に出るのを恐れ、昔ローマの女人たちは酒を飲まなかった」と述べているのを引用したトマス・アクィナスの『神学大全』が、ダンテの典拠であろう。第二例)! ダニエル(旧訳の預言者ダニエル。ダニエル書1の3-20、特にその8節と17節参照。第三例)も、食べ物を卑しむことによって知恵を得ました! 人間は、初め、黄金のようにうるわしく、飢えればドングリのおいしさを味わい、渇けば全ての清流をおいしい飲み物としました(サトゥルヌスの治めた黄金時代。ダンテはオウィディウスの『変身譜』1の89-112、ポエティウスの『哲学の慰め』2の5の1-12に基づいて書いたと思われる。第四例)! 洗者ヨハネの、荒野での食べ物は、イナゴと蜂蜜だけで、それゆえに、今彼は栄光に包まれて偉大です。(マタイによる福音書11の11に、「はっきり言っておく。およそ女から生まれた者の内、洗礼者ヨハネより偉大な者は現れなかった。」とあり。なおルカによる福音書1の15、7の28も参照)。福音書があなた達に示す通りです!」(2005年9月7日)(2005年10月1日更新)

にくちゃんメモ:第五冠から、貪食者の魂のいる第六冠に来ました。ここでスタティウスが第五冠のことを説明します。(2005年10月1日)

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第二十三曲
緑の葉に、何がひそんでいるのか見ようと、私はじっと目を凝らしていました。それはちょうど、鳥を捕ろうと時間を無駄にしている人のようでした。すると、父にもまさる先生が私におっしゃりました。「息子よ、ついていらっしゃい。煉獄巡礼のために私たちに割り当てられた時間はもっと有益に使わなくてはなりませんよ。」それで、私は、急いで振り返り、二人の詩人について行きました。その二人のお話はとても楽しく、聞いていると、私の足取りも軽やかになりました。すると突然、「主よ、わたしの唇を(詩篇51の17起句。「・・・開いてください、この口はあなたの讃美を歌います。」と続く。既に煉獄第五曲で見た通り、前域に集まる魂たちも、本域へ召される日が早かれと願い、詩篇の中でも悔悛の七章と呼ばれるものの随一であるこの章を歌っていた。ここで特に「唇」の説を出したのは、口が貪食とかかわるからである)」と涙ながらに歌う声がし、それは歌う喜びと嘆く悲しみを同時に現していました。私は訊ねました。「優しいお父さんのような先生、今聞こえたのは何ですか、教えてください。」先生は答えられました。「きっと、浄罪のための唱えごとをしている魂たちでしょう。」ちょうど、思いに耽っている巡礼者達が、知らない人に追いつき、振り返ってみてみて、すぐに歩みを続けるように、黙った敬虔な魂たちの一群れが、私たちの後ろから素早くやってきて、追い越す時に怪しんで私たちを見ました。その魂たちの眼は窪んで、暗く、顔色は青ざめ、とても痩せていて、骨に皮が張り付いているようでした。最も飢えていた時のエリュシクトン(ギリシア神話で、テッサリアの王トリオパスの子。デメテルに献げられた聖林の木を切った罰で、無限の飢餓に襲われることになり、ついには我が身の肉まで食ってしまう。オウィディウスの『変身譜』8の738-878がダンテの出典)でも、これほどまでに骨と皮だけになってしまいはしなかったでしょう。私は独り言を言いました。「何という魂たちだろう! マリアが自分の息子を食べた時の、イエルサレムを失った民に違いない(ユダヤの歴史家フラウィウス・ヨセフス(37(38)-100頃)が『ユダヤ戦記』6の201-213に伝えている話で、70年、ティトゥス(煉獄第二十二曲参照)がイエルサレムを包囲した時、マリアという名のユダヤの一女人は、飢餓に耐えかね、我が子を殺して食った。「イエルサレムを失った民」とは、それほどひもじさの極限状態に陥ったその時のユダヤ人)。」魂たちの眼窩は宝石のない指輪のようでした。顔のOMOがMしか見えないようでした(ダンテの時代、「人」を意味するOMOを、アンシャル字体で書けば、自ずと人間の顔になるとの説が行われていた。即ちまず大きくMを書いて二つの眉と一つの鼻を作り、鼻の左右に二つの眼として二つのOを入れる。ところが憔悴のあまり目がくぼむと、二つのOは消えてMだけが残る)。実の香りと水が、激しい貪欲さをもたらしたのを、理由を知らなければ誰が信じるでしょう? 私は、魂たちの痩せているのと、皮膚のカサブタの原因がまだ分からないので、何でこんなに痩せているのかと驚いていました。するとその時、一人の魂が眼を私に向け、頭の深くの眼窩から見つめ、そして、叫びました。「なんて恩寵でしょう!」その魂の外見からは、私はそれが誰か分かりませんでしたが、その声で、痩せた顔に隠れた姿がはっきりと分かったのです。声によって、私の記憶から、すっかり変わってしまったその姿のイメージがはっきりしてきて、私はフォレーゼ(フォレーゼ・ドナーティ。ダンテの妻ジェンマと同様、フィレンツェの名門ドナーティ家の出。出年は不詳だが、1296年7月28日に死去。黒派に属していたけれども、ダンテとは親しく、互いにやりとりしたソネットが三編ずつ残る。その二編で、ダンテはフォレーゼの貪食癖に触れている)の顔を認めました。フォレーゼは言いました。「どうか、私の不健康な皮膚を覆うカサカサのカサブタのことを忘れてください。私のしなびた身体のことも考えないでください。君のことを話してください。それから、君と一緒にいる二人についても誰なのか教えてください。どうか答えてください!」私は言いました。「君が死んでしまった日(フォレーゼの死んだ1296年7月28日)、私は泣きました。でも、今、君の変わり果てた顔を見ると、あのときと同じぐらい悲しいです。神の名にかけて、教えてください。どうして君はそんなに痩せてしまったのですか。怪しんでいる私に話をさせないでください。他の考えでいっぱいの人は良いことを言えないからです。」するとフォレーゼが言いました。「神の意志と配慮によって、君が通り過ぎた水と木に力が注がれ、そのため私はやせ細ったのです。ここにいる私たちは、口をいっぱいにしていた報いで、嘆きながら歌いながら、渇きと飢えによって私たちを浄めているのです。実や、葉を散らせる水の香りは、食べ物と飲み物への欲求を、私たちの内にかき立てるのです。それも、一度だけでなく、私たちがこの道を走って回るたびに、私たちの苦しみは新たになるのです。今私は苦しみと言ってしまいましたか? 慰めと言うべきでした! なぜなら、キリストが、自らの血によって私たちを救ってくださった時、喜びに満ちて叫んだ”エリ(マタイによる福音書27の46に、「三時頃、イエスは大声で叫ばれた。「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」これは、「わが神、わが神、なぜ私をお見捨てになったのですか」という意味である。」とあり。最大の苦しみが、そのまま最大の喜びほかならぬ宗教的な玄義をここでダンテは説く)”と同じ願いが、あの木へと私たちを導くのです。」私は言いました。「フォレーゼ、君が現世を後にしたあの日から、まだ4年も経っていません! もう罪を犯すことができない臨終に際して、初めて悔い改めるなら、なぜ煉獄の門外にとどまらなくて煉獄山を登っているのですか? 現世に生きただけの年月をそこで過ごさねばならない煉獄前域で、君に会うと思っていました。」フォレーゼは答えました。「私のネルラ(ジョヴァンナの愛称ジョヴァネルラの略であろう。フォレーゼの妻。ただしネルラをアネルラの略ととる注釈家もある。資質きわめて貞淑、料理に励み、夫の食道楽を満足させながら、何とかしてその浅ましさから遠ざけようと心を砕き、死後は絶えず夫のために祈っていたという)が、涙を流しながら、甚だしい苦しみが無比の楽しみにほかならない第六冠の浄罪行をさせようと、私を導いたのです。ネルラの敬虔な祈りと嘆きによって、私は多くの魂たちが待っている煉獄前域から解き放され、それだけでなく、第一冠から第五冠まで登って来れたのです。私が愛したネルラは、善行をたくさん積んだので、神に慈しまれています。サルディーニャのバルバジア(サルディーニャ島の中央にある山岳地帯。そこの住民は、昔ヴァンダル族が入植させた囚人達の末裔であるという。また、八世紀から十一世紀にかけてサラセン人の占領下に置かれたサルディーニャを、キリスト教勢力が奪回した時、サラセン人の一部は山地のバルバジアに立てこもり、そのまま居残ったとする説もある。ダンテは野蛮の女を「サラチーノの女」とも呼んでいるから、この説を信じていたのかも知れない。ともかく、中世期を通じ、彼らの風紀の乱れとだらしない暮らしぶりは衆人の口の端にのぼったが、ダンテの時代には、独立の未開部落のまま、ピサ政庁の統治を拒否した)でも、私がネルラを後に残してきたあのバルバジア(フィレンツェ)と比べれば、女の人の振る舞いはしとやかです。ああ、兄弟よ、このことをどう言えばいいのでしょう、そう遠くない未来が見えるのです。フィレンツェの女性達が大きな顔をして町中をパレードするように乳首まで出して歩くのを、聖職者は禁止するでしょう(正確な年次は不明だが、枢機卿ラティーノは女人の華美な服装を禁じ、これに違反した場合、告解の秘蹟にあずからしめなかったという)! どんな野蛮な女の人でも、どんな異教徒の女性でも、精神的な掟が無いために、身体をきちんと覆わなかったということがあるでしょうか? でも、もし、この恥を知らない女の人たちが、たちまちのうちに復讐を準備する天の運行が彼女たちのために何を準備しているか(彼女達に下す災い)を知るなら、阻止しようと叫ぶでしょう! なぜなら、もし私の先見に誤りがなければ、今、子守歌を聞いて静かに眠る者の頬にヒゲが生える前に(およそ15年の後)、彼女たちは悲しむでしょう(1315年8月29日の、モンテカチーニにおけるグエルフィ党の敗北を指す)。兄弟よ、今度は君のことを聞かせてください。私も含まれますが、ここにいる皆は、君の後ろに影ができるのを不思議がって見つめているのが分かるでしょう。」私は答えました。「私たちが一緒にいた頃のことを思い出せば、その記憶は君を苦しめるに違いありません。ここで私を導いてくださるウェルギリウス先生が、5日前の満月の時、私をその生活から呼び出してくださりました。この肉体を着ながら、私は先生と一緒に、本当の死者が住む真っ暗な夜をぬけてきました。そこから、先生に支えられて、俗世の習わしに歪められた君たちを真っ直ぐにするこの山を、ここまで登ってきて、回っているのです。ベアトリーチェがいる所に行くまで、先生は一緒に行ってくださいます。そこからは、私は一人で行かなければいけません。このようにおっしゃるのがこちらのウェルギリウス先生です。そちらに立っていられるもう一人の魂は、スタティウスで、彼が天国へ向けて去るので、今、山が揺れたのです。」(2005年9月9日)(2005年10月1日更新)

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第二十四曲
話をしているので歩みが遅くなるということもなく、また、歩いているから話をしないわけでもなく、私たちは話をしながら、順風を楽しむ船のように進んでいきました。二度も死んでしまったかのように見える魂たちは、私を、生きている人間だ、とじっと見つめて、眼窩に驚きを隠せませんでした! そして私は、フォレーゼとの話を続けました。「スタティウスは、すぐに地上楽園へ登れる身でありながら、ゆっくりしたペースで登っています。ウェルギリウス先生のためということでしょう(尊敬して止まないウェルギリウスと同道できるという、千載一遇の好機を逃すまいと。ウェルギリウスはウェルギリウスで、ダンテのために歩みをゆるめている)。できれば、ピッカルダ(フォレーゼの妹。生まれながらに信篤く、少女時代フィレンツェの聖クララ修道院に入っていたのを、兄コルソ(地獄第六曲参照)が1283年から1288年のいずれかに、フィレンツェ権門の出ロッセリーノ・デルラ・トーゾと政略的に結婚させた。童貞の誓いを破った罪から一刻も早く救われるようにとの祈りは聞き入れられ、今後まもなく病没したと伝える。ダンテはやがて月天に住むピッカルダと語り合う(天国第三曲)ことになるが、コルソを地獄に、フォレーゼを煉獄に、ピッカルダを天国に配置したダンテの構成に注意)がどこにいるか教えてください。それから、ここで私を見つめている魂の中で、私が知っておくべき魂はいますか?」フォレーゼは言いました。「見かけも心も美しい私の妹は、天国を勝ち取り、その栄冠を喜んでいます(テモテへの第二の手紙4の7-8参照)。それから、どの魂も、名前を呼んではいけない、ということはないのです。特に、ここでは断食で痩せてしまっていますから。」フォレーゼは指さしました。「そちらは、ボナジュンタ(公証人ボナジュンタ・オルビッチアーニ・デリ・オヴェラルディ。ボナジュンタはフィレンツェに多い名前なので、重ねて「ルッカの」と言い添えた。十三世紀の後半、フィレンツェでは名の知れた詩人で、ダンテに宛てた詩もいくつか残っているが、「詩作よりも飲酒に耽った」との口碑もある)です。ルッカ・ボナジュンタです。その後ろで、他の魂たちよりも、ずっとひからびた顔をしているのは、聖なる教会をかつて両腕に抱えた教皇マルティヌス四世((在位1281-1285)。1210年頃、フランスのブリに生まれた。トゥールの聖マルティヌス聖堂の財務長(「トルソの生まれ」とある所以)をつとめ、1260年、フランスのルイ九世の宰相兼大掌璽官(だいじょうじかん)となる。翌年、教皇ウルバヌス四世は彼を枢機卿としたが、爾来、クレメンス四世、グレゴリウス十世と続く教皇の、在フランス特使として、ナポリおよびシチリアの王権をアンジュー家のシャルル一世に渡す件でシャルルと折衝した。1280年8月22日教皇ニコラウス三世が死んでから半年後、1281年2月22日に、彼がヴィテルボで教皇に選ばれた背後には、シャルルの大きな威光がある。教皇職に就いた第一年、彼はシャルルの意のままに東ローマ帝国皇帝ミカエル八世パレエオログスを破門し、東西両教会が一つとなる可能性を消滅させた。「聖なる教会をかつて両腕に抱えた」とはこのことへの言及。彼が枢機卿とした者の中には、ダンテの宿敵、のちのボニファティウス八世も見出される。1285年3月28日、ボルセーナ湖で捕らえたウナギの食い過ぎが原因で死んだ)です。トゥールの生まれで、ここで、ヴェルナッツァ産の白葡萄酒(ラ・スペツィアから数キロ離れたヴェルナッツァ産の白葡萄酒。ダンテの同時代人フランチェスコ・ピピーノによると、マルティヌス四世は、牛乳につけ込んだボルセーナウナギを、ヴェルナッチョのシチューにして食べるのを特に好んだという)で料理したボルセーナ湖(ヴィテルボの北北西数キロに位置し、中部イタリアでは最も大きい湖の一つ。そこのウナギは現在でも名産)のウナギを、断食で浄めているのです。」そして、フォレーゼはたくさんの他の魂たちの名前を一人一人教えてくれて、皆、名前を言われると満足した面持ちで(現世に帰ったダンテの報告から縁者が祈ってくれるのを期待して)、少なくとも、怒る魂はいませんでした。私は、ウバルディン・ダ・ラ・ピーラ(ウバルディーノ・デリ・ウバルディーニ・ダルラ・ピラ。地獄第三十三曲に出てくるピサの大司教ルッジエリの父。1291年に死んだらしい。ギベリーニ党の主力であったウバルディーニ家の一員。有名な枢機卿オッタヴィアーノ・デリ・ウバルディーニ(地獄第十曲参照)や、煉獄第十四曲に出てくるウゴリン・ダッツォも同家の出。ラ・ピーラは、フィレンツェ北方を流れるアルノ川支流のほとりに立つウバルディーニ家居城の名前に因む)と、杖で多くの民衆を牧したボニファツィオ(ジェノヴァ出身の司教ボニファツィオ・デ・フィエスキ。1295年2月1日没。教皇インノケンティウス四世(在位1243-1254)の甥に当たり、1274年から1295年までラヴェンナの大司教。莫大な財宝と、銀の食器(貪食を連想させる)や豪華な刺繍類の蒐集で知られていた)が、飢えのあまり空気を噛んでいるのを見ました。私は、メッセル・マルケーゼ(フォルリの名門アルゴリオージ家の出身で、1296年ファエンツァの長官となった者。メッセル閣下は敬称。生来の酒好き)を見ました。フォルリにいた頃、ここのように喉が渇いているわけではないのに、飲みに飲んで、飽き足るように見えませんでした。しばしば、群衆の中に一人の顔が際立って見えることがあります。ここでもそのようなことが起こりました。ルッカの魂、ボナジュンタが、私に興味を持ったように見えました。ボナジュンタは何かぶつぶつ言いました。正義の痛みを感じる、彼を痩せさせる口から「ジェントゥッカ(不特定の「人々」を意味する普通名詞か、特定の固有名詞か、不可解とされてきた言葉であるが、近代の多くの注釈家は、遠隔の地に追いやられたダンテを厚く遇したルッカの一淑女であろうと見る)」と言ったのを聞きました。私は言いました。「ああ、魂よ、あなたはジェントゥッカについて私に話をしたいようです。私が聞き取れるよう、どうぞ話してください。あなたがお話ししてくれれば、あなたも私も満足できるでしょう。」ボナジュンタは言いました。「一人の女性が生まれ、まだ結婚していませんでした(1300年4月には未婚の境涯)。人々がどんなに非難しても(ダンテ自身、地獄第二十一曲で、悪魔の口を借り、ルッカに痛烈な非難を浴びせている)、彼女が私の町ルッカを、あなたの心を慰める町にするでしょう。私のこの預言を憶えていてください。もし私がつぶやいた言葉があなたの誤解を招くなら、この後、現実があなたにこれを解き明かすでしょう。でも、教えてください。ここに私の前に立っているのは、「愛をよく知る淑女達(『新生』(19の1-2参照)第一カンツォーネの起句。ベアトリーチェを対象とするダンテの詩は、このカンツォーネから新しく生まれ変わる)」と始まる新体の詩を作り出した人ですか?」私はボナジュンタに言いました。「愛が私の気持ちを動かすと、心に受けとめ、それが心に命じるままに詩にするのが、私です。」ボナジュンタは言いました。「兄弟よ、今分かりました。グイットーネ(フラ・グイットーネ・ダレッツォ(1235頃ー1294)。プロヴァンスの詩人達の影響を受けたフィレンツェ派の頭目とされる詩人。アレッツォに近いサンタ・フィルミーナで生まれたが、生涯の大半をフィレンツェで過ごし、ダンテと相識の間であったと思われる。1266年頃、安逸助修士となったが、そのことから推しても、人と作品に窺われる世俗主義的な傾向は生得のものであったらしい)と公証人(ジャコモ・ダ・レンティーニ。シチリア生まれ、通り名はその職業の「公証人」。十三世紀の前半、シチリアの王でもあった神聖ローマ帝国皇帝フリードリヒ二世(地獄第十曲、二十三曲参照)とその庶子マンフレディ(煉獄第三曲参照)の元に栄えたシチリア派詩人の非常に優れた者。ボローニャで学び、のちにトスカーナに住み、詩人としての名声を確立)と私が、旧習になじみ、清新体(イタリア文学史に多くのページが割かれる「清新体」(ドルチェ・スティル・ノーヴォ)の、これが最初の用語例)に同調できなかったことが分かりました。あなた達(清新体を実践するフィレンツェの詩人達。しかし当時はたしてこのようなグループがあったかどうか、いまだに結論は出ていない)の翼は、愛が命じるままに飛んでいることが分かりました。私たちにはできませんでした。この二つの詩体をよく見比べてみて、私ほどその差を明らかにできる者はいません。」そして、ボナジュンタは言ったことに満足し、黙りました。ナイル川に冬ごもりする鳥たち(この辺りはルカヌスの『パルサリア』5の711-716に拠ると思われるが、それならばこの鳥は鶴。鶴の飛び方については地獄第五曲参照)が、空を一緒になって飛び、スピードを速め、縦に並んで飛ぶように、魂たちも、真っ直ぐに列を作りました。痩せ、浄罪の願いに駆られた魂たちは突然、私たちから離れて歩み始めました。疲れた競争者がペースを落とし、胸の喘ぎがおさまるまで、残りの者が過ぎていくのにまかせるように、フォレーゼは聖なる群れをやり過ごし、私と歩みを合わせました。フォレーゼは訊ねました。「再び私たちが会えるのはいつでしょう?」私は言いました。「どのぐらい私の命が続くのか分かりませんが、すぐにこの煉獄山(ダンテは地獄に堕ちず(地獄第三曲のカロンの言葉参照)、煉獄へ送られるのを予期していた)に帰って来るにしても、私の心はもう岸に(魂たちが集まって煉獄への船出を待つオスティア(煉獄第二曲参照)か、煉獄山の裾の船着き場のいずれかであろうが、ダンテの心象では二つが一つとなっていたと思われる)着いています。なぜなら、私の生まれ育った町フィレンツェは、日に日に徳が無くなり、無残な破局へ急いでいるからです。」フォレーゼは言いました。「元気を出して、行ってください。私には見えます、最も罪深い者(フォレーゼとピッカルダの兄コルソ・ドナーティ。フィレンツェにおける黒派の首領。勢力争いの張本人)が獣の尾に引かれて(反逆罪に問われ、我が屋敷の閉じこめられたコルソは、1308年10月6日、馬での脱出を試みたが、甚だしい通風のため手足の自由がきかず、やがて落馬、相手側の槍の一突きを喉に受けて絶命した)、罪の赦しのない地獄へ堕ちていくのが見えます。その獣は一歩一歩スピードを速め、どんどん速くなり、突然その体を振り落とし、その体は恐ろしいほどズタズタにされます(死体は放置のままであったと伝えられる)。」フォレーゼは天を見上げました。「あの歳月の経過を示す天体の運行も、私の口で言い尽くせないこと(八年後、落馬したコルソが槍で突き殺されること)が君に分かるまで、そんなに長い年月はかかりません。さあ、私はあなたから離れなくてはなりません。私は、あなたのペースで一緒に歩いていて時間を費やしすぎました。ここでは時間は大切なのです。」戦いに行く一団から、戦いの一番乗りの名誉を求めて、騎士が馬を駆け出させることがあります。ちょうどそのように、フォレーゼは、私から離れて急ぎました。私は、この世の強い元帥のような二人の詩人の魂についていきました。フォレーゼは、私たちのはるか前方に行ってしまい、私の目がフォレーゼを追うことができなくなったのは、私の心がフォレーゼの言葉の意味が分からないのと同じでした。私がフォレーゼから目をそらすと、突然、私の前の道に緑が青々とし、枝には実をたくさんつけた木が現れました。木の下には、魂たちが両手を広げて、葉に向かって何かを叫んでいました。それは、願いを訴えたのに答えてくれないく、手が届かないのによく見えるようにするのでなおさら心を引かれるような人に対する、ものをねだる欲張りの子供のようでした。ついに、魂たちはあきらめて、立ち去りました。すると、私たちは、祈りや涙にもウンともスンともしない、立派な木の元に来ました。葉の間のどこからか、声がしました。「通り過ぎて行きなさい。近くに来てはいけません。この上に、エバが実を採った善悪を知る樹(創世記2の9と17参照)があります。その善悪を知る樹は、この木の親です。」それで、ウェルギリウス先生、スタティウス、そして私は、木の左側の崖に沿って歩いていきました。その声は続けました。「思い出しなさい。ケンタウロス族を(ギリシア神話のケンタウロス族。地獄第十二曲参照。腰から上は人間、下は馬の怪物。ケイロンとポロスを除き、ラピテース族の王イクシオンがヘラだと思って交わったネペレ(雲)との間にもうけた子供たち。テッサリアのラピタイ族の王ペリトゥスがアドラストスの娘ヒッポダメイアを娶った時、近親なのでその婚宴に招かれたケンタウロス達は、初めて飲む酒によい、飽食し、乱暴狼藉におよび、花嫁はじめ同席の女まで犯そうとする始末に、ペリトゥスとその親友テゼオ(テセウス)並びにラピタイ族相手の格闘となり、ラピタイの勇者カイネウスを倒したが、テッサリアから追放される。『変身譜』12の210-212、215-225、227-231が典拠。貪食に対する罰の第一例)。思い出しなさい、ヘブライ人達(ミデヤン(マディアン)人と闘うに際し、のちにイスラエルの士師となったギデオン(ゼデオン)の部下の内、乾きに絶えかねて、はしたなく膝をついてがぶがぶ水を飲み、王の心に叶わず、攻撃に加わる資格を失ったヘブライ人達。士師記7の4-9参照。罰の第二例)を。」このようにして、私たちは貪食の罪の説明を聞きながら、道の片側を歩いていきました。そして、私たちは、何もない道を自由に歩きましたが、皆思いに耽り、何も話をしませんでした。私たちは千歩ほど歩いた時、突然、声がしました。「そこのお三方、何を考えているのですか?」私はとても驚き、誰が今しゃべったのかと頭を上げて見ましたが、そこで見たものほど赤いものは、かまどにあるどんな金属やグラスより燃え輝いていました(ヨハネの黙示録1の14-16を踏まえた表現)。また声がしました。「もしあなた達が登り道を探しているのなら、ここを曲がりなさい。平和を探し求める者の道はここです(第七冠で浄罪の対象となる邪淫には、心の平安が伴わない)。」その天使の姿は光り輝いたので、私は目が見えず、後ろを向いて、聞いた言葉が足を運ばせるように、手探りで先生達の後ろへ行きました。五月の早朝の柔らかな風が日の出を告げ、草と花のよい香りをあたりに漂わせます。ちょうどそのような柔らかな風のひと吹きを私は額に感じました。天使の翼が額に触れたのです(この時P字がまた一つ消えたのである)。私は神々の甘美な香りを感じました。私は声を聞きました。「幸いなるかな、神の恩寵が豊富なため、食べ物への愛が、飢えを招くことがないけれど、義には飢える者よ(山上の垂訓第四を、ここに相応しく展開したもの。煉獄第二十二曲参照。「渇く」を省き、「飢える」を採ったのは、それが貪食の浄罪に一層相応しいため。飽くことを知らない口腹の飢えは浄められなければならない罪であるが、正義への恒常の飢えは至福であることを説いたここの意味は深い)。」(2005年9月12日)(2005年10月1日更新)

にくちゃんメモ:第六冠から第七冠に向かいます。(2005年10月1日)

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第二十五曲
遅れることなく登っていく時刻、午後2時頃でした(三詩人は第六冠の環道で約4時間を費やしことになる)。どんなことにも妨げることなく、ずっと真っ直ぐに歩み続けなければならない人のように、私たちは、隙間を通り抜け、狭い所を、先頭はウェルギリウス先生、続いてスタティウス、最後に私が従い、階段を登っていきました。コウノトリの雛が飛びたいと思い、翼を上げるものの、まだ巣から離れられず、翼を元に戻してしまうように、私は、訊ねてみようと思っても、めげてしまい、また、しゃべろうと思っても、やっぱりやめてしまったりしていました。私たちの歩みは速かったのですが、優しいお父さんのようなウェルギリウス先生は、話をするよう勇気づけようとおっしゃいました。「ぎりぎりまで引いた言葉の弓を放して、話してみなさい。」そこで私は力づけられて、先生に訊ねました。「今し方見てきた第六冠のあの魂たちは、なぜあのようにも痩せていたのでしょうか、食べ物の必要はない境涯なのに?」先生はおっしゃいました。「メレアグロス(カリュドンの王オイネウスと、テスティオスの娘アルタイアの間に生まれた子。誕生に際し、運命の女神達から、炉中の薪が燃え尽きるまでの命と預言され、アルタイアはその木の火を消し、密かに保存した。メレアグロスは無事成人したが、オイネウスが収穫の感謝の犠牲を供した折、アルテミスをおろそかにしたのを女神は憤り、カリュドンの野に巨大な猪を放つ。メレアグロスは狩人を呼び集め、これを退治した者の獲物の分配から争いが起こり、図らずも母方の叔父を殺す。アルタイアは怒り、保存していた薪をたいたので、たちまちメレアグロスは死んだ。ダンテの典拠は『変身譜』8の445-532)が、薪の燃え尽きるのと同時に死んだのを思い起こせば、魂のやせ細りの説明はさほど困難ではない(メレアグロスの死と薪の燃え尽きの因果関係の解明に比べれば)ですよ。鏡に映る君たちの姿が、君たちが動くに連れて動くことを考えれば、君が難しいと思っていたことも、わかりやすくなるでしょう? でも今は、君は心配してはいけませんよ。ここにスタティウスがいるから、君の問題を解明してもらいましょう。」スタティウスは答えました。「死後における永遠の世界を、ウェルギリウス、あなたの前でダンテに説明しても、あなたの願いを私が拒めないということで、許してください。息子のようなダンテよ、私の言葉を心で受けとめ、よく考えれば、君を悩ませていたことが分かります。食べ物がまだ食べられていないのにテーブルの上から取りのけられるように、渇いた血管には吸収されることなく、後に残る完全な血は(精液となる血。この辺りの胎生に関する生物学説は、アリストテレスを祖述したアラビアの哲学者・医学者アヴィケンナ(980-1037)に拠る所が多いと考えられる)、体に栄養を送る血管の中の血のように、体中を動かす力を心臓の中にとどめます。その血は純度を高め、言葉にしないでおいた方がよい所(男の性器)に降りていき、そこから、自然の器(子宮)の中の、他の血にしたたり落ちます。そしてその二つの血は混ざり合います。それぞれ受動的な性質(男性の血)と、出る所が心臓なので能動的な性質(女性の血)を持ちます。二つの血が結びつき、活動を始めます。まず、凝固し命となります。能動的な性質を持つもの(男性の血)は、魂となります。それは植物の魂のようですが、植物の場合、生育を限度としてそれ以上に進むことはできませんが、人間の魂はさらに進んで他の性質をそなえるのです。魂は、盛んに活動し、動きかつ感じることはクラゲのようですが、さらに自らを種として様々な力を組み立て始めます。我が息子よ、この血が心臓内に得た体を構成する力は、今や既に広がって胎児の各部各器官に及びます。でも、どのようにして、動物の状態から人間の子供になるのかは、君は分からないでしょう。これは、君よりも賢い哲人アヴェロエス(地獄第四曲でアリストテレスの「偉大な注釈を成し遂げた」と称えられているアヴェロエス)でさえ間違えてしまった問題です。なぜならアヴェロエスが説明する上で、アヴェロエスは、見るには眼、聞くには耳というような、理性に対する器官がないので、理性と魂をわけて考えたからです。これから私が述べることに心を開いてください。胎児では、脳の組み立てが完全に終わるやいなや、第一始動者(アリストテレスに始まる用語であるが、トマス・アクィナスを経て「神」の同意語となる)は、自然の技を喜び、新しい霊を吹き入れるのです。その時、霊は一つの魂となって、生き、感じ、自ら熟考するために、胎児に存在する能動的な作用を吸収する力をもってするのです。もし私の言うことがヘンだと思うなら、太陽の熱が、ブドウから流れ出る果汁と一つになって、ワインを作る(ダンテの当時、発酵の原理はまだ解明されていなく、葡萄酒も、太陽の熱とブドウ汁の合成によると考えられた。さてここの比喩を、神性と自然性を合わせそなえた新しい存在である人間(葡萄酒)に適応させると、太陽(神)の熱は「新しい霊」即ち可能の知に、ブドウから流れ出る果汁は「自然の枝」である胎児に、当てはまる)ことを考えてください。ラケシス(生まれてくる全ての人間の寿命の糸を、それぞれ紡ぎ割り当てる運命の女神ラケシス。煉獄第二十一曲参照)の糸が無くなると、魂は肉体から離れ、人性も神性も両方とも携えるのです。知的な力である記憶や思考以外の、感覚的な機能はもう成長しません。そして意志の活動は以前より活発です。魂は、その重さによって、地獄の玄関アケロン川の岸と、「ローマの海港」オスティア付近で地中海に注ぐテーヴェレ川の岸のどちらかに落ち、そこで、自分の行くべき道を知るのです。とどまる場所が決まると、構成する力があたりに放たれ、以前のような体の形を作ります。激しい雨の後の空気が太陽の光線を浴びて、様々な色の壊れそうな色の虹を飾ります。ちょうどそのように、魂を包むあたりの空気が、魂の力によって、その形をとらせるのです。火の動く所には、どこでもその火に焔が伴い、焔は見えますが火は見えません。そのように、新しい形は魂を含むのです。その新しい形は見えるので、影と呼ばれ、霊は、視覚も含んで、あらゆる感覚の器官を作るのです。私たちはしゃべれるし、笑うこともできるし、涙を流すこともできるし、ため息をつくこともできます。君はこの煉獄山でそのため息を聞いたでしょう。影の形は、欲望によって変わるし、感情によっても変わります。例えば食べたい一念がつのると、餓鬼のように痩せます。これが君の疑問点の解説です。」この時既に私たちは最後の冠である第七冠の台地に着いていて、右の方に進んでいて、心は、他のことでいっぱいでした。そこでは、内側の絶壁から焔が吹き出ていました。台地の縁は風を噴き上げていて焔を吹き返していて、そのためできる一筋の細い道を縁に沿って、私たちは縦一列になって歩いていきました。私は、左側には焔があり、右側は落っこちそうで、恐かったです! 先生はおっしゃいました。「このような所では、道に沿って真っ直ぐ見つめていなければいけませんよ。なぜなら簡単に滑って落っこちてしまうからですよ。」その時、「いと大なる憐れみの神よ(土曜日の朝課に唱えられる聖歌の起句。貞節の讃嘆を内容とする。現行のは、教皇ウルバヌス八世が1631年に改訂したものなので、所々に語句の相違が見られる)」と焔の中から唱う声を聞きました。そこで私はそちらをよく見たくなってしまいました。そうすると、焔の中を魂たちが歩いているのが見えました。私は魂たちを見ながら、足元にも気をつけていて、好奇心と恐怖にとらわれました。その魂たちがその聖歌を終章まで歌い終えると、大きな声で「私は男の人を知りませんのに。(「あなたは身ごもって男の子を産む」と言う天使ガブリエルへの、処女マリアへの答え。ルカによる福音書1の34参照。貞節の第一例)」と叫びました。そして柔らかな声でまた聖歌を歌い始めました。歌が終わるとまた叫びました。「アルテミスは森に踏みとどまり、アプロディテの毒にあたっていたカリストーを追い払う(ギリシア神話のアルテミスは、オリュンポス十二神の一柱であるが、ニュンペ達を率いて森林・山野に狩猟し、処女の純潔を自ら固く守り、部下のニュンペ達にも要請した。アルカディアの王リュカオンの娘で、純血の誓いを立ててアルテミスのニュンペとなったカリストーは、邪淫の女神アプロディテの毒に感染してゼウスの子アルカスを産む。これを知ったアルテミスはカリストーを森から放逸する。貞節の第二例)。」そしてまたもとの聖歌に戻り、歌い終われば、美徳と婚姻が私たちに命じる通りに、厳しく貞節を守った妻と夫の例を挙げました。焔の中で彼らが焼かれている間、彼らは絶え間なく火によって浄められていて、聖歌を食べ物としているのだと、私は思いました。これらによって、邪淫の罪も癒されるに違いありません。(2005年9月13日)(2005年10月3日更新)

にくちゃんメモ:私は、心と、体の形を伴い死後の世界にいる人を、「魂」と訳してきました。「亡霊」と訳すのが多いのですが、「亡霊」って、なんだか「お化け」みたいな気がして恐いので「魂」としました。それが、ここに来て、詳しい説明をする時に「霊」と「魂」がごっちゃになってしまっていますが、文脈で分かりますよね? 分かってください!(2005年9月13日)(2005年10月3日更新)

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第二十六曲
私たちは、縦一列になって、崖の縁を歩いていきました。すばらしいウェルギリウス先生は「気をつけなさい!」と何度もおっしゃいました。右から私の肩に日が差し、西の空は紺色から白へ色を変えていきました(南南西に向かって進むダンテの右肩に日があたり、西の空が藍から白へ色を変える時刻は、午後4時と5時の間。三詩人が第七冠へ登り始めたのは午後2時なので、ここまでの旅程にはずいぶん時間がかかった)。夕方の日光に映発する火焔の色は青みを帯びているのに、私の影の上では火焔本来の赤色を示しました。それを見て、たくさんの魂たちが通り過ぎながら、不思議そうにしているのを私は見ました。そして、魂たちはそのことをきっかけにして、私のことを考えているようでした。その魂たちは言いました。「あの人は本当の肉体を持っているみたいです!」その魂たちの内の幾人かが私の方にできるだけ近づいてきて、焔から出ないように注意しながら(煉獄で浄罪行にいそしむ魂は、常に苦行を喜び、心を外へ向けないのが習いである。だからここでも、身を焼いて罪を浄める資財である炎の外へ出ないようにとの、万全の配慮が成される。地獄の魂たちの態度とまさに対蹠的)言いました。「あなたは、敬意を払って他の二人の後ろを歩いていますが、どうか止まって、渇きと火に身を焼く私に話してください。私だけではありません。ここにいる皆が、あなたの言葉を望んでいるのです。それは、エチオピアやインドの人が冷たい水を求めるよりも、ずっと望んでいるのです。教えてください。壁のように太陽の光を遮って、あなたには影ができるのはなぜですか? あなたはまだ死んでいないようです。」その時、異様な光景に私の目が奪われなかったなら、私はその質問に答えていたでしょう。何が見えたかというと、燃える道の真ん中をこちらを向いて、他の魂たちの一群がやってくるのを見たのです(煉獄における正常な進路は左から右へなのだが、この連中は右から左へ、時計の針と同じ進行方向を取る)。両方ともの魂たちが、互いに急いで歩いてきて、さっさと互いにキスをして、ちょっと会釈しただけでした。その様子といったら、蟻と蟻が、どちらへ行くべきか、とか、食べ物があったかどうかと聞こうと、互いに鼻先をくっつけ合うようでした。挨拶がすむと、互いにそれぞれの方向に一歩を踏み出そうとする前に、彼らは互いに叫び会いました。今来た者たちは、「ソドムとゴモラ!(創世記19の24-25に、住民の罪悪のために主が硫黄の火を天から降らせて全滅させたと記されている町。ソドムでは特に男色が盛んであった。邪淫の罪の第一例)」、向き合う者たちは、「パシパエ(ギリシア神話のパシパエ。クレタ島の王ミノス二世の妃。牡牛と交わって半身半牛の怪物ミノタウロスを産む。邪淫罪の第二例)が、牡牛を誘って自分の欲望を達しようと牡牛の中に入る!」と叫びました。鶴が二つの群れに分かれて、一群はリーパイ山脈(古代ギリシア人がアジア大陸の北限にあると考えたリーパイ山脈。ドン川の水源とする説もあるが、それに従えばウラル山系の西の支脈。この想像の山名は、ルネサンスを迎えるまで泰西の地図面から消えなかった)へ、もう片方の群れはリビアの砂漠へ、それぞれ、氷から逃れるため、太陽から逃れるために飛ぶように(鶴の渡りにこのような事実は全くなく、ダンテもそれを知りながら、『パルサリア』5の711-716、7の832-834に基づいて空想したのであろう。ちなみに、神曲の中で鶴が明喩に用いられるもう一つの例は、地獄第五曲で生前愛欲に耽った魂たちが第二圏の業風に吹きまくられる所。共に邪淫の獄)、ここでは、生前男色に耽った者たちの魂は向こうへ行き、生前、人倫の道にそむいて淫欲をほしいままにした者たちの魂はこちらへ来て、皆涙を流し、をれぞれに相応しい、先ほど歌った歌を歌い、先ほど叫んだ叫び声をあげていきました。すると、先ほど私に質問した魂たちが、さっきのように私に近づいてきて、私に聞きたそうな顔をしました。そこで私は、魂たちが二度も願ったものだから、話し始めました。「ああ、至福の地へ到る魂たちよ、私の体は、まだ若くて、ということもなく、もう年老いて、ということもなく現世に抜け殻をおいてきたのではないのです。私は肉体を身につけているのです。血も、骨もあるのです。私は心の目が見えないのを治そうとここを登っているのです。なぜならベアトリーチェが天上で私のために恩寵を願っているからです。そういうわけで、あなた達の世界を生きた身のまま歩いているのです。どうか、あなた達の望みが早く叶い、愛に満ちあふれた至高天(第十天。ダンテに従えば、もろもろの天の最も外側にあり、周辺最も広く、宇宙全部を包み、その外側にはもはや何もない。縦にも横にも愛が充ち満ちる。ここからベアトリーチェはリンボに下った)に達しますように。でも、あなたはどなたなのですか? また私たちに背を向けて走っていった魂たちは誰なのですか? 答えてくださったら、それを私は本に書きたいと思います。」町に来れば失礼な田舎者で、黙って、見るもの全てに呆然と口を開けてしまう山の住人のように、その魂たちは見えました。でも、その魂たちの貴い心の中の驚きはすぐに静まり、立ち直ると、先ほど私に質問した魂が話し始めました。「神の恩寵の中に生きようとして、この地の経験を人生の船に乗せるあなたに、幸福がありますように! 私と一緒に動くあの魂たちは、シーザー(カエサルが小アジアのビテュニアから凱旋した時、ビテュニアの王ニコネメデスと男色関係にあったとの噂を信じたローマの群衆の中に、「王妃、帰ったか!」と叫ぶ者もいたことへの言及。しかしこれはダンテの史料誤解によるとの説が注釈家の間に定着している)が勝利して帰ってきた時、「王妃」と呼ばれたのと同じ罪の者たちです。それから、あの魂たちが私たちから走り去っていた時に我が身を責めて「ソドム!」と叫んでいたのは、このような男色のせいです。恥を焔の薪としているのです。私たちの罪は、男色でなく、異性間の淫行です。でも、獣のように欲に従い、人の掟を守らなかったのです(人間にのみ賦与された理性の法則を守らず、野獣の道に迷い込む)。あの魂たちが私たちを通り過ぎる時、私たちは獣の形に自らなったパシパエの名前を言い、自ら辱めるのです。さあ、私たちの罪が何なのか、お分かりでしょう。私たちの名前を知りたいかもれませんが、時間がないので、全員の名前を言うことはできません。私の名前ならお教えしましょう。グイド・グイニッツェルリです(ダンテ以前のイタリア文学で最も優れた詩人。1235年頃、ボローニャに生まれた。しかし伝記は明らかでなく1276年の11月以前に死んだとの推定される。またその死んだ場所も確かめる資料を欠く)。私は死ぬ前に深く悔い改めたので、ここにいるのはそんなに永くないでしょう(既に煉獄の第七冠にいるのだから、浄罪の期間は格段に短い)。」これを聞いた私は、リュクルゴス王(メネアの王リュクルゴス。煉獄第二十二曲参照。二人の息子とは、エウネオスとネブロポノス)が悲しみ怒る中、二人の息子が母親を捜し出し喜ぶのと同じように、私は喜びましたが、二人の息子のように抱きしめはせず、自制しました(『テーバイ物語』5の720-722によれば、二人の息子は武器を構えて立ち並ぶリュクルゴスはいかに目もくれず、母めがけて突進し、涙にかきくれ、母尾を抱き取り、兄弟互いにその胸へひしと圧しすがった、とある)。私の父、そして私より優れた者(これが誰を指すか、ダンテの全著作のどこにも具体的な言及はない)の父、皆、甘美なうるわしい愛の詩を読みました。私はもう訊ねず、しゃべらず、思いに耽って歩きました。私の目はその魂をずっと見ていて、でも、焔のためにあまり近くには近寄れませんでした。結局、私の目は満足し、私はグイドのお役に立つことがあれば何でもします、と話しました。グイドは私に答えました。「君が今話してくれた事(今生身のまま煉獄を旅し、やがて天国に上げられ、再び現実の人間界へ帰る経緯)は、私の胸に響きました。レーテ(ダンテが煉獄山の頂に想定した忘却の川)といえどもそれを消し去ることはできません。でももし君が話してくれたことが本当なら、どうして、君が私に対して抱いている愛情を、言葉や身振りで表すのですか?」そこで私はグイドに答えました。「あなたの美しい詩は、俗語で詩を作る習慣が続く限り、あなたの使ったインクさえ大変すばらしいものとされるでしょう。」グイドは前にいる魂(プロヴァンスの名高いトルバドゥール詩人アルノー・ダニエル(オック語(俗称プロヴァンス語)ではアルナルド・ダニエルロ)。1180年から1210年頃にかけて活躍したが、行実は定かでない、しかしダンテはグイドの口を借りて、彼がトルバドゥールだけでなく、トルヴェールの詩人達にも匹敵する者のない最も優れた詩人だと称えている)を指さして言いました。「我が兄弟よ、私が指し示す者は、私よりも国の言葉をうまく使う詩人です。恋の歌(オック語(俗称プロヴァンス語)で書かれたトルバドゥールの抒情詩)、散文の物語(フランス語で書かれたトルヴェールの伝奇物語)は、彼に及ぶ者はいません! リモージュの詩人(十二世紀の中葉フランスのリモージュに近い所で生まれ、トルバドゥール詩人ギロード・ド・ブルネイユ。ダンテは『俗語論』2の2の9で、彼を「道義の歌い手」、アルノー・ダニエルを「愛の歌い手」、ベルトラン・ド・ボルンを「軍事の歌い手」と資格づけている)の方が優れているという人は、バカです! そういう人たちは、名声によって判断しているのであって、真実から判断しているのではありません。理論や技を知らずに判断するのです。グイットーネ(煉獄第二十四曲参照)もかつてこのように判断されました。公平な評価が得られるまでは多くの人はグイットーネを褒めそやしました。さて、しかし、君が天国に登っていける特権を持っているのなら、天国に着いたら、私のために「わたしたちの父よ(マタイによる福音書6の9-13、ルカによる福音書11の2-4にある主の祈りの起句。「わたしたちを誘惑に遭わせず、悪い者から救ってください。」と付け加える必要は、既に悪から救い出されて浄罪に励む煉獄の魂たちにはもはや無い)」と言ってください。今となってはもう罪を犯すことはないので、それだけを言ってください。」すると、きっと誰かに場所を譲ろうとして、グイドは焔の中に消えてしまい、それはちょうど、魚が水の深い所へ泳いでいってしまうようでした。私は先ほどグイドが指さしたアルノー・ダニエルの魂の方へ歩み、彼の名前を知りたいという願いを告げました。彼は喜んで答えました(以下、アルノーはオック語で、トルバドゥールの抒情詩風に答える)。「私を誰かと聞きたいというのなら、あなたに隠し立てすることはありません、私はお答えしましょう。私はアルナルドです。泣きつつ、歌いつつ(第七冠の環道を)行くのです。私の過去を顧みて、私の愚かさを悲しみ、行く末を見て、私の望む日が来るのを喜ぶのです。この階段の頂まであなたを導く神にかけて、お願いするのですが、時が来たら私の悩みを思い出してください!」そしてアルノーは浄めの焔の中に消えていきました。(2005年9月16日)(2005年10月3日更新)


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第二十七曲
キリストが血を流した所、イエルサレムに、太陽がその日初めの光線を光らせる頃、スペインのエブロ川では真夜中で、インドのガンジス川は真昼の暑さに沸き立ち(煉獄第二曲と同じ発想で、イエルサレム、煉獄、インド、スペインを地球の四定点とし、イエルサレムの日出時が、煉獄山では日没時、インドでは真昼、スペインでは真夜中にあたることを言う)、ここ煉獄山では日は沈もうとしていた、その時、神の天使が喜びながら私たちの前に現れました。天使は火焔の外の岸に立ち、「心の清い人々は、幸いである(山上の垂訓第六。マタイによる福音書5の8参照)!」ととても清らかに歌いました。そして、私たちが天使の方に行くと、天使は言いました。「聖なる魂たちよ、火を通らないとここから先は行けません。火に入り、私のように、火焔の外にある彼方の岸に立つ天使の聖歌隊の歌を聞きなさい。」これを聞いて私は、生きながら逆さに埋められる罪人(地獄第十九曲参照)のような思いでした。私は、手を組み合わせ、前屈みになり、火を見てみると、火刑に処された人々のことを思い出しました。二人の優しい導者は私の方を振り向き、ウェルギリウス先生は私におっしゃいました。「ああ、息子よ、ここは苦しいかも知れませんが、死ぬことはありませんよ。思い出してご覧なさい! 私たちがジュリオーネの背中に乗った時(地獄第十七曲参照)でさえ、私は君を導きましたよ。今、神に近い所で、君を放ってしまうわけがないでしょう? もし君がこの焔の中に千年の間とどまろうと(肉体を焼かず、精神だけ焼き浄める火の不思議な力は、東西どの宗教にも共通する発想であるが、ここでは特に、人類の始祖追放ののち、生命の樹への道を守るために、神はエデンの園の東に、ケルビムと燃える炎の剣をおいたという創世記3の24の記事が想起される)、君は、髪の毛一本さえ焼かれることはありませんよ(ルカによる福音書21の18や、使徒行録27の34に見える「頭から髪の一本も決してなくならない」を踏まえた表現)、私を信じなさい。それでも私の言葉が信じられないのなら、火に近づいてみて君の服の端を持って自分で火にかざしてみてご覧なさい。さあ、君の恐れを捨てなさい。私の方へいらっしゃい。恐れを捨てて、さあいらっしゃい!」でも、私はそこに突っ立ったままで、動けず、恥ずかしく思っていました。ウェルギリウス先生は、私が固まってしまって、そこにじっとしているのを見て、少しイライラしておっしゃいました。「さあ、君は分からないのですか、我が息子よ、ここを通ればベアトリーチェに近づけるのですよ。」ピュラモスは死ぬにあたって、ティスベーが名前を言った時、ピュラモスは目を開け、ティスベーがそこにいるのを見ました。その日、桑の実は血の赤い色に変わったといいます(『変身譜』4の55-166がつたえるピュラモスとティスベーの有名な悲恋の物語。バビロンの町で隣り合わせに住んでいた恋人同士のピュラモスとティスベーは、両親が結婚を許さないので、壁に穴を開け、そこから語り合っていた。これに満足しきれず、ある日二人はニネヴェの創建者ニノスの墓で会おうと約束し、先に着いたティスベーが彼を待っている所へ、牡牛を引き裂いて食べたばかりの牝獅子が現れた。恐怖のあまり逃げ出す途端に脱げたティスベーの外衣を、牝獅子は口からしたたる血潮で汚す。やがて墓へやってきたピュラモスは血染めの外衣を見、ティスベーが殺されたと思い、桑の大樹の根本で自刃する。帰ってきたティスベーはこのありさまを見るなり、恋人の体から刀を引き抜き、自害した。それまでは白かった桑の実は、以後真紅の血の色に変わったという。ダンテの記述は、『変身譜』4の、特に142-146参照)。ちょうどそのように、いつも私の胸の中に花咲いているベアトリーチェの名前を聞くと、私の頑なな思いは溶けてしまい、私はウェルギリウス先生の方を向きました。先生は、頭を振って微笑まれました。リンゴを見せて子供の心を変えた時のようでした。そして先生はおっしゃいました。「おやまあ、私たちはこっち側で何をしていることやら!」そして先生は私の前に立ち、炎の中に入って行かれました。そして、ずっと私と先生の間を歩いていたスタティウスに、最後に入ってくるようにおっしゃいました。火の中にはいると、あまりの火の熱さに、体を冷やすために、ガラスが火に溶けている所にでも飛び込みたいと思うぐらいでした。私の慕わしい父親のような先生は、私を力づけようと、歩みながらベアトリーチェのことを話されました。「私には、もうベアトリーチェの瞳が見えるような気がしますよ!」その時どこからか、声がして、私たちを導くように歌いました。それを聞いていると、私たちは登りの始まる地点に出ました。「わたしの父に祝福された人たち(最後の審判の時、右側に集まった正しい魂に対して、キリストが言うであろうと期待される言葉。マタイによる福音書25の34参照)」と、光の中から聞こえ、私はまぶしさのあまり目をそらしてしまいました。続いて、声が聞こえました。「日は沈み、夜が近づきました。時間を無駄にせず、急いで、西の方が暗くならないように(ヨハネによる福音書12の35参照)。」道は岩をくぐり上に通じていましたが、方角は私の体が太陽の最後の光線を遮るようで、私の背を照らしていました(階段は西面する岩につけられているので、入日を背にして登るダンテは自分の影を前に落とす)。私の影が消えたので、私と二人の導者が日が沈んだと分かった時、私たちはたくさんの階段をまだ登り切っていませんでした。広い地平線が一色になり、夜が空を覆う前に、私たちはそれぞれ、階段の一段一段をベッドとしました。この山の掟(煉獄第七曲参照)が私たちの、登りたいという気持ちを取り去ってしまったのでした。山羊が食べ物が無くて山をはね回っていて、飼い葉にありついたら跳ねるのをやめ、そして、穏やかに思いをめぐらすようにしてじっとして、焼け付くような日から逃れて木陰で休み、杖にもたれた牧者がそれを見ているように、あるいはまた、空の下に野宿して、夜の間中群れを見守って、野獣が来て群れがバラバラになってしまわないようにしている牧者のように、私たち三人は階段に横になっていました。私が山羊で、ウェルギリウス先生とスタティウスが牧者の役割で、皆、石の壁に囲まれていました。その高い壁の向こうには、ほとんど何も見えませんでしたが、隙間から星が見え、いつもより大きく、明るく見えました。私は考え事をしつつ、星を見ていると、眠くなってきました。暁近く見る夢は、真実を預言するという(煉獄第九曲、地獄第二十六曲参照)眠りがやってきました。常に愛の炎で燃えているように見えるアプロディテ(アプロディテはペロポネソスの南東にあるキュテラ島近くの海泡から生まれたと伝えられるので、その島に因みチテレアと呼ばれる。ただしここでは明けの明星としてのウェノスを指す。この星については煉獄第一曲参照)が、東の方からこの山を照らし始めた頃、私は夢を見ました。若い美しい淑女が花を摘みながら草地を歩き、歩きながら歌を歌っていました。「誰かが私の名前を知りたいのなら、私はレア(創世記29の5以下に出てくるラバンの長女レア。ヤコブの最初の妻となる。新約に登場するマルタとマリア姉妹(ルカによる福音書10の38-42参照)のマルタ同様、行動型の人間の代名詞となった。ここでも冠を作るための花をしきりに摘んでいる)です。私のうるわしい手はずっと花を摘んで花冠を作っています。鏡に映る姿を見て喜ぼうとしているのです。でも、妹のラケル(ラバンの次女ラケル。新約のマリア同様、妄想形の人間の代表。ヤコブの第二の妻。もともとヤコブは、ラバンの二人の娘の内妹のラケルが好きで妻にしたかった。しかしそのためには七年間ラバンに仕えてからレアを妻としてさらに七年間ラバンに仕えなければならなかった。ラケルは地獄第二曲、第四曲にも出てくる)は一日中座っていて、鏡の前を離れません。ラケルは美しい眼をじっと見ているのが好きで(創世記29の17には「レアは優しい目をしていたが、ラケルは顔も美しく、容姿も優れていた。」とある)、私は自分の手を使って自分を飾ろうとしているのです。ラケルは見ることで、私は作ることで満足しているのです。」巡礼者が、故郷に近くなれば近くなるほど、喜んで迎えられる暁が光り輝くのを前にして、夜が追いやられて、それと共に私の眠りも追いやられ、立ちあがりました。なぜなら二人のすばらしい先生方はもう既に起きていたからです。ウェルギリウス先生が私におっしゃいました。「人間が探し求める真の幸福に到るには様々な道がありますが、今日こそ君の飢えた心が満たされますよ。」このようにおっしゃった先生のお言葉の贈り物は、これまでに私が受けた贈り物の中で、最もすばらしいものでした。どんどん登っていきたいという気持ちでいっぱいで、私はどんどん登っていきました。一歩一歩歩むのは、翼が生えて飛んでいるかのように軽やかでした。私たちは一気に階段を登り、一番上に立った時、ウェルギリウス先生は私の目を見て、おっしゃいました。「息子よ、君は、一時だけの煉獄の火も、永遠に続く地獄の火も見ました。私が案内できるのはここまでですよ。私は力と知力をもってここまで君を導いて来ました。ここからは、君の好む所を導者としなさい。もう君は狭い道や険しい道は通り過ぎたのですから。君の額を輝かす太陽(ダンテは今東面する。登攀を始めた時は西面(煉獄第三曲参照)していたから、登りを重ねつつ半周したことになる)をご覧なさい。地球が自ずから作り出す、しなやかな草、花、木をご覧なさい。涙を浮かべて私を君の所へ使わせたベアトリーチェの美しい眼に出会えるまで、座っていても(ラケルのように、黙想を楽しんで)、この草花の間を行くのも(レアのように花々と灌木を右に左に)、君の好きなようになさい。これからは私の言葉や合図をあてにしてはいけません。君の意志は(煉獄編の主題である自由意志が、ここで焦点に置かれ、地上楽園の人となったダンテは、現在以前の状態を取り戻すこととなる)真っ直ぐで、その意志の向かうままにしないと行けませんよ。君に冠と司教帽をあげましょう(神聖ローマ皇帝の即位に際してローマ教皇が付与した冠と頭飾り。何の障害もなく、最高の責任を伴う自主の人となったダンテに、ウェルギリウスはこの言葉によって象徴的な戴冠式を行ったのである)。君の主は君ですよ!」(2005年9月17日)(2005年10月3日更新)

にくちゃんメモ:煉獄の最上段に来ました。(2005年10月3日)

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第二十八曲
鮮やかな緑でいっぱいの地上楽園(即ちエデンの園。地球の東にそびえる最高の山の頂にあるとぼんやり考えられていたこの理想郷を、はっきり煉獄山の頂に設定したのはダンテの創意)の光は、朝日を柔らかに見せてくれて、私は、自由な意志のままにいろんな所を探ってみたいと思い、すぐに私は岸を去って、空気によい香りを漂わせる平野を横切ってゆっくり歩いていきました。私の額には甘美な空気が触れました。柔らかな風でした。全ての枝はその空気になびき、葉をふるわせ、聖なる山がその最初の影を投げる西に向かってしなっていました。枝は地面に向かって急に曲がっているのではないので、一番上の葉のまわりにいる小鳥たちが遊んでいました。小鳥たちは葉の間を飛び回り、朝の歌を歌い、それに合わせて木の葉もさわさわと音を立てました。アイアロス(風神アイオロス。アイオリア島に住み、様々の風を袋に閉じこめ、時に応じて解き放つ力を持っていた)がシロッコ(アフリカ北海岸からイタリアへ吹き付ける南東風)を吹かせる時、キアッシ(ラヴェンナの近くで数キロにわたり、アドリア海沿いに続く有名な松林。キアッシはローマ人の言うクラッシス。ラヴェンナの海港として栄え、アウグストゥス皇帝の時代には重要な海軍基地)の浜辺に続く松の森の枝をふるわせる音を聞きました。私の歩みはゆっくりになっていき、気がつくと私はこの古い森の奥深くにいて、入ってきた場所はもう見えませんでした。すると突然、清流(レーテの川)が現れ、私の行く手を阻み、さざ波が立ち、岸に生えている草を左になびかせていました。北半球のどんなに清らかな川といえども、この流れの透明さに比べれば、曇った色合いをしているでしょう。透明ではあっても、その流れは暗く木の影を映し、日光や月光がそこへ差し入ることはできませんでした(この地点では北流し、ダンテはその東岸に行き当たった)。私は足を止めましたが、小川の向こうにいろいろな色の花が枝についているのを見ました。この期せずして見た光景は本当にすばらしく、様々な思いは私の心からどこかへ行ってしまいました。そこへ、一人の淑女(煉獄第三十三曲でただ一度だけベアトリーチェはこの淑女をマテルダと呼んでいる。ウェルギリウスは既に導者の役目を果たし終わり、ベアトリーチェはまだ現れず、ダンテの案内者となるこの「人間本有の正義」の象徴マテルダに、ダンテが現実のどの夫人の面影を託したかについては不明)が、道に沿ってたくさん咲いている花を摘みながら歌を歌っていました。私はマテルダにいいました。「ああ、うるわしい淑女よ、神の愛の光の暖かさと強さに輝く淑女よ、あなたの心が美しいことを示すあなたのお姿を信じます。あなたの歌が聞こえるように、どうか川の岸の近くに来ていただけませんか。あなたを見ると、ペルセポネー(ゼウスとデメテルの娘。シチリア島エンナ付近の野原で花を集めていると、突然冥府の王ハーデスが現れ、地下に連れ去り妃とした。ダンテが『変身譜』5の385-396に基づいてこの詩行を書いたことは、用語からも指摘できる)の母がペルセポネーを失い、ペルセポネーが永遠の春を失うことになった時の、ペルセポネーのいた所とたたずまいがしのばれます。」両足を地面につけたまま、片足が動く前にもう片方も動かすようにして踊る女の人のように、マテルダは赤や黄色の花の中から振り向いて、目を伏せてしずしずと私の方にやってきました。マテルダは私の願いを叶えてくれて、私に近づきながら甘美な歌を口ずさんでいました。マテルダは草が川に触れそうになる所まで来て、伏していた目を上げました。ウェヌス(かつて我が子キューピッドを抱き上げて接吻していた時、図らずもその愛の鉾先を胸に刺され、驚いて我が子を突き放したものの、傷が意外に深く、ついに美少年アドニスとの恋愛に夢中となってしまう。ダンテはここでも『変身譜』10の525-532を典拠とする)の愛する息子が誤ってウェヌスを刺した時のウェヌスの眼にきらめいた光(恋を知るゆえの目の輝き。それにも勝る輝きがマテルダの眼にあるのは、神の御技への深い恋慕のため)も、マテルダの眼にはかないませんでした。マテルダは向こうの岸で(ダンテにとっての対岸、即ち右岸)微笑みながら立ち、この高原では種が無くても生えるいろいろな色の花を手にしていました。私たちを隔てる川幅はほんの三フィートでしたが、クセルクセス(ダリウス(ダレイオス)一世の子で、ペルシア帝国の王クセルクセス一世(在位、前486-前465)。前480年の春、陸海の大軍を用意してギリシア遠征を企て、船橋によりヘレスポントス(エレスポント)海峡を渡り、アテナイに進軍し、しきりに緒戦に勝ったが、サラミス湾の海戦に大敗してからは陸海とも利あらず、退却に退却を重ね、誇り高かった王の末路はその悲劇的な死によって不真面目の内に閉じられる。ダンテはオロシウスの『世界史』第二巻9の2、および10の8-10に基づき、王のヘレスポントス渡海を「人の誇りなべてへの懲らしめ」と見た)が渡り、人の誇りなべてへの懲らしめとなったヘレスポントスの、セストス(ヘレスポントス海峡の最も狭い地点で、トラキア川にある町)とアビュドス(セストスの対岸にある小アジア側の町)の間を逆巻く波のためにレアンドロス(アビュドスに住んでいた。セストスにおけるアプロディテの巫女ヘロの愛人。彼は毎夜ヘレスポントス海峡を泳ぎわたりヘロの元へ通ったが、一夜海が荒れ、ヘロの合図の灯火も消え、進路をあやまって溺死、それと知ったヘロも悲しみのあまり自害したという。この海峡さえなかったならとレアンドロスは思ったであろう。それが彼の「怨み」なのである)から受けた怨みといえども、その時開かなかった(わずか三フィートに過ぎない川幅ながら、どうしたことか渡れない。昔イスラエル人のために神は紅海の水を分けて渡らせたと聞くが、そうした現象も起こらない小川をダンテは怨んだ)その小川が、私から受けた怨みには及びません! マテルダは言いました。「あなた達は今ここの場所に来たので、人の住む所と決められたこの場所で私が微笑んでいるのを見て、当惑させられて、ビックリするかも知れません。でも、「喜び祝わせてくださいます(詩篇92の5-6に見出される言葉)」という詩があなた達の心の疑問の雲を晴らすでしょう。一番前にいて、私に話しかけたあなた(ダンテへの呼びかけ。ウェルギリウスとスタティウスはダンテの後ろについている)、何か聞きたいことがあれば、お望みの通りお答えできるよう、私はここに来ました。」私は言いました。「この流れる水や、森の響きは私がこの山について聞いてきたことと矛盾しているようです(スタティウスの説明(煉獄第二十一曲)に従うと、煉獄の本域では、魂が浄罪行を終えれば、全山振動するというような精神的原因に拠る以外は、自然現象の変化は一切無いことになる。しかし、今、地上楽園には川が流れ、川面にはさざ波立ち、森は音を響かせている。川が流れるのは雨のためではないか、スタティウスの説明は眼前の光景と矛盾する、とダンテは率直に表明した)。」マテルダは言いました。「あなたを混乱させていることについて、論理的に説明して、あなたの心で不明瞭な雲を晴らしましょう。神は、アダムをよい者として造り、よいことをさせ、そして、この場所を永遠の平和の印として与えたのです(神の計画は、本来正しい者として創った人間を、天国における久遠の平安の試みとして、一定期間この地上楽園(エデンの園)に置き、時満つれば天国に移すことであったとダンテは解釈する)。アダムの過ち(原罪)のために、ここにいられなくなり(天国第二十六曲参照。わずか六時間前後)、過ちのために、アダムの子供のような笑いや喜びを、怒りと涙に引き替えました(創世記3の17-19参照)。地上や海から蒸発し、太陽の熱へと引き寄せられる雲が、この山の下の方で引き起こす嵐が、楽園の平和を壊さないように、この山は天に向かってこのように高くそびえ、前域と本域を分かつ煉獄の門から上は、雲の影響を受けません(スタティウスの説く通り)。空気は、回転が遮られない限り、円を描いて常に東から西へと回っているので、この煉獄山頂で、取り巻く空気の中で何の束縛もなく、この動きによって森の葉がさわさわと歌うのです。風になびく植物は種を風に含ませてまき散らすのです(創世記1の11-12、1の29を根拠とし、植物の種が北半球へも運ばれる経路をマテルダは説明する)。ここと対蹠の北半球は、その気候や土壌に相応しい様々な種によってそれぞれの植物を育てるのです。今あなたが聞いたことを、地上で聞いたら、種を蒔いていない所で植物が育ち始めたのを見て驚かないでしょう。そして、あなたが今立っている聖なる場所では全ての植物が育ち、北半球では摘むことのできない果実が多くあることを知らなければいけません(生命の木、善悪を知る木を初め、見て楽しく、食して美味な多種多様の植物)。ここの水は、地上のように、降雨量の多少に応じて増えたり減ったりする水脈から湧き出るのではなく、神のご意志によって創られた水から成るので、絶えず御旨によって補われるので涸れることがないのです(「水が地下から湧き出て、土の面を全て潤した」(創世記2の6)並びに「エデンからひとつの川が流れ出ていた」(創世記2の10)とある聖書の記事を想起しつつ、読者は地上楽園を流れる川の水源が超自然的な神泉であると告げられる)。こちらの水は罪の記憶を忘れさせる力を持っていて、もう片方の水は、良い行いの記憶をよみがえらせるのです。こちらは、レーテ(ギリシア神話では、冥界を流れる川。「忘却」を意味する。地獄第十四曲で、ウェルギリウスはレーテのありかを尋ねたダンテの問いに答え、煉獄にあることをほのめかしているが、ダンテは、冥府ではなく、地上楽園にこの川を想定している)と呼ばれ、あちらはエウノエ(「善憶」を意味するギリシア語に由来し、ダンテが新しく作った川の名。レーテとは反対に甘美なこの水を一飲みすると、一切の善行が思い出されてくる)と呼ばれます。でも、神泉を源とするこの二つの川の水は、二つとも味わわれない限り効験がありません。その水の味は、他に比べるものはないほどです。あなたは既にここの場所のことを知ったので、あなたの渇きは癒されたでしょうが、私は一つの推論をあなたへの贈り物としましょう。私の言うことが、初めにあなたに約束したことを越えていたら、聞いているあなたの喜びは大きくなるでしょう。上代の詩人達(分けても『変身譜』1の89-112で黄金時代を讃嘆したオウィディウス)は、パルナッソス(煉獄第二十二曲参照)で、きっとこの場所を夢見ていると思われます。ここで、人類の始祖のアダムとエバは、罪無くここに住みました。ここは、永遠に春で、果実はたくさんなっています。どの詩人も口にする「神々の飲み物」とはこのことです。」このようにマテルダは言いました。私は素早く二人の詩人の方を向くと(これはあなた方に関わりの最も深いことであろうと言わんばかりに)、二人はわれらの意を得たりと満足したようで、そのマテルダの最後の言葉が二人の口元を微笑ませました。そして私は、うるわしいマテルダに顔を向けました。(2005年9月18日)(2005年10月3日更新)

にくちゃんメモ:地上楽園に来ました。(2005年10月3日)

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第二十九曲
そして、マテルダは説明を終えて、愛に動かされるように、「いかに幸いなことでしょう、罪を覆っていただいた者は(詩篇32の1を中略した)!」と歌いました。マテルダは岸に沿って上流へと(この地点でレーテは北流しているから、マテルダは南面して進む)歩き始めました。ちょうどそれは、ある者は太陽に向かい、別の者は太陽の光を避けるように、森の木々の影が落ちる所を一人でブラブラする妖精(ギリシアのニュンペ。川・泉・井・洞穴・樹木・丘陵・山野などの自然の精霊を女性化したもの。不死ではないが長寿を保ち、歌と舞踏の好きな美女達。古典時代の田園詩には必ず登場する)のようでした。私はマテルダについていき、マテルダの小刻みな歩きに合わせました。私たちの歩みが100歩にも満たない内に、両岸が曲がり、私は東向きになりました(神の恩寵は東より来るとされ、敬虔なキリスト者は聖壇が東に位置する角度を取って祈る)。私たちが少し進むと、マテルダは立ち止まり、私に向き、言いました。「私の兄弟よ、見てください、そして耳をすましてください。」すると突然、光が空気を横切り、森中を光らせ、最初、私は雷かと思いました。でも、雷は光るとすぐに消えてしまいますが、私が見た光はとどまり、光を増すようでした。「これはいったい何だろう?」と私は考え、すると、優しいメロディーが明るい空に漂ってきました。私は正しい憤り(煉獄第八曲参照)にかられて、エバの思い上がり(蛇にそそのかされたエバが、善悪を知る樹の果実に手を出した行為。その結果エバとアダムは、今ダンテのいる楽園を失うに到る。創世記第三章、並びに煉獄第八曲参照。ここで特にエバが取り上げられるのは、テモテへの第一の手紙の2の14にあるように、「アダムはだまされませんでしたが、女はだまされて、罪を犯してしまいました。」からである)を責めました。地上も天も神のご意志に従っていた時、たった一人の女性として造られたエバは神に服従しなかったのです(無知の状態。「へびは”その樹の実を食べるが早いか、君たちの目は開け、君たちは神のようになり、善悪を知るに到ることを神は知っている”とエバに告げた。女はまずその実を取って食べ、そばにいた夫にも勧め、その結果二人の目は開かれ、彼らは自分たちが裸であることを知った。」と創世記は記す)! もしエバが神のご意志に従っていたら、私はもっと前にもっと長い間、言葉にできないほどの喜びを味わっていたでしょう(エバが罪を犯しさえしなかったら、自分もエデンに生まれ、天国に上げられて永遠の祝福を受ける前、そこに長い間幸福な生活を送られたであろうに、とダンテは嘆く)。美しい地上の楽園の中を、ベアトリーチェに出会う期待を持ちながら、私は歩みました。私たちの目の前の、緑の葉のついた枝の下の空気は、炎のようで、甘美な音は、歌のようでした。詩の神ムーサイよ、私が詩を愛するあまり、飢え、寒さ、眠れない夜も耐え(コリント人への第二の手紙11の27に、「苦労し、骨折って、しばしば眠らずに過ごし、飢え渇き、しばしば食べずにおり、寒さに凍え、裸でいたこともありました」を踏まえての表現)たなら、その報いを請わせてください。ヘリコン山(ボイオティアのコパイス湖とコリントス湾の間に屹立する約1750メートルの大山塊。ここにムーサイが住むと言われてきた。山中にヒッポクレーネおよびアガニッペの二つの泉があり、詩人に霊感を与える泉として有名)よ、私のために小川を流してください。ウラニア(ムーサイの一人で、天文を司る。これから展開する超地球的な事象を予期しての呼び求め)よ、理解するのが難しい事柄を私が詩にするために、聖歌隊を引き連れて私を助けてください。少し進むと、金の七本の木のように見えるものが現れました。でも、遠かったので分かりませんでした。そして、それらに十分に近づくと、遠くてわからないということはなくなり、それがロウソク立てであることが分かり、ホサナ(ヘブライ語で「今救いたまへ」。詩篇118の25が示す通り、元イスラエル人が神に救いを求めた時の感動詞でやがて神への讃美を表白する詩となった。イエスがロバの背に乗ってイエルサレムに入った時、群衆は「ダビデの子にホサナ。いと高き所にホサナ」と叫んだ(マタイによる福音書21の9参照))と歌っていることが分かりました。その立派な金色に輝くロウソク立ては、雲のない真夜中の空の満月の光より明るかったのです。私は混乱して、良き人ウェルギリウス先生の方を向きました(ウェルギリウスはもはや明師でも導者でもない。だから彼も、その理性に越えた光景の不思議さにただただ驚くばかりである)が、先生も私が驚いたのと同じ眼差しを向けられました。そこで私はまたその高く輝くものの方に向き、見つめると、ちょうど慎ましい花嫁がゆっくりと歩くよりもゆっくりと動き、まるで動いていないかのように私たちの方に近づいて来ました。マテルダは叫びました。「なぜあなたは燃える光にだけ目を向けるのですか? その後ろに隠れているものを見ようとは思わないのですか?」すると私はその輝きの後ろに人々がいるのを見ました。彼らは付き添いの人のようで、これほどまでに美しい白はないと思われるほどきれいな白い衣を着ていました(ヨハネの黙示録4の4「玉座の周りに二十四の座があって、それらの座の上には白い衣を着て、頭に金の冠をかぶった二十四人の長老が座っていた。」参照)。私の左側の川の水は光を受けて鏡のように輝き、私の左側が映っていました。岸と岸が近くなってきて、流れだけが私を隔てる所に来て、私はもっとよく見ようと歩みをとめました。細い光が近づくにつれ、その七つの色の光が空に七つの色の縞の旗をひらめかしているようでした! このようにして空は、七つの縞(ヨハネの黙示録4の3「御座の回りには、エメラルドのような虹が輝いていた」参照)に分かれ、ディアナ(ギリシア神話のアルテミス。アポロンと双生の妹。従ってアポロンが日の神であるのに対し月の神とされる。「帯」とは月の暈のこと)の帯の全ての色がありました。これらの旗は目が及ぶよりもはるか後ろに流れたなびき、私の目で測った所によると、その幅は10歩ぐらいでした。そして、壮大な天(七彩の縞目たなびく旗の流れをそのまま空と見た)の下に、二十四人の老人達(旧約聖書二十四巻の表象。ウルガタ聖書の訳者ヒエロニュムスは、その序文で、旧約全二十四巻はヨハネの黙示録の中で子羊を礼拝する二十四人の長老にほかならないと述べた)が、二人ずつ並び、百合の花の冠(やがて現れる贖いの主への信徒の印。白は信を現す色)をつけていました。彼らは歩みながら歌っていました。「祝福されたるかな、アダムの娘達の一人(これは明らかに、ウルガタ聖書のルカによる福音書1の28、「天使は、彼女の所に来て言った。”おめでとう、恵まれた方。主があなたとともにおられる。”」参照。マリアの親族エリザベトもまた「汝は女の中にて祝せられたり」と声高く叫んだ)よ。永遠に美しくあるよう(マリアとその胎に宿る贖い主への祝福の言葉は、ここで趣を変え、例えばベアトリーチェのような美しい女人への祝福となっていることに注意)祝福あれ!」対岸に再び見えた花々やしなやかな草を、その神に選ばれたものの一群が通り過ぎた時、天界で、星座が星座に次いで現れるのと同じように、続いて森の緑(緑は望みを現す色、特にテモテへの第一の手紙の1の1にある通り、イエス・キリストとの関わりにおいて。ベアトリーチェも緑色の冠をつけ、やがて現れる。最初の集団の長老達は信の表象である白の冠をつけていた)の冠をつけた四つの生き物(次に来る内容が告げるように、エゼキエル書10の4-14、およびヨハネの黙示録4の6-8に詳説されている生き物。四人の福音書記者を象徴し、さらに四福音書を指すと解するのが古来の定説)がやってきました。それぞれ目で覆われた六つの翼を持っていて、もしアルゴス(百の眼を持っていた巨人。ゼウスの恋慕をそらすため、ヘラが牡牛に変えたニンフのイオの番をヘラからさせられている内に、ゼウスの命をうけたヘルメスに殺される。ヘラはその眼を愛鳥のクジャクの尾にはめ込んだという。『変身譜』1の622-723参照)が生きていたら、このような目であっただろうと思われました(その羽根一面の眼は、クジャクの尾の飾りの眼とは異なり、生前のアルゴスの眼のように爛々と輝く)。読者よ、もう彼らの姿を描くために詩を書くことはできません。なぜなら、他に書くことがあるからです。でも、エゼキエルを代わりに読んでください。彼らが北で、風の中に生まれ、雲や火の中をめぐって出てきたことが書かれています。ここでの彼らも、同じようでした。しかし、例外は、翼で、黙示録の作者ヨハネは翼の数を六としますが、エゼキエルは翼の数を四としています。これらの四つの生き物に囲まれた二輪の凱旋戦車(古代ローマ人が凱旋の行列に用いた形の戦車。教会の象徴)があり、グリフィン(胴は獅子、頭と翼は鷲の怪物であるが、アポロンの聖獣。キリスト教の儀式の規則では、人性と神性を合わせ持つキリストの象徴とされる)の頸に引かれて進みます。グリフィンの両翼は上に広げ、七つの光の内真ん中の一つの光は両翼の中にはさまれ、右に三、左に三の光が見え、どの光も断ち切られることがありませんでした。両翼は高く上げられ、私には見えませんでした(天に昇った復活のキリストの象徴)。グリフィンの体の鳥の部分は金で、その他(人性の表象である獅子の部分。白は清純を現す。それに紅が混じるのは、キリストの受難の象徴)は白く、深い赤が混じっていました。アフリカヌス(スキピオ・アフリカヌス(小スキピオ)として知られるローマの武将(前185-前129)。第三ポエニ戦争に際し、統領としてカルタゴを攻略し、ローマに凱旋した)もアウグストゥス(帝政ローマ初代の皇帝アウグストゥス(前63-後14))も、このような美しい戦車でローマを喜ばしたことありません。もちろん、太陽の用いる戦車はそれ以上です。太陽の戦車は、軌道を外れたため、信心深いテルラの祈りによって、ゼウスの罰を受け、焼き尽くされたときの戦車です(テルラは大地を意味し、ラテン語テルスと同じ。神としてはギリシアのガイアにあたる。パエトンが太陽の戦車を駆りそこねたとき、地球が焼けただれないよう戦車もろともパエトンを焼き殺せとガイアがゼウスに請うた話については『変身譜』2の272-300参照)。その右車輪のあたりでは(神自身を対象とする信・望・愛の三徳。右側の車輪は左側のよりも序列が高い)三人の淑女が踊っていて、一人は赤(愛徳。対神徳の首位、他の二徳を導く。人つながる真紅の色は愛(カリタス)を現す)で、火の中にあったら分からないほどの真っ赤な色でした。二番目の淑女は(望徳。緑は常に希望の色)、その体も骨もエメラルドのような緑でした。三人目の淑女は(信徳。二十四長老の冠の色もそうであったように、信仰を象徴する色は純白)、降ったばかりの雪のような白色でした。時には白い淑女がダンスをリードし(信と愛と交互に、望にはこの資格がない。なお三徳の内愛の優位については、コリント人への第一の手紙13の2および13参照)、時には、赤い淑女がリードし、赤い淑女が歌を歌えば、他の二人がダンスのテンポを取りました。左側の車輪のそばには別の四人の淑女(賢明・正義・剛毅・節制の四つの枢要徳)が楽しく踊り、皆紫色の(中世の紫は深紅に近く、ダンテもここで紫を単に高貴の色とはせず、赤即ち愛(カリタス)の感化を受けたものと考え、ここの四枢要徳が後天性でなく先天性であることを示す)衣を着ていて、頭に三つの目のある者(賢明。過去・現在・未来を見通すため三眼をそなえている)が、ダンスをリードしていました。その踊っている淑女達の後ろには、二人の老人が来て、違う衣を身にまとっていましたが、物腰がよく似ていて、落ち着いていて威厳がありました。そのうちの一人は(コロサイ人への手紙4の14で、「愛する医者」と呼ばれているルカ。従ってこの翁は使徒行録およびその記者ルカをあらわす)、自然が最も愛した人類を治させる、ヒッポクラテスの家柄に属することが分かりました。もう一人は(新約聖書の数々の手紙の記者パウロ。この二人の翁と、それに続く五人により、新約の二十七書は全部出そろう)、先ほどの老人とは違い(傷を癒すのが念慮である医師と反対のそれは、剣を執って相手に切りつけること。キリスト教美術では、パウロはしばしば剣を持つ姿で造形される。その剣は「神の言葉は生きており、力を発揮し、どんな両刃の剣よりも鋭く」(ヘブライ人への手紙4の12)、また「霊の剣、すなわち神の言葉」(エフェソ人への手紙の6の17)であるが、同時にパウロの殉教を象徴する)、対岸にいる私でも恐ろしくなるほどの、鋭く光る剣を持っていました。次に私は、風采の上がらない四人を(パウロの手紙に続いて新約に収められている手紙の作者、ヤコブ、ペテロ、ヨハネ、ユダ。「風采の上がらぬ」とは、パウロの手紙に比して短信であるため)見ました。その後ろから一人、うつつ心も無くやってくるのは鋭い顔つきの老人でした(新約の最後におかれた黙示録とその作者。「うつつ心もなく」とは、「ある主の日のこと、わたしは”霊”に満たされていたが」(ヨハネの黙示録1の10)とあり幻を見聞きしたことを示す。キリスト教美術では眠った状態のヨハネをよく見かける。しかし黙示に応じて未来を洞見する彼の顔つきは鋭い)。これらの七人の老人達は、初めの二十四人の長老達と同じように、白い衣を着ていましたが、頭を飾る冠は白百合でなく、バラなどの赤い花でした(このようにして第一群の色は白、第二群は緑、第三群は赤となり、信・望・愛の対神徳がここでも象徴され、歴史的には旧約・キリスト・新約の順序が展開される)。私は少し離れた所にいましたが、彼らの頭には火(愛(カリタス)の火)が燃えていたと宣言します。戦車が私の真向かいに来たとき、雷鳴(超自然の出来事が起こる知らせ)が聞こえました! 高貴な行列は動くのを禁じられたように、七つのロウソク立てとその光を前にして立ち止まりました。(2005年9月19日)(2005年10月3日更新)

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第三十曲
沈むことも昇ることもなく常に輝き、罪によってのみ曇り(地上から見る星は時には雲に覆われることがあるが、この七つの星を覆う雲は罪の他にない。イザヤ書59の2「お前達の悪が、神とお前達との間を隔て、お前達の罪が神の御顔を隠させ、お前達に耳を傾けられるのを妨げているのだ」を踏まえている)、下界の北斗七星が操舵手を北に導くように、その務めを知らせる、第一天の七つ星(神の七重の霊を現す七つのロウソク立てのこと。第一天は神の七重の霊が常在する至高天。全天体を中心部即ち地球から数えると最も高い位置にあるが、逆に一切を包む最も外にある天体(第十天)から数えて第一天という)が止まったとき、グリフィンとその間に立って、先導してきた真実の預言者達(旧約二十四書の表象としての二十四長老)は、平和の出現を待つように(ただ真実を証言するばかりでなく、平和即ちキリストの降臨の預言者として)右に回って戦車に向かい、そして、その一人(「雅歌」を表象する長老)が、天から使わされたように、「おいで、花嫁、レバノンより(雅歌四の八に「花嫁よ、レバノンからおいで、おいで、レバノンから出ておいで。アマナの頂きから、セニル、ヘルモンの頂から獅子の隠れが、豹の住む山から下りておいで。」とある。「三回歌い」とは「おいで」が三度繰り返されているのを指す。教会は凱旋戦車で表象され、その戦車に降臨するのは神の知恵の象徴ベアトリーチェにほかならない)」と三回歌い、他の二十三人の長老達も歌いました。最後の審判の時、祝福されたものは、そのお墓から立ちあがり、新しい肉体をつけて、「ハレルヤ!」と歌うように、このようにも大いなる長老の声を聞いて、百人(数の多いことを現す概数)ほどの神の永遠の使いの天使達が凱旋戦車から立ちあがり、「祝福あれ、来たる者に!(原文ではクイという男性形が使われているが、キリストは既にグリフィンとして臨在し、降下してくるのはベアトリーチェである。その降下の情景を、ダンテは棕櫚の聖日におけるキリストのイエルサレム入都(マタイによる福音書21の4-9参照)になぞらえて書いたからであろう)」と歌い、花を空中に振りまきながら、「われに与えよ、おお、手に満つばかりの百合の花を!(『アエネイス』6の838後半に見える有名な句。ただし感動詞「おお」が加えられている)」と歌いました。時々、一日の初めに、東の空がバラ色に染まり、残りの空がとても美しいのを見たことがあります。昇ってくる太陽の表面は水蒸気の霧で覆われ、光が和らぎ、じっと太陽を見ていられました。そんなときのように、天使達がまき、ふわりと戦車中を覆うように落ちた花々の星雲の内に淑女ベアトリーチェが現れました。白いベールにはオリーヴの冠をつけ(アテナ(ミネルウァ)の聖木。ミネルウァは知恵の女神なので、知恵を表象するベアトリーチェもオリーヴの緑葉を冠とする。同時にオリーヴは平和の象徴。なお面紗の白は信徳を、冠とコートの緑は望徳を、上着の下の衣の赤は愛徳をあらわす)、緑のコートを着て、その下には永遠に燃える火のような真っ赤な色の衣を着ていました。ベアトリーチェの目の前では、敬愛の情にとらわれ、畏怖のあまり圧倒されて(『新生』の4、11の3、14の4-5、24の1、他随所に述べている)いた時から何年も経っているのに(ベアトリーチェの死んだのは1290年6月なので、今1300年の4月からほとんど10年の昔になる)、私は、ベアトリーチェをきちんと見たわけではないのに、彼女の神秘さに圧倒され(このような効力の描写は中世の文学に珍しくない)、昔と変わらない愛の大きな衝撃の力を感じました。まだ少年だった頃(ダンテは9歳、ベアトリーチェは8歳)知った高貴で、すばらしい徳の力が、私の目を貫くやいなや、子供が怯えたり困ったりしたときに母親の方へ走っていくように、私は左を向き、ウェルギリウス先生に言いました。「私の血は一滴もなくなってしまったようで、脈もありません(当時の生理学では、血は感情の指標と思われていた)。私は知りました、昔の恋慕の焔の形見を(この語句、『アエネイス』4の23の、ディドが姉妹アンナに「わらわは知る、昔の焔の形見を」といったのをそのまま用いてダンテはウェルギリウスとの別れを惜しんでいる)。」しかし、私たち(ダンテ、スタティウス、ベアトリーチェ)の中にはウェルギリウス先生はいらっしゃいませんでした。優しいお父さんのような先生、私の救いのために心を委ねたウェルギリウス先生が、いらっしゃらなかったのです。エバによって失われたこの楽園の光景も、露で現れた私の頬(煉獄第一曲参照)を伝う涙を止められませんでした。「ダンテよ(私(にくちゃん)はいろんな所でこのように書いていますが、神曲全篇を通じて、ダンテの名が出るのは本当は、ここだけ)、ウェルギリウスがいなくなったからといって、泣いてはいけません、まだ、泣いてはいけません。」私は、私の名前が呼ばれたのを聞いて振り向いた時、船首から船尾まで歩きながら他の船で作業する人を見ながら自分の船の者を励ます提督のように、天使の放った花の下を、流れの対岸にいる私へ目を向けて、凱旋戦車の左側にベアトリーチェが現れました。オリーヴの葉でできた冠で固定してあるベールで、顔はよく見えませんでしたが、最初から最後まで鋭い言葉は差し控える者の調子で、顔は堂々と威厳を持っていることが分かりました。ベアトリーチェは語りました。「よく見てください! そうです、私はベアトリーチェです! あなたはこの山を快く登らせてもらえたのですか? ここに人の幸い(人類の始祖がつかの間の至福を味わったエデンの園の生活。むろんダンテはそうと知らなかった。資格もないのに良くもぬけぬけと登ってきたと責めるベアトリーチェの問いと合わせて、言葉の剣の鉾先がダンテを刺し始める)があると知っているのですか?」私は目を下にして、レーテ川の流れを見ました。でも、その流れに映った自分を恥じて、目を草地に移しました。間違いをした子供が、厳しい母親を見るように、私の目はマテルダを見ました。厳しい憐憫の味は苦いものです。ベアトリーチェは話すのをやめてしまい、すると天使達が、「主よ、御もとに身を寄せます。(ウルガタ詩篇30の2-9(詩篇31の2-9)の起句。「とこしえに恥に落とすことなく」と続き、「わたしの足を、広い所に立たせてくださいました」で終わる。天使達はダンテに変わって神に祈り、合わせてベアトリーチェの愛憐を乞う)」と歌いましたが、「わたしの足を」からは歌いませんでした。アペニン山脈の森の樹木の間に積もる雪も、北から吹く冬の風で氷りますが、アフリカの赤道直下地域(『パルサリア』9の528-532および538-539参照)から来る風がこなければ、焔が蝋を溶かすように溶けたり、しずくを落としたりしません。私は、天球に調和した歌を聞くまでは、涙もため息も出ませんでした。でも、その甘美な調べの内に、天使達が「淑女よ、なぜあなたはこの人に恥ずかしい思いをさせるのですか?」と言っているように、私を憐れんでくれているのが分かったとき、私の心の回りに凍りついていた水たまりが、溶けて気体と水、つまりため息と涙になり、私の胸からもだえ苦しみほとばしり出ました。ベアトリーチェは戦車の左側にまだ立っていました。そして、憐れみ深い天使達に言葉を向けました。「あなた達の目は永遠に開いていて(夜も睡眠もない超時間の境界。従って時間に支配される人間界の事象は、逐一天使達の視野に入る)、夜の闇も眠りにも妨げられることはなく地上で行われていることをずっと見ています。私があなた方と話すことによって、あちらで泣いているダンテが私の言葉の意味を悟り、罪の大きさに応じて、その悔いを大きくしようとしたのです。生きる一人一人を導いて、その伴侶である星々に従って、一つの目的に向かわせる天体の働きによってだけではなく、私たちの目には見えない蒸気が、高く登って雨になる神の恩恵が豊かであることによって、ダンテは若い頃潜在的に力を授けられていて、その与えられたものを花咲かせたのなら、報いも多いでしょう。しかし、より活力にあふれて栄養が豊富な土であればそれだけ、耕さなかったり、悪い時期に種をまいたら、雑草がたくさん生えて荒れてしまうものです。ダンテが私を知ってから、私が死ぬまでは、私はダンテを支え、私の若い目をダンテに見せて、ダンテを神の道へ導きました。でも私が、第二の時期である壮年期(ダンテは『饗宴』4の24の1で、人生を四つの時期に区分した。第一の発育期は24歳まで、第二の壮年期は25歳から45歳まで。ベアトリーチェは1266年6月生まれ、1290年6月8日、25歳に入ったばかりで死んだ)の入り口で生を永遠の生に変えると、私から身を引き、他の婦人に委ねました。肉体を捨てて魂となり、美しさと徳が増すと、ダンテは私への興味を失い、愛情も減りました。そして、どんな約束も果たすことのない虚しい善を装う像を求め、真実への道からそれました。私は霊感がダンテにもたらされるよう、夢やその他の方法で祈りました。ダンテを呼び戻そうとしましたが、ダンテは心にとめてくれず、無駄でした。ダンテはとても低い所まで墜ちてしまったので、ダンテの心を救うには、地獄を遍歴する以外無くなってしまいました。そういうわけで、私は地獄の門を訪ね、ダンテの導者となってくれるウェルギリウスに、涙ながらに私の願いを伝えました。もし涙を注いで悔い改めずに、レーテを渡って、その甘い水を飲んでも、神の崇高な定めは破られるでしょう(悔悛が絶体絶命に必要なことを説くベアトリーチェの厳しい申し渡し)。」(2005年9月21日)(2005年10月3日更新)

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第三十一曲
ベアトリーチェは天使に話しかけていたのを、今度は私に言葉の剣を向け、叫びました。「神聖な川の向こうに立っているダンテ、言ってください、これは本当なのですか? 言ってください! このように厳しく私が責めるのですから、あなたは懺悔せざるを得ないでしょう!」私はベアトリーチェの前に無力になってしまい、混乱してしまって、唇を動かしても、喉をふるわせても、言葉になりませんでした。ベアトリーチェはすぐに言いました。「あなたは何を考えているのですか? さあ、私に答えてください! あなたの辛い記憶はまだこのレーテ川の水(まだそれを飲んでいないから、犯した罪を忘れてはいないだろうということ)で浄められていないのでしょう。」私は恐れと、深い悔いの気持ちの間にあり、口からようやく「はい」という言葉が出たものの、口が動いただけで、聞こえませんでした。石弓を強く引きすぎると、弦は切れ、弓も折れて、矢が的に当たる力が減ってしまうように、私は恐れと悔いの感情の大きさに粉々になってしまい、声を出そうとすると、涙がほとばしり、ため息が出てしまいました。ベアトリーチェは言いました。「私に会いたいという願いであなたは旅をしてきて、心が熱望する神に向かって導かれましたね、その道中、どんな落とし穴に会いましたか? どんな鎖に会いましたか? つまり、道を進んでいこうという希望を断たれるような思いをしましたか? そして、どんなことが気に入りましたか? 時間を費やさざるを得ないと感じさせた世俗のどんなことが得と感じましたか?」私は苦い大きなため息をつきました。ベアトリーチェに返す言葉が見つかりませんでした。唇をようやく動かして言葉にし、私は泣きながら言いました。「あなたのお顔を見ることができなくなってからしばらくして、私は、世俗の間違った喜びによって、神へのひたむきな志向から横道にそれました。」するとベアトリーチェが言いました。「もしあなたが今言ったことをしゃべらないでいたり、否定したりしても、あなたの罪なぞ、全てを知る神は全てお見通しです。でも、罪を犯した人が自分で自分の罪を告白するときは、この天国の法廷(ベアトリーチェや諸天使が住んでいる天国の法廷)では、慈悲の比重が増し、罪の判定に手心が加えられます。あなたはあなたの罪を大変恥じているのですから、またいつかセイレーン(煉獄第十九曲参照。肉とかかわる現世的な悦楽の誘惑)の誘惑にあっても、心を強く持ち、感情に打ち勝ち、私の言葉を聞いてください。そうすれば、土に帰った私の肉体が、あなたを神に向かっていかに導くかが分かるでしょう。あなたは、自然が創ったもの、人が造ったもの、いずれにせよ、私がかつて身にまとっていて、今は土に帰ってしまった私の体ほど美しいものは見たことがないでしょう。でも、そのような完全なる美が失われて、私が世を去ったとき、どのような人があなたを誘惑したのでしょう? あなたは、亡ぶべき肉体を伴う私の死をうけて、その亡ぶべき肉体を失った時に、不滅な霊的存在としての私を追って、高い所に登る(向上する)べきでした。かわいらしい少女のような虚しく儚いものにとらわれているべきではありませんでした。」しかられた子供が、自責の念に耐えかねて、首を垂れて、恥ずかしくて黙って立ちつくすように、私もそこに立ちつくしていました。するとベアトリーチェが言いました。「聞いていてそんなに悲しいのなら、ヒゲを(中世イタリア語のバルバには顎とヒゲの両義がある。ここでダンテはそれを利用して、「ヒゲの生えた成人のくせに」の意味を含ませ、顎即ち顔といわずにヒゲを現した)上げて、私の天上の美を見て、あなたがこれを地上の幸福に代えたことを悔いなさい。」ヨーロッパの私たちの国の嵐や、イアルバスの国の風によって(ディドがカルタゴを建設したとき、北アフリカのリビアに王であったイアルバス。ディドに求婚してはねつけられる。その名は、『アエネイス』4の36、196、326にある。「イアルバスの国」とは、地中海を隔ててイタリアの南に位置する北アフリカの熱帯地方)、しっかりした樫の木が引っこ抜かれる時の抵抗も、ベアトリーチェの命令で、彼女の方に顔を上げた時の私の心の抵抗に比べたらものの数ではありません。ベアトリーチェが顔と言わずにヒゲと言った時、ベアトリーチェの言葉には毒があるのを感じたほどです。そして、私が顔を上げた時、私が見たものはベアトリーチェではなく、初めに創られた天使達で、彼らは花をまくのをやめていました。私は、涙で濡れた目でもう一度よく見ると、ベアトリーチェがグリフィン(キリストの象徴)に向いている所でした。ベアトリーチェはベールをしていたし、岸の向こう側にいたのに、生きていた時に、誰よりも美しいと思っていた姿よりも、もっと美しく見えました。私は後悔によって突き刺されたようでした。最も美しいと思っていた偽りの快楽は、全て疎ましいものとなりました。私の罪を実感すると、私の心は打ち負かされ、私は気を失ってしまいました。それから先に私がどうなったかは、その原因であったベアトリーチェだけが知っています。私が気がつくと、初めて見た時に一人でブラブラ歩いていたマテルダ(地上楽園に登りついた魂の全て(例外として生き身のダンテ)に、レーテとエウノエ(煉獄第二十八曲参照)の水を飲ませるのが、マテルダの役目の一つらしい)が、私の上に腰をかがめていて、言いました。「私につかまってください、ちゃんとつかまってください。」マテルダは私を喉まで水が来るまで川の中の私を引っ張り、淑女は水面を軽々と歩き(重量のないマテルダは水面を歩いている)ました。私が聖なる岸に着く前に、私は「わたしを洗ってください(詩篇51の9に、「ヒソプの枝でわたしの罪を払ってください、わたしが清くなるように。わたしを洗ってください、雪よりも白くなるように。」とある起句。告解した信者の罪が許される印に、中世の司祭はこの句を唱えつつ聖水を告解者に注いだという)」と天使達が甘美に歌うのを聞き、その麗しさは思い出せないぐらいで、まして書くことなどできません。美しいマテルダは、両腕を広げ、私の頭を抱き、頭を水につけさせてくれて、私はその川の水を飲みました。マテルダは私を川の水から引き上げてくれて、四人の淑女達が(四つ(賢明・正義・剛毅・節制)の先天性枢要徳。煉獄第二十九曲参照)踊っている中に浄められた私を導き、四人の淑女達はその片腕で私を覆いました(ダンテは今踊りの輪の中央にいるから、四淑女の片腕がダンテの頭上に冠となる形。彼は今、ウェルギリウスをよすがとして既に与えられた後天性の四つの枢要徳の他に四つの先天性枢要徳を身につけたことになる)。その淑女達は歌いました。「ここでは私たちは妖精で、天では星です(煉獄第一曲でダンテの見た四つの星が、これら四淑女の寓意であったことが分かる)。ベアトリーチェが人界に生をうける(ベアトリーチェが七徳具備の知恵の化身としてこの世に生まれてきたという神曲の構想が固まるまで、即ち『新生』10の2および26の6から、『饗宴』を経て、神曲のベアトリーチェに至る経緯はかなり錯綜かつ流動的で、ダンテ自身の屈折した精神の軌跡と言える)前、私たちはその侍女をしていました。あなたをベアトリーチェの所に連れて行くのは私たちです。もっと深くを見る三人の淑女(煉獄二十九曲に出てきた、新・望・愛の三つの対神徳。枢要徳が行動的なのに対し、これは「深くもの見る」黙想的な高次のもの。煉獄第八曲でダンテが天の一方に炬火の如く輝いているのを見た三つの星とはこれ)は、ベアトリーチェの目の中にある喜びの光を見ることができるように、あなたの視力を良く導きます(これによってダンテは対神徳も身につけることとなる)。」四人の淑女達は私をグリフィンの胸の所に連れて行き(これによってダンテは凱旋戦車(教会)と向き合う)、その戦車の正面にベアトリーチェがいました。淑女達は言いました。「よく見てください、あなたの視力を全て使ってよく見て下さい。かつてあなたに向けて愛の矢を放ったエメラルドの目の前に立っているのですから。」グリフィン(キリスト)に注がれたままの美しい目へ、炎のように強く思う強い思いが、私の目を釘付けにしました。鏡の中の太陽の光のように、輝きが戻ってきて、私は、二つの獣(鷲と獅子に表象される神性と人性と)がベアトリーチェの目の中にいるのを見ました。二つの生き物が次々と入れ替わり立ち替わり見えたのです。読者よ、私がどんなにビックリしたか、考えてみてください。映し出される像がくるくる変わるのですから。私の心は、喜びと驚きに満たされ、飽けば飽くほどなお食べたくなる(旧約外典シラ書24の21に、知恵(サピエンティア)が自らのことを、「わたしを食べる人はさらに飢えを感じ、わたしを飲む人はさらに渇きを覚える」とある。ベアトリーチェは知恵の象徴なので、ここを書くとき、ダンテの念頭にこの章句があったに違いない)食べ物(ベアトリーチェの目)を味わっている間に、三人の淑女(新・望・愛の三対神徳)が、その物腰で自分たちの高貴な地位を示しながら、天使ならではの舞踏音楽に合わせて踊りました。三人の淑女は歌いました。「ベアトリーチェよ、その聖なる目を向けてください。そうすれば、あなたに会うためにとても遠くから来たこの忠実なダンテを見れます! あなたの慈愛を垂れて、あなたの口(ダンテは『饗宴』3の15の2-3で、目は知恵をそのまま外へ表示し、口は微笑によって知恵の内なる光を啓示するという意味のことを述べている。ダンテにとって目は第一の美しさを、口は第二の美しさを持っていた。従ってここは、早くダンテに微笑を示せと促している)をダンテに示して、あなたがダンテから隠している第二の美しさをダンテに見せてください。」ああ、永遠に生きる光よ(乞いに応じて、ベアトリーチェは今その美しさの全貌を現した)! パルナッソス(煉獄第二十二曲、二十八曲参照)で、水をのんだ詩想の豊かな者も、山の蔭で詩作に心魂をすりへらした者も、言葉になどできないでしょう。ベアトリーチェ、あなたが広い空気の中にあなたのヴェールを脱いで、天のその調べに合わせつつその凱旋戦車の上に現れた時の姿を見て!(2005年9月22日)(2005年10月3日更新)


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第三十二曲
私はベアトリーチェを見つめました。ベアトリーチェが亡くなった1290年6月8日から今1300年の4月までの10年間の、積もり積もった会いたいという渇望を癒そうとして、他の感覚を奪われたように見つめました。昔から変わらない魅力ある聖なる微笑み(第二の美しさ。煉獄第三十一曲参照)に、まわりのことに全くの無関心になってしまうぐらい見とれていました。しかし突然、左に立っていた「そんなに見つめていてはいけません!(ベアトリーチェは今や神学の奥深い教義、知恵の権化としてダンテの前に立つのに、ダンテは生前の面影のみを見ようとする。それをしかった言葉)」という三人の女神(対神徳をあらわす三人の淑女)の言葉を聞いて、私はそちらの左の方に向きました。太陽を長い間見すぎてしまった人のように、しばらく私は目が見えませんでした。私の視力を小さい光、つまり小さい光とは、今私が目をそらしたばかりの大きな光であるベアトリーチェと比較して、ということですが、戦車を中心とする行列の小さな光に視力を合わせると、栄光の軍隊(「戦闘の教会」が含意されている)は右に向いていて、七つの光線と太陽の光を正面に受けて(エデンではまだ午前。東に位置する太陽と、七つのロウソク立ての光を顔の正面に受け、今行列は東に向かう)戻っていきました。長い列の軍隊の兵隊がその方向を変える時は、後ろの列がまだ動いていない時に、前の列は既に旗を立てて方向転換するように、先頭を進んでいた二十四人の長老は、戦車がそのながえを曲げる前に、全員が私たちの前を通りました。七人の淑女は戦車のそばに戻り、グリフィン(キリスト)は、その祝福された戦車(教会)を動かしましたが、鷲の部分の羽根は動かしませんでした(神性は微動だにしない)。川を渡る時私を導いてくれたマテルダと、スタティウスと私は、小さく弧を描いて回転する右側の車輪(そのそばに対神徳の三淑女がいる。「小さく弧を描いて回転する」とは、戦車が回れ右するに際し、左の車輪の大回りに比べ右の車輪は小回りですむこと)の後ろに従いました。かつて、蛇の言うことを聞いたエバの罪のため、誰も住まなくなったエデンの森を、私たちは歩いていくと、天使の歌声が聞こえ、それに合わせて歩みました。私たちは、矢の三射程の道のりほど歩くと、ベアトリーチェが戦車を降りました。全ての人たちが、「アダム(蛇の誘惑に負けたのはエバであるが、時と場所をつらぬいて、罪の責任はアダムが負う(ローマ人への手紙5の12)。従ってここでは原罪者アダムが非難のつぶやきを伴って思い出される)」とつぶやくのがきこえました。そして、彼らは、枝も実もない善悪を知る木(創世記2の15-17に記された善悪を知る木。神は人祖アダムに、他の樹の果実は自由にとって食べて良いが、この樹からは絶対にとって食べてはならぬと命じた。にもかかわらずアダムは採って食べた。神へのこの不服従が原罪の基幹であり、この樹は神の掟または正義を象徴する。ダンテはその象徴を深く広く歴史的・社会的に展開し、人類、教会、国家などと多義的に関連させ、煉獄第三十二曲と三十三曲の主題とする。教会とか国家とかの一義に限定しての解釈の試みは、ダンテの真意から遠ざかるであろう。なおこの木が、その生産性の一切を喪失しているのは、アダムの原罪によって招来された人類の惨めさを示す)の回りを囲みました。インド(インドは高木の産地として、古くから地中海行きの諸国に知られていた。ダンテはウェルギリウスの『農耕詩』2の122-124に拠ったと思われる)の森にあるこのような木も、その高さには驚かされぐらい高く、またその木は上に行けば行くほど、枝が広がっていて末広がりになっているのです(ここにいたって読者は、これが煉獄第二十二曲に出てきた奇妙な形の木であることに気づく。末広がりは、登ってはならないと命じる神の禁令の形態化)。その木の回りにいた人々は歌いました。「幸いなるかな、グリフィンよ、良い味のするこの木の皮を、あなたの聖なるクチバシで裂くことはありません、もし裂いて啄めば、お腹が痛くなってしまいます!(今は葉も花も実もない木なので、神の禁止を冒して味わうとすれば、皮を裂きついばむより他はない。上半身は鷹のグリフィンにうってつけの表現)」するとグリフィンは言いました。「全ての正義の種はこのようにして保たれる。(グリフィンのただ一度きりのこの発言は、マタイによる福音書3の15の、洗者ヨハネに対するイエスの答え、「正しいことをすべて行うのは、我々にふさわしいことです。」を踏まえている。一切の正義の種とは、神の定めた掟。トマス・アクィナスの『護教大全』4の69に、「われらの主はこの世にあった全期間、掟を守り通した」とある)」そしてグリフィンは、引いてきたながえに向いて、それを裸の幹の下に引き寄せて、その小枝でこれにつなげました。太陽が双魚宮の星の後ろの白羊宮の星(三月、太陽はこの位置にある)に、光を注ぐ早春の北半球の木々が、太陽が白羊宮の後ろから金牛宮に移る頃(四月の下旬、それから一ヶ月も経たないうちに、という意味)、芽吹いて色が変わっていき、その木は枝がなかったのに蘇り、バラ色より薄く紫より濃い色(紫がかった紅。血の色。アダムの原罪を贖うための、キリスト十字架上の受難により、この木がもとの状態に蘇ったことの象徴)になります。私は皆が歌った、地上では歌われない聖歌が分からなくなっていき、最後まで聴けず、眠ってしまいました(キリストの犠牲による贖罪と、神との和解成立が緊張を解きほぐし、天上楽をいわば快い子守歌として眠りに落ちたのである)。シュリンクの話を聞いて眠ってしまったアルゴスの厳しい守りの目(ゼウスの命をうけたヘルメスは、シュリュンクス(牧羊神パーンに愛されたアルカディアの妖精)のことを、ヘラから頼まれ、イオの寝ずの番をしていたアルゴスに巧みに歌ってきかせ、アルゴスを眠らせて殺した。『変身譜』1の568-747参照)、つまりそれは、画家がモデルを見るようにずっとじっと見ていたわけですが、その目について、私がお話しできれば、私は自分がどのように眠ってしまったかお話しできるのですが、でも、それは、眠りを描けるどなたかにお願いしましょう! ですから、私は、目が覚めた時のことしかお話しできません。眠りの美しい扉が開かれ、マテルダの声がしました。「何をしているのですか? 起きなさい!」天使達がほしがる実をならせ、永遠の婚礼(キリストがその栄光によって信者を永遠に幸福にすること)を行う、リンゴ(キリスト)の木の小さな花(変容によって現れるキリストの栄光)が見えるように、ペトロ、ヤコブ、ヨハネは畏怖のあまり気を失い、さらに深い眠りをも打ち破る言葉を聞いて、我に返り、仲間の数が減り、モーセもエリヤもいなくなっていて、また、キリストの姿も変わっているのを見ました(キリストの変容が語られているマタイによる福音書17の1-8への言及)。ちょうどこの言い伝えのように、私も我に返り、流れの岸からずっと導いてくれた思いやりのある淑女マテルダが、私の所にかがみ込んでいるのを見ました。心配になった私は叫びました。「ああ、ベアトリーチェはどこですか?」マテルダは言いました。「見てください、芽吹いた木の根本に座っています。見てください、七人の淑女(枢要徳と対神徳を現す七淑女)がまわりにいます。残りの者たちはグリフィンと一緒に天国へ、甘く奥深い音楽とともに行ってしまいました。」私は、マテルダがもっと何か言ったかどうか分かりません。なぜなら、私の目は、私の心を独り占めしてしまうベアトリーチェに釘付けだったからです。ベアトリーチェは、グリフィンが木につなげた戦車をひとりで守ろうとして残っているように、地面に座っていました(そのながえがグリフィン(キリスト)によって親木にしっかりとつながれた凱旋戦車(教会)。その戦車を引いていたグリフィンは既に昇天してここにはいない。従ってここではエデンの園であると同時に、キリスト変容後の現世の象徴でもある。ベアトリーチェは今、キリストの黙示、七つの徳を侍女とする知恵の象徴として、再会の結果蘇った親木と十字架との結合点に座っている)。七人の淑女(枢要四徳と対神三徳の七淑女)はベアトリーチェの回りを取り囲み、地球の風が消すことの出来ない、燃える七つのロウソク立てを持っていました。ベアトリーチェは言いました。「あなたが地上の人としてこの楽園にとどまるのはしばらくの間で、その時が過ぎれば、天に昇って私と一緒に永遠にそこに住みます。キリストがローマ人であるローマ(天国での神の都。エフェソ人への手紙2の19参照)に。あなたの世界の罪深い所を良くするように、戦車をよく見て、あなたが戻った時にあなたが見ること(神を冒涜する行為として、教会の歴史に継起した七つの災難。それらが今、神の掟を現す正義の樹と、再びそれに結ばれた戦車(ペテロによりローマに建てられた教会)の周辺で、無言劇のように次々と演出されてゆく)を書き記してください。」私は、心からベアトリーチェの言うことに従おうと、心と目をベアトリーチェの欲する方へ向けました。空遠くから放たれる、厚い雲を貫く雷も、ゼウスの聖鳥(鷲。ここでは、鷲を表象とするローマ帝国の皇帝の内、ネロ、ドミティアヌスなど、キリスト教徒を迫害した初期の皇帝達)ほど速くはなかったでしょう。ゼウスの聖鳥はサッと降下し、花、木、皮を貫き裂き、全身の力をこめて戦車を襲い、その戦車がよろめく様は、嵐の中の船(船は古くから伝統的に教会の象徴とされた第一難)のようです。すばらしい戦車の中に、栄養のある食べ物(正統の健全な教義)を食べていないように見える飢えた狐(幾度かの教会会議の契機となった異端邪説。第二難)が飛び込んだのを見ました。しかしベアトリーチェ(このベアトリーチェは護教的叡智の象徴)は、狐の醜態を責め、追いやり、その貧弱な骨や皮(正しい教理の貧寒な邪義の骨格)が許す限りの速さで走っていきました。すると今度は、木を伝って降下した鷲(第三難。この鷲はコンスタンティヌス大帝。箱は胴体を指すが、「寄進財物入れ」の意味もあり、この場合甚だ適切)は、今度は車の箱に舞い降り、金の羽根(いわゆる「コンスタンティヌスの贈与」を指す。教皇シルヴェステル一世に、宗教上の至上権のみならず、世俗的統治権をも与えたこと)をふり散らして飛び去りました。すると、悲しみにうちひしがれた心から悲しみを絞り出すようにした声が天国から聞こえ(贈与が行われた時、天から声があり、「今日、神の教会に毒そそぎ入れられる」と聞こえたとの、ダンテ生前に流布していた伝説の遺響)ました。「私の小さな船よ、ああ、なんて悪い運命の荷物を積んでいることだろう!」続いて、地面が二つの車輪の間で開き、そこから龍がせりあがり、戦車をしっぽで突き刺しました。すると、針を引っ込めるハチのように、龍はその毒のあるしっぽを引っ込め、地面を裂きながらほくそ笑み立ち去っていきました(第四難。マホメットによるキリスト教と回教との分離を指す)。残されたものは、肥えた土に雑草が茂るように、恐らく善意から与えられた羽根がたくさん覆い、すぐに、両輪やながえともども羽根が覆いました(第五難。コンスタンティヌス大帝の贈与以後も、小ピピンによる755年の贈与その他により、教会が世俗の富と権力を蓄積するにつれ、当初の物とは似ても似つかぬ醜い変容をとげて行く過程)。このように変わり果てた戦車(教会。俗の俗となりはてた醜悪きわまる教会。第六難)は、戦車のながえから三つと、その四つの角に(七つの主罪を現す)、角が出ていました。前の三つは牡牛の角に似ていて、後の四つはそれぞれの頭から一つずつ角を出していました。こんな怪物は見たことがありません! 丘の上の要塞のような所にしどけない売春婦(第七難。ダンテの同時代となって、無言劇は著しく預言の様相を帯びてくる。もとベアトリーチェが座っていた戦車の同じ席に、今しどけなく座っている「売春婦」とは、地獄篇にも煉獄篇にもしばしば登場したボニファティウス八世を筆頭とする、ウルバヌス四世、クレメンス四世、マルティヌス四世、ニコラウス四世など、教皇権の強化拡大(結果的には弱化縮小)のため権謀術数をほしいままにした一連の独裁的教皇達。ヨハネの黙示録18の7で、緋色の獣に乗った淫婦が心中「わたしは、女王の座についており」と思うくだりを念頭に置いて、ダンテはこの第七難の想を構えたに違いない)が座っていて、厚かましくてだらしなく、辺りを見回していました。その女が誰かに連れて行かれないように見張っているような巨人(歴代の教皇を手玉に取ったフランスのカペー王家。特に端麗王フィリップ四世が想起される。ダンテは書簡の中で、この王をゴリアテになぞらえた)が、彼女のそばに立っているのを、私は見ました。彼らは何度も何度もキスをしていました(カペー王家と教皇が表面親睦を装い、実は互いに利用し合っていたこと)。でも、彼女がキョロキョロと貪欲な目を私に向けると、巨人は怒って、彼女を頭から足までめった打ちにしました(フィリップ四世が教皇ボニファティウス八世をアナーニの教皇私邸に幽閉し、耐え難い侮辱を加えたこと)。そして、怒って嫉妬した巨人は、怪物のようになった戦車を解き放ち(戦車のながえ(十字架)を、正義の掟の親木に再び結びつけたのはグリフィン(キリスト)なので、それを解き放すのは神に恐れない不逞・不遜・道理にそむいていることの非行)、森深くに引きずり込み(1309年カペー王家の傀儡に過ぎない教皇クレメンス五世の時、フィリップ四世が教皇の座をローマから南フランスのアヴィニョンへ強引に移したことを指す)、木々が私の視界を遮り、売春婦も怪物のようになった戦車も見えなくなりました(バビロニア捕囚になぞらえられるローマ教皇のアヴィニョン流たくは、1309年から1376年まで、68年間続く。従ってイタリアに住むダンテは、生前ついに教皇座を視程内に望むことができなかった。ちなみにこの第三十二曲は160行で、神曲全篇を通じて最も長い)。(2005年9月26日)(2005年10月3日更新)

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第三十三曲
「神よ、異国の民が(詩篇79の起句)」と、三人の淑女(対神の三徳)と四人の淑女(枢要の四徳)がかわるがわるに、涙に暮れながら、甘美な讃美歌を歌いました。そして、ベアトリーチェは、十字架の所のマリア(ヨハネによる福音書19の25-26参照)の顔つきのように悲しげに、ため息をつきながら聴いていました。しかし、この淑女達が歌うのをやめると、ベアトリーチェはその熱烈な感情を顔に表し、立ちあがり、言いました。「しばらくすると、あなたがたはもうわたしを見なくなるが、我が愛する姉妹達よ、またしばらくすると、わたしを見るようになる。(ヨハネによる福音書16の16にある、最後の晩餐の席上イエスが弟子達に告げた言葉に、七淑女への親しみをこめた呼びかけ、「我が愛する姉妹達よ」を挿入したもの。言葉の意味を理解できず論じあう弟子達にイエスは19-28で詳しく説明するが、ここでベアトリーチェは転義し、自分を教会になぞらえ、腐敗の末、本来のあり方を失ってしまった教会も、そう遠くない将来、真の姿を示すであろうと預言している)。」そしてベアトリーチェは、七人の淑女を自分の前に、そして、私にうなずいて、私とマテルダとスタティウスを後ろに来るように示しました。ベアトリーチェはこのような形のまま前に進み、十歩森へ進み、急に、私の目を見つめ、穏やかな顔つきで言いました。「もっと急いでください。あなたと話をしたいと思った時に、近くにいてくれないと、あなたは聞こえないでしょう。」私は言われた通りにしました。そして私が近づくと、ベアトリーチェは言いました。「私の兄弟のようなダンテ、私に訊ねたいことはたくさんあるでしょうに、なぜ質問しないのですか? 一緒にいるというのに。」すばらしい人を前にして畏怖のあまり何も言えなくなってしまった人のように、私はしどろもどろに言いました。「我が淑女よ、私の質問を待たなくても、あなたは私に必要なことは分かっているでしょう。」するとベアトリーチェは私に言いました。「これからは、もう恐れたり恥じたりしないでください。夢の中にいる人のような話し方をしないでください。龍(煉獄第三十二曲の龍。教会七難を展開したあの無言劇への、ベアトリーチェの説明がこれから始まる)が壊した戦車は、前はありましたが、今はありません(ヨハネの黙示録17の8を踏まえ、教皇座がローマから離れてアヴィニョンに移ったことを指す。なおこのくだりの十分な理解のためには黙示録17の7-9参照)。罪ある者(主として教皇クレメンス五世とフランス王フィリップ四世を指す)は、神の復讐を避けることはできないということを知らしめてください。鷲(ドイツのホーエンシュタウフェン家出身の神聖ローマ帝国フリードリヒ二世(1194-1250)。ダンテは『饗宴』4の3の6で、フリードリヒ二世を最後の神聖ローマ皇帝と呼んでいる。二世の死後、そしてダンテの生前、ハプスブルク家のルドルフ一世およびアルブレヒト一世、ナッサウ家のアドルフなどが神聖ローマ皇帝位を継いでいるが、これらの皇帝はイタリアに足を踏み入れておらず、ダンテはその実に値しないと考えた)が、戦車に羽根を散らして、そのため戦車が怪物のようになってしまい、結局は獲物(巨人即ちフランス王フィリップ四世)となってしまいましたが、その鷲に世継ぎ(名実二つながら神聖ローマ皇帝に値する後継者)ができないということはありません。私がこのことをあなたに言うのは、私には星が見えるからです。その星は既に近くに来ていて、その星の影響を妨げる物はありません。その星は、一つの時をもたらします。神から使わされた1の500と10と5とは、巨人(フィリップ四世)と、その巨人と一緒に罪を犯す女盗人(ローマ教会の正統な権威の座を奪った淫婦。教皇ボニファティウス八世や、クレメンス五世が強く意識される)と共に殺す時です(意味不明)。私の預言の言葉は、テミス(ギリシア神話のテミス。確固不変の正義・秩序・慣習等を人格化した女神。ヘシオドスではウラノスとガイアの娘。預言の術に秀で、デルポイの神託所を主宰し、後継者アポロンにその術を伝授した)とスフィンクス(エジプト神話のスフィンクス。テーバイ王ライオスの子オイディプスによって謎解きをされる)の言葉のように曖昧で、あなたを納得させることはできず、心を混乱させてしまうかも知れません。でも、すぐに、ナイアデス(ギリシア神話のナイアデス(ナイアスの複数)で、泉や川に住む妖精。『変身譜』7の759-760が「それまで誰にも不可解であった謎解きに成功したライオスの子(オイディプス)」とあるべきなのを、誤ってナイアデスとした本に従ったため、スフィンクスの謎を解いたのはナイアデスだと誤解)の前に事実がはっきり現れ、羊も穀物も失うことなく(『変身譜』7の762-765に拠れば、謎を解かれてスフィンクスが死んだことを知ったテミスは激怒し、代わりの怪物をテーバイに送り込み、人畜や収穫物に多大の損害を与えたという)、この難解な謎を解くでしょう。私の言葉をよく聞いてください。私があなたに言うことをそのまま、復唱して、死へ走っていくのに過ぎない生を生きる人たちに教えてください。そして、書き記す時は、二度も(初めはアダムにより、次は煉獄第三十二曲の示す行為、とりわけ巨人の荒々しく道理にそむくさまから)あなたの目の前で奪われた木の悲しいありさまを、きちんと書いてください。その木を奪ったり、枝を折ったりした者は、行いによって神を冒涜する罪に問われます。なぜなら、神はただ神自身のために作られたからです。アダムがこの木の実を味わった罪は、味わった罪を代わって背負ったキリストを待ったのは、5000年以上(アダムが苦しんで地上に食を得た年月は930年(創世記5の5)、アダムがリンボにあって罪の赦しを願うこと4302年(天国第二十六曲参照)、合計5232年。エウセビオス(263頃ー339)の『年代記』に拠れば、キリストは創世後5200年目に降誕したとある)です。あの木がとても高い特別の理由や、上に向かって末広がりになっている理由を理解しないのなら、あなたの心は眠っているのでしょう。あなたの虚しい思いによって、エルザの水(トスカーナの川。北西に流れ、エンポリの西数キロの地点でアルノに合流する。コルレ・ディ・ヴァル・デルザの付近では、地盤が含有する炭酸や弱炭酸石灰分のため、河水に沈殿した物体を化石させた)のようにあなたの心が頑なになり、そのような思いから生じる楽しみが、ピュラモスの話のように(煉獄第二十七曲参照。自刃したピュラモスの血が、それまで白かった桑の実を爾後真紅の色に変えたように、思いによりダンテの心が変質してしまったのではないならば、とベアトリーチェは言うのである)あなたの心が変わってしまったのではないならば、このようにたくさんの事例を見たのですから、あなたはその木が示す禁制(掟は自ずから「禁制」の形を取る。神の正義の象徴である「善悪を知るの木」は、そのため、「この木から取って食べてはならない」との、人に対する禁制を必然の掟とした。この木が上へ行くほど末広がりになっているのは、その禁制を形でも示したもの)の中に神の正義を見てとるでしょう。でも、私には、あなたの心は石のようになり、色も暗くて、私の言葉の光があなたにはまぶしそうなので、私の言うことを、逐一書き記されないまでも、せめてあらましを心に描き、携え却ってほしいと思うのです。ちょうど、聖地巡礼者が家へ持って帰る土産にする杖は棕櫚を巻くように(どこへ行ってきたか、そこで何を見たかを実証するために、聖地の棕櫚の葉を杖に巻いて帰るのが、中世巡礼者の慣習であった)。」そして私はベアトリーチェに言いました。「判を押された蝋が、そのプリントした物の形を変えないように、私はあなたの判を私の心に押されました。しかし、あなたの言葉を聞きたいと願っていたその言葉が、私の心よりも高くに飛んで行ってしまうのはなぜでしょう? 言葉を追おうとすればするほど、私の視界から高く舞い上がっていってしまいます。」ベアトリーチェは言いました。「なぜかというと、あなたが世の中の学問の限界がどのようなものかを知り、私の教えについてこれるかどうかを知るためです。また、原動天(地球から最も遠い原動天。地獄第九曲「万物を取り巻く天」とあるもの。不動の地球が中心となっている恒星天の運動を説明するために、二世紀のギリシアの天文学者プトレマイオスが考えた仮想の天で、地球を取り巻く十個の同心円球の最外部にあり、全ての恒星はこの天に固着し、二十四時間で地球を一周する。全天界運行の原動力なので原動天と呼ばれるが、地球から勘定すると第十天。しかしダンテの時代には第九天と数えた)と地球が遠いのと同じように、人間の行うことと神の行うことが遠いということを知ってもらうためです。」それに対して私は答えました。「私はあなたから離れていたことは一度もありませんし、良心が私を責めることもありません。」微笑みながらベアトリーチェは言いました、「覚えていないというのですか? でも、先ほどレーテの水を飲んだ(犯した罪の記憶だけが消える)ではありませんか。火のない所に煙は立たない、と言いますね。何もかも忘れているのが、私から離れていて罪を犯したことの証拠です。でもこれからは、私はあなたに約束します、私の言葉は無知なあなたの心でも分かるように簡単にしましょう。」輝きが増すにつれ、歩みもゆっくりとなり、太陽が子午線をまたぐ時(太陽が子午線を通過する正午の時刻には、地平線に近づく時刻に比べて、その動きは暇取るように見える)、子午線は視点の位置によって移り変わります(子午線は赤道のように固定した線ではなく、経度のどの天に立ってみるかでぶれが生じる)。誰かが一群を連れていて、その人の前にとてもヘンなものが現れて立ち止まるように、緑の葉と暗い枝の下で、山陰が冷たい流れにうつるような青ざめた木陰が果てる所で(森を出外れ、木々の影が差さなくなった所)、七人の淑女も立ち止まりました。七人の淑女の前に、ユーフラテス川(南西アジア第一の長流。創世記2の10-14に、園を潤すためエデンに流れる一つの川が、エデンを出て四つの川の源になり、その第四の川がユーフラテスだと書かれている)とチグリス川(エデンから出た四つの川の第三の川)が一つの泉から出て、親友同士のように、二つに分かれていくのに時間のかかるようなのを私は見ました。私は訊ねました。「ああ、光よ、ああ、人類の栄光であるベアトリーチェよ、一つの源から出て、それぞれに分かれていくこの流れはなんでしょう?」ベアトリーチェは答えました。「マテルダに教えてもらいなさい。」するとマテルダは罪を弁解するかのように話しました。「このことも、他のことももうダンテにお話ししました。レーテの水がその記憶も消してしまったことはないでしょうけれど。」するとベアトリーチェが言いました。「きっと、ダンテの心に重く積もっているもっと重要なこと(罪に対する激しい悔恨)が、記憶を消してしまい、心の目を曇らせてしまったのでしょう。でも、私たちの前にあるこの流れエウノエを見てください。さあ、ダンテをそちらへ導いて、あなたの習慣(地上楽園へ来た全ての魂に、レーテとエウノエの水を飲ませ、さらに高い所に登る生気を与えるのがマテルダの役目)のように、この流れでダンテの弱まった力を回復させてあげてください。」すると親切なマテルダは、ためらいもなく、一度サインを示されたら、他の人の意志を自分の意志と受けとめて、私の手を取って、前に進みながら、スタティウスにしとやかに言いました。「あなたもご一緒に。」読者よ、私にもっと書く紙があれば、飲んでも飲んでも喉の渇きを癒すことのない甘い水のことを歌ったでしょう。しかし、この煉獄篇に割いたページはもう終わりです。私の技術の制約があります(全篇を百曲とし、導入のための一曲を除いて各篇とも三十三曲、ほぼ等しい長さに保つ制約。地獄篇は4720行、煉獄篇は4755行、天国篇は4758行、計14233行。均整の美は見事に保たれている)! そのエウノエの聖なる川から、ベアトリーチェの所に戻ってくると、あたかも若葉が出て新しくなった若木のように、全て改まり(煉獄第一曲の「滅亡の魂を歌う詩に生命の息吹を与え、望みのある煉獄の魂を歌わせてください」との願いはここに成就し、煉獄篇の主題が浄罪による新生であったことが分かる)、清くなっていて、星々に登っていくのに相応しくなりました(このように、煉獄篇も地獄篇・天国篇と同じく、「星々」を結びの語としている)。(2005年9月27日)(2005年10月3日更新)


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