ぽこあぽこさんのサイトより
http://www.geocities.jp/michi_niku/index.html
<転載開始>

いよいよ天国篇です。しかし、抽象的な文章が多くて、なかなか進みません! とりあえずここに載せておいて、終わったら見直すつもりです。。。(2005年11月8日)

第一曲
すべての物を動かす神の栄光は、全宇宙に(詩篇139の7-10、エレミヤ書23の23-24参照)染み通っていますが、受ける者の力によって、ある所ではとてもよく示され、他の所ではあまり示されません。私は第十天、すなわち至高天にいました。一度そこから下界へ降りれば、人は、話すべき知識も力もなくなって(コリント人への第二の手紙12の1-4参照)しまいます。なぜなら、わたしたちの知識は、神に近づき、深く探るにつれて、記憶は追いつけなくなってしまい、忘れてしまうからです。でも、その聖なる王国について私が心にしまった事柄で、私は詩を作りましょう。ああ、すばらしいアポロンよ(この祈りは、地獄第二曲、煉獄第一曲のそれと対応。アポロンは煉獄第二十曲参照)、この詩作のために、私を、あなたの才能と月桂樹(ギリシア神話のダプネは恋慕するアポロンを嫌い、逃げ回っていたが、ゼウスによって月桂樹に変えられた(『変身譜』1の452-567)。爾来この木はアポロンの聖木となり、詩人の栄冠として用いられる)の冠を受けるにふさわしい者としてください。私はこのようにパルナッソスの一つの峰(パルナッソスについては煉獄第二十二曲参照。この山に二つの峰があり、一つには学芸を司る九女神のムーサイが、他の一つに詩神アポロンが住む。地獄篇と煉獄篇では、ムーサイからの霊感だけで事足りたが、天国を歌うとなれば、アポロンの助力がないといけない)に向かって祈りました。でも、今は、天国を歌うので、峰の二つともが必要です。アポロンよ、私の胸の中に入って、マルシュアス(ギリシア神話のマルシュアス。プリュギアのサテュロスの一人。女神アテナが捨てた笛を拾い、身分もわきまえず、アポロンと笛吹の技を競うが、判定で敗れ、生きながら皮をはがれる。その時流れた血、あるいは彼の死を悲しんだ人々の涙が、マルシュアス川になったという。ダンテは『変身譜』6の383-391によってこの箇所を書いた)を体の皮膚から引き抜いた時のような力で、息を吹き込んでください。ああ、神よ、私の心に刻みつけられた至福の国の、せめて影だけでも、顕わにしてください。そうすれば、私は、私の詩のテーマとあなたに助けられて、月桂樹の緑の葉でできた冠をかぶるでしょう。父よ、皇帝(ダンテはカエサル以後のローマ帝国の支配者達をもこう呼んでいる。地獄第十三曲、煉獄第六曲参照)も、詩人も、人は世俗的な心を持っているので、そのような栄冠を受けることは稀です。人が月桂樹の冠を望み求めると、アポロンは月桂樹によって、さらなる喜びをもたらすでしょう。小さな光から大きな炎になるのです。ですから、私の詩に励まされて、私よりもさらに大いなる詩人が現れて、アポロンの助けによってさらに良く天国の歌を歌うこととなるでしょう。世界を照らす太陽は、様々な所から人間に届きます。でも、四つの圏が合わさって三つの十字となる箇所(四つの圏とは、地平・赤道・黄道帯・分至経線を言う。それが合わさって三つの十字となる箇所とは春分点のこと)から出れば、よりすばらしいコースをたどって、よりすばらしい星々(白羊宮、すなわち雄羊座)が結合し、春分の頃には、太陽が地球に最も恵み深い力を及ぼすのです。今(この旅が想定される1300年の春分は3月21日であったから、今ダンテのいる4月13日水曜日は、太陽はまだ白羊宮にあり、ほとんど同じ季節の内)、煉獄山のそびえる南半球では昼が始まろうとし、イエルサレムのある北半球は夜に入ろうとしていました(そして心地上楽園はまさに正午。ダンテが地獄への旅の出発を夕刻に、煉獄への旅の出発を明け方に、そして天国への旅の出発を正午に措定したのは、綿密な用意に基づく。『饗宴』4の23で述べているように、太陽のさんさんと燃え輝く正午はダンテにとって一日の内最もめでたい時刻であった。天国篇はこの時刻に、日神アポロンへの祈りと共に展開を始める)。その時、私はベアトリーチェを見ると、ベアトリーチェは左側の太陽を見ました(煉獄第三二曲にあるように、ベアトリーチェの行列は東に向かって進んでいた。太陽は北側すなわち左側にある)。どんな鷲でもそのように真っ直ぐと太陽を見つめたことはないでしょう(鷲だけが太陽を直視しても目はくらまないと、当時一般に信じられていた。ルカヌスの『パルサリア』9の902-903参照。天国第二十曲参照)! 光線が物に当たって、反射光線となるように、そしてまた、目的地に着いた旅人が再び故郷に帰るように、ベアトリーチェの所作を見て私も太陽を見つめました。地上の楽園は、神が、人類のために作られた(創世記2の8および15参照)所なので、北半球では人ができないことが、南半球の煉獄山状にある地上楽園・エデンでは、できることが多いです(ダンテが太陽を直視できたのもその例)。私は長くは見つめることができませんでしたが、太陽が、火からしたたり落ちる溶けた鉄に似た火花をあたりに散らすのは見ました。すると突然、神が、太陽をもう一つ作られたかのように明るくなりました(ダンテは地球を離れ、天上へ登っていく)。そこにベアトリーチェは立ち、目は諸々の天に向けられていて、私の目は高い所からベアトリーチェに向けました。ベアトリーチェを見つめると、グラウコス(『変身譜』(13の904-959)に拠れば、ボイオティアの漁夫で、ある日前人未踏の草地に座し、獲物を数えようとした所、魚が動き始め、自力で海へ帰っていった。グラウコスは草に霊験ありと考え、一茎を取って噛むと、海を恋する願いがわき上がり、大地に永遠の別れを告げ、海中に没して海神となる)が、草を噛んで海神の仲間になった時のような変化を、私も感じました。「超人」の事は説明できないので、恩寵によってそれを経験する時まで、このグラウコスの例で我慢してください。霊魂だけが昇天したか、肉体も共にであったか(それをダンテは、同じ経験を持つ聖パウロをまねて(コリント人への第二の手紙12の3-4)神のみぞ知ると、未決定のまま残す)、それは神のみがご存じです。ベアトリーチェの光で私を引き上げてくれたのは、神なのですから。神をしたってめぐる諸天球の運行は、神によって調節されたハーモニーに調和した歌(ダンテは『饗宴』の2の3の9で、神の宮居のある第十天に最も近接する第九天の原動天が最も速く運行するのは、形を持つ宇宙のいやはてに当たるこの天のいかなる部分も、他を動かすが、自らは動かず、静まりかえる第十天と接触したい、烈しいあこがれによると説明している。せがまれるままに諸天球を動かす神の概念は、アリストテレスの発想であるが、煉獄第三十曲にも出てくる諸天球の「調和した歌」を整え分かつ神の概念は、普通『スキピオの夢』の名で知られ、中世を通じ愛読されたキケロの『共和国論』第六巻18の18-19に基づくことが最も多い)によって私の心が捕らわれた時、私は太陽が燃え立つように輝いているのを見ました。地球上のすべての雨と川を集めても、これほどまでに大きな湖にはならないでしょう。このようにも明るい光の大きさと音は、初めてだったので、私はその原因を知りたいと強く思いました。ベアトリーチェは、私を見て、私の乱れた心を静めようと、私が質問する前に話し始めました。「あなたは誤解によって心を悩ませているのです。誤解によって本当は見える物が見えないのです。あなたはまだ地球にいると思っているのかも知れません。でも、第一天である月と地球の間にある火焔天からの光は、神のもとへ昇っていくあなたほど速くはありません。」ベアトリーチェが微笑んで話してくれたこの少しのことで、私は初めの疑問が解けました。しかし、新たな疑問が湧いてきました。私は言いました。「私の心に引っかかっていた疑問が解けて満足したものの、今度は、これらの第一天の月から始まり、第九天の原動天に到る軽い諸天体を、私はどうやって昇っていくかという疑問が生まれました。」ベアトリーチェは、私の質問を聞くと、憐れんでため息をつきました。そして、興奮した子供の言うことを聞いてあげるお母さんのように私を見ました。そして言いました。「森羅万象は、皆それぞれ違いますが、ある一定の秩序を持っているのです。この秩序によって、神の姿を現すのです。天使や人間のような被造物は、この秩序において、神の跡を見るのです。その秩序の中で、すべての被造物は、皆その目的である神を望むのですが、天の中でその位置が高い物も低い物もあり、また、役割が皆異なるので、火や地球のように神に遠い物もあれば、諸天使のように神に近い物もあるのです。ですから、皆、大海原を渡り、本能に舵を取らせてそれぞれの港へ向かうのです。この本能によって、火は地上にあっても月と地球の間の火焔天へ帰りたがります。本能がやがて死ぬ運命にある物(人間も含めて。なおこのあたりの発想についてはアウグスティヌスの『告白』13の9参照)の心を動かします。本能によって、地球は重力によって寄せ合い、各部が結合して離れることがないのです。理知のない被造物だけが本能の弓矢を駆り立てるのではなく、知性や愛を持つ天使と人間にも当てはまります。これらすべてを取り仕切る摂理は、その輝きをもって、最も速くめぐる第九天に当たる原動天をつつむ第十天の至高天(エンピレオ)を静まらせます。そして至高天へ向かって、本能の力により、私たちは昇っていくのです。しかし、芸術家が意図したことが材料にうまく反映されないことがあります。ちょうどそれと同じように、神の意図があっても、人が偽りの快楽に誘われて、方向を誤ることがあります。あなたが昇っていくことは、水が山から麓に下りるように、怪しむことはありません。あなたが、罪の重荷を下ろしても、下界にとどまれば、それは、地上に燃える火が静かであること(火焔界以外で火が静かなことはない)のように、不思議で、おかしなことです。」そしてベアトリーチェは目を天へ向けました。(2005年10月5日)(2005年12月23日更新)

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第二曲
私の詩の言葉を聞きたいと、私が歌いながら漕ぐ船の後ろを、ずっと船に乗ってついてきたあなた、あなたが漕ぎ出てきた岸がまだ見える間に、戻ってください。沖に(天国)出ないでください。私を見失うでしょうし、あなた自身迷ってしまうからです。私がかき分けていく海域は誰も乗り入れたことがありません(詩人で、天国を主題とした者は今までいない)。アテナ(ローマ神名ミネルヴァ)は帆をはらませ(霊感を吹き入れ)、アポロン(詩を司る神)は私を導き、九人のムーゼは私にこぐま座とおおぐま座を示します。若い頃から、飽きることのない天使の糧(知恵。詩篇78の25、知恵の書16の20参照)を熱心に求めている者よ、あなた達は、私が漕いで波立つ海を漕ぐのもいいでしょう。海を渡ってコルキスにたどり着き、イアソン(ギリシア神話のアルゴー丸乗組員の指揮者。地獄第十八曲参照。イアソンが、鼻から火を吹く二頭の牡牛を軛につなぎ、芽生えて人間となる竜の牙を播く農夫となったのを見て、乗組員達の驚く場面は、『変身譜』7の100-158)が耕す人となったのを見た時の勇者達の驚きも、これからあなた達が抱くであろう驚きに比べたら、ものの数ではありません。生まれながらの、終わることのない、至高天(エンピレオ)への人間に本有のあこがれ(煉獄第十八曲参照)によって、私たちは運ばれ、その速さは天がめぐるぐらい速かったのです。私はベアトリーチェを、ベアトリーチェは天を見ていました。すると、矢が射られて、飛び、的を射るまでの間のようなほんの短い時間で、私は不思議な物が私の心を引きつける所(月)に着きました。私の気持ちをくみ取ってくれるベアトリーチェは、喜ばしい美しさでもって私の方を向き、言いました。「あなたの心と、感謝の気持ちを神に向けてください。私たちを第一の星(月)へ運んでくださった神に。」私たちは、太陽の光線を受けたダイアモンドのように光り輝き、固く、磨かれた雲に包まれたようでした(月が地球と全く異なる組成としたのは、アリストテレスの天体論を継承する中世一般の概念。ちなみにダンテは、『帝政論』3の4の17-18で、月が太陽から光を受けるのみならず、それ自身の光も持つと説いている)。その永遠の聖なる真珠である月は、私たちを受け入れました。それはちょうど、水が光を受け入れ、ひび割れないでいるのと同じでした。固体に固体が含まれてしまうことは、地球上では私たちは考えられませんでしたが、その時の私が肉の身とすれば、神と人間とが結合したキリストにお会いしたいという強い気持ちが私たちには起こりました。地上では、信仰によって私たちが認めるものも、天においては証明をしなくても直感で自明の真理と分かります。私は言いました。「ベアトリーチェ、崇拝し、謙虚になって、人間の世界から私をここまで引き上げてくださった神に感謝します。でも、教えてください、人に、カインの物語(地獄第二十曲参照)を作らせることとなった、この天体の表面の黒いまだらはなんでしょう?」ベアトリーチェは少し微笑んで、私に答えました。「感覚の鍵の閉ざされている下界では、人の判断は誤った結論に達してしまいます。これに驚く必要はありません。なぜなら、あなたが知っているように、諸々の感覚に伴う理性の翼は短すぎるからです。でも、あなたはどう思うか教えてください。」私は言いました。「地球から見たのと違うのは、密度のせいではないか(アヴェロエスやアルベルトゥス・マグヌスに由来するこの説を、一時はダンテも信じたと見え、『饗宴』2の13の9で提示している)と思います。」するとベアトリーチェが言いました。「あなたはきっと、あなたの信じていることが全く間違っているということが分かるでしょう。私の反論を聞いてください。第八の天体(恒星天)は、質においても量においても様々に光るたくさんの星で輝いています。もし濃さと薄さ(粗さ)という密度だけがこの相違の原因なら、地上に及ぼす影響は、その程度において違っても、性質は皆同じとなるはずです。恒星天の星々は皆その与える影響の性質が違うので、光が異なる原因が、物体の密度だけではないことが分かります。さらに、黒いまだらの原因が、密度だけであるとすると、この月は、部分的に半透明であったり、または、お肉に赤身と脂肪があるように月も密度の高い所を低い所があることになります。もし、月が部分的に透明だというのが本当なら、月は太陽の光をすべて遮ることができず、日蝕の時に半透明の部分から光がさしてしまうでしょう。でも、そんなことはありません。それでは、もし、密度の高い所と低い所があるということについて考えてみましょう。もし私が、それが誤りだと説明できたら、あなたは意見を改めないといけません。もし密度の低い所が全体に広がっていないとすると、それはつまり、所々密度の高い部分で、せき止められてしまうということになります。そのせき止められる場所で、太陽の光は跳ね返されてしまい、それは、鉛が裏に貼ってあるガラスから色が反射するようです。ここで、あなたは、月面から反射するのではなく、ずっと奥の月の内部から反射するので、反射の光がわずかで、そのために斑点ができると言うでしょう(つまり、月面がでこぼこしているので、太陽の光が凹みに当たりそこで反射すると暗く見える、とダンテは考えるのではないか、と言っている)。でも、実験によって人間の技術の川の源を求めようとするのなら、あなたはこの異論から抜け出せます。三面の鏡を、二面があなたから同距離となるように置きます。三枚目の鏡はその二面の間をさらに遠くに、あなたの視線の前に来るように置きます。あなたはその三面に向かって立ち、他の人があなたの後ろから光を照らして、鏡にあてて、あなたの方に反射させます。三枚目の遠い鏡からの光(これが月のまだらの暗い部分に相当するとしている)は、他の二枚からの光よりも小さな光ですが、輝きの質は同じであることが分かります。雪に覆われた地面が、暖かな太陽の光に射られて、もともとの白い色や冷たさを失うように、あなたの知恵は、間違った意見の名残ももうないので、私はあなたに斑点の真の原因を説明しましょう。天の平和がみなぎる至高天の中央に、原動天(地球から数えて九番目に当たる。物質的宇宙の最外縁)が回っています。原動天の下に位置する諸天体は、皆この力によって動きます。次の第八の恒星天は、原動天から受けた力を、恒星天の中にあるけれども、様々な特性を持つたくさんの星に伝えます。次の七つの惑星天は、その上から受けた力によって、それぞれ独特の性質を持ちつつ、その力を下に及ぼします。諸天球は、お分かりのように、その上の天球から力を受け、下の天球に影響を与えるのです。私がこのように説明して、月のまだらの真の原因に達する過程に注意してください。そうすれば、この後、私が助けなくても、あなた自身で真理を求めることができるでしょう。聖なる諸天の力と動きは、鎚の技術が鍛冶屋によるように、祝福された天使達によります。たくさんの光で美しく輝く恒星天は、それを動かす天使ケルビムの力を受けて、その中にある星々に影響するのです。そして、あなたの肉体の中にある魂が、それぞれの機能に適応して体の様々な部分に広がります。それと同じように、天使ケルビムはその恵みを、様々な星に、それぞれ異なる力を及ぼします。諸天を司る諸天使の力は、それぞれ異なるので、これらの異なる力がその諸天と合わさって生じる結果は同じではありません。でも、その力はそれぞれ異なっても、みな、神から出る力なので、それぞれの天使がそれぞれ司る星と混じり合って、光り輝くのは、燃える瞳の中に喜びが輝くようです。まだらの原因はこの混じり合った力の相違であって、粗密ではありません。力の相違は、星と星との間に存在するだけでなく、同一の天の内でも存在します。月のまだらは月の各部分における力の相違であって、この相違は各部がどれほど完全かという度合いを異にしているので、天使の力が及ぶのがそれに従って異なるからです。これが原理です。(2005年10月6日)(2006年1月31日更新)

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第三曲
子供だった頃(ダンテ九歳の頃。『新生』2の2参照)の私の心を愛でもって暖めてくれた太陽のようなベアトリーチェは、証拠と議論で、美しい真実を明らかにしてくれました。私は、私の間違いと、ベアトリーチェの賢さを理解したと示そうと、頭を上げて、ベアトリーチェの目を見て、話をしようとしました。すると、私の目の前に、一つの面影が現れ、私の心はそちらに吸い込まれてしまい、話をしようという気持ちは心の中にしまわれてしまいました。透明な窓ガラスや、底が見えるほどきれいな静かなプールに、私たちの顔が反射してきたように、青白くミルクのように白い額に輝く真珠(ダンテの時代の上流婦人間に流行した好み)が私たちの瞳に映り、そのような顔が物言いたげであるのが見えました。私は、ナルキッソスが水に映った自分の影を実物と思い間違ったように、私は目の前の実物を何かの影かと思い違いました。その顔が、何かに反射した影だと思った時、その影の主は誰かと、私は振り返りました。しかし、誰も居ませんでした。私はもう一度見回して、うるわしい導者であるベアトリーチェが微笑みながら、聖なる目を輝かしているのを見ました。ベアトリーチェは言いました。「あなたの考えの幼さに微笑んでしまった私を見て、怪しまないでください。あなたの思いは、真理を基礎とせず、感覚だけに頼っているので、間違いやすいのです。あなたが見たのは、影ではありません。誓いを破ったためにここにいる魂です。彼らに話しかけてご覧なさい。彼らの言うことを聞いて、信じなさい。彼らに平和をもたらす神の光は、彼らを誤りの道に迷わせることはありません。」そこで私は、最も話したそうな魂に向かって、抗しがたい衝動に駆られて言いました。「ああ、幸福に生まれついた魂よ、神の光を仰ぎ見て、天上の喜びを知るあなた、あなたがどなたなのか、そしてあなたの運命を、親切に教えてくださったら、私はどんなに幸せでしょう。」すると、その女性の魂は微笑んで喜んで答えてくれました。「私たちの愛が願うことは、天国に住む至福者たちの愛が神の愛に願うことと同じです。私は現世で修道女でした。あなたが良く思い出せば、あなたは私のことを思い出してくれるでしょう。かつてよりはずっと美しくなりましたが。私はピッカルダ(ダンテの妻ジェンマの実家であるフィレンツェの名門ドナーティ一族の出身。煉獄第二十三曲、二十四曲参照)です。私たちは皆祝福され、最もゆっくりと動く(宇宙の中心と考えられていた地球に最も近いので、その運行はゆっくり)月にいます。私たちはただ神の御旨のままに、私たちに与えてくださる幸福のみを求めるので、神の秩序に従うことを喜びとするのです。私たちの境遇は、劣って見えますが、それは、私たちが誓いをなおざりにしたり、誓いを満たさなかったからです。」私は言いました。「あなたがたのお顔は、何か神々しいように、すばらしく輝いていて、記憶している面影とは変わっています。ですから、ピッカルダ、あなたのことをすぐには思い出せませんでした。でも、あなたのお話で、すぐにあなたのお顔を思い出しました。でも、教えてください。あなた方は皆ここでとても幸せにしていていますが、もっと天の高い所に行って、もっと多くの物を見て、もっと神に愛されたいとは思わないのですか?」ピッカルダは他の魂と同じように、優しく微笑んで、とても幸せそうに話しました。聖霊の愛に燃えているかのように見えました。「兄弟よ、私たちの天の愛の力で、私たちの心は静められ、今私たちが持つ物より多くを望むことはないのです。もし私たちがもっと高くに昇ろうと願うなら、私たちの願いは、私たちにふさわしい場所を定めてくださった神の心と違ってしまいます。愛とは何かをよく考えれば、これらの天球でそのように神の御心と一致しないことは許されません。なぜなら、ここにいるということは、神の愛の中にいるということだからです。神の聖なる御意志の中にいて、これによって私たちの意志が一つとなるのは、この祝福された境遇の神髄なのです。ここで、高さのランクがあるのは、私たちの意志が神の御心に適う、天の全域の喜びです。神の御心に適うことは私たちの平和です(エフェソ人への手紙2の14に、「キリストはわたしたちの平和であります」とあり、アウグスティヌス『告白』13の9も参照)。それは、神の御意志が生み出したり、自然が創り出す、すべての物が流れ注ぐ海(煉獄第十四曲にあるように、海から蒸発する一切の水は、多くの河川を流れくだり、再び海へ還る。同様に、神が直接に創造した天使や人間の霊は、創造主のもとへ還り、神の御心を受けて自然が作り成した物も、それぞれ適当な安息の場所を求める)のようです。」そして、最高善の恵みの光は均等ではないとはいえ、天国ではどこも楽園であるということが私にはよく分かりました。一つの食べ物に飽きても、他の食べ物を望む、つまり、こちらに感謝を献げながらあちらを求める、ということが私たちにはあります。ちょうどそれと同じように、私はピッカルダに、その教えを感謝しながら、新たな教えを求めました。つまり、全うしなかった誓いがどのようなものかと、訊ねました。ピッカルダは言いました。「完全な生涯と、すばらしい徳により、聖クララ((1194-1253)アッシジの貴族の娘、1212年、聖フランチェスコの指導のもとに清規きわめて厳しい女子修道会を設立した。1255年、教皇アレクサンデル四世によって列聖される)は高い天に祭られました。地球上では、聖クララの作ったフランシスコ第二修道会の修道女に習って、衣をまとい、ベールをかける者がいるでしょう。聖クララは死ぬまで、愛がその喜びにそぐうものとしたすべての誓いを受け入れたキリストと共にいようとしました。私は、若い少女の頃、聖クララに従おうと、現世を捨てました。私は聖クララの教えに自分を閉じこめ、聖クララの習わしに従いました。しかし、愛よりも憎しみをよく知る人々(兄のコルソ・ドナーティとその従者達。事件は1288年頃起こった。ピッカルダは結婚後まもなく死んだと伝えられる)が、私を修道院から引きさらったのです。その後の私の生涯は、神のみがご存じです! 私の右側で、他の輝きが月天で最も強い光であなたを照らしていますが、その人には、私の話と同じことが起きたのです。彼女も修道女でした。彼女の頭からも聖なるベールがはぎ取られたのです。でも、彼女の意に反して世俗の世界に引き戻されても、彼女は心にベールをかぶっていました。彼女は、大いなるコンスタンツェ(煉獄第三曲参照。『年代記』を書いたジョヴァンニ・ヴィルラーニは、コンスタンツェと皇帝ハインリヒ六世の結婚について、当時グエルフィ党員の間で一般に信じられていた次のような内幕を伝えている。まず、この結婚は、教皇クレメンス三世とパレルモの大司教が、コンスタンツェの甥で教会の利益をはかってくれないタンクレディにシチリア王位の帰するのを嫌って仕組んだ。しかし婚姻の行われた1186年には、同じくコンスタンツェの甥に当たる善王グイリエルモ二世はなお在世であり、王が1189年に死ぬと、教皇クレメンス三世は、正統な継承権を持つその妃ジョヴァンナの父でイギリス王のヘンリー二世(在位1154-1189)の皇后に王位の渡るのを恐れ、急遽タンクレディを立ててシチリア王とした(在位1189-1194)。一方、グイリエルモ二世とジョヴァンナの間には子供がなく、叔母のコンスタンツェだけが王位継承権を持つのに目をつけたドイツのホーエンシュタウフェン家の皇帝フリードリヒ・バルバロッサ一世(在位1152-1190)は、シチリア王国を合併する目的で、我が子のシュヴァーベン公ハインリヒ(のちのハインリヒ六世、在位1190-1197)とコンスタンツェの縁組みを計画・実現させた。時にハインリヒ二十一歳、コンスタンツェは三十歳を超えており、嗣子パレルモのフリードリヒ二世が生まれたのは八年後の1194年の12月、それからわずか四年足らずでコンスタンツェは死んだ。なお歴史家の考証によると、コンスタンツェが修道女となった事実はなく、ダンテは当時の口碑に従ってコンスタンツェを修道女としたらしい。なお、ピッカルダの修道女名もまたコンスタンツェであった)の光です。ソアーヴェ(ドイツ南西の一州シュヴァーベンの古名。ホーエンシュタウフェン王家はここから出た)の第二の疾風(ホーエンシュタウフェン王家出身の皇帝達は、性格のすさまじさと、活躍期間の短さに因んで、「疾風」に例えられたという。第一の疾風はフリードリヒ・バルバロッサ一世、第二はコンスタンツェの夫ハインリヒ六世、第三は最後で、コンスタンツェの生んだフリードリヒ二世(在位1215-1250))に嫁ぎ、第三のそして最後の疾風を生みました。」ピッカルダはこのように語り、「アヴェマリア」を歌い、歌いながら、深い水底に沈んでいくように消えていきました。私はピッカルダが消えて見えなくなるまで目で追っていきました。そして、ベアトリーチェの方に向きました。しかし、ベアトリーチェの輝きはあまりにも強く、私の目は耐えられませんでした。それで、私は質問をするのを差し控えたのです。(2005年10月7日)(2005年12月23日更新)

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第四曲
二つの、等距離にある食べ物の間にいる人は、どちらでも選べるのに、どちらかに口を付ける前に飢え死にしてしまいます(アリストテレスの『天界論』2の13、トマス・アクィナスの『神学大全』1および2、『変身譜』5の164-166参照)。同じように、ひどく飢えた二匹のオオカミの間にいる子羊は、両方のオオカミにおびえてしまいます。また、二匹の牡鹿の間で身動きの取れない犬も同じです。もし私が、二つの疑問の間にはさまれて、口がきけなくなって立ちすくんでしまっても、やむを得ないからで、咎められることも、誉められることもありません。私は話しませんでしたが、私の顔には、言葉で表すのよりもはっきりと、教えてほしいという願いが書いてありました。するとベアトリーチェは、冷酷なネブカドネザルの怒りを静めたダニエル(夢判断のできない賢者達を皆殺しにしようとしたバビロニアの王ネブカドネザルの心をなだめ、見事に王の夢を説いた預言者ダニエルの物語は、旧約ダニエル書2参照)と同じようにしました。ベアトリーチェは言ったのです。「あなたの二つの願いの間で引き裂かれるようで、物が言えなくなってしまっているのが分かります。あなたはこんな風に思っているのでしょう。つまり、”誓いを果たそうという意志が変わらなければ、例え他人の暴虐にあってその志を全うできなくても、その人の罪ではないのではないだろうか?”と。プラトンの説くように(ダンテがラテン大意訳を媒介として知っていた唯一のプラトンの著作、『ティーマイオス』の41、42に、「宇宙の創造者は銘々の魂をそれぞれの星に割り当て、時間の器に播く。定められた時間を大過なく生きた者は、その故郷である星に帰り、爾後彼に適した至福の生活を続ける」という意味のことが述べられている。プラトンのこの説に強く心惹かれた初期キリスト教神学者もあったが、すべての魂は肉の誕生に際し、神がこれを作ると決定した540年のコンスタンティノポリス宗教会議以後、キリスト教会では信奉者を失った)、死後、魂はそれぞれの星に帰る(天国第三曲で、ピッカルダが、他の至福者たちと共に、運行の最も遅い天球である月に置かれて至福を受けていると語ったことを指す)ということが、あなたの心を惑わしているのでしょう。あなたの心には、これら二つの疑問が同じようにのしかかっているのです。私が、キリスト教の信仰に反する方から解き明かしましょう。セラフィム(諸天使中最も高貴な者。イザヤ書6の2参照)のうち、最も神に近い者、またはモーゼ、サムエル(イスラエルの最後の士師でまた最初の預言者。初期イスラエルの歴史でモーセに継ぐ偉人とされる。その伝記は、数種の資料を未整理のまま混在させたので一貫性を欠くが、サムエル記上1-16に詳しい)、洗者ヨハネ、福音書記者ヨハネ、聖母マリア(人間として最高の位階にある)も、あなたがここで見た魂たちと別の天にいるのではなく、皆、至高天にいて、福の程度は異なるけれど、天に永遠に存在することは同じです。神からいただく恩寵にその程度の差があるのは、受ける側の力量によって異なるのです。ここにいる魂たちは、この天球が割り当てられたからここにいるというのではなく、恩寵の程度が少ないということの印なのです。あなた達は、感覚で理解して、それから概念とするので、私はこのように具体的に話をしているのです。同じ理由から、聖書は、あなた方が分かるように、神に手と足をつけて(歴代志下の30の12に、「ユダに神の御手が働いて」、イザヤ書66の1に「地はわが足台」などとあるのは、霊的な意味で手や足と言ったまでである。トマス・アクィナスの『神学大全』1にその全般的な解説がある)わかりやすくしているのです。聖なる教会(聖書の実践者としての)はガブリエル(天使の長。ヘブライ語で「神の人」の意味。旧約ではダニエルの幻を解くために、新約ではザカリアに洗者ヨハネの誕生を、また、マリアにイエス・キリストの誕生を告げるために現れる)にも、ミカエル(大天使の一人。旧約ではイスラエル民族の守護天使、新約では反逆天使の魔軍と戦った天使軍の長。地獄第七曲参照)にも、ラファエル(旧約外典トビト記1の1-15に出ている物語。トビト父子に現れて、父の盲目を癒し、子の遭難を救った大天使)にも、人間の形で現します。ティーマイオス(前5-前4世紀頃のギリシアの哲学者で、南イタリアのロクリスの生まれ。ピュタゴラス派に属し、プラトンと交友があった)が、天国の魂について言うことを、言葉通り受け取ると、私たちがここで経験する真実と矛盾します。ティーマイオスは、魂が、自然によって肉体という形を与えられた時、魂が帰る星からその魂が引き離されると考えています。でも、ティーマイオスの言葉は、言葉通り受け取るのは恐らく間違いで、尊敬に値する主張があるのかも知れません。もしティーマイオスが、それぞれの天球に対する影響の、誉れも咎めも、それぞれの天球に立ち返るということを意味するのなら(煉獄第十六曲で、ロンバルディアのマルコが、天は人間の志向を始動させると語った時、彼はティーマイオスの影響を伝えている。天国第二十二曲で、ダンテは、おのれの才能のすべてを栄光の双子座に帰しているが、これらを見るにつけても、中世を通じ、アリストテレスとは別に、プラトンの思想の深い影響が感じられる)、彼の矢は真実を射止めるでしょう。この道理(プラトンの唱道した人間への星への影響説)は、誤解されて、ゼウス、ヘルメス、軍神マルスと星に名前を付けて、世界をゆがめました。あなたの心をいまだに不安にするもう一つの疑問は、キリスト教の信仰にあまり反しません。なぜならその邪悪なところは、あなたを本当の信仰から引き離すことができないからです。神の正義が、人間の目に不正と見えるのは、信仰の証し(神の正義がなぜ人間に不正と映るかを突き詰めることによって、人間は神とおのれとのかけ離れていることを悟り、信仰へと導かれていく。ローマ人への手紙11の33に「ああ、神の富と知恵と知識の何と深いことか。誰が、神の定めを極め尽くし、神の道を理解し尽くせよう。」とある)であり、邪悪な異端とは関係ありません。しかし、あなた達が自分の力でこの真実を簡単に理解できるので、あなたの望み通り、私は説明しましょう。もし、暴力を受けた人が、その暴力の原因となることをしていないのなら、その人はそのことに関して弁解できません。なぜなら意志は、望まなければ、弱められません。それは、千回消されそうになっても消えない炎における自然の力と同じです。少しでも、悪事をはたらこうとした意志は、悪事をはたらいたことになります。なぜなら、ピッカルダとコンスタンツェの魂は修道院に帰ろうと思えば帰れたからです。彼女たちの魂の意志がくじけなくて、鉄の串に刺された聖ラウレンティス(スペインに生まれ、ローマ教会の助祭をしていたが、258年、ローマ皇帝ウァレリアヌスの迫害に遭い、殉死した。伝説によると、彼は教皇シクストゥス二世(在位257-258)から保管を委託されていたローマ教会の宝物を差し出せとのローマ行政官の厳命に対し、三日間の猶予を頼んだ。期限が切れ、彼が「これこそキリストの教会の宝物です」との言葉を添えて行政官に提出したのは、彼が救って恵んだ病人や貧民のすべてであった。行政官は大いに怒り、宝物の隠匿所を自白させるため拷問の手段に訴えた。しかしどんな拷問も無効であり、ついにバーベキューに似せた仕掛けの鉄の串に刺し、彼を丸焼きにした。その刑の途中、彼は執行人に対し、背中も腹も均等に焼けるよう、良く体を回してくれと命じたという)の意志や、残酷なことに火の中に自分の手を入れたムキウス(前六世紀末の古代ローマの市民、ガイユス・ムキウス・スカエウォラ。伝説によれば、前508年頃、クルシウムの王ラルス・ポルセナがローマを攻囲した時、彼は王を殺す目的で敵の陣営に紛れ込んだ。しかし誤って王ではなく王の秘書を刺殺し、捕らえられる。王はムキウスの焚殺を命じ、既に犠牲のため点火されていた火中にその右手を投じさせた。ムキウスはいささかもひるまず、自分の右手の焼けただれるのを平然と眺めていた。王はその剛毅に感嘆し、ムキウスを釈放したが、その返礼に、ムキウスは王に告げて言った、ローマには王の生命を奪うと誓った若い貴族が三百人あり、自分はたまたま第一番のくじに当たったに過ぎない、この後続々と王をねらう刺客が現れるであろう、と。王はローマ人の決意に驚き、和を結び、囲みを解いて去った。このことがあって、ムキウスはスカエウォラ(左手、の意味)を呼称の一つに加えた。ダンテは『饗宴』4の5の13でムキウスの事蹟に触れ、『帝政論』2の5の14では、リウィウスの『ローマ建国史』2の12の1-16がムキウス事蹟の典拠だと述べている)のようであれば、その意志は、彼女たちが自由の身となるが早いか、無理に引き離されていた道へ、再び彼女たちをいそいそ立ち返らせたでしょうに。でもこのように固い意志はほとんど見ることができず、ピッカルダとコンスタンツェの意志もそれほど固くありませんでした。あなたが私の言葉をちゃんと理解していれば、あなたの心を悩ませていた疑問は消滅したことが分かるでしょう。でも、今度は、あなたの目の前に、渡らないといけない新しい道が立ちふさがっています。あなた自身で越えようとすると、あなたはクタクタになってしまいます。これらの魂は、神の御前に常にいるので、これらの魂は、嘘をつくことがないということを、私はあなたに信じるよう導きました。でも、その後で、あなたはピッカルダが、コンスタンツェが修道生活への思いが変わっていないということを言ったのを聞きました。このことは、私の言葉と矛盾するように見えるに違いありません。私の兄弟よ、しばしば、人は、危険を避けるために、意志に反して、行われるべきでなかったことを行うことがあります。アルクマイオン(煉獄第十二曲参照)が、父の祈りで、母を殺したのも例の一つです。孝行をしようとして親不孝になってしまったのです。このようなことが起こったとき、相対の意志と暴力は混ざってしまい、許されざる罪に結びつくということが、あなたにはお分かりでしょう。絶対の意志は悪に結びつくことがないですが、相対の意志は、悪と結びつくことがあります。つまり、もし悪に結びつかずに抵抗すれば、さらに大きな災いに陥るかも知れないと恐れて悪と結びつくのです。ですから、ピッカルダが説明するのは、絶対の意志です。私が言っているのは、もう一つの、相対の意志で、私たち二人の言っていることは共に真実なのです。」真理の泉(神)から湧き出る聖なる流れ(ベアトリーチェ)によって、私の疑問は二つとも安らかに静まりました。そして私は言いました。「神に愛される聖なる淑女、ベアトリーチェ、あなたの言葉によって私は暖められ、再び生気がみなぎってきました。あなたの仁慈深さに感謝するには、私の愛は浅いですが、あなたの仁慈深さに神の報いがありますように。神を越えるところには何の真理もない、その神の光を受けなければ、人の心は満足しないということが分かりました。その神の光を人の心が受け取ると、住処の洞穴にいる野獣のように、安らぎます。そして、人の心は、神の光を受け取れなければ、すべての望みは無駄です! ですから、真理の根元から、若芽のように、私たちの疑問は生まれるのです。峰から峰へと私たちを促し頂きに到らしめるのは(神を知り、神を愛そうとする人間本有の欲求)、自然の力です。ベアトリーチェよ、私が言ったことによって、畏敬の念を持って、私がよく分からないもう一つの真理について訊ねる勇気が出てきました。誓いを破った人が、あなた達(神に仕えてエンピレオに常住する至福者たち)の秤でずっしり沈むほどの善行によって償われることは可能でしょうか?」するとベアトリーチェは私を見ました。彼女の目は愛に輝き、神々しく燃えていました。私の視力はこれに耐えられず、目をそらし、気を失いました。(2005年10月11日)(2005年12月23日更新)

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第五曲
ベアトリーチェは次のように話して、この第五曲を始めました。「神の愛の暖かさの中で現世では見られない光によって輝く私を見て、私があなたの視力に打ち勝っても、驚かないでください。なぜなら、この輝きは、見れば見るほど至上善へ到ろうと突き進む、私の完全な視力から発するものだからです。一度見られれば、常に愛(愛は意志の作動)を輝かす永遠の光(絶対の真理、神の光)が、あなたの心に既に光っているのが分かります。そして、他のことがあなた達の愛を誘惑するのであれば、その光の残光がその物を通過して輝いたのを見間違ったということに過ぎません。あなたは、誓いが破られると、神の正義に対して自分のために弁論しなくてもいいように、魂が償うことができるかどうか、知りたいのでしょう。恵み豊かな神が、創造の時与えてくださった、神の徳に適い、神が最も大切だと考えられた贈り物は、自由意志です。知恵のある被造物だけが、創造の昔から今に至るまで、受けています。ですから、自ら約束して、神に誓った誓いはどんなに神聖なものか、お分かりでしょう。神と人が契約を結ぶとき、私がお話ししたこの宝物である自由意志は、その自由意志の意志によって、献げ物となります。では、何が償いになると思いますか? 既に献げた物を使うことができますか? 盗んだ物で善行は行えません。今までのところで、大事なポイント(誓約そのものは、いかなる善行によっても贖えないこと)は、分かったでしょう。でも、教会が誓約を特赦することがあるので、それは、私の話した真実と矛盾するように見えるでしょう。あなたはまだしばらく食卓(知恵の獲得を食事・消化に例えるのは、ダンテの書題『饗宴』も示すように、クセノポンやプラトン以来の伝統)についていなければなりません。なぜなら、あなたが食べる食べ物は、固く、消化するには時間がかかるからです。私があなたの前に繰り広げるものに心を開いて、それを心にしまってください。なぜなら、理解しても、覚えていなければ、本物の知識とはならないからです。誓約の要素は二つあり、一つは誓約の対象、もう一つはその形式(自由意志を犠牲としての)です。後者は達成されることを除けば、無効にされることはありません。このことは私が今まで言ってきたことです。ですから、ユダヤ人(レビ記27参照)は献げ物をしなければなりません。でも、あなたもご存じの通り、ユダヤ人は献げ物を他の物に変えることはできます。前者の、誓約の対象は、他の物と変えても、過ちとはなりません。しかし、教会の許可無くしては、自分で誓約の内容を取り替えることは許されません。取り替えるとき、新しく取り替えた物に、簡単に、古い物がすっぽり入れられるのでなければ、どんな取り替えも無駄となります。しかし、価値が高く、これに相当する代用品がないときは、どんな善行をもっても取り替えることはできません(これらの詩句が、神から人間に与えられた最も高貴な賜り物である自由意志を犠牲として献げた宗教的な誓願の主、ピッカルダとコンスタンツェを対象にしているのは明白。では、この二人は、教会の特赦によって誓願の成就を免除されたであろうか。彼らは今至福者の仲間となっているから、臨終の悔い改めと神の恩寵によって免除の実現したことを想起させる。それを知る手がかりの一つは、煉獄第三曲のコンスタンツェの孫マンフレディの「望みが一点の緑を残す限りは」の発言)。簡単に誓いを立ててはいけません。誓ったら実行しなければなりません! でも、エフタ(前十二世紀イスラエルの士師となったギレアデの勇士。その事蹟は士師記11にある。士師記11の30-31、34「エフタは主に誓いを立てていった。「もしあなたがアンモン人を私の手に渡してくださるのなら、私がアンモンとの戦いから無事に帰るとき、私の家の戸口から私を迎えに出てくるものを主の物と致します。・・・・・・エフタがミツパにある自分の家に帰ったとき、自分の娘が鼓を打ち鳴らし、踊りながら迎えに出てきた。彼女は一人娘で、彼に他に息子も娘もいなかった。」)の最初の供物のように、軽々しく誓いを立ててはいけません。彼は誓いを貫き通して非道(自分の娘を殺した)を行うよりは、”私の誓いは間違いでした”と言うべきでした。同じような愚かしさは、ギリシア人の大将(トロイア遠征にギリシア軍の総師となった王アガメムノン。女神アルテミスの神苑の鹿一頭を殺したかどで、アガメムノンは女神の怒りに触れ、ギリシア軍側は疫病を蔓延させ、海上は無風状態となり、アウリスに集結した海軍もトロイアへ船を進めることができない。女神の怒りをなだめるために、アガメムノンは預言者カルカスの忠告に従い、鹿を殺した年度に領内で生まれた最も美しいものを女神に献げると誓約した。その最も美しいものが、たまたまアガメムノンの娘イピゲネイアでであった。『変身譜』(12の24-34)は、犠牲となるこの美しい娘を憐れみ、女神は式典の最中、雲を起こして参衆の目をくらまし、イピゲネイアを救い、代わりに牡鹿を殺したと伝えているが、ダンテは、「王はこのようにも恐ろしい我が子殺しの罪を犯すよりも、むしろ誓いを破るべきであった。約束も時として守らないのを良いとする」と記しているキケロの『義務論』(3の25の95)を念頭において綴ったと思われる)についても言えるでしょう。イピギネイアはその美しさゆえに泣き(士師記11の38に、エフタの娘が死に先立ち「山々で、処女のままであることを泣き悲しんだ」とあるのをダンテはイピゲネイアに転用した)、その神事を聞いた賢者も愚者も泣くことになりました。キリスト教徒達よ、急いで誓約を立てようとしてはいけません。風に舞う羽根のように軽々しくてはいけません。また、誓いさえ立てれば犯した罪は浄められ、救いが得られると考えて自己を欺いてはいけません! あなた達には導き手である旧訳聖書と新約聖書があります(旧約伝道の書5の3-4「神に願をかけたら、誓いを果たすのを遅らせてはならない。愚か者は神に喜ばれない。願をかけたら、誓いを果たせ。願をかけておきながら誓いを果たさないなら、願をかけない方がよい」、新約マタイによる福音書5の34-36「しかし私は言っておく。一切誓いを立ててはならない。天にかけて誓ってはならない。そこは神の玉座である。地にかけて誓ってはならない。そこは神の足台である。エルサレムにかけて誓ってはならない。そこは大王の都である。」)。あなた方には教会の羊飼いである教皇がいます。あなた達の魂を救うには、これで十分でしょう。邪悪な強欲があなた達をそそのかしても、人でありなさい、愚かな羊となってはいけません。あなた方の中のユダヤ人からあざけられて後ろ指をさされないために! 聖書の教えや教会の導きを離れてはいけません!」私が書いた通り、このようにベアトリーチェは話しました。そして、神の座である至高天(エンピレオ)へ、慕わしい目を向けました。ベアトリーチェは黙って、高く昇るにつれてますます美しくなっていく姿を示して、また新たな疑問が湧いてきた私の心を黙らせました。弦がまだ鳴りやまないうちに的を射る矢のように、私たちは第二の天、水星天に到りました。そこで、新しい天の輝きを受けて、ベアトリーチェが大喜びして、惑星は、その輝きを増したのを私は見ました。水星が変化して、微笑んでいるようになると、自然に私の中で変化が起こり、どうなったか想像してみてください。清らかで波のない池に、何かが放り投げられると、魚は、それが餌であると思い、おびき寄せられます。ちょうどそれと同じように、ここでは、私たちの方に向かって動いてくる千もの輝き(世の栄誉を求めた人々の魂)を見て、私は、それぞれが「見てください、私たちの愛を増やす者(求知心から来る疑問に包まれている生者ダンテに、彼らの愛の光明を与えようとこれらの魂は張り切っている。天国では、愛の光被を受ける魂が多くなればなるほど、愛そのものも増す原理を、ダンテは煉獄第十五曲で聞いている)を」と叫んでいるように聞こえました。そして、その魂たちが私たちの方へ近づいてくると、それぞれの魂が放つ清らかな光の中で、皆喜んでいるのが見えました。読者よ、想像してみてください。これから起こることを書かないで、ここで、私が書くのをやめてしまったら、読者の皆さんは、残りのことをとても知りたく思うでしょう。彼らが現れるとすぐに、私が、彼らが自分のことについて話をするのを聞きたいと、どんなに願ったか、読者の皆さんにはお分かりいただけるでしょう。一人の聖なる魂が話しました。「ああ、祝福されて生まれた魂よ、神の恩恵を受けて、地上の戦い(ヨブ記7の1「この地上に生きる人間は兵役にあるようなもの。」とある。選ばれた魂たちの至福の境涯である「勝利」と対する)を終える前に永遠の勝利の王座を見る者よ、天を光らせる神の光(愛)は、私たちを輝かせます。ですから、お望みなら、私たちの境涯について、残るところ無く啓発されるといいでしょう。」するとベアトリーチェが、私に、話をするようにと、言いました。「お話しなさい。恐れることはありません。彼らが神々であるかのように、信じなさい!」私は、始めに話しかけてきた輝きに向かって言いました。「あなたが微笑むときにキラキラと輝く目を見ると、あなたが自らの光の中にいて、目から光がこぼれているということが分かります。でも、私は知らないのです、ああ、徳のある魂よ、あなたはどなたでしょう? そして、どうして、太陽の光(ダンテは、『饗宴』2の13の11で、水星は太陽に最も近く、その光に覆われることが最も多いという)に覆われて、人間に見えない水星の恩恵を受けるのでしょう?」するとその光は前よりも一層輝きました。その輝きを増した光が、濃い水蒸気の間を押し開くようにしたとき、ものすごい光の中に我が身を隠す太陽のように、喜びに満たされ、その聖なる姿は、自らの光の中に隠したまま全身光となって、私に答えました。それは、次の第六曲に歌われます。(2005年10月13日)(2005年12月23日更新)

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第六曲
「コンスタンティヌス一世(地獄第十九曲参照)が、ラヴィーナ(ラティウスの王ラティヌスの娘、地獄第四曲参照)と結婚した兵士(アエネアス)に従っていたローマ帝国に、天の運行と逆に進ませた(アエネアスが東のトロイアから西のイタリアへ移ったのは天の運行の順路。コンスタンティヌス一世が帝国の都を西のローマから東のビザンティウムに移したのはその逆)時から、二百年あまり(ブルネット・ラディーニの『宝庫』に従えば、ローマ帝国の西から東への遷都は333年、ユスティニアヌス一世の即位は539年なので、その間206年となる)、この神のローマ帝国はトロイアに近い、ヨーロッパの端(コンスタンティノポリス、現在のイスタンブール)にいました。そこで、ローマ帝国は世界を治めました。皇帝の手から、また皇帝の手へと移り、私(ユスティニアヌス一世)の手に舞い降りました。皇帝であった私は、ユスティニアヌス一世(大帝と呼ばれるユスティニアヌス一世(483-565)の、コンスタンティノポリスにおける在位は527-565。部下の将軍ベリサリウス(505頃ー565)をしてアフリカに遠征(533-534)させ、ヴァンダル族の王国を破滅、また536年以来、対ゴート戦の総指揮に当たらせ、ゴートの勢力をイタリアから一層させた。しかし帝の最大の業績は、法学者トリボニアヌスの協力を得て、『ローマ法大全』を編修し、後世の法思想に深い影響を与えた点に求められる。煉獄第六曲参照)となり、神の愛の御意志のまま、法から余分の物と恥となる物を取り除きました。この仕事に就く前の私は、キリストは一つの神性しか持っていなくて、人性は持っていないと思っていました。そして、私は、この考えが正しいと思っていました。しかし、大司祭のアガペトゥス一世(535年から536年まで教皇。彼がキリストに神と人と二つの本性があるという正統説をユスティニアヌスに受け入れさせたとする見方は、ブルネット・ラティーニの『宝庫』1の87の5に基づく)は、私を教え導き、本当の信仰へ導きました。私は彼の説を理解していませんでしたが信じました。でも、今は、彼の信仰が良く理解できました。あなたもお分かりの通り、真実でありかつ間違いである矛盾がよく分かるのです。そして、私が聖なる教会と歩みを合わせると(教会の教義と同じ説をとるようにして、キリストの両性を信じると)、神は、私が自分に課した仕事(『ローマ法大全』編修の作業)に取り組むよう励ましてくださいました。私は武器を将軍ベリサリウスに預けました。すると神はベリサリウスに右手(賛意)を差し出しました。私は戦争から離れているべきだという印だと思いました。これで、あなたの初めの質問に答えたことになります。でも、もう少し付け加えなければなりません。理不尽にも、それを求める者(ギベリーニ党)も、それを軽蔑する者(グエルフィ党)も、聖なる規範に反対したことがあなたによく分かるように。パラス(エウアンドロソスの子。ローマ神話では、テーヴェレ河畔に町を建て、ローマの基礎を築いたとされる)がローマ帝国に初めの王権を与えて死んだときから、ローマ帝国の英雄の武徳により、ローマ帝国が神聖なものとなったかを、考えてみてください。三百年以上もの間、それはアルバにとどまり、結局、三人が三人と、自分の物にしようと戦ったこと(アエネアスの王国は、テーヴェレ河畔の七つの丘の上ではなく、ラウィニウムに都を作ったが、子孫のアスカニオスは、三十年後に、都をローマの南東アルバノ湖付近のアルバ・ロンガに移し、治世三百有余年。トゥルス・ホスティリウス(前670-前638)の時代に、アルバのクリアティウス家出身の三勇士が、ローマのホラティウス家出身の三勇士と戦って敗れ、アルバはローマの主権に屈したという)はご存じでしょう。隣の国を支配しようと、七人の王が、サビーニの女の略奪から、ルクレティアの悲しみまで、どんなことが行われたか(アルバから追放されていたロムルスは、ローマの七つの丘の一つパラティヌスに避難所を建て、命知らずの無法者を集め、祭礼競技に参加したサビーニの娘達を強奪して彼らの妻とした。このようにしてロムルスとその跡を継ぐ六人の王の時代に、ローマは付近の部族を攻略して大きくなっていったが、最後の王タルクイニウスの王子セクストゥスが、コラティヌスの美貌で貞淑な妻ルクレティアを陵辱し、夫に復讐を求めてその自害すると、ついにロムルスの始めた王国は、前510年潰滅するに到る。ルクレティアの名前は地獄第四曲にある)、あなたはご存じでしょう。ローマ帝国が、傑出したローマ人によって支えられると、ブレンヌス(ガリア人の首長。前390年、アペニン山脈を越えてローマを急撃し、囲むこと六ヶ月、しかしカピトリヌス丘を略取し得ず、代償として黄金を受け取り北に帰ったという)に対して、ピルロス(ギリシアのエピロスの王(前318-前272頃)。ダンテはこの王を地獄第七圏に入れている。地獄第十二曲参照)に対して、また多くの王子や同盟の君主らに対してどんなことを行ったか、あなたはご存じでしょう。トルクアトゥス(都督を二回、執政官を三回つとめた前四世紀のローマの名将、ティトゥス・マンリウス・トルクアトゥス。その事蹟は、リウィウスの『ローマ建国史』7の10、および8の6-7に伝えられている)、「乱れた頭髪」という渾名が付いているキンキンナトゥス(古代ローマ共和国の英雄、ルキウス・クィンティウス・キンキンナトゥス。ローマ的節約と廉直の鑑と目された。口碑によれば、テーヴェレ河畔の自分の田畑で農事に従っていたところ、前458年、アエクイ人と苦戦中のローマ軍を救うため、スキを捨てて都督になるよう要請され、農夫姿の「乱れた頭髪」(キンキンヌス)のまま任に就き、十六日間で敵を降すと、直ちにまた農耕の生活に帰ったという。ダンテの典拠は、リウィウスの『ローマ建国史』3の26、オロシウスの『世界史』2の12の7-8など。なお、キンキンナトゥスは天国第十五曲に再登場)、デーチ家(ローマの名家。プブリウス・デキウス・ムスの同名を持つ父・子・孫の三代に渡り祖国のために生命を献げた。ダンテは『饗宴』4の5の14で彼らの壮烈な死を称えている)と、ファービ家(遠祖はヘラクレースおよびアルカディアのエウアンドロスだと称した古代ローマの名門貴族で、優れた人物を輩出した)の者たちは皆、私が名誉に思う勝利を得ました。ハンニバル(第二ポエニ戦争(前218-前201)中、ローマの同盟市サグントゥムを陥れたカルタゴの名将ハンニバルは、六万の精鋭と多くの戦象を率いてスペインから進発、アルプスの険を越え、ポー川の水上に当たるイタリアに侵入、最初は連戦連勝の勢いであったが、やがてローマの鷲のため苦境に立たされるに到ったことへの言及)に従って、ポー川の源であるアルプスを越えたアラビア人(カルタゴ人のこと。古代のアフリカで最も繁栄したカルタゴは、698年イスラム教徒の進入を受け、跡形もなく消滅し、ダンテの時代には、アラブ人が人口の大半を占めていた)の誇りをくじいたのもローマ帝国です。ローマ帝国のもと、若いときのスキピオ(古代ローマの英雄中、ほとんど神格化されたプブリウス・コルエンリウス・スキピオ(前236-前184)。大アフリカヌスと称せられる。地獄第三十一曲参照)とポンペイユス(ローマ共和政末期の政治家・将軍、大ポンペイユス(前106-前48)。前70年、富豪クラッススと共に執政官、前59年には平民党のユリウス・カエサルおよびクラッススと共に、三頭政治最初の執政官となり、カエサルの娘ユーリアと結婚、前55年にはクラッススと共に再度執政官となる。この間カエサルの力が強大となり、主権争奪戦は必至と見られた。前49年に内乱勃発、翌年、テッサリアのパルサルスの戦いでカエサルに完敗し、エジプトに逃れたものの、同地で国王プトレマイオス十二世の配下に暗殺された。妻ユーリアの名前は地獄第四曲に既出)は、戦いに勝ち、麓であなたが生まれたフィエゾレの丘(ダンテの生まれたフィレンツェの北東約六キロの丘の上にあった往古エトルリア十二市の一つ。ローマ人の攻略に遭う)に対して、怒りを表しました。そして、キリストの降誕に近い頃、ローマの民および、議会の意見に従って、ユリウス・カエサル(ローマ最大の武人・政治家、ガイユス・ユリウス・カエサル(前100-前44)。ダンテは彼をトロイアの武将ヘクトルやアエネアスと共に辺獄(リンボ)へ入れ、彼の暗殺に加担したブルータスとカシウスをユダと共に地獄の最底部へ落とした。史実と違うが、ローマ教皇の初代と、常にダンテがカエサルを見ているのは、中世の誤った通説にしたがったもの)はローマを手にいれました。ヴァーロからレーノ(ガリア征服の大業(前58-前52)への言及。ヴァーロはニースの南西数キロの地点で地中海に注ぐ南フランスのヴァルア川、往古は、ガリアとイタリアの境界。レーノは、往古、ローマ帝国の境界のライン川)に渡ってローマの成したことを、イゼール川(フランスの南東を流れ、ヴァランスの北方六キロの地点でローヌ川に合し、末はリヨン湾に注ぐイゼール川)も、ロアール川(フランスの中部を西に流れ、ビスケー湾に注ぐロアール川)も、セーヌ川(パリを貫通しイギリス海峡に注ぐセーヌ川)も、ローヌ川(源をアルプスに発し、マルセイユの西数キロの地点でリヨン湾に注ぐフランス屈指の大河、ローヌ)流域の谷も、見てきました。ラヴェンナを出て、ルビコン川を渡った後、ローマ帝国の成したことはとても早かったので、言葉で話をするのもペンで書き記すこともできないほどです(前49年1月7日、元老員会議が任地における軍隊の解散をカエサルに求めたとき、彼はこれに応じず、「賽は投げられた」の有名な言葉と共に、ルビコン川を渡り、内乱の端緒となったカエサルの行動を叙したもの)。ローマ帝国は、その軍隊をスペインに向かわせると、ディラッキウムを攻撃し、それから、パルサルスをひどく攻撃し、それによって水の熱いナイル川も嘆きました(前49年、内乱が平定すると、カエサルはまずスペインに赴いてポンペイユスの強力な残党を滅ぼし(煉獄第十八曲参照)、翌年、エピルスに渡り、ディラッキウムでポンペイユスを包囲したが失敗、改めてテッサリアのパルサルスで、敵軍を大破した。ポンペイユスは逃れてエジプトに渡り、そこで暗殺される。ポンペイユスを追ってエジプトに赴いたカエサルは、国王の姉クレオパトラの容色に迷い、王家の内紛に干渉、アレクサンドレイア市民との困難な闘いの後、前47年、クレオパトラを同国王と定めた。「それによって水の熱いナイル川も嘆く」とはこれら一連の出来事をさす)。発祥の地アンタンドロスとシメオンタに再び赴き、ヘクトルの墓に詣で、またローマ帝国は戦いを始め、プトレマイオスを死に追いやりました(ルカヌスの『パルサリア』によれば、前47年、カエサルはヘレスポントス海峡を渡って、小アジアに入り、トロイアの故知を踏んだ。また『アエネイス』3の5-6によれば、ローマ帝国がアエネアスと共に行動を開始したのは、トロイアのシメオンタ川に近い町、アンタンドロスからであったと言われる。カエサルは、トロイアの代表的英雄ヘクトルの墓に詣でた後、再びエジプトにおもむき、クレオパトラの領地を承認し、前王プトレマイオスを溺死に追い込んだ。この辺りのダンテの記述は必ずしも史実の時間的順序に従っていない)。次には、雷のように素早く、ユバ一世を攻撃し、それからまた攻撃を西に向けスペインへ行き、ポンペイユスを襲いました(当時、ローマの属国ではあったが王位の使用を認められていた北アフリカのヌミディアの国王ユバ一世は、ローマ共和国の内乱に際し、ポンペイユスに与したので、前46年、カエサルの痛撃を受け、ユバは退位、ヌミディアは以後ローマの一州となる。そのポンペイユスの二子が、スペインのムンダで兵を挙げていたので、カエサルはスペインに赴き、前45年の冬、これを平定、天下はカエサルのものとなった)。ローマ帝国がアウグストゥス(叔父に当たるカエサルが暗殺された後、その遺言により、後継者となったローマ帝政初代の皇帝、ガイユス・ユリウス・カエサル・アクタウィアヌス(前63-五14))にさせたことについては、ブルータスとカエサルが地獄で叫んでいる通りです(ブルータスはカエサルを刺殺後、東方に去り、マケドニアを手中に収め、カッシウスと組んで、アウグストゥスおよびアントニウスを敵とし、前42年、フィリッピで二度の軍を起こす。前の戦いでカッシウスは敗れ、生き残ることを潔しとせず、部下の兵に命じて生命を絶たせた。ブルータスも後の戦いで敗れ、自殺する)。また、モデナ(北イタリア、パルマとボローニャの中間にある都市。その近傍の戦いで、前43年、アウグストゥスはマルクス・アントニウスを破った)や、ペルージャ(アッシジの北西、約二十五キロの地点にある北ウンブリアの都市。前41年、マルクス・アントニウスの兄弟ルキウス・アントニウスが、アウグストゥスに対して反乱の旗をここで挙げ、飢えのため降伏、全市灰燼に帰した)の嘆きも、ローマ帝国のせいです。ローマ帝国のために泣くのは、クレオパトラ(クレオパトラは、カエサルの死後、マルクス・アントニウスの情婦となり、前31年、アクティウスも海戦にも行を共にした。戦いの半ば、クレオパトラは艦隊と共に戦場を去り、時刻に帰ったが、敗れてその後を追ったアントニウスは、クレオパトラの自殺との虚報を信じ、アレクサンドレイアで自殺した。クレオパトラはさらにアウグストゥスを籠絡しようと試みて失敗、身を毒蛇に噛ませて死んだ)です。クレオパトラはローマ帝国から逃げ、結局黒い毒蛇に胸を噛ませて死にました。アウグストゥスと共に、ローマ帝国は、紅海の岸(エジプトの境域)へ進み、ヤヌス(ローマ神話のヤヌス。扉の守護神。その神殿には東と西に二つの門があり、門扉、戦時には守護神出陣のゆえを持って開かれ、平和時には閉ざす)の神殿の扉が閉ざされるような、平和を世界にもたらしました(このようにしてアウグストゥスは名実共にローマ帝国の支配者となり、全土、平和を謳歌した)。しかし、第三の皇帝(アウグストゥスの養子となり、56才で即位したローマ皇帝ティベリウス・クラウディウス・ネロ(前42-後37)。これを「第三の皇帝」と言うのは、ユリウス・カエサルをダンテが第一の皇帝と見なした誤解による、この一連でユスティニアヌスの口を借りてダンテが語っているのは、この帝の治下に、アダムの原罪がキリストの十字架上の死によって復讐されるという前代未聞の大業について)の手の内でのローマ帝国の働きを、もし私たちが、澄んだ目と清らかな心で持って見るのなら、私にものをいわせるそのローマ帝国は、全王土に渡って、かつてしたことや、これからするであろうことも、ぼやけて小さく見えるでしょう。なぜなら、神が、ティベリウス(キリストを裁いたのはユダヤ人の王ヘロデスではなく、ティベリウスが任命した総督ピラトであった。つまりピラトはティベリウスにほかならない)にその怒りの復讐の栄誉(キリストの磔刑)を与えられたからです。これに付け加えること(キリストの磔刑は、人類の原罪を贖うための神慮から出るので、非難できないとする被告(ユダヤ人)の想定論述に対し、だからといって無限罪の人を磔刑に処したユダヤ人の罪は処刑をまぬがれないという原告陳述が想定されることあたりは、ローマ法の用語が意識的に採択されている)に驚いてください。その後、ティトゥス(79-81年の間ローマ皇帝の位にあったティトゥス。そのイエルサレム攻略がキリストの磔刑への復讐であったとする見解は、煉獄第二十一曲参照)と共に、昔の罪に対して復讐しようと、ローマ帝国は進みました。デシデリウス(ランゴバルド族最後の王デシデリウス(在位756-774)。即位後、教皇と争い、773年、教皇ハドリアヌス一世は救いをカール大帝に求めた)の歯が聖なる教会に噛みついたとき、ローマ帝国を掩護としてカール大帝(フランク族の王カール大帝(742-814))は教会を守りました。私が先ほど糾弾した人々(ギベリーニ党とグエルフィ党)について、そして、あなた達の災いの原因である彼らの罪について、あなたは判断を下せます。グエルフィ党は、シャルル一世をローマ帝国に刃向かわせ(フランス王ルイ八世の第七子で、ナポリ・シチリア王であったアンジューのシャルル一世を押し立て、ローマ帝国の皇統に刃向かわせるグエルフィ党)、ギベリーニ党はローマ帝国を自分たちのものと見なしています(前ローマ帝国のものである鷲を、自分の旗印として私利私欲をはかるギベリーニ党)。誰もどちらが悪いか分かりません。ギベリーニ党は他の国のもとで見て見ぬふりをすればいいのです。正義をローマ帝国から引き離すもの(ギベリーニ党)に、ついてこさせることなどできません! シャルル二世(アンジューのシャルル一世の子、ナポリ王シャルル二世。煉獄第二十曲参照)にはグエルフィ党(私は書いていますが、本当は、神曲全篇中、グエルフィの名前が出るのはここだけ)を信じて、ローマ帝国を打ち負かそうなどと考えない方がいいのです! もっと強いライオン達(シャルル二世などよりはるかに強力な過ぎし世の君主達)の皮をむしったその爪(ローマ帝国の威力)を恐れさせるがいいのです。子供が、父親の罪のために泣いたことは多いです(天国第八曲に現れるシャルル二世の長子、カルロ・マルテルの不幸な生涯もその事例)。シャルル二世は、神が、ローマ帝国にフランス王家が勝たせてくれるなどと思わせないでください(正しい意味での、「ローマ治世下の平和」の象徴として、神の定めた鷲の紋所が廃れそれが神の意志により百合の紋所(フランス王家の威力)に変えるなどという虫の良い考え)。水星は、永遠の名声を望むことによって駆り立てられたよい魂たちによって美しいのです。地上の名聞に心惹かれ、神の誠の愛からそれるのは、天からの光が減るのは当然です。私たちを喜ばせる報酬と徳の間のバランスが完璧であるのは、互いに釣り合いが取れているためです。神の本当の正義は、このように、私たちの気持ちを甘美な物としてくれるので、私たちの意志がゆがんだり、嫉妬に向かう恐れはありません。様々な声は、甘美な音色を生みますが、それと同じように、この天国では様々な天球の間に、うるわしい音色を生みます。この水星では、すばらしく高貴な行いが、下界では不当な報いしか受けませんでしたが、そのロメオ(プロヴァンス伯レイモン・ベランジェ四世の執事ロミュー・ド・ヴィルヌーヴ(1170頃-1250)。ロメオという名詞には、ローマへの巡礼者、あるいは広く巡礼者の意味があり、ここでダンテがユスティニアヌスに物語らせているようなロマンティックな口碑が発生したらしい)の光も輝くのです。ロメオに対してひどい行いをした(貴族達の中傷によりロメオは執事の地位から追われた)プロヴァンス人は、結局最後に笑うことはできませんでした(後嗣ベアトリーチェ、シャルル一世と婚姻して、プロヴァンスがフランス王家の過酷な行政に苦しむに到ったことを指す。煉獄第二十曲参照)。ですから、他人によって成された善行を不快に思うのは、邪悪の道を歩むこととなるのです。レイモン・ベランジェ四世(最後のプロヴァンス伯レイモン・ベランジェ四世(在位1209-1245))は四人の娘を持っていましたが、出自の賤しい巡礼者ロメオのおかげで、四人とも王妃となれたのです(長女マルゲリータ1234年フランス王ルイ九世と、次女エレオノーラは1236年イギリス王ヘンリー三世と、三女サンチャは1243年ヘンリー三世の弟で後ローマの王となったコーンウォール伯リチャードと、そして四女ベアトリーチェは1246年シチリア王シャルル一世と婚姻)。ところが嫉妬深い言葉によって、ベランジェ四世は元金の十を十二にも殖やすほど、理財に詳しいロメオを出納係とし、清廉の士ロメオは、嫌疑潔しとせず、一文無しの老躯で官途から離れました。しかし、世の人々が、ロメオがドアからドアへと物乞いをしてパンをもらい、それで一日一日を凌いでいたと知ったら、ロメオへの賞賛はもっと増すでしょう。」(2005年10月16日)(2005年12月23日更新)

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第七曲
「万軍を率いる聖なる神に、讃美あれ! 上から、あなたの光で、これらの王国の恵まれる火を照らす神よ!」私は、ユスティニアヌス一世の魂がこのように歌い、その歌にあわせて回り始めるのを見ました。彼は、二重の光(自分の知恵と神の恩恵)に輝いていました。すると他の魂たちも彼と一緒に踊り始め、素早い火花のように至高天に向かって去っていきました。私は怖じ気づいてそこで突っ立って、心の中でつぶやきました。「ベアトリーチェに訊かないと! 話さないと! 真理でもって、私の渇きを癒してくれる、愛するベアトリーチェに訊いてみないと!」でも、「ベアトリーチェ」の初めの「ベ」とか、最後の「チェ」と言うだけでも、畏敬の念のために圧倒されてしまい、私は、うたた寝している人のように、頭を垂れてしまいました。でも、炎の中にいる人さえ大喜びさせてしまうベアトリーチェの微笑みによって、すぐに、私は気が楽になりました。そして、ベアトリーチェは言いました。「私の間違えることのない直感で、あなたが、正しい復讐が正しく復讐されるということがどういうことか理解していない、ということがわかりました。でも、私が、あなたの悩みを消してあげます。さあ、聞いてください。なぜなら、私が言うべきことは、重要な真実の教義を含むからです。神によって創られたアダムは、意志の抑制(禁断の果実について意志の上に神が加えた制限)に堪えれば、自分の利益になるのを、自分も罪に陥れ、末裔まで罪に陥れました。従って、キリストが降りてくるまで、人類は長く罪に汚れたまま下界にいました。処女の懐胎における聖霊の働きのみにより、創造主から離れた人性は、元通り創造主と結ばれました。これから説明するのをよく聞いてください。再び創造主と結ばれた人性は、始めに創られたときと同じように、純粋で良いものでした。でも、自らの行いによって、神と、禁断の果実を味わうまでのエデンでの健全な生活を捨ててしまったために、神の聖なる楽園から追い出されてしまいました。もし、キリストの十字架上の死がそのような人性の罰だとされても、神性は罰せられることはありません。しかし、磔刑を受けた、神性も兼ね備えているキリストのことを考えると、全く不当なことです(キリストが受肉托身して人となったのは、アダムの原罪によってゆがめられた人性を浄め、もとの姿にかえすためであり、その浄めは、十字架上の死によってのみ可能であった。だから、人間性帰正の観点からすれば、キリストの磔刑ほど正しい処置はない。しかし同時に、人となったとは言えキリストは第二位格としての神にほかならず、神を磔刑に処したユダヤ人は当然その罰を受けなければならない)。このように、一つのキリストの磔刑という行為が、二つの結果をもたらしました。つまり、神は人類の罪が償われることによって喜び、ユダヤ人は自分たちの怨みが晴れたことで喜んだのです。そして、地震が起こり(マタイによる福音書27の51参照)、天の門が開きました(トマス・アクィナスによれば、人間には原罪と個々人の罪と二つの咎があって天国の門が固く閉ざされていたが、キリストの受難はこの二つの咎を除去し、人類のために天国の門が開くこととなった)。さあ、あなたは、正しい復讐が後に正しい法廷(ローマ皇帝のティトゥス。即位前におけるユダヤ戦争中のイエルサレムの陥落の仇をユダヤ人に報いたため)で復讐された、ということが簡単に理解できるでしょう。でも、私には、あなたの心がいろんな考えでこんがらがっていて、それを私に解いてほしいと思っているということが分かります。あなたはこう言いたいのでしょう。”ベアトリーチェの言葉はよく分かりましたが、私たちを贖うために、神がなぜキリストの受難を選んだのかが分かりません”。兄弟よ、この神の御心は、人類のために自らを犠牲として喜びが感じられるほどの、愛と一体である神の叡智以外には分かりません。それにもかかわらず、人間はこの問題を考えるものの、よく分かっていないので、どうしてキリストの受難という選択が一番であったか、私が説明しましょう。神の善は嫉妬を認めませんが、その神の善は、愛に光り輝くので、内に燃える永遠の美を現します(徳を被造物の中に現す)。直接神の善から滴るものは、神が自然を介さなくて直接創ったものであり、永遠に存在します。これは、神の御業が永遠に変わらないからです。直接神の善から滴るもの、つまりその被造物はすべて自由であり、それは神以外のものの影響には従わないからです。このように神が直接創られたものは、神に最も近いので、神意に適います。すべての被造物を照らす聖なる炎(神の善、神の慈愛の光)は、自らと最も良く似たものの中に輝き、最も強く輝くからです。人間は、この賜物を受ける特権があります。そして、もし不死、自由、神に似ることの内一つでも欠ければ、人は自分の尊さを失わなければなりません。人の自由を奪い、神の善から遠ざけ、神の光の中で輝かなくさせるのは、罪だけです。その罪によって作られた空虚感が、道徳的な喜びのために改心によって埋められないのなら、失った威厳も取り戻すことはできません。あなた達の性質は、アダムが罪を犯したとき、天国が取り上げられたのと同じように、これらの人間の威厳の表れである自由意志、理性、不滅性なども失ったのです。よく考えればあなたはお分かりでしょうけれど、人は、失ってしまったものは、取り戻せません。神が、お慈悲によって赦し(原罪に対する)てくださるか、人が自分で愚行を贖罪するか、この二つの浅瀬のどちらかを渡らない限り。永遠の叡智の深淵の底(時空を超越した神の慮りの深み)にしっかりと目を向けてください。そして、できるだけ私の言葉をよく聞いてください。人が神のようになろうとして(創世記3の5参照)、神の命令にそむいたのは、高慢であって、その高慢さは、謙遜によって初めて贖われます。人は、有限で不完全な者なので、どんな謙遜や従順を持ってしても、そのへりくだりの程度は、高慢さには勝てないので、自らその罪を贖う力はないのです。神は、慈悲と正義(詩篇25の10「その契約と定めを守る人にとって、主の道はすべて、慈しみとまこと」)のいずれか、または両方によって、人を完全な状態へと引き戻す他ありませんでした。しかし、行いは、その行いの源である生来の良い心を現せば現すほど、行いをする人を喜ばせるので、世界に示された永遠なる神の善は、あらゆる手段を尽くして、あなた達をもう一度高いところへ上げようとなさりました。最後の審判と、最初の創造の間で、このようにも崇高で立派な処置はなく、これからもないでしょう。人類が再び高いところに上がれるようにと神自らを与えてくださったキリストの受難は、神がただ罪を赦してくださることよりはるかに大きいのです。キリストが受肉により自らを卑しめなければ、他のどんな方法でも、神の正義にふさわしい贖いをなすことはできません。さあ、あなたの希望を満たすために、私が理解しているようにあなたも理解できるよう、説明に戻りましょう。あなたはこう思っているのでしょう。”私が見る火、空気、水、地、そしてこれらから成るものは、少しの間しかとどまらず、滅びてしまいます。そして、これらは神の被造物で、ベアトリーチェの言ったことが本当なら、これらは滅びないのではないだろうか?”兄弟よ、天使や、天国は、現在と同じ形で、変わることなく、完璧に創られました。しかし、あなたが今言った地水火風の四元素とその化合物は、作られた力(それぞれに天使が主宰する諸天球の持つ形成力の二次的な働き)によって形作られているのです。その地水火風の四元素の元となる物質、そしてその四元素の周りを回る星座が物を形成する力はともに神によって直接創られたものです。すべての動物と植物の心は、何かになり得る可能性を持つ合成物から、星々の光や、その星々の動きによって引き出されるのです。でも、あなた達の生命は、至高の恩恵が直接息を吹き入れ(煉獄第二十五曲参照)、神の愛で満たされていて、神の愛を永遠に求めるのです。私がお話ししたことから、あなたは、人間の始祖が初めて創られたときのことを考えれば、人間の復活のことを推論するかも知れません(アダムもエバも、霊肉共に神が直接創られたので、犯した罪によって肉体は滅びるにしても、最後の審判の後、贖罪が完了すれば、人はよみがえり、肉の衣をつけて、原罪以前の威厳ある状態を取り戻す。しかしよみがえっても、神の怒りに触れて地獄にとどまる者は、肉の衣をつけたまま永遠の呵責を受ける。これはスコラ学の父と呼ばれる聖アンセルムス(1033-1109)の説)。」(2005年10月18日)(2005年12月23日更新)

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第八曲
かつて、第三の周転円(数学的には、大円の周辺上にその中心を持つ小円。プトレマイオスの天文学は、この円を想定することによって、各惑星と地球間の距離がそれぞれ違う理由を説明した。すなわち、太陽とその恒星以外の惑星は、東から西へ回転するその惑星とは反対に、西から東へ回転する小さな周転円を持つとされる。「第三の」というのは金星が、月から数えて第三の惑星に当たるから)をめぐる、キュプロス島に生まれた美しいアプロディテは、熱狂的な愛の光を人に向かって光らせると、信じられていました。異教信仰に陥っていて、永遠の刑罰にあう恐れがあることも知らない人々は、いけにえを供え、誓願をかけて、アプロディテや他の者をも崇めました。ディオーネ(オケアノスとテテュスの娘、アプロディテの母)は、アプロディテの母として、崇められ、エロス(アプロディテの子で、肩に翼を生やし、弓矢を持つ裸体の美少年として造形される。気まぐれに矢を放つが、その黄金の矢で射られた者は烈しい恋のうずきを覚え、鉛の矢で射られた者は恋を嫌悪する)は、ディド(カルタゴを建設した女王ディド。アエネアスの子アスカニウスの姿となって現れたエロスが、ディドの膝に抱かれ、アエネアスへの烈しい恋情を女王に植え付けた話は、『アエネイス』1の657-660、715-719)の膝の上に抱かれたと信じられていますが、アプロディテの子として崇められます。この曲に初めて歌われる女神ウェヌスの名前をとって、暁の明星、宵の明星として輝く星(金星)は名付けられました。私はそこまで上がったのを気づかなかったのですが、ベアトリーチェがもっと美しくなったのを見て、金星の中にあることが分かりました。火の中でも閃光は見えますし、声も一つの声が同じ音で、他の声が上がったり下がったりすれば、声の中でもある一つの声を聞き分けられます。それと同じように、私は金星自身の光の中に、他の光(登ってくるダンテを迎えるために。至高天から降りてきた至福者の魂たち)が見えました。その動きがゆっくりだったりムラがあるのは、きっと恩恵の度合いによるのでしょう。セラフィーニ(天使の内最高の者。至高天では至福者の魂がこれらの天使と共に円舞する)の間に始まった円舞からぬけて、私たちに近づいてくる聖なる光を見た人は、冷たい雲から吹き下る、見える風も見えない風も、ゆっくり動いたり、まどろっこしく見えたでしょう。私は、一番初めの光の中から、「ホサナ」とすばらしい音色で歌われるのを聴きました。私の心はいまでも、その歌をまた聴きたくてたまりません。そして、私に近づいてきた光の一つが、言いました。「私たちは、あなたに喜んでもらおうと、ここにいるのです。私たちは、金星を司る天使達と、一つの円状を同じリズムで、神を見たいと願いながら回っています。あなたは地球上で、その天使達に言ったでしょう。”ああ、すばらしい知性によって、第三の天を動かす者よ(『饗宴』第二巻の初めにある第一歌曲の起句。それを説明して、ダンテは同書第二巻2の7に9で「われらの前にあるこの歌曲は三主要部から成る。第一の主要部はその起句であって、そこでは、私の言わんとすることに耳を傾けてほしい金星天の回転の主宰者、すなわち知性によってのみそれを動かす天使達が導入される。」)”と。私たちは愛で満ちあふれているので、お望みなら、あなたのために、しばらく踊りをやめます。」私は畏敬の念を持って目を上げて、ベアトリーチェの光を見ました。すると、ベアトリーチェはその眼差しで、これらの魂と語ってもよいということを示しました。私は、先ほど話しかけた魂に向かって、優しく元気に言いました。「あなたはどなたですか?」私の声を聞いて、その魂は前よりももっと美しく輝き、幸せに幸せが加わったようでした! このように光り輝く魂(24才でコレラで死んだカルロ・マルテル(1271-1295)。ナポリのシャルル二世と、その妃ハンガリーのイシュトヴァーン四世の娘マリアとの間に生まれた長子。1289年9月、父によってナポリ王国代理を任され、1292年4月には母の血縁によりハンガリー王権を継ぐ。1287年、ハプスブルク家の皇帝ルドルフ一世の娘クレメンスと結婚、一男二女をもうける。1294年の春、フィレンツェを訪れ、フランスからの父の帰りを待ちつつ三週間以上同地に滞在したが、グエルフィ党の強力な支持者であった祖父シャルル一世の縁もあり、市民の間に評判よく、この時29才のダンテを知ることとなったらしい)は言いました。「私が地球上で過ごした時間はとても短いのです。もし私の人性がもっと長かったら、災い(ダンテのフィレンツェ所払いの原因となったグエルフィ党白派の敗北は、カルロ・マルテルの妹の嫁したシャルル・ド・ヴァロア(フランス王フィリップ四世の弟)の裏切りによるものであり、アンジュー家の面々、とりわけカルロ・マルテルの弟でナポリ王ロベルトが、ダンテの推す神聖ローマ皇帝ハインリヒ七世に強く盾突くなど、カルロ・マルテルの死後、その心を悩ましたことを指す)はもっと多かったでしょう。輝きの中で私を包む幸福によって、あなたは私が見えないかも知れません。私は蚕の繭のように、幸せで包まれているのです。あなたは昔、私のことをとても愛してくれました。しかるべき理由がありました。私があんなにすぐに死んでしまわなかったら、私もあなたにさらに深く根強い愛を示したでしょう。ソルグ川(ヴォクリューズ渓谷に源を発し、約40キロ流れた後、アヴィニョンの上手でローヌ川に合流するフランスの小さな川)と合流した後、ローヌ川に洗われるその左岸(プロヴァンス。カルロ・マルテルの祖父、シャルル・ダンジューの妃ベアトリーチェの持参地。従ってその継承権者はカルロ・マルテル。煉獄第二十曲参照)は、私に領主になるように待っていたのでした(マルテルの父シャルル二世は1309年に死去。マルテルがその時まで生きていたならば当然プロヴァンスの領主)。カトーナ(ナポリ王国の南端、カラブリア州の小都市。「シチリア晩梼事件」後、シャルル一世がメッシナ湾に向かって船出すべく、軍勢を集結した場所)とバリ(ナポリ王国の東端にあって、アドリア海に臨む都市)とガエタ(ローマの南東約30キロ、ナポリ王国の西端にあって、ガエタ湾に臨む海角の一都市)を境界とし、トロント川(ナポリ王国の東側を流れてアドリア海に注ぐイタリア中部の川)とヴェルデ川(ナポリ王国の西側を流れてティレニア海のガエタ湾に注ぐイタリア南部の川)が海に注ぐアウソーニア(イタリアの古名。その一角とはナポリ王国のこと。シャルル二世の死後、マルテルの弟ロベルトは、兄の子カルロ・ロベルトを退けてナポリ王国の主権者となった。マルテルが父よりも先に逝去しなかったら、当然ナポリ国王であった。「事態は全く変わりません」とはそのこと)の一角でも、事態は全く変わりません。ドイツの岸を後にしたドナウ川で潤されるハンガリーの輝かしい王冠が、既に私の額には輝いていました。シロッコに吹かれるカタニア湾(シチリア島東側)の南東端のパキーノ岬と北東端のペロロ岬の間を、テュポン(地獄第三十一曲参照。ゼウスの投げた雷にもひるまず、シチリアの海を越えて遁走するテュポンに、ゼウスはさらにエトナ山を投げつけ、押しつぶし、シチリア全島の地下深く埋めたが、投げられた雷の火は消えず、エトナ山から噴出しているという。その伝えをここでダンテは否定した)のせいだと信じる人もいましたが、そのテュポンのせいではなく、噴き上げる硫黄で陰らされる(太陽熱が発生期の硫黄に直射し、雲を曇らす黒煙が噴き上がるとの説を、ダンテはセビリアの教会博士・聖イシドールから得たかも知れないという考証もある)、美しいシチリア島は、シャルル一世(マルテルの祖父、ナポリ王、アンジューのシャルル一世。地獄第十九曲、煉獄第七曲参照)とルドルフ一世(マルテルの義父、ハプスブルク家のルドルフ一世)の血を継ぐ私が王になるのを待っていたでしょう、もし、民の心を常に荒立てる悪政(マルテルの祖父、シャルル一世による)がパレルモ(シチリアの首都)を動かして”死ね、死ね!”と叫ばせる(イタリア史に「シチリア晩梼事件」の名で伝えられる1282年3月30日(復活祭翌日の月曜日)の、パレルモ市民によるフランス人虐殺暴動。その結果シチリアの主権はアンジュー家からペドロ三世を当主とする、スペインのアラゴン家に移った。ペドロ三世については煉獄第七曲参照。暴動は、同日郊外の祭へ赴こうとしていた大勢のパレルモ市民の軍の中の一少女を、フランス人が侮辱したことから始まる。かねがねシャルル一世の強引な圧政に不服であり、反アンジュー家側のけしかけによりシチリア全島民は、これをきっかけに一斉に蜂起し、「フランス人を殺せ!」と口々に叫び、大虐殺を行い、残余のフランス人を島から放逐した。マルテルがいまダンテに物語っている1300年のシチリア王国は、アラゴン家のフェデリゴ二世(在位1296-1337)。1302年のシャルル・ド・ヴァロアのシチリア奪回遠征も失敗に帰し、フェデリゴとの不名誉な和睦を強いられ、1303年6月12日成立のアナーニ条約では、教皇ボニファティウス八世がフェデリゴに「トリナクリア王」の公認称号を与えた。「シチリア王」とすれば、当時アンジュー家の支配下にあったナポリとアブリアをも含むことになるからである)に到らなければ。私の弟(アンジューのシャルル二世の第三子、ロベルト)にこのことが予見できたなら、面目を失う前に、カタローニャの貪欲な貧困(1284年6月、シャルル二世はシチリア島奪回のための戦いに敗れ、捕虜となり、身柄をシチリア島へ送られ(煉獄第二十曲参照)、断罪に処せられようとした。しかし、アラゴン王ペドロ三世の妃のとりなしで助命され、1288年までスペインのカタローニャに虜囚生活を送る。その間、翌1285年にはナポリ王国のシャルル一世も、アラゴン王国のペドロ三世も共に死去し、ペドロ三世の後は長子アロンソが継ぎ、次子ハイメがシチリア国王となる。1288年、イギリス王エドワード一世のとりなしで、シャルル二世はアロンソによって身柄を釈放されるが、その時の条件として、ナポリ王国の宗主権はシャルル二世が持つ代わりに、シチリア島はアロンソの弟ハイメが所領することを申し合わせた。シャルル二世釈放の後、人質として、三人の子、ルイージ、ロベルト、ジョヴァンニがカタローニャに残る。ロベルトは、自分の周辺に強欲で貧しいカタローニャ紳士を取り巻きとして数多く集めたが、1295年、教皇ボニファティウス八世の口利きで、シャルル二世とアラゴンのハイメ二世との間に締結された条約により、自由の身と成るや、これらの取り巻き連中をイタリアへ連れてきて、ナポリ王国としてのロベルト失政という悪例を作ったと、ダンテはマルテルの目を通してみている)を避けたでしょう。弟か、または他の者が、既に重荷が積まれている船へさらに荷物を積まないように、準備をしなければならなかったからです(シャルル二世の失政により、既に多くの困難が山積みしている国家という船へ、ロベルト自身の失政でさらに困難を増さぬようにとの配慮。1300年以後のロベルトの行実への預言でもある。ここで船荷の比喩を出したのは、1301年の夏、ナポリのシャルル二世はアラゴンのハイメ二世と手を組み、シチリア島の事実上の国王フェデリゴ(ハイメ二世の弟)を攻めるため、ロベルトに命じてカタリアその他シチリアの海港へ食料を送らせようとしたが、途中、その船の難破したことを踏まえている)。寛大な先祖シャルル二世を持ちながら、ケチなロベルトは、金儲けに熱心な部下を集めました(領内の民を搾取しての厳しい取り立て。カタローニャからつれてきた取り巻き連中を重く用いたことへの言及)。」私は言いました。「ああ、あなたが話してくれた言葉による私の喜びは、あなたが自ら神の鏡に映して知るところを信じることによって、ますます深くなります。そして、あなたが私の喜びを神を見て悟ることも、私の喜びです。あなたによって、私は幸せになり、いまや、賢くなったようです。あなたの言葉は、私の心に一つの疑問を芽生えさせました。甘い種から酸っぱい実がなるのはなぜでしょう(例えばよい父祖を持ちながら、邪悪な振る舞いに終始するロベルトが生まれたことに見られるような)?」するとカルロ・マルテルは言いました。「私が、ある真理をあなたに説明できたら、あなたは、あなたの後ろにあって知らなかったものが前に来て知ることができるように分かるでしょう。あなたが登っていくすべての王土をめぐらせ、そして喜びで満ちたらせる神は、神の摂理の力を、それぞれの天球に与えられ、この力は諸天を通じて人間および被造物にその影響を与えるのです。神は、すべての自然の存在だけでなく、その安寧も定め、被造物が完璧になるのは、自ら行うのではなく、神意によって完璧になるのです。ですから、神の神意の弓がたわんだら、その弓はあらかじめ定められた目的へと放たれるのです。そうでなければ、あなたが登る諸天は、神の御業の結果ではなく、自然はめちゃめちゃなものとなるでしょう。しかし、星々を動かす知性が欠けていなければ、そして、それらを創ってくださった神に欠陥がなければ、そのようなことにはなりません。この真理についてもっと説明してほしいですか?」そして私は言いました。「いいえ、いいえ。そんな必要はありません。諸天の動きが必要なことにあたって疲れてしまうということがないと知っています。」すると、カルロ・マルテルはまた言いました。「もし社会的な秩序がなかったら、現世の人にとってもっと悪いことになりでしょうか? 教えてください(アリストテレス『政治学』1の1、1253aに見える有名な言葉、「人は生まれながら社会的な動物である」を踏まえ、一市民、すなわち社会的動物でなければ安寧の得られない理を示す)。」私は言いました。「もちろんです。立証を必要としない自明の理です。」カルロ・マルテルは言いました。「もし、現世の人々が様々な職業で、様々な生き方をするのでなければ、どうでしょう? アリストテレス(『饗宴』4の4の1-2参照)がこのことについて書いたことが本当なら、そんなことをすれば社会の一員となれません。」このように、カルロ・マルテルは次々と考えを推し進めて、結論に達しました。「そういうことなら、あなた達の行いの性質は様々で、ある人はソロン(ギリシアの政治家で、七賢人の一人ソロン(前640頃ー前560頃)。貴族制から民主制へ移行しようとする時期の、アテナイにおける最も重要な改革家。立法家の典型)、ある人はクセルクセス一世(武将として最も有名なペルシアの王クセルクセス一世(在位、前486-前465)。煉獄第二十八曲参照。武人の典型)、ある人はメルキゼデク(創世記14-18-20に出てくるシャレムの王メルキゼデク。「いと高き神の祭司」とあるように、祭司の典型)、ある人はダイダロス(我が子イカロスを失ったギリシア神話のダイダロス。地獄第十七曲参照。工匠の典型)として生まれます。軌道をめぐりつつ人の蝋にスタンプを押す自然は、すばらしくその技を示しますが、血筋までわきまえて各個人に適当な性情を賦与しません。ですから、エサウとヤコブ(エサウとヤコブは、イサクを父とする、双子の兄弟であった。しかし、各自の性格は、最初から著しく異なっていた。創世記25の21-27参照)は、違っていて、クイリヌス(ローマ神話でローマの建設者とされているクイリヌスとレムスの父ヌミトルは、きわめて貧しかったので、軍神マルスを父とする伝説が生じた。しかしアルバ王プローカスは、遺産を財宝と王国に二分し、二子アムリウスとヌミトルに好きな方をとらせたが、アムリウスは財宝を、ヌミトルは王国をとったというから、「あまりにも賤しい身分」とも考えられない。ただし、このくだりの典拠としては、アウグスティヌスの『神国論』2の15と、リウィウスの『ローマ建国史』1の4が考えられている)の父はあまりにも賤しい身分なので、軍神マルスの子と考えられたりするのです。神の摂理が勝たなければ、生まれ出た者は親と同じ道を歩むでしょう。さあ、あなたはここではっきりとことの真実が分かったでしょう。あなたが私に与えてくれた大きな喜びによって、私はあなたのために論証を推論しましょう。人の生来の気質は、運命とうまくあわないと、間違ったところに落ちてしまった種が育たないように、その結果は良くありません。もし、現世の人々が、生来の気質や、その育っていく過程に注意しないと、良い民にはなりません。しかし、生まれつき剣を持つ者が司祭となり、説法に向く者が王になれば(これは明らかにマルテルの弟ロベルトへの風刺。1346年までのフィレンツェ年代記を書いたジョヴァンニ・ヴィルラーニ(1275頃-1348)によれば、ロベルトは「神学の巨匠」とされている)、道を踏み外すのは当然です。」(2005年10月21日)(2005年12月23日更新)

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第九曲
美しいクレメンス(カルロ・マルテルの妃)よ、あなたの夫のカルロは、私に説明して啓もうしてくれて、彼の子孫(マルテルの長男ロベルト(1288-1342)は、母方の王位継承権により、1308年、バイエルンのオットーが死ぬと、ハンガリーの国王となり、翌年、祖父のシャルル二世の逝去に伴い、父方の当然の権利として、ナポリ国王たることを要求した。しかるに、叔父のロベルトはこれに異を唱え、教皇クレメンス五世に直訴し、1309年6月、アヴィニョンにおいて、ナポリ国王の冠を頂くことに成功した。ここはそのことへの言及)に将来降りかかる陰謀も教えてくれました。でも、言いました。「何も言わないでください。月日が流れるのに任せましょう。」これが理由で、私は、あなた達に禍をもたらした者が罰に伴って嘆くであろう、ということしか言えません。聖なる光に輝くカルロ・マルテルの魂は、すべての者を満ちたらせる神の善へ向かおうと、また、その光源である神へ顔を向けました。ああ、欺された魂たちよ、敬虔さの欠けている者たちよ、神から心をそらした者たちよ、虚しい物に高慢な頭を上げて! すると、光り輝く者たちの一人が、私のそばにやってきました。すばらしい光の中で輝き、私を喜ばそうとしました。ベアトリーチェの二つの眼は、私をしっかりと見つめ、それはマルテルとの語らいを許したときと同じようで、私の望みを許してくれていることが分かりました。私は言いました。「ああ、祝福された魂よ、私の望みを叶えて(問うのを待たずに直ちに答えて)、神の鏡に映して良く私の心の中が見えるという証しを与えてください。」私には誰だか分からないその魂の光は、それを聞いて、初めに歌ったその光の内から、善行を喜ぶ者のように、答えました。「罪にまみれたイタリアの一郭に、リアルト島(ヴェネツィア市を形成する多くの島の内最も大きなもの。言わばヴェネツィアの代名)の岸と、ブレンタ川とピアーヴェ川の源(アルプス。ブレンタ川については地獄第十五曲参照。ピアーヴェ川は、源をアルプスに発し、南東に流れ、ヴェネツィアから約30キロの地点でアドリア海に注ぐ)の間の地域(ダンテ当時のマルキア・トリヴィジアーナ州、すなわちトレヴィーゾ辺境州。今はほとんどヴェネツィアに包含される)に、そんなに高くない丘(ロマーノ丘。その上にエッツェリーの一族の居城があった)があり、数年前、たいまつが下りてきて(中世イタリアの群小暴君の内、悪逆無道の汚名近隣に隠れもなかったエッツェリーノ・ダ・ロマーノ三世(地獄第十二曲参照)による災禍。その災いは、州内はもとより、マントゥア、トレントにまで及んだ)、一帯をダメにしてしまいました。彼と私の両親は同じで、私の名前はクニッツァ(エッツェリーノ・ダ・ロマーノ二世の末娘として1198年頃に生まれ、1222年、ベローナのグエルフィ党領袖リカルド・ディ・サン・ボニファツィオ伯と政略結婚したが、程なくトルバドゥール詩人ソルデルロに恋着、兄エッツェリーの三世の黙認を得て、1226年頃、ソルデルロにかどわされた形で、ヴェローナから逃亡、兄の居城に帰った。しかしソルデルロとの情事も長くは続かず、トレヴィーゾの兄アルベリーコの宮廷に赴き、そこでボニオという名の騎士に身を任せ、放埒三昧の生活を送る。この期間、ソルデルロとの間によりを戻したとの説もある。アルベリーコが兄エッツェリーノを相手に戦ったとき、トレヴィーゾ防衛中ボニオは殺され、クニッツァはエッツェリーノの意志でブレガンツェ伯アイメリオと結婚させられる。しかし、アイメリオもエッツェリーノの犠牲となって死去、クニッツァはヴェローナの一紳士と結婚、さらにエッツェリーノの占星術師パドヴァのサリオーネ・ブッツァカリーニを第四番目の夫とした。1260年頃、相争っていた二人の兄は続いて逝去、エッツェリーノの家運も傾いたので、1265年頃、クニッツァはフィレンツェに出て、ダンテの親友グイドの父、カヴァルカンテ・デ・カヴァルカンティに依頼、アルベリーコの裏切りに加担したものを除き、父および二人の兄に仕えたすべての奴隷に自由を与える旨の証書を作成・履行した。約80才となっていた1279年、クニッツァは遺産をすべて母方の実家の子息達に譲与するとの遺書を作ったが、その後の動静については知る手がかりなく、おそらくやがて死去したと思われる)です。そして私がここで輝いているのは、金星に付託されている愛に溺れすぎたからです。でも私は、私の運命に降りかかったことで悲しむことはなく、喜んでいるのです。世俗の人々にはヘンだと思われるかも知れませんが。私の近くで、私たちの金星天で光り輝くフォルコの魂(後出)は、すばらしい名声を後に残し、それは、この1300年で満了する100年の五倍も長く伝えられることでしょう。あなたはお分かりでしょう、現世での名声輝かしい生涯の後、同じように輝かしい第二の生(死後世に残る名声)を生きるためには、どのように努力しなければならないかを! タリアメント川と、アティージェ川に閉ざされた地域(トレヴィーゾ辺境州、その東をタリアメント川が、西をアティージェ川が流れて境界となる)に住む人々は、このことはなんの意味も持ちません。災難(エッツェリーノ二世とその兄弟達の暴政による荒廃)を受けてもなお後悔しないのです。しかし、人々は大義にそむき、そのうち、パドヴァ(ヴェネツィアの西、ヴェツェンツァの東南にあるイタリア東北部の都市。トロイアがアンテノールに裏切られて陥落後まもなく創建されたイタリア最古の都市といわれる。1237年2月12日、ロマーノのエッツェリーノ四世は、フリードリヒ二世並びにギベリーニ党員の助力を得てこの都市を占拠したが、1256年、教皇アレクサンデル四世の命を奉じた同市のグエルフィ党員とヴェネツィア市民により放逐された。1259年にエッツェリーノは死し、パドヴァのグエルフィ党員は独立を宣言し、1265年にはヴィツェンツァをも攻略・占領した)の人々は血を流し、ヴィツェンツァ(ヴェローナの北東、バドヴァの北西に位置するイタリア北部の都市、ヴィツェンツァ。それを洗う水とは同市を沼状に貫流するバッキリオーネ川のこと。「水を汚す事態」とは、1314年、ヴィツェンツァ駐在の皇帝代理カン・グランデ・デルラ・スカラにより、皇帝の権威に従わねば、大儀にそむくゆえを持って、同市からパドヴァのグエルフィ党員が一掃されたことを指す)の水を汚す事態となるでしょう。そして、シーレ川と、カニャン川が合流するところ(シーレもカニャン(現在の名はボッテニーガ)も、ヴェネツィアを貫流するイタリア東北部の小さな川。トレヴィーゾで合流する)では、威張った人(ゲラルド・ダ・カンミーノ(煉獄第十六曲参照)の息子リッツァルド・ダ・カンミーノ。1300年以来トレヴィーゾ総司令の職責を父と共に果たしてきたが、1306年父から正式に継承して総司令官となる。妻はピサのニーノ・ヴィスコンティの娘ジョヴァンナ(煉獄第八曲参照))が統治していますが、もう網(自分の妻を誘惑したかどでリッツァルドに怨みを抱いていたアルテニエロ・デリ・アッツォーニが、リッツァルドの知能の低い一従僕をたらし込み、1312年、リッツァルドの邸宅で将棋の対局中、リッツァルドを刺殺させた事件をさす)が張り巡らされているのでした。フェルトレ(ピアーヴェ川流域にあるイタリア東北部の都市。ダンテ当時にはそこの司教が領主であった)は、不信心な羊飼い(1298年からフェルトレの司教であったトレヴィーゾのアレッサンドロ・ノヴェルロ。1314年、ファンターナ家に属するフェルラーラのギベリーニ党員が、フェルラーラにおけるロベルト王代理ビーノ・デルラ・トーザをたおそうとして失敗、フェルトレに逃れ、司教保護の元に身を置いた。しかるに司教は、一味の引き渡しを要求したピーノの言いなりに彼らをフェルラーラに送り届け、同年7月、彼らはフェルラーラに残留の同志と共に、総勢30名処刑された。司教にあるまじきこの背信行為の結果、アレッサンドロは市民の指弾に耐えかね、フェルトレを去り、一修道院に隠退、1320年、そこで死去)の罪を嘆き、彼ほどひどい罪でマルタ(マルタを冠する牢獄はイタリアに数カ所あるが、ここは、重罪の高位聖職者を罰するためにボルセーナ湖上の一島に設けられた土牢を指すと思われる。勿論、アレッサンドロは下獄していないが、高位聖職者にして、彼ほど恥ずべき罪を犯したものは他にあるまいとダンテは言いたいのである)へ送られた者はいません。フェルラーラの人々(処刑された30名)の血を入れる樽は、大変大きな物だったでしょう。その血を一オンスずつ量る人は大変疲れたでしょう。その寛大な司教(アレッサンドロ・ノヴェルロ)の流した血は、忠実なグエルフィ党員であることの証しですが、そのような贈り物は、お国の習わしにぴったりです(アレッサンドロの生まれたトレヴィーゾ辺境州では、このような背信・無道・残忍の行為も日常茶飯事)! 神が罪人のために用意した罰は、天使座(第七天球の土星天を主宰する天使達)の鏡に照らし出され、それを見て物言うわれらの預言に間違いはありません。」そしてクニッツァは黙りました。そして、クニッツァの考えは他のことに移っていったようでした。なぜなら、先ほどいた踊りの輪へ戻っていったからです。クニッツァが貴いものだと言っていたもう一つの喜び(フォルコの魂)は、太陽の光を受け、とても美しいバラッソ(アジア産の紅玉の一種。「バラッソ」の名は、その宝石を出荷した土地のアラビア名、「バラクシュ」に基づく)のように私には見えました。高きところでは、喜びによって魂たちは光り輝き、地上で私たちが微笑まされるのと同じです。でも、地獄では魂たちは暗く、陰気な心を示すようです。私は言いました。「神にはすべてが見えています。あなたの姿も、神には見えています。ああ、聖なる魂よ、私のどんな考えも、あなたにはよく分かるでしょう。ですから、六つの翼をずきんとする、敬虔な焔達(神の愛を行使する天使達のセラフィム。イザヤ書6の2に、「上の方にはセラフィムがいて、それぞれ六つの翼を持ち、二つを持って顔を覆い、二つを持って足を覆い、二つを持って飛び交っていた」とある。この六枚の翼が堕落天使の場合どうなったかついては地獄第三十四曲参照)のハーモニーに調和して、永遠に天を喜ばすあなたの声は、どうして私の願いを満たしてくれないのですか? もし私の心の中を、あなたが知っているように、あなたの心の中を私が知っていれば、つまり、私がもしあなたならば、問われるのを待たないで答えるでしょう。」ファルコの魂は、私に答えました。「世界を取り巻く海(当時すべての陸地を取り巻くと考えられていた大洋)の水が流れる大きな谷(地中海のこと。当時地中海は、実際は42度だが、西から東へ90度に広がり、地球の円周の四分の一を占めると考えられていた)の両岸の間を流れ、大洋に逆らって(地中海の入り口は西端にあるので、この海は西から東へ延びていると一般に受け取られていた)、最終的に、地平線が、子午線となるのです(地中海の入り口ジブラルタル海峡では、その地平線はイエルサレムの天頂を横切るが、東端に到れば、その子午線はイエルサレムのそれとなり、その地平線はジブラルタルの天頂を横切る。要するに地中海の長さは90度に及ぶとの中世の地学的表現)。私は、トスカーナ人とジェノヴァ人を分ける、エブロ川とマグラ川(イタリアを流れるマグラ川とスペインを流れるエブロ川の中間に当たるマルセイユ地方。エブロについては煉獄第二十七曲参照。マグラ川については地獄第二十四曲、煉獄第八曲参照)の間の、その谷の岸に住んでいました。かつて、港を自らの血で熱くした、私の出身地(マルセイユ。前49年、この港でブルータスの指揮するカエサルの艦隊と、ポンペイユスを支持する地元民との間に烈しい海戦があり、ルカヌスは『パルサリア』3の572-573で、「彼らの血潮は波上うずたかく泡立ち、血糊凝固して海一面を被う」と歌っている。煉獄第十八曲参照)と、ブージエ(北アフリカ北岸のアルジェリアの海港都市ブージエ(現在の名前は、ブジャーヤ)。中世では蝋やロウソクを輸出する海港として繁栄し、ブ-ジエがロウソクを意味する言葉となるに到った。アルジェの東約180キロに位置し、マルセイユと子午線をほとんど等しくする)は、日の出と日の入りの時刻がほとんど同じです。私の名前を知っている人々は、私のことをファルコ(プロヴァンスの有名なトルバドゥール詩人、ファルケ・ド・マルセイユ(1160頃-1231)。プロヴァンスの古伝によれば、ジェノヴァの裕福な貿易商人の一人子として生まれ、莫大な財産を継承した。放縦耽美の生活を送り、トルバドゥール詩人として多くの宮廷に出入りしたが、特に彼をひいきにした君主には、獅子心王リチャード一世、カスティリャ王アルフォンソ八世、トゥールーズ伯レモン五世、マルセイユの貴族バラル・ド・ボーがある。バラル・ド・ボー夫人に恋着し、その美を称えた数々の詩を作ったが、夫人は彼の求愛に応じなかったらしい。同夫人も、彼をひいきにした君主達も死去した後、フォルケは世を捨て、1195年頃シトー会修道士となり、やがて妻をも二人の息子と共に修道院に入らせた。1201年トゥーロン司教区の僧院長に、1205年トゥールーズの司教に任命された。1208年から1229年まで続いた血腥いアルビ派異端者迫害に彼が深く関与したのは、トゥールーズ司教としてである)と呼びました。この金星天は、金星の影響により現世では恋に身を焼くように、今、私の光を金星天に輝かしています。シュカイオス(カルタゴの女王ディドの亡夫)と、クレウサ(アエネアスの亡妻クレウサ)のそれぞれの配偶者の愛を奪い、痛憤させたベロスの娘のディド(ギリシア神話のテュロスの王ベロスの娘で、カルタゴを建設した女王ディド。地獄第五曲参照)も、髪の毛がグレーになるまでの私ほどは烈しく恋をしませんでした。デモポーンに欺かれたロドペーの娘(ギリシア神話のトラキア王の娘ピュリスは、その恋しい夫デモポーン(テセウスの子)に捨てられたと思いこみ、自殺する。ロドペーはトラキアでピュリスが住んでいた地域の近くにある山脈の名)も、イオレーを心の奥深くに閉じこめていたヘラクレス(イオレーはテッサリア王エウリュトスの娘で、ヘラクレスの熱愛を受ける。地獄第十二曲)も、恋においては私には負けます。でも、私たちは後悔しません。代わりに微笑むのです。罪は心から消え(レーテの水を飲んだので。ただし神からの光ですべてを見える彼らは、過去の罪を客観する能力を持つ)、星の影響を人に与えつつ、救いにいたらしめる神の力だけがあるのです。ここの天界で、私たちは、すばらしい愛の御業を見て、天界が下界を治める神の善を見るのです(天球の回転も、人間に及ぼす天球の影響も、すべて神の愛の発露にほかならず、その愛は人間に神の至高善を志向させ、下界に天界の面影をあらしめる)。しかし、今や、あなたはこの天球に来て願いを抱き、それを私は満たしましたが、もう少し説明させてください。水晶のような水が光の光線で照り映えるように、あなたがご覧の通り私の隣で光り輝く者が誰かを、あなたは知りたいでしょう。それは、ラハブ(エリコの遊女、ラハブ。ヌンの子ヨシュアの使わした二人の斥候をかくまい、イスラエルに勝利をもたらす因を作った。またエリコの町が呪われたとき、「ただ遊女ラハブと、その家に共にいるもののみ生きるべし、かの女はわれらの送りし死者をかくまいくれたれば」とヨシュアに叫ばしめた。その事蹟は、ヨシュア記2、6の17、ヘブライ人への手紙11の31およびヤコブの手紙2の25にあり。聖書をアレゴリー的に解する場合、ヨシュアはしばしばキリストの象徴として、またラハブは、キリストの血を意味する「赤い紐」で救われた教会として取り扱われる)です。ラハブは私たちの仲間に加わったことによって、その光で私たちを照らし、その光は私たちの中で最も強い光となるのです。あなた達の地球が影を落とす天(金星天。ダンテ当時の天文学によれば、地球と金星間の距離がもっとも短い時に生ずる現象。地球の影は金星より上には達せず、従って地球的俗情に最も多く影響された魂たちは、金星を含め、それより下の三天界に配せられる)に、キリストの勝利(キリストの地獄くだりにより、ヘブライ人の魂たちが辺獄から釈放された時。地獄第四曲参照)によって、上へ登ることとなったどの魂より先に、ラハブは上げられました。キリストの釘付けの両手による勝利(キリストの磔刑。それは地獄に対する大いなる勝利)の手形としてラハブを天のどこかに配置するのは(そして、ラハブが遊女であったとすれば、金星天こそうってつけとダンテは考えたのである)、ふさわしいことです。なぜなら、今は、教皇(ボニファティウス八世。彼が自己の権力の保持にのみ明け暮れ聖地がスルターンの手に落ちたのを坐視したことについては地獄第二十七曲参照)に全く関係の無いような、聖地で、エリコ攻略を可能にしたのは、ラハブだからです。あなたの町、フィレンツェは、創造主の力に初めて対抗して、世界の嘆きの元となったサタン(神への最初の反逆者である彼は、堕落したその状態で、アダムとエバの幸福を嫉み、彼らを原罪へ誘惑し、長きにわたる人類悲嘆の因となった。そのサタンの植民地がフィレンツェだとダンテはファルコに言わせる)によって作られ、羊飼い達を貪欲なオオカミに変身させ(教皇の頂上にいただくすべての聖職者達。オオカミは貪婪の代表格。地獄第七曲参照)、羊の群れや子羊(牧者の指導を受けるキリスト者としての民衆すべて。それが途方に暮れている。煉獄第十六曲参照)をさ迷わせた、呪われた花(フィレンツェの通貨であるフィオリーノ金貨。その面の一つに百合の花を打ち出す)を作り、ばらまきました。福音書と教会の父達(例えばアウグスティヌスやトマス・アクィナスのような偉大な教会博士達)は捨てられ、教皇令(教会法一般に冠する質問に対し、普通は文書の形で教皇が答えたもの。1234年に、教皇グレゴリウス九世が、それまでのものに自己のも加えて、一冊の令集にまとめ、1298年には教皇ボニファティウス八世がこれを増補し、さらに1314年に、教皇クレメンス五世のが出た。しかしそれらに先立ち、12世紀の前半に、ボローニャの教会法学者グラティアヌスが、初めて教会法を他の神学部門から切り離して、独立に研究・講述し、『教会法矛盾条例義解類集』を著し、これが中世における教会法の典拠とされていたらしい。ダンテがここでグレゴリウス九世以後のものを意識しているのは、書簡や『帝政論』に、金儲けのための教令集勉強への言及のあることからも察しがつく)だけが、その余白の書き込みで分かるように、学ばれました。教皇と枢機卿は、金儲け以外のことには無関心で、ガブリエルがかつて翼を広げたナザレ(キリストの生まれたガリラヤのナザレ。ここに住む処女マリアに天使ガブリエルが現れ、翼を広げ、祝福し、神の子の生まれるのを告げた。ルカによる福音書1の26以下参照。ただし、フォルコは、ナツァレッテにひろく聖地パレスティナを代表させている)のことなど考えもしません。しかし、ヴァチカン(ローマを流れるテーヴェレ川の右岸に位置する丘で、聖ピエトロのバシリカ聖堂や教皇庁がある。ただし教皇がここに居住するようになったのは、14世紀の後半、アヴィニョンへの島流しからの帰還以来で、ダンテ当時の教皇邸宅はラテラノ宮であった。ペテロを筆頭に、初代キリスト教徒の多くが殉教したと伝えられるこの丘は、遺跡の多いローマでも第一級の聖域とされている)や、ローマのその他の殉教者達を記念する聖域は、ペテロの例にならう殉教者達の亡くなった場所ですが、それらは、そのうち、姦淫(キリストの新婦たることを忘れ、神に関する営為をすべて金に換算する淫婦、ローマ教会)から解き放たれるでしょう。」(2005年10月24日)(2005年12月24日更新)

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第十曲
神(三位格のうちの神。ダンテは、月、水星、金星を経て、ついに光の太陽天へと昇ってきた。ここで、主題は光そのもの、聖霊そのものとなってくる。読者も一段と光そのものに注意を凝らし、心の目で見なければならないというのである)とキリスト(三位格のうちキリスト)と永遠の息吹が吹き込まれる愛(三位格のうちの聖霊。トマス・アクィナスを典拠とする正統カトリックの見方によれば、神の愛・聖霊は父からも子からも永久に流出し、三位格相互の間にあまねく満ちる)を持って創られ、筆舌に尽くしがたい創造主としての神は、精神的存在も、物質的存在も秩序を保ってすばらしく創られたので、それを見る者は創造主がそこにいるのを感じます。読者よ、私と一緒に天球を見上げてください。一つの運行が他の運行と交わるところ(太陽が日々に運行する赤道と、年間に運行する黄道とが白羊宮で交わる昼夜平分点)を見てください。そして、神がその技を愛していられるので永遠に目を向けられる、その技をご覧なさい。地球の求めに応じて、これらの天球が通る黄道帯が、昼夜平分点から斜めに分かれているのがお分かりでしょう。もし黄道が斜めになっていなければ、天の偉大な力は弱まり、地球の力もほとんど無くなってしまいます。そして、もしその進路が真っ直ぐから、多かれ少なかれそれてしまうと、天球も地球も秩序が無くなるでしょう。さあ、読者よ、あなたが疲れてしまう前に、喜んで食事をしようとするのなら、あなたがちょっと味わってみたことをよく考えて、テーブルから離れないでください。私は料理をたくさん並べました。私が一生懸命書いている事(ベアトリーチェを道案内とするこの天国の旅)は、私の集中力を奪ってしまっているので、あなたはご自分で食事を楽しんでください。自然の最も崇高な僕であり、この世に天の印を押して、その光で私たちに時を知らせてくれる太陽は、私が先ほど言った白羊宮と合体して、日に日に早く見えるようになる螺旋状の道(当時の天文学で、太陽が地球の周辺をめぐるとされていた螺旋系のコース。春の季節には前日よりも必ず早く登り、また北寄りとなる)を通っていました。そして私はその太陽にいました。人が考え事をしている時、考えが浮かぶ前にそれと知る事ができないように、私が登ったのに私は気がつきませんでした。一瞬のうちに、さらに優れたところへ(既に見てきた月・水星・金星の三天もそれぞれに善であるが、今登りついた太陽天は、地球の影が差さない最大の光体なので、あらゆる天において「さらに優れ」ている)連れて行ってくれたのは、ベアトリーチェです。私が来た太陽の中で輝く魂は、何と美しかった事でしょう、色だけでなく光によって輝くのですから(太陽天を割り当てられている聖賢達の魂は、太陽よりも明るく光り輝く。従って彼らがそれと識別されるのは、色相によらず、光輝による。ダニエル書12の3に「目覚めた人々は大空の光のように輝き」、またマタイによる福音書13の43「そのとき、正しい人々はその父の国で太陽のように輝く」とあるのを参照)! もし私が才能、技能、熟練を使っても、あなたの目の前に再現する事はできません。信じて、見るのを願う(自らを天国の住民にふさわしい者とする)しかないのです。もし私たちの想像力がこのように高める事ができなくても、驚く事はありません。太陽より明るい光を知らないのですから。高きところにいる神の第四の家族である太陽天をあてがわれている知恵に優れた魂たちはそこに光っているのです。神は息吹き、奥義を示すのです(最初の主題と同じく、聖霊(愛の息吹)によって、父なる神が子なるキリストを産み、しかも三位一体であることのキリスト教最深最奥の奥義。それをこの天の聖賢の魂たちが、大きな満足を持って、いわば学習しているのである)。ベアトリーチェは言いました。「さあ、感謝しなさい。天使達の太陽である神(ダンテは『饗宴』3の12の7で、太陽が神の象徴である所以を述べている。神は至高天においてのみ直接に見られるが、まず可見の太陽天においてそれを垣間見るのを許される神の恩寵に感謝せよ、とベアトリーチェは言うのである)に感謝しなさい。神が恵み豊かにあなたをこの太陽に引き上げてくださったのですから。」ベアトリーチェの言葉を聞いた時の私の心ほど、神に屈して、献身する深い情熱に駆られたものはありませんでした。私は神への愛にあふれていたのでベアトリーチェは光が遮られ、忘れてしまったほどです。でも、ベアトリーチェはそれで怒ったわけではなく、微笑み、そのニコニコした目の美しさで、私の心を解きほぐし、様々なものへ注意を向けさせてくれました(その結果、至福の魂たちの存在が再び顕現する)。輝く光が私たちの周りを囲み、冠のようで、その声は、光り輝く姿よりも甘美でした。ラトーナの娘(月の神アルテミス。煉獄第二十曲参照)は、水蒸気を含んで、暈を作る月光を集め、その暈に囲まれていました。天の王宮では、私はそこから戻ったのですが、そこから地球に持って帰るには、すばらしすぎて高貴すぎるたくさんの宝石(ダンテと同時代人マルコ・ポーロの『東方見聞録』に、東方のある王国では、君主が、国内にある紅玉や真珠の国外持ち出しを禁じているとあるのを踏まえた、と見る注釈家もいる)がありました。その時光の魂たちが歌うのを聴きました。高いところに飛ぶ翼を持たない者は、唖から音信を聞こうとするようなものです。光り輝く魂たちは、歌って踊りながら、私たち二人の回りを三回(三一神の奥義を踏まえての「三」)廻りました。それはちょうど、二つの極(ベアトリーチェとダンテを例えて言う)の近くを廻る星々のようでした。すると、その魂たちは、止まりました。まだ踊っていたいのに、新しいダンスの曲のリズムに合わせようと静かにして音楽を聴く婦人達(ダンテの当時トスカーナ地方で流行した舞踏のやり方に例えての表現。音頭をとる一婦人が、静止したまま歌詞の最初の一連を歌うと、その終わるのを待って婦人も会衆も手をつないで復唱しつつ円舞し、歌い終われば円舞も止まる。婦人が再び静止して第二連を歌い、前と同じ動作が繰り返され、歌詞の最終連まで続く形式である。この比喩の導入により、ダンテは光だけの魂の円舞を読者に親しみの持てる物とした)のようでした。その時、その光の中から一つの声が聞こえました。「本当の神への愛が燃えると共に、神の愛も増し、あなたの内により光り輝き、再び登る者(死後の昇天。従ってダンテの救われはここにはっきり約束された)は、下りる事のないこの梯子(中世の神秘思想家が好んで用いた観想の梯子。その具体的な形としては、天国第二十二曲参照)を登る事ができるのです。あなたの渇望(これらの魂が生前誰であったかを知りたいと思う渇望)は、グラスにワインをついで満たすように、満たされます。それは、自然の理法に従って、小川が海に注ぐのと同じです。あなたのために力になってあなたを天に向かわせてくれる美しい淑女を取り巻く、光り輝く魂たちの冠のような環が、どんな花(その花を咲かせた植物、すなわち生前の姿)でできているのか知りたいでしょう。私は、さ迷わなければ牧草にありつける道をドミニクス(聖ドミニクス(1170頃-1221)。スペインの修道会の創設者。その生涯は天国第十二曲参照)によって導かれた聖なる羊の群れ(ドミニコ修道会)の一人です。私の右隣にいる魂は、私の兄弟であり、また師でもあります。彼はケルン(聖アルベルトゥス終焉の地)のアルベルトゥス(聖アルベルトゥス・マグヌス(1200頃-1280)。ドイツのシュヴァーベンに生まれたスコラ哲学者、神学者、自然科学者。博学のため大(マグヌス)を冠し、また「百科博士(ドクトル・ウニベルサリス)」と呼ばれる。パドヴァで学んだ後、1223年ドミニコ修道会に入り、ボローニャその他で神学を研鑽し、ドミニコ会の学林のあったケルンで数年間教鞭を執った。トマス・アクィナスはその時の弟子。爾後、レーゲンスブルク、フライブルク、シュトラスブルク、ヒルデスハイム、パリでも教えた。その間、1254年から1259年までドイツ修道管区長、1260年から0262年までレーゲンスブルクの司教、1269年来ケルンに定住した。百科博士と呼ばれるだけあって、その学識は哲学および自然科学の全般にわたり、ヒ素を金属状にして取り出すなどの実験も有名。アリストテレスの広範な学説をラテン民族の間に初めて導入した点では、アラブ民族の間におけるアヴィケンアのそれとしばしば比較される。神学者としては、アウグスティヌスの学統を受け継ぎ、三一神論や聖母論に優れた業績を示した)で、私はアクイノのトマス(有名なスコラ神学者・哲学者聖トマス・アクィナス(1225頃-1274)。イタリアのアクイノ伯家の出で、彼と血のつながりを持つヨーロッパの王家も少なくない。最初、生家に近いモンテ・カッシーノのベネディクト会修道院で教育を受け、後16才までの6年間ナポリ大学に学んだ。1243年か1244年に、教皇インノケンティウス四世のとりなしでやっとおさまったほどの強烈な一家の反対を押し切り、ドミニコ会に入った。会の支持でケルンに送られ、アルベルトゥス・マグヌスに支持、1245年にはアルベルトゥスと共にパリへ赴き、三年後、ケルンへ帰り、教師としての生涯を始めた。1257年、友ボナヴェントゥラ(1221-1274)とソルボンヌ大学で神学博士となり、パリで神学を講義し、名声を得た。1259年イタリアに帰り、ローマやボローニャで講義、パリのドミニコ会神学校の学長(1269-1272)となって再びパリへ帰り、親戚のルイ九世の顧問として、教会との間に立ち、俗事にも忙しく働いた。広大な著述の仕事は続けられた。1272年、シャルル・ダンジューの懇請により、ナポリ大学の教授となる。1274年、東西の両教会を一つにしようとの希望の元に、リヨン教会会議が開かれるに際し、教皇グレゴリウス十世に招かれ、病をおしてリヨンへ赴く途中、フォッサノーヴァのシトー会修道院に滞在中、3月7日逝去した。シャルル・ダンジューの手元に毒殺されたとの噂が立ち、ダンテもそれを煉獄第二十曲で取り上げているが、史実ではない。生前、「天使博士」と呼ばれていたトマスは、ダンテの死後2年に当たる1323年に、教皇ヨハネス二十二世によって列聖された。中世における体系的キリスト教文化の創造者として、恐らく最も偉大な存在であったトマスは、理性と信仰の区別、および必然的調和を求め、自然の光に基づく哲学は、恩寵の光に基づく神学と一致すべきであるが、自然を完成するのは恩寵であるから、哲学の及ばない領域では神学に頼らねばならないとした。従って哲学は「教会のはしため」である限りにおいて真であるとした。ダンテがその神学思想をトマス・アクィナスから最も多く受けていることは、神曲の随所に見られるが、本曲において特に顕著)です。もしあなたが、他の者についても知りたいのなら、この祝福された環にそって私がお教えしましょう。次の炎は、グラティアヌス(天国第九曲にあるように、12世紀の教会法学者グラティアヌス。若くしてベネディクト会修道士となり、ボローニャのサン・フェリーチェ修道院で畢生の大作『教会法矛盾条例義解類集』(後『グラティアヌス法令集』の名で呼ばれる)の準備を始め、1150年以前に完成した。聖書、使徒信条、教会会議が決定した法規、教皇の令旨、諸教父の抜粋文書からなるこの法令集において、彼は聖俗二法の一致点を求めた。「私心無く二つの法廷に奉仕した」と言われる所以である)の微笑みの光です。彼は、私心無く二つの法廷に奉仕して、天に喜ばれました。その次の、私たちの聖歌隊を輝かせる者は、貧しい寡婦(献金箱にレプタ銅貨二個を投げ入れ、いたくイエスの心に叶った貧しい寡婦。ルカによる福音書21の2-4参照)にならって、境界に自らの財宝を寄付したペトルス(12世紀のイタリアのスコラ学者ペトルス・ロンバルドゥス。1100年頃、ロンバルディアのノヴァラ付近に生まれたので、ロンバルドゥスを冠す。初めボローニャで学び、次いでベルナール・ド・クレルヴォーの添書をもらってパリに出、一時、アベラールに支持したと伝えられる。多年ノートルダム聖堂学林で神学を講じ、1159年パリの大司教となり、1160年に死去した。主著は『命題集』四巻で、教父達、特にアウグスティヌスの見解を示す文章を巧みに抜粋し、第一巻を神の、第二巻を創造と被造物の、第三巻を獣肉と贖罪の、第四巻を七つの秘蹟と終末論の解明に当てた。好評を博し、神学教科書としてひろく用いられ、その注釈書も多い。「貧しい寡婦にならい」とあるのは、『命題集』の序文で、「かの貧しき寡婦のひそみにならい、われらが清貧並びに知識の乏しき貯えの若干を主の財庫に寄進せんと願い」云々と書いている事への言及)です。私たちの内最も美しい五番目の光(ダビデの子、ソロモン。イスラエルの王(在位、前971頃-前932頃)。その光が最もうるわしいのは、キリストと教会との祝婚歌といわれる雅歌に表現された愛ゆえ)は、とても情熱的な愛の息吹きにより、地上では、その運命(死後その魂が救われたかどうかについて。神学者の見解は、救われたとする聖ヒエロニュムス、地獄に堕ちたとする聖アウグスティヌス、の二系列に分かれる。列王記上の11の4-13参照)を皆知りたがっているでしょう。その炎には、知恵を伴う深い心を伴っています(恋愛が主題となっている雅歌の他に、格言の書や伝道の書などのいわゆる知恵文学もまた、中世ではソロモンの作と信じられていた)。列王記が本当なら(列王記上の3の11-14、神がソロモンの夢に立ち現れて語った言葉の中に、「見よ、わたしはあなたの言葉に従って、今あなたに知恵に満ちた賢明な心を与える。あなたの先にも後にもあなたに並ぶ物はいない。」とある。それを踏まえて、ダンテは、「彼の後にまたと出なかった」と言ったのだが、疑問はないこともなく、重ねて天国第十三曲で解明される)、彼のような視力を備えた者は、彼の後にまたと出ませんでした。その隣の燃えるロウソクの光(ディオニュシウス・アレオパギタ。アテナイのアレオパゴス法廷の裁判官ディオニュシウスの意味で、使徒行録17の34に出てくる、パウロの説教を聞いて入信したディオニシオがそれ。五世紀か六世紀に書かれた新プラトン派の著作『諸天使の位階について』は、久しく彼のものと信じられ、ダンテも天国第二十八曲に用いている)を見てください。彼は、地球で生きている時、天使の本性と役割を最も深く見つめました。次の、この小さな光の中で微笑んでいるのは、キリスト教時代のすばらしい弁護者(名が挙げられていないので注釈家の見解は一致しないけれども、五世紀前半の史家で、『世界史』七巻の著者パウルス・オロシウスとする説が最も有力。彼は四世紀の末スペインに生まれ、司祭となり、413年か414年、ヒッポにアウグスティヌスを訪ねてその弟子となり、415年、師命を奉じてパレスティナのヒエロニュムスに学んだ。イエルサレムの大会議に出席してペラギウスを異端と断じ、のち北アフリカに帰って定住したと信じられるが、没年は不明)です。アウグスティヌスが採用した(オロシウスの『世界史』は、アウグスティヌスの勧めに従い、キリスト教の導入以後世界は悪化したとする異教徒の主張を論破するために書かれたもので、アウグスティヌスに献呈され、その『神国論』の補遺足ることを意図している)のは、彼の言葉でした。私が次々に紹介している光に、あなたの心の目を向けていれば、第八の炎に輝く魂について知りたいでしょう。良く話を聞こうとする者は、この偽りの世の中を最も明らかにしてくれる聖なる魂(イタリアの哲学者・政治家アニキウス・マンリウス・トルクアトゥス・セウェリヌス・ボエティウス(480頃-524)。東ゴート王テオドリクスに仕えたが、反逆罪に問われてパヴィアの獄につながれ、ついに拷問死した。獄中、『哲学の慰め』を書き、安心立命のよりどころを古代哲学に求めた。アリストテレスの論理学をラテン語に訳し、中世におけるアリストテレス研究の端緒を作り、またニコマコス、エウクレイデス、アルキメデス、プトレマイオス等の著作をも訳出して、中世初期ヨーロッパの思想形成に大きく寄与した。中世では、キリスト教の信仰を護持した殉教者と見なされ、教会では聖セウェリヌスと呼ばれている。ダンテの最も深く愛読した著者の一人で、言及の頻度が高い)が、神をよく見る事によって喜んでいます。この魂が脱ぎ捨てた肉体は、今、チェルダウロ(パヴィアにある聖ピエトロのバシリカ聖堂の墓所。聖堂の天井が金箔造りなのでチェルダウロ(黄金天井)と呼ばれる)にあり、流刑され殉教してここに来ました。次の炎を見てください。イシドルス(セビリアの聖イシドルス(570頃-636)。セビリアの大司教となり、スペインにおけるカトリック教会の発展に寄与し、また学術の振興、学校や修道院の創設、西ゴート族のアリウス説からの帰正等に献身した。ボエティウスの伝統を継ぎ、古代ギリシア・ローマの文化をゲルマン世界に移植した功績も大きい)、ベーダ(イギリスの神学者・史家のベーダ(673頃-735)。9世紀以来、「尊敬すべきベーダ」が通称。古典語を初め、学芸七科に通じ、682年からジャロウの修道院で研究と教授に従事した。数ある著述のうち、カエサルから731年までを叙述した『イギリス教会史』五巻は最も有名。聖イシドルスの伝統を継ぐスコラ学の先駆者)、そして、黙想にかけては人間の域を超えていたリシャール(12世紀の高名なスコラ学者で、代表的な神秘化リシャール・ド・サン・ヴィクトル。スコットランドに生まれ、パリ大学に学び、サン・ヴィクトルのアウグスチノ会修道士となり、1162年から逝去の1173年までそこの修道院長をつとめた。トマス・アクィナスがしばしば引用するその著述は、旧約の一部、パウロの書簡、ヨハネの黙示録などの注解を主とするが、一方、神秘的な黙想の実践者として「大黙想者」の名を勝ち得た。ダンテが「人間の域を超えていた」という所以である)の、息吹が燃えています。あなたが目を向けて、また私の方に目を向け直した十二番目の光は、重々しい考えに耽り、死が来るのが遅いと嘆いた(一刻も早く天国に行きたいと願って)魂です。これは、藁の町(カルティエ・ラタンの一角。今は「ダンテ通り」と呼ばれる)で説教をし、妬ましいほどに論理的な証明を広めた、シジェール(フランスの哲学者シジェール・ド・ブラバン(1235頃-1281頃)。アヴェロエスの信奉者で、パリ大学の教授、その出処進退はほとんど知られていないが、アリストテレスの哲学をいかに教えるかの問題に関し、パリ大学の被聖職教授達と托鉢修道士の教授達との間で起こった激しい論争の、前者の立役者であったことは明らか。世界の永遠性や、二十真理説などを弁証し、トマス・アクィナスやアルベルトゥス・マグヌスの反駁を受け、1277年にはパリの司教エティエンヌ・タンピエに破門され、異端審問を受ける前、教皇へ直訴するためローマへ逃れた。1281年と1284年の間に、ルヴィエートで、下僕に刺殺されたと信じられている)の、永遠の光です。」教会がキリストに朝課を歌う時刻に、私たちを目覚めさせる時計が、一つの部分を引き、また他の部分をぐっと押してチンチンと鳴り響き、神への愛をふくらましているように、十二至福者の栄光の環が廻るにつれ、美しいハーモニーと共に声が声に応じるのを、私は見ました。永遠に喜びが一つになるここ天界でしか見られない光景でした。(2005年10月26日)(2005年12月24日更新)

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第十一曲
人間の理性を失った努力よ! 下へ向かって飛ぶ時にあなたの翼をはためかせるあなたの理性は何と役に立たないのでしょう(煉獄第十二曲参照。天国へも登れる翼を持ちながら、地上の幸福追求に心を労し、しかもそれに最もらしい理由付けをする人間の営為への批判)! 人は、法学(聖俗二つの)を追い、ある者は医術を追い、ある者は司祭になり(財宝を得るために)、ある者は暴力や詐欺で支配をします(地獄第二十七曲で、自分の生涯を語るグイド・ダ・モンテフェルトロはその一例)。ある者は盗みに、ある者は公務に、ある者は肉の快楽に巻き込まれ、ある者はただ無駄に時間を過ごします。そして私はこれらのはかない事柄から解放され、ベアトリーチェと共に、素晴らしく荘厳に天に迎えられました。私たちをめぐるそれぞれの光は、踊りが始まる前にいたところに戻ってきて、ロウソク立てのロウソクのように静かになりました。すると、初め、私に話しかけた光(トマス・アクィナスの魂)から声が聞こえ、微笑んで、光り輝きながら言いました。「私が神の心を見つめていると、神の光を受けて輝くのと同じように、あなたの考えている事が分かります。あなたは私の言葉を聞いて当惑し、あなたに分かるように簡単に説明してほしいと思っているのでしょう。先ほど私が言った、”さ迷わなければ牧草にありつける道”とか、”彼の後にまたと出ませんでした”は、確かにもっとわかりやすくすべきです。世界を支配する神の摂理は、とても深い知恵を持っていて、神のすべての被造物は、その知恵を理解できません。大声で叫び(マタイによる福音書27の46に「三時頃、イエスは大声で叫ばれた。「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」これは、「わが神、わが神、なぜ私をお見捨てになったのですか」という意味である」とあるのを参照)、血でもってめとった者(十字架上の血で教会を贖ったキリスト。使徒行録20の28に「神が御子の血によってご自分の者となさった神の教会」とある)の花嫁(教会)がその愛する者のところへ行くために、新郎に対してもっと忠実になるよう、その左右両脇に導者(やがて分かるように、聖フランチェスコ(1181-1226)と聖ドミニクス(1170頃-1221))となるように定めました。二人の内一人は、セラフィムのような愛に輝き(天使の中で最高の位階にあるセラフィムの本誓は愛、従って絵画などでは燃える愛を象徴する火の色で描き現される。聖フランチェスコはセラフィム的師父と呼ばれた)、もう一人は、知恵をもって地上にケルビムの光を輝かせました(トマス・アクィナスの『神学大全』1に、「ケルビムとは知識の充実を意味する」とあり、知恵第一の誉れ高い聖ドミニクスは、生前、血に光り輝く天使ケルビムを連想させた)。さあ、私はその一人(聖フランチェスコ)について話しましょう。両者とも、同じ目的(キリストの新婦である教会をその本来の正しい姿に保つ事)に向かって働いたので、一人を褒め称えるのも、二人を褒め称えるのも同じなのです。トゥピーノ川(ウンブリアの北部を流れる川。源をアペニン山脈に発し、南流してノチェーラを過ぎ、フォリーニョのあたりで西流、キアシオ川を合わせ、テーヴェレ川に入る)と、ウバルド(聖ウバルド・バルダッシーニ(1100頃-1160)。グッビオの司教(1128-1160)となる前、グッピオの近くの山(キアシオ川の水上)に隠修士の生涯を送った)が選んだ丘から滴る小川(キアシオ川)の間に、高い山からの(アペニン支脈、モンテ・スバーシオ。その山から西へなだらかに下り、葡萄やオリーブの良く育つ肥沃な傾斜地の突出部に、フランチェスコの生まれた町アッシジがある)肥沃な傾斜地があります。この山はペルージャ(北ウンブリアの都市。町のモンテ・スバーシオに最も近い場所に市門ポルタ・ソレがある。町は東にそびえ立つスバーシオ山の影響で、夏には太陽の熱さを、冬には山上に降り積もる雪の寒さを痛切に感じる)にポルタ・ソレを通して寒さや暑さを運び、その背後のノチェーラとグアルド(二つともモンテ・スバーシオが属する山脈の東側にある小都市。「軛の重圧に嘆き悲しむ」とは、西にモンテ・スバーシオ山系、東にアペニン山脈が迫るため、寒暑の重圧が甚だしい事を言う)は軛の重圧に嘆き悲しむのです。この傾斜地の厳しさが最もゆるむところ(アッシジの町)に、一つの太陽(ここに生まれた聖フランチェスコ。ただし、ダンテ以前にも、聖フランチェスコやフランチェスコ会修道士は、太陽と結びつけて呼ばれる伝統があった。ことにフランチェスコ自作の「太陽讃歌」は有名)が生まれて、世界を光で照らしました。それはちょうど、ガンジス(イエルサレムの真東に当たるインドのガンジス河口)から昇る本当の太陽のようです。ですから、この町は、アッシジと呼ぶべきではなく、オリエンテ(アッシジの、ダンテ当時の名称。これはトスカーナ方言で「私はのぼった」の意味とされるが、それではまだ不十分なので、「日の出」を現すオリエンテこそふさわしいとするダンテの意想は、1263年に『聖フランチェスコ伝』を書き上げた聖ボナヴェントゥラがその序章でフランチェスコに、ヨハネの黙示録7の2の、「わたしはまた、もう一人の天使が生ける神の刻印を持って、太陽の出る方角から上ってくるのを見た。」を当てはめているのに基づくのかも知れない)と呼ぶべきでしょう。聖フランチェスコの太陽は昇ってすぐに、その力によって元気づけられて、大地は強さをしみこませられました。聖フランチェスコが24才の頃、あたかも死のように、誰もがドアに鍵をかけるような女性(清貧)を愛したため、彼の父親に激怒されました。聖なる法廷において、父の前で、その女性と結婚を誓い、日に日にその女性を愛しました(アッシジの裕福な羊毛織物職人の息子であったフランチェスコは、青年時代放蕩生活を送ったが、その頃でも貧しい人々には常に惜しみなく与えたという。二度重病にかかったのを契機として、彼は宗教的な生活への憧憬やみがたく、貧を生涯の妻とする誓願を立て、世俗の財物一切は我に関わり無しと宣言した。激怒した父はアッシジの司教に訴えたが、彼は司教の法廷で、着衣まで脱ぎ捨てたと伝えられる。「父を前にし」の出典はマタイによる福音書10の33。このことがあって二年か三年後、ある日聖堂で、キリストが十二人の弟子を伝道の旅へ送り出すに際しての命令、「帯の中に金貨も銀貨も銅貨も入れていってはならない。旅には袋も二枚の下着も履き物も杖も持っていってはならない。」(マタイによる福音書10の9-10)についての説教を聞き、激しく感動し、その場で靴も杖も捨て、ただ一本の縄を腰に巻くだけにした。後に教皇インノケンティウス三世の允可を得たフランチェスコ修道会が、「縄帯修道会」とも呼ばれる所以である)。その女性は、最初の夫(キリスト)を失ってから、1100年もの間(フランチェスコ回心までの)、軽蔑され、無視され、彼が現れるまで誰とも結婚しませんでした。世界を恐ろしがらせたカエサルの声にも動じることなく、アミュクラス(『パルサリア』5の515-531に登場するダルマツィアの極貧の漁夫、アミュクラス。カエサル対ポンペイユスの戦乱が激化し、戦々兢々として世人は生きた心地もなかったが、無一文の彼は悠々として赤貧を楽しむ。ある日カエサルは、対岸イタリアに渡ろうとして彼のみすぼらしい家にいたり、船を出せと命じたが、カエサルと知ってもびくともしなく、漁に必要なので船は出せないと断った)と共にいたと知られた事もありました。また、マリアを下にとどめたまま、キリストと共に十字架にかけられても(マリアでさえ十字架の下にとどまった時、キリストの着衣が象徴するその新婦・貧は、最後まで新郎・キリストから離れず、くじ引きによって刑吏達の分配するところとなった。マルコによる福音書15の24参照)、彼女はとても強くあったと知られた事もありました。このような隠喩は十分でしょう。私がしゃべった話は、簡単に言えば、フランチェスコと清貧とが相思相愛の仲だったという事です。フランチェスコと清貧の甘美な調和、喜びにあふれる顔つき、愛、驚き、優しげな姿は、他の人々の心に聖なる思いを奮い起こしました。尊いベルナルド(フランチェスコ最初の弟子、ベルナルド・ダ・クインタヴァルレ。アッシジの裕福な商人、また有力者であったが、フランチェスコの門に入り、持てる物すべてを売り払って貧者を救い恵むのに当てた)は一番初めに裸足となり(フランチェスコとその弟子達は、イエスが財布も旅行袋も靴も持たずに旅に出した使徒達(ルカによる福音書22の35参照)を慕い、裸足の日常生活であった)、素晴らしい平安(清貧を楽しとする生活)へ向かってひた走り、それでもなおまだぐずぐずしているように彼には思われました。ああ、真の富、清貧よ! ああ、忠実なる善行(貧者のために私財をなげうつ布施の行)よ! アエジディウス(ベルナルドに次いで、フランチェスコの弟子となったアエジディウス。アッシジの人、1262年ペルージャで逝去。『金言集』の著者)も裸足になりました。シルヴェストロ(アエジディウスに次いでフランチェスコの弟子となった人物。もと司祭で、フランチェスコが教会を建てる時、資財の石を提供したが、フランチェスコの支払額に不服で、文句を言った。するとフランチェスコは、掌にひっぱいの黄金を黙って差し出した。黄金へのその無欲ぶりをみせられて、シルヴェストロはおのれの貪欲をいたく恥じ、フランチェスコに随順したと伝えられる。1240年頃他界)も裸足になりました。彼らは新郎(フランチェスコ。しかしその奥にはキリストがある)に従い、新婦(清貧)を喜ばせました。そして、この父であり師であるフランチェスコは、愛する淑女(清貧)と、粗末な紐を結んだ弟子達と共に、出発しました(1209年、フランチェスコはその修道会の清規を定め、謙虚の表象としてその修道士を托鉢小修道士と呼び、時の教皇インノケンティウス三世の允可を得るべくローマに赴いた)。フランチェスコは、ベルナルドーネ(父のピエトロ・ディ・ベルナルドーネが貴族でなく、利殖に専念する中産階級の出であり、それゆえ品性がさもしかった事からくる卑下。聖ボナヴェントゥラの『聖フランチェスコ伝』によれば(6の1)、ある日自分が聖者として褒め称えられているのを聞くと、フランチェスコは弟子の一人に命じて、彼の出自の下賤さや、父の職業をこき下ろさせ、このような誹謗を聞くのは、ピエトロ・ディ・ベルナルドーネの倅としてまことにふさわしいと述べたという)の息子である事で卑下されましたが、全く気にせず、恥ずかしく思いませんでした。フランチェスコは、インノケンティウス三世(1198年、37才にして、選ばれて教皇ケレスティヌス三世の跡を継ぎ、1216年7月16日、ペルージャで逝去した)に対して、王様のように自らの固い意志を述べ、修道院允可の印を受けました(フランチェスコとその門弟達の風姿があまりにもみすぼらしく、その清規があまりにも厳しすぎるのに危惧の念を抱いた教皇は、1210年、気が進まないながら口頭でとりあえず許可の意を表明した。従って、「教皇の印」は単に「許可」を意味するのみ。翌々1212年、フランチェスコはモンテ・スバーシオのベネディクト会修道士達からもらったアッシジ近傍のポルツィウンコーラ(後にサンタ・マリア・デリ・アンジェリとなる)の小さな教会を自分の修道会の本拠とし、同年、彼の指導のもとに、弟子聖クララの最初の女子修道会も創立された)。清貧の中、フランチェスコに従う者はもっともっと多くなり(最初、彼の弟子達の通称は「アッシジの貧者」であり、正しく「托鉢小修道士」と呼ばれるようになったのはずっと後)、その驚くべき生涯は、私がここでこのように物語るより、天の高いところの天使達によって素晴らしく歌われ、聖フランチェスコ(原文に用いる「クリスト」は、多くの修道院を統括する地位にある者への、ギリシア正教会での称号として使われていた。ダンテはこの語を書簡11の13では教皇に、『帝政論』3の9の17では聖ペテロに当てはめている)は聖霊により、ホノリウス三世(インノケンティウス三世の後を受けて選ばれた教皇ホノリウス三世。フランチェスコは、1223年、この教皇から彼の修道会とその清規に対する公的な允可を得た。「第二の冠をかぶせられる」とは、そのことをさす)によって第二の冠をかぶせられました。高慢なスルターンの前で、フランチェスコは殉教の願いに駆られ、キリストとキリストに従った弟子達の事を説教しましたが(1219年、フランチェスコとその弟子若干名は、第五次十字軍に従ってエジプトに赴き、生命の危険を冒し、スルターンのアル=マリク・アル=カミルの陣営に入り、スルターンの前で熱心にキリスト教への入信をすすめた。スルターンはフランチェスコを丁重にもてなし、諸説に耳傾けたが、フランチェスコが火中に歩み入ってわが信仰の堅固さを証明すると申し出てもスルターンの心は動ぜず、高価な賜り物によってフランチェスコの労をねぎらおうとした。フランチェスコはこれを固辞したので、スルターンは十字軍の陣営まで無事送り届けたと伝えられる)、スルターンの心はキリスト教へ傾かず、無駄な事はやめて、イタリアの野に出て、多くの入信者を得ました。アルノ川とテーヴェレ川の間の岩場(アペニン山脈の一峯モンテ・デルラ・ヴェルナに弟子達が建てた隠棲処。1224年、フランチェスコはそこに籠もり、四十日間断食し、主の十字架上の受難を我にも経験させたまえと祈ったところ、その祈りは叶えられ、両手と両足を脇腹に計五つの聖傷痕(スティグマ)が現れたという。かれはこれらの傷の痛みを喜びを持って耐える事二年、1226年10月4日、アッシジ郊外の本拠サンタ・マリア・デリ・アンジェリから帰天した)で、フランチェスコは聖傷痕を受け、二年間耐えました。そのような素晴らしい事でフランチェスコを喜ばせてくださった神は、身を低くして、天国での至福の境涯を得る事となり、フランチェスコは、その弟子達に、正統な相続人に対するように、大切なうるわしい淑女(清貧)を託し、彼らにその淑女を大切にして愛せよと言いました。このようにして、フランチェスコは、自ら選んだ貧困の内に死に、棺も望まず、自然のままに天国へ帰りました(所伝によると、フランチェスコは臨終に際し、弟子達に命じて、死後、着衣をはがし裸とし、そのまま路地に捨てておき、灰をかぶせ、最後まで、妹背の相手なる清貧に、忠順な証しにしたという。なおフランチェスコが教皇グレゴリウス九世によって列聖されたのは、死後二年の1228年であるが、やがて伝記も現れ始めた。その最も有名なのは、幼児の時フランチェスコによって奇跡的に病を癒された経験の持ち主聖ボナヴェントゥラのものであるが、ダンテはこのくだりを書くに際し、それと、トムマーゾ・ダ・チェラーノのそれに準拠した)。考えてみてください。聖ペテロの船(教会)が、波の高い海で航路を間違わずに船を進める操舵手として、どんな人がふさわしいでしょう。それは、聖ドミニクス(天国第十二曲の主題となる聖ドミニクス。アクィナスの留意はここで、おのれの属する教団ドミニコ修道会の役割に及ぶ)です。聖ドミニクスに従った者は、その航海にふさわしい良い貨物(精神的な財貨である徳行や善根)を持っています。しかし、今やその羊たち(ドミニコ修道会士達)は、お腹が空いてしまい、もっとおいしい食物(世俗の利得)を得ようと、様々な方向へ離れていってしまい、遠くの牧草地に散り散りになってしまい、帰ってくる時は良いミルクが出ないのです(彼らの栄養素足るべき精神の豊かさを失う)。群れから離れてどこかに行ってしまうのを恐れて、牧者にくっついている羊もいますが、そういうのはほとんどいなくて、ちょっとした布切れがあれば、その頭巾を作る事ができてしまうほどです。さて、もし私の言葉が分かりにくくなければ、そして、もしあなたが一生懸命聞いていてくれたなら、そして、もし私が初めの方にしゃべった事を思い出してくれるなら、あなたの願いは一部は満たされたでしょう。なぜなら、砕けた木(本来の真姿を失ったドミニコ修道会)が今どのようになっているか、そして”さ迷わなければ牧草にありつける”と私が言ったのがなぜかということをあなたは分かっているからです。」(2005年10月28日)(2005年12月24日更新)

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第十二曲
トマス・アクィナスの魂の至福の炎が、最後の言葉を言い終わると、聖なる挽き臼(光る魂たちによって形作られた環。これを挽き臼に例えたのは、挽き臼が上下二枚の盤の水平回転によって機能するのと同様に、魂の環も、ベアトリーチェとダンテを囲み、水平に回転しているから)がまた回り始めました。そして、一周回る前に、もう一つの石が囲んで回り込み、動きが動きを生み、歌が歌を生んだのでした。歌う魂たちの甘美な歌は、現世の最高の歌をも現世の最高の詩をも上回るほど素晴らしく、光の源が、反射した光より輝くのと同じでした。ユーノー(ローマ神話のユーノー。ギリシア神話のヘラに相当し、女性の守護神として、ローマ神話ではユピテルやミネルウァと肩を並べる重要な神格)が侍女の虹の女神イリスに現れるように言い、かすんだ雲から二重の虹が現れるようでした。朝日によって露が消えるように、愛によって姿が消され、反響が声を生んだエコー(ギリシア神話のニュンペの一人、エコー。ダンテの依拠したオウィディウスの『変身譜』3の356-401に従えば、ユピテルがニュンペ達と恋の戯れに興じている間、エコーはその妃ユーノーにそれを気づかせまいと、絶えず自分に話しかけるようにし向けた。この関係を見破ったユーノーは、罰として、エコーを他人の言葉尻の繰りかえししかできない反響に変身させた。この状態でエコーは、テスピアイの美少年アルキッソスに恋したが、報いられず、苦悩のあまりやつれはてて、その声だけが残ったという)のように、外側の虹(二重の虹の外側の弧は、ダンテの時代でも、内側の弧の反映または反響だと考えられていた)が、内側の虹から生まれました。この虹によって、神はノア(旧約アダムの直系第十代の族長ノア。この物語については創世記9の8-17参照)と交わした契約によって、地上に大洪水はもう起こらないと地上の人に知らせるのですが、そのように、永遠のバラの花輪は私たちの回りを巡り、そのように、外の環が内側の環に反応するように歌ったり踊ったりしました。歌と、光の喜びである輝く焔と共に、踊りと荘厳なお祭りが、まるで私たちの意志がよって二つの眼が同じ時に瞼を開けたり閉めたりするように、ぴったりと同じ時に止まった時、新たな光の真ん中から一つの声が聞こえ、私は、磁石が北をぴたっと示すように、そちらの声の方に向かいました。その声は言いました。「私(ボナヴェントゥラ)を美しくする神の愛によって、一人の師、聖ドミニクスについて語ります。彼のために、聖フランチェスコが讃美されます。私たちは一人を抜きにしてもう一人を語る事はできません。両者は一つの目的に向かって戦ったので、彼らの名声は一つになって輝くのです。アダムの原罪のため無気力となってしまった信徒達を、キリストが血の贖いにより立ち直らせることとなったキリストの信徒達は、十字架の後ろから、熱心が足りず、信仰が動揺していて、数も少なく進み、神は、このようなおぼつかない信徒達のために、恵みを与えてくださって、既に言われた通り(天国第十一曲参照)、二人を差し向け教会を助けさせ、信徒達はまとまりはじめました。甘美な西風が吹き、ヨーロッパ中の若芽が芽吹かせるスペイン(『変身譜』1の63-64に「入り日燃え輝くかの西の岸部こそ、ゼピュロス(西風)の居場所なれ」とあり、スペインはその居場所に最も近いとされていた。西風は春の到来を告げる)で、春分の頃、大西洋岸の長い海岸線(スペインはイタリア半島の真西に当たり、春分時の太陽はその線上の大西洋に沈む。夏至時の日没は西北に寄る)からそう遠くないところに、幸運のカレルエーガ(ブルゴス州にある古代カスティリャの一村、カレルエーガ。「幸運の」と修飾したのは、聖ドミニクスが生まれた場所だから)があります。統治と臣服を示す二匹の獅子(二匹の獅子と二つの城を左右交互に配したカスティリャの盾。城の上にある獅子は統治を、下にある獅子は臣服を現す)のある力強い盾で守られた運に恵まれた町です。そこに生まれた敬虔なキリスト教信者(聖ドミニクス(1170頃-1221)。スペインの貴族グスマン家の末裔といわれるが、確証はない。生誕に先立ち、彼の母には、口に松明をくわえ、その火がたちまち全世界を燃えあがらせた一匹の犬を生んだ夢見があっと伝えられる。14才にしてバレンシア大学に入り、神学を修める事10年乃至12年。早くから自分に打ち勝ち、慈善家で知られ、飢餓に際して自分の衣服を売って貧民を救って恵んだ話、貧しい女の兄の身代わりに、自分をムーア人に奴隷として買ってもらおうとした話などが語り継がれている。1195年、オスマ司教座聖堂の参事会員となり、1203年には、司教に従い、ローマへの外交的使命を帯びた旅にのぼる。二年滞在し、帰国の途中、しばらくプロヴァンス地方に留まり、アルビ派異端糾問十字軍に参加、説教だけでなく、剣を執っても戦うほどの果敢な行動を示したという。1215年、トゥールーズの司教フォルケ・ド・マルセイユに随行して第四回ラテラノ教会会議に出席、トゥールーズに帰ると、説教托鉢修道会(ドミニコ修道会)を結成、早くも翌年には教皇ホノリウス三世の允可を得た。その後ドミニコ修道会は、イタリア、スペイン、フランス、ドイツ、ポーランド、イギリスの各地に続々と設立され、1219年、ボローニャに本拠を置く。1221年8月6日、ボローニャにて逝去した。遺骸はニコラ・ピサーノの作った大理石の墓に収め、同地サン・ドメニコ教会に安置されている。1234年、教皇グレゴリウス九世によって列聖されたが、その時教皇は、ドミニクスの聖性は、ペテロやパウロのそれと同様、一点の疑いなし、と宣言した)は、味方には優しく、敵には非情な、聖なる闘士でした。聖ドミニクスの心は、神が作られたその時に、並はずれた力を授かり、母親のお腹の中でも、その母を預言者にしました(懐妊中、彼の母は、その口に燃える松明をくわえた黒白まだらの犬を生むという夢を見た。黒と白がドミニコ修道会の衣服の色。松明は熱情を意味する。この逸話は「ドミニ・カーネス」(主の犬たち)の語と連想とされる)。洗礼盤のところでキリスト教と婚姻し(聖フランチェスコが清貧と婚姻を結んだ(天国第十一曲参照)ように、聖ドミニクスは信仰と婚姻を結ぶ。この辺り、第十一曲と厳密な対比のもとに書かれ、フランチェスコとドミニクスが教会という戦車の両輪にほかならない事を示す)、信仰はドミニクスをたくましい盾とし、ドミニクスは信仰によって永遠の福を受けることとなりました。聖ドミニクスの代母(幼児を洗礼の儀式に臨ませ、その代人を務める女性。洗礼の儀式にあたって、「そなたは受洗を願うや?」との司祭の問いに対し、代母が、「願う」と答える)として答えた女性は、聖ドミニクスとその後継者達が素晴らしく熟れた果実を生み出す夢を見ました(伝えによれば、ドミニクスの代母となった貴婦人は、夢に、この幼児の額に一つの星がちりばめられ、全世界を輝かすと見た。これは、ドミニクスとその修道士達が理知的作業に秀でる事を象徴し、フランチェスコとその修道士達が情動的作業に優れていたのと相対する)。名前が、彼自身とそぐうように、天から霊感が訪れて、神のものであるので、ドミニクスと名付けられました(「主」(ドミニク)の所有格形容詞ドミニクス。そのスペイン語形がドメニコ)。私は、聖ドミニクスを、キリストをそのぶどう園(教会。諸聖伝『黄金伝説』に現れる「ドミニクス」という名の釈義の一つに、「主のぶどう園の番人」がある)で助けるようにとキリストによって選ばれた農夫に例えましょう。聖ドミニクスはキリストの側近の使者であり、その愛は、キリストに与えられた第一の助言(八福の第一、「心の貧しい人々は、幸いである」(マタイによる福音書5の3、ルカによる福音書6の20参照)を指し、謙譲が意味されていると見る事ができる。しかしグランジェントは、第十一曲も第十二曲も、同じ行で、共に聖フランチェスコと聖ドミニクスの清貧への愛を称えているところから、ここはキリストの三つのすすめ、清貧・禁欲・服従の内の第一、すなわち「行って持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい」(マタイによる福音書19の21)に表現された清貧を指すと解釈する)に対する愛でした。しばしば、聖ドミニクスの乳母は、彼がベッドから床に下りて、静かに、「私はこのために生まれてきたのです」(マルコによる福音書1の38のキリストの言葉、「そのために私は出てきたのである」を踏まえている)と言うかのようであったのを見つけました。ああ、父のフェリーチェよ、なんと幸福な名前でしょう(ドミニクスの父の名フェリーチェは、ロマンス語で「幸福な」の意味)! ああ、母親のジョヴァンナよ、あなたは「主の恵み」です(ドミニクスの母の名ジョヴァンナは、ヘブライ語で「主の恵み」を意味する)! 二人の名前は、その人そのものを良く表しています。世にもてはやされる法学や医学を修め、財と名誉を得る目的で学んだ、タッデオ(13世紀後半の名医で、ボローニャ大学に科学的な医学部を創立したタッデオ・ダルデロットであろう。彼はヒポクラテスやガレノスの著作に、哲学的な挿絵のある注解を試みた。しかしこのタッデオを、ダンテの同時代人で、聖俗両法学に通じていたフィレンツェのタッデオ・ディ・ペポリだとする注釈家もいる)や、オスティア(ラティウムの一村、ローマの南西約24キロの地点にある。もとはテーヴェレ河口を占めていたが、今は河口から6キロあまり遡る。司教区で、「彼」とは1261年から10年間そこの司教で枢機卿にも任ぜられた高名の教会法学者エンリコ・ダ・スーザを指す)の彼のようにではなく、永遠の糧(天国第二曲で「天使の糧」と呼ばれたもの)への愛のために生まれてきたのです。聖ドミニクスは、すぐに素晴らしい神学者になり、管理者が怠って枯れさせてしまうぶどう園(教会)の勤勉な視察官のようでした。かつては貧者に対して恵み深かったのに、教皇の座そのものではなく教皇自体が今では腐敗(わけてもボニファティウス八世のそれ)してしまった教皇座に、聖ドミニクスが求めたのは、所持金の三分の一又は半分を救いや恵みの目的に使用するのでなく、収入の多い司教座などが空席となった際、後任となるのをねらうのでもなく、「神の貧者のものである十分の一(三年の終わりごとに、その年の収穫の十分の一を全部持ちだし、町囲みの内におく事を命じたモーセの律法(申命記14の28参照)に基づき、貧者のために取り立てる十分の一税)」でもありません。聖ドミニクスが本当に望んだのは、あなた方の回りの24の草木(ダンテとベアトリーチェを二重に囲む24の魂)を芽吹かせる種(信仰。ルカによる福音書8の5-15参照)のために、罪深い世の中と戦うための許可(1215年、ドミニクスはトゥールーズの司教フォルケ・ド・マルセイユ(天国第九曲参照)に随行してローマに赴き、教皇インノケンティウス三世に、正信の宣布に中心を置く新しい修道会設立の許可を請う)でした。教義と熱心な意志を具えた教皇の允可(1216年、教皇ホノリウス三世によって)を得て、高いところから急流が噴き出るように、彼は押し進め、手強い異教の荒れ地のやぶ(プロヴァンス地方に根を張っていたアルビ派)に対抗しました。そして、聖ドミニクスからはドミニクス教団の流れをくむ分教団(またはドミニクスの説教を信奉する人々)が枝葉のように出て、その若木は育っていきました。聖なる教会が自らを守り、異端ののさばりはびこるのに打ち勝った、二輪を具えた教会という戦車の一輪である聖ドミニクスがこのようであったならば、もう一輪の聖フランチェスコの素晴らしさもお分かりでしょう。それについては、私が来る前にトマス・アクィナスが話しましたが。しかし今は(天国第十一曲で、ドミニコ会修道士のトマス・アクィナスが自らの所属教団に批判を加えたように、以下フランシスコ会修道士のボナヴェントゥラが、フランシスコ修道会の現状を厳しく批判する。相手を称え、自派を責めるこのダンテの態度は、のち、ドミニコ会修道した10月4日の聖フランチェスコ祝日に、同教団の修道院でミサを唱え、フランシスコ会修道士が、8月4日の聖ドミニクス祝日に、同教団の修道院でミサを唱える習わしに定着した)、聖フランチェスコの輪の素晴らしい部分は失われました(フランチェスコ会修道士達によって)。かつては聖フランチェスコの足跡を真っ直ぐに追って歩いていた家族も、今では後ろを向いて踵を返してしまいました。刈り入れの時がくれば、荒れた耕作地を見る事になり、雑草は収めるところが無く、嘆く事になるのです(マタイによる福音書13の30の「刈り入れの時、”まず毒麦を集め、焼くために束にし、麦の方は集めて蔵に入れなさい”と、刈り取るものに言いつけよう」を踏まえたこの雑草の隠喩は、1318年、教皇ヨハンネス二十二世がフランシスコ会厳格主義派を同修道会から排除した事を指す、との解釈もあるが、むしろ率直に、堕落したフランシスコ会修道士が天国からはじき出される意味にとるべき)。もし私たちの本(フランチェスコ修道会。ここでまた隠喩が一転する。一ページは個々のフランシスコ会修道士を指す)を一ページ一ページ探せば、「私は先師在世の頃と全く同じです」と読める一ページ(一フランシスコ会修道士)を見つけるかも知れません。でも、そのように書く優秀な者は、ダックァスパルタ(スポレートの南西約15キロにあるウンブリア地方の一村、ここでウベルティーノの論的マッテオ・ダックァスパルタ(1302年死)が生まれた。彼は1287年フランシスコ修道会の総会長に任ぜられ、翌年、教皇ニコラウス四世から枢機卿を授かる。1300年と1301年の両度、教皇ボニファティウス八世の命を受けてフィレンツェに赴き、白派と黒派の確執を和らげようとしたが、不成功に終わった。フランシスコ修道会総会長の時、厳格主義派のウベルティーノの猛反対を押し切り、同会清規の緩和を強行、悪弊潜入を招く結果となった)やカザーレ(北イタリア、ピエモンテ地方の一都市、トリノ市の東約48キロ、ポー川の右岸にあるカザーレ。いわゆるフランシスコ会厳格主義派の頭領ウベルティーノ・ダ・カザーレ(1259-1330頃)の郷里。ウベルティーノは1273年フランシスコ会に入り、パリ大学で9年間教えた後イタリアに帰って厳格主義派の指導者となり、フランシスコ修道会で清規の緩和を主張するマッテオ・ダックァスパルタと鋭く対立した。教皇クレメンス五世の在位(1305-1314)中、フランシスコ会の主流は彼の派であったが、教皇ヨハンネス二十二世の在位(1316-1334)時代となって風向きが変わり、彼はフランシスコ会を離れ、1317年、ベネディクト会に入った。イエスの磔刑を論じたその主著(1306年完成)は、たぶんダンテの知るところであったと思われる)出身ではないでしょう。そのフランチェスコ派の規則を、前者(マッテオ・ダックァスパルタ)はゆるめ、後者(ウベルティーノ・ダ・カザーレ)は厳しくしました。私は、バニョレジオのボナヴェントゥラ(イタリアのスコラ神学者、聖ボナヴェントゥラ(1221-1274)。本名ジョヴァンニ・ディ・フィダンツァ。聖ドミニクスの没年、オルヴィエートに近いバニョレジオで誕生。幼年、危険な病気にかかったが、アッシジの聖フランチェスコによって奇跡的に癒されたと伝えられる。フランチェスコはその知らせを聞き、思わず「ブオーナ・ヴェントゥラ!」(幸運)と叫んだので、幼児の母は爾後彼の名を「ボナヴェントゥラ」に変えたという。1238(一説に1243)年フランシスコ修道会に入り、パリに出て、スコラ学者ヘールズのアレクサンデルについて学び、パリ大学の哲学および神学の教授を歴任、1257年博士となり、同年フランシスコ修道会総会長に選ばれ、1273年まで在任。その間教皇クレメンス四世からヨーク大司教職を提供されたが辞して受けなかった。1274年、教皇グレゴリウス十世によってアルバーノの司教・枢機卿に叙任され、同教皇に随行してリヨンの第二回教会会議に出席、7月15日、同地で逝去。1482年、教皇シクストゥス四世によって列聖、のちさらに教皇シクストゥス五世によって教会博士に伍せられ、セラフィム博士の称号を受ける。アウグスティヌスの正統的継承者であったが、アリストテレスをも取り入れ、またアンセルムス以来の神秘派の伝統に忠実であり、ベルナルドゥスを重視した。その『聖フランチェスコ伝』は最もよく知られ、ダンテもこれによるところが多い)の魂です。フランシスコ修道会総会長並びに司教・枢機卿としての職に就く時は、世俗的な利益は後回しにしました。イルルミナート(聖フランチェスコの最も早い弟子の一人、イルルミナート・ダ・リエティ。師に従ってエジプトへ同行した)やアウグスティーノ(同じく聖フランチェスコの最も早い弟子の一人、アウグスティーノ。1210年入会、1216年にはテルラ・ディ・ラヴォーロのフランシスコ修道会の長となった)もここにいます。神の友であると示す、紐だけを身にまとった(天国第十一曲参照)神の裸足貧困団(フランシスコ修道会士)の者です。サン・ヴィクトルのフーゴ(十二世紀初頭の有名な神秘主義的スコラ学者、サン・ヴィクトルのフーゴ(ユーグ)(1096-1141)。フランドルあるいはザクセンの貴族の出。幼時、ザクセンのハーメルスレーベン修道院で教育を受け、1115年、パリ近郊のサン・ヴィクトル修道院に移る。この修道院はアベラルドゥスの師ギヨーム・ド・シャンポーの創立にかかり、十二世紀には神秘主義の一本拠であった。やがて彼は同修道院の律修司祭の一人となり、1130年から没年まで同学林の神学講義を担当した。神秘主義と弁証法の結合を試み、神の純粋な直観こそ哲学の最高目的だと説いた。ベルナール・ド・クレルヴォーの親友であり、弟子にはリシャール・ド・サン・ヴィクトルやペトルス・ドンバルドゥスなどを数える。トマス・アクィナスによって最も頻繁に引用された学者)や、ペトルス・コメストール(ペトルス・コメストール(多読家ペトルスの意味)。十二世紀の前半、フランスのトロワイエに生まれ、長じて同地の司教座聖堂の首席司祭となる。1164年サン・ヴィクトルの律修司祭、次いでパリ大学の総長となり、1179年、財産のすべてを貧者に遺贈し、サン・ヴィクトルで逝去。その主著『教会史』は、聖書に依拠しつつ、世界の最初から使徒時代までを叙したものであるが、中世では最高の権威とされた)や、下界で12部の本で光り輝くペトルス・ヒスパヌス(13世紀のスコラ哲学者ペトルス・ヒスパヌス(1220頃-1277)。姓はユリアーニ。リスボンの生まれ。初め父の業を継ぐべく医学を修めたが、後にパリに出、アルベルトゥス・マグヌスについて学ぶ。聖職受任し、1273年、ブラーガの大司教となり、翌年、教皇グレゴリウス十世によってトゥスクルム(フラスカーティ)の司教・枢機卿に任ぜられた。1279年9月13日、選ばれて教皇ヨハンネス二十一世となったが、在位わずか八ヶ月あまり、1277年5月20日、ヴィテルボなる教皇宮の一室の天井が落ち、圧死をとげた。十二部からなる彼の『論理学綱要』は、中世で最もよく読まれた著述の一つ)もいます。預言者ナタン(バテシェバと結婚するために、その夫、ヘテ人ウリヤを死に至らしめたダビデの罪を糾明するため、神が送った預言者ナタン。サムエル記下12の1-15参照)や、聖ヨアンネス・クリュソストモス(ギリシア教会の説教者(350頃-407)。弁舌に長じていたので「クリュソストモス(金口の)」と呼ばれる。アンティオキアの貴族の出。初めて法律を学んだが、のち修道士となり、説教に秀で、398年、皇帝アルカディウスによってコンスタンティノポリスの総代司教に任ぜられた。聖職者の風紀弛緩に対し、きわめて峻厳な態度をとったので、聖職者達に憎まれ、ついに403年、アレクサンドレイアの総大司教テオフィルスと、その越権ぶりが彼に公然と非難された皇后エウドキアの提議により、総大司教を罷免され、追放に処せられた。しかし彼を慕う民衆が承知せず、反乱を起こしたので、復職したものの、翌年再び追放され、結局黒海沿岸の流刑地で命を終えた)や、聖アンセルムス(カンタベリの大司教(1033-1109)。ピエモンテのアオスタに貴族の子として生まれ、1060年、27歳の時、院長ランフランク(1004頃-1089)の名声をしたい、ノルマンディーのベネディクト修道院に入り、ベネディクト会修道士となる。1063年、ランフランクがカーンの修道院長に昇任すると、後を追って副院長となり、1078年、同修道院創立者の逝去に伴い、院長の座につき、1093年までその職を守る。同年、イギリス王ウィリアム二世により、ランフランクの後任として、それまで四年間空席であったカンタベリ大司教に迎えられた。教会の自主性に関しウィリアム二世との間に隙を生じ、1097年、教皇ウルバヌス二世と談合するためにイギリスを離れローマへ向かう途次、大陸滞在中ウィリアムの訃報(1100年)に接し、ヘンリー一世の招請で再びカンタベリへ戻った。ところがこの新王とも、平信徒による聖職者の任職や忠誠の誓いについて見解を異にし、一時ローマに留まったが、1106年、王の譲歩によるベク協定の成立を見て、またカンタベリに帰ってからは王の信任篤く、1108年、王のノルマンディー旅行に際しては摂政に任ぜられた。翌年4月21日カンタベリで逝去、1494年、教皇アレクサンデル六世により列聖。思弁の弁証法的鋭さと信条の正統的受け取り方によりスコラ学の先駆者または父と呼ばれる)や、第一の学問である文法を勉強したドナトゥス(四世紀中葉のローマのラテン文法学者・修辞学者アエリウス・ドナトゥス。聖ヒエロニュムス(348頃-420)に教えたと言われる。テレンティウスとウェルギリウスの注釈もあるが、有名になったのは『文法の技術』三巻の著者としてであり、全中世を通じ、この書ほどおびただしく書き写されて流布したものは他になく、後世、「ドナトゥス」は文法書の意味にさえ用いられるに到った。なお中世における七学とは、文法、論理、修辞、算術、幾何、音楽、天文を言う)もいます。ラバヌス(ラバヌス・マウルス・マグネンティウス(780頃-856)。出自はマインツの貴族。青年の頃フルダの修道院に入り、801年、助祭となる。間もなくトゥールに移り、アルクインに師事したが、アルクインは彼の敬虔と勤勉を嘉し、聖ベネディクトゥスの愛弟子聖マウルス(565死)に因んでマウルスの別名を与えた。814年司祭に任命され、817年、聖地巡礼を終えてフルダに帰り、822年、そこの修道院長となったが、842年、宗教と文学に専念するため、その職を退いた。しかし5年後、マインツの大司教に任ぜられ、死ぬまでその座を守った。当代随一の博識者と見なされ、聖書の広大な注解を筆頭に、神学上の著述も多く、彼が生涯の大半を送ったフルダは、ドイツの学術の中心となった)もいます。そして私の隣には、予言の力を与えられたカラブリアの修道院長ヨアキム(カラブリアの修道院長、フロリスのヨアキム(1145-1202)。生前も死後も、預言の能力を称えられていたらしく、「預言の霊を賦与された」との句が童貞マリアの父聖ヨアキムの祭日、カラブリア州の諸教会で今も歌われる交唱聖歌から採られ、ここに用いられた。ヨアキムはイタリアの南端カラブリア州コセンツァの北東約6キロのチェリコで生まれた。聖地巡礼を終えてイタリアに帰国後、1158年の頃、サンブチーナのシトー会修道院に入り、1177年、カラブリア州コラッツォの修道院長となる。1185年、教皇ウルバヌス三世は、ヨアキムに著述に専念する閑暇を持たせるため、代理院長を置いたが、1189年、ヨアキムは、カラブリア山系の森林地帯に位置するフィオレにサン・ジョヴァンニ修道院を創設し、以後、フロリスのヨアキムと呼ばれるようになった。この修道院規は、1196年、教皇ケレスティヌス三世の允可を得、いわゆるフロリス修道会発祥の基点となるのだが、1505年、同会はシトー修道会に吸収された。ヨアキムには、ヨハネの黙示録注解や、旧約と新約の一致を論じた著述の他、彼の作に擬せられる預言的な書物も多く、その神秘思想から、フランシスコ会の厳格主義派が生まれた。ここで注意すべきなのは、知恵の魂たちの第一の環で、トマス・アクィナスの左隣にいるシジェール・ド・ブラバンと同じ関係を、この第二の環で、ボナヴェントゥラの左隣のヨアキムが保っている事である。トマス・アクィナスがシジェールを難じたように、ボナヴェントゥラもヨアキムに源を持つ厳格主義を難じた。それにもかかわらず、厳格主義の二魂もまた、太陽天に至福永遠の面影をとどめる。ダンテが志向した崇高な和解とカリタス(隣人愛)の精神は、ここにも良く現れている)が輝いています。兄弟トマス(トマス・アクィナスが教皇ヨハンネス二十二世によって列聖されたのは、ダンテの死後二年の1323年なので、「聖」を冠せず「兄弟」を冠した)の輝かしい礼儀正しさと慎み深い言葉(トマス自身はドミニコ会に属しながら、いわば論敵の長フランチェスコへの深く燃える愛ゆえに、公平無私のフランチェスコ礼讃を繰り広げた事)によって、私は聖ドミニクスを褒め称えることとなりましたが、私とともにいるこの魂たち(ボナヴェントゥラが列挙した円陣の十一魂)をも感動させました。」(2005年11月1日)(2005年12月24日更新)

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第十三曲
私が次に見た事を、あなた方が思い描く事ができるよう、想像してみてください。私が話している間、あなた方は岩のように固く心の目でこのイメージを想像してください。天の15の輝く星を想像してください(この光景をよりよく現前させるには、最も明るい恒星24を選び、それらが二重の虹の形に配置された姿を想像する事が読者に要請される。最初に選び出されるのは、プトレマイオスの天文学によれば、全天で光度第一等の様々な恒星15。次に、北半球では決して地平線下に沈まない大熊座の、目立つ七つの星が加えられる。残る二つは、北極星を頂点とする角笛状のこぐま座から選ばれるが、それら二つの星は、アル・ファルガーニーに従えば、第二同級の光度を持つ)。その星の光は、光度が高く、濃い霧の間でも、光を地上に至らしめます。夜も昼も北半球の天空にある(常に北半球の天にあって地平線下に没することがないことを言う。しかし実際には昼夜を通じては人の目には見えない)北斗七星が回転して位置を変えるのを想像してください。至高天の軸となる北極星の端から始まる、二つの星(こぐま座において、北極星の対極にある二つの星)が皆集まって二群の星々となっていて、それは、ミノス(ギリシア神話のクレタ島の王。地獄第五曲参照。その娘アリアドネの冠が星座に変じた経緯は、『変身譜』8の174-182に物語られている)の娘が死んで冷たくなり、天に残した星座のようですが、その二群の星々の内の内側の環は、外側の環に光を映して、両者とも回りながら、違うスピードでも、うまく同調して、輝きから輝きへと巡るのを、想像してください。そうすれば、あなた方は、私の回りを踊りながら廻る二重の星々が、思い浮かんでくるでしょう。この踊りが素晴らしいことを人間の知見では伝えられないことは、最も速い原動天とキアーナ川(東部トスカーナと南西部ウンブリアを流れる川。ダンテの時代には、流れの遅いので評判を得ていた。その領域にマラリアが猖獗を極めた事については、地獄第二十九曲参照)の動きを比較するようなものです。彼らが歌ったのは、バッカスの讃美歌(往古、異教の司祭達が歌ったバッカス讃歌の類)や、アポロンへの讃美歌ではありません。神の父と子と聖霊の三位格と、キリストに見られる人性と神性を歌ったのです。歌と舞いが終わると、それらの聖なる光は、歌や舞いから心を転じて、私たちの願いを叶えるのを喜びました。神の貧しい僕である聖フランチェスコの驚くべき生涯を教えてくれた聖トマス・アクィナスは、24の魂たちの沈黙を破り、言いました。「今や、一束の麦が脱穀され、麦が倉庫に蓄えられたので(「さ迷わなければ牧草にありつける」(天国第十曲、十一曲参照)という命題は既に解きほぐされた)、神の甘美な愛は他の束を脱穀するように私を促します(「彼のような視力を備えた者は、彼の後にまたと出ませんでした」(天国第十曲、十一曲参照)という命題の解きほぐし)。エバの、禁じられた果実を味わいたいという欲求によって、人類が高い代償を払う事となった、そのエバの美しい顔を作るために肋骨を取られたアダムの胸にも、槍に刺し貫かれて、未来においても過去においても人類の重い罪を大きく上回るほどの贖いを果たしてくださったキリストの胸にも、人間の性質に与えられた知恵の光は、これら二つを作った神の力によって注がれたのです。ですから、私が五つ目の光(ソロモンの。天国第十曲参照)について彼ほど知恵を持っていたものはいないと話した事を聞いて、あなた方は驚いたに違いありません。これから私の言う事に目を開いてください。そうすれば、あなた達の考えと私が先ほど言った事が真理として一つになるからです。死ぬもの(神が直接に創ったもの、すなわち、天使・諸天・人間の魂など)も、死ぬ事ができないもの(二次的な原因によって形成されたもの。天国第七曲参照)も皆、父のような神が、その愛から生じさせる観念(三一神の第二位格、ロゴス)の反射光なのです。子であるキリストは、父のような神から輝き出るので、そこから離れる事はなく、聖霊とも一つになるのです。キリストは永遠に残りつつ、その恵みはその光線でもたらされますが、それは反射光のようで、九つの天を運行させる九階級の天使を通じてもたらされるのです。そしてその光線は現世にいたり、その作用は上から下へ移っていき、力が弱まり、滅び行く被造物を造るのです。滅び行く被造物とは、回転する諸天が創り出すものですが、それは、種から生まれる動植物や、種から生まれる事のない鉱物などです。このように現世に生成するものの素材はだいたい受容的で、それを創る諸天の力はだいたい実効的で、同じように神の観念を型押しされているのですが、その光はそれに応じて輝きます。同じ種類の木でも、実は異なり、良いものも悪いものも実ります。同じ人間といえども性質が様々なのも同じです。被造物の材料が完全ならば、そして諸天の力が最大限に発揮させられれば、神の観念の光は完全な物を作ります。しかし、自然(生成因としての諸天)はこの光を最大限で伝える事ができません。職人が、作品を創ろうとしても手が震えてしまうのと同じです。でも、もし、燃える愛(聖霊)が第一の力(父)の鮮やかな面影(子。ここは三一神の創造作業が過不足無く完全に行われた場合を示す)を映すのなら、すべては完全となります。ですから、土から完全な生き物であるアダム(創世記2の7参照)が作られ、マリアはキリストを受胎する事となったのです(アダムと、人の子としてのキリストは、完璧な創造)。この二人においてほど人間の性質が素晴らしかった事は、過去にも未来にもないと考えるのは正しいのです。さて、私がもしここで説明をやめてしまったら、あなたはすぐにこう訊ねるのでしょう、”そういうことなら、ソロモンが比類無いというのはどうしてですか?”と。わかりにくい事を理解しやすくするために、ソロモンがどんな人だったか、そして、神がソロモンに”欲しいものを言いなさい”といった時のソロモンの答えについて考えてください(列王記上3の4-14参照。ソロモンがギベオンで一千頭の丸焼きのいけにえを献げた夜、神がソロモンの夢に現れ、汝の願うものを与えよう、何を選ぶかという。ソロモンが答えて、御身から預かっている民を裁き、善悪を識別する明知の心を御身のこの下僕に与え賜れと願う。この願いは主のみ心に適い、「見よ、私はあなたの言葉に従って、今あなたに知恵に満ちた賢明な心を与える。生涯にわたってあなたと肩を並べうる王は一人もいない」との言葉が返ってきた。天国第十曲参照)。ソロモンは立派な王となるために、知恵を求めた王でした。ソロモンが求めたのは、天使達の数を知る事ではなく(天の起動力者の数は、プラトンやアリストテレスによって論じられたが、教父達は起動力者を天使に置き換え、進学の問題とした。ダンテも『饗宴』2の4と5でこれを論じている。「天使達はほとんど無数」というのが正統の答え)、また、偶然を伴う必然の前提が必然の結論をもたらすかどうかを知る事(これもプラトンやアリストテレスが触れた論理学の問題で、中世のスコラ学に取り入れられた。答えは「否」)でもなく、第一の動きはあり得るかどうかを知る事(アリストテレスが『自然学』8の1-2、250b-253aで触れた物理学の問題。スコラ学では一切の運動を神に帰する。ダンテの『帝政論』1の9の2参照)でもなく、半円の中に直角を持たない三角形を作る事ができるかどうかを知る事(エウクレイデスの『原論』3の31にある幾何学の問題。答えは「否」)でもありません。ですから、私が、無比の知恵の事を言ったのは、王者の素晴らしい分別の事を言ったのです。私が”またと出なかった”と言ったのをあなたが覚えているのなら、数は多いけれど良い者はほとんどいない王者達に限定してる事だという事が分かるでしょう(ソロモンが空前絶後に賢かったというのは、王者に限定しての事であって、人間全体に関してではない)。このように私の言葉を考えてくれれば、アダムとキリストについてのあなたの考えは矛盾しないはずです。この轍を踏んで、この後、軽々しく物事を断じないようにしなければなりません。肯う時も、否む時も、良く区別せずに行うのは、愚か者です。軽率な意見は、間違った方向に向きやすいのに、プライドによって知力が邪魔されるものです。腕前がないのに、真理を得ようとする者は、出かけた時より悪くなって帰ってくるので(昏迷に昏迷を重ね、時には誤謬を真理と思い違えて帰ってくるのが落ち)、得るものが無くて帰る(真理を得ようと思わず、虚心坦懐に)よりずっと悪いです。このことの証しとなっているのが、パルメニデス(前515年頃イタリアのエレアに生まれたギリシアの哲学者パルメニデス。没年不明。「あるものはある、無いものは無い」との矛盾律固守の立場を出発点とし、真にあるものは連続一体・不生不滅、変化もしなければ運動もしない巨大な球体でなければならないと論証し、一方、運動・変化・多数の概念は、死すべき人間の妄想に過ぎないと退けた。この思想を知るべき哲学詩『自然について』が断片的に伝わっている)、ブリュソン(ギリシアの哲学者。非幾何学的なごまかしの方法を用い、円と同面積の正方形を求めるという不可能事を試みたとして、アリストテレスが言及している人物)、そしてメリッソス(前5世紀のギリシア哲学者、サモスのメリッソス。パルメニデスを始祖とするエレア学派最後の人。しかし宇宙の空間的無限を主張する点においてパルメニデスと異なるのみならず、エンペドクレスの四原素論、原子論者の空虚の観念、アナクシメネスの稀化および濃化の説、アナクサゴラスの寒および熱の説なども悉く批判した)、そして行けども行けどもどこに行くやら分からなかった者たちです。サベリウス(三世紀の異端の始祖サベリウス。北アフリカのペンタポリスに生まれ、プトレマイスの司祭となり、265年頃死去。三一神の教義を否定し、父・子・聖霊は唯一神の異名に過ぎないと説き、教皇カリストゥス一世から破門された)やアリウス(ギリシアの神学者アリウス(250頃-336)。リビアに生まれ、アンティオキアの神学者ルキアノスについて学び、アレクサンドレイアの司祭であった318年頃、キリストは神によって作られたのだから、被造物中第一とはいえ、性質も威厳も父なる神に劣り、聖霊は神でなく、この力によって作られたと主張し、三一神説否定の教義を広めた。コンスタンティヌス大帝は325年ニカイアに初の公会議を召集し、この教義の是非について論議させた結果、アリウスとその一派は異端と断定され、イルリア地方に追放された。のち追放を許されたが、アリウスはコンスタンティノポリスで急死した。しかしその死後、彼の信奉者は数名の皇帝をも含めて増加し、教会を300年間混乱させた、異本質か同本質かの論争の温床を作るに到った)も同じです。聖書を誤解してゆがんだ解釈を求めようとした愚者達と同じです。まだ熟していないのに麦の穂を数えて歩く人のように、人はその判断をすぐに信じてはいけません(コリント人への第一の手紙4の5に「ですから、主が来られるまでは、先走って何も裁いてはいけません」とあるのを踏まえ、神慮の測り難さに言及し、天国第十曲に取り上げられた問題、すなわちソロモンの魂が死後救われたかどうかについての考察の伏線とする)。なぜなら、私は、冬の間、丈夫なトゲのある茎のイバラが、美しいバラを咲かせるのを見てきたからです。そして、私は、船が真っ直ぐ海を乗り越えて、その全行程を終え、港に入ってきて、沈んでしまったのを見たからです。すべてを知っているという太郎さんや花子さんが、甲が盗み、乙が施しものをするのを見た時、神の裁きがあると思ってはいけません。甲が救われ、乙が地獄に堕ちるかも知れないのです。」(2005年11月3日)(2005年12月24日更新)

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第十四曲
円形の容器の水は、中を叩くと中心から縁へ、そして外を叩くと縁から中心へとさざ波が立ちます(知者達の集うこの天では、円が形象の基本となる。円い器の中心に位置するのはベアトリーチェであり、それを取り巻く周辺の二つの環からの発言が中心のベアトリーチェに波動し、ベアトリーチェのそれが周辺へと波動するありさまを述べている)。トマス・アクィナスの輝く光が話し終わった時、私にはそのようなイメージが浮かびました。トマス・アクィナスの言葉から生まれたものと、ベアトリーチェが次に言った事から生まれたものが似ていたからだと思います。ベアトリーチェは話し始めました。「こちらのダンテは、もう一つの真理の根底を理解しなければならないのですが、必要とする事も言えないし、今までのところ、考えることさえしません。あなた達の魂を花のように輝かす光について、ダンテに説明してください。今輝いているのが永遠に続くのかどうか、説明してください。もし永遠に続くのなら、あなた達が最後の審判が終わって、これらの魂たちが再び肉の衣を身にまとう時に、どのようにして、互いの輝きから肉眼が持ちこたえるか、教えてください。」環になって踊る人々は喜んで、ステップを速めて、高い声を上げるように、ベアトリーチェの熱心で誠実な願いを聞いて、聖なる二つの環は、素晴らしい音楽と踊りで、新たな喜びを示しました。地上で死に、高いところで生きる事を嘆く者(天国に永遠の生を得るためには、地上の生と別れなければならない)は、天国で神の恵みの雨が不断にその住民を潤すのを知らない者です。父と子と聖霊は、永遠に生き、聖霊と子と父において永遠に治めるのです。その魂たちは、信じられないほど美しいメロディーを三回歌いました。それは天の至上のご褒美のようでした。すると、内側の環の中から、最も明るいソロモンの光(天国第十曲参照。ソロモンの雅歌は、神的なものと人間的なものが一つに結ばれ、最後の審判では肉が蘇生して魂と合体する喜びを主題とする)の、マリアに受胎を告知した天使ガブリエル(ルカによる福音書1の28参照)の声のようなつつましやかな声が聞こえました。「天国の喜ばしい祝宴の続く限り永遠に、あなたがご覧になるようなこの輝きの中で、私たちの燃えるような愛(ソロモンが雅歌で讃美したような愛)は、光の衣を永遠に身にまとう事となるでしょう。私たちの輝きは私たちの愛に比例し、私たちの情熱は私たちの視力(神を見得る力)に比例し、その視力は私たちに与えられる神からの恵みと比例します。清らかになり、光り輝く私たちの肉体が、最後の審判において再び魂に着せられる時、私たちは、完璧になるのでますます喜ばしくなるのです(天国では、まだ肉と合体していない魂も、至福の状態にあるが、再び肉の衣を着れば至福はさらに増す。そしてトマス・アクィナスも言う通り(『神学大全』三の補遺)、何であれ完璧度が高ければ高いほど神に近くなる。地獄第六曲参照)。神が私たちに与えてくださる恵みの光は、増し(肉体が蘇った後も)ます。ですから、私たちの視力が増すのにつれて、情熱は視力によって増し、その情熱の輝きも増すのです。しかし、炭火は炎を放ちますが炎の中に隠れずに、白く輝くのがクッキリと目に見えるのと同じように、最後の審判の時に蘇る肉体はその光のために隠れず、それを貫いて見ることができるのです。また、このような光は、私たちを萎えさせる事はなく、私たちの体の様々な器官は、私たちを喜ばすものならばなんでも耐えられるように強くなるのです。」その時突然、二つの環の両方の魂たちが「アーメン!」と叫び、それは死んだ肉体を望む願いがよく現れていました。その願いは、彼ら自身だけではなくて、その母親達や父親達や、そして彼らが永遠の炎となる前に親しかった人たちすべてのためだったのです。すると突然! 私たちの回りで光がすべて輝いたかのような、明るい一つの光が現れました。それは太陽が昇ろうとする空の果てのようでした。そして、夕暮れ時に星々が天に現れると、日光の名残に遮られて、あるのか無いのかよく見えないですが、それと同じように、新たな魂たちが二つの環の外に環を作ったのを見たのでした(この第三の光の環は、第一・第二のそれのように12の魂からなるのでなく、無数といって良いほどの光体である事がやがて判明する共に、第三位格の聖霊すなわち神の愛が顕現し、三一神の奥深い教義の褒め称えは完全に形を整える)。ああ、これは聖霊の真の輝きです! とても素早くとてもまぶしくその光は輝いたので、私の目はその輝きに圧倒されてしまいました! しかしベアトリーチェは私にとても晴れやかに微笑んだので、それは記憶がたどれないほどすばらしい光景でした。それで私は力を得て、再び目を上げました。すると私はベアトリーチェと共に第五天である火星天に上げられていました。星の白く光る輝きは、赤みを増したので、私は高いところに登ったのだと分かりました(火星の赤らみの濃淡については煉獄第二曲参照。その火星が今、ダンテとベアトリーチェを迎え入れた喜びで、一層赤らみを増し、火と燃え立たせている)。私はすべての人の共通語で(心の中で)、心をこめて、このように神が新たに恵んでくださった恵みに感謝しました。私の胸で感謝の気持ちが燃え続けているうちに、私はその感謝の気持ちが、喜ばしくも受け入れられた事が分かりました。なぜなら、このように力強く輝く光が、二つの光線の中で赤く輝き、それを見て私は叫びました、「ああ、ヘリオス(太陽を意味するギリシア語ヘリオスと、神を意味するヘブライ語エリとの合成語で、霊的な太陽、すなわち神の別名。ダンテは『神曲』その他の自作品で、しばしば神を太陽と呼んでいる)よ、あなたは彼らをこのように飾りました!」天の川(ダンテは『饗宴』2の14の5-8で、天の川の起源に関する諸説を挙げ、論じているが、アリストテレスに依拠したのではなく、アルベルトゥス・マグヌスの『流星論』1の2の2-5がその典拠)がたくさんの大小の星々で飾られて、宇宙の両極に白く輝き、賢哲(ピュタゴラス、アリストテレス、プトレマイオス)が疑いを持つように、その二つの光線は、火星の深みで星座となり、環の中に十字形(円を四等分する二直径が交叉して作る十字形。その十字架の形がいわゆるギリシア正教会型であるのは、以下に展開する叙述によって明らか)を作るのでした。しかし、私は思い出す事はできますが、才能が足らないので、記す事ができません。その十字架はキリストの姿を輝かせましたが、どのように記したらよいのか分かりません。しかし、自分の十字架を背負い、キリストに従う使徒(マタイによる福音書10の38、16の24参照)は、天に昇る事ができて白い輝きに包まれるキリストを見て私が書く事ができなかった事を許してくれるでしょう。十字架の上から下、右から左へと明るい輝きは動き、光が行き交う時に輝きが閃きました。十字架上の動く光は、暗室へ差し込む太陽光線中に浮動する、微塵のように、あるいは真っ直ぐにまたは曲がって、あるいは速くまた遅く、絶えずその形を変えて動くようでした。弦がハーモニーを奏でるヴィオールやハープが、節を知らない者にも、甘美な音を聞かせるように、私は讃美歌の事をよく知りませんが、空に集まった十字架にそって光る光から、メロディーが私の心を奪いました。でも、それがとても尊い讃美歌(死と地獄を征服した勝利者キリストへの)である事は分かりました。聞いてはいても分からない人に言うように、私には「立て」そして「勝て」と聞こえました。この音楽は私の愛を燃えあがらせ、このように甘美な鎖で私の心を締め付けた事はかつて無かったほどです。しかし、見つめるだけで心が安まる、あの美しいベアトリーチェの眼の与える喜びをないがしろにするのなら、この私の言葉は軽はずみに思われるかも知れません。でも、最高に美しいベアトリーチェの目は、上へ上がるにつれ強く輝くことと、私がそこでベアトリーチェの目を見ていなかった事を考えれば、軽はずみに思われるかも知れない私の言葉に対して、まだ火星天でベアトリーチェの目を見ていないということを弁解として、私は私を責めません。つまり、今し方耳にした歌の妙音に魅せられて、うるわしいベアトリーチェの眼を二の次にしたのではありません。私たちが昇って行くに連れてベアトリーチェの目を見る喜びは清まるのです。(2005年11月8日)(2005年12月26日更新)

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第十五曲
欲が溶けて悪意となるように、本当の愛は溶けて善意となります。神が弦をゆるめたために、甘美な音のするハープと聖なる弦の響きは止まりました。第五天の魂たちは、私に彼らに頼む願いを起こさせようとして、皆静かにしたので、どうして正しく祈る者に耳をかさないという事があるでしょうか? 長く続かないものに対する愛のために、永遠に正しい愛を失う者は、地獄において永遠に嘆くのです。時々、穏やかで、雲一つ無い空に流星(乾燥した大気は非常な高度まで上昇すると発火し、再び地球に向かって突入する、それが流星だと中世の人々は考えていた)が流れ、物憂げに空を見ていた人の眼を流星の走る方向へ向けさせます。それは、星がその場所を変えたかのように見えます。流星の発火点で星が失われるのではなく、そしてすぐに消えるように、十字架の右翼から、十字架の随所に光り輝く魂たちの中の光の一つが、十字架の真ん中へ行き、そして足元に落ちました(ダンテは十字架の足元近くにいると考えられる)。その走り降りた魂は放射状にたどり、雪花石膏の幕の後ろで輝く火のようでした(光を通す雪花石膏は、中世の上流社会で灯火の被いに用いられた。これを通すと、中央の発光体は光度を増し、いよいよ美しく光り輝くという)。私たちの最も素晴らしい詩神であるウェルギリウスの言うことを信じるのなら、同じような愛情をこめて、アンキセス(アエネアスの父)の魂が、エーリュシオン(ギリシア神話で、英雄や善人が死後に住むとされたエーリュシオン)で我が子(アエネアス)を抱こうと前へ出ました(『アエネアス』6の684-688参照)。「ああ、我が血筋の者よ、ああ、神の惜しみない恵みよ、あなたの他誰に天の戸は生前と死後と二度も開かれたでしょうか?(パウロの場合は、肉体のまま天に昇ったかどうか定かでない。しかしダンテには、肉体のままという明確な自覚がある)」このようにその光は言ったので、私はその魂を見つめました。そして私はベアトリーチェの方を向きました(第五天へ来て初めて)が、その魂の言葉と、望み得られる最高の喜びの境地に、私の目が触れたかと思わせるほどの、ベアトリーチェの微笑の燃え輝いているのを見て驚いて私は立ちつくしました。声も姿も素晴らしいその魂の喜びの光は、言葉を付け加えましたが、奥が深すぎて、私の理解の範囲を超えていました。しかし、その魂が、わざとその考えている事を私から隠したのではありません。人間の考えをはるかに超えていたのでしょうがないのでした。そして、その愛の弓矢の的を下げて、人間の知力で分かる的に向けて言葉を放ちました。私が初めて理解できた言葉は、「褒め称えましょう、私の子孫を素晴らしくも愛してくださった、三一神よ!」そして彼は続けました。「黒も白も永久に色を変えない大いなる書物(神の定めと、未来の姿が書き記されてある書物。神によって与えられた、予知予見の能力。「黒も白も永久に色を変えない」とは、白地に記された黒い文字の不変常恒なのを言う)を読んでから、ずっと待ちわびていました(その書物によって、1300年春、子孫のダンテが天上へ旅してくると知ってからの待ち遠しい思い)。我が子よ、私があなたに話しかけているこの光の中で、ベアトリーチェに翼を与えられてこのように高いところまで登って来れたあなたのおかげで、私は癒されました。あなたの考えが、一切の考えの源である神から私に下ることは、その神を見ることによって人の思うところを知ることができるのと同じだと、あなたは信じています。ですから、あなたは、私が誰か、またはこの喜びの中であなたに会う事を私が喜んでいるのがなぜかを、私に訊ねませんね。あなたの信じている事は正しいです。ここ天国では、その受ける福が多い者も少ない者も神によって人の思うところを知るからです。しかし、聖なる愛の中にあって私が永遠に神を見つめ、また甘美なあこがれに渇くその聖なる愛が完全に満たされるように、自信を持って、大胆に、そして喜ばしく、あなた自身の声であなたの思うところを、そしてあなたが心から願う事を叫んでください。それに対する私の答えはもう決まっています!」私は、私が声にしてないのに、しゃべろうとした事を分かってくれたベアトリーチェの方を向きました。ベアトリーチェは微笑みながら私が知りたいと願う心の翼を力づけてくれました。そして私は言いました。「あなた達は、天で神を見て、あなた方それぞれの愛と知恵は均等に得られました(天国第三十三曲参照)。あなた達を暖め、光で照らす太陽のような神は、その熱(愛、すなわち意志力)と光(知力)で完全に平等なので、比較する事ができないためです。しかし、あなた達がよくご存じの通り、人間の間では、意志と表現力の翼の重さは異なっています。私も人間なので、感謝したい願望は熾烈だけれど、それを表す能力が欠けていると、不釣り合いを深く感じます。ですから、(曾祖父の父である)あなたには、心でもって感謝するしかできません。この尊い十字架の宝石の中の、素晴らしいトパーズのような生きる宝石のようなあなた、どうかお名前を教えて私の望みを叶えてください。」その魂は言いました。「私の子孫よ、あなたが来るのを待ちこがれていました、私はあなたの祖先です。あなたの一族で、母方から出たアリギエーリ姓を名乗り、煉獄第一冠(ここでは高慢者が浄罪する。ダンテは自己反省して、高慢を一族の欠点と見た。煉獄第十三曲参照)で百年あまりを過ごした者は、あなたの祖父で、私の息子です。あなたの祈りによってその長い浄罪行(重い石を背に乗せて運ぶ浄罪行)を短くしてあげてください。フィレンツェは、その古い壁の中で(ローマ時代の城壁のあとに、九世紀頃構築された古い市壁)、午前九時と午後三時(古い市壁の内側にあるバディア修道院から響くこれら定時の鐘の音は、フィレンツェ市民の時報でもあった)の鐘を鳴らせて、節度を持って穏やかな平和な日々を送っています。そこでは、首飾りも冠もつけず、贅沢なガウンも着ないで、つけている人よりも目立つベルトもつけていませんでした。当時は、女の子が産まれても、父親は恐れることはありませんでした。結婚適齢期はまだ低くはなく、持参金もそんなに高くなかったからです。大きすぎる家は建てられず、寝室を金銀宝石で飾るサルダナパロス(前822年頃に栄えたアッシリア王。その華美好みと柔弱は世の語りぐさとなった)もまだ姿を現していませんでした。ローマのモンテマーリオ(ローマ近郊の丘。ヴィテルボからローマに入る旅客は、この丘の上に立ちローマの全容を一望できる。従ってローマの壮麗の代辞に用いた)に、あなた達のウッチェルライトオ(フィレンツェ近郊の丘。北からフィレンツェ市に入る旅客は、まずこの丘の上に立って市の全容を見下ろす事は、モンテマーロのローマにおけるのと同様)は比べることもできませんでしたが、フィレンツェは栄華と壮麗においてローマに勝りました。でも、おごるものは久しからずです(ローマもフィレンツェもやがて衰退するであろうけれど、衰退の速度でもフィレンツェはローマを凌ぐ)。ベルリンチオン・ベルティ(由緒古いラヴィニャーニ家出自のフィレンツェ人。地獄第十六曲「すばらしいグアルドラーダ」の父。グアルドラーダがグイド・グエルラ四世に嫁した事により、フィレンツェの名門コンティ・グイド家はラヴィニャーニ家ともつながる事となった。十二世紀の後半に生きたこのベルティを、フィレンツェの年代記作者ヴィルラーニは、「フィレンツェの尊敬すべき市民、好もしい紳士」と称えている)は、骨と皮で作られた帯をしめて歩いているのを見たし、その良き妻はお化粧をしていませんでした。ネルリ家(フィレンツェの名門で、天国第十六曲のブランデンブルクのフーゴ侯爵から騎士に叙せられた家柄)や、ヴェッキオ家(ネルリ家と並ぶフィレンツェの名門。グエルフィ党に属し、1260年、ギベリーニ党がモンタペルティの戦いで勝利したあと、フィレンツェから追放された)の家長も革だけの衣を着て、その妻たちも一日中、糸車と錘を操っているのを見ました(共に質実勤勉な暮らしの出処進退。格言の書(箴言)31の19に「手を糸車に伸べ、手のひらに錘をあやつる」とある)。ああ、幸せな妻たちよ! 彼女たちの誰もが、最後に眠る場所が分かっているし(追放されて異郷の士となることなく、一門代々の先亡が埋められている墓地に安住する事)、夫が商用でフランスへ赴き、久しく滞在して帰らないため、妻が身を慎んで生活を続けることもありませんでした。ある妻は、ゆりかごの赤ちゃんを見守りながら、赤ちゃん言葉で話しかけます(乳母も侍女もいない質素な生活)。またある妻は子供たちに囲まれて、糸巻き棒から糸を引きながら、トロイア人、ローマのこと、フィレンツェのこと(トロイア人が初めてローマの基を築き、のちローマ人によってフィエゾレやフィレンツェが建設されたという郷土愛豊かな伝承の物語。このような伝承がダンテの時代を遠く遡る頃からフィレンツェ市民の間に愛好された事はヴィルラーニの年代記1の6や7に見られる)のお話をします。ラーポ・サルテレルロ(出自は卑しいが富裕なチェルキ家と同族の、フィレンツェの法律家でダンテと同時代人。市政上重要な問題には大抵関与する腕利きであったが、賄賂の額次第で平然と黒を白と言いくるめた。ダンテと同じ政党に属し、追放後、流刑地で窮乏の内に死す。彼に対するダンテの低い評価を裏付ける史料は多い)や、チアンゲルラ(ダンテと同時代の、フィレンツェ名うての悪女1330年頃死んだという。その傲慢・放縦・浪費は鳴り響いていたらしい。ベンヴェヌート・ダ・イモラの伝えるところによれば、イモラの相当な身分のものと結婚したが、死別後フィレンツェに帰り、悪名をばらまいた。ある時説教を聞きに教会へ赴いたが、貴婦人の誰も席を空けてくれないのに腹を立て、殴り据えようとした。相手もさるもの、殴り返して大騒動となり、男性会衆はやんやと喝采し、説教者までが説教をやめて見物に加わった。なおこの女は、下僕を棒で打ち据える常習者であったらしい)のような者がその頃いたとしたら、今の、キンキンナトゥス(古代ローマ共和国の英雄ルキウス・クィンティウス・キンキンナトゥス。天国第六曲参照)やコルニーリア(大スピキオの娘で、グラックスの妻。地獄第四曲参照)のように珍しかったでしょう(その頃悪人が少なかったのと同様に、今、善人が少ないのと同じ)。このように穏やかで美しい市民の住んでいる中で、頼もしく集い、甘美な場所で、母は産みの苦しみの中、マリアに助力を願い(難産のため我が母はマリアに助力を乞うたが、願いは聞き入れられ、無事私は生まれた、という意味。陣痛に際しマリアの名を呼ぶのはキリスト教国の常)私は生まれました。そして、フィレンツェの洗礼堂(往時はここでフィレンツェ生まれの大抵の幼児が受洗した。地獄第十九曲参照)でキリスト教徒となり、カッチャグイーダ(カッチャグイーダの出処進退については、ダンテがここで伸べた事以外には、ほとんど不明であるが、それに基づく注解者たちの考証を整理すると、次のようになる。カッチャグイーダは1091年頃、ローマ人の末裔を誇るフィレンツェの名門の一つ、エリゼイ家に、モロント、エリゼオを兄弟として生まれたらしい。ポー川流域の相当な家から妻をめとり、その苗字アリギエーリが子孫の姓となる。カッチャグイーダは第二次十字軍(1147-1149)の結成に際し、ドイツ王コンラート三世の部下となり、騎士に叙せられて出征したが、間もなく殉教の死を遂げた。彼の実在を証明する古文書がフィレンツェ市に残っている)と名乗りました。エリゼオとモロントは私の兄弟です。私の妻はポー川の谷から嫁ぎ、あなたの名前はその苗字から出ました。そして私は皇帝コンラート(ホーエンシュタウフェン家のドイツ王コンラート三世(1093-1152)。神聖ローマ皇帝ロタール三世の対立王として擁立され、ロタール三世と戦ったが敗れ、彼の死後即位。ハインリヒ十世と戦ってバイエルンを得たが、両者の抗争は、のちホーエンシュタウフェン家に味方するギベリーニ党と、イタリア諸都市の自由を支持するグエルフィ党の対立にまで尾を引いた。フランスのルイ七世と組んでの第二次十字軍遠征に失敗後ドイツに帰り、バンベルクで逝去した。ただし、コンラート三世から騎士に叙せられたフィレンツェ市民の名は、フィレンツェのどの記録にも見あたらないので、ダンテが、ドイツ王コンラート二世(990頃-1039)とコンラート三世を混同したのではないかと疑う注釈者もいる。コンラート二世ならばヴィルラーニの年代記によると、カラブリアのサラセン討伐の途次、フィレンツェに立ちより、軍旅に加わった若干名のフィレンツェ市民を騎士に叙している)に仕え、その騎士団の一人となり、私は良く仕えたので、皇帝は喜んでくれました。私は皇帝に仕えて、聖地イエルサレムの取り戻しが全く念頭にない教皇達のためにキリスト教徒が当然の所有権を持つ聖地イエルサレムがイスラム教に奪われた時に戦いました。聖地において、私はイスラム教徒によって、多くの魂が愛するために穢れるこの偽りの世(煉獄第十九曲の、教皇ハドリアヌス五世の述懐の中に「ローマ教皇になってはじめて、世の人々が不誠実である事を知ったのです。」とある、その現世)から解き放たれました。私は殉教(中世では、十字軍に参加して聖地に死ぬ者はすべて殉教者であり、死後直ちに天国へ赴くと見なされていた)によってこの平安をえたのです。」(2005年11月11日)(2005年12月26日更新)

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第十六曲
ああ、つまらない些細な事ですが、私の血筋が尊いのはなんと誇らしい事でしょう(「貴族と呼ばれることの、いかに空しくはかないかを悟らない者がいるだろうか?」と書いたボエティウス(『哲学の慰め』3のの20-21)を初め、ダンテの愛読した古今の作家でこの考えに共鳴する者は多く、ダンテ自身、『饗宴』や『帝政論』でこの主題をとりあげている。にもかかわらず、天国における栄光の聖徒の一人が祖先と知っては、まだ現実の俗界に生きているダンテとして、家門の誇りに胸躍らずにいられなかった)! 私たちの愛情が不安定なこの地上において、この誇りを喜ぶ事は、今後私を驚かせる事はありません。なぜなら、常に欲求が正しい天で、私は血筋について誇りに思ったのですから! 高貴の生まれである事は、美しい衣のようですが、誇りを保つだけの徳行を子孫が加えて行かない限り、縮んでいってしまう衣です。ローマ人に用いられていましたが、今はもう使われていない、二人称複数形で(伝説によれば、カエサルが皇帝となったとき、ローマ人は初めて二人称複数形の代名詞を用いて呼びかけ、尊敬を示すよすがにしたという。しかしこの風習は、ローマを中心とする地域ではやがて廃れ、ダンテ当時は二人称単数形が普通であった。神曲全篇を通じ、ベアトリーチェに対しては、いつも尊敬を示す複数形であるが、それが天国編の終末に来て単数形に変わったのは意味深長)カッチャグイーダのことを話しました。私たちと少し離れていたベアトリーチェは微笑みました。それは、ギネヴィア(アーサー王円卓騎士団の一人ランスロットと不倫の恋にのめり込んだ王妃ギネヴィア。地獄第五曲参照。フランスの古い伝記物語の一つによれば、二人が初めて密会したとき、ランスロットから愛の告白をえた王妃が、「我が身へのあなたのこの愛は、どのような所以があってですか?」と言うに及び、物陰の王妃の侍女が咳払いし、危険を知らせたという)に咳払いをして合図した侍女の事を思い出させました。私は言いました。「あなたは(本当は二人称複数形だが、普通に訳します)私の父君です(一族の最初の首長への愛情と尊敬を込めて「父君」という)。あなたは私に話をする自信を与えてくださいました。あなたは私の心を高めてくださったので、私は以前の私よりも優れた者となりました。多くの流れ(カッチャグイーダの語りが末裔ダンテの胸にそそぎ込んだ無量の感懐)によって私の心は喜びで満ちあふれ、喜びのあまり心が張り裂けそうになるのを押さえていられることが、嬉しいです。さあ、私に教えてください。私が生まれてきた大切な源よ、あなたの祖父達の事について、どんな人たちだったか、そしてあなたが若かった時にどのように年月が歴史を作っていったかを、教えてください。洗者ヨハネ(フィレンツェの守護聖人)のいたフィレンツェの事を教えてください。どのぐらいの大きさだったのか、そして、最高の座席を占めるのにふさわしかった市民は誰かを教えてください。」炭が、風に吹かれて炎を燃えあがらせるように、私の言葉を聞いてその魂の光はより明るく輝いたようでした。そして、私の目の前で輝いた美しい魂は、現在のフィレンツェの市民が使うのとは違った、甘美でもの柔らかな声で言いました(もっと古い時代のトスカーナ方言で)。「”めでたし”という言葉が告げられた日(受胎告知の日(ルカによる福音書1の28参照)。すなわちフィレンツェの年代誌は、キリスト降誕の年の3月25日を以て始めとする)から、今は天国にいる私の母が身ごもっていて、息子である私を生むまで、火星が獅子座の元に返り、その足元に身を伏せて、再び自らを燃えあがらせた回数は、580回に及びます(フィレンツェの紀元と、カッチャグイーダの誕生までに、火星は相性の良い獅子座へ580回帰ってきた。火星はその一周に687日を要するから、687かける580を365で割ると1091となる。カッチャグイーダは、1091年に生まれ、1147年、第二次十字軍に出征、56歳で死んだ)。私の先祖と私の生まれた家は、あなた達が毎年行う競馬(フィレンツェで毎年6月24日(聖ヨハネの祝日)に行われた競馬のこと)で、走者が初めに到着するフィレンツェの最も遠い区画にありました(フィレンツェは六区に分割されているが、競馬はその西端の区を出発点とし、町を横切り、市の東端サン・ピエーロ門に到る。カッチャグイーダの生まれたエリゼイ家邸は西端近くに位置したので、出発したばかりの競技者の姿を見ることができた。しかしアリギエーリ家の邸宅は、のちサン・マルティノの市民広場と呼ばれた一画に移り、競技のコースから外れていた)。私の祖先については、これで十分でしょう。祖先の者たちの名前や出自は、自慢して言うより言わない方がよいでしょう(情報の欠落している事項を叙述するに際して、ダンテが用いる手法)。当時、マルス像と洗礼堂の間で(フィレンツェの旧守護神マルスの像があるヴェッキオ橋頭から洗礼堂までの間とは、市の南から北までの間のこと)武器を手にできた者(18歳から60歳までの男子)の数は今の市民の五分の一でした(ヴィルラーニの年代記によれば、1300年度におけるフィレンツェ市の総人口数は三万と四万の間であり、これから推算すると軍務に従事できる男子は約一万。従って、カッチャグイーダ当時のフィレンツェ総人口は6000と8000の間、成人男性数は約2000)。今は、カンピ(フィレンツェの北西約15キロ、ビセンツィオ河畔にある小さな町)、チェルタルド(ポッジボンシとエンポリの途中、ポッジボンシの北西約12キロ、エルザ渓谷の小さい町)、フェッギーネ(フィレンツェの南東約30キロ、アルノ河畔にある小さな町。以上トスカーナ地方の三つの小さな町をあげ、その住民がフィレンツェ市に流入した在所の代表とする)によって汚されていますが、当時のフィレンツェの人口は、最も身分の卑しい職人に到るまで、純粋でした。この人々が、フィレンツェの隣人であり、当時のように、ガルルッツォ(トスカーナの古い町で、フィレンツェ市の南に位置し、シエナ街道を開くポルタ・ロマーナから約3キロの距離)からトレスピアーノ(トスカーナの町で、フィレンツェ市の北にあり、ポルタ・サン・ガルロから約5キロの距離)まで境界があった方がどれほど良かった事でしょう。彼らをフィレンツェの町に入れ、アグリオンの野卑な男(アグリオンはフィレンツェの南、ペーザ渓谷のフィレンツェ市域にあった古城。その「野卑な男」とはバルド・ダグリオ(煉獄第十二曲参照)、ダンテと同時代人で、保身の術に長じ、裏切りの常習犯、ダンテに幾度も煮え湯を飲む思いをさせた人物)や、詐欺をはたらこうと目を鋭くしているシーニャの男(シーニャはトスカーナの一村で、フィレンツェの西約15キロ、アルノ川が近くを流れる。その「男」とはファツィオ(ボニファツィオ)・デ・モルバルディーニ・ダ・シーニャを指す。ダンテの同時代人で、代言を職とし、数次フィレンツェ市の行政員も勤め、利権あさりにも長じていた。ハインリヒ七世がイタリアへ入国したとき、その行動を阻止する目的で、1310年教皇クレメンス五世の特使に立ったが、失敗、1313年、皇帝による有罪宣告者のリストに名を連ねている)の悪臭に耐えるよりは! 世界で最も卑劣な聖職者たちが、カエサル(神聖ローマ帝国とその皇帝位)と争わなければ、新しくフィレンツェの市民となり、貿易と両替を営む者は(ディノ・コンパーニの『年代記』(1の18)に基づいて、セミフォンテ出身、フィレンツェで手広く貿易と両替を営んでいたヴェルルティ家の一員、リッポ・ヴェルルティを指す)、その祖父が物乞いをしていたセミフォンテ(フィレンツェの南西、チェルタルドの東、エルザ渓谷にあった堅固な要塞。もとアルベルティ伯爵家の所有であったが、1204年、4年にわたる包囲攻撃の末、宿敵フィレンツェ市民の手に落ち、破壊された)に今でも住んでいたでしょう。モンテムルロ(プラートとピストイアの中間、丘の上にある城。もとグイディ伯爵家の所有であったが、ピストイア人の攻勢に耐えきれず、1254年、フィレンツェ市に売却した)は伯爵のものであったでしょうし、チェルキ家(フィレンツェ近傍の小村、アコーネの微賤な階層から身を起こし、財を蓄え、貿易で名をなすに到ったフィレンツェの富豪。1215年、市がグエルフィ、ギベリーニの両党に分裂するや、チェルキ家は、グエルフィ党に味方し、同党が白派と黒派に別れると、白派の領袖となり、貴族出身のドナーティ家と対立した。そしてグイディ伯爵家の屋敷を買い求め、名門ながら財力の劣るドナーティ家の近くに移り住むに及んで、嫉視羨望が原因の両家間の確執は決定的となり、フィレンツェ全市が血なまぐさい争乱に引きずり込まれた。カッチャグイーダは、教会と神聖ローマ皇帝の勢力争いが、チェルキ家をアコーネの故郷からフィレンツェへ引っぱり出す原因だとして嘆くのである)はアコーネの教区にいたでしょうし、ブオンデルモンティ家はヴァルディグリーヴェ(フィレンツェにおけるグエルフィ党の領袖ブオンデルモンティ家は、もとヴァルディグリーヴェのモンテブオーノ城に住んでいたが、フィレンツェ市膨張の結果、居城を破壊され、1135年、フィレンツェに移り住むに到った)にあったでしょう。いろんな人々が混じり合ってしまった事によって、フィレンツェの堕落が始まったことは(アリストテレスの『政治学』3の3、1277bー1278bをふまえた発想)、人が食事を摂りすぎると胃が痛くなるのと同じです。図体ばかり大きくなって先見の明のないフィレンツェは、その崩壊のすさまじさが、先見の明はないけれど悪事がはるかに少ない小都市に比べて甚だしく、剣を一降りする方が五回振るよりも鋭く切れる事があるのと同じです。ルーナ(古都エトルリアの沿海都市。地獄第二十曲参照。付近に有名な白大理石の採掘場があり、栄えた都市であったが、ローマの帝政時代から衰退し、また630年にはランゴバルド族の、859年と1016年にはサラセン人に奪い取られ見る影もなくなった)と、ウルブス・サルヴィア(アンコーナの南約48キロ、マチェラータ南西約10キロの地点にあって栄えた古代の都市。しかしダンテの時代には累々たる廃墟にすぎなかった)のことを考えればどのように滅んでいったか分かるでしょう。シニガーリア(古名セナ・ガルリカ。アンコーナの北西約30キロ、アドリア海沿岸の由緒ある都市で、前283年ローマの植民地となってから、様々の運命に遭遇したが、13世紀にはグエルフィ党とギベリーニ党の対立抗争、とりわけグイド・ダ・モンテフェルトロの苛烈な仕打ちにより、一時壊滅状態に瀕した)やキウシ(古名、クルシウム。エトルリア十二都市の一つで、トスカーナとウンブリアの国境、フィレンツェとローマのほぼ中間、ヴァル・ディ・キアーナ(地獄第二十九曲参照)にある。キウシが衰えていった最大の原因は、同地方に流行したマラリアだと言われる)もどのように滅んでいったか考えれば、都市でさえ滅びてしまうのだから、家族が零落するのを聞いても、あなたは簡単に理解できるでしょうし、不思議にも思わないでしょう。あなたが滅んでいくのなら、あなたが成した仕事もすべて滅んでしまうのです。でも、あなたの人生はとても短いので、長く続くものがあっても、分からないのです。月が運行するにつれ、潮が絶え間なく満ち引きする(潮の満ち引きが月の影響によるとは、近代天文学の論拠とやや異なるとは言え、中世でも一般に認められていた)ように、命運はフィレンツェをあしらいます。ですから、時と共に名声が失われていくフィレンツェの高貴な人々について私が話すのを聞いても、あなたは驚かないでしょう。私は知っています。ウギー家(ウギー家からボスティーキ家までいずれもフィレンツェの名門旧家であるが、ダンテの生前既に消滅していた)、カテルリーニ家、グレーチ家、フィリッピ家、アルベリキ家、オルマンニ家の輝かしい市民が落ちぶれていくのを知っています。そして、私は知っています。歴史が長くて素晴らしい、アルカ家とサンネルラ家の人々、ソルダニエーリ家、アルディンギ家、ボスティーキ家を知っています。1280年、チェルキ家がポルタ・サン・ピエーロ(聖ピエトロの門)近くのグイディ伯爵の邸宅を買い取り、グエルフィ党白派の指導者として辣腕を振るい、フィレンツェを争乱の町とし、1302年に、フィレンツェ市から追放された白派の面々の中には、チェルキ家の成員が数多く含まれていました。その門のそばには、ラヴィニャーニ家(ダンテの時代には滅びていた名家の一つ。カッチャグイーダの頃の当主は、グイド・グエルラ四世の妻グアルドラーダの父、ベルリンチョ-ネ・ベルティ(天国第十五曲参照)であった)があり、グイド伯爵家(ここで言及されている伯爵家の当主は、グイド・グエルラ四世の孫で、地獄第十六曲に登場するグイド・グエルラ)はそこから出て、また、あの高貴なベルリンチオーネの名前を名乗る者はそこから出ました(ベルリンチョーネ・ベルティの娘が嫁いだウベルティーノ・ドナーティの後裔も、もう一人の娘の嫁ぎ先アディマーリ家の末裔も、共にベルリンチョーネ姓を名乗った)。プレッサ家(フィレンツェの旧家で、その一族はギベリーニ党の有力者であった)の当主は既に統治の術を心得ていて、ガリガイオ家(フィレンツェの古い貴族の名家。邸宅はポルタ・サン・ピエーロの近くにあり、ギベリーニ党に属し、1258年には追放された)は黄金の柄と柄頭(貴族たる事の印)を既に持っていました。ピーリ家(フィレンツェの名門の一つ。もとギベリーニ党に属したが、グエルフィ党となった者も現れ、結局白派に統合されたという)、ガルリ家(ギベリーニ党名門の一つであったが、これもヴィルラーニ当時、昔の面影はなくなっていた)、サッケッティ家(グエルフィ党の旧家。モンタペルティでギベリーニ党が大勝した際は、フィレンツェからルッカに逃亡した)、ジュオーキ家(貴族出の旧家。ギベリーニ党に属したが、ヴィルラーニ存生の頃は、既に衰えていた)、フィファンティ家(フィレンツェの旧家の一つで、ギベリーニ党。従って1258年には追放されている)、バルッチ家(ギベリーニ党の旧家の一つ。ヴィルラーニの時代には既に消えていた)、そして「塩マス」不正事件で顔を赤くしたキアラモンテージ家の一族(「塩マス」不正事件については煉獄第十二曲参照)。カルフッチ家が出た根(ドナーティ家から出たグエルフィ党の名門。しかしヴィルラーニ在世当時、既に消滅)は既に大きくなり、アルリグッチ家とシツィイ家は(ヴィルラーニがしばしば一緒に名前を挙げているフィレンツェの旧家。共にグエルフィ党で、のち白派となった)市の行政官として高い地位に就きました。高慢のために零落した家(十二世紀の後半、時のフィレンツェの行政に反対、しばらく市政を手中に収めたウベルティ家。その一人、ファリナータについては地獄第六曲、第十曲参照)が、かつてどれほど華々しかったかを私は知っています! 黄金の丸(ランベルティ家。紋章は青地に黄金の丸であった。一員で、ブオンデルモンテ殺害に関与したモスカと、ランベルティ家の消長については地獄第二十八曲参照)がフィレンツェでなんと輝いていた事でしょう! フィレンツェの司教の椅子が空くと、あとを継ぐ司教を選ぶための教会会議が長引くために私腹を肥やす者(フィレンツェ司教座の管理に当たったヴィスドミニ、トシンギ両家。管理者たる地位を悪用し、空席中の司教座の収入をくすねて私腹を肥やした)の祖先も同じです。逃げる者を竜となって追い、権力や富力を見せる者には羊のようになる、横柄で厚かましい一族(アディマーリ家の人々。弱者に対しては竜の如く獰猛となり、権力や富力に対してはおもねる家風であったという。グエルフィ党に属していたが、白派と黒派に分裂した時、この一族はあげて白派となり、黒派の領袖ドナーティ家とは不倶戴天の敵となる。しかし両家の確執はグエルフィ党分裂以前からで、根は深かった。同族の一人、フィリッポ・アルジェンティの出処進退については地獄第八曲参照)は、のし上がっていましたが、ベルリンチョーネ・ベルティの娘と結婚していたウベルティーノ・ドナーティは舅が、妻の妹を出自卑しいアディマーリ家へ嫁がせた事に対して甚だ不服でした。その時までには、カーポンサッコ(1125年、フィエゾレからフィレンツェに来て貴族となった旧家。ギベリーニ党に属し、1248年のグエルフィ党追放に手を貸したが、1258年には逆に追放される。1280年フィレンツェに帰ると白派に加わり、1302年には再び追放された。ベアトリーチェの母はこの一族から出たと言われる)はフィエゾレ(地獄第十五曲参照)から市場(フィレンツェのヴェッキオ市場。そのあたりには名門の家が多かった)に下り、ジウダとインファンガート(共にギベリーニ党に属したフィレンツェの旧名家。党の運命に従って浮き沈みした)は善良な市民となっていました。これから話す事は、信じられませんが、本当の話です。小さな城壁の中に入る門の一つは、ペーラ家によって名付けられたのです(フィレンツェで小さいが最も古い門の一つ、ポルタ・ペルッツァは、その名を昔栄えて今は跡形もない貴族のペーラ家に負っている。その事実を、カッチャグイーダは「まさかと思われようが、真実の話だ」というのである)。名前と地位が、使徒聖トマスを記念する12月21日に祝われる偉大な領主(神聖ローマ皇帝オットー三世(980-1002)と共にドイツからフィレンツェ入りしたブランデンブルクのフーゴ侯爵(トスカーナの侯爵ウベルトの子、ウーゴ)。皇帝の名代としてフィレンツェに住み、同市のジアンドナーティ、プルチ、ネルリ、ガンガランディ、アレープリ、デルラ・ベルラの六名を騎士に叙した。1006年の聖トマスの祭日に逝去したフーゴは、バディア修道院に埋葬され、毎年その日、追慕の法要が勤修されるという)の素晴らしい紋所(紅白七条の縦線からなる。フーゴによって騎士に叙せられた上記六名の紋所は、いずれもこれを根拠としたもの)を分かち持つ者は皆、騎士に叙せられ特権を受けるのです。しかし、コートに飾りを付けた者(ジアーノ・デルラ・ベルラ。1293年、貴族には過酷な市政改革を行い、1295年、追放されてフランスへ赴いた)は、今日、人民と手を取り合っています。グアルテロッティとインポルトゥーニ(ダンテの時代には既に衰えていたフィレンツェの名家で、共にグエルフィ党)は、過去の人物です。もし、ブオンデルモンティ家(その一族は、1135年、モンテブオーノの居城が取りつぶされると、フィレンツェのボルゴ地区に居を構えた)が現れなかったら、ボルゴ(グアルテロッティとインポルトゥーニ家の屋敷があった一郭、ポルゴ・サンティ・アポストリ)は静かなところだったでしょう。あなた達を殺し、平和なフィレンツェ市民たちの喜ばしい生活を終わらせた怒りのために、あなた達が涙を流す事となった、ギベリーニ党を支持したアミデイ家は、その仲間(ウッチェルリーニ家とゲラルディーニ家)と共に、とても尊ばれました。ああ、ブオンデルモンテよ、他の人にそそのかされて、結婚(ブオンデルモンテが、アミデイ家の一令嬢と婚約しながら、グアルドラーダ・ドナーティにたきつけられ、これを破棄し、ドナーティ家の一女と結婚した事。これが原因となり、アミデイ家を憤激させ、ついにブオンデルモンテ・デ・ブオンデルモンティ殺害を発火点として、フィレンツェ市での長きにわたるグエルフィ党とギベリーニ党反目となった。その経緯については地獄第二十八曲参照)をやめてしまったのは、なんとひどい事でしょう! あなた(直接にはブオンデルモンテ個人を、間接には同家一族を指す)が初めてこの町に来た時に、もし神があなたをエーマ川(トスカーナの小さな川。フィレンツェ南方の山系に源を発し、グレーヴェ渓谷に流れ入る。ブオンデルモンティ家の居城があったモンテブオーノからフィレンツェへの道筋はエーマの流れに沿う)に溺れさせて、町に来られないようにしたなら、今悲しんでいる多くのフィレンツェ市民たちは、喜んだでしょうに。フィレンツェの平和が終わった時、フィレンツェの橋を守る欠けた石像(フィレンツェの旧守護者、軍人マルスの石像。地獄第十三曲参照)にいけにえ(復活節祭の朝、この像の下で殺害されたブオンデルモンテ)を献げたのは、なんとふさわしい事でしょう! これらの家族達と、他にもフィレンツェを統治した家族達(ヴィルラーニによれば、1215年次、フィレンツェの名家は約70を超えた)と共に、嘆くべき理由もなく平和に栄えているフィレンツェを私は見ました。これらの家族と共に、フィレンツェの市民が栄え、正しければ、百合が逆さとならなく(1251年、ギベリーニ党を追放したグエルフィ党は、ギベリーニ党時代の市旗(赤地に白百合)を辱めて逆さづりにし、改めて、白地に赤百合を市旗とした。かくてその後、市旗も二つに分裂する)、不和によって白から赤に変える事もなかったでしょう。」(2005年11月15日)(2005年12月26日更新)

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第十七曲
「君は父が太陽神ヘリオスだと威張っているが、そう信ずるとは底なしの愚か者よ」と、パエトンがエパポスから誹謗されたこと(『変身譜』1の750-761参照)の真実を聞こうと、クリュメネー(パエトンの母)の所に来たパエトン(地獄第十七曲参照)のように、いまだに父親は息子達に対して用心深いです。その時の私はちょうどそのようで(母に神秘を質問に来たパエトンの立場。地獄ではファリナータ・デリ・ウベルティ、ブルネット・ラティーニ、ヴァンニ・フッチから、煉獄ではクルラド・マラスピーナ、オデリジ・ダ・グッピオから、そして今天国ではカッチャグイーダから、自分の未来の身上について聞かされたダンテは、改めて真否を確かめたい思いにかられた)、ベアトリーチェや、私のために居場所を変えてくれた聖なる光(カッチャグイーダの魂。「居場所を変えてくれた」ことについては天国第十五曲参照)によって、私はそう感じたのです。するとベアトリーチェは言いました。「あなたの願いの炎を解き放ちなさい。あなたの望みをはっきりさせるのです。あなたの言葉によって私たちの知識を増やすのではないのです(神によってあなたの願いを知るから)。あなたの願いが叶うようにその願いをうまく言葉にするのです。」私は、私に話をしてくれたカッチャグイーダの魂に言いました。「ああ、私の祖先よ、あなたはとても高いところにいるので、三角形に二つの鈍角がおさまらないのと同じように、神をよく見れば未だに起こっていない偶発的なことも分かるのです。私がまだウェルギリウス先生と一緒に地獄の谷を降り、煉獄の山を登っていた時、私の将来についての不吉な言葉を何度か聞きました。でも私の心は、命運に打たれても、揺らぎはしません。ですから、どんな命運が私に用意されていようとも、とても知りたいのです。運命の弓矢は、飛んでくると分かっていれば、当たるのも弱いからです(教皇聖グレゴリウス一世の説教集(35の1)に見いだされる言葉であるが、アリストテレスの『ニコマコス倫理学』3の8、1117aにも同じ発想がある)。」このようにして、ベアトリーチェの望み通り、私は打ち明けられました。すべての罪を取り去ってくださった神の子羊であるキリスト(ヨハネによる福音書1の29に、「見よ、世の罪を取り除く神の子羊だ」とある。煉獄第十六曲参照)が十字架で死んでくださる前に、愚か者が誘惑された暗い託宣(異教時代の預言者達の託宣。『アエネイス』6の68-100参照)ではなく、愛深く大きい祖先の魂は、その光で見えないけれどもその光によって喜びを示しながら、はっきりと答えました。「神はあなた達の世に起こることはすべてご存じなのです。しかし、神は世の出来事を予知なさいますが、予知したことが原因となってその事が必ず起こることはありません。楽器の甘美な音色が耳に聞こえてくるように、あなたの未来の姿が私の目には見えてきます。ヒッポリュトス(テセウスとアマゾン族の女王ヒッポリュテの子。テセウスは後にパイドラを娶ったが、パイドラはその継子ヒッポリュトスに不倫の恋をし、拒まれると、逆恨みしてテセウスにヒッポリュトスの道ならない言い寄りを訴えた。テセウスは我が子を呪い、それによってヒッポリュトスはアテネから立ち退き、死んでしまう。テセウスがパイドラの偽りを知るにおよび、パイドラは絶望して自殺。ダンテは『変身譜』15の497-505によってここを書いた)が、心の曲がった無情な継母によってアテネから立ち退いたように、あなたもフィレンツェから立ち退かないといけません。そのように意図されていて、そのように計画されていているので、教皇と教皇庁がキリストを商品化しているローマで、それをたくらむ者(教皇ボニファティウス八世とその一味の者たち。ダンテがフィレンツェの行政委員となったのから二ヶ月前の1300年4月に、ボニファティウス八世の政策に反対するダンテとその同調者を追放し、フィレンツェ全市を黒派の手中に収めさせる陰謀の青写真(実現は1302年1月27日)が早くもできていた。そのことへの言及)によって事は運ぶでしょう。非難は、世の常ですが、虐げられた方(ダンテとその同志達)に向けられます。しかし、真実の証しとして、復讐(1303年10月12日、フィリップ四世の手兵による屈辱に耐えかねて、ボニファティウス八世が憤死したこと。煉獄第二十曲参照)が行われるのです。あなたは深く愛した郷土、家族、親戚、友達などと分かれさせられるでしょう。これは、島流しの矢の初めの矢です。あなたは、他人のパンがいかに塩辛いか、他人の家の階段の上り下りがどれだけ大変か(他人の情けにすがる寄食者の日常生活)が分かるでしょう。しかし、あなたに最も重くのしかかるのは、同じように島流しの境遇にあう、初めダンテと行いを共にしたグエルフィ党白派の面々でしょう。彼らはあなたに対して、恩知らずで、猛り狂い、悪意を抱くでしょう。でも、しばらくすれば、あなたでなく彼らの方が頬を赤らめることとなるでしょう。彼らが残酷なのは、彼らの行いから分かるでしょう! あなたは、あなた自身の党を立てるのがふさわしいでしょう。初めに避難する住居は、梯子の上の聖なる鳥(神聖ローマ帝国を象徴する鷲)で象徴される、ヴェローナのバルトロメオ・デルラ・スカラ(アルベルトの庶出の長子で、1301年、父の死後ヴェローナの領主となったが、1304年3月死去)でしょう。普通はお願いされてから与えるというものですが、彼はあなたを大変尊敬しているので、あなたがお願いをする前に彼は察して、あなたの望みにそうようにするでしょう。彼の所で、あなたは、出生に際して火星(軍神マルスに結びつけられる)の力を強く受けたために名声を勝ち得た者(アルベルトの三男、カン・フランチェスコ・デルラ・スカラ(1291-1329)。通称カン・グランデ。バルトロメオの死後、領主を継いだ次兄アルボイノを助け、1308年、領主の責任を分け持ち、共に教皇ハインリヒ七世からその代行を委託されたが、アルボイノの死(1311年11月29日)後は自身の臨終までずっとヴェローナの領主であった。カン・グランデの弟でサン・ツェノ修道院長となったジュゼッペについては、煉獄第十八曲参照)を見るでしょう。でもこのカン・グランデはまだ9才なので、世の中に知れ渡ってはいないです(カッチャグイーダの発言は1300年4月中旬の想定ゆえ、1291年3月に生まれたカン・グランデは、満9才)。しかし、教皇クレメンス五世(フランスのガスコーニュ生まれ。地獄第十九曲参照)がハインリヒ七世(ルクセンブルク家の神聖ローマ皇帝ハインリヒ七世(1275頃-1313)。1310年イタリアに遠征し、ミラノでロンバルディア王位に即位し、1312年、ローマで帝冠を受けた。イタリア統一を念願するダンテに歓迎されたが、教皇クレメンス五世に裏切られ、フィレンツェ攻略に失敗、翌年、シチリア王と結んでナポリ攻略に向かう途上、シエナ付近で急死した。従って、「まだ欺さないうち」とは1312年以前を指し、「素晴らしい気質」としては、ヴェローナの領主として、1311年12月、ブレシアをグエルフィ党の専横から救うと共に、ヴィツェンツァをバドヴァのグエルフィ党員から取り戻す企てにも援助の手をさしのべたこと、などが数えられる)をまだ欺さないうちに、富には目もくれず労苦を厭わない素晴らしい気質に閃くでしょう。その気前の良さは広く知られるようになり、敵でさえその徳を否定することはできないでしょう。あなたは彼の恩恵を期待していなさい。彼によって多くの人の運命は変わり、富む人と乞食がその立場を逆転させるでしょう(ルカによる福音書1の51-53、「主はその腕で力をふるい、思い上がる者を打ち散らし、権力あるものをその座から引き下ろし、身分の低いものを高く上げ、飢えた人をよい物で満たし、富める者を空腹のまま追い返されます」を踏まえている)。このことをあなたの心に良く書き記しておいて、他人には言ってはいけません。」このようにカッチャグイーダは、実際に起こったのを見ても信じられないようなことを話しました。それからまた、言いました。「息子よ、あなたが煉獄や地獄で聞いてきたことは、今述べたことで解説しました。そして、これから数年の内にひそむ罠が分かったでしょう! 隣人達(教皇ボニファティウス八世(1303年死)やダンテの文字通りの隣人コルソ・ドナーティ(1308年死、煉獄二十四曲参照)を指す)を憎んではいけません。なぜなら、彼らの罪が罰せられる時よりも、あなたははるかに長く生きるからです(ダンテが死んだのは1321年9月14日なので、ボニファティウス八世やコルソ・ドナーティよりも「はるかに長く」存生したことになる。と同時に、詩人ダンテの不滅の名声への言及でもある)。」その祝福された魂であるカッチャグイーダが話をやめ、私の質問に彼が返答を終えたのを示した時、ちょうど、疑問があり、真実を見ていて、徳を知っていて、愛情も持ち合わせる魂に導いてほしいと願う人のように、私は言いました。「父よ、思慮のない人につらく当たる一撃のように、私に時が急いで向かってくるのが分かります。ですから未来のことを予知することでもって武器とするのは良いことです。最愛の地フィレンツェから追われても、私の遠慮のない歌いぶりが禍を招いても、追放の身を置く先々の場所を失うことはないでしょう。永遠につらい地獄の谷に降り、またベアトリーチェの眼によって引き上げられ、エデンの園のある煉獄の山に登り、そして、一つの遊星から他の遊星へと天を巡り、私は多くのことを知りましたが、それを語るのは、多くの人につらい思いをさせます。しかし、私がもし真実を語るのに物怖じすれば、真の詩人としての名前を後の世に残すことができません。」そこに光っていたカッチャグイーダの光は、太陽の中の黄金の鏡のように光り輝き、そして言いました。「自分の罪や縁者の罪によって曇った良心は、あなたの言葉をつらく感じるかも知れません。とはいえ、嘘を書くことなく、あなたが見た全てを書き表し、あなたの言葉を聞いてつらく感じる人にはつらく感じさせればいいのです。初め、あなたの言葉を飲み込むと苦く感じても、良く消化すれば、栄養となるでしょう。あなたの言葉の叫びは、高い山頂(この世における最も強力な連中)を激しく打つ風のようでしょうから、それには並々でない勇気を必要とするので、大きな誉れとなるでしょう。これらの天界でも、煉獄でも、地獄でも、その名前が世に知れ渡った魂だけがあなたに示されました(「カッチャグイーダのこの断言は、文字通り真実とは受け取られない。どの読者も、地獄その他で、多くのしがない無名の人物に出会ったことを思い出すだろうから。例えば、地獄第八圏にいた人間のクズたちを想起するだけで、私の所説に納得がいくであろう。」とシングルトンは言っている)。なぜなら、よく知らない、不明瞭な事に根ざした実例を示されても、また明白でない証明をされても、聞く人の心は決して信用しようとしませんから。」(2005年11月24日)(2005年12月26日更新)

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第十八曲
神意を映し出す聖なる鏡のようなカッチャグイーダの魂は、天上の祝福を思って楽しみ、私は預言の甘美な部分と、その過酷な部分(追放とそれに伴う苦渋の数々)を思っていました。すると神のもとへ導いてくれるベアトリーチェが言いました。「考えるのをやめてください。人の犯したすべての罪の重荷を軽くしてくださる神の近くに私が居るということを考えてください。」ベアトリーチェのこの美しい言葉を聞いて、私は彼女の方を見ました。ベアトリーチェの聖なる眼の中に見た愛について、語り尽くすことはできません。私の言葉が表現しきれないのを恐れるだけでなく、導いてくださる神のお力添えがなければとてもそんなにも遠くまで記憶を遡ることができないからです。その時のことについて思い出すのは、私がベアトリーチェのことを見つめている内に、私の心の雑念は消え去ったことです。聖徒達にとって永遠の喜びである神からの光は、ベアトリーチェの顔に注がれ、その照り返しの光で私は喜びでいっぱいになりました。私の目をくらませる光を放ちながらベアトリーチェは微笑んで、言いました。「さあ、カッチャグイーダの方に向いて、よく聞きなさい。天国は、私の目の中だけにあるのではありません。」心をすべて奪われてしまうほど強く望むと、この人の世でも、その望みが眼に現れることがあります。それと同じように、私が振り向いたカッチャグイーダの魂の光の中にも、彼の、話をしたいという望みが見て取れました。カッチャグイーダは言いました。「現世にある木は根から養分をとって生き、時期が来ると実を結んで毎年その葉を失うけれども、この木は違います。至高の天にいられる神からその生命を受け、絶えず新たな聖徒を得て、その至福は永遠に火星天にあるのは、昇天の前に下界にいて、その功績を歌えば、いかなる詩人も傑作に事欠かない、素晴らしい名声を得た至福の魂たちです。さあ、十字架を見て下さい。あなたには雲の間から雷が光るのが見えて、これから私が名前を挙げる信仰のために戦った勇士はがわかるでしょう。」カッチャグイーダがヨシュア(モーセの後を継ぎ、イスラエル人を率いてカナンの地を征服したヨシュア。その事蹟は旧約のヨシュア記参照)の名前を言った時、名前が呼ばれるより速いと思われるぐらいの速さで、十字架にそって光が走るのを見ました。あの素晴らしいマカバイ(前160年頃活躍したユダヤの愛国者ユダス・マッカバイオス。しばしばシリア軍を破り、前165年か164年、イエルサレムからシリア人を駆逐、その神殿を浄め、ユダヤ教を最高、ユダヤ人の宗教的自由と政治的独立のため挺身したが、前160年、シリア軍再度の侵入に会い、エラサの会戦で壮烈な死を遂げた。旧約外典マカバイ記上に詳しい)の名前が呼ばれると、また光が輝き、その喜び(天国篇でダンテは迅速な旋回運動を激しい喜びの象徴としている)のために光が回りました! ロラン(カール大帝麾下十二勇士の随一、ロラン。地獄第三十一曲参照)とカルロマーニョ(キリスト教に帰依して教皇と教会のために働き、1165年列聖された西ローマ皇帝カール一世。大帝と称せられる。地獄第三十一曲参照)の名前が呼ばれると、鷹匠が鷹を見るように、二つの光を私は目で追いました。オレンジ伯ウイリアムと、リノアルド(中世フランスの英雄ギヨーム・ドランジュ。その事蹟は十三世紀初頭に現れたフランスの英雄詩『アリスカン』の中で歌われているが、きわめて伝説的。カルロ・マルテルの孫で、カール大帝に仕え、793年侵攻してきたサラセン人と戦い、敗れたが、803年バルセロナを攻略、翌年ジェロンに修道院を建て、808年そこに隠退したという。彼と常に結びつけられる巨人リノアルド(ルノアール)は、サラセン出自で、のち受洗したことになっている)、そして公爵ゴッティフレディ(ブイヨンに居城のあったロレーヌ伯ゴドフロア・ド・ブイヨン(1060頃ー1100)。1096年第一次十字軍の指揮者となり、聖地でサラセン人と戦い、イエルサレムを陥れ、キリスト者としてその最初の王となったが、王号をはばかり、自らは「聖墓の保護者」と称した。タッソの叙事詩『イエルサレム解放』の主人公)が十字架を伝い、私の目を引きました。次にロベール・ギスカール(ノルマンの征服者ロベール・ギスカール(1015頃ー1085)。ノルマンディーに生まれ、弟ロジェール一世と共に1046年イタリアに赴き、南イタリアの大部分をサラセン人の手から取り返し、さらにシチリア島を攻略してここにノルマン王国を建てた。1081年、東ローマ皇帝アレクシオス一世をドゥラッツォで破り、1084年ローマを陥れ、ドイツ皇帝ハインリヒ四世に幽閉されていた教皇グレゴリウス七世を救出、翌年ギリシア征服の途次、ケファロニア島で戦没した。以上八名の勇士はほぼ年代順に取り上げられていることに注意)の魂も来ました。私に話しかけていたカッチャグイーダの魂は、他の輝きと一緒になって動いていき、天の唱歌隊の中でも彼がとても素晴らしい歌い手であることが私には分かりました。私は、何をすべきで、何を見るべきか、ベアトリーチェがどのように考えているか、言葉かサインで教えてもらおうと、私の右にいるベアトリーチェの方に向きました。するとベアトリーチェの目は輝き、とても澄んで、喜びに満ちあふれ、その姿はこれまでで一番美しかったのでした。人が良いことを行うと、その徳が日に日に増すのが分かるように(アリストテレスの『ニコマコス倫理学』の2の3、1104bが典拠)、ベアトリーチェの美しさが増したことを見て、私は天の大きな弧が大きくなって、木星天に来たことが分かりました。そして、振り返ると、ベアトリーチェの肌の白い顔から恥じらいの赤らみが消えて、顔の色が変わるのを私は見ました。私の目の前には、熱い火星と冷たい土星の中間にある木星が見え、色も火星の赤さから白に変わりました。私は、ジュピターの星である木星の中に、そこで喜びながらアルファベットを示す光り輝く諸聖徒達を見ました。餌を見て喜び合い、水辺から鳥たちが飛び立ち、輪を作ったり一直線に並んだりして飛ぶように、そこでは、その輝きの中で、祝福された魂たちが、歌いながら環になったり、D、I、そしてLの形になったりしました。初め彼らは、音楽のリズムに合わせて歌っていましたが、文字の形になると、しばらく歌をやめました。ああ、ムーサイ(人間の学芸活動を主宰する女神達)よ、あなたは才能ある物に栄誉を与え、永遠の名声を与え、あなたのご加護によって諸国諸町のことを歌って彼らの名声を長く後の世に伝えます。どうぞ、魂たちの示す言葉を心にとめておくことができるように、私に光を照らしてください、あなたのお力をこの短い句に現してください! 魂たちは35の、母音字と子音字を示し、私にはそれが良く理解できました。それは、「愛せよ正義を」そして「あなたの地を正しくする者たち」(正義は木星天の所産である)と現しました。そして最後も文字のMに彼らは整列し、その時木星の銀色は、魂たちの金色で包まれました。Mの形に整列している魂たちに、他の魂たちが降りてきて、Mの頂の所で歌うのを私は見ました。きっと神について歌っていたもだと思います。くすぶる丸太を打つと、無数の炎が舞い上がり、それによって愚者達が占いをしますが(ベンヴェヌートの古注によれば、イタリアのある地方では、冬の夜、炉端に集まった子供たちが、燃えている丸太をひきだして打ち叩き、散る火花の数の多いか少ないかによって、「大きな町は幾ら、小さな町は幾ら、子豚は幾ら」などと呼ばわり、身代を占う習慣があったという)、その火花のように、Mの字に千もの光が立ち上り、高く低く燃えあがるのを見ました。それは火を燃えあがらせる神が天国における福分相応の位置に決めているようでした。そして、それぞれの光がそれぞれの場所につくと、その火の模様は、大きな鷲(ローマ帝国の象徴)の頭と首に見えました。そこに鷲の模様を描いたのは神であり、神は描くのに当たって、何かを模倣したわけではありません。自然は皆、神に導かれて物を整えますが、自然の有する形成の力はすべて神の物なのです。ですから帝国の制度も神意によるのです。初め百合(フランス王家の紋所)の形を作っていた祝福された魂たちも、動いて、Mの字に加わり、Mを完成させました。ああ、麗しの星、木星よ、第六天から地上にもたらされる正義を示す第六天を幸福とする正義顕現の諸聖徒の、なんとたくさんできらびやかなことでしょう。ですから、私はその動きと力の源である神に祈るのです。木星の光、すなわち正義の光をかすませる煙(主として貪欲)の出所であるローマをご覧になり、奇跡と殉教を打ち立ててその壁(使徒行録20の28に、「神が御子の血によってご自分のものとなさった神の教会」とある)としていた神殿の中で売り買いをしていたことに対して、もう一度お怒りを下されるようにと祈るのです(マタイによる福音書21の12参照)。ああ、私の心が向いている天の軍よ、腐敗した教皇政治とその悪影響で(煉獄第十六曲、天国第九曲参照)地上で誤った道に迷ってしまった(ローマ人への手紙3の12「皆迷い、誰も彼も役に立たない者となった」を踏まえている)魂たちのために祈ってください。戦いというものは剣で行うものでした。しかし、今は、誰に対しても拒まない父の愛のパン(秘蹟)を、あちこちで奪い合うこと(信者にミサにあずからせない陪餐(ばいさん)停止や聖務執行禁止の処置によって)によって行われます。結局は破棄してしまうのに書き記すあなた(ダンテがこの辺りを意識して書いていた当時の教皇、ヨハンネス二十二世(在位1316-1334)は、多くの陪餐(ばいさん)停止令状を出したり、取り消したりして、蓄財は巨額にのぼったという。1317年、カン・グランデ・デルラ・スカラを陪餐(ばいさん)停止に処し、カン・グランデは死ぬまでその処分のもとにあった)、あなたが荒廃させている葡萄畑(教会。ここは、イザヤ書3の14に「お前達は私の葡萄畑を食い尽くし」とあるのを踏まえている)のために死んだ使徒ペテロ(ガラリヤの漁夫ヨナの子で、本名はシモン、彼自身も漁夫であったが、キリストの弟子となるにおよび、ペテロ(岩)と改名した)とパウロのことを考えてみなさい、彼らは今も天国で生きています。しかしあなたはこう答えるでしょう。「私は、荒れ野で一人で生きること(ルカによる福音書1の80によると、洗者ヨハネは、イスラエルの民の前に公に出現する日まで、「荒れ野にいた」とある)を選び、踊りのために殉教することとなった洗者ヨハネ(衆人の前で人踊り踊って、国王ヘロデを喜ばせたサロメ(ヘロデヤの娘)が、洗者ヨハネの首を求める。ヴィルラーニによれば、教皇ヨハンネス二十二世はアヴィニョンでフィレンツェの金貨(洗者ヨハネの像を鋳込む)に酷似した金貨を鋳造させたという)に心惹かれているのです。ですから、使徒ペテロや、使徒パウロのことは知りません。」(2005年11月28日)(2005年12月26日更新)

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第十九曲
わたしの目の前で、互いに喜び合う魂たちが鷲の翼を広げた形を作りました。その魂たちのそれぞれは、私の目に反射した太陽のきらめく光線がちりばめられたルビーのようでした。ここで今お話しをすべき事は、これまでに語られたことも書き記されたことも想像されたこともなかったほどのことです。わたしは鷲のクチバシが話したのを聞き、クチバシが動いたのを見たのです。鷲は一人称単数で語りました(その一羽の鷲を形作る正義の魂全部の声でもある。鷲が象徴する神聖ローマ帝国では、正義に多義無く、正しい統治者の思いはすべて同じであるべき事の形象)。鷲は言いました。「わたしの正義と慈悲(正義と慈悲の二つが神の道であり、同時に、神に由来する神聖ローマ帝国および皇帝の道。天国第七曲参照)によって、私は、私が望むよりも高い、至福の境地である栄光に高められました。どんな悪い人達でさえ誉めるほどの思い出(天国第六曲でユスティニアヌス大帝が物語っているような行為の数々)を地上に残しました。しかし、彼らは私の善行に従いませんでしたが。」ちょうど、燃えている炭火がどんなにたくさんでも、そこから出る熱は一つであるように、その鷲の形の、神の愛に燃え輝く魂達からも、一つの声がしたのでした。私は叫びました。「ああ、あなた達のたくさんのかぐわしい香りが、一つのように香る、永遠なる祝福された花たちよ、どうぞ話してください。地上では無かったこの知りたくてたまらない思いを分かってください。神の正義は、第七天球の土星(そこでは神の正義と審判の鏡である天使達が主宰し、諸天の魂は皆この鏡を仰いで間接に神の正義を知る)をその鏡とするので、あなた達の木星天はベールを通すことなく直接その神の正義を見ていることを私は知っています。鷲の形に集結しているあなた達は、私がどんなにあなた達の話を聞きたがっているかご存じでしょう。そして、あなた達は、私が長い間聞きたがっていた疑問についてもご存じでしょう。」すると、鷹がそのかぶり物から放たれて、その首を伸ばし、翼をはためかせ初め、飛び立とうと羽づくろいをするように、神の恩寵への賞賛に満ちた声で、祝福された魂たちにだけ分かる歌を歌い始めました。そして、鷲は言いました。「あたかもコンパスを用いて円を描くように、宇宙の範囲を定めて、私たちの知るものも知らないものもすべてその中に分布なさった神といえども、その神の理念は無限ですが、被造物の宇宙は有限でした。それは、被造物の中で最も高い身分でありながら、神の特別な恩寵である栄光を待てずに、熟すことなく堕落したルチフェルが証明します。神は至上の善なので、神を量るものはただ神のみですが、その神の無限な善を受け入れるのは、ルチフェルでもできなかったのですから、その他の被造物が少なくしか善を受けられないのは明らかです。従って、すべての被造物に満ちる神の御心の光線の一つに過ぎない私たちの智力は、その性質として、その源である神意を知ることはできなく、知るに近いとさえ言うこともできません。ですからあなた達の人の世に与えられている視力が、永遠の正義に入っていくのは、肉眼で海の底を見ようとする(詩篇36の7「あなたの裁きは大いなる深淵」とある)ようなものです。波打ち際では底が見えますが、沖に行けば底は見えません。でも、沖に底がないのではなく、深くて見えないのです。雲のない青空から以外は光は来ません。つまり、本当の智は、ただ神から来るのです。その他の光は光だと見えるけれども、闇であり、智を暗まして罪に走らせます。あなたに隠されていて、あなたが悩んで疑問に思っていた生きる正義の、人智の及びがたい神の審判と正義が、いまあなたには分かるでしょう。あなたはこのように言いましたね。”インド(当時インドは、人の住む地域の東の極限と見なされていた)に生まれた人は、キリストについて話をすることも、読むことも、書き記す事もしません。でも、人間の理性が導く限り、願いも行いも正しくて、行いも言うことも罪にまみれていません。そして、洗礼を受けることなく、キリスト教の信仰も持たずに死にます。このような人を罰する正義があるでしょうか? 信じる心はありませんが、どんな罪があるでしょう?”あなたは鼻の先もよく見れないのに、法廷の席に着き、千マイルも遠くのことを裁こうとするなんて、あなたは何様でしょう? 私と共に神の正義を理解しようとする人は、もし聖書が私たちを導いてくださらなかったら、疑問が起こるでしょう。ああ、地上の動物たちよ! 愚かな者たちよ! もともと善である神意は、至上の善から離れることはありません(マラキ書3の6「まことに、主であるわたしは変わることがない」とある)。その神意と調和するものはすべて正しいです(『帝政論』2の2の5でも、ダンテは「このようにしてまた事物に顕現する正しさは、神意の面影にほかならないと言うことになる。ですから、神意と調和しないものは何にせよ正しくなく、神意と調和するものはすべて正しいという結果が生まれる」と述べている)。被造物の善が、その神意を引き寄せることはなく、その神意の光によって被造物の善は生まれるのです。(ローマ人への手紙9の14-24参照)」コウノトリがヒナに餌を与えて、その巣の回りを飛ぶと、餌をあげたヒナは頭を上げて、母親を見ています。ちょうどそのように、私の回りにいる鷲を形作るたくさんの魂たちは、鷲の翼を動かし、私は頭を上げました。鷲は、巡りながら、歌い、そして言いました。「あなたが私の歌を理解できないように、あなた達人間は永遠の審判を理解することができないのです。」ローマ人に世界の敬意をもたらす鷲の形を保ちつつ、愛に燃える魂たちが静まった後、その鷲は言いました。「キリストが十字架に磔にされる前にも後にも、キリストを信じなかった人は、この国にのぼることはありません(この天国に座席を持つ魂たちは、キリスト受難以前(旧約時代)においてはキリストの来るべきを信じ、以後(新約時代)においてはキリストの来ることを信じたものばかり)。しかし、”キリスト、キリスト!”と呼ぶ多くの者(マタイによる福音書7の22-23参照)が、審判の時には、キリストを知らない者よりも、キリストから遠くに離れているのです。審判の時には(マタイによる福音書12の41-42参照)、永遠に富む者と、全くの一文無しとの二つに(マタイによる福音書25の31-46参照。「全くの一文無し」とは天国を喪失した地獄の者たち)にわけられますが、異教徒であるエチオピア人は、キリスト教信者を有罪とするでしょう。異教徒であるペルシア人は、審判の書(ヨハネの黙示録20の12参照)を見て、あなた達の王達(キリスト教国の主権者達)の恥ずべき行為を読むと、彼らに向かってなんと言うでしょう? そこには書かれています(以下、アナフォラの形式。ダンテ当時のキリスト教国の支配者達が、鷲の象徴する統一と共和の帝政理念に反するものとして、厳しく批判・断罪される)、アルブレヒト(神聖ローマ皇帝アルブレヒト一世。煉獄第六曲参照)の非行の数々が書かれているところに、記録天使が審判の書に書かれるべき、ボヘミアを荒廃させた事が(プラハを首都とする王国、ボヘミア。ここはアルブレヒト一世が1304年ボヘミアに軍をすすめ、国土に荒廃をもたらしたことを指す)書かれています。そこには書かれています、猪の一撃で死んだ者(フランスのフィリップ四世端麗王。煉獄第七曲参照。1314年、狩猟中、その乗馬の足の間を一頭の猪に走り抜けられて落馬し、それが原因で死去した)が、通貨の品質を落とし、セーヌ川(セーヌ川の流域であるフランス。ここは、1302年7月11日、クールトレーの戦いでフランドルの民兵に大敗を喫し、国費に窮して粗悪な貨幣を流通させ、国民を苦しめた事への言及。煉獄第二十曲参照)に禍をもたらしたことが書かれています。そこには書かれています、スコットランド人とイギリス人を狂わし、国境を争わせた傲慢(14世紀の前半、イギリス王エドワード一世(1239-1307)とその子エドワード二世(1284-1327)が、愛国者サー・ウィリアム・ウォレス(1274頃ー1305)やロバート・ブルース王(1274-1329)の率いるスコットランド人と戦い、両民族間の反目と憎悪をつのらせた事への言及)について書かれています。そこには書かれています、徳を知らず、それを知ろうともしなかった、スペイン王(1295年から1312年までスペインのカスティリャおよびレオンの王であったフェルナンド四世)とボヘミア王(1278年から1305年までボヘミアの王であったヴェンツェスラウス二世。煉獄第七曲参照)の好色ないい加減な生活について書かれています。そこには書かれています、善はI(1)で示されますが、それに対立する悪はM(1000)で示される手足の不自由なイエルサレム王(名目だけのイエルサレム王であったナポリ王シャルル二世。煉獄第二十曲参照。気前が良かったこと以外、なんの取り柄もなかったことを示している)について書かれています。そこには書かれています、アンキセスがその長い人生を終えた火山のある島(エトナ火山で有名なシチリア島。『アエネイス』3の707-715によれば、アエネアスの父アンキセス(アンキーゼ)は、イタリアに行き着く前に、この島の港町ドレパヌム(ドラパーニ)で死んだという)を治める者(1296年から1337年までシチリア王であったフェデリゴ二世。煉獄第三曲、七曲参照。ナポリ王シャルル二世と数年間争ったのち、和睦し、その娘の一人と結婚。皇帝ハインリヒ七世が死ぬと、彼はギベリーニの党の方針を捨てて、皇帝の信頼にそむいた)の傲慢さと強欲さが書かれています。また、彼がいかに価値のない人間であったかを示すため、少ししか書かれていません。また、名だたる血筋と、二つの王冠(マヨルカとアラゴンの)を辱めたその叔父(アラゴン王ハイメ一世の次男で、ペドロ三世の弟、マヨルカ王ハイメ(1243-1311)。1232年に父王がムーア人から奪取したマヨルカ王国を、1276年父が死ぬと、自分の手中に収め、1284年にはフランスのフィリップ三世と同盟してアラゴンのペドロ三世を攻め、失敗。その他自己の野望達成のためには信義にもとるふしだらな行いが多かった)と兄弟(アラゴン王ハイメ二世。煉獄第七曲参照。義王と呼ばれたが彼に対するダンテの評価は常に低い)の悪行が明らかにされています。また、ノルウェー王(1299年から1319年までの在位中、デンマークとの抗争に明け暮れた、ノルウェー王ホーコン五世)とポルトガル王(1279年から1325年までポルトガルの王であったディオニュシウス。父はアフォンソ三世、母はカスティリャとレオンの王アロンソの娘。自らはアラゴン王ペドロ三世の娘イサベル(後、列聖)と結婚した。将来の大ポルトガルの基礎を固めた明君として多くの治績が数えられている。しかし、ダンテがディオニュシウスに対し、激しく非難する理由は、先王達が異教徒ムーア人撃滅を第一の義務としたのに、彼は貿易による国利を優先させたこと、ポルトガルのイエルサレム神殿騎士団の財産を没収したこと、妻イサベルの他に情婦を持ち、子を生ませ、父子不和の原因となったこと、などが考えられる)も書かれていて、ヴェネツィアの贋金で身を滅ぼしたラシア王(1275年から1321年までラシア(セルビアの中世名)の王であったステヴァン・ウロシュ二世。在位中、勝ちはしたものの、ギリシアとの戦争に主力を注ぐ。家庭生活は不幸で、三人の后を次々と離婚し、庶出の一人息子ステヴァンも、謀叛の嫌疑で失明させられた。贋金については、ウロシュ二世が1282年と1306年の両度に渡り、品質の劣る金属でヴェネツィアの貨幣を贋造し、ヴェネツィアの市場を攪乱した史実への言及)についても書かれています。ああ、幸福なハンガリー(カルロ・マルテルのものであったその王位はエンドレ三世(在位1290-1301)に奪われた)よ、これ以上虐政を行わなければいいのに! ああ、幸福なナヴァールよ(ピレネー山脈に囲まれる。フランスの端麗王フィリップ四世と結婚した女王ジャンヌが死去すると、フランスに併合されてしまう)、取り巻く山々を鎧とすればいいのに! このことの裏付けとして、みなさん、ニッコシアとファマゴスタ(キュプロス島の都市の名。ダンテがここで語っているのは、ルジャーノ王家の不安定な統治下におけるキュプロス島民の苦しみである。キュプロスとイエルサレムの王で、母方からルジャーノ家の名跡を継いだアンティオキアのウーゴ三世は、1284年、放埒な数名の息子を残して他界。王位についた長男のジョヴァンニを、一年と経たないうちに毒殺した次男のエンリコは、1285年、エンリコ二世として政権を握ったが、文字通りの暗君で、1320年代まで島民の嘆きは続く)が泣き叫ぶのに注目してください。エンリコ二世のそばをうろつく以上のろくでなしの統治者達のせいです。」(2005年11月28日)(2005年12月26日更新)

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第二十曲
全世界を光で満たす太陽(ダンテの時代には、一切の星が太陽からその光を受けて輝くと信じられていた。すなわち、日が沈むと、夜空の多くの星は、天にただ一つだけ輝いている太陽からの光を、それぞれにちりばめて姿を現す。『饗宴』2の13の15および3の12の7参照)は、私たちの半球の下にもぐったので、昼の光が消えた時、先ほどまで太陽が照らしていた空が急に再びたくさんの光で輝きました。世界とその統治者達の印である鷲が、そのクチバシで話すのをやめた時、このように天が変化していったのを私は思い出しました。私の記憶から消えてしまった(あまりにも霊妙で、人間の記憶にはとてもとめられない)甘美な歌を、魂たちが歌い始めるとその輝く光はより明るくなりました。ああ、これらの魂の、神に対する愛は、魂たちの歓喜の現れである微笑みの中に囲まれ、聖なる息で吹かれるフルートである、歌う魂たちに、なんて熱烈に輝いたことでしょう! 木星にちりばめられた輝く宝石のような魂たちが、天使の歌声のような歌を黙らせた時、源が潤沢である流れが岩から岩へと流れるような小川のささやきを、私は聞いた気がしました。リュートの首の所で音が鳴り、フルートでは息が抜けるところで音が鳴るように、しばらくすると、鷲のささやきは首を伝って上ってきました。そしてそれが声になり、私が、忘れない、と記憶の機能を十全に発揮した心に、言葉となってクチバシからほとばしりました。鷲は私に言いました。「生きている鷲は、太陽を見て、その光に耐える眼(鷲は横顔を示しているのでダンテに見える目も一つ。鷲だけが太陽を直視しできると思われていたことについては天国第一曲参照)に、あなたはよく見てほしいのです。私の鷲の形をかたどっている魂たちの内、私の頭に付いている目に輝きを与える魂たちが、最も素晴らしいのです。瞳の中心で光るのは、聖霊の歌い手であり、箱を町から町に運んだダビデ(詩篇は、魂が彼に降りて書かしめたものと信じられていた。「箱」については煉獄第十曲参照)です。今、ここで彼は知るのです(以下、アナフォラの形式で、鷲の瞳を中心に、光り輝く六魂の、天国における受福が語られる)、ふさわしく祝福された詩篇の徳を知るのです(魂の感応によってできた詩篇ではあるが、詩人としてのダビデ自身の自由意志に基づく詩作の才能も神に誉められたのである)。私の眉のアーチを形作る五人の魂の内、私のクチバシに近いところで輝くのは、息子を亡くした寡婦を慰めたローマ皇帝トラヤヌス(煉獄第十曲参照)です。今、ここで彼は知るのです、この甘美な生を生き、そして反対に辺獄における生も生き、キリストを信じなかった者が地獄でどのような憂き目にあうかを知るのです(既に新約の時代に生きながら、異教徒として死んだ明君トラヤヌスは、改宗の不可能な辺獄からグレゴリウス大教皇のとりなしの祈りにより、蘇って悔悛し、天国にあげられた)。同じ眉の所で隣にいるのは、悔悛によって死を引き延ばしたヒゼキヤです(差し迫った死を預言者イザヤから告げられた時、神に祈って十五年の延命を許されたというユダの王ヒゼキヤ。列王記下20の1-6参照。王の悔悛については、イザヤ書38の1-22参照)。今、ここで彼は知るのです、地上でどんなに素晴らしい人が祈って今日のことを明日に引き延ばしたとしても、神の永遠なる審判は変わることはない(神に喜ばれた祈りの結果、今日終わるべき生命が引き延ばされたとしても、神の審判の正しさに寸分たりとも異変はありえない。つまり祈りとその結果は、神慮の一部分なのである)ということを知るのです。その隣は、悪しき実を実らせたけれど、牧者の居場所を作ろうと法律も自らも引き連れてギリシア人となった大帝コンスタンティヌス一世(大帝がローマを教皇シルヴェステル一世に譲り、首府をビザンティウムへ移し、自己と、鷲が象徴するローマ帝国と、ローマ法とをギリシア化した事への言及。「悪しき実」とは、いわゆる「コンスタンティヌスの贈与」が、帝の善意を裏切り、教皇職世俗化の発火点となったこと。なおこの箇所の理解のためには、地獄第十九曲、二十七曲、煉獄第三十二曲、天国第六曲参照)です。今、ここで彼は知るのです、彼の良い行いから出た悪が、この世を滅亡させるとしても、自身の魂を傷つけることはないということを(トマス・アクィナスの『神学大全』にその論拠が見いだされる)。そして、眉の下の所には、グイリエルモ(1166年から1189年までノルマン家系の王としてナポリおよびシチリアを治めたグイリエルモ二世(1154-1189)。1177年、イギリスの王ヘンリー二世の末娘ジョアン(ジョヴァンナ)と結婚したが、子が無く、没後、王位は従兄弟タンクレディに継承された。タンクレディの息子の代になると、グイリエルモ二世の叔母コンスタンツェと結婚していたハインリヒ六世は、自分にナポリおよびシチリアの王位継承権があると主張し、嗣子フリードリヒ一世(後の皇帝フリードリヒ二世)に位を継がせ、王統はノルマン王家からホーエンシュタウフェン王家に移る(天国第三曲参照)。グイリエルモ二世は、悪王と渾名された父一世と正反対で、善政を布き、その死はシチリア島民に心から悲しまれた)が見えるでしょう。ナポリ王シャルル二世とシチリア王フェデリゴ二世(この二王は天国第十九曲で激しく叱責されている)が生きていたために国民が嘆くその国が、グイリエルモ二世が亡くなったのを嘆きます。今、ここで彼は知るのです、ここで光り輝くことによって明らかですが、天がこの正しい王をどんなに愛しているかを知るのです。誤りに満ちた下界では、トロイア人リペウス(ギリシア人のトロイア略奪に際し、戦死したトロイア方の英雄リペウス。『アエネイス』2の339および394でウェルギリウスが他のトロイア人と並べて名前だけ挙げているに過ぎないリペウスを、天国で誉められるほど重要な人物としたのはダンテが初めて。ダンテがこのリペウスを評価する理由は、彼がローマ人の遠祖、トロイア人であることの他に、『アエネイス』2の426-427で、ウェルギリウスが「リペウスもまた倒れる、トロイア方にあって正義無双、廉直をしたいやまなかった者」と叙したのに深い感動を覚え、隠れた者をご覧になる神慮の、いわば名も無きリペウスに及んだ玄義を現すのに最も適した事例と思ったからであろう。なお新約以前の異教の人物で、正義廉直の理由で神の恩寵にあずかっているのは、神曲全篇を通じ、このリペウスと、煉獄第一曲のカトーの二人だけ)が、この半円方の眉の聖なる輝きの内の五番目にいるなんて事を、誰が信じるでしょう? 今、ここで彼は知るのです、彼の目は神が深淵であることは分からなくても、地上の誰よりも神の恩恵について知っているのです(天国第十九曲参照)。」すると、空に舞い上がるヒバリが、まず歌い、そして静かになり、その自分の甘美な歌にうっとりして満足するように、すべてのものがその意志に従う、神の印も、満足しているように見えました。ガラスの破片を通して色が見えるように、私の当惑は魂たちには分かったでしょうが、私は私の疑いを心にとどめておけず、思わず口から出てしまいました。「このようなことがあり得るでしょうか(異教徒のトラヤヌスとリペウスが天国で受福していること)?」すると光が輝き喜ぶのが見えました。するとその鷲の目は先ほどより強く輝き、私を悩ませておくことなく、答えました。「私の見るところ、あなたは私がそれを言ったから本当なのだろうと信じているようですが、あなたはどうしてそうなるのかは分かっていないようです。ですから、信じているとは言え、本当のことは隠されているのです。あなたは物事の名前は知っているものの、誰かが説明してくれないと、本質は分からないのです。天の王国は、神の御心に打ち勝つ、激しい愛と、生き生きした望みによって、激しく攻め立てられるのです(マタイによる福音書11の12に、イエスの言葉として、「彼が活動し始めた時から今に至るまで、天の国は力ずくで襲われており、激しく襲う者がそれを奪い取ろうとしている」とある。またルカによる福音書16の16「律法と預言者は、ヨハネの時までである。それ以来、神の国の福音が告げ知らされ、誰もが力ずくでそこに入ろうとしている。」とある。鷲は愛と望みとを武器としての天国攻略の玄義と説く)。誰かが他の人に勝つように、強い者が弱い者に勝つというようではなく、愛と望みが聖なる意志に勝つのは、その聖なる意志の慈しみによって勝つように願われて勝つのです。ですから負けるのは、愛が勝ったと言うことです。トラヤヌスとリペウスが、この天国を飾っているので、あなたを怪しませます。でも、彼らは、あなたが考えているように、異教徒として肉の衣を離れたのではありません。キリスト教徒としてです。トラヤヌスは、到来して贖罪のために受難し終わったキリストを、リペウスは贖罪のためにいつか到来するであろうキリストを、固く信じました。悔悛によって正しい意志を取り戻すことのできない辺獄から、トラヤヌスは骨に帰りました。これは、トラヤヌスのために祈る聖グレゴリウスの「祈り、必ず受納さるべし」との烈々たる望みのおかげでした。この生きた望みによって、トラヤヌスの魂を蘇らせてくださいという神への祈りが強まり、トラヤヌスの意志が御心によっていかようにもなるようになったのです。この素晴らしい魂は、少しの間ですが肉を身にまとい、その後キリストを信じ、本当の愛に激しく燃えたので、二度目の死に際しては、天国での受福の喜びを得て、我々と共にいるのです。リペウスは、どんな人も見たことのないほどの深い底からほとばしり出る泉である神から恩恵を受け、すべての愛を正義に向け、それによって、恵みが恵みに加わり、神はリペウスの目を贖いに対して開き、光を見るに到ったのです。これによってリペウスは信仰を固め、異教徒の教義の悪臭に耐えられなくなり、それに携わる人たちを責めました。リペウスが洗礼されたのは、洗者ヨハネがキリストに受洗を施したのより千年以上昔のことです。あなたが戦車の右の車輪の所に見た三人の淑女である対神の三徳(神・乏・愛、煉獄第二十九曲参照)を持っていたのですから、洗礼されたのと同じ事です。宿命よ! ああ、神を見ることのできない天使や諸聖徒も含めての一切の被造物の視野から、あなたの根はなんと遠くかけ離れているのでしょう! 地上に住むあなた達、判断はゆっくりしなければなりません。なぜなら、神を見る我々でさえ、神が選んで天上の福を受けることとなった者を知らないのですから。しかし私たちはこのように欠落していることを喜びとするのです。なぜなら、神の欲されることを私たちも欲するという、幸福な善によって私たちの善は完全になるのですから。」このような言葉によって、聖なる鷲の形は、私に甘美な妙薬を与えてくれて、私の狭い視野を癒してくれました。素晴らしいリュート奏者が弦を振動させて素晴らしい歌手の声と調和するようにして、歌がもっと美しくなるようにしますが、ちょうどそのように、鷲は語り、トラヤヌスとリペウスの魂は、二つの眼が同時に瞬くように輝き、その炎を言葉にあわせて振るわせたのを、私は良く覚えています。(2005年11月29日)(2005年12月27日更新)

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第二十一曲
私は、目でもって、そして心も、再びベアトリーチェの顔を見つめ、他に何も考えられませんでした。ベアトリーチェは微笑みませんでしたが(微笑に誘われてベアトリーチェを凝視し続ければ、ダンテは焼けただれるであろうから、あえて微笑まない)、言いました。「私が微笑むと、あなたはセーメレと同じように(テーベの王カドモスの娘。ゼウスに愛されてバッコスを生んだが、正装に輝くゼウスの姿を見たいとせがみ、願いは叶えられたが、その燦爛たる光輝に打たれ、焼けて灰となる。地獄第三十曲参照)灰になってしまうでしょう。ご覧の通り、私の美しさは、私たちが天国(ダンテの念頭にある宇宙図によれば、地球を中心として宇宙は外へ外へと重層的に広がるのであるから、最も外に位置する神の座所の至高天・エンピレオは、無限の高さと広さを持つ。しかしそこは、場所も時間もない絶対の永遠そのものだから、どのようにも示されるとの論理に立ち、ダンテはとりあえず、円形劇場型のバラの花にエンピレオをなぞらえ、その底、すなわち花心へ第七天の土星からの梯子が続くつもりで構想した)を昇って行くに連れてより輝きます。もしその輝きを和らげないと、その輝きはあなたの視力(すなわち知力)は、雷に打たれた木のようになってしまうでしょう。私たちは燃える獅子(黄道帯の第五宮、獅子宮。1300年の春、土星は獅子宮に位置した)の胸の下で、その熱(獅子座は、火に似て、暑く乾燥した性質を持つ星座と考えられていた)を混ぜた光を放つ第七の輝きである土星天(『饗宴』2の13の25で、「木星は土星の冷たさと火星の熱さの中間の、ほどよい温度の星」と書いているように、ダンテは土星の性質を寒冷としていた。ウェルギリウスの『農耕詩』1の336にも「冷たき星サトゥルニ」とある)に昇ってきました。さあ、注意深い心をあなたの目に向け、その二つの眼に示されるこの鏡(日光の映射を受けて輝くので、鏡に例えた)に土星の形を映しなさい。」もし誰かが、ベアトリーチェの命令で目を他へそらした時、その祝福された美しい顔を目にとっての豊かな牧草地のようにして見ていた喜びについて理解できれば、私の天の案内者を見ているのと従うのとを天秤にかければ、従うのがどんなに大きな喜びであるか、お分かりでしょう。その統治下では一切の悪行が絶えた王サトゥルヌス(黄金時代を現出させた、ラティウム最古の王。煉獄第二十二、第二十八曲参照)の名前は地上では有名ですが、その名に由来する土星の中に、私は、キラキラ光る梯子(火星における十字架、木星における鷲と照応して、土星では黙想の表象である金色の梯子が、昔ヤコブの見たという梯子のように、目の届かないはるか彼方の上まで架けられているのである。ヤコブの梯子については創世記28の12参照)を見ました。それは、太陽の光が反射して輝く金色(黄金時代を象徴するサトゥルヌスにふさわしい色)で、私の視力が届かないほど高く架けてありました。そして、たくさんの諸聖徒の魂達の輝きがその金の梯子を下りてきて、私は天が星々の光を注ぎ降ろしているのかと思いました。カラスが、その性質で、夜明けに、冷えた翼を暖めようと群れて飛び交い、やがてあるカラスは飛び去って帰ってこなくて、あるカラスは飛び立ったところに戻ってきて、またあるカラスはずっとその場所にいたりと、いろいろですが、ちょうどそのように、そこで降りてきた輝きは一つに固まって、それから梯子のダンテと対話するのに都合良さそうな場所に降りてきました。私たちに最も近いところで輝いている光は、とてもキラキラしたので、私は独り言を言いました。「あなたがきらめいて示している愛情は分かりました。でも、私に、どのように、いつ話すべきか、また、話さずにいるべきかを教えてくれるベアトリーチェが静かにしているので、私はあなたに質問したいのですが、できないのです。」するとベアトリーチェは、すべてのことを見ることのできる神に照らして、私が黙っているのを見て、私に言いました。「あなたの望みを、黙っていないで言葉で外へ表しなさい。」私は言いました。「私は、あなたの答えを聞くのには値しませんが、ベアトリーチェが私に話すのを許してくれたので、話します。ああ、喜ばしい輝く光の衣に包まれた祝福された命よ、お祈りします、どうか教えてください、あなたが私のそばに来てくださったのがなぜですか。また教えてください、なぜ下の天では甘美な調べが聞こえたのに、ここでは静かなのはなぜですか。」その輝く魂は言いました。「あなたの聴力は、あなたの視力と同じように人間のものです。ここで音楽がなっていないのは、ベアトリーチェが微笑まないのと同じ理由です。私が聖なる梯子を下りてきたのは、ただ、私の心を包む光と言葉であなたを歓迎するためです。私が素早く来たのは、愛情が他の魂たちより深いからではありません。梯子の上の方に見える輝く光に、もっと燃えあがるような愛が見えるでしょう。私たちの行動は、すべて神の御旨によって決まるので、私が早く来たのも、神の御心ゆえです。」私は言いました。「ああ、聖なるランプよ、この王宮では、自由の愛(神慮によらず、自由意志に触発されての人間側の)が永遠の摂理に従うということがよく分かりました。でも、私には分からないのがこのことです。なぜたくさんの魂たちの中で、あなた一人だけがこの役目を果たすように神に運命づけられたのでしょうか(またしてもダンテは摂理による予定の、うかがい知れない奥義に心悩ます。天国第十九曲、第二十曲参照)。」私がしゃべり終わっていないのに、その輝きは真ん中を中心にして、挽き臼のように(旋回が水平に行われているのを示すための直喩。天国第十二曲参照)全速で廻りました(ダンテの問いに答えられるのを喜んでの旋回運動。天国第十八曲参照)。そして、その光の中にある愛は、答えました。「神の光が、私を胎内に宿している光を貫いて、私に焦点を当てたのです。その光の力は、私の視力と合わさって、私を引き上げ、その力が流れ落ちる源である神を見たのです。このことによって、私が輝かす喜びが導き出されたのです。私の炎が美しくなるにつれ、私の視力もクッキリしてきます(歓喜は、恩寵の賜り物である霊的視力の澄み極まりに比例する)。しかし、天で最も明るく輝く魂(諸聖徒のうち神の愛を最も強く映発する者)である、その鋭い目をいつも神に向けているセラフィム(神と至近距離にあり、神の愛を代表する最高の位階の天使。天国第四曲参照)といえども、あなたが質問したことを説明できません。あなたが知りたいと思っている真実は、永遠の定めの深みにあるので、天使でも人でもどんな被造物の視力も届かないのです。あなたが人の世に再び戻ったら、私があなたにお話ししたことを伝えてください。そうすれば、このように高い目的(人智と断絶した神慮)に向かってあえて足を運ぶ人はいなくなるでしょう。ここで光っている心は、地上ではくすぶります(神の愛の光被により、天国では明らかな視力も、迷妄満ちあふれる人間界にあっては、曇ってよく見えない)。ですから、天においてさえできないことが、どうやって地上でできましょう?」彼の言葉によって私は控えさせられて、その疑問についてはあきらめて、つつましい声で、その魂が誰なのかを聞くだけにしました。その魂は話し始めました。「イタリアのアドリア海側とティレニア海側の中間の、あなたの生まれたフィレンツェからそう遠くないところに、アペニン山系がそびえ立ち、雷もその嶺の下で鳴るほどで、猫背のような形の嶺があり、モンテ・カトリア(グッピオの北東約15キロ、ウンブリア地方とマルケ地方を分かつ境界に位置する)と呼ばれる所があります。その下に、礼拝のためにあるサンタ・クローチェ・ディ・フォンテ・アヴェルラーナ修道院があります。そこで私は、神への奉仕に専念していたので、オリーブ油で味付けした精進料理(動物性の脂肪は用いず、オリーブ油だけで味付けした食事。復活祭前の40日間の斎戒期、レント(四旬節)にはこれが摂られる)だけを食べ、夏は暑く冬は寒くても耐え、黙想する生活を満足に送りました。その修道院は、永く、諸聖徒を輩出してきましたが、今では不毛の地です。それは必ず神の刑罰によって明らかになるでしょう。そこで、私はペトルス・ダミアノ(聖ペトルス・ダミアノ(1007頃-1072)。1828年、教皇レオ12世によって教会博士の布告を受ける。ラヴェンナの微賤の家に生まれ、誰からも構ってもらえず、幼少時、両親の死後、長兄の言いつけで豚の飼育をさせられたという。後、ラヴェンナの助祭長であったもう一人の兄ダミアノが憐れみ、引き取って教育した。これを徳とした彼は、その兄に因んでダミアノを名乗る。ラヴェンナ、ファエンツァ、パルマで学んだ後、教師として評判が高かったが、1035年、モンテ・カトリアの中腹にあるフォンテ・アヴェルラーナのベネディクト会隠修士修道院に入り、1043年、同院長に就任、同所を修道院改革の中心地とする。グレゴリウス6世、クレメンス二世、レオ9世、ヴィクトル二世、ステファヌス十世などの歴代教皇のために重要な貢献をしたが、1057年、ステファヌス十世は、彼を無理矢理にオスティアの枢機卿司教としたさらにニコラウス二世、アレクサンデル二世、各教皇の意を奉じて、教会改革に全力を尽くし、フランスやドイツにもめぐり教え説き、1072年2月22日、ファエンツァでその生涯を閉じた)と呼ばれました。でも、アドリアティコの岸辺にあるサンタ・マリア修道院(ラヴェンナに近いポルトのサンタ・マリア修道院。ダミアノがここに二年ばかり在住した時、「罪人ピエトロ」(ペトルス・ペッカトル)の署名を用いたと伝えられる)では罪人ピエトロです。枢機卿がどんどん悪くなっていく、その枢機卿の制帽(ただし現在も用いられている枢機卿帽は、ダミアノの時代にはまだ行われていなくて、1252年、教皇インノケンティウス四世が初めて制定したというのが史実)をかぶるように命じられた(教皇ステファヌス十世によって枢機卿にさせられたことを指す)時には、私の命はあまり残されていませんでした。痩せて裸足のケファ(使徒ペテロ。ヨハネによる福音書1の42に、アンデレのつれてきた兄弟シモンを見たイエスが、「あなたはヨハネの子シモンであるが、ケファと呼ぶことにする」と告げたとある。アラム語ケファはペテロ、すなわち岩を意味する)は来ました。そして、聖霊の大きな器(使徒パウロ。使徒行録9の15参照)も来ました。二人とも、どんな食事でも出された食事を食べました(これらの成文については、マタイによる福音書10の10、ルカによる福音書10の5、7、コリント人への第一の手紙10の27参照)。しかし近代の高位聖職者は、あまりにもたくさん食べるものですから、ここにもあちらにも導き手が必要で、裾を持ち上げる人も必要です。彼らは乗っている馬を上着で覆い、高位聖職者と馬とが一枚の毛皮に身を包んで歩くようです! ああ、神の忍耐よ、よく我慢ができたものです!」聖ペトルス・ダミアノが最後の言葉を話すと、たくさんの輝きが梯子を下りてきて、渦巻くのが見えました。渦巻けば渦巻くほど、その輝きは美しくなりました。私に語った聖ペトルス・ダミアノの魂の回りに彼らは集まって留まり、地上では聞くことのできないほど素晴らしい声で、いっせいに叫びました。その強い響きで、私にはその言葉が聞き取れませんでした。(2005年11月30日)(2005年12月27日更新)

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第二十二曲
小さい男の子が、一番信頼している人の所に走って戻るように、私は驚いて、ベアトリーチェの方に向きました。するとベアトリーチェは、青い顔をして息を切らしている息子に優しい声で安心させてくれるお母さんのように、言いました。「あなたは天にいるということがわかっていますか? すべてのものが聖なるものであり、すべての行いが正しい熱意から生まれていることが分かっていますか? この叫びを聞いてあなたが感動したのなら、先ほど彼らが歌ったり、私が微笑んで、どんな事があなたに起こったか分かっているでしょう。もしあなたが彼らの叫びから祈りをくみ取れば(この時点のダンテは、まだくみ取っていない)、まだ行われていませんが、あなたが生きている間に見るであろう復讐(教皇ボニファティウス八世の受難とか、教皇庁のアヴィニョン流刑とかの、特定の事件を指すのでなく、腐敗した高位聖職者や教会への、神意による復讐一般を指す)を知ることとなったでしょう。この高い天の剣は、早く切りこんだり遅く切りこんだりすることはないのです。神意による天罰の下るのを遅すぎると思う者や、天罰の下るのを早すぎると思う者はそう思わないかも知れませんが。でも、今は、他の魂たちに注意を向けなさい。私の言う通りにあなたの目を向ければ、たくさんの高名な魂たちを見られるでしょう。」ベアトリーチェの言う通り、私は振り返ると、互いに美しく輝かせあっている至福の魂たちを見ました。質問するのが多すぎるのを恐れて、質問したいものの押さえている人のように、私はそこに立っていました。すると、真珠のような至福の魂たちの中から最も大きくて最も良く輝く魂が、私が黙っているものの、その魂のことを誰だか知りたがっている願いを満たそうと、前へ出ました。その光の中から私は声を聞きました。「私たちの内に燃える愛を、私と同じようにあなたも見えるのなら、あなたの質問を言ってご覧なさい。でも、あなたの高い目標である旅路の最後に神と直接相まみえることが早くできるように、あなたの胸にしまっている質問に答えましょう。その坂にカッシーノ(ローマとナポリのほぼ中間に位置し、カンパニア地方の北部にアクイノ(トマス・アクィナスの生地)から約8キロ、リーリ川の流域を俯瞰する海抜約420メートルの一峰、モンテ・カッシーノの麓にある同名の町)のある山の頂上には、かつて、邪悪な異教(聖ベネディクトゥスが来るまでは、山頂にアポロンを祀る神殿と、アプロディテ(ウェヌス)の聖林があった)の人々が住んでいました。私たちを高いところに登らせてくださったキリストによる福音の真理を地上にもたらしたキリストの名を、私(聖ベネディクトゥス(480頃-543)。ウンブリア地方の東部にあるノルシアの貴族の子として生まれ、年少時、勉学のためローマに送られたが、学友達の自堕落な生活ぶりを見て居たたまれず、14才頃逃げだし、サビニ山中スビアコ付近の岩窟で約三年間、隠修士の生活を送る。高風を聞いて集まってきた弟子達のために十二カ所に修道院を作ったが、一部の聖職者に迫害され、スビアコを去り、カッシーノ山に修道院を建て、永く規範となる有名なベネディクト会清規を制定した。清規の特色は、厳しい宗教的な勤行の他に、労働を重視し、青少年の教導に意を用いるなど、社会的な活動に注目した点にある)が初めてそこに掲げました。素晴らしい恵みをたくさんいただいたので、私は、その町から、世の中を惑わす異教の讃美を一掃しました。こちらのたくさんの至福の魂たちの光は、黙想していて、聖なる花々や果実を生む愛の火(聖なる花々、すなわち宗教的な思想や情操と、その結果(果実)として聖なる労作を生む神への愛)に、心を燃やした者たちです。こちらがマカリオス(404年頃に死んだアレクサンドレイアの聖マカリオス。西方の修道生活を規制した聖ベネディクトゥスに対し、東方の修道生活を規制した。他にも同名の聖者がいるが、ダンテの考えていたのはこの人)、こちらはロムアルド(ベネディクト会修道士の聖ロムアルド(980頃-1027頃)。フィレンツェ付近のカマルドリに、1012年、ベネディクト会を改革してその支派カマルドリ会を創立した)、こちらは修道院に留まり、外出せず、確固とした心の持ち主の、ベネディクト会の伝統を正しく守る修道士達です。」私は聖ベネディクトゥスに言いました。「このようにお話しをして私に示してくださった愛と、あなたの炎の中で輝くのがよく見える素晴らしい意思の持ち主達は、太陽の暖かみでバラのつぼみが花開き、満開になるように、私の信頼の心はふくらみました。ですから、お願いです、父よ(家族的思想を強調した聖ベネディクトゥスが、修道院長を家父(パーテル・ファニリアス)と称した事への配慮から来た呼び方)、教えてください、私は、あなたのお顔を、光のベールを無くして、見ることができるだけ、神の恵みをいただいているでしょうか?」すると聖ベネディクトゥスは言いました。「兄弟よ(今までの例でも示されたように、教え諭す場合に用いられる親愛の呼びかけ)、あなたの貴い願いは、至高天、エンピレオにおいて叶えられるでしょう。なぜなら、そこでは私の願いだけでなく、他の全聖徒の願いも叶うからです。なぜなら、そこでは、どんな願いも、完全に、熟して、円満になり、そこでは、天は他の諸天と違って不動なのでその各部分は位置を変えることがないからです。至高天は場所があるのではなく(空間を超越している)、回転軸もありません。私たちの梯子(それによって、時間のこの岸から永遠のかの岸へ達する黙想の梯子)がその高みにとどきます。あなたの視力ではとどきません。私たちの梯子がその最後の高みにとどくのを、族長ヤコブ(天国第二十一曲参照)は見ました。天使達がその梯子に群がっているのを夢見た時です。しかし、今では、誰も地上からその梯子に足をかけて昇ろうとしません(現世への執着が強いために)。私の清規(黙想を優先させたベネディクト会の)は無駄に書かれているだけで、誰も守りません。私たちの修道院の壁は、今や獣の住処です(エレミヤ書7の11、マタイによる福音書21の13などを踏まえた表現)。修道士のつけていた頭巾は腐った食べ物の袋となっています。高利貸しのひどい貪欲さも、修道士の心を欲に狂わせる聖なる果実のもぎ取り(教会の収入)に比べれば、神の怒りを招くことは少ないでしょう。教会が保管する財物は、神の名において、それを求める貧しい人たちの物であり、修道士の家族やそれよりひどい人たちの物ではありません(高位聖職者が娼婦と通じ、私生児を儲けた史実への言及)。生きた人の体は弱いので、例えば修道院創設のような良い行いをし始めようとしても、樫の木の芽が出てドングリができるまでの間さえ持ちません。使徒ペテロ(使徒行録3の6参照)は金も銀も持たずに、私は祈りと断食で、アッシジの聖フランチェスコ(天国第十一曲参照)は謙虚さで、修道院を作りました。もしあなたが、それぞれのことの始まりを知り、それによってどのようになったかを見極めれば、善が悪に変わる様子が分かるでしょう。しかし、ヨルダンの水は神の御意志で後ろに追いやられ(ヨシュア記3の14-17、詩篇114の3参照)、紅海が割け(出エジプト記14の21-29参照)ました。神が今教会を救ってくださるのよりも、ものすごい奇跡です。ですから、絶望してはいけません。」このように聖ベネディクトゥスは私に言いました。そして、その輝きを閉じこめる仲間のもとへ戻っていきました。そしてその魂の輝きは、つむじ風のように舞い上がっていきました。美しいベアトリーチェはただ一つ合図をして、彼らの後に続くように示し、私は梯子を登りました。私の自然はベアトリーチェの素晴らしい力の前に屈しました(地獄第二曲のウェルギリウスがベアトリーチェの指図に従った時の経緯を述べているのと照応。「私の自然」とは、肉体の重さに左右される生身の現状)。地上で人は物質界の法則に則って昇ったり降りたりしますが、私がここで翼が生えたかのように軽やかに昇ったほど速いことはなかったでしょう。読者よ、私は地上の生涯が終わったら、天国での浄福を再び得たいと願い、罪を嘆き、胸を打つのです(神曲中「読者よ」との呼びかけはこれが最後)。あなたが、火の中から指を差し入れるよりも前に引き抜くのも、私が双子宮(金牛宮すなわち牡牛座の次の星座)を見るともうその中にいたほどは、速くないでしょう。ああ、栄光の双子宮の星々よ! 賢い力(双子宮の星は、学芸の才に優れる影響を下界に及ぼすと、中世の星学では信じられていた)を胎む星々の聖なる力こそ、私の才能の源です。私がトスカーナの空気を初めて吸った時(トスカーナのフィレンツェに生まれた時。ダンテの生まれた1265年5月下旬、太陽は双子宮の中にあった)、生身の体を持って生きる生命の父である太陽(魂は神が作ったが、滅ぶべき命は太陽が作った)は、あなたとともに登り、あなたとともに隠れます。そして、私は恩寵を与えられ、あなた達を巡らす第八天(数多くの恒星のきらめく)に入った時、私に割り当てられたのは双子宮でした! 私は心からあなた達にお祈りします、これから先の最後の旅程を全うするという最も難しい段階に耐えられるだけの力をください。ベアトリーチェは言いました。「あなたは究極の至福に近いのですから、あなたは目を鋭くしていなければなりません。そこへ足を踏み入れる前に、ここに来るまでいかに広い宇宙を経てきたかが分かるように下を見てみてください。そうすれば、あなたの心は大喜びして、優美な円い天を通って喜びに満ちてやってくる勝ち誇った魂たちの群れを迎え入れるでしょう。」私は、昇ってきた七つの天球を通ってきたところを振り返ってみて、そして私たちの地球も見ました。とてもみすぼらしい姿に、私は微笑んでしまいました。私は、地球を賤しいとする考えは最上の物だと思います。ですから、天界の事物に考えを巡らす人が本当に賢いと考えるのです。私はかつて、月に密度が高いところと低いところがあると信じていたのですが(天国第二曲参照)、その原因となった陰もなく(月は地球に面した分だけに陰を持つ。その理由については天国第二曲参照)、月が光り輝く月を見ました。ヒュペリオン(ギリシア神話のヒュペリオン。ティタン族の一人で、ヘリオス(太陽)の父。ダンテのこの成文は、太陽を「ヒュペリオンの息子」と表現した『変身譜』4の192に基づく)よ、あなたの息子である太陽を私の目はじっと見ることができました。そして、マイアとディオーネ(神話ではマイアはメリクリウス(水星)の、ディオーネはウェヌス(金星)の母とされる)の子供たちが太陽のそばを巡るのを見ました。そこから私は、父と子(ジョーヴェ(木星)の父であるサトゥルヌス(土星)と、子であるマルス(火星))の間でジョーヴェが火星の暑さも、土星の寒さも和らげるのを見ました。その巡る中でどのように動くのかも明らかでした。このようにして七つの星がすべて見え、それらがいかに大きく、いかに速く動くか、そしていかに天球どうしが離れているかが分かりました。私が双子宮と共に巡っている間に、私は、私たちを狂わせる小さな脱穀場のような地球を、山の頂上からその河口に到るまですべてが見えました。そして、ベアトリーチェの美しい目に、私は目を向けました。(2005年12月1日)(2005年12月27日更新)

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第二十三曲
私たちの視力ではものが見えなくなる夜の間、お気に入りの葉の間に静かにしていた鳥が、大切なヒナたちの巣に座っていて、愛するヒナたちのことを心配して、どんな大変なことでも喜びながら行って、餌を探しに出かけようと、日の出の見える枝に移り、新たな日が始まるのをじっと見つめ、愛情を燃えあがらせて日の出(日の出はキリスト到来の心象)を待ちます。ちょうどそのように、ベアトリーチェは、慎重に、熱心に、その下では太陽の動きがゆっくりな天(地平線近くにある太陽と比べて、天心にかかる正午時の太陽は、その運行が遅いように見える)を見つめて待っていました。私はベアトリーチェが待ち望んでいるのを見て、何かを得ようと願い、まだ得ることはできないのだけど、得る望みが十分なのでその望みだけで満足する人のようになりました。子午線上に日の出が見えるのを注意して待っている時間は短く、天は明るく輝きました。するとベアトリーチェは言いました。「ご覧なさい、キリストの勝利の凱旋の軍である至福の聖徒達(現世にあって時間の束縛を受ける地上のキリスト軍勢とは異なり、彼らは時空の制約を超えた永遠の存在)を。そして、これらの天球の回転から生まれた至福の聖徒達を見てください。」私はベアトリーチェの顔が燃え立つように輝いているのを見ました。ベアトリーチェの目は、聖なる幸福に輝いているので、書き記せないほどでした。満月の夜のきれいな空に、天の奥深くまで飾る星々の間で微笑む月の女神ディアナ(アルテミス)のように、無数の至福の諸聖徒の上に、キリストが光り輝くのを私は見ました。それは私たちが下界で見る太陽が星々を輝かせるのと(ダンテは『饗宴』2の13の15で、太陽は全ての星の光源であると述べている。中世では一般にそう考えられていたが、それを否定する見方もあり、星の光源に関するダンテの見解は必ずしも定着していない)同じでした。キリストはその輝きを貫き、とても明るく、私の目は耐えられないほどでした。ああ、美しい導き手である、ベアトリーチェ! ベアトリーチェは言いました。「あなたの目を眩ませたのは、どんな物も防ぐことのできない力です。その中には、天と地球との間に道を開き(アダムの原罪以来、閉ざされていた天国への道は、キリストの到来によって再び開かれる。天国第二十六曲では、辺獄に住むアダムも、そこへキリストがやってくるのを4302年待ったと語っている)、人間が熱烈に長い間望んでいた知恵と力(その具現としてのキリスト。コリント人への第一の手紙1の24に、「神の力、神の知恵であるキリスト」とある)があるのです。」雷が、雲の中にまで広がって、行き場が無くなると、火焔界に向かって昇る本来の性質にそむいて、地上に落ちますが、ちょうどそれと同じように、私の心は、天上の喜びのために広がって、心を離れて意識を失い、その時の心の状態を記憶していません。「目を開いて、私の顔を真っ直ぐに見てください! あなたの目は様々な経験を積んだのですから、今では私の微笑みを見るのに耐えられます(それに耐えられなかったので、ダンテは土星天に入って以来、ベアトリーチェの微笑を見ていない。しかし栄光に輝くキリストをすら見得るだけの修練を積んだ今のダンテは、ベアトリーチェの光り輝く微笑を見ても大丈夫だとベアトリーチェは言うのである)。」記憶から消すことのできないほどの感謝を受けるのにふさわしいベアトリーチェの言葉を聞いた時の私は、寝て夢を見ていたけどもう忘れかけていて、その夢を思い出そうとして虚しい努力をしている人のようでした。ポリュヒュムニアとその姉妹(ムーサイの一人、ポリュヒュムニア。讃歌を司る。その姉妹とは他のムーサ達)が甘美な霊感でもって育てた名だたる詩人達の言葉が響き、私を助けようとしても、ベアトリーチェの聖なる微笑みや、その聖なる顔がどんなに情熱に輝いているかを歌うとなれば、千分の一も及ばないでしょう。ですから、私が天国を描くに当たって、この聖なる詩も、そこだけは跳ばさないといけません。行く手を阻まれた人が、そこを飛び越えるように。私の詩のテーマが重いことと、それを背負う人間の肩が痛むことを思えば、私がここでよろめいても、どうか私を責めないでください。私の詩の才能である船の船首が切り分けて進むように歌う詩材の海は、小舟や、舵取りに労を惜しむ船長には向きません。ベアトリーチェは言いました。「なぜあなたは、私の顔に心を奪われてしまって、キリストの光であふれたところで咲く花の美しい花園に顔を向けないのですか? ここには、神の言葉を取り入れて肉(キリスト。ヨハネによる福音書1の14に「言は肉となって、私たちの間に宿られた」とある)としたバラ(聖母マリア)がありますし、香りで人を良い道へ導く百合(使徒達)があります。」ベアトリーチェの願いに従う私は、弱い目を光のきらめきに向けました。時々、曇った日に、花の咲く広場に、雲の切れ間から太陽の光線が射すのを見たことがあります。ちょうどそんなように、至福の聖徒達の輝きが、キリストからの愛の光線に照らされて、下に射すのを見ましたが、その輝きの源は見られませんでした。そのような光を注ぐキリストよ、あなたの前では私の目は眩んでしまうので、あなたは高く登られて、その光を聖徒達に照らすのを見せていられます。昼も夜も私が祈る甘美なバラの名を聞くことで、私の心は満ち、聖母マリアを見つめさせました。私の二つの眼は、下界でも秀でていたように、天でも秀でている聖母マリアの光の強さと大きさを見ました。天の高みから一つの燃える火のような、マリアに受胎を告げた大天使ガブリエルが冠のような輪の形をして降りてきて、星の光の回りを巡りました。ここ下界でも素晴らしい響きで人の心を引きつける調べといっても、エンピレオにちりばめられた美しいサファイヤのような聖母マリアの冠となった、素晴らしい竪琴のようなガブリエルの音色に比べれば、雲の間からの雷のような物です。ガブリエルは言いました。「私は天使の愛です。キリストが宿っていた子宮から出る貴い喜びの回りを巡るのです。天の淑女聖母マリアよ、あなたがあなたの聖子の後に従って、エンピレオに入り、それをもっと神々しくするまで、私はあなたの回りを巡りましょう。」ガブリエルがこう言い終えると、他のすべての光は、聖母マリアの御名を歌い上げました。運行する天体の回りを覆い、神の息吹と御業を受けて、至高天に近づこうとする愛に燃え、回転の速度は他のどの天球よりも速い、第九天の原動天は、私たちの回りを巡るその内側が私たちからとても遠いので、私の立っているところからは見えませんでした。ですから、私の肉眼には、キリストの後を、冠をつけて高く昇っていく聖母マリアを追うだけの力がありませんでした。そして、赤ちゃんが、おっぱいを吸った後、愛情をいっぱいに示して、その腕を上げて母親を捜すように、その輝く光は皆、炎を高くへと伸ばしているように見えました。このことで、彼らが聖母マリアをいかに大切にしているか、そしてマリアに対して抱く愛の深さが私にはよく分かりました。彼らはそこで、私の視界に留まってレギナ・コエリ(復活節に、聖務日課で歌われるマリア讃歌の中の交唱)を歌いました。その響きはとても甘美で、それに聞き入る私の喜びはずっと私の心から離れないでしょう。ああ、これらの、後に天にあげられて浄福の境涯を喜ぶ聖徒達が、下界で積んだ功徳によって、今、天上で受ける幸福はなんと大きいことでしょう! 彼らは、バビロンの虜囚時代(マタイによる福音書19の21にある、イエスの教えを実践した地上での生活。詩篇137の1に「バビロンの流れのほとりに座り、シオンを思って、私たちは泣いた」とある。なおバビロンの虜囚時代については列王記下24、25参照)に富貴を地上に求めず、涙を流しながら勝ち取って天に預けた財宝に生き、ここで喜ぶのです。そしてここで、使徒ペテロは、神の、そしてマリアの貴い子であるキリストのもとで、旧約の預言者や新約の使徒達とともに、その勝利を祝うのです。(2005年12月2日)(2005年12月27日更新)

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第二十四曲
ベアトリーチェは言いました。「ああ、あなた達を満たしてくださる(至福の聖徒達は、天国第三十三曲が示すように、満たされていながら願うことをやめない。不満だからではなく、神の恩への限りない感謝が、おのずからそうさせる)神の子羊であるキリスト(ヨハネによる福音書1の29「見よ、世の罪を取り除く神の子羊だ。」とある)の素晴らしい晩餐に招かれ、選ばれた仲間たちよ(ヨハネの黙示録19の9「子羊の婚宴に招かれている者たちは幸いだ」、マタイによる福音書22の14「招かれる人は多いが、選ばれる人は少ない」参照。ここでの仲間達とは、招かれて、しかも選ばれた至福の使徒達である)、神の恩恵によって、このダンテが地上で死ぬ前に、祝福された食卓から落ちた物(「小犬も主人の食卓から落ちるパンくずはいただくのです」といって、キリストに誉められた女の言葉を踏まえての成文(マタイによる福音書15の27参照)。ダンテは『饗宴』1の1の10でこの心象を展開するが、『饗宴』という書題そのものからして、既にこの心象を示唆する)を、あらかじめ味わうのなら、ダンテの真理を突き止めたいという渇きを、真理の泉からほとばしり出る神の恩寵の数滴で潤してください。なぜなら、あなた達は、ダンテの考えの源の水を永遠に飲むからです(選ばれて永久に神の叡智の泉から真理の水を飲む聖徒達。つまり、神を見つめることにより、ダンテの心底に何があるかを察知している聖徒達)。」するとその幸福な魂たちは、ダンテとベアトリーチェを軸として回り始めました。それは彗星のようでした。時計の中の歯車は、良く注意すると、一つはゆっくりと動き、止まっているようですが、もう一つの車輪は飛ぶように早く動きます。ちょうどそのように、これらの回りながら踊る魂たちは、速い者も遅い者もあり、それはその魂の喜びの量を示しているようでした。とても明るく舞っている一人の魂(使徒ペテロ)を私は見たのですが、その魂からは、喜びのきらめきが輝き、一番喜びに輝いて踊りました。聖徒ペテロの魂は、神々しい音楽と共に、ベアトリーチェの回りを三回廻り、その様子は、私は今思い出そうとしても、きちんとは思い出せないほどです。ですから、私のペンは、そこを飛び越して、詳しくは記しません。どんな想像力もどんな文章も、この天の明るさの襞の深さ(ダンテの時代の絵画は、題と、特に着衣に力点を置いた。着衣の裾は襞となり、襞は最も深い陰を現す。トスカーナ人が好んだ色調の明るさを保ちながら、奥深い襞の陰影を表現するのに適当な色を見つけることが、画家の腕前の見せ所であった)を現すのに十分でありません。「おお、聖なる姉妹である、ベアトリーチェ、あなたが私たちに祈る燃えあがる愛によって、私は私の美しい輪舞から離れることができました。」ペテロの聖なる魂は、ベアトリーチェの回りを巡るのをやめて、ベアトリーチェにこのように声をかけました。するとベアトリーチェは言いました。「私たちの主が下界にもたらした、天国の喜びの鍵(煉獄第九曲参照)を委ねられた永遠なる光よ、かつてあなたに海の上を歩かせた信仰(マタイによる福音書14の28-29参照。これからダンテは、信・望・愛の神学的三徳につき、ペテロの吟味を受けることとなる)に関して、重い物も軽い物もいろんな質問を、あなたのお好きなように、このダンテに質問してください。ダンテが、正しく愛しているか、正しく望んでいるか、正しく信じているかは、あなたはもうご存じでしょう。なぜなら、あなたの視力は神から発するからです。でも、信仰は、人の救いの要素なので、ダンテと語ることによって、その信仰の尊さを示してください。」学士が、修士が質問するまで静かにしていて、結論を出すためではなくて、議論をするために心を整えるように(中世において、大学の課程を修了した学士が、修士または博士となる試験を受けるための万全な準備)、私も、ベアトリーチェが語っている間、様々な質問に答え、告白できるよう準備しました。ペテロは言いました。「答えなさい、良いキリスト教信者よ、あなたの心の中にあることを示してください! 信仰、信仰とはなんですか?」この言葉に、私は目を上げて、そのペテロの輝きを見つめました。それから、私はベアトリーチェに目を向けましたが、ベアトリーチェの眼差しは、私の内なる泉から水を注ぎ出すように(ヨハネによる福音書7の37-38に、「渇いている人は誰でも、私の所に来て飲みなさい。私を信じるものは、聖書に書いてある通り、その人のうちから生きた水が川となって流れ出るようになる。」とあるイエスの言葉を踏まえての表現)と、私に語っていました。私は言いました。「素晴らしい百人隊長(教会の第一指揮官、ペテロ。百人隊長はローマの軍制で用いられた言葉)を前にして信仰告白を私に許してくださる神からの恩恵が、私の考えをうまく表現できるよう導いてくださいますように。父よ、あなたとともに、ローマをキリスト教へ帰正させた、あなたの兄弟(聖パウロ。ペトロの第二の手紙3の15「私たちの愛する兄弟パウロが、神から授かった知恵に基づいて、あなた方に書き送ったことでもあります」とある)の真実を語るペンが書き記す通り、信仰は、待ちこがれている物の本質で、見えない物の証明です(パウロがヘブライ人への手紙11の1に提示した信仰の定義。トマス・アクィナスはこれを「信仰とは、それによって永遠の生命がわれらのうちに目覚め、知力をしてまだ現れていない物へ向上させる心の習慣」と言い換えても良い、と述べている)。そして、このことを私はその本質と捉えています。」次に声がしました。「あなたの言うことは正しいです。ただし、あなたがなぜ聖パウロが本質の中に、そして次に証明の中においたかを理解しているのならば。」私は答えました。「天で、私に寛大にも現れる奥深い物事は、下界の人間の目には隠れています、ですからその存在を確認するのは、信仰によってのみです。私たちはこの信仰を基礎として、福を得る望みをその上に築くので、信仰はすなわち基礎に当たります。私たちは天の物事を他の証しを用いずに、ただ信仰に基づく推理によって、真実であるとすべき物なので、信仰はすなわち証しなのです。」するとペテロの燃えあがる愛の火から言葉の息吹が出たのでした。「地上で、もし人の心で学んだすべてのことを良く理解されていれば、詭弁家の知力の入れられる余地はありません。」そして、ペテロは付け加えました。「これで信仰の純度と重さは両方とも検査されました。でも、教えてください、あなたはその信仰をあなたの心に持っていますか?」私は答えました。「はい、持っています。正しい信仰です。」すると、その光の深みから声がしました。「あらゆる徳がその上に打ち立てられる、計り知れないほど貴い信仰は、どこから手に入れたのですか?」私は言いました。「旧約と新約の両聖書の羊皮紙に降り注いだ聖霊の顕現は、私に示した論拠で、その鋭さと比べたら、どんな証明も疑わしく見えます。」私には声が聞こえました。「旧約と新約の両聖書の二つの前提をあなたは論拠だと信じているようですが、どのようにして、その二つの前提を、あなたは神の聖なる言葉として受け取るのですか?」そして私は言いました。「私が読んだことが真実であるということの証拠は、それに続く奇跡の数々です。このような奇跡は、超自然のことです。」ペテロは答えました。「教えてください、それらの奇跡があったことをどのように知ったのですか? 聖書が記す啓示の真理以外他にはありません。」私は言いました。「奇跡の力を借りずに、全世界がキリスト教に帰依するとすれば、他の何者でもなく、それこそ奇跡です(聖アウグスティヌスが『神国論』22の5で示している論証。のちこれをトマス・アクィナスがさらに展開した)。かつてはぶどうの木であったけれど、今はイバラ(荒廃した教会の現状への風刺)になってしまった、キリスト教の信仰を育てようと、あなたが農園に入った時は、飢えて、貧しかったのでした(にもかかわらず、福音が結実したのは奇跡の最たる物)。」私がこう言い終わると、高いところにいる聖なる聖歌隊である諸聖徒は、「神を我らたたえまつる(煉獄第九曲参照)」と歌い、諸天球間に響き渡らせました。問いから問いへと、私の信仰を試験して、私たちが今や最後の問いに近づくまで導いてくださった使徒ペテロは、また話しました。「あなたを愛し、あなたの心に宿ってあなたを助ける神の恩恵は、今、あなたの口を開かせて話をさせています。ですから、私はあなたの口から出てきた言葉を認めます。しかし、あなたは今、信念を言って、あなたの信仰の源について話してください。」私は答えました。「ああ、聖なる父よ、今、若いヨハネの足よりも早くキリストの墓に導いたキリストを見る魂よ(ここに書かれている内容については、ヨハネによる福音書20の3-8参照。聖ペテロは、現世で信仰を通して受け入れていた物を、今目の当たり神の中に見る。ペテロにおいてこの信仰はきわめて強かった。早く走って先に墓に着いたのは、年の若いヨハネであったにもかかわらず、中には入らなかった。墓にまず入ったのは、ヨハネではなくペテロであった)、あなたは私の抱く信仰の本質を明らかにするように求め、その信仰の理由をお尋ねになりました。ですから、話しましょう。私は、動かず、その愛と望みでもって全ての天体を動かす、永遠なる唯一神を信じているのです(アリストテレスの説も取り入れての、正統キリスト教義の要約)。私の信仰に対して、物理学や形而上学の証明があるのみでなく、モーゼ、預言者達、詩篇、福音書そして、燃える魂に浄められた後書き記した人々によってここから下る真理(使徒行録2の1-4、ルカによる福音書24の44参照)もまた私にこの信仰を与えます。そして私は永遠の三位も信じます。これらの本質は一つであると信じますが、それを複数形ととっても単数形ととってもどちらでも構いません。このように私が話す深遠な聖なる神によって、福音の教えが私の心に何度も印を押します(マタイによる福音書28の19、コリント人への第二の手紙13の13、ペテロの第一の手紙1の2、ウルガタ訳ヨハネの第一の手紙5の7参照。福音書に何度も出てくる)。これ(聖書を通し、啓示によって与えられる三一神の玄義)が源です。これが、天の星が私の心にきらめくように、燃えあがらせる火花です。」すると、僕から喜ばしいことを聞く主人が、話が終わると、その話を喜んで、僕を抱きしめるように、私に話を命じた使徒ペテロの光は、私が話し終えると、歌いながら私を祝福し、私の回りを三回巡りました。私の言葉は、使徒ペテロの心に適ったのでした。(2005年12月6日)(2005年12月27日更新)

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第二十五曲
長い間詩作に専念したので、身を細らせることとなった、天も地も手を貸したこの聖なる詩は、襲いかかるオオカミたち(1302年にダンテをフィレンツェから追放したグエルフィ党黒派の面々)の敵である子羊である私(ここに登場する子羊の聖書的心象は、エレミヤ書11の19、シラ書13の17、イザヤ書11の6、65の25参照)が眠っていた甘美なオリであるフィレンツェ(ちなみに、オオカミ、子羊、オリの隠喩は、1291年、フィレンツェで提議された市法の冒頭にあるという)から、私を追放する残忍さに打ち勝つことができれば、私は、声が変わり(乳臭い子羊ではなく、声変わりをすませたたくましい羊として。プロヴァンスの恋愛詩人仲間からの脱皮を指す)、毛の色も変わって(試練に耐え、毛の色も、乳臭さのあともとどめず。必ずしも白髪を意味しない)、一人の詩人として帰郷し、私が受洗したサン・ジョヴァンニ教会の受洗盤で(地獄題十九曲参照)、月桂樹の輪(月桂樹やミュルトスの葉で編んだ輪を額に巻かれるのは、詩人にとって最高の栄誉)をつけるでしょう。なぜなら、その教会で洗礼を受けてキリスト教の信仰に入り、信仰によって神に近づき、後に、聖ペテロが私の冠の回りを巡ったからです(ダンテがキリスト者としての信仰を吟味され、聖ペテロの心にいたく適ったこと)。その時一つの光(聖ヤコブの魂)が、キリストが代理者として地上に残した聖ペテロが出てきた輪から、私たちの方に動き始めました。するとベアトリーチェは、喜びに輝いて私に言いました。「見てご覧なさい、あちらを見てご覧なさい! 地上の魂たちがガリツィア(スペイン北西部の一州。そこのサンティアーゴ・デ・コンポステラに聖ヤコブが祀られており、巡礼者には、ローマに次ぐ第一級の聖地とされていた)に祀る聖ヤコブをご覧なさい。」鳩は、その連れ合いのところに降りてくる時、回りを巡りながらクークー泣いて、その愛情を示します。ちょうどそれと同じように、輝かしく素晴らしい聖ヤコブが、聖ペテロに迎えられ、素晴らしい晩餐(天国第二十四曲の「素晴らしい晩餐」)を褒め称えるのを、私は見ました。そして、喜びに満ちた挨拶が交わされると、無言のまま私の前に立ち止まりました。その輝きに、私の目は耐えられないほどでした。するとベアトリーチェが微笑んで言いました。「神恩の豊かさを記した(神恩の豊かさを聖ヤコブが書き記した例として、ヤコブの手紙1の5、1の17、2の5参照)素晴らしい魂よ、ダンテと語って、望みをこの高い天に鳴り響かせてください(対神の三徳の信・望・愛のうち、望がこの第二十五曲の主題。ダンテを受験者として、望みについて多いに談論されたまえ、とベアトリーチェはいうのである)。あなたはご存じです、イエスが三人(ペテロ、ヤコブ、ヨハネ。「光を与えてくださった度」とは、キリストの変容(マタイによる福音書17の1-8)、ゲッセマネの園(マタイによる福音書26の36-38)、ヤイロの娘の起きあがり(ルカによる福音書8の50-56)を言う。これら全てのみぎりに、ペテロは信を、ヤコブは望を、ヨハネは愛を、それぞれ代表する)に光を与えてくださった度に、望みを現したのはあなたですから。」聖ヤコブの魂は言いました。「頭を高く上げて、心を強くしてください。なぜなら、人間の世界からここに登ってきた者は、皆私たちの光によって熟したからです。」そこで私は、ペテロとヤコブ(詩篇121の1「目を上げて、私は山々を仰ぐ」を踏まえた表現)の山々に目を上げました。しかしその明るさのあまり、思わず目を伏せてしまいました。聖ヤコブの魂は、再び言いました。「神は、その恩恵によって、あなたが生きながら登ってきた至福の聖徒達と天国で会うことを許してくださいました。ですから、この天の王宮を見て、あなたは、下界において、神を愛する愛を促す望みを強くさせるでしょう。さあ、教えてください。望みとはなんですか、あなたの心の中で望みはどのようにして育ったのですか、そして、どこからあなたの望みはやってきたのですか」私が高く飛ぶ時に、私の翼の羽根を導いてくれた、敬虔なベアトリーチェは、私の答えを見越して言いました。「全ての聖徒を照らす神の内に読めるように、地上の信徒の中にダンテほど大きな望みを抱いているものはいません。ダンテは現世での生活を終える前に、エジプトを出てイエルサレムにいたる(エジプトは地上における現実生活(詩篇114の1)を、イエルサレムは天国における神の都(ヘブライ人への手紙12の22)を指す)のを許されたからです。あなたが質問した残りの2つの質問は、神によって既に知っているので、あなたが知るためではなく、あなたがどれほど望みを大切にしているかを地上のものにダンテが伝えられるためです(天国の聖徒達は、もはや望みを必要としない。にもかかわらずヤコブはなお限りなく望みへの愛に燃えている)。私はダンテに任せます。それは難しくはなく、またうぬぼれることもありません。ですから、ダンテに答えさせ、ダンテが答える時に神の恩恵がありますように。」先生に言われて、生徒が、よく知っている事に関して自分の価値を見せようと、待ちかまえて、進んで喜んで答えるように、私は言いました。「望みは、未来の至福への期待で、神の恩恵と、それに先立つ人の徳から生まれます(ペトルス・ロンバルドゥスの『命題集』3の26の1に、「望みとは神の恩寵と、それに先だって必要なわれらの功徳から生ずる未来の至福への、ある種の期待である」と見え、それを解明したトマス・アクィナスの『神学大全』に基づく「望」の定義)。旧新の両聖典に収められた諸書から望徳は私の心にやってきましたが、初めて私の心に吹き込んだのは、神について高らかに歌ったダビデです。”御名を知る人はあなたに依り頼む(詩篇9の11参照)”このように彼は聖なる歌を歌っています。私と信仰を同じくする者は、その名を知らない者はいません。そして、ダビデの言葉とあわせて、あなたの書簡(ヤコブの手紙)は、私に望みを起こさしめました。ですから私は、私に満ちたあなたの恵みを他の人にも及ぼすのです。」私がこのように語っている間、聖ヤコブの炎の胸に火花が輝き、雷のように何度もきらめきました。その聖ヤコブの魂は言いました。「私の中で望みに燃えている愛は、殉教による勝利(ヤコブの殉教については、使徒行録12の2参照)、そして現世を去る時も私に付き従っていましたが、その愛が、この望みの徳を愛するあなたに再び話すように私をし向けているのです。あなたの望みは、あなたの心にどのような約束をしているのか、私に話をして、私を喜ばせてください。」そして私は言いました。「旧約聖書と新約聖書は、神が選ばれた魂たちに望みの目的を指示するので、私はその示すところによって望みの約束するものを知るのです。イザヤは言います(イザヤ書61の7と、61の10で)、すべての人はその故郷では魂と肉の衣を着るべきだと。故郷とは天上の甘美な生活のことです。あなたの兄弟、聖ヨハネは、白い衣について述べたところで(ヨハネの黙示録3の5、7の9-17)、その黙示を私たちに明らかにさせます。」私の最後の言葉が終わると、「御身に恵みを」と私の頭の上で聞こえ、踊っていた魂たちはあわせて歌いました。するとその光達から聖ヨハネの光がとても明るく輝き、もし冬至の頃に終夜、光り輝く蟹座の星々に、聖ヨハネの光のような輝きがあったら、夜も真昼が続くと思われるほどだったでしょう。若い女の子が、自分を見せびらかすのではなく、花嫁のお祝いのために、立ちあがって、喜んで踊りに加わるように、私は、その輝きが、彼らの燃える愛にあわせた歌のリズムで輪になって踊るペテロとヤコブの光に近づくのを見ました。それは合わさって踊り、歌い、その間ずっと、ベアトリーチェは花嫁のようにじっとして黙って、ペテロ、ヤコブ、ヨハネの輝きを見つめていました。ベアトリーチェは私に言いました。「これはキリストの胸にもたれた聖ヨハネ(ヨハネによる福音書13の25参照)です。十字架のキリストから偉大な形見であるマリアを引き受けたものです(ヨハネによる福音書19の27参照)。」ベアトリーチェは語る前と同じように語った後も、ずっとその使徒達を見ていました。瞳を定めて日蝕を見ようとする人は、そのために目が眩んで何も見えなくなります。ちょうどそれと同じように、私は聖ヨハネの輝きを見つめ(ヨハネによる福音書21の22-23をよりどころとして、ヨハネは生身のまま天にあげられたとする、言い伝えの実否を確かめようと、ダンテは光体を凝視していたのである)、すると聖ヨハネの光から声がしました。「ここ天には無いものを見ようとして、なぜ目を眩ますのですか? 私の体は地上の土です。そして私は、最後の審判の日まで(堕落天使の空席を満たすだけ聖徒の数が増えるまで。ヨハネの黙示録6の11参照)、他の者たちと一緒にそこにいるのです。魂と肉と二つの衣をもって天国にいるのは、キリストとマリアの二人だけです。あなたが下界に戻ったら、皆にこれを説明してください。」このように言うと、踊っている炎の輪は、ペテロ、ヤコブ、ヨハネの甘美な歌の響きが止まると共に止まりました。それはちょうど、水をかいていたオールが、危険を知らせたり休憩を知らせる笛が鳴ると、動きを止めるようでした。私がベアトリーチェを見ようと振り向いた時、私は見ることができませんでした。ああ、その時の私の心がどれほど乱れたことでしょう。ベアトリーチェのそばにいるというのに、しかも私たちは天国にいるというのに!(2005年12月7日)(2005年12月27日更新)

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第二十六曲
目が見えなくなってしまい、困惑して立っていると、私の視力を奪った燦然と輝く炎(聖ヨハネの魂)から息吹が出て、注意を促しました。その声は言いました。「私を見つめて失った視力を取り戻すまで、話をして償うのがいいでしょう。まず、あなたの魂がどこに向けられているか、教えてください。それから、安心してください、あなたの視力は眩まされているだけであって、視力を失ったわけではありません。導者としてのベアトリーチェは、アナニア(主の命令により、パウロに会い、失明を癒し、洗礼を受けたダマスクスのキリスト教徒。使徒行録9の17-18参照)が手に持っていた力を、目に持っています。」私は言いました。「ベアトリーチェの意のままに、遅かれ早かれ、私の目を治してください。いまでも私を燃やす愛の火と共に、ベアトリーチェは私の目を門として、私の中に入ってきたのです。この天国に喜び満ちる善は、時には軽く、時には重く、愛が私に読み諭す全ての物語の、初めであり、また終わりです。」突然目が見えなくなって困惑していた私が恐れているのを救ってくれた聖ヨハネの声は、私に話をする気を起こさせてくれました。その声は言いました。「その通り。しかしあなたはもっと厳密正確に言わなければいけません。説明してください、誰があなたをこのような愛(対神三徳の一つ、愛。これがこの第二十六曲の主題)に向かわせたのですか?」私は言いました。「哲学的な議論によって、そして、聖書に現れる天の啓示によって、このような愛が私に深く刻まれているのです。愛の向かうところに善があり、善が完璧なものとなればなるほど愛はますます大きくなります。神は至上の善であるから、神を愛するその愛が最大・最深・最高でなければならないのです。永遠なる第一の愛を私に説いてくれたアリストテレス(とりわけ、「自分は動かないで他を動かす物こそ知的理解のあこがれの的」だとする『形而上学』が、アルベルトゥス・マグヌスや、トマス・アクィナスのそれへの解釈と共に、ここを書いた時ダンテの念頭にあったと考えられる)によって、このような真理が私の心に明らかにされたのです。神が自分のことを語って、モーゼに”私はあなたの前に全ての私の良い賜物を通らせ”と言うところ(出エジプト記33の19)で、これを明らかにしました。あなたはあなたの素晴らしい福音書の冒頭で(ヨハネによる福音書1の1、3の16、ヨハネの黙示録1の8参照)、それを明らかにしました。人々に対して、聖書の他の部分に勝って強く、天の秘密を明らかにしました。」その時私は聖ヨハネの声を聞きました。「人間の理性と、それと一致する聖書が明らかにしている諸権威によって、あなたの愛のうち最も高貴な愛を神に向かわしめるのです。でも、教えてください。あなたを神の方に引っ張っていく紐は、理性と天啓の他にあるのですか?」このキリストの鷹であるヨハネ(その黙示録4の7に出てくる四動物を、それぞれ四福音書記者に比定するのが中世キリスト教会での習わしであった。獅子をマルコに、牡牛をルカに、人間をマタイに、鷲をヨハネに)の質問の聖なる意図は私には明らかでした。私は、どのように答えるべきかも分かりました。私は再び言いました。「心を神に向かわしめる者は全て(アウグスティヌス、アルベルトゥス・マグヌス、トマス・アクィナスなど、ダンテの三界遍歴に際して道標となった先人達)、私の愛を全て神へ献げさせるのです。全人類の存在によって造物主の善を知り、人類を救うためにキリストが死んでくださったことを思って神の愛を知り、望んでいる永遠の幸福を思って神の恩をしのびます。先に述べた、神が至上の善であるという確たる認識とともに、間違った愛の海から私を救い、本当の愛の岸辺へ私をおいてくださったのです(低次の愛から高次の愛への昇華を振り返る)。私は、神から与えられた善の度合いに応じて神の被造物全てを愛します。」私が話し終えると、天に甘美な歌声が響き渡り、ベアトリーチェも一緒に歌いました。「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな!(神の王座の回りでセラフィムが歌うこの歌は、ダンテが全試験にめでたく合格したことの合図。イザヤ書6の2-3、ヨハネの黙示録4の8参照)」視覚の霊が、網膜から網膜へと目を貫く閃光へと走る時、光の輝きに眠りから覚め、目覚めた人は、見る物をちゃんと判断できるまでは、急に目覚めたことに困惑して、なるべく物を見ようとはしません。ちょうどそれと同じように私の目から、ベアトリーチェはその千マイル以上も照らす素晴らしい輝く目でもって、ホコリを一つ一つ取り除いてくれました。すると私は前よりもっと見えるようになり、新たに見えたものに驚いて、いま、共にいる四つ目の輝き(第一の力、神が初めて作った人類の始祖アダム)について訊ねました。ベアトリーチェは言いました。「あの光線の炎の中にいるのは、創造主が初めて作った魂で、その創造主を惚れ惚れと見つめているところです。」木の枝は、風が吹くとその先が垂れて、自然の復元力でまた元に戻って、高く伸びますが、それと同じように、私は、ベアトリーチェが話をしている間は、驚きのあまり、頭を垂れていましたが、また質問したいという求知心からの願いに燃えて、自信を取り戻し、こう言いました。「ああ、熟して生まれた果物よ、初めての、最も古い男性であり、全ての花嫁の父であり義理の父であるアダムよ、心からお願いします。どうかお願いです、私に話してください。あなたは私の願いが見えてしまいますから、早く聞かせてください、私は言いませんから。」衣を着けた動物は、その衣の中で身動きして衣を動かしますが、時々、その感情を表そうとして、衣を振るわせることがあります。ちょうどそれと同じように、アダムの魂は、私を喜ばせるのがどれほど楽しいかを私に示そうと、その輝きを振るわせました。そして、そのアダムの魂は言いました。「あなたが話をしなくても、あなたが自分で明らかに分かることをあなたが知っているように、私にはあなたの願いを知っています。私はそれを神の中に見るのです。ベアトリーチェがエンピレオに到るまでの天国の旅の準備をした、煉獄山の頂にある地上楽園であるエデンに、神が私をどのぐらい昔においてくださったか(アダムが造られてから今までの年月)を知りたいのでしょう。そして、そのエデンが私の目を楽しませてくれたのがどれぐらい長い間だったのか、神の激怒(アダム、すなわち人類に対する神の大いなる憤り)に触れた本当の原因は何か、私がどんな言葉をしゃべっていたのかを、知りたいのでしょう。さあ聞いてください、息子よ、このような長い流刑(原罪への罰として、楽園を追われてからの流浪の生活)は、あの木の実を味わったからではなく、神の領域への逸脱のためです。ベアトリーチェがあなたを助けるようにと、ウェルギリウスを呼び出した辺獄から、この集まりに加わるのを待ちわびたのは、4302年です。私が人間として地上にいた間に、私は、太陽が星々の間を930回巡るのを見ました(創世記5の5参照。アダムが過ごした歳月は、地上で930年、辺獄で4302年、キリストの死により、辺獄を出てから『神曲』が現れる時までの1266年。総計6498年)。私が話した言葉は、ネンブロット(地獄第三十一曲、煉獄第十二曲参照)の民が、完成させることが不可能な仕事をしようとする前に、なくなっていました。自然のすべてのものと同じく、人間の意向は、星々の運行の影響のもとにあるので、理性によって造られたものは、永遠に続くことがありません。人間が話すのは自然ですが、こういう言葉で、とか、ああいう言葉で、と、どのように話すかは、自然は人が好きにするように任せています。私が地獄でつらい目に遭うまで、私が最高善の喜びの中に包まれていたその最高善は、I(神を意味するヘブライ語ヤハウェの、最初の字としての、ダンテの発想か。またローマ数字の1は、統一の表象であることにも関係がある)と地上では呼ばれていました。そして、それはEl(ヘブライ語のヤハウェの別称エロヒームの最初の二字。セビリアの聖イシドルス(570頃-636)は、一種の百科事典であるその著書『起原考』の7の1で、「神の最初の名は、ヘブライ人の場合エルであった」と述べている)となりました。人の習慣は、枝に生えている葉のように、散ると思えばまた別のものがそこに生えてくるものです。海から最も高くそびえる山の頂(煉獄山の頂にある地上楽園であるエデン)で、私が罪を犯すまでの、無実で住んでいたのは、日の出時、すなわち午前6時頃から、正午過ぎ(このようにしてアダムがエデンの園に住んだ期間はわずか6時間)までの間です。」(2005年12月9日)(2005年12月27日更新)

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第二十七曲
「父に、子に、聖霊に、栄光あれ!」と、天国中が一緒になって叫び、私はその甘美な響きに酔いしれました。私には、全宇宙が微笑んでいるように見えました。目からも耳からも私は聖なる陶酔に浸ったのでした。ああ、喜びよ! ああ、筆舌に尽くしがたい恍惚よ! ああ、愛と平和による完璧な生よ! ああ、失われることのない富よ!私の目の前には、ペテロ、ヤコブ、ヨハネ、アダムの四人の魂の炎が燃え、初めに私に近づいてきた光であるペテロの魂は、他の三人よりもっと輝き始めました。もし木星が火星と光を交換したら、その白い色が赤くなったでしょうが、それと同じように、義憤のあまりペテロは赤くなりました。天国で、天にいる魂たちに順番や任務を割り当てる神の摂理は、全ての祝福された合唱隊に静かにするようにさせていましたが、私は声を聞きました。「私の色が変わっても、驚かないでください。なぜなら、これから私が話をすると、ここにいる魂たちも皆色を変えるのをあなたは見ることとなるからです。神の子、キリストの前では、今も空(有名無実となった教皇座)である私の座を、私の座を、私の座を、地上で奪い取る者、教皇ボニファティウス八世は、私が殉教したところであるローマを、血と汚物のドブとし(教皇座の現状への言及、地獄第二十七曲参照)、ここから墜ちたルチフェル(地獄第三十四曲参照)は地獄でその心を慰めています。」私は、天が、日の出時や、夕暮れ時に空を染める、赤い色に染められるのを見ました。そして、慎ましい淑女が、自分の身には恥じるところがないのに、他人の罪を聞いて恥じてその顔を赤くするように、ベアトリーチェの顔色も変わりました。きっと、キリストが受難の時に天はこのように暗くなったでしょう(マタイによる福音書27の45、ルカによる福音書23の44-45、マルコによる福音書15の33参照)。するとペテロは話を続けました。でも、彼の色もそんなには変わらないと思えるほど、声のトーンが変わっていました。「教会は、黄金を得るための手段となるように、私やリヌス(ペテロに継いで教皇位についたと言われる聖リヌス。76年か79年に、サトゥルニヌスという者の手で殺された。ダンテの典拠はブルネット・ラティーニの『宝庫』)やクレトゥス(リヌスの後、76-79年頃から88-90年頃まで教皇となった聖クレトゥスまたはアナクレトゥス。ローマ皇帝ドミティアヌスの命令で殺害される)の殉教によって養われたのではありません。この天上無窮の幸福を得るために、シクストゥス一世(ハドリアヌス皇帝(76-138)の統治下、116年頃から約10年ローマ教皇であった)も、ピウス一世(アントニヌス・ピウス皇帝と同時代の教皇。在位140-154)も、カリストゥス一世(皇帝マクリヌスおよびヘリオガバルス治下のローマ教皇。在位217-222)もウルバヌス一世(アレクサンデル・セウェルス皇帝と同時代に、カリストゥス一世の後を襲った教皇。在位222-230。ダンテは伝説に従って、以上の四教皇をいずれも殉教としている)も、苦悩の涙を流し、血を注ぎました。私たちは、キリスト教信者をわけて、支持者を右に、反対者を左に座らせるような不公平な扱い(マタイによる福音書25の31-33を踏まえて、教皇の支持者グエルフィ党員を右側の羊に、反対者ギベリーニ党員を左側の山羊に擬す)するつもりはありませんでした。私に託された鍵(煉獄第九曲、天国第二十四曲、マタイによる福音書16の19参照)が、受洗した者に対して戦う時の旗印に使われる(1229年、フリードリヒ二世と戦った教皇派の軍勢はこの鍵を旗印とした。またダンテ当時の教皇も、キリスト教信者を相手にこの旗印で戦っている。地獄第二十七曲参照)のも本意ではありませんでした。また、教皇が私の顔を現す印をその文書に押して、聖物売買を行う人を偽ることも私の本意ではありません。私はそれを思うと、怒りと恥じのあまり燃えあがるのです! 羊飼いの服を着た強欲なオオカミたち(マタイによる福音書7の15参照)が、全ての牧場にいるのが、ここ天からは良く見えます。ああ、神よ、なぜお怒りを示さないのですか? カオルサ人(カオルサについては地獄第十一曲参照。ここでは天国第十八曲で言及されている、カオール出身の教皇ヨハンネス二十二世(在位1316-1334)を指す)や、ガスコーニュ人(ガスコーニュ出身の教皇で、地獄第十九曲、煉獄第三十二曲、天国第十七曲に出てくるクレメンス五世(在位1305-1314))は、私たちの血を飲もうと支度しています。ああ、創立当時の教会よ、あなたはどのような運命に沈んでいってしまうのでしょう! しかし、スキピオ(ハンニバルに勝ちローマを救った大スキピオ。地獄第三十一曲、天国第六曲参照)の手によって、ローマに世界中の栄光を保たせる貴い摂理よ、すぐに来て助けてください。そして、ダンテ、我が子よ、あなたは肉の衣の重さを持っているのですから、地上に再び戻ったら、声を大にして、私があなたに隠さなかったことを、隠さず話してください!」太陽が山羊座にある冬至の頃、氷った水蒸気が雪片となって、舞い降りるように、そこで私たちを迎えようと留まっていた勝利に光り輝く諸聖徒が、第八天(恒星天)を舞い昇る(「舞い降りる」のではなく「舞い昇る」のは、地球を中心として、引力が働いている時間から、神を中心として空間も時間もない永遠の世界へダンテが近づいたことを示すための逆説的表現の一つ)のを私は見ました。私の目は彼らの姿を追って、高すぎて見えなくなるまで見つめていました。するとベアトリーチェは、私が上を見つめているのから解き放たれたのを見て、言いました。「目を下へ向けて、あなたがどれだけ巡り上ってきたかを見てご覧なさい。」最後に見下ろした時(天国第二十二曲参照)から、第一地帯(地球の緯度と照応して、双子宮を上限とする天体の緯度による区分の一つ)の真ん中から端へ伸びるカーブを通過してきたことが分かりました(六時間かかって90度動いた)。私は、ガデス島(中世、ジブラルタル海峡にあるとされていたガデス島)の向こうに、オデッセウスが航海した(地獄第二十六曲参照)狂ったようなルートが見え、エウロパが甘美な荷物となった岸(ギリシア神話のエウロパは、フェニキアのテュロスの王アゲノルの娘。ゼウスはこれに恋着し、牡牛に姿を変え、その背にエウロパを載せて渡海し、クレタ島へ上陸、ゴルテュンの泉の側で交わり、ミノスその他を生んだ。「エウロパが(牡牛に変身したゼウスの)甘美な荷物となった岸」とは、フェニキアの岸のこと。そこは、イエルサレムとほぼ同じ子午線上にある)も見えました。もし太陽が、私の足元でそんなに進んでいなければ(太陽は、30度以上、40度以下、西へ進んでいたが、仮にそうでなければ、と想定したのである)、小さな地球がもっと見えたでしょう。ベアトリーチェを恋いこがれる私の心は、ベアトリーチェを見ようと、もっと燃えあがりました。心を得ようとするには、まず目を引きつけないといけないので、自然は肉体に、技は容姿にその美を示しますが、ベアトリーチェの微笑みをもう一度見た時に私の中に燃えた神々しい光には、比べることもできません。私に向けられたベアトリーチェの眼差しの力は、双子宮(煉獄第四曲参照)から私を引き離して、天で最も速く巡る原動天へ私を導きました。この素早く巡る天の様々な部分は皆同じようで、ベアトリーチェがどこに私に留まるように選んだのか分かりません。しかし、ベアトリーチェは私の望みを知っているので、顔に、神も喜ばれるぐらい、幸せそうな微笑みを浮かべて話し始めました。「宇宙の中心を静かに保ちながら周りの全ての諸天を動かす宇宙の性質は、ここ原動天を出発点として動くのです。この原動天は、エンピレオの天に覆われるけれど、エンピレオは神の御座なので、他の諸天のように物質からできているのではないのです。ですから、天の各部と結びあおうとして巡る愛と、その下の諸天に及ぼす力とは、エンピレオで燃えているのです。光と愛がこの天を巡るのは、この天が他の諸天を取り巻くのに似ていますが、エンピレオの天を司るものはそれを包む神のみです。その運行は他の諸天の影響を受けず、他の諸天がこれによって測られるのは、2×5が10を計算するぐらい簡単にできることです。時間が、その根を原動天に保ち、それは根のように隠れて見えませんが、(永遠に面する原動天が包み込んでいる恒星天以下の)諸天は、葉が目に見えるように、その運行は人が時間を測ることができます。それは、あなたに明らかでしょう。ああ、貪欲よ、人類をその荒れ狂う深い水の底に落としいれてしまい、誰もそこから頭を出すことはできません! 人間の意志の花は常に素晴らしく花を咲かせますが、ひっきりなしの長雨によって、良く育った実も、腐ってしまいます。私たちは、小さい子供の内にだけ、無罪と信仰を見ることができます(マタイによる福音書18の3に、「心を入れ替えて子供のようにならなければ、決して天の国にはいることはできない」とある)。そして、その両者は、頬にヒゲが生えてくるまでにはどこかへ行ってしまうのです。片言を言う間は断食を固く守るものも、自由に話し始めると、いつものように食べ物で口をいっぱいにするのです。ある者は、片言しか話せない子供の内は、母親の言うことに喜んで耳を傾けるのに、舌が成長すると、母親が死んで葬られるのを望むようになります。このように、朝をもたらし、夜を残していく太陽の魅力的な娘(太陽神ヘリオスとペルセイスの娘、キルケー。妖術に長じ、人を獣に変えた。地獄第二十六曲参照)によって、無実の白い肌も黒くなるのです。地球にあなたを支配するのが誰も居なく(教皇は名前のみ、実無し。また皇帝も名前のみ、実無し。煉獄第六曲参照)、家族がバラバラになってしまうことを考えれば、私の言うことであなたは驚くことはないでしょう。一年を365日6時間と定めたユリウス暦(古来エジプトに伝わった暦法を、前46年ユリウス・カエサルが採用・制定したもの。1582年グレゴリオ改暦までヨーロッパに広く行われた)では、計算が不正確なため、9000年近く経過するうちに一月が春季に組み込まれることになりますが、その一月が春に組み込まれることになるあっという間に(その9000年近くを「あっという間に」と表現したのは、例によってダンテの痛烈な皮肉)これらの諸天は輝き、偉人は人を悪から善に向かわしめ、人類を正しい道に導くのです。このようにして、花の後に、良い実が付くのです。」(2005年12月11日)(2005年12月27日更新)

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第二十八曲
私の心を天国に置かせてくれるベアトリーチェによって、憐れな人間の現世とは裏腹の真実を明らかにされたその時です。見たり、予期したりする前に、後ろにともされた灯火の炎を鏡に見て、鏡が真実を映しているかどうかを見ようと振り向いて、実物の鏡の映像と同じであることは、歌が譜面と同じであることに似ていると思う人がいます。それは、かつて愛が私を捉える罠としたベアトリーチェのうるわしい目を見つめて立ちつくしたのと同じで、その時私がそうしたのを今、思い出しました。そのように私が振り返り、人が第九天の動きをよく見れば、巡るその天体に現れるものに、私の目が向いた時、とてもまぶしくて目が光りに負けてしまい閉じるしかなかった神(自らは動かずに他を動かし、自らは広がらずに無限の広がりを持つ神)を見ました。最も小さく見える星でも、星々と並ぶ神と並んだら、月のように見えるでしょう。暈が、その支えとなる水蒸気が濃い時、それを描き出す光体の回りに、取り巻くほこりに見えるほどの間を隔てて、火焔の環が、その神を巡り、最大速度でこの宇宙を巡る第九天の運行さえ、はるかに凌ぐかと思われる速さで旋回しました。この環を第二環が取り巻き、第二環を第三環が、第三環を第四環が、第四環を第五環が、第五環を第六環が取り巻いていました。第七環もこれに続いて取り巻いていましたが、とても広く広がって、虹が完全な円を描いて現れたとしても、そこにおさまらないほどでした。第八環も第九環も同じで、その数が大きくなれば大きくなるほど中心から遠くなり、巡るスピードも遅くなるのでした。中心の神に最も近い環は、その真実の中に入る神性がどんなものなのかをよく分かっているために、最も清らかに輝きました。私がもっと知りたいと強く思いつつ、困惑しているのを見て、ベアトリーチェは言いました。「全ての自然と全ての天があの神に依存しているのです。神に一番近い環をご覧なさい。そうすれば、その巡るのが速いのが、燃える愛の刺激を受けるからであることが分かります。(天体の運行は、自らは動かずに他を動かすものへの、烈しいあこがれに由来するという、アリストテレスの天体観を踏まえた表現)」そして私はベアトリーチェに言いました。「もし全宇宙が、ここで天体が廻っているように秩序だっているなら、私は、私が見たものに満足するでしょう。でも、私たちの地球の中心から遠くを巡る天体は、神の力を受けることが多いので、ますます速く廻り、それらの環は、神から遠くなるにつれ巡るのがますます遅くなります。私の、知りたい、という願いが、その境界が愛と光だけである、この驚くべき天使の宮である第九天で叶うのなら、なぜ現物と天使の環があわないのかを、はっきりさせてほしいのです。自分では理解できませんから。」ベアトリーチェは言いました。「その結び目(霊的世界と物的世界の関係)をほどくことができないぐらいあなたの指の力が弱いのは、不思議ではありません。誰もほどこうとしなかったから、固く結ばれているからです! もしあなたが満足したいのなら、私の言うことをよく聞いて、あなたの知性をとぎすましてください。物質的な諸天体は、それぞれに行き渡る徳の多い少ないによって、広かったり狭かったりするのです。徳が大きければ大きいほど、幸福も大きくなり、さらに、各部が等しく完全ならば、天体が大きければ大きいほど、そこに含む幸福も大きいのです。従って、最大の天体、すなわち他の八天を回転させる第九天は、その力が最大なので、最小の環である神に最も近くて、愛も智も最も勝るセラフィムの環に相当するのです。ですから、環を測る時に、その円周ではなく、その力の大小を測れば、どの天界にいても、天体の大きなものほど最も勝るのですが、天使の環では、神に最も近いものが最も優れます。優れるために速く巡るので、第九天は第一環(セラフィム)に相応し、第八天は第二環(ケルビム)に相応し、以下の諸天は皆それぞれを回転させる天使に相応するのです。」風神が、その柔らかな頬から(風神は口の中央・左・右の三カ所から風を吹き出すものとして描かれることが多かった。ダンテがここで語っているのは北東の風)風を吹く時は、見渡す限りの空は清らかで穏やかで、大気を浄め、暗い霧を吹き払い、天は美しさを示して、私たちに微笑みかけます。ベアトリーチェの見事な答えを聞いて、私の心もこれと同じようでした。すると、天の清らかな星が輝くように真理が見えました。ベアトリーチェが話し終えた時、火花を散らすような全ての環から光のシャワーが降り注ぎ、それは溶けた鉄が火の中で噴出するようでした。どの火花もその環の火を離れませんでしたが、その数はおびただしい数でした。そして天使達が神の定めた地位を保ち、さらに永遠に神の恩恵を受ける、その神に向かって「救いたまえ」と合唱するのが聞こえました。すると私が心の中に疑問を抱えたのを見て取ったベアトリーチェは、私に言いました。「二つの環があなたに示しているのは、セラフィム(第一序列の天使)とケルビム(第二序列の天使)です。彼らが神との絆に従って、とても速く廻るのは、できるだけその神と同じように輝くためで、それは、高く神に近づくほど早く廻り、輝くのです。この二つの環の周りを巡る他の天使達は、神の御前の御座と呼ばれ、神の世界の第一の三つの組はこれで終わります。これらの輝きは、その心を休めるところにおいて、神をどれほど深く見ているかによって、その喜びの大きさが決まることを、あなたは知っておいてください。ですから、彼らの喜びが、神を見るという行為に基づくのであって、神を愛することは次の段階であるということ(見ること(知力)が愛すること(意志)に優先するとは、トマス・アクィナスやアルベルトゥス・マグヌスを中軸とするドミニコ修道会の考え方で、見ることよりも愛することを優先させたアウグスティヌスの流れを汲むフランシスコ修道会と対立した。ダンテはこの問題ではドミニコ修道会に与する)を、あなたは理解できたでしょう。見ることは、神の恩寵と善心から成る、その徳によって測られ、このようにして、彼らは高く高く進んでいくのです。秋になっても枯れることのない、天の永遠の春に花咲く第二の三つの組は、永遠に「救いたまえ」と歌い、冬の寒さを吹き飛ばし、三つの位を作る三つの喜びの位に、三つの音を響かせます。この天使の位は、第一に統治の木星天を主宰する天使、第二に威徳の火星天を主宰する天使、第三に権能の太陽天を主宰する天使で成り立っています。そして最後を除いて踊り巡る二つは、主天使の金星天を主宰する天使、大天使の水星天を主宰する天使で、最後に踊るのは、楽しそうな天使達の月天を主宰する天使(これに原動天のセラフィム、恒星天のケルビム、土星天の座天使をあわせ、天使の位階は九となる)です。この全ての位の天使達は神の方を見ました。それは、彼らが下の方の天使達に力を及ぼすからで、皆、その下のものを引き上げ、さらに、神の方へ向かって引かれていくのです。ディオニュシウス(天国第十曲参照)は、これらの位のことを考えるのに専念し、私がするように、それぞれに名前を付けて分類しました。その後、教皇グレゴリウス一世(煉獄第十曲参照。彼に従えば、天使の位階は、セラフィム・ケルビム・権能・主天使・威徳・統治・座天使・大天使・天使の順となる)ディオニュシウスに異論を立てましたが、死んでから天に来て、目を見ひらき、真実を見て、自らの間違いを笑うこととなりました。ディオニュシウスのように、地上で生きていながら、このような秘密の真実を述べたとしても、あなたは怪しむことはありません。これを天上で目の当たりにしたパウロが、この天使の環に関する他の多くの真実と共にこれをディオニュシウス(一世紀頃のギリシア人。アテナイのアレオパゴス法廷の判士ディオニュシウスの意味。パウロの説教に感動してキリスト教に帰正したと伝えられる。使徒行録17の34参照)に明らかにしたのですから。」(2005年12月14日)(2005年12月28日更新)

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第二十九曲
太陽が白羊宮に、月が天秤宮に覆われて、地平線上にある時、一刹那に過ぎない昼夜の間、ベアトリーチェは輝くように微笑んで、黙って、私の目が耐えられない神の光を見つめていました。ベアトリーチェは言いました。「あなたに質問することなく、あなたが聞きたいことをお話ししましょう。なぜなら、全ての場所と時間が集まるところがどこかをあなたは知りたいということが私には分かるからです。神は至上の善なのでその善を増やすことはできないのですが、まばゆくばかりに輝く栄光の光を示して「私はここにいます」と言って万物のがおのおのその存在を自覚して喜ぶためにいられるのです。全ての時を越え、全ての理解力を越えて、神の御心のままに、永遠なる愛から新しい愛が花咲くのです。また、創造の大業の前に、神は怠惰の内に休んでいたのではありません(被造物は時間的存在であるが、造物主である神は時間を超越する。造られたものから見た創造の時点は、永遠者である神には存在しない。だから、創造の大業は永遠に行われていると言える)。形式(アリストテレスの哲学の重要概念で、スコラ学にも継承された)と、物質と、またその混じり合ったものは、神の御旨から出たもので、御旨に適うものです。水晶や琥珀やガラスの内に光が照らされると、瞬時に行き渡ります。それと同じように、神の創られた、形式、物質、その二つの混じり合ったものも、その存在を全うし、成り初めと成り終わる間に時の区別はありません。その三つは、同時にそれぞれ秩序だって作られ、純粋な知性である形式の天使達は、エンピレオにいるのです。そして、自主の行動ができない非理性的存在である純粋の物質には地球が与えられ、その天使群と地球との中間には、固く結ばれてほどけることのなく、他の作用を受けると共に他への作用を及ぼす諸天球(すなわち形式(諸天使)と物質(非理性的存在)の結合体)があるのです。ヒエロニュムス(教会博士、聖ヒエロニュムス(348頃-420)。ウルガタ訳者として、また聖書の釈義家として、ヘブライおよびギリシアの宗教・文化の伝承に貢献するところが大きい教父)は、天使達が、残りの神の世界である宇宙が作られるより何世紀も前に作られたと記しています(テノスへの手紙の釈義の中で。トマス・アクィナスは『神学大全』の1でその反対説と供に引用、論評を加えている)。この真実は、多くの聖なる書物に(創世記1の1、シラ書18の1参照)書かれていて、あなたも注意深く読めば、分かるでしょう。それは理性によってほとんど理解できるでしょう。諸天を動かす天使達が長い間完璧でなかったということは、理性で認めにくいことだからです。今や、あなたは、どこで、いつ、どのように、これらの諸天使が作られたかわかったでしょう。ですから、あなたが知りたいと思っていた三つの炎は既に消されました。創造とほとんど同時に、天使達の一部が、地・水・火・風の四元素のうち最も下にある地、つまり地球を乱しました。残りの天使達は、とても喜んで、休む間もなく巡り、あなたが今ご覧の通り、神を凝視する知的黙想により、諸天を運行させ始めました。その一部の天使達の堕落の原因は、あなたが見てきた、宇宙の重さを全て集めた地球の中心のルチフェルの忌まわしい厚かましさにあるのです。ここで見る残りの天使達は、謙虚に、神の善からもたらされる素晴らしい知能でもって神を悟らしめる、その神から出たということを認めているので、神の恩恵と、自らの徳によって、神を見る力が増し、そのために、その意志は確固たるものとなったのです。恩寵を受けるのは徳であり、その徳は、恩寵を受け入れる愛の大きさに応じるということを、疑わずに、信じてください。あなたが私の言葉を理解してくれたら、これ以上助けなくても、この天使達の集いについて、多くのことを結論づけられるでしょう。しかし、地上のあなた達の学校では、天使には、理解、記憶、意志(理解・記憶・意志は、肉によって自由を奪われることから離れても、人間の魂が持つとダンテが信じた三つの権能)があると教えるでしょうから、私はもう少しお話しをして、下界で曖昧な言葉で議論しているために混乱している真理(天使の天から与えられた性質には、理解と意志はあるけれど、記憶は絶対に無いということ)について、あなたに純粋な姿で示しましょう。神は全ての物事を見ておいでなので、そもそも、これらの天使は、全ての物事が明らかにされる、その神の御顔を見て至福の喜びを得てからというもの、その御顔から目を離すことはないのです。ですから、天使達の目は、新しい物が入ってきてもその視力を阻むことが無く、見る力が阻まれないのだから忘れるということが無く、従って、思い出す必要もないのです。地上では、ある人は天使に記憶があるというような理由のないことを想像し、ある人は信じてもいないあやふやなことを真実として言いふらし、前者の方は無知のためですが、後者の方は悪意があるので罪も恥じも大きいのです。あなた達人間は、哲学的に思索するに当たって、真理に達する道を歩みません。知識をひけらかすのに夢中です! しかし、これも、旧約・新約の両聖書がないがしろにされ、間違って解釈されるのに比べれば、天で受ける憎しみは少ないです。聖書を世の中に播くために殉教の血が流されても、何とも思わないし、謙虚に聖書を心にとめる人が、どんなに神の御心に適うかも考えません。外見ばかり気を遣って、根拠のないことを作り出し、説教者はそれを論じて、福音を述べ伝えません! ある人は言います、キリストの受難に際して、日蝕で暗くなった(キリスト受難に際しての日蝕現象につき、ディオニュシウス・アレオパギタ達が行う説明。マタイによる福音書27の45参照)と。他の人は言います、そんなことは嘘だ、光が自らを隠したので、ユダヤ人と同じく、インド人にもスペイン人にも見えたのですから(聖ヒエロニュムス達の行う説明。当時、インドは東の、スペインは西の、世界の果てと考えられていたので、ユダヤの他にこの二つをあげると「全世界に」の意味となる。トマス・アクィナスは『神学大全』でこの両説を紹介、批判している)と。ラーポとビンド(ラーポ(ヤコポの愛称)もビンド(イルデブランドの愛称)も、ダンテ当時、フィレンツェに最も多かった人名)がフィレンツェにどんなにたくさんいても、あちらこちらで教壇からこれらのような妄説を叫ぶ者に比べれば、ものの数ではありません! 何も知らないかわいそうな羊のような従順なキリスト教信者が、風を食べるだけで虚しく牧場から帰るように、無知のため無益な妄説を聞いて教会から帰るのは、免罪になりません(無知が免罪とはならないことについては煉獄二十二曲でスタティウスに語らせている)。キリストは、初めの弟子に”行って、世界中に根も葉もないたわごとを説教しなさい”とは言わず、そこに建物を建てることのできる土台(コリント人への第一の手紙3の10-11参照)を彼らに与えました。キリストの言葉だけが弟子の口に上り、信仰を燃やすために戦いに行く時、福音だけが彼らの盾と槍になったのでした(マルコによる福音書16の15参照)。今では、人々は皮肉や冗談を説教し、ただ笑わすことができれば、自己満足で僧帽をふくらませ、それが彼らの求めるところなのです。しかし、僧帽の上に悪魔が巣を作り、聖霊の導きでなく、悪魔の導きで言葉を発し、人がその真相を知れば、罪の赦しを得ようとしてそのような僧を信じるのが無益であり有害であることが分かるのです。人々は信じやすく、なんと愚かなことでしょう。法王から赦罪の権利を委ねられた証しなど必要なく、罪が赦されるという約束に人々は押しかけました! これによって、聖アントニウス(エジプトのコマに生まれた隠修士アントニウス(251頃-356頃)。岩窟に退き、約二十年間、ナイル川東岸の山中に住み、弟子達のために隠修士院の制度を設け、アタナシウスやパコミウスの修道制に大きな影響を与えた。のち45年間、ナイル川と紅海の間の砂漠に退く。家畜や豚飼養者の守護聖人で、この修道会の修道士は施物を持って養豚に従う習いであった)は、その豚と、豚よりも穢れた高位聖職者の妾や庶子などを、にせの免償状を発行して、肥え太らせました。私たちは、本題から話をそらせてしまいました。さあ、あなたの心の目を天使論に戻してください。この天に留まる時間は短くなってきたので、早く話を進めましょう。天使の数はとても多く、人間の言葉や考えも及びません。ダニエル書をご覧なさい(ダニエル書7の10参照)。ダニエルが何千もの天使と言っても、正確な数は分からないのです。諸天使に照らす神からの光は、様々な方向から照らし、それは神からの光が様々なのと同じです。神から受ける光が多ければ、神を見て神をよりよく知ることになり、神をよく知れば、、神を愛することもまた深くなります。ですから神に対する諸天使の愛もそれぞれその強さが違うのです。さあ、見てください、あの永遠なる神の高さと広がりを見てください。神は自らのためにこのようにも多くの諸天使を造ったけれども、神が一つであることは、これまでと変わりません。」(2005年12月15日)(2005年12月28日更新)

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第三十曲
6000マイル(『饗宴』3の5の11で、地球の周囲を20400マイルとしたダンテの計測法に従うと、正午点から6000マイル離れて太陽を東に観測する地点では、日の出前約一時にあたり、地球の太陽と最も近い点では正午、そして地球はその円錐状の陰をほとんど水平に西へ投げている)かなたに、正午が燃え、地球の陰が傾いて水平になろうとしていました。高いところの天の中心に変化が起こって、様々なところの星々が一つずつ私たちの視界から消えていきました。そして、エーオス(ギリシア神話の曙の女神。ローマ神話ではアウローラ。煉獄第九曲参照)が近づいてくると、天は光を次々に消していき、最もうるわしい金星の光も消えました。自らの光に包まれているような輝かしい神の周りを永遠に舞い踊る勝利の天使達も同じで、少しずつ私の視界から消えていきました。何も見えなくなってしまった私は、愛によって、私の目がベアトリーチェに向かわされました。これまで私がベアトリーチェについて語ってきたことを全て集めて、褒め称える詩を作ったとしても、この時のことを現すには全く不十分です。その時私が見た美しさは、人間の考えをはるかに超えていました。ベアトリーチェの美をお造りになった神のみが、その美を本当に楽しむことができるのだと私は思います。この点において、私は負けたと認めなければなりません。どんな詩人でも、日常語の文体で書く詩人であれ高揚した文体で書く詩人であれ、このテーマに関して、私ほどくじけて筆を折らなければならなかった詩人はいなかったでしょう。太陽が、弱い目に対してするように、ベアトリーチェの美しい微笑みを思うと、私の心の働きが弱まってしまい、思い出すこともできなくなるほどです。私が生まれて、ベアトリーチェの顔を見た時から、この時まで、ベアトリーチェを褒め称える私の歌はとぎれることがありませんでした。でも、今、私の詩でベアトリーチェの美しさを追い続けようとするのは、やめなければなりません。なぜなら、これが芸術家の限界というものだからです。ベアトリーチェの美しさは、私に勝る詩人でなければ書き表すことはできません(故郷のエンピレオに帰ったベアトリーチェの美しさは、その絶頂の状態(つまり平常の姿)に戻り、表現のいかなる技術も及ばない)。導き手という仕事を終えたベアトリーチェは、その役割にふさわしい声と身振りで、言いました。「私たちは原動天を後にして、エンピレオに入りました。知識にあふれる輝かしい天です。愛にあふれる輝かしい天です。本当の善にあふれる天です。甘美きわまる喜びを超越する喜びにあふれる天です。ここであなたは天使と聖徒が見えるでしょう。諸聖徒は、最後の審判で見るのと同じ姿です(最後の審判に際し、人間の魂は再び肉の衣を身につける)。雷のような閃きが、最もはっきりした物でも視界から消えてしまうほど目の働きを乱すことがありますが、それと同じように、生きる輝かしい光が私を包み、あまりにも強く、輝きのベールで包むので、私は光しか見えませんでした。ベアトリーチェは言いました。「この天を永遠に穏やかに保つ愛である神は、この強い光で歓迎するのです。神を見ることができるように、光に慣れさせるためです。」この短い言葉を耳にするなり、私は自分の力が増したのを感じました。新しい視力の力が私の目にきらめき、どんなに明るくても目が耐えられるようになったのです。すると私は、春の花々に彩られた両岸の間を川のような光(神の恩寵と栄光の象徴。なお川のイメージに関しては、ダニエル書7の10「その前から火の川が流れ出ていた」、ヨハネの黙示録22の1「天使はまた、神と子羊の玉座から流れ出て、水晶のように輝く命の水の川を私に見せた」参照)が輝きながら流れているのを見たのです。この川から火花のような天使達がほとばしり出て、両岸の花のような諸聖徒達の中に落ち着きました。それは、まるで、金の指輪にちりばめられたルビーのように見えました。そして、花の香りに酔うようにして、天使達は川にもぐっていきました。もぐっていく光があるかと思うと、飛び出てくる光が見えました。私の目の太陽であるベアトリーチェは言いました。「あなたが見た物について質問したいと思うその燃えるような願いは、強まれば強まるほど私を喜ばせます。しかし、あなたはまず、その願いを叶える前に、この水を飲まなければなりません。入ったり出たりする宝石の川と、微笑むような花々は、これから見る真実を前もって示している物です。これらの物は、全く完璧で、完璧でないのは、あなたの視力の方なのです。高いところを見るのに十分なほど強くないのです。」よく眠って、遅く起きた赤ちゃんが、母親のミルクを求めて顔を向ける速さも、その時私が、その光を注ぐことで人を優れた者とする川に、私の目を優れた鏡とするために身をかがめた速さには及ばないでしょう。私の瞼がその水に濡れた時、その川は真っ直ぐに流れていたのに、丸く変わりました。仮面舞踏会で、それまでは顔を隠していた仮面をとると、前とは違う人のように見えるように、私の目の前の輝きも花も大きなお祭りのように変わり(火花が天使に、花々が聖徒に変容したこと)、私は二組の天の宮人を見ました。ああ、真の王国の勝利を私に示す神の恩寵よ、私の見たことを言葉にできるように力をください! 高いところに、先ほどは川だと見えた光があり、その光により創造主は、その神を見ることによってのみ平和をもたらされる被創造物を見ることができるのですが、その光は円を描き、それがとても大きいので、回りを太陽の帯としても緩すぎるぐらいでした。その光の広がりは、原動天の頂上から反射する光線で、その光から、原動天は自らの命と力を得ているのです。草や花が豊富な丘の中腹が、その豊かさが湖に映るのに見とれるかのように、その湖を見下ろします。ちょうどそれと同じように、諸聖徒達はその光の周りに無数の列を作って、自らを映し、その列の外に向かうに従って次第に高くなり、円形の劇場のようでした。その光景をバラの花と見なすと、中央の光は花の中心で、周囲の列は花弁に当たります。しかし、その広さと高さによって、私の目は混乱しませんでした。私の目は、喜びの数と量をしっかり捉えました。エンピレオでは、神が支配しているので、時間や場所の概念は全く通用せず、時間ではなくて永遠が、場所ではなくて無辺際があるので、自然の法則は当てはまりません。話をしたかったのですが黙っている私を、花弁から花弁へと良い香りをさせて伸び、永遠に春であるようにさせる神を讃美する永遠のバラの花心へ、ベアトリーチェが導いて、そして言いました。「見てください、白い衣を着た群れのなんと大きなことでしょう。見てください、私たちの町である天の広がりを。私たちの席はほとんど満たされていて、天が待ち受けている魂がとても少ないことが、あなたには見えるでしょう。あなたが目をとめている、王冠が既に乗っている座席には、あなたが死ぬ前に、この婚礼の宴に(ヨハネの黙示録19の9「それから天使は私に、”書き記せ。子羊の婚宴に招かれている者たちは幸いだ”と言い、また、”これは、神の真実の言葉である”とも言った」を踏まえた表現)招かれ、地上では皇帝であるハインリヒ七世(ルクセンブルクのハインリヒ七世。1312年ローマで帝冠を受け、1313年8月早世。ハインリヒ七世はダンテが理想とした帝王)の魂が座るでしょう。ハインリヒ七世は、受け入れ態勢がまだ整っていない(ハインリヒ七世に対する)のに、イタリアを良くしようと、イタリアへ赴くでしょう。あなた達は貪欲な闇に迷い、飢えて死にそうなのに、乳母(ハインリヒ七世)がいるのに退ける貧しい子供のようです。そして、彼と同じ道を行くのを公には認めても、内密には拒んだ教皇クレメンス五世(地獄第十九曲参照)は、ハインリヒ七世のイタリア滞在中、ローマ教皇となるでしょう。しかし、神が彼をその聖なる務めに長くいるのを赦さないでしょう(クレメンス五世の教皇在位は1305-1314)。彼は、シモン・マーゴ(地獄第十九曲参照)が報いを得ている地獄第八圏第三嚢に投げ落とされ、教皇ボニファティウス八世(地獄第十九曲、煉獄第二十曲参照)をますます深く沈ませるでしょう!」(2005年12月16日)(2005年12月28日更新)

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第三十一曲
白いバラ(初期イタリア美術では、時として天国をバラの形で表現したが、ここのバラの例えは、ダンテ自身の発想。バラはまた、時として受難の象徴に用いられた。四旬節の第四日曜日には、教皇がこの花とキリストおよび天国の連想を示す儀式を行い、黄金のバラを祝福した)の形で、天の聖徒達が私に示されました。その聖徒達は、キリストが自らの血でもってキリストの花嫁とした者たちです。そして、愛を燃えあがらせる神の栄光を、高く飛びながら見て歌うもう一つの天使達の群れは、ちょうどミツバチが花にもぐって天の巣に戻って密を運ぶ仕事も喜びとなるように、貴い花びらに飾られた素晴らしい花へと降り、そしてそこから、永遠なる愛である神のいられるところへと昇っていくのでした。彼らの顔は、生き生きと燃える炎のように輝き、翼は黄金でできていて、その他の部分は、真っ白(煉獄第八曲に出てくる天使だけは、浄罪にいそしみ希望に燃える魂にふさわしく、「若葉のような緑色」の衣をまとっているが、その他の箇所では、ここと同じく天使の着衣は全て雪白である。なお天使の白衣については、ダニエル書7の9、マタイによる福音書28の3参照)で、地球で降る雪よりも真っ白でした。彼ら諸天使達は、花の聖徒達の中に入り、段々に降りていき、翼を扇いで神のもとへ飛び、平和と愛の情熱を聖徒達に伝えました。また、このようにたくさんの群れが飛び交い、花と神との間を隔てるのですが、神の輝きを見るのを妨げることはありませんでした。なぜなら、神の光は、宇宙をその徳に応じて貫き、何もそれを妨げることはできないからです。旧約時代の民も新約時代の民もいる、この安らかで楽しい王国では、目も愛も神という一つの目的に向かっています。一つの星として輝く三位一体の光(三位格を具えてしかも一つである神)よ、喜びの光よ! この下界の、(反平和で地上の人類を攪乱する)嵐を見てください! こぐま座を引き連れたおおぐま座に、毎日覆われている北の方からやってきた野蛮人達が、ローマの全盛時代にローマを見て驚いたとすると、人間の世界から天に、時間の世界から永遠の世界に、フィレンツェから天使達と至福の聖徒達の所に来た私が、とても驚いたのも当然でしょう! 私は驚きと喜びで、何も聞かず、何も話したくなかったぐらいです。巡礼者が、目的とされていた聖殿を見渡して、喜びのあまり疲れが癒され、家に帰ったら人々にどのように話をしようかと考えるのとちょうど同じように、私は目を天のバラの生きた光に向けつつ、祝福された段を、上に、下に、全体に、見回しました。その時私が見たのは、神の光や、自らの微笑みや慎み深い威厳を備えた振る舞いで飾られた、愛に満ちた諸聖徒達の顔でした。私の目は天国の全体の姿をすぐに捉えましたが、どこかに目をとめるということはしていませんでした。すると私は知りたいという願いがこみ上げてきて、私の心の中で十分に明らかでない事柄をベアトリーチェに訊ねようと周りを見ました。私が予期していたのと、私の見た物は違っていました! そこにベアトリーチェがいると思っていたのに、私が見たのは、白衣をつけた長老でした。彼の目や、頬は祝福された神々しい喜びに満ちていましたし、彼の態度は優しいお父さんのように愛にあふれていました。私は、長老に対する礼儀の会釈も忘れて、「ベアトリーチェは、彼女はどこですか?」と訊ねました。彼は答えました。「あなたの願いを満たそうと、ベアトリーチェが私を私の場所からここに来させたのです。大円形劇場ふうの天国の、最も上にある席の列から下へ数えて第三列目にあなたの目を上げれば、ベアトリーチェの徳によって定められたところに彼女が見えるでしょう。」私は答えずに、目を上に上げました。すると、永遠の光の照り返しを受けて栄光を冠としているベアトリーチェがそこにいるのが見えました。どんな人の目も、雷が鳴る高いところから、海の底へまで見えません。ベアトリーチェから私への距離はそれと同じぐらいの距離ですが、何者にも曇らされることなくベアトリーチェの姿が見えたのです。私は祈りました。「ああ、あなたのことを思うと、私の希望は力づけられます。私を救うために地獄の床に足を着けることもいとわなかった(地獄第二曲参照)、ベアトリーチェよ、私がこの旅で見てきたことの全てのことの恩恵と影響は、あなたの力添え、そしてあなたの素晴らしさによるのです。あなたは、様々な方向から、そして、あなたの力が及ぶ限りの様々な方法を使って、私を束縛から自由の身へ導いてくれました。あなたが癒してくれた私の魂が、私の肉体から離れる時、あなたの心に適うようにするために、おしみなくあなたの広い心を私に向けていてください。」するとベアトリーチェは、とても遠くに見えるところから、私を見下ろして微笑み、神の方へ目を向けました。すると聖なる長老が言いました。「あなたの旅が完全に達成される今、ベアトリーチェのあなたへの聖なる愛と、私への祈りによって、私はここに来ました。あなたの目を、聖徒の群れがいる天国のバラに、めぐらせて、よく見ることによって、神の光をよく見えるようにしなければなりません。私が愛の火に燃える聖母マリアは、私たちに恵みを与えてくださいます。なぜなら私はとても忠実な聖ベルナルドゥス(甘密博士と呼ばれたフランスの聖ベルナルドゥス(ベルナール・ド・クレルヴォー)(1090-1153)。1113年、シトーのベネディクト会修道院に入り、数名の修道士を連れて現在のオーブ県ヴィル・スー・ラ・フェルテ村の「にがよもぎの谷」に分院を建て、「クレルヴォー(明朗の谷)」と名付け、院長となり、模範的な修道生活を指導した。ヨーロッパ諸国の君主や侯伯の帰依篤く、そのために政治的な影響江良くは大きく、第二次十字軍も失敗に終わったが、彼の勧進により実現。理性が信仰に介入するのを極度に嫌い、手強い論敵アベラルドゥス(1079-1142)を異端と決めつけた。観想による神との感覚的一致を、人間の精神が到達する最高段階とし、これをキリストとの霊的婚姻と名付けたベルナルドゥスに、聖母マリアへのひたむきな慕情が見られるのは当然である)だからです。」私たちのヴェロニカ(ヴェロニカの名は、「ヴェラ・イコナ」(真の像の意味)。カルヴァリへの途上、十字架を負ったキリストの顔が血と汗にまみれているのを見て、心根の優しい一婦人が、「これで汗を」と、一枚のハンカチを差し出した。謝して婦人に返されたそのハンカチには、聖顔がまさしく陰影されていたという。そのハンカチを持ってティベリウス皇帝(前42-後37)の病を癒し、帝をしてキリストの神性を信ぜしめたと言われるこの婦人は、ヘロデ大王の姪、マタイによる福音書9の20-22に出てきて、イエスの着衣に触れることにより12年間の出血を癒された女、あるいはアンティオキアの一殉教女などと様々な伝説が作られた。聖顔の映し出された問題のハンカチはローマの聖ピエトロ教会に伝えられ、定めの期間、拝観を許したので、おびただしい数の巡礼者がキリストの真の像(ヴェロニカ)を拝もうとヨーロッパ各地から集まってきたという)を見ようと、クロアチアのような遠隔の地からやってきて、長いこと見たいと思っていて、それが展示されている間、頭の中で「ああ、私の主よ、キリストよ、ただ一人の神よ、これがあなたの御顔ですか?」と言う人のように、私は、生きながら、黙想によって平安を味わった聖ベルナルドゥスの愛を見つめました。聖ベルナルドゥスは言いました。「恩寵の子よ、あなたが下の方ばかり見ているのでは、この幸福なありさまは分からないでしょう。目を上げて最も高いところを見なさい、この愛情深い王国の女王である聖母マリアを見るまで。」私は目を上げました。すると、夜明けのように、水平線の東の方が輝いたので、私は谷間から山頂へ昇るように私の目をバラの下から上げていき、最も高いところで、縁の一部が他の頂より光り輝くのを見ました。地上から空を眺めると、パエトン(地獄第十七曲参照)が戦車のながえを動かし損ねたと言われるところの燃え輝くのが最も強いですが、その高いところの、黄金の炎の平和の旗(天使ガブリエルが昔フランスの王族に与えたと伝えられる旗。金地に炎を現し、その旗の赴くところ、全戦全勝、無敵であったという。ここでは元后マリアを中心とする天国のバラの一郭を指す)が、回りよりも中心が最も燃え輝いていました。そしてその中心部で、私は、千もの天使が翼を広げて、それぞれ輝きながら、それぞれの飛び方で飛んでいるのが見えました。そしてそこで、その天使が飛んで歌っているのを見て微笑み、他の全ての聖徒達の目の中に歓喜の輝きを照らす聖母マリアの姿を、私は見ました。もし私が記憶する物を全て言葉に表せたとしても、その美しい喜びのほんの一部でも表現することはできなかったでしょう。聖ベルナルドゥスは、私の目が、その燃える愛の目的に向けられるのを見て、彼自らもそちらに目を向け、私もまた燃えるような目を向けたのでした。(2005年12月19日)(2005年12月29日更新)

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第三十二曲
聖母マリアの愛に包まれて、導き手の役割の聖ベルナルドゥスは、聖なる言葉を話し始めました。「原罪の傷を閉じて、治してくださる聖母マリアの足元にうるわしく座っているのは、傷を開きえぐったエバです。その下の三列目にラケル(煉獄第二十七曲参照)と、その隣にベアトリーチェが座っています。サラ(アブラハムの妻。創世記11の29、17の15参照)、レベッカ(イサクの妻。創世記24の2以下参照)、ユディト(煉獄第十二曲参照)、そして犯した罪に耐えかねて”私を憐れんでください”と叫んだ歌人ダビデ(「犯した罪」とは、サムエル記下の11にある通り、ウリヤの妻バテ・シェバを思い通りにするためウリヤを激戦の最前線に出して死なせたことを指す)の曾祖母(ボアズの妻。ルツ記1の4以下参照)、私が、バラの花びらから花びらへと下へと順番に名前を挙げるにつれて、あなたはこのすべての人が見えるでしょう。七番目の並びから下には、その上と同じように、バラの花弁を分け合ってヘブライ人の女性達が続きます。その順番は、キリストが来られることへの期待の眼差しの度合いに応じていて、この聖なる階段の段を分ける壁を作っているのです。花びらが全て開いているこちら側には、旧約時代の、キリストが来られることを信じていた者の魂たちが座っています。あちら側の半円は、花びらが時々空席になっていますが、新約時代の、既に来られたキリストに顔を向けている者が座っています。こちら側では、聖母マリアの栄光の座と、その下のその他の席が、大きな壁となっていますが、向かい側では、荒れ野と殉教と、二年に渡る地獄暮らしを耐えた聖なる洗者ヨハネ(「二年に渡る地獄暮らし」とは、ヨハネの死からキリストの死までの約二年間、辺獄にあったことを言う)の座が壁となっています。彼の下には、アッシジの聖者フランチェスコ(天国第十一曲参照)、ヌルシアの聖者ベネディクトゥス(天国第二十二曲参照)、聖アウグスティヌス(天国第十曲参照)、そして他の者たちがその定めに応じて座を占め、バラの中心に向かって座っています。さあ、神の偉大なる摂理を見てください。この天国のバラを、その信仰に応じてこちらとあちらに分けたのです。そして、中心の列から下の方に二つに分けている壁があり、そこには自らの徳によってではなく席を与えられた幼児がいます。彼ら幼児は、両親の徳によって座っているのです。なぜなら、皆、理性の働きを持つ前に肉体を離れてしまった魂たちだからです。あなたはただその顔を見て、そのかわいらしい声を聞けば、そのことが分かります。でも、あなたは不思議に思っていることがあるようです。それでは、私が、あなたが縛られている考えの固い結び目をほどきましょう。この大きくて偉大な王国には、偶然という物はなく、それは、悲しみや、飢えや渇きがないのと同じようです。なぜなら、あなたがここで見る物は、全て永遠の掟によって定められていて、全ての事柄は神意と一致するのです。従って、これらの、真実の生命に急ぐ魂たちは、その徳に応じて、ある者は高いところに、ある者は低いところに座っているのです。より多くを望まないほどの、大いなる愛と大いなる喜びにあるこの安らかな王国の王である神は、喜びあふれる自らの御心によって全ての心をお造りになり、それぞれにお望みの分だけ恩寵をお与えになったのです。この事実であなたはお分かりでしょう。聖書(創世記25の23、マラキ書1の2-3、ローマ人への手紙9の10-13参照)にこのことは書き記されているので、あなたにもお分かりでしょう。母親のお腹の中にいる時から怒っていた双子エサウとヤコブ(天国第八曲参照)の話です。ですから、高くにいられる神の光は、その髪の色に従って(エサウとヤコブが髪の毛の色を異にして生まれたことにちなみ、神の恩恵の福分が生まれた時からそれぞれ異なることを言う)、その徳の分だけ恩寵を与えてくださったのです。自らの働きで徳を得たわけではない幼児達が様々な段階に分けられているのは、生時に与えられる恩恵によるのです。地上に人類が作られて初めの頃(アダムからアブラハムまでの間)、罪のない子供は、両親が救世主が必ず出現するという信仰を持っていれば、救われたのです。しかし、その後、全ての男子は、天に昇れるだけの翼を得るために、割礼をしなければならなくなりました。しかし、キリストの降誕の後、不完全な洗礼・割礼ではなく、キリストの完全な洗礼を受けないと、そのような罪のない子供も、リンボ(辺獄)に閉じこめられました。さあ、キリストに良く顔が似ている聖母マリアの顔をご覧なさい。なぜなら、その輝きのみが、あなたにキリストを見る準備をさせてくれるからです。」私は、聖なる高いところを飛ぶように作られた天使達が神からもたらす喜びを、聖母マリアの顔に注いだのを見ました。ここで私が見たことほど、うっとりさせられたことはなく、また、これほど神に似たものを見たことはありませんでした。すると、マリア受胎の時(ルカによる福音書1の28参照)に降りてきた天使ガブリエルが、聖母マリアの前で「幸いあれ、マリアよ、恩恵が満たされた者よ」と歌い、翼を広げました。至福の天に座る諸天使も諸聖徒も、それに答えて歌い、おのおのの顔は喜びに光り輝きました。明け方の星に太陽の光が照るように、聖母マリアの美しさをきらめかせる聖ベルナルドゥスに、私は教えを請いました。「ああ、永遠に定められた甘美な座から、私のために親切にもここへ降りてきてくださった、聖なる父よ、とても喜んで、聖母マリアの目を見つめて愛の炎に燃えている天使(天使ガブリエル)は誰ですか?」すると聖ベルナルドゥスは言いました。「魂や天使にあり得る全ての誇りと優雅な喜びは、全てその天使ガブリエルにはあるのです。私たち聖徒の願いは神意と一致します。なぜなら、神の子が私たちの肉体の荷を背負おうと決められた時、勝利の印の棕櫚を持って聖母マリアのもとに降りたのは、彼、天使ガブリエルだからです。さあ、私が説明することにあなたの目を移して、この最も正しい、信心深い王国の偉大な聖徒達を見てください。あの高いところに座り、聖母マリアに最も近いので、最も幸いである二人アダムとペテロは、このバラの二つの根に当たります。聖母マリアの左側に座るアダムは、思い上がった食欲のために、人類が苦い恥を知ることとなった父です。そして、聖母マリアの右側には、キリストから、この美しい喜びのバラへの鍵(煉獄第九曲参照)を与えられた聖なる教会の父ペテロです。そして、槍と釘によってキリストが勝ち得た教会の遭難受苦を預言した黙示録のヨハネ(煉獄第二十九曲参照)がペテロの隣に座っています。アダムの隣には、気まぐれな、頑なな、忘恩の徒である、イスラエルの民の導き手モーセ(出エジプト記16の14-35参照)がいます。ペテロの真向かいに座っているのがあなたは見えるでしょう、あれは、マリアの母聖アンナ(祭司マタンの娘で、ヨアキムに嫁し、マリアを生んだと伝えられる。洗者ヨハネの右隣のこの座の対極は、マリアの右隣のペテロのそれと結ばれ、非常な栄光の座と言わねばならない。しかもその聖アンナの目は、光体・神ではなく、ほかならぬ我が娘・マリアに注がれている)です。幸せそうに娘を見つめながら讃歌を歌っています。人類一族の家長であるアダムに面しているのは、あなたが顔をうつむけて破滅へ向かおうとした時(地獄第一曲参照)に、あなたにベアトリーチェを向かわせた聖ルチーア(地獄第二曲参照)です。あなたが天国の事物を知るために神が与えてくださった時間は短くなってしまったので、上手な仕立屋がちょうどいいように布を切るように、私たちもここで話をやめて、目を神に向け、できる限り深く神の光の奥を見つめなさい。しかし、あなただけの力で、前に進んでいると思っていても、あなたが翼を動かして後ろへ進んでしまっている、ということがないように、祈って、あなたを助けてくださる恩恵を受けなければなりません。さあ、私についていらっしゃい。あなたの心を私の言葉から離れないようにして、あなたの全ての愛を持ちつつ、ついていらっしゃい。」そして聖ベルナルドゥスは、聖なる祈りを捧げ始めました。(2005年12月21日)(2005年12月28日更新)

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第三十三曲
「ああ、処女にして母(煉獄第二十五曲参照)であり、キリストの娘(三一神の第二位格としてのキリストは、母マリアの父とも言える)であり、天国のバラにおいて最高の座につき、永遠の御旨の的である聖母マリア(神は永遠の世界からあらかじめマリアを選び取り、時間の世界での特別な役割に就かせたことを言う。天国におけるその座席が、旧訳と新約の接点となっているのは、この事実を踏まえたもの)よ、人の性質を貴いものとし、創造主である神が、あなたを「人の子」として生まれさせてくれたのは、あなたです。あなたの胎内で、人間を原罪から解き放そうとする神の愛は燃え上がり、その愛によって天国のバラは永遠の平和の内に花開くのです。ここではあなたの愛は、私たちにとって、正午の太陽のようです。そして地上で、人間達にとっては、永遠の希望の生きる源です。聖母マリアよ、あなたは素晴らしく、強いので、恩恵を求めてあなたに頼らないものは、翼がないのに空を飛ぼうとするのと同じです。あなたの愛にあふれる親切さは、それを願う者に対して示されるだけでなく、求められる前に自ら進んで示されることも多いのです。あなたには慈悲があり、あなたには憐れみがあり、あなたは惜しみなく与えてくださいます。神が創造されたものの内、善という善は皆あなたの中にあります。ここにいますダンテは、宇宙の深い沼のような地獄からこの高いところに到るまで、地獄、煉獄、天国の魂たちを見てきました。ダンテは、あなたのお恵みによって、力を授けて、神の方に登ることができるように目を上げさせてほしいと願っているのです。私は、神を見ようと心を燃やしたことはありませんが、私もお願いします。あなたの祈りによって、ダンテの肉体にとりつく霧を払いのけ、神を見ることができるようにお願いします。それから、私はさらにお願いします。どんな願いも叶えてくださる聖母マリアよ、ダンテが神を見ることができた後も、高慢になることなく、愛情を健やかに保たせてあげてください。ダンテを世の雑念から守ってあげてください。ご覧ください、ベアトリーチェと共に全ての聖徒達が、私の祈りにあわせて合掌するのを。」神によって愛され、尊ばれている聖母マリアの目は、今祈った聖ベルナルドゥスに向けられ、それによって、聖ベルナルドゥスの聖母マリアに対する素晴らしい本当の愛が分かりました。すると、聖母マリアは永遠の光に目を向け、そのようにも鋭く見つめることのできる被造物はないほどでした。そして、私は、すべての人の望みの目的である神に近づいたので、私の内の力は全て燃えるような願いへと高く登りつめました。聖ベルナルドゥスは私に上を見るように、微笑みながら促しましたが、その前に私自ら既にそうしていました。私の視力は澄み渡りましたが、それは、神の真理の光により深く入ったからでした。それから私が見たものは、言葉を越えていて、そのような光景の前では、言葉は及ばず、全て記憶することなどできませんでした。夢を見ていた人が、起きても、まだ夢心地で、夢以外のことに心が向かわないことがあります。私もちょうどそのようでした。私が見たものは記憶から消えてしまっても、その甘美さは未だに心の中にあるのを感じます。太陽によって雪が溶けるのも、木の葉のシビュラ(ギリシア・ローマ神話の女預言者シビュラ。ナポリの西の町キュマエに住み、アエネアスを冥府に導く。その予言は木の葉に記され、風が吹くとその散るのに任せてあえて顧みなかったという)の託宣が風で飛んでいってどこかに行ってしまうのも、これと同じです。ああ、至上の光よ、人間の理解を超えている者よ、あなたの姿をもう一度私の心に現せてください。あなたの栄光を子孫に伝えられるように、私を雄弁にしてください。私の記憶に残って、私の詩に響くことによって、あなたの万物に卓越する所以である偉大な力を人々に知らしめるためです。強い光を見ようとすると、その目は眩んで耐えられませんが、神の生きる光はそれとは異なり、力を持って耐えてこれを見れば、視力は増して、一度目を他に背ければ、もう見ることはできません。思い出すと、このことによって、私は見つめ続ける力を得て、私の目は、限りない善である神と合わさったのでした。ああ、永遠なる光である神をじっと見つめることを許してくださった恩寵は、なんと豊かなのでしょう! 私は見ました、その深みの中に、バラバラになって散らばるページが愛によって一冊の本になっているのを見ました。それ自身で存在する具体的な個物、例えば生物、人間、天使などと、それ自身で存在せず、実体の属性として存在する物と、その合わさったものが、私が今書き記したように、一つの光のように溶け合っているのを見たのです。私は、宇宙がこのように一つに結びあわされるのを見たと信じています、なぜなら、このように語ると、私の心の中の喜びが増すのを感じるからです。その一瞬は、ネプチューン(ローマ神話の海神。ギリシア神話のポセイドンと同一視される)がアルゴの船(イアソン指揮のもとに、黄金の羊皮を求めてコルキスへ赴いた船。地獄第十八曲参照)の影に驚いた時から2500年(中世の伝承に従い、ダンテはアルゴー丸の遠征を前1223年とし、この年数を得た)よりも大きな忘却を私にもたらすのです。そして、私の心は全く奪われ、深く見つめ、動かず、集中していて、よりよく見るとそれに従って、私の心は燃えあがりました。人は、その光の中では、その光から目を背けることを考えることすらできなくなってしまいます。なぜなら、意志の目的である善は皆ここに集まり、その中では完全なのに、その外では不完全となってしまうからです。私は思い起こしながら語りますが、私の言葉は、お母さんの胸で舌をぬらす赤ちゃんの言葉にも足りません。それは、その昔から永遠に変わることのない、生きる光の中に、様々な姿があったためではなく、私が見つめる力がより見ると共に強くなり、ただ一つの姿は、私が変わると共に、それ自身も変わるように見えたのです。その至高の光の中の、深く輝く実体の中に、大きさは同じの、三つの色の三つの円がありました(三一神、父・子・聖霊の象徴)。第一の円(子)は、二つの虹の片方は、もう片方の反映であるように(天国第十二曲参照)、第二の円(父)の光を受けて返すように見え、第三の円(聖霊)は、第一と第二の円から同じように息吹を吹きかけられて燃える炎のようでした。私が心に抱くことを、こんなにも言葉にできないのは、なんとしたことでしょう! 私が見たことに比べれば、私が心に抱くことさえ不十分なのに! ああ、永遠の光よ、子として父に悟られ、父として子に悟られ、聖霊が微笑む、三一神よ! 照り返す光のように、あなたが生む円(第二位格・子を象徴する円輪)は、私の目がしばらくの間これにとまった時、自らの内に、自らの色で、人の形を描くように見えたので、私の目の力をは全てそこに注がれました。円を測ろうと努めても、その原理すら思いつかない幾何学者のように、私はこの不思議な光景を見て、私は、その像が円とどのように合致し、どのようにその中に場所を占めるかを知りたかったのです。しかし、私の翼(神(円)と人(像)とがどのように合一するかを突き止める知力)は私を高く飛ばせてくれませんでした。そしてその時、恩寵の光の大きなきらめきが、私の心を打ち、願いは叶えられました。高い想像はここに至って、力を尽きました。しかし、私の願いと思いとは、完璧に回る輪のように、神の愛で廻っていました。太陽や、その他全ての星を動かす愛によって。(2005年12月22日)(2005年12月28日更新)

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