<続き>
http://serpo.dip.jp/serpo2/serpo2.htm
更に、別々の3名による所見も含まれています。
最初に自己紹介させてください。私の名前は匿名希望(リクエスト・アノニマス)です。
私は既に退職していますが、米国政府の職員でした。そして、私はかつて非常に特殊な仕事に従事していました。
皆さんが既によくご存じのように、ロズウェルでは確かに1949年7月初旬に2件の墜落事故がありました。
1件目はニューメキシコ州コロナの南西、2件目は同じくニューメキシコ州デイティルの南でした。
その墜落は2機の宇宙船によるものでした。
コロナの墜落現場は、墜落の翌日に近隣で調査中だった考古学者の一団によって発見されました。
彼らはリンカーン郡保安官事務所に墜落現場の事を報告しました。
保安官事務所の副官は翌日到着し、すぐさま州警の警察官を呼び出しました。
その後、一体の地球外生命体(EBE=イーブ)が岩陰に隠れているところが発見されました。
彼らがイーブに水を与えると飲みましたが、食物を与えても全く食べませんでした。
その後、そのイーブはロスアラモス研究所へ移送されました。
情報部員はロズウェル空軍基地へ急行しました。
そして直ちに墜落現場は詳細に検査され、証拠になりうる物はすべて取り去られました。
遺体で見つかった数体のイーブは、冷凍移送システムを使ってロスアラモス国立研究所へ移送されました。
また、墜落した機体類は、その後ライトパターソン空軍基地へ運び込まれました。
第2の墜落現場は、広大な農場の中だった為すぐには発見されませんでしたが、この農場の二人の経営者によって8月に入ってから発見されました。
彼らは数日後に、ニューメキシコ州カトロン群の保安官にこの事を報告しましたが、墜落現場が場所が僻地だった事もあり、実際に保安官が現場にやってきたのは更に数日後の事でした。
保安官は墜落現場の写真を撮った後、デイティルに戻って行きました。
その後、その件はニューメキシコ州アルバカーキのサンディア陸軍基地へと報告されました。
サンディア基地からやって来た回収チームは、6体のイーブの遺体を含むすべての証拠の回収しました。
遺体はいったんサンディア基地へ持って行きましたが、すぐにロスアラモス研究所へ移されました。
努力の結果、生き残ったイーブと私たちは意思疎通ができるようになり、イーブは彼らがどこの星から来たのかを教えてくれました。
このイーブは1952年に死んでしまいましたが、彼は死ぬまでに2機の墜落した宇宙船の内部で見つかった様々なアイテムの使用方法を十分に説明してくれました。
その中には通信装置も含まれており、実際に彼は故郷の惑星との通信を試みることになりました。
どういう訳か、私はこの情報を知りませんでしたが、1964年4月にニューメキシコ州アラモゴード近くに惑星セルポからイーブ人達が訪問する事になっていました。
彼らは到着すると、まず死んだ同僚達の身体を引き取りました。そして様々な情報が交換されました。
彼らは自動翻訳装置を持っていましたので、会話は英語で行われました。
1965年になると、私たちとイーブ人は交流事業を始めていました。
私たちは注意深く12名の軍人(10人の男性および2人の女性)を選びました。
彼らは様々な専門知識を持ったエキスパート達でした。
彼らは多くの訓練をされ、綿密に調査され、そして軍の資料からは注意深く完全にその存在を抹消されました。
そして、いよいよネバダ州のミサイル試験場の北部近くにイーブ人達がやってきました。
そしてその宇宙船に乗って12人のアメリカ人は惑星セルポに向かって出発しました。
やって来たイーブ人の内の一人は地球に残る事になりました。
当初の計画では、12人は10年間ほど惑星セルポに滞在した後、地球に帰還するというものでした。
しかし、全てが予定通りに行ったわけではありませんでした。
12人は1978年まで惑星セルポに滞在した後、出発地と同じネバダ州の同じ場所に戻ってきました。
しかし、実際に帰還したのは7名の男性と1名の女性だけでした。
帰還しなかった4名の内、2名は惑星セルポで死亡し、2名は惑星セルポに留まる事を希望したという事でした。
地球に帰還した8名は、既に全員が死亡しています。最後の生存者は2002年に死亡しました。
でも、私は女性が搭乗したという事は聞いた事がありませんでした。
私の知っている限りでは、選ばれた12名の軍人は、空軍から8名、陸軍から2名、海軍から2名だと聞いています。
彼が言う女性達とは情報撹乱のためのデマだと思うのですが、残念ながら私はその詳細を知る為の資格を持っていませんでした。
ともかく、彼らは20年ほど行っていたという事です。
また、彼らが地球に帰還した後は、365日間に渡る検疫期間がもうけられました。
また、8人だけが戻ったというのは正解です。
2人は惑星セルポで数年内に死亡し、残る2人は惑星セルポに留まり続ける事を希望したといいます。
この惑星セルポに残った2人は恐らくはまだ生き続けていると思います。
2003年にバージニア州の病院で死亡した者を最後に、8人の帰還者は既に全員が死亡しています。
ロズウェル事件に関して、彼が書いたeメールは正しいと思います。
この件に関しての完全な報告は次のものに含まれています:「PROJECT SERPO」最終報告書80HQD893-020
それはOSI報告書であると思うので、詳細はリック・ドティー氏に尋ねてください。
また、ポール・マクガバン氏もこれに関与していた筈なので、何かコメントして欲しいところです。
http://serpo.dip.jp/serpo2/serpo2.htm
アノニマス氏からのEメール#1
これは、アノニマス氏によって投稿された最初のメールの内容です。更に、別々の3名による所見も含まれています。
私は既に退職していますが、米国政府の職員でした。そして、私はかつて非常に特殊な仕事に従事していました。
皆さんが既によくご存じのように、ロズウェルでは確かに1949年7月初旬に2件の墜落事故がありました。
1件目はニューメキシコ州コロナの南西、2件目は同じくニューメキシコ州デイティルの南でした。
その墜落は2機の宇宙船によるものでした。
コロナの墜落現場は、墜落の翌日に近隣で調査中だった考古学者の一団によって発見されました。
彼らはリンカーン郡保安官事務所に墜落現場の事を報告しました。
保安官事務所の副官は翌日到着し、すぐさま州警の警察官を呼び出しました。
その後、一体の地球外生命体(EBE=イーブ)が岩陰に隠れているところが発見されました。
彼らがイーブに水を与えると飲みましたが、食物を与えても全く食べませんでした。
その後、そのイーブはロスアラモス研究所へ移送されました。
情報部員はロズウェル空軍基地へ急行しました。
そして直ちに墜落現場は詳細に検査され、証拠になりうる物はすべて取り去られました。
遺体で見つかった数体のイーブは、冷凍移送システムを使ってロスアラモス国立研究所へ移送されました。
また、墜落した機体類は、その後ライトパターソン空軍基地へ運び込まれました。
第2の墜落現場は、広大な農場の中だった為すぐには発見されませんでしたが、この農場の二人の経営者によって8月に入ってから発見されました。
彼らは数日後に、ニューメキシコ州カトロン群の保安官にこの事を報告しましたが、墜落現場が場所が僻地だった事もあり、実際に保安官が現場にやってきたのは更に数日後の事でした。
保安官は墜落現場の写真を撮った後、デイティルに戻って行きました。
その後、その件はニューメキシコ州アルバカーキのサンディア陸軍基地へと報告されました。
サンディア基地からやって来た回収チームは、6体のイーブの遺体を含むすべての証拠の回収しました。
遺体はいったんサンディア基地へ持って行きましたが、すぐにロスアラモス研究所へ移されました。
努力の結果、生き残ったイーブと私たちは意思疎通ができるようになり、イーブは彼らがどこの星から来たのかを教えてくれました。
このイーブは1952年に死んでしまいましたが、彼は死ぬまでに2機の墜落した宇宙船の内部で見つかった様々なアイテムの使用方法を十分に説明してくれました。
その中には通信装置も含まれており、実際に彼は故郷の惑星との通信を試みることになりました。
どういう訳か、私はこの情報を知りませんでしたが、1964年4月にニューメキシコ州アラモゴード近くに惑星セルポからイーブ人達が訪問する事になっていました。
彼らは到着すると、まず死んだ同僚達の身体を引き取りました。そして様々な情報が交換されました。
彼らは自動翻訳装置を持っていましたので、会話は英語で行われました。
1965年になると、私たちとイーブ人は交流事業を始めていました。
私たちは注意深く12名の軍人(10人の男性および2人の女性)を選びました。
彼らは様々な専門知識を持ったエキスパート達でした。
彼らは多くの訓練をされ、綿密に調査され、そして軍の資料からは注意深く完全にその存在を抹消されました。
そして、いよいよネバダ州のミサイル試験場の北部近くにイーブ人達がやってきました。
そしてその宇宙船に乗って12人のアメリカ人は惑星セルポに向かって出発しました。
やって来たイーブ人の内の一人は地球に残る事になりました。
当初の計画では、12人は10年間ほど惑星セルポに滞在した後、地球に帰還するというものでした。
しかし、全てが予定通りに行ったわけではありませんでした。
12人は1978年まで惑星セルポに滞在した後、出発地と同じネバダ州の同じ場所に戻ってきました。
しかし、実際に帰還したのは7名の男性と1名の女性だけでした。
帰還しなかった4名の内、2名は惑星セルポで死亡し、2名は惑星セルポに留まる事を希望したという事でした。
地球に帰還した8名は、既に全員が死亡しています。最後の生存者は2002年に死亡しました。
※元サイトに投稿された文章は、原文にあった誤字も含めて忠実に掲載されていました。 (サイト管理者のコメント) 帰還兵は様々な軍事施設で1978年から1984年まで互いに接触することなく監視されました。 彼らは、AFOSIと呼ばれる空軍の特殊保安チームにより監督されて、各種の報告なども行われました。 私は、交換留学計画に関しての資料などを直接見聞きした事はありませんでしたが、以前にリンダ・ハウ女史からごく少しの情報を聞きました。 しかし、彼女はあまり情報を持っていないようでした。 私は半年間に渡ってあなたからのeメールなどを読みましたが、私は実際のロズウェルの出来事あるいは交流事業に関する真実を見聞きした事はありません。 私は、是非とも他の方からのコメントも聞いてみたいと思っています。 |
1.ジーン・ロスコウィスキー氏(Gene Loscowski)によるコメント
この人は誰なんでしょうか。彼が誰にせよ彼の情報はほぼ間違いありません。でも、私は女性が搭乗したという事は聞いた事がありませんでした。
私の知っている限りでは、選ばれた12名の軍人は、空軍から8名、陸軍から2名、海軍から2名だと聞いています。
彼が言う女性達とは情報撹乱のためのデマだと思うのですが、残念ながら私はその詳細を知る為の資格を持っていませんでした。
ともかく、彼らは20年ほど行っていたという事です。
また、彼らが地球に帰還した後は、365日間に渡る検疫期間がもうけられました。
また、8人だけが戻ったというのは正解です。
2人は惑星セルポで数年内に死亡し、残る2人は惑星セルポに留まり続ける事を希望したといいます。
この惑星セルポに残った2人は恐らくはまだ生き続けていると思います。
2003年にバージニア州の病院で死亡した者を最後に、8人の帰還者は既に全員が死亡しています。
ロズウェル事件に関して、彼が書いたeメールは正しいと思います。
この件に関しての完全な報告は次のものに含まれています:「PROJECT SERPO」最終報告書80HQD893-020
それはOSI報告書であると思うので、詳細はリック・ドティー氏に尋ねてください。
また、ポール・マクガバン氏もこれに関与していた筈なので、何かコメントして欲しいところです。
3.アノニマスII氏(Anonymous II)によるコメント私が誰なのかは秘密にしておきますが、アノニマス氏の報告に関する私の所見をお知らせします。1.ロズウェル事件に関して、私は「レッド・ブック」と呼ばれる秘密文書でその話を読みました。 そこには衝突現場の詳細や、回収・復元された様々な物についての詳細な記述がありました。 2.交換留学計画についても、私はその話を読みましたが、やはり男性のみ12人で、女性は含まれていませんでした。 これが私の知っている事の全てです。 この報告を扱う2つの特別部隊がありましたし、空軍の情報部隊も関与していました。 私は関与していませんでしたが、関係者を知っています。 3.私は是非アノニマス氏と連絡を取りたいと思っています。彼には尋ねたい事が100万もありますから!! 数年前にリンダ・ハウ女史が交換留学計画について話しているのを聞いた事がありましたが、彼女が常にどこから情報を得ているのか不思議に思っていました。 では、これからも頑張って下さい。 |
アノニマス氏のEメール#2
http://serpo.dip.jp/serpo2/serpo2.htm
これは、アノニマス氏によって2005年11月4日に投稿された2番目のメールの内容です。
ポール氏(訳注:前ページで2番目のコメントを書いた人物)の書いている事は、正確ではありません。
チームには確かに医者と言語学者の2名の女性がいました。
惑星セルポの夜は完全な闇夜ではありませんでしたが、ある程度の暗さにはなっていました。
惑星セルポは、レティクル座のζ(ゼータ)連星系の中にあり、私たちの太陽の5倍ほどの大きさの太陽が2つありましたが、
それらの織り成す角度は小さい為、惑星セルポにある程度の闇ができました。
また地軸の傾きにより惑星の中心部より北半球の方が涼しいようです。
惑星のサイズは、地球よりわずかに小さい程度で、大気は地球と似ており酸素・水素・二酸化炭素・窒素を含んでいました。
レティクル座ゼータ連星系は、地球からおよそ37光年の距離にあります。
この距離を旅行するのに、イーブ人の宇宙船で約9ヶ月掛かりました。
旅行中に、チームメンバー達は繰り返し起こる酷いめまい、激しい頭痛、方向感覚の喪失などに苦しめられました。
宇宙船の機内は、無重力ではありませんでしたし、機体は非常に大きく、チームメンバーは十分に運動をする事ができました。
チームが惑星セルポに到着後、大気の状態に順応するのに数ヶ月を要したといいます。
馴れるまでに頭痛、めまい、方向感覚の喪失などが起きました。
二つの明るい太陽は更に問題で、彼らはサングラスを常用していましたが、それでも強いまぶさしと過度の日焼けの危険に苦しみました。
惑星の放射能レベルは、地球より少し高い程度でしたが、いつも被爆には気を遣っていました。
セルポ人は工業用の冷凍技術は持っていましたが、日常生活では使用していませんでした。
惑星の気温は、中心部で34℃から46℃ほどで、雲も雨も見られましたが、それほど頻繁ではありませんでした。
惑星の北半球での気温は、12℃から26℃ほどに落ちました。
イーブ人にとってこの気温は少し低すぎた様ですが、北部にも小さな集落がありイーブ人が住んでいました。
惑星の中心部が暑すぎた為、チームメンバーは北半球へ移住する事にしました。
この移動にはヘリコプターに似た輸送機が使われました。
その乗り物はシールドバッテリーのようなデバイスから電力を得て飛行していました。
操縦はとても簡単で、チームメンバーのパイロットはわずか数日で操縦技術を体得しました。
この他、セルポ人達は地上を浮いて走る乗り物を持っていました。
地上を浮いて走行するため、その乗り物にはタイヤの類はありませんでした。
セルポ人達には、リーダー格の人達はいましたが、我々の政府の様な組織はありませんでした。また、事実上、犯罪もありません。
それでも彼らもまた軍隊を持っており、警察の様な役割も担っていましたが、銃など武器の類は持っていない様でした。
各地のコミュニティー(集落)では、定例集会の様なものが開かれていました。
中央にある最大のコミュニティーは文明の中心的な役割があり、全ての工業はこのコミュニティーの中にありました。
また、彼らは金銭という概念を持っていないようで、イーブ人は、必要に応じて物資の配給を受けていました。
お店やショッピングモールなどの買い物をする場所は見あたらず、中央流通センターの様な施設があり、そこで必要な物を貰ってくるのです。
イーブ人は、それぞれの能力の範囲で働いていました。
子供達は、完全に隔離して育てられていました。
セルポで起きた唯一のトラブルは、チームメンバーが子供達の写真を撮ろうとした時でした。
チームメンバーは、軍隊によって写真撮影を制止され、二度としないように忠告を受けたのです。 アノニマス氏からのEメール#3
http://serpo.dip.jp/serpo2/serpo2.htm
これは、アノニマス氏によって2005年11月7日に投稿された3番目のメールの内容です。
チームによって集計された惑星セルポの情報です。
<続く>
http://serpo.dip.jp/serpo2/serpo2.htm
チームには確かに医者と言語学者の2名の女性がいました。
惑星セルポの夜は完全な闇夜ではありませんでしたが、ある程度の暗さにはなっていました。
惑星セルポは、レティクル座のζ(ゼータ)連星系の中にあり、私たちの太陽の5倍ほどの大きさの太陽が2つありましたが、
それらの織り成す角度は小さい為、惑星セルポにある程度の闇ができました。
また地軸の傾きにより惑星の中心部より北半球の方が涼しいようです。
惑星のサイズは、地球よりわずかに小さい程度で、大気は地球と似ており酸素・水素・二酸化炭素・窒素を含んでいました。
レティクル座ゼータ連星系は、地球からおよそ37光年の距離にあります。
この距離を旅行するのに、イーブ人の宇宙船で約9ヶ月掛かりました。
旅行中に、チームメンバー達は繰り返し起こる酷いめまい、激しい頭痛、方向感覚の喪失などに苦しめられました。
宇宙船の機内は、無重力ではありませんでしたし、機体は非常に大きく、チームメンバーは十分に運動をする事ができました。
チームが惑星セルポに到着後、大気の状態に順応するのに数ヶ月を要したといいます。
馴れるまでに頭痛、めまい、方向感覚の喪失などが起きました。
二つの明るい太陽は更に問題で、彼らはサングラスを常用していましたが、それでも強いまぶさしと過度の日焼けの危険に苦しみました。
惑星の放射能レベルは、地球より少し高い程度でしたが、いつも被爆には気を遣っていました。
セルポ人は工業用の冷凍技術は持っていましたが、日常生活では使用していませんでした。
惑星の気温は、中心部で34℃から46℃ほどで、雲も雨も見られましたが、それほど頻繁ではありませんでした。
惑星の北半球での気温は、12℃から26℃ほどに落ちました。
イーブ人にとってこの気温は少し低すぎた様ですが、北部にも小さな集落がありイーブ人が住んでいました。
惑星の中心部が暑すぎた為、チームメンバーは北半球へ移住する事にしました。
この移動にはヘリコプターに似た輸送機が使われました。
その乗り物はシールドバッテリーのようなデバイスから電力を得て飛行していました。
操縦はとても簡単で、チームメンバーのパイロットはわずか数日で操縦技術を体得しました。
この他、セルポ人達は地上を浮いて走る乗り物を持っていました。
地上を浮いて走行するため、その乗り物にはタイヤの類はありませんでした。
セルポ人達には、リーダー格の人達はいましたが、我々の政府の様な組織はありませんでした。また、事実上、犯罪もありません。
それでも彼らもまた軍隊を持っており、警察の様な役割も担っていましたが、銃など武器の類は持っていない様でした。
各地のコミュニティー(集落)では、定例集会の様なものが開かれていました。
中央にある最大のコミュニティーは文明の中心的な役割があり、全ての工業はこのコミュニティーの中にありました。
また、彼らは金銭という概念を持っていないようで、イーブ人は、必要に応じて物資の配給を受けていました。
お店やショッピングモールなどの買い物をする場所は見あたらず、中央流通センターの様な施設があり、そこで必要な物を貰ってくるのです。
イーブ人は、それぞれの能力の範囲で働いていました。
子供達は、完全に隔離して育てられていました。
セルポで起きた唯一のトラブルは、チームメンバーが子供達の写真を撮ろうとした時でした。
チームメンバーは、軍隊によって写真撮影を制止され、二度としないように忠告を受けたのです。
http://serpo.dip.jp/serpo2/serpo2.htm
直径 | 7,218マイル |
質量 | 5.06 x 10^24kg |
太陽#1からの距離 | 平均96,500,000マイル |
太陽#2からの距離 | 平均91,400,000マイル |
月(衛星) | 2個 |
地表の重力 | 9.60m/sec/sec |
自転周期 | 約43時間 |
公転周期 | 865日 |
地軸傾斜 | 43度 |
最低気温 | 6℃ |
最高気温 | 52℃ |
地球からの距離 | 38.43光年 |
惑星名称 | セルポ(SERPO) |
最も近い惑星 | オットー(OTTO) (この惑星にはイーブ人の研究施設はあるが、原生生物は存在しない) |
その距離 | 平均88,000,000マイル |
ゼータ太陽系中の惑星数 | 6個 |
最も近い生物のいる惑星 | シラス(SILUS) (ここには様々な種類の生物がいるが、知的生命体はおらず、鉱脈として利用している) |
その距離 | 434,000,000マイル |
惑星セルポには、地球人以外に9つの星系からの訪問者が来ていました。 イーブ人に似た容姿のグレイ族は、アルファ・ケンタウリAの近くの惑星から来ていました。 アルファ・ケンタウリAは、マイナス0.3等星で夜空では3番目に明るい二重星です。0等星と1.4等星の黄色とオレンジ色の星から成ります。 さらにはるかに弱い3番めの星(プロキシマケンタウリ星と呼ばれる11番めの大きさ赤色矮星)があり、これは私たちの太陽から約4.2光年の距離にあります。 三番目の訪問者は、獅子座のG2星系から来ていました。 別の訪問者は、イプシロン・エリダノス座中のG2星系から来ていました。 チームメンバーは異星人をコードによって分類しました。このコードは、地球外生命体("Extraterrestrial Entities")の頭文字からETEとされ、イーブ人はETE-2、グレイ人はETE-3などと分類されました。 「レッドブック」には、9種の異なる異星人が載っています。私たちは、最近になってその内の数種は同じ種族で「機械的な生物」であると断定しました。 これはいわゆる自然に生まれた生物ではなく、研究所で創造されたハイブリッド種でした。それらは知性がありましたが、むしろロボットの様な雰囲気でした。 それらは、時折報告がある「対立的な」訪問者なのかもしれません。 私の知っている限りでは、1985年以降、イーブ人は地球にやってきていません。 |
<続く>