なわ・ふみひとさんのサイトより
http://www.h2.dion.ne.jp/~apo.2012/browse0908-2.html#29
<転載開始>
日月神示の大預言
泉田瑞顕 / 久保脩  徳間書店
日本民族の国内大移動
  大本神論にも伊都能売神論にも、また日月神示にも、江戸は元のススキ原となり、都会が田舎に、田舎が街になると繰返し述べてある。このことを具体的にいうと、日本民族の国内大移動が行なわれ、社会構造の大変革が行なわれるということであろう。
  第二次大戦の終わり頃にも、日本民族の国内移動はあった。即ち都会から田舎への疎開であり、都会から田舎への食糧買い出しである。しかし、これは一時的な現象であって、社会構造の変化を意味するものではない。戦争が終われば依然として都会は都会で、田舎は田舎で変わりはなかった。
  しかし、今度の民族移動即ち、国祖神権の発動による民族大移動は、戦時中のそれとはまるで意味と内容が違う。体主霊従国日本の国家社会構造は根底から立て替えられ、霊主体従、霊体一致の神国日本に立て直されるのである。これは日本国発祥以来の大改造であり、社会組織の徹底的組み替えであるから、未曾有の民族大移動というべきである。
  大都市(エド)が神権の発動によって焼き払われ消滅してしまえば、都市に集中している人口(総人口の約70%)は、否応なしに日本列島の各地に向かって分散移動せざるを得ない。焼野原となった都会には、日月神示に示されているごとく、住む家も、着る衣類も、食う食物もない。いくら金(紙幣)を持っていてもその時には何の役にもたたぬ。札束を山と積んでも、貴金属をいくら持っていても、そんなものはこの段階では通用もせねば、食えもせぬ。人々は丸裸となり、チリチリ、バラバラとなって、さまよい歩く以外方法はないのだ。
  天地祖神(おやがみ)の神教を信じない者の末路がそうなるのは、自業自得で是非もない。いくら言うてきかしても「そんなことがあるものか」と言うて反対する者は、助けてやりたくても助けようがないと神様は仰せになっている。しかし、神国日本の建設と、世の大峠の大変に人群万類を救済する大使命を持った『因縁の身魂』はそれではならぬ。
  神権の発動によって大都会が焼き払いになる以前に、因縁の身魂は各地に散り、日本列島の重要個所(神示によって示されている)に強固な『救世経綸の足場』をつくらねばならない。日月神示には『三千の足場』をつくれと厳命され、『足場はアじゃぞ』と念がおされている。
  国祖神示(大本神諭・伊都能売神諭・日月神示)に一貫して警告されているように、
いずれ遠からず日本列島に大食糧難が襲来し、『食糧』の奪い合いから騒動となり、同胞が殺し合う暴動内乱に発展して大変なことになってくる。国祖神権の発動しない間に、因縁の者はお互い力を合わせて日本列島の各地に三千の足場をかため、土地為本、天産自給の大原則に基づく神日本建設の原動力とならねばならぬ。
  日本に内乱、暴動が起これば、日本に居る外国身魂は外国へ逃げると日月神示に予告されている(既に彼等は逃げる準備をしている)。しかし、
外国は日本よりも、もっとひどくなるから、外国へ逃げても外国身魂(われよしの人間)の住むところはないと、日月神示には警告されている。日本民族は日本の国土を死守し、その恩恵と御守護によって生き、日本民族天与の大使命を果たすべきである。

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第3章  「大本神諭」に見る世の終わりのシナリオ
  「人民がみな飢餓におよぶ」

8.世界のひな型といわれる日本は、終末現象が最も顕著に現れる場所になる。その時の私たちの心の持ち方が世界の終末現象に大きな影響を与えると、わが国の神道系の予言に述べられている。(日月神示によれば、日本人は今日食べるものにも不自由するような事態を経験するという)

  「世の終わりのシナリオ」の8番目ですが、この項目につきましては、『大本神諭・天の巻』(平凡社)の中に、この内容をきっちり説明した一文があります。
  「陰の超国家権力」の頂点にいる霊的存在(悪神)が、世界のひな型である日本を我が物にし、世界中を支配下に置こうと狙っていることや、日本人が改心(身魂磨き)をしないと「アフンとして四つん這いになって苦しむような出来事」が避けられなくなること、日本人は飢餓を経験せざるを得ないこと――などがリアルに描写されています。
  この神示の文章は、明治生まれでほとんど読み書きもできない出口ナオに降ろされたものを口述筆記したものですので、昔言葉になっていて読みづらい部分もあるかとは思いますが、どうか根気よく、丁寧に読んでみてください。日本と日本人のことを、そして世界の人々のことを思いやる温かい、そして厳しい神さまの声が、波動として切々と伝わってくるはずです。
  神示の結論部分では、「日本には特別の経綸(しぐみ)がしてあるから、(身魂さえ磨いておれば)外国がどんなことをしてきても心配はいらん」と述べられています。これは『日月神示』と大変よく似た表現です。このことからも、『大本神諭』を初めとする大本系の予言と『日月神示』は、全く同じ神さま(同じ霊系統=艮の金神)から降ろされた神示であることが判ります。
  これからご紹介する神示は「世の終わり」に関して大変重要な内容を含んでいます。特に重要と思われるポイントを抜き出して私の解説をつけておりますので、参考になさってください。なお、神示は古い仮名づかいになっていますので、私の判断で現代仮名づかいに改めました。

 何もかも一度に破裂いたす時節が近寄りて来たから、何時までも我を張り欲に迷うて、利己主義われよしのやり方ばかりいたしておる守護神よ、人民よ、ここまでに神が気を付けてやりておるのを、何時も啼く烏のように思うて油断をいたしておると、思いがけないことが出来しゅったいいたして、ビックリ虫が出るぞよ。

  「何もかも一度に破裂いたす時節が近寄りて来た」ということの意味は、「これまで人は生まれ変わり(転生)の中で少しずつ過去生のカルマを解消してきたが、これからは生まれ変わりということのない世の中になるので、残っているすべてのカルマを一気に清算してしまわなくてはならなくなった」と理解すべきでしょう。それが現世的に見ると「一度に破裂する」という姿に見えるということです。善いことも悪いことも、一度に現れてくることになります。
  昨今の地球規模の気象異変や、国内においても異常な犯罪などが多発している社会現象を見ていますと、既にその現象が加速されつつあるのを感じます。個人のカルマはもちろん、国家や民族、あるいは人類全体で生み出してきたカルマの清算は、これからますます加速され、激しいものになると思われますが、最後は「一度に破裂」する形で次元上昇へと進むのでしょう。
  そして、「(世界中で起こっているさまざまな気象異変などを)昔からあることだとばかりに高をくくっていると、思いがけないことが起こるぞ」と警告しています。今日ではほとんどの日本人が陥ってしまいつつある「利己主義」の生き方を改めないと救われないということです。
  また、この神示は「人民」だけに訴えているのでなく、その人民の「思念」に影響を及ぼす背後霊集団(守護霊を含む)の元締めともいえる守護神そのものに対して警告を発しているところに特徴があります。低級霊のイタズラ半分の霊言とちがって、まさに霊格の高い高級神霊からの霊言であることを確信することができます。

 実地が一度になりて来たら、どうにもこうにもしようのないことが、日本の国にもでけるから、万古末代取り返しのつかんことであるから、これだけに気を付けるのであるぞよ。

  「実地が一度になる」というのは、カルマが一度に表面化(現象化)するということで、自然現象としては、日月神示にもありますように「陸が海になり、海が陸になる」といった状態を意味するものと思われます。ただ、この神示の前後の内容から判断しますと、「万古末代(=未来永劫)取り返しのつかんこと」というのは物理的な出来事を意味しているのではなく、霊的な内容であることがわかります。つまり、多くの日本人の魂が大変厳しい世界に置かれてしまって、二度と浮かばれない状態になることを述べているのです。
  これまでは、人は死後霊界(幽界)の低い世界に行ったとしても、やがて気づきを得て生まれ変わり、新しい人生でまたやり直す(カルマを解消する)ことができましたが、この終末の洗礼を受けたあとは、もはや挽回のチャンスはなくなるようです。それも未来永劫ということで、同じ内容は日月神示にも繰り返し出てきます。
  この神示を伝えている高級神霊にはそのことがよくわかっているので、「これだけ(繰り返し繰り返し)忠告しているのだ」ということです。

 日本の国は世界にまたとない結構な神国であれども、今の人民は冥加が尽きておるから、「外国の方が何もかも日本よりは良い」と申して、これまでに外国に精神から従うてしもうて、今の日本の上下の体裁、往きも還りもできよまいがな。

  「日本の国の今の人民は冥加が尽きている」と述べられています。つまり、「魂が穢れてしまって神の守護を受けられない状態になっている」ということです。言うまでもなく、明治以降の生活の洋風化の中で、利己主義(我善し=自分さえよければよいという考え)と拝金主義(お金さえあれば幸せ、お金がないと不幸せ、という生き方)によって魂が穢されてしまったのです。
  「上下の体裁」という言葉の意味は難解です。「上」は霊界にいる存在で守護神のこと、「下」は人民である肉体人間のことでしょう。そのパイプが詰まってしまって、往還ができない状態になっているということで、霊界の高い位置からしか見ることのできないことです。「守護神が肉体人間を正しく導くことが難しい状態になってしまっている」ということなのです。

 これまでのやり方は、日本の国が外国風になりてしもうて、世に出ておれる守護神がみな体主霊従からみたまであるから、‥‥日本人の身魂がさっぱり外国人の身魂になりきりておるから、これほど世界の苦しみが多くなりて来るのであるぞよ。

  「世に出ている」は文字どおり「出世している」という意味です。政治家や学者、経営者など、世の中を動かしている人物たちが外国かぶれをして日本魂を失っているので、日本の乱れが世界の乱れとなり、世界中の人々の苦しみを作り出しているということです。

 人民がみな飢餓かつえにおよぶことが出てくるぞよ。畜生国のように終いには人民を餌食えばにせんならんようなことができようもしれんが、何ほど詰まりて来ても、日本の国は共喰いというようなことはできんぞよ。

  「共食い」とは「人が人の肉を食べる」という意味ですが、日月神示にも全く同じ表現があります。ここでは更にはっきりと「終いには人民(の肉)を餌食に」すると述べられています。肉食に慣れた現在の国民は、終末の土壇場の食料危機の中では、最終的に人間の死体の肉を口にする事態もあり得ることが警告されているのです。
  旧約聖書にも、モーゼに率いられた人たちの中に「ああ、肉が食べたい」と絶叫する者がいたという事例が述べられています。肉食に慣れた舌はもっとも飢えに弱いのです。しかしながら、もし人間が人間の肉を食べる過ちを犯すならば、もはやその魂は永遠に救われることはなくなり、獣への道をまっしぐらに転がり落ちて行くのです。そういう意味では、現時点から食生活の中で肉を食べる習慣を断っておく方が賢明ではないでしょうか。

 お土から出来た物であれば、どんな物を喰ても辛抱が出来るから、「大根の株でも尻尾でも赤葉でも、常から粗末にするでないぞよ」と申して、毎度気を附けてあるぞよ。常から心得の良いものは、最後の時によく判るぞよ。

  人民が口にすべきは「お土から出来た物」ということで、野菜や果物などの植物を食すべきだと述べられています。穀物菜食をしている人間は飢えにも強いのです。また、植物を食するならば、いざとなれば日本の国土には飢えを凌ぐための食べ物はいくらでもあるということです。
  「常から心得の良いもの」とは、「普段から食べ物を大切にしている者」という意味にもとれます。それから、これは私の考えですが、「食べ物」には「水」も含まれていると見るべきでしょう。普段から水を粗末に扱わないように肝に銘じておきたいものです。

 「他人はどうなろうが、我さえ信心いたして良くしてもらいたい」というような未熟なこころでは、十分な守護はないから、万度参りをいたしたとて、実地が出てきてからの改心は間に合わんぞよ。

  「実地が出てきてからの改心は間に合わん」とあります。これも日月神示にまったく同じ内容が繰り返し出てきます。終末の土壇場の大混乱の中で、「神様助けてください」と神頼みをし、「心を入れ替えます」と懺悔をしても、もはや間に合わないということです。
  ですから、「善いと思ったことをすぐにやるのが身魂磨き」(日月神示)と述べられているのです。高をくくっていては取り返しのつかないことになりそうです。

 世界中を悪神の頭のものといたして、もう一段上へ上がりて、王の王になりて、末代の世をこのままで続かしてやろうとの大きな計略たくみをいたしておるぞよ。

  これが私の言う「サタンのシナリオ」の全貌です。この世の中では、ユダヤだとかイルミナティ、あるいはフリーメーソンなどが「陰の超国家権力」の黒幕だと言われていますが、いずれにせよその頂点には霊的存在(悪神)が君臨しているということです。このたびの終末は、善悪二神の戦いという見方もできますが、悪神といえども宇宙絶対神からすれば手のひらでの働きに過ぎないと言ってよいものでしょう。ただ、終末の大混乱の中で多くの人民の魂を自らの影響下に置くために、さまざまな計略をめぐらしているのは確かだと見られます。
  今日の日本国民の低俗化、幼児化現象を見ていますと、まさに悪神の企みは着々と成果を収めつつあるように思われるからです。

 けれども日本は神国であるから、外国の霊魂では、出来も解りもいたさん経綸しぐみがしてあるから、日本の元の一輪の霊魂には、到底敵わんぞよ。

  「日本は神国」という意味が、今日の日本国民にはほとんど理解できなくなっているようです。「日本は何も特別な国ではない」と断言している著名人を見かけます。拝金主義の徒とも思える人物ではありますが‥‥。最後の最後ではこの国が世界の模範として、次元上昇の大きなカギを握っていると考えてよいようです。それを信じることができれば、これから何が起こっても心配することはないのです。

 悪のたねは今度は残らず平らげてしもうて、2度目の世の規則通りに、善一つの道にしてしまうぞよ。

  終末における「世の立て替え、立て直し」のあとに生まれる世界では、悪の原因となるものは一掃されて、善一筋のの世界が誕生するということです。これぞ聖書で述べられている「神の国」であり、日月神示に出てくる「ミロクの世」なのでしょう。

(つづく)

<転載終了>