不動明さんより
http://blog.livedoor.jp/genkimaru1/archives/1594588.html#comments
<転載開始>
『リース文書』
ジョン・B・リースなる人物が著した文書。
『Genesis for the New Space Age(新しい宇宙時代の幕開け)』

Genesis for the New Space Age(新しい宇宙時代の幕開け)≪Organic Voice's Portrait
http://organicvoice.wordpress.com/2012/09/18/genesis-for-the-new-space-age(新しい宇宙時代の幕開け)/#more-1957

ナチスの狂気 ~第三帝国の摩訶不思議な世界へようこそ~
「ナチス第四帝国」の謎
~ 「第四帝国」にまつわる不思議な話 ~
http://inri.client.jp/hexagon/floorB1F_hss/b1fha700.html

   此れなる金の板にイサクとヨセフ記す
    此處に我がクルの寶集めしめ
    後の世に傳へて
    いしすゑたらしめん
    ヤハウエを我らのカムイと崇めよ
 
 
    いさかひを避け とこしへに溢れむ命を重ねしめ
    チチカカのカムイを祈り祭らしめよ

                           ステルニ
                           ナイムラプ



『ワールドスーク第10部世界の不思議な遺跡たち』
http://phil.flet.keio.ac.jp/person/sakamoto/mirror/travel10.html

ブラジル、マツト・グロツソのロス・タヨスで發見された黄金板
http://www.asyura2.com/08/bd54/msg/711.html
投稿者 石工の都仙臺市 日時 2009 年 1 月 11 日 23:48:43: Gsx84HOp6wiqQ

<リンク先より>

 先日、学研ムーの10月号を購入した。というのも、『ナチス第三帝国と地球空洞論の真実』と銘打たれた記事に目を通してのこと。記事の触り自体は、9月28日に日本公開予定の映画『アイアン・スカイ』の紹介。

 映画『アイアン・スカイ』は、1945年に敗北を迎えたはずのナチスのエリート幹部たちが、2018年にUFOの大編成を組み、地球への侵略を開始する話らしい。その話に絡め、ヒトラー生存説(逃亡説)が説かれていた。

 その流れで、『Genesis for the New Space Age(新しい宇宙時代の幕開け)』という、ジョン・B・リースという名前の者が著した文書の内容が引用されていた。記事の著者をして『リース文書』とされるその文書は、2002年、アメリカで出版を手掛けている人物のもとに、匿名で450ページにもわたるタイプ原稿が送られて来たという。そして送り主によれば、「受取人の裁量で自由に出版してもかまわない」とのこと。

 原稿が書きあげられたのは1980年。原稿は、リース氏らがCIA、FBI、陸海空の元軍人や、上院・下院議員、高級官僚らにインタビューを行い、3年の歳月をかけて情報収集した成果という。そして原稿には、『これはフィクションではない』という断り書きが添えられていたとのこと。

 日本語訳は、記事の著者であるケイ・ミズモリ氏翻訳で『新しい宇宙時代の幕開け』(仮題)として10月にヒカルランドより出版予定。ケイ・ミズモリ氏自身、「『リース文書』は途中で第三者の手が加わった形跡があり、本来の原稿からは多少、逸れてしまった部分もあると思われる」とし、「必ずしも内容を鵜呑みにできるものではない」と言葉を添えている。

 そうした事事を前提に、ケイ・ミズモリ氏が記事中に引用した『リース文書』の内容に目を通すに、私個人として言葉を尽くすべきか迷うことがあった。それは、地底世界の絡むことについて。

 地底世界。正直なところ、常識的な地学を学んだ一人として、私個人としてはその存在を信じてはいない。が、否応なしに“見える”ことはある。

 記事によれば、『リース文書』は「(その主要テーマとして、)1920年代からUFO開発に取り組んで来た天才科学者、ジョナサン・コールドウェルを追い掛けることであり、アメリカからの視点で彼の業績を称えようというもの~。言葉を換えれば、地球製UFO開発の歴史を綴った文書」とされている。そして、ヒトラーに関する情報は全体のうち一部に過ぎないという。

 私自身、その解説は尤もだと思う。

 ただ、そうであればこそ、“見える”範囲で記すべきかどうか悩まされることがある。

 それは、記事にて『リース文書』の要点としてまとめられた内容に触れられた上で、最終的には「ヒトラーの息子」の意思について、筆者による推測がなされているため。

 以下、私に“見える”範囲内で、幾らか記させて貰う。

 まず、ヒトラーとその「息子」、及びジョン・B・リースについて。

 私は、常識として、ヒトラーという歴史的人物を知っている。が、私は、ヒトラーのことを嫌いにはなれない。もちろん、彼がユダヤ人の大量虐殺に加担した人たちの長であることは、確かに悲しむべきことではある。

 ただ、私の知るヒトラーは、厳しくも優しい人だった。正確には、私に対してではなく、「私が感覚的に知る人」に対して。そしてその「私が感覚的に知る人」とは、『リース文書』の中で存在が指摘される、アドルフ2世と孤児デイヴィッドもしくは彼らに縁のある人たちを指す。

 1980年、『リース文書』によれば、地上でヒトラーが死亡した1974年の6年後に、その文書は3年の歳月を掛けて書きあげられた。その目的は、指導者の座を譲られた「ヒトラーの息子」が、ヒトラーの死に哀悼を示し、かつ後継者としての自らを肯定するため。

 当然ながら、その文書は、然るべき時が来たとき、その内容が地表の人たちに公表されることが目的とされた。それがため、22年もの間、然るべき保管がされていたとも言えるし、そうでもないとも言える。要は、今が、その「然るべき時」ということ。

 そしてそれだけに、私は、「以下を記すことが適切」と判断するわけだが。

―――『リース文書』によれば、ヒトラーとエヴァの間には1940年に長男のアドルフ2世が生まれており、孤児デイヴィッドを養子にしたとされる。

 が、正直な所、ヒトラーとエヴァの間に、1940年にアドルフ2世が生まれていたかどうかは定かではない。何故、1940年という年が示されたかと言えば、それは、「ヒトラーの息子」であることを肯定的に描きたいために他ならない。地底における彼らのコミュニティにおいて、「血統」を重んじる人たちの存在がその背景にある。

「血統」を重んじる保守派の人たちに対して、「血統」を示しつつも保守派の意に沿った言葉が求められる。保守派の意。それは、地上への「渇望」。更に言えば、自分たちの指導者が、自分たちの地上への「渇望」を理解してくれる人物であるかどうかを求めるわけである。

 そしてそれを示す上で、所謂「幼年期」を地上で過ごしているかどうかが焦点となる。地底世界に入る前に、その人物が地上で「幼年期」を過ごしているかどうかが問われるわけである。

 そのための1940年生であり、その真実は定かではない。

 1940年に生まれたのは、孤児デイヴィッドかも知れず、長男アドルフ2世は、1945年以降に生まれていたかも知れない。彼らに必要とされたのは、「血統」における上述した理由付け。それがため、その真相は分かっていても誰も正視しようとはしません。

 そしてヒトラー自身が、後継である「ヒトラーの息子」に期待していたのは、「血統」を超えた指導者であること。[注1]

[注1]ワーグナーの「遺志の代理人」と目されたヒューストン・S・チェンバレン。そして一般に、ヒトラーはチェンバレンの「精神的後継者」となったとされる。が、ヒトラー自身にそのような思惑はなく、寧ろヒトラーにおいては、ワーグナーの後継者として自らが相応しいという自負があった。ワーグナーについて語るチェンバレンの言葉全てに、ヒトラーは必ずしも賛同はしていませんでしたから。ヒトラーの本心としては、ワーグナーと語りたかったのです。

 勿論、「ヒトラーの息子」は保守派の言い分を分かっていたために、そのことに随分と悩みました。ヒトラーの存在があればこそ、避けられた衝突も多くありました。それがため、「ヒトラーの息子」は、ヒトラーの死に際しては、本当に嘆き苦しみました。

 上述した事事を考慮すればこそ、ジョン・B・リースが実在する人物であった場合、「ヒトラーの息子」か彼に縁のある人物である可能性が大きい。彼サイドの人物でなければ、上述しているようなことが出来ないためです。

 次いで、ドイツ人と、地底世界のボッドランド人との係わりについて。

―――記事によれば、ドイツ民族が、かつてボッドランド人と道を分かった「同胞」だった、とある。それがため、ヒトラーたちはボッドランド王を頼ることが出来たという。

 そしてボッドランド王は、地上のドイツ人が空洞地球の世界に加わるための条件として、破壊的な行為を放棄し、平和を目指した教育を受けることを要求。この条件を飲めるなら、半砂漠化した土地を無償で与える用意があると伝えたという。

 ヒトラーたちは、何故にそのような処遇を得ることが出来たのか。

 その理由として、記事では、1572年に南米大陸へ手を伸ばしていたポルトガル王セバスティアン1世が、サクス・コブルク王国出身のドイツ人500人(ヨーロッパでカトリックから迫害を受けて来たルーテル教会の信者たち)を傭兵としてアマゾン川上流部に派遣されていたことが示されている。そして家族を連れて遠征していた彼らがアマゾン奥地にある地底世界に繋がる洞窟に入ったことが切っ掛けであるとされる。

 もちろん、それは「切っ掛け」であるには違いない。1930年代には、地上と地下との間に限られた範囲ながら一定の交流が確立されるようになっていたというのだから。

 が、私に“見える”限りでは、少し事情が異なる。

 記事において、「あるとき、(地下で平和裏に暮らしていたボッドランド人の)一部の人々が地下洞窟を経由して現在のドイツ、バイエルン州の森に出て、再び地表で暮らし始めるようになった。それが今日のドイツ人の起源になった」とある。

 が、この一部の人たちというのは、地下で平和裏に暮らすことに馴染めなくなった人たちであり、性質的にも地下よりも地表の世界に向いていた人たちであったということ。

 そしてそうして地表へと渡った者たちと地下の者たちが親交を続けるのは余り歓迎されなかった。禁忌と言っても良いかも知れない。というのは、状況次第では、地下世界(引いては、地上の人たちの文明)を脅かすことになるためである。

 そうは言っても、彼らを送り出した地下の者たちの中には、彼らを心配する者もいた。その内の一人である、ある母親は、子どものことが心配でならず、「地上での生活に馴染めなかったら、地下に何時でも帰って来ても良いように」と心配りをした。

 もちろん、地上に出た者たちは相応の覚悟で地下世界を出奔したわけであり、地下世界に帰るつもりはなかった。が、その母親の意思は強く、地上に出た者たちが子を成し、地上の者と地下の者が婚姻を重ねて「血」が薄まって行く中でも、温かかった。が、当然ながら、地上の者の側の「血」が濃くなれば濃くなるほど、地下世界への影響は無視も出来なかった。

 そうして代を重ねた末に、地下世界を訪ねる者たちは減って行った。

 もちろん、地下の者としての「血」を保持するべく努めていた者たちもいた。が、その頃には、そうした者たちにおいて「血」を保持することが優先的となり、地上に出た者たちにおいてのヒエラルヒー(Hierarchie)が確立され、選民的思想が垣間見えるようになっていた。私の知る、ある血統の者たちは、そうした選民的思想を嫌って地上の者たちとの婚姻を得た。

 彼らは笑われたが、地上の者との婚姻を選んだ者に言わせれば、「血」よりも「幸せ」に生きて行くことの方が大切であった。彼らとして「血」の大切さを問われもしたが、両方を取れるとは限らない。その場合、「血」か、「幸せ」か、そのどちらかを迫られた末、「幸せ」の方を取ったわけである。

 そうした傍線はあれ、その母親らの一族においては、「血を継いだ者たちが地下を訪れた場合、懇意にするように(友好的に接するように)」というのが何時しか習わしになっていた。

 そして1572年に南米大陸へ傭兵として派遣されたドイツ人500人(ドイツ人500人(ヨーロッパでカトリックから迫害を受けて来たルーテル教会の信者たち)は、彼らの歓待を受けたのだろう。

 確証を得る手段はないことだが、多分に、ポルトガル王セバスティアン1世は、その辺りの事情を知っていたか、サクス・コブルク王国出身のドイツ人において事情を王に進言する者がいたのだろう。

 というのも、記事において、「任務が終わった暁には周辺の土地が譲渡されることになっていた。そのため妻子を連れて」とあるように、彼らの一団は家族を連れていた。そして当時、彼らの一団は、当地を訪れる上での「名目を得たこと」を喜ぶばかりか、その様な任務に喜ぶ理由が漏れないように注意していた。

 そして彼らが「インディオから逃げた先」の洞窟で「一時」生活していたのは、洞窟の奥へと向かう上で体を慣らす目的があったことは言うまでもないが、仮にも任務で訪れている以上、遠慮をしない「追加支援」等があった場合のことを考慮してのこと。もし、そうした事態となった場合には、「派遣」されたドイツ人らは家族共々「追加支援」等を拒否する態勢を整えていた。

 それは、彼らとして、地下世界の存在を隠すための決死の覚悟であった。

 が、その決死の覚悟の御蔭か、「追加支援」等はなかった。その上で、彼らは地下世界への案内を受けることが出来たわけである。

 そうした経験を経た者たちにおいて、「地上と地下との間に限られた範囲ながら一定の交流が確立される」ことは、歓迎された。というのも、彼らの役割は、かつて地上へと出奔した者たちの流れを組む者たちの一部として、地下世界とのコネクションを築くことにあったためである。

 更に言えば、「地上の者たちが、地下世界の存在に気付くときが来たとき、その間を取り持つことを念頭に置いていた」と言っても過言ではないかも知れない。

 ただ、それは同時に、コネクションとして成立し得るのかどうかが課題でもあった。要は、平和裏に暮らす地下世界において、「不和」を持ち込むわけにはいかないためである。その観点から、まず、「同胞」足るドイツ人がその対象となった。

 そうは言っても、事実として、地下の者たちにとって「同胞」足るドイツ人たちは「遅れた」人たちである。

 つまり、地下の者たちにおいては、彼らドイツ人が地下世界に招くに足る「人種」かどうかが問われるわけである。

 そのため、ヒトラーを始めとするコネクションの対象となる人たちは、必死にならざるを得なかった。その方法が人道的でなかろうと、それも承知で。

 その一連の行為は、ヒトラーによって、戦争・侵略行為の実行を伴うもの[注3]でした。「アーリア人」及び「アーリア人的秘儀」、引いては新都市計画(世界首都ゲルマニア計画)へのこだわりも、それを反映しています。[注2]

[注2]そもそもヒトラーは、世界的平和を実現する上で、地下世界に縁ある人たちの「血」の復活が必要と考えていました。地表に生きる人たちの性質を、地下世界の人たちに近付けるような変革的事項が必要だと考えていたわけです。その上では、当然ながら「筺体」を必要とします。彼ヒトラーは、その実現を希求していたわけです。

[注3]しかし、現実の世界情勢においてその土台を構築するのは並大抵ではありません。ヒトラーにおいて『ラグナロク』が説かれたことも知られています[注4]が、彼が本質的に言及したかったのは、『ラグナロク』的事項が起こることです。そのとき、果たして何が起こるのか。今のような世界情勢及び人的性質のまま、それを迎えることの危惧があったわけです。

[注4]実際のところ、ヒトラーは、『ニヒリズム革命』『ヒトラーとの対話(邦題:永遠なるヒトラー)』を出版したヘルマン・ラウシュニングの知性を信頼していました。というのも、ヒトラーの真意を理解してくれる人は、“秘密教義”を戴いても出て来ませんでしたから。だから、ラウシュニングが亡命を果たしたときに一番に安堵したのは、実はヒトラーでした。ラウシュニングが上記の著書を出版したことも、半ば喜んでいたと思いますよ。

 ただ、記事にあるような形で、ボッドランド王がヒトラーに対して直々に戦争・侵略行為を強く非難したのは、地下世界で戦争・侵略行為を行って貰っては困ることだけでなく、ボッドランド人のコネクションの対象は、ソ連、アメリカ、及びそれらの同盟国も視野に入れられていたためです。

 そして記事には「遅ればせながらヒトラーはこの戦争が無益だったと悟り」とありますが、ヒトラーは、戦争が無益であることは鼻から分かっていました。が、地下世界に招かれる上で、自分たちの技術力の高さを示さねばなりませんし、それには戦争が適していたことは言うまでもありませんでした。

 その上で、ボッドランド王は、ヒトラーに対して破壊的な行為を放棄し、平和を目指した教育を受けることを要求。この条件を飲めば、半砂漠化した土地を無償で与える用意があることを伝えたといいます。その言葉に、ヒトラーは激怒したとも。

 実際、激怒はしましたが、それは地下世界に招かれる上で、地表の者たちとして自分たちが払った代償のことを考慮した上でのことです。戦争により、ヒトラーの汚名ばかりか、地表のドイツ人一般が冷遇されることは目に見えていました。それほどの覚悟で行動した結果として、半砂漠化した土地を与えられることに怒ったわけです。

 更に言えば、「最初の約束と、違う!」と、怒ったわけです。

 そうは言えど、ボッドランド王としては、地球地表における自分たちの技術力のほどを示すために戦争を選ぶヒトラーの神経を忌避していたことも事実でした。そして凶悪な犯罪行為に手を染めた者の受け入れ拒否をヒトラーたちが認めなければ、半砂漠化した土地を与えるよりも条件の悪いことも検討されていました。

 その決定の協議に際して、件の母親らの一族らが反対しました。彼らの熱意ある進言がなければ、ヒトラーたちは半砂漠化した土地を得ることも難しかった。その代り、彼らが地下世界でのホスト的な責任を持つ形となり、ヒトラーたちドイツ移民の受け入れ事業には彼らに一任されました。

 結果、受け入れ事業は完了し、ヒトラーたちドイツ移民は地下世界で暮らすことになりました。しかし、「暮らす」とは言っても、地下の者たちにとって、彼らが「遅れた」人たちである事実が変わるわけではありません。

 そうした「立場」において、地下の者たちと共存していくことを考えればこそ、自分たちの人数と技術力を高めるしかありません。彼らとして、そのための努力は惜しみませんでしたし、その一環として、地上でも取り組んでいたUFO開発が進められることになりました。

 そうは言っても、地下世界の者たちも認めるようなものが、そう簡単に出来るわけもありません。地球地表においては進んでいるとしても、本当に技術的にも「遅れている」ためです。正しく発展させる上では、シャウベルガーの内破エンジンとコールドウェルのUFOデザインを融合させることが不可欠でした。それが実現されなければ、その先もなかったわけです。

 地下世界の者たちの地表とのコネクション。それとは別に、地下世界へ移民したドイツ人らは、彼らとしてのコネクションを用いて、地球地表のことを知る努力を続けました。地下世界の者たちも認める、地球地表との確実な移動手段。それがなければ、彼らとしてのコネクションを築くことは難しかったと言えます。

 ボッドランド等大勢の意向に付随したコネクションではなく、自分たちのコネクション。その実現に合わせ、彼らは彼らとしての「立場」を築いて行きました。

 であればこそ、『リース文書』が「(その主要テーマとして、)1920年代からUFO開発に取り組んで来た天才科学者、ジョナサン・コールドウェルを追い掛けることであり、アメリカからの視点で彼の業績を称えようというもの~。言葉を換えれば、地球製UFO開発の歴史を綴った文書」とされているのは、至極当然のこと。

 以上、記事にあるように“ドイツ民族が、かつてボッドランド人と道を分かった「同胞」だった、とある。それがため、ヒトラーたちはボッドランド王を頼ることが出来た”というのは、少し事情が異なる。

 寧ろ、地球地表の人たちを地下世界に招き入れるに足る人たちかどうかの選別の一環として、まず最初に「同胞」足るドイツ人が選ばれ、試されたわけです。それがため、地下世界への道がドイツ人だけに開かれているとは断じて言えません。更に言えば、地下世界への道を得ても、心して置かないと相当の困難が待っています。

―――記事の筆者が推測で、「ヒトラーの息子」が「失われたかつての栄光を取り戻すため」に動き出す可能性を示唆しているが。

 もちろん、地球地表において『ラグナロク』的事項が起こったとき、何らかの関与をすることは考えられる。それに、『ラグナロク』的事項が起こる前まで、地球地表にある人たちの性質が変化して行くことを望むべく行動すること、または行動していることも考えられはする。

 少なくとも私は、「ヒトラーの息子」の苦悩を垣間見たことがあるから、地球地表における事事を地下世界に繋げるのはどうかと思う。ヒトラーを追い落とすことに成功した現実世界において、世界的平和を実現するためには一体どうすれば良いのか。

 ボッドランド等大勢の意向に付随したコネクションを排することは正直難しい。それに事実として、「ヒトラーの息子」らの勢力は、地下世界において「勢力」と呼ぶには幼い面があることは否めない。彼らは、地下世界における年月が圧倒的に足らないのである。

 地下世界における他「勢力」に属する人との「婚姻」も許されてはいますが、地表での婚姻同様に、その観点から色々とあります。

 ヒトラーの唱えた「新しい人類創造」。その目的は、彼らが地表にいる段階としては、地下世界に縁ある人たちの「血」の復活と言える。が、当然ながら、それは全体の一過程に過ぎないとも言えます。実際に地下世界への移民を果たしたとき、その「血」を巡って、また彼らの勢力の幼い面を巡っては、様々あり頭の痛い問題です。

 その上で、「ヒトラーの息子」が「失われたかつての栄光を取り戻すため」に動き出すかどうかは、私としては疑問。

―――何れにせよ、地下世界が事実であるとして、地球地表において『ラグナロク』的事項が起こるそのとき、私たちは一体どうあることを望むのか。

 記事では「ラスト・バタリオン」と銘打たれてはいるものの、私に見えている事事が事実であれば、将来的に『ラグナロク』的事項が起こるということになる。

 そのとき、私たちは、そのまま死ぬことを望むのか。私たちが『ラグナロク』的事項によって骨も残らないほど一掃されたとき、私たちに残るのは一体何なのだろうか。

 私は神さんを信じているけれど、その神さんは、物事の前提として、ユダヤ人とかドイツ人(ボッドランド人)とか別けていない。寧ろ、「様々な背景の下で生まれ付いた命を、理解しろ」と、言う方。

 もちろん、人間の一人として生きて行く上で理解し難い人たちはいるけれど、だからといって、殺そうとは思わない。それに私自身として、そうして人間を見ていて、「この、下等人種が」と思わないとは言わない。それに、社会的に生活することを考えればこそ、そう思っても、言ってなど居られない。

 第一、生活云々以前に、そこまで実際に言ったり言われたりするのは心情的に嫌。私個人の価値基準に照らせば、そこまで言っている方が、馬鹿丸出しだからね。

 そうした人間としての自分自身について考えるとき、「『ラグナロク』的事項で死んだとしても、それはそれで仕方ないかも」とも思う。その場合は、別段、理不尽な死に方をするわけではないからね。

 ただ、人類に連なる者が「ラスト・バタリオン」として動くというのであれば、「それは、止めてくれ」と、言いたい。

 奇しくも、月刊ムーの10月号には、巻頭にて、『最古のマヤ・カレンダーと予言の謎 2012年以降の日付も存在した!』という銘打たれた発掘レポート記事が掲載されている。

 そもそも、ロバート・キング・マートン(Robert King Merton)は、著書『社会理論と社会構造』(1949)の中で、「自己成就的予言(予言の自己成就)」を「最初の誤った状況の規定が新しい行動を呼び起こし、その行動が当初の誤った考えを真実なものとすること」と定義している。

 そして私個人としては、「世の終末論においても、同様のことが起こってしまうのではないか」と、何時も冷や汗気味。

 もちろん、人間の一人として生きていて嫌なことも確かにあるけれど、俺は人に生きていて欲しいですし、俺自身も生きていたいとは思う。それが「the New Space Age(新しい宇宙時代)」に繋がるのであれば、それに越したことはない。ま、この「宇宙時代」を一体どのような内容のものと定義するのか。それも疑問ではあるが。

 人って、一体どうすれば、世界平和的な方向に転換出来るのでしょうか。地道な活動をされている人たちがいる一方で、その成果を壊すようなことをする人たちもいるし。俺自身として、出来るだけ後者にはなりたくはないから、出来ることはするけれど、この社会で生きて行くのは本当に悩ましいですよ。

<転載終了>