エフライム工房さんのサイトより
http://www.geocities.jp/atelier_efraym/saka13.htm
<転載開始>
 要望がありましたので、「第2章 講座の始まり」から割愛した部分を掲載します。信じられないかもしれませんが、これは実際の体験談です。



 …でも、この続きは来週ということで。それよりも、先生が疲れているようだ。



   3.能とエクソシスト


「あの、先生、疲れてませんか」私は気になって聞いてみた。

「うん、ちょっとね」

「先生、またあれですか。ほどほどにしないとだめですよ!」


 瞳が珍しく強い口調でたしなめている。一体なんだろう、先生がほどほどにしなくてはならないものとは。まさか、あれや、あれや、あれだったりして?と、私が妄想に耽っていると、瞳は「何考えてるの、違うわよ!」と私の背を引っ叩いた。


「先生は、ちょっと変わった能力があって、それで辛い思いをしているの」

 瞳はそう言うと、先生の顔を覗き込み「話していいですか」と聞いている。先生は「石井さんなら大丈夫でしょ」と言って、「僕が帰った後でね」と付け加えた。


 先生が疲れているので、今日の講義はここまでということになった。でも、私も予習しておかないと付いて行けなくなるので、丁度いいところかも。瞳が先生を途中まで送って戻ってきた。そしてちょっと不機嫌な顔をして、「先生ね、女なの」と切り出した。

「女って、ここに二人も美人がいるのに、まだ他にもいるの?」

「そうじゃなくって、さっきの話の続き。それで、先生の変わった能力というのはね、エクソシストなの」

「えっ、エクソシストって悪魔払いのことでしょ」

「そう、エクソシストにもいろいろあるけど、先生の場合は『能』に出てくる旅の僧という感じかな」

 瞳はそう言って、『能』について説明を始めた。

  
  独立行政法人日本芸術文化振興会のサイトより怨霊面

「私たちが知っている『能』は、室町時代に発祥した伝統芸としてだけど、演目で一番多いパターンは前後(マエ・ノチ)のシテの変貌(へんぼう)なの。美しい前シテが、後半では恐ろしい形相の後(のち)シテに変貌する。この後シテは、般若(はんにゃ)とか鬼女(おにおんな)とかの面(おもて)を付けているけど、本質は亡霊なのね。だから、シテは摺(す)り足で頭を上下動させないで移動する訳」

「それはどうして?」

「霊というのは物体を通過できるから、基本的に足を必要としない動きをするの。そこから幽霊には足が無いと解釈されるようになった。でも本当は、足があっても使わないだけなのね。それで、前シテというのは、この世に執着(しゅうちゃく)を残して死んだ霊で、自分では成仏(じょうぶつ)できないわけ。そこで、旅の僧という面を付けない人が出てきて、亡霊に存分に語らせたり、暴れさせたりした上で執着を断ち切る手伝いをするわけね。ところが、この世に対して執着が強い霊ほど、心の中に怨念(おんねん)を抱え込んでいるので、それを解放させなければならない。後シテの恐ろしい形相は、その隠された心の表れなのね。そこで、旅の僧は、亡霊の心を解き放つお経を唱えることになる。先生は、お経の代わりに絵を描いたりして、亡霊の執着を断ち切ることができるのよ」

「ということは、先生は今、目に見えない亡霊と関わっている訳?」

「ううん、ところがね、先生が関わるのは生身の美人なの」

私は「生身の美人」と聞いて思わず吹き出してしまった。瞳も苦笑しながら「でも本当なのよ」と続けた。

「そもそも亡霊というのは、目に見えないので生きている人に相手にされない。あら、いい男だわと思っても、向こうには存在すら知られない。そこで、誰かに憑依(ひょうい)して、その人を通じて自分が愛されるということを擬似体験するわけね。そのとき、自分によく似た人に憑依するの。それで、先生の場合は純粋な美人が好きでしょ。だから、そういう美人の亡霊に憑依された、純粋な美人に関わってしまうのよ。そして一旦関わってしまったら、亡霊が納得するまで愛情を注がなくてはならない。もっとも、向こうは体がないから、基本的に精神的な愛を要求するわけ。しかも、かなり意地悪い方法で試すようなことをするのね。傷つけたり、恥をかかせたり、翻弄(ほんろう)するようなことをする。でもそれは、生前の悪い体験から来ている歪みでしかなく、本質は純粋な霊なのね。先生は、馬鹿みたいに純粋で無垢(むく)なところがあるから、そういう亡霊を恐れないで愛情を注ぐことができる。でも、そのためのエネルギーは並大抵のものではなくて、痩(や)せてくるのが目に見えて分かる程。なぜそんなに大変かというと、亡霊の背後には別の悪霊がいて、先生と綱引きをする構図になるから。要するに、成仏させまいとする悪霊と先生の戦いになっているわけ。だから、エクソシスト(悪魔払い)なの」

「というと、先生は悪魔と反対の力を代行しているわけね」

「そうね、キリスト教でも神の御名においてと唱えるわけだから」

「でも、先生はどうしてエクソシストの素質がある訳?」

「それはね、先生は精神感応と言ってるけど、霊的な波長が合ってしまうのが原因と分析しているみたい。だから、特に愛を失った女性、自閉的で自己表現できない女性、傷ついて苦しんでいる女性に出会うと、彼女達を癒(いや)そうとする力に支配されるらしいの。その力は、先生の中にあるけど、先生のものではない。難しいけど、内なる神とか、御霊とか呼ぶべき存在みたい。先生は、その存在に奉仕することで、自分が生かされていると感じているみたいね」

「でも、先生のその能力は生まれつきのものなのかしら」

「それはね、先生がお母さんのお腹の中にあったときが最初と言ってたから、先天的というべきじゃないかしら」

「それって、お母さんが何かで苦しんでいたということ?」

「そうみたい。だから、先生のお母さんは特別扱いして育てたそうよ。だから芸大へも行けたのね。それに先生の贖(あがな)い体質を理解していたのもお母さんだけかな」

「贖い体質って何?」

「それは、病気や精神状態の悪いとき、先生が身代わりになって熱を出したり苦しむこと。ガンで亡くなった先生の下のお姉さんの話だけど、待ち合わせに二時間も遅れて青息吐息でやって来たとき、帰りは病人とは思われないほど元気になっても、それが体調を崩して苦しんでいる先生のお蔭とは悟れなかった。

 上のお姉さんがガンになったときはお母さんが生きていたから、学生だった先生をわざわざ神戸の病院まで呼んだのよね。それは、お母さんが先生の特殊な能力を知っていたから。だから、先生の妹がガンで亡くなったときも、お母さんが生前に見た先生の絵に乗り移って、まだガンだと知らない妹を救いに行った。もちろんその絵は先生が運んだんだけど、先生はとにかく救わなくてはならないという目に見えない意思を感じたという。それに、先生は三人がガンだとは知らない段階で既に会っているのよね。

 だから突然先生が現れたら、誰かが肉体か精神か霊性が危険な状態のときか、家庭崩壊の危機にあるとき。でも普通の人はそれが分からないし。大学の同級生の躁鬱症を仏画を描いて直したときもそうだけど、先生がどれだけ苦しい思いをしたか理解されなかったみたいだしね。先生はそれを誰にも話さず、自分一人で背負っているわけ。でもそういうことが分かる人は、先生をものすごく大事にするのよね」

「なるほど、先生って、いっぱい愛された人って感じがするのはそのせいね」

「でもね、それは裏返すと、芸術家としての先生は片輪なのよ。つまり、霊感は女性を通して外からやってくるわけだから、一人では何にもできないことになる。まあ、ピカソだって奥さんを換えるたびに画風が変わったわけでしょう。だから、先生が芸術家として大成するためには、先生の能力にふさわしい女性が必要なのね。先生は世の光となるために不遇を甘んじて受け、先生とは住む世界が違う人々の間を歩み続けて来たのだから、そろそろ先生が世に出てもいい頃だと思う。それに、先生は行く先々で苦労をしてそのサークルに平和をもたらす人。私はそれが分かったから、先生を励ましているわけ」

「ふーん、私は世の光となるよりも光を求める方だから、そういう意味では先生の力量を評価できる。でも、世間は先生を必要としているのかしら?」

「それについての答えになるかどうかは分からないけど、今の先生を作り上げた決定的な事件があったの。それは、先生が中学生の頃で、盛岡のはずれの中学校でも先生は浮いていたのね。農家の子供も多かったというだけではなく、先生のお兄さんたちは東京育ちだし、異邦人という感じかな。今と違って進学しない人も多いために授業に無関心な生徒も多く、それなりに荒れていたわけ。先生も体育館の裏に呼び出されたが、どういうわけか手を出さなかった事もあったという。先生は授業に集中しない生徒を注意したり、体は小さいのに堂々として成績も良かったから良く思わない生徒も多かったわけね。でも、ある事件で皆が先生を見る眼が変わったの。

 それは、先生の後ろの席で同じ相撲部にいた子が自殺したの。成績が悪かったので、進学を希望する家族の期待に応えられないとの理由で。クラス中は物凄いショックで、みんな泣き出してしまった。その中、担任の女の先生が遺書のようなものを読んだのね。それは、先生が優しくしてくれて、それが嬉しかったというような内容。先生は、真後ろの彼に振り向いて教えてたり、足を怪我して松葉杖で見学中の彼にサッカーボールをパスしたりして、気をつかってたのよね。でもそれ以来、クラス中で先生は特別な眼で見られるようになった。今まで気に食わないと思っていた人たちも、先生を素直に受け入れるようになった。授業中にうるさいと注意すると喜んでおとなしくなるし、放課後の掃除もサボるものはいなくなった。みんなの成績が良くなっただけではなく、掃除中にみんなで自然に歌いだすようになった。いつも歌声が満ちて、掃除が楽しくて仕方がないって雰囲気が出来てしまった。先生が盲腸で入院すると、体育館に呼びつけた連中もお見舞いに来てくれた。でもそれは、全部押し付けられたものではなく自発的なものなのね。本当の意味での和が実現されたわけ。

 でもその中で、たった一人だけ反抗している生徒がいたのね。相変わらず掃除はしないし授業にも無関心。先生も諦めて黙っていた。するとある日、その生徒が掃除中に突っかかってきた。泣きながら、何で俺だけ注意しないんだって。その時、先生はようやく最後の一人の心が理解できた。関心を持って欲しかったという事が。それ以来、クラスは完全に一つとなった。卒業式の日、担任の先生は、こんなに良いクラスを持ったのは長い教員生活で初めてだったと涙ながらに感謝の言葉を述べた。だから、先生がもたらすことのできる平和は、力や思想によるものではなく、ある意味では徳によるものなのね」

「ふーん、先生は子供の頃から世の光だったんだ。でも、随分と変わった子供だったんでしょうね」

「それはー、だって誕生日のご馳走にサンドイッチですよ!うちの父や他の兄弟もお寿司やケーキなのに、パンなんか食べたがるなんて絶対に変わってますよー!だから先生の誕生日はみんなガッカリ。でも、もしかして、それは祝福のパンだったかもねー」



<転載終了>