煩悩くん フルスロットルさんのサイトより
http://aioi.blog6.fc2.com/blog-entry-2440.html
<転載開始>
ニビル接近&衝突が11月21日だという怪しい話がありましたね。もうそろそろだす(キリッ)。
■2012年11月21日、地球はニビルと衝突する
http://blog.livedoor.jp/genkimaru1/archives/1711907.html
最近、久しぶりにX1.8の太陽フレア爆発があり、更にカナダ西部のクイーンシャーロット諸島沖でM7.7の地震があったばかりで、その津波がハワイに到達したとか、、、何となくニビルが近づいてきているような兆しもあることにはあります。
本当に11月来訪ならば、年末のももクロ紅白出場が見られない。。。。(滝涙)
まぁ、オイラは2012年12月21日~2013年2月14日説の方に賛同しているのとニビル定住のニビル星人を「グレイ」としている点で11/21来訪説には全く賛同していないのですが、一応、ニビラーにとってドキドキする日であることには違いはない。
さてさて、そんな中、ももクロ最新曲『サラバ、愛しき悲しみたちよ』のMVが公開されました。布袋寅泰・作曲で北川景子主演のTVドラマ『悪夢ちゃん』のテーマ曲にもなっていますが、天使と悪魔の衣装を着て曲紹介していたので、MVはどうなるんかな~と見てみました。
http://aioi.blog6.fc2.com/blog-entry-2440.html
<転載開始>
ニビル接近&衝突が11月21日だという怪しい話がありましたね。もうそろそろだす(キリッ)。
■2012年11月21日、地球はニビルと衝突する
http://blog.livedoor.jp/genkimaru1/archives/1711907.html
最近、久しぶりにX1.8の太陽フレア爆発があり、更にカナダ西部のクイーンシャーロット諸島沖でM7.7の地震があったばかりで、その津波がハワイに到達したとか、、、何となくニビルが近づいてきているような兆しもあることにはあります。
本当に11月来訪ならば、年末のももクロ紅白出場が見られない。。。。(滝涙)
まぁ、オイラは2012年12月21日~2013年2月14日説の方に賛同しているのとニビル定住のニビル星人を「グレイ」としている点で11/21来訪説には全く賛同していないのですが、一応、ニビラーにとってドキドキする日であることには違いはない。
さてさて、そんな中、ももクロ最新曲『サラバ、愛しき悲しみたちよ』のMVが公開されました。布袋寅泰・作曲で北川景子主演のTVドラマ『悪夢ちゃん』のテーマ曲にもなっていますが、天使と悪魔の衣装を着て曲紹介していたので、MVはどうなるんかな~と見てみました。
こ、この頭は、、、アヌンナキ(滝汗)



これは近々、ニビル星人(アヌンナキは地球に降り立った王族子孫一門)登場するという暗喩なのだろうか、、、となると、11月21日はニビル接近、その後のニビル星人が攻めてくる~♪という「トラトラトラ」を警戒せねばならぬかもしれない。
そう言われれば、『サラバ、愛しき悲しみたちよ』という曲名自体も意味深ですね。
実は、地球は「監獄惑星」であり、この惑星では物欲・虚栄心がいかに空しく悲しいものかを教えるのが目的であり、そこで修行する為に我々は生まれてきたという意見がある。オコツト的に言うならば太陽系のいくつかある次元のうちの「地球次元」のことです。この次元では支配欲・物欲・虚栄心を過剰に追い求めさせ、それが虚しいものと分からせる為に反面教師的な事象を次々と襲いかからせて自覚させるというプログラムになっているのです。
よって、人生で襲ってくる悲しみも、本当のところは愛おしい教育的要素だったとなる。しかし、そんな悲しみを与えてくれる監獄惑星「地球」から近いうちにサラバと去ることになるよということを知らせるのが、この曲の霊的意図なのかもしれません。その際には、悲しみも愛おしさに変わるかもしれませんね。
これがこの監獄惑星でイルミナティやメーソンが操る影の世界権力が悪魔の部分(イシヤ)としての表出であり、逆に、これを自覚し霊的発展を促すという救済的な天使の部分(メシア)でもあるのです。実際、影の世界権力を操っているのは肉体を持たない霊的存在だと言われていますが、それはルシファーともニビル星人だとも言われており、このニビル星人はルシファーのように悪魔なのか天使なのかよく分からない存在なのです。
この地球環境で悟れないと再び監獄惑星「地球」に生まれ変わり、逆に悟れた場合は別の高等惑星で生まれ変わって監獄惑星「地球」を卒業となる。これが、今、見て感じるこの世の中の仕組み。まぁ、これがディセンションとアセンションのことですが、カバラでいう自我の五段階の発達段階(生存欲→金銭欲→名誉欲→知識欲→霊欲→霊的飛翔)と言っていることが同じなのです。そして、今、地球環境が激変しており、ニビル来訪も噂されていることから、その審判の時が近づいたのではないでしょうか?!
ももクロの曲途中では、悪魔の格好から天使の格好へとグレンと変わっていますが、これは上記のことを暗喩していると思われます。映像中の「木」も知恵の木と生命の木を暗喩していそうです。これでももクロがアヌンナキのような長い頭をしている霊的な意味が解けました。
アヌンナキはシュメールやアッカド神話に登場する地球に降り立った「神々の集団」のことですが、エノク書でいう「グレゴリ」と同じものでしょうか。同様なバビロニア神話によれば、兄妹神アヌとキの子がアヌンナキです。
※註 アヌとキの兄妹は、アンシャール(天の軸)とキシャール(地の軸)の子であり、上三角の▽と下三角の△を暗喩している。これはフリーメーソンの定規とコンパスで暗喩されている。
これは中国の「伏羲と女禍」を指していると思われる。上に挙げた手に定規とコンパスを持つ伏羲と女禍は、「蚩尤民族」と呼ばれる中国少数民族「苗族(ミャオ族)」が信奉した神でもある。

(伏羲と女禍)
三皇五帝の「三皇」とは、天皇・地皇・人皇のことで伏羲・女媧・神農を指すのが一般的。また、伏羲と女禍は牛の角を表しており、この2つで蚩尤(しゆう)を構成するのです。このことから「蚩尤=神農」というのが分かります。

(蚩尤)
医薬と農業を司る神である「神農」はの脳と四肢を除き全てが透明で、内臓が外からはっきりと見えたと言う異次元世界の存在。頭に角のようなものがあり、やはり牛神である蚩尤を彷彿とさせるのです。まぁ、実際、蚩尤は炎帝神農氏の子孫とされているので、当然の帰結ですが、、、(ふふふふ)

(神農)
この神農は古代から日本に伝えられており、東京の湯島聖堂内の神農廟に祀られていますが、毎年11月23日に「神農祭」が行われる。また、同様に神農が祀られる薬祖神社(大阪堺)は毎年11月23日、少彦名神社(大阪中央)は毎年11月22日・23日が「神農祭」が行われるのです。
「アヌンナキ=アヌとキの子=伏羲・女媧の子=神農=蚩尤」という図式が成り立ちますが、ここから蚩尤民族とはニビル星人直系末裔のアヌンナキということになります。また「神農祭」が11月23日前後に行われる点は、先のニビル接近日の11/21と近く非常に興味深い。
「神農祭」では張子の虎を飾りますが、この虎の由来は、中国の神話では「不老不死」の象徴である桃の木の枝の裂けたところから鬼が出入りするので、神が2人の門番を付け、出てくる鬼を捕らまえて虎に与えたという逸話があり、鬼(病気とされていた)よりも強い虎である故に医薬の神を祭る「神農祭」では張子の虎を掲げ、少彦名神社では虎の像が安置されているのです。のこ鬼の出入りするところから「鬼門」という言葉が出来た。

では、牛神である「蚩尤」とその子孫である虎が暗喩する「神農」はどのような関係にあるのでしょうか? 鬼門は十二支の牛・寅の方角であり、桃太郎に登場する鬼は牛のような角を持ち寅のパンツをはいていますが、まさに牛と虎のコンビネーションであり、これが艮の金神を暗喩しているのです。
神農は漢代に炎帝と一体視された。また炎帝は少典氏が娶った有蟜氏の子で姜水で生まれた炎帝が「姜」姓、姫水で生まれた黄帝が「姫」姓を名乗ったのですが、これは部族の発祥を意味している。つまり「姜」族と「姫」族は共に神農氏の末裔であり、そのうち姜族の部族首領を代々「炎帝」と呼んでいたのです。これが姜族(チャン族)の発祥ですが、そして最後の炎帝は黄帝と連合して華夏族(カカ族)を形成し夏王朝を興したのだといわれる。
※註1 イスラエルの「失われた十支族」のうちの1つマナセ族の末裔に比定される姜族はチベット系騎馬民族とされていますが、元々は西安近辺の出自で文献に「西戎」と書かれていた部族。この戎(ジュウ)は秦とも関連があると言われ、ユダヤを表す「ジュウ」の音訳ではないかとも言われる。また苗族も元々は山東省あたりの出自で羌族と共に南方に移動した民族なのです。ここに姜族と苗族の密な関係が窺われまますが、何らかの血縁的関係があるのでしょうか。語り部は邪馬台国を作った倭人(弥生人)が苗族だと言っていますが、奈良では兵主神を祀っていたので「蚩尤を崇める民族=蚩尤民族」であることは間違いなさそうだ。それ故、徐福の後を追って東海三神山近くの奈良まで来たのだろう。実際に「羌の源流は三苗で姜氏の別種」と記されている。
※註2 華夏族は東夷人、北狄人を吸収(混血)して、今の漢族になった。異民族でも漢族の文化伝統を受け入れれば漢族とみなされるのですが、昨今の中国若者の日本のサブカル文化の浸酔ぶりからは、彼らは日本民族になったとも言えるw
この神農を携えて日本列島に来たのが徐福です。
鳳来寺山の薬師堂には「薬師如来、神農、大国主」の3体の木像が保管されているといわれていますが、この神農家像は徐福が持ち込んだものではないかといれれる。徐福は神農の子孫なので当然といえば当然ですが、徐福末裔はマナセ族である姜族末裔でもあったのです。
※註 この薬師如来に参って子宝祈願したのが徳川家康の母・於大の方ですが、その霊験によって家康は寅年・寅日・寅刻に生まれたという。ここで布袋寅泰の「寅」とつながってくるし、「泰」という字は徐福を表す「秦」氏を彷彿とさせる。また「布袋」は七福神の一人で大きな袋を背負った太鼓腹の老人の姿で描かれますが、実は弥勒(マイトレーヤ)の化身でもあるのです。
神農・炎帝末裔である徐福末裔が定住した地が東三川ですが、この地を穂の国(→火の国→炎の国)と呼ぶのも何かの因縁でしょうか!? また、「炎」はフェニックス(バアル神の再誕)を暗喩していて非常に興味深い。
また、伏羲と女禍が手に持つ定規とコンパスは、彼らの生みの親であるアンシャール(天の軸)とキシャール(地の軸)を表しており、これが上三角の△と下三角の▽で暗喩されている。そして、そのゼロポイント状態である不二不二の状態が蚩尤を表し、まさに豊橋市章となるのです。
徐福が蚩尤を銅鐸神として東三川で祀った霊的な残滓が、こうして近代にまで影響を与えている事実は驚きです。

(豊橋市章)
伏羲と女媧の父がかつて自身が閉じ込め、自分の子供たちによって解放された雷公と戦ったが、雷公が洪水を起こして攻めたために二人を残して人類が滅亡してしまう。この雷公とは黄泉国に閉じ込められた黒いイナズマ(ブラックサンダー)のことであり、風と雷の神・エンリル。そして伏羲と女媧の父がエンキ(→アヌとキに分けた?)であるのは言うまでもない。
※註 エンリルは清らかな乙女ニンリル女神をヌンビルドゥ運河の堤で強姦し、その罪のゆえに最高位の神であるにもかかわらず他の神々によって罰せられ、冥界へ追放されることとなったという。これは対立していたエンキ派の陰謀でしょう。
そして、夏王朝が滅亡したのが安徽(アンキ)省の「南巣」で、この言葉、アヌとキ(エンキ)と関連がありそうですね。
※註 夏王朝の開祖・禹王が生まれたのが「嵩山」
う~む、ここまでシンクロがあると、神農祭の日にはニビル星人の「トラトラトラ」があるかもしれんだすな(爆)。
<転載終了>



これは近々、ニビル星人(アヌンナキは地球に降り立った王族子孫一門)登場するという暗喩なのだろうか、、、となると、11月21日はニビル接近、その後のニビル星人が攻めてくる~♪という「トラトラトラ」を警戒せねばならぬかもしれない。
そう言われれば、『サラバ、愛しき悲しみたちよ』という曲名自体も意味深ですね。
実は、地球は「監獄惑星」であり、この惑星では物欲・虚栄心がいかに空しく悲しいものかを教えるのが目的であり、そこで修行する為に我々は生まれてきたという意見がある。オコツト的に言うならば太陽系のいくつかある次元のうちの「地球次元」のことです。この次元では支配欲・物欲・虚栄心を過剰に追い求めさせ、それが虚しいものと分からせる為に反面教師的な事象を次々と襲いかからせて自覚させるというプログラムになっているのです。
よって、人生で襲ってくる悲しみも、本当のところは愛おしい教育的要素だったとなる。しかし、そんな悲しみを与えてくれる監獄惑星「地球」から近いうちにサラバと去ることになるよということを知らせるのが、この曲の霊的意図なのかもしれません。その際には、悲しみも愛おしさに変わるかもしれませんね。
これがこの監獄惑星でイルミナティやメーソンが操る影の世界権力が悪魔の部分(イシヤ)としての表出であり、逆に、これを自覚し霊的発展を促すという救済的な天使の部分(メシア)でもあるのです。実際、影の世界権力を操っているのは肉体を持たない霊的存在だと言われていますが、それはルシファーともニビル星人だとも言われており、このニビル星人はルシファーのように悪魔なのか天使なのかよく分からない存在なのです。
この地球環境で悟れないと再び監獄惑星「地球」に生まれ変わり、逆に悟れた場合は別の高等惑星で生まれ変わって監獄惑星「地球」を卒業となる。これが、今、見て感じるこの世の中の仕組み。まぁ、これがディセンションとアセンションのことですが、カバラでいう自我の五段階の発達段階(生存欲→金銭欲→名誉欲→知識欲→霊欲→霊的飛翔)と言っていることが同じなのです。そして、今、地球環境が激変しており、ニビル来訪も噂されていることから、その審判の時が近づいたのではないでしょうか?!
ももクロの曲途中では、悪魔の格好から天使の格好へとグレンと変わっていますが、これは上記のことを暗喩していると思われます。映像中の「木」も知恵の木と生命の木を暗喩していそうです。これでももクロがアヌンナキのような長い頭をしている霊的な意味が解けました。
アヌンナキはシュメールやアッカド神話に登場する地球に降り立った「神々の集団」のことですが、エノク書でいう「グレゴリ」と同じものでしょうか。同様なバビロニア神話によれば、兄妹神アヌとキの子がアヌンナキです。
※註 アヌとキの兄妹は、アンシャール(天の軸)とキシャール(地の軸)の子であり、上三角の▽と下三角の△を暗喩している。これはフリーメーソンの定規とコンパスで暗喩されている。
これは中国の「伏羲と女禍」を指していると思われる。上に挙げた手に定規とコンパスを持つ伏羲と女禍は、「蚩尤民族」と呼ばれる中国少数民族「苗族(ミャオ族)」が信奉した神でもある。

(伏羲と女禍)
三皇五帝の「三皇」とは、天皇・地皇・人皇のことで伏羲・女媧・神農を指すのが一般的。また、伏羲と女禍は牛の角を表しており、この2つで蚩尤(しゆう)を構成するのです。このことから「蚩尤=神農」というのが分かります。

(蚩尤)
医薬と農業を司る神である「神農」はの脳と四肢を除き全てが透明で、内臓が外からはっきりと見えたと言う異次元世界の存在。頭に角のようなものがあり、やはり牛神である蚩尤を彷彿とさせるのです。まぁ、実際、蚩尤は炎帝神農氏の子孫とされているので、当然の帰結ですが、、、(ふふふふ)

(神農)
この神農は古代から日本に伝えられており、東京の湯島聖堂内の神農廟に祀られていますが、毎年11月23日に「神農祭」が行われる。また、同様に神農が祀られる薬祖神社(大阪堺)は毎年11月23日、少彦名神社(大阪中央)は毎年11月22日・23日が「神農祭」が行われるのです。
「アヌンナキ=アヌとキの子=伏羲・女媧の子=神農=蚩尤」という図式が成り立ちますが、ここから蚩尤民族とはニビル星人直系末裔のアヌンナキということになります。また「神農祭」が11月23日前後に行われる点は、先のニビル接近日の11/21と近く非常に興味深い。
「神農祭」では張子の虎を飾りますが、この虎の由来は、中国の神話では「不老不死」の象徴である桃の木の枝の裂けたところから鬼が出入りするので、神が2人の門番を付け、出てくる鬼を捕らまえて虎に与えたという逸話があり、鬼(病気とされていた)よりも強い虎である故に医薬の神を祭る「神農祭」では張子の虎を掲げ、少彦名神社では虎の像が安置されているのです。のこ鬼の出入りするところから「鬼門」という言葉が出来た。

では、牛神である「蚩尤」とその子孫である虎が暗喩する「神農」はどのような関係にあるのでしょうか? 鬼門は十二支の牛・寅の方角であり、桃太郎に登場する鬼は牛のような角を持ち寅のパンツをはいていますが、まさに牛と虎のコンビネーションであり、これが艮の金神を暗喩しているのです。
神農は漢代に炎帝と一体視された。また炎帝は少典氏が娶った有蟜氏の子で姜水で生まれた炎帝が「姜」姓、姫水で生まれた黄帝が「姫」姓を名乗ったのですが、これは部族の発祥を意味している。つまり「姜」族と「姫」族は共に神農氏の末裔であり、そのうち姜族の部族首領を代々「炎帝」と呼んでいたのです。これが姜族(チャン族)の発祥ですが、そして最後の炎帝は黄帝と連合して華夏族(カカ族)を形成し夏王朝を興したのだといわれる。
※註1 イスラエルの「失われた十支族」のうちの1つマナセ族の末裔に比定される姜族はチベット系騎馬民族とされていますが、元々は西安近辺の出自で文献に「西戎」と書かれていた部族。この戎(ジュウ)は秦とも関連があると言われ、ユダヤを表す「ジュウ」の音訳ではないかとも言われる。また苗族も元々は山東省あたりの出自で羌族と共に南方に移動した民族なのです。ここに姜族と苗族の密な関係が窺われまますが、何らかの血縁的関係があるのでしょうか。語り部は邪馬台国を作った倭人(弥生人)が苗族だと言っていますが、奈良では兵主神を祀っていたので「蚩尤を崇める民族=蚩尤民族」であることは間違いなさそうだ。それ故、徐福の後を追って東海三神山近くの奈良まで来たのだろう。実際に「羌の源流は三苗で姜氏の別種」と記されている。
※註2 華夏族は東夷人、北狄人を吸収(混血)して、今の漢族になった。異民族でも漢族の文化伝統を受け入れれば漢族とみなされるのですが、昨今の中国若者の日本のサブカル文化の浸酔ぶりからは、彼らは日本民族になったとも言えるw
この神農を携えて日本列島に来たのが徐福です。
鳳来寺山の薬師堂には「薬師如来、神農、大国主」の3体の木像が保管されているといわれていますが、この神農家像は徐福が持ち込んだものではないかといれれる。徐福は神農の子孫なので当然といえば当然ですが、徐福末裔はマナセ族である姜族末裔でもあったのです。
※註 この薬師如来に参って子宝祈願したのが徳川家康の母・於大の方ですが、その霊験によって家康は寅年・寅日・寅刻に生まれたという。ここで布袋寅泰の「寅」とつながってくるし、「泰」という字は徐福を表す「秦」氏を彷彿とさせる。また「布袋」は七福神の一人で大きな袋を背負った太鼓腹の老人の姿で描かれますが、実は弥勒(マイトレーヤ)の化身でもあるのです。
神農・炎帝末裔である徐福末裔が定住した地が東三川ですが、この地を穂の国(→火の国→炎の国)と呼ぶのも何かの因縁でしょうか!? また、「炎」はフェニックス(バアル神の再誕)を暗喩していて非常に興味深い。
また、伏羲と女禍が手に持つ定規とコンパスは、彼らの生みの親であるアンシャール(天の軸)とキシャール(地の軸)を表しており、これが上三角の△と下三角の▽で暗喩されている。そして、そのゼロポイント状態である不二不二の状態が蚩尤を表し、まさに豊橋市章となるのです。
徐福が蚩尤を銅鐸神として東三川で祀った霊的な残滓が、こうして近代にまで影響を与えている事実は驚きです。

(豊橋市章)
伏羲と女媧の父がかつて自身が閉じ込め、自分の子供たちによって解放された雷公と戦ったが、雷公が洪水を起こして攻めたために二人を残して人類が滅亡してしまう。この雷公とは黄泉国に閉じ込められた黒いイナズマ(ブラックサンダー)のことであり、風と雷の神・エンリル。そして伏羲と女媧の父がエンキ(→アヌとキに分けた?)であるのは言うまでもない。
※註 エンリルは清らかな乙女ニンリル女神をヌンビルドゥ運河の堤で強姦し、その罪のゆえに最高位の神であるにもかかわらず他の神々によって罰せられ、冥界へ追放されることとなったという。これは対立していたエンキ派の陰謀でしょう。
そして、夏王朝が滅亡したのが安徽(アンキ)省の「南巣」で、この言葉、アヌとキ(エンキ)と関連がありそうですね。
※註 夏王朝の開祖・禹王が生まれたのが「嵩山」
う~む、ここまでシンクロがあると、神農祭の日にはニビル星人の「トラトラトラ」があるかもしれんだすな(爆)。
<転載終了>
2012年問題はともかくとして、ももクロや蚩尤の分析はすごく面白いです!
面白いだけじゃなくむちゃくちゃためになってます。