キリスト教読み物サイトさんより
http://www2.biglobe.ne.jp/~remnant/ando.htm
<転載開始>
巨富をつくり、それを人々のために生かした大富豪

 アンドリュー・カーネギー(一八三五~一九一六年)は、一時は米国における鉄鋼生産をほぼ独占し、アメリカ最大の富豪の一人となった人物である。
 しかし彼は、いわゆる「自分のために地上に宝を積む」(マタ六・一九)富豪ではなかった。自分の築いた富を、つねに社会に効果的に再分配することを考えた人物なのである。
 彼のその「富の哲学」は、今日も多くの人々に影響を与えている。彼が無一文の生活からどのようにして富を築き、また、それをどのように社会に還元していったかを、見てみよう。


「貧困を追い出してやる」

 アンドリュー・カーネギーは、もとはスコットランドからやって来た、貧しい移民の子であった。
 カーネギーは、正規の学校教育を一〇歳までしか受けていない。そのころ父が失業し、家庭が貧困の中に落ちこんで、学校へ行けなくなったのである。
 しかしカーネギーは、その貧困の中でも、決してくじけなかった。「もしできるなら、いつか貧困という狼を、家の中から追い出してやる」と彼は決意した。
 カーネギーが一二歳のとき、カーネギー一家は仕事を求めて、アメリカに移住した。カーネギー少年も、アメリカの紡績(ぼうせき)工場に、糸巻工の見習いとして就職した。
 そこで彼は、はじめて自分の労働で得た賃金を得た。一ドル二〇セントの週給を初めて手にしたとき、
 「私がどれほど自分を誇らしく思ったかは、どのようにしても言い表すことができないだろう」
 と彼は語っている。
 しかし、紡績工場で働きながら彼が最初に考えたことは、賃金を得ること以上に、「勉強の時間を得る」ことだった。毎日、厳しい労働時間のあと、彼は日曜日をもつぶして、簿記(ぼき)の勉強に没頭した。
 やがて、彼は紡績工場の事務員に抜擢された。しかし、そこで実際の企業経営の数字を見、簿記の知識をもって彼が気づいたことは、当時の花形産業であった繊維工業が、すでに時代遅れの業種になりつつあることだった。
 カーネギーはその後、一八歳になるまでに四度、転職を行なっている。
 四度目の就職先は、ペンシルヴァニア鉄道であった。最初の月給は三五ドル。これはアメリカの市民としては、一人前以上の収入だった。
 ペンシルヴァニア鉄道に就職して、しばらくたってのこと、日頃カーネギーを可愛がってくれていた上司スコット氏が、突然、
 「君はいま、五〇〇ドルの資金を調達できるか?」
 と尋ねてきた。
 「じつはアダムス通運会社という株式会社があるんだが、そこの一〇株の株式を持っている人が死んで、遺族に株式の処分を頼まれている。一株は額面五〇ドル、一〇株で五〇〇ドルになる。
 もし、その株を買うつもりはあっても資金が足りないということなら、不足分は私が立て替えよう。今のところ、毎月一%の配当をしていて、経営状態も健全な会社だ」
 という話だった。この話はカーネギーにとって、大きなチャンスだった。
 しかしカーネギーの家には、五〇〇ドルというような大金がないことは、わかっていた。けれどもカーネギーは、ためらわずに、
 「五〇〇ドルなら、何とかなります。ただし、少し時間を下さい」
 と言って、帰って両親に相談した。すると母は、
 「この家を抵当に入れて、五〇〇ドルはオハイオの叔父さんから借りましょう。私が明日にでも頼みに行きましょう」
 と言ってくれたのである。その家はもともとローンで買ったもので、親子三人の働きで少しずつ返済し、やっと自分のものになったばかりだった。
 株券は、こうしてカーネギーのものになった。やがてその配当として、五ドルの小切手が会社から送られてきた。友人の一人は、その小切手を見てこう言った。
 「アンディ(アンドリューの愛称)、素晴らしいぞ。君は資本家になったんだ!」


寝台車会社への投資が成功

 ペンシルヴァニア鉄道に就職して六年後、カーネギーは、ピッツバーグ線区の責任者になっていた。
 ある日、発明家のウードルフ氏が、自分の考案した寝台車の模型を持ってきた。それまでは、寝台車というものはなかったのである。
 寝台車を見たとき、カーネギーは、これからは長距離列車の黄金時代となるだろう、と予感した。カーネギーは、寝台車のための会社に投資した。
 このとき彼は、はじめて事業のために、銀行に融資を頼みに行っている。
 この投資は大成功であった。のちにカーネギーが所有するようになった巨大な資産の最初の種子が、このウードルフ寝台車会社に投資したことによって、獲得されたのである。
 この投資で得た資金をもとに、彼は幾年か後、自分で鉄橋の製造会社を設立した。
 じつは当時の鉄道の橋の多くは、木製だった。しかし彼は、近い将来、必ず鋼鉄製の橋の時代が来ると予想したのである。
 鉄橋の製造会社も、大成功であった。そのため彼は三〇歳を契機に、それまで一三年間勤務したペンシルヴァニア鉄道を辞職。完全に独立した。
 今で言う脱サラである。彼はもはや、サラリーマンではなかった。自分の自由な夢を追いかける事業家となったのである。
 以後の彼の事業はすべて、この鉄橋の製造会社が基本となって起こされた。
 このように、全米で有数の富豪となったカーネギー少年の財テクは、決して奇抜なものではなかった。また、特殊な幸運に恵まれたわけでもない。
 彼は働きながら貯蓄をし、それを頭金にして自分の家を買った。家の支払いが終わると、今度はその家を担保に入れ、堅実な株式投資を始めた。もちろんその背後には、賢明な両親の協力があったのだが。
 彼は働きながら、つねに勉強を怠らなかった。時代の流れを読み取る鋭敏な知力を養い、先見性ある決断を下していった。
 そして会社設立前から顧客を確保するという慎重さも、忘れなかった。そうやって彼は、並々ならぬ努力のすえ、自分の投資を着実に成功させていったのである。
 彼はやがて鉄鋼業において、全米一の事業を展開するようになった。鉄鋼という製造業にたずさわった背景には、それが社会の繁栄と人々の幸福を増す一助となる、という信念があったからである。
 彼は単に、「いかにして富を得るか」を考えたわけではなかった。彼はこの頃からすでに、「いかにして富を生かすか」をも考えていた。
 彼は、明確な「富の哲学」を持っていた。その考えは、彼の書いた書物などに見ることができる。以下に、「富」について彼が書いた文章を引用してみよう。


富豪の幸福は、社会に利益を与えることにある

 「富豪でなければ味わえない満足と、幸福というものがある。
 その幸福とは、自分が生きている間に、公益を目的とする財団法人を組織し、そこに基本財産を寄贈することである。そしてそれが生み出す利益が、社会を潤し続ける状況を、自分の目で確認することである。
 そのような行為が、富豪の生涯を高尚なものにし、神聖なものにすることができる。主イエス・キリストは、
 「あなたがたで、あの人たちに何か食べるものをあげなさい」(マタ一四・一六)
 と教えられた。その心さえ忘れなければ、富める者が、その富と能力を使って貧しい兄弟たちのために働く方法は、いくらでもある」。
 「私が、富豪と呼ばれる人たちの義務だと考えることは、次のようなものである。
 まず、自分にどれだけの収入があったとしても、ぜいたくを避け、つねに質素に暮らすことである。
 自分の資産のうち、妻子には、生活が成り立つ程度の小額の資産を与える。それを越える資産は、社会から運用を自分に託された財産と考えなければならない。自分はたまたま、財産の管理者に選ばれたのである。
 財産の運用はつねに、どうしたら財産の信託主である社会の利益になるかを熟慮した上で、行われなければならない。それは信託財産の管理者として、当然の義務である」。
 ――カーネギーはこのように、富は社会から自分に託された信託財産であって、社会や人々のために用いなければならないという堅い信念を持っていた。


寄付は、自助努力のある人々に対して行なえ

 彼は、慈善行為については、次のように述べている。
 「富の運用方法については、相続や遺贈によらず、自己の責任で、生存中に行なうのが最も望ましい。
 富を役立つものとするために、私たちは賢明な用い方をしなければならない。求められるまま寄付に応じたりして、その結果を考えなかったり、寄付を受ける人たちがどのような人たちであるかを考えずに、無用とも言える慈善行為に熱中してはいけない。・・・・
 今日、アメリカで慈善のために使われている一〇〇〇ドルのうち、九九〇ドルは誤った使い方をされていると思う。・・・・多くの人々は、慈善とはただ金を与えることだ、としか思っていない。
 しかし人が慈善を行ない、何かを与えようとするときに、まず考えなければならないことは、私たちが助けるべき相手は自分自身で努力している人に限る、ということである。
 みずから向上しようと努力する人に、その手段の一部を与えて助けることが真の慈善である。決して、手を上げてただ施しを待っている人を助けることではない」。
 「私がかつて愛読したプルタルコスの『道徳談』に、次のような一節がある。
 『一人の乞食(こじき)が、通行人の袖を引いて、喜捨(きしゃ)を乞うた。それに対して通行人は答えた。
 「一番最初に、金銭をお前に与えた人がいたために、それがお前を怠惰(たいだ)にしてしまった。そして現在のように卑しく、恥ずべき生活を送らせるようになった。
 もし今、私がいくらかの金銭をお前に与えたりすれば、お前はこれより後、もっとみじめな乞食になるだろう」』。
 私には、アメリカの富豪と呼ばれる人たちの中に多くの友人がおり、彼らの多くは慈善事業に熱心である。しかし彼らのしていることが、プルタルコスの教えるように『みじめな乞食』を作るだけの結果になっていることを知る人は、ほとんどいない。・・・・」
 ・・このへんになると、カーネギーの考えは極論だと思う人も、中にはいるかもしれない。彼は金銭的に助力を与えるべき人は、自助(じじょ)努力のある人たちに限るべきで、決して怠惰な人々――お金をもらうとすぐ酒や道楽に使ってしまうような人々には、与えてはならないと説いた。
 これはおそらく、彼が実業家だったからかもしれない。彼は教育家でも伝道者でもなかった。伝道者なら、たとえ自助努力のない怠惰な人々に対しても、物質的援助と共に、キリストの福音によってその人を生まれ変わらせ、自助努力に目覚めさせて更生させたいと願う人もいるだろう。
 しかしカーネギーは、この場合きびしいようだが、実業家として、社会への一般的考えを示したのである。彼はさらにこう述べている。
 「富豪の援助が社会にもっとも役立つ分野は、たとえば奨学金制度のように、人々が高い所に登るための足場となる分野である。そしてその足場の利用を認める相手は、向上心を持つ人々に限るべきである。
 また無料で利用できる公共施設、たとえば図書館、公会堂、公園、美術館などを提供するのは、富豪の責任である」。


富を持って死ぬのは不名誉である

 また、彼がしばしば口にした富の哲学の一つは、
 「富を持って死ぬことは不名誉である」
 ということであった。彼は言った。
 「自分の生存中に、自分の富を人々のために役立てられなかった富豪がいる。また富は天国へ、あるいは地獄へ自分と一緒に持っていけないという理由で、自分の死後やむなく人に遺贈したという富豪もいる。
 しかし彼らに対し、一人の泣く人も、弔(とむら)う人も、敬う人もいない、という時がやって来るだろう。いずれ人々は、そのような富豪の死に際して、つぎのような弔辞(ちょうじ)を贈るようになるだろう。
 『富を持って死ぬのは、じつに不名誉である』」。
 またこう述べた。
 「『富める者が天国の門をくぐるより、らくだが針の穴を通るほうがやさしい』(マタ一九・二四)
 と言われたキリストの言葉と、私がしばしば語る、
 『富を持ったまま死ぬことは恥である』
 は、その説こうとすることはほとんど同じであり、そこにはわずかな差があるだけである。
 私が説く富の福音は、キリストの言葉を、現代のアメリカに合わせて説いているのである。それを要約すれば、次のようになるだろう。
 『富める者は、母なる大地の中に眠る前に、自分の持っているものをすべて売り、その富を、貧しい人々のために役立つ最も有益な事業に使用すべきである。
 そうすれば、無用の富の蓄積者として一生を終えることはない。このようにして最期を迎えた人の死は、金銭的には貧しい人と変わりがなくなっても、社会から受ける尊敬、愛情、感謝、称賛は限りないだろう。
 その人は、富を抱いたまま死んだ人に比べて、何十倍もの心の富者となることができるのである。
 また、自分がたまたまアメリカに生まれて富を得る機会に恵まれた結果、死んでなお、世界の一小部分といえども善美なものに変えることができるなら、天国の存在を信じる人は、大いに意を強くしてよい。
 このような富者に対して、天国の門は、決して閉ざされてはいない。それはつねに開かれている。
 富をいたずらに蓄積し、その正当な使い道を知らず、自分の欲望を満足させるためだけに使った人々は天国に入ることができない、とは信じるに足る事実である。
 しかし同時に、富を人々のために役立てて生きた人々が、天国の喜びを分かつことができる、ということもまた、疑い得ないことなのである」。


六七歳で実業界を引退し、社会事業に進出

 カーネギーは、このように明確な富の哲学を持っていた。そして彼は、この富の哲学をもって富の創出に成功し、それを蓄積し、豊かに用いたのである。
 彼は、社会の活力を失うような、的外れの慈善は嫌った。しかし一方では、不幸な貧しい人々のことを、つねに心にかけていた。
 カーネギーが製鉄業に参入してまもなくのこと、取引先の炭鉱で、爆発事故が起きたことがあった。その事故の際、ある監督が、炭鉱内に閉じ込められている同僚を救うために、率先して坑内に入り、自分もまた事故の犠牲になった。
 後日カーネギーは、新聞の報道でこの勇敢な監督の行為を知った。このとき彼は、監督の勇気を讃え、自分から申し出て遺族に年金を贈っている。
 またこのあとカーネギーは、自分が経営するすべての工場で働く人々を対象に、現在の「労働者災害保険」(労災)に相当するものを設置した。
 事故で働けなくなった労働者や、死亡した労働者の遺族に、年金を贈るようにしたのである。この制度は、「労働者は使い捨て」としか考えない資本家の多かった当時において、画期的なものであった。
 カーネギー・スチールに働く労働者は、労働災害について心配せずに、働くことができるようになった。カーネギーは、こうした配慮は、経営者の当然の義務と考えていた。
 カーネギーはまた、カリフォルニア州に、有名なパロマ天文台を建設した。そのすぐ近くにあるウィルソン天文台も、カーネギーと、ロックフェラー財団との力によって完成したものである。
 このウィルソン・パロマ天文台は、現在でも世界最大の二〇〇インチ反射望遠鏡を持つ天文台として、世界的に有名である。
 また、船の金属部分をすべて銅製にした観測船の製作のためにも、援助をした。この高価な船は、羅針盤(らしんばん)を用いて海岸線を測量するために、用いられた。
 普通は鉄を使うところをすべて銅で製作したため、羅針盤が鉄の持つわずかな磁気に影響されることなく、非常に精密な観測が可能となったのである。
 カーネギーはまた、一定の基準を設け、それに該当する教会に対しては、教派を問わず、申し込みがあれば寄付に応じていた。
 彼はアメリカやヨーロッパなどの教会に、数万台におよぶオルガンを寄贈しているが、寄贈の際には、必ずオルガン工場からの請求書をつけることを条件とした。これは寄付がオルガンのために使用されることを保証するためである。
 またオルガンにカーネギーの名を刻むことを禁止し、売名行為とされることを、強く戒めている。
 カーネギーは、六七歳になった一九〇一年に、実業界を引退した。
 このとき、彼が創業したカーネギー・スチールは、アメリカの鉄鋼生産高の五〇%を占めるまでになっていた。彼はこのカーネギー・スチールを、約五億ポンド(当時の交換レートで約二〇億ドル)で、モルガン財閥(ざいばつ)に売り渡した。
 しかし、カーネギーがモルガン財閥から受け取ったのは、現金ではなく、大半が年五分利つきの社債だった。
 モルガンにその現金を調達する力がなかったというわけではない。しかし仮に現金で支払いを求めたら、モルガンは買収したカーネギースチールをいくつかに分割して、一部を切り売りする必要があっただろう。
 カーネギーは、それを避けたかったのである。彼は企業の倒産をかえりみず、すべてを現金にかえるというような無謀なことは、したくなかった。
 カーネギーは、受け取った社債をそっくり、社会事業の基金として寄付した。そして社債の生み出す金利を、社会事業の恒常的な支出に当てさせたのである。こうして彼は、寄付を贈られる側にも、自立を促すよう配慮した。
 彼の寄付によって、ニューヨークのカーネギー・ホール(もとはカーネギーの名を冠してはいなかったが、のちに俗称が一般化した)、カーネギー工科大学、カーネギー財団、カーネギー協会などが設立された。


富に生きず富を生かした人

 こうして実業界から引退したカーネギーは、社会事業に乗り出し、社会と人々のために努力した。
 彼は、単なる富の蓄積者ではなかった。富を蓄積する過程で、すでに、それをどうしたら生かせるかを、真剣に考えていたのである。
 世の中には、自分の欲得のためだけに富を得る富豪が多い。とくに日本ではそうかもしれない。
 しかしアンドリュー・カーネギーは、富を人々のために役立たせることを、真剣に追求した。富に生きず、富を生かしたのである。
 世の中には、富に生き「富に仕えている」(マタ六・二四)富豪が、なんと多いことだろうか。彼らの主人は、富である。
 しかしカーネギーにおいては、カーネギー自身が富の主人であった。彼は、自分が富に支配されるのを拒み、つねに富の支配者、また活用者であろうと努力した。
 五タラントを元手に、もう五タラント儲け、計一〇タラントの資産をつくった人を、キリストはお褒(ほ)めになった(マタ二五・一四~二一)。キリストはカーネギーのような富豪を、きっとお褒めになることだろう。
 彼のような富豪が、世界にまた日本に、もっと現れれば、世界はどんなに住みやすくなることだろう。


富に関する聖書の約束

 ここで、富に関する聖書の約束を見ておくことは、有益に違いない。聖書には富に関して、次の三つの約束がある。

(1) 主の御教えに従って歩むなら、あなたには富を築く力が与えられる。

 聖書はこう記している。
 「あなたの神、主を心に据(す)えなさい。主があなたに富を築き上げる力を与えられるのは、あなたの先祖たちに誓った契約を今日の通りに果たされるためである」(申命八・一八)
 これは、もともとイスラエル民族に与えられた約束だが、同時に"霊のイスラエル"であるクリスチャンたちに対する約束でもある。
 私たちが天地の造り主なる神を、しっかり心に据え、その御教えを尊びながら歩むなら、神は私たちに「富を築き上げる力を与えられる」と約束された。
 これは、神が人との間に結ばれた「契約」である。その契約内容は、もし人間が神の御教えに従って歩むなら、神はその人を祝福し、物質的にも精神的にも繁栄させる、というものである。
 神は真実なかたであって、この契約を破られることは、決してない。あなたが主の御教えを心にたくわえ、主に従って歩むなら、あなたには「富を築き上げる力が与えられる」。
 ところが、多くの人々はこの「富を築き上げる力」を与えられながら、それを充分に用いてはいない。これは残念なことだ。
 そうした人々は、多くの場合、「富を持つことは悪いことだ」と誤解している。富を罪悪視しているのである。
 しかし、富自体が悪いのではない。あなたが、もし「富におる道」(ピリ四・一二)さえしっかり心得ておれば、富はあなたに対する神の祝福なのである。


(2) 富の中で主を忘れるなら、あなたは必ず滅びる。

 富に関する聖書の第二の約束は、次のものである。
 「あなたは心のうちで、『この私の力、私の手の力が、この富を築き上げたのだ』と言わないように気をつけなさい。・・・・
 あなたが万一、あなたの神、主を忘れ、ほかの神々に従い、これらに仕え、これらを拝むようなことがあれば、きょう、私はあなたがたに警告する。
 あなたがたは必ず滅びる。・・・・あなたがたが、あなたがたの神、主の御声に聞き従わないからである」(申命八・一七~二〇)
 つまり富の中で、主を忘れることがあれば、その人は必ず滅びる。富を得たとき、もし、
 「これは私の力が築き上げたものだ」
 と言うようになれば、その人は自分を滅びに定めているのである。
 天から与えられることなしに、だれも、何も得ることはできない。すべては神からの恵みなのである。
 あなたが幸いにも富むことがあれば、あなたはそれを主から与えられたもの、また主から託されたもの、と考えなければならない。私たちは、神に栄光を帰すことを忘れてはならない。
 さらに、もう一つ注意しなければならないことがある。あなたは富を得たとき、くれぐれも「富に仕え」(マタ六・二四)ないよう気をつけなければならない。
 もしあなたが、自分の快楽のために富を浪費し、ぜいたくのために使い、貧しい人々をかえりみないことがあれば、すでにあなたは"富の奴隷"になっている。あなたは富の奴隷であり、富があなたの主人なのである。
 くれぐれも、富に仕えたり、富のための人生を送ってはいけない。富をあなたの偶像としたり、あなたの神としてはいけない。
 もしそのようなことがあれば、あなたは必ず滅びる。そのような人が天国に入るよりは、らくだが針の穴を通るほうが、ずっとやさしいのである。


(3) 富を神と隣人のために用いるなら、あなたは後の世まで豊かに祝福される。

 富に関する聖書のもう一つの約束は、次のものである。
 「与えなさい。そうすれば与えられます」(ルカ六・三八)
 もしあなたに富が与えられたなら、あなたはその富の運用を「託(たく)された」のだ、と考えなければならない。
 あなたは、たまたまその富の管財人、または富の運用をまかされた者となったのである。あなたはその富を、神の御用(ごよう)と、隣人への奉仕に役立てなければならない。
 あなたは、富に生きることなく、富を生かさなければならない。富に仕えることなく、富を支配しなければならない。それには、神の豊かな祝福という報いが用意されている。
 「与えなさい。そうすれば与えられます」
 という約束は本当である。神は、富を役立てる者に対して、豊かに報いてくださる。この世で、また来たるべき世で、神はあなたを豊かに祝福し、あなたの名を尊ばれる。
 富を、神の御用である伝道と、隣人への慈善に有効に用いた人々は、来たるべき最後の審判の時、主イエスから次のようなお褒めの言葉をいただくであろう。
 「さあ、私の父に祝福された人たち。世の初めから、あなたがたのために備えられた御国を継ぎなさい。
 あなたがたは、私が空腹であったとき私に食べる物を与え、私が渇いていたとき私に飲ませ、私が旅人であったとき私に宿を貸し、私が裸のとき私に着る物を与え、私が病気をしたとき私を見舞い、私が牢にいたとき私をたずねてくれたからです。・・・・
 あなたが、これらの私の兄弟たち(不幸な状況にある人々をさす)、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです」(マタ二五・三四~四〇)
こうして富を活用した人々は、神からの豊かなご褒美を受けるのである。

                                                                                               久保有政著  



<転載終了>