大摩邇(おおまに)

日常の気になる内容を転載させていただきます。 ひふみ、よいむなや、こともちろらね、しきる、ゆゐつわぬ、そをたはくめか、うおえ、にさりへて、のますあせゑほれけ。一二三祝詞(ひふみのりと) カタカムナウタヒ 第5首 ヒフミヨイ マワリテメクル ムナヤコト アウノスヘシレ カタチサキ 第6首 ソラニモロケセ ユエヌオヲ ハエツヰネホン カタカムナ (3回) 第7首 マカタマノ アマノミナカヌシ タカミムスヒ カムミムスヒ ミスマルノタマ (3回)

悔悟の涙 - 霊界物語第25巻9章「信仰の実」より

てんさんのサイトより
http://blog.livedoor.jp/oni567/archives/19471222.html
<転載開始>
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皆さん、お久しぶりです。

今回もまた長いインターバルとなってしまいましたが、その間、世の中はますます騒がしく、かつ難しくなっているようですね。

以前、私が直観的に8月の内閣不信任案騒動が通るのではないかと期待してから、なかなか動きが無いですが、もしかすると年内にも解散?という話がまた持ち上がって来たようです。

この不況の中、消費税増税に舵を切り国民への約束、マニフェストを悉く破り続けて居る政府与党に見切りをつけ、飛び出した小沢一郎氏と「国民の生活が第一」、そして田中康夫氏の「新党日本」位でしょうか、消費税、TPP、原発に明確に反対しているのは。その「生活」党の政治パーディーが開かれ、4200人という記録的な参加者数だったとネットメディアを中心に報道されていました。

しかしがら、マスメディアの殆ど全ては石原新太郎東京都知事の辞任と国政進出、新党結成一色の報道でした。尖閣諸島を東京都が購入するというスピーチが行われたのは氏の米国訪問時に招かれた、産軍複合体と密接な関係のある「ヘリテージ財団」主催の会場だったと言いますから穏やかではないですね。

その尖閣諸島はそれを機に益々緊張が高まり、日中国交回復時に「棚上げ」と合意した、大人の知恵、外交の知恵が悉く無に帰されようとしているようです。以前から国際政治評論家の田中宇氏が喝破していた通り、日中間を険悪化させて日本企業の中国内のシェアが落ち込む中、欧米メーカーが漁夫の利を得ているようにも見えます。

福島の汚染にさらされている子供達の状況はますます深刻になっているようです。小学校、中学校の女子の約5割に甲状腺の異常が検出されました。そして被害を過小評価していると一部で批判されている福島県放射線健康リスク管理アドバイザー・山下俊一長崎県大学教授でさえ、甲状腺異常が見つかった子供の2~3割は癌になる可能性があると言っていました。

この情報を見る度に、事故直後からヨウ素剤の配布や福島の子どもの避難をブログやツイッターで主張して来た私としては本当に涙が止まらない心境です。また、放射能汚染食品の流通や放射能汚染瓦礫の拡散焼却の話をこちらの友人にする度に「日本の国民はどうかしてしまったのですか?」と不審や驚きの目で見られます。
そのうような出来事が続き、本業も多忙になる中、私のような無力な普通の人間は本当に何をすることもできないのかと現状に義憤にも似た感情を抱き続きけ精神的にも追い込まれて来ていました。

そんな時に、霊界物語の第25巻9章を拝読したことで「全ては神さまにお任せし、人としては『刹那心』で行動するしかない」と言う私自身がブログやツイッターで書かせて頂いていた事を再認識し精神的にも落ち着く事ができました。

王仁三郎も基本宣伝歌の「誠の力は世を救う」とは人間の誠実さのことではなく、神の力のことであると教えています。(『新月のかけ』に記載されています。)今は神さまに全てお任せし、今の状況の中で「最善」と信じることを続ける事が大事なのだと思います。

そこで、今日はその霊界物語の一節をご紹介したいと思います。

【解説】
この場面ではモンキーという名の登場人物が清公(きよこう)、他4人と共に不思議な島で目覚めます。その後五人は金銀の蛇の上に居たことに気付きます。その後、清公の体内に黄金の蛇が口から這入り込んだり他の3人は金銀の蜈蚣の島まで飛ばされたりと一騒動が巻き起こります...

でも、モンキーだけには何故か金銀の蛇も蜈蚣もよりつきません。最初は、自分は行いが良いから助かったのだ、位にしか考えていなかったモンキーも、少しずつ不安になって行きます...

では、以下本文をお楽しみ下さい。

-霊界物語 第25巻9章 『信仰の実』より抜粋

『モシモシ清公大明神、お前は金竜の化神となつてしまひ、三人の奴まで皆金銀の蜈蚣の衣服を着て、平和の女神だとか何とか威張つて居るが、このモンキー一人はどうして下さるのだ。始めの間は蛇や蜈蚣を見てゾツとし、罪の重い奴がこんな所へ来たものだから、蛇や蜈蚣に責められて苦しむのだと思ひ、アーア俺だけはヤツパリ盗んで来た船を返しに往つた正直者の発頭人だから、蛇も蜈蚣も如何ともする事が出来ないのだと、稍得意気分になつてゐた。

がしかしながら、誰も彼も金銀の体になり、余り苦痛さうにもないのを見ると、何とはなしに、自分も羨(けな)りくなり(ブログ註:うらやましくなり)当然(あたりまへ)の肉体がかへつて罪の塊のやうな感じが致しますワ。一体何方が善ですか。万一四人の者、神の冥罰に触れてこんな態になつたのならば、我々は友人
のために充分の謝罪を神界へ致さねばならず、また四人が神徳を蒙りて出世をしたのならば、我々も同じく出世をするやうに願つて頂かねばなりませぬ。善悪不二と云ふ事は予て聞いて居りました。

しかしながら神が表に現
はれて、善と悪とを立分けると云ふ以上は、今立て分けられた五人は、どちらが善か悪か、どうぞ聞かして下さいませ』と一生懸命に手を合せ、清公の前に平伏して頼み入る。清公は口をへの字に結び、目ばかりギロギロさせながら一言も答へず時々二つの鼻の穴から、フウフウと荒い息を吹き出すのみである。モンキーのかたはら二尺ばかりの四方は、何故(なにゆえ)か、金銀の蛇近寄り来らず。かうなるとモンキーも神に嫌はれて居るの、好かれて居るのか、少しも合点がゆかぬ。

已むを得ず稍自棄気味(やけぎみ)になつて、島中を歩行き始めた。蛇は先を争うて、モンキーに踏まれまじと慌ただしく路を開くその怪しさ。一時ばかり島を彼方此方と金銀の蛇
を驚かせながら、或る美はしき金色燦爛たる苔の生えた岩の側(かたはら)に辿りつき、恰好の休息所と岩上に身を横たへ、頬杖を突き、思案に暮れて独言を言つてゐる。
モンキー『あゝサツパリ善悪不可解だ、鬼も大蛇も悪魔も、すべて自分である。自分を離れて極楽もなければ地獄もなし、また神もなければ鬼もない…………と酒(くし)の滝壺の大蛇(をろち)に向つて清公が宣伝歌を歌つた時、大蛇はたちまち小さくなつて消えてしまつた。さうすれば尚々合点のゆかぬはこの島へ来てからの出来事だ。清公始めその他の連中は残らず、金銀の蛇や蜈蚣に全身を取巻かれ、神に救はれたのか、棄てられたのか、チツとも訳が分らなくなつてしまつた。

さうして我々の身辺には蛇も蜈蚣も近寄らず疥癬患者が来たやうに、皆吃驚(びっくり)したやうな調子で路を開けてくれよる。考へれば考へるほど、俺の精神が神の御心に叶うて居るのか、或ひは四人の連中の方が良いのか、どうしても合点がゆかない。我輩に神徳が有つて蛇や蜈蚣が恐れて逃げるのか、或ひは威勢に恐れて避けてゐるのか、此奴も一つ考へ物だ。諸善竜宮に入り玉ふと云ふ以上は、この竜宮島に悪神(あくがみ)は一柱も無い筈、たとへ金銀の色をして居つても、蛇に蜈蚣と云ふ奴、余り気分の良いものだない。しかし此島の蛇も蜈蚣も悪魔のやうな感じもせぬ。

悪魔でなければ諸善神の化身であらう、この点が一向合点の行かぬ所だ。清公だとて余り神様に好かれるやうな至善至美の人間でもなし、また俺だとて神様が恐れて逃げなさるやうな御神徳があらう筈もなし、また蛇が悪魔であるとすれば、我々の神徳に恐れて逃げるやうな蛇には力も徳もないのだ。ヤツパリ竜宮は竜宮式だ。薩張五里霧中に彷徨して、見当
の取れぬ仕組の実地を見せて貰うたのだらうか。

あゝどうしたらこの解決が附くだらう。初の間(うち)は金銀の蛇、一二尺づつ遠慮したやうに先を争うて逃げて居よつたが、いつの間にか見渡す限り、俺の周囲には、一匹の蛇も居なくなつてしまつた。蛇に好かれるのも余り気分の良い話ではないが、この通り敬遠主義を執
られるのも、何だか面白くないやうな気分がする。あゝ到底人間の理智では解るものでない。先づ神様に天津祝詞(あまつのりと)を奏上し、悠つくりと心こころを落着けて、鎮魂三昧に入つたならば、何とかこの解決がつくであらう。あゝ惟神霊幸倍坐世(かむながらたまちはえませ)』と、拍手をなし、祝詞を、声限り奏上し終つて、またもや岩上に端坐し、腕を組み考へ込んだ。
モンキーは岩上に双手を組み、首を垂れ、善悪の解決に心身を傾注する時しもあれ、美妙の音楽眼下に聞こゆるに驚き、目を開いて眺むれば、金銀珠玉を以つて包まれたる、厳(うる)はしき漆塗りの船に、得も言はれぬ崇高なる女神舵を操り、清公、チヤンキー、アイル、テーナの四人、赤裸の筈の男が、何とも知れぬ麗しき薄衣を身に着け、身体は水晶の如く透明に清まり、各自(てんで)に横笛、笙、ひちりきを吹き、美はしき纓絡の附いた冠を頭に戴き、愉快気に波面を進み行く光景が、パインの繁みを透かしてアリアリと現はれた。モンキーは思はず『アツ』と叫んだ。四人は金扇を拡げ、モンキーに向つて『早く来れ』と差招きながら、微妙の音楽の声諸共に、紺青の波の上を悠々として彼方(あなた)の島影に姿を隠しける。

モンキーは太き息を吐きながら、我
身を振り顧れば、赤銅のやうな黒赤い肌に毛をボウボウと生やし、得も言はれぬ汗臭い、厭な臭気(ひほい)が放出して、我と我が鼻をつく。『あゝヤツパリ俺の方が間違つてゐたのかい。こりやモ一つ考へ直さなくちやなるまいぞ』

・・・(中略。ブログ註: 再度考えに耽るモンキーの前に緑色の毛を生やした亀が顕れ、モンキーは自らを顧みこの神のような亀に付き従うことに…試練を経たモンキーに悟りにも似た境地が訪れます)...

モンキー『あゝ何事も一切万事、神に任せば良いのだ。郷に入つては郷に従がへと云ふ事がある。蛇の島へ来れば蛇と一つの心になり、蜈蚣の島へ来れば蜈蚣の心になつて済度をしてやらねばならぬ。蛇を呑んでも構はぬ、体を巻きつけられても、救ひのためには厭とふ所でない。

蜈蚣が我々の肉体を嘗めたがつて居るならば、何
ほど厭らしくても舐めさしてやるのが神の慈悲だ。神心だ。我々は理智に長けて、神の慈悲心を軽んじてゐた。最早かうなる以上は、何事も神様のままに、お任せするが安全だ。…惟神霊幸倍坐世…と口任せのやうに唱へてゐたが、今迄は何事も頭脳で判断をし青人草倣ひ(あおひとぐさならい:ブログ註=一般レベル)の行ひをやつてゐたのが誤まりだ。

あゝ神様有難たうございます。どうぞ清公その他の一行に、一時も早く面会の出来きまするやう、御取計らひ下さいませ。モウこの上は一切万事、貴神にお任せ致します』と悔悟の涙をしぼり、湖面に向つて合掌し天津祝詞を奏上してゐる。何処(いずく)よりともなく、以前の如き美妙の音楽聞え来り、麝香の如き風湖面を吹いて、その身はたちまち薄物の綾錦に包まれ、天上を行く如き爽快なる気分に酔はされてゐた。

 あゝ惟神霊幸倍坐世(かむながらたまちはえませ)。


以上、引用終わり。

では、王仁三郎の和歌をご紹介して 今回の記事の締めくくりとさせて頂きます。

地の上の一切万事の出来事は皆主(す)の神の経綸と知れ

地の上の人の心をたださんと無言のいましめ降(くだ)したまひぬ



聖師様3

今日も最後までお読み頂き有難うございました。

<転載終了>
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