なわ・ふみひとさんのサイトより
http://www.h2.dion.ne.jp/~apo.2012/browse0911-2.html#24
<転載開始>
八正道のこころ
堀田和成・著  法輪出版
思うことは、ものの始まりであり、行為を意味する。
  「口にはいってくるものは、みな腹の中にはいり、そして外に出て行く。しかし、口から出て行くものは心の中から出てくるものであって、それが人を汚す。悪い思い、すなわち殺人、姦淫、不品行、盗み、偽証、そしりは心の中から出てくるのであって、これらのものが人を汚すのである……」
  これは聖書のマタイ伝に出てくるイエスの言葉です。
  思うことは、心の中の出来ごとで悪いことではないと、つい考えます。が、これはとんでもないことなのです。思うことは外に現われずには済まないし、また私たちは心の世界に生きている者であるからです。たとえば箸の上げおろしにしても、心の命令なくしては動きません。心がアレコレ命令し、神経を通して腕、指先に指令しているので動いているのです。
  さまざまな善も悪も、心に描き、思うから形になって現われます。実際に、この地上の一切のものは神の創作であり、私たちの身のまわりのものは、こういうものがあれば便利、ということが心に描かれ、作られています。
  それですから、事の始まりは私たちの心がなにかを思い想像することによって起こります。無意識の行動にしても、その時は意識せずともそれを意識した時があって、それが行為になって現われたものです。
  私たちの運命、健康、人と人との調和は、すべて個人の心のなかでつくられ、時間をかけながら現われてきます。時間をかけてとはどういうことかといいますと、肉体をはじめとしたこの地上は波動の荒い世界ですから、心の中で想像したことは、ある一定の時間を経なければ外に現われてこないのです。
  心の働きが人の運命をどう変えるかといえば、人の思いは念となって外に放出され、それはやがて自分のところに帰ってくるものです。それはちょうど山彦と同じなのです。
  人の相談を受けておりますと、自己中心的なわがまま勝手な人ほどさまざまな悩みを持ち、苦しみを持っていることがわかりました。夫婦の間はもちろんのこと、親子はバラバラで仕事も思うようにいかず、それで悩まれるわけです。
  ある人は、地位や名声を得て経済的にはなに不自由なかったのですが、その能力を差引いた心の状態は怒りや欲望に燃え、気ままに過ごしてきましたので、年中家庭内のトラブルが絶えず、とうとう家族と別れ、一人暮らしをはじめました。心の持ち方がその人を孤独にさせ、運命をかえていったのです。
  健康についても同じです。食べ物や体質遺伝、過労などが病気をつくりますが、心因性による病気もまた多いのです。ノイローゼなどの精神病をはじめ、胃腸障害、眼病、神経痛、リウマチ、腎臓病、糖尿病など数えあげたらきりがありません。
  こうした諸器管は、それぞれ固有の細胞意識を持ち、その持ち場を守っていますが、その人の心の作用がそれぞれの細胞意識に反応をあたえ、不調和な思いが強ければ、その思いを受けてその活動を弱めることになるわけです。つまり病気という症状を呈します。
  もちろん、人の体はそれぞれ体質遺伝があってみなちがいますが、要するに、その人の体にとっていちばん弱いところが発病することになります。怒りっぽい人でも胃腸病になる人もあれぼ、糖尿病にかかる人もいるわけです。
  こういうことから、あるお医者さんは病気の治療は精神衛生にあるとして、科学治療と同時に精神治療に重点をおいて、多大な効果を収めている方もあるほどです。
  私たちは、現象界という物の世界にかこまれ生きていますが、現象界をよくみると、それは波動としてとらえられ、その波動の塊りが、いっときその場所に集中固定して物を形造っているので、時が経つとその塊りは雲散霧消し、そこにとどまることはないものです。
  すべての物は、エネルギーの集中固定化されたものであり、それをあると見るかないと見るかによって、私たちの心のあり方は180度ちがってくるわけです。ブッダは、この世の一切のものは「諸行無常」であって、常ならざるものとみて、執着のむなしさを強調します。
  ではこの世にあるものはなにか。それは各人の心であり、魂であって、こうした魂や心が私たちの五体のなかに生命を宿しているので、諸々の現象を認知しているのです。


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● 外界は心によってつくられる   2006年4月5日(水)
  本日は「カルマの法則」シリーズの第12話になります。
  カルマに関しての結論とも言える内容が『仏教聖典』にわかりやすく述べられていました。その中でも特に注目していただきたいのは以下の部分です。

  迷いもさとりも心から現われ、すべてのものは心によって作られる。ちょうど手品師が、いろいろなものを自由に現わすようなものである。

  人の心の変化には限りがなく、その働きにも限りがない。汚れた心からは汚れた世界が現われ、清らかな心からは清らかな世界が現われるから、外界の変化にも限りがない。

  絵は絵師によって描かれ、外界は心によって作られる。
  心はたくみな絵師のように、さまざまな世界を描き出す。この世の中で心のはたらきによって作り出されないものは何一つない。
                              ――『仏教聖典』(仏教伝道教会)


  私たちのカルマの内容に影響を与え、この人生における運命を左右する力を持っているのは私たち自身の「心」だということです。そのことが仏教の教典の中には詳しく述べられているのです。
  そのような素晴らしい真理が述べられているにもかかわらず、仏教は葬式や法事のときにしか出番がありません。仏の教えが綴られているお経は、亡くなった人を慰霊するために唱えるものといったとらえ方をされているからです。
  最近では般若心経などの解説本がブームになっていますが、それとて「唱えることによってご利益のあるお経」としての価値が重宝されているようにも見えます。確かに、お経は唱えるものではありますが、やはり大切なのはその内容を理解することのはずです。
  この般若心経につきましては、私も長年にわたって毎日読経を行なってまいりました。特段ご利益を期待したわけではありませんが、読経を続けているうちに、様々な解説本を読んでもよくわからなかったその意味が、ある時忽然と理解できるようになったのです。まるで新しい宇宙観を授かったような気がいたしました。それ以来、般若心経に凝縮された仏教の奥深さに驚かされています。
  般若心経についての私の解釈については、その核心となる部分を
『2012年の黙示録』(たま出版)で述べていますが、ご参考までに以下に引用しておきます。

仏教は最先端科学の内容をすでに知っていた
  宇宙は波動で構成されていて、異なる振動数(周波数)の世界が何層にも重なり合って存在しているということでした。そのことは今日の最先端科学が明らかにしていますので、ここで素人の私が解説するまでもありません。
  驚くべきことに、それと全く同じ意味のことが、仏教のエッセンスといわれる般若心経にしっかり述べられているのです。私は仏教に関しては解説書をかじった程度の知識しかありませんが、般若心経の解釈については、「これしかない」という確信を持つに至りました。
  般若心経のなかで最も有名なのは「色即是空、空即是色」という言葉です。この「色」は物質や現象のことを意味しています。しかし、たとえば「物質は空である。空が物質である」と解釈しても、何のことか理解できないと思います。仏教の世界にいる人たちの解説は、ここでつまずいてしまうのです。「空」を「無」に近いものと解釈しているからです。「物質はあるようにみえるけど、時間が経つとなくなる不安定なものだ。だから執着してはいけない」といわれれば、何となくわかったようで、それでも釈然としない気持ちが残ります。
  現代物理学は、この「空」の存在を立派に証明してくれました。ひところ、この空間には「エーテル状」のものが充満している、との考え方があったのをアインシュタインが否定したといわれています。いま、その考え方が再び復活し、「量子真空」という言葉で再定義されています。(『魂の記憶』喰代栄一・著/日本教文社)
  この空間は目に見えない粒子、波動で満ち満ちているということです。その波動に一定の力が加わることによってエネルギーが発生し、「無」と思われたところにさまざまな「物質」が生み出されるというわけです。(『空間からの物質化』ジョン・デビッドソン・著/たま出版)
  そこで、「色即是空、空即是色」を「色即是波動、波動即是色」というふうに置き換えて解釈してみてください。つまり、「物質は波動でできている。また、波動に一定の力が加わると物質に変化するんだよ」ということです。これが仏教の真髄なのです。2500年前に、お釈迦様はこの最先端科学の発見を完璧に理解しておられたということです。すごいと思いませんか。
  般若心経はこの「空即是色」の後に「受想行識亦復如是」という言葉が続きます。「受想行識」はセットになった言葉で、物質的現象を意味するする「色」に対して「精神的作用」を総称したものです。「受」は感覚、「想」は想念、「行」は意志、「識」は認識、と理解したらよいと思います。「亦復如是」は、「~もまた同じものだよ」と言う意味です。つまり、私たちの感覚も想念も意志も認識も、みんな波動だといっているのです。これも最先端の現代科学がいっていることとまったく同じです。
  この理解を得ると、難解な仏教もフツーの人の頭で解釈できるようになります。
  私たちは死ぬと、魂が物質としての肉体から離れ、波動の違う別次元に行くのです(正確には、魂はもともと別次元にも同時に存在しているのですが、そのことがこの物質次元からでは認識されないだけのことです)。ですから、魂は死滅することはありません。別次元のことは「幽界」とか「霊界」とか呼ばれていますが、その世界も波長の違いにより更に細かな階層に分かれているようです。
                          ――『2012年の黙示録』120ページ~


  般若心経の理解のキーポイントとなるのは「空」の解釈に尽きると言っても過言ではありません。多くの解説本にありますように「空」を「無」と解釈すると全く理解できなくなります。逆に、「空」の意味がわかれば、全体の意味もすらすらと理解できるようになります。
  般若心経は、「色」すなわち「物質」や「出来事」はすべて「波動」であり、「受想行識」という心の働きも同じ「波動」であると述べているのです。
  ここでもう一度冒頭の『仏教聖典』の内容を読み返してみてください。

  心はたくみな絵師のように、さまざまな世界を描き出す。この世の中で心のはたらきによって作り出されないものは何一つない。

  これはまさに「空即是色」のことを述べています。「心の力が波動(空)に作用することによって、この世界に物質や現象(色)がつくり出される」という意味なのです。心がどのような波長を持っているかによって、現れる物質や出来事も左右されるということを表現しています。つまり、心の持ち方によって人の運命が変わるということなのです。
  波動には共鳴する性質がありますから、心の働きは、異次元では同じ波長のものが集まり、この世界に返ってくる場合も、同じ波長のところに返ってくることになります。たとえば、「恐れる」という気持ちを持つと、「恐怖心」の波動を発信することになりますから、それは異次元の「恐怖心」の波長と同調し、この世界に返ってくる場合は「恐怖心」の波動を発信した人のところに「恐怖させるような出来事」として現象化するのです。
  また、他の人や生き物に恐怖心を与えるような行為をした場合にも、その報いを受ける(作用・反作用の法則)という形で「恐怖させるような出来事」が自分に降りかかることになります。しかも、自分が直接恐怖させたのでなく間接的にかかわった場合も、そのカルマを分担させられることになるのです。
  たとえば、当サイトを通じて私が「やめるべきだ」とたびたびお節介をしている「肉食」を例にとりますと、牛や豚、鶏などの屠殺に従事している人だけでなく、それを食べることによって間接的にその屠殺の原因をつくっている人にも「カルマのお裾分け」は行くということです。それらの動物が屠殺されるときに大変な恐怖心を抱くわけですから、肉を食べる人にそのことの自覚があるかどうかは別にして、「他者に与えたものが自分に返ってくる」というカルマの法則は寸分の狂いもなく、それに荷担した人に返ってくるのです。すなわち、「恐怖心を与えれば恐怖心として返ってくる」ということです。
  そのことに気づき、懺悔することによって善くないカルマも昇華されます。「気づき」「反省」「懺悔」「感謝」「祈り」などの心の働きが、善くないカルマの昇華にはもっとも有効であると言われています。そのような心の働きによって、カルマが中和され、大難を小難にすることができるのです。そういう意味では、「カルマの法則は人に気づきを促すためにある」と言うこともできます。もちろん、「感謝をして食べればいくら動物を殺してもよい」と自分本位な解釈をしている人は、まったく気づきを得ていないことになります。
                         ☆ ★ ☆
  さて、少し視点を変えましょう。当サイトのBBSにKENZさんという方が、「つぶや記」の内容に呼応した素晴らしい書き込みをしていただいています。同じ内容は、私の『2012年の黙示録』(たま出版)でも述べていますので、こちらにも目を通してみてください。

自分の心のなかが相手に筒抜けになる
  新しい時代は隠し事のできない時代になるようです。波動が精妙になるので、心の動きがすぐに伝わってしまうということでしょう。私たち人間も物質としての肉体を脱ぎ捨てますと、波動の精度がアップします。ですから、心に思ったことがすぐに実現したり、また周りにも伝わってしまうということです。言葉も必要ないと言われています。今日知られているテレパシーなどと同じ状態をいうのでしょう。
  ですから、新しい時代に向けて次元アップできるのは、自分の心の状態が周りの人に筒抜けになる状態のなかでも無理なく生きられる人、そういう状態こそすばらしいと思える人ということになります。もちろん、現時点では人は大なり小なり秘密にしたい内容を持っていると思われます。自分の心に一点の曇りもない人、瞬間的にも他人やこの世の中の出来事を疎ましく思ったり、不愉快に感じたことはない、という人は少ないと思います。ですから、これからいろいろと終末現象を体験していくなかで、私たちは新しい時代に備えて、心の持ち方の訓練をしなくてはならないのです。
                         ――『2012年の黙示録』79ページ~

隠された事実が明るみに出される時代
  新しい時代が近づくにつれて、既にその時代を先取りしたような現象が次々と起こりつつあります。世の中の波動がどんどん高まっているからです。そのため、これから従来の秩序がますます壊されていくことでしょう。
  これから壊れていくもの――まず経済(お金中心の資本主義経済)、政治、治安、そして環境です。また、人の健康もますます壊れていくと思われます。そのことはさまざまな予言に述べられていますが、そのすべてが実現する時代になったということです。
  今日では、わが国でも政治家や企業の不正が次々と明るみに出されていますが、今後この傾向はさらに強まると思われます。最終的には、私たちが「陰謀論」という名で一笑に付すか、考えることを忌避している陰の世界政府に関する事実も、多くの人たちの前に徐々に明らかにされていくことでしょう。
                         ――『2012年の黙示録』84ページ~

  これまでに当「つぶや記」でたびたび述べてきたことですが、要約すると以下のような内容です。

■ いま時間のスピードが速くなるにつれて次元の壁が薄くなり、異次元に蓄積されたカルマがすべてこの三次元世界に現象として現れるようになっています。

■ 異次元に蓄積された秘密的な内容もすべて表面化するため、これまで秘密とされてきたものもすべてベールが剥がされていきます。

■ 2012年12月22日に時間のスピードがゼロ・ポイントを迎え、新しい時間軸の世界(神の国=ミロクの世)がスタートすると、心に思ったことが直ぐに現象として現れることになります。桑原啓善さんの譬えを借りれば「投げたボールがストレートに返ってくる」ということです。そのため、人は心の中に隠し事が全くできなくなるのです。


  信頼できる霊界通信によれば、霊界では思ったことがすぐに実現すると言われています。誰かに会いたいと思えば、すぐにその人が目の前に現れ、何かが食べたいと思えば、その食べ物がすぐに目の前に姿を現す――といった現象です。
  本日の冒頭のところの『仏教聖典』で、「心がすべてを生み出す」とありましたが、まさに心はすべてのものを創造するのです。しかしながら、この物質世界においては、心のエネルギーはいったん異次元にプールされ、それが次元の壁を越えてこの世界に現れるまでには、一定の時間差があるため、その因果関係がわからなかったのです。
  問題なのは、私たちは自分の心の動きについて、ほとんど自覚がないということです。言うなれば「心」という「カルマ製造器」の性能を知らないため、適当に操作して、その機械がつくり出した善くないカルマ(病気や事故、経済的破綻、人間関係のもつれなどの不幸な出来事)を、自覚のないままに体験させられているということです。
  そして、これまでに(過去世も含め)この「カルマ製造器」を使ってつくり出したたくさんのカルマが、これから終末の大峠までにすべて実体験することになっているのです。

<転載終了>